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~釜石ラグビッグドリーム~ 釜石SWプレマッチ2戦目 日野に40-19 ホーム戦勝利に観客沸く

プレマッチ2戦目で勝利し、歓喜に沸く日本製鉄釜石シーウェイブス=釜石ラグビッグドリーム、13日

プレマッチ2戦目で勝利し、歓喜に沸く日本製鉄釜石シーウェイブス=釜石ラグビッグドリーム、13日

 
 ラグビーワールドカップ(W杯)2019日本大会釜石開催から5年―。大会レガシー(遺産)を継承し、「ラグビーのまち釜石」の一層の発信を図るイベント「釜石ラグビッグドリーム」が13日、釜石鵜住居復興スタジアムで開かれた。くしくも、この日は5年前のW杯釜石第2戦、ナミビア対カナダの試合が台風の影響で中止となった日。カナダ代表の選手らが、豪雨で浸水した住宅地で土砂除去のボランティア活動を行ったことは多くの市民の記憶に残る。その特別な日のイベントで雄姿を見せたのは、地元の日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)。今季、ジャパンラグビーリーグワン2部で共に戦う日野レッドドルフィンズとメモリアルマッチを行い、40-19の勝利で観客を沸かせた。同ゲーム前には小中学生の交流マッチもあり、秋のスタジアムはラグビー一色に包まれた。
 
メモリアルマッチ「日本製鉄釜石SW(白)-日野レッドドルフィンズ」=釜石鵜住居復興スタジアム

メモリアルマッチ「日本製鉄釜石SW(白)-日野レッドドルフィンズ」=釜石鵜住居復興スタジアム

 
 今季スローガンに「STEEL WAVE」を掲げ、2部トップ4入りを目指す釜石。プレシーズンマッチ2戦目のこの日の相手は、今季2部に復帰した日野。釜石は新加入の3選手を含む先発メンバーで臨んだ。先制したのは釜石。前半5分、相手ゴール前のラックからロック、ハミッシュ・ダルゼルが押し込んでトライ。11分には期待の若手WTB阿部竜二が、この日ゲームキャプテンを務めるナンバー8サム・ヘンウッドからロングパスを受け、自慢の俊足で右に回り込み、インゴールに持ち込んだ。チームを引っ張るヘンウッドは26分、相手を振り切る力強い独走で自ら追加点。その後、日野に1トライを許すも、前半終了間際の39分、ゴール前ラインアウトからのモールを押し、最後尾からパスを受けたSH南篤志が飛び込んでトライ。4トライ4ゴール、28-7で前半を折り返した。
 
前半11分、WTB阿部竜二が右サイドに走り込み、SW2本目のトライ

前半11分、WTB阿部竜二が右サイドに走り込み、SW2本目のトライ

 
前半26分、相手ディフェンスを突破しトライを決めたナンバー8サム・ヘンウッド(中央)

前半26分、相手ディフェンスを突破しトライを決めたナンバー8サム・ヘンウッド(中央)

 
前半39分、モールから出したボールをSH南篤志が飛び込んでトライ。笑顔で喜びを分かち合う(右)

前半39分、モールから出したボールをSH南篤志が飛び込んでトライ。笑顔で喜びを分かち合う(右)

 
先発した新加入のSOミッチェル・ハント(右から2人目)は3ゴールも決めチームに貢献

先発した新加入のSOミッチェル・ハント(右から2人目)は3ゴールも決めチームに貢献

 
 勢いづいた釜石は後半4分、相手ディフェンスの隙を突き、SO落和史が右にロングパス。今季新加入のWTB川上剛右がきっちり決め、33-7と突き放した。後半は両チームとも選手を大きく入れ替え。釜石はターンオーバーされる場面が増え始め、残り10分までに日野に2トライを献上。最後の見せ場は31分、右ゴール前ラインアウトから左に展開し、じわじわと前進。相手ディフェンスを引きつける間に再び右へ大きく振り、最後はフランカー髙橋泰地が決めた。40-19で試合終了。バックスタンドの大漁旗が大きく揺れた。
 
 2選手が同じ職場で働いているという釜石市の小林英樹さん(40)は「久しぶりの盛り上がり。勝てて良かった」と大喜び。「地元で勝つことが釜石の元気にもつながる。今季はぜひ勝ちにこだわって1つでも多く勝ってほしい」と期待を込めた。
 
後半、相手に圧力をかけるプレーでゴール前にボールを運ぶ釜石SW

後半、相手に圧力をかけるプレーでゴール前にボールを運ぶ釜石SW

 
後半31分、CTB畠中豪士からナンバー8セタ・コロイタマナ、フランカー髙橋泰地とパスをつなぎ、右隅にトライ

後半31分、CTB畠中豪士からナンバー8セタ・コロイタマナ、フランカー髙橋泰地とパスをつなぎ、右隅にトライ

 
釜石SWの活躍に応援の大漁旗がはためく

釜石SWの活躍に応援の大漁旗がはためく

 
 試合後、釜石SWの須田康夫ヘッドコーチは「相手に圧力をかけ続けるという今年のテーマを選手たちがしっかり守ってやってくれた結果。後半、メンバーが入れ替わった時のゲームマネジメントに課題が見えた」と振り返った。ゲームキャプテンのヘンウッド選手は「すばらしい勝利だった。ゲームプランの遂行というところをちゃんとできたのが鍵だったと思う」と評価。チームの成長も感じ、「若い選手が育ってきている。試合の大事な場面でうまく対処できる力がついてきている」と話した。
 
 釜石SWは19日のプレマッチ第3戦、IBC杯ラグビー招待試合で、今季3部に参入したヤクルトレビンズ戸田と対戦。40-21(前半26-7)と、こちらも快勝した。SWのプレマッチはこの後11、12月に3戦を予定する。リーグワン初戦は12月21日(対九州電力キューデンヴォルテクス)。釜石鵜住居復興スタジアムでの初戦は12月28日の第2節、グリーンロケッツ東葛戦となる。
 

夢追う子どもたちも熱戦 会場内では多彩なアトラクションも うのスタで楽しい1日

 
釜石SWジュニアと宮古ラグビースクールが対戦した小学生交流マッチ

釜石SWジュニアと宮古ラグビースクールが対戦した小学生交流マッチ

 
 メモリアルマッチに先立ち行われた小学生の交流マッチは、釜石SWジュニアと宮古ラグビースクールが対戦。両チームのメンバーが入り交じっての試合も行われた。この日は秋田県で開催された6年生による東北大会に、両チームが合同チームを結成して出場したため、4、5年生メンバーでの対戦となった。SWジュニアのゲームキャプテンを務めた野田大耀さん(小佐野小5年)は「僅差でなく勝てたのでチームの成長を感じられた。パス回しやタックルでまだできていない部分があるので、これからの練習で改善したい」と前を向いた。
 
中学生交流マッチは釜石、甲子、釜石東の特設ラグビー部が熱戦を繰り広げた

中学生交流マッチは釜石、甲子、釜石東の特設ラグビー部が熱戦を繰り広げた

 
 中学生の試合には釜石、甲子、釜石東3校の特設ラグビー部が出場。市内の中学校は例年、他競技の中総体終了後にチームを結成し、10~11月に行われるラグビー競技の県中総体に挑む。それに向けた前哨戦ともなるこの交流マッチ。3戦を行い、2勝をあげたのは昨年、同スタジアムで開催された県中総体で初優勝を果たした釜石中。本年度は2、3年生20人でチームを結成し、8月から練習を開始した。佐藤碧空主将(3年)は「チャンスをものにし得点できたところは良かったが、ラックヤードの入り込みやディフェンスのラインで改善点があるので県大会までに修正したい。2連覇を目標にチーム一丸となって試合に挑む」と意気込んだ。
 
 会場内では自衛隊や警察、消防車両を体験できる「震災復興支援・働く自動車展」が人気を集め、フードコーナーもにぎわった。釜石を応援しようと今春結成された「ちあ釜」は、SWの試合のハーフタイムで念願のフラッグパフォーマンスを披露。試合後は誰でも楽しめるラグビー体験、餅まきも行われた。
 
