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ペタンクで結ぶ友情 釜石の子ら、姉妹都市フランス・ディーニュ市を知る 提携30周年記念事業

フランス発祥の「ペタンク」に挑戦する子どもたち

フランス発祥の「ペタンク」に挑戦する子どもたち

 
 釜石市は今年、フランスのディーニュ・レ・バン市と姉妹都市提携を結んで30周年の節目を迎えた。市民への周知や交流促進の機運醸成を図ろうと、同国の文化などを体験したり学ぶことができるイベントを展開中。18日には、同国で親しまれているスポーツ「ペタンク」の体験会があり、子どもらが和やかな雰囲気の中で熱戦を繰り広げた。
 
 市主催のフランス言語・文化体験講座の一環。同市大町の青葉ビル内で行われている「放課後子ども教室・ばしょまえ交流館」を利用する釜石小の児童5人のほか、保護者やサポーターらも参加した。講師は、同国・ナンジ出身の佐々木イザベルさん(大船渡市在住)。「ボンジュール(おはよう、こんにちは)」「メルシー(ありがとう)」など、あいさつで使える言葉を教え、参加者は覚えたての単語を使って自己紹介し合った。
 
姉妹都市ディーニュ市について理解を深める釜石の子どもら

姉妹都市ディーニュ市について理解を深める釜石の子どもら

 
 ディーニュ市が位置する南仏発祥とされるペタンクは、「ビュット」と呼ばれる目標となる小さな球に金属製の球を投げて、近さを競うゲーム。子どもたちは、近くの大只越公園に移動して挑戦した。
 
 佐々木さんがゲームのルールや球の投げ方などを説明。地面を転がしたり、山なみに投げたり、さまざま方法があり、児童らは「目標球の近くに自分の球が止まるようにするには」と考え、試しながら、繰り返し球を放った。
 
ペタンクで使う金属製の球に触れてみる子どもたち

ペタンクで使う金属製の球に触れてみる子どもたち

 
球の投げ方を教える佐々木イザベルさん(右)

球の投げ方を教える佐々木イザベルさん(右)

 
 腕ならしの後、実践の勝負に挑んだ。低学年、高学年に分かれて行い、低学年はプラスチック製の球を使った。子どもたちは「よっしゃー!」「あー、外れたー」と喜んだり、残念がったり。「おー、いいね」と友達と声をかけ合いながらプレーに熱中した。
 
より近くに」。目標となる黄色の球を狙って一投

「より近くに」。目標となる黄色の球を狙って一投

 
低学年の児童はプラスチック製の球を使ってプレー

低学年の児童はプラスチック製の球を使ってプレー

 
狙い通り⁉手応えがあった参加者の表情は共通「おー!」

狙い通り⁉手応えがあった参加者の表情は共通「おー!」

 
 佐々木さんはフランス語にも触れてもらおうと、日本語の「ボール」は現地で「ブール」と発音し、目標球「ビュット」は「コショネ」とも言われることを紹介。子どもたちは聞きなれない言葉に興味津々。繰り返し声にして記憶に残した。
 
 藤田創さん(5年)は「意外に楽しかった」と元気いっぱい。ラベンダー栽培が盛んなディーニュ市の風景写真なども見て、「きれい、行ってみたい。名産とかも知りたい」と憧れを抱いた。30周年を記念し交流の機会があることを知り、「釜石に来てくれたら、『ありがとう』って伝えたい」と笑った。
 
手旗を持って写真をパチリ。合言葉は「メルシー!」

手旗を持って写真をパチリ。合言葉は「メルシー!」

 
 姉妹都市の交流は、1992年に釜石で開かれた「三陸・海の博覧会」で、ディーニュ市にある「アンモナイトの壁」のレプリカを展示したのがきっかけ。94年4月に提携を結んだが、一時期停滞した。2011年の東日本大震災の支援を機に新たな関係がスタート。代表団や市民レベルでの相互訪問などを重ねている。23年にはディーニュ市近郊で初開催されたアマチュアラグビーの世界大会に岩手・釜石から特設チームを派遣。海外体験事業として中学生も渡仏し、復興支援への感謝を伝えた。
 
 提携30周年を記念し、今年9月中旬にディーニュ市の訪問団が来釜する予定。釜石市では、ペタンクの体験やラベンダーを利用した手芸教室、釜石の食材を使ったフランスの家庭料理づくりなどの企画で、国際姉妹都市をより身近に感じてもらいながら交流促進、友好関係を発展させたいとしている。

子どもたちの学びの場を広く公開 新校舎移転3年目 釜石祥雲支援学校「学校へ行こう週間」

 

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「学校へ行こう週間」で小学部の授業を見学する地域住民=27日、釜石祥雲支援学校

 

 釜石市平田町の県立釜石祥雲支援学校(安達史枝校長、児童生徒53人)は6月24日から28日まで、授業の様子や校内の施設、設備などを保護者や地域住民に公開した。学校教育への理解と関心を高めてもらい、開かれた学校の推進を図る本県の取り組み「学校へ行こう週間」の一環。5日間で約50人が来校し、同校の指導体制や教育環境へ理解を深めた。

 

 同校では同週間の学校公開を年2回実施。保護者にとっては授業参観の意味合いもあり、期間中、都合のいい日、見学したい授業に合わせて足を運べるメリットもある。本年度1回目の今回は午前中に見学時間が設けられ、事前に予約した保護者や地域住民らが訪問。訪れた人たちは各教室で行われている2~4校時の授業を見学したほか、校内の各種特別教室やプールなども見て回った。

 

写真上:旧釜石商業高跡地に立地する新校舎。同下:見学者は校内のさまざまな教室も見て回った

 

 現在、同校には小学部に19人、中学部に9人、高等部に16人が在籍するほか、定内町の国立病院機構釜石病院内のしゃくなげ分教室で9人が学ぶ。小学部は病弱・肢体不自由、知的障害、重複障害のクラスがあり、日常生活の指導、生活単元学習、遊びの指導などを実施。実態に応じた国語や算数、自立活動の学習もあり、一人一人に合った教育で、日常生活に必要な力を身に付けながら心豊かな生活を送れるようにサポートしている。

 

小学部の自立活動の授業。カタツムリを触ったり季節を感じながら歌や太鼓を楽しんだ

 

新聞紙をちぎって紙の感触を味わう。音楽に乗せて紙のシャワーも

 

 27日に訪れた平田町内会の中川崇司会長(72)は「先生方が愛情を持って接し、子どもたちも信頼しきっている様子がうかがえる。家ではできないいろいろな経験もでき、とてもいい環境で学べているようだ」と実感。少子化の進行、不登校の増加と教育課題が複雑化する中、地域全体で子どもたちを見守り、関心を寄せる必要性も感じ、「地域の学校は一度は見ておくべき。ここも縁あってこの地に立地した。見学の機会を通して距離を縮め、登下校時にはあいさつを交わせるような関係ができれば」と期待を寄せる。

 

 同校は前身の県立釜石養護学校時代に建設された定内町の校舎で小、中学部が学び、高等部は甲子町の釜石高に併設されていたが、校舎の老朽化などの課題解決のため移転新築。旧釜石商業高跡地に新校舎が建設され、2022年8月に移った。これにより小中高の一貫指導が可能に。木材を基調とした新校舎は車いすの行き来がしやすい広い造りで、体育館やプール、広いグラウンドも整備されたことでより良い教育環境が整った。児童生徒らは伸び伸びと学んでいて、小中高各部間の交流も増え、喜んでいるという。

 

木のぬくもりが感じられる明るい校内。プールは2つの水深で子どもたちに合った利用が可能

 

 「引っ越してきたばかりで、地域の方もどんな子がいてどんな勉強をしているのか、まだ分からない部分もあると思う」と中館崇裕副校長。学校公開など住民理解を図る取り組みは今後も継続していきたい考えで、「これから何十年とこの地でお世話になることと思う。学校のことを地域住民に少しずつ理解してもらい、いろいろな地域資源の活用にもつなげていけたら」と展望する。

