タグ別アーカイブ: 防災・安全

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振り返り備える…事前防災へ 釜石市、スマホで避難行動分析 訓練で実証実験、結果を報告

スマホの位置情報を活用し人流を解析する実証実験の結果説明会

スマホの位置情報を活用し人流を解析する実証実験の結果説明会

 
 釜石市は19日、3月の地震・津波避難訓練で行ったスマートフォンの位置情報データを活用して避難行動を分析する実証実験の結果説明会を市役所で開いた。リアルタイムな動きを可視化することで人が集まった場所を確認でき、想定されていなかった新たな経路を発見するなど情報収集ツールとして有用性も認識。市はデータをホームページで公開するほか、行動の振り返りで活用するといった「事前防災」に役立てることを視野に導入について検討を進める。
 
 実証実験は3月3日の避難訓練に合わせて実施した。ソフトバンク子会社で位置情報を活用したビッグデータ事業を手掛ける「Agoop(アグープ)」(東京)が協力。同社が提供する歩数計測アプリをスマホにインストールした約200人の行動データを分析した。
 
実証実験の概要や結果を説明する加藤有祐取締役兼CTO

実証実験の概要や結果を説明する加藤有祐取締役兼CTO

 
 説明会には市幹部職員、小中学校の校長、市議ら約50人が参加。同社の加藤有祐取締役兼最高技術責任者(CTO)が、リアルタイムの人流に岩手県が公表した最大クラスの津波浸水想定のシミュレーションを重ねた動画などをモニターに表示しながら説明した。
 
 人流データをモニタリングしたのは市内の4エリア。スマホの衛星利用測位システム(GPS)を活用したもので、最短3分前の行動を可視化、1分ごとに情報が更新される。ほとんどの人は警報発令の1~3分後に避難行動を開始し、10分ほどで避難が完了。素早く適切に行動できていることを確かめることができた。
 
釜石市内4エリアの人流データに津波シミュレーションを重ねて表示

釜石市内4エリアの人流データに津波シミュレーションを重ねて表示

 
 実験では「市が想定していなかった新たな経路を見つけられた」と報告もあった。避難は短距離ルートで-と考えていたが、唐丹地区では「遠回り」の動きが見られた。現地の様子を確認すると、勾配はあってもより早く浸水想定域を抜けることができ、加藤取締役は「素早く高台に避難するという教育が基になった行動では」と分析。訓練後に可視化データを見て振り返ることで、「危機意識や訓練への参加意識の醸成につながるのでは。平時からの利用が大事で、データ分析を活用してほしい」と強調した。
 
想定外ルートの発見につながった事例などを示しながら解説した

想定外ルートの発見につながった事例などを示しながら解説した

 
 市防災危機管理課の川崎浩二課長は「避難時に行動や場所をどう見いだしているか、可視化したことで知ることができた」と手応えを得る。避難訓練ではAI(人工知能)搭載のカメラを使って避難者の属性などを把握する実験も行っていて、こうした技術を組み合わせ、事前防災に役立てたい考え。行動の見える化で「訓練参加のモチベーションにつながれば」と期待する。
 
 ただ、県公表の浸水想定域には約1万1000人が暮らすが、最終的な訓練参加者は約2400人で、いかに増やすかが課題として残る。また、分析の鍵となるのはデータ量で、訓練の周知と合わせアプリのインストールも呼びかけたが、想定より少なかった。協力者を増やす取り組みも課題として挙がった一方で「下校時の避難訓練で活用したい」との声もあり、市は防災教育や地域防災の場での活用を検討していく。
 
 位置情報を用いた人流データは1月の能登半島地震でも活用された。同社が提携企業から収集した位置情報を基に通行実績マップを作成し、災害派遣医療チームや支援団体などに提供。救援ルート、物資供給の優先度の検討に役立てられたという。釜石の訓練では避難者がいる場所が自動で検知され、避難所に集まった人数がランキング形式で表示された。市の猪又博史危機管理監は「人の流れが自動的に目に見えれば、次の対応につながる。想定外の避難場所を見つけるのにも使えるのではないか。導入に向け、庁内で協議を重ねたい」とした。

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サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!SOS編

サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!
 

災害時に役立つスキルを手に入れろ!
 
2024年4月29日(月・祝) SOS編
 
/// 人の手助けができるサバイバルマスター®️に ///
 
全国の子どもたちにお願いです。
災害時は、大人たちだけでは対応できないことが次々に起こります。
そんな時のために一緒に学び続けよう。

8つのサバイバルプログラム

講習を受けると修了証、実技・筆記試験に合格するとワッペンがもらえます。
スキルが身についているか?学んだことを理解しているか?が合格の基準。
8つのプログラムすべてのワッペンがそろうと「サバイバルマスター」として認定されます。
 

サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!チラシ(PDF/545KB)

スケジュール

9:30 受付開始
 
10:00 講習開始
このスキルを身に着けたら、どういった場面で役にたつか、学びながら練習しよう!
 
12:00 昼食
 
13:30 実技試験
スキルが身についているかテスト!
 
14:30 筆記試験
知識がしっかり身についているかテスト!
 
14:50 ふりかえり
 
15:00 解散

定員

15名(先着順)※最小催行:3名

インストラクター

■ディレクター
伊藤 聡(さんつな)
72時間サバイバル教育協会 認定ディレクター
釜石高等学校 探求学習講師「防災ゼミ」 外部講師
<<主な資格>>
防災士、防災検定2級、JVCAボランティアコーディネーション力検定2級、MFAチャイルドケアプラス
 
■コーチ
中島 崇(うみと私と)
72時間サバイバル教育協会 認定コーチ
岩手県環境アドバイザー
<<主な資格>>
MCAJキャンプディレクター2級、JSPAインストラクター、赤十字ファーストエイドプロバイダー、MFAチャイルドケアプラス

お申し込み

予約フォームよりお申し込みお願いします!
https://reserva.be/santsuna
 
日程:2024年4月29日(月・祝)
料金(税込):各回3,500円/一人あたり
対象:小学3年生以上
会場:うのすまいトモス (釜石市鵜住居町4丁目901番2)※三陸鉄道 鵜住居駅前
料金に含まれるもの:
※プログラム費、検定費、保険代など含みます
※Tri4JAPANの協力により、通常の参加費(5,500円)より割安になっています
※子ども向けの内容ですが大人も参加大歓迎です
注意事項:
●参加費は当日受付でお支払いお願いします(現金、PayPay)
●保護者や、対象年齢以外のご家族も付き添い(見学のみ)可能です

主催・お問い合わせ

さんつな(三陸ひとつなぎ自然学校)
LINE https://lin.ee/RvMUVBk
TEL 0193-55-4630 / 090-1065-9976
mail santsuna311@gmail.com

協力

うみと私と
Tri4JAPAN
72時間サバイバル教育協会

さんつな

さんつな

自然と災害という二つの要素を織り交ぜながら、若者の生きる力を高めるための体験機会を提供しています。

問い合わせ:0193-55-4630 〒026-0301 岩手県釜石市鵜住居町29-17-20
メール / LINE / 公式サイト / Facebook

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「防災ポリパン」って? 幼い子を持つ母親ら災害時に役立つ知識学ぶ 震災経験の先輩ママが伝授

かまいしこども園子育て支援センターバンビルーム「防災に役立つポリパン作り」

かまいしこども園子育て支援センターバンビルーム「防災に役立つポリパン作り」

 
 災害時、被災者の命をつなぎ、心身に力を与えるのはやはり食事。限られた食材、調理器具で簡単に作れるメニューは知っておいて損はない。その一つが「ポリパン」。高密度ポリエチレンの袋に材料を入れてゆでるだけでできるパンだ。蒸しパンのようなやわらかい食感、具材を入れれば味のアレンジも可能で、幼い子どもでも食べやすい。釜石市天神町のかまいしこども園子育て支援センターバンビルームが開催したポリパン作り教室を取材した。
 
