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広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

 

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

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※本号では、新型コロナワクチンに関するお知らせを折り込んでおります。
高齢者のいる世帯では、内容を十分に確認し、ワクチン接種の検討をお願いします。
新型コロナワクチン接種について(折込)

 

【P1】
表紙

【P2-3】
令和3年度施政方針

【P4-5】
令和3年度予算

【P6-7】
屋形遺跡国史跡指定

【P8-11】
こどもはぐくみ通信
まちのおしらせ 他

【P12-13】
まちの話題

【P14-16】
保健案内板
保健だより 他

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2021040800021/
釜石市

釜石市

釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
足音(川向修一 2021年3月31日 記)

足音(川向修一 2021年3月31日 記)

足音(川向修一 2021年3月31日 記)

 

 「復興釜石新聞」は、東日本大震災で紙ベースの広報手段を失った釜石市の広報行政の一端を担う形で、緊急避難的にスタートした。震災から3カ月後の2011年6月11日に創刊。当初は市内の全世帯に約1万8千部を無料配布した。14年11月から有料化。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、去年の4月後半からは通常週2回の発行を1回に減らしながら何とかこの1年をつないできたが、本日付で最終号を迎えることになった。

 

 10年前、新聞の顔となる1面のコラムのタイトルを何にしようかと考えた時、スッと頭に浮かんだのが「足音」であった。「復興への足音」という意味を込め、瓦礫(がれき)に包まれた暗いまちに少しでも明るさが見える「窓」のような存在になればと願った。できるだけ被災者の方々に、震災直後の混乱の中での生の思いをつづっていただこうと思い描いた。編集者が毎回下手な文章をひねり出すより、被災地で暮らす人々に心の内を丹念に刻んでもらった方が、復興へと足を踏み出す地域の力になるだろうと考えた。

 

 1回目のコラムは岩切潤さん(釜石市芸術文化協会会長)にお願いした。「教訓は早めの行動」と題し、津波から間一髪で逃れ命拾いした経験を貴重な教訓として振り返ってもらった。その後、柏﨑龍太郎さん(釜石市社会教育委員)、中川淳さん(平田町内会元会長)が加わり、地域のご意見番として目指すべき復興のあり方を示唆。時には被災地の現状を憂う、厳しいエールと受け止めた。

 

 増田久士さん(釜石シーウェイブス事務局長)にはラグビーの現場から、その後釜石での開催が実現するラグビーワールドカップ(W杯)の機運醸成へ〝地ならし〞をしていただいた。柴田渥さん(松原町内会事務局長)は被災者の日常を女性の目線で的確に切り取り、佐々木道典さん(気象予報士)のコラムからは移ろう季節の匂いが感じられ、癒やされた。

 

 この10年、その時々の釜石の空気を日記のような形で残すことが弊紙の役割と考え、号を重ねてきた。紙面に刻まれた「何でもない日常」は、今後10年、20年を経た時に大きな意味をもつことになると願っている。

 

(かわむかい・しゅういち/釡石新聞編集長/釡石市住吉町)

「復興釜石新聞」からWeb 版「釜石新聞NewS」へ

「復興釜石新聞」からWeb 版「釜石新聞NewS」へ

「復興釜石新聞」からWeb 版「釜石新聞NewS」へ

 

「復興釜石新聞」は、最終号となる930号をもって廃刊とさせていただきます。東日本大震災から3カ月後の2011年6月11日に創刊して以来、9年10カ月の長きにわたり愛読していただき、本当にありがとうございました。4月からはWeb版釜石新聞「釜石新聞NewS」として、釜石まちづくり会社が運営する「かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす」内のコンテンツに移行されます。

 

釜石まちづくり会社よりお知らせ

 

NewSには一般的なnewsという意味のほかに、New Stage/New Step/New Style などの意味を込めています。復興釜石新聞の10年間をできる限りの形で引き継ぎ、新たな局面にあたっての新たな一歩を、新しい形で担って行きます。

 

まずはWeb限定の媒体として、さまざまな形を模索していくことになりますので、Web版釜石新聞「釜石新聞NewS」を温かく見守って頂けますようお願いいたします。

 

【今後について】

2021年4月15日までは、これまで通り釜石新聞社/電話 0193-55-4713)にお問い合せ下さい。
 
4月16日以降の問い合せやご連絡は、以下の方法にてお願いいたします。なお、取材・記事執筆につきましては、釜石新聞の記者2名がWeb版「釜石新聞NewS」で引き続き担当いたします。
 