自衛隊、警察、消防の車両がずらり!運転席に座り笑顔を見せる子ども

自衛隊、警察、消防の車両がずらり!運転席に座り笑顔を見せる子ども

 
SW対日野の試合のハーフタイムにフラッグパフォーマンスを見せた「ちあ釜」

SW対日野の試合のハーフタイムにフラッグパフォーマンスを見せた「ちあ釜」

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釜石の民俗芸能・片岸虎舞 6年ぶりに演舞 待ちわびた住民ら「最高だ」目頭熱く

心一つに片岸虎舞を披露する保存会のメンバー

心一つに片岸虎舞を披露する保存会のメンバー

 
 釜石市片岸町で伝承される「片岸虎舞」が13日、住民らを前に6年ぶりに躍動した。地元鎮守・片岸稲荷神社の例大祭に合わせ舞の奉納や門打ちを行ってきたが、新型コロナウイルス禍の影響や少子高齢化による人手不足などから活動が停滞。そんな状況に危機感を持った保存会の中堅メンバーらが「地域の宝を守らねば。できることをやろう」と再び動き出した。
 
 70人ほどの人が集まった同神社前の広場。笛や太鼓の音、威勢のいい掛け声を町内に響かせながら近づく特設の山車を多くのワクワク顔が迎えた。片岸虎舞保存会(柏﨑育也会長)の有志約30人は鎮守にあいさつ。「よし、やるかー!」と、気持ちを一つに舞台に向かった。
 
 遊び戯れる様子を表現する「片岸虎」、笹で牙を磨く場面を見せる「笹喰(ば)み」を勇ましく舞った。「うさぎ」「甚句」「大漁万作」など手踊りも披露。鳥を捕らえる姿を表する「刺鳥舞」は風流な歌い節に合わせて舞い手が軽やかに踊り、住民から盛んな拍手を受けた。
 
片岸稲荷神社前にある広場で虎舞を披露した

片岸稲荷神社前にある広場で虎舞を披露した

 
多彩な手踊りを次々と繰り広げるメンバーら

多彩な手踊りを次々と繰り広げるメンバーら

 
 片岸虎舞は江戸時代から続き、市内でも古い歴史を有する芸能の一つ。1998年に市の無形文化財に指定された。虎舞のルーツとされる国性爺合戦の和藤内の虎退治の場面を演じ、多くの手踊りがあるのが特徴。虎の勢いのよいしぐさを表現した勇壮な舞と、テンポの速いおはやしも持ち味となっている。
 
 「おはやし、耳になじんでいる」「懐かしいね」「こんなに人が集まるのは久しぶり。ウキウキする」「覇気もらった」「虎舞がないなんて…考えられない」。民俗芸能が人、地域をつなぎ、住まう人たちに伝統を大切にする思いが根付く。
 
ベテランメンバーの歌声が舞い手を盛り立てる

ベテランメンバーの歌声が舞い手を盛り立てる

 
虎舞、再会を待ちわびた住民らには笑顔が広がった

虎舞、再会を待ちわびた住民らには笑顔が広がった

 
 そんな虎舞も近年、思うような活動ができない状況が重なった。片岸地区は2011年の東日本大震災で被災。虎頭や太鼓、踊り道具も津波で失ったが、全国からの支援でそろい、翌年に復活。その後は10月の同神社例大祭で舞を奉納、門打ちを行ってきた。
 
 19年、釜石も会場となったラグビーワールドカップ(W杯)日本大会では2試合目が台風災害の影響で中止されたが、同じように祭り時期を迎えていた虎舞もお披露目が取りやめとなった。以降、コロナ禍で制約の多い生活が続いた上、保存会メンバーの高齢化、踊り手となる子どもの減少などもあり、祭り神事での奉納だけとなった。門打ちはせず、郷土芸能が一堂に会す催しへの出演も控えていたため、住民の多くは目にする機会が減った。
 
 震災後、住民が散り散りになった同地区では再建が進んだものの、地区外に居を移した人も少なくない。保存会のメンバーも然り。そんな中、地区内に住む保存会メンバーの耳に「虎舞が見たい。おはやしが聞きたい。今年はどうするの、踊らないの?」などと声が届くようになっていたという。
 
 伝統継承-。思いを持ち続けていた保存会事務局の柏﨑洋也さん(41)が中心となって仲間に声掛けし、「伝え続けるため、やれることをやろう」と決めた。今年は11日が同神社例大祭で、前日の宵宮祭で虎舞を奉納。平日だったこともあり門打ちは行わず、週末の日曜日に披露する形にした。
 
つなぐ誇りを胸に虎舞、手踊りを披露する保存会のメンバー

つなぐ誇りを胸に虎舞、手踊りを披露する保存会のメンバー

 
 当初、40代メンバー8人ほどの予定だったが、本番には「やりたい」という子どもや地区外からも仲間が集った。見る側の住民も同じで、久しぶりの再会を楽しむ姿もあった。洋也さんは「地域の人たちが喜んでくれたのが一番。集いの場を作るいい機会にもなった」とうれしそうに目を細めた。
 
 地元の新屋碧さん(鵜住居小6年)は5年前に練習に参加したものの祭りが中止となり、「どうしても踊りたい」と、友達の三浦琉生さん(同)を誘って参加した。数回の練習だったことから緊張したというが、保存会メンバーの教え方や雰囲気が心地よく、「楽しかった」と満足げ。来年は中学生となり、部活などで忙しくなるが、「地域にこういう伝統があるのを誇りに思う。残していきたいから続けたい」と受け止めた。
 
ベテラン、若手、子ども、OBも加わり伝統芸をつなぐ

ベテラン、若手、子ども、OBも加わり伝統芸をつなぐ

 
息の合った演舞とおはやしに住民らが拍手を送った

息の合った演舞とおはやしに住民らが拍手を送った

 
 片岸の虎頭は市内でも数少ない木彫り。がれきの中から見つかった1つは修復し大切に保管する。支援で2つが新調された。かつてはケヤキが使われていたが、今回は桐の木を使い軽量化。それでもズシリとした重さは舞い手たちに残る。洋也さんも久々の感触に「年齢を感じる」というが、表情には充実感がにじむ。
 
 かつてメンバーだった70代男性のもとに現役メンバーが歩み寄り、「どうだ?」と虎頭を手渡す場面も。男性は「軽いと思って踊っていたけど、重いなー。昔を思い出す。片岸に住んでいたら、やっぱりやらなきゃ。虎舞が死んだら、地域も死ぬ」と目頭を熱くする。そして、しみじみと…「最高だ」。足腰が弱くなったというが、「来年は踊っているかも、そんな力をもらった。ありがてぇ」と笑顔も光らせた。
 
虎舞がつなぐ世代間交流。笑顔がまぶしい

虎舞がつなぐ世代間交流。笑顔がまぶしい

 
大人の演舞に感化されてウズウズ。子ども虎舞も躍動

大人の演舞に感化されてウズウズ。子ども虎舞も躍動

 
 若い世代につなぐステップに―。保存会では「来年は門打ちを」と気持ちを一つにする。そして、今回披露できなかった演目・和藤内の復活も目指す構え。片岸虎舞の見どころの一つで、子どもの舞い手が欠かせない。洋也さんは「今回、思いのほか子どもたちが参加してくれた。その意気込みを大事にしたい」と話した。
 
伝統芸が地域を彩る景色…来年もまた見られますように

伝統芸が地域を彩る景色…来年もまた見られますように

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園児たち「火の用心」 防火パレードで啓発 秋の火災予防運動、一足早く釜石市民に

「火の用心」と呼びかけたかまいしこども園の園児たち

「火の用心」と呼びかけたかまいしこども園の園児たち

 
 来月の秋季全国火災予防運動週間にちなみ、釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児88人)は11日、防火パレードを行った。4~5歳児約30人が「戸締り用心、火の用心」と大きな声で歌いながら市街地を行進。道行く人に啓発物を渡して注意を促した。
 
 同園児でつくる幼年消防クラブの活動の一環。例年は釜石消防署に出向いて放水体験などに取り組んできたが、地域の防火意識の向上に一役買おうと初めてパレードを企画した。
 
 そろいの消防はんてんを着た子どもたちは、園舎前に整列。藤原園長は「だんだん寒くなって、火を使う季節になった。『使う時は気をつけて』と地域に元気に呼びかけようね」と激励した。
 
