タグ別アーカイブ: 文化・教育

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ポップな世界で魅せる!釜石のイラストレーター須藤郁美さん デジタルアート展

デジタルイラストでポップな世界観を表現する須藤郁美さん

デジタルイラストでポップな世界観を表現する須藤郁美さん

 
 釜石市鵜住居町のイラストレーター須藤郁美(すとう いくみ)さん(36)の作品展「feel(フィール)」が、大町の市民ホールTETTOギャラリーで開かれている。タブレット端末を使ったデジタルイラストで創り出すポップな世界観を紹介。遊び心を加えた作品もあり、「『かわいい!』『おしゃれー』とか感じてもらえたら」と来場を呼びかける。同ホール自主事業「art at TETTO(アート・アット・テット)」の第14弾。11日まで楽しめる。
 
 作品づくりのテーマは「ポップ」。似顔絵、擬人化の表現を得意とし、お笑いコンビのサンドウィッチマンなど著名人の描写や自画像、精霊や妖怪の姿を創造したカラフルな作品など約50点を並べる。モミジやイチョウなどの葉っぱに埋もれる人物を描いた「かくれんぼ」(A3サイズ)は、隠れたリスを探す遊びも取り入れた作品。メイン展示品の「釜石大観音と虎舞」(B1サイズ)は、郷土芸能虎舞の継承と街の未来を見守る擬人化された観音様の柔らかな表情が印象に残る。
 
大小さまざまな作品が並ぶデジタルイラスト展「feel」

大小さまざまな作品が並ぶデジタルイラスト展「feel」

 
カラフルでかわいい作品がずらり。釜石にちなんだ作品も

カラフルでかわいい作品がずらり。釜石にちなんだ作品も

 
会場ではかわいらしさが詰まった作品をじっくり楽しめる

会場ではかわいらしさが詰まった作品をじっくり楽しめる

 
 須藤さんはもともと絵を描いたり、物を作ったりするのが好きで、デザインを学ぶため東北工業大に進学。広告、ウェブデザインの基礎を身につける中で、デジタルアートが趣味に加わった。「仕事にしたい」とは考えていたが、「食べていける仕事」とは思えず、卒業後は地元に戻って教員補助、販売員、事務職員として働いた。
 
 そして、結婚・出産。子育て、仕事と忙しい日々が続く中、全てを頑張ろうとして心身ともに疲弊し、人との関わりに悩んだり、ストレスをうまく解消できず、「適応障害」「抑うつ」と診断されて療養が必要な状態になった。そうした診断があったことで「逆に吹っ切れた」と須藤さん。「キャパオーバー。嫌なことを続けるのはヤダ。いったんリセットしよう」。家族の理解を得て、休息期間に入った。
 
 「人生に欠かせないもの」という絵を描くことは継続。気持ちに余裕ができた頃、SNS(交流サイト)での作品紹介、ウェブショップでのグッズ販売を始めた。すると、「学校の図書室に掲示するポスターを作ってもらえないか」という依頼が入った。知人らのつてで企業や釣り好きの人向けのステッカー制作、似顔絵の要望も受けるように。ちょうど働かなければと思っていた時期で、「人と会うのは…だけど、病気に負けたくない」「やりたいことをやろう。チャレンジしてみよう」と発起。イラストレーターとしての活動に本腰を入れ、3年目となった。
 
仕事として請け負う中で創り出した作品も紹介する

仕事として請け負う中で創り出した作品も紹介する

 
制作過程を知らせるパネルやオリジナルの塗り絵も用意

制作過程を知らせるパネルやオリジナルの塗り絵も用意

 
 地元の美術集団「サムディ45」に所属し、グループ展で作品を紹介しているが、個展は初めて。タイトルのフィールには「直感で動くタイプで、感じたままに生きてきた自分」と「デジタルイラストが身近にあふれていることを知り、感じてほしい」との思いを込めた。
 
 期間中の3、4日には、似顔絵を描いてプレゼントする企画も。「親子一緒に描いてもらいたかったから、うれしい」と満足げな関谷千帆さん(42)は、額に入れて自宅に飾るという。翔也ちゃん(5)は「(ママは)かわいい。(自分は)かっこいい」と、イラストと同じ笑い顔を見せた。
 
「大満足」。似顔絵そっくり⁉な笑顔を見せる親子

「大満足」。似顔絵そっくり⁉な笑顔を見せる親子

 
似顔絵を描く須藤さん(右)の傍らで来場者が作品を楽しむ

似顔絵を描く須藤さん(右)の傍らで来場者が作品を楽しむ

 
 アーティスト活動によって、人と触れ合う機会が増えてきた須藤さん。自身の活動を知ってもらうことで、心身の不調を感じる人たちや周囲の人に「ふとしたきっかけで誰にでも起こりうる身近なもの(病気)だよ」「元気を出してほしい」とメッセージを送る。
 
 「まだ、駆け出し。もっと勉強し、仕事をもらえるようにしたい」。岩手県内には同じようにデジタルアートを活用した活動を展開するイラストレーターが多くいるといい、交流し刺激し合いながら創作の世界観を広げていきたい考え。釜石を飛び出した作品紹介、展示会開催への意欲も持つ。
 
 午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)。入場無料。

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自主防結成後初 釜石東中が新年度スタートで防災オリエンテーション 校内の備えを確認

避難所開設時に使う段ボールベッドを組み立て、寝心地を確かめる=釜石東中防災オリエンテーション

避難所開設時に使う段ボールベッドを組み立て、寝心地を確かめる=釜石東中防災オリエンテーション

 
 釜石東中(高橋晃一校長、生徒86人)は4月30日、年度初め恒例の防災オリエンテーションを行った。2011年の東日本大震災で受けた同校の被害、復興の歩みを知り、防災力を高めるための活動。本年1月に県内初の中学生による自主防災組織(自主防)を立ち上げた同校。“結成元年”の取り組みを深化させるべく、生徒らは各種災害への備えを再確認するなどし、発災時の適切な行動を考えた。
 
 全学年を縦割りにした3つの組団ごとに6項目の活動を展開。2、3年生は初めて臨む新1年生(33人)にアドバイスしながら活動した。校内の災害への備えを確認する活動では、ウオークラリー形式で消火器・栓、担架、自動体外式除細動器(AED)が設置してある場所をチェック。校舎図に印を付けて全体の配置も頭に入れた。合わせて避難経路も確認した。
 
校舎内を歩き、消火器などがある場所を確認。いざという時、速やかに使えるように…

校舎内を歩き、消火器などがある場所を確認。いざという時、速やかに使えるように…

 
AEDや担架は普段の傷病者発生時にも必要。しっかり場所をチェック

AEDや担架は普段の傷病者発生時にも必要。しっかり場所をチェック

 
 2階の防災備蓄倉庫では在庫の種類と数を確認し、リストに書き込んだ。同校が鵜住居小と共用する校庭と体育館はそれぞれ、地震津波、火災、洪水・土砂災害時の緊急避難場所、拠点避難所に指定されている(市指定)。発災が生徒たちの在校時間帯の場合、自らの命を守り、安全が確認された後には、自主防として避難所開設にあたることを目指している。生徒らはこの日、毛布や飲料水、炊き出し釜、暖房器具など必要な備品が倉庫内のどこにどれだけあるかを把握。災害用の簡易トイレや段ボールベッドの組み立てを体験し、避難者名簿の作成の仕方も教わった。
 
「防災備蓄倉庫には何がある?」備蓄品の種類や数を確認

「防災備蓄倉庫には何がある?」備蓄品の種類や数を確認

 
災害時に避難所となる体育館で段ボールベッドの組み立てを体験

災害時に避難所となる体育館で段ボールベッドの組み立てを体験

 
簡易トイレの設置の仕方を学ぶ。座り心地も試した

簡易トイレの設置の仕方を学ぶ。座り心地も試した

 
 震災前から行われてきた同校の防災の取り組み、被災から復興までの歩みを知る活動も。2009年に当時の1年生が制作した津波防災の啓発DVD「てんでんこレンジャー」の視聴では、自分の命を守るために必要な、▽大きな地震がきたら高い所を目指してひたすら逃げる▽いつでも避難できるよう枕元に衣服や持ち物を置いておく▽避難場所や待ち合わせ場所を普段から家族で話し合っておく―ことを学んだ。
 