<取材に関する情報提供など>
①電話番号(担当直通) 090-5233-1373
②FAX 番号 0193-27-8331
③ネットからのお問い合せ
かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす
釜石新聞へのお問い合わせフォーム
https://en-trance.jp/contact/       
④釜石市役所広聴広報課内のリリースBOX(「釜石新聞NewS」)への投函

 

<広告掲載について>
サイトおよび記事内への広告掲載につきましては現在新たに体制を整理中ですので、整い次第「かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす」内にて周知いたします。

片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンV」

ホテルに変身「室浜の宿」、片岸町室浜〜海と食を楽しむ、運営会社「癒しの場所に」

片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンV」

片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンV」

 

 釜石市片岸町室浜地区で新たな宿泊施設「オーシャンV」の建築工事が進んでいる。地域で親しまれた民宿「室浜の宿」が、景色と食を楽しむホテルに変身。医療センターや老人介護施設などを運営する医療法人中庸会(花巻市、似内裕理事長)の関連会社で、健康づくり事業を手掛ける創健舎(同、菊池寛一社長)が事業を展開し、「癒やしや英気を養う場に」と期待を込めている。

 

 高台にある室浜の宿は東日本大震災で津波の被害を免れ、近隣住民の炊き出し会場となった。鵜住居地区周辺の復興工事が始まると、作業員らが宿泊先として利用。復興を下支えする役割を果たしてきたが、2019年の台風19号で裏山の崖が崩れて建物が全壊、従業員にも負傷者が出た。

 

 震災時の経営者が営業譲渡を考えていることを耳にした同社が、12年に宿を取得し、運営を継続。台風による被災で営業を断念する考えもあったが、当時の管理者から「もう一度ここで」と再起を願う声があったことから、ホテルという新しい形での運営を決めた。

 

 ホテルは3階建て(延べ床面積419平方メートル)で、今年1月中旬に着工した。1階部分は鉄筋コンクリート造りになっていて、今後崖崩れが発生しても建物に被害が出ないように配慮。2、3階は木造で、木のぬくもりを感じてもらえるようにする。

 

 和洋の客室10室、食堂、男女別の湯などを整備。5月上旬のプレオープンを目指し、工事を進めている。数人の地元雇用を予定。建設費の一部に釜石市地域企業再建支援事業補助金を活用している。

 

 22日は似内理事長、菊池社長、施工会社のタクミホーム(八戸市)の木村昌義社長らが釜石市役所を訪問。建設の経緯などを聞いた野田武則市長は、地域資源の再生に期待感を示した=写真。

 

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 宿から見える大槌湾の景色にほれ込んだ似内理事長。医師でもあり、患者らの療養地としての活用を視野に入れる。最近の道路整備状況を踏まえて内陸と沿岸をつないだ「医療ツーリズム」の展開も見据え、「釜石のおいしいものと合わせ、息抜きをする場所に。復興、海の大事さや怖さを感じる場にもなれば」と願う。

 

 木村社長もコロナ禍を受け、県内観光に注目。「三陸をイメージでき、復興のシンボルになる施設。マイクロツーリズムの拠点に」と先を見通す。

葛藤乗り越え内陸移住、諸事情抱え 苦渋の決断〜釜石市から13世帯入居、盛岡・南青山アパートへ

葛藤乗り越え内陸移住、諸事情抱え 苦渋の決断〜釜石市から13世帯入居、盛岡・南青山アパートへ

震災から10年ー。釜石市で被災し、盛岡市の「南青山アパート」に入居した住民ら。支援員とともに

震災から10年ー。釜石市で被災し、盛岡市の「南青山アパート」に入居した住民ら。支援員とともに

 

 東日本大震災の被災者向けに建設された県内の災害公営住宅のうち、最後に完成した盛岡市の「県営南青山アパート」(4棟99戸)を19日、野田武則釜石市長が訪問。釜石市で被災した入居者と懇談した。盛岡、滝沢市など内陸部で避難生活を続け、震災から10年となる今年、新たな住まいを得た住民ら。懇談では、古里を離れる決断をしたそれぞれの事情を明かし、新天地での生活に希望を託した。

 

 同アパートは昨年12月に完成。2月11日から入居を開始した。釜石市によると、同市で被災し入居するのは13世帯25人。11世帯が既に入居し、2世帯は3月末の入居を予定する(19日現在)。19日の懇談は、同市が住民交流会として企画。敷地内にある集会所「森のテラス」に入居済みの5世帯7人が集まった。

