タグ別アーカイブ: 文化・教育

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仲間・絆大切に 伝統を未来へ 釜石・唐丹小創立150周年 地域みんなで祝う

創立150周年記念式典で元気な歌声を響かせる唐丹小児童

創立150周年記念式典で元気な歌声を響かせる唐丹小児童

 
 創立150周年を迎えた釜石市立唐丹小学校(柏﨑裕之校長、児童52人)で3日、記念式典が開かれた。唐丹町の唐丹小中体育館には在校生、教職員のほか、保護者や同窓生でもある住民、来賓ら約170人が集合し、地域みんなで同校の“150歳”をお祝い。歴史を振り返り、伝統を未来につなぐ思いを新たにした。
 
 同校は1873(明治6)年3月、唐丹学校として創立。1896(明治29)年と1933(昭和8)年に三陸大津波、2011(平成23)年には東日本大震災津波で校舎が大きな被害を受けるなど幾度の災禍をこえ、「唐丹村立」から「釜石市立」への移行、統合、校舎移転など歴史を重ねてきた。
 
 震災では片岸地区にあった校舎のほとんどが損壊し、他地域の小学校を間借りして授業を継続。同様に利用不能となった小白浜地区の唐丹中跡地に仮設校舎が設けられると、地区に戻って中学生と一緒に過ごした。すぐそばで進む新校舎(小中併設)の建設を見守り、17年2月から新しい学びやで生活を始めた。
 
東日本大震災後に完成した唐丹小の校舎。中学生と共に学ぶ

東日本大震災後に完成した唐丹小の校舎。中学生と共に学ぶ

 
 唐丹小の卒業児童数は5000人超。「『自ら学び 心豊かで たくましい子ども』の育成」を教育目標に定め、子どもたちは日々学んでいる。地域と学校が一体となって教育振興に取り組んでいるのが特徴。また、30年以上続く新聞教育は内閣総理大臣賞を始め数多くの受賞歴があり、新聞作りを通して児童らは表現力を高め、ものの見方や感じ方を育んでいる。
 
歴史を振り返り、伝統をつなぐ思いを深めた記念式典

歴史を振り返り、伝統をつなぐ思いを深めた記念式典

 
 式典で、創立150周年実行委員会の留畑丈治実行委員長が主催者を代表して式辞。「みんなと一緒にお祝いができてうれしい。たくさんの応援を感じ、地域を愛する気持ちを持ち続けてほしい」と児童に呼びかけた。柏﨑校長は「地域とスクラムを組んで復興の歩みを進めてきた。これからも協働して歩み続ける。変わらぬ愛情と温かさを持って見守ってほしい」と望んだ。
 
 祝辞に立った小野共市長は同校の卒業生(1983年度卒)で、「地域の文化や伝統を引き継ぎ、明るくたくましく立派に成長して」と激励した。高橋勝教育長も地域協働の学校運営が続くことを期待。歴代校長10人、同PTA会長17人、震災関連などの支援者8人に感謝状を贈ったほか、PTA全国表彰を受けた1人に表彰状を伝達した。
 
表彰を受けた歴代校長や支援者、実行委、学校関係者

表彰を受けた歴代校長や支援者、実行委、学校関係者

 
 学校の歴史を振り返る写真をスライドショーで映した後、児童が思い出や祝いの言葉をつなぐ「呼びかけ」と合唱を披露。児童会長の小川原優陽君(6年)は「僕たちは震災の年に生まれた。家族や地域の支え、全国から支援を受けて今がある。すぐには恩返しできないけど、仲間や絆、誰かを支える気持ちを大切にしていきたい」と思いを込めた。「…荒波ときに よするとも 不屈の心 ゆるぎなし…」。校歌斉唱で締めくくった。
 
呼びかけで日頃の感謝を地域に伝える子どもたち

呼びかけで日頃の感謝を地域に伝える子どもたち

 
「来てくれてありがとう」。記念の紅白餅を手渡す児童

「来てくれてありがとう」。記念の紅白餅を手渡す児童

 

記念事業も 教育目標パネル作成、社交ダンス観賞

 
卒業生が制作した教育目標のパネルをお披露目した

卒業生が制作した教育目標のパネルをお披露目した

 
 記念事業として、教育目標を記したパネル(縦122センチ、横200センチ)を作成。式典に先立って除幕し、お披露目した。市外で看板業を営む卒業生が協力。青色の背景は唐丹の空と海をイメージし、輝く虹を加えた。文字はひらがなを多用し、低学年の児童が理解できるよう優しい配慮も。「唐丹から育った子どもたちが平和な世界を築くための懸け橋になってほしい」との願いを込めた。
  
 プロのダンサーとして活躍する卒業生を招いた「ようこそ先輩~社交ダンス鑑賞会」もその一つ。1月24日に同校で開かれ、東京で社交ダンス教室を経営する上村和之さん(40)=1994年度卒=と、妻の迪子さん(39)が講師を務めた。2人は「ワルツ」などで優雅な踊りを披露。特別レッスンでは子どもたちが実際にステップを踏み、ダンスの楽しさに触れた。
 
社交ダンス鑑賞会で華麗に踊る上村和之さん、迪子さんペア

社交ダンス鑑賞会で華麗に踊る上村和之さん、迪子さんペア

 
音楽に合わせてステップを踏んでみる。上村さんへの質問タイムも

音楽に合わせてステップを踏んでみる。上村さんへの質問タイムも

 
 「ペアで踊るのが魅力。頭も使う」と上村さん。プロを目指した理由を聞かれると、「人と向き合う仕事だから」と答えた。友達と向かい合って互いに手を取り、失敗しても楽しそうに歓声を上げる児童らの様子に目を細め、「思い切ってやりたいことをやってほしい」とエールを送った。
「いい思い出に」。先輩との交流を楽しんだ唐丹小6年生

「いい思い出に」。先輩との交流を楽しんだ唐丹小6年生

 
 子どもたちは「きれいでした」「カッコいい。また見たい」と感想。佐久間桜音(おと)さん(5年)は「少し難しかった。でもだんだん踊れるようになってうれしかった」と笑った。

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純粋さがひょっこり!? 釜石に移住したイラストレーター西川真央さん 作品展「自由に楽しんで」

西川真央さんの作品を思い思いに楽しむ来場者

西川真央さんの作品を思い思いに楽しむ来場者

 
 釜石市のイラストレーター西川真央さん(28)の個展「MIRAI」は11日まで、大町の釜石市民ホールTETTOギャラリーで開かれている。水彩やアクリル絵の具で描かれた約20点の作品は空想の世界だったり、目の前に広がる自然風景だったりとモチーフは違っても、柔らかな風合いは共通。「箱馬」を使った目線の低い展示手法を取り入れていて、来場者はその世界観を座ってのんびり楽しんでいる。
 
 京都府舞鶴市出身。東京で社会人生活をスタートさせて少し経った頃、新型コロナウイルスの感染拡大で自宅待機に。1カ月ほど外出を制限され、始めたのが画を描くことだった。「紙とペンがあれば、できるから」。その頃の題材は「頭の中の空想」で、「内側に矢印が向いた作品」だったという。
 
西川真央さんと作品「MIRAI」(右)

西川真央さんと作品「MIRAI」(右)

 
 今回の個展のタイトルとなった「MIRAI」もその頃の作品。画面いっぱいに描かれた子どもの顔が印象的だが、中でも星のようなものが散りばめられた大きな瞳に引き込まれる。「すべての人の心の中には無垢(むく)な部分があって、そこには小さな子どもが住んでいると思う」と西川さん。希望や喜びといった感情、前向きな感じを「キラキラの瞳」で表現した。
 
 釜石に移り住んだのは2021年10月。「人込み苦手だし、何となく面白そう」と、元同僚の誘いに乗って観光地域づくり会社で働き始めた。その傍ら制作活動も続け、Instagram(インスタグラム)で作品を紹介したり、イベントなどに参加して発信したり。都内のカフェなどで作品を飾ったこともあるが、個展は今回が初めてとなる。
 
釜石に移住後に描いた作品。海や森といった自然風景が多い

釜石に移住後に描いた作品。海や森といった自然風景が多い

 
 移住後の作品は8点並べた。釜石大観音から見る海や夕暮れの漁港、五葉山登山や八幡平の旅の思い出など。作品タイトルがないのが特徴で、「固定概念なしに楽しんでほしいから」だ。例えば、青や緑色の四角いもので埋め尽くした作品で表現していたのは「盛岡の空気」。だが、見ていた人から聞こえてきたのは「ガラスかな、ステンドグラス的な」「水面(みなも)だと思った」との声だったり、「迷路だ」とルートを探し始める子もいた。
 