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一針に心込め、小さなピースつなぐ 釜石の愛好グループ パッチワークキルト展

ずらりと並んだパッチワークキルトの力作に見入る来場者

ずらりと並んだパッチワークキルトの力作に見入る来場者

 
 釜石市でパッチワークキルトを楽しんでいる「キルトハウスドリームパッチワークキルト教室」(植田貴美子代表)の作品展示会が21~23日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。一針一針にさまざまな思いを込めて丁寧に作り上げたタペストリーや、バッグといった日用使いができる小物など約100点を展示。カラフルでバラエティー豊かな力作で来場者の目を楽しませた。
 
 同教室は、市働く婦人の家(小川町)の自主グループとして活動し、10年ほどになる。現在の会員は60代から80代までの14人。月2回(第1、3土曜日)、市内で教室を主宰する関政子さん=公益財団法人日本手芸普及協会パッチワークキルト講師・指導員=の指導を受けながら、作品づくりに取り組んでいる。
 
 作品展示は年に1回、同家の発表会で行ってきたが、新型コロナウイルス禍の影響でここ数年は開催できない状態が続く。「みんな頑張っている。すてきな作品が目に触れないのは寂しい」と感じていた関さんが、展示会を提案。5年ぶりとなる発表の機会に会員たちのやる気も高まり、活動拠点を飛び出し、より多くの人に手仕事の様子を知ってもらうことにした。
 
展示会を開いたキルトハウスドリームパッチワークキルト教室のメンバーら

展示会を開いたキルトハウスドリームパッチワークキルト教室のメンバーら

 
 会員の作品を中心に約2メートル四方のベッドカバーや大小さまざまなタペストリーを展示。バッグ、ポーチ、立つペンケースなどの小物作品も並び、手作りのぬくもりを感じさせた。関さんは、自宅の庭をモチーフにしたタペストリー「MY flower garden」(キルト時間フェスティバル2020入賞作品)など大作3点を含めた十数点を紹介。来場者は迫力と細やかな技、大胆な色彩に足を止めてじっくりと見入っていた。
 
デザインや色合いが華やかな作品が並んだキルト展

デザインや色合いが華やかな作品が並んだキルト展

 
小さな作品も丁寧な手仕事の様子を感じながら鑑賞

小さな作品も丁寧な手仕事の様子を感じながら鑑賞

 
 「かわいい孫ちゃんへ楽しい夢、そして、幸せな未来へ」。そんな作品説明文が添えられていたのは、日よけ帽をかぶり、ワンピースにエプロンという姿をしたキャラクターをモチーフにしたかわいらしいベッドカバー。3人きょうだいの末っ子の女児を思いながら、坂元恵子さん(75)が一針一針縫い進めた作品だ。「東日本大震災で家族や親族を亡くしたが、乗り越えて今がある。これからは楽しく暮らし、平凡に、何事もなく育ってほしい」。離れて暮らす、その子に手渡せる日を待っている。
 
坂元恵子さんの出品作。一針に込めた思いを伝えた

坂元恵子さんの出品作。一針に込めた思いを伝えた

 
 キルトは、表布にキルト綿を挟み、裏布を重ねた状態で縫う手法。そして、パッチワークとは、さまざまな布切れを縫い合わせて一枚の布に仕上げる手芸のこと。カットした布(ピース)をつないで四角形にまとめた「ピースワーク」、さまざまな形にカットした布を土台となる布にのせて縫い付ける「アップリケ」という2つのスタイルがあり、同教室ではそれを応用する。同じ布を使っても組み合わせによって仕上がりは千差万別。展示会でもデザインが同じものがあったが、色合いが違っていて作り手の個性がにじみ出た“一点もの”になっていた。
 
デザインは同じでも色合いの違いで作品に個性が出る

デザインは同じでも色合いの違いで作品に個性が出る

 
植物とキルト。一風変わった組み合わせが新鮮

植物とキルト。一風変わった組み合わせが新鮮

 
 植田代表(72)は「小さいものがつながって大きな作品になっていくのが楽しみ」と笑顔を見せる。一辺1.5センチの六角形を丹念に縫い合わせた大作「フラワー」(縦約1.9メートル、横約1.5メートル)などを出品。「魅力に取りつかれた仲間」との交流も継続の力になっているという。「失敗はあっても、出来栄えはみんな素晴らしい」と、久々の発表の機会に満足げ。「別のデザイン、大きな作品を作りたい」と刺激ももらった。
 
植田貴美子代表が出品した「フラワー」(手前)

植田貴美子代表が出品した「フラワー」(手前)

 
六角形はいくつある?…植田代表「分からない」

六角形はいくつある?…植田代表「分からない」

 
 関さんは「好きなものを好きなように好きなだけ作ってもらう」よう指導する。そうしてつくり上げた作品をたくさんの人に「すてきだなと思ってもらえたらうれしい」と見守る。見てもらうことは「自分のためになる」と強調。気づきを得たり、意欲を高める会員らをこれからも後押しし続ける考えだ。

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紙芝居と写真で伝える郷土の先人&自然 「つみしの会」が“知る楽しみ”提供

 「つみしの会」紙芝居上演&写真公開イベント=16日、鵜の郷交流館

「つみしの会」紙芝居上演&写真公開イベント=16日、鵜の郷交流館

 
 釜石市の歴史や自然に詳しい元観光ガイド3人で結成する「つみしの会」が、地域の魅力を伝える新たな活動を始めた。その第1弾のイベントが16日、鵜住居町の鵜の郷交流館で開かれ、郷土の先人を題材にした手作り紙芝居の披露、豊かな自然を捉えた写真の展示で集まった市民らを楽しませた。
 
 先人の紙芝居を披露したのは藤井静子さん(74、小佐野町)。栗林村(現栗林町)出身で、国内最大級とされる三閉伊一揆の指導者としてその名を残す三浦命助(1820-64)、唐丹村(現唐丹町)出身で医師、村長、県議として活躍、明治、昭和の三陸大津波で住民の救済、復興に尽力した柴琢治(1865-1947)の生涯を語った。
 
藤井静子さんが三浦命助と柴琢治の紙芝居を披露(写真上段)。郷土の先人に理解を深める来場者(同下段)

藤井静子さんが三浦命助と柴琢治の紙芝居を披露(写真上段)。郷土の先人に理解を深める来場者(同下段)

 
 藤井さんは遠野市出身。高校卒業後、釜石市を拠点に家電メーカーの営業織を長く続け、その間、職場の改善提案発表で全国大会にも出場した。52歳の時、観光ガイド養成講座の受講者仲間で立ち上げた釜石観光ボランティアガイド会(現釜石観光ガイド会)の一員に。同市の歴史や文化を旅行客や市民らに伝える活動を昨夏まで続けてきた。
 
 紙芝居の活動は15年前から。縁あって、宮沢賢治の童話「風の又三郎」の紙芝居制作を依頼され、釜石鉱山のイベントで披露したのが始まりだった。その後、鉄のまち釜石の礎を築いた大島高任など郷土の先人を題材にした紙芝居も制作。作品はガイド活動にも生かされた。郷土の民話も含め、これまでに約20作品を制作。ストーリー構成から絵まで全て自分で手掛ける。
 
最初に制作した宮沢賢治の「風の又三郎」の紙芝居も披露した

最初に制作した宮沢賢治の「風の又三郎」の紙芝居も披露した

 
手作り紙芝居(写真左)を見せながら来場者と交流する藤井静子さん(同右)

手作り紙芝居(写真左)を見せながら来場者と交流する藤井静子さん(同右)

 
 営業職時代に培った話の“起承転結”、人前での“しゃべり”と、自分の言葉で話すことには慣れていた藤井さんだが、絵の制作はほとんど経験が無かった。「絵は下手だが思いを込めて…」と場面に応じた描写をひねり出す。「絵があると話の内容も印象に残りやすい。自分自身が伝えたいことを整理するのにも役立つ」と紙芝居のメリットを話す。
 