 同センターの3月のイベント。市保健福祉センター内の調理室で開かれた教室にはセンターを利用する母親4人が参加した。講師を務めたのは同市在住で、一般社団法人ポリパンスマイル協会(梶晶子代表理事)認定のポリパンジュニアマイスター櫻井京子さん(40)。天然酵母を使ったフライパンでのパン作りなども教えている。
 
 ポリパンの材料は強力粉、薄力粉、ベーキングパウダー、砂糖、塩、卵、牛乳、オリーブオイル。湯せん調理が可能な高密度ポリエチレン袋に2種の粉を同量ずつ入れ、砂糖、塩、ベーキングパウダーを加えて、袋を振ってよく混ぜる。次に、溶いた卵に牛乳とオリーブオイルを加えたものを袋に入れ、さらに混ぜる。卵や牛乳のアレルギーがある場合は水でも代用可能。この日は具材として甘納豆、レーズンが用意され、好みで入れた。材料が混ざったら空気を抜いて袋を閉じる。袋は菜箸につるし、湯を沸かした鍋に入れて、弱火で20分ほどゆでる。時々、袋を動かし、熱が均一に伝わるようにする。
 
粉類を入れた高密度ポリ袋は空気を入れて振り、よく混ぜる

粉類を入れた高密度ポリ袋は空気を入れて振り、よく混ぜる

 
卵を溶き牛乳、オリーブオイルを加えたものを袋に入れ粉と混ぜる。空気を抜いた袋は菜箸につるしてゆでる

卵を溶き牛乳、オリーブオイルを加えたものを袋に入れ粉と混ぜる。空気を抜いた袋は菜箸につるしてゆでる

 
 櫻井さんは「災害時は断水で洗い物ができない場合がある。袋調理なら食器も不要。計量スプーンの代わりにペットボトルキャップ(約大さじ2分の1)も利用可能。最近は計量目盛りのある紙コップも販売されている」などと教えた。この日は、同じ要領で作る簡単“肉じゃが”も作った。肉の代わりにコンビーフを入れ、調味料は麺つゆを使った。
 
 ゆで時間を利用し、講師の櫻井さんは自身の東日本大震災の経験を語った。当時は海岸部の会社に勤務。後輩と避難し津波から逃れた。妊娠初期だった櫻井さんは避難所に身を寄せたが、体調が悪くても自分からは言い出しにくかったという。「困った時に『助けて』と言えるのは大事。声を上げないと、助けたいと思っている人も助けることができない。子育ても同じで1人では限界がある。『受援力』を身に付けて」とアドバイス。
 
 産前産後の母親のサポート活動も行い、2児の母でもある櫻井さん。小学生の子どもが準備したという防災(避難)バッグも見せ、非常持ち出し品や飲料水、非常食など備えの例を説明した。「車に膝掛け、子どもの着替え、お菓子などを常備しておくと、普段はもちろん、災害時にも役立つ。幼い子どもがいる場合はそれ用の準備も必要」と話した。
 
講師の櫻井さんは自身の子の避難バッグを紹介。必要と思うものを子どもが自分で詰めたという

講師の櫻井さんは自身の子の避難バッグを紹介。必要と思うものを子どもが自分で詰めたという

 
震災時の経験や乳幼児と避難するための準備について話す櫻井京子さん

震災時の経験や乳幼児と避難するための準備について話す櫻井京子さん

 
 ゆで上がったパンは少し試食し、子どもと一緒に食べるのを楽しみに持ち帰った。1歳2カ月の子を持つ沼倉絵梨さん(34)は「ゆでるだけでパンができるのは新たな発見。とても簡単。子どもも食べられそう」と感激。災害時の心配は、やはり子どもの食事。「何を食べさせたら…と不安はある。今日はいろいろ勉強できてありがたかった」と話し、「この機会に防災バッグの中身も再度確認したい」と意識を高めた。
 
時間がたつにつれ、袋の中の生地が膨らむ。出来上がりを待つ参加者

時間がたつにつれ、袋の中の生地が膨らむ。出来上がりを待つ参加者

 
袋の中のパンを切ってみると、ふっくらとした仕上がりに…

袋の中のパンを切ってみると、ふっくらとした仕上がりに…

 
 ポリ袋調理は災害時だけでなく、キャンプなどアウトドア活動でも活躍。講師の櫻井さんは、みそを使った常備食のレシピなども教えた。防災食といっても災害時に特化したものばかりではない。日常の食のアレンジが非常時にも有効であることが分かる教室となった。
 
ポリ袋調理でできた簡単肉じゃが(写真左)。みそに切干し大根や椎茸を混ぜた常備食は湯で溶けばみそ汁に(同右)

ポリ袋調理でできた簡単肉じゃが(写真左)。みそに切干し大根や椎茸を混ぜた常備食は湯で溶けばみそ汁に(同右)

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「過去の津波に学び、今一度備えを」 釜石市郷土資料館が防災啓発の企画展

市郷土資料館企画展「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」

市郷土資料館企画展「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」

 
 明治、昭和の三陸地震津波、十勝沖地震津波、チリ地震津波、東日本大震災―など、幾度となく津波災害を経験してきた釜石市。被害の実態や教訓はさまざまな形で伝えられるものの、発災から時がたつことによる防災意識の低下は避けられないものがある。過去の津波災害の資料を所蔵する鈴子町の市郷土資料館(佐々木豊館長)では今、同市の津波の歴史を学び、日ごろの備えを見直してもらおうという企画展が開かれている。
 
 1933(昭和8)年3月3日に発生した昭和三陸地震津波、2011(平成23)年3月11日発生の東日本大震災。多くの死者、行方不明者が出た両災害の発生月に合わせ、同館では毎年この時期に津波に関する企画展を開催している。今年のテーマは「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」。新たに作成した説明パネルを含む131点の資料が公開される。
 
 三陸地方を襲った主な地震津波の年表は869(貞観11)年の津波にまでさかのぼって記載。マグニチュード6~9レベルの地震で津波が発生し、各地で人身、浸水被害があったことが記されている。1896(明治29)年の地震津波は三陸沖を震源とするものだが、最大震度は2~3。揺れは小さかったものの、死者・行方不明者は2万1000人以上に上った。2011年の東日本大震災は最大震度7。日本周辺における観測史上最大の地震で、死者・行方不明者は1万8000人を超えた。
 
 被害の大きかった5つの津波は、釜石市の被災状況を数字データや写真を交えたパネルで紹介。惨状は風俗画報(明治)や写真で残されており、それらも額入りで展示された。
 
館内の展示室では131点の津波関連資料が公開される

館内の展示室では131点の津波関連資料が公開される

 
明治、昭和の三陸地震津波、チリ地震津波、十勝沖地震津波は風俗画報や写真で惨状を紹介

明治、昭和の三陸地震津波、チリ地震津波、十勝沖地震津波は風俗画報や写真で惨状を紹介

 
 津波への備えを啓発するパネルは緊急避難場所を示す緑と白のマークを添え、「いち早く、より高い安全な場所へ避難する必要がある。日ごろから街を歩いてルートや所要時間などを確認しておこう」と呼び掛け。非常持ち出し品(避難する時に最初に持ち出すもの)や備蓄品(発災後、数日間を自活するために最低限必要なもの)の例も紹介している。備蓄用の食品や飲料水は消費、賞味期限切れを防ぐため、「ローリングストック」方式を勧める。
 
津波への備えを教える展示コーナー。非常持ち出し品や備蓄品のチェックにも役立ててもらう

津波への備えを教える展示コーナー。非常持ち出し品や備蓄品のチェックにも役立ててもらう

 
 この他、東日本大震災で被災した市の施設などから流出した遺物や関連書籍、新聞なども展示公開される。
 
世界各地で大規模自然災害が多発する時代―。いつ、どこで直面するかわからない天災から身を守るには日ごろの備えが最も重要となる。佐々木館長は「災害は“忘れたころ”ではなく“忘れぬうちに”やってくるようになった。三陸は津波の常襲地でもあり、特にも津波に対する心構えはしっかり持ってほしい。この企画展が見直しのきっかけになれば」と願う。企画展は5月6日まで開催する。
 