 

 盛岡への居住を決めた理由として挙がったのは、医療や交通、後継者の問題。「家族が病気を抱え、近くに設備の整った医療機関が必要」「いざという時、すぐに子どもたちと行き来できる交通の利便性」「子どもたちが独立し、釜石に自宅を再建しても継ぐ者がいない」。当初、釜石に戻ることを考えていた人たちも、年月を重ねる中でさまざまな事情が生じ、将来を見据えての選択となったという。震災時、迫る津波を目の当たりにした女性は「川の流音や電車の音にも恐怖を感じてきた。やっぱり海の近くには住めない…」。

 

交流会では野田市長が釜石出身の住民らの思いを聞いた

交流会では野田市長が釜石出身の住民らの思いを聞いた

 

 それでも古里釜石への思いは強い。「向こうに行くと深呼吸した時に潮の匂いを感じる。やっぱり、いいなぁって思う」「釜石に足を運ぶと必ず何か買って帰る。『釜石頑張れ』という気持ちだけはずっと変わらない」

 

 内陸に来てから世話になった人たちへの感謝も口にし、「いつまでも甘えてはいけない。これから自分たちで前向きに頑張っていく」と話す人も。心の復興はまだまだ続くが、安住の地で各自の人生を生き抜くことを誓った。

 

 住民らの話に耳を傾けた野田市長は「この地を選んだのは一つ意味のある選択。健康に末永く暮らしてほしい。今後も皆さんの要望に応えられるよう努力していく」と寄り添った。

 

 片岸町室浜の自宅を津波で失った佐々順子さん(74)は、持病があった母リワさん(当時93)のため、震災直後、夫正弘さん(73)の出身地盛岡市に避難した。残念ながらリワさんは震災の翌年5月に他界。同年、順子さんも大きな手術を経験したことから、独立して盛岡にいる息子家族とも相談し、盛岡に残ることを決めた。

 

 あれから10年―。「箱ものはちゃんとできて生活はしていくが、誰しもが心の中に傷を持つ。帰りたくても帰れない。みんな同じ気持ちだろう…」。生まれ育った釜石のことは人生が終わるまで決して忘れることはない。「みんなで声を掛け合ってやっていこう。ゆっくりと一歩一歩かな」

 

 正弘さんは「ここに住むにもいろいろ葛藤があった。本当の生活はこれから」。夫婦二人三脚で今後の人生を歩む。

感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

活動終了の釜援隊に感謝状〜官民協働、復興まちづくりへの貢献たたえる

感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

 

 釜石市は18日、本年度末で活動を終える釜石リージョナルコーディネーター(復興支援員、通称・釜援隊)の感謝状贈呈式を市役所で開き、官民協働による地域の課題解決、復興まちづくりへの貢献をたたえた。

 

 釜援隊は総務省の復興支援員制度を活用し2013年に導入。8年間に商社や国際機関、マスコミなどで勤務経験のある29人を受け入れた。本年度まで活動を継続したのは11人。市と住民や企業、NPOなどとの調整役としてまちづくりを支えてきた。

 

 贈呈式には隊員9人が出席。野田武則市長が感謝状、復興支援などへの感謝を伝える市の「サンキューカード」をそれぞれに手渡した。

 

 由木加奈子さん(活動期間約3年)、遠藤眞世さん(同6年)は復興住宅自治会設立など地域連携支援に取り組み、多様な人との出会いや協力で「自分にできる復興支援を実現できた」と振り返った。

 

 Uターン者の若林正義さん(同5年)、常陸奈緒子さん(同8年)は食ブランド開発、高校生の地域活動参画などを支援。古里の未来づくりに役立つ活動に充実感をにじませた。

 

 まちが復興する歩みに関わることで人生観を変化させた人も多い。今回活動を終える11人はみな、釜石に残り地域を見守る決断をした。

 

 震災伝承をテーマに活動した藤沢康雄さん(同3年)、漁業振興に携わった佐藤啓太さん(同4年)、漁業の担い手育成支援などを進めた斎藤孝信さん(同5年)、林業の人材育成支援などを手掛けた手塚さや香さん(同7年)は関連する活動を継続。「交流人口をつくる取り組みを推進したい」「地域を活性化させたい」と思いを新たにする。

 

 隊長としてマネジメントに力を注いだ二宮雄岳さん(同7年)は「持続的なまちづくりを進める人づくりを地域の皆さんと頑張っていきたい」と意欲を高めた。

 