 そんな自由な見方を楽しめる手伝いをしているのが箱馬。撮影や舞台などの現場で足場の高さを調整するためのもので、ホールの備品を有効活用した。いす代わりにして、ゆったりと作品たちに向き合える。画のそばには小さな粘土細工の置物たちもたたずんでいて、穏やかな雰囲気。旅先で拾った石には「古傷がじんわりとにじむ日」など名前が付けられていて、西川さんが持つ独特な心象風景に触れられる空間になっている。
 
箱馬をいす代わりにしてゆったり鑑賞を楽しむ親子

箱馬をいす代わりにしてゆったり鑑賞を楽しむ親子

 
粘土細工の置物や拾った石たちも作品の一部

粘土細工の置物や拾った石たちも作品の一部

 
 期間中の2日間は水彩画の似顔絵を描くワークショップを開催。対面で会話を楽しみながら、その人がまとっている雰囲気やカラー、特徴を捉えて似顔絵を仕上げた。ワクワクした表情で待ったモデルたちは、受け取るとみんな笑顔に。唐丹町の袰岩浩子さん(60)と大町の柳谷直美さん(55)は「かわいい…自分で言うのも何だけど。ほんわかとリラックスした内面が出でいる感じ」などと、仲の良さも表した作品に感激した。
 
約1時間座り続け完成した似顔絵。「似てる?」

約1時間座り続け完成した似顔絵。「似てる?」

 
すてきな似顔絵が完成し笑顔を重ねる夫婦

すてきな似顔絵が完成し笑顔を重ねる夫婦

 
似顔絵も作品の一部に。TETTOスタッフもにこにこ顔

似顔絵も作品の一部に。TETTOスタッフもにこにこ顔

 
 本来は怠け者で、「描きたい時にやるタイプ」と自己分析する西川さん。のんびりペースで活動を続けていくことにしているが、挑戦したいこともある。テーブルの片隅にさりげなく置かれた冊子。自己流で絵本作りに取り組んでいて、「ブラッシュアップしたい」と瞳を光らせる。
 
移住前の作品。まとめて絵本に仕上げて並べている

移住前の作品。まとめて絵本に仕上げて並べている

 
 心の住む子どもたちがひょっこりと顔を出して、楽しくおしゃべりできるように空間に―。西川さんは「友達のお家に遊びに行くような感覚で見にきて」と来場を呼びかける。
 
 同ホール自主事業「アートアットテット」の一環。午前10時から午後6時(最終日は同4時)まで。入場無料。問い合わせはTETTO(0193・22・2266)へ。

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方言の力で復興後押し「南部弁サミット」10周年 “おらほ弁”で語る昔話 末永く後世に

方言満載の民話劇「釜石版・笠地蔵」で楽しませる漁火の会のメンバーら

方言満載の民話劇「釜石版・笠地蔵」で楽しませる漁火の会のメンバーら

 
 「おらほ弁で昔話を語っぺし」南部弁サミットin釜石(岩手大主催)が開催10周年を迎えた。方言の力を活用した被災地の復興、地域コミュニティー再生を文化庁が支援。2015年から回を重ねてきた同イベントには、釜石市のほか青森県や本県遠野市の民話語り部団体が出演し、東日本大震災で傷ついた市民らの心にひとときの潤いをもたらしてきた。釜石に眠る民話の発掘も進み、今後の文化振興への寄与も期待される。
 
 同イベントは大町の市民ホールTETTOで行われた。方言による民話の伝承活動に取り組む釜石市の「漁火の会」(会員7人)が釜石小唄を踊ってオープニング。小学生の語りとして瓦田莉桜さん(小佐野小5年)、はなさん(同1年)姉妹が「座敷わらし」を語り聞かせた。
 
「座敷わらし」を仲良く語る(右から)瓦田莉桜さん、はなさん姉妹

「座敷わらし」を仲良く語る(右から)瓦田莉桜さん、はなさん姉妹

 
 漁火の会は6人が出演。遠野物語(418話)に収録される「橋野の笛吹峠」、箱崎半島に伝わる「鬼岩」、昔の酒蔵に由来するとみられる「釜石の造り酒屋」といった地元の民話のほか、全国的に知られる昔話などを“おらほ弁”で披露した。「極楽見てきた婆(ばあ)様」を語った藤原マチ子さんは自身が描いた絵で情景を再現。「遠野三山」を語った磯崎彬子さんは話に込められた教えをわかりやすく解説し、観客を物語の世界に引き込んだ。
 
左:「笠地蔵」を語る和田京子さん。右:「橋野の笛吹峠」を語る菊池有美子さん

左:「笠地蔵」を語る和田京子さん。右:「橋野の笛吹峠」を語る菊池有美子さん

 
左:「鬼岩」を語る千葉まき子さん。右:「遠野三山」を語る磯崎彬子さん

左:「鬼岩」を語る千葉まき子さん。右:「遠野三山」を語る磯崎彬子さん

 
自ら描いた絵をバックに「極楽見てきた婆(ばあ)様」を語る藤原マチ子さん

自ら描いた絵をバックに「極楽見てきた婆(ばあ)様」を語る藤原マチ子さん

 
 交流が続く民話の宝庫・遠野市からは「遠野昔話語り部の会」の細越澤史子さん、堀切初さんが出演。堀切さんは遠野物語には浜の話が25話あることを紹介し、その中から「山田の蜃気楼」を聞かせた。青森県からは「十和田こまくさの会」、「八戸童話会」の2人がビデオ出演した。
 
“民話のふるさと”遠野市からは細越澤史子さん(右)と堀切初さんが出演。熟練の語りで観客を魅了

“民話のふるさと”遠野市からは細越澤史子さん(右)と堀切初さんが出演。熟練の語りで観客を魅了

 
 最後は漁火の会のおはこ“動く民話劇”。「釜石版・笠地蔵」と題し、全国的に有名な昔話を劇仕立てで見せた。方言のセリフや小道具で随所に地元色を出し、観客の笑いを誘った。相撲甚句の節で震災を伝える活動も行う藤原さんの歌声で舞台を締めくくると、約130人の観客から温かい拍手が起こった。
 
雪の中、すげがさが足りず、自分の頭の手拭いを地蔵にかぶせてあげるじい様(左)。「笠地蔵」の1シーン

雪の中、すげがさが足りず、自分の頭の手拭いを地蔵にかぶせてあげるじい様(左)。「笠地蔵」の1シーン

 
貧しくも心優しい老夫婦のために正月用の米や酒を夜中にこっそり届ける地蔵たち

貧しくも心優しい老夫婦のために正月用の米や酒を夜中にこっそり届ける地蔵たち

 
 親子で初めて足を運んだ野田町の山崎鮎子さん(46)は「各地にいろいろな昔話があるんだなと。劇も笑いありで面白かった。方言も何とかわかるかな」。今は核家族化が進み、「祖父母から方言や昔話を聞く機会も少なくなった。娘(小学5年)は聞き取れたかな?」と感想を楽しみにした。
 
 天神町の女性(77)は「世の中の変化で標準語が主流になってきたが、方言や昔話など古いものを見直すことは大事。親が使っていた言葉もあり、懐かしさを感じた」。震災で身内を亡くし、しばらく外出できなかった時期もあるが、「気持ちや生活が落ち着いてきた今は、自分で楽しむ時間はかけがえのないものと感じる。このイベントも毎回ウキウキします」と声を弾ませた。
 
 この文化庁支援事業は昨年度から、東北大が受託する「消滅の危機にある方言の記録及び啓発事業」という新たな枠組みで行われる。本県のほか青森、宮城、福島、茨城の各県の大学が中心となり事業が進められる。初回から携わる岩手大教育学部の大野眞男名誉教授は「釜石の皆さんに元気になってもらえることをと始めたが、少しでも笑ったり喜んでいただけたことは意味があったと思う。こういう活動で人と人が心を通わせられるのは幸せなこと。方言、昔話、語り手がそろう釜石を次世代につないでいきたい」と話した。
 
 漁火の会の北村弘子事務局長(71)は「釜石は津波のたびに、書き留められた民話も語り手も失われてきた。実際には遠野に負けないぐらいの話があるとみられる。会では発足時からその発掘作業に取り組んできた」と明かす。震災後は岩手大との新たな活動も始まった。サミット10周年を機に「また一から出直して頑張りたい。今後は若手の育成にも努めていきたい」と夢を描く。
 
漁火の会事務局長の北村弘子さん(中央)。劇では露天商を好演

漁火の会事務局長の北村弘子さん(中央)。劇では露天商を好演

 
締めは同サミット恒例となった藤原マチ子さん(中央)の相撲甚句で…

締めは同サミット恒例となった藤原マチ子さん(中央)の相撲甚句で…

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井上マスさん(作家井上ひさしさん母)のミュージカル2年ぶりに 昭和の釜石の活気 舞台で再び

