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春告げる「松倉神社祭典」 神楽、虎舞で子どもら躍動 地域の伝統を末永く後世に

松倉神社例祭。地域に伝わる神楽と虎舞が神社に奉納された=13日夕方

松倉神社例祭。地域に伝わる神楽と虎舞が神社に奉納された=13日夕方

 
 釜石市甲子町の松倉神社(宮司=須藤寛人・正福寺住職)の例祭は13、14の両日行われた。祭事は松倉町内会(佐野賢治会長、約600世帯)が主催。同町内会芸能部(小久保謙治部長)が受け継ぐ「松倉太神楽」と「松倉虎舞」が神社や地区内で披露され、満開の桜と相まって春の訪れを華やかに彩った。
 
 松倉神社は釜石高校南側の地区内を見下ろす高台にあり、火伏せの神を祭る。本来の縁日(祭りが行われる日)は17日だが、近年は同日に近い土・日曜日に日程を組んで祭りを開催する。13日は宵宮を前に、地区東側の新興住宅地内の店舗3軒を回り門打ち。住民や芸能部の子どもらの希望で実現させた。夕方には同神社で祈祷と踊りの奉納が行われた。
 
宵宮祭で行われた祈祷(写真左)。神社は甲子町松倉の高台、大木の林の中にある(写真右)

宵宮祭で行われた祈祷(写真左)。神社は甲子町松倉の高台、大木の林の中にある(写真右)

 
神前で手を合わせ、今年1年の地区の平穏などを祈る祭り参加者

神前で手を合わせ、今年1年の地区の平穏などを祈る祭り参加者

 
 現甲子町松倉地区は江戸時代、内陸と沿岸を結ぶ交易の要衝“宿場町”として栄え、両芸能はともに江戸前~中期(諸説あり)に伝えられたとされる。松倉太神楽は盛岡の七軒丁(現盛岡市仙北町)から訪れた芸能者によってもたらされたといわれる。昭和10年代までは祭りや婚礼で披露され、地域の祝い事に欠かせないものとなっていたが、戦後は衰退。昭和50年代に町内会が中心となって復活に乗り出し、後継者育成を図りながら現在に至る。
 
江戸時代から今に受け継がれる「松倉太神楽」

江戸時代から今に受け継がれる「松倉太神楽」

 
松倉太神楽は2月に行われた市郷土芸能祭にも出演。後継者も育成中

松倉太神楽は2月に行われた市郷土芸能祭にも出演。後継者も育成中

 
 松倉虎舞は現山田町大沢から伝わったとされる。三陸随一の豪商だった前川(吉里吉里)善兵衛の千石船が航海で大嵐に見舞われ、流れ着いた島で、船方衆がそこに伝わる虎舞を習い覚えて持ち帰ったのが大沢虎舞とされ、釜石大槌地域の虎舞の多くは大沢から広まったと考えられている。松倉は“和藤内の虎退治”を描いた演目を継承する。
 
神社周辺は桜が満開!天候にも恵まれ、絶好の祭り日和の中、躍動する「松倉虎舞」

神社周辺は桜が満開!天候にも恵まれ、絶好の祭り日和の中、躍動する「松倉虎舞」

 
 例祭での両芸能披露は新型コロナウイルス禍で3年休止後、昨年から再開。今年は小中高生を中心に約60人が参加し、3月から週2回の練習を重ねてきた。昨年から虎舞の踊りに参加する森奏心さん(甲子小2年)は「練習は大変だけど、みんなで跳ねて踊るのは楽しい。ちょっと間違ったけど最後までできた」。虎の舞い手、横田楽さん(甲子中3年)は友人に誘われて参加し2年目。「踊りは自分なりには80点ぐらい。地域の皆さんに見てもらえるのがうれしい」と話す。横田さんを誘った佐藤健太さん(同)は虎舞をやっていた祖父に憧れ、幼稚園年中から親しむ。市内最古ともいわれる同虎舞に誇りを感じ、「大人になっても続けたい。下の世代にももっと広まり、自分たちを超えるぐらいうまくなってほしい」と期待する。
 
各演目で練習の成果を発揮。将来が楽しみな小学生ら

各演目で練習の成果を発揮。将来が楽しみな小学生ら

 
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やりや刀を手に虎を追い込む役は子どもらが担う

 
 虎舞には松倉地区以外からも子どもたちが参加。小久保芸能部長(51)は「これだけ集まってくれるのはありがたい。伝統も大事にしながら、子どもたちのやりたい形を実現していきたい」と、部長就任初年にあたり継承への思いを新たにする。両芸能は4月27日に行われる道の駅釜石仙人峠の9周年祭でも披露する予定。「もっと踊りたい」という子どもたちの希望をかなえるべく、「声がかかれば他地域にも出向きたい。外との交流は子どもたちの刺激にもなるはず」と小久保部長。
 
虎舞の終盤演目「笹喰(ば)み」は虎の荒々しい姿を表現

虎舞の終盤演目「笹喰(ば)み」は虎の荒々しい姿を表現

 
最後は“和藤内”が虎を仕留める。威勢のいい口上も

最後は“和藤内”が虎を仕留める。威勢のいい口上も

 
 佐野町内会長は「祭りの思い出がいつまでも心に残り、大きくなって釜石を離れても戻ってきてくれる。そんな地域のつながりを大事にしていきたい。祭りは絶やしてはいけない」と意を強くする。同地区には東日本大震災後、被災地域から移住し新たに自宅を構えた人も多く、町内会加入世帯はこの10~15年の間に100世帯近く増えている。「町内会のモットーは親睦第一。新規移住者も巻き込んで町内会活動を活発化させたい。次世代への引き継ぎも確実に進めていければ」と地域の未来を見据える。

sakuramankai202405

桜の宝庫・釜石 各所で*満開* 昼も夜も花見客繰り出す 写真、ピクニック…春の楽しみ存分に

満開の桜の下で花見を楽しむ親子=13日、上中島町

満開の桜の下で花見を楽しむ親子=13日、上中島町

 
 釜石市内の桜は13日までに多くの場所で満開となり、天候に恵まれた13、14の両日は各地で花見を楽しむ人たちの姿が見られた。新型コロナウイルス感染症の5類移行後、初の花見シーズンを迎え、桜の木の下で弁当などを広げ飲食を楽しむ光景も戻ってきた。桜とともにツバキやモクレン、レンギョウなどが見られる場所もあり、花色の競演も春の風景を一層引き立てている。山あいの地域ではこれから満開となる桜もあり、釜石の桜シーズンはまだまだ続く。
 
 上中島町の日本製鉄多目的グラウンド広場の桜は薄桃色の花が美しい並木が市道沿いに連なる。13日は家族連れが訪れ、レジャーシートを広げて昼食を楽しんだり、ボール遊びをする姿が見られた。妹、母と鈴子広場(公園)で遊んだ後、昼食を食べようと同所に立ち寄った甲子町の佐藤愛奈ちゃん(5)は「桜はお花がきれいだから大好き。(見られて)うれしい」とにっこり。母手製の弁当を頬張り、春の休日を楽しんだ。
 
