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新年度始まる 釜石市役所に21人入庁 市民のため貢献誓う/小野市長 幹部職員に訓示

服務宣誓書を全員で読み上げる釜石市の新規採用職員=1日、辞令交付式

服務宣誓書を全員で読み上げる釜石市の新規採用職員=1日、辞令交付式

 
 2026年度のスタートとなった1日、釜石市内でも新社会人らがそれぞれの職場で入庁式や入社式に臨んだ。釜石市役所には新規採用職員21人が入庁。小野共市長から辞令を受け取り、市職員としての第一歩を踏み出した。同市は本年度、第6次市総合計画後期基本計画(5カ年)の初年度を迎えるほか、建設中の新市庁舎が完成し9月から稼働する。小野市長は幹部職員への訓示で、今後10年の市発展に必要な施策の3本柱を示し、さらなる尽力を求めた。
 
 新規採用職員の辞令交付式は市役所大会議室で行われた。小野市長が一人一人に辞令を交付後、代表の佐久間洸土(ひろと)さん(23)が先導し服務宣誓。「全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を執行する」と全員で声を合わせた。小野市長は市政の軸とする「地域医療、子育て、産業振興、教育、防災」について説明。「20年後の釜石をつくるのは皆さん。釜石の将来を担うという覚悟を持って、仕事にあたっていただきたい」と激励した。
 
小野共市長から辞令を受け取る2026年度新規採用職員

小野共市長から辞令を受け取る2026年度新規採用職員

 
男女21人が釜石市職員として新たな一歩を踏み出す

男女21人が釜石市職員として新たな一歩を踏み出す

 
 佐久間洸土さんは同市浜町出身。「地元で働きたい」と考え、「マルチにいろいろなことに関われる市職員」を志望した。辞令を受け、公務員としての責任を自覚。総合政策課に配属された。「まずは与えられたことをしっかりコツコツとやること」と目標を掲げる。東日本大震災時は釜石小の2年生。同5年の兄、祖母と自宅近くの高台に逃げ、津波から命を守った。市職員となった今、「浜の方にも安心して家を構えられるようになれば。魅力あるまちをつくり、人口流出を防ぐことが重要」と将来を見据える。
 
小野市長の前で宣誓書を読み上げる佐久間洸土さん

小野市長の前で宣誓書を読み上げる佐久間洸土さん

 
 生活環境課からスタートする三浦花音さん(20)は新社会人の船出に「心配より楽しみの方が大きい」と期待を高める。「生まれ育った故郷に、市民と一番近い距離で直接的に貢献できるのでは」と思い、市職員の道を選んだ。「市民に寄り添った対応ができる職員に。ぜひ、力添えできれば」と理想像を描く。幼稚園年中の時に震災を経験。まちの復興とともに小中学生時代を過ごしてきた。「昔ほどの活気を取り戻すのは難しいかもしれないが、今ある資源を最大限活用し、まちを盛り上げていければ」。趣味の旅行で見聞も広め、地元に還元していきたいと望んだ。
 
新社会人として故郷への貢献を誓う三浦花音さん。被災した鵜住居小の新校舎卒業一期生

新社会人として故郷への貢献を誓う三浦花音さん。被災した鵜住居小の新校舎卒業一期生

 
 辞令交付式を終えた小野市長は、新年度スタートにあたり、幹部職員約40人を前に訓示した。新市庁舎へ移転する本年度は「業務の効率化、市民サービス向上への大きな転機」とし、後期基本計画の3本柱▽交流人口拡大▽地域力拡充▽人材育成―を改めて強調。「外部の知恵を釜石発展の力に変える」「地域の自発的な力を引き出す」「持続可能なまちを支える人材を育てる」。これらを念頭に市政運営にまい進するよう促した。指摘される人口減少については「人口の増減だけで判断されるのは不本意。大事なのは『ここに住んで良かった』と、誇りと自信を持って言える釜石であること。住民が満足し、プライドを持って生きられるような施策を考えていく必要がある」と述べた。
 
小野市長(右上写真)が幹部職員を前に訓示。「釜石発展のストーリー」を描き、必要な施策3本柱を説明した

小野市長(右上写真)が幹部職員を前に訓示。「釜石発展のストーリー」を描き、必要な施策3本柱を説明した

 
 同市は新市庁舎への移転を好機とし、新たな部局間連携や業務の効率化を図る方針で、保健福祉部を中心とした組織改編を実施。係の統合、新設などで、市民にとって分かりやすい組織体制を構築する。人材育成のため、国などへの職員派遣も実施する。1日時点の職員数は373人(任期付き、再任用含む)。

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楽しい!安い!「かまいし百円市」祝10回 お宝ゲット、リユース推進、交流人口増市内外から注目

100円握ってお宝探し! 10回目を迎えた「かまいし百円市」=3月29日、TETTO前広場

100円握ってお宝探し! 10回目を迎えた「かまいし百円市」=3月29日、TETTO前広場

 
 釜石まちづくり会社主催のフリーマーケット「かまいし百円市」は3月29日に開かれ、市内外からの来場者でにぎわった。2022年夏から始まった同イベントは、年3回のペースで続けられ、今回で10回目を迎える。商品は全て“100円”という誰でも気軽に買える価格、家庭に眠っている物を必要な人に使ってもらえるリユース実践と買う側、売る側双方にうれしい企画は、近年の物価高、資源循環型社会推進も背景に注目を集める。主催者は今後も定期的に開催し、「来れば必ず楽しみと発見がある」場を提供していきたい考え。
 
 百円市の会場は釜石市大町の市民ホールTETTO前広場。午前10時の開店を前に大勢の人たちが詰めかけた。今回は釜石、遠野、大船渡の3市から12店が出店。衣類、おもちゃ、食器、古本、ハンドメイド雑貨…など多彩な品物が並んだ。来場者は各店を回り、気になったものを品定め。子どもたちはシールやステッカー、ぬいぐるみなどに夢中になり、親子でお得な買い物を楽しんだ。
 
市内外から12店が出店。来場者が各店を回って掘り出し物を求めた

市内外から12店が出店。来場者が各店を回って掘り出し物を求めた

 
一番人気は衣類。開店と同時に人だかりができた

一番人気は衣類。開店と同時に人だかりができた

 
子どもたちは人気ゲームのカードやステッカーに目がくぎ付け

子どもたちは人気ゲームのカードやステッカーに目がくぎ付け

 
 釜石市の工藤久さん(67)は初出店。趣味で30年ほど続けてきた小鳥飼育の用品を持ち寄った。鳥かご、つぼ巣、餌入れ、足輪…。「趣味が高じて、いろいろ集めてしまった。使い切れず、捨てるのももったいないので、使っていただける方があればと思って」。ジュウシマツやベニスズメなど小型の鳥を代替わりしながら飼育。数か月前、最後の1羽が旅立った。フリマでは珍しい品だけに興味津々で足を止める客も。鳥飼育以外にも応用できそうなものもあり、視線が集まった。
 
小鳥の飼育用品を並べた工藤さんのブース。大型の鳥かごは早々にお買い上げ。発想次第でさまざまな用途に活用できそう

小鳥の飼育用品を並べた工藤さんのブース。大型の鳥かごは早々にお買い上げ。発想次第でさまざまな用途に活用できそう

 
 今回の出店者の3分の1は過去にも出店経験のある“常連さん”。遠野市の菊池陽絵さん(36)は友人と2人で、衣類やアクセサリー、雑貨などを並べた。中には一度も着ることなくタグがついたままタンスで眠っていた洋服も。副業の弁当・焼き菓子店で販売しているクッキーなども販売した。「自分たちも楽しいし、お客様にも喜ばれているよう。さまざまな方々と交流できるのも魅力」と隣町での出店を重ねる。
 
遠野市で「AYAORI HOT CAT」という店を開く菊池さん。家庭で眠っていた衣類や雑貨のほか、店で出している焼き菓子も販売した

遠野市で「AYAORI HOT CAT」という店を開く菊池さん。家庭で眠っていた衣類や雑貨のほか、店で出している焼き菓子も販売した

 
 イベントの周知はチラシの市内新聞折り込みのほか、同社のインスタグラム、フェイスブックなどで行っている。SNSでの情報発信は予想以上に目にしている方が多いようで、会場には市外から足を運んだという人も。定期開催しているのを知ると、「また、ぜひ」と会場を後にした。
 
 花巻市から家族4人で初めて訪れた女性(36)は「フリマってよくあるけど、100円というのが分かりやすくていい。悩まないで買えるし…」とにっこり。子ども服、絵本、ぬいぐるみなどを購入した。幼児用品は使用期間も限られるため、子育て世代にとって安く手に入れられるのはうれしい限り。「見るだけでも楽しい」と声を弾ませた。宮城県気仙沼市の熊谷牧子さん(50)は友人と3人で訪れた。「これが目当てで」。昨年に続いて2回目の来場と明かし、金魚鉢や食器、鉄鍋などバラエティーに富んだ袋の中を見せてくれた。「100円で買えるのはうれしいですよね。掘り出し物を探すのも楽しい。それぞれ特色あるお店で面白かった」と満喫。「また、おじゃまします」と再訪を望んだ。
 