 野田市長は「復興に果たした役割は大きい。それぞれの思いをつないでほしい」と今後の展開に期待した。
 久保竜太さん(同6年)、花坂康志さん(同5年)には後日、感謝状が贈られた。

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

 

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年3月1日号(No.1757)

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【P1】
土地区画整理事業による公園の利用開始
【P2-3】
新型コロナワクチン接種のお知らせ
キャッシュレス決済ポイント還元事業 他
【P4-5】
第六次釜石市総合計画を策定しました
【P6-7】
市の組織機構見直し
市職員の給与状況などのお知らせ
【P8-9】
固定資産税のあらまし
【P10-11】
まちのお知らせ
【P12】
福祉タクシー助成券交付のお知らせ
ふくしトピック 他

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釜石市×PayPay「がんばろう釜石!対象店舗で最大20%戻ってくるキャンペーン」を実施します!

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釜石市×PayPay「がんばろう釜石!対象店舗で最大20%戻ってくるキャンペーン」を実施します!

 

釜石市とPayPay株式会社は、釜石市内の対象店舗にてPayPayで決済すると、決済金額の最大20%のPayPayボーナスが還元されるキャンペーンを令和3年4月1日(木)午前0時から令和3年5月15日(土)午後11時59分まで実施します。当事業は市民の方はもちろん、市外の方・観光客の方でもご利用いただけます。

キャンペーン内容

本キャンペーン開催期間中に、市内対象店舗にてPayPayで決済すると、決済金額の最大20%のPayPayボーナスを還元します。
詳細内容やPayPayの使い方については、PayPayのキャンペーンページをご覧ください。
例)通常・・・1,000円ご利用で10円相当PayPayボーナス還元 (1%還元の場合)
  今回・・・1,000円ご利用で200円相当PayPayボーナス還元(20%還元の場合)

注)PayPay残高、Yahoo!JAPANカード、PayPayあと払いによる決済が対象です。

開催期間

令和3年4月1日(木)午前0時~令和3年5月15日(土)午後11時59分

対象店舗

上記ポスターが掲載されている店舗が対象です。
PayPayを導入している市内飲食店や小売店を初め、コンビニエンスストアやドラッグストア等でもご利用可能です。
※公的医療・介護保険が適用となる医療機関・薬局などは対象外です。

還元上限

4,000円相当/回(20,000円のお支払いで最大となります。)
20,000円相当/期間(合計100,000円のお支払いで最大となります。)
※ポイントは支払日の翌日から起算して30日後にPayPayボーナスで還元予定です。

お問い合わせ

PayPayユーザーの方へ
ご利用に関するお問い合わせは、PayPayカスタマーサポート窓口までお願いします。
PayPayカスタマーサポート窓口 ☎0120-990-634 24時間受付/土日祝含む365日対応
 
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PayPayは、スマートフォンやパソコンがあれば無料で導入することができます。
本キャンペーンは途中参加も可能です。
申し込みや導入に関するお問い合わせは、PayPayのサポートセンターまでお願いします。
PayPayサポートセンター ☎0120-957-640 10:00~19:00(年中無休)

「まつばら会」100回で終了、住民の孤立防止に貢献〜語らいを復興の原動力に、つながり継続を誓い合う

「まつばら会」100回で終了、住民の孤立防止に貢献〜語らいを復興の原動力に、つながり継続を誓い合う

最後の「まつばら会」で10年の歩みを振り返る参加

最後の「まつばら会」で10年の歩みを振り返る参加者

 

 釜石市の松原町内会(八幡徹也会長)が東日本大震災後、開いてきた昼食会を兼ねた懇談の場「まつばら会」が、100回の節目を機に終了することになり、10日、最後の会が松原地区消防コミュニティセンターで開かれた。この10年、月1回ペースで集まり、住民らの心のよりどころ、復興の原動力としてきた同会。参加者からは感謝の声が聞かれ、つながりの継続を誓い合った。

 

 まつばら会は震災直後から同センターに開設された避難所が8月で閉鎖後、市内各所の仮設住宅に散らばった被災住民から「松原に帰りたい」「みんなと顔を合わせて話をしたい」などの声が上がり、町内会が企画。2カ月後の10月から毎月10日(お盆の8月を除く)を開催日とし、住民女性手作りの昼食を囲みながら懇談する場を設けた。

 

 同地区の復興工事に携わる業者、市の関係部署から担当者に来てもらい意見交換をしたり、レクリエーションなどを楽しむことも。参加者は多い時で約40人を数えた。

  