 この日は最近、作り始めた大槌町に関わる紙芝居も上演。江戸時代の豪商、前川(吉里吉里)善兵衛の功績を紹介した。紙芝居の前には、出身地遠野の民話「おしらさま」なども語った。会場には紙芝居10作品を展示。今後は「遠野物語も紙芝居にして伝えられたら」と制作意欲は尽きない。自身いわく、紙芝居は「生きがい対策」。できるだけ続けていきたい意向を示した。
 
 上演は午前と午後の2回行われ、午前の部は子どもから大人まで21人が楽しんだ。野田町の小笠原信行さん(74)は「三浦命助も柴琢治も名前は知っていたが、こうして物語にしてもらって聞くと非常に分かりやすい。絵も人物の表情が豊かで素晴らしい。来て良かった」と喜びの笑顔を広げた。
 
 会の仲間、三浦勉さん(72、野田町)は出身地橋野町の豊かな自然を記録した写真106点を公開。20年以上にわたる趣味の山歩きで撮影した巨木、滝、奇岩など、未知の絶景が来場者の目を引き付けた。
 
三浦勉さん(写真上段左から3人目)は橋野の自然写真を展示

三浦勉さん(写真上段左から3人目)は橋野の自然写真を展示

 
三浦さんが山中で発見した巨木や岩(写真左)。クマの写真も多数(同右)

三浦さんが山中で発見した巨木や岩(写真左)。クマの写真も多数(同右)

 
 メンバーの名前が語源という「つみしの会」。好きなことや得意なことで郷土の魅力を発信する藤井さんと三浦さんは「町内会や学校、地区のイベントなどにも呼んでもらえれば。これまで積み重ねてきたものを地域に還元したい」と今後の活動に意欲を見せる。

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9競技で熱戦! 釜石大槌地区中総体 サッカー、バドミントンに地域クラブチーム初参戦

3年ぶりに対戦が実現した釜石大槌地区中総体サッカー競技=大槌町営サッカー場

3年ぶりに対戦が実現した釜石大槌地区中総体サッカー競技=大槌町営サッカー場

 
 2024年度釜石大槌地区中学校総合体育大会(中総体)は15日、地区内の公共スポーツ施設や学校体育館で9競技が行われた。日本中学校体育連盟(中体連)が主催大会に学校外の地域クラブ活動団体の参加を認め、各都道府県、地区中体連も同様の措置を取って2年目となる本年度。釜石大槌地区中総体には今回初めて、サッカーとバドミントン競技に地域クラブ各1チームが参加した。
 
 少子化、人口減による生徒数の減少で近年、団体競技の合同チームでの参加や地区予選なしでの県大会出場が顕著になっている同地区中総体。本年度は軟式野球で4校合同、バスケットボール女子で2校合同チームが結成され、地区大会での対戦が行われた。
 
 対戦可能な人数がそろわず、22、23年度と試合ができなかったサッカーは、3年ぶりに競技が行われた。昨年結成された大槌サッカークラブ(9人)が釜石東中(21人)と対戦。地区代表の座をかけて熱い戦いを繰り広げた。同クラブは、地元サッカースポーツ少年団で活動した子どもたちが中学生になっても競技を続けられる環境を作ろうと、地域の指導者らが設立。大槌、吉里吉里両学園の中学生が所属する。試合は互角の戦いとなったが、前半に1点を先取した釜石東中が守り切り、1対0で県大会への切符を手にした。
 
地区中総体に初めて参加した「大槌サッカークラブ」。大槌、吉里吉里学園の生徒で結成

地区中総体に初めて参加した「大槌サッカークラブ」。大槌、吉里吉里学園の生徒で結成

 
釜石東中と大槌サッカークラブの対戦。初夏の日差しが照りつける中、熱戦を繰り広げた

釜石東中と大槌サッカークラブの対戦。初夏の日差しが照りつける中、熱戦を繰り広げた

 
 同クラブの飛田駿丞さん(大槌学園9年)はフルメンバーで挑んだ今大会に「少ない人数でもここまで頑張ってこられた」と仲間に感謝。「負けた悔しさを次のリーグ戦にぶつけたい」と中学最後の大会を見据えた。コーチの古川英紀さん(52)は「少子化の中でも、子どもたちがやりたいスポーツをできる環境をいかに作っていくか。そこはやはり大人の責任」と学校、地域双方の受け皿充実を望む。今後もメンバーの獲得に努め、新人戦への出場を目指す意向を示した。
 
 釜石東中のキャプテン木村翔さん(3年)は中学最後の地区総体で初めて試合ができたことについて、「地区内に切磋琢磨できる仲間がいるのはうれしいこと。相手はみんな経験者で、人数が少なくてもうまいと感じた。県大会はもっとレベルが高いと思うので、次のステージに行けるように練習していきたい」と気を引き締めた。
 
優勝した釜石東中サッカー部。地区代表として県大会に出場する

優勝した釜石東中サッカー部。地区代表として県大会に出場する

 
 バドミントン競技に初参戦したのはKBF(釜石バドミントンフレンズ、12人)。学校部活動の「地域移行」の流れを酌み、「釜石の先駆けに」と市内で活動してきた3団体が合併して、今年4月に発足させた。中学生メンバーは釜石、大平、釜石東の3校から集まる。今大会では女子団体戦、男女の個人戦(シングルス、ダブルス)にエントリー。試合の結果、女子団体戦で1位、女子個人戦ではシングルスで2人、ダブルスで2組が3位以上に入り、県大会出場を決めた。
 
地区中総体バドミントン競技に初めて参加した釜石市のチーム「KBF」

地区中総体バドミントン競技に初めて参加した釜石市のチーム「KBF」

 
小学生から競技に励む選手が実力を発揮=釜石市民体育館

小学生から競技に励む選手が実力を発揮=釜石市民体育館

 
 小学4年からクラブチームで競技を続けてきた平舘杏奈さん(釜石中1年)は中総体初参加。「初めて団体戦をやって楽しくプレーできた。3年生の先輩は最後の中総体なので、いい結果を残せて良かった」と満足そう。個人戦ダブルスでも2位に入った。小学生の時には東北大会出場も経験。「中学3年間の目標は団体、個人の県大会優勝」と意欲を高めた。
 
KBFは女子団体で1位、女子個人シングルスで2,3位、同ダブルスで1,2位を獲得(写真提供:KBF)

KBFは女子団体で1位、女子個人シングルスで2,3位、同ダブルスで1,2位を獲得(写真提供:KBF)

 
 少子化の影響で部員を確保できない部活動の存続、顧問を務める教員の負担軽減などを目的とした「部活動の地域移行」。国は2023~25年度を改革推進期間と定め、実現への取り組みを促すが、実際には課題も多い。地域クラブの中総体参加について、KBFの久保勝幸代表(48)は「学校に部がない生徒が大会への出場機会を得られる、メンバーの対戦経験を増やせる一方、学校の部と地域クラブ双方で活動する生徒がどちらの所属で参加するか判断に迷う部分もある。特に3年生は卒業アルバム掲載の問題も…」と、参入によるメリット、デメリットを指摘。県内では地域クラブの参入が確実に増えている状況もあり、「今大会への試行参加を基に、子どもたちにとってより良い方向性を見いだしたい」と語る。
 
 今大会は各競技とも予定通り行われ、地区代表として県大会に出場する学校、選手が決まった。県大会は7月13~15日に県内各会場で行われる。
 
バドミントン男子の団体戦。大槌学園と対戦する唐丹中(手前)

バドミントン男子の団体戦。大槌学園と対戦する唐丹中(手前)

 
ソフトテニス女子の団体戦。釜石中と対戦する甲子中

ソフトテニス女子の団体戦。釜石中と対戦する甲子中

 
ソフトテニス男子の個人戦。大槌学園と対戦する釜石中

ソフトテニス男子の個人戦。大槌学園と対戦する釜石中

 
2024年度釜石大槌地区中学校総合体育大会成績一覧表

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「いいな」を撮り続け50余年 釜石の鈴木哲さん「これが最後かな…」 “総決算”の写真展