東日本大震災の写真やがれきの中から見つかった遺物なども展示。写真集や記録誌も閲覧できる

東日本大震災の写真やがれきの中から見つかった遺物なども展示。写真集や記録誌も閲覧できる

 
 また、館内では2022~23年にかけて発掘調査が行われた橋野町「太田林遺跡」の出土品などを公開する速報展も開かれている。調査は新消防屯所建設に伴う記録保存のために実施。縄文時代の竪穴住居跡や耳飾り、土器、石器などが見つかっている。展示は3月31日まで。
 
橋野町「太田林遺跡」発掘調査の成果を公開する速報展

橋野町「太田林遺跡」発掘調査の成果を公開する速報展

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「3・11」は感情、記憶めぐる日…そして未来つなぐ、決意の日 震災13年・釜石

午後2時46分。釜石祈りのパークで大切な人を思い、黙とうする市民ら

午後2時46分。釜石祈りのパークで大切な人を思い、黙とうする市民ら

 
 釜石市内で912人の命を奪い、152人の行方不明者を出した東日本大震災は11日、発生から13年を迎えた。歳月が流れても大切な人への思いは変わらない―。多くの人がさまざまな場所で祈りをささげた。震災を知らない世代が増えていく一方、元日の能登半島地震など自然災害は頻発。釜石の記憶や教訓を世代、地域を超えて伝える重要性を胸に刻む日にもなった。
 
 市内全域の犠牲者1064人のうち、1003人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」では朝から、祈りが続いた。両親を亡くした町内の柏﨑公雄さん(67)は妻幸子さん(66)と訪れ、「いつまでも忘れないよ」と手を合わせた。「未来」と名付けた愛娘は新たな命を生み育てていて、「素晴らしい未来をつなげてほしい」と願う。進学のため町を離れる山﨑成美さん(18)は、世話になった人たちに報告。「震災を風化させたくない。これから先の災害で犠牲になってほしくない。そのための対策を学んで地域の防災・減災に関わっていく」と決めた。
 
祈りのパークで、犠牲になった人たちに花を手向ける親子

祈りのパークで、犠牲になった人たちに花を手向ける親子

 
 市の追悼式は、今回初めて祈りのパークを会場に行われ、約150人が訪れた。午後2時46分の地震発生時刻に黙とう。式辞で、小野共市長は「この場に立ち、正面の津波高を示すモニュメントを目の当たりにすると断腸の思い」とした上で、「大きな犠牲による教訓を、決して風化させないという決意を新たにする日でもある。二度とあの悲劇を繰り返さないため事実と教訓を語り継ぎ、安心して暮らせるまちづくりに取り組む」と誓った。
 
釜石市の追悼式は祈りのパークで行われ、多くの人が犠牲者をしのんだ

釜石市の追悼式は祈りのパークで行われ、多くの人が犠牲者をしのんだ

 
 災害を語り継ぐ、伝承に震災の経験は関係なく、未来を願う思いが防災、減災につながる―。遺族代表で追悼の言葉を述べた佐々木智之さん(41)は、津波で亡くした母妙子さん(当時60歳)、今も見つかっていない姉仁美さん(当時33歳)を思いながら、未来へメッセージを送った。この13年の間に各地で災害が発生し、伝承の重要性を感じる中、長女智桜さん(10)が備えの大切さを伝える語り部活動を始めた。同じように震災の経験がない若い伝承者が徐々に増える今、SNSなどで批判されるのを懸念。だからこそ、当事者として訴える。「みんなの思いは災害で犠牲者を出さないことだ。大震災の教訓を生かし、悲しい思いを背負う人がなくなり、明るい未来があるよう、防災意識が高まるよう、語り継ぐ人たちの活躍を願う」
 
追悼の言葉を送った佐々木智之さんにとって、3月11日は「いろんな感情が巡る日」。この日は智桜さんが生まれた日でもあるから。大役を終え、父親の顔に戻って笑顔。「ケーキが家に届いていて、このあとは全力で祝います」

追悼の言葉を送った佐々木智之さんにとって、3月11日は「いろんな感情が巡る日」。この日は智桜さんが生まれた日でもあるから。大役を終え、父親の顔に戻って笑顔。「ケーキが家に届いていて、このあとは全力で祝います」

 
続く祈り。刻まれた名にじっと手をあて、思いを伝える姿もあった

続く祈り。刻まれた名にじっと手をあて、思いを伝える姿もあった

 
 式の後も遺族や縁故者らが次々に訪れ、献花して手を合わせた。両親、義姉を亡くした片岸町の小笠原亜弥子さん(44)は、下校中の長女明香里さん(11)、長男輝琉君(9)と立ち寄り、「健やかに育っているから安心して」と伝えた。「母さんが会いに来たよ…元気で、また来年な」。家族思いだった息子の名に触れ、高齢の母親はぎゅっと目をつぶった。
 

祈りの一日 各所でささげる犠牲者への思い 鎮魂、誓い… 心寄せる人々

 
日蓮宗の青年僧らが題目を唱えながら釜石市内を歩き、震災犠牲者を慰霊した=11日午前

日蓮宗の青年僧らが題目を唱えながら釜石市内を歩き、震災犠牲者を慰霊した=11日午前

 
 県内外の日蓮宗寺院の青年僧は釜石市内を行脚。うちわ太鼓を鳴らしながら、題目「南無妙法蓮華経」を唱えて歩き、震災犠牲者の魂を慰めた。同宗派が2015年から沿岸被災地で行っている慰霊法要の一環。関西や北東北の20~40代の僧侶18人が、魚河岸テラスから礼ヶ口町の日高寺まで約5キロを歩いた。岩手県日蓮宗青年会代表の三浦恵導さん(37)=龍王寺(山田町)住職=は「物質的な復興は進んだが、心のケアは十分ではない。私たち僧侶ができることは犠牲者の慰霊と被災地に暮らす方々の安心(あんじん)を達成すること。寄り添っていかねば」と意を強くした。
 
殉職した消防団員の名が刻まれた顕彰碑には白菊が手向けられた

殉職した消防団員の名が刻まれた顕彰碑には白菊が手向けられた

 
 鈴子広場(鈴子町)にある「殉職消防団員顕彰碑」には、震災で職務遂行中に命を落とした仲間8人の名前が刻まれている。献花式で、坂本晃団長(69)は「もう二度と誰の名も刻むことがないように。それが願いだ。団員の安全を確保した上で、住民の命や生活を守るため、日々の訓練を重ねていく」と力を込めた。
 
忘れない…竹灯籠でかたどった文字が浮かび上がる青葉通り

忘れない…竹灯籠でかたどった文字が浮かび上がる青葉通り

 
 大町の青葉通りの一角に浮かび上がる「忘れない」の文字。かたどった約1200個の竹灯籠に明かりがともり、追悼の光が揺らめいた。釜石仏教会(大萱生修明会長、17カ寺)による竹灯籠供養。市東部地区の住民らの思いをくみ、これまで行ってきた祈りのパークから会場を移した。同会の芝﨑恵応・仙寿院住職は「亡くなった人をしのび、教訓を伝えなければ、意味がないんです」と言葉を残した。
 
「天に届け―」思いを込めた風船を大空に放つ根浜地区の住民ら=11日午後2時46分

「天に届け―」思いを込めた風船を大空に放つ根浜地区の住民ら=11日午後2時46分

 
 13年前、震災の津波が低地の集落を襲い、住民15人が犠牲になった鵜住居町根浜地区。地震発生時刻の午後2時46分―。海抜20メートルの高さに宅地造成された復興団地の津波記念碑前では、集まった住民が海に向かって黙とう。故人や未来へのメッセージを記した風船を空に放った。
 
