タグ別アーカイブ: 文化・教育

suzuki-satoshi01

「いいな」を撮り続け50余年 釜石の鈴木哲さん「これが最後かな…」 “総決算”の写真展

鈴木哲さんの多彩な写真表現を釜石市民らが楽しんだ

鈴木哲さんの多彩な写真表現を釜石市民らが楽しんだ

 
 釜石市只越町のアマチュアカメラマン、鈴木哲(さとし)さん(75)の写真展が14日から3日間、同市大町の市民ホールTETTOで開かれた。東日本大震災以降に撮りためた作品約100点を紹介。写真仲間や友人らが足を運び、身近なモチーフを多様な視点で切り取った写真にじっくりと見入っていた。
 
 個展は2020年以来、4年ぶりの開催。今回は釜石港、三陸海岸の生活、祭り、花、動物、旅の思い出など多様なモチーフの作品を並べた。昨年6月に惜しまれながら定期運行を終えた「SL銀河」の雄姿を残す作品も多数。撮影場所や季節、アングルを複合的に捉えた。作品のほとんどはA4サイズ。大きさをそろえることで統一感を持たせた。
 
鈴木さんの作品がずらりと並んだ釜石市民ホールギャラリー

鈴木さんの作品がずらりと並んだ釜石市民ホールギャラリー

 
旅のスナップや空模様などを題材にした作品に見入る来場者

旅のスナップや空模様などを題材にした作品に見入る来場者

 
JR釜石線を走る「SL銀河」は心引かれるモチーフだった

JR釜石線を走る「SL銀河」は心引かれるモチーフだった

 
 鈴木さんが本格的にカメラを手にしたのは20歳代。市内の印刷会社で働く中、社内に多かった写真愛好者の影響を受けた。同じ頃、職場近くにあったデパートで催された撮影会の写真コンテストに参加、出品したところ、思いかげず入選。「よし!次はもっと上位の賞を」と、撮る楽しさにハマった。
 
 ボーリングに野球、登山、スキーなどもともと趣味が多く、体を動かすことも好きだったが、50年以上たった今でも残る趣味はカメラ。その楽しみが「終わりかな」と思う時期があった。2011年の震災。津波で鵜住居町の自宅を失い、カメラも全て流された。先が見通せない中、「気分転換に」との誘いに乗って親族がいる愛知県名古屋市近隣を周遊。「出かけるなら、カメラが必要だ」と、すぐに新たな“相棒”を迎えた。
 
写真展を開いた鈴木さん。カメラを楽しむ生活は50年を超える

写真展を開いた鈴木さん。カメラを楽しむ生活は50年を超える

 
津波の猛威と、負けない人々の姿を捉えた写真もあった

津波の猛威と、負けない人々の姿を捉えた写真もあった

 
 津波の痕跡を残す震災後のまちを写した数点も並べた。避難所、仮設住宅での生活を経て、復興住宅で暮らす今、日課のようにレンズを向けるのは月。部屋のベランダから目に入る夜空、月明かりがつくり出す高層の建物や構造物の影など、身近な風景をモチーフにする。ふと見上げた空に浮かぶ雲の造形を切り取った作品も。「目に焼き付けるより、記録に残したい」とシャッターボタンを押した。
 
鈴木さんは展示会場でもカシャ。「いいね」と心動いた瞬間

鈴木さんは展示会場でもカシャ。「いいね」と心動いた瞬間

 
 展示会場でも“愛機”を手にファインダーをのぞいていた鈴木さん。「撮りたいと思ったらすぐ!」と瞬間を逃さない。長いキャリアの中で、「そうできるようになった」と頬を緩める。「カメラを向けた時の被写体は無口で何も言ってこないが、シャッターを切ると声が聞こえてくる」と独自の見解。「もっときれいに撮れるよ」「こっちから見て」と話しかけてくるとか。そんな対話ができるのが写真の魅力だという。
 
 「さとちゃんらしい、優しい写真だね」。親しい間柄の来場者から聞こえてきた声に、鈴木さんは照れ笑い。「見たり見られたりすることでレベルアップになる。自分だったら、こう撮る…と考えたり、自分にないものを求める」。カメラを楽しむ仲間とは写真談義を交わした。
 
写真を通じてたくさんの笑顔と会話が生まれた展示会場

写真を通じてたくさんの笑顔と会話が生まれた展示会場

 
「総決算」の個展で来場者にプレゼントされた作品たち

「総決算」の個展で来場者にプレゼントされた作品たち

 
 意欲的な鈴木さんだが、個展は「最後になるだろう」とのこと。3回目の今回を「総決算」とし、会場に並べた作品のうち、過去の展示で公開した作品40点ほどを最終日に希望した来場者にプレゼントした。
 
 保有するカメラは4台。独自の“撮影日和”にカメラを肩に歩いたり、自転車や路線バス、鉄道に乗って「いいな」と思うものを探す生活スタイルは変わらない。写真好きの友人との外出も継続。市内のグループ展での作品公開を続ける。

tetsumochi01

「餅鉄で鉄瓶を作ろう」 釜石でプロジェクトスタート 原料はどこに? 今も眠るお宝を探せ!

橋野町の沢桧川で餅鉄を探す子どもたち=25日

橋野町の沢桧川で餅鉄を探す子どもたち=25日

 
 釜石市橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」の高炉稼働時、製鉄原料の一部となった“餅鉄(もちてつ、べいてつ)”。鉄の含有率が高い丸みを帯びた石は、当時の栗林、橋野両村民によって同所に持ち込まれ、買い取られていたという。今も同地域で見られる餅鉄から鉄を取り出し、鉄瓶を作ってみようという市民参加型のプロジェクトが始動した。25日、同町で原料の餅鉄を探す活動があり、市内外から21人が参加した。
 
 橋野鉄鉱山インフォメーションセンターに集まった参加者は始めに、同町出身の製鉄史研究家三浦勉さん(72)から餅鉄について学んだ。三浦さんの地元橋野では、餅鉄は「べんてつ」「べんこてつ」などと呼ばれるほか、その形状から「馬糞(ばふん)鉄」とも表される。同町には国内最大級とみられる幅83センチ、高さ42センチ、推定重量約300キロの餅鉄が個人宅にある。片羽山雄岳の麓、同町大平の畑で見つかったものだという。
 