鈴木哲さんの多彩な写真表現を釜石市民らが楽しんだ

鈴木哲さんの多彩な写真表現を釜石市民らが楽しんだ

 
 釜石市只越町のアマチュアカメラマン、鈴木哲(さとし)さん(75)の写真展が14日から3日間、同市大町の市民ホールTETTOで開かれた。東日本大震災以降に撮りためた作品約100点を紹介。写真仲間や友人らが足を運び、身近なモチーフを多様な視点で切り取った写真にじっくりと見入っていた。
 
 個展は2020年以来、4年ぶりの開催。今回は釜石港、三陸海岸の生活、祭り、花、動物、旅の思い出など多様なモチーフの作品を並べた。昨年6月に惜しまれながら定期運行を終えた「SL銀河」の雄姿を残す作品も多数。撮影場所や季節、アングルを複合的に捉えた。作品のほとんどはA4サイズ。大きさをそろえることで統一感を持たせた。
 
鈴木さんの作品がずらりと並んだ釜石市民ホールギャラリー

鈴木さんの作品がずらりと並んだ釜石市民ホールギャラリー

 
旅のスナップや空模様などを題材にした作品に見入る来場者

旅のスナップや空模様などを題材にした作品に見入る来場者

 
JR釜石線を走る「SL銀河」は心引かれるモチーフだった

JR釜石線を走る「SL銀河」は心引かれるモチーフだった

 
 鈴木さんが本格的にカメラを手にしたのは20歳代。市内の印刷会社で働く中、社内に多かった写真愛好者の影響を受けた。同じ頃、職場近くにあったデパートで催された撮影会の写真コンテストに参加、出品したところ、思いかげず入選。「よし!次はもっと上位の賞を」と、撮る楽しさにハマった。
 
 ボーリングに野球、登山、スキーなどもともと趣味が多く、体を動かすことも好きだったが、50年以上たった今でも残る趣味はカメラ。その楽しみが「終わりかな」と思う時期があった。2011年の震災。津波で鵜住居町の自宅を失い、カメラも全て流された。先が見通せない中、「気分転換に」との誘いに乗って親族がいる愛知県名古屋市近隣を周遊。「出かけるなら、カメラが必要だ」と、すぐに新たな“相棒”を迎えた。
 
写真展を開いた鈴木さん。カメラを楽しむ生活は50年を超える

写真展を開いた鈴木さん。カメラを楽しむ生活は50年を超える

 
津波の猛威と、負けない人々の姿を捉えた写真もあった

津波の猛威と、負けない人々の姿を捉えた写真もあった

 
 津波の痕跡を残す震災後のまちを写した数点も並べた。避難所、仮設住宅での生活を経て、復興住宅で暮らす今、日課のようにレンズを向けるのは月。部屋のベランダから目に入る夜空、月明かりがつくり出す高層の建物や構造物の影など、身近な風景をモチーフにする。ふと見上げた空に浮かぶ雲の造形を切り取った作品も。「目に焼き付けるより、記録に残したい」とシャッターボタンを押した。
 
鈴木さんは展示会場でもカシャ。「いいね」と心動いた瞬間

鈴木さんは展示会場でもカシャ。「いいね」と心動いた瞬間

 
 展示会場でも“愛機”を手にファインダーをのぞいていた鈴木さん。「撮りたいと思ったらすぐ!」と瞬間を逃さない。長いキャリアの中で、「そうできるようになった」と頬を緩める。「カメラを向けた時の被写体は無口で何も言ってこないが、シャッターを切ると声が聞こえてくる」と独自の見解。「もっときれいに撮れるよ」「こっちから見て」と話しかけてくるとか。そんな対話ができるのが写真の魅力だという。
 
 「さとちゃんらしい、優しい写真だね」。親しい間柄の来場者から聞こえてきた声に、鈴木さんは照れ笑い。「見たり見られたりすることでレベルアップになる。自分だったら、こう撮る…と考えたり、自分にないものを求める」。カメラを楽しむ仲間とは写真談義を交わした。
 
写真を通じてたくさんの笑顔と会話が生まれた展示会場

写真を通じてたくさんの笑顔と会話が生まれた展示会場

 
「総決算」の個展で来場者にプレゼントされた作品たち

「総決算」の個展で来場者にプレゼントされた作品たち

 
 意欲的な鈴木さんだが、個展は「最後になるだろう」とのこと。3回目の今回を「総決算」とし、会場に並べた作品のうち、過去の展示で公開した作品40点ほどを最終日に希望した来場者にプレゼントした。
 
 保有するカメラは4台。独自の“撮影日和”にカメラを肩に歩いたり、自転車や路線バス、鉄道に乗って「いいな」と思うものを探す生活スタイルは変わらない。写真好きの友人との外出も継続。市内のグループ展での作品公開を続ける。

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「餅鉄で鉄瓶を作ろう」 釜石でプロジェクトスタート 原料はどこに? 今も眠るお宝を探せ!

橋野町の沢桧川で餅鉄を探す子どもたち=25日

橋野町の沢桧川で餅鉄を探す子どもたち=25日

 
 釜石市橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」の高炉稼働時、製鉄原料の一部となった“餅鉄(もちてつ、べいてつ)”。鉄の含有率が高い丸みを帯びた石は、当時の栗林、橋野両村民によって同所に持ち込まれ、買い取られていたという。今も同地域で見られる餅鉄から鉄を取り出し、鉄瓶を作ってみようという市民参加型のプロジェクトが始動した。25日、同町で原料の餅鉄を探す活動があり、市内外から21人が参加した。
 
 橋野鉄鉱山インフォメーションセンターに集まった参加者は始めに、同町出身の製鉄史研究家三浦勉さん(72)から餅鉄について学んだ。三浦さんの地元橋野では、餅鉄は「べんてつ」「べんこてつ」などと呼ばれるほか、その形状から「馬糞(ばふん)鉄」とも表される。同町には国内最大級とみられる幅83センチ、高さ42センチ、推定重量約300キロの餅鉄が個人宅にある。片羽山雄岳の麓、同町大平の畑で見つかったものだという。
 
餅鉄について学んだ講座=橋野鉄鉱山インフォメーションセンター

餅鉄について学んだ講座=橋野鉄鉱山インフォメーションセンター

 
 餅鉄は多くが川で見つかり、丸みを帯びて表面が滑らかなことから、文献などでは「磁鉄鉱が川の流れで転がり円礫(れき)になったものと考えられる」とされる。これに対し三浦さんは「釜石では川のない山中でも見つかっている。重量感からしても洪水などで長い距離を転がることは無理があるのではないか」と推測。釜石地域の磁鉄鉱は白亜紀(約1億2千万年前)のマグマの貫入で、石灰岩などが熱変成して生まれたものとされており、「餅鉄は川の流れで丸くなったのではなく、火山噴火で大気中に飛んだものではないか」と独自の推論を示した。
 
製鉄史研究家・三浦勉さん(写真上段右)が餅鉄の産地などについて解説

製鉄史研究家・三浦勉さん(写真上段右)が餅鉄の産地などについて解説

 
 火山噴火の可能性を考える根拠としては▽餅鉄がある川で硫黄臭がする白く軽い石(地元ではへったれ石、へっぴり石と呼ばれる)が見られた▽片羽山麓の岩盤で火山岩に見られる結晶「クリストバライト」が確認されている▽最大級の餅鉄が見つかった場所は山麓直下で川の流れによる円礫化は考えにくい―ことなどを挙げた。
 
 この後、参加者は今も餅鉄が多く見られる片羽山麓の沢桧川に向かった。同下流域には市指定文化財の「釜石鉱山田中製鉄所栗橋分工場跡」がある。明治から大正にかけて高炉1基が稼働し、山神社の鳥居や祠(ほこら)が残る。餅鉄の採集は同工場跡近くで行われた。参加者は三浦さんに見つかりやすい場所などを教わりながら探した。
 