園舎の前で出発式。気合を入れる子どもたち

園舎の前で出発式。気合を入れる子どもたち

 
 釜石署の小林太署長がパレードを先導した。住宅街や目抜き通りを進むと、歌声に誘われ建物から出てくる住民も。子どもらは「火の用心」と記した紙を添えた風船をプレゼントした。
 
「火の用心」と伝える園児らを小林太署長が引っ張る

「火の用心」と伝える園児らを小林太署長が引っ張る

 
地域住民に風船を手渡して「火の用心」を呼びかけ

地域住民に風船を手渡して「火の用心」を呼びかけ

 
 大町広場で、防火の集い。市民らが見守る中で、園児らは「火遊びはしません。火のそばで遊びません」などと誓った後、防火の心構えを伝える歌を元気いっぱい歌った。小林署長は「地域の人に火の用心の心が伝わったはず」と協力に感謝した。
 
大町広場で地域の人たちに防火の誓いを伝える子どもら

大町広場で地域の人たちに防火の誓いを伝える子どもら

 
とじまりよ~じん、ひのよ~じん♪元気に歌った

とじまりよ~じん、ひのよ~じん♪元気に歌った

 
 釜石署によると、市内で今年発生した火災はこれまで5件。前年同時期と比較すると少ないという。原因として多いのは“不注意”で、「火の取り扱いに注意を徹底してほしい。使ったら離れない」と呼びかける。
 
パレードで風船を掲げてアピール「お願い!火の用心」

パレードで風船を掲げてアピール「お願い!火の用心」

 
 同運動は、11月9日から15日まで展開される。暖房器具など火器の使用が増え、空気の乾燥や強風により火災が発生しやすい時季を迎えることから、火災予防意識の高揚が目的。釜石署管内では期間中、市消防団や婦人消防協力隊による広報活動、道の駅などでの啓発活動を予定する。年間を通して行う保育施設での防災教室や事業所の立ち入り火防点検・消防訓練は継続する。

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「餅鉄で鉄瓶を作ろう」第2弾 れんが積みの炉で木炭熱し製鉄成功 鉄のまち釜石で市民ら奮闘

炉から流れ出るノロ(不純物)に興味津々の参加者=「餅鉄で鉄瓶を作ろう」第2弾

炉から流れ出るノロ(不純物)に興味津々の参加者=「餅鉄で鉄瓶を作ろう」第2弾

 
 “近代製鉄発祥の地”釜石市で行われている餅鉄から鉄瓶を作るプロジェクトが第2段階を迎えた。5月に橋野町の河川で採集した餅鉄を使い、手作りの炉で製鉄する作業が9月29日、10月6日の両日、甲子町大橋の旧釜石鉱山事務所前で行われた。参加した市民らは、日本古来のたたら方式の製鉄を体験。複数の工程を経て生まれる鉄に興味をそそられながら見入った。12月には盛岡市で鉄瓶ワークショップが予定される。
 
 製鉄のための炉はコンクリートブロックを基盤に、耐火れんが約100個を組み上げて作る。底にはこねた耐火モルタルを敷き詰め、側面には高さを変えた2カ所に鉄パイプの送風口を取り付け。低部の送風口は後にノロ(不純物)出しにも使われる。加熱中に炉の中を見られるのぞき口も取り付けた。れんがの上部には鉄製の煙突を重ねる。約3時間で3基の炉を完成させた。1日目は採集した石状の餅鉄を約1時間半加熱し、ハンマーで細かく砕く作業も行われた。
 
9月29日の作業。耐火れんがを積み、3基の炉を設置した

9月29日の作業。耐火れんがを積み、3基の炉を設置した

 
木炭を燃やして約800度で餅鉄を加熱。ハンマーで細かく砕いた(原料の下準備)

木炭を燃やして約800度で餅鉄を加熱。ハンマーで細かく砕いた(原料の下準備)

 
 1週間後、いよいよ鉄づくりが始まった。午前9時、各炉に燃料となる木炭20キロを入れて1時間加熱。その後、餅鉄1キロ、木炭2キロ、石灰100グラムの割合で、材料を10分おきに投入していく。風を送りながら加熱を続け、午前10時40分ごろには炉の下部で約1000度に達した。炉内の温度は炎の色で判別できるという。途中で送風口を切り替えると、中の炎の色が変わった。炉内の温度は最終的に約1300度にまで達した。
 
風を送りながら加熱中の炉。煙突口には投入した木炭が見える=10月6日午前10時半ごろ

風を送りながら加熱中の炉。煙突口には投入した木炭が見える=10月6日午前10時半ごろ

 
午前10時から10分おきに材料を投入。左は木炭、右上は石灰をまぶした餅鉄

午前10時から10分おきに材料を投入。左は木炭、右上は石灰をまぶした餅鉄

 
鉄パイプののぞき口から炉の中の様子を撮影する参加者。炎の色の変化などを確認できる

鉄パイプののぞき口から炉の中の様子を撮影する参加者。炎の色の変化などを確認できる

 
 材料の投入から約1時間10分後、各炉でノロ出し。送風口のパイプをはずし、中をつつくとオレンジ色の粘りのある液体が流れ出た。ノロの主な成分はケイ素、シリカ、硫黄。砂の上にたまったノロは外気に冷やされて固まった。水に入れて冷やした後、ノロのかけらをハンマーでたたいてみると簡単に割れた。鉄の場合は割れずに延びるという。
 
ノロ出しは2回。写真上段は2回目の様子。勢いよく流れ出る光景に「マグマだー!」と子ども

ノロ出しは2回。写真上段は2回目の様子。勢いよく流れ出る光景に「マグマだー!」と子ども

 
 昼食をはさみ午後1時ごろ、2回目のノロ出し。その後、煙突をはずして約30分蒸らした。参加者は炉の近くでその熱さを実感。作業員の大変さも知った。炉を解体すると、姿を現したのは「ケラ」と呼ばれる鉄塊。割ったものに磁石を近づけ、くっついたものを袋に集めた。最終的に、種焼きした餅鉄20キロから6.5キロの鉄が取れた。
 
煙突を取り除き炉を解体。耐火れんがを一つ一つはずしていく。高温になったれんがに水をかけると真っ白い水蒸気が上がった

煙突を取り除き炉を解体。耐火れんがを一つ一つはずしていく。高温になったれんがに水をかけると真っ白い水蒸気が上がった

 
炉底には「ケラ」(写真右上)と呼ばれる鉄の塊ができていた

炉底には「ケラ」(写真右上)と呼ばれる鉄の塊ができていた

 
ハンマーで叩いて割れないものが鉄。磁石にくっつくかも判断基準

ハンマーで叩いて割れないものが鉄。磁石にくっつくかも判断基準

 
「磁石についたよ」。餅鉄由来の鉄の出来上がり!

「磁石についたよ」。餅鉄由来の鉄の出来上がり!

 
 同市の小学生藤井啓輔さん(10)は両親と参加。炭にまみれながらも懸命に作業し、「材料を火で燃やしたり、できた鉄を磁石で集めたりするのが面白かった。意外と楽しい」とにっこり。「煙突で炭が燃えているところやオレンジ色の(ノロ)が出たのが印象的だった」と話し、「昔の人は大変そう」と思いをはせた。父祐一さん(53)は「“鉄のまち”ならではの体験。息子はものづくりにも興味があるよう。いろいろな経験をして将来の選択にもつなげてほしい」と願った。
 
 炉作りから参加した市内の男性(70)は「釜石で生まれ育ったが、鉄づくりの工程は全然知らなかったので、いい学びの機会になった。たたらと近代製鉄の違いも分かり、大島高任が洋式高炉で連続出銑に成功したことはすごいことだったんだと改めて実感した」と貴重な経験を心に刻んだ。
 
 同プロジェクトは滝沢市の南部鉄瓶職人田山和康さん(74)=田山鐵瓶工房代表=の提案で始まった。田山さんは以前、釜石産餅鉄からつくられた鉄で鉄瓶を製作した経験がある。今回は5月の餅鉄採集から加わり、釜石市民とともに鉄づくりに挑戦。盛岡たたら研究会代表でもある田山さんは、今回準備した3基の炉のうち1基に炭を埋め込んで、保温性を高める実験も行った。
 