青空とのコントラストも美しい桜並木=日本製鉄多目的グラウンド広場

青空とのコントラストも美しい桜並木=日本製鉄多目的グラウンド広場

 
「さくら、きれい。お弁当もおいしいよ!」笑顔も満開の子どもたち

「さくら、きれい。お弁当もおいしいよ!」笑顔も満開の子どもたち

 
 11、12日で一気に咲き進み、満開となった小川川下流域の桜並木。13日は見ごろを逃すまいと多くの人が足を運んだ。両岸に木が並ぶ一帯は2つの橋を渡って周回できる絶好の散歩コース。親和橋のたもとでは花を間近で見ることができ、至近距離で撮影する人たちも。近くの多目的広場では子どもたちや若者グループが遊びに興じ、歓声が響いた。
 
今年もボリューム満点の花を咲かせる小川川沿いの桜並木=13日

今年もボリューム満点の花を咲かせる小川川沿いの桜並木=13日

 
 野田町の佐々木彩加さんは4世代家族8人で訪れた。同所には毎年足を運んでいて、「遠くに行かなくても桜を楽しめる場所があるのはとてもいい」と笑顔。長男(3)は今春、こども園に入園したばかり。「今年も無事に家族みんなで桜を見られた。毎年ここで撮っている写真を見ると、子どもたちの成長を実感する」と幸せいっぱいの表情を浮かべた。
 
 東日本大震災後、小川川に隣接する桜木町は当時あった旧市民体育館が被災者の避難所となり、多目的広場には仮設住宅が建ち並んだ。毎年変わらず花を咲かせる同所の桜は被災者の傷ついた心を癒やしてきた。日本製鉄釜石山神社や市民弓道場近くの桜は2014年から昨年まで運行したSL銀河の撮影スポットにもなり、多くの鉄道ファンでにぎわった。同所には毎年、市内の老人福祉施設の利用者らも訪れており、13日も職員らと花見を楽しむ姿が見られた。
 
美しい桜風景に癒やされながら川沿いを散策。桜木町は一日中、花見客でにぎわった

美しい桜風景に癒やされながら川沿いを散策。桜木町は一日中、花見客でにぎわった

 
多目的広場で遊んだり、木の下で飲食を楽しんだりするグループも

多目的広場で遊んだり、木の下で飲食を楽しんだりするグループも

 
 桜が咲くこの時期は鉄道写真愛好家にとっても心躍る季節。鈴子町、釜石駅近くの線路沿いの桜並木は今年も美しい花を咲かせ、JR東日本、三陸鉄道の車両を出迎える。13日は開業40周年を迎えた三陸鉄道が発売した「400円で全線乗り降り自由」の記念切符の利用日。乗客らは沿線の桜風景とともに鉄道旅を満喫した。
 
 山田町の及川祥さん(31)は同切符を利用し、宮古から釜石へ。釜石駅で下車し、昼ごろ、桜並木の下で同駅を発着する2社の車両撮影にいそしんだ。「元々、家の前をJR山田線(現三陸鉄道リアス線)が通っていて、鉄道には昔からなじみがあった。列車の写真を撮り始めたのは10年ぐらい前から。1年の中でも桜の季節は撮影が楽しい」と顔をほころばせる。「この後、ひなび(JR新観光列車)も撮って帰ります。今年は三鉄40周年の企画が目白押しなので期待している」と話した。
 
満開の桜がお出迎え!釜石駅に到着するJR車両

満開の桜がお出迎え!釜石駅に到着するJR車両

 
開業40周年の三陸鉄道は13日限定、400円で乗り放題切符を事前販売。乗客は車窓から見る桜も満喫

開業40周年の三陸鉄道は13日限定、400円で乗り放題切符を事前販売。乗客は車窓から見る桜も満喫

 
 中心市街地を一望できる大町の薬師公園は、昼とともに夜も桜を楽しめる人気スポット。今年も釜石観光物産協会などによる夜間のちょうちん点灯が行われていて、昼とは違った風景を広げている。坂道の遊歩道沿いにはシダレヒガンザクラなどが咲き誇り、頂上広場のソメイヨシノも少し遅れて満開を迎えた。13日は家族連れやカップルが次々に訪れ、ちょうちんや街路灯で浮かび上がる夜桜に見とれた。
 
ちょうちんの明かりで夜桜も堪能できる「薬師公園桜まつり」

ちょうちんの明かりで夜桜も堪能できる「薬師公園桜まつり」

 
 大渡町の女子高校生(16)は下から見える遊歩道のちょうちんの明かりに誘われて足を運んだ。「夜の桜は初めて見た。昼とは違い、幻想的な雰囲気。まるで映画の世界みたい」と感激。スマホカメラでたくさん写真を撮り、「釜石ではなかなか見られない風景。写真は家族に見せたい」と声を弾ませた。ちょうちんの点灯は日没から午後9時までで、21日まで実施。
 
坂道の遊歩道を彩る桜は複数種。ツバキの花、三日月ともコラボ(写真左)

坂道の遊歩道を彩る桜は複数種。ツバキの花、三日月ともコラボ(写真左)

 
訪れた人たちは幻想的な景色にうっとり。写真も撮ってお土産に

訪れた人たちは幻想的な景色にうっとり。写真も撮ってお土産に

 
桜の木々の合間からは市街地の夜景も…。震災復興で建った建物などで多くの明かりが見える

桜の木々の合間からは市街地の夜景も…。震災復興で建った建物などで多くの明かりが見える

 
 市内ではこのほか、小川川上流の日向ダムで管理事務所周辺の桜が満開。ダムの上流、船着き場付近は複数種の桜が咲き始め、これからシダレザクラなどが開花する見込み。橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」周辺のソメイヨシノやヤマザクラは14日時点でつぼみ状態で開花はこれから。同所では高炉場跡の石割桜、道路沿いの八重桜の開花と5月にかけて桜シーズンが続く。
 
日向ダム周辺にも多くの桜が生える。ダム上流部にはこれから開花する花も

日向ダム周辺にも多くの桜が生える。ダム上流部にはこれから開花する花も

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桜前線釜石に 見ごろ予想は今週末 「上栗林のサクラ」ライトアップ&各所の開花状況

青空に映え、美しく咲き誇る釜石市内の桜。写真左下はライトアップされた市指定文化財「上栗林のサクラ」=10日

青空に映え、美しく咲き誇る釜石市内の桜。写真左下はライトアップされた市指定文化財「上栗林のサクラ」=10日

 
 日本の春の象徴、桜の季節が今年もやってきた-。釜石市内の桜は最高気温が20度を超えた7、8の両日で一気に咲き進み、10日時点で5~9分咲きの所が多数。青空が広がった10日は並木道を散歩したり、美しく咲き誇る花をカメラに収めたりする人の姿が各所で見られた。市指定文化財(天然記念物)の「上栗林のサクラ」は7日から夜のライトアップを開始。幻想的な花風景を広げている。
 
 甲子町松倉の甲子川沿いの市道はエドヒガン、ソメイヨシノ、シダレザクラなどが混在する市内有数の並木道。今年は早咲きが4日ごろ開花し、10日にはほぼ満開状態になった。機を逃すまいとカメラを向ける人、車両で通行する人などそれぞれの楽しみ方で美しい光景を目に焼き付けた。
 