 年数を重ねる中で、他地区に自宅を再建する人、中心市街地の災害公営住宅に入居する人も多く、近年の参加は町内在住者を中心に毎回15人ほど。新型コロナウイルス感染症の影響で、集団での会食が難しくなったこともあり、震災10年、100回を区切りに終了を決めた。

 

 10日は来賓を含め19人が参加。住民からは「会があったおかげで今まで元気に過ごせた」「被災から立ち上がる力をもらった」などの声があり、昼食作りに尽力したメンバーらに感謝の気持ちを伝えた。齋藤幸子さん(67)は「震災を機に住民の顔を知った。体調を崩し、会には半分ほどしか出られなかったが、開催には意味があったと思う」と振り返った。

 

 運営の中心的役割を担ってきた柴田渥さん(74)=同町内会事務局長=は「毎月10日を楽しみにしてくれた人もいて、それが一番の宝。いろいろ考えたメニューを『おいしい』と食べてくれる姿にも感動。こんなに続くとは思わなかった」。会の終了に寂しさを覚えながら、「住民の高齢化が進む。お互いに見守り合えるような町内になっていければ」と願った。

  

 松原町内会では震災で24人(関連死含む)が犠牲になった。震災前は230世帯、約500人が暮らし、事業所も30ほどあったが、津波で全体の3分の2が被災。住民の帰還は進まず、現在は約90世帯の居住にとどまっている。

 

 八幡会長は「コロナ禍で外出自粛傾向にあり、ストレスもたまりがち。独居高齢者の孤独死も懸念される。今後はお茶っこの会のようなものを不定期でも開催し、住民の孤立を防ぎたい」と話した。

公園完成 記念の植樹〜平田地区に4ヵ所 嬉石松原、鵜住居にも

公園完成 記念の植樹〜平田地区に4ヵ所 嬉石松原、鵜住居にも

平田地区に完成した「なみたき公園」で桜を植える鈴木東海市長(左)、野田釜石市長(右)

平田地区に完成した「なみたき公園」で桜を植える鈴木東海市長(左)、野田釜石市長(右)

 

 釜石市が東日本大震災の被災地区で進める土地区画整理事業で整備した平田地区の4公園が完成した。それぞれ地名にちなんで「あさひ小広場」「むつわ」「たてやま」「なみたき」と命名。震災から10年となった11日、旧釜石商業高校跡地そばに整備された、なみたき公園で記念の植樹が行われ、地域住民らが交流促進に期待を込めた。各公園は4月1日から一般開放される。

 

 なみたき公園の面積は2214平方メートル。芝を張り、グラウンドゴルフを楽しめるようになっている。ベンチや手洗い場を配置した。

  

 記念に植えられたのは姉妹都市、愛知県東海市から贈られた桜の苗木1本。追悼式に出席するため釜石市を訪れた鈴木淳雄東海市長もスコップを手に作業に協力した。

 

 東海市は震災後に物資支援、職員の派遣、ラグビーを生かしたまちづくりへの寄付など釜石応援を重ねている。鈴木東海市長は「あの痛ましい震災から節目の植樹。桜の木が成長するように、まちが発展し、両市の友好の絆もより深まってほしい」と願った。

 

 野田武則釜石市長は「地域のみなさんに震災の教訓、両市のつながりを感じながら桜の成長を見守ってもらえれば」と感謝した。

 

友好の深化へ思いを共有する東海、釜石両市の関係者

友好の深化へ思いを共有する東海、釜石両市の関係者

 

 平田町内会の佐藤雅彦会長は「震災前、町内に公園はなかった。少し高台にある(なみたき)公園は日当たりよく、周囲と調和している。予想以上にいい公園」と好感触。被災地域では家がまばらで、手つかずの土地も少なくない。震災以前より住む人の心の距離を感じることもあると言い、「公園がコミュニティーづくりの場になれば」と期待する。

  

 同事業による公園整備は嬉石松原、鵜住居地区でも進む。記念植樹は3つの公園が完成する嬉石松原地区で12日に実施、鵜住居地区では1公園が整備を終え日時を調整中。全て4月1日に供用が始まる。

 

10年響く「復興の鐘」、希望を託しバルーン放つ〜釜石駅前追悼行事

10年響く「復興の鐘」、希望を託しバルーン放つ〜釜石駅前追悼行事

震災後の支援に感謝し、今後のまちづくりへ意欲を高める出席者

震災後の支援に感謝し、今後のまちづくりへ意欲を高める出席者

 