鉄瓶職人の田山和康さんも各種作業に夢中。鉄瓶作りを楽しみにする

鉄瓶職人の田山和康さんも各種作業に夢中。鉄瓶作りを楽しみにする

 
 田山さんによると、今回のように小型炉で木炭を燃料につくった鉄は純度を高められる利点があるが、鋳物にする場合は合金でないと鋳型にうまく流すことができないという。できた鉄はこの後、県工業技術センターで分析してもらい、炭素量などの成分調整をして流れやすくする。田山さんの手によってどんな鉄瓶が生まれるのか、参加者は楽しみにする。
 
餅鉄からできた6.5キロの鉄を前に笑顔を輝かせる参加者

餅鉄からできた6.5キロの鉄を前に笑顔を輝かせる参加者

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震災伝承に三陸道活用を 釜石で地域活性化フォーラム 女性目線で提案「魅力の新形」

震災伝承と三陸道の活用を考える地域活性化フォーラム

震災伝承と三陸道の活用を考える地域活性化フォーラム

 
 東日本大震災の伝承施設と被災地を縦貫する三陸沿岸道路を活用した交流人口の創出を考える地域活性化フォーラムが2日、岩手県釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。一般財団法人「3.11伝承ロード推進機構」(宮城県仙台市、今村文彦代表理事)が主催し、「三陸の新しい魅力」をテーマに講演やパネル討論を展開。行政や観光、建設などの業界関係者ら約80人が耳を傾けた。
 
 東北大学災害科学国際研究所の奥村誠教授(地域・交通・土木計画学専門)が「未来に役立つ災害伝承のための三陸沿岸道路の役割」と題して基調講演。三陸道(青森県八戸市-宮城・仙台、全長359キロ)の全線開通による移動時間の変化や来訪者数の推移に関するデータを示し、「無料区間が延伸され、時間の短縮と交通費用の低下が実現したが、岩手県外からの来訪者に関して顕著な増加は見られない」と指摘した。
 
三陸道の役割についてデータを示しながら解説する奥村誠教授

三陸道の役割についてデータを示しながら解説する奥村誠教授

 
 そのうえで、「量より質を目指しましょう」と呼びかけ。質の向上につながるヒントに―と滞在時間の変化に関するデータも紹介し、「県外からの来訪者は帰りの駅や空港までの時間が読めると、滞在可能な時間がのびる。そうして生まれた時間で地域との交流が生まれ、その人にあった満足が提供できるようになる」とした。
 
 震災伝承のあり方について「多くの人に安く提供するのではなく、少数でも深い学びを提供することが重要」と強調。時間の確保という点で、「三陸道など復興支援道路が持つ、時間的な信頼性が役立つ」と見解を示した。
 
 パネル討論のテーマは「女性が語る三陸の新しい魅力」。石巻専修大の庄子真岐教授が進行役を務め、パネリスト4人で展開された。
 
「女性が語る三陸の新しい魅力」をテーマにしたパネル討論

「女性が語る三陸の新しい魅力」をテーマにしたパネル討論

 
新しい三陸の魅力発信について意見を交わすパネリスト

新しい三陸の魅力発信について意見を交わすパネリスト

 
 釜石・鵜住居町のいのちをつなぐ未来館スタッフの川崎杏樹さんは、学校などの教育旅行や企業のワーケーション研修の実績を紹介。「コロナ禍で落ち込んだが、現在は上昇傾向にあり、釜石式の防災にニーズがある」と感じる一方で、「防災だけを売りにすると飽きられる」とキッパリ。ラグビーやインフラ、産業など多様な要素と組み合わせたプログラムの提供を始めており、「さまざまな面から防災を考えられるよう入り口を広げ、リピーター獲得につなげたい」と展望した。
 
 同じく鵜住居にある旅館・宝来館おかみの岩崎昭子さんは地域にあるものをつなげたり、団体が手を取り合って共に盛り上げる視点の必要性を熱弁。「災害の形は違っても三陸の経験や学びは生かせるはず。世界遺産や歴史、海、環境などに関わる各主体がアイデアや知恵を出し合って魅力ある釜石を発信すべき」と力説した。
 
釜石から岩崎昭子さん(左の写真)と川崎杏樹さんが加わった

釜石から岩崎昭子さん(左の写真)と川崎杏樹さんが加わった

 
 伝承ロードは、震災被災地にある遺構や石碑、慰霊碑、伝承施設をネットワーク化したもので、訪れた人が効果的に教訓や防災などを学べる仕組みを構築する。同機構は、国土計画協会の支援を受け、新たな交流人口を創出する未来志向の地域活性化事業を実施中。今年9月には、政府が新設した「NIPPON防災資産」に選ばれた。
 
震災伝承に三陸沿岸道路の活用を=大船渡市三陸町付近

震災伝承に三陸沿岸道路の活用を=大船渡市三陸町付近

 
 アドバイザーとして討論に加わった同機構の原田吉信業務執行理事は、道路整備により内陸との横の連携だけでなく、三陸道で結ばれた縦の連携も考える必要性を指摘。伝承施設を拠点に観光面でも活用していくことで、「三陸地域の良さや魅力の発信につながる。求められているのは、『今だけ、ここだけ、あなただけ』というプログラム。地域内外で協力して作っていければ、人を呼び込む強みになる」と締めくくった。

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まちに時告げるメロディー…釜石市民歌 85歳女性、市役所で熱唱「人生の応援歌」感謝込め

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釜石市役所の前で市民歌を歌った若山節子さん

 
 釜石市内で毎日朝と昼、そして夕方の3回、防災行政無線から流れてくるメロディー...その曲は「釜石市民歌」。時を告げる「愛の鐘」(通称)として親しまれ、市民に耳なじみはあるが、「歌詞を知っているか」「歌えるか」といったら首をかしげる人も少なくないのではないか。そんな市民歌に励まされ、生きる力をもらってきた女性がいる。「市民歌、ありがとう」。そう何度も繰り返す、その人は長年、ある願いを持ち続けていた。「市役所前で歌いたい」。1日、多くの人に支えられ、その希望をかなえた。
 
 釜石市民歌は1937(昭和12)年の市制施行を記念して作られた。作詞は広瀬喜志、作曲は「長崎の鐘」「六甲おろし」「栄冠は君に輝く」などで知られる古関裕而が担当。鉄の都や港など、当時の市の産業を象徴する言葉が多く盛り込まれている。郷土の歴史を表す市民歌を受け継ぎ、郷土愛を深めてもらおうと、95(平成7)年、大町に石碑を設置。2005(同17)年からチャイムとして防災無線で市内全域に放送している。
 
 市民歌は私の応援歌-。そう話すのは、特別養護老人ホーム仙人の里(同市甲子町)に入所する若山節子さん(85)だ。1日、市役所本庁舎の玄関前。施設の職員が寄り添う中で、小野共市長や市職員らと共に5番まで熱唱し、「一緒に歌えて幸せ」と穏やかに笑った。
 
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右手には握りこぶし。自身を鼓舞するように歌う若山さん

 
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市職員らも若山さんと向き合って歌声を重ねた

 
 若山さんは中妻町出身で、4人きょうだいの一番上。幼少期に戦争で父を亡くし、母を助け家族を養うため、中学卒業後に上京して働いた。知り合いがおらず、慣れない土地での生活は孤独で寂しさが募り、仕事や人間関係にも悩み、「死にたい」と何度も思ったという。
 
 そんな時は多摩川の河川敷などで市民歌を思い出し、歌って自分を元気づけた。「ひとり寂しくとも、帰りたくても、帰れなかった。歌にどれだけ励まされたか…人生の応援歌です」。市民歌は生きる支えだった。
 
 結婚したが、夫は早世。静岡県・熱海のホテルで長く働いた。6年前、神奈川県内で交通事故に遭い、左足を骨折。手術した3日後には脳梗塞となり、左半身が不自由になった。車椅子生活となり、4年前に妹の釜澤典子さん(83)が暮らす釜石に帰郷。同施設を短期利用し、今年1月から長期に切り替えて生活する。
 