パートⅡとして約2年ぶりに上演されたミュージカル「人生はガタゴト列車に乗って」=市民ホールTETTO

パートⅡとして約2年ぶりに上演されたミュージカル「人生はガタゴト列車に乗って」=市民ホールTETTO

 
 作家井上ひさしさん(故人)の母マスさん(1907-91、神奈川県出身)の激動の半生を描いたミュージカル「人生はガタゴト列車に乗って」が21日、親子ゆかりの釜石市で上演された。同市のNPO法人ガバチョ・プロジェクト(山﨑眞行理事長)が主催。2021年10月の初演に次ぐ舞台は新たな顔ぶれも加わり、より音楽色の濃いものに。市内外から約400人が鑑賞し、マスさんの人生をたどるとともに昭和の釜石繁栄の時代を懐かしんだ。
 
 同ミュージカルは、井上マスさんが76歳の時に執筆した同名の自叙伝(1983年刊行)を基にした作品。井上ファミリーの記念館建設を目指す同NPOの山﨑理事長(73)が自ら脚本を書き、劇中歌も手掛けた。震災10年を機に「芸術で釜石を元気に。自分たちの力でできることを」と取り組んだ。
 
 マスさんは若くして夫を亡くし、女手一つで3人の息子を育て上げた。家族の生活を支えるため、薬店や美容室、土建業の経営などさまざまな仕事に従事。事業の失敗、息子たちとの別れなど数々の困難を乗り越えながら、最終的にたどり着いた釜石で焼き鳥屋台を繁盛させ、飲食業での成功を遂げた。釜石は製鉄や漁業で栄え、最も隆盛を極めた時代。
 
釜石へ働きに行くため三男修佑と別れるマス(写真左)。偶然出会った工員が「鉄のまち釜石」について教えてくれた(同右)

釜石へ働きに行くため三男修佑と別れるマス(写真左)。偶然出会った工員が「鉄のまち釜石」について教えてくれた(同右)

 
最初に働いた飲食店では、まちの景気を反映し金払いのいい客が…

最初に働いた飲食店では、まちの景気を反映し金払いのいい客が…

 
 パートⅡとした今回の公演は、子どもから大人まで16人が登場人物を演じた。オーケストラは同市出身の指揮者瓦田尚さんが主宰するムジカ・プロムナード(東京)、釜石市民吹奏楽団員ら地元演奏家計19人で結成。コーラス、舞踊、ダンスで、市内の活動グループから42人が協力した。
 
劇中歌は市内3つのコーラスグループが歌声を響かせた

劇中歌は市内3つのコーラスグループが歌声を響かせた

 
ダンスホールのにぎわいは市内の社交ダンス愛好者が再現

ダンスホールのにぎわいは市内の社交ダンス愛好者が再現

 
女形舞踊で人気の尚玉泉さんも舞台を盛り上げた(写真右)。観客も大喜び(同左)

女形舞踊で人気の尚玉泉さんも舞台を盛り上げた(写真右)。観客も大喜び(同左)

 
 来場者は演劇と音楽で繰り広げられる舞台を存分に楽しみ、たくさんの笑顔を広げた。花巻市から訪れた70代女性は「マスさんの本も読んだ。こういう形でミュージカルってできるんだなあと思って」と感心。市民手作りの舞台に「ほのぼのとしていい。特に小さい子どもたちがかわいくてね」と目を細めた。釜石市の米澤英敏さん(81)は「昔の釜石を思い出すよう。30代のころ、仲間とマスさんの店(バー)にも行ったことがある。活気があり、にぎやかだった時代が劇と音楽で再現され、とても楽しめた。懐かしさでいっぱい」と声を弾ませた。
 
劇中歌「夢の街かまいし」を歌とセリフで…。子どもも大人も心を躍らせる

劇中歌「夢の街かまいし」を歌とセリフで…。子どもも大人も心を躍らせる

 
当時のまちの活気をほうふつとさせる満面の笑顔も!

当時のまちの活気をほうふつとさせる満面の笑顔も!

 
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次男ひさし役(成年)は前回に続き柳谷雄介さんが演じた。歌(写真右上)では美声を響かせ、母マスや女衆との掛け合いも…

 
 舞台には夫婦、親子、兄弟での出演も。次男ひさし(子役)を演じた近藤橘平君(6、小佐野小1年)は、オーケストラにバイオリンで参加した兄一葵君(8、同3年)と兄弟初共演。前回公演では一葵君が同役を演じたが、「今回はオケで」と希望した兄に代わり、弟橘平君が同役に手を挙げた。ひさしの歌(作詞・曲:山﨑眞行)で独唱も披露した橘平君は「最初はドキドキしたけど、一歩ずつ自分なりに頑張ってみたら、ちゃんとできた」。難しかった音程も克服し、「出来栄えは500万99点!?」と胸を張った。
 
「ひさしの歌」を元気いっぱいに歌う近藤橘平君(写真左)。兄一葵君はバイオリンでオーケストラに参加(同右)

「ひさしの歌」を元気いっぱいに歌う近藤橘平君(写真左)。兄一葵君はバイオリンでオーケストラに参加(同右)

 
 4歳からバイオリンを習う一葵君は、今回のオケメンバー最年少で唯一の小学生。「みんなで演奏をつくるのを目標に練習を重ねてきた。『頑張れた』とは言えるけど、もう少し上手に弾けると思う」と向上心満々。ミュージカルは「協力して歌ったり演奏したりするのが楽しい」という。弟橘平君もバイオリンを習っており、兄弟に「次は?」と聞くと「オケで(参加したい)」と口をそろえた。
 
公演を終え、はじける笑顔を見せる(右から)近藤一葵君、橘平君兄弟

公演を終え、はじける笑顔を見せる(右から)近藤一葵君、橘平君兄弟

 
 主人公マス役を演じたのは、東京を拠点に活動するオペラ歌手あすみ和希さん。イタリアオペラで役を演じることが多く、今回は和服での足さばきに苦労したという。母親役も初めてで、「3児の母に見えるよう貫禄を出すのが難しかった」と新たな挑戦を振り返る。マスさんを知る人からも話を聞き、役作り。「マスさんは心(しん)が強く、とても明るい方。本番で私なりのマス像が出来上がった」と明かした。初めての釜石市民との共演も喜び、「エネルギーをもらい支えられた。被災されたが、皆さん本当に強い」と称賛した。
 
マス役を演じたオペラ歌手あすみ和希さん(右)。釜石とつながった縁を喜ぶ

マス役を演じたオペラ歌手あすみ和希さん(右)。釜石とつながった縁を喜ぶ

 
ミュージカルの前には、あすみさんとムジカ・プロムナードのステージも

ミュージカルの前には、あすみさんとムジカ・プロムナードのステージも

 
 今回の公演ではミュージカルに先立ち、主演のあすみさんとムジカ・プロムナードによる歌と演奏のステージもあった。あすみさんは宮澤賢治の「星めぐりの歌」、ジャコモ・プッチーニの「私の愛しいお父さん」など4曲を歌った。ムジカもオケ単体で2曲を披露した。
 
ラストは井上ひさしさんの代表作の一つ「ひょっこりひょうたん島」の歌でお別れ

ラストは井上ひさしさんの代表作の一つ「ひょっこりひょうたん島」の歌でお別れ

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五穀豊穣、子どもの健やかな成長…新たな年に願い込め 鵜住居地区でみずき団子作り

鵜住居公民館 郷土風習伝承事業「お~い!むかしっ子教室」=12日

鵜住居公民館 郷土風習伝承事業「お~い!むかしっ子教室」=12日

 
 釜石市鵜住居町の鵜住居公民館(松下隆一館長)で12日、小正月の風習「みずき団子」を次世代に伝える行事が行われた。「お~い!むかしっ子教室」と銘打った郷土風習伝承事業として同館が企画。地域の高齢者が小学生に団子作りを教え、ミズキ(水木)に飾り付けた。参加者は「良い年に…」と願いを込めながら世代間交流を楽しんだ。
 
 昨年に続いての開催で、鵜住居学童育成クラブの小学1~3年生18人と地域住民13人が参加した。団子作りを前に同館職員の植田優子さんがみずき団子について説明。五穀豊穣を祈る小正月の伝統行事で、ミズキが用いられるのは木の特徴にちなんだ3つの願いが込められているからだと伝えた。▽水辺に生え、水をよく吸い上げる=「火事にならないように」▽芽が上を向いている=「運が上を向くように」▽育ちが早い=「子どもが早く育つように」―。四色の団子は四季を表しているという。
 
