「翳った太陽」を歌う会合同練習=釜石中音楽室
太平洋戦争末期に釜石市が受けた艦砲射撃の惨禍を歌で伝える「翳った太陽」を歌う会(種市誓子会長、22人)は、活動17年目の今年、初のCD制作を行う。7月に予定する録音作業、例年8月9日に行われる市戦没者追悼式での献唱を目指し、会員の練習が本格化。8日は、生徒が活動に参加する釜石中で、本年度初の合同練習が行われた。会員らは戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴える使命を胸に、熱心に練習を重ねた。
同会が歌い継ぐ「翳った太陽」は、艦砲戦災体験者で2006年に他界した石橋巌さん(元市働く婦人の家館長)の絵手紙などを基に創作された女声合唱組曲。市内でピアノ教室を開く最知節子さんが作曲を手がけ、計6曲(全17分)の作品に仕上げた。最知さんを講師に05年から婦人の家で活動する同会は、戦没者追悼式での献唱、学校訪問コンサートなどで戦災伝承活動を続けてきた。
最知節子さん(右)の指導を受ける釜中生ら
戦禍と重なる東日本大震災経験後は、しばらく活動を休止したが、戦後70年を迎えた15年から追悼式での献唱を再開。会員の高齢化が進む中、17年には若い世代への継承を望む会の呼び掛けに応えた釜石中の生徒が、特設合唱部を作り献唱に参加。活動は後輩にも受け継がれ、現在はコールジュニア「蓮」として同曲の合唱に取り組む。
昨年度は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大人も中学生も通常練習ができず、追悼式での献唱も感染防止のため中止された。本年度は新たに小学生2人が加わり、大人と小学生は婦人の家で、釜中生は学校でそれぞれ練習を開始。8日の合同練習には18人が参加し、最知さんから1時間半にわたり指導を受けた。最知さんは、新米教師だった石橋さんが艦砲射撃で教え子を失った悲しみ、焼け野原となったまちで遺体を運ぶ過酷な作業に従事したつらさなどを伝え、情景を脳裏に描きながら歌うこと、指揮者の手が示すテンポや声のトーンなどをしっかり理解することなどを教えた。
歌詞に込められた思いを聞き、当時に想像を巡らす
釜中3年の三浦愛桜さんは「みんなの声が重なった時のハーモニーがきれい」と手応えを実感。「コロナもあるけど普通に生きられる今は幸せだと思う。艦砲射撃で亡くなった人の慰霊、歌に込められた体験者の思いを共有し、心を合わせて歌えるようにしたい」と意気込む。種市会長(73)は「戦争体験を話せる人が少なくなっている。この曲で戦争がいかに悲惨であるかを伝え、決して起こしてはいけないことを子どもたちにも受け継いでいってほしい」と願う。
初めて声を合わせ、自身の課題を見い出す参加者
会では今後も合同練習の場を持ちながら、より良いハーモニーを目指す。CD録音は7月30日、市民ホールTETTOで行う予定。