 釜石市鈴子町の釜石駅前広場では11日夕、全国の支援者の協力で設置された〝復興の鐘〟を鳴らす追悼行事「かまいし復興の祈り」(同実行委主催)が行われた。震災の翌年2012年から続く3・11の恒例行事。同駅周辺の企業、団体の代表者や一般市民が集まり、鐘の音に鎮魂と未来への希望を託した。

 

 全員でバルーンをリリース後、鐘を建立した「釜石復興の風プロジェクト」の八幡徹也代表があいさつ。「あの日から10年。長かった、あっという間などさまざまな声が聞かれる。鎮魂から希望へ。次の10年に向け鐘をついてもらえれば」と呼び掛けた。

 

 野田武則市長、JR釜石駅の吉田正樹駅長ら招待者約10人が献花し打鐘。2016年に広場内に埋めたタイムカプセルから取り出した「5年後の釜石へ」と題した市民らのメッセージも紹介した。

 

 「復興は進みましたか?ラグビーワールドカップが終わって、まちはにぎわっていますか?希望あるまちになっていますように―」。復興への思いなど400人分のメッセージは、抜粋して19日からイオンタウン釜石で展示される。

 

 困難を乗り越えるリーダーの姿勢をメッセージに記した東北土地開発の佐々木光幸社長(65)は、地元経済の再興に「地域性をよく理解し、経営者らが力を結集することが必要。できない理由は考えず、信念を持って進めば道は開ける」と次の10年を見据えた。

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

教訓伝える3基の石碑、釜石市箱崎町〜高台避難を次世代につなぐ

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

 

 津波の脅威と教訓を末永く後世に―。東日本大震災発生から10年を迎えるのを前に、釜石市箱崎町の津波到達地に住民らが「津波記念碑」を建立。6日、落成開眼式が行われた。地域に受け継がれてきた明治、昭和の三陸大津波の碑に並ぶ形で建てられ、地区の被災の歴史と変わらない高台避難の教訓を次世代につなぐ。

 

 落成式には地域住民ら関係者約50人が出席した。建立実行委の小川原泉委員長(69)=釜石東部漁協組合長=が経緯を説明し、「これからもあの災害を忘れることなく、子々孫々に至るまで語り継いでほしい」とあいさつ。野田武則市長と共に記念碑を除幕した。常楽寺(鵜住居町)の藤原育夫住職により開眼供養が行われ、出席者が焼香して手を合わせた。

 

 黒御影石の記念碑は高さ1メートル90センチ、幅1メートル40センチ。上部の曲線が津波を表現する。表面に刻まれた「平成の大津波記念碑」の文字は野田市長が揮毫(きごう)。裏面には「忘れない」に続き、震災の発生日時、当時の総世帯数・人口、被災戸数、死者・行方不明者数などが刻まれた。建立場所は震災後、整備された市道箱崎半島2号線沿い、集落入り口付近の市有地。

 

震災の被災状況を刻んだ津波記念碑

震災の被災状況を刻んだ津波記念碑

 

 箱崎町内会(同町5~12地割)で震災10年を契機とした記念碑建立の声が上がり、昨年8月、実行委を組織。事業費約250万円は、現住民と被災して他地区に移転した元住民からの寄付金を主財源とした。

 

 箱崎漁港に面する同地区には震災前、273世帯、734人が暮らしていたが、津波で86%にあたる235世帯が被災。地区内で72人(関連死含む)が犠牲になった。

 

 石碑近くの馬場前地区造成地に自宅を再建した小林りち子さん(62)は、津波で夫のおばが行方不明。家族は無事だったが、自宅や所有する船、養殖道具などを全て失った。「大地震が来たら身一つでいいから、とにかく高台に逃げる。命が一番大事。教訓を伝えるこれらの碑をみんなで守っていきたい」と思いを込める。

 

 同町内会の荒屋正明会長(75)は「記念碑建立は6年前に会長職を受けた時から頭にあった。地区を離れた皆さんにも協力をいただき、ありがたい」と感謝。「犠牲者を悼み、災禍を忘れない場所として心にとどめ、さらなる地域防災力強化を図っていければ」と決意を新たにした。

 

 復興が進んだ同地区は自宅再建がほぼ終了。戸建て復興住宅(31戸)を含め、現在は148世帯が居住する。防潮堤(高さ14・5メートル)工事は、集落と漁港を結ぶ乗り越し道路の整備が今月末に完了する予定。