地域の高齢者に教わりながら鵜住居小の子どもたちが団子作り

地域の高齢者に教わりながら鵜住居小の子どもたちが団子作り

 
「どんな形にしようかな?」出来上がりを想像しながら手を動かす

「どんな形にしようかな?」出来上がりを想像しながら手を動かす

 
 説明を聞いた参加者は4グループに分かれて団子作りを開始。団子の粉におからを混ぜて練り上げ、食紅で色づけ。小さくちぎって、丸形や好きな形に仕上げた。団子は、同館が開く「男の手料理教室」のメンバー7人がゆで上げ、子どもたちが2本のミズキに飾り付けた。
 
 団子がゆで上がるまでの間、参加者は市内で方言による民話の伝承活動を行う「漁火の会」の昔話を聞いた。会員3人が地元に伝わる民話などを披露。遠野物語に収録される同市橋野地区の14話から「一の権現大杉とせの木」も語った。正月のわらべ歌や岩手弁の方言カルタも楽しんだ。
 
男の手料理教室のメンバーが団子をゆでる。おみやげ用のおから団子も作った

男の手料理教室のメンバーが団子をゆでる。おみやげ用のおから団子も作った

 
「漁火の会」による民話披露。橋野町太田林に伝わる話も紹介

「漁火の会」による民話披露。橋野町太田林に伝わる話も紹介

 
4色の団子をミズキに飾る。「今年1年良いことがありますように…」

4色の団子をミズキに飾る。「今年1年良いことがありますように…」

 
 澤本芽依さん(鵜住居小1年)は初めてのみずき団子作り。「丸めたり、いろいろな形にするのが楽しかった。来年も来たい」とにっこり。小笠原皐太君(同2年)は2回目の参加。「教えてもらったので、とても丁寧にできた。出来栄えは100点。昔はこんなのをやっていたんだと勉強になった」と喜んだ。
 
 鵜住居町の駒林ユウ子さん(74)はみずき団子について「うちでは小正月には必ず作る。団子は亡くなった夫に供え、県外にいる娘にも送る。古里の味を覚えているようで」と、子どものころからの風習を今に受け継ぐ。浜育ちで、「昔はスルメを吊るしたり豪華だった。今はあまりやらなくなったもんねぇ。今日聞いた正月のわらべ歌も母が歌ってくれていた記憶がある」と懐かしんだ。
 
 子どもたちは教えてもらったお礼に、みんなで手作りした今年のえと「辰」の飾りを参加住民にプレゼント。地域の風習、地域の人を知る交流を通して、冬休みの楽しい思い出を胸に刻んだ。
 
みずき団子作りで交流を深めた参加者

みずき団子作りで交流を深めた参加者

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市民が愛した「歓喜の歌」聞き納め 釜石の第九演奏会 45年の歴史を胸に17日最終公演へ

「かまいしの第九」最終公演に向け合唱練習に励む参加者=7日、中妻公民館

「かまいしの第九」最終公演に向け合唱練習に励む参加者=7日、中妻公民館

 
 釜石市で1978(昭和53)年から続けられてきた師走の演奏会「かまいしの第九」(実行委主催)が17日、最後の公演を迎える。同市の音楽文化をけん引し、1年を締めくくる恒例の行事だったが、主力メンバーの高齢化、資金確保の難しさなどを理由に45年の歴史に幕を下ろすことになった。市内外から集まる出演者はそれぞれの思いを胸にステージに立つ。
 
 同演奏会は、旧市民文化会館の落成(1978年)を記念して、同館のこけら落とし公演として行われたのが始まり。同市出身で、東京荒川少年少女合唱隊(東京都荒川区)の創設者・故渡邊顕麿さん(1931-96)が帰郷後、市内に複数の合唱団を立ち上げ活動する中で、第九演奏を提案した。以来、毎年12月に開催。2011年の東日本大震災の津波で同館が被災後は釜石高体育館で続けられ、17年から新たに落成した市民ホールTETTOで開かれてきた。
 
 新型コロナウイルス禍で20、21年は中止を余儀なくされ、昨年、復活開催したが、実行委は「事業を支えるだけの“体力”を維持できなくなった」として、一旦区切りをつけることを決断。背景に運営の中心を担ってきたメンバーの高齢化、コロナ禍による経済低迷で協賛金などを募ることも難しくなったことがある。
 
ノイホフ・クワィアー代表小澤一郎さん(右)の指導で合唱練習

ノイホフ・クワィアー代表小澤一郎さん(右)の指導で合唱練習

 
心を一つに歌声を響かせるソプラノメンバー

心を一つに歌声を響かせるソプラノメンバー

 
最終公演の成功へ熱のこもった練習が続く

最終公演の成功へ熱のこもった練習が続く

 
 7月から練習を続けてきた合唱メンバーは本番まで10日と迫った7日夜、中妻公民館でリハーサル前最後の通常練習に臨んだ。仕事や学校を終え集まったメンバーは、ベートーベン交響曲第9番のコーラス部と第九演奏前に歌う合唱曲「群青」「明日を」の2曲を練習。パートごと細部のチェックを入れながら歌声を重ねた。
 
 石田啓将君(12)、晃悠君(9)兄弟は父昌玄さん(49)と舞台に立つ。初参加の晃悠君は「高い音のところが難しいけど最初より慣れてきた。終わっちゃうのは寂しいけど、お兄ちゃん、お父さんと3人で出られるのでうれしい」と本番を心待ちに。5回目の参加となる啓将君は「みんなで歌えることに感謝したい。コロナで中止になった2年間の分も合わせて心を込めて歌う」と幼児から培った歌声に自信をのぞかせる。
 
参加者最年少の石田晃悠君(前列右)と兄の啓将君(同左)

参加者最年少の石田晃悠君(前列右)と兄の啓将君(同左)

 
 浅沼和子さん(82)は夫英雄さん(09年逝去)と、母体の合唱団「釜石フィルハーモニック・ソサィェティ」に所属し初回から参加。「(初代指導者の)渡邊先生には生活に根差した音楽というものをご指導いただいた。自分の人生の半分は第九とともにある」と振り返る。同じく初回から参加している女性と「2人で最後まで続けてこられたのは何よりの喜び。大切な出会い、得難い時間をいただいた」と感謝する。当日は「胸がいっぱいになりそう…ちゃんと歌えるかな―」。亡き夫と心を重ね、渡邊さんの教えを歌声に込める。
 
 最終公演は同市出身、都立高教諭で、アマチュアオーケストラ「ムジカ・プロムナード」を主宰する瓦田尚さん(40)が指揮。同オケ、釜石市民吹奏楽団員など59人が演奏する。合唱には「かまいし第九の会」をはじめ市内外の115人が参加予定で、県内出身の声楽家4人がソリストを務める。
 
合唱隊は9歳~80代の男女で結成。約三分の一が県外から集まる

合唱隊は9歳~80代の男女で結成。約三分の一が県外から集まる

 
「明日を」の合唱では手拍子の演出も

「明日を」の合唱では手拍子の演出も

 
本番へ気持ちを高めながら練習する参加者

本番へ気持ちを高めながら練習する参加者

 
 実行委の川向修一会長(71)はプログラムを作る中で、一人一人の思いの積み重ねが釜石の第九を創り上げてきたことを痛感。「渡邊先生の『学び続け、耕し続ける』という言葉を忠実に守り、ここまで続けてこられた。みんなの思いが詰まった歌声で最後のステージをしっかり締めくくりたい。これが逆に力となって、新しい形の釜石の第九につながれていくことも期待しながら…」と本番へ気持ちを高める。
 
 ファイナル公演「第44回かまいしの第九」は17日午後1時半、TETTOで開演。チケットは前売り1500円(当日1800円)、高校生以下は前売り、当日ともに500円。TETTOで販売している。

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映像文化、まちの歴史で復興後押し 故平松伸一郎さん追悼映画上映会 釜石で 関係者はしのぶ会も

故平松伸一郎さんが手掛けた映画上映会のチラシに見入るしのぶ会の参加者

故平松伸一郎さんが手掛けた映画上映会のチラシに見入るしのぶ会の参加者

 
 東日本大震災後、映画上映や地元に眠る映像の発掘、地域の歴史や文化に着目したまち歩き地図の発行などで復興に尽力した釜石市のフリーライター平松伸一郎さん(享年51)。昨年10月の急逝から1年が経過した今年、平松さんとゆかりのある関係者らが生前の功績に感謝し、映画上映会を企画した。2、3の両日、同市大町の釜石PITで開かれた上映会では、平松さんが手掛けた映画イベントのチラシや生前の活動を伝える新聞記事、投稿したコラムなどを展示。市民らの心の復興に貢献した平松さんの活躍を振り返り、哀悼の気持ちを表した。
 