沢桧川の餅鉄採集ポイントに向かう参加者

沢桧川の餅鉄採集ポイントに向かう参加者

 
途中には市指定文化財「釜石鉱山田中製鉄所栗橋分工場跡」があり、石垣などの遺構が残る

途中には市指定文化財「釜石鉱山田中製鉄所栗橋分工場跡」があり、石垣などの遺構が残る

 
三浦勉さん(中央)から教わりながら餅鉄を探す

三浦勉さん(中央)から教わりながら餅鉄を探す

 
 判別のポイントは石の色と重さ。他のものに比べ黒っぽく、同じような大きさでも餅鉄は重いのが特徴。鉄成分を含んでいるので磁石がくっつく。参加者は川底に目を凝らし、磁石を近づけてみたりしながら探した。約1時間で10キロ以上の餅鉄が採集された。
 
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磁石にくっつく石が多数。右上と左下は表面が滑らかで丸みを帯び、餅鉄の特徴が見られる

 
 同市の小学生金野龍真君(11)は市が実施する「鉄の検定」で1級を取得。検定の勉強で餅鉄のことは知っていたが、実際に探すのは初めて。「すぐには見つからなくて、探すのは大変だった。これで鉄を作ろうと最初に考えた人の発想がすごい。鉄づくりも楽しみ」と期待感をにじませた。甲子町の50代女性は旧釜石鉱山事務所(愛称:Teson)のイベントで、餅鉄が展示されているのを目にした。今回の採集で「本当にあるんだ」と再確認。「山奥にあると思っていたので、意外にも身近な場所にあってびっくり。最後まで参加して鉄瓶ができるのを見届けたい」と声を弾ませた。
 
餅鉄の多くは流れが緩やかな岸辺側で見つかった

餅鉄の多くは流れが緩やかな岸辺側で見つかった

 
お目当ての「餅鉄」をゲット! 笑顔を見せる子どもたち

お目当ての「餅鉄」をゲット! 笑顔を見せる子どもたち

 
 橋野鉄鉱山稼働時、高炉場にあった御日払所では、村民が持ち込んでくる餅鉄を買っていた。その記録として「餅鉄通」という文書が残っている。釜石の餅鉄は鉄含有率が約70%(磁鉄鉱は約60%)と高く、質の良さも特徴。磁鉄鉱に交ぜて使われたとみられている。
 
 プロジェクトを主催する市世界遺産室の森一欽室長は「鉄原料から製品になるまでを見られる初のイベント。有意義な機会になると思う。釜石には今も身近な所に資源が眠っていることも知ってもらえれば」と話した。
 
参加者は夢中になって“お宝”を探した

参加者は夢中になって“お宝”を探した

 
最後はみんなで採集した餅鉄の重さを計測した

最後はみんなで採集した餅鉄の重さを計測した

 
 餅鉄から鉄を取り出す製鉄体験は9月に甲子町大橋で実施予定。できた鉄は県工業技術センター(盛岡市)で炭素量など成分を調整してもらい、滝沢市の南部鉄器職人田山和康さん(73)に鉄瓶にしてもらう。11~12月ごろに盛岡市で鉄瓶ワークショップを開催する。

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写真で「癒やし」のひとときを― 釜石・芳賀憲一さん 震災機に継続の展示会3年ぶりに

 「癒やし」をテーマに開かれた芳賀憲一さんの写真展=18日

「癒やし」をテーマに開かれた芳賀憲一さんの写真展=18日

 
 釜石市のアマチュア写真家、芳賀憲一さん(77)が17日から3日間、同市大町の市民ホールTETTOで写真展を開いた。東日本大震災後、撮りためた作品を「皆さんの癒やしになれば」と公開し続ける芳賀さん。今回は2021年3月以来の展示会で、自身の“喜寿”記念も兼ねて開催。この3年で撮影した市内外の風景や動植物などを主に70点を展示した。
 
 サクラ、ヒマワリなど季節の花々、昨年運行を終了したSL銀河、釜石まつりの呼び物「曳き船」、市街地で憩うシカ…。芳賀さんが独自の視点で捉えた一枚一枚が来場者の目をくぎ付けにした。色彩の美しさ、構図のうまさ、貴重な一瞬を逃さない技術力の高さに加え、しゃれっ気たっぷりの作品タイトルなど、見る人を魅了する要素が満載の展示会となった。
 
TETTOでの開催は2019年、21年に続き3回目

TETTOでの開催は2019年、21年に続き3回目

 
写真左:魚眼レンズで撮影したヒマワリ畑と紅葉。同右上:ハスの花びらが水滴に乗った作品のタイトルは「花筏(いかだ)」。同右下:リニューアル前の大只越公園。イチョウの落ち葉の上にできた2本の木の影で「道しるべ」

写真左:魚眼レンズで撮影したヒマワリ畑と紅葉。同右上:ハスの花びらが水滴に乗った作品のタイトルは「花筏(いかだ)」。同右下:リニューアル前の大只越公園。イチョウの落ち葉の上にできた2本の木の影で「道しるべ」

 
作品名「柿をとる」。左は(スマホカメラで)撮る、右は(手をのばして)もぎ採る

作品名「柿をとる」。左は(スマホカメラで)撮る、右は(手をのばして)もぎ採る

 
 今回、初めて取り入れたのは写真に書を施した作品コーナー。釜石応援ふるさと大使を務める仙台市在住の書家支部蘭蹊さん(73)が、芳賀さんの写真にさまざまな言葉を添えた作品で、2つの芸術の融合が新たな世界観を生み出している。「いつか、支部さんと二人展もできれば」と芳賀さん。
 
芳賀さんの写真に支部さんが言葉をしたためたコラボ作品。右下は芳賀さんの写真展への思いを書いてもらった作品

芳賀さんの写真に支部さんが言葉をしたためたコラボ作品。右下は芳賀さんの写真展への思いを書いてもらった作品

 
 会場には市内外から多くの人たちが足を運んだ。「ここはどこ?」「どこから撮ったの?」と質問する来場者。釜石大観音など見慣れたモチーフも撮る場所や時間帯、気象条件によって違った表情を見せており、興味をそそられながら見入る人の姿も。
 
季節や撮影場所によってさまざまな景観を生み出す釜石大観音

季節や撮影場所によってさまざまな景観を生み出す釜石大観音

 
写真展を開いた芳賀憲一さん(中央)。来場者との会話も楽しみの一つ

写真展を開いた芳賀憲一さん(中央)。来場者との会話も楽しみの一つ

 
 芳賀さんは同市大只越町出身・在住。2004年に発生した新潟県中越地震の復興事業に土木技術者として2年間派遣された際、休日を利用して、釜石にはない風景を撮影したのが写真を始めるきっかけとなった。帰釜後、「古里にもまだ見ぬ景色がある」と日常的にカメラを手にするように。市内外に出向いて撮影を楽しんだ。
 
 63歳で退職した直後の2011年3月、東日本大震災が発生。被災者の力になりたいと、仮設住宅を担当する市の臨時職員(中妻地区生活応援センター配属)として働き始めた。仮設入居者の生活が落ち着き、各種支援も減ってきたころ、引きこもりの増加が問題に。「外に出るきっかけになれば」と思いついたのが、殺風景だった仮設の談話室に自身が撮りためていた写真を飾ることだった。「ぜひ見に来て」と積極的に声掛けをしたところ、自室にこもりがちだった人たちも足を運び、「癒やされた」と安らぎの表情を浮かべたという。
 
 市内に復興住宅が建設され、仮設からの移住が進んだ2017年、上中島復興住宅に併設整備された同センター(中妻公民館)で再び写真展を開催した。市の臨時職員の仕事は7年間続けた。この間、地元の写真愛好家グループ「釜石写遊会」にも所属。先輩会員から技術を学び、会の展示会でも作品を発表してきた。同会解散後は、個展が唯一の発表の場となり、TETTOでの開催は本展で3回目を迎えた。
 