釜石東中オリジナル防災キャラクター「てんでんこレンジャー」が教える、津波から命を守る方法を心に刻む

釜石東中オリジナル防災キャラクター「てんでんこレンジャー」が教える、津波から命を守る方法を心に刻む

 
 同校には14年前の震災被害や世界中から受けた多くの支援を一堂に見ることができるメモリアルルームが開設されている。津波で全壊した校舎を含む鵜住居地域の甚大な被害、数えきれない支援に力をもらい地域とともに歩んだ復興への道のり…。生徒らは先輩方が経験してきたことを写真や支援品などから感じ取り、学校や地域のためにこれからできることを考えた。
 
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東日本大震災の被害や復興への歩みを知ることができるメモリアルルーム

 
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さまざまな展示品を見ながら気付いたことを書き留める生徒ら

 
 1年の川崎煌聖さんは「段ボールベッドの組み立てなど、避難してきた人たちへの対応の仕方が少し分かった。寝ている時とか、いつ災害があっても逃げられるよう準備していきたい」と知識を深めた様子。震災は生まれる前の出来事だが、親から話を聞き、幼稚園、小学校と避難訓練を重ねてきていて、「いざという時の行動は身に付いている」。中学生になったことで、「自分の命は自分で守ることはもちろん、周りに人がいる時は呼び掛けをしながら逃げたい」とステップアップを望んだ。
 
 同校の自主防は全校生徒と教職員で組織する。本年度は教職員19人を含め105人体制。会長を務める千葉心菜さん(3年、生徒会長)は結成後初の本格的な活動を終え、「みんな真剣に協力し合って取り組めていた」と一安心。組織の立ち上げに携わり、本年度が実質1年目となるが、「災害時に誰もが自分の立場を理解し、的確な判断と行動ができるよう学年を超えて学んでいけたら。全校参加の地域を巻き込んだ訓練もやりたい。活動を浸透させるために回数も増やせれば」と願う。
 
 同校が掲げる生徒像の一つが「助けられる人から助ける人へ―」。防災、命の学習に加え、各種地域貢献活動で「人を助ける」「誰かのために動く」ことができる人間を目指す。意欲的に取り組めるよう設けられているのが「EAST(イースト)レスキュー隊員」制度。各学習、地域活動への参加でポイントを集めると5~1級まで取得可能。普段から地域とのつながりを深めることで、災害時のスムーズな連携を図る狙いもある。オリエンテーションではその隊員証も配られた。
 
 復興・防災教育担当の佐々木伊織教諭(28)は「防災に関してはやれることをやりたいという生徒も多い。自身で必要なことを判断し、地域のために動けるようになってほしい。いかに楽しく学んで力をつけていくかが大事。新しいことにもどんどんチャレンジを」と期待を寄せる。

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夢へ、踏み出す一歩 釜石市国際外語大学校で入学式 日本・ミャンマー・ネパール人学生、決意新たに

釜石市国際大学校の入学式で在校生の歓迎を受ける新入生

釜石市国際大学校の入学式で在校生の歓迎を受ける新入生

 
 釜石市国際外語大学校(及川源太校長)の入学式は15日、同市大町の市民ホールTETTOで行われた。開校して2年目となる学びやに、留学生を含む22人が仲間入り。「釜石と世界をつなぐ存在に」「将来は日本で働きたい」など、それぞれが思い描く夢をかなえるために一歩を踏み出した。
 
 日本人向けの外語観光学科に市内外から3人が入学。外国人対象の日本語学科はネパール、ミャンマー出身の19人を迎え入れる。入国時期が遅れている学生(ネパール人)もいて、入学式には15人が参加した。
 
在校生や教職員らの拍手を受けながら入場する新入生

在校生や教職員らの拍手を受けながら入場する新入生

 
 新入生は真新しいスーツ、民族衣装のロンジー(ミャンマー)やサリー(ネパール)に身を包み入場。期待や不安が入り交じる様子だったが、自分の名前が呼ばれると「はい」と返事し、深くお辞儀した。
 
 式辞に立った及川校長は「日本人と留学生が同じ屋根の下で共に学び、成長できる『釜国』での学生生活を思いっきり楽しんで。それぞれの国で培ったグローバルな視点と、今いる地域で何ができるかという視点を持ち合わせた大人となり、未来を築いてほしい」と期待した。
 
「共に学び、成長を」などと式辞を述べる及川源太校長

「共に学び、成長を」などと式辞を述べる及川源太校長

 
真剣な表情で式辞や祝辞に耳を傾ける新入生

真剣な表情で式辞や祝辞に耳を傾ける新入生

 
 外語観光学科代表の小笠原奈那さん(19)は「ここで出会った仲間と刺激し合いながら自己実現のために学びを深めていく。多様なルーツや文化、価値観を持つ日本語学科の皆さんとも積極的に交流し、理解し合える関係を築いていきたい」と誓いの言葉を述べた。大槌町出身で、東日本大震災を機に釜石市に転居。地元で学べることへの感謝を口にし、「釜石と世界を言葉でつなげる存在、グローバルな人材になるため挑戦していく。切り開いた道を全力で歩み、恩返しをしていきたい」と前を向いた。
 
外語観光学科の新入生代表として決意を述べる小笠原奈那さん(手前)

外語観光学科の新入生代表として決意を述べる小笠原奈那さん(手前)

 
 日本語学科代表として決意を述べたのは、ミャンマー出身のタン タン ソーさん(25)。「釜石に来ることができて、とてもうれしいです。2年間、日本語の勉強を頑張ります」と片言の日本語で思いを伝えた。7日に来日し、自然豊かな景色に好感を持った様子。「釜石の人は優しい。まちで会った時、あいさつをしたら、優しい顔であいさつを返してくれます」といったエピソードも紹介した。
 
意気込みを伝える日本語学科代表のタン タン ソーさん(手前)

意気込みを伝える日本語学科代表のタン タン ソーさん(手前)

 
 鈴子町の校舎で学ぶ在校生が「ここは多くの素晴らしい出会いや経験を重ね、仲間と共に成長できる、すてきな場所。励まし合いながら進んでいきましょう」と歓迎。半年前から学ぶ日本語学科2年のタマン プラヂプさん(21)=ネパール出身=は「家族から離れて寂しくなったとしても、心配しないでくさい。学校に通って、だんだんに生活に慣れます。私たちは自分の夢をかなえるために来ているので、皆さんも一緒に勉強して、自分の夢をかなえましょう」とアドバイスを送った。
 
心待ちにしていた新しい仲間を在校生が歓迎した

心待ちにしていた新しい仲間を在校生が歓迎した

 
 同校は学校法人龍澤学館(盛岡市)が運営する専門学校。外語観光学科(2年制)では英語や観光マネジメントなどを学べる。新入生の小笠原さんは公務員志望で、そうしたニーズに応じ、選択制の試験対策講座も用意する。在籍は新入生を含め計5人となった。
 
記念撮影で笑顔を見せる外語観光学科の新入生と保護者ら

記念撮影で笑顔を見せる外語観光学科の新入生と保護者ら

 
ビシッと!日本語学科の新入生と学校関係者らも記念撮影

ビシッと!日本語学科の新入生と学校関係者らも記念撮影

 
 日本語学科は1年半と2年の2コース(4月と10月の年2回入学制)がある。1年半コースではネパール人16人が学んでいて、2年コースの新入生を含めると計35人が在籍。ミャンマーから留学生を迎え入れるのは初めてとなる。
 
 ミャンマーでは3月28日に中部のマンダレー近郊を震源とする大地震が発生。同国からの留学生6人は南部のヤンゴン出身で、直接の被害はなかった。ただ、被災地の甚大な被害状況に、タンさんやアウン へインさん(20)は「とても悲しい。心配している」と気遣う。来日前には、募金をしたり支援を行ってきたという。
 
手を合わせて「こんにちは」とあいさつするミャンマー人留学生

手を合わせて「こんにちは」とあいさつするミャンマー人留学生

 
 6人はそれぞれ夢を抱いて日本にやってきた。写真好きのタンさんはフォトグラファー、車に関心のあるアウンさんはトラックドライバーを夢見る。ほかにも、介護や自動車整備、ビジネスを学びたいと希望は各人各様。多くは日本で働くことを望み、2年間の学びで、日常会話レベルへの到達が目標。卒業後は日本国内の大学や専門学校への進学を見据える。「悲しいけど、釜石で頑張りたい」。共通の思いを胸に仲間と共に歩み続ける。
 