餅鉄について学んだ講座=橋野鉄鉱山インフォメーションセンター

餅鉄について学んだ講座=橋野鉄鉱山インフォメーションセンター

 
 餅鉄は多くが川で見つかり、丸みを帯びて表面が滑らかなことから、文献などでは「磁鉄鉱が川の流れで転がり円礫(れき)になったものと考えられる」とされる。これに対し三浦さんは「釜石では川のない山中でも見つかっている。重量感からしても洪水などで長い距離を転がることは無理があるのではないか」と推測。釜石地域の磁鉄鉱は白亜紀(約1億2千万年前)のマグマの貫入で、石灰岩などが熱変成して生まれたものとされており、「餅鉄は川の流れで丸くなったのではなく、火山噴火で大気中に飛んだものではないか」と独自の推論を示した。
 
製鉄史研究家・三浦勉さん(写真上段右)が餅鉄の産地などについて解説

製鉄史研究家・三浦勉さん(写真上段右)が餅鉄の産地などについて解説

 
 火山噴火の可能性を考える根拠としては▽餅鉄がある川で硫黄臭がする白く軽い石(地元ではへったれ石、へっぴり石と呼ばれる)が見られた▽片羽山麓の岩盤で火山岩に見られる結晶「クリストバライト」が確認されている▽最大級の餅鉄が見つかった場所は山麓直下で川の流れによる円礫化は考えにくい―ことなどを挙げた。
 
 この後、参加者は今も餅鉄が多く見られる片羽山麓の沢桧川に向かった。同下流域には市指定文化財の「釜石鉱山田中製鉄所栗橋分工場跡」がある。明治から大正にかけて高炉1基が稼働し、山神社の鳥居や祠(ほこら)が残る。餅鉄の採集は同工場跡近くで行われた。参加者は三浦さんに見つかりやすい場所などを教わりながら探した。
 
沢桧川の餅鉄採集ポイントに向かう参加者

沢桧川の餅鉄採集ポイントに向かう参加者

 
途中には市指定文化財「釜石鉱山田中製鉄所栗橋分工場跡」があり、石垣などの遺構が残る

途中には市指定文化財「釜石鉱山田中製鉄所栗橋分工場跡」があり、石垣などの遺構が残る

 
三浦勉さん(中央)から教わりながら餅鉄を探す

三浦勉さん(中央)から教わりながら餅鉄を探す

 
 判別のポイントは石の色と重さ。他のものに比べ黒っぽく、同じような大きさでも餅鉄は重いのが特徴。鉄成分を含んでいるので磁石がくっつく。参加者は川底に目を凝らし、磁石を近づけてみたりしながら探した。約1時間で10キロ以上の餅鉄が採集された。
 
tetsumochi07

磁石にくっつく石が多数。右上と左下は表面が滑らかで丸みを帯び、餅鉄の特徴が見られる

 
 同市の小学生金野龍真君(11)は市が実施する「鉄の検定」で1級を取得。検定の勉強で餅鉄のことは知っていたが、実際に探すのは初めて。「すぐには見つからなくて、探すのは大変だった。これで鉄を作ろうと最初に考えた人の発想がすごい。鉄づくりも楽しみ」と期待感をにじませた。甲子町の50代女性は旧釜石鉱山事務所(愛称:Teson)のイベントで、餅鉄が展示されているのを目にした。今回の採集で「本当にあるんだ」と再確認。「山奥にあると思っていたので、意外にも身近な場所にあってびっくり。最後まで参加して鉄瓶ができるのを見届けたい」と声を弾ませた。
 
餅鉄の多くは流れが緩やかな岸辺側で見つかった

餅鉄の多くは流れが緩やかな岸辺側で見つかった

 
お目当ての「餅鉄」をゲット! 笑顔を見せる子どもたち

お目当ての「餅鉄」をゲット! 笑顔を見せる子どもたち

 
 橋野鉄鉱山稼働時、高炉場にあった御日払所では、村民が持ち込んでくる餅鉄を買っていた。その記録として「餅鉄通」という文書が残っている。釜石の餅鉄は鉄含有率が約70%(磁鉄鉱は約60%)と高く、質の良さも特徴。磁鉄鉱に交ぜて使われたとみられている。
 
 プロジェクトを主催する市世界遺産室の森一欽室長は「鉄原料から製品になるまでを見られる初のイベント。有意義な機会になると思う。釜石には今も身近な所に資源が眠っていることも知ってもらえれば」と話した。
 
参加者は夢中になって“お宝”を探した

参加者は夢中になって“お宝”を探した

 
最後はみんなで採集した餅鉄の重さを計測した

最後はみんなで採集した餅鉄の重さを計測した

 
 餅鉄から鉄を取り出す製鉄体験は9月に甲子町大橋で実施予定。できた鉄は県工業技術センター(盛岡市)で炭素量など成分を調整してもらい、滝沢市の南部鉄器職人田山和康さん(73)に鉄瓶にしてもらう。11~12月ごろに盛岡市で鉄瓶ワークショップを開催する。

iyashiphoto01

写真で「癒やし」のひとときを― 釜石・芳賀憲一さん 震災機に継続の展示会3年ぶりに

 「癒やし」をテーマに開かれた芳賀憲一さんの写真展=18日

「癒やし」をテーマに開かれた芳賀憲一さんの写真展=18日

 
 釜石市のアマチュア写真家、芳賀憲一さん(77)が17日から3日間、同市大町の市民ホールTETTOで写真展を開いた。東日本大震災後、撮りためた作品を「皆さんの癒やしになれば」と公開し続ける芳賀さん。今回は2021年3月以来の展示会で、自身の“喜寿”記念も兼ねて開催。この3年で撮影した市内外の風景や動植物などを主に70点を展示した。
 
 サクラ、ヒマワリなど季節の花々、昨年運行を終了したSL銀河、釜石まつりの呼び物「曳き船」、市街地で憩うシカ…。芳賀さんが独自の視点で捉えた一枚一枚が来場者の目をくぎ付けにした。色彩の美しさ、構図のうまさ、貴重な一瞬を逃さない技術力の高さに加え、しゃれっ気たっぷりの作品タイトルなど、見る人を魅了する要素が満載の展示会となった。
 
TETTOでの開催は2019年、21年に続き3回目

TETTOでの開催は2019年、21年に続き3回目

 
写真左:魚眼レンズで撮影したヒマワリ畑と紅葉。同右上:ハスの花びらが水滴に乗った作品のタイトルは「花筏(いかだ)」。同右下:リニューアル前の大只越公園。イチョウの落ち葉の上にできた2本の木の影で「道しるべ」