写真左:写真愛好家をはじめ多くのファンに愛されたSL銀河。同右:2羽のハクチョウの首がハート形を作り出したユニークな一枚

写真左:写真愛好家をはじめ多くのファンに愛されたSL銀河。同右:2羽のハクチョウの首がハート形を作り出したユニークな一枚

 
芳賀さんの専属モデルは2人の孫娘。姉妹愛あふれる作品

芳賀さんの専属モデルは2人の孫娘。姉妹愛あふれる作品

 
 「常にカメラを持ち歩き、撮りたいものがあればすぐに…」と芳賀さん。意図して撮りに行く以外にも、心引かれる被写体との偶然の出会いで思わずシャッターを切ることも。撮影の原動力は「見た人が喜んでくれること」だといい、「自分がその写真の中にいる感覚を味わってほしい。実際に現地で見ているかのように」と思いを込める。
 
 会場では「きれいだね」「いいねぇー」「楽しませてもらった」など、感激の声が聞かれた。「ありがたい。やったかいがある」とうれしさをにじませる芳賀さん。今後、撮ってみたい題材を尋ねると、「お年寄りの穏やかな部分。日なたぼっこをしている姿とか、和めるものを撮りたい」。人物撮影では「背中から撮らせてもらうほうが好き。『何を話しているのかな』とか想像が膨らむ」とベストショットを狙う。
 
 今回、会場の一角には能登半島地震の被災者支援のための募金箱も設置され、協力者には芳賀さん撮影の写真がプレゼントされた。
 
能登半島地震被災者支援の募金も呼び掛け。プレゼント用の写真はどれも素敵で迷っちゃいます!

能登半島地震被災者支援の募金も呼び掛け。プレゼント用の写真はどれも素敵で迷っちゃいます!

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やりがい体感!現場で学ぶ看護の心 中高生、県立釜石病院で患者とふれあい交流

手術室の見学などが行われた県立釜石病院の看護体験

手術室の見学などが行われた県立釜石病院の看護体験

 
 「看護週間」(12~18日)にちなみ、釜石市甲子町の県立釜石病院(坂下伸夫院長)で17日、中高生が看護の現場を学ぶ「ふれあい看護体験」が行われた。職業として医療職を選択してもらう機会を提供するのが目的。生徒たちは患者へのケアを通して先輩看護師から働く姿勢や心構えを学び、仕事のやりがいを体感した。
 
 釜石中、釜石高、花巻南高の生徒11人が参加。座学で医療・看護の職種や患者との接し方、感染予防対策など説明を受けた後、整形外科や緩和ケア、循環器内科など各病棟に分かれて入院患者の手足浴や食事の配膳などに取り組んだ。患者役・介助役となり車いす、ストレッチャーによる移動を体験。食事の介助も見学し、患者のペースに合わせ料理を口に運んだり、顔を近づけてゆっくり話しかける看護師の姿を見つめ、現場の雰囲気を肌で感じた。
 
手洗いや防護具の脱着など感染予防策の演習に取り組む参加者

手洗いや防護具の脱着など感染予防策の演習に取り組む参加者

 
患者の移送や食事の配膳を体験したり、食事の介助を見守ったり

患者の移送や食事の配膳を体験したり、食事の介助を見守ったり

 
 手術室での活動は初めてのプログラムで、釜石高3年の大和田未桜(みお)さんと菊池桜永(おと)さんが手を挙げた。手術で使用する器具に触れたり、手術台にあおむけになって患者の気持ちを感じてみたり。脈拍や血圧など、モニターに映し出される「患者の声」に耳を傾けていることを知り、「生死に関わる仕事で、細心の注意を払っているのが分かったし、仕事に対する熱意を感じた」と背筋を伸ばした。
 
手術で使う器具を渡す「器械出し」を体験する生徒

手術で使う器具を渡す「器械出し」を体験する生徒

 
 ともに助産師を目指していて、「経験できるものは何でもやりたい」と積極的に活動。同病院が分娩(ぶんべん)業務を休止していること、そもそも岩手県内に産科医師が少ないことなどを調べていて、「子を産める環境をつくれる人になりたい」「若い世代に性の正しい知識を伝えたり、命の誕生に向き合うスペシャリストになりたい」と夢を膨らませた。
 
気になることを積極的に質問しながら体験活動に取り組んだ

気になることを積極的に質問しながら体験活動に取り組んだ

 
 釜石中2年の高橋杏奈さんは保育士という希望も持っており、職業選択の参考になればと参加。「看護師はやりがいがあると思うが、大変そう。いろんな職種もあると知れたし、この体験を参考にいろいろ調べてみたい」と視野を広げた。
 
 病棟で患者とじかに触れ合う体験は、新型コロナウイルス禍の中止を経て5年ぶり。15日も中高生13人を受け入れた。熊谷和子副総看護師長(57)は「反応が初々しく、キラキラとした目で体験に臨む姿が印象に残った。そうしたピュアな気持ちを大切に、医療の現場で働く仲間になってもらえたら」と期待した。

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言葉は通じなくても…ジェスチャーで!異文化体感 台湾訪問、釜石の小学生 感動を報告

台湾を訪問して復興支援の感謝を伝えた釜石の子どもたち

台湾を訪問して復興支援の感謝を伝えた釜石の子どもたち

 
 5月のゴールデンウイーク(GW)期間を利用し、釜石市内の小学生が台湾を訪れる「釜石キッズラグビー国際交流プログラム」が行われ、13日、帰国した児童8人と市職員らが市役所の小野共市長を訪ね、現地でのスポーツ交流の様子や学んだことを報告した。
 
台湾から戻った児童が小野共市長を訪ねて活動を報告した

台湾から戻った児童が小野共市長を訪ねて活動を報告した

 
 このプロブラムは一般社団法人子どもスポーツ国際交流協会(東京)が主催。2018年と19年、22年に釜石市内で実施し、国内外の小学生を対象にタグラグビー大会や自然文化体験、東日本大震災の学習も織り交ぜて親睦を深めた。コロナ禍での中止やオンライン開催などを経て、今回初めて訪台。震災から10年以上が経過したこともあり、今回で一区切りとする考えで、復興支援への感謝を直接伝えることも目的だった。
 
 GW期間の3~6日の日程で交流活動が行われた。参加メンバーは、小山琉世君(白山小5年)、古藤野望結さん(小佐野小6年)、佐伯晃君(甲子小6年)、佐々木夢空さん(小佐野小6年)、佐々木怜恩君(平田小5年)、田中璃緒斗君(鵜住居小6年)、野田大耀君(小佐野小5年)、藤田創君(釜石小5年)の8人。熊本、福岡、広島県の児童と合わせ計25人で向かい、台北市の小学生30人と交流した。
 
 引率した釜石市文化スポーツ部の佐々木豊部長、市地域おこし協力隊でラグビー普及コーディネーターの竹中伸明さんが行程を紹介。中正紀念堂や故宮博物院など台北市内の史跡を見学したほか、現地の小学校では交流学習としてビーズを使った工作に取り組んだ。歓迎会やタグラグビー大会では、覚えた中国語を駆使して「ありがとう」の気持ちを発信。「できるだけ多くの子と仲良くなろうと、スマートフォンなどの翻訳機能を使ってコミュニケーションをとっていたのが印象的だった」などと振り返った。
 
台湾で感じた文化の違いなどを楽しそうに伝える児童たち

台湾で感じた文化の違いなどを楽しそうに伝える児童たち

 
 子どもたちは、日本とは違った文化や歴史、人の優しさに触れたことなど楽しい思い出を小野市長に伝えた。藤田君は「言葉が通じなくてもスポーツをやったり、一緒に活動することでコミュニケーションがとれることを学んだ。これからも積極的に外国の人と交流して釜石のよさを伝えたい」と目を輝かせた。
 