入学式を終えリラックスした表情のネパール人留学生。夢の実現に向け釜石で一歩を踏み出した

入学式を終えリラックスした表情のネパール人留学生。夢の実現に向け釜石で一歩を踏み出した

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全国高校ラグビー強豪校 釜石に集結! 3年目の交流会 雨にも風にも負けず熱戦 震災・防災学習も

“ラグビーのまち釜石”で開かれた「東北復興高校ラグビー交流会」=2日、根浜シーサイド

“ラグビーのまち釜石”で開かれた「東北復興高校ラグビー交流会」=2日、根浜シーサイド

 
 東北復興高校ラグビー交流会2025は1~3日まで、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムなど3会場で行われた。同参加校幹事(野上友一、大西一平代表幹事)、同実行委(小笠原順一実行委員長)が共催。3年目の開催となる今年は17チーム約600人が参加。北海道から九州まで各地の強豪校に加え、本県各校で結成した合同チームが交流試合を行った。東日本大震災から立ち上がり、2019年のラグビーワールドカップ(W杯)開催を成し遂げた地で、高校生らは競技に通じる“不撓不屈(ふとうふくつ)”の精神を学び、レベルアップへの足掛かりとした。
 
 同交流会はW杯日本大会で高まったラグビー熱や大会レガシーを次世代に継承し、選手の心身育成や競技の普及・振興につなげようと企画された。常翔学園(大阪府)ラグビー部の野上友一ゼネラルマネジャーが全国の伝統校に参加を呼び掛け、2023年に初開催。年々、参加校が増えている。
 
 1、2の両日はW杯会場となった同スタジアムのほか、根浜シーサイド多目的広場、市球技場で参加チーム対抗の交流試合が行われた。1試合20分で、できるだけ多くのチームと対戦できるようにし、2日間で43の対戦カードが組まれた。両日はあいにくの雨模様。2日は風もあり、冷え込む中での試合となったが、選手らは気合十分。互いに声を掛け合い、気迫みなぎるプレーを展開した。新年度のチームづくりに向け、自他の力を知る機会にもなり、レベルアップにつながる学びを得た。
 
県内チーム同士の対戦「黒沢尻工業-南昌みらい・岩手・盛岡三合同チーム」=1日、釜石鵜住居復興スタジアム

県内チーム同士の対戦「黒沢尻工業-南昌みらい・岩手・盛岡三合同チーム」=1日、釜石鵜住居復興スタジアム

 
「名古屋-盛岡工業」中部と東北、離れた地域のチームとの対戦は貴重な機会

「名古屋-盛岡工業」中部と東北、離れた地域のチームとの対戦は貴重な機会

 
 2日は午後の試合の前に防災学習も行われた。スタジアムに全参加者が集まり、震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」スタッフの川崎杏樹さん(28)から話を聞いた。川崎さんは震災当時、中学2年生。スタジアムの場所に学校があり、隣接する小学校の児童の手を引いて津波から逃れた経験を持つ。地震発生から高台避難までの詳細を伝え、津波災害の恐ろしさ、迅速避難の大切さを教えた。「助かったのは防災学習のおかげ。ラグビーの練習も防災も同じ。自分の命を守るために普段から考え、訓練や体験で正しい知識を得て避難行動につなげてほしい」と願った。
 
14年前の震災を経験した川崎杏樹さん(右)から当時の話を聞く

14年前の震災を経験した川崎杏樹さん(右)から当時の話を聞く

 
津波の怖さ、平時の備え(防災学習)の有効性を学んだ高校生ら

津波の怖さ、平時の備え(防災学習)の有効性を学んだ高校生ら

 
 広島県から初めて参加した尾道高の佐藤麗斗主将(3年)は“ラグビーのまち釜石”の訪問を楽しみにしていたといい、「今まで対戦経験のないチームともたくさん試合を組んでもらいありがたい。各校独特のプレーが見られて勉強になるし、自分たちが通用する部分、しない部分が分かったので、さらにレベルアップできそう」。自身は熊本県出身で、小学2年時に熊本地震を経験。川崎さんの話や釜石の津波防災対策が強く印象に残り、「尾道も海に面しているので、いざという時には(避難)行動を取れるようにしている」とうなずいた。
 
初参加の尾道高(黄色ジャージ)。降りしきる雨の中でも全力プレー!トライを重ねる

初参加の尾道高(黄色ジャージ)。降りしきる雨の中でも全力プレー!トライを重ねる

 
 尾道高の田中春助監督(37)は震災直後に釜石を訪問。その後、複数回にわたりボランティア活動に従事した。「ここ(スタジアム)にあった小学校の上階に車が突き刺さっていたのが忘れられない。あれだけの被害を受けたまちがここまで復興した姿に感激している」。部員らには「こうしてラグビーができること自体、決して当たり前ではない。感謝の気持ちを忘れないでほしい。震災を生き延びた人たちの思いを受け止め、自分に何ができるか、意識できる人になってくれれば」と期待を込めた。
 
 最終日の3日は、各校の選抜選手で結成した2チームによるドリームマッチも行われ、予定していた47試合全ての日程を終えた。
 

県外進学の釜石出身高校生ラガー 久しぶり 地元での試合に特別な思い

 
釜石出身!仙台育英でプレーする(左から)眞田羚史さん、八幡玲翔さん、倉田煌生さん(いずれも2年)

釜石出身!仙台育英でプレーする(左から)眞田羚史さん、八幡玲翔さん、倉田煌生さん(いずれも2年)

 
 同交流会に参加した県外の高校には、釜石出身者も複数在籍。2年生部員21人が参加した宮城県の仙台育英学園高には、日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)の子ども育成部門ジュニア(幼児・小学生)とアカデミー(中学生)で競技に励んだ眞田羚史(甲子中出身)、八幡玲翔(釜石中同)、倉田煌生(大平中同)の3選手の姿が…。会場には中学まで指導にあたったSW関係者も足を運び、そのプレーを目で追った。
 
 八幡さんは中学3年時に、県中総体ラグビーで釜石中特設チームの主将を務め、大会初優勝を飾った。同大会など思い出の多い“うのスタ”への来訪は約1年ぶり。「新チームが始まる4月に全国の強豪と対戦でき、自分だけでなく東北全体のレベルアップにつながったと思う」と感謝。仙台育英でのラグビーは「環境が整っていて、自分自身しっかりとラグビーに向き合うことができ、日々、成長できている。東北大会で1位になり、花園でベスト8に入るのが目標」と志を立てた。
 
「仙台育英-札幌山の手」の試合。W杯聖地“うのスタ”で熱戦

「仙台育英-札幌山の手」の試合。W杯聖地“うのスタ”で熱戦

 
釜石出身、國學院栃木で高みを目指す阿部海凛さん

釜石出身、國學院栃木で高みを目指す阿部海凛さん

 
 2、3年生38人が参加した栃木県の國學院大栃木高には、SWアカデミー、甲子中出身の阿部海凛さんが在籍する。関東に出たことで、さまざまなチームとの対戦機会を得ているが、「地元釜石で多くの強豪校と試合ができるのは新鮮」と気持ちも新たに試合に臨んだ。3歳の時に震災を経験。停電し、懐中電灯一つで夜を過ごした記憶が残る。交流会での震災学習について、「津波の恐ろしさ、危険が分からない人が多いと思うので、東北で学んでもらい、将来に生かしてほしい」と願う。寮生活を送りながら努力を重ねる日々。「自分がやるべきことを考え練習に励んでいる」とし、チーム目標の“花園優勝”に向け「一刻も早くメンバー入りして試合に出たい。応援してくれている家族のためにも試合に出て恩返しがしたい」と意気込む。
 
九州王者・東福岡に挑む國學院栃木(紺ジャージ)

九州王者・東福岡に挑む國學院栃木(紺ジャージ)

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フランスでの異文化体験「未来への財産に」 海外派遣の中学生、釜石で報告会

「メルC」「かまいC」と笑顔で帰国報告する中学生

「メルC」「かまいC」と笑顔で帰国報告する中学生

 
 釜石市の中学生海外体験学習事業でフランスを訪問した中学1、2年計9人の帰国報告会が29日、大町の市民ホールTETTOであった。保護者ら約50人を前に、生徒が外国での生活や異文化体験を振り返った。
 