写真左:魚眼レンズで撮影したヒマワリ畑と紅葉。同右上:ハスの花びらが水滴に乗った作品のタイトルは「花筏(いかだ)」。同右下:リニューアル前の大只越公園。イチョウの落ち葉の上にできた2本の木の影で「道しるべ」

 
作品名「柿をとる」。左は(スマホカメラで)撮る、右は(手をのばして)もぎ採る

作品名「柿をとる」。左は(スマホカメラで)撮る、右は(手をのばして)もぎ採る

 
 今回、初めて取り入れたのは写真に書を施した作品コーナー。釜石応援ふるさと大使を務める仙台市在住の書家支部蘭蹊さん(73)が、芳賀さんの写真にさまざまな言葉を添えた作品で、2つの芸術の融合が新たな世界観を生み出している。「いつか、支部さんと二人展もできれば」と芳賀さん。
 
芳賀さんの写真に支部さんが言葉をしたためたコラボ作品。右下は芳賀さんの写真展への思いを書いてもらった作品

芳賀さんの写真に支部さんが言葉をしたためたコラボ作品。右下は芳賀さんの写真展への思いを書いてもらった作品

 
 会場には市内外から多くの人たちが足を運んだ。「ここはどこ?」「どこから撮ったの?」と質問する来場者。釜石大観音など見慣れたモチーフも撮る場所や時間帯、気象条件によって違った表情を見せており、興味をそそられながら見入る人の姿も。
 
季節や撮影場所によってさまざまな景観を生み出す釜石大観音

季節や撮影場所によってさまざまな景観を生み出す釜石大観音

 
写真展を開いた芳賀憲一さん(中央)。来場者との会話も楽しみの一つ

写真展を開いた芳賀憲一さん(中央)。来場者との会話も楽しみの一つ

 
 芳賀さんは同市大只越町出身・在住。2004年に発生した新潟県中越地震の復興事業に土木技術者として2年間派遣された際、休日を利用して、釜石にはない風景を撮影したのが写真を始めるきっかけとなった。帰釜後、「古里にもまだ見ぬ景色がある」と日常的にカメラを手にするように。市内外に出向いて撮影を楽しんだ。
 
 63歳で退職した直後の2011年3月、東日本大震災が発生。被災者の力になりたいと、仮設住宅を担当する市の臨時職員(中妻地区生活応援センター配属)として働き始めた。仮設入居者の生活が落ち着き、各種支援も減ってきたころ、引きこもりの増加が問題に。「外に出るきっかけになれば」と思いついたのが、殺風景だった仮設の談話室に自身が撮りためていた写真を飾ることだった。「ぜひ見に来て」と積極的に声掛けをしたところ、自室にこもりがちだった人たちも足を運び、「癒やされた」と安らぎの表情を浮かべたという。
 
 市内に復興住宅が建設され、仮設からの移住が進んだ2017年、上中島復興住宅に併設整備された同センター(中妻公民館)で再び写真展を開催した。市の臨時職員の仕事は7年間続けた。この間、地元の写真愛好家グループ「釜石写遊会」にも所属。先輩会員から技術を学び、会の展示会でも作品を発表してきた。同会解散後は、個展が唯一の発表の場となり、TETTOでの開催は本展で3回目を迎えた。
 
写真左:写真愛好家をはじめ多くのファンに愛されたSL銀河。同右:2羽のハクチョウの首がハート形を作り出したユニークな一枚

写真左:写真愛好家をはじめ多くのファンに愛されたSL銀河。同右:2羽のハクチョウの首がハート形を作り出したユニークな一枚

 
芳賀さんの専属モデルは2人の孫娘。姉妹愛あふれる作品

芳賀さんの専属モデルは2人の孫娘。姉妹愛あふれる作品

 
 「常にカメラを持ち歩き、撮りたいものがあればすぐに…」と芳賀さん。意図して撮りに行く以外にも、心引かれる被写体との偶然の出会いで思わずシャッターを切ることも。撮影の原動力は「見た人が喜んでくれること」だといい、「自分がその写真の中にいる感覚を味わってほしい。実際に現地で見ているかのように」と思いを込める。
 
 会場では「きれいだね」「いいねぇー」「楽しませてもらった」など、感激の声が聞かれた。「ありがたい。やったかいがある」とうれしさをにじませる芳賀さん。今後、撮ってみたい題材を尋ねると、「お年寄りの穏やかな部分。日なたぼっこをしている姿とか、和めるものを撮りたい」。人物撮影では「背中から撮らせてもらうほうが好き。『何を話しているのかな』とか想像が膨らむ」とベストショットを狙う。
 
 今回、会場の一角には能登半島地震の被災者支援のための募金箱も設置され、協力者には芳賀さん撮影の写真がプレゼントされた。
 
能登半島地震被災者支援の募金も呼び掛け。プレゼント用の写真はどれも素敵で迷っちゃいます!

能登半島地震被災者支援の募金も呼び掛け。プレゼント用の写真はどれも素敵で迷っちゃいます!

kangotaiken01

やりがい体感!現場で学ぶ看護の心 中高生、県立釜石病院で患者とふれあい交流

手術室の見学などが行われた県立釜石病院の看護体験

手術室の見学などが行われた県立釜石病院の看護体験

 
 「看護週間」(12~18日)にちなみ、釜石市甲子町の県立釜石病院(坂下伸夫院長)で17日、中高生が看護の現場を学ぶ「ふれあい看護体験」が行われた。職業として医療職を選択してもらう機会を提供するのが目的。生徒たちは患者へのケアを通して先輩看護師から働く姿勢や心構えを学び、仕事のやりがいを体感した。
 
 釜石中、釜石高、花巻南高の生徒11人が参加。座学で医療・看護の職種や患者との接し方、感染予防対策など説明を受けた後、整形外科や緩和ケア、循環器内科など各病棟に分かれて入院患者の手足浴や食事の配膳などに取り組んだ。患者役・介助役となり車いす、ストレッチャーによる移動を体験。食事の介助も見学し、患者のペースに合わせ料理を口に運んだり、顔を近づけてゆっくり話しかける看護師の姿を見つめ、現場の雰囲気を肌で感じた。
 
手洗いや防護具の脱着など感染予防策の演習に取り組む参加者

手洗いや防護具の脱着など感染予防策の演習に取り組む参加者

 
患者の移送や食事の配膳を体験したり、食事の介助を見守ったり

患者の移送や食事の配膳を体験したり、食事の介助を見守ったり

 
 手術室での活動は初めてのプログラムで、釜石高3年の大和田未桜(みお)さんと菊池桜永(おと)さんが手を挙げた。手術で使用する器具に触れたり、手術台にあおむけになって患者の気持ちを感じてみたり。脈拍や血圧など、モニターに映し出される「患者の声」に耳を傾けていることを知り、「生死に関わる仕事で、細心の注意を払っているのが分かったし、仕事に対する熱意を感じた」と背筋を伸ばした。
 
