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東日本大震災15年 変わらぬ祈り 語り継ぎへ深まる決意 釜石で見つめた「3・11」

犠牲者の名前が刻まれた釜石祈りのパークの芳名板。訪れた人たちが静かに手を合わせた

犠牲者の名前が刻まれた釜石祈りのパークの芳名板。訪れた人たちが静かに手を合わせた

 
 釜石市内で1064人もの死者(関連死を含め)・行方不明者を出した東日本大震災から、11日で15年となった。市内各所で朝から、残され人たちが大切な人を思い、鎮魂の祈りをささげた。時は過ぎても癒えない悲しみを抱えながら、それぞれが静かに震災と向き合う一方、「あの日」を記憶していない世代も増えていく。“直接”の記憶を持たなくとも、家族や地域の体験に耳を傾け、思いを受け止めながら語り継ごうとしている。「この日」は、かけがえのない命を見つめ、記憶と教訓を未来へ伝える日でもある。
 

記憶、未来に向き合う 祈りのパーク

 
祈りのパークで亡き人を思い名前に手を伸ばす女性

祈りのパークで亡き人を思い名前に手を伸ばす女性

 
 1003人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」。訪れた人たちは献花台に白菊を手向け、手を合わせた。芳名板の名前を静かになぞり、顔を近づけ声をかける姿も。「会いに来たよ」と話しかけ、間渕英子さん(64)は目を潤ませた。発災の1週間前に実父の葬儀のため帰省。「またすぐ来るから」と、東京に戻った翌日が「あの日」になった。優しかった実母の小笠原ツエさん(当時76)に、「これから」と思っていた孝行ができなくなってしまったのが心残り。町内にあった実家は津波で流され、亡き人を感じられるこの場所に思いを残す。「元気なうちは会いに来るよ」
 
午後2時46分、犠牲者を悼み手を合わせた

午後2時46分、犠牲者を悼み手を合わせた

 
 午後2時46分、祈りのパークで約160人が手を合わせた。続く市主催の追悼式では、高校生が「未来へのメッセージ」と題し、震災の教訓を未来につなげる誓いの言葉を述べた。遺族代表のあいさつの代わりとして今回初めて取り入れた試みで、思いを語ったのは釜石高3年の山陰皇騎さん(17)。震災時は2歳で、ほぼ記憶がないというが、津波で父の剛さん(当時35)を亡くした。「3月11日は私にとって特別な日。一生記憶をつないでいきたい」
 
 剛さんは大槌町の職場から自宅に戻る際、津波にのまれ、約8か月後に見つかった。母の瑠里子さん(48)の話から想像することしかなかった父のこと。「一緒に生活できていたら、何をして、どんな話をしたのか」。悲しみ、悔しさ、好奇心…不思議な感情を持ちながら、山陰さんはこの春、進学のため古里を離れる。「ずっと私たちを見守っていてください」
 
父への思いを胸に「未来へのメッセージ」を発表する山陰皇騎さん

父への思いを胸に「未来へのメッセージ」を発表する山陰皇騎さん

 
 高校生活で一番力を入れたのは防災活動。震災伝承に取り組む生徒有志の団体「夢団」に参加し、人と出合い、学びを深める中で「語り継ぐ」大切さに気づいた。「記憶ない世代」が増えていると改めて感じ、「記憶を持つ最後の世代として、しっかりと語り継ぎ、教訓を風化させないことが使命だ」とメッセージを発信。たとえ自分に記憶がなくとも、誰かに聞いたことを話すだけでも意味があることなのだ。「皆さんにも語り継いでほしい。ゆっくり自分のペースでいいから。語り継いで、忘れないでほしい。いつまでも」
 
追悼式が終わり、笑顔を交わす山陰さん(右)、母の瑠里子さん(左)、弟の宗真さん

追悼式が終わり、笑顔を交わす山陰さん(右)、母の瑠里子さん(左)、弟の宗真さん

 
 落ち着いた気持ちで手を合わせてほしい―。前日の10日、釜石東中(髙橋晃一校長)の3年生23人が芳名板を磨いた。震災のことを語り継ぐ「いつ海集会」での取り組み。発災の年に生まれた小笠原虹南さん(15)は「地域で暮らす自分たちがきれいにすることで、感謝の気持ちを伝えられたら。地震や津波はいつ起こるか分からないから、油断せずに避難のこと、避難した後のことを考えて生きていきたい」と受け止めた。
 
10日に祈りのパークで清掃活動をする釜石東中の3年生

10日に祈りのパークで清掃活動をする釜石東中の3年生

 
希望ある未来を思い描きながら歌声を響かせた生徒たち

希望ある未来を思い描きながら歌声を響かせた生徒たち

 
 校舎へと続く大階段では全校生徒86人で集会の名につながる歌「いつかこの海をこえて」を合唱。被災を経験した当時の東中生の思いが散りばめられた歌詞に、届けたい願いを乗せた。「これからも地域と共に」「夢を抱いて生きていこう」「自分たちの命を誰かのために使っていこう」
 

感情、まちに漂う

 
震災で亡くなった夫が眠る墓に話しかける岩舘マユ子さん

震災で亡くなった夫が眠る墓に話しかける岩舘マユ子さん

 
 11日、市内の寺院には朝から遺族らが墓参りに訪れた。大只越町の石応禅寺で、岩舘マユ子さん(76)は、夫の信幸さん(当時65)の墓に手を合わせた。15年前のあの日、津波に巻き込まれたとみられる信幸さんは、数日後に浜町の自宅そばで見つかった。岩舘さんは、仕事で市内の内陸部にいた。「きっと大丈夫」と信じる気持ちと、「やっぱり…」との諦めが半々だったと当時の心境を思い起こすも、「実はね、記憶が飛んでいるの」と明かした。
 
 信幸さんは“昔かたぎの職人”だったというが、家業のかまぼこ屋を震災の数年前にたたんだ。岩舘さんは定年で退職を控えていたが、「気落ちしていられない。頑張らないと」と働き続けた。市中心部の災害公営住宅に入居し生活は落ち着いたが、病気の影響で2年前に退職。ちょうどその頃、知人にすすめられグラウンドゴルフを始めた。
 
かつて自宅があった辺りを見つめて「寂しいね」とつぶやく

かつて自宅があった辺りを見つめて「寂しいね」とつぶやく

 
 この日の午後は、グラウンドゴルフの日。岩舘さんは墓に語りかけた。「私より年上の人たちが元気なの。年寄りは元気でないとね。もう15も年をとったけど、もう少しここにいるよ。健康でいられるよう見ていて」
 
殉職消防団員の顕彰碑に遺族や消防団関係者らが献花

殉職消防団員の顕彰碑に遺族や消防団関係者らが献花

 
 鈴子町の鈴子広場にある殉職消防団員顕彰碑前では、市と市消防団主催の献花式が行われた。震災で職務遂行中に命を落とした仲間8人の名に向かい、菊池録郎団長(74)は「強い使命感で最後まで職責を全うした団員が守ろうとした人々と暮らしを守り続ける責務がある。志を胸に刻み、防災力向上に努める」と力を込めた。
 
 震災当時、水門を閉めながら避難を呼びかけた夫の政信さん(当時28)を亡くした矢巾町の浦島都子さん(45)は、長男で盛岡中央高単位制2年の央和さん(17)と参列。「15年たっても気持ちは変わらない。優しい人だった」と目を赤くし、言葉を絞り出した。「まだ見つかっていない…整理がつかない」
 
「わすれない」と文字が刻まれた納骨堂で身元不明の遺骨を供養

「わすれない」と文字が刻まれた納骨堂で身元不明の遺骨を供養

 
 身元が分からない犠牲者の遺骨を安置する大平町の大平墓地公園内の納骨堂前で、釜石仏教会(大萱生修明会長、17カ寺)による法要が営まれた。現在、全身骨5柱、部分骨3柱を安置。僧侶5人が読経する中、参列した市関係者や市民らが焼香した。「いつか家族の元へ戻れるように」
 
 導師を務めた仙寿院(大只越町)の芝﨑恵応住職は「震災を知らない子が多くなった。経験した者が伝えなければ、将来に大きな不安が残る」と風化への危機感を示し、強く求めた。「教訓を伝えよ」
 
15年前に届けたかった「あの日のコーヒー」を振る舞う岩鼻伸介さん

15年前に届けたかった「あの日のコーヒー」を振る舞う岩鼻伸介さん

 
 大平町の釜石大観音仲見世通りにオープンした完全予約制のカフェ「ハピスコーヒーラボラトリー」で、店主の岩鼻伸介さん(48)が来店した人たちに「あの日のコーヒー」を無料で振る舞った。15年前、寒かった「あの日」に被災した人たちに飲んでほしかった一杯。苦みを抑えた、すっきりとした味わいに願いを込める。「あたたかい飲み物でほっとする時間を」
 