 「会いたい―」。津波で大槌町役場職員だった次女(当時32)を亡くした前川良子さん(71)。「日々、『生きていたら…』と思う時はある」と娘の笑顔を思い浮かべる。夫と営む民宿を2013年に自力再建。海の仕事もしながら、この地で生きることを選んだ。地区住民とは家族ぐるみの付き合い。「みんなの顔を見るとほっとする」と地域の支えに感謝する。能登半島地震の被災者にも心を寄せ、その痛み、悲しみを自分事として受け止める。「(希望の)明日はある。自分を見失わず生活していってほしい」と願った。
 
11日の根浜海岸は穏やかな風景が広がった。津波で亡くなった人たちを思い、多くの人が足を運び、祈りをささげた

11日の根浜海岸は穏やかな風景が広がった。津波で亡くなった人たちを思い、多くの人が足を運び、祈りをささげた

 
 今も多くの行方不明者が眠る三陸の海―。人々の祈りをたたえた海はこの日、穏やかな波が寄せては返していた。
 
 暗くなった根浜海岸の海上には、今年も「3・11」の舟形あんどんが浮かべられた。鎮魂と未来への希望を明かりに込める「とうほくのこよみのよぶね」。アーティストの日比野克彦さんが12年から出身地岐阜市の仲間と訪れ、釜石市民と製作している。午後7時には鎮魂の花火「白菊」が打ち上げられた。地元実行委が20年から継続。支援の減少で本年休止も検討されたが、能登半島地震発生を受け、クラウドファンディングでの打ち上げを目指した。趣旨に賛同し130人が支援を寄せた。
 
鎮魂の花火「白菊」と「とうほくのこよみのよぶね」(写真左)。白菊を手がける「嘉瀬煙火工業」の好意で他の花火も打ち上げられた(同右)

鎮魂の花火「白菊」と「とうほくのこよみのよぶね」(写真左)。白菊を手がける「嘉瀬煙火工業」の好意で他の花火も打ち上げられた(同右)

 
 ボランティア活動で6年前から同市を訪れている紫波町の女性(56)は震災時、テレビの生中継で津波の襲来を目にした。「何もできない無力感でいっぱいだった」。震災を機に命について考え続ける。大事な人を失った悲しみは計り知れないが、「生かされた命を大事に、少しでも楽しく生きられる人生であってほしい」と夜空を見上げた。

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能登応援、相次ぐ義援金 釜石の児童生徒、浜の女性たち動く 震災の「恩返し」込め

能登半島地震の義援金を小野市長に託す「かまいし絆会議」の中学生ら

能登半島地震の義援金を小野市長に託す「かまいし絆会議」の中学生ら

 
 能登半島地震の被災地支援に役立ててもらおうと、日本赤十字社(日赤)岩手県支部釜石市地区に多くの義援金が寄せられている。市内14小中学校の児童生徒で組織する「かまいし絆会議」は各校で募金活動を展開し、釜石湾漁業協同組合平田女性部はバザー開催などでそれぞれ善意を集めた。両者の取り組みに込められているのは、東日本大震災で受けた支援への恩返し、一日も早い現地復興の願い。そして、「できることを続けたい」との思いも共通する。同地区長の小野共市長は「震災を経験した釜石の住民として皆さんの行動、心意気が誇らしい。能登のために大切に使ってもらう」と感謝する。
 
 絆会議は小学校9校、中学校5校でつくる。現在、計1700人を超える児童生徒が在籍する、市内で一番大きな団体。募金活動は冬休み明け後の1週間、各校で行った。釜石中は学区内にある商業施設イオンタウン釜石で市民にも協力を呼びかけ。そうした活動で集まったのは56万4690円に上る。
 
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生徒たちは募金活動に込めた思いを市職員らに伝えた

 
 中学校の代表5人(2年)が6日、市役所を訪問。釜石中生徒会長の山陰宗真さんが「ニュースの映像を見て、つらさを感じて心が痛んだ。釜石も全国の支援で復興に向かうことができた。集まった思いが能登の人たちが希望を持って暮らせる糧になれば」と経緯を報告した。活動で使った募金箱を持参し、大平中の生徒会副会長の佐々木栞奈さんが小野市長に詰まった思いを託した。
 
学校や地域が協力して活動に取り組んだことを報告する生徒

学校や地域が協力して活動に取り組んだことを報告する生徒

 
 釜石東中では、学区内の鵜住居小、栗林小と連携して発行する「絆通信」を使い、目的を共有して活動。東中生徒会長の小笠原早紀さんは「復興が少しでも早くなれば」と話した。唐丹中生徒会長の津田紗良さんは震災支援のお返しになるよう、能登の中学生に応援メッセージを送ったり、石川県の特産品を調べたことを紹介。甲子中生徒会長の米澤心優さんは「役に立ちたい気持ちで活動した。募金によって、復興という希望を届けられたら」と気にかけた。
 
バザーの収益などを義援金として届けた釜石湾漁協平田女性部メンバー

バザーの収益などを義援金として届けた釜石湾漁協平田女性部メンバー

 
 平田女性部は12日に届けた。市役所を訪ねたのは、高澤友子部長と中谷地万惠子副部長(ともに71)。2月11日に平田集会所で実施した「浜のかぁちゃんバザー」の益金と、会場内に設置した募金箱に寄せられた義援金を合わせた5万325円の目録を小野市長に手渡した。
 
 バザーは例年、海難遺児のための募金活動として行っていたが、今回は能登支援を目的に協力を呼びかけた。部員(29人)やその知人らが日用品、衣類、食器、エコクラフトのかごなど手作り品、ワカメなど海産物を安価で並べ、いつも以上に多い住民ら50人余りが品定めを楽しみながら「何か手助けに」との思いを寄せた。
 
「能登の皆さんに届けてほしい」と小野市長に思いを託した

「能登の皆さんに届けてほしい」と小野市長に思いを託した

 
女性部の活動を紹介する高澤部長(左)と中谷地副部長

女性部の活動を紹介する高澤部長(左)と中谷地副部長

 
 震災で自宅を失い、避難所生活をした経験がある部員もいて、中谷地副部長は「自分たちも同じ思いをしたから気持ちが分かる」と気づかう。高澤部長は女性や子どもたちのために役立ててほしいと希望。震災後、「浜の活力再生に女性の力を」と魚食普及活動にも取り組んできた。2人は部の活性化に向け、協力的に動ける体制づくりを思案中。「元気な姿を見せていければ」と顔を見合わせた。

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教訓胸に 備え、命守る 釜石で地震・津波避難訓練 位置情報の活用で行動確認も

高台の避難場所に向かって階段を上る鵜住居地区の住民ら

高台の避難場所に向かって階段を上る鵜住居地区の住民ら

 
 「あの日も寒かった」。3月の第1日曜日、釜石市全域で行われた地震・津波避難訓練で参加者がつぶやいた言葉。13年前の東日本大震災で難を逃れた行動を思い起した様子のその人は続けた。「心配でも、戻ったらいけない」と。訓練のあった3日は、昭和三陸地震津波(1933年)から91年となった日でもある。度重なる災害の教訓をつなぎ、備えるべく、約1500人(速報値)が命を守る行動を積み重ねた。市は、デジタル技術を活用した避難行動分析の実証実験も試行。発災時の迅速な安否把握や情報収集に向け有効性を確かめた。
 
 訓練は、午前8時半に東北地方太平洋沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の地震が発生して市内で震度6弱の揺れを観測、3分後に大津波警報が出されたとの想定。震災の津波で大きな被害を受けた鵜住居地区では、町内会ごとに市が指定する緊急避難場所などに向かった。
 