甲子川沿い、野田町西端から甲子町松倉まで連なる桜並木。古くから市民に愛される桜スポット

甲子川沿い、野田町西端から甲子町松倉まで連なる桜並木。古くから市民に愛される桜スポット

 
10日午前はわずかにつぼみが残る木もあったがほぼ満開

10日午前はわずかにつぼみが残る木もあったがほぼ満開

 
 同所では6日、かまいし環境ネットワーク(加藤直子代表)主催の「お花見クリーンアップ」が行われた。市民ら約80人が参加し、並木の下や土手、河川敷のごみを拾い集めた。前日には、地区内の久保沢川で工事中の佐野建設(甲子町)がボランティアで同河川を清掃。両日の活動で計約150キロのごみが回収された。31年前、自主的に清掃を始め、同所の環境を見続けてきた加藤代表は「ごみの量は少なくなってきてはいるが、相変わらずポイ捨てが後を絶たない」と話し、通行者のモラル向上を願う。一方地元では、この一斉清掃以外にも個々でごみを拾い集める住民が増えており、着実な環境保護意識の高まりも感じさせる。
 
甲子川沿いの桜並木周辺で市民らが行った「お花見クリーンアップ」=6日

甲子川沿いの桜並木周辺で市民らが行った「お花見クリーンアップ」=6日

 
約1時間の清掃で空き缶、ペットボトル、ビニール片などさまざまなごみを拾い集めた

約1時間の清掃で空き缶、ペットボトル、ビニール片などさまざまなごみを拾い集めた

 
 大渡町の大渡橋たもと、橋詰広場の一本桜も10日時点でほぼ満開。橋上市場があった時代の名残を見せる桜は、2011年の東日本大震災の津波にも耐え、毎年花を咲かせている。10日午後には市内の水産加工会社で働くインドネシア出身の女性3人が休暇を使って訪れ、美しい花姿を楽しんだ。釜石に来て1~2年目という3人。来日して初めて目にした日本の桜に「すばらしい。きれいな花を見るとうれしくなる」と笑顔を広げ、しきりにスマホカメラのシャッターを切った。撮った写真は母国の家族に送るといい、「他の場所の桜も見てみたい」と期待を膨らませた。
 
大渡町の橋詰広場の桜もきれいに咲きそろう=10日午後

大渡町の橋詰広場の桜もきれいに咲きそろう=10日午後

 
日本の桜に感動し、撮影の手が止まらないインドネシア出身女性

日本の桜に感動し、撮影の手が止まらないインドネシア出身女性

 
 市内最大とされる栗林町上栗林の一本桜は、気温が20度を超えた7日から多くの花が開花。昨年より5日遅いものの、7、8連日の20度超えで次々に花開き、雨上がりの10日は全体がほぼ咲きそろった。地元住民組織、上栗林振興会(三浦栄太郎会長、28世帯)が行うライトアップは今年で12年目。2色のLED照明で浮かび上がる夜桜は毎年足を運ぶファンも多く、連日、家族連れなどが訪れている。
 
ライトアップ中の「上栗林のサクラ」。今年は県道側に丸太椅子が設置され、座っても観賞できる

ライトアップ中の「上栗林のサクラ」。今年は県道側に丸太椅子が設置され、座っても観賞できる

 
 樹齢400年以上と推定される同桜はエドヒガン種。地元では「種蒔(たねまき)桜」と呼ばれ、開花は農事の目安とされてきた。2007年に市の文化財に指定されている。古木ながら今も成長を続けているとみられ、花勢も衰えてはいない。地元住民によると、今年は花が小ぶりだというが、枝いっぱいに花をつける姿は例年と変わらない。訪れた人たちは見る角度によって違った風情を醸す桜を撮影しながら、春の夜のひとときを楽しんだ。
 
「どこから見てもきれい」。来場者を魅了する一本桜。下から見上げたり、離れた所から観賞したり楽しみ方いろいろ

「どこから見てもきれい」。来場者を魅了する一本桜。下から見上げたり、離れた所から観賞したり楽しみ方いろいろ

 
晴れた日には星空とも競演!周辺を移動時は足元が暗いので十分注意を

晴れた日には星空とも競演!周辺を移動時は足元が暗いので十分注意を

 
 三浦会長(73)は「新型コロナ感染症の余波もあり、道路沿いへの看板掲示はまだ控えている状態だが、一般の方やキッチンカー出店希望者から問い合わせをいただくことも。口コミでの広がりはあり、逆に効果的なよう。来年以降は開花時期に合わせた音楽イベントも企画できれば」と話す。ライトアップは14日までの実施は確実で、以降は花の散り具合により判断する。点灯は午後6時半から同9時半まで。
 
 釜石市内は13、14日も気温が平年より高めに推移する見込みで、桜が満開となる所もさらに増えそう。ここからは10日時点の市内の桜の開花状況を写真で紹介する。
 
 【野田中央公園】住宅地側のヤマザクラは満開。風が吹くと花びらがちらほら。甲子川側の並木はもうすぐ満開

【野田中央公園】住宅地側のヤマザクラは満開。風が吹くと花びらがちらほら。甲子川側の並木はもうすぐ満開

 
【定内公園】「今年は一斉に咲いた感じ。花が特にもきれい」と近所の女性(80)。川をはさんだ小佐野町、せいてつ記念病院敷地の桜も咲き誇る

【定内公園】「今年は一斉に咲いた感じ。花が特にもきれい」と近所の女性(80)。川をはさんだ小佐野町、せいてつ記念病院敷地の桜も咲き誇る

 
【小川川下流域】両岸のソメイヨシノの枝が川に垂れる人気スポット。散歩する80代女性は「5分咲きかな。老木ながら毎年こんなに咲くのには驚き。今週末には満開になるのでは」と予想

 【小川川下流域】両岸のソメイヨシノの枝が川に垂れる人気スポット。散歩する80代女性は「5分咲きかな。老木ながら毎年こんなに咲くのには驚き。今週末には満開になるのでは」と予想

 
【唐丹町本郷】1933(昭和8)年の三陸大津波からの復興を願って植樹された。道路の両側に立ち並び、桜のトンネルを形成。10日は9分咲き

【唐丹町本郷】1933(昭和8)年の三陸大津波からの復興を願って植樹された。道路の両側に立ち並び、桜のトンネルを形成。10日は9分咲き

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身近な風物 独自の感性で グループ名新たに再出発 「釜石絵画クラブ」作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

  
 昨年6月に改名し新たなスタートを切った釜石市の絵画愛好者グループ「釜石絵画クラブ」の作品展が5~7日に大町の市民ホールTETTOで開かれた。全会員13人と講師1人が、この1年間に仕上げた作品を中心に84点を展示。転機を力に会員たちは創作意欲を高めており、「継続」という共通目標に向かって共に歴史をつなぐ。
 
お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

 
 市の社会教育講座「市民絵画教室」として1978年度にスタートした同クラブ。講座は3年間で終了したが、継続を希望する市民らによって自主活動グループに移行し、教室の名を継いで学習を続けた。作品発表やスケッチ旅行なども行い、活発に活動。当初は夜間に開かれ、多い時には子どもや社会人、高齢者まで80人近くが参加した。近年は会員が十数人で、平均年齢も少しずつ高くなり、昼間の活動に変更。現在は60~90代のメンバーが月に2回、隔週水曜日に集う。
 
 昨年の展示会後、会員の高齢化もあって“解散状態”になりかけた。そんな時、市の講座時代から講師を続ける菊池政時さんが「会の名前を変えてスタートしてみたら」と提案。2011年の展示会は会期中に東日本大震災が発生して作品が津波にのまれたが、負けじと翌年には活動を再開させた。そんな「伝統ある会を維持したい」という会員の思いは強く、「釜石絵画クラブ」として再出発を決めた。
 