来店した客と言葉を交わす(左奥から)竹内佳代さん、岩鼻さん

来店した客と言葉を交わす(左奥から)竹内佳代さん、岩鼻さん

 
 カフェ開店の目的の一つが、ライフワークとなる能登半島地震の復興応援活動。現地に行けない時も、石川県七尾市の集会所に開設した拠点とつないでオンライン交流を続ける計画だ。この日は、活動の中で知り合ったカウンセラーの竹内佳代さん(40)が石川から駆け付け、お手伝い。珠洲(すず)焼職人を目指しており、ハピスラボで使用する珠洲焼のカップは竹内さんが作った。それぞれ新たな挑戦をスタートさせた2人は声をそろえた。「釜石と能登の架け橋に」

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震災犠牲者しのび法要 釜石・鵜住居観音堂 心、まちに「光が届くよう」祈り込め

東日本大震災犠牲者の冥福を祈り鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要

東日本大震災犠牲者の冥福を祈り鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要

 
 東日本大震災の犠牲者を悼み、まちの復興を願う「復光祈願法要」は8日、釜石市鵜住居町の鵜住居観音堂(小山士別当)で営まれた。同法要は15回目で、地域住民や関係者ら約30人が参列。本尊「十一面観音立像」(県指定文化財)の模刻「身代わり観音像」に静かに手を合わせ、亡き人や地域の未来へ思いをはせた。
 
被災地の平穏を願い読経する千葉秀覚執事長(手前から2人目)ら

被災地の平穏を願い読経する千葉秀覚執事長(手前から2人目)ら

 
 法要は毛越寺(平泉町)の千葉秀覚執事長(63)らが執り行い、読経に合わせ、それぞれが焼香した。地元の齋藤清子さん(81)は津波で失った親族2人の安寧を祈りながら合掌。「残されたものは祈るしかない。だいぶ立派に街はできたが、住む人は減り、寂しくなる」とつぶやく。ふと耳を澄ますと、観音堂近くのグラウンドから野球少年たちの声が届いた。「若い人たちが暮らし、普段から元気な声が聞こえたらいいのに」と願った。
 
参列者は読経に合わせて焼香。静かに手を合わせる

参列者は読経に合わせて焼香。静かに手を合わせる

 
 観音堂は震災の津波で全壊し、2022年に高台に再建。まつられている本尊は破損しながらも流失を免れ、当時、盛岡大教授だった故大矢邦宣さんらが救出、修復された。背面に「永正七年」(1510年)の年号があり、33年に一度開帳される。模刻は大矢さんの発案で2014年に制作。観音堂の再建を待つ間も「地域のよりどころになるように」との思いが込められ、今も地域を見守る存在として安置されている。
 
鵜住居の街並みを望む高台に建つ観音堂

鵜住居の街並みを望む高台に建つ観音堂

 
地域を見守る「身代わり観音像」に祈りをささげる

地域を見守る「身代わり観音像」に祈りをささげる

 
 法要に合わせ、幾度か観音堂へ通う千葉執事長は「震災から15年目となるが、それぞれが歴史を刻んできた15年なのだろう。街は復興しても、当時のつらい記憶、亡き人を思う気持ちは消えないもの。そうした中で、室町時代から信仰が続く観音様、身代わり観音像が人の心、地域に光が届くよう見守ってくださっている」と法話した。
 
 小山別当(82)は「大矢先生や尽力してくれた関係者のおかげで生きる希望を教えていただいた。そして、法要を続けられている毛越寺の方々、集まってくれる地域の皆さんには感謝しかない。その思いを受け止め、地域の宝を貴重な文化財として後世に引き継いでいきたい」と思いを深めた。

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頑張ったよ!お茶のおけいこ かまいしこども園の年長児、お点前披露 保護者もてなす

保護者に振る舞うお茶をたてるかまいしこども園の年長児

保護者に振る舞うお茶をたてるかまいしこども園の年長児

 
 釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児81人)で3日、「お茶のおけいこ」があり、年長児13人が茶会体験をした。「おさらい会」として催された茶会には、保護者を招待。年長児は1年間の稽古の成果を発揮し、お茶をたて、おもてなしの心を見せた。
 
 同園では、▽思いやり▽優しさ▽感謝▽譲り合い▽美しさに触れる―という5つの心を養うことを目的に、日本文化の茶道を保育に取り入れる。今年度は、裏千家茶道准教授の戸村宗孝(そうこう)さん(74)が月に2回ほど、園に出向いて年長児を対象におけいこ。おじぎの仕方や礼儀、所作、お茶の作法などを指導してきた。
 
 園舎内には野だて傘、「日々是好日」と書かれた短冊、モモや菜の花など季節の花を生けた席が用意された。この日は、子どもたちの健やかな成長を願う「ひなまつり」。ひな人形も飾られていて華やかな雰囲気の「ひなまつり茶会」となった。
 
習ってきた茶道の成果を披露するおさらい会の茶席

習ってきた茶道の成果を披露するおさらい会の茶席

 
 園児は和菓子を運び、お茶をたて、おもてなし。「お茶をどうぞ」と言って差し出すと、保護者は「おいしい」と笑顔で味わっていた。大役を終えた子どもたちは、自分でたて、味わいを確認。「いつもより濃いね」などと友達と顔を合わせながら楽しんでいた。
 
指導に当たった戸村宗孝さん(左)が優しくサポート

指導に当たった戸村宗孝さん(左)が優しくサポート

 
習った所作でお点前を披露する園児に保護者は熱視線

習った所作でお点前を披露する園児に保護者は熱視線

 
成果を見せ終わってホッとした様子の子どもたち

成果を見せ終わってホッとした様子の子どもたち

 
背筋をピン!自分でたてたお茶をいただく園児

背筋をピン!自分でたてたお茶をいただく園児

 
 結城心温ちゃん(6)は「いつもより2.5倍うまくできた。お母さんが笑ってくれてうれしい」と得意げに話した。母親の恵さん(40)によると、登園前に自宅で「泡立て、がんばるね」と約束。差し出された茶はしっかり泡が立ち、有言実行したまな息子の姿に目を細め、「日本の良いところを学んだ経験や大事な心を忘れないで、大きく成長してほしい。小学校でもたくさんの友達をつくってほしい」と願った。
 
茶を飲む保護者の様子にドキドキ、ワクワクする子どもたち width=

茶を飲む保護者の様子にドキドキ、ワクワクする子どもたち

 
「おいしかったよ」「すごいね」。保護者の笑顔から伝わる

「おいしかったよ」「すごいね」。保護者の笑顔から伝わる
 
 「最初は分からなかったけど、できるようになった」と背筋をピンと伸ばした久保梓ちゃん(6)。茶席で、母親の静樺さん(29)に菓子をいただく時のようじ(黒文字)の使い方や茶わんを回してから飲むといった作法をアドバイス。茶を点てる際にうまく泡立てるコツは「(茶せんで)1の字を書くようにするの」と、かき混ぜるようなしぐさを見せて、身に着けた学びも伝えていた。「楽しかった」と満足げなわが子に、静樺さんは「日本の文化に触れさせてもらって感謝ですね。園で伸び伸びと過ごしていると感じられたのも収穫」と喜んだ。
 
菓子やお茶のいただき方をしぐさで教える園児

菓子やお茶のいただき方をしぐさで教える園児

 
 子どもらを指導した戸村さんは「始めた頃は、お茶を飲めない子もいた。保護者に見てもらい、お茶わんを回すことを教えたりするまでになった」と感心。「茶道で触れた気持ち、お花を見て季節を感じる心が少しでも植えられていたらいい。さらにおけいこを続けてくれたら」と期待も込めた。
 
 同園の澤田利子副園長も「落ち着いてお点前ができていた。頑張ってきた成果が見られたし、お茶を通して心が豊かになっている」と確認。社会経験として大事にしたい心を育む機会として、来年度以降もお茶のおけいこを続ける考えだ。

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ガザのみんなへ「忘れてないよ」 釜石から発信 空に舞う たこに平和の願い込め

青空の下、平和の願いを込めたたこを飛ばす子どもたち

青空の下、平和の願いを込めたたこを飛ばす子どもたち

 
 東日本大震災を機に交流を続けるパレスチナ自治区ガザの平和を願う「たこ揚げ」が1日、釜石市唐丹町の唐丹グラウンドであった。市内外の有志でつくる「ガザ・ジャパン希望の凧(たこ)揚げ交流会実行委員会」が主催。同市の野球スポーツ少年団・釜石ファイターズの児童や親子連れら約50人が参加し、戦争のない世界を祈るメッセージを釜石の空から送った。
 
 ガザでは、2012年から国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が主催して、現地の子どもたちが震災被災地の復興を願ってたこを飛ばした。その思いに応えようと、釜石でも15年からたこ揚げを開始。“つながる空”を通して交流を続けている。
 