子育て世代にうれしい子ども服やおもちゃ。出店者にとってもまだ使えるものを次の利用者につなげられるのは最高の喜び

子育て世代にうれしい子ども服やおもちゃ。出店者にとってもまだ使えるものを次の利用者につなげられるのは最高の喜び

 
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過去にも複数回出店している古本屋さん。来場者には内容や感想を聞いて購入できるメリットも

 
初企画の100円詰め放題コーナーも盛況!「ふりかけ何個入るかな?」

初企画の100円詰め放題コーナーも盛況!「ふりかけ何個入るかな?」

 
 今回は10回記念として、主催者が用意した“100円詰め放題”コーナーもあった。手のひらサイズの小袋にふりかけ、おやつサラミ、キラキラストーンのいずれかを、入るだけ詰めるお楽しみ企画。大人も子どもも夢中になった。
 
 同社の下村達志事業部長は「リサイクル、リユースが推奨される時代というのもあり、そういう意識で出店される方も増えている。出店者、来場者ともに市外から来てくれる方もいて、交流人口拡大にも貢献できているよう。今後も周知を広げ、安定的に継続していきたい」と意欲を見せる。
 
開店から20分ほどで空になるハンガーも続出。お目当てのものをゲットしたい方は早めの来場がおすすめ

開店から20分ほどで空になるハンガーも続出。お目当てのものをゲットしたい方は早めの来場がおすすめ

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創造する楽しさを!北上機械鉄工業協、「夢のような」ものづくり体験 釜石にお届け

多彩な創作体験に笑顔を見せる子どもたち

多彩な創作体験に笑顔を見せる子どもたち

 
 子どもたちに創造する楽しさを体感してもらう「エコ・ものづくり体験まつり」(北上機械鉄工業協同組合主催)は3月28日、釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。家族連れらが訪れ、さまざまなジャンルの工作にチャレンジ。思い描いたものを形にしたり、好きなものを組み合わせたり、自分なりのアレンジを加えた“一点もの”を作り出す時間に夢中になった。
 
 同組合は、北上市の自動車整備、板金・鋳物加工など11社(正・賛助会員含む)でつくる組織。ものづくりが好きな子どもを育てようと、北上で同様のイベントを実施しており、これまで12回を数える。釜石での開催は2024年以来、2回目。幼少期から地域のものづくりに触れて魅力を知ってもらうとともに、東日本大震災後に人口流出が課題となる岩手県沿岸部への企業誘致につながるきっかけになればとの復興応援の目的もある。
 
多彩なものづくりを体験できるコーナーがお目見えした

多彩なものづくりを体験できるコーナーがお目見えした

 
 体験コーナーは全部で24あり、キーホルダーやストラップ、壁掛け、小物入れづくりなどさまざま。素材もビーズやビー玉、リボン、木材など質感の異なるものを使った。講師は北上市のほか、県沿岸部からも参加。共催する大槌町の「おおつちおばちゃんくらぶ」が声がけに協力した。
 
 会場では子どもたちが思い思いに工作を楽しむのはもちろん、趣味仲間で訪れた大人たちも普段とは違った手芸、作品づくりに熱中。ドライフラワーなどをガラス容器に入れて専用のオイルに浸して長期間保存するハーバリウムやリースづくりが人気だった。
 
小さなおもちゃのお弁当作りを楽しむ子どもら

小さなおもちゃのお弁当作りを楽しむ子どもら

 
皿回し、割り箸鉄砲など昔遊びは子どもたちに人気

皿回し、割り箸鉄砲など昔遊びは子どもたちに人気

 
身近にあるものを使ったものづくりに大人も夢中

身近にあるものを使ったものづくりに大人も夢中

 
 馬をかたどった木製玩具の色塗り体験に取り組んだ菊地駿伍さん(13)は、カラフルに仕上げた作品を手に「かっこいいのができた」と満足げに笑った。中学校が春休みのため、栃木県那須塩原市から父親の実家がある釜石に帰省中。「自分で考えられる」ものづくりに関心があり、多様な体験ができるイベントを歓迎。一番好きなのは絵を描くことだというが、ビー玉を使ったストラップづくりに挑戦したり、「やったことのない体験もできて楽しい」と、新たな出合いに刺激を受けた様子だった。
 
馬の人形に色を塗る作業に熱中する参加者

馬の人形に色を塗る作業に熱中する参加者

 
 大好きな工作を目いっぱい満喫したのは、地元の久保夢空瑠さん(9)。家庭で肩たたき、食器の片付けなどのお手伝いをし、その対価のお小遣いで体験コーナーをめぐった。11個目の体験として選んだのは、ビーズのチャーム(小さな飾り)づくり。「だんだんと形になっていくところがいい。達成感がある」と目を輝かせた。この後も、さらに探求活動を続行。母親の康子さん(47)は「いろいろなものに触れられ、子どもの脳にもいいと思う。やりたいことがあって、できることを頑張ったから、きょうは好きなことを存分に楽しんでほしい」と見守った。
 
作業を見守りながら参加者との触れ合いを楽しむ講師(左)

作業を見守りながら参加者との触れ合いを楽しむ講師(左)

 
 体験を提供した講師らとの交流も魅力の一つで、それは講師にとっても同じ。久保さんら子どもたちと接した北上市の主婦、藤田稲子さん(68)は「手を使うものづくりは脳を活性化させるし、創造する力も出てくる。子どもたちのアレンジ力は面白く、刺激になった」とほほ笑んだ。幼少期から編み物、裁縫などに親しみ、今回は「今、ハマっている」ビーズアクセサリーづくりを紹介。「自分が作ったものを褒められた記憶が今の手仕事につながっている」と話し、そうしたうれしさを誰かにつなぐ活動をこれからも続けていく。
 
子どもも大人も、来場者も講師も思い思いに楽しむ

子どもも大人も、来場者も講師も思い思いに楽しむ

 
使用済みの油を使ったせっけんづくりに取り組む参加者

使用済みの油を使ったせっけんづくりに取り組む参加者

 
 北上市の川辺商会代表取締役の川邉公雄さん(68)は、廃油を再利用した「EMせっけん」づくりを通じ身近にあるものの活用や、不要になったものでも無駄にせず有効活用する方法を伝えた。使用済みのサラダ油に、乳酸菌や酵母などの微生物を培養させたEM発酵液などを混ぜ、1カ月保存すると完成。「時間はかかるが、実際に使ってみると、汚れ落ちは抜群」とPR。「自然に優しいものづくりを喜んでもらえたら」と期待した。
 
 同組合がある北上市は県内有数の工業都市。同組合の斎藤一雄理事長=斎藤鉄工代表取締役社長=は「県内で最も早くできた工業団地は、65年以上の歴史がある」と強調し、まつりで「ものづくりのまち」の底力を見せた。まちの魅力として「口内鬼剣舞」も紹介。勇壮な舞に見物人から大きな拍手が沸いた。餅まき、菓子のつかみ取り、はずれなしの抽選会などもあった。
 
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勇壮な舞で来場者を楽しませた口内鬼剣舞

 
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「こっちにもー」。餅まきを楽しむ来場者

 
 この体験まつりは、子ども未来支援財団・子どもサポート基金の助成金を活用。同組合事務局の昆野清一さん(68)は「未就学児から小中学生を中心にものづくりのイメージを与えられたら。夢のようなイベントを楽しんでいる姿を見られるのがとてもうれしい」と穏やかに話した。

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釜石唐丹「星座石、測量之碑」日本天文遺産に 伊能忠敬の足跡残した地元の葛西昌丕は住民の誇り

「星座石と陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」の日本天文遺産認定を喜ぶ本郷文化財愛護少年団育成会の小池直太郎会長

「星座石と陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」の日本天文遺産認定を喜ぶ本郷文化財愛護少年団育成会の小池直太郎会長

 
 釜石市唐丹町本郷で200年以上にわたって受け継がれる「星座石」と「陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」が、公益社団法人日本天文学会(太田耕司会長)が選ぶ日本天文遺産に認定された。これらの石碑は、江戸時代に全国を歩いて測量し、初の実測日本地図作成に至った伊能忠敬(1745-1818)が唐丹村(当時)で天体測量したことを示しており、伊能の業績を同時代に顕彰したものとしては全国唯一とされる。認定にあたっては地元の長年にわたる保全活動が高く評価された。
 
 日本天文遺産の認定は、歴史的に貴重な天文学・暦学関連遺産の価値を広め、保全、活用を図るのが目的。唐丹の両石碑は2025年度(第8回)の選考委員会で選ばれ、本年1月の代議員総会で認定が決まった。3月5日に京都府で行われた授賞式には、保全活動に尽力する本郷文化財愛護少年団育成会の小池直太郎会長(79)が出席。学会から認定証と認定パネルを贈られた。
 
5日に京都府で行われた授賞式に出席した小池会長(中)。日本天文学会・日本天文遺産選考委員会の松尾厚委員長(左)、亀谷收委員(右)と(写真提供:釜石市教委文化財課)

5日に京都府で行われた授賞式に出席した小池会長(中)。日本天文学会・日本天文遺産選考委員会の松尾厚委員長(左)、亀谷收委員(右)と(写真提供:釜石市教委文化財課)

 
 伊能忠敬は測量の際、北極星などの高度から緯度を算出する天文測量を行っていた。その業績を示すのが、唐丹町本郷の高台に保存されている両石碑。伊能と同時代を生き、天文学を習得していた地元の知識人、葛西昌丕(1765-1836)によって作られたものだ。測量之碑は1814(文化11)年建立。星座石も同時期のものと推定される。
 