 幾度もつらい思いをしたが、その都度、市民歌を歌って困難を乗り越えてきた若山さん。施設でも毎日歌っていて、2年前からは何度も「感謝の気持ちを込めて、市役所の前で歌いたい」と職員に伝えていた。いつも一緒に歌っていた千葉敬施設長(64)らが、9月に開いた施設の敬老会に参加した市の保健福祉部長に相談。熱意を市が受け止め、実現した。
 
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小野共市長(右)や千葉敬施設長(左)らも声を合わせた

 
 ♪おおこの命 釜石市~。2番の歌詞の最後のフレーズが若山さんのお気に入り。この日も感極まった様子で、胸に手を当てリズムをとりながら一言一言大切そうに声にした。一番元気が出る言葉であり、必ず涙が出る言葉でもあるという。
 
 希望をかなえた若山さんに「これから先は?」と聞いてみると…。「景気のいい時、戦争も見てきたけど、釜石は素晴らしいまち。自然の中でおいしいものを食べて、元気に楽しく過ごしたい。釜石市民歌、ありがとう。何十年も長生きできそう」と首をかしげてほほ笑んだ。
 
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願いをかなえて元気いっぱいの若山さんと妹の釜澤典子さん(奥)

 
 そばで見守った釜澤さんは「責任感が強く、私たちのために苦労してくれた。願いをかなえてもらい、ありがたい。周りの人たちに本当に良くしてもらった」と目頭を押さえた。小野市長は「市民歌が生きる希望になっていたと聞き、市長としてこれほどうれしい話はない。誇らしい」と感激していた。
 
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大町の目抜き通り、青葉通りに近い歩道の一角に釜石市民歌の石碑がある

 
 今回の市民歌熱唱には「多くの市民に歌ってもらうきっかけに」との思いもあるようだ。市職員に「歌えますか?」と聞いてみると、「1番なら」と答えが返ってきた。記者の私は……改めて歌詞を確かめようと、石碑を見に行ってみた。制作された当時のまちの様子を表す言葉の多くは、今の釜石が目指す姿にも重なる気がした。
 
 ♪仰げ颯爽(さっそう) 三陸の…。防災無線から流れるそのメロディーが聞こえたら、歌詞を口ずさんでみたい。「とりあえず1番は歌えるように」

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絵巻の場所に「長屋跡」2棟確認 中には銑鉄精練の鍛冶炉 本年度の橋野高炉跡発掘調査で

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国史跡(1957年指定)となっている橋野高炉跡の発掘調査現地説明会

 
 釜石市の世界遺産「橋野鉄鉱山」の高炉場跡で進められる発掘調査の本年度の成果が9月28日、一般に公開された。2018年から10年計画で実施する「橋野高炉跡範囲内容確認調査」の一環。昨年度に続き、三番高炉の西側、長屋があったとされる場所で発掘調査が行われ、江戸時代末期(1861~63年ごろ)の高炉稼働時に描かれた絵巻とほぼ同地点に長屋建物2棟の遺構を確認。建物敷地内では、高炉で作られた銑鉄を精錬し純度を高めるための鍛冶炉の跡が見つかった。
 
 本年度の発掘調査は7月29日から開始。成果を公開する現地説明会には午前と午後の2回に計26人が参加し、市世界遺産室の髙橋岳主査から説明を聞いた。発掘調査が行われたのは、長屋想定地の3つのエリア。昨年度、試掘した最も南側(大門側)のエリアは範囲を広げて調査した。
 
昨年度の試掘調査で長屋建物跡が確認された最も南側のエリア

昨年度の試掘調査で長屋建物跡が確認された最も南側のエリア

 
 その結果、昨年度見つかっていた鍛冶炉のさらに南側に新たな鍛冶炉を検出。粘土に囲われ、中には炭が見られる。炉の構造は1899(明治32)年に東大の研究者が現住田町の錬鉄工場で聞き取りし、図面に描いたものと同じ。周辺からは炉に風を送るフイゴの羽口片や鍛冶滓、れんがが出土している。これにより、高炉でできた銑鉄をそのまま出荷するほか、鍛冶炉で錬鉄にして品質を高めた形で出荷していたことが確実となった。今回発見された鍛冶炉の外側に新たな柱穴も見つかった。鍛冶炉を設置するために建物を増築した可能性があり、約24.5坪の建物敷地を検出した。
 
昨年度の試掘調査で見つかった鍛冶炉(赤丸)の南側で新たな鍛冶炉(黄丸)を検出。粘土製の炉の中に黒い炭が見られる

昨年度の試掘調査で見つかった鍛冶炉(赤丸)の南側で新たな鍛冶炉(黄丸)を検出。粘土製の炉の中に黒い炭が見られる

 
れんがが並ぶ地点の脇の土坑(黄丸)からは鍛冶用フイゴの羽口(白丸)が完形で見つかった

れんがが並ぶ地点の脇の土坑(黄丸)からは鍛冶用フイゴの羽口(白丸)が完形で見つかった

 
 他の2エリアは試掘調査を実施。柱穴が見られる長屋建物跡1棟を確認した。約15坪を検出し、鍛冶炉とみられる跡も見つかった。1892(明治25)、94(同27)年の橋野鉄鉱山の建物記録には15坪の長屋が記録されている。遺物は鉄銭が多く出土した。北側の試掘箇所では道状遺構を検出した。
 
今回の試掘調査で柱穴が見られ、長屋建物跡と確認されたエリア

今回の試掘調査で柱穴が見られ、長屋建物跡と確認されたエリア

 
 この他、三番高炉の補足調査も行われた。高炉絵巻に描かれる三番高炉(改修前の仮高炉)は水車場とフイゴ座が、これまでの発掘調査で確認された位置と異なることから、「仮高炉は現在、石組みが残る高炉より北側にあったのでは」と推測し掘削したが、今回の調査ではその痕跡は確認できなかった。
 
仮高炉の位置を確認するため、三番高炉の北側を掘削したが、痕跡は確認できなかった

仮高炉の位置を確認するため、三番高炉の北側を掘削したが、痕跡は確認できなかった

 
 今回の調査で見つかった錬鉄にするための精錬用の鍛冶炉は、炭が残り内部構造が分かる形で検出されており、同所で行われていた作業を証明する貴重な証拠となった。市世界遺産室の髙橋主査は「高炉絵巻に描かれている三番高炉西側の長屋3棟のうち、2棟を確認できた。錬鉄製造用の鍛冶炉が見つかったことも大きな成果。絵巻の通り、長屋がもう1棟あるのか、さらに調査を進めたい」と話した。
 
 本年度の発掘調査は11月上旬までを予定。出土したフイゴの羽口片や鍛冶滓、鉄銭、陶磁器片などの遺物は橋野鉄鉱山インフォメーションセンターで12月8日まで展示されている。
 
橋野鉄鉱山インフォメーションセンターでは出土品を展示中(12月8日まで)

橋野鉄鉱山インフォメーションセンターでは出土品を展示中(12月8日まで)

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能登半島地震被災者のために… 13年前被災の釜石の飲食店 義援金託す 9月大雨災害にも心痛

かまいし親富幸通り飲食店会が能登半島地震災害義援金を寄付=9月26日

かまいし親富幸通り飲食店会が能登半島地震災害義援金を寄付=9月26日

 
 釜石市大町1丁目のかまいし親富幸通り飲食店会(久保秀俊会長、38店)は、1月に発生した能登半島地震の被災者のために役立ててほしいと、加盟店で募金活動を行ってきた。寄せられた義援金を日本赤十字社(日赤)に送るため、9月26日、久保会長ら役員3人が市役所を訪れた。
 
 加盟36店舗が空きペットボトルで手作りした募金箱を店内に置き、3月から8月までの6カ月間、来店者に協力を呼び掛けた。集まった義援金は計22万1896円。久保会長、鈴木葉子副会長、田中裕也理事が市役所を訪れ、日赤岩手県支部釜石市地区長を務める小野共市長に託した。
 
久保秀俊会長が義援金の目録を贈呈

久保秀俊会長が義援金の目録を贈呈

 
 同通りは市中心市街地にあり、約70メートルの区間に居酒屋、スナック、バー、焼き肉店などが軒を連ねる。大町1丁目界隈(かいわい)は2011年3月の東日本大震災で津波に襲われ、約8割の飲食店が被災。営業再開店舗が増えてきた16年7月、それまでの通称「親不幸通り」を「親富幸通り」に改称し、飲食店会(29店加盟)が組織された。被災の痛みを知る店主らは、16年4月の熊本地震の被災者や今なお戦禍にあるウクライナの人たちにも思いを寄せ、これまでにも募金活動を展開してきた。
 