「舞い上がれ、高く」。子どもらが元気いっぱいに走り出す

「舞い上がれ、高く」。子どもらが元気いっぱいに走り出す

 
 「よし、いくぞー」「おーい!」。長い糸を手に野球少年たちが元気に駆け出した。声を大きく上げて、地域や世界中が明るくなるように。「みんな幸せ」「絆」「せんそう ダメ!」など思い思いのメッセージやイラストを描いた、たこを風に乗せて高く揚げた。
 
 斉藤直輝さん(甲子小4年)は、たこに「平和」「希望」と文字を入れた。「戦争がなくなって、世界中の人が幸せになってほしい」から。いつかガザから友達が来たらと想像し、「一緒に野球をしたい」と望んだ。
 
 この日、同市大町の釜石情報交流センターでたこ作りの会もあり、宮城県から参加する人の姿もあった。東北大大学院生でインドネシアからの留学生が書き込んだのは「偃武修文(えんぶしゅうぶん)」という四字熟語。「早く戦争を止めよう。そして子どもたちは勉強を」。そんな呼びかけを託したと話していた。
 
参加した人たちはガザへ届けたい思いを込めてたこを作った

参加した人たちはガザへ届けたい思いを込めてたこを作った

 
 気仙沼市の小野寺優さん(68)が仕上げたのは、日の出をデザインしたたこ。気仙沼凧の会副会長で、伝統の絵柄だという。たこ揚げでは釜石の子どもらにコツを伝えたりして交流。たこが青空を舞う様子を見つめて「こうした風景がいつまでも残ってくれたらいい」と思いを口にした。
 
子どもたちが思い思いの言葉や絵を描いたたこ

子どもたちが思い思いの言葉や絵を描いたたこ

 
元気に走り回って、たこ揚げを楽しむ子どもたち

元気に走り回って、たこ揚げを楽しむ子どもたち

 
 実行委の佐藤直美さん(52)=仙台市=によると、25年10月にイスラエルとの停戦合意が発効され、ガザでは局所的に学校や子どもたちの交流が再開されたとの情報がある。ただ、火種はくすぶったままで、いまだ不安定な状況が続いているという。「少しでも早く安心して暮らせるように」と願う人たちの思いを現地に伝えようと、メッセージ動画を送る取り組みを続けており、今回も撮影を担当した。
 
 佐藤さんが会いたかったと話す一人が、地元の下村恵寿さん(76)。このたこ揚げの協力者で、いつも「子どもは世界の宝」とあたたかく見守ってくれているからだ。15年にガザから子どもらが訪れた際も交流しており、現地に思いを寄せ続ける下村さんからも言葉をもらった。
 
子どもたちをあたたかく見守る下村恵寿さん(右)

子どもたちをあたたかく見守る下村恵寿さん(右)

 
 下村さんは「大人がしたことで犠牲になるのはいつも子ども」と悔しさをにじませる。市体育協会員として長くスポーツ界に関わっており「平和で、スポーツができる幸せを世界に」と切望。「子どもは地域みんなで育てる宝物。大人には責任がある。また、ガザの子たちと一緒にたこ揚げできたらいいな」と、硬い表情をやわらげた。
 
パレスチナの希望と平和の象徴であるたこを掲げる参加者

パレスチナの希望と平和の象徴であるたこを掲げる参加者

 
 パレスチナの人にとって、たこ揚げは「ここにいるよ」という意味合いが込められていると、佐藤さんが教えてくれた。今、現地では「忘れられている」「覚えていてほしい」と感じる人もいるとも。「忘れていないよ」「震災の復興を願ってくれて、ありがとう」と発信できる機会が「このたこ揚げ」と佐藤さんは改めて思った様子だ。
 
 今回、県外から参加したり、卒業式を終えたばかりの大船渡市の高校生も駆け付けた。輪の広がりを感じた佐藤さんは「すてきなメッセージをたくさんもらった」とうれしさを隠さなかった。「現地にしっかり届けられるようにしたい」と受け止め、「日本とガザを結ぶ活動を続けていけたら」と話した。

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おいしさ提供、フェアトレード普及、復興応援…釜石・ハピスコーヒーが固定店舗開設へ

固定店舗を間もなくオープンさせる岩鼻伸介さん=2月

固定店舗を間もなくオープンさせる岩鼻伸介さん=2月

 
 釜石市を中心にキッチンカーで営業するコミュニティーカフェ「HAPPIECE COFFEE(ハピスコーヒー)」。東日本大震災後に帰郷した店主の岩鼻伸介さん(48)が淹(い)れる“おいしい”一杯と、何気ない会話の“うまみ”を味わえるのが魅力だ。豆は「フェアトレード」で仕入れ、公正な取引を通じ原産国の生産者を支援するという概念の普及にも一役買う。移動販売の傍ら、災害の被災地に“ホッと”ひと息つける時間を届ける活動も続ける中、この3月の「あの日」に拠点となる固定店舗を開設する。提供するのは、これまで大切にしてきた要素を色濃くした「最高にすてきなコーヒータイム」。プレオープン中に体験してきた。
 
おいしいコーヒーを味わえるカフェが通りに明かりをともす

おいしいコーヒーを味わえるカフェが通りに明かりをともす

 
 2月某日夕方、空き店舗が目立つ同市大平町の釜石大観音仲見世通りの一角に明かりがともる。数年前までは喫茶店、古くは食堂として利用された空き店舗を改装。当時の雰囲気を生かした内装、照度を落とした店内はもの懐かしさがあふれる。
 
 そこで提供されるメニューは、コーヒーのフルコース。岩鼻さんが厳選した数種類のコーヒーのテイスティング(試飲)から始まる。その日、「ウェルカムコーヒー」として用意された豆は6種。浅煎(い)りしたエチオピア・イルガチェフェと東ティモール・レテフォホ、中煎りで東ティモール・コカマウとペルー・アルトマヨ、そして深煎りのインドネシア・マンデリンとメキシコ・マヤビニック。店主が「お好きな味は?コーヒーの旅をどうぞ」といざなう。
 
コーヒーのフルコースを体験。ウェルカムコーヒーを説明する岩鼻さん

コーヒーのフルコースを体験。ウェルカムコーヒーを説明する岩鼻さん

 
 「浅煎りは酸味が豊かでフルーティー。中煎りは酸味と苦みのバランスがとれている感じ。深煎りはコクと苦みがガツンとくる」。岩鼻さんの“豆”知識を参考にしながら味見。酸味、苦み、コク、香り…微妙な違いに、自分の好みがみえてくる。
 
 そして選んだ一杯が「メインコーヒー」となる。豆を挽き、お湯を注いで丁寧に抽出する間が、さらなる情報収集タイム。コーヒーの淹れ方、フェアトレードコーヒーの歴史など岩鼻さんの“熱い”コーヒー談義を楽しめる。
 
お好みの一杯を目の前で丁寧に抽出。豆知識を添えて

お好みの一杯を目の前で丁寧に抽出。豆知識を添えて

 
メインコーヒーは能登の知人が作ったカップで「どうぞ」

メインコーヒーは能登の知人が作ったカップで「どうぞ」

 
 お気に入りを味わい、2杯目へ。「もっと深く知りたい」という人は試飲で気になった別のコーヒーに挑戦でき、「多様な味に触れたい」のならキッチンカー営業で好評というメニューの「アフォガード」(アイスクリームに熱いエスプレッソなどをかけたデザート)を選べる。希望があれば「アラカルト」として追加でもう一杯(別料金)いただける。
 
 コースの締めとして手渡されるのが、持ち帰り用のコーヒー。「その人にピッタリ」の「また飲みたい」味を自宅でも楽しんでもらおうという趣向だ。豆のままか、粉にするか選択可能。豆に適した抽出方法や器具のアドバイスも受けられる。
 
2杯目はアフォガードを味わい、自宅用のコーヒーもゲット

2杯目はアフォガードを味わい、自宅用のコーヒーもゲット

 
和洋が混在した店内で味わい深いカフェタイムはいかが…

和洋が混在した店内で味わい深いカフェタイムはいかが…

 
 90分という時間をかけて複数の味に触れ、感覚や知性を刺激され、新しい発見もある、何ともぜいたくなフルコースは完全予約制。料金は税込み5000円。自家焙煎(ばいせん)した豆を十数種用意しており、ブレンドも可能。岩鼻さんは「いろんなコーヒーの中から好みのものを楽しんでもらえたら」とワクワクした様子で来店を待つ。
 

夢の実現場所「ハピスコーヒーラボラトリー」

 
「ハピスコーヒーラボラトリーですてきな時間を」と岩鼻さん

「ハピスコーヒーラボラトリーですてきな時間を」と岩鼻さん

 
 店名は「ハピスコーヒーラボラトリー」。ハピスは「Happy」と「Piece」を組み合わせた「幸せのひとかけら」という意味の造語で、「研究所」や「実験室」という意味合いの言葉を加えた。フレンチのようにコーヒーをコースで提供するのは週に2、3日と想定。コーヒー講座(90分)も定期的に開催する。入門、初級、中級などのコースを設定し、料金は税込み5000円。より多角的な視点を求める探究者向けのメニュー(コーヒー・コンサルティング、90分で税込み3万円)もある。
 