 「シン・シネピット」と題した上映会は、釜石まちづくり会社、みやこ映画生活協同組合によるシネピット運営委員会が主催。2日間で6作品を上映し、147人が鑑賞した。初日最後の回では平松さんがこよなく愛した世界的ロックバンド「ザ・ビートルズ」のドキュメンタリー映画を上映。鑑賞後、平松さんをしのぶ会が開かれ、親交のあった人たちが思い出を語り合った。
 
ビートルズの映画上映前には平松さんのこれまでの活動を紹介するメモリアル映像の上映も

ビートルズの映画上映前には平松さんのこれまでの活動を紹介するメモリアル映像の上映も

 
生前の平松伸一郎さん(左)=メモリアル映像より

生前の平松伸一郎さん(左)=メモリアル映像より

 
 平松さんは釜石市源太沢町生まれ。釜石南高から慶応大に進み、東京の編集プロダクション勤務を経て2003年に帰郷した。フリーのライター、編集者として各種記事の執筆、高校記念誌の編さんなどを手掛け、同市国際交流協会の一員としても活動。11年の震災後は復興まちづくりに取り組み、NPO法人かまいしリンクを立ち上げ対話カフェを開催するなど、市民目線で復興を後押しする活動を続けた。
 
 まちの文化や歴史にも精通していた平松さん。地域の魅力を再発見するまち歩き地図「釜石てっぱんマップ」の作成(14年初版)、市内に眠っていた昭和の映像発掘や上映なども行い、復興に向かう市民らに再起への力を与えてきた。映画館が消滅して久しい同市に映画上映の場を作り心の復興につなげようと、仮設団地や復興住宅集会所、公民館での上映会も多数開催。“みんなで見たい映画”を公募し上映作品を決める「釜石てっぱん映画祭」(16~19年開催)では、映画監督や俳優を招いてのシネマトークも盛り込み、来場者を喜ばせた。
 
2019年3月に開かれた第3回釜石てっぱん映画祭。前列右から2人目が平松さん=復興釜石新聞より

2019年3月に開かれた第3回釜石てっぱん映画祭。前列右から2人目が平松さん=復興釜石新聞より

 
平松さんと親交のあった人たちが思い出を語り合う。左下は「釜石てっぱんマップ」

平松さんと親交のあった人たちが思い出を語り合う。左下は「釜石てっぱんマップ」

 
 しのぶ会では集まった人たちが献杯し、平松さんとのエピソードや人柄などを語った。NPO法人かまいしリンク代表の遠藤ゆりえさん(39)は国際交流協会での出会いを機に平松さんとつながり、同NPOを共に立ち上げた(平松さん副代表)。「上映映画を選ぶ際の基準はビッグタイトルよりもメッセージ性のあるもの。復興まちづくりへの冷静な視点も持ち合わせていた。あらためて平松さんの生き方に触れることで、気持ちにも一区切りついた感じ」と心境を話した。
 
 2014年から5年間、復興応援職員として同市広聴広報課に勤務していた京都府出身の村上浩継さん(44)は取材の仕事で平松さんと知り合い、てっぱん映画祭などで行動を共にした。平松さんを「ひょうひょうとしてマイペース。うまく周りを巻き込んで成功に導くタイプ」と表現。歴史や文化に目を向けた活動にも共感し、「未来の釜石の文化の担い手、旗振り役として期待していた。こんなに早く亡くなられたのは非常に残念」と惜しんだ。
 
平松さんについて語るかまいしリンクの遠藤ゆりえさん(左)と元釜石市広聴広報課職員の村上浩継さん(右)

平松さんについて語るかまいしリンクの遠藤ゆりえさん(左)と元釜石市広聴広報課職員の村上浩継さん(右)

 
 中学、高校の同級生で、帰郷後の平松さんと親交のあった市職員の笹村聡一さん(53)。脳疾患で倒れ2年ほど闘病中だった友の訃報は新幹線で出張に向かう途中に届き、最後の別れはかなわなかった。同級生ならではのエピソード、思い出は数知れず。気心知れた仲だけに酒席では言いたいことを言い合い、けんかになることもあったが、優れた文才には一目置き、「書いているものは多種多彩で、確かに上手。物書きは彼の天職だったと思う」。郷土愛も深く、「これからの釜石発展の一翼を担ってほしい人材だった。実現したいことはまだまだあったと思うが、聞けずじまいになってしまったのが心残り」と笹村さん。
 
 震災後、平松さんと一緒に沿岸各地で映画上映会を開き、被災者に元気や希望をもたらしてきた、みやこ映画生協常務理事の櫛桁一則さん(51)。「忙しい時は妻より長く一緒にいたかも」と上映活動に奔走した日々を振り返り、「映画や音楽に関してはすごく詳しい方。移動中、音楽を聞きながらいろいろな話を聞くのがすごく楽しくて。知らなかったこともたくさん教わった」と大切な思い出を心に刻む。「リハビリして戻ってくると信じていた」だけに突然の訃報は「本当にショックだった…」。生前、平松さんは「何もないまちだと嘆くだけではだめ。自分たちで創造し、続けていくことが文化になる」と常々言っていたという。櫛桁さんは「平松さんの遺志を継いで、これからも地域の文化振興に携わっていきたい」と思いを強くする。
 
会場には平松さんの活動を伝える地元紙の記事やコラムのコピーが展示された

会場には平松さんの活動を伝える地元紙の記事やコラムのコピーが展示された

 
震災後、平松さんが市内の仲間と発行したコミュニティー紙「フライキ!」

震災後、平松さんが市内の仲間と発行したコミュニティー紙「フライキ!」

 
しのぶ会の参加者は平松さんの功績をあらためて実感し、今後のまちづくりへ思いを新たにした

しのぶ会の参加者は平松さんの功績をあらためて実感し、今後のまちづくりへ思いを新たにした

 
 平松さんは数々の上映会やイベントを開催してきた釜石PITの運営委員も務めた。施設を運営管理する釜石まちづくり会社の下村達志事業部長は「平松さんには情報交流センター設立前の運営準備委員会から関わっていただき、情報ポータルサイト・縁とらんすの基本情報も書いてもらった。多彩な関わりでお世話になり感謝でいっぱい。平松さんが残してくれたものをこれからも生かしていければ」と願う。

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感動共有!笑顔つなぐ読み聞かせ 釜石・甲子小PTA「お話しどんどこ」 活動20年目に

「お話しどんどこ」が甲子小で続ける読み聞かせ活動

「お話しどんどこ」が甲子小で続ける読み聞かせ活動

 
 釜石市立甲子(かっし)小の読み聞かせボランティア「お話しどんどこ」が、活動を始めて20年目に入った。始まりは保護者によるPTAサークル活動。今では祖母世代や近隣住民などが加わった地域ぐるみの活動に深化する。授業の合間の休み時間を活用した不定期の取り組みは、月1回の朝活動に変化。働き世代の保護者らにとっては忙しい時間だが、米澤美紀代表(47)は「本を通して子どもたちと対話しながら一緒に楽しんでいる。いとおしい反応や笑顔、パワーをもらう、すてきな時間。読み手が増え、ずーっと続く活動に」とほほ笑む。
 
 「どこにいるかな? にげた金魚、みんなも一緒に探してくれる?」。11月30日朝、甲子町の同校1年2組(23人)の教室で、米澤代表が児童に優しく語りかける。「いるー、そこ、そこー!」「よかったー」。話の世界に引き込まれた子どもたちが指さしたり全身でアピールする。こんなやりとりが繰り返され、約15分があっという間に過ぎてゆく。
 
 どんどこは2004(平成16)年に学校の呼びかけで、当時の保護者10人ほどで立ち上げた。当初は2、3時間目の授業の間の休み時間(中休み)を使い、図書室で低学年を対象にした読み聞かせを不定期に実施。続ける中で、月に1回、全学年向け、各教室での活動と形が変わった。現在の活動日、第4木曜日は「朝どんどこ」として“甲子っこ”にすっかり定着している。
 
子どもたちを物語の世界に引き込む千田雅恵さん

子どもたちを物語の世界に引き込む千田雅恵さん

 
 登録メンバーは11人で、米澤代表のように在校生の保護者もいれば、祖母だったり、卒業児の家族、元教員、地域住民とさまざまだ。この日活動したメンバーは7人。2年2組(20人)の教室では、立ち上げ時からのメンバー千田雅恵さん(61)が季節に合わせて選んだウクライナの民話「てぶくろ」や、100年前に生み出された物語ながら新鮮味や面白さが色あせない「子どものすきな神さま」(新美南吉作)を穏やかな語り口で聞かせた。
 