 久保会長は能登半島地震被害について「東日本大震災を思い起こすような状況。私たちも当時は多くの支援をいただき助けられた。少しでも力になれればと、今回も募金活動を決めた」と経緯を説明。コロナ禍で減った客足がなかなか戻らない中ではあったが、各店で多くの協力があり、店主らの気持ちも添えて今回の寄付に至った。鈴木副会長は「市内はもちろん、外から来た人も協力してくれた。お客様が募金箱に気付いて、自らお金を入れてくれることもあった」と感謝。3人は5日前に発生した豪雨災害にも心を痛め、被災者の心情を思いやった。
 
募金活動について報告する(左から)久保会長、鈴木葉子副会長、田中裕也理事

募金活動について報告する(左から)久保会長、鈴木葉子副会長、田中裕也理事

 
小野共市長(左)が能登半島支援への協力に感謝

小野共市長(左)が能登半島支援への協力に感謝

 
 小野市長は「(9月)21日の線状降水帯による大雨被害で、能登半島はさらに厳しい状況にある。皆さんから預かった義援金を大切に届けさせていただきたい」と話した。
義援金は日赤を通じて同地震の被災4県に配分される。
 
 市は9月21日の石川県北部の豪雨災害を受け、「能登半島大雨災害義援金」の受け付けを始めた。募金箱は市内各地区生活応援センター、市民課(市役所第1庁舎1階)、地域福祉課(保健福祉センター2階)に設置している。受付時間は午前8時半から午後5時15分まで。募金は日赤を通じて被災者の生活支援に役立てられる。

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絆を次世代に 姉妹都市提携30周年 ディーニュ市(仏)から釜石へ友好の代表団

触れ合いを楽しんだディーニュ・レ・バン市の代表団と釜石市民=9月23日

触れ合いを楽しんだディーニュ・レ・バン市の代表団と釜石市民=9月23日

 
 アンモナイトの化石が縁となり、釜石市とフランスのディーニュ・レ・バン市は1994年に姉妹都市の提携を結び、30周年を迎えた。これを記念し、9月21日から24日までディーニュ市の代表団が釜石市を訪問。さまざまな交流活動を重ねた。両市の友好を一層深めるべく共同宣言にも署名。「絆を次世代に継ぐ」との思いを共有した。
 
 一行はパトリシア・グラネ市長、ベルナール・テシエ市議ら関係者8人。初日は、釜石港周辺を視察した後、市役所で小野共市長らと懇談した。来訪を歓迎する小野市長は「30年の友情を今後も強いものにしたい」と希望。同席した高橋勝教育長も「未来をつくる子どもたちが絆をつないでいってほしい」と期待を込めた。
 
 グラネ市長は「つらい時も楽しい時も支え合う関係をつくっていきたい」と応じた。今回の訪問は文化的な交流のほか、機能的な役割を確認しながら関係性を強化するのが目標。中でも、「われわれの地域には世界初のジオパークがある」と強調し、「三陸ジオパークの世界的な認知に向け、経験を提供しサポートしたい」と約束した。
 
市役所で懇談する釜石市とディーニュ市の関係者=21日

市役所で懇談する釜石市とディーニュ市の関係者=21日

 
 大町のホテルクラウンヒルズ釜石に移動し、記念式典に臨んだ。市内で活動する女声合唱団「アンサンブル ル シエル」が両国の国家を斉唱。30年の交流を振り返る動画が上映され、ナレーションを担当した大井暖乃(のの)さん、加藤祢音(ねね)さん(ともに釜石高2年)が歓迎の言葉を伝えた。
 
 先人が長きにわたり紡いできた姉妹都市の交流を次世代へ引き継ぎ、さらなる相互理解と友好を深め、両国の親善に寄与していく―。そう記された共同宣言に両市長が署名した。
 
共同宣言に署名した小野共市長(右)とパトリシア・グラネ市長

共同宣言に署名した小野共市長(右)とパトリシア・グラネ市長

 
記念式典には約80人が集い、国歌斉唱や動画上映などが行われた

記念式典には約80人が集い、国歌斉唱や動画上映などが行われた

 
 両市の交流は、1992年に釜石で開催された「三陸・海の博覧会」で、ディーニュ市にある「アンモナイトの壁」の剥離標本を展示したのがきっかけ。鉄の歴史館での保存が決まり、94年4月に姉妹都市提携を結んだ。
 
 交流が一時停滞した時期もあったが、2011年の東日本大震災以降、ディーニュ市は物心両面から釜石復興の道のりを応援。官民での相互訪問を重ねてきた。22年にディーニュ市で栽培が盛んなラベンダーの種を譲り受け、育てた苗で釜石の街を彩る取り組みが進行。23年にはディーニュ市を中心に初開催されたアマチュアラグビー世界大会に岩手・釜石から特設チームを派遣するなど、関係が発展している。
 
震災の事実に耳を傾け、犠牲者を悼んで白菊を手向けた=9月22日

震災の事実に耳を傾け、犠牲者を悼んで白菊を手向けた=9月22日

 
 22日は、鵜住居町の震災追悼施設祈りのパークで犠牲者を悼み、黙とうと献花をした後、伝承施設いのちをつなぐ未来館を見学。釜石鵜住居復興スタジアムでのイベントに足を運び、祝い餅を来場者に手渡したり、いわて釜石ラグビーフットボールクラブと流通経済大ラグビー部の交流試合を観戦した。
 
笑顔を添えて祝い餅を手渡すディーニュ市の関係者(左)

笑顔を添えて祝い餅を手渡すディーニュ市の関係者(左)

 
うのスタで写真に納まる釜石市とディーニュ市の関係者

うのスタで写真に納まる釜石市とディーニュ市の関係者

 
 姉妹都市交流のきっかけとなった剥離標本が展示されている大平町の鉄の歴史館も見て回った。32年前の博覧会開催時に、標本を持ち込んだ地質学者のジャン・シモン・パジェスさん(オート・プロバンス ユネスコ世界ジオパーク関係者)は感動の再会。対応した市世界遺産室の森一欽室長らに当時の準備作業の大変さなどを伝えた。
 
鉄の歴史館にある「アンモナイトの壁」の剥離標本に再会⁉喜ぶディーニュ市のジオパーク関係者

鉄の歴史館にある「アンモナイトの壁」の剥離標本に再会⁉喜ぶディーニュ市のジオパーク関係者

 
「この標本に化石はいくつある?」とジャン・シモン・パジェスさん(右下写真)

「この標本に化石はいくつある?」とジャン・シモン・パジェスさん(右下写真)

 
 「この標本には3種類の化石がある。分かる?」。パジェスさんが問いかける場面も。アンモナイトとオウムガイは分かりやすいが、“イカの骨”がどこかにあるといい、釜石側の関係者は「新しい視点になる」と、うれしい発見を喜んだ。
 
 同館駐車場の一角には「ディーニュ・レ・バン市の丘」と名付けられた植え込みがある。30年前、両国にちなみサクラとマロニエ各1本が植えられており、その場所に今回、コブシの苗木1本を記念植樹。加えて、ラベンダーの苗12本も植え付けた。
 
鉄の歴史館駐車場の一角にある「ディーニュ・レ・バン市の丘」

鉄の歴史館駐車場の一角にある「ディーニュ・レ・バン市の丘」

 
交流継続を願い植樹するディーニュ市の代表団と釜石の子どもたち

交流継続を願い植樹するディーニュ市の代表団と釜石の子どもたち

 
 コブシの花言葉は「信頼」「友愛」などで、両市のつながり進展を願う。植樹には、次世代を担う小学生6人が参加。小山琉世さん(白山小5年)はその願いを受け止め、「僕たちが架け橋になって、つながりを盛り上げていきたい」と背筋を伸ばした。
 
 23日は、鵜住居町根浜で震災の講話、海浜植物ハマナスの再生活動に参加した。観光施設根浜シーサイドのレストハウスで昼食。郷土料理の研究、継承に取り組む女性たちが作った料理を味わいながら談笑した。
 