 測量之碑には、伊能が1801(享和元)年9月24日に唐丹村で測量し、天体観測で「北緯39度12分」の値を得たことが記されている。葛西は伊能の業績をたたえるとともに、この緯度が「時間がたっても不変なのか、あるいは西洋の学説にあるような地球の微動により変動するのかを後世の人々に解明してほしい」というメッセージを刻んでいる。“地球微動”の意味は明確ではないが、「章動や極運動のことと考えられ、19世紀初期の西洋天文学が日本の地方にまで伝わっていたことを示す重要な遺産」とされる。星座石は中央に「北緯39度12分」を意味する文字が刻まれていて、周囲には星座を示す黄道十二宮、季節を示す十二次が交互に刻まれている。
 
陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑(左、写真提供:釜石市教委文化財課)。測量之碑の前に星座石が置かれている(写真右手前)

陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑(左、写真提供:釜石市教委文化財課)。測量之碑の前に星座石が置かれている(写真右手前)

 
星座石。中央に「北極 出地弎 拾九度 十弐分」と刻まれている。「北極出地」は北緯を意味する用語で、「北緯39度12分」を意味している(写真提供:釜石市教委文化財課)

星座石。中央に「北極 出地弎 拾九度 十弐分」と刻まれている。「北極出地」は北緯を意味する用語で、「北緯39度12分」を意味している(写真提供:釜石市教委文化財課)

 
 両石碑は当初、設置された場所から移動されていて、正確な原位置は不明だが、▽伊能が唐丹村で緯度観測を行った歴史的証拠の一つ▽葛西が緯度変化(地球微動の有無)の証明を後世の天文学者たちに託そうとした努力の痕跡▽地元で2世紀以上にわたって受け継がれ、市民団体や同市によって管理、保全されている―などで、同遺産に認定された。
 

唐丹本郷の宝「日本天文遺産」認定に地元住民ら「名誉なこと」と歓迎

 
日本天文遺産に認定されたことを示すパネル。認定証とともに贈呈された

日本天文遺産に認定されたことを示すパネル。認定証とともに贈呈された

 
 「星座石」と「陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」は1985(昭和60)年に県指定有形文化財(歴史資料)となるなど、歴史的価値が評価されてきた。これまで複数の大学教授らの調査も行われてきたが、今回、天文学の観点から再評価を受けたことは地元にとっても大きな喜び。本郷文化財愛護少年団育成会の小池直太郎会長(79)は本郷町内会長でもあり、町内会総会で地区住民にこの朗報を報告。住民らは「名誉なこと」と歓迎したという。
 
 石碑で伊能忠敬の業績を後世に残した葛西昌丕は、唐丹村本郷の生まれ。五十集(いさば=水産加工)業を営む地元の名家で育ち、若くして仙台に出て天文地理学や国学を学んだ。歴史や文学にも精通。天保の大飢饉の際には新道開削などで貧民救済にも尽力した。現在、両石碑がある場所には、葛西の没後に門弟らが建てた遺愛碑(1836年建立)も並ぶ(1978年、市指定文化財)。博識で人格者―。「本郷の住民は地元の天文学者として尊敬してきた。郷土の偉人が残した2つの石碑は地域の宝」と小池会長。
 
測量之碑は高さ133センチ、幅71~76センチ。覆屋の中に設置されている

測量之碑は高さ133センチ、幅71~76センチ。覆屋の中に設置されている

 
星座石の副碑。碑文の損耗が著しく、やがて滅失することを憂慮し、2001年に建立された

星座石の副碑。碑文の損耗が著しく、やがて滅失することを憂慮し、2001年に建立された

 
 これら文化財の保全活動にあたってきたのが同愛護少年団。本郷地区の小学4~6年生が団員で、春と秋に育成会とともに石碑とその周辺、葛西が隠居後に暮らした仏ヶ崎(半島)中央部南岸の屋敷「奇巖(きがん)亭」跡地の清掃を続けてきた。少年団は東日本大震災後、活動を休止しているが、育成会が清掃を継続する。小池会長は「認定の趣旨からすると、今回の授賞は少年団、育成会の長年にわたる保護、保全活動の実績が認められたことによるもの」と自負。地域で文化財愛護の精神、先人を敬う心が自然と育まれ、次世代への継承につながっているとみられる。「今後も市と連携しながら守っていきたい」と小池会長。
 
唐丹町本郷の高台にある石碑群の設置場所。測量之碑の左隣に葛西昌丕の門弟が建てた遺愛碑がある。覆屋の外には星座石、遺愛碑の副碑も

唐丹町本郷の高台にある石碑群の設置場所。測量之碑の左隣に葛西昌丕の門弟が建てた遺愛碑がある。覆屋の外には星座石、遺愛碑の副碑も

 
 伊能忠敬に関する顕彰碑は明治以降のものはあるが、伊能が生存中に建立され現存しているのはここだけとされる。当時、伊能の偉業に注目し、後世に残さねばと考えられたのは、葛西昌丕にそれだけ天文学の知識があったということ。残念ながら、明治の大津波やその後の大火で地元には葛西に関する資料はほとんど残っておらず、伊能と葛西の面識の有無や両石碑の原位置、移動された経緯など判明していない部分も多い。星座石は、小池会長が小学生の頃には唐丹小の玄関前にあったという。今後の謎の解明にも期待が高まる。

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不法投棄はダメ!片岸海岸に「バスターズ」出動 地元釜石の環境団体 初企画の清掃活動

投げ捨てられていたとみられるごみ袋を回収する参加者

投げ捨てられていたとみられるごみ袋を回収する参加者

 
 釜石市片岸町の片岸海岸で3月16日、約70人が参加する清掃活動「不法投棄バスターズ」があった。2月下旬に一般ごみの不法投棄現場を発見した「かまいし環境ネットワーク」(加藤直子代表)が「広く現状を知ってほしい」と初めて企画した。「どうして、こんなものを…」と言葉をなくす参加者たち。海辺の景観を守る取り組みを通じ環境問題を考える機会にした。
 
 活動の場は、大槌湾を臨む県道231号沿いの斜面。自然保護活動に取り組む同団体のメンバーが付近を通った際に大量のごみが投げ捨てられているのを見つけた。市指定のごみ袋に入った家庭ごみ、バーベキューの残骸、ペットボトルや空き缶なども散乱。事前に確認した加藤代表(79)によると、付近では常習的にポイ捨てが行われているもようだが、「あまりにもひどい。悪質」と憤る。
 
片岸海岸に向かう県道231号沿いに捨てられたごみ

片岸海岸に向かう県道231号沿いに捨てられたごみ

 
県道を歩いて活動場所に向かう参加者。左下には白い物体が散乱

県道を歩いて活動場所に向かう参加者。左下には白い物体が散乱

 
 同団体は年に数回、「海ごみゼロウィーク」(環境省、日本財団主催)の全国一斉清掃キャンペーンなどに合わせて活動している。加藤代表は「自分たちで片づけてしまうこともできるが、それでは啓発にならない。ごみを捨てていいと思われないよう、たくさんの人に現状を見てもらいたい」と、今回のバスターズを計画。新聞紙面などで広く参加を呼びかけたところ、普段の3倍以上の“人の手”を得た。
 
中学生、高校生、地域住民が協力してごみ拾い

中学生、高校生、地域住民が協力してごみ拾い

 
プラスチック片など細かなごみもできる限り拾い集めた

プラスチック片など細かなごみもできる限り拾い集めた

 
 初参加の市民、市や県の環境関係課の職員らに交じり、中高生の姿も。力を合わせ、海岸一帯で約1時間にわたり、ごみを拾い集めた。2月の発見時とほぼ変わらない状態の道路脇の斜面には飲食料容器などが詰め込まれたビニール袋、衣料品、キャンプ・アウトドア用品などが放散。クッションや敷布団、塗料がはげた置物、大型のものでは洗濯機の洗濯槽などもあった。集められたごみの量は約250キロにもなった。
 
片岸海岸付近に不法投棄されたごみ。総重量は200キロ超

片岸海岸付近に不法投棄されたごみ。総重量は200キロ超

 
集められたごみを軽トラックに積み込む釜石市の職員ら

集められたごみを軽トラックに積み込む釜石市の職員ら

 
 「自分が住む地域にこんなにゴミがあるなんて、悲しい」と話したのは、釜石東中2年の岩洞涼星さん。この海岸を利用する機会はあまりなかったが、釣りやサーフィンなどを楽しむ人もいることを聞き、「ポイ捨てが多いと、地域外から来た人たちが悪い印象を受けるかもしれない。いい思い出を持ち帰ってもらえるようにしたい」と、作業に励んだ。目立ったのは、たばこの吸い殻と空き箱。「ごみを捨てるのを見かけたら声をかけるのが大切だと思う」と受け止めた。
 
 東中では新聞記事を見た教員らが働きかけ、それに応えた1、2年の生徒有志約20人が活動に協力。ごみを拾い、きれいになった海岸を見渡し、「きもちいい」とすがすがしさを共有した。
 