三陸鉄道鵜住居駅周辺から高台を目指して長い階段を駆け上がる

三陸鉄道鵜住居駅周辺から高台を目指して長い階段を駆け上がる

 
 三陸鉄道鵜住居駅周辺で暮らす住民ら約100人は高台の鵜住居小・釜石東中の校庭に避難した。そばの復興住宅で生活する70代男性は震災時、避難が遅れ、がれきの上で一夜を過ごした。津波で兄夫婦は帰らぬ人に。兄嫁はいったん高台に避難したものの、夫の姿が見えないと戻ってしまった。遠くを見つめてポツリ、「絶対、戻ってはいけない」。多くの支えで今があると感謝し、「助かった命、楽しく生きなければ」と前を向く。だからこそ、「やっておくことが大事」と訓練は欠かさない。この日は、数日前に降った雪がとけずに凍っていて、途中で滑って転んだという。「こういうこともある」とうなずき、ふと空を見上げた。「そういえば、あの時も寒かった。雪もちらついていたな」
 
震災の津波の高さを示すオレンジのラインより高い場所を目指して避難

震災の津波の高さを示すオレンジのラインより高い場所を目指して避難

 
より高く。緊急避難場所の校庭から拠点避難所の体育館へ移動

より高く。緊急避難場所の校庭から拠点避難所の体育館へ移動

 
 釜石東中(佃拓生校長)はこの日に合わせ部活動を行い、1、2年生の約30人が参加。体育館が拠点避難所になっていることから、鵜住居町内会(古川愛明会長、約120世帯)が実施した避難所開設訓練に協力した。千葉心菜さん(1年)は「想定にとらわれないで逃げる」のは身についているが、避難所運営は初めてで「みんなについていくのがやっと」だった。けど、段ボールベッドの作り方を覚えたのが収穫。「次は、知らない人に教えたり、率先して行動したい」と背筋をピンとした。
 
避難所設営訓練で段ボールベッドを組み立てる参加者

避難所設営訓練で段ボールベッドを組み立てる参加者

 
 近くの新川原地区内には緊急避難場所が2カ所あり、国道45号以西の住民は「本行寺奥三陸道」(三陸沿岸道路)に向かうルートを確認。支援が必要な高齢者をリヤカーに乗せて避難する訓練も行った。震災の津波で自宅が被災した八幡亘さん(47)は「1月に能登半島地震もあり、改めて人ごとではないと実感する。訓練を重ね、震災の教訓を忘れないよう意識していきたい」と気を引き締めた。この日は「かまいしワーク・ステーション広場」への避難者と合わせ、約90人が訓練に参加した。
 
新川原地区の津波緊急避難場所「本行寺奥三陸道」に向かう住民ら

新川原地区の津波緊急避難場所「本行寺奥三陸道」に向かう住民ら

 
リヤカーでの避難訓練も実施(写真上段)。この日は積雪による道路凍結(同左下)で転倒の危険があるため、三陸道上り口までの避難とした。防災備蓄倉庫は今後、三陸道脇に移転させる予定

リヤカーでの避難訓練も実施(写真上段)。この日は積雪による道路凍結(同左下)で転倒の危険があるため、三陸道上り口までの避難とした。防災備蓄倉庫は今後、三陸道脇に移転させる予定

 
 同地区は震災の津波で全世帯の約7割が被災。住民28人が犠牲になった。2022年に県が公表した最大クラスの津波浸水想定では、さらなる浸水域の拡大が予想される。新川原町内会(147世帯)の古川幹敏会長は「高齢者ら避難弱者をどう助けるかが課題。徒歩避難が原則だが、屋外で1~2晩過ごさなければならない場合も考えると、駐車スペースを確保できる場所への車避難も検討の余地があるのではないか。鵜住居全体で課題を共有し、対策を講じる必要がある」と述べた。
 
 市は今回、スマートフォンの位置情報アプリを利用して市民の避難行動を分析する実証実験を初めて行った。半島部など発災直後に人員の配置が難しい地域の安否把握や情報収集手段の構築、浸水域を避けて移動するといった安全な行動の検証などが目的。大津波警報発表時に災害対策本部となる小佐野町の市立図書館にモニターを設置し、参加者の移動状況を確認した。
 
災害対策本部に設置されたモニターには市民の避難行動が映し出された

災害対策本部に設置されたモニターには市民の避難行動が映し出された

 
 ソフトバンク子会社Agoop(アグープ、東京都)と連携し、同社が提供する歩数計測アプリをインストールした約200人の位置情報を画面に表示。県が示した津波浸水想定のシミュレーションを重ね合わせ、動きを見守った。市の佐々木道弘危機管理監はリアルタイムな動きを可視化、分析するツールとして可能性、有効性に手応え。「全市民を守るためいろんな手法を積み重ね、事前防災につなげたい」と強調した。
  
 このほか、緊急避難場所(84カ所)や拠点避難場所(18カ所)に配置した職員から避難者数をオンラインで連絡する情報伝達訓練も実施。要支援者の避難方法を検討するため箱崎町白浜地区で車両を使った避難訓練や、浸水域外の中小川町内会は後方支援としての炊き出し訓練を行った。

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参加しよう!3月3日は…避難訓練 釜石・双葉小児童、呼びかけ「命守る行動で備えて」

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避難訓練への参加を呼びかけるチラシを届けた双葉小児童ら

 
 3月3日は釜石市地震・津波避難訓練の日。みんな参加しよう-。巨大地震による津波想定(国・県公表)で浸水域となった中妻地区に居住する小学生が通う双葉小(及川美香子校長、児童132人)で、6年生29人が中心となって近隣住民に呼びかけている。避難を促す言葉やイラストを描いたポスターを公共施設や地区内の掲示板に張り出してもらったり、避難場所などを知らせる手紙風のチラシを配ったり。この活動に子どもたちが込めるのは「やってみなきゃ、分からない。備えや訓練の大切さを地域の人に伝えたい」という思いだ。
 
 「災害はいつ起こるか分かりません。日頃の訓練が命を救います」。2月26日、そう書かれたチラシを手に同校6年の佐藤士竜君と飯島華恋さんは上中島町の復興住宅で暮らす高橋一見さん(66)のもとを訪ねた。「学校で備えの大切さを学びました。訓練をしていれば、実際に災害が起こった時に焦らないで避難できると思う。ぜひ参加してみてください」。2人は気持ちを伝えて、チラシを手渡した。
 
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訓練に参加してもらおうと復興住宅入居者(左)を訪ねた子どもたち

 
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避難場所や注意点、とってほしい行動をまとめたチラシ

 
 同じ敷地には4棟の復興住宅があって156世帯が暮らし、市の出先機関・中妻地区生活応援センターも入る。津波想定では1メートル超の浸水があるとされ、訓練や災害発生時は1~2階の入居者が3階へ垂直避難することになっている。高橋さんはより上層に住むため、地震の揺れから身を守る行動(シェイクアウト訓練)を確認する考え。子どもたちの呼びかけは住民が津波避難について考え、意識を高める機会になると感じ、ほかの入居者に参加の声かけをするつもりだ。
 
 同センター入り口には手作りポスターも掲示してもらった。6年生がこの取り組みを始めたのは、昨年12月にここで行われた防災交流会がきっかけ。同地区では秋に津波避難訓練を行っているが、3回目となった昨年の参加者は前年より90人も減少。地域住民や市防災危機管理課職員らの間で「参加者をいかに増やすか」が課題になっていることを知った。
 
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訓練参加を促す取り組みを実践した双葉小6年生

 
 総合防災学習の中で「自分たちにできること」を話し合い、テーマを「避難訓練の大切さを伝えよう」に設定。▽ポスター▽チラシ▽横断幕▽津波避難マップ-による周知活動を実践することにした。4班に分かれて取り組み、横断幕や通学路の危険な場所を示したマップは全校児童が意識するよう校内に掲示。避難を呼びかける絵に訓練で行ってほしい行動の説明を加えたポスターは20枚ほど作った。避難時の注意点なども添えたチラシは300枚作成。全児童が持ち帰り、隣近所に配布してもらうことで参加者の裾野を広げる。
 