 各地の子どもたちを“ごちゃ混ぜ”にし12チームに分かれて体験活動を展開。タグラグビーでは優劣をつけなかったというが、試合はすべて勝ったと胸を張る小山君は、一番多くの友達を作ったとして「MVP」に選ばれた。ラグビー歴6年で、「知っていることを教えた。作戦を練ったり、たくさん話し合ったから」と自己評価。「ジェスチャーでコミュニケーションをとって、よく分からないけどいっぱい笑った」と、交流を思い浮かべてうなずいた。
 
たくさんの友達を作って「MVP」に選ばれた小山琉世君(左)

たくさんの友達を作って「MVP」に選ばれた小山琉世君(左)

 
 小野市長は「言葉は通じなくても友情を深めることができると肌で感じてくれたことがうれしい。こういう機会があったら、積極的にチャレンジしてほしい」と期待。同席した高橋勝教育長も「これで終わりでなく、次のステージの始まりだと思ってほしい。興味を持ったことをもっと深く知るために調べてみるといい」と勧めた。
 
 「写真展、見にきて!感動伝えます」と意気込む子どもたち

「写真展、見にきて!感動伝えます」と意気込む子どもたち

 
 今後の予定として、写真展「かまいしキッズフォト~台湾ラグビー交流」を6月8日と9日に市民ホールTETTOギャラリーで開くことも報告。子どもたちには使い捨てカメラ(27枚撮り)が2個ずつ渡されていて、活動の様子を撮影してきた。展示を通じ、それぞれが見つめた光景を感じてもらい、「ラグビーのまち」の記録にしてもらうのが目的。8日は午前11時から会場でトークイベントも行う。「お気に入りの一枚」を紹介しながら「感動したこと」を伝える。

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選び抜く言葉 紡ぐ短歌と物語 クリエイターたておきちはる(大槌) 釜石でギャラリー展

釜石市民ホールギャラリーで開催中の「たておきちはる展」

釜石市民ホールギャラリーで開催中の「たておきちはる展」

 
 「大丈夫 今日の私は幸せよ 昨日と明日を抱きしめ囁く」。“今”感じた思いを伝える言葉を選び抜いてつないだ短歌や文章、紡ぎ出したその世界をイメージさせるような写真などを並べたギャラリー展「昨日、今日、明日」が釜石市大町の市民ホールTETTOで、12日まで開かれている。
 
 釜石・大槌地域で活動する作家を紹介する同ホール自主事業の「art at TETTO(アート・アット・テット)」。12番目として今回ピックアップしているのは、大槌町を拠点に活動するクリエイターたておきちはるさん(34)。短編小説、エッセイ、絵本などを執筆する傍ら、町内の情報を伝えるフリーランスのライターとしても活動する。
 
たておきちはるさんと、銀河鉄道をモチーフにしたデザイン「車窓」

たておきちはるさんと、銀河鉄道をモチーフにしたデザイン「車窓」

 
 自身の活動はインターネット上の「Instagram(インスタグラム)」や「note(ノート)」で紹介するが、地域でじかに見てもらうのは初めて。会場には、ギャラリー展のために書き下ろした「軽い読み物 5月の空を泳ぐヤツ。」のほか、短編小説やエッセーなど4点を並べる。
 
書き下ろの短編小説などが並び、自由に読むことができる

書き下ろしの短編小説などが並び、自由に読むことができる

 
 子どもの頃から文章を書くのが得意だと感じていたが、進学先に選んだのは演技や脚本を学ぶことができる京都造形芸術大(現京都芸術大)。在学中から映画や舞台の現場に立ち、自主制作・公演を行い、卒業後は東京で活動した。東日本大震災後に仮設住宅で暮らす母親を心配しUターン。町役場や観光協会で働く傍ら、「演劇を通じた心の復興」を目指す町民活動にも関わり、脚本担当や演者としての活動は続いた。
 
 休職中だった昨年、町外の職業訓練校でグラフィックデザインを学んでいる時に、講師や同期生から刺激や助言を受け、さらっと読めて不思議な世界が味わえる「ショートショート作品」を執筆。4000字以内との規定がある「第20回坊っちゃん文学賞」(愛媛県松山市主催)に初めて応募し、最終審査に残った「純愛の繭」が佳作を受賞した。
 
 執筆に取り組む中で、より短い文学「短歌」の世界に興味を持つようになった。理由は「思いを表現するのに効果的な言葉を勉強したかったから」。何か言葉が思いつくたびメモに残していたら、日常を切り取る短歌が自然と紡がれた。
 
作品を瓶やケースに入れたり貼ったり、見せ方を工夫する

作品を瓶やケースに入れたり貼ったり、見せ方を工夫する

 
 会場の至る所に散りばめているのは、そんな日々を切り取った言葉たち。「君のこと深く知らない 君が持つ光度と照度と輝度は知ってる」は、職訓校での学びと仲間への思いをつづった作品。湧き出た言葉を表現するような写真を添えて見せる。古里の風景が多いが、旅先で印象に残った光景も写す。ギャラリー展のチラシで使ったデザイン画「車窓-iwate-」(ポスター3連作)も展示。「銀河鉄道の夜」をモチーフにした作品で、「車両を書かずに伝えられる最少の表現」を模索した。
 
充実した学びの時間を表現した作品は「まぶしさ」をうたう

充実した学びの時間を表現した作品は「まぶしさ」をうたう

 
たておきさんが吐き出した思いを来場者がのぞき込む

たておきさんが吐き出した思いを来場者がのぞき込む

 
正方形の原稿用紙(9マス×6行)に収められた超短編小説「54字」

正方形の原稿用紙(9マス×6行)に収められた超短編小説「54字」

 
 「つらい時でも短歌にすれば作品になる。そうすると、つらさも無意味じゃなくなる」とたておきさん。自身の心の平穏にもつながる作品を見た人たちが、「しっくりくる何かを持ち帰ってもらえたら。受け取ったような気がするものが何かは分からずとも、ちょっとうれしい拾い物ができるような時間を思い思いに過ごしてほしい」と期待する。
 
会期中には「物語のたね」を探すワークショップもあった

会期中には「物語のたね」を探すワークショップもあった

 
訪れた人との交流も楽しんだたておきさん(中)

訪れた人との交流も楽しんだたておきさん(中)

 
 受賞作は「癖になる文章で、何度も読み返したくなる。危うさの中に官能的、幻想的な表現があり、純文学のような品もある」といった評価を得た。そうした言葉は、自身の作風を振り返る機会になった。「より等身大で、気負わず書いていこう」。こぎれいな文章にしがちだったが、思い返すと「あやしい話が好き」だった。そんな“好き”を表に出すべく、短歌と文章、写真、デザイン、イラストを組み合わせた作品づくりをこれからも続ける。

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唐丹の誇り「大名行列」6年ぶりに 天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)で活気付く地域

天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)=4月28日、唐丹町

天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)=4月28日、唐丹町

 
 釜石市唐丹町の春を彩る、天照御祖神社(河東直江宮司)の式年大祭「釜石さくら祭り」は4月28日に行われた。3年に一度の祭りは新型コロナウイルス感染症の影響で、前回2021年の渡御は見送られており、今回は18年以来6年ぶりの開催。町内3神社のみこしが江戸時代から受け継がれる“大名行列”とともに地域を練り歩き、震災や戦災を乗り越え、まちを守る住民らにさらなる力を与えた。郷土芸能団体も随行する祭り行列には、町内7地区から約600人が参加。沿道では地域住民のほか、市内外から訪れた見物客が行列を出迎えた。
 
 同町片岸の高台にある天照御祖神社で神事を行った後、行列が繰り出した。神社下の一帯は13年前の震災津波で被害を受けた場所。住宅はないが、近隣の住民や観光客などが沿道に集まり行列を見守った。
 