 生徒たちは14~21日、釜石と姉妹都市提携を結ぶフランス南部のディーニュ・レ・バン市などを訪問した。ディーニュ市の学校では授業に参加し同年代の子と交流。ホームステイ先で現地の生活や文化に触れた。姉妹都市提携のきっかけとなったジオパーク資産・アンモナイト化石群も見学。歴史的建造物も多い市街地の散策、地元ラグビークラブの試合観戦なども楽しんだ。復興支援に尽力した化粧品メーカー「ロクシタン社」(マノスク市)を訪ね、感謝を伝えた。
 
 報告には、釜石中2年の虻川結空さん、阿部紗希さん、久保伶奈さん、若生彩花さん、同1年の三浦碧人さん、大平中1年の今野凛彩さん、唐丹中1年の小野寺頼さん、甲子中1年の佐々舞凪さんと米澤悠真さんの9人全員が参加した。昨年、提携30周年を迎えたこともあり、ディーニュ市では温かい歓迎を受けた。いずれも、多くの出会いや発見があり、視野が広がり、刺激ある体験をさせてもらったことへの感謝を述べた。
 
フランスに派遣された釜石の中学生の帰国報告会

フランスに派遣された釜石の中学生の帰国報告会

 
印象に残った出来事や学びを一人一人が発表した

印象に残った出来事や学びを一人一人が発表した

 
 初めての海外という緊張感や言語に対する不安も共通だったが、現地では翻訳アプリを使いながら不慣れなフランス語や英語でコミュニケーションをとる様子に理解を示し、懸命に耳を傾けるなど親切に接してもらったと声をそろえた。「やっぱり話すことは楽しい」と小野寺さん。虻川さんも「上手に話すよりジェスチャーを交えて伝えようとする姿勢が大切」と実感を込めた。
 
 阿部さんは壁のようなアンモナイト化石群の迫力を語り、佐々さんは同年代の子と音楽を通じた交流を振り返った。フランスの歴史や産業、文化、政策に興味を示したのは三浦さん。SDGs(持続可能な開発目標)に関心を持つ米澤さんは、環境に対する意識の高さに刺激を受けたことを話した。
 
モニターに写真を表示しながら思い出を振り返った

モニターに写真を表示しながら思い出を振り返った

 
 「海外にも友達ができたことが思い出」とはにかむ若生さん。国籍、出身地がさまざまな人が意見を出し合って楽しく学ぶフランスの学校生活が印象的で、「自分も積極的に意見を出していきたい」と背筋を伸ばした。日本語教師との夢を持つ久保さんも多様な価値観に触れ、「互いの文化を知り、認め合うことで考え方は変わる。広い視野を持つためにも言語学習を続ける」と思いを強めた。
 
 聴講した人から「フランスの友達が釜石に来たら何する?」と質問されると、生徒たちは「鉄の歴史を教える」「おいしいものを一緒に食べたい」などと案を出した。今野さんは「ディーニュ市になかった海を紹介したい」と思案。地域を出たことで、自分たちが暮らす古里への関心を深めたようで、「学んだことを地域で生かせるようにしたい」と力を込めた。
 
海外体験で発見したことや感じた日本の良さを伝えた

海外体験で発見したことや感じた日本の良さを伝えた

 
「日本とフランスの架け橋に」と耳を傾けた人たちは期待する

「日本とフランスの架け橋に」と耳を傾けた人たちは期待する

 
 小野共市長は「貴重な体験を楽しいだけで終わらせず、9人それぞれが次なる展開へいいきっかけになったようだ」と成長を実感。高橋勝教育長は本物に触れ続けること、勉強のほかにも打ち込めるものを見つけることへの期待を伝え、「自分自身を伸ばす行動、挑戦をどんどんして。社会との関わりを持ち、生きるための財産、失敗を含めた経験を心の中に増やしてほしい」と激励した。

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釜石の“宝物”が集う新スポット!?「まちかどミニ美術館」 TETTOに開設

釜石市民ホールTETTOに開設された「まちかどミニ美術館」

釜石市民ホールTETTOに開設された「まちかどミニ美術館」

 
 釜石市大町の市民ホールTETTOに、常設展示コーナー「まちかどミニ美術館」が開設された。地域に眠る“宝物”をみんなで楽しもうと、釜石市芸術文化協会(河東眞澄会長)が企画。思い思いの表現活動に取り組む人たちの“見てもらいたい一作”を紹介している。今後は、3カ月ごとに作品を入れ替える予定。「わが家の宝」「創作活動の力作」などテーマを設けたりしながら公募し、作品10点程度を無料で展示していく。
 
 開設に合わせ22日に行われたセレモニーで、河東会長は「釜石にはさまざまな芸術作品が眠っている。地域には絵を描いたり、ものを作ったり、文化活動を楽しむ人たちがいる。そうした活動の中で生まれた宝物をみんなで楽しみましょう」とあいさつ。芸文協の関係者や出品者らが除幕し、文化芸術に触れる場のオープンを喜んだ。
 
まちかどミニ美術館には市民が手がけた多彩なジャンルの作品が並ぶ

まちかどミニ美術館には市民が手がけた多彩なジャンルの作品が並ぶ

 
 同ホール共通ロビーの一角を活用。毛布に包まれて気持ちよさげに眠る猫を描いたパステル・色鉛筆画「爆睡」(小野寺浩さん作、日仏現代美術世界展準大賞受賞)、破けた障子の穴をのぞき込む瞬間を切り取った写真作品「好奇心」(菊池賢一さん作、第45回岩手県写真連盟公募展大賞受賞)、鶏をモチーフにした複雑で細緻な線をつないだ切り絵「まなざし」(黒須由里江さん作、第76回中美展準会員賞受賞)のほか、版画や俳句、彫金、砂絵など多彩なジャンルの作品が並ぶ。13人が出品。団体に所属している人もいるが、多くは個人で創作活動に取り組んでいる。
 
オープニングセレモニーで出品者が作品に込めた思いを解説

オープニングセレモニーで出品者が作品に込めた思いを解説

 
感性豊かな作品が並び、来場者がじっくりと鑑賞を楽しむ

感性豊かな作品が並び、来場者がじっくりと鑑賞を楽しむ

 
 本業の看板業を発展させながら写真やイラストなどの作品を作り続ける多田國雄さん(82)は、「2011.3.11の記憶」とタイトルを付けたデザイン作品を並べた。東日本大震災で被災し避難生活を送る中で唯一、手元に残った記録媒体・携帯電話で撮った写真を散りばめた。全ての窓が抜け落ち土砂に埋まった当時の自家用車、防潮堤を壊した形で岸壁に乗り上げた貨物船、被災後のまちに戻った街灯の明かり…。被災から3年たった頃に手がけたもので、「次第に当時の記憶が遠のく今、薄れかけた記憶を呼びもどす」との気持ちを閉じ込めた。「(災害は)また来るかもしれないでしょ」。毎年3月に個人的に向き合ってきた一作を公開している。
 
震災をテーマにした「2011.3.11の記憶」(左)と作者の多田國雄さん

震災をテーマにした「2011.3.11の記憶」(左)と作者の多田國雄さん

 
 同美術館には「港かまいし 芸術鑑賞散歩」とのキャッチフレーズが付く。芸文協の関係者は「どの作品も個性が全く違う。作品を楽しみに来てもらい、一作一作をじっくりと楽しんでほしい」と期待。公開された作品に刺激を受け、「新たなことに挑戦したり、趣味を見つけてもらえたら。そして、ぜひ展示してみましょう」と、輪の広がりを待つ。
 
制作者、鑑賞者がつながる場としての可能性に期待が高まる

制作者、鑑賞者がつながる場としての可能性に期待が高まる

 
 出品は原則釜石在住の個人、芸術文化団体に所属する人が対象。今後、市の広報紙などで募集する予定だ。同美術館には文化芸術に関する催しのチラシなどを配置する情報コーナーも用意。作品公募の案内も置くことにしており、「鑑賞がてらチェックを」と呼びかける。

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釜石祈りのパーク 心を込めて清掃 鵜住居地区の住民、中学生ら≪東日本大震災14年≫