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通学路の危険な場所や避難場所などを記した手作りマップ

 
 6年生が示した同地区の避難場所は、拠点避難所となる同校体育館やセンターが入る復興住宅を含めて6カ所。昨年の訓練で、同校へ避難した人は10人に満たなかった。市では、職場や家庭、外出先など日常的なさまざまな場所で一斉に避難行動を取るシェイクアウトという訓練スタイルで参加を呼びかけていることもあり、人数の把握は難しい。それでも、子どもたちは6カ所合わせた避難者数を「100人」とする目標を掲げる。
 
 活動を支える同センターの菊池拓朗所長は「地域の課題を敏感に感じ取って率先して動いてくれた。子どもから保護者、祖父母世代にも響くと思う。頼もしい」と目を細める。子どもたちを見守る及川校長は「学校外での交流や大人の考えを知る大切さを実感。子どもたち自身が考え、伝え、行動を広げる機会になった。子どもでもできることがあり、地域の一員として『動かなきゃ』という意識が芽生えたらいい。地域と学校を結びつける大きな力になる」と手応えと期待を感じている。
 
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備えること、避難訓練の大切さを伝える手書きのポスター

 
 「自分の命を自分で守るために みんなで参加しよう」。全市民を対象にした津波避難訓練は3月3日午前8時半から。「大地震が発生し、大津波警報が発表された」との想定。模擬の全国瞬時警報システム(Jアラート)を合図にシェイクアウト、緊急避難場所などへ逃げるなど命を守る行動をとる。市はスマートフォンの位置情報を活用し、参加者の行動を分析する実証実験も計画。歩数計測アプリ「アルコイン」の導入を呼びかける。当日、同校体育館では学校関係者らが避難所運営訓練を予定する。

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「楽しく防災、未来につなぐ震災」で顕彰 釜石高・夢団 喜び力に、うのスタで語り部へトライ

「活動が評価されました」とうれしそうに受賞を報告

「活動が評価されました」とうれしそうに受賞を報告

 
 東日本大震災の伝承や防災活動に取り組む釜石高(釜石市甲子町)の生徒有志グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」はこのほど、復興庁主催の「『新しい東北』復興・創生の星顕彰」に選ばれた。若い世代による地域に根差した活動は未来につながるものであり、他地域のモデルになると評価。メンバーらは喜びを力に、「楽しく学ぶ防災」を発信し続ける。3月にはそんな思いを具現化する語り部活動を釜石鵜住居復興スタジアム(うのスタ、鵜住居町)で予定。地元のラグビーチーム日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)のホーム戦に合わせ観客らに伝えるべく、学びを深めている。
 

「新しい東北」復興・創生の星 受賞を報告

 
 夢団は2019年のラグビーワールドカップ開催を機に結成。現在は1~3年生約60人が所属する。被災体験の語り部、防災食の研究、防災ゲームの開発、動画による発信などの活動を展開。県内外のイベントに参加し、同世代との交流も広げる。
 
 同顕彰は、震災被災地で進む魅力あふれる「新しい東北」の創造に向けた取り組みを発信するのが目的。今年度は全国から123件の応募があり、夢団など10団体が選ばれた。県内では、ウニの再生養殖事業などを展開する洋野町の会社も受賞。顕彰式は2月11日に仙台市で行われた。
  
青木校長(右)に喜びを伝えた夢団メンバーら

青木校長(右)に喜びを伝えた夢団メンバーら

  
 同校の青木裕信校長への報告は15日。夢団代表の佐々有寿(ありす)さん(2年)は喜びをにじませつつ、「活動を世界に広げることを期待されていると感じた」と背筋を伸ばした。双子の妹で副代表の安寿(あんじゅ)さん(同)は「高校生が活動することで地域が元気になる」「ゲームが面白くて勉強になる」といった声が励みだと紹介。同じく副代表の赤石澤一会(いちえ)さん(同)は「若い世代にとって、防災はどうしても重いというイメージがある。だからこそ、楽しく伝えるという視点で活動してハードルを下げられたらいい」とうなずいた。
 
 夢団の取り組みを支える「さんつな」代表の伊藤聡さんも同席。青木校長は「学校内外でワクワクするいい経験をし、成長しているのがうれしい。釜高生としてプライドを持って行動してほしい」と期待した。
 

「体験者の思い、どう伝える」伝承研修で考える

 
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語り部活動につなげようと研修に臨む釜高生

 
 うのスタでの語り部に向け、震災経験者から話を聞く研修や伝えたい内容をまとめた台本作りを進める。17日は鵜の郷交流館(鵜住居町)で、生徒6人が活動。震災の津波で妻を失った栗林町の木村正明さん(68)の思いに耳を傾けた。
 
 鵜住居小事務職員だった妻タカ子さん(当時53)は一人、校舎に残って津波に襲われ行方不明になったとみられる。「なぜ、一人だけ残ったのか」。木村さんは真相を知るため、震災後4年間、学校や市、教育関係者らと話し合いを重ねた。そこから得た教訓が学校の地震・津波防災マニュアルに盛り込まれ、▽避難時には児童生徒、そして全職員が命を守る行動をとる▽訓練も全職員が臨む―などの対策につながったことを紹介。そうしたやりとりで見えた事実、真実を語る本も自費出版した。
 
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震災の体験や伝承の取り組みを伝える木村正明さん

 
 さらに鎮魂と教訓を伝えるため、地域の人たちと協力し、うのスタに祈念碑を建立した。刻む言葉は「あなたも逃げて」。木村さんは「自然にはかなわない。万一の時は考えるより、まず逃げて。安全なところにまで逃げてから、次のことを考えればいい」と考えを示した。さらに、「あなたの命は、あなただけのものではありません」と強調。「忘れないで。あなたが逃げたことで誰か助かる人がいることを」と切望した。
 
 この碑の前で生徒たちは思いを発信する。その活動に対して思うことはと質問された木村さんは「若い人たちがどんどん交代して伝えていかないと教訓というのはつながらないから、頼もしい」と頬を緩めた。
 
生徒たちは真剣なまなざしで木村さんの語りに聞き入った

生徒たちは真剣なまなざしで木村さんの語りに聞き入った

 
 語り部デビューを目指す森美惠さん(1年)は、看護師の母親から聞いた医療現場の様子や驚いた自身の気持ちも織り交ぜて伝えるつもりだ。政屋璃緒さん(同)は居住する宮古市田老地区の被害や人々の思いも踏まえた台本を作成中。「震災では失ったものも多いが、学んだこともあって、次に起こる災害に備えることはできる。準備しておこうと、前向きな気持ちになってもらえたらいい」と思いを巡らせる。
 
伝えたいことを整理しようとメモを取る生徒ら

伝えたいことを整理しようとメモを取る生徒ら

 
どんな思いを、どう伝えるか。言葉をノートにつづる

どんな思いを、どう伝えるか。言葉をノートにつづる

 
 夢団は22日にも市外の若手語り部3人の活動に触れる研修を実施。伝承活動の本番となるSWホーム戦は3月3日と10日に予定される。

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追悼、防災の祈り込める竹灯籠 釜石・根浜の津波避難階段で点灯開始 「1.1」被災の能登半島にも心寄せ

竹灯籠が設置された津波避難階段を上ってみる点灯式参加者=11日

竹灯籠が設置された津波避難階段を上ってみる点灯式参加者=11日

 
 東日本大震災命日の「3.11」まで1カ月となった11日、釜石市鵜住居町根浜地区の津波避難階段に竹灯籠が設置された。13年前の同震災で全域が津波にのまれ、甚大な被害を受けた同地区。竹灯籠の明かりで震災犠牲者を追悼し、防災意識を高める取り組みは今年で3年目となる。3月31日まで土日祝日の午後5時から同7時まで点灯。今年は1月1日に発生した能登半島地震の犠牲者を弔い、現地の早期復興を願う気持ちも込める。
 