コーヒーにまつわる器具を眺めるのも味わい。フェアトレードの品も並んでいる

コーヒーにまつわる器具を眺めるのも味わい。フェアトレードの品も並んでいる

 
 固定店舗の開設はおいしいコーヒーの提供、フェアトレードの普及に加え、能登半島地震(2024年発生)の被災地支援を継続させるためでもある。岩鼻さんは発災後からほぼ毎月、キッチンカーを約15時間走らせて現地に通い、コーヒーを振る舞っている。石川県七尾市を中心に活動し、これまでに21回訪問。現在1杯700円のコーヒーを計約2万杯(約1400万円)無償提供してきた。
 
温かさ上乗せ!釜石の思い、能登へ 1杯のコーヒーに添えるメッセージ キッチンカーでお届け
 
 この取り組みは、震災の津波で実家が全壊した岩鼻さんが「恩返し」のつもりで始めた。能登には「あの時」と同じ、ほっと息をつける時を待つ人がいたから。「息の長い応援を」と支援者からカンパを募りながら被災地に向ってきたが、体力的にも経済的にも毎月通うのは厳しくなった。
 
 「自分がいかなくなることで忘れられているように感じる人もいるのではないか」と岩鼻さん。「分かっているよ、忘れていないよ」と伝え、交流を続ける方法として考え出したのが、釜石と能登の被災地をオンラインでつなぐ拠点の開設。それが釜石の“ラボ”だ。合わせて能登の拠点として、七尾市中島町の小牧集会所に拠点を準備した。
 
釜石と能登をオンラインでつないで交流を継続する

釜石と能登をオンラインでつないで交流を継続する

 
 地元でのキッチンカー営業は続け、移動販売をしない日にラボで「至福のひととき」を提供する。そしてたまに店内に設置したパソコンとモニターで能登の拠点とつなぎ、現地の人と画面越しに交流。現地では週に2回サロン活動が行われているようで、来た人と話をする形を思い描いている。
 
 能登行きは回数が減るかもしれないが、現地に行けない時もつながれるよう考えた仕組みが、まもなくスタートする。「つながりは失ってはいけないもの。より密に人や地域の縁を結んでいけるのでは」と岩鼻さん。固定店舗という居場所ができることで、震災を経験した人、能登の被災地を思う人、コーヒー好きな人たちが言葉を交わすコミュニケーションの場になることを願う。
 

グランドオープンの「3・11」は“あの日のコーヒー”で

 
釜石大観音仲見世通りの「ハピスコーヒーラボラトリー」=3月

釜石大観音仲見世通りの「ハピスコーヒーラボラトリー」=3月

 
 固定店舗の本オープンは3月11日。地震発生時刻の午後2時46分、黙とうの後に店を開放し、「あの日のコーヒー」を振る舞う。
 
 あの日のコーヒーは、岩鼻さんが15年前に古里に届けたかった一杯。「避難所で凍え、不安でいっぱいだった人に淹れてあげたかった」。当時、東京都内で経営コンサルタントをしていたため、かなわなかった。仕事の傍ら、イベントでコーヒーの提供もしていて、フェアトレードに出合ったのもその頃。できなかった悔しさを出発点に「古里の復興に貢献しよう」とUターン。キッチンカーで巡り、人が集える場をつくってきた。
 
「あの日のコーヒー」を振る舞う本オープンは間もなく

「あの日のコーヒー」を振る舞う本オープンは間もなく

 
 「原点」と話す一杯を、岩鼻さんは震災から15年となる「あの日」に手渡す。「この日をどう過ごそうかと迷っている人もいる。日が沈んだ後も店を開けているので、気軽に立ち寄って、あの日に思いをはせながら、あたたかいコーヒーを味わってもらえたら」。そう望みながら、迎える準備をする。

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「なんでだろう」が興味の入り口!? 三陸ジオパークの魅力、クイズで発見 釜石で催し

釜石市で開かれた「三陸ジオパーク」の魅力を伝えるイベント

釜石市で開かれた「三陸ジオパーク」の魅力を伝えるイベント

 
 「さんりくジオタウン@釜石」(三陸ジオパーク推進協議会主催)は22、23の両日、釜石市港町のイオンタウン釜石で開かれ、買い物客らがクイズや展示、ご当地キャラクターとの触れ合いなどを通じて「三陸ジオパーク」や地域の魅力に関心を深めた。
 
 「ジオ」とは地球や大地の意味。他の場所では見られない貴重な地形や地質に接することができる場所がジオパーク。その魅力は、地質学的な要素にとどまらない。積み重ねられた地球、そして大地の“歴史”に触れられる場でもある。
 
 三陸ジオパークは青森県八戸市から宮城県気仙沼市まで約220キロに及び、国内最大の面積を誇る。2013年に日本ジオパークとして認定された。大地の様相が南北で異なり(リアス海岸と海成段丘)、約5億年前から続く大地形成の歴史、地質遺産が見所。その歴史が育んだ自然や風土、産業など幅広い要素が脈々と人の営みに関わっているのを感じられるところも魅力だ。
 
興味津々!中生代の化石を展示した気仙沼市のブース

興味津々!中生代の化石を展示した気仙沼市のブース

 
 イベントでは3県16市町村のジオサイトを紹介する展示や特産品を販売するブースを設置。各ブースを回ってもらえるようクイズラリーが用意された。ブースは日によって入れ替えがあり、23日には9市町村が出展。推進協と岩手県立博物館は2日間ブースを構え、計12カ所にクイズポイントが設けられた。
 
 クイズラリーは、興味を持った買い物客や家族連れらが挑戦。「大槌町にある蓬莱(ほうらい)島の岩肌は白い。白い岩の名前は?」「思案坂、辞職坂、思惟坂のうち、田野畑村にない坂は?」「釜石市栗林町で日本最古級(約3億7000万年前)の『ある生物』の化石が見つかった。その生物とは?」など、各ブースを巡って頭をひねりながら地域の特色に触れた。
 
ジオサイトや地域に関したクイズに挑戦する家族連れ

ジオサイトや地域に関したクイズに挑戦する家族連れ

 
 「ちょっと難しかった。でも勉強になって楽しかった」と笑顔を見せたのは釜石の小学生、山内蒔愛さん(7)と菫司ちゃん(6)姉弟。祖母の由美子さん(64)は「クイズで面白く学べるのが良かった。いろんなことに興味を持ってもらえたらいい」と目を細めた。自身は地元の世界遺産・橋野鉄鉱山について発見があった様子。「知らないことっていろいろあるのね」とつぶやいていた。
 
ご当地キャラクターと写真を撮ったり触れ合いを楽しむ

ご当地キャラクターと写真を撮ったり触れ合いを楽しむ

 
 「サーモンくん・みやこちゃん」(宮古市)、「ヤマダちゃん」(山田町)などご当地キャラクターも登場し、子どもたちに人気だった。普代村公認キャラ「昆布ブラザーズ・すっきい&えんぞー」のかぶりものを身に着けて地元PRに励んでいたのは、同村商工観光振興室観光係長の森田陽さん(49)。「三陸ジオパークの中に普代村も入っていることを知ってほしい。トレイルと組み合わせながら、うまく活用することで多角的な学びになると思う。ぜひ普代に来て、見て体感して」と期待を込めた。
 
普代村のブースで来場者と交流する森田陽さん(左)

普代村のブースで来場者と交流する森田陽さん(左)

 
特産品を並べて地域をPRする普代村のブース

特産品を並べて地域をPRする普代村のブース

 
 「ジオは自然と歴史の産物で、地域に受け継がれ残るもの。そういう意味で郷土芸能もジオ。地域の産物として広めたい」。釜石高2年の玉木里空さんは、郷土芸能の担い手不足解消をテーマに研究するセミグループのメンバーらと虎舞を披露。子どもらにおはやしや虎頭を操る体験もしてもらった。イベント参加で虎舞だけでなく、自身が「生きがい」と話す東前太神楽を「伝えたい」との気持ちが増幅。郷土芸能の担い手として「楽しむ」姿を見せて「楽しさ」体感してもらう活動の刺激にした。
 
釜石高生が虎舞を披露し、イベントを盛り上げた

釜石高生が虎舞を披露し、イベントを盛り上げた

 
釜高生に教わりながら虎舞を体験する子どもら

釜高生に教わりながら虎舞を体験する子どもら

 
 乾燥させた海藻、貝殻などを使ったバーバリウムペン、フォトフレームづくりのワークショップは家族連れらが体験。子どもたちが見つけた地域の魅力をまとめた「三陸ジオパークかわらばん」の作品展示もあった。
 