 朝活後、図書室で反省会。持ち込んだ本を見せ合い、選択に込めた思いを共有したり、記録を残したりした。さらに、この日は20年目の活動を祝うセレモニーを企画。中休みに6年生(43人)を迎えて、図書の寄贈(10冊)やパネルシアターの上演でふれあった。
 
記念セレモニーで学校に図書を贈呈。児童はお礼の手紙をお返し

記念セレモニーで学校に図書を贈呈。児童はお礼の手紙をお返し

 
クイズ形式で展開するパネルシアターは大盛り上がり

クイズ形式で展開するパネルシアターは大盛り上がり

 
 千田さんが20年の活動を振り返り。「楽しいお話が次々出てくるようなイメージ」を込めた団体名の由来、「子どもたちのために少しでもできることを」とたくさんの大人が思いをつないできたこと、学校の心強い後押しにも触れた。「気づいたら20年。本の世界をみんなでドキドキしたり感動したりできる読み聞かせは楽しい。今度はみんなが読み手になって、どんどこを続けてほしいな」と期待した。
 
20年の活動を振り返る千田さん(左)

20年の活動を振り返る千田さん(左)

 
贈った図書を紹介する米澤美紀代表(左)

贈った図書を紹介する米澤美紀代表(左)

 
 図書委員の髙橋龍之助君は「いつもおもしろく、本との出合いの機会になっている」と感謝を伝えつつ、「ヨシタケシンスケさんの本が好きなので、今度読んでほしい」とリクエスト。母良田(ほろた)凪君は物語の世界を情感たっぷりに表現する読み手の姿が印象に残っていて、「自分もやってみたい」と目標の芽を伸ばしている。
 
 同校には現在、児童244人が在籍する。メンバーは季節や学年を考慮しながら取り上げる本を選んでいるが、共通するのは「感動」という視点。まずは自分たちが心揺さぶられ、そうした思いをつづられた文字にのせ届けている。艦砲射撃を題材にした作品を紹介し、まちの歴史も伝えたり。朝どんどこを見守る菊池一章校長は「読み手の皆さんが楽しんでいるのが神髄。聞き手との一体感、空気感がすごくいい」と目を細める。
 
あちこちから小さな手が伸びる「朝どんどこ」

あちこちから小さな手が伸びる「朝どんどこ」

 
「次に読む本は?」。反省会は選書のヒントを得る場に

「次に読む本は?」。反省会は選書のヒントを得る場に

 
読んだ本と子どもたちの反応を記録に残す

読んだ本と子どもたちの反応を記録に残す

 
 米澤代表は「大きくなると読み聞かせはしなくなるが、親以外から伝えられることもある。忙しい朝だけど、子どもたちとの交流はひと息できる楽しい時間でもある」と保護者の立場からも意義を実感。どんどこのサークル活動のほか、PTAの図書ボランティア部隊として週2回、図書室の読書環境づくりにも携わり、「甲子小にたくさんの笑顔の花を咲かせるよう、元気に活動していきたい」と意欲を見せた。
 
活動継続へ気持ちを新たにする「お話しどんどこ」メンバー

活動継続へ気持ちを新たにする「お話しどんどこ」メンバー

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釜石は鉄の街「どうして?」 郷土の歴史学ぶ子どもたち、成果発表 関連行事も続々

釜石の歴史に触れる鉄の学習発表会

釜石の歴史に触れる鉄の学習発表会

 
 釜石市の児童・生徒による鉄の学習発表会(鉄のふるさと釜石創造事業実行委員会主催)は11月25日、大町の釜石PITで開かれ、2校が史跡見学や鉄づくり体験で得た学びを紹介した。市では「鉄の記念日」(12月1日)の前後1週間を「鉄の週間」として各種イベントを催しており、発表会もその一つ。関係者は「子どもだけでなく、大人も地域の歴史に触れ、学び続けるまちに」と願う。
 
 鉄の記念日は、近代製鉄の始まりを記念する日。盛岡藩士の大島高任が安政4(1857)年12月1日、釜石市甲子町大橋に建設した洋式高炉で日本初の連続出銑を成功させたことにちなむ。
 
学びから得た地域の魅力を伝える双葉小児童

学びから得た地域の魅力を伝える双葉小児童

 
 双葉小は4年生の代表5人が発表。近代製鉄発祥の地・大橋地区にある釜石鉱山の坑道見学や旧釜石鉱山事務所での鉱石採取体験などを通して「鉄の街釜石」に触れた。驚いたこととして挙げたのは、大橋地区に学校があったこと。多い時には1200人の子どもたちが通ったといい、「双葉小の9倍くらい。ここだけで生活ができた」と思いをはせた。
 
 鉱石の標本づくりにも挑戦。石の種類、鉄鉱石ができる仕組みなどを学び、「釜石を発展させた鉱石たちを宝物として大切にしたい」とまとめた。現在の釜石鉱山で製造されるナチュラルミネラルウォーター「仙人秘水」が印象に残ったのは磯﨑雄太君。坑道の中の岩盤を40年かけてつたってくるこの湧き水は「僕らが生まれる前のもの。魅力的。いろんな良いところをもっと伝えたい」と胸を張った。
 
「仙人秘水は常温の方がおいしいそうです」と豆知識も

「仙人秘水は常温の方がおいしいそうです」と豆知識も

 
 釜石東中の1年生20人は、同事務所で行った「たたら製鉄」実習の様子を寸劇で紹介した。大島高任は西洋の高炉設計図を頼りに釜石で製鉄を進めたといい、生徒たちも同様の手法で悪戦苦闘しながら築炉。木炭の小割作業など準備の大変さ、火入れの熱さ、鉄の混合物(ケラ)を得られるかといった不安も見せた。この活動で学んだのは、先人たちの偉大さや仲間と協力する大切さ。「失敗を恐れず、いろんなことにチャレンジし続ける」と声をそろえた。鈴木星愛(せな)さんは「この経験を生かして部活を頑張りたい」とうなずいた。
 
釜石東中の生徒は鉄づくり体験の様子を再現

釜石東中の生徒は鉄づくり体験の様子を再現

 
子どもたちの学びにじっと耳を傾けた市民ら

子どもたちの学びにじっと耳を傾けた市民ら

 
 高橋勝教育長が「堂々とした発表に驚いた。当時の人たちの苦労や思いを知り、自分たちに置き換え、考えることが学びになる。知る楽しさ、感動、気づきを大切にしてほしい」と講評。自身も今回の発表で発見があったと明かし、「大人も学んでいかなければ」と子どもたちからの刺激を歓迎した。
 
 同事務所が国登録有形文化財(建造物)になってから今年で10周年となるのを記念し企画したフォトコンテストの結果発表もあった。釜石鉱山をテーマに7月中旬から10月末まで募集し、鉄鉱石や銅鉱石の選鉱場跡、不要な砕石を積んだ堆積場、釜石線の線路などを写した30作品が寄せられた。最優秀賞に選ばれたのは、選鉱場と自然風景を一体的に捉えた「栄えた跡と秋空」。撮影した藤原信孝さん(75)は「世界遺産になるべき場所であり、多くの人に足を運んでほしいと思いを込めた。この地で、子どもたちの鉄づくり学習が行われているのも意義深い」と熱く語った。
 
釜石鉱山をテーマにしたフォトコンテスト最優秀作品

釜石鉱山をテーマにしたフォトコンテスト最優秀作品

 
撮影者の藤原信孝さんに賞状と記念品が贈られた

撮影者の藤原信孝さんに賞状と記念品が贈られた

 
 このほかにも鉄の週間行事はめじろ押し。1日は市鉄の歴史館や同事務所が無料公開され、夜には知る人ぞ知る「鉄の検定」がある。2日には歴史館で名誉館長講演会(午前10時~・テーマ「イギリスの産業革命―日本との差異」)のほか、県指定文化財「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」(幕末の高炉操業の絵巻)も公開。企画展「餅鐵の刃」は18日まで催される。
 
 同事務所の企画展「いわての国登録有形文化財展」、橋野鉄鉱山インフォメーションセンターの「橋野高炉跡発掘調査速報展」は8日まで。市立図書館では3日午後1時半~、市民教養講座・鉄の町かまいし歴史講座「釜石鉄道の道―番号で呼ばれる橋」を予定し、鉄の記念日にちなんだ図書展を14日まで開く。市郷土資料館では企画展「かまいしの古き良き時代 ザ・昭和~鐵と共に」が開催中で、来年1月14日まで楽しめる。

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「キラめく文化のまち」未来へ 多種多様な表現活動、楽しさ 釜石から発信