 11日午後5時から行われた点灯式には、灯籠製作に協力した市民や階段近くのキャンプ場の滞在客など約50人が集まった。取り組みを行う根浜海岸観光施設「根浜シーサイド」の佐藤奏子さん(かまいしDMC地域創生事業部根浜・箱白地域マネジャー)が趣旨を説明。地元町内会「根浜親交会」の佐々木三男会長(62)が発電機の点灯スイッチを入れると、灯籠に照らされた階段が浮かび上がった。点灯を見守った人たちはさっそく階段を上り下り。美しい光景を目に焼き付けるとともに、津波災害時、いち早く高台に逃れられる階段と周辺の様子を脳裏に刻んだ。
 
竹灯籠は111段の階段の手すり沿いに設置。温かな明かりが「命を守る道」を照らす

竹灯籠は111段の階段の手すり沿いに設置。温かな明かりが「命を守る道」を照らす

 
階段頂上部には4本まとめた灯籠も。美しい模様が目を引く

階段頂上部には4本まとめた灯籠も。美しい模様が目を引く

 
キャンプ場利用者も迅速避難が可能な階段。この日も冬キャンプを楽しむ人たちが多く訪れていた(写真左上がオートサイト)

キャンプ場利用者も迅速避難が可能な階段。この日も冬キャンプを楽しむ人たちが多く訪れていた(写真左上がオートサイト)

 
 この階段は、キャンプ場から高台の市道箱崎半島線(海抜20メートル)に最短で駆け上がれるルートで、2021年春に完成。施設ではキャンプ場利用客には必ず周知しているほか、避難訓練などで災害時のシミュレーションなどを行っている。竹灯籠の点灯は階段の場所を知ってもらい、いざという時の避難行動のあり方を考えてもらうことも狙いの一つ。
 
 家族4人で灯籠製作にも参加した同市の櫻井真衣さん(12)は「自分で作ったものが飾られてうれしい。(明かりがつくと)とてもきれい」と感激。生まれる7カ月前に起こった大震災。学校の授業で当時のことを学び、根浜地区の人からも話を聞いた。能登半島地震の被災状況もテレビなどで目にし、「東日本大震災と似ていると思った」という。地震や津波の怖さを知り、「(もし遭遇したら)冷静に判断して、高台や避難場所にしっかりと逃げたい。この階段を使うことで多くの人の命が救われれば」と願う。
 
自分たちで作った竹灯籠を眺める親子

自分たちで作った竹灯籠を眺める親子

 
チョウやトンボのデザインも(写真左側)。大小の穴からもれる光で辺りは幻想的な空間に…

チョウやトンボのデザインも(写真左側)。大小の穴からもれる光で辺りは幻想的な空間に…

 
 灯籠は地元の山林から切り出した間伐竹を利用。1月に製作体験会を2日間開き、市内の親子らの協力で53本を完成させた。竹の中のLED電球をともす電力は、地域から出る廃食油を精製したバイオディーゼル燃料で発電。地域資源を活用し、環境にも配慮した活動で、持続可能な地域づくりへの一助とする。
 
 同所から近い市指定の緊急津波避難場所は、震災後に盛り土整備された復興団地の山側にある「東の沢奥根浜墓地」。同団地は2017年に完成。同階段を上った先の市道を箱崎方面に少し進んだ所にある。
 
 「のと」の文字を刻んだ灯籠も(中央)。能登半島地震被災地への祈りも込め、3月まで土日祝日の午後5~7時点灯

「のと」の文字を刻んだ灯籠も(中央)。能登半島地震被災地への祈りも込め、3月まで土日祝日の午後5~7時点灯

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「逃げろ!高台へ」津波避難の基本を体感 釜石・新春韋駄天競走11年目に 震災の教訓脈々と

津波避難場所の仙寿院境内を目指し、急坂を駆け上がる中学生ら=新春韋駄天競走

津波避難場所の仙寿院境内を目指し、急坂を駆け上がる中学生ら=新春韋駄天競走

 
 「津波発生時は迷わず、近くの高台へ―」。釜石市の津波避難啓発行事「新春韋駄天競走」が4日、大只越町の日蓮宗仙寿院(芝﨑恵応住職)周辺で行われた。同寺、釜石仏教会が主催し11回目の開催。市内外の2~63歳まで89人が参加し、地域の津波避難場所となっている高台の寺までの急坂を必死に駆け上がった。東日本大震災から間もなく13年となる沿岸被災地。今年は能登半島地震もあり、災害への心構えの大切さをより意識する日々が続く。参加者は震災の教訓を心に刻み、命を守る行動を体で覚えた。
 
 同行事は兵庫県西宮神社の新年開門神事「福男選び」をヒントに、“競走”という楽しみを盛り込みながら津波避難を体験してもらう節分行事。只越町の津波浸水域から震災時、1000人余りが避難した寺まで286メートル(高低差約26メートル)を駆け上がる。途中には急カーブや傾斜がきつい坂も。幼い子どもたちは父母に手を引かれながら、小学生以上は日ごろのスポーツ活動で鍛えた脚力も発揮しながら、それぞれにゴールを目指した。
 
午前11時、「親子の部」からスタート

午前11時、「親子の部」からスタート

 
父親に背中を押され、懸命に坂を上る子ども(左)。沿道では見物客が温かい拍手で応援(右)

父親に背中を押され、懸命に坂を上る子ども(左)。沿道では見物客が温かい拍手で応援(右)

 
只越町の消防屯所(集会所)前をスタート。高台の仙寿院までは高低差約26メートル

只越町の消防屯所(集会所)前をスタート。高台の仙寿院までは高低差約26メートル

 
女子、女性陣もありったけの力を振り絞り前へ進む

女子、女性陣もありったけの力を振り絞り前へ進む

 
 6部門を設け、それぞれの1位に「福○○」の称号を授与。芝﨑住職から認定書を受け取った人たちは、午後から行われた豆まきにも参加した。閉会式の最後には参加者や応援に集まった見物客全員で、海の方角に向かって黙とう。震災や能登半島地震の犠牲者の冥福を祈るとともに、同地震被災地の早期復興を願った。会場では能登支援の募金も呼び掛けた。
 
各部門で1位になった人たち。「福○○」のたすきをかけて感想を述べる

各部門で1位になった人たち。「福○○」のたすきをかけて感想を述べる

 
東日本大震災、能登半島地震の犠牲者を思い、黙とうをささげた

東日本大震災、能登半島地震の犠牲者を思い、黙とうをささげた

 
 例年、お囃子の太鼓で参加者を鼓舞している「只越虎舞」は、閉会式準備の間、踊りも披露。今年はメンバー3人がはんてん姿で競走にも参加した。応援側から初めて走る側になった菊池幸紘さん(31)は「きつかったですねー。ゴール直前の坂はかなりこたえた」と息を切らした。自身は震災時、浜町の自宅にいて津波にのまれ、がれきの山に流れついて一命をとりとめた。「早く逃げていれば…という思いは今でもある。『大丈夫だろう』という過信は絶対禁物。やっぱり、すぐに逃げるのが一番」と、教訓を深く心にとどめる。
 
今年初めて競走にも参加した「只越虎舞」のメンバーら

今年初めて競走にも参加した「只越虎舞」のメンバーら

 
ゴールまであと少し!沿道の声援を受けひたすら前へ…

ゴールまであと少し!沿道の声援を受けひたすら前へ…

 
 男性35歳以上の部で「福男」になったのは、一戸町の健康運動指導士西舘敦さん(44)。陸上競技に励む娘の朱里さん(18)と「思い出づくり、力試しに」と初参加。朱里さんも女性の部で「福女」になり、見事“親子福”で新春を飾った。
 
 なかなかの難コースに「気持ちで進まないとゴールにたどりつけない。後続の人を津波と思って、『逃げろ』という一心で駆け上がった」と敦さん。災害時は「誰かの手を引いたり、声を掛けながら一緒に逃げることも考えられる。自分の身は守って当たり前。訓練を重ねることで他の人も助けられる力をつけたい」と話す。親子で2カ月間練習を積んで、この日を迎えた。朱里さんは「いろいろな坂を見つけては走ってきた。今日のコースは本当にきつかったが、最後の最後まで競って福女になれたのは良かった」と喜びの表情。13年前の震災では「大きな揺れに怖い思いをした」記憶が残る。「津波はいつ起きてもおかしくないと聞く。沿岸部にいたら、すぐに逃げることを心がけたい」と気を引き締めた。
 
 「福女」の西舘朱里さん(写真左側奥)は僅差で1位に。父親の敦さん(写真右)は後続を寄せ付けず断トツの1位で「福男」に

「福女」の西舘朱里さん(写真左側奥)は僅差で1位に。父親の敦さん(写真右)は後続を寄せ付けず断トツの1位で「福男」に

 
福男、福女の認定書を手に笑顔を見せる西舘さん親子。母と一緒に記念の一枚!