1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

 
 年一度の作品展「わたくしたちの絵画展」は名前を変えず継続し、今回で43回目を数える。市内の海景や街並み、庭先を彩る植物、自画像など身近な生活の一部をテーマに独自の感性で描いた作品が目立った。画材は油彩、水彩、アクリル、パステル、色鉛筆などさまざま。他グループで活動している人など絵画に親しむ仲間が3人増え、新たな彩りも加わった。
 
釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

 
大型の作品をじっくりと見入る来場者

大型の作品をじっくりと見入る来場者

 
 改名に合わせ、会長に就任した小田島ヨシ子さん(82)は、植物を題材にした油彩画など7点を並べた。「朝顔」は、きれいに花開いてくれた喜びを込めた一枚。自宅で育てる朝顔はここ数年、シカの食害に遭っていたといい、「本当にきれいに咲いた。新たなスタートを後押ししてくれているよう」と頬を緩めた。創作活動は苦労もあるというが、何もかも忘れて没頭できる時間や作品として仕上がった時の達成感、見てもらえるうれしさが「たまらない」。出歩くと、いつの間にか目線は画題探しになり、「描きたい気持ちが膨らむ。今、描けることが一番の幸せ」と意欲は衰えない。
 
絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

 
 新生グループは、再来年の45回展に向け気持ちを高める。これまで会に名を連ねた人や転居して遠方で暮らす人たちの作品も集めて展示しようと計画中。小田島さんは「同じ目標に向かって盛り上がっている。楽しみにしてほしい」と腕をまくった。

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走り続け40年…これからも!三陸鉄道 記念列車、釜石へ 「ありがとう」思い乗せ

釜石駅に到着した三陸鉄道の開業40周年記念列車

釜石駅に到着した三陸鉄道の開業40周年記念列車

 
 岩手県沿岸を走る三陸鉄道(本社・宮古市、石川義晃社長)は1日、開業40周年を迎えた。「ありがとう」との文字を配したヘッドマークを付けた記念列車を運行。釜石市鈴子町の釜石駅では関係者が大漁旗を振って歓迎した。東日本大震災など幾多の苦難を乗り越え、地域の足として親しまれている“三鉄”。記念イヤーに合わせ多彩な企画を用意していて、「これからも走り続ける」との思いを発信する。
 
開業40年を記念した上り列車。トリコロールカラーの車両が甲子川にかかる橋りょうを進む風景は開業時から変わらない

開業40年を記念した上り列車。トリコロールカラーの車両が甲子川にかかる橋りょうを進む風景は開業時から変わらない

 
 記念列車は三鉄カラーの赤青白のトリコロール車両(2両編成)で、上下線で運行した。正午頃、大船渡・盛駅発の下り列車が釜石駅に到着。ホームでは市職員ら約10人が出迎え、乗客に地元の特産品「仙人秘水」や観光パンフレットなどを手渡した。
 
 電車や新幹線といった鉄道車両が好きな及川朝陽君(10)は「三鉄40周年、どうしても乗らなきゃ」と盛岡市から、宮古市に住む祖母のもとへやって来て、一緒に乗車。「車体のカラーリングがかっこいい。海の景色もいいし、いろんな人と話もできて楽しい」と旅を満喫した。祖母の小林みきえさん(70)は普段から三鉄を利用。「交通の足で、なくなると困る。ずっと走ってほしい」と望んだ。
 
釜石駅ホームで下り列車を歓迎する関係者。大漁旗を振ったり利用客に土産品をプレゼントしたり

釜石駅ホームで下り列車を歓迎する関係者。大漁旗を振ったり利用客に土産品をプレゼントしたり

 
唐丹駅に到着した下り列車。乗客は記念の三鉄旅を楽しむ

唐丹駅に到着した下り列車。乗客は記念の三鉄旅を楽しむ

 
 三陸鉄道は1984(昭和59)年4月1日、県や沿線自治体が出資する国内初の第三セクター路線として開業。当時は南リアス線(盛―釜石、36.6キロ)、北リアス線(宮古―久慈、71.0キロ)に分かれて運行していた。2011(平成23)年3月の震災では路線や駅舎が流失するなど全線で運行が不能となったが、わずか5日後に北リアス線の一部区間で無料の「復興支援列車」を運行。南リアス線も含め復旧を進め、14(同26)年4月に全線復旧した。
 
 同じように震災で不通となったJR山田線釜石―宮古間(55.4キロ)は路線存続が危ぶまれたが、県や沿線自治体の強い要望を受け、JR東日本が鉄道を復旧。19(同31)年3月に三鉄に移管され、現在の形、大船渡・盛駅と久慈駅をつなぐ総延長163キロの三陸鉄道リアス線となった。
 
JRから移管された路線を走行する下り列車。震災で被災した鵜住居町を活気づける

JRから移管された路線を走行する下り列車。震災で被災した鵜住居町を活気づける

 
 その約半年後、三鉄は再び逆境に見舞われた。19(令和元)年10月の台風19号で鉄路の約7割が不通に。翌20(同2)年3月に復旧したが、ほぼ同時に新型コロナウイルス禍が影を落とし、苦しい状況が続いた。それでも、被災地域を活気づける「復興のシンボル」として工夫を凝らした企画を打ち出し、観光振興へ力を注いでいる。
 
 釜石駅の山蔭康明駅長(59)は「震災や台風、コロナ禍と、この十数年は苦労が多かった。地域や乗客の支えがあって、この日を迎えられた」と感慨もひとしおだ。「40年、よくやったな」。入社1期生で、三鉄が歩んだ歴史は自身の歩みとも重なる。先行きが見えない時期も、利用客の「ありがとう」という言葉が働く意欲につながった。記念イヤーは、感謝を込めた企画がめじろ押し。「必要としてくれる人がいる。マイレール意識を持ってもらえるよう、そして地域外のたくさんの人が乗って楽しめる鉄道を目指し、これからも走り続ける。沿岸全体がにぎやかになるように」と未来を思う、その表情は明るかった。
 
「ありがとう!」などの言葉が入る横断幕と釜石駅の山蔭康明駅長

「ありがとう!」などの言葉が入る横断幕と釜石駅の山蔭康明駅長

 
「これからも…」。釜石の街なかを三鉄車両は走り続ける

「これからも…」。釜石の街なかを三鉄車両は走り続ける

 
 記念事業として記念切符や硬券セット、御朱印の鉄道版「鉄印」の販売を始めた。13日には宮古市内で記念式典を予定。企画の詳細は公式ホームページで確認できる。

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新年度スタート!釜石市長「行政改革元年」 辞令受け取り、新採用職員「前向きに」

辞令の交付を受け宣誓する釜石市の新採用職員ら

辞令の交付を受け宣誓する釜石市の新採用職員ら

  
 新年度を迎えた1日、釜石市役所では新規採用者らへの辞令交付や小野共市長の訓示があった。東日本大震災から13年が経過したまちは人口減少や少子高齢化に歯止めがかからず、人口が3万人を割り込むなど転換期を迎える中での船出。財政健全化を図る一方、市民サービスの利便性は維持、向上させるといった行政運営の実現が求められる。「現状を受け入れ、前を向いていけることを」。担い手に加わった若者たちは「新しい時代」へ意欲を示した。
  