神社からみこし渡御の行列が出発。子どもから大人までさまざまな役割を担う

神社からみこし渡御の行列が出発。子どもから大人までさまざまな役割を担う

 
東日本大震災の津波で被災した片岸地区を行列が進む

東日本大震災の津波で被災した片岸地区を行列が進む

 
 みこしを先導する大名行列は江戸時代の参勤交代の行列に由来するもので、同神社の氏子がみこしに無礼な行いをさせないように刀、鉄砲、やり、弓などを持ち、警護しながらお供したことが始まり。当時の伊達藩唐丹村本郷の番所に駐屯していた伊達藩士に行列の仕方を教わり、みこし渡御に取り入れたとされる。地区ごとに8つの役割を担い、今に受け継ぐ。今回は本郷の「御徒組」「杖供組」「杖引組」に続き、小白浜の「御道具組」、荒川の「御並槍組」がお供。伝統の所作でゆっくりと歩みを進める各組に、沿道で迎える人たちが盛んな拍手を送った。
 
 柏直樹さん(45)、壮太さん(12)親子は「御徒組」「杖供組」にそれぞれ初参加。唯一の中学生、壮太さんは「振り付けを覚えるのに苦労したが、伝統の祭りに参加できて楽しい。また出たい」。直樹さんは「無事に務められて何より。いい思い出になった。若い子に参画してもらい、伝統がつながっていけば」と期待を込めた。
 
写真上:伝統の所作で進むやっこ姿の「御徒組」。同左下:「杖供組」に初めて参加した柏壮太さん。同右下:「御徒組」に参加した父直樹さん(右)と

写真上:伝統の所作で進むやっこ姿の「御徒組」。同左下:「杖供組」に初めて参加した柏壮太さん。同右下:「御徒組」に参加した父直樹さん(右)と

 
 「いよぉー。いよぉー」「あれはよいとこなー」。独特の掛け声と口上で進む「御道具組」には17人が参加。前回から先導の声を担当する長助澤正也さん(42)は「決まり文句は2種類だが、その他にも祭りを盛り上げるようなセリフが伝統。殿様の道具持ちながら、祭りでは花形」と胸を張る。子どものころ、地元唐丹小の120周年記念行事でこれをやった。「大人になったらやってみたいと思っていた。念願かなった」と心弾ませ、見物客に精いっぱいサービスした。
 
さまざまな文句で見物客の期待に応える「御道具組」の長助澤正也さん(右上)。見守る人たちは笑顔と拍手で応援(右下)

さまざまな文句で見物客の期待に応える「御道具組」の長助澤正也さん(右上)。見守る人たちは笑顔と拍手で応援(右下)

 
公民館などが建つ小白浜地区の通りを進む「杖引組」

公民館などが建つ小白浜地区の通りを進む「杖引組」

 
荒川地区の住民が担当する「御並槍組」。江戸時代の大名行列の風情を醸す

荒川地区の住民が担当する「御並槍組」。江戸時代の大名行列の風情を醸す

 
 行列は片岸から小白浜へ。住宅や商店、公民館などが建ち並ぶ町中心エリアをにぎやかに進んだ。大杉神社(本郷)、西宮神社(小白浜)のみこしが天照御祖神社のみこしを各地区に案内する形で渡御。大杉、西宮両社のみこしは住民の前を勢いよく回り、威勢を放った。大杉神社のみこしを担ぐ倉又一平さん(35)は6年ぶりの祭りに「地元の血が騒ぐ。ここで育ち、今は離れて暮らす人たちも祭りには帰ってくる。若い世代が頑張って受け継いでいかなければ」と思いを強くする。
 
 行列を見守る人たちは青空の下で繰り広げられる華やかな行列に大興奮。小白浜の千田律子さん(76)は「自分も若いころ祭りに出た。やっぱり思い出しますね。踊りたくなる」と高揚し、「地元以外にも大勢の人たちが見にきてくれて感謝です」と顔をほころばせた。
 
地元小白浜地区で威勢を放つ西宮神社のみこし

地元小白浜地区で威勢を放つ西宮神社のみこし

 
大杉、西宮両神社みこしに続いて唐丹公民館前に到着した天照御祖神社のみこし

大杉、西宮両神社みこしに続いて唐丹公民館前に到着した天照御祖神社のみこし

 
 行列は唐丹の名所“本郷の桜並木”へ。かつては祭りと桜の咲く時期が重なっていたが、近年は地球温暖化の影響で開花は4月上旬に早まっている。この日は葉桜に変わった並木の下で行列が繰り広げられた。御道具組の長助澤さんは「葉桜がきれいだなー」などと言葉を発し行列を鼓舞。唐丹の大名行列“発祥の地”を盛り上げた。
 
地元本郷の桜並木の下を勢いよく駆ける大杉神社のみこし。迫力満点!

地元本郷の桜並木の下を勢いよく駆ける大杉神社のみこし。迫力満点!

 
伝統の舞を披露する荒川熊野権現御神楽。子どもたちも練習の成果を発揮

伝統の舞を披露する荒川熊野権現御神楽。子どもたちも練習の成果を発揮

 
市指定文化財の常龍山御神楽。天照御祖神社と共に歴史を重ねる

市指定文化財の常龍山御神楽。天照御祖神社と共に歴史を重ねる

 
 約4キロの往路の最終地点、本郷海岸ふかさ広場の御旅所では、3基のみこしの前で神事が行われた後、参加した郷土芸能全団体が演舞を披露した。唐丹町の各地区には神楽、虎舞、太鼓が継承され、同祭りには手踊りも加わる。各団体は久しぶりの祭りに躍動し、地域の元気を発信した。
 
 大石虎舞の小踊で同祭りに初めて参加した川村向葵さん(12)は「みんなで踊るのは楽しい。今日はお客さんがいっぱいで少し緊張した。今後は太鼓もやってみたい」と意欲をかきたてられた様子。同虎舞は震災後、郷土芸能をやりたいという唐丹中生の要望を受け、継続的に教えている。成果は文化祭で披露。大石町内会の畠山一信会長(76)は「指導が縁で、祭りの時には習った生徒らが応援メンバーとして駆け付けてくれる」と、地域を越えたつながりを喜ぶ。
 
気仙地方の系統をくむ大石虎舞。大きな頭と長い尾が特徴

気仙地方の系統をくむ大石虎舞。大きな頭と長い尾が特徴

 
 花露辺手踊り連は地元の花露辺海頭荒神太鼓とともに35人で参加。太鼓ばやしに合わせ2曲を踊った。今回は小学1年、幼児の参加が増えた。佐々木宏実代表(32)は「今の小学生は前回の祭りを知らない。一から教えるのが大変だったが、みんな頑張ってくれた」と喜ぶ。自身は結婚で移住。「学校も全面協力し、地域みんなでつくり上げる祭りはなかなかない。今日は唐丹町民全員がいるんじゃないかと思うぐらいの人出」と驚いた。
 
花露辺の手踊りは「花露辺海頭荒神太鼓」と一緒に参加。音楽にお囃子を乗せて2曲を踊った

花露辺の手踊りは「花露辺海頭荒神太鼓」と一緒に参加。音楽にお囃子を乗せて2曲を踊った

 
小白浜地区に伝わる「伊勢太神楽」。おかめの面を付けた女舞も

小白浜地区に伝わる「伊勢太神楽」。おかめの面を付けた女舞も

 
本郷の手踊りは内外にその名を知られる「桜舞太鼓」と。桜模様の長ばんてんで春満開

本郷の手踊りは内外にその名を知られる「桜舞太鼓」と。桜模様の長ばんてんで春満開

 
 川原清文大祭執行委員長(80)は「いざやろうとなれば、みんな一生懸命協力してくれる。祭りや伝統芸能は住民の絆、明日への希望にもつながっている」と意義を実感。一方で、少子高齢化、人口減少などで人員確保が難しくなっている側面もある。今回は、大名行列の2組、郷土芸能3団体が参加を見送った。「時代が変化する中、同じようにやろうとしても無理がある。多少、変化しながらでも継続していければ」と末永い継承を願った。
 
老若男女、幅広い世代が6年ぶりの祭りを楽しんだ

老若男女、幅広い世代が6年ぶりの祭りを楽しんだ