片岸海岸で行われた「不法投棄バスターズ」の参加者

片岸海岸で行われた「不法投棄バスターズ」の参加者

 
 釜石商工高機械科1年の鈴木蒼さんも掲載された記事を読み「現状を見たい」と、同級生の望月翔太さんを誘って参加した。市南部の平田地区で暮らし、通学路に落ちたごみを拾うなど環境保全の意識は高い。今回の参加を機に、同団体の活動や不法投棄についてさらに理解を深めた様子。「身の回りのどこにでも、ごみは出てくる。正しく廃棄し、処理することが大事。自分にできることを考え、行動したい」と刺激を受けた。
 
身近にある海辺の環境を守ろうと企画された清掃活動

身近にある海辺の環境を守ろうと企画された清掃活動

 
ごみの不法投棄がもたらす環境への影響を訴える加藤直子代表(手前)

ごみの不法投棄がもたらす環境への影響を訴える加藤直子代表(手前)

 
 加藤代表は、若い年代の参加を歓迎。「地域の人たちが大事にしている海岸。ごみが一つでもあると、捨ててもいいと思う気持ちが膨れ上がる。道行く人がごみを捨てる地域って、どう思う?…自分たちが暮らすまちにもっと目を向けて生活してほしい」と願った。

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釜石から能登へ― 安全に通学を! 新入学児童にトラキーホルダー トラ作りの会が2年目の贈呈

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能登半島地震被災地の新入学児童に虎舞を模したキーホルダーを贈った「釜石トラ作りの会」。平田公民館で活動中

 

 能登半島地震発生から間もなく2年3カ月。東日本大震災で被災した釜石市平田の市民グループ、釜石トラ作りの会(前川かな代表、7人)は、同地震被災地の新入学児童の交通安全を願い、郷土芸能“虎舞”をモチーフにした手作りキーホルダーを3市町の小学校に贈った。「復興を進める大人たちの力の源は子どもたちの笑顔。元気に学校に通ってほしい―」。15年前の震災を経験したメンバーらが能登の早期復興への思いを届ける。

 

 黄色のクラフトテープを編んで作るトラキーホルダーは、同会メンバーが考案したオリジナルデザイン。モチーフの虎舞は、「虎は千里行って千里帰る」という故事にあやかり、漁業が盛んな三陸地方で漁師らの無事帰還を願って踊り継がれてきた芸能で、同震災後は復興に向かう市民に大きな力を与えてきた。黄色は交通安全のシンボルカラーでもあり、新入学児童が安全に通学し、無事に帰宅してほしいとの願いを込める。

 

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交通安全のお守りにと、会員が考案した「トラキーホルダー」

 

 能登半島地震の被災小学校への寄贈は昨年に続き2回目。今年は輪島市、能登町に加え、珠洲市への贈呈が決まり、3市町の14校に今春入学する児童95人分のキーホルダーを贈ることになった。キーホルダーには「入学おめでとう 交通安全に気をつけてね!」というメッセージカードが添えられている。

 

 会の意向をくみ能登との橋渡しをしたのは、被災地の民間ボランティアセンターでコーディネーターとして活動してきた釜石市の伊藤聡さん(46)=さんつな代表=。今月2日、会から託されたキーホルダーを3市町の教委や学校に届けた。被災の影響で中学校の校舎を間借りして学校生活を送ってきた輪島市の門前東小、門前西小両校は、新年度から小中一貫校「門前学園」としてスタートする。両校の宮本久美子校長は「同じ被災を受けた釜石からの支援は心強い。子どもたちは全国から応援をいただき、今度は自分たちから何か行動しようという気持ちが芽生えるだろう」と感謝。同学園の新1年生は15人。「いただいた交通安全の思いを受け止め、気をつけて通学してほしい」と願った。

 

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輪島市の門前東、門前西小(新年度から門前学園)にキーホルダーを届けた伊藤聡さん(左)。両校の宮本久美子校長(右)が受け取った=写真提供:伊藤さん

 

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初の贈呈となる珠洲市の8校31人分は同市教委にお届け。河﨑裕子学校教育係長(右)は「新1年生の安全を願う気持ち、釜石とのご縁をいただき、大変ありがたい」と感謝した=写真提供:伊藤さん

 

 釜石トラ作りの会は、震災で被災した同市平田地区の住民が立ち上げた。仮設住宅入居時に集会所のサロン活動でクラフトテープによるものづくりを覚え、7年ほど前から“トラキーホルダー”の制作を開始。近隣小学校の新入学児童に贈ってきた。今年は初めて市立小全9校(入学児童111人)への贈呈も実現した。初期メンバーの一人、松坂康子さん(87)は「自分たちが作ったものを子どもたちが持ってくれるのはうれしい。地域貢献や被災地支援にもつながっているのは最高の喜び」と声を弾ませる。

 

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釜石トラ作りの会の前川かな代表(中)は目標だった釜石市の全小学校への寄贈実現に「夢がかなった。みんなの頑張りのおかげ」

 

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キーホルダーにはお祝いのメッセージカードが添えられる

 

 2年目となった能登支援について前川代表(61)は「私たちもいろいろな支援に助けられ、ここまでくることができた。何かの形で恩返しできればとの思いから始めた活動。現地に行くのは難しいが、せめてこういうものに思いを乗せてお礼の気持ちを伝えられたら」と話す。会は現在、平田公民館で活動するが、参加は同地区住民に限らず、誰でも歓迎。仲間を増やし、贈呈活動も継続していきたい考えで、「一人ではできなくても、みんなでやればできることもある。興味のある方はぜひ」と呼びかける。

 

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昨年1年間で、新入学児童への寄贈用に約250個を制作した

 

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ものづくりの楽しさを味わえる活動。地域貢献もメンバーの生きがいにつながっている

 

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平田出身の伊藤さんは会のメンバーとも顔なじみ。被災から立ち上がり、活動を続ける住民らの今を共に喜ぶ

 

 発災1カ月後から現地で活動を続ける伊藤さんは、能登の現状について「これから災害公営住宅が建ち始めるところだが、被災家屋の撤去もまだ残っている。住民は独居の高齢者が多く、仮設住宅を出た後の生活に不安を抱えている」とし、継続的な支援の必要性を実感。住民の引きこもり防止も課題で、トラ作りの会の前身のようなコミュニティーにつながる活動が求められるという。

 

 釜石と能登をつなぐトラキーホルダー。会のメンバーは子どもたちの喜ぶ姿を想像しながら、今後も楽しく活動を続けていく。

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東日本大震災15年 「あの日」を思い過ごす一日 捜索、伝承、祈り… それぞれの願いを胸に

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 東日本大震災発生から15年となった今年の「3.11」。釜石市内では、津波犠牲者の遺族、被災住民、震災後、同市に通い続ける支援者らが各所に集い、さまざまな形で追悼の気持ちを表した。同市の被災21地区で最多の犠牲者が出た鵜住居町では、根浜海岸や釜石祈りのパークなどで犠牲者に思いを寄せる姿が見られたほか、教訓を伝える活動も行われた。
 

「何とか手掛かりを」 警察、海上保安部職員が行方不明者捜索 遺族に寄り添う活動継続

 
釜石警察署署員による震災津波の行方不明者捜索=11日午後、根浜海岸

釜石警察署署員による震災津波の行方不明者捜索=11日午後、根浜海岸

 
 釜石警察署(松本一夫署長)は11日、根浜海岸で、震災津波による行方不明者の捜索を行った。同署と釜石海上保安部(尾野村研吾部長)から32人、県内の嘱託警察犬と指導手6頭6人が参加。午前と午後の約3時間半にわたり、450メートルの砂浜を掘り起こし、行方不明者の手掛かりを探した。
 
 地域課の小袖雛子巡査(20)は同捜索活動2回目。「今も見つかっていない多くの方々がいる。ご遺族のためにちょっとでも手掛かりになるものを見つけたい」と熱心にレーキを動かした。震災時は5歳で、久慈市に暮らしていた。当時の記憶はあまりないが、小、中学生になって震災を学ぶ機会があり、「自分たちが置かれた境遇を知って改めて考えることができた」という。被災者に寄り添う警察官の姿を見て「自分もそういう存在に」と志した。「(捜索は)これからも続けていかねば…」と意識を高める。
 
 3歳のジャーマンシェパードを連れた大槌町の警察犬指導手、関谷健汰さん(32)は、昨年12月に試験に合格。候補犬として今回が初めての捜索活動となった。震災では地元大槌町でも多くの犠牲者が出た。「犬とともに地域の活動に貢献できるのはうれしい。訓練を続け、今後も頑張っていきたい」と意気込む。この日は“相棒”とともに砂浜や松林を歩き、手掛かりを探した。
 
捜索活動には釜石海上保安部の職員13人も参加。行方不明者につながるものを探した

捜索活動には釜石海上保安部の職員13人も参加。行方不明者につながるものを探した

 
s県警嘱託警察犬指導手会のメンバー6人も訓練を重ねる犬と捜索に協力した

県警嘱託警察犬指導手会のメンバー6人も訓練を重ねる犬と捜索に協力した

 
 同署は毎年、海上保安部や消防と連携し、管内の海岸で同捜索を継続。根浜海岸では2021年3月以来の活動となった。同署管内では17年3月に大槌川河川敷で名前入り会員カードが見つかり、遺族に引き渡されたのを最後に、行方不明者につながる情報は見つかっていない。しかし、昨年9月には宮城県気仙沼市で発見された遺骨が当時、山田町に住んでいた女児(当時6)のものと判明した事例もあり、可能性は閉ざされていない。
 