手術で使う器具を渡す「器械出し」を体験する生徒

手術で使う器具を渡す「器械出し」を体験する生徒

 
 ともに助産師を目指していて、「経験できるものは何でもやりたい」と積極的に活動。同病院が分娩(ぶんべん)業務を休止していること、そもそも岩手県内に産科医師が少ないことなどを調べていて、「子を産める環境をつくれる人になりたい」「若い世代に性の正しい知識を伝えたり、命の誕生に向き合うスペシャリストになりたい」と夢を膨らませた。
 
気になることを積極的に質問しながら体験活動に取り組んだ

気になることを積極的に質問しながら体験活動に取り組んだ

 
 釜石中2年の高橋杏奈さんは保育士という希望も持っており、職業選択の参考になればと参加。「看護師はやりがいがあると思うが、大変そう。いろんな職種もあると知れたし、この体験を参考にいろいろ調べてみたい」と視野を広げた。
 
 病棟で患者とじかに触れ合う体験は、新型コロナウイルス禍の中止を経て5年ぶり。15日も中高生13人を受け入れた。熊谷和子副総看護師長(57)は「反応が初々しく、キラキラとした目で体験に臨む姿が印象に残った。そうしたピュアな気持ちを大切に、医療の現場で働く仲間になってもらえたら」と期待した。

taiwan-rugby01

言葉は通じなくても…ジェスチャーで!異文化体感 台湾訪問、釜石の小学生 感動を報告

台湾を訪問して復興支援の感謝を伝えた釜石の子どもたち

台湾を訪問して復興支援の感謝を伝えた釜石の子どもたち

 
 5月のゴールデンウイーク(GW)期間を利用し、釜石市内の小学生が台湾を訪れる「釜石キッズラグビー国際交流プログラム」が行われ、13日、帰国した児童8人と市職員らが市役所の小野共市長を訪ね、現地でのスポーツ交流の様子や学んだことを報告した。
 
台湾から戻った児童が小野共市長を訪ねて活動を報告した

台湾から戻った児童が小野共市長を訪ねて活動を報告した

 
 このプロブラムは一般社団法人子どもスポーツ国際交流協会(東京)が主催。2018年と19年、22年に釜石市内で実施し、国内外の小学生を対象にタグラグビー大会や自然文化体験、東日本大震災の学習も織り交ぜて親睦を深めた。コロナ禍での中止やオンライン開催などを経て、今回初めて訪台。震災から10年以上が経過したこともあり、今回で一区切りとする考えで、復興支援への感謝を直接伝えることも目的だった。
 
 GW期間の3~6日の日程で交流活動が行われた。参加メンバーは、小山琉世君(白山小5年)、古藤野望結さん(小佐野小6年)、佐伯晃君(甲子小6年)、佐々木夢空さん(小佐野小6年)、佐々木怜恩君(平田小5年)、田中璃緒斗君(鵜住居小6年)、野田大耀君(小佐野小5年)、藤田創君(釜石小5年)の8人。熊本、福岡、広島県の児童と合わせ計25人で向かい、台北市の小学生30人と交流した。
 
 引率した釜石市文化スポーツ部の佐々木豊部長、市地域おこし協力隊でラグビー普及コーディネーターの竹中伸明さんが行程を紹介。中正紀念堂や故宮博物院など台北市内の史跡を見学したほか、現地の小学校では交流学習としてビーズを使った工作に取り組んだ。歓迎会やタグラグビー大会では、覚えた中国語を駆使して「ありがとう」の気持ちを発信。「できるだけ多くの子と仲良くなろうと、スマートフォンなどの翻訳機能を使ってコミュニケーションをとっていたのが印象的だった」などと振り返った。
 
台湾で感じた文化の違いなどを楽しそうに伝える児童たち

台湾で感じた文化の違いなどを楽しそうに伝える児童たち

 
 子どもたちは、日本とは違った文化や歴史、人の優しさに触れたことなど楽しい思い出を小野市長に伝えた。藤田君は「言葉が通じなくてもスポーツをやったり、一緒に活動することでコミュニケーションがとれることを学んだ。これからも積極的に外国の人と交流して釜石のよさを伝えたい」と目を輝かせた。
 
 各地の子どもたちを“ごちゃ混ぜ”にし12チームに分かれて体験活動を展開。タグラグビーでは優劣をつけなかったというが、試合はすべて勝ったと胸を張る小山君は、一番多くの友達を作ったとして「MVP」に選ばれた。ラグビー歴6年で、「知っていることを教えた。作戦を練ったり、たくさん話し合ったから」と自己評価。「ジェスチャーでコミュニケーションをとって、よく分からないけどいっぱい笑った」と、交流を思い浮かべてうなずいた。
 
たくさんの友達を作って「MVP」に選ばれた小山琉世君(左)

たくさんの友達を作って「MVP」に選ばれた小山琉世君(左)

 
 小野市長は「言葉は通じなくても友情を深めることができると肌で感じてくれたことがうれしい。こういう機会があったら、積極的にチャレンジしてほしい」と期待。同席した高橋勝教育長も「これで終わりでなく、次のステージの始まりだと思ってほしい。興味を持ったことをもっと深く知るために調べてみるといい」と勧めた。
 
 「写真展、見にきて!感動伝えます」と意気込む子どもたち

「写真展、見にきて!感動伝えます」と意気込む子どもたち

 
 今後の予定として、写真展「かまいしキッズフォト~台湾ラグビー交流」を6月8日と9日に市民ホールTETTOギャラリーで開くことも報告。子どもたちには使い捨てカメラ(27枚撮り)が2個ずつ渡されていて、活動の様子を撮影してきた。展示を通じ、それぞれが見つめた光景を感じてもらい、「ラグビーのまち」の記録にしてもらうのが目的。8日は午前11時から会場でトークイベントも行う。「お気に入りの一枚」を紹介しながら「感動したこと」を伝える。

aat01

選び抜く言葉 紡ぐ短歌と物語 クリエイターたておきちはる(大槌) 釜石でギャラリー展

釜石市民ホールギャラリーで開催中の「たておきちはる展」

釜石市民ホールギャラリーで開催中の「たておきちはる展」

 
 「大丈夫 今日の私は幸せよ 昨日と明日を抱きしめ囁く」。“今”感じた思いを伝える言葉を選び抜いてつないだ短歌や文章、紡ぎ出したその世界をイメージさせるような写真などを並べたギャラリー展「昨日、今日、明日」が釜石市大町の市民ホールTETTOで、12日まで開かれている。
 