芳名板を磨く釜石東中の生徒=3月7日、釜石祈りのパーク

芳名板を磨く釜石東中の生徒=3月7日、釜石祈りのパーク

 
 東日本大震災から14年、より強く大切な人を思う―。祈りが続く3月11日を前に、釜石市民の慰霊追悼施設「釜石祈りのパーク」(釜石市鵜住居町)で7日、清掃作業が行われた。訪れる人たちに落ち着いた気持ちで手を合わせてもらおうと地域住民らが継続する活動に、釜石東中(佃拓生校長、生徒84人)の3年生31人が協力。「地域の一員として受け継いでいく役目がある」と、布を持つ手に力を込めた。
 
 生徒のほか、地域住民15人ほどが参加。市内全域の震災犠牲者1064人(関連死を含む)のうち1003人の芳名板や防災市民憲章碑などが設置されており、参加者が丁寧に布で拭いた。高圧洗浄機などを使って石畳もしっかりと洗浄し、景観を整えた。
 
「地域の一員」として清掃活動に取り組む釜石東中3年生

「地域の一員」として清掃活動に取り組む釜石東中3年生

 
住民と協力して防災市民憲章碑もしっかりと磨く

住民と協力して防災市民憲章碑もしっかりと磨く

 
鵜住居地区防災センター跡地に整備されたことを示す碑もきれいに

鵜住居地区防災センター跡地に整備されたことを示す碑もきれいに

 
 野沢晄真さんは「3.11を特別な思いで迎える人たちが過ごす場所だから」と真剣な表情で取り組んだ。震災当時は幼かったため「覚えていない」という生徒が多く、小笠原早紀さんは「普通の日常が送れることに感謝して過ごしたい」と向き合う。野沢さんは岩手県外へ、小笠原さんは釜石市内の高校へ進学予定。それぞれの道を歩むも、地域に根づく防災を学びながら住まう人たちの思いを感じてきた2人は「いつまでも忘れない。地域の一員として受け継ぐのが役目で、いろんなことをより深く学び、次の世代に伝えられるようにしたい」と、思いは同じだ。
 
 作業後、生徒たちは施設前に並び、「いつかこの海をこえて」を合唱。被災を経験した同校生の思いを歌にした曲に、「希望ある未来に向かう」との決意を乗せた。
 
祈りのパーク前で思いを一つに合唱。「希望の道を進もう」

祈りのパーク前で思いを一つに合唱。「希望の道を進もう」

 
 毎年参加している両川吉男さん(79)は津波で姉2人を亡くした。活動の前に墓参りし、「こっちは元気でいるよ」と伝えてきた。面倒見がよく、「世話されっぱなし」だった。もっと何かやってあげれば、会いにくればよかった…「申し訳ない」。3.11が近づくと、より強く思う。「14年経とうとも気持ちは変わらない」。少し離れた場所から芳名板を見つめつぶやいた。

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甲子大畑「不動の滝」で描く幻想ストーリー 第38回釜石市民劇場450人が楽しむ 

第38回釜石市民劇場 大畑・不動の滝「女神と木伐(きこ)る男」伝奇=2月23日、TETTO

第38回釜石市民劇場 大畑・不動の滝「女神と木伐(きこ)る男」伝奇=2月23日、TETTO

 
 第38回釜石市民劇場(実行委主催)は2月23日、同市大町の市民ホールTETTOで上演された。豊かな自然に囲まれた甲子・大畑の名勝「不動の滝」で繰り広げる創作劇。そこに生きる村人たちに起こる不思議な出来事を通して、人の心のありよう、家族の絆などを描いた。午前と午後の2回公演に約450人が来場し、市民手作りの舞台劇を楽しんだ。
 
 物語の舞台は明治初期の甲子村。釜石村鈴子に製鉄所が稼働し、山あいの村では燃料の木炭を供給するため、村人が炭焼きに精を出していた。ある日、炭焼き人の良吉は地元民の憩いの場「不動の滝」周辺の清掃に出かける。枝払いをしていた時、誤って鉈(なた)を滝つぼに落としてしまう。困惑していると、滝から黄金色の斧を持った水神様が現れる。女神の問いかけに、自分の物ではないと正直に答える良吉。その様子を物陰から見ていた村人の武三は欲に駆られて…。
 
主人公の良吉(右)は妻と娘、村人たちと平穏に暮らしていた

主人公の良吉(右)は妻と娘、村人たちと平穏に暮らしていた

 
滝つぼにわざと斧(おの)を投げ入れ、女神から黄金の斧をもらおうと嘘を重ねる武三(左)

滝つぼにわざと斧(おの)を投げ入れ、女神から黄金の斧をもらおうと嘘を重ねる武三(左)

 
炭焼きの先輩作治(左上写真右)から助言をもらい、10日ほどの山ごもりに意気揚々の良吉

炭焼きの先輩作治(左上写真右)から助言をもらい、10日ほどの山ごもりに意気揚々の良吉

 
 イソップ寓話的な導入部から始まる物語は同実行委の久保秀俊会長(76)が創作。想像される当時の村人の暮らし、自然への敬意を非現実の出来事と絡め、人生訓や助け合いの精神、家族の絆などを描いた。子どもから老人まで各登場人物のキャラクターをキャスト15人が演じ分け、物語が進んだ。
 
 滝での出来事を機に災難に見舞われる武三。炭焼き作業に出かけたまま、行方不明になってしまう良吉。心配して探し回る村人に武三は滝で起こったことを正直に話す。心労で床に伏していた良吉の妻みゑは武三の話を聞き、いちるの望みをかけ、滝の祠にお百度参りを繰り返す。行方不明から1年後…。滝に来ていたみゑの目の前に夫良吉が突然現れる。滝の女神の褒美で1日だけ竜宮御殿に招かれていたという良吉。摩訶不思議な出来事に村人たちも騒然となるも、親子3人の再会を喜び合い、クライマックスを迎える。
 
滝の女神の怒りをかい、災いが降り懸かり倒れ込む武三。驚いた村人が駆け寄る

滝の女神の怒りをかい、災いが降り懸かり倒れ込む武三。驚いた村人が駆け寄る

 
山に入った良吉がいなくなったと告げる作治(左)に詰め寄る娘モモ(中央)と妻みゑ(右)

山に入った良吉がいなくなったと告げる作治(左)に詰め寄る娘モモ(中央)と妻みゑ(右)

 
写真左:滝での出来事を作治に告白する武三(左) 同右:夫の無事を願い、滝の祠にお百度参りを続けるみゑ

写真左:滝での出来事を作治に告白する武三(左) 同右:夫の無事を願い、滝の祠にお百度参りを続けるみゑ

 
写真上:行方不明から1年後、妻の前に姿を現す良吉。驚きと混乱のみゑ 同下:良吉を見て村の子どもたちも騒然

写真上:行方不明から1年後、妻の前に姿を現す良吉。驚きと混乱のみゑ 同下:良吉を見て村の子どもたちも騒然

 
 会場には幅広い年代の観客が足を運び、市民の手作り舞台を楽しんだ。同市中妻町の女性(73)は「子どもたちの演技がよくできていた」と称賛。同劇場には、ほぼ毎年足を運んでいて、「職業も年代もばらばらの人たちが劇を通して、横のつながりを広げていけるのはとてもいいこと」と話した。大槌町の久保晴陽さん(9)は「神様が出てくるところが面白かった。自分も劇をやってみたい」と興味をそそられた様子。妹と弟3人が出演した青山萌華さん(17)は「昨年よりも声が出ていて、演技もうまくなっていた」と頑張りをたたえた。自身も昨年までスタッフとして参加。今回は観客側の目線も体験し、新たな発見もあったよう。
 
3姉弟で参加した(左から)女神役の青山凜々華さん、荷馬車業一家の子ども役の涼華さん、一樹さん

3姉弟で参加した(左から)女神役の青山凜々華さん、荷馬車業一家の子ども役の涼華さん、一樹さん

 
 今回出演した15人中4人は釜石高の生徒。初挑戦の前見琉綺亜さん(16)は同校音楽部に所属し、「部活が終わってからの劇の稽古で両立が大変だった」と明かしつつ、荷馬車業一家の面倒見の良い姉役を役作りし演じ切った。観客の反応も舞台上で感じ、「笑ったり、悲しい場面に共感している様子を見て、ちゃんと伝わっているんだとうれしくなった」と演劇の醍醐味を感じていた。
 
釜石市民劇場初出演の前見琉綺亜さん(左)と及川蒼太さん(右)

釜石市民劇場初出演の前見琉綺亜さん(左)と及川蒼太さん(右)