地震発生時刻の午後2時46分、海に向かって黙とう。犠牲者の冥福、行方不明者の手掛かり発見を願い、祈りをささげた

地震発生時刻の午後2時46分、海に向かって黙とう。犠牲者の冥福、行方不明者の手掛かり発見を願い、祈りをささげた

 

「命をつないだ宿」宝来館で追悼、伝承、未来へつなぐメッセージ 教訓を後世に

 
震災時、根浜地区住民らが避難した宝来館で行われた追悼と伝承の催し=11日夕方

震災時、根浜地区住民らが避難した宝来館で行われた追悼と伝承の催し=11日夕方

 
 3.11祈りと絆「白菊」実行委(岩崎昭子委員長)は、宝来館で追悼と伝承への思いを込めた催しを行った。同実行委はこの日夜、根浜海岸で犠牲者を追悼する花火「白菊」の打ち上げを予定していたが、空気の乾燥など気象状況による火災リスクを回避するため、7月に延期することを事前に決定。この日は花火玉に貼り付ける予定だった「追悼と未来への希望のメッセージ」、地元鵜住居の小中学生の津波避難を題材にした絵本「はしれ、上へ! つなみてんでんこ」の朗読会を開いた。
 
 同メッセージは例年、市内の小中学生から募集。6年目の今年は鵜住居小、釜石東中、唐丹中の児童生徒計85人が寄せた。亡くなった方を思う気持ち、未来の命を守る決意、世界平和を願うものなど、さまざまなメッセージが届いた。この日は、その一部を鵜住居小6年の佐々木智桜さんが朗読した。
 
市内小中学生のメッセージを同市最年少震災語り部、佐々木智桜さん(鵜住居小6年)が朗読した(写真右)

市内小中学生のメッセージを同市最年少震災語り部、佐々木智桜さん(鵜住居小6年)が朗読した(写真右)

 
 「私のおじいちゃん、天国で見守っていてね」「亡くなった方の思いを受け継いで強く生きていく」「3.11のようにたくさんの人の命が失われないように、自分たちの力で守れるよう努力していこう」「津波の記憶を忘れずに引き継いでいく」「争いのない平和な世界になりますように」・・・子どもたちの願いが込められた“空への手紙”に、集まった人たちが共感しながら聞き入った。智桜さんは弟と一緒に、津波避難を体で覚える「てんでんこダンス」も披露した。
 
智桜さんは弟智琉さんと津波避難を表した「てんでんこダンス」も披露

智桜さんは弟智琉さんと津波避難を表した「てんでんこダンス」も披露

 
 絵本は作者である指田和さん(埼玉県在住)が朗読した。児童文学作家の指田さんは釜石に住むいとこが被災。「少しでも自分ができることを」と釜石に通うようになった。発災時、いち早い避難行動で津波から逃れた鵜住居小、釜石東中の児童生徒らと交流を重ね、2013年2月に同絵本を出版。子どもたちへの教訓の伝承に一役買っている。この日は、第71回青少年読書感想文全国コンクール(公益社団法人全国学校図書館協議会、毎日新聞社主催)で、同絵本の感想文が内閣総理大臣賞を受賞した静岡県焼津市立小川小3年の北村那捺さんの感想文も紹介した。
 
当時の鵜住居小・釜石東中の津波避難を題材にした絵本「はしれ、上へ!」の作者、指田和さん(写真右上)が作品を朗読した

当時の鵜住居小・釜石東中の津波避難を題材にした絵本「はしれ、上へ!」の作者、指田和さん(写真右上)が作品を朗読した

 
 「この絵本を通じていろいろな世代の子どもたちにちゃんと伝わったのが何よりうれしい。これからも災害の大変さ、どう復興していくかを伝える本を書いていきたい」と指田さん。今後も釜石市民とのつながりを大事にしながら、記憶の伝承に励む。
 
 愛知県名古屋市から足を運ぶ67歳女性は阪神・淡路大震災で実家が被災した。「現地に出向き、お金を落とすのが一番の支援」と考え、東日本大震災はじめ各地の大規模災害被災地を訪問し、各種活動を応援している。15年という時を重ねてきた東北被災地の人たちのことを考えると、「言葉では言い表せない感情が込み上げる。震災を風化させまいと取り組む子どもらの姿も心に響く。“津波てんでんこ”など、ここで教わったことは孫にもしっかり伝えていきたい」と話した。
 

釜石祈りのパークで竹灯籠供養 夕闇に浮かぶ「忘れない」の文字 亡き人の魂 明かりに重ね

 
釜石祈りのパークで行われた竹灯籠供養。芳名板の前に「忘れない」の文字が浮かび上がった=11日夜

釜石祈りのパークで行われた竹灯籠供養。芳名板の前に「忘れない」の文字が浮かび上がった=11日夜

 
 日中から遺族らが慰霊に訪れた釜石祈りのパーク。夕方には犠牲者の芳名板の前で竹灯籠供養が行われた。1153本の灯籠で「忘れない」の文字をつくり、市内と東京、千葉から駆け付けた僧侶4人が読経。訪れた人たちが焼香し、祈りをささげた。
 
 小川町の及川千恵子さん(34)は家族と訪れ、祖父生田正彰さん(当時71)の芳名板の前で献花し、静かに手を合わせた。当時、只越町で一緒に暮らしていた祖父は高校生だった及川さんの妹と一緒に逃げる際、津波にのまれた。妹は助かったが、祖父は帰らぬ人に。「あの時、こうしていたら…」。悔やむ気持ちはあるが、思い出すのは「孫に甘く、優しいじいちゃん」との思い出。自身は震災後、結婚し新しい家族ができた。「息子たちをじいちゃんに会わせてあげたかった」。ひ孫を溺愛する姿も想像する。生かされた自分たちがすべきは「毎日を大事に生きること。大切な人がいつ、いなくなるかも分からない」。家族への感謝とともに日々、歩んでいくことを誓う。
 
訪れた人たちが焼香。花を手向け、手を合わせて故人に思いを伝えた

訪れた人たちが焼香。花を手向け、手を合わせて故人に思いを伝えた

 
 同供養を続ける仙寿院(大只越町)の芝﨑恵応住職は「あの時のような亡くなり方は二度と見たくない。この場所が慰霊とともに教訓がきちんと伝わる場所となるよう、施設の改善など市にも努力してほしい」と願う。

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東日本大震災15年 変わらぬ祈り 語り継ぎへ深まる決意 釜石で見つめた「3・11」

犠牲者の名前が刻まれた釜石祈りのパークの芳名板。訪れた人たちが静かに手を合わせた

犠牲者の名前が刻まれた釜石祈りのパークの芳名板。訪れた人たちが静かに手を合わせた

 
 釜石市内で1064人もの死者(関連死を含め)・行方不明者を出した東日本大震災から、11日で15年となった。市内各所で朝から、残され人たちが大切な人を思い、鎮魂の祈りをささげた。時は過ぎても癒えない悲しみを抱えながら、それぞれが静かに震災と向き合う一方、「あの日」を記憶していない世代も増えていく。“直接”の記憶を持たなくとも、家族や地域の体験に耳を傾け、思いを受け止めながら語り継ごうとしている。「この日」は、かけがえのない命を見つめ、記憶と教訓を未来へ伝える日でもある。
 

記憶、未来に向き合う 祈りのパーク

 
祈りのパークで亡き人を思い名前に手を伸ばす女性

祈りのパークで亡き人を思い名前に手を伸ばす女性

 
 1003人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」。訪れた人たちは献花台に白菊を手向け、手を合わせた。芳名板の名前を静かになぞり、顔を近づけ声をかける姿も。「会いに来たよ」と話しかけ、間渕英子さん(64)は目を潤ませた。発災の1週間前に実父の葬儀のため帰省。「またすぐ来るから」と、東京に戻った翌日が「あの日」になった。優しかった実母の小笠原ツエさん(当時76)に、「これから」と思っていた孝行ができなくなってしまったのが心残り。町内にあった実家は津波で流され、亡き人を感じられるこの場所に思いを残す。「元気なうちは会いに来るよ」
 
午後2時46分、犠牲者を悼み手を合わせた

午後2時46分、犠牲者を悼み手を合わせた

 
 午後2時46分、祈りのパークで約160人が手を合わせた。続く市主催の追悼式では、高校生が「未来へのメッセージ」と題し、震災の教訓を未来につなげる誓いの言葉を述べた。遺族代表のあいさつの代わりとして今回初めて取り入れた試みで、思いを語ったのは釜石高3年の山陰皇騎さん(17)。震災時は2歳で、ほぼ記憶がないというが、津波で父の剛さん(当時35)を亡くした。「3月11日は私にとって特別な日。一生記憶をつないでいきたい」
 
 剛さんは大槌町の職場から自宅に戻る際、津波にのまれ、約8か月後に見つかった。母の瑠里子さん(48)の話から想像することしかなかった父のこと。「一緒に生活できていたら、何をして、どんな話をしたのか」。悲しみ、悔しさ、好奇心…不思議な感情を持ちながら、山陰さんはこの春、進学のため古里を離れる。「ずっと私たちを見守っていてください」
 