 釜石・大槌地域で活動する作家を紹介する同ホール自主事業の「art at TETTO(アート・アット・テット)」。12番目として今回ピックアップしているのは、大槌町を拠点に活動するクリエイターたておきちはるさん(34)。短編小説、エッセイ、絵本などを執筆する傍ら、町内の情報を伝えるフリーランスのライターとしても活動する。
 
たておきちはるさんと、銀河鉄道をモチーフにしたデザイン「車窓」

たておきちはるさんと、銀河鉄道をモチーフにしたデザイン「車窓」

 
 自身の活動はインターネット上の「Instagram(インスタグラム)」や「note(ノート)」で紹介するが、地域でじかに見てもらうのは初めて。会場には、ギャラリー展のために書き下ろした「軽い読み物 5月の空を泳ぐヤツ。」のほか、短編小説やエッセーなど4点を並べる。
 
書き下ろの短編小説などが並び、自由に読むことができる

書き下ろしの短編小説などが並び、自由に読むことができる

 
 子どもの頃から文章を書くのが得意だと感じていたが、進学先に選んだのは演技や脚本を学ぶことができる京都造形芸術大(現京都芸術大)。在学中から映画や舞台の現場に立ち、自主制作・公演を行い、卒業後は東京で活動した。東日本大震災後に仮設住宅で暮らす母親を心配しUターン。町役場や観光協会で働く傍ら、「演劇を通じた心の復興」を目指す町民活動にも関わり、脚本担当や演者としての活動は続いた。
 
 休職中だった昨年、町外の職業訓練校でグラフィックデザインを学んでいる時に、講師や同期生から刺激や助言を受け、さらっと読めて不思議な世界が味わえる「ショートショート作品」を執筆。4000字以内との規定がある「第20回坊っちゃん文学賞」(愛媛県松山市主催)に初めて応募し、最終審査に残った「純愛の繭」が佳作を受賞した。
 
 執筆に取り組む中で、より短い文学「短歌」の世界に興味を持つようになった。理由は「思いを表現するのに効果的な言葉を勉強したかったから」。何か言葉が思いつくたびメモに残していたら、日常を切り取る短歌が自然と紡がれた。
 
作品を瓶やケースに入れたり貼ったり、見せ方を工夫する

作品を瓶やケースに入れたり貼ったり、見せ方を工夫する

 
 会場の至る所に散りばめているのは、そんな日々を切り取った言葉たち。「君のこと深く知らない 君が持つ光度と照度と輝度は知ってる」は、職訓校での学びと仲間への思いをつづった作品。湧き出た言葉を表現するような写真を添えて見せる。古里の風景が多いが、旅先で印象に残った光景も写す。ギャラリー展のチラシで使ったデザイン画「車窓-iwate-」(ポスター3連作)も展示。「銀河鉄道の夜」をモチーフにした作品で、「車両を書かずに伝えられる最少の表現」を模索した。
 
充実した学びの時間を表現した作品は「まぶしさ」をうたう

充実した学びの時間を表現した作品は「まぶしさ」をうたう

 
たておきさんが吐き出した思いを来場者がのぞき込む

たておきさんが吐き出した思いを来場者がのぞき込む

 
正方形の原稿用紙(9マス×6行)に収められた超短編小説「54字」

正方形の原稿用紙(9マス×6行)に収められた超短編小説「54字」

 
 「つらい時でも短歌にすれば作品になる。そうすると、つらさも無意味じゃなくなる」とたておきさん。自身の心の平穏にもつながる作品を見た人たちが、「しっくりくる何かを持ち帰ってもらえたら。受け取ったような気がするものが何かは分からずとも、ちょっとうれしい拾い物ができるような時間を思い思いに過ごしてほしい」と期待する。
 
会期中には「物語のたね」を探すワークショップもあった

会期中には「物語のたね」を探すワークショップもあった

 
訪れた人との交流も楽しんだたておきさん(中)

訪れた人との交流も楽しんだたておきさん(中)

 
 受賞作は「癖になる文章で、何度も読み返したくなる。危うさの中に官能的、幻想的な表現があり、純文学のような品もある」といった評価を得た。そうした言葉は、自身の作風を振り返る機会になった。「より等身大で、気負わず書いていこう」。こぎれいな文章にしがちだったが、思い返すと「あやしい話が好き」だった。そんな“好き”を表に出すべく、短歌と文章、写真、デザイン、イラストを組み合わせた作品づくりをこれからも続ける。

sakuramatsuri01

唐丹の誇り「大名行列」6年ぶりに 天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)で活気付く地域

天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)=4月28日、唐丹町

天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)=4月28日、唐丹町

 
 釜石市唐丹町の春を彩る、天照御祖神社(河東直江宮司)の式年大祭「釜石さくら祭り」は4月28日に行われた。3年に一度の祭りは新型コロナウイルス感染症の影響で、前回2021年の渡御は見送られており、今回は18年以来6年ぶりの開催。町内3神社のみこしが江戸時代から受け継がれる“大名行列”とともに地域を練り歩き、震災や戦災を乗り越え、まちを守る住民らにさらなる力を与えた。郷土芸能団体も随行する祭り行列には、町内7地区から約600人が参加。沿道では地域住民のほか、市内外から訪れた見物客が行列を出迎えた。
 
 同町片岸の高台にある天照御祖神社で神事を行った後、行列が繰り出した。神社下の一帯は13年前の震災津波で被害を受けた場所。住宅はないが、近隣の住民や観光客などが沿道に集まり行列を見守った。
 
神社からみこし渡御の行列が出発。子どもから大人までさまざまな役割を担う

神社からみこし渡御の行列が出発。子どもから大人までさまざまな役割を担う

 
東日本大震災の津波で被災した片岸地区を行列が進む

東日本大震災の津波で被災した片岸地区を行列が進む

 
 みこしを先導する大名行列は江戸時代の参勤交代の行列に由来するもので、同神社の氏子がみこしに無礼な行いをさせないように刀、鉄砲、やり、弓などを持ち、警護しながらお供したことが始まり。当時の伊達藩唐丹村本郷の番所に駐屯していた伊達藩士に行列の仕方を教わり、みこし渡御に取り入れたとされる。地区ごとに8つの役割を担い、今に受け継ぐ。今回は本郷の「御徒組」「杖供組」「杖引組」に続き、小白浜の「御道具組」、荒川の「御並槍組」がお供。伝統の所作でゆっくりと歩みを進める各組に、沿道で迎える人たちが盛んな拍手を送った。
 