ジオにちなんだものづくりを体験する子どもたち

ジオにちなんだものづくりを体験する子どもたち

 
「三陸ジオパークかわらばん」の作品展示コーナー

「三陸ジオパークかわらばん」の作品展示コーナー

 
 三陸ジオパーク推進協(宮古市)のジオパーク推進員、阿部智子さん(60)は「ジオ活動は多様で難しいと感じられがちだが、実際は地域に住む人の生活に関わっている。例えば、私たちは大地が育んだ食べ物で生きている。それもジオ」と、捉え方のヒントとなる視点を示しながら解説。地域、歴史、文化などあらゆるものに関わる一つひとつのことに感じた「なんでだろう」という疑問をたどると、「ジオにつながる」のだという。
 
 そのうえで、今回のようなイベントを「入り口的なものとして楽しんで、身近に感じてほしい」と阿部さん。「『なるほど!』という気づきが、ジオの醍醐味(だいごみ)」と言葉に熱を込めた。

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夢をカタチに!かまっこまつり 釜石の子どもが企画し販売体験 元気に呼び込み

手づくり商品を販売しながら会話を楽しむ子どもたち

手づくり商品を販売しながら会話を楽しむ子どもたち

 
 「主役は子どもたち!」を合言葉にした「かまっこまつり」が15日、釜石市大町の市民ホールTETTOなどで開かれた。「やってみたい」をかなえるべく、“子どもスタッフ”たちが手作り雑貨の販売や遊びを提供する仮想店舗を運営。「いらっしゃいませー」「好きなのをどうぞ」「遊んでってー」などと元気なかけ声を響かせて同年代のお客さんや大人たちをもてなし、交流を楽しんだ。
 
 釜石まちづくり会社が主催。東日本大震災後、放課後子ども教室を運営する市民団体が子どもたちの主体性を育むことや、地域とのつながりをつくるのを目的として2013年に始めた。その後、同社が引き続ぎ今回で12回目。TETTOのほか、隣接する釜石PITも会場とし規模を拡大させ開催した。
 
 まつりでは子どもたちが「やりたい店」を自分で考え、働くことを体験。また、働いて得た売上金(まつりの仮想通貨「かまっコイン」)を使って他店での買い物体験ができ、社会の仕組みにも触れて学べる。
 
家族連れでにぎわった「かまっこまつり」

家族連れでにぎわった「かまっこまつり」

 
 今回は未就学児から中学生までの子どもスタッフ約40人が2~7人でチームを組み、スノードームや松ぼっくりのオーナメントを販売する雑貨店、巨大な抽選器を回せるゲーム屋など計10店をオープン。中高生や保護者のサポートを受けながら、来場した約300人に買い物や遊びを満喫してもらった。
 
ボディーペイントの体験や手作り品の販売に忙しい子どもたち

ボディーペイントの体験や手作り品の販売に忙しい子どもたち

 
「寄ってってー」。子どもらの呼び込みは元気いっぱい

「寄ってってー」。子どもらの呼び込みは元気いっぱい

 
 初参加の高橋希海さん(甲子小2年)は、こども園時代の仲間らと組んで「こうとうフレンズ シール屋さん」を出店。ハンドメイド用のりやビーズなどを使った飾りを施したヘアピン、シールを販売した。「自分たちで作ったものが売れた」と、喜びを体感。他店の状況も見て、「今度はスクイーズ(触って楽しむおもちゃ)とか売ってみたい」と、視線は早くも次回に向けた。
 
「かわいいのができたよ」と笑顔を見せる子どもたち

「かわいいのができたよ」と笑顔を見せる子どもたち

 
 これまでは小学生が企画し、中高生がサポートする形が多かったが、今回、1組の中学生グループが店を構えた。手製の香水やコースターを並べた「チームたまごボーロ」。昨年の体験を発展させようと臨んだ佐々木稜さん(甲子中1年)は「自分の好きなものを売るだけでなく、消費者のニーズを考える機会にもなる」と、イベントの良いところを挙げた。売り上げアップに結び付ける要素として、子どもの来場が多いことから、「同じ目線で商品を取りそろえることができる」と分析も。ものづくりを楽しむこともできたようで、ほかの出店者と同様に「また挑戦したい」と意欲を見せた。
 
「これはどう?」と小さなお客様に商品をPRする中学生

「これはどう?」と小さなお客様に商品をPRする中学生

 
 まつり担当として会場全体に目を配った同社の岩城一哉さん(39)は「普段の生活でできないことをやってみたり、自分が考えた遊びを他の人に楽しんでもらうことで、子どもたちが肯定感を持てるよう取り組んでいる。学校外で集って、いつもとは違った関係性を深めたり、地域を超えたつながりをつくりながら、子ども時代の思い出となればいい。将来、主催側になるような動きがあるといいのだけれど」と期待を込める。
 
 会場を拡大させたことで「新しいことができた」と岩城さん。その一つが、「巨大すごろく」の設置だ。「やりたい」と希望したのは学区が異なる小学生3人。まつりに向けた準備期間は約3カ月間で、全員が集まる機会はほぼなく、四苦八苦したという。開始直前までバタバタしたものの、本番は多くの親子連れで大にぎわい。「場所をうまく使えたことで、子どもたちのやりたいことが広がった」とうれしそうに話した。
 
何マス進める?巨大なすごろくで遊ぶ子どもら

何マス進める?巨大なすごろくで遊ぶ子どもら

 
マスに記されたお題をこなしながらゴールを目指した

マスに記されたお題をこなしながらゴールを目指した

 
 すごろくチームの竹山永理さん(鵜住居小4年)は、マスのイラストや指示を書いたり、景品のキーホルダーをつくったりするのが大変だったというが、自分より小さい子たちが楽しむ姿に「うれしい」とほほ笑んだ。夢をかなえた後に気になったのは、ほかのチームの活動。「どういうやり方をしているのか刺激になった。今度は手作り品を売る方をやりたい」と目標を見つけた。
 
 子ども主体のイベントではあるが、「盛り上げたい」とキッチンカーや物販ブースを開設する地域事業者が増加。岩城さんは「関わってくれる気持ちがうれしい。地域の和が広がると、子どもたちの可能性も広がると思う。今後も、子どもが地域とつながる場をつくっていきたい」と先を見据えた。

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平和の願い、未来へ―釜石小が伝える艦砲射撃の記憶 オリジナル劇「ヒマワリの誓い」上演

釜石艦砲射撃を題材にした創作劇を披露した釜石小6年生

釜石艦砲射撃を題材にした創作劇を披露した釜石小6年生

 
 戦後80年の節目に。あの日、何が起こったのか。命のはかなさ、人々の強さ…知ってほしい―。釜石小(五安城正敏校長、児童66人)の6年生9人は8日、釜石市大町の市民ホールTETTOで「釜石艦砲射撃」を題材にしたオリジナル劇を上演した。児童は戦争体験者から話を聞くなどして80年前を想像し、多くの命を散らせた惨禍の実相から学び、感じ取った思いをせりふにのせて発信。戦争の愚かさ、平和の尊さを訴える姿は観客約150人の大きな拍手を誘った。
 
 劇のタイトルは「ヒマワリの誓い」。物語は釜石艦砲を経験した高齢の男性が回想し、孫ら子どもたちに語りかける場面から始まった。劇中では戦時中の市民の暮らし、1945(昭和20)年7月14日に釜石を襲った1回目の艦砲射撃の状況を再現。同級生を亡くした子どもの心情、一緒に植えたヒマワリに誓う平和への思いなどを盛り込み、約30分の劇にまとめた。
 
子どもたちが虎舞の練習をする現代の場面からスタート。「その音色が聞こえなくなった時代があってな…」

子どもたちが虎舞の練習をする現代の場面からスタート。「その音色が聞こえなくなった時代があってな…」

 
80年前の釜石を再現した一場面。「戦争ごっこ」で遊ぶ

80年前の釜石を再現した一場面。「戦争ごっこ」で遊ぶ

 
当時の子どもたちは高台にあった監視所に水を届けに行っていた

当時の子どもたちは高台にあった監視所に水を届けに行っていた

 
「敵機、襲来」。7月14日の艦砲射撃の状況を表現

「敵機、襲来」。7月14日の艦砲射撃の状況を表現

 
静寂…変わり果てた街に泣き崩れ、ぼう然とした

静寂…変わり果てた街に泣き崩れ、ぼう然とした

 
 劇中、激しい砲撃を受け、一緒に学び遊んでいた友達を突然失った子は「戦争って何なんだよ」「いったい何のために死ななきゃならなかったんだ」「僕たちの街も…こんなの間違いだー」と迫真の演技。変わり果てた街を見つめ、ヒマワリが咲くのを楽しみにしていた亡き友に「きっと平和を取り戻す」と誓った。
 
「なんで…なんでだよ!」。同級生を亡くした子の心情を熱演

「なんで…なんでだよ!」。同級生を亡くした子の心情を熱演

 
 現代の場面に戻り、男性の話から戦争がもたらす惨状を想像し、子どもらは「怖かった」と言葉を絞り出した。最後に「この話を語り継いでいく。私たちは生きる。あの空に向かって真っすぐ咲くヒマワリのように。―――これからは私たちが美しい釜石を作り上げていく。だから、戦争は絶対にしない」と舞台の上から思いを伝えた。
 