 
 大人では唯一の初出演となった及川蒼太さん(25)は、13~14歳設定の子ども役に挑戦。1月後半からの立ち稽古で「セリフと動きを合わせるのに苦労した」というが、本番では「大勢の人の前で演技するのは新鮮で面白かった」と舞台特有の空間を楽しんだ様子。最初の緊張もすぐにほぐれたようで、「いい思い出になった」と貴重な経験に笑顔を見せた。
 
 出演者最年長の両川吉男さん(79)は約20年ぶりに舞台復帰。久保会長から懇願され決断したが、「年を取るとセリフが出てこなくてね。プレッシャーで眠れない日も…。若い人たちに支えてもらって何とかやり遂げられた」と感謝。苦労は多かったが、「孫のようなめんこい子どもたちが『じいちゃん、じいちゃん』って慕ってくれて。今日は地元の茶飲み仲間も見に来てくれてうれしかった」と目尻を下げた。宮古市から駆け付けた長男英寿さん(43)は「父はみんなについていくのが大変だったと思うが、最後まで演じ切れて良かった」と拍手を送った。
 
久しぶりのキャスト両川吉男さん(左から2人目)も熱演。市民劇場にはスタッフとしても関わっていた

久しぶりのキャスト両川吉男さん(左から2人目)も熱演。市民劇場にはスタッフとしても関わっていた

 
 釜石市民劇場は1986(昭和61)年度に、当時の釜石市民文化会館自主事業としてスタート。2003(平成15)年度から実行委員会が実施主体となり、年1回の公演を続ける。東日本大震災で会場の同会館が被災した後は、釜石駅前にあったテント施設、シープラザ遊で公演。現市民ホール完成後の2018(平成30)年度から同ホール公演が実現した。
 
終演後、舞台あいさつをするキャスト、スタッフら。主人公良吉役の菊池圭悟さん(写真左上)が観客と関係者にお礼の言葉を述べた

終演後、舞台あいさつをするキャスト、スタッフら。主人公良吉役の菊池圭悟さん(写真左上)が観客と関係者にお礼の言葉を述べた

 
笑顔で観客をお見送り。改めて来場への感謝の気持ちを伝えた

笑顔で観客をお見送り。改めて来場への感謝の気持ちを伝えた

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釜石の郷土芸能・小川しし踊り 保存会、いわてユネスコ教育賞 小学校での伝承活動を評価

小野共市長(中)に受賞を報告した小川しし踊り保存会メンバー

小野共市長(中)に受賞を報告した小川しし踊り保存会メンバー

 
 釜石市の小川しし踊り保存会(佐々木義一会長)はこのほど、岩手県ユネスコ連絡協議会(三田地宣子会長)が主催する第29回いわてユネスコ賞の教育賞を受賞した。同保存会が長年続けている子どもたちへの伝承指導が評価されたもの。2月26日、佐々木会長と顧問の佐々木佳津子さんが小野共市長に喜びを報告し、活動継続への深まる気持ちを伝えた。
 
 いわてユネスコ賞は文化や教育分野などで模範的な活動を行っている児童生徒、教育関係者らをたたえるもの。県内各地の学校やユネスコ協会などから推薦があったものを同協議会で選考。本年度は科学、文化、活動奨励、教育の4分野で合わせて10団体の受賞を決めた。昨年10月に発表し、それぞれ賞状などが伝達された。
 
 同保存会が伝承する「小川しし踊り」(釜石市指定無形民俗文化財)は、遠野郷上郷村火尻(森の下)集落に伝えられている鹿踊が起源とされる。明治15~16年ごろ、小川地区から派遣された3人の若者が習得、持ち帰ったものを地域ぐるみで守ってきた。優雅な群舞であり、時に野に遊ぶシカたちの姿を表し軽快に舞うのが特徴。小川地区にある千晩神社の例大祭で奉納したり、釜石まつりでは釜石製鉄所山神社のみこしに付き従い、舞を披露している。
 
小川しし踊りや保存会の活動に関する資料

小川しし踊りや保存会の活動に関する資料

 
 会の発足は1955(昭和30)年。郷土芸能の後継者育成を目的に、70年代後半から旧小川小で伝承指導活動を始めた。2005年に小佐野小と統合。その時に小佐野小では、小川小の伝統を引き継ごうと伝承活動委員会、特設クラブを設け、学習発表会や地域の交流イベントで演舞を披露してきた。現在、委員会などはなくなったが、授業に取り入れ高学年が継承。17年から運動会のプログラムとしても組み込まれている。こうした50年近く続く取り組みが認められ、児童生徒が行う活動の指導者らが対象の教育賞に選ばれた。
 
 この日、市役所を訪れた佐々木会長は「(受賞は)驚いたが、うれしい。次の世代に引き継ぐのが役目で、今の形を続けていきたい。郷土芸能に触れることは社会勉強にもなり、いい機会だと思う。子どもたちは指導する大人を見ていて、懸命に教えれば応えてくれる。しっかりしようと気も引き締まる。しし(踊り)は本当にいい」と笑顔を見せた。
 
受賞の喜びを報告する佐々木義一会長(左)と佐々木佳津子さん

受賞の喜びを報告する佐々木義一会長(左)と佐々木佳津子さん

 
市長らにユネスコ教育賞の賞状や盾を披露した

市長らにユネスコ教育賞の賞状や盾を披露した

 
 小野市長は「伝承活動を通じて子どもたちが地域を知る貴重な機会になっていると感じる。郷土愛、地域への愛着を生む取り組みを続けてほしい」と期待した。
 
 報告を終えた佐々木会長は小佐野小へ。卒業する6年生に代わり、新たに受け継ぐ4、5年生に改めてしし踊りの歴史や保存会の活動を紹介、演舞の指導も行った。

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釜石で洋式高炉操業成功 大島高任の知識はどこから? 鉄の歴史館・小野寺英輝名誉館長が講演

講演した鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝さん(岩手大理工学部准教授)

講演した鉄の歴史館名誉館長の小野寺英輝さん(岩手大理工学部准教授)

 
 釜石市立鉄の歴史館の名誉館長を務める小野寺英輝さん(岩手大理工学部准教授)の講演会が15日、同市大平町の同館で開かれた。2019年の就任以降、年1回実施する同館主催事業。今回は「教育面から見た大島高任」と題し、釜石で鉄鉱石が原料の洋式高炉による鉄づくりに成功した大島の学びの軌跡にスポットを当てた。市民ら22人が聴講した。
 
 1857(安政4)年、盛岡藩甲子村大橋(現釜石市甲子町同)に洋式高炉を築造し、日本初の鉄鉱石を原料とした連続出銑に成功した大島高任(1826-1901)。後に“近代製鉄の父”と称される大島は、全国の主要鉱山の開発も手掛け、日本鉱業界の第一人者としても知られる。その活躍の裏にあるのが、各地に出向いて得た豊富な知識。小野寺さんはその遊学の歩みについて解説した。
 
10代から学びを深め、日本鉱業界に数々の足跡を残した大島高任

10代から学びを深め、日本鉱業界に数々の足跡を残した大島高任

 
 盛岡生まれの大島は藩校「明義堂」で学んだ後、医学修行のため17歳で江戸に留学。オランダ医学やオランダ語、西洋史、兵学、宗教学に精通した箕作阮甫(みつくりげんぽ)に入門、医学は坪井信道にも教わった。一度、盛岡に戻ったが、砲術の習得を命じられ1846年に長崎へ。砲術の大家・高島秋帆の子息浅五郎に学び、発砲の免許皆伝を受けたとされる。3年後、長崎から大坂(大阪)に向かい、緒方洪庵の適塾(西洋医学、オランダ語)で1年ほど学んだ。滞在中、依頼を受け大砲の鋳造を指導。帰藩後、「西洋操銃編」などの冊子を作った。大島唯一の著作物とされる。
 
大島は20代前半に長崎で砲術を学び、免許皆伝を受ける

大島は20代前半に長崎で砲術を学び、免許皆伝を受ける

 
大坂(大阪)から帰藩後、再び江戸へ。伊東玄朴に師事する

大坂(大阪)から帰藩後、再び江戸へ。伊東玄朴に師事する

 
 1852年、西洋砲術研究のため再び江戸へ。入門した伊東玄朴は、オランダ人技師ヒュゲーニンが執筆した大砲鋳造法や高炉技術についての書物を翻訳した一人。小野寺さんは「ヒュゲーニンの著書を翻訳したもののうち、主要な3つ全てに大島が関わっている。本を読むだけでなく、訳した人からも話を聞ける環境にあった」とした。
 