福男、福女の認定書を手に笑顔を見せる西舘さん親子。母と一緒に記念の一枚!

 
 こうした防災の取り組みに父敦さんは「釜石市は震災伝承や避難の啓蒙活動がすごく盛んな印象。私たちも教訓とさせてもらっている」と刺激を受け、朱里さんも「この行事を周りに広め、避難の大切さを知ってもらいたい」と意識を高めた。
 
 芝﨑住職は「(震災を経験していない)子どもたちの参加が増えているのはありがたい。『大きな地震があったら必ず津波が来ると思って高台に避難をする』。この行事で学んだことを多くの方々に教えていただきたい」と望んだ。
 
震災後に生まれた子どもたちも父母と一緒に参加。津波避難を体で覚える

震災後に生まれた子どもたちも父母と一緒に参加。津波避難を体で覚える

 
ゴール前では芝﨑住職ら釜石仏教会のメンバーが参加者の頑張りをたたえた

ゴール前では芝﨑住職ら釜石仏教会のメンバーが参加者の頑張りをたたえた

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つなぐ記憶と教訓 発信に一役!?「大震災かまいしの伝承者」に挑戦 記者体験レポート

「大震災かまいしの伝承者」の基礎研修会

「大震災かまいしの伝承者」の基礎研修会

 
 東日本大震災の体験や教訓を後世に語り継ぐ「大震災かまいしの伝承者」。身近な人や市外から訪れる人たちに事実を伝えて記憶の風化を防ぎ、防災意識の向上につなげようと釜石市が養成する。震災から間もなく13年。経験をしていない世代が増える中、記憶を伝え続ける重みは増す。「どう受け継ぎ、残すか」。伝承者の基礎研修会に記者が参加してみた。
 
 この制度は2019年にスタート。地震のメカニズムと津波被害の特質、市が震災後に定めた防災市民憲章などに理解を深める基礎研修を終えると伝承者に認定される。第3期まで実施していて、累計で98人が修了。認定期間はおおむね2年間で、現在は59人が認定されている。伝承手法などを学べるステップアップ研修(任意)もある。
 
 今回、記者が臨んだのは4期目となる基礎研修会。1月28日に鵜住居町の鵜住居公民館で行われ、中学生から50歳代までの12人が参加した。これまで座学とグループワークを組み合わせ“一日がかり”だったが、今期はグループ活動を行わず、半日で終える内容に変更。代わりに、「釜石の震災」に重点を置く形にし、市の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」の見学を組み込んだ。
 
基礎研修で配付されたテキスト

基礎研修で配付されたテキスト

 
メモを取りながら熱心に耳を傾ける参加者

メモを取りながら熱心に耳を傾ける参加者

 
 座学の講師は、岩手大学地域防災研究センターの山本英和准教授(地域防災工学)、小笠原敏記教授(海岸工学)、福留邦洋教授(都市防災・都市計画・復興まちづくり)の3人。合わせると90分ほどの講義は駆け足で進んだ印象。振り返りが必要だ。
 
講師を務めた岩手大学地域防災研究センターの教授ら

講師を務めた岩手大学地域防災研究センターの教授ら

 
 講師陣に共通する指摘は「災害は繰り返し発生し、どこにいても災禍に見舞われる可能性があること」。近年はさまざまな自然災害が各地で多発。講義で示された防災科学技術研究所「地震ハザードステーション」によると、今後30年間に岩手県沿岸地域が大きな揺れに見舞われる確率は約3%だという。が、空き巣や火災、ひったくり被害に遭うのと同程度の確率と聞けば、「低くない。あるかも」と感じた。
 
 「いつかはくる」と予想できても、「予知はできない」と講師ら。だからこそ、「備えを」と繰り返した。過去の災害の経験を後世に伝え、次の災害に備えることは大切である―。記憶の橋渡し、伝承者に期待される役割だと背筋が伸びる気がした。
 
いのちをつなぐ未来館を見学する参加者

いのちをつなぐ未来館を見学する参加者

 
語り部の川崎杏樹さん。経験を織り交ぜ教訓を伝える

語り部の川崎杏樹さん。経験を織り交ぜ教訓を伝える

 
 未来館を案内したのは、施設職員で語り部の川崎杏樹(あき)さん(27)。当時の小中学生が命を守り抜くことができた背景にある実践的な防災教育を紹介し、「この教訓を私たちと同じように発信してほしい」と望んだ。
 
 一方、避難した大勢が亡くなった鵜住居地区防災センターの事実を伝えるコーナーで強調したのは「避難場所」(災害から身を守るため一時的に逃げ込む先)と「避難所」(避難者が一定期間滞在し生活環境を確保できる場所)の違い。「2つの言葉の違いを覚えておく。こういう最低限の知識を身に付けていればいいと思う。小さい防災力が集まれば、大きな防災力になる」と訴えた。
 
研修を終えた参加者に伝承者証が手渡された

研修を終えた参加者に伝承者証が手渡された

 
 こうして研修は無事終了。12人に伝承者証と名札が交付された。これで認定者は71人に。震災の津波で祖父母を亡くした菊池音乃(のんの)さん(釜石高2年)は「当時は何もできなかったけど、これからは語り継ぐことで、災害で悲しむ人を少しでも減らしたい」と意欲を見せた。一緒に伝承者となった妹の音羽さん(甲子中1年)は地域を知る大切さを感じた様子だった。
 
伝承者証を手にする菊池音乃さん(左)と音羽さん姉妹

伝承者証を手にする菊池音乃さん(左)と音羽さん姉妹

 
 国土交通省東北地方整備局職員の沼﨑健(たける)さん(27)は、当時釜石東中2年生。独自に語り部として活動していたが、「独りよがりにならないよう共通認識を」と、古里が勤務地になったのを機に研修を受けた。高校入学時に地域を離れたこともあり、「その間の動きに触れることができ、有意義だった」と感想。同級生の川崎さんが熱心に伝える姿に刺激を受け、そして仲間も得て「語り続ける」気持ちを強めた。
 
 市震災検証室の正木浩二室長は「震災の体験、聞いたこと、学んだこと、防災市民憲章の理念を身近なところで、大切な人に、機会があるごとに語り継いでほしい」と求める。震災から時がたつこともあってか、研修への参加希望者は減少。それでも「未来の命を守るためにも伝え続けなければいけない」と、研修の内容など模索を続ける。
 
伝承者に仲間入りした12人と講師陣

伝承者に仲間入りした12人と講師陣

 
 「覚えてほしい」。講師や語り部たちが時折こぼした言葉。それを誰かに話す―それも伝承になるのではないか。体験者ではなくても、教訓を受け継ぎ、伝えることはできる。その行動が災害に備え、防災意識を高めることにつながるはず。あの日、津波にのまれるまちを「何だろう」とただ眺めていた…気がする。記者となったのは震災後。「自分の記憶も振り返ってみよう」。研修を終え、そんな気持ちになった。その気づきを生かし、まちの動き、市民の思いを伝え続けられるように。