海と山の味覚をふんだんに使った料理を楽しむ昼食会=9月23日

海と山の味覚をふんだんに使った料理を楽しむ昼食会=9月23日

 
 朝どりしたホタテの炭火焼き、地元特産のクッキングトマト「すずこま」のはちみつ漬け、海藻のテングサを使った自家製ところてん、新鮮野菜たっぷりのすいとん汁…。“普通の家庭料理”を提供した前川良子さん(72)は「国は違っても古里は大事。食を通じて手を取り合う、気持ちの交流ができたと思う。言葉は分からずとも、心遣いを感じてもらえたらいい」とほほ笑んだ。
 
 三陸ジオパークの見どころの一つとなるジオサイト・釜石鉱山(甲子町大橋)の坑道見学に夢中になったという一行。旧釜石鉱山事務所にも立ち寄り、昭和時代を再現したレトロな室内とアナログな道具、展示室「Teson(てっさん)」にあるナウマンが作製した東北地方の地質図(予察地質図東北部)や鉱山で採取された鉱物に関心を示した。
 
三陸ジオパークの魅力に触れた代表団。認知度アップのサポートに期待

三陸ジオパークの魅力に触れた代表団。認知度アップのサポートに期待

 
 パジェスさんは「三陸地域には魅力的な点があると確信している。オート・プロバンスの経験を生かしたアドバイスでサポートしたい」と協力を惜しまない姿勢。両市の関係について、「地質という古い歴史から始まった交流がまた地質に戻り、新しい絆を深めるきっかけになるのでは」と期待を高めた。
 
 このほか、医療現場の様子や保護猫の活動にも触れた。グラネ市長は「自然が美しく、産業も発展しているまち。姉妹都市としていい関係を持っていて、若い世代の交流を強くしたいと感じた。オンラインから始め、現地交流させたい」と考えを示した。一行は24日に釜石を発ち、帰途に就いた。

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雨でも楽しいニジマス釣り 橋野・親水公園で家族連れら挑戦 四季まつり第3弾

「やったー!」釣り上げたニジマスに歓声を上げる親子=22日、橋野町

「やったー!」釣り上げたニジマスに歓声を上げる親子=22日、橋野町

 
 釜石市橋野町の産地直売所「橋野どんぐり広場」隣の親水公園で22、23の両日、ニジマス釣り大会が開かれた。橋野町振興協議会(菊池郁夫会長)と栗橋地区まちづくり会議(洞口政伸議長)が共催する「はしの四季まつり」の第3弾。例年は一日限りのイベントだが、降雨の影響により急きょ翌日も開催した。
 
 園内の水車小屋から延びる小川に、滝沢市の養魚場から仕入れたニジマス約500匹を放流。地元住民が手作りした竹ざおを貸し出して、トウモロコシの粒を餌に釣りを楽しんでもらった。
 
 22日はあいにくの雨模様。いつもは上から魚群が見える小川も雨粒がはねて視界が悪く、ほぼ手探りでさおを出した。それでも魚の食いつきは思ったより悪くなく、釣りの醍醐味(だいごみ)の“引き”は十分。釣り上げた子どもらは目を輝かせ、楽しい思い出を心に刻んだ。
 
橋野どんぐり広場隣の親水公園。水車小屋から連なる小川にニジマスを放流

橋野どんぐり広場隣の親水公園。水車小屋から連なる小川にニジマスを放流

 
雨がっぱに長靴姿で釣りを楽しんだ=22日午前

雨がっぱに長靴姿で釣りを楽しんだ=22日午前

 
トウモロコシの粒を針に付けて釣る。水中から引き上げると生きのいいニジマスが姿を現した

トウモロコシの粒を針に付けて釣る。水中から引き上げると生きのいいニジマスが姿を現した

 
 同市の小学生、中財帆南美さん(9)は初めてのニジマス釣りで見事6匹をゲット。「引き上げる時は魚の力が強くてびっくり。上げるのが大変だった」と声を弾ませた。家庭では魚をよく食べ、好きな魚はホッケ。「ニジマスは食べたことがないので楽しみ」と夕食を心待ちにした。父誠さん(41)は以前、アユ釣りにも出かけたが、しばらくご無沙汰。「久しぶりに釣りができて楽しかった。子どもにもいい経験になる」と喜び、「人間は自然界の命をいただいて生きているので、無駄なく大切に食べることも学んでくれたら」と期待した。
 
自分で釣り上げた魚に笑みがこぼれる

自分で釣り上げた魚に笑みがこぼれる

 
体長20センチ以上の大物にうれしさいっぱい!

体長20センチ以上の大物にうれしさいっぱい!

 
振興協の女性たちが内臓も取ってくれて至れり尽くせり

振興協の女性たちが内臓も取ってくれて至れり尽くせり

 
 釣った魚は1匹200円でお持ち帰り。スタッフらがさばいて塩を振ってくれるサービスもあり、多くの人が利用した。このイベントではその場で炭火焼きにして食べることもできるが、この日は雨のために取りやめた。
 
 同振興協の菊池会長は「魚嫌いの子も自分で釣った魚は食べるようで、親御さんからも喜ばれている。釣りは年代問わず楽しめ、大人も夢中に…。20年以上続くイベントで、秋の風物詩として定着している」と話す。
 
 橋野の豊かな自然を生かし、地域への誘客や魅力発信につなげる「はしの四季まつり」。年間最後となる「水車まつり」は11月上旬に開催予定。農作物の恵みに感謝し、餅まきや雑穀メニューの販売などが行われる。

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「釜石絆の日」 スターダスト☆レビューがうのスタ初ライブ V7戦士松尾雄治さんが縁つなぐ 

「釜石絆の日」スターダスト☆レビュー うのスタ☆スペシャルライブ=21日

「釜石絆の日」スターダスト☆レビュー うのスタ☆スペシャルライブ=21日

 
絆マッチ いわて釜石ラグビーFC対流通経済大ラグビー部(白)の試合=22日

絆マッチ いわて釜石ラグビーFC対流通経済大ラグビー部(白)の試合=22日

 
 9月25日は、2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会会場地の一つ、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで、「フィジー対ウルグアイ戦」が行われた日。東日本大震災からの復興の象徴となった同大会のレガシー(遺産)を継承し、多くの支援者と結ばれた絆を後世につなごうと、同市はこの日を「釜石絆の日」と定める。その記念イベント(釜石ラグビー応援団主催)が今年も同スタジアムで行われた。21日は「スターダスト☆レビュー」のスペシャルライブ、22日はラグビーの交流試合があり、両日とも雨に見舞われたものの、会場は釜石に思いを寄せる人たちの熱気に包まれた。
 
 スターダスト☆レビューのライブは釜石初開催。ボーカル・ギターの根本要さん(67)が新日鉄釜石ラグビー部日本一7連覇(1978~84年)の立役者で、釜石応援ふるさと大使の松尾雄治さん(70)と親交があり、震災後に2人で復興支援のトークイベント(2016年)を同市で開催していた縁で出演が実現した。
 
 ライブの前に根本さんと松尾さんが同年代の“絆トーク”。 約40年の付き合いという2人は出会いからの楽しいエピソードの数々を披露。観客の笑いを誘い、仲の良さを印象づけた。根本さんはラグビー人気急上昇のきっかけを作った松尾さんを「スーパースター。釜石というまちを日本で有名にしたのはおそらく松尾さん」と持ち上げ、初対面の席で周囲に溶け込ませてくれたことを懐かしんだ。松尾さんが音楽好きという一面も紹介。釜石での9年間の現役生活について松尾さんは「釜石の人たちはやさしく、みんなに支えられてラグビーをすることができた」と感謝。震災後は当時の仲間らとNPO法人スクラム釜石を立ち上げ、ラグビーW杯誘致などさまざまな支援活動を続けてきた。「もっと多くの人に釜石を見てほしい」と話し、海やラグビーを生かしたまちづくりに期待を込めた。
 