 大島は長崎などで共に学んだ仲間らと水戸藩那珂湊の反射炉建設に従事。1856年、鉄製大砲の鋳造に成功したが、従来の砂鉄原料によるたたら銑では強度に問題があったため、磁鉄鉱を用いる洋式高炉の建設に乗り出した。翌57年、良質な鉄鉱石が産出される釜石・大橋に高炉を築造。国内で初めて連続出銑に成功した。
 
大島はヒュゲーニンの著書を翻訳した「鐵熕鋳鑑(てっこうちゅうかん)」を参考に釜石・大橋の洋式高炉を造ったとされる

大島はヒュゲーニンの著書を翻訳した「鐵熕鋳鑑(てっこうちゅうかん)」を参考に釜石・大橋の洋式高炉を造ったとされる

 
 1862年、江戸幕府が洋書翻訳と洋学研究、教育のために設立した「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」の出役教授となり、新設された製錬学を担当。幕府お雇いの米国人技師パンペリー、ブレークらと蝦夷地(北海道)の炭鉱調査に行き、発破技術も学んだ。時を同じくして、医学と洋学教育を行う私塾「日新堂」を盛岡に設立。藩校・明義堂は武士のみの入校だったが、日新堂は町人も受け入れた。当時の日本の就学率は60~80%(米、仏は30%)。寺子屋は6歳ごろから通え、さらに勉強したい人は私塾に進んだ。大島はパンペリーが箱館(函館)に設立した坑師学校(鉱山技術者養成)にも関わっていたとみられる。
 
 この後も尾去沢、小坂鉱山などの開発に着手。明治に入ると新政府の鉱山権正(鉱山局次長)、大学大助教(筆頭助教授)に任じられ、岩倉使節団に随行。米国や欧州を歴訪し、ドイツのフライベルク鉱山学校も視察した。帰国後の1874年、官営製鉄所の立地調査で釜石を訪れるが、大島の計画案は採用されなかった。後に阿仁銀山や佐渡金山など全国の主要鉱山の開発に尽力し、日本鉱業会の初代会長となった。
 
鉄の歴史館で開かれた名誉館長講演会。来場者は興味深い話に聞き入った

鉄の歴史館で開かれた名誉館長講演会。来場者は興味深い話に聞き入った

 
 小野寺さんによると、大島の若年時の行動が分かるのは自身が書いた精書履歴(履歴書文案)しかないが、履歴には各地の遊学の記述があり、師事した人物と時代から知識獲得の流れが読み取れる。「日本への西洋技術導入は蘭学から。江戸時代の外国語はオランダ語がメインで、多くの蘭書が日本語に翻訳された。大島高任が釜石で高炉を造る時に参考にしたのもオランダのヒュゲーニンの本」と小野寺さん。江戸時代の日本には海外新聞も入ってきていて、翻訳や手彫り印刷などで時間はかかったものの、世界情勢も知ることができた。大島は外国船の入港で海外の製品や技術、情報がもたらされる中で学びを深めていったと考えられる。

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みんなで体験!多彩な岩手の芸術文化 釜石でフェスタ 伝統から現代まで「魅力、再発見」

見て、聴いて、触れてやってみる企画満載の芸術体験フェスタ

見て、聴いて、触れてやってみる企画満載の芸術体験フェスタ

 
 芸術体験フェスタin釜石・大槌は18、19の両日、釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。県内各地の文化芸術団体や個人が歌、踊りなど多彩なステージで観客を魅了した。見て、聴いて、触れて、やってみる―。さまざまな体験企画も用意され、来場者が思い思いに楽しんだ。
 
 フェスタは第77回岩手芸術祭の関連企画で、県が主催し、県芸術文化協会が運営を担当した。釜石、大槌の2市町と両市町芸術文化協会、TETTOとの共催。岩手芸術祭美術展と小中学校美術展で入賞した作品が17日から3日間展示された。
 
 18日は舞台公演が行われた。釜石市合唱協会による「岩手県民の歌」で幕開け。県央・沿岸地区で活動する小柳玲子バレエ教室の生徒ら8人による可憐でしなやかな舞、「チャグチャグ馬コ」や「わんこそば」といった岩手の風物を情緒豊かに舞踊化した県邦舞協会のステージと続いた。民謡を歌い継ぐ大槌一心会の若手3人は伸びやかな歌声を披露。盛岡市の団体によるスピード感あふれるチアダンス、切れ味のあるジャズダンス、心あたたまるフルート演奏などもあった。
 
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華麗な踊りを披露した小柳玲子バレエ教室の生徒

 
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岩手県邦舞協会は地域の魅力を詰め込んだ演目を見せた

 
 県内各地の郷土芸能を楽しめる機会に観客は興味津々。「浦浜念仏剣舞」(県指定無形民俗文化財)は大船渡市三陸町浦浜地区に伝えられている念仏踊りで、鎮魂を思わせる静かな舞に多くの視線が注がれた。岩泉高郷土芸能同好会の生徒約20人は岩泉町小本地区で五穀豊穣(ほうじょう)などを祈り舞われてきた「中野七頭舞」を披露。「先打ち」「薙刀(なぎなた)」など7種類の道具を手に、農民の営みを軽快なおはやし、躍動的な踊りで表現した。
 
 「杵(きね)」を持ち、収穫の喜びを体現した岩泉高2年の外舘愛美さん(同会副部長)は「笑顔で踊るので、その楽しさが伝わったらうれしい」と頬を緩めた。他の部活動との掛け持ちで参加する生徒が多く、練習は週3回。「知っている人がいなくなると歴史が途切れる。絶やさないよう、いろんな人に興味を持ってもらえるよう活動していきたい」と伝承への気持ちを強めた。
 
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息ぴったりな岩泉高郷土芸能同好会の「中野七頭舞」

 
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透き通った歌声を響かせたキッズコーラスあぐどまめ

 
 地元釜石からは鼓舞櫻会(桜舞太鼓)が出演。会所属の新舞踊グループ「桜華颶美(はなぐみ)」とにぎやかなステージを繰り広げ、会場を沸かせた。「うまく踊れた」と満足げな久保樹李さん(唐丹小6年)は、キッズコーラスあぐどまめ(大槌町)のメンバーとしてもステージに立った。「歌も踊りも楽しい。決めるところでしっかり動きを止める、かっこいい踊りができるようになりたい。聞いている人に気持ちが伝わるように歌いたい」と背筋をピンと伸ばした。
 
 19日は体験イベント。川柳や俳句、水墨画、脳活書道、茶道、パステル画、クラシックギター、鹿子踊(ししおどり)など20種類以上のプログラムがあった。マクラメ編みのブレスレットづくり、機織り機を使った「さをり織り」体験は女性たちに人気。和太鼓など伝統芸能は親子連れが楽しんだ。
 
機織り機を使った「さをり織り」体験に熱中する女性

機織り機を使った「さをり織り」体験に熱中する女性

 
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「好きな曲を自分で奏でたい」とギター演奏に挑戦

 
臼澤鹿子踊を体験する子ども。頭をつけて踊ってみた

臼澤鹿子踊を体験する子ども。頭をつけて踊ってみた

 
 生け花に触れた勝又愛さん(10)は、ハランやスイトピーなど花材をバランスよく配置し、「みんな仲良し」と出来栄えに大満足。大正琴や短歌などを体験した80代女性は「いろんなものを習得している人たちの活動を知ることができた。続けてやってみようかと思うものもあった。いくつになっても始められるし、やればできる。楽しい道を求めていきたい」と元気に笑った。
 
箏を弾く楽しさを伝えた岩手三曲協会釜石支部メンバー

箏を弾く楽しさを伝えた岩手三曲協会釜石支部メンバー

 
 箏(こと)に触れる機会を提供したのは、岩手三曲協会釜石支部。名取を含めた7人が遊びながら弾く、音を出す楽しさを伝えた。親子で連弾を楽しむ姿もあったといい、「いい宣伝になったと思う。音をつくる面白さを感じてもらえたかな」と事務局の紺野節子さん。敷居が高いと思われがちだとし、「時代に合わせて進化させていかなければ」と話した。最近は地域の小中学校などで出前授業を実施。「気軽に触れてもらえるようにしたい」と、仲間と継続への思いを共有した。
 