父への思いを胸に「未来へのメッセージ」を発表する山陰皇騎さん

父への思いを胸に「未来へのメッセージ」を発表する山陰皇騎さん

 
 高校生活で一番力を入れたのは防災活動。震災伝承に取り組む生徒有志の団体「夢団」に参加し、人と出合い、学びを深める中で「語り継ぐ」大切さに気づいた。「記憶ない世代」が増えていると改めて感じ、「記憶を持つ最後の世代として、しっかりと語り継ぎ、教訓を風化させないことが使命だ」とメッセージを発信。たとえ自分に記憶がなくとも、誰かに聞いたことを話すだけでも意味があることなのだ。「皆さんにも語り継いでほしい。ゆっくり自分のペースでいいから。語り継いで、忘れないでほしい。いつまでも」
 
追悼式が終わり、笑顔を交わす山陰さん(右)、母の瑠里子さん(左)、弟の宗真さん

追悼式が終わり、笑顔を交わす山陰さん(右)、母の瑠里子さん(左)、弟の宗真さん

 
 落ち着いた気持ちで手を合わせてほしい―。前日の10日、釜石東中(髙橋晃一校長)の3年生23人が芳名板を磨いた。震災のことを語り継ぐ「いつ海集会」での取り組み。発災の年に生まれた小笠原虹南さん(15)は「地域で暮らす自分たちがきれいにすることで、感謝の気持ちを伝えられたら。地震や津波はいつ起こるか分からないから、油断せずに避難のこと、避難した後のことを考えて生きていきたい」と受け止めた。
 
10日に祈りのパークで清掃活動をする釜石東中の3年生

10日に祈りのパークで清掃活動をする釜石東中の3年生

 
希望ある未来を思い描きながら歌声を響かせた生徒たち

希望ある未来を思い描きながら歌声を響かせた生徒たち

 
 校舎へと続く大階段では全校生徒86人で集会の名につながる歌「いつかこの海をこえて」を合唱。被災を経験した当時の東中生の思いが散りばめられた歌詞に、届けたい願いを乗せた。「これからも地域と共に」「夢を抱いて生きていこう」「自分たちの命を誰かのために使っていこう」
 

感情、まちに漂う

 
震災で亡くなった夫が眠る墓に話しかける岩舘マユ子さん

震災で亡くなった夫が眠る墓に話しかける岩舘マユ子さん

 
 11日、市内の寺院には朝から遺族らが墓参りに訪れた。大只越町の石応禅寺で、岩舘マユ子さん(76)は、夫の信幸さん(当時65)の墓に手を合わせた。15年前のあの日、津波に巻き込まれたとみられる信幸さんは、数日後に浜町の自宅そばで見つかった。岩舘さんは、仕事で市内の内陸部にいた。「きっと大丈夫」と信じる気持ちと、「やっぱり…」との諦めが半々だったと当時の心境を思い起こすも、「実はね、記憶が飛んでいるの」と明かした。
 
 信幸さんは“昔かたぎの職人”だったというが、家業のかまぼこ屋を震災の数年前にたたんだ。岩舘さんは定年で退職を控えていたが、「気落ちしていられない。頑張らないと」と働き続けた。市中心部の災害公営住宅に入居し生活は落ち着いたが、病気の影響で2年前に退職。ちょうどその頃、知人にすすめられグラウンドゴルフを始めた。
 
かつて自宅があった辺りを見つめて「寂しいね」とつぶやく

かつて自宅があった辺りを見つめて「寂しいね」とつぶやく

 
 この日の午後は、グラウンドゴルフの日。岩舘さんは墓に語りかけた。「私より年上の人たちが元気なの。年寄りは元気でないとね。もう15も年をとったけど、もう少しここにいるよ。健康でいられるよう見ていて」
 
殉職消防団員の顕彰碑に遺族や消防団関係者らが献花

殉職消防団員の顕彰碑に遺族や消防団関係者らが献花

 
 鈴子町の鈴子広場にある殉職消防団員顕彰碑前では、市と市消防団主催の献花式が行われた。震災で職務遂行中に命を落とした仲間8人の名に向かい、菊池録郎団長(74)は「強い使命感で最後まで職責を全うした団員が守ろうとした人々と暮らしを守り続ける責務がある。志を胸に刻み、防災力向上に努める」と力を込めた。
 
 震災当時、水門を閉めながら避難を呼びかけた夫の政信さん(当時28)を亡くした矢巾町の浦島都子さん(45)は、長男で盛岡中央高単位制2年の央和さん(17)と参列。「15年たっても気持ちは変わらない。優しい人だった」と目を赤くし、言葉を絞り出した。「まだ見つかっていない…整理がつかない」
 
「わすれない」と文字が刻まれた納骨堂で身元不明の遺骨を供養

「わすれない」と文字が刻まれた納骨堂で身元不明の遺骨を供養

 
 身元が分からない犠牲者の遺骨を安置する大平町の大平墓地公園内の納骨堂前で、釜石仏教会(大萱生修明会長、17カ寺)による法要が営まれた。現在、全身骨5柱、部分骨3柱を安置。僧侶5人が読経する中、参列した市関係者や市民らが焼香した。「いつか家族の元へ戻れるように」
 
 導師を務めた仙寿院(大只越町)の芝﨑恵応住職は「震災を知らない子が多くなった。経験した者が伝えなければ、将来に大きな不安が残る」と風化への危機感を示し、強く求めた。「教訓を伝えよ」
 
15年前に届けたかった「あの日のコーヒー」を振る舞う岩鼻伸介さん

15年前に届けたかった「あの日のコーヒー」を振る舞う岩鼻伸介さん

 
 大平町の釜石大観音仲見世通りにオープンした完全予約制のカフェ「ハピスコーヒーラボラトリー」で、店主の岩鼻伸介さん(48)が来店した人たちに「あの日のコーヒー」を無料で振る舞った。15年前、寒かった「あの日」に被災した人たちに飲んでほしかった一杯。苦みを抑えた、すっきりとした味わいに願いを込める。「あたたかい飲み物でほっとする時間を」
 
来店した客と言葉を交わす(左奥から)竹内佳代さん、岩鼻さん

来店した客と言葉を交わす(左奥から)竹内佳代さん、岩鼻さん

 
 カフェ開店の目的の一つが、ライフワークとなる能登半島地震の復興応援活動。現地に行けない時も、石川県七尾市の集会所に開設した拠点とつないでオンライン交流を続ける計画だ。この日は、活動の中で知り合ったカウンセラーの竹内佳代さん(40)が石川から駆け付け、お手伝い。珠洲(すず)焼職人を目指しており、ハピスラボで使用する珠洲焼のカップは竹内さんが作った。それぞれ新たな挑戦をスタートさせた2人は声をそろえた。「釜石と能登の架け橋に」

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震災犠牲者しのび法要 釜石・鵜住居観音堂 心、まちに「光が届くよう」祈り込め

東日本大震災犠牲者の冥福を祈り鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要

東日本大震災犠牲者の冥福を祈り鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要

 
 東日本大震災の犠牲者を悼み、まちの復興を願う「復光祈願法要」は8日、釜石市鵜住居町の鵜住居観音堂(小山士別当)で営まれた。同法要は15回目で、地域住民や関係者ら約30人が参列。本尊「十一面観音立像」(県指定文化財)の模刻「身代わり観音像」に静かに手を合わせ、亡き人や地域の未来へ思いをはせた。
 
被災地の平穏を願い読経する千葉秀覚執事長(手前から2人目)ら

被災地の平穏を願い読経する千葉秀覚執事長(手前から2人目)ら

 
 法要は毛越寺(平泉町)の千葉秀覚執事長(63)らが執り行い、読経に合わせ、それぞれが焼香した。地元の齋藤清子さん(81)は津波で失った親族2人の安寧を祈りながら合掌。「残されたものは祈るしかない。だいぶ立派に街はできたが、住む人は減り、寂しくなる」とつぶやく。ふと耳を澄ますと、観音堂近くのグラウンドから野球少年たちの声が届いた。「若い人たちが暮らし、普段から元気な声が聞こえたらいいのに」と願った。
 
参列者は読経に合わせて焼香。静かに手を合わせる

参列者は読経に合わせて焼香。静かに手を合わせる

 
 観音堂は震災の津波で全壊し、2022年に高台に再建。まつられている本尊は破損しながらも流失を免れ、当時、盛岡大教授だった故大矢邦宣さんらが救出、修復された。背面に「永正七年」(1510年)の年号があり、33年に一度開帳される。模刻は大矢さんの発案で2014年に制作。観音堂の再建を待つ間も「地域のよりどころになるように」との思いが込められ、今も地域を見守る存在として安置されている。
 
鵜住居の街並みを望む高台に建つ観音堂

鵜住居の街並みを望む高台に建つ観音堂

 
地域を見守る「身代わり観音像」に祈りをささげる

地域を見守る「身代わり観音像」に祈りをささげる

 
 法要に合わせ、幾度か観音堂へ通う千葉執事長は「震災から15年目となるが、それぞれが歴史を刻んできた15年なのだろう。街は復興しても、当時のつらい記憶、亡き人を思う気持ちは消えないもの。そうした中で、室町時代から信仰が続く観音様、身代わり観音像が人の心、地域に光が届くよう見守ってくださっている」と法話した。
 