「語り継ぐ」「生きる」と舞台上からメッセージを発信

「語り継ぐ」「生きる」と舞台上からメッセージを発信

 
 召集令状を渡す兵隊役や生徒役を担当した畝岡蓮恩さんは「戦時中の話、悲惨さを聞いて『本当にあったことなんだ』と感じた気持ちを込めて演技した。争いは良くないとしっかり伝えられた」と満足げにうなずいた。
 
 釜石艦砲や疎開した経験を持つ同市大只越町の女性(86)は「良く演じてくれた。ちゃんと聞こえるようによく練習したのね。現代の子たちが戦争のことを学び、自分のものにして発信するのはすごい。大事なことで、つないでほしい」と感心していた。
 
 6年生の劇は、戦後80年の節目となった2025年の総合的な学習での取り組み。学校近くの平和女神像の塗り替え作業を手伝いながら平和について考え、戦争の歴史や釜石艦砲については市郷土資料館や市立図書館で資料を調べたり、戦跡・防空壕の見学、戦争体験者からの聞き取りなどをしながら理解を深めた。
 
学習の様子や感じたことを動画にまとめて紹介した

学習の様子や感じたことを動画にまとめて紹介した

 
 台本は、担任の佐々木侑香教諭と児童が多くの学びをつなぎ合わせ、せりふの言い回しも考えながら練り上げた。集大成として、昨年10月の学習発表会で披露。「もう一度見たい」「広く市民に見てもらいたい」などの声があり、学校を飛び出した大舞台での公演につながった。
 
 広い空間での演技に「緊張した」と山﨑詩(らら)さん。「戦争はしてはいけない」「平和が大事」ということをしっかり伝えようと、劇中、警戒警報が響く場面での叫び声、家族とのやりとりでのせりふを「より大きく、そしてゆっくり」発するよう心がけた。印象に残る学びは、当時の経験談を聞いたこと。防空壕に入った時は「当時の音が聞こえてきた気がした」。感じたことを思い起こし演じ、学校で発表した時よりも「レベルアップできた」と笑顔を見せた。
 
6年生に艦砲射撃や戦時中の記憶を伝えた渡邊佐一さん(左)

6年生に艦砲射撃や戦時中の記憶を伝えた渡邊佐一さん(左)

 
 公演後、ロビーに集まった児童は渡邊佐一さん(90)の姿を探した。小学4年の時に体験した釜石艦砲の記憶を語ってくれて、劇を「絶対、見てほしい」と望んでいたから。駆け寄って「どう?」と反応をうかがった。
 
 渡邊さんは「立派にできた。見ている人にみんなの気持ちが通じたと思うよ」と言って、子どもたちと握手を交わした。「戦後80年」で高まったムードが薄れるのを憂慮する一方、「子どもたちの心の中に私の話がすっとしみ込んでいるだろう」と信じる。そして「何かの機会に振り返ってほしい」と願う。
 
渡邊さんを囲んで、すがすがしい表情を見せる子どもたち

渡邊さんを囲んで、すがすがしい表情を見せる子どもたち

 
 そうした願いを受け止める6年生。「平和の尊さに向き合い、未来を考え、劇を作り上げた。その思いが後輩に引き継がれ、学校の歴史が積み重なっていくと思う」。渡邊さんを囲んで笑顔の花を咲かせた。

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劇団もしょこむ10周年 集大成のコメディー劇21、22日公演 個性際立つ役が勢ぞろい!

10周年公演に向け、稽古に励む「劇団もしょこむ」のメンバー/9日夜、青葉ビル

10周年公演に向け、稽古に励む「劇団もしょこむ」のメンバー/9日夜、青葉ビル

 
 釜石市在住、ゆかりのメンバーが東日本大震災後に立ち上げた「劇団もしょこむ」(小笠原景子代表)が21、22の両日、市民ホールTETTOで10周年公演を行う。2015年3月の旗揚げ公演から9作目となる今作は、「もし夜が来なくても、夢を見る。」と題したコメディー劇。10~50代の男女8人が個性豊かな役で物語を展開する。本番を前に出演者らは熱のこもった稽古を続け、「10年の集大成をぜひ見てほしい」と多くの来場を呼びかける。
 
 脚本は大槌町在住のライター、たておきちはるさんが手掛けた。物語の舞台は“いわくつき”のシェアハウス「神木須館(ジンギスカン)」。“クセ者”ぞろいの住人たちが日常を送るが、実はそこには隠された大きな秘密が…。執筆を依頼するにあたり、「もしょこむの過去作品で思い入れのある要素を伝え、ふんだんに散りばめてもらった」と小笠原代表(41)。「クスッ」と笑える場面が多く、子どもから大人まで幅広く楽しんでもらえる内容だという。
 
過去作品をほうふつとさせる登場人物も。枕を持つのは確か…あの回にも?

過去作品をほうふつとさせる登場人物も。枕を持つのは確か…あの回にも?

 
出演者も「演じていて楽しい」と話すコメディー劇。乞うご期待!

出演者も「演じていて楽しい」と話すコメディー劇。乞うご期待!

 
 10周年公演は昨年6月に構想。脚本(台本)が完成した11月から稽古を開始し、週2回、学業や仕事が終わった夜に演技の練習を重ねてきた。登場人物の要「コースケ」を演じる山口孝太郎さん(34)は第2子の誕生もあり、「練習時間のやりくりが難しかったが、(仕事や子育ての合間の)短い時間を使い、セリフを覚えたり動きを合わせたりした」という。東京都出身、2017年に同市に移住し、18年の同劇団3作目で役者デビュー。今作で6回目の出演となる。演劇を通じて「友だちや知り合いも増えた。もしょこむは人生の大きな財産」と山口さん。「これまで応援してくれた方、初めて見る方、いろいろな人に満足してもらえる作品にしたい。笑いあり、感動ありのあっという間の1時間。気軽に見に来て」とアピールする。
 
役者の夢をあきらめ、ぐうたらな生活を送る「コースケ」を演じる山口孝太郎さん。劇中でアフロヘアから一転、短髪に…。変身の訳は?(公演で!)

役者の夢をあきらめ、ぐうたらな生活を送る「コースケ」を演じる山口孝太郎さん。劇中でアフロヘアから一転、短髪に…。変身の訳は?(公演で!)

 
本番まであとわずか。通し稽古で細かな部分を最終チェック

本番まであとわずか。通し稽古で細かな部分を最終チェック

 
 今回の出演者で唯一の高校生、森美惠さん(18)は同劇団公演初出演。中学2年時から釜石市民劇場など地元開催の舞台に出演を続け、昨春、開校した釜石初のタレント養成所「C-Zeroアカデミー」では演技に必要な基礎的知識や技能を学んできた。今回は「今までに演じたことのない感情の起伏が激しい役」で、役づくりに苦戦しつつも、「現代劇は初めてなので新鮮」と新たな環境と作品を楽しむ。同アカデミーで学んだ日本語の発音技術はセリフの言い回しや滑舌に役立っているという。今春、進学で釜石を離れる。自身の地元演劇の集大成ともなる出演。「もしょこむの世界観に合った演技で作品を盛り上げたい。演劇をやっている他の子たちの刺激にもなれば」と意気込む。
 
もしょこむの舞台、初出演となる森美惠さん。これまでの演劇経験が生きる演技力を発揮

もしょこむの舞台、初出演となる森美惠さん。これまでの演劇経験が生きる演技力を発揮

 
 劇団もしょこむは震災復興のさなかで誕生。「被災地でも芝居がしたい」「演劇で釜石を元気に」との思いから、釜石出身・在住者、市外からの復興支援者らで2015年2月に立ち上げた。劇団名は発足当時のメンバーの名前の頭文字を組み合わせた造語。1カ月後の旗揚げ公演は平田の仮設団地内で行った。震災で両親を亡くし、仮設住宅に暮らす姉妹が悲しみや不安など心の葛藤を抱えながら、懸命に前を向いて生きる姿を描いた。被災者の共感を呼び、その後、県内外の公演で被災地の“今”を発信した。
 
 2作目以降は17年から、ほぼ年1回のペースで公演。コロナ禍で活動休止を余儀なくされた時期もあったが、ジャンルにとらわれない自由な発想で独自の芝居を作り上げ、観客を楽しませてきた。本公演のほか、市内のイベントとタイアップしたミニ公演、演劇ワークショップなども行い、活動の幅を広げている。
 
個性際立つキャラクターが繰り広げる「夢」にまつわる物語。心を一つに本番へ…

個性際立つキャラクターが繰り広げる「夢」にまつわる物語。心を一つに本番へ…

 
 根底にあるのは「誰でもどこでも、演劇に挑戦できる文化がもっと広がってほしい」との願い。コメディーを取り入れ、回を重ねるごとに子どもたちの観劇、笑顔が増え、「次の世代に何かを残したい。つないでいくためにも子どもたちが演劇に触れる機会を増やしていきたい」(小笠原代表)と強く思うようになった。初演から高校生以下の観劇を無料としているのも「演劇は身近なもの」と感じてほしいから。
 
 宮古市で子どもたちの演劇指導も手がける小笠原代表は「演劇はコミュニケーション能力向上のほか、異年代の人たちが意見を出し合い、一つの作品に向かって力を合わせるという面で子どもたちにもいい変化をもたらしている」と実感。「沿岸部の演劇シーンが盛り上がってきている」のも感じていて、今後、「互いに交流し、刺激し合いながら沿岸の演劇文化を盛り上げていければ」との夢も描く。
 
演出も担当する劇団代表の小笠原景子さん(左)。今作は役者としても舞台に立つ。劇団創設メンバーの一人

演出も担当する劇団代表の小笠原景子さん(左)。今作は役者としても舞台に立つ。劇団創設メンバーの一人

 
この後の物語の展開は公演でのお楽しみ。シェアハウスの秘密とは??