 本年度は新たに9人が仲間入り。それぞれ緊張の面持ちで小野市長から辞令交付を受けた。新職員を代表して鈴木生真さん(22)が宣誓。全員で声をそろえ、「市民全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を遂行します」と決意を込めた。
  
釜石市役所議場で行われた新規採用者の辞令交付式

釜石市役所議場で行われた新規採用者の辞令交付式

  
 鈴木さんは甲子町出身で、「生まれ育った地域だからこそ問題が分かり、解決のために働く姿が想像できた」と公務員を選択。少子高齢化を止めるのは難しいとした上で、「受け入れつつ前を向き、市を存続させていく政策を考えていきたい」と未来を見つめる。生活環境課から市職員としての歩みをスタート。「市民に信頼される仕事をしたい」と背筋を伸ばした。
  
 「市政に共感した」。何のゆかりもない釜石で社会人生活をスタートさせたのは、群馬県出身の飯塚侑詩朗さん(22)。もともと公務員志望で、下調べをして釜石のまちづくり、海外との交流に興味を持った。面接のため来釜し、滞在した2日間で住みやすさ、自然の豊かさに触れ、移住を決意。携わる業務はまだ分からないが、水産農林課配属で、「なるべく早く仕事に慣れ、市民に寄り添えるようになりたい」とやる気スイッチを入れる。仕事以外で楽しみたいのは、ラグビー観戦。それと、「海なし県」では体験できなかった自然との触れ合いだ。
  
市職員としての一歩を踏み出した若者たち

市職員としての一歩を踏み出した若者たち

  
 辞令交付を終え、小野市長は幹部職員約40人を前に訓示。昨年11月の市長選で初当選し、市政運営のかじ取りを本格化させる2024年度は「行政改革元年。財政はかなり厳しい状況で、行財政の再建に取り組む。我慢の年になると覚悟してほしい」と理解を求めた。26年春の使用開始を目指し建設工事が始まった新市庁舎への移転を見据え、機構改革による組織のスリム化を進める考え。一方で市民サービスの低下は避けなければならず、業務効率化や効果的な施策実行を目指した人員体制づくりにも取り組むとした。
  
行財政の改革に向けた考えを表明する小野共市長

行財政の改革に向けた考えを表明する小野共市長

  
小野市長の訓示に聞き入り、気を引き締める幹部職員ら

小野市長の訓示に聞き入り、気を引き締める幹部職員ら

  
 職務に臨む姿勢について、小野市長は「市の発展にじかに関わる仕事を担う行政マンとして誇りを持ってほしい」と要望。2年前に発覚した市職員の情報漏洩(ろうえい)事件に触れ、行政運営の大前提となるコンプライアンス(法令や社会規範の順守)の徹底を呼びかけた。また、課題解決には職員一人一人の力が欠かせないとした上で、心身の健康への心がけを強調。「元気よく明るく仕事をしよう」と促した。

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進む食、弾む会話 釜石・甲子地区で「子ども食堂」初開設 市内3カ所目 波及に期待

 「みんなで食べるとおいしいね!」甲子地区で初めて開かれた子ども食堂=正福寺幼稚園

「みんなで食べるとおいしいね!」甲子地区で初めて開かれた子ども食堂=正福寺幼稚園

 
 子どもの居場所、孤食防止、地域交流の場として各地で開設が進む「子ども食堂」。釜石市内では昨夏から学校の長期休暇に合わせた行事として、地域団体による試行がスタート。同市の女性奉仕団体、国際ソロプチミスト釜石はまぎく(佐々木未知会長、会員14人)は3月31日、初の試みとなる同食堂を甲子町の正福寺幼稚園で開いた。地域の幼児から小学生39人が参加し、遊びと食事で楽しい時間を過ごした。
 
 この日のメニューは子どもたちが好きなカレーライス。会員9人が前日から準備にあたり、約80人分を調理した。食材は地元住民からの寄付金などを利用して購入。米は正福寺が寄付した。ジュースやヨーグルト、帰りのおみやげも市内の事業所などが協賛した。
 
カレーライスの調理にあたる国際ソロプチミスト釜石はまぎくの会員ら

カレーライスの調理にあたる国際ソロプチミスト釜石はまぎくの会員ら

 
 食事の準備が整うまでの間、子どもたちはいろいろな遊びに夢中になった。折り紙、輪投げのほか、パラリンピック種目にもなったヨーロッパ発祥のスポーツ「ボッチャ」も体験した。大型絵本の読み聞かせもあった。
 
正福寺幼稚園内のホールが会場。大勢の子どもたちが集まった

正福寺幼稚園内のホールが会場。大勢の子どもたちが集まった

 
折り紙を楽しむ子ども。作品に顔を描き入れたり自由な発想で

折り紙を楽しむ子ども。作品に顔を描き入れたり自由な発想で

 
市内でも普及が進む「ボッチャ」に挑戦(写真上、左下)。大型絵本の読み聞かせも(右下)

市内でも普及が進む「ボッチャ」に挑戦(写真上、左下)。大型絵本の読み聞かせも(右下)

 
 午前11時半すぎ、ホール内にテーブルを並べて着席すると佐々木会長(54)があいさつ。子ども食堂開設の経緯などを説明し、みんなで「いただきます」をして昼食となった。子どもたちは「おいしい」と笑顔を輝かせながらカレーを頬張り、おかわりする子も多数。ご飯が足りなくなるほど好評だった。
 
ソロプチミストの会員らは配膳に大忙し。運営の大人の分も含め約80人分を用意した

ソロプチミストの会員らは配膳に大忙し。運営の大人の分も含め約80人分を用意した

 
みんなで「いただきます」のあいさつ。作ってくれた人に感謝して…

みんなで「いただきます」のあいさつ。作ってくれた人に感謝して…

 
 菊池芽生さん(甲子小3年)は「カレーライス大好き。うまい」とにっこり。おかわりもして存分に味わった。初めてのボッチャも「楽しかった」と話し、「またやってほしい。次も来る」と気に入った様子。母未来さん(37)は「近所には同年代の子が少ない。休日に多くの子どもたちと同じ時間を過ごせるのは貴重。食欲も増しているよう」と喜んだ。
 
 1年男児の母親(35)は「子どもだけだと不安もあったので、親も参加できるのはありがたい。少し緊張もあるようだが楽しそう」とわが子の様子に目を細めた。子ども食堂については「いろいろな人に会っておしゃべりできる場があるのはすごくいいこと。親以外にもつながりを持ち、一人ぼっちにならないことが大事」と話した。
 
春休み中の子どもたちは久しぶりの友だちとの食事。楽しい雰囲気に食欲も倍増!?

春休み中の子どもたちは久しぶりの友だちとの食事。楽しい雰囲気に食欲も倍増!?