 小山別当(82)は「大矢先生や尽力してくれた関係者のおかげで生きる希望を教えていただいた。そして、法要を続けられている毛越寺の方々、集まってくれる地域の皆さんには感謝しかない。その思いを受け止め、地域の宝を貴重な文化財として後世に引き継いでいきたい」と思いを深めた。

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頑張ったよ!お茶のおけいこ かまいしこども園の年長児、お点前披露 保護者もてなす

保護者に振る舞うお茶をたてるかまいしこども園の年長児

保護者に振る舞うお茶をたてるかまいしこども園の年長児

 
 釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児81人)で3日、「お茶のおけいこ」があり、年長児13人が茶会体験をした。「おさらい会」として催された茶会には、保護者を招待。年長児は1年間の稽古の成果を発揮し、お茶をたて、おもてなしの心を見せた。
 
 同園では、▽思いやり▽優しさ▽感謝▽譲り合い▽美しさに触れる―という5つの心を養うことを目的に、日本文化の茶道を保育に取り入れる。今年度は、裏千家茶道准教授の戸村宗孝(そうこう)さん(74)が月に2回ほど、園に出向いて年長児を対象におけいこ。おじぎの仕方や礼儀、所作、お茶の作法などを指導してきた。
 
 園舎内には野だて傘、「日々是好日」と書かれた短冊、モモや菜の花など季節の花を生けた席が用意された。この日は、子どもたちの健やかな成長を願う「ひなまつり」。ひな人形も飾られていて華やかな雰囲気の「ひなまつり茶会」となった。
 
習ってきた茶道の成果を披露するおさらい会の茶席

習ってきた茶道の成果を披露するおさらい会の茶席

 
 園児は和菓子を運び、お茶をたて、おもてなし。「お茶をどうぞ」と言って差し出すと、保護者は「おいしい」と笑顔で味わっていた。大役を終えた子どもたちは、自分でたて、味わいを確認。「いつもより濃いね」などと友達と顔を合わせながら楽しんでいた。
 
指導に当たった戸村宗孝さん(左)が優しくサポート

指導に当たった戸村宗孝さん(左)が優しくサポート

 
習った所作でお点前を披露する園児に保護者は熱視線

習った所作でお点前を披露する園児に保護者は熱視線

 
成果を見せ終わってホッとした様子の子どもたち

成果を見せ終わってホッとした様子の子どもたち

 
背筋をピン!自分でたてたお茶をいただく園児

背筋をピン!自分でたてたお茶をいただく園児

 
 結城心温ちゃん(6)は「いつもより2.5倍うまくできた。お母さんが笑ってくれてうれしい」と得意げに話した。母親の恵さん(40)によると、登園前に自宅で「泡立て、がんばるね」と約束。差し出された茶はしっかり泡が立ち、有言実行したまな息子の姿に目を細め、「日本の良いところを学んだ経験や大事な心を忘れないで、大きく成長してほしい。小学校でもたくさんの友達をつくってほしい」と願った。
 
茶を飲む保護者の様子にドキドキ、ワクワクする子どもたち width=

茶を飲む保護者の様子にドキドキ、ワクワクする子どもたち

 
「おいしかったよ」「すごいね」。保護者の笑顔から伝わる

「おいしかったよ」「すごいね」。保護者の笑顔から伝わる
 
 「最初は分からなかったけど、できるようになった」と背筋をピンと伸ばした久保梓ちゃん(6)。茶席で、母親の静樺さん(29)に菓子をいただく時のようじ(黒文字)の使い方や茶わんを回してから飲むといった作法をアドバイス。茶を点てる際にうまく泡立てるコツは「(茶せんで)1の字を書くようにするの」と、かき混ぜるようなしぐさを見せて、身に着けた学びも伝えていた。「楽しかった」と満足げなわが子に、静樺さんは「日本の文化に触れさせてもらって感謝ですね。園で伸び伸びと過ごしていると感じられたのも収穫」と喜んだ。
 
菓子やお茶のいただき方をしぐさで教える園児

菓子やお茶のいただき方をしぐさで教える園児

 
 子どもらを指導した戸村さんは「始めた頃は、お茶を飲めない子もいた。保護者に見てもらい、お茶わんを回すことを教えたりするまでになった」と感心。「茶道で触れた気持ち、お花を見て季節を感じる心が少しでも植えられていたらいい。さらにおけいこを続けてくれたら」と期待も込めた。
 
 同園の澤田利子副園長も「落ち着いてお点前ができていた。頑張ってきた成果が見られたし、お茶を通して心が豊かになっている」と確認。社会経験として大事にしたい心を育む機会として、来年度以降もお茶のおけいこを続ける考えだ。

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ガザのみんなへ「忘れてないよ」 釜石から発信 空に舞う たこに平和の願い込め

青空の下、平和の願いを込めたたこを飛ばす子どもたち

青空の下、平和の願いを込めたたこを飛ばす子どもたち

 
 東日本大震災を機に交流を続けるパレスチナ自治区ガザの平和を願う「たこ揚げ」が1日、釜石市唐丹町の唐丹グラウンドであった。市内外の有志でつくる「ガザ・ジャパン希望の凧(たこ)揚げ交流会実行委員会」が主催。同市の野球スポーツ少年団・釜石ファイターズの児童や親子連れら約50人が参加し、戦争のない世界を祈るメッセージを釜石の空から送った。
 
 ガザでは、2012年から国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が主催して、現地の子どもたちが震災被災地の復興を願ってたこを飛ばした。その思いに応えようと、釜石でも15年からたこ揚げを開始。“つながる空”を通して交流を続けている。
 
「舞い上がれ、高く」。子どもらが元気いっぱいに走り出す

「舞い上がれ、高く」。子どもらが元気いっぱいに走り出す

 
 「よし、いくぞー」「おーい!」。長い糸を手に野球少年たちが元気に駆け出した。声を大きく上げて、地域や世界中が明るくなるように。「みんな幸せ」「絆」「せんそう ダメ!」など思い思いのメッセージやイラストを描いた、たこを風に乗せて高く揚げた。
 
 斉藤直輝さん(甲子小4年)は、たこに「平和」「希望」と文字を入れた。「戦争がなくなって、世界中の人が幸せになってほしい」から。いつかガザから友達が来たらと想像し、「一緒に野球をしたい」と望んだ。
 
 この日、同市大町の釜石情報交流センターでたこ作りの会もあり、宮城県から参加する人の姿もあった。東北大大学院生でインドネシアからの留学生が書き込んだのは「偃武修文(えんぶしゅうぶん)」という四字熟語。「早く戦争を止めよう。そして子どもたちは勉強を」。そんな呼びかけを託したと話していた。
 
参加した人たちはガザへ届けたい思いを込めてたこを作った

参加した人たちはガザへ届けたい思いを込めてたこを作った

 
 気仙沼市の小野寺優さん(68)が仕上げたのは、日の出をデザインしたたこ。気仙沼凧の会副会長で、伝統の絵柄だという。たこ揚げでは釜石の子どもらにコツを伝えたりして交流。たこが青空を舞う様子を見つめて「こうした風景がいつまでも残ってくれたらいい」と思いを口にした。
 
子どもたちが思い思いの言葉や絵を描いたたこ

子どもたちが思い思いの言葉や絵を描いたたこ

 
元気に走り回って、たこ揚げを楽しむ子どもたち

元気に走り回って、たこ揚げを楽しむ子どもたち

 
 実行委の佐藤直美さん(52)=仙台市=によると、25年10月にイスラエルとの停戦合意が発効され、ガザでは局所的に学校や子どもたちの交流が再開されたとの情報がある。ただ、火種はくすぶったままで、いまだ不安定な状況が続いているという。「少しでも早く安心して暮らせるように」と願う人たちの思いを現地に伝えようと、メッセージ動画を送る取り組みを続けており、今回も撮影を担当した。
 
 佐藤さんが会いたかったと話す一人が、地元の下村恵寿さん(76)。このたこ揚げの協力者で、いつも「子どもは世界の宝」とあたたかく見守ってくれているからだ。15年にガザから子どもらが訪れた際も交流しており、現地に思いを寄せ続ける下村さんからも言葉をもらった。
 
子どもたちをあたたかく見守る下村恵寿さん(右)

子どもたちをあたたかく見守る下村恵寿さん(右)

 
 下村さんは「大人がしたことで犠牲になるのはいつも子ども」と悔しさをにじませる。市体育協会員として長くスポーツ界に関わっており「平和で、スポーツができる幸せを世界に」と切望。「子どもは地域みんなで育てる宝物。大人には責任がある。また、ガザの子たちと一緒にたこ揚げできたらいいな」と、硬い表情をやわらげた。
 
パレスチナの希望と平和の象徴であるたこを掲げる参加者

パレスチナの希望と平和の象徴であるたこを掲げる参加者

 
 パレスチナの人にとって、たこ揚げは「ここにいるよ」という意味合いが込められていると、佐藤さんが教えてくれた。今、現地では「忘れられている」「覚えていてほしい」と感じる人もいるとも。「忘れていないよ」「震災の復興を願ってくれて、ありがとう」と発信できる機会が「このたこ揚げ」と佐藤さんは改めて思った様子だ。
 