スポーツ雪合戦の体験会。子どもたちが熱戦を繰り広げた

スポーツ雪合戦の体験会。子どもたちが熱戦を繰り広げた

 
 TETTO前広場ではスポーツ雪合戦の体験会(18日)も開かれた。7人一組のチームに分かれ、相手チームに雪玉を当てて全滅させるか、チームフラッグを奪えば勝ちという競技。国際大会ジュニアの部で優勝経験を持つ小中学生チーム「ウル虎ジュニア釜石」のメンバーがデモンストレーション。市民が白熱する競技を興味深そうに見つめた。
 
ひょっこり顔出し⁉防護壁にはりついて接近戦に挑む子ども

ひょっこり顔出し⁉防護壁にはりついて接近戦に挑む子ども

 
 体験では、お手玉のような室内競技用の専用球を使った。初体験の菅原一慧君(釜石小1年)は「ボールを投げるのが楽しかった。またやってみたい」と面白さを体感。チームメンバーの髙木琉之介君(双葉小3年)は「試合で勝つのが楽しい。仲間が増えたらうれしい。一緒にやろう」と誘っていた。
 
 釜石芸文協の河東眞澄会長は「多様な体験をきっかけに興味、面白いものを発見してもらえたら。それが趣味になり、生きがい、仲間づくりにつながればいい」と期待した。

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「また聞けてうれしい」 釜石の“第九” 合唱協会 継承模索の一歩を市民ら歓迎 歌の力再び

釜石市合唱協会が開いた演奏会でベートーベンの「第九」を歌い上げる参加者

釜石市合唱協会が開いた演奏会でベートーベンの「第九」を歌い上げる参加者

 
 釜石に「歓喜の歌」再び…。昨年、45年の歴史に終止符を打った年末恒例の演奏会「かまいしの第九」を合唱メインで歌い継ぐ初の試みが行われた。「釜石の合唱文化を絶やすまい―」と、釜石市合唱協会(柿崎昌源会長、3団体)が企画した合同演奏会「つなコン」。訪れた観客からは「形は変わっても第九を聞けるのはうれしい」と歓迎の声が聞かれ、同市に根付く“第九愛”を改めて感じさせた。継承への一歩を踏み出した協会は、本演奏会を基に未来につなぐ形を模索する。
 
 「つながろう・つなげよう・絆のコンサート」(つなコン)と銘打った同演奏会は15日、市民ホールTETTOで開かれた。4部構成のステージ。1~3部では協会員が混声合唱による聖歌や賛歌、女声合唱による組曲など全9曲を歌い上げた。賛助出演として釜石高音楽部も歌声を披露。部員7人がアカペラを交え、3曲を聞かせた。
 
合唱協会初の合同演奏会には約230人が来場。開場前から長蛇の列ができた

合唱協会初の合同演奏会には約230人が来場。開場前から長蛇の列ができた

 
賛助出演した釜石高音楽部。若さあふれる美しいハーモニーで観客を魅了した

賛助出演した釜石高音楽部。若さあふれる美しいハーモニーで観客を魅了した

 
市内の合唱団体会員による混声合唱「ケヤキ」。釜石出身で、盛岡などで合唱指導を行う小濱和子さんが指揮した

市内の合唱団体会員による混声合唱「ケヤキ」。釜石出身で、盛岡などで合唱指導を行う小濱和子さんが指揮した

 
 4部が、つなごう「かまいしの第九」と題したステージ。ベートーベンの交響曲第9番(1~4楽章)のうち、合唱が入る第4楽章を抜粋した形で演奏した。合唱メンバーは協会員を中心に地元在住、ゆかりの48人。メンバーの中から男女6人がソリストを務めた。オーケストラは釜石市民吹奏楽団の団員ら有志20人が担当。管楽器主体の編成で演奏した。合唱、楽器演奏ともに、これまでの半分以下の規模となったが、メンバーが心を一つに奏でる第九は変わらず顕在。長年の演奏会で培われた堂々の歌声、新たな編成で魅力を放つオケの音色が相まって感動のフィナーレを迎えた。
 
「かまいしの第九」に参加してきたバス小澤一郎さん(右)、テノール大和田宏明さんはソリストの大役を務めた

「かまいしの第九」に参加してきたバス小澤一郎さん(右)、テノール大和田宏明さんはソリストの大役を務めた

 
第九を歌える喜びを胸に仲間と声を重ねる参加者(前列男女6人がソリスト)

第九を歌える喜びを胸に仲間と声を重ねる参加者(前列男女6人がソリスト)

 
市民吹奏楽団団員と釜石ゆかりの弦楽器奏者で編成したオーケストラ。ピアノは釜石の合唱団体の活動を支える高橋伊緒さん

市民吹奏楽団団員と釜石ゆかりの弦楽器奏者で編成したオーケストラ。ピアノは釜石の合唱団体の活動を支える高橋伊緒さん

 
 毎年、かまいしの第九を聞いてきたという市内の65歳女性は「(規模は縮小されたが)想像していた以上に素晴らしい演奏で感動した。第九はみんなで喜びを分かち合い、『これからまた頑張るぞ』という気持ちにさせてくれる。年末に聞けるのはやっぱりうれしい」と笑顔。大槌町の鈴木英彦さん(67)も「昨年、終了と聞いて寂しく思っていたが、こういう形で復帰というか、聞けたのは大きな喜び。楽器も小編成ながら聞き応えがあった。いろいろ苦労もあるだろうが、高校生の合唱応援などもいただいて何とか続いてくれるといい」と願った。
 
 「かまいしの第九」は地元の合唱愛好者のほか、市外から招くプロのオーケストラや声楽家の出演を得て発展を遂げ、長年にわたり釜石の音楽文化をけん引してきた。しかし、人口減少や少子高齢化、市内経済の低迷など時代変化を背景に、資金確保や運営体制の維持が困難となり、実行委は昨年の演奏会をもって終了を決断した。
 
 今年に入り、「釜石の合唱活動の原点となった第九をこのまま絶やしたくない。形を変えて継続できないか」と、同合唱協会が歌い継ぐ方法を模索。協会の合同演奏会という新たな枠組みでの第九演奏を発案した。地元の市民吹奏楽団にも協力を呼び掛けたところ、賛同する仲間が集結。7月から本格練習を重ね、例年通りの年末の第九演奏が実現した。
 
最後は観客と第6コーラス(歓喜の歌)を大合唱。釜石の第九演奏会恒例のフィナーレ。指揮者の小原一穂さん(写真右上)は釜石の演奏会で長年ソリストを務めてきた

最後は観客と第6コーラス(歓喜の歌)を大合唱。釜石の第九演奏会恒例のフィナーレ。指揮者の小原一穂さん(写真右上)は釜石の演奏会で長年ソリストを務めてきた

 
釜石での第九演奏継続への一歩となった演奏会。今後、合唱仲間が増えることを願う

釜石での第九演奏継続への一歩となった演奏会。今後、合唱仲間が増えることを願う

 
 テノールのソリストを務めた大船渡市の大和田宏明さん(53)は、釜石の第九演奏会に10数年参加。昨年まで練習で担当していたソロパートを初めて観客の前で歌った。「一生に一度と思って頑張った。喉が痛いです」と照れ笑い。再び第九を歌える機会が得られたことに喜びを感じ、「この曲はどこまでも挑戦し続けられる面白さがある。形は何であれ、みんなで歌っていければ…釜石の第九は不滅です」と継続への思いを込めた。
 
 昨年まで第九合唱のメンバーとして参加してきた釜石高音楽部。今回は自分たちの発表後、客席最前列で聞く側として演奏を堪能した。前見琉綺亜部長(2年)は「祖母も第九を歌っていた。これまで演奏会が続いてきたのは需要があってのことだと思うし、やはりなくすべきではない」と実感。「私たち世代が受け継ぎ、次の代につないでいければ」と願い、若年層の合唱参加の広がりに期待した。
 
 演奏会実現へ奔走した合唱協会の小澤一郎事務局長(47)は「初の試みで心配なところはあったが、最終的にこれだけの歌い手、演奏者、観客に集まっていただき、何とか成功することができた」と安堵(あんど)の表情。「形式は変われど、釜石の第九をつなげられたのは大きい。やって良かった」と手応えを感じ、今後の形をさらに検討しながら継続の道を探っていく考えを示した。