 
 ソロプチミスト釜石は同市の子ども食堂の実情を聞き、必要性を実感。「まずは一歩を踏み出そう」と、未開催だった甲子地区を対象に選んだ。甲子小を通じてチラシを配り、春休み中の子どもたちに参加を呼び掛けた。申し込みは予想以上。市子ども課や地元の民生委員・児童委員、事業所などに協力してもらい、初運営に挑んだ。「子どもたちも喜んでくれて感激。反響は思った以上」と佐々木会長。長く続けていくには地域母体への運営移行も必要と考え、「私たちがきっかけづくりをして、地域の人たちが自分たちでできるようになっていけば」と今後を思い描く。
 
 市子ども課によると、同市での子ども食堂の実施は昨年7月、本年1月の小佐野地区(同地区民生委員・児童委員協議会)、3月の平田地区(平田いきいきサークル)に続き、甲子地区(国際ソロプチミスト釜石はまぎく)が3カ所目(かっこは実施主体)。小佐野地区が一つのモデルとなり、徐々に広がり始めている。村山明子子ども課長は「釜石の場合は地域の顔が見える関係づくりに主眼を置く。顔見知りになれば見守りも可能。常設は難しいが、単発でも無理なく続けることが大事」と話す。

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“釜石を住みたいまちに”地域おこし協力隊 初の合同活動発表 住民と協働で課題解決の一歩に

「地域おこし協力隊」活動発表会=3月27日、釜石PIT

「地域おこし協力隊」活動発表会=3月27日、釜石PIT

 
 釜石市で活動する地域おこし協力隊(8人)の活動発表会が3月27日、同市大町の釜石PITで開かれた。各分野で活動する隊員が一堂に集まり、市民向けに発表会を開くのは今回が初めて。同協力隊という名前は知りつつも、隊員の思いや具体的活動に触れる機会はこれまで少なかっただけに、来場者も興味津々。隊員らは移住のきっかけや現在の取り組み、今後の展望などを熱く語り、住民とのさらなる協働で、地域課題解決や魅力発信につなげていくことを誓った。
 
 同市では現在、20~50代の隊員8人(担い手型5、行政型3)が活動。農水産、スポーツ、コミュニティー、教育、観光など各分野で、同市に新たな風を吹き込む取り組みを展開する。会では隊員それぞれにブースを設け、1回7分の発表を3ローテーション行い、来場者約40人が興味のあるブースで話を聞いた。
 
 教育魅力化コーディネーターとして活動する岡田稜平さん(26)=2023年2月着任、栃木県出身=は、市内2高校でキャリア支援、課題研究のサポートなどを行う。岩手県立大在学時、地元学生の「岩手は何もない」という言葉に違和感を覚えた岡田さん。「不完全だからこそ、いろいろ考えてアプローチできるフィールドがある。高校生に問題解決の成功体験をさせたい」と願う。今後は自身の強みであるプログラミングの技術を生かし、「生徒たちとまちの課題を解決するシステムを作りたい」と目標を掲げる。25年の大学入学共通テストから「情報Ⅰ」の出題が加わることもあり、生徒の学びも後押ししたい考え。
 
高校と地域をつなぐ活動に取り組む岡田稜平さん。情報系の知識、技術を発揮

高校と地域をつなぐ活動に取り組む岡田稜平さん。情報系の知識、技術を発揮

 
 橋野町青ノ木に居住し、「トマト系ユーチューバ―」として同地の暮らしを発信しているのは三科宏輔さん(28)=22年4月着任、神奈川県出身=。同市の地域振興作物「すずこま」という品種のトマトを無農薬で栽培し、ジュースにして販売。農閑期には自宅の古民家の改修を進めていて、民泊や企業研修の受け入れを目指す。志高くいきいきと暮らす釜石人に魅せられ、「自分もここで人生を全うしたい」と会社員から転身。大切にする「暇(いとま)」という概念を「自己の充実に充てることができる最もぜいたくな時間」と捉え、心豊かな暮らしを提案する。自身の活動や日常を定期配信。今後は栽培トマトの新商品開発や体験プログラムの構築にも力を入れたいとしている。
 
大好きなトマトの栽培から商品化までを手掛ける三科宏輔さん。活動はユーチューブで配信

大好きなトマトの栽培から商品化までを手掛ける三科宏輔さん。活動はユーチューブで配信

 
 農園芸クリエーターとして活動する小松園さん(54)=22年8月着任、宮城県出身=は甲子町を拠点に、地域資源を活用した草木染めの研究、商品開発を進める。編み物が趣味で、繊維の知識もあったことを生かし、地元素材を使った糸の染色を行う。色を出す染料は柿の皮、色を定着させる媒染液には鉄鉱石を用いる。“すずこま”や植物のアカネによる染色も。現在、商品販売に向け準備を進めているところで、市民向けの体験会も開催している。
 
釜石の風土が生んだ素材で草木染めの商品開発を行う小松園さん

釜石の風土が生んだ素材で草木染めの商品開発を行う小松園さん

 
 観光地域づくりコーディネーターの横木寛裕さん(23)=23年4月着任、新潟県出身=は首都圏の大学卒業と同時に釜石へ。移住フェアで同市職員と出会ったのがきっかけだった。市商工観光課職員として活動する行政型隊員。市の観光パンフレット作成などを手掛ける。発表会について「予想以上の来場者。新たなつながりを生み、認知にも効果的だった」と喜ぶ。観光客にみこしの担ぎ手になってもらう、漁業体験者=作業の貴重な人材など(人手不足解消)、観光による各種課題解決を目指す。
 
観光で地域課題の解決を目指す横木寛裕さん

観光で地域課題の解決を目指す横木寛裕さん

 
 発表会に来場した甲子町の内舘靖さん(55)は「隊員が志や問題意識を持って取り組んでいるのが分かった。一堂に集まってコミュニケーションを図れる場もいい」と歓迎。自身も昨年、千葉県からUターンし、地元特産の「甲子柿」や夏野菜の生産を始めたばかり。「思いを同じくする隊員とつながることで、互いのやりたいことの実現、一緒に釜石を盛り上げる手立ても生まれそう」と活動の広がりに期待した。
 
 同市では2017年から「地域おこし協力隊」制度を運用。当初は「起業型(ローカルベンチャー)」でスタートし、20年までに計13人が活動。慶應義塾大との連携で、大学院生による「地域おこし研究員」1人の受け入れも行った。その後、「担い手型(個人事業主)」、「行政型(任期付き職員)」の2種で隊員が活動を続ける。
 
地域おこし協力隊員(前列)と発表会の来場者ら。意見交換しながら交流を深めた

地域おこし協力隊員(前列)と発表会の来場者ら。意見交換しながら交流を深めた

 
 東日本大震災後、釜援隊(復興支援員29人)、地域おこし協力隊(21人)と外部人材のサポートを続ける釜石リージョナルコーディネーター協議会によると、協力隊の任期(最大3年)を終えた後、同市に定住しているのは86%(全国平均80%)。全国平均を上回るものの、経済的自立はやはり課題。発表会の意見交換でも、地域との協働の継続、定住支援の必要性が話題に上った。
 
 現隊員の多くは来年度が任期の最終年度。ラグビーによるまちづくりに取り組む竹中伸明さん(35)=22年11月着任、大阪府出身=は任期後を見据え、「将来的には釜石での活動を望む外部の人の受け皿や、進学などで一旦地元を離れた人もまた帰ってこられる仕組みづくりをしていきたい」と、同市に残ってまちづくりの一翼を担うことを希望する。
 
 今回の発表会は、自分たちのこれまでの活動を総括し世話になった人たちに報告するとともに、釜石のこれからを来場者と共に考え、アクションを起こすきっかけにと隊員らが自ら企画した。