この後の物語の展開は公演でのお楽しみ。シェアハウスの秘密とは??

 
 10年の歩みに思いをはせながら、出演者、観客ともに楽しい時間となりそうな集大成公演。21日(土)は午後7時から、22日(日)は午後1時からと午後4時からと、計3回公演する。会場は同劇団初となるTETTOのホールA。前売り券は1500円で、TETTO窓口で販売中。当日券は2000円。高校生以下は無料。詳しい情報は
劇団もしょこむのSNS(フェイスブック、インスタグラム、エックス)で発信中。

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レスリングの全国選抜大会で好成績 釜石の小学生・岩﨑花乃さん 成長の力は…

レスリングの全国選抜大会で3位に入賞した岩﨑花乃さん=2月7日

レスリングの全国選抜大会で3位に入賞した岩﨑花乃さん=2月7日

 
 レスリング競技に取り組む岩手県釜石市の小学生、岩﨑花乃さん(鵜住居小4年)は、1月下旬に東京都で行われた「フォーデイズ・カップ」第30回全国少年少女選抜レスリング選手権大会(全国少年少女レスリング連盟主催)に初出場し、小学生女子の部4年生36キロ級で3位に入賞した。競技に本格的に打ち込み、まもなく3年。着実に力をつけ、成長とともに階級を上げて臨んだ結果に「うれしい」と素直に喜ぶ。一方、「全国大会の決勝の舞台に立つ」との目標までは、あと一歩。「悔しい」という気持ちを心技体のレベルアップにつなげる。
 
 花乃さんは、山田町の山田レスリングクラブ(上野三郎代表)に所属している。選抜大会は、昨年7月に東京都であった全国大会のベスト8か、各地域のブロック大会で優勝、準優勝した選手が対象。花乃さんは昨4月に秋田県で開かれた北日本選手権大会の小学3・4年生女子の部33キロ級で優勝し、出場権を得ていた。また、全国大会でも3位に入った。
 
 選抜大会の小学生女子の部4年生36キロ級は10人が出場し、トーナメントで争った。シードの花乃さんは2回戦から登場し勝利。準決勝で千葉県の選手に惜しくも敗れ、銅メダルだった。
 
選抜大会では2024年パリ五輪銀メダリスト・高谷大地さんからメダルを授与され感激(左上の写真)。各種大会で試合を待つ間は山田クラブの仲間と調整【写真提供・岩﨑家】

選抜大会では2024年パリ五輪銀メダリスト・高谷大地さんからメダルを授与され感激(左上の写真)。各種大会で試合を待つ間は山田クラブの仲間と調整【写真提供・岩﨑家】

 
 花乃さんによると、同学年に飛び抜けて強い選手がいて「まだ勝てない」という。今大会で対戦はなかったが、そうした選手がともに階級を上げており、今後は顔を合わせるのが確実。「1位の選手との対戦は怖いけど、負けるのは悔しい。5年生では全国大会で決勝の舞台に立って、6年生で優勝したい」と目標を明確にする。
 

ライバルは父⁉「どっちが先に」

 
ファイティングポーズで向き合う岩﨑父娘

ファイティングポーズで向き合う岩﨑父娘

 
 花乃さんは小学2年の時に同クラブに選手登録。半年足らずで、東北・北関東の選手が集う大会に出場し、3位に入賞。3年の冬にあった東北大会では優勝、初めての金メダルを手にした。順調かと思いきや、北東北のブロック大会では初戦敗退(2年の秋)。苦い思いをしたりしながら小規模の大会への参戦も重ね、経験を積んでいる。
 
地方、全国の各種大会に出場し経験を積む【写真提供・岩﨑家】

地方、全国の各種大会に出場し経験を積む【写真提供・岩﨑家】

 
 競技に出合うきっかけは、父・大輔さん(39)の存在。少年期は柔道、高校進学時に可能性を見いだされ岩手県内のレスリング強豪校に進み、大学、社会人となっても競技を続けた。県代表として国体への出場経験もある。さらに、花乃さんの祖父、伯父も競技人で、岩﨑家では“お家芸”のようなもの。伯父は学生時代にアジア大会などの日本代表にも選出された実力を持つ。
 
 そうした環境もある中、小学生になった花乃さんに習い事をと考えた大輔さん。ダンスなどを体験させた中から、花乃さんが選んだのが「まさか」のレスリングだった。花乃さんのクラブ所属と同時に大輔さんも選手兼コーチとして登録した。
 
 コーチとして指導に力を入れる傍ら、大輔さんは選手としても活躍する。花乃さんが3位に入った選抜大会の前にあった第25回全日本マスターズレスリング選手権大会(1月17日、東京で開催)に出場。男子マスターズの部35~40歳62キロ級で準優勝し、銀メダルを首にかけた。
 
銀と銅。1月にそれぞれが出場した全国大会で上位入賞

銀と銅。1月にそれぞれが出場した全国大会で上位入賞

 
 「どっちが1位をとるか」。岩﨑父娘は全国大会での優勝、金メダルをかけて勝負する。この“ライバル関係”を花乃さんは成長の力にする。コーチとしての父は「厳しくてコワイ」けど、選手としての姿は「かっこいい」。家庭では「やさしく頼れる」存在で、競技に打ち込む自分を応援してくれるから「大好き」とはにかむ。
 

競技がつなぐ 家族の絆

 
寄り添い合いながらレスリングに取り組む岩﨑親子

寄り添い合いながらレスリングに取り組む岩﨑親子

 
 2人の練習の場は山田クラブの道場と宮古商工高レスリング部の道場(宮古市)。平日の4日間は山田、週末に宮古で技を磨けるが、釜石・鵜住居町の自宅から向かうには家族の協力が必要で、消防士の大輔さんが参加できる日を中心に通っている。
 
 コーチ目線の大輔さんによると、花乃さんの強みは試合の流れをひっくり返すことにつながる投げ技と、タックルをかわすディフェンス力。大舞台でも落ち着いて、試合の流れを組み立てるのが「うまい」という。逆に、強化したい点は体力と細かな技術。「決勝まで手が届きそうなところまできている。着実に全国との差は縮まっているから、フィジカル面、技の精度をレベルアップさせること。メンタル面も磨きながら」と助言する。
 
宮古商工高の道場で父、弟とともに練習に励む花乃さん【写真提供・岩﨑家】

宮古商工高の道場で父、弟とともに練習に励む花乃さん【写真提供・岩﨑家】

 
 そのうえで、「根を詰め過ぎないのも大事」と大輔さん。小学生の今は競技以外にもさまざま経験をさせたいと、地域イベントへの参加や家族で過ごす時間も大切にする。「だから、練習に行った時は集中する」。練習につき合う母・小耶さん(39)も、花乃さんの適所での集中力、意識の高さを認めている。
 
 そんな花乃さんが競技に打ち込む理由は「学区外の友達と会えるから」。大会でも同年代の選手との交流を楽しみにする。そして何より、「勝つとうれしい」。相手を投げたり、タックルで倒したりし、審判員に勝者として手を上げられるのも「誇らしい」。魅力と感じることをどんどん言葉にする。
 
 練習相手になってくれる高校生の中には世界、アジア大会の日本代表選出者もいる。「日本代表として戦ってみたい」。そうした環境が花乃さんを刺激し、少し先にある未来への希望を芽吹かせる。
 
目標実現へ。賞状やメダルを見ながら感情を共有する

目標実現へ。賞状やメダルを見ながら感情を共有する

 
 高みを目指す―。「家族の目標にもなっている」と小耶さん。大輔さんが頑張ってきた競技を「受け継いでくれたのがうれしい」とも話す。その輪に弟・一平さん(同1年)も加わる。「もっと強く」。家族をつなぐレスリングで夢を追う。
 