芸術文化に親しむ釜石市民が交流した秋の祭典

芸術文化に親しむ釜石市民が交流した秋の祭典

  
 芸術の秋を彩る第53回釜石市民芸術文化祭(釜石市、市芸術文化協会主催)は4、5日に大町の市民ホールTETTOで開かれ、市内の表現者たちが力作を並べた。「子供たちの笑顔、未来に紡ぐ芸術の心」をテーマに掲げた今回は“小さな”表現者たちも活動を紹介。大人も子どもも互いに刺激し合い、芸術文化の力をつなぐ意欲を高めた。
 
 芸文協には26団体(約420人)が加盟する。4日のオープニングセレモニーで芸文協の河東眞澄会長は「芸術文化への熱意、関心が高いまち。築き上げたものを若い世代にどう結び付けるかが課題。鑑賞の機会を増やし、みんなの力できらめく文化のまちを発展させよう」と呼びかけた。
 
創作や表現活動を紹介し合う釜石市民芸術文化祭

創作や表現活動を紹介し合う釜石市民芸術文化祭

 
 展示部門では加盟団体、一般参加を合わせ19団体、5個人が作品を公開。書道、写真、絵画、生け花、水墨画、切り絵、ステンドグラス、郵趣品など多彩な分野の力作が並んだ。市内企業などが所蔵する美術品、市民が個人的に見せたい“宝物”を紹介する「まちかどミニ美術館・博物館」と題した展示コーナーも用意。県内外の各種コンクールで入賞した作品も特別展示され、訪れた市民らは感性豊かな作品にじっくりと見入った。
 
生け花、ステンドグラス、手芸など多彩な作品がずらり

生け花、ステンドグラス、手芸など多彩な作品がずらり

 
豊かな表現力をみせる書や絵画作品も並んだ

豊かな表現力をみせる書や絵画作品も並んだ

 
 釜石さつき愛好会(東梅英夫会長、会員10人)は、会員たちが手間をかけて手入れをした盆栽に添え草などを組み合わせた席飾り12点を展示した。春は白やピンクの花を咲かせるサツキだが、秋は枝ぶりや葉の付き方など木そのものの形や手入れ具合を楽しむことができる。「自然に生えている形を追求。すっと抵抗なく視界に入るようなら最高」と頬を緩める東梅会長(78)。月1回の例会でアドバイスし合うのも楽しみだが、会員の高齢化が課題で「若い人、女子に興味を持ってもらえたら」と期待した。
 
釜石さつき愛好会は丹精込めて作り上げた盆栽をお披露目

釜石さつき愛好会は丹精込めて作り上げた盆栽をお披露目

 
鑑賞者(右)の仲間入りを期待する愛好会のメンバーたち

鑑賞者(右)の仲間入りを期待する愛好会のメンバーたち

 
 ステージ発表は2日間で7団体が舞踊やバンド演奏などを繰り広げた。4日に登場した中で目を引いたのが、躍動感あふれる子どもたちの演技。エアロビックダンスチーム「キッズDA★DA」(阿部直美代表)は幼稚園年中児~高校1年生の9人が軽快な音楽に合わせリズミカルに体を動かした。佐々木稜君(甲子小5年)と唯桜さん(同2年)兄妹は緊張して少しミスが出たというが、「気持ちいいし、楽しかった」とにっこり。「きれいに見えるように腕を伸ばすとか基礎をしっかりやりたい」「とにかくもっと上手になりたい」とやる気を燃やした。
 
舞台では多種多様な踊りが披露された

舞台では多種多様な踊りが披露された

 
 小柳玲子バレエ教室(盛岡市)は釜石のほか、宮古、盛岡で練習に励む小中高生23人が「コッペリア」(ジュニア版)より11演目を披露。華やかな衣装を身にまとい、しなやかな舞や華麗なターン、美しいジャンプを繰り広げる子どもたちに客席から拍手が沸き上がった。
 
 バレエを頑張る友達に誘われて来場した双葉小4年の照井綾乃さん、同2年の合田帆花さんと井上千里さんは「すごくキラキラしていた」と感激した様子。芸文祭に足を運ぶのは今回が初めてで、「マネできない上手さがあるし、きれいなものがいっぱい」と発見を楽しんだ。「自分を輝かせたい」。友達の姿に感化されたようで、習い事や気になる表現活動に取り組んでみると意欲を高めた。
 
参加した各団体代表者がユーチューブ生配信で活動紹介

参加した各団体代表者がユーチューブ生配信で活動紹介

 
 今年も4日の舞台発表の様子などをYouTube(ユーチューブ)で生配信。「若い世代の仲間入り」に期待を込め、創作や表現活動を楽しむ姿を発信した。

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世界とつながる釜石 フランス派遣のアマラグビーチーム、中学生 成果を報告

フランスでの体験を報告した選手や中学生ら

フランスでの体験を報告した選手や中学生ら

 
 フランスで9月に開催されたラグビーワールドカップ(W杯)に合わせ、同国で初開催されたアマチュア世界大会に特設チーム「いわて釜石ラグビーフットボールクラブ(RFC)」が出場。同時期に、海外体験学習として釜石の中学生も同国を訪れた。2つのチームに与えられたミッションは▽東日本大震災復興支援への感謝の発信▽W杯日本大会のレガシー(遺産)継承▽スポーツを通じた国際交流-。10月28日に釜石市大町の市民ホールTETTOで報告会を開き、市民ら約60人に現地での活動を伝えた。
 

スポーツ交流 いわて釜石RFC選手ら「刺激に」

 
活動報告するいわて釜石RFCの選手たち

活動報告するいわて釜石RFCの選手たち

 
 いわて釜石RFCが参加したのは、「ワールドアマチュアラグビーフェスティバル」。9月23~30日に仏南部のプロバンス地方で開かれた。W杯参加国を中心に16カ国が出場。日本からは、開催地の一つディーニュ・レ・バン市と姉妹都市提携を結ぶ釜石市に出場の打診があったことから、岩手や釜石にゆかりある選手30人を選抜してチームを派遣した。
 
 報告会には選手10人が参加した。ヘッドコーチも務めた市スポーツ推進課の佐伯悠さん(38)によると、他国は既存のクラブチームが出場。いわて釜石RFCは予選リーグでイングランド、アルゼンチン、チリのチームと対戦し全敗。ジョージア、ベルギーとの順位決定戦にも競り負け、最下位の16位に終わった。そんな中、12-19と競り合ったアルゼンチン戦では三田唯力選手(25)=県警=がマン・オブ・ザ・マッチに選出。佐伯さんは「全試合、ホームゲームのような応援の中で戦えた。各選手が活躍し、順位以上にいろんなものを得ることができた」と充実した日々を振り返った。
 
チームの戦いぶりを振り返る佐伯さん

チームの戦いぶりを振り返る佐伯さん

 
 釜石シーウェイブスOBらも多く、「またガチなラグビーができ、いい思い出になった」「刺激的な日々。やっぱりラグビーは楽しい」などと感想を伝えた。木村優太選手(30)もそんな一人で、「全敗は悔しいが、選ばれた仲間と戦えたことは誇り。選手を引退したわけではないので、この経験を今後に生かしたい」と言葉に熱を込めた。
 
「ありがとうを伝えに」。現地の新聞で紹介された

「ありがとうを伝えに」。現地の新聞で紹介された

 
 アマ大会は、ラグビーが大好きなディーニュ市の若者が実現させた夢の形。小さなまち釜石が被災から立ち上がり、W杯日本大会の開催地になったストーリーに触発された挑戦だったといい、選手たちは釜石開催のレガシーが着実につながっていることを肌で感じてきた。ラグビー普及コーディネーター(市地域おこし協力隊)の竹中伸明選手(34)は多くの歓迎に感激。「受け取ったパスを広く釜石市民に届け、交流というパスを交換し続けるようにしたい」と前を向いた。
  
 野田武則市長は「復興支援への感謝を世界に伝え、国際交流の振興に貢献してくれた」とねぎらい、派遣事業を進めた実行委の小泉嘉明会長は「若い人の交流が進めば、いい関係が続く。平和にもつながる。ラグビー県、ラグビーのまち釜石を前に進めていこう」と期待を込めた。
  

異文化体験 生徒ら視野広げ「地域のために」

  
海外体験事業でフランスを訪れた中学生

海外体験事業でフランスを訪れた中学生

  
 中学生海外体験事業で渡仏した生徒は6人で、期間は9月24日~10月1日まで。ディーニュ市などの学校で同年代の子と交流し、ホームステイ先では現地の文化に触れた。姉妹都市提携のきっかけとなったジオパーク資産・アンモナイト化石群も見学。復興支援に尽力した化粧品メーカー「ロクシタン社」を訪ね、感謝を伝えた。いわて釜石RFCの応援、W杯の日本代表・サモア戦も楽しんだ。
 