 今回、県外から参加したり、卒業式を終えたばかりの大船渡市の高校生も駆け付けた。輪の広がりを感じた佐藤さんは「すてきなメッセージをたくさんもらった」とうれしさを隠さなかった。「現地にしっかり届けられるようにしたい」と受け止め、「日本とガザを結ぶ活動を続けていけたら」と話した。

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おいしさ提供、フェアトレード普及、復興応援…釜石・ハピスコーヒーが固定店舗開設へ

固定店舗を間もなくオープンさせる岩鼻伸介さん=2月

固定店舗を間もなくオープンさせる岩鼻伸介さん=2月

 
 釜石市を中心にキッチンカーで営業するコミュニティーカフェ「HAPPIECE COFFEE(ハピスコーヒー)」。東日本大震災後に帰郷した店主の岩鼻伸介さん(48)が淹(い)れる“おいしい”一杯と、何気ない会話の“うまみ”を味わえるのが魅力だ。豆は「フェアトレード」で仕入れ、公正な取引を通じ原産国の生産者を支援するという概念の普及にも一役買う。移動販売の傍ら、災害の被災地に“ホッと”ひと息つける時間を届ける活動も続ける中、この3月の「あの日」に拠点となる固定店舗を開設する。提供するのは、これまで大切にしてきた要素を色濃くした「最高にすてきなコーヒータイム」。プレオープン中に体験してきた。
 
おいしいコーヒーを味わえるカフェが通りに明かりをともす

おいしいコーヒーを味わえるカフェが通りに明かりをともす

 
 2月某日夕方、空き店舗が目立つ同市大平町の釜石大観音仲見世通りの一角に明かりがともる。数年前までは喫茶店、古くは食堂として利用された空き店舗を改装。当時の雰囲気を生かした内装、照度を落とした店内はもの懐かしさがあふれる。
 
 そこで提供されるメニューは、コーヒーのフルコース。岩鼻さんが厳選した数種類のコーヒーのテイスティング(試飲)から始まる。その日、「ウェルカムコーヒー」として用意された豆は6種。浅煎(い)りしたエチオピア・イルガチェフェと東ティモール・レテフォホ、中煎りで東ティモール・コカマウとペルー・アルトマヨ、そして深煎りのインドネシア・マンデリンとメキシコ・マヤビニック。店主が「お好きな味は?コーヒーの旅をどうぞ」といざなう。
 
コーヒーのフルコースを体験。ウェルカムコーヒーを説明する岩鼻さん

コーヒーのフルコースを体験。ウェルカムコーヒーを説明する岩鼻さん

 
 「浅煎りは酸味が豊かでフルーティー。中煎りは酸味と苦みのバランスがとれている感じ。深煎りはコクと苦みがガツンとくる」。岩鼻さんの“豆”知識を参考にしながら味見。酸味、苦み、コク、香り…微妙な違いに、自分の好みがみえてくる。
 
 そして選んだ一杯が「メインコーヒー」となる。豆を挽き、お湯を注いで丁寧に抽出する間が、さらなる情報収集タイム。コーヒーの淹れ方、フェアトレードコーヒーの歴史など岩鼻さんの“熱い”コーヒー談義を楽しめる。
 
お好みの一杯を目の前で丁寧に抽出。豆知識を添えて

お好みの一杯を目の前で丁寧に抽出。豆知識を添えて

 
メインコーヒーは能登の知人が作ったカップで「どうぞ」

メインコーヒーは能登の知人が作ったカップで「どうぞ」

 
 お気に入りを味わい、2杯目へ。「もっと深く知りたい」という人は試飲で気になった別のコーヒーに挑戦でき、「多様な味に触れたい」のならキッチンカー営業で好評というメニューの「アフォガード」(アイスクリームに熱いエスプレッソなどをかけたデザート)を選べる。希望があれば「アラカルト」として追加でもう一杯(別料金)いただける。
 
 コースの締めとして手渡されるのが、持ち帰り用のコーヒー。「その人にピッタリ」の「また飲みたい」味を自宅でも楽しんでもらおうという趣向だ。豆のままか、粉にするか選択可能。豆に適した抽出方法や器具のアドバイスも受けられる。
 
2杯目はアフォガードを味わい、自宅用のコーヒーもゲット

2杯目はアフォガードを味わい、自宅用のコーヒーもゲット

 
和洋が混在した店内で味わい深いカフェタイムはいかが…

和洋が混在した店内で味わい深いカフェタイムはいかが…

 
 90分という時間をかけて複数の味に触れ、感覚や知性を刺激され、新しい発見もある、何ともぜいたくなフルコースは完全予約制。料金は税込み5000円。自家焙煎(ばいせん)した豆を十数種用意しており、ブレンドも可能。岩鼻さんは「いろんなコーヒーの中から好みのものを楽しんでもらえたら」とワクワクした様子で来店を待つ。
 

夢の実現場所「ハピスコーヒーラボラトリー」

 
「ハピスコーヒーラボラトリーですてきな時間を」と岩鼻さん

「ハピスコーヒーラボラトリーですてきな時間を」と岩鼻さん

 
 店名は「ハピスコーヒーラボラトリー」。ハピスは「Happy」と「Piece」を組み合わせた「幸せのひとかけら」という意味の造語で、「研究所」や「実験室」という意味合いの言葉を加えた。フレンチのようにコーヒーをコースで提供するのは週に2、3日と想定。コーヒー講座(90分)も定期的に開催する。入門、初級、中級などのコースを設定し、料金は税込み5000円。より多角的な視点を求める探究者向けのメニュー(コーヒー・コンサルティング、90分で税込み3万円)もある。
 
コーヒーにまつわる器具を眺めるのも味わい。フェアトレードの品も並んでいる

コーヒーにまつわる器具を眺めるのも味わい。フェアトレードの品も並んでいる

 
 固定店舗の開設はおいしいコーヒーの提供、フェアトレードの普及に加え、能登半島地震(2024年発生)の被災地支援を継続させるためでもある。岩鼻さんは発災後からほぼ毎月、キッチンカーを約15時間走らせて現地に通い、コーヒーを振る舞っている。石川県七尾市を中心に活動し、これまでに21回訪問。現在1杯700円のコーヒーを計約2万杯(約1400万円)無償提供してきた。
 
温かさ上乗せ!釜石の思い、能登へ 1杯のコーヒーに添えるメッセージ キッチンカーでお届け
 
 この取り組みは、震災の津波で実家が全壊した岩鼻さんが「恩返し」のつもりで始めた。能登には「あの時」と同じ、ほっと息をつける時を待つ人がいたから。「息の長い応援を」と支援者からカンパを募りながら被災地に向ってきたが、体力的にも経済的にも毎月通うのは厳しくなった。
 
 「自分がいかなくなることで忘れられているように感じる人もいるのではないか」と岩鼻さん。「分かっているよ、忘れていないよ」と伝え、交流を続ける方法として考え出したのが、釜石と能登の被災地をオンラインでつなぐ拠点の開設。それが釜石の“ラボ”だ。合わせて能登の拠点として、七尾市中島町の小牧集会所に拠点を準備した。
 
釜石と能登をオンラインでつないで交流を継続する

釜石と能登をオンラインでつないで交流を継続する

 
 地元でのキッチンカー営業は続け、移動販売をしない日にラボで「至福のひととき」を提供する。そしてたまに店内に設置したパソコンとモニターで能登の拠点とつなぎ、現地の人と画面越しに交流。現地では週に2回サロン活動が行われているようで、来た人と話をする形を思い描いている。
 
 能登行きは回数が減るかもしれないが、現地に行けない時もつながれるよう考えた仕組みが、まもなくスタートする。「つながりは失ってはいけないもの。より密に人や地域の縁を結んでいけるのでは」と岩鼻さん。固定店舗という居場所ができることで、震災を経験した人、能登の被災地を思う人、コーヒー好きな人たちが言葉を交わすコミュニケーションの場になることを願う。
 

グランドオープンの「3・11」は“あの日のコーヒー”で

 
釜石大観音仲見世通りの「ハピスコーヒーラボラトリー」=3月

釜石大観音仲見世通りの「ハピスコーヒーラボラトリー」=3月

 
 固定店舗の本オープンは3月11日。地震発生時刻の午後2時46分、黙とうの後に店を開放し、「あの日のコーヒー」を振る舞う。
 
 あの日のコーヒーは、岩鼻さんが15年前に古里に届けたかった一杯。「避難所で凍え、不安でいっぱいだった人に淹れてあげたかった」。当時、東京都内で経営コンサルタントをしていたため、かなわなかった。仕事の傍ら、イベントでコーヒーの提供もしていて、フェアトレードに出合ったのもその頃。できなかった悔しさを出発点に「古里の復興に貢献しよう」とUターン。キッチンカーで巡り、人が集える場をつくってきた。
 
「あの日のコーヒー」を振る舞う本オープンは間もなく

「あの日のコーヒー」を振る舞う本オープンは間もなく

 
 「原点」と話す一杯を、岩鼻さんは震災から15年となる「あの日」に手渡す。「この日をどう過ごそうかと迷っている人もいる。日が沈んだ後も店を開けているので、気軽に立ち寄って、あの日に思いをはせながら、あたたかいコーヒーを味わってもらえたら」。そう望みながら、迎える準備をする。