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街なかに戻る歓声 釜石・大只越公園リニューアル 震災後の仮設商店街から復旧、利用再開

大只越公園がリニューアル。新しい遊具で楽しむ子どもたち

大只越公園がリニューアル。新しい遊具で楽しむ子どもたち

 
 東日本大震災後に仮設商店街用地となっていた釜石市大只越町の大只越公園(愛称:青葉公園)の復旧整備工事が完了し、3月下旬から利用が再開された。幅広い年代が体を動かせるよう遊具を新調。トイレはバリアフリー化した。樹木を伐採、せん定して見通しの良い開放的な空間を確保。街なかに戻ってきた憩いの場に子どもたちの歓声や住民の笑顔が広がっている。
 
 市中心部の東部地区にある公園は面積約3300平方メートル。3つのエリアに分類し、遊具エリアに設置した滑り台やブランコなど子ども向け遊具3基はリニューアル。大人も楽しめるよう健康遊具2基を新たに加えた。休憩場所にもなるあずまや1カ所を新設。運動エリアは細かく砕いた石を敷いたダスト舗装に改修し、転倒時のけが軽減など安全性の向上を図った。
 
子どもたちが夢中になる「遊具エリア」

子どもたちが夢中になる「遊具エリア」

 
大人も体を動かせる健康遊具を設置した

大人も体を動かせる健康遊具を設置した

 
走ったりボールで遊んだりできる「運動エリア」

走ったりボールで遊んだりできる「運動エリア」

 
 石応禅寺境内に隣接し、静かなたたずまいも特徴の一つ。自然観賞エリアはもともとある人工池などを生かしつつ、周囲の立木を手入れした。公園内には、明治の津波などに関する記念碑、供養碑が点在し、まちの歴史を知る散策も楽しめる。トイレも改修し、車いすやベビーカーでも気軽に利用できるようスロープを設けた。
 
「自然観賞エリア」で池をのぞき込む子どもたち

「自然観賞エリア」で池をのぞき込む子どもたち

 
記念碑などがあり津波の歴史を知ることもできる

記念碑などがあり津波の歴史を知ることもできる

 
 3月25日に現地で開園式があり、近隣住民や市関係者ら約50人が参加。あいさつに立った小野共市長は「公園が地域の活性化につながり、子どもたちの健やかでたくましい成長の一助になれば」と期待を述べた。
 
 子どもたちはさっそく広場でボール遊びをしたり、思いっきり走り回った。真新しい遊具に触れて、うれしそうな笑顔も次々と伝ぱ。根元璃玖君(10)は「全力で走れる。友達と何回も来るー」と言って駆け出し、母眞生さん(32)は「フェンスがあり、安心して送り出せる。なじみのある場所だったが、震災後は声が減ったイメージがあった。明るさが戻ってきた」と喜んだ。
 
開園式に参加した地域住民や関係者ら

開園式に参加した地域住民や関係者ら

 
 同公園は1978年の供用開始から市民活動の場として親しまれてきた。2011年の震災後は被災事業者支援のため仮設の青葉公園商店街として営業し、なりわい再建を後押し。各事業者が本設の店舗を構えたことから役割を終え、2020年に解体撤去した。公園の復旧整備に向け、市は地域住民らを交えたワークショップを3回開催。寄せられた意見を設計に取り入れ、昨年9月に工事に着手。今年3月に整備を終えた。
 
 大只越町内会の山崎義勝会長(70)は「限られた予算の中で創意工夫し、私たちの意見を十分に反映してもらった。憩いの場、交流の場として大いに活用したい」と歓迎。開園式の参加者にきれいな環境を保つような利用の仕方、協力も求めていた。

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本格着手!釜石市庁舎建て替え 工事の安全を祈願 機能集約、2026年春の利用開始へ

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神事でくわ入れし新庁舎建設工事の安全を祈願する小野共市長

 
 釜石市の新庁舎建設工事の安全祈願祭が25日、天神町の建設予定地で行われた。分散する機能を集約した一体型庁舎で、震災の教訓を生かした防災拠点、市民に開かれた利便性などの機能を持たせた庁舎に建て替える。2025年12月に完成する予定で、26年春の利用開始を目指す。
 
 只越町にある現庁舎は1950年代から建設・増築を繰り返しており、最も古い本庁舎は築70年。耐震性に欠け老朽化が進んでいたほか、教育や保健福祉などの部署が市内に分散(現在は8カ所)し不便が生じていた。
 
 そうした問題を解決するため、86年に新庁舎建設の検討を開始。財政面の問題や東日本大震災により停滞したが、復興まちづくり計画に新庁舎建設事業を盛り込み、建設場所を天神町の旧釜石小跡地として準備を進めてきた。基本設計完了後に国と県による巨大地震(日本海溝・千島海溝)による津波想定の公表が相次ぎ、建設計画の見直しが必要になった上、資材費の高騰により建築主体工事の優先交渉権を得たJV(共同企業体)が辞退したことで再入札となり、スケジュールの先送りが続いていた。
 
新しい庁舎の建設予定地とイメージ図(右下)

新しい庁舎の建設予定地とイメージ図(右下)

 
 新たな庁舎は現庁舎から北に約150メートル離れた市有地(面積約1万1800平方メートル)に建てる。鉄骨鉄筋コンクリート造り4階建て、延べ床面積は約8000平方メートル。津波に対応するため地盤を1~2メートルかさ上げするほか、1階は窓口業務を中心とするが、書類や機材の配置は最小限とする。津波や大雨などの災害時は一時避難場所として活用。周辺住民や来庁者ら3000人を1週間受け入れることを想定し、非常用電源や飲料水、生活用水を準備する。「みんなのホール」を設け、市民の交流拡大につながる場所としての機能も見込む。総事業費は約82億円。
 
新庁舎の外観イメージ図。2025年12月の完成予定

新庁舎の外観イメージ図。2025年12月の完成予定

 
安全祈願祭で工事の無事を願う市職員ら

安全祈願祭で工事の無事を願う市職員ら

 
 安全祈願祭には関係者ら約100人が出席。神事でくわ入れなどを行い、工事の安全を祈った。検討開始から約40年の時間を要し、ようやく本格的な建設工事に着手。小野共市長は「目に見える形で進むことは釜石にとって明るい希望につながる。滞りなく完成するよう願う」と述べた。

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「過去の津波に学び、今一度備えを」 釜石市郷土資料館が防災啓発の企画展

市郷土資料館企画展「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」

市郷土資料館企画展「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」

 
 明治、昭和の三陸地震津波、十勝沖地震津波、チリ地震津波、東日本大震災―など、幾度となく津波災害を経験してきた釜石市。被害の実態や教訓はさまざまな形で伝えられるものの、発災から時がたつことによる防災意識の低下は避けられないものがある。過去の津波災害の資料を所蔵する鈴子町の市郷土資料館(佐々木豊館長)では今、同市の津波の歴史を学び、日ごろの備えを見直してもらおうという企画展が開かれている。
 
 1933(昭和8)年3月3日に発生した昭和三陸地震津波、2011(平成23)年3月11日発生の東日本大震災。多くの死者、行方不明者が出た両災害の発生月に合わせ、同館では毎年この時期に津波に関する企画展を開催している。今年のテーマは「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」。新たに作成した説明パネルを含む131点の資料が公開される。
 