松尾雄治さん(左)と根本要さんによる絆トーク

松尾雄治さん(左)と根本要さんによる絆トーク

 
この日は釜石鵜住居復興スタジアムでは初の本格音楽ライブとなった

この日は釜石鵜住居復興スタジアムでは初の本格音楽ライブとなった

 
 「スタ☆レビ」の文字装飾が施されたバックスタンド席を背景に、グラウンド上に屋根付きのステージが組まれた。根本さんは地元ラグビーチーム「日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)」のジャージー、バンドメンバーらは「KAMAISHI大漁旗Tシャツ」を身に着けてステージに立った。ライブでは1986年のヒット曲「今夜だけきっと」、多くのアーティストもカバーする「木蘭の涙」、「トワイライト・アヴェニュー」など人気曲を交え、アップテンポ、バラードなど多彩な曲で楽しませた。同バンドは1981年デビュー。40年以上の長きにわたり活動を続ける。
 
メンバーはアカペラで「不思議なチ・カ・ラ」なども歌った

メンバーはアカペラで「不思議なチ・カ・ラ」なども歌った

 
あいにくの雨を吹き飛ばす熱気で盛り上がったライブ会場

あいにくの雨を吹き飛ばす熱気で盛り上がったライブ会場

 
 全国から約1500人が来場。アンコールを含め全18曲を楽しんだ。栃木県から足を運んだ北山富美子さん(64)は「晴れれば最高でしたけど、ライブはやっぱりいい。同年代のスタ☆レビが頑張っている姿に力をもらう」と笑顔。松尾さんとの縁で実現したライブに「地元の方も元気づけられるのではないか。遠くからもお客さんが来ることで、まちの復興がさらに進むといい」と願った。
 
 釜石市の小川大地さん(42)は「両親が(スタ☆レビの曲を)聞いていて、ずっと耳には残っていたが、生のライブは初めて」と感激。釜石に住んで17年。震災も経験し、同スタジアム誕生までの経緯もよく知る。「いろいろな思いが込み上げ、聞いていて夫婦で涙があふれた―」。ずっと聞きたかった曲“追憶”を「生で聞けて最高でした」と大喜びだった。2018年開業のうのスタでは初の本格音楽ライブ。「これを機にここでどんどんライブができるようになれば、まちも活気づくと思う」と小川さん。
 
「釜石絆の日」オリジナルTシャツ(写真右上)は限定100着の販売。1時間足らずで完売した

「釜石絆の日」オリジナルTシャツ(写真右上)は限定100着の販売。1時間足らずで完売した

 
釜石関連の各種グッズ販売は大盛況。多くの人が立ち寄った

釜石関連の各種グッズ販売は大盛況。多くの人が立ち寄った

 
 2日目のラグビー交流試合「絆マッチ」は昨秋、フランスで初めて開催されたワールドアマチュアラグビーフェスティバルに日本代表として出場した「いわて釜石ラグビーフットボールクラブ」が、釜石市と包括連携協定を結ぶ流通経済大のラグビー部と対戦した。
 
 1年ぶりのチーム結成となったいわて釜石は前半、流経大に先制トライを許すも、2トライを決め逆転。10-5で折り返した。後半は流経大に立て続けに6トライを奪われた。激しい雨で両チームともボールが手に付かず苦戦。現役の大学生パワーに押さえ込まれたいわて釜石は後半、得点に結びつかず、10-39で敗れた。
 
前半2本目のトライを決め、喜びに湧くいわて釜石

前半2本目のトライを決め、喜びに湧くいわて釜石

 
水しぶきを上げながら激しい戦いを繰り広げる両チーム

水しぶきを上げながら激しい戦いを繰り広げる両チーム

 
 元釜石SW選手で、いわて釜石の主将を務めた福士周太さん(30)は「1年前のメンバーとまた試合ができてうれしい」と再招集を喜んだ。事前に練習日を1日設定したが、参加は少数。「運動していなかった社会人と若いピチピチした大学生とでは体格も体力も違う。それでも2トライできたから、いいんじゃないかな」。ラグビーW杯釜石開催が一生に一度と言われたように、アマの世界大会に岩手、釜石ゆかりの仲間と出場できたのも「一生に一度の思い出」になった。SWでのプレーも大切な財産。県外への転勤が決まっているが、「プロでもアマでも釜石はラグビーのまち。それを作り上げ、つなげる手伝いをしていきたい」と未来を描いた。
 
1年ぶりの試合に笑顔を輝かせるいわて釜石の選手(写真左上) 新たな絆を結んだいわて釜石と流経大の選手ら(同下)

1年ぶりの試合に笑顔を輝かせるいわて釜石の選手(写真左上) 新たな絆を結んだいわて釜石と流経大の選手ら(同下)

 
 この日は中学生の交流試合もあり、釜石SWアカデミー・弘前サクラオーバルズの合同チームが静岡ブルーレヴズラグビースクールと対戦した。23日に予定されていたうのスタ運動会は、雨によるグラウンドコンディション不良のため中止された。

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ネパールの多様な文化を紹介 釜石・国際外語大学校 留学生受け入れ前に展示会

釜石市国際外語大学校で開かれている「ネパール展」

釜石市国際外語大学校で開かれている「ネパール展」

 
 釜石市鈴子町に今春開校した専門学校「釜石市国際外語大学校」。若者の定着や地域活性化を狙って市が誘致し、先行する外語観光学科で日本人学生が社会で活躍する力を磨いている。その学びの場にまもなく日本語学科が開設される。ネパールから約20人が仲間入りを予定。同国について理解を深め、留学生をあたたかく迎えてもらおうと、校内で「ネパール展」を開いている。30日まで。
 
 インドと中国チベット自治区に接するネパールは多民族国家で、公用語はネパール語だが、さまざまな言語が飛び交う。宗教はヒンズー教が主流だが、仏教徒やイスラム教徒も暮らす。世界最高峰エベレストで知られるヒマラヤの山国として、日本人にとってもなじみがある。
 
 会場は、校舎として利用する市教育センター5階の教室。民族衣装、バッグや帽子などの民芸品、生活用品を並べて多様な文化を紹介する。合わせると90点ほどあり、来釜する留学生が現在、通っている現地の日本語学校や、青年海外協力隊員などから提供されたものが中心。展示物に添えられた説明文を見ながら、生活の様子をうかがい知ることができる。
 
教室の一室を使って展示。90点ほどが並ぶ

教室の一室を使って展示。90点ほどが並ぶ

 
民芸品や書籍などがずらり。興味津々で見つめる来場者

民芸品や書籍などがずらり。興味津々で見つめる来場者

 
ボードゲームや宗教用品、教科書、手作り辞典などもある

ボードゲームや宗教用品、教科書、手作り辞典などもある

 
 展示には、外語観光学科の学生も協力。食文化や言語などを調べ、スライドにまとめたものを壁に映し出し、同国について発信している。「首都は?」「国旗の特徴は何?」といったクイズも用意。楽しみながら魅力に触れてもらうよう見せ方に工夫を加えた。
 
外語観光学科の学生が制作したスライドショーも見られる

外語観光学科の学生が制作したスライドショーも見られる

 
クイズを楽しみながらネパールについて理解を深める来場者

クイズを楽しみながらネパールについて理解を深める来場者

 
 市民に外国の人や文化に理解を深めることで歓迎ムードを高めてほしいとの願いに加え、「留学生が早く地域になじむよう、土台作りにつながれば」という期待も込もった展示となっている。「互いに理解し、あたたかい交流ができたら」と、日本語学科を担当する教師の佐々木美穂さん(41)。学校を飛び出し、地域での活動も視野に入れている。
 
異国の雰囲気が加わった釜石の街景色も楽しめる⁉

異国の雰囲気が加わった釜石の街景色も楽しめる!?

 
 留学生の生活支援として、家庭で眠る未使用の調理用具などの提供を呼びかけたところ、十分な心が寄せられた。海外の若者たちがやって来ることを「楽しみにしている」との声もあるといい、同校では「釜石に来てよかった」と留学生が感じられるようサポートしていく。
 
 日本語学科は10月中旬に授業が始まる。留学生と街で出会ったら…展示での学びを生かし、ネパールで使われる「ナマステ(おはよう、こんにちはといった、あいさつ言葉)」、「サンチェイ チョウ?(お元気ですか?)」、「ダンネバード(ありがとう)」などと笑顔で声をかけてみては。