 柏直樹さん(45)、壮太さん(12)親子は「御徒組」「杖供組」にそれぞれ初参加。唯一の中学生、壮太さんは「振り付けを覚えるのに苦労したが、伝統の祭りに参加できて楽しい。また出たい」。直樹さんは「無事に務められて何より。いい思い出になった。若い子に参画してもらい、伝統がつながっていけば」と期待を込めた。
 
写真上:伝統の所作で進むやっこ姿の「御徒組」。同左下:「杖供組」に初めて参加した柏壮太さん。同右下:「御徒組」に参加した父直樹さん(右)と

写真上:伝統の所作で進むやっこ姿の「御徒組」。同左下:「杖供組」に初めて参加した柏壮太さん。同右下:「御徒組」に参加した父直樹さん(右)と

 
 「いよぉー。いよぉー」「あれはよいとこなー」。独特の掛け声と口上で進む「御道具組」には17人が参加。前回から先導の声を担当する長助澤正也さん(42)は「決まり文句は2種類だが、その他にも祭りを盛り上げるようなセリフが伝統。殿様の道具持ちながら、祭りでは花形」と胸を張る。子どものころ、地元唐丹小の120周年記念行事でこれをやった。「大人になったらやってみたいと思っていた。念願かなった」と心弾ませ、見物客に精いっぱいサービスした。
 
さまざまな文句で見物客の期待に応える「御道具組」の長助澤正也さん(右上)。見守る人たちは笑顔と拍手で応援(右下)

さまざまな文句で見物客の期待に応える「御道具組」の長助澤正也さん(右上)。見守る人たちは笑顔と拍手で応援(右下)

 
公民館などが建つ小白浜地区の通りを進む「杖引組」

公民館などが建つ小白浜地区の通りを進む「杖引組」

 
荒川地区の住民が担当する「御並槍組」。江戸時代の大名行列の風情を醸す

荒川地区の住民が担当する「御並槍組」。江戸時代の大名行列の風情を醸す

 
 行列は片岸から小白浜へ。住宅や商店、公民館などが建ち並ぶ町中心エリアをにぎやかに進んだ。大杉神社(本郷)、西宮神社(小白浜)のみこしが天照御祖神社のみこしを各地区に案内する形で渡御。大杉、西宮両社のみこしは住民の前を勢いよく回り、威勢を放った。大杉神社のみこしを担ぐ倉又一平さん(35)は6年ぶりの祭りに「地元の血が騒ぐ。ここで育ち、今は離れて暮らす人たちも祭りには帰ってくる。若い世代が頑張って受け継いでいかなければ」と思いを強くする。
 
 行列を見守る人たちは青空の下で繰り広げられる華やかな行列に大興奮。小白浜の千田律子さん(76)は「自分も若いころ祭りに出た。やっぱり思い出しますね。踊りたくなる」と高揚し、「地元以外にも大勢の人たちが見にきてくれて感謝です」と顔をほころばせた。
 
地元小白浜地区で威勢を放つ西宮神社のみこし

地元小白浜地区で威勢を放つ西宮神社のみこし

 
大杉、西宮両神社みこしに続いて唐丹公民館前に到着した天照御祖神社のみこし

大杉、西宮両神社みこしに続いて唐丹公民館前に到着した天照御祖神社のみこし

 
 行列は唐丹の名所“本郷の桜並木”へ。かつては祭りと桜の咲く時期が重なっていたが、近年は地球温暖化の影響で開花は4月上旬に早まっている。この日は葉桜に変わった並木の下で行列が繰り広げられた。御道具組の長助澤さんは「葉桜がきれいだなー」などと言葉を発し行列を鼓舞。唐丹の大名行列“発祥の地”を盛り上げた。
 
地元本郷の桜並木の下を勢いよく駆ける大杉神社のみこし。迫力満点!

地元本郷の桜並木の下を勢いよく駆ける大杉神社のみこし。迫力満点!

 
伝統の舞を披露する荒川熊野権現御神楽。子どもたちも練習の成果を発揮

伝統の舞を披露する荒川熊野権現御神楽。子どもたちも練習の成果を発揮

 
市指定文化財の常龍山御神楽。天照御祖神社と共に歴史を重ねる

市指定文化財の常龍山御神楽。天照御祖神社と共に歴史を重ねる

 
 約4キロの往路の最終地点、本郷海岸ふかさ広場の御旅所では、3基のみこしの前で神事が行われた後、参加した郷土芸能全団体が演舞を披露した。唐丹町の各地区には神楽、虎舞、太鼓が継承され、同祭りには手踊りも加わる。各団体は久しぶりの祭りに躍動し、地域の元気を発信した。
 
 大石虎舞の小踊で同祭りに初めて参加した川村向葵さん(12)は「みんなで踊るのは楽しい。今日はお客さんがいっぱいで少し緊張した。今後は太鼓もやってみたい」と意欲をかきたてられた様子。同虎舞は震災後、郷土芸能をやりたいという唐丹中生の要望を受け、継続的に教えている。成果は文化祭で披露。大石町内会の畠山一信会長(76)は「指導が縁で、祭りの時には習った生徒らが応援メンバーとして駆け付けてくれる」と、地域を越えたつながりを喜ぶ。
 
気仙地方の系統をくむ大石虎舞。大きな頭と長い尾が特徴

気仙地方の系統をくむ大石虎舞。大きな頭と長い尾が特徴

 
 花露辺手踊り連は地元の花露辺海頭荒神太鼓とともに35人で参加。太鼓ばやしに合わせ2曲を踊った。今回は小学1年、幼児の参加が増えた。佐々木宏実代表(32)は「今の小学生は前回の祭りを知らない。一から教えるのが大変だったが、みんな頑張ってくれた」と喜ぶ。自身は結婚で移住。「学校も全面協力し、地域みんなでつくり上げる祭りはなかなかない。今日は唐丹町民全員がいるんじゃないかと思うぐらいの人出」と驚いた。
 