釜石市民体育賞を受けた大輔さん、花乃さん父娘=2月14日

釜石市民体育賞を受けた大輔さん、花乃さん父娘=2月14日

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縁起物!?白いナマコ 釜石・両石湾で発見 岩手大学釜石キャンパスで展示中「幸せのおすそ分け」

釜石市の両石湾で水揚げされた白いナマコ

釜石市の両石湾で水揚げされた白いナマコ

 
 釜石市で白いナマコが水揚げされた。同市両石町の漁師、久保翼さん(22)が捕獲。「珍しいから」と持ち込んだ同市平田の岩手大学三陸水産研究センター(釜石キャンパス)で展示されている。漁業関係者らの間では「縁起がいい」と言われているらしく、さらにナマコの生態に詳しい研究者も「なかなかお目にかかれない…気になる」とそわそわ。久保さんや釜石キャンパスの関係者は、漁で弱っている可能性もあることから「早めに見に来て」と呼びかけている。
 
 釜石キャンパスの事務室近くの水槽に入る2つの白い塊。大人の手のひらに載るくらいのサイズで伸び縮みして動いている。どちらも両石湾で捕獲。白っぽいのは1月下旬、久保さんが両石漁港でけた曳(び)きで捕まえた。真っ白の個体は2月5日、両石町水海の愛の浜の入り江で、箱眼鏡をのぞいていて発見。「白ナマコだ」と認識したうえで、「縁起がいいものだし、いいことあるかな」と竿(さお)を伸ばした。
 
白いナマコを水揚げした久保翼さん。岩手大学釜石キャンパスの水槽で展示中

白いナマコを水揚げした久保翼さん。岩手大学釜石キャンパスの水槽で展示中

 
 幼少期から古里の海に親しむ久保さん。現在、「いわて水産アカデミー」7期生として、地元の海で実践研修を重ねながら漁業の知識や技術の習得に励んでいる。研修のサポートなどで釜石キャンパスの特任専門職員、齋藤孝信さん(64)と親交を深め、珍しいものを見つけては連絡。白ナマコは2、3年に1回程度見かけるというが、「ネットで調べると、10万匹に1匹」という情報もあったり、「珍しいものには変わりないから」と釜石キャンパスに寄贈した。
 
 同センターの谷田巌准教授(40)によると、この2体はマナマコあるいはアカナマコの一種で、伸びきった状態の体長は白っぽいのが約30センチ、真っ白い方は約20センチ。生後2~3年で、色素を持たない「アルビノ」(白化)とみられる。
 
 通常、ナマコは砂地や岩場の海底に生息し、泥や砂などを食べて成長する。赤、青、黒などの色をしていることが多い。久保さんによると、両石湾では青や黒っぽいマナマコが多くとれるが、アカナマコもとれるという。
 
白いナマコの情報を共有する(左から)谷田巌准教授、久保さん、齋藤孝信さん

白いナマコの情報を共有する(左から)谷田巌准教授、久保さん、齋藤孝信さん

 
 「アカなのか、青、黒か…気になる」と谷田准教授。そして「真っ白いのは見る機会がない」と話し、「遺伝子を調べてみたい」と好奇心をのぞかせた。「珍しいものがとれたから」と見学を促し、「海や水産に興味を持ってもらえたら」と期待を込める。
 
 釜石地域でのナマコ漁は12月後半から2月頃まで。久保さんが言うには「ナマコ自体、縁起がいい」らしい。齋藤さんも「ここら辺では正月料理の一つだし…」と加えた。
 
 だからこそ、「お目にかかれない」(谷田准教授)白いナマコは、特別感を抱かせる。「幸運を呼ぶ」などと珍重される白いナマコを今年に入って2度も発見した久保さん。主力の養殖ワカメの収穫シーズンを前にした出来事に「いいのが、いっぱいとれるかな」といたずらっぽく笑った。
 
 幸せのおすそ分けー。3人は楽しそうに水槽をのぞき込んでいる。
 

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アクシデントも成長の糧!?フランス派遣で得た学び 釜石の中学生、ユーモア交え報告

フランスでの体験学習に参加した釜石市の中学生

フランスでの体験学習に参加した釜石市の中学生

 
 釜石市の中学生海外体験学習事業でフランスに派遣された生徒6人の帰国報告会は7日、同市大町の市民ホールTETTOで開かれた。海外での生活や異文化交流を楽しんだ一方、慣れない異国の地で想定外のアクシデントも発生。体験活動はまちまちとなる中、それぞれが見いだした豊かな学びを、ユーモアを交えて発表した。
 
 この事業は同市の国際化に貢献できる人材の育成を図るため実施。昨年度、姉妹都市提携30周年を迎えた同国ディーニュ・レ・バン市との親交を深めることも目的にする。希望者を募り、6人を選考。7回の事前研修でフランス語や文化、現地で注意すべきことなどを確認しながら準備を進めた。
 
フランスに派遣された中学生の帰国報告会

フランスに派遣された中学生の帰国報告会

 
 派遣期間は1月5日から13日までの9日間。フランスで活動できるのは実質4日半程度で、生徒らはディーニュ市のほかマルセイユ、パリを巡って体験活動に取り組んだ。ディーニュ市では、児童生徒らが放課後の時間を過ごす「学生の家」や中学校、ホームステイ先で同年代の子や現地の人らと交流。姉妹都市提携のきっかけとなったジオパーク資産のアンモナイト化石群、ジオパーク博物館なども見学した。
 
 ディーニュ市に入り、初日の活動を終えた頃に体調不良者が出て、現地の病院を受診。回復した生徒もいれば、新たに体のだるさを伝える子が出たりし、半数は十分な活動ができなくなった。スケジュールを変更しながら、不調がない生徒は活動を継続。歴史的建造物も多い市街地の散策などを楽しんだ。
 
現地で撮った写真を示して印象に残ったことや学びを語る

現地で撮った写真を示して印象に残ったことや学びを語る

 
 派遣された6人はいずれも2年生で、報告会には全員が参加した。全日程で積極的に行動した内川愛優さん(唐丹)は、ホームステイ先で気づいた日本との暮らしや文化の違いを紹介し、学びを得る喜びを言葉にした。体調に不安を抱えつつ活動した川端俐湖さん(釜石)は世界の広さを実感し「違いを認め、受け入れることの大切さを改めて学んだ」と伝えた。
 
 菊池すずさん(釜石)は「インフルエンザになり、思い描いたキラキラした日々を過ごせなかった」と明かしながら、宿泊先のホテルや病院の「窓」から見つめた多様な人種の往来、やりとりを通して考えたことを説明。自身の生活に当てはめ、「現地の小学生の心と、人が持つ回復力を信じた医療がすてきと思えた自分の気持ちを忘れずに人と向き合いたい」と背筋を伸ばした。
 
「プラスになった」。独自の視点で得た学びを伝える生徒

「プラスになった」。独自の視点で得た学びを伝える生徒

 
 佐々木茜さん(釜石)は旅の後半で体調を崩したが、滞在先や病院の待合室での触れ合いを振り返った上で、「人の温かさや笑顔はどこでも通じる。経験を胸に、これからも新しい世界に踏み出していきたい」と力を込めた。音楽を通した交流を楽しんだ一方で、多くの時間が休息に変わってしまった菅原梨花さん(甲子)もたくさんの支えがあったと感謝。「どんな場面でも周りの人に寄り添えるよう視野を広く持ち、日々を過ごしたい」と前を向いた。
 
 ラグビー競技に励む鈴木秋音さん(甲子)にとっては、出会いにあふれた特別な旅になった。2023年にフランスで開催された第1回ワールドアマチュアラグビーフェスティバルで大会実行委員長を務めたジェレミー・テシエさん宅に滞在し、現地の生活を満喫。「一つの共通点だけで楽しく国際交流ができる幸せ」をかみしめた。同大会には釜石から特設チームが派遣されたが、「いつか釜石で開催してもらうこと」が夢になった。19年ラグビーワールドカップが開催された時のように「釜石をラグビーで活気ある街にしたい」と未来を想像した。
 
ホームステイ先での触れ合いなど充実した交流を紹介

ホームステイ先での触れ合いなど充実した交流を紹介

 
 報告を聞き終えた人たちは、異国での苦い経験や帰国後の気持ちの変化、成長した点などについて質問。生徒たちは「出国検査で戸惑った」「かばんが開いていて、すられそうになった。危機感を持つよう気を引き締めた」「コミュニケーション力が向上した」などと答えていた。
 
会場からの要望に応えてフランス国家を歌う場面もあった

会場からの要望に応えてフランス国家を歌う場面もあった

 
「メルC」と手でサインを示し笑顔を見せる生徒たち

「メルC」と手でサインを示し笑顔を見せる生徒たち

 
 小野共市長は「特異な経験を将来に役立ててほしい」と激励。高橋勝教育長は「みんなは自分の力でドアを開けたから、今回の学びにつながった。その力を持ち続けてほしい。そして、誰かのためにドアを開けられるような力も持ってもらえたら」と、さらなる成長を期待した。