スライドを使って体験活動の様子を紹介する生徒

スライドを使って体験活動の様子を紹介する生徒

 
 6人はいずれも、多くの出会いと発見がある貴重な体験をさせてもらったことへの感謝を口にした。初めての海外という緊張感や語学に対する不安も共通だったが、現地では不慣れなフランス語や英語を駆使する生徒らに理解を示し、親切に接してもらったと声をそろえた。
 
 ラグビー経験のある前川航紳さん(釜石中3年)は世界の舞台で戦う選手たちのプレーに感動。次に続こうと闘志を燃やした。外国人との交流では語学力だけでなく、自分たちが暮らす地域を知って伝えることが大事だと実感。「さまざまなことにチャレンジし、身につけて釜石の国際交流に貢献したい」と背筋を伸ばした。
 
生徒たちの交流の様子も現地の紙面で伝えられた

生徒たちの交流の様子も現地の紙面で伝えられた

 
 来年4月にはディーニュ市との姉妹都市提携30周年を迎える。聴講した人から「どんな釜石を紹介したい?」と質問されると、生徒たちは鉄の歴史やスタジアムを挙げたり、「フランスで印象に残ったのは街歩き。通りを見ることでも異国の雰囲気を感じられる」とアイデアを出した。釜石で暮らす外国人との交流を求める声もあり、6人は自分たちの可能性を信じながら「得た経験を地域に生かす」との思いを強めた。
 
国際交流の継続を期待する選手や中学生ら

国際交流の継続を期待する選手や中学生ら

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「芸は津波に流されない」 釜石最後の芸者“艶子姐さん” 波乱万丈の生涯を語り、踊り舞台で再現

伊藤艶子さんが伝えた「釜石浜唄」なども披露した舞台「艶子姐さん~釜石最後の芸者物語」

伊藤艶子さんが伝えた「釜石浜唄」なども披露した舞台「艶子姐さん~釜石最後の芸者物語」

 
 古里釜石で踊りや三味線の芸の道一筋に生き、2016年に89歳で亡くなった伊藤艶子さんの生涯が、語りと踊りの舞台でよみがえった―。10月29日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された「艶子姐さん~釜石最後の芸者物語~」。俳優名取裕子さんの語り、伊藤さんの芸を引き継ぐ東京・八王子の芸者衆の踊りなどで構成された舞台を約450人が鑑賞した。製鉄、水産業による釜石繁栄の時代、社交の席を踊りや唄で華やかに盛り上げ、多くの市民に親しまれた伊藤さん。来場者は在りし日の“艶子姐さん”の姿を思い浮かべながら、舞台に見入った。
 
 同公演は釜石市民ホールと、名取さんと親交のある小田島弘枝さんが代表を務める遠巣谷の森文化交流センター(西和賀町)が企画。名取さんの語りで15年から始まった「みちのく巡礼話芸劇場」シリーズの第3弾として行われた。名取さんは伊藤さんの言葉を釜石弁で熱演。4度の津波、2度の艦砲射撃など数々の困難に負けず、たくましく生き抜いた姿を巧みな話術で伝えた。東日本大震災後の避難所訪問を機に、伊藤さんからお座敷唄「釜石浜唄」などを教わった東京・八王子の芸者衆5人が踊りで華を添えた。劇中の唄は釜石出身の民謡歌手、佐野よりこさんが担当した。
 
オープニングで客席を通ってステージに向かう俳優名取裕子さん

オープニングで客席を通ってステージに向かう俳優名取裕子さん

 
釜石出身の佐野よりこさんが歌い、八王子芸者が踊る「釜石小唄」で幕を開けた

釜石出身の佐野よりこさんが歌い、八王子芸者が踊る「釜石小唄」で幕を開けた

 
芸の道を貫いた伊藤艶子さんの生涯を朗読劇で伝える名取裕子さん

芸の道を貫いた伊藤艶子さんの生涯を朗読劇で伝える名取裕子さん

 
伊藤さんやまちの歴史などの写真を映し出しながら舞台が進められた

伊藤さんやまちの歴史などの写真を映し出しながら舞台が進められた

 
 伊藤さんは1926(大正15)年、釜石に生まれた。裕福な家庭だったが、父親が病に倒れ、13歳で入学した高等女学校を4カ月で中退。幼いころから大好きだった踊りで身を立てたいと、浜町の格式高い料亭「幸楼」で住み込みの芸者修業を始めた。
 
 戦禍などを経て、27歳で単身上京。日本舞踊・藤間流の門をたたき、名取として「藤間千雅乃」の名を授かった。三味線も身に付け、29歳で帰郷。釜石は製鉄のまちとして繁栄を極め、人口9万人を超える時代に入っていった。伊藤さんは稽古場を開き、昼は弟子に舞踊を教える師匠、夜は幸楼のお座敷に上がる芸者“艶子姐さん”として2足のわらじを履いた。
 
 製鉄所の合理化で高炉の火が消えると、同市の人口は減少の一途をたどっていく。2011年、東日本大震災発生―。伊藤さん84歳の時だった。津波で自宅が被災。避難所生活を余儀なくされていた伊藤さんの元に、三味線が届けられた。持ってきたのは今回の舞台に出演した芸者衆を率いる八王子の置屋「ゆき乃恵」の女将、めぐみさん。「釜石の芸を八王子で受け継がせて下さい」。めぐみさんの申し出を受け、伊藤さんによる「釜石浜唄」と「釜石小唄」の踊りの稽古が避難所で始まった。その後、伊藤さんは東京にも招かれ、釜石の芸を披露した。12年には津波の教訓を歌にした「スタコラ音頭」の制作を手掛け、踊りは同市の夏祭り「釜石よいさ」の会場で踊られるようになった。
 
「スタコラ音頭」の完成発表会。伊藤さんの三味線で関係者らが歌った=2012年6月、幸楼

「スタコラ音頭」の完成発表会。伊藤さんの三味線で関係者らが歌った=2012年6月、幸楼

 
発表会の席で熟練の舞を披露する伊藤艶子さん

発表会の席で熟練の舞を披露する伊藤艶子さん

 
 89歳で亡くなるまで「釜石最後の芸者」として現役を貫いた伊藤さん。「津波で全部持ち物は流されたが、私の芸だけは流されなかった。芸は人と人をつないでくれる。本当にありがたい」。舞台の最後には伊藤さんの生前の歌声も聞かせ、出演者全員で「釜石浜唄」を披露して幕を閉じた。
 
「釜石浜唄」の披露では名取さんも三味線で共演

「釜石浜唄」の披露では名取さんも三味線で共演

 
 演じながら涙する場面もあった名取さんは「感情を抑えきれなかった。目に見えないものが人を支えてくれることを艶子姐さんから教えられた気がする」。伊藤さんから浜唄の指導を受けた佐野さんは「歌の間(ま)、三味線の弾き方も教えてもらった。釜石出身者として大事に歌っていきたい」と思いを新たにした。
 
 橋野町の小笠原栄吉さん(83)は1989(平成元)年の第4回釜石市民劇場「剣にこだまする 牧庵鞭牛」で主役を演じた際、劇中に出てくる踊りを伊藤さんから習った。「何事にもめげずに頑張り、市民に勇気を与えてくれた方。今日見に来た人たちの中には(お座敷などで)顔なじみの人も多いだろう。舞台上に掲げられた(伊藤さんの)写真を拝見し、懐かしさでいっぱいになった」と話した。
 
 市内の舞踊関係者からは「藤間の先生」と呼ばれていた伊藤さん。伊藤さんの三味線で踊る機会の多かった小川町の瓦田季子さん(86)は「まさに最後の芸者。釜石で跡を継ぐ人がいないのは非常に残念」と惜しむ。それでも生前、伊藤さんが願った“正調”の釜石浜唄、釜石小唄の末永い継承のため、有志6人で稽古を続けている。
 
 「ゆき乃恵」の女将、めぐみさんは「このような舞台で教えられた踊りを披露でき、艶子姐さんにもいい報告をさせていただける」と感謝。伊藤さんとの出会いは、地元の唄などその地に根付くものを見直す機会にもなったという。「お名前の通り艶のある声、愛らしいしぐさの一方で、自分の芸に対してはとても厳しい方だった。私の目標とする人物」とめぐみさん。伊藤さんがつないだ釜石との縁。「今後も芸能を通じたさまざまな交流ができれば」と思いを込めた。
 
舞台に出演した芸者衆を紹介するめぐみさん(左から2人目)

舞台に出演した芸者衆を紹介するめぐみさん(左から2人目)

 
会場には多くの人たちが訪れ、出演者の熱演に大きな拍手を送った

会場には多くの人たちが訪れ、出演者の熱演に大きな拍手を送った