花露辺の手踊りは「花露辺海頭荒神太鼓」と一緒に参加。音楽にお囃子を乗せて2曲を踊った

花露辺の手踊りは「花露辺海頭荒神太鼓」と一緒に参加。音楽にお囃子を乗せて2曲を踊った

 
小白浜地区に伝わる「伊勢太神楽」。おかめの面を付けた女舞も

小白浜地区に伝わる「伊勢太神楽」。おかめの面を付けた女舞も

 
本郷の手踊りは内外にその名を知られる「桜舞太鼓」と。桜模様の長ばんてんで春満開

本郷の手踊りは内外にその名を知られる「桜舞太鼓」と。桜模様の長ばんてんで春満開

 
 川原清文大祭執行委員長(80)は「いざやろうとなれば、みんな一生懸命協力してくれる。祭りや伝統芸能は住民の絆、明日への希望にもつながっている」と意義を実感。一方で、少子高齢化、人口減少などで人員確保が難しくなっている側面もある。今回は、大名行列の2組、郷土芸能3団体が参加を見送った。「時代が変化する中、同じようにやろうとしても無理がある。多少、変化しながらでも継続していければ」と末永い継承を願った。
 
老若男女、幅広い世代が6年ぶりの祭りを楽しんだ

老若男女、幅広い世代が6年ぶりの祭りを楽しんだ

noukatsu01

書道で脳活 いきいき、ひらめき…生み出す キーワードは「発想の転換」 釜石で体験講座

釜石で開かれた「脳活書道」体験講座の参加者ら

釜石で開かれた「脳活書道」体験講座の参加者ら

 
 文字を書くこと、創ることを楽しむ「脳活書道」の体験講座が4月28日、釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。講師は、宮城県仙台市在住の書家で「釜石応援ふるさと大使」の支部蘭蹊(はせべらんけい=本名・一郎)さん(73)。トメ、ハネ、ハライといったルールを取り払い、書き順にもこだわらず、伸び伸び自由に文字を書いていく、ひと味違った書の楽しみ方を紹介した。
 
 脳活書道?…聞きなれない言葉だが、支部さんが主宰する仙台の教室ではすでに実践する試みだという。楽しみながら脳の認知機能低下を予防するのが“脳活”。特に、何かを創造したり、ひらめきが生まれたりする時に働くが、普段あまり使われていないともいわれる「右脳」を活性化させ、生き生きとした生活につなげてもらおうと取り入れている。「ものの考え方が変わった」などと参加する生徒らの反応は上々。高齢化が進む社会で「より元気に、楽しく過ごしてもらうように」と激励を込め、同じ手法を古里に持ち込んだ。
 
脳活書道のポイントなどを説明する支部蘭蹊さん(右)

脳活書道のポイントなどを説明する支部蘭蹊さん(右)

 
 キーワードは「発想の転換」。支部さんいわく「右脳への切り替えスイッチを入れること」で、いくつかのポイントがある。1つ目は文字の書き順を意識的に変えてみることで、「第1画目から書かない」のが前提。例えば「山」という字は、本来は2画目として書く「L」のような縦横の線から始め、3画目となるはずの右側の縦線を書いた後に、1画目だったはずの縦線をまん中に引いて仕上げるといった感じ。書き方は他に2パターンある。さらに、逆転のルールとして▽下→上▽右→左▽縦画から先に書く―という設定も。実際に書いてみると、整っているとは言えないが、個性的で味のある文字になっていた。
 
絵を描くような筆運びを習得中。思いのままに手を動かす

絵を描くような筆運びを習得中。思いのままに手を動かす

 
 書き順を変えて書いて「バラバラ」に仕上がった文字を、普通の書き順に戻してなぞるのが2つ目のポイント。筆の穂先を使った“ひと筆書き”で数回なぞって、柔らかい筆遣いのコツをつかんでもらう。他にも、▽縦長、横長に書いてみたり形を変化させる▽書くリズム、呼吸をつかむ▽立てたり寝かせたり筆先を変え、360度使う-といったものもあった。
 
支部さん(左)の指導を受けながら書道を体験する参加者

支部さん(左)の指導を受けながら書道を体験する参加者

 
 体験講座に参加した大只越町の芳賀憲一さん(76)は「書道は難しいと先入観があり、できるか不安だった。逆から書くのが面白く、入り込めた」と充実した表情。写真が趣味で、プリントしたものに支部さんが書をしたためてくれたことがあったというが、「今度は自分で気持ちを書き込みたい」とやる気になった。「筆を持つのは久しぶり。楽しかった」という声も聞かれた。
 
 硬い、敷居が高いとのイメージがあるのか書道人口は減少傾向で、最近はパソコンなどで文章を仕上げることから文字を書く回数も減っていると、支部さんは残念がる。ただ、人には言葉の文化があり、「素直に書いたら面白い世界がある。脳を生き生きさせるイメージで書道に親しんでほしい」と考えてきた。
 
書き順にこだわらない「発想の転換」を実演

書き順にこだわらない「発想の転換」を実演

 
自由で味わい深い文字を躍らせる支部さん(右)

自由で味わい深い文字を躍らせる支部さん(右)

 
 支部さんは「戸惑いもあったと思うが、一つの世界に決めるのではなく、いろいろな切り口があることに気づいてもらえたら」と期待する。文字の形や意味を知る基本(知力)を確認しながら、逆転の発想(ひらめき)で応用(創造)し、つづられた言葉は「感性がにじむ普段着の文字」と力説。脳活書道で「自分にしか書けない線を楽しみましょう」と呼びかけた。
 
 体験講座(参加費あり)は、7月まで月1回実施する予定。次回は5月26日(日)。会場は同じくTETTOで、午前10時半~2時間程度。筆や墨、半紙など道具は準備しており、手ぶらでの参加にも対応する。

route45_01

三陸沿岸つなぐブラスの響き 27年で一区切り 釜石で締めくくる「ルート45港町コンサート」

第22回ルート45港町コンサート~音楽と心でつなぐ三陸道~

第22回ルート45港町コンサート~音楽と心でつなぐ三陸道~

 
 岩手、宮城両県の三陸沿岸5市で活動する市民吹奏楽団が続けてきた「ルート45港町コンサート」が4月21日、釜石市民ホールTETTOで最後の演奏会を迎えた。仙台-八戸間の高速道路早期完成を願い、1997年から各地持ち回りで開催されてきたが、2021年12月の「三陸沿岸道路」全線開通を受け、「一区切りに」と幕を下ろすことになった。最終公演は演奏会がスタートした釜石市が会場となり、約600人の聴衆が有終の美を飾る大演奏に感動と感謝の拍手を送った。
 
 新型コロナウイルス感染症の影響で20年から休止を余儀なくされたため、本公演は5年ぶり。東日本大震災による2年間の休止もあり、通算22回目の開催となった。1部はアンサンブルステージで幕開け。トランペット、フルート、クラリネット、サクソフォンの4楽器を担当するメンバーが、それぞれ10~16人編成で1曲ずつ演奏。各楽器の特色が感じられる演奏に聴衆が聞き入った。
 
トランペット(上)、フルート(下)のアンサンブルステージ

トランペット(上)、フルート(下)のアンサンブルステージ

 
クラリネット(上)、サクソフォン(下)のアンサンブルステージ

クラリネット(上)、サクソフォン(下)のアンサンブルステージ

 
 続いては初の試み、参加5団体を南北のチームに分けて送る合同ステージ。北は宮古と釜石のメンバーで「ハリウッド万歳」、「魔女の宅急便」Highlights(ハイライツ)を、南は大船渡、陸前高田、気仙沼のメンバーで「すずめの戸締まり」コレクション、「ルパン三世メドレー」を演奏。話題となった映画や幅広い世代に愛されるアニメの曲で楽しませた。
 
北チーム(宮古吹奏楽団、釜石市民吹奏楽団)のステージ

北チーム(宮古吹奏楽団、釜石市民吹奏楽団)のステージ

 
route45_05
 
南チーム(ぷなと音楽団、陸前高田市民吹奏楽団、気仙沼市民吹奏楽団)のステージ

南チーム(ぷなと音楽団、陸前高田市民吹奏楽団、気仙沼市民吹奏楽団)のステージ

 
route45_07
 
 休憩をはさんだ2部は5団体の合同ステージ。総勢約120人で「ジュビリー序曲」、「風紋」、バレエ音楽「火の鳥」と、吹奏楽演奏の醍醐味(だいごみ)を存分に感じられる大曲で聴衆を魅了した。27年の歴史を重ねてきた“三陸ブラス魂”のこもった演奏に惜しみない拍手が送られ、鳴りやまない拍手にさらに2曲で応えた。
 
5団体合同のステージは圧巻の迫力!聴衆は素晴らしい演奏に聞きほれた

5団体合同のステージは圧巻の迫力!聴衆は素晴らしい演奏に聞きほれた

 
route45_09
 
アンコールは団員らの心の歌「港町ブルース」と、「オーメンズ・オブ・ラブ」を演奏

アンコールは団員らの心の歌「港町ブルース」と、「オーメンズ・オブ・ラブ」を演奏

 
 陸前高田市の臺和敬さん、美穂さん(ともに38)夫妻は高校2年の娘が出演する同演奏会に初めて足を運んだ。「最後と聞いて寂しい思い。沿岸の吹奏楽がこんなに盛んだったとは。子どもたちのためにも何らかの形で復活してくれるといい」と期待。自身も市民吹奏楽団で活動するという花巻市の女性2人(30、40代)は「内陸でもあれだけの規模(120人)の演奏はなかなか聞けない。2回の全体練習で仕上げたとは驚き。勢いも感じたし、何より皆さんが楽しそうに演奏していて、終わってしまうのはもったいない」と惜しんだ。紫波町の村上正勝さん(65)は親戚の釜石団員の応援も兼ねて鑑賞。「大震災もあったが、沿岸の団員の方々が心を一つに頑張ってきたからこそ、あのような素晴らしい演奏ができたのだと思う。皆さんの強い思いも伝わってきた。感動の一言です」と演奏の余韻に浸った。
 
スタート時を知る団員がコンサートの経緯を話す場面も

スタート時を知る団員がコンサートの経緯を話す場面も

 
 同演奏会は1997年、釜石市民吹奏楽団(市吹)、気仙沼市吹、宮古吹奏楽団の3団体でスタート。森進一の名曲「港町ブルース」や沿線の国道45号にちなんだ名称を掲げ、持ち回り開催してきた。2008年には大船渡市のぷなと音楽団が仲間入り。11年の震災津波で団員や演奏会場としてきた2市のホールが被災し存続が危ぶまれたが、13年から再び回を重ね、19年には陸前高田市吹の加入で5団体にまで輪が広がった。その後、前例のない世界的な感染症の流行で、吹奏楽活動そのものが難しい事態に。地域をまたいでの活動もしばらく控えざるを得ない状況が続いた。
 
 「道路と共に音楽で三陸沿岸をつなげよう―」。開始当初からの思いはおおむね達成されたと、一区切りを決めた演奏会。1回目から参加してきた気仙沼市吹の畠山広成団長(52)は「この演奏会の歴史とともに自分自身も育ててもらった。最初はライバル心もあったが、互いの団を行き来し気心が知れてくると調和が生まれ、演奏も回を重ねるごとにいいものになってきた。信頼関係を築けたことが一番の財産」と振り返る。
 
5団体を代表し、釜石市吹の山内真紀人団長(中央)があいさつ。支えてくれた人たちへ感謝の気持ちを伝えた

5団体を代表し、釜石市吹の山内真紀人団長(中央)があいさつ。支えてくれた人たちへ感謝の気持ちを伝えた

 
 釜石市吹の山内真紀人団長(50)は「この取り組みを機に団同士の交流が深まり、互いの演奏会に賛助出演し合う関係ができたことも大きい。他の団体と一緒にやることで成長につながった若手も」と成果を実感。「これで終わりではない。つながった縁を糧に、各団体がさらに地元に寄り添いながら地域を盛り上げる活動を続けていく。いつかまた、みんなで集まって演奏会ができるように…」と、団員らの思いを代弁した。
 
「27年間ありがとう!」万感の思いで最後のステージを締めくくる団員ら。客席からも感謝とねぎらいの拍手が続いた

「27年間ありがとう!」万感の思いで最後のステージを締めくくる団員ら。客席からも感謝とねぎらいの拍手が続いた

talk01

釜石出身 中川大介さん 自然再生、父・故淳さんの思い…自著で伝える 古里で出版記念トーク

中川大介さんトークライブ=14日、桑畑書店

中川大介さんトークライブ=14日、桑畑書店

 
 釜石市平田出身で北海道函館市在住のライター中川大介さん(61)が14日、古里釜石でトークイベントを行った。中川さんの父淳さんは、たたら製鉄研究、東日本大震災後の復興プロジェクトや桜植樹など多彩な活動で地域に貢献した方で、昨年10月に函館市で逝去(享年90)。中川さんは「父が愛した桜の季節に地元で…」と13日、淳さんのお別れ会を釜石市民ホールTETTOで開いた。トークイベントは大町の桑畑書店(桑畑眞一社長)が同会に合わせて企画した。
 
 中