 三陸地方を襲った主な地震津波の年表は869(貞観11)年の津波にまでさかのぼって記載。マグニチュード6~9レベルの地震で津波が発生し、各地で人身、浸水被害があったことが記されている。1896(明治29)年の地震津波は三陸沖を震源とするものだが、最大震度は2~3。揺れは小さかったものの、死者・行方不明者は2万1000人以上に上った。2011年の東日本大震災は最大震度7。日本周辺における観測史上最大の地震で、死者・行方不明者は1万8000人を超えた。
 
 被害の大きかった5つの津波は、釜石市の被災状況を数字データや写真を交えたパネルで紹介。惨状は風俗画報(明治)や写真で残されており、それらも額入りで展示された。
 
館内の展示室では131点の津波関連資料が公開される

館内の展示室では131点の津波関連資料が公開される

 
明治、昭和の三陸地震津波、チリ地震津波、十勝沖地震津波は風俗画報や写真で惨状を紹介

明治、昭和の三陸地震津波、チリ地震津波、十勝沖地震津波は風俗画報や写真で惨状を紹介

 
 津波への備えを啓発するパネルは緊急避難場所を示す緑と白のマークを添え、「いち早く、より高い安全な場所へ避難する必要がある。日ごろから街を歩いてルートや所要時間などを確認しておこう」と呼び掛け。非常持ち出し品(避難する時に最初に持ち出すもの)や備蓄品(発災後、数日間を自活するために最低限必要なもの)の例も紹介している。備蓄用の食品や飲料水は消費、賞味期限切れを防ぐため、「ローリングストック」方式を勧める。
 
津波への備えを教える展示コーナー。非常持ち出し品や備蓄品のチェックにも役立ててもらう

津波への備えを教える展示コーナー。非常持ち出し品や備蓄品のチェックにも役立ててもらう

 
 この他、東日本大震災で被災した市の施設などから流出した遺物や関連書籍、新聞なども展示公開される。
 
世界各地で大規模自然災害が多発する時代―。いつ、どこで直面するかわからない天災から身を守るには日ごろの備えが最も重要となる。佐々木館長は「災害は“忘れたころ”ではなく“忘れぬうちに”やってくるようになった。三陸は津波の常襲地でもあり、特にも津波に対する心構えはしっかり持ってほしい。この企画展が見直しのきっかけになれば」と願う。企画展は5月6日まで開催する。
 
東日本大震災の写真やがれきの中から見つかった遺物なども展示。写真集や記録誌も閲覧できる

東日本大震災の写真やがれきの中から見つかった遺物なども展示。写真集や記録誌も閲覧できる

 
 また、館内では2022~23年にかけて発掘調査が行われた橋野町「太田林遺跡」の出土品などを公開する速報展も開かれている。調査は新消防屯所建設に伴う記録保存のために実施。縄文時代の竪穴住居跡や耳飾り、土器、石器などが見つかっている。展示は3月31日まで。
 
橋野町「太田林遺跡」発掘調査の成果を公開する速報展

橋野町「太田林遺跡」発掘調査の成果を公開する速報展

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楽器つくって遊んで、能登応援へ 水の音に元気込め 釜石から送る「水カンリンバ」

水の大切さを伝える創作楽器「水カンリンバ」を作る参加者

水の大切さを伝える創作楽器「水カンリンバ」を作る参加者

 
 水を育む森や自然を大切にしたいとの思いが込もった創作楽器「水カンリンバ」を作って音と遊ぶ催しが16日、釜石市鵜住居町・根浜海岸のレストハウスであった。親子連れら約20人が参加。“旅する音楽家”丸山祐一郎さん(通称マリオ)とこやまはるこさん(通称はるちゃん)=長野県飯山市=に作り方を教わった。完成した楽器のいくつかは、旅する2人が能登半島地震の被災地へ届ける計画。東日本大震災の被災地から元気、笑顔、思いをつなげる取り組みになる。
 
 水カンリンバは、マリオさんが30年前に考案した。空き缶4本を縦につないで真ん中の2本に水を入れた楽器。傾けると「コポコポ…」と、水が流れる音がする。外側の缶に切り込みを入れ鍵盤のようにし、指ではじいて演奏する。ブラジルの弦打楽器ビリンバウ奏者としても活動中で、そうした世界中の民族楽器とギターを抱えて旅しながらヒントをもらい、「一つの音に耳を澄ます」ことで生まれたという。
 
「水カンリンバ」の演奏を聴かせるマリオさん

「水カンリンバ」の演奏を聴かせるマリオさん

 
 楽器づくりは、水の採取から始めた。施設そばの山際にある水辺は震災発災時にも途切れることなく流れ、地域住民の命をつないだ場所。参加者はそこで空き缶に3分の1程度、水をくみ入れた。その釜石の水に、マリオさんたちが世界各地で集めてきた水をプラス。地元のわき水と持ち運んできた水を合わせ“共有”すると、「地球が浄化される」というハワイの言い伝えを習ったスタイルを取り入れる。
 
根浜海岸の山際にある水辺で空き缶に水をくみ入れる

根浜海岸の山際にある水辺で空き缶に水をくみ入れる

 
「合わせ水」はハワイ、フランス、南極…ワールドワイド

「合わせ水」はハワイ、フランス、南極…ワールドワイド

 
 缶をつないで好きな色の和紙で装飾すると完成となるが、鍵盤づくりなど参加した子どもたちには難しい作業もあり、2時間のものづくりタイムでは飾り付けはできなかった。それでも、演奏には挑戦。マリオさんとはるちゃんが奏でるギターやウクレレのリズムに合わせ、参加者は水平に持った水カリンバを揺らす。その時、「ポン、ポン」と鍵盤をはじきながら左右に揺すると、中の水が流れ、音が「ポワーン」と変化。不思議な音の世界に引き込まれていた。
 
はるちゃん(右)の説明をじっくり聞く参加者

はるちゃん(右)の説明をじっくり聞く参加者

 
子どもたちのものづくりをそばで見守るマリオさん

子どもたちのものづくりをそばで見守るマリオさん

 
 子どもたちは「チャプチャプしてた」「山登りした時に聞こえてきた水の音みたい」との感想。ものづくりに夢中になったのは大人たちで、北上市の鈴木雄二さん(69)は「楽しかった」とにこやかだった。震災ボランティアが縁で釜石に通い続けているといい、「被災地のみんなが頑張っているのを見て、逆に元気をもらっていた。今日もみんなと触れ合って、気分がほっこりした」。水カリンバは「心地よい音がした」と自信作に。能登に届けられると聞き、この日の気持ちが伝わることを期待した。
 
どんな音が聞こえる?水カンリンバを振って演奏してみた

どんな音が聞こえる?水カンリンバを振って演奏してみた

 
「釜石の元気、能登に届けー!」。エールを送る参加者たち

「釜石の元気、能登に届けー!」。エールを送る参加者たち

 
 マリオさんらは今月下旬に能登地域に入り、現地で活動する支援団体のメンバーとして音楽で癒やしの時間を届ける。手製の水カンリンバは全国から80本程度集まっていて、能登の子どもらに贈る考え。「水は人が生きるために必要で、それは傷ついた大地にとっても同じ。震災の時に命をつないだ釜石の水を能登に届け、人も大地も元気になってという思いをつなぎたい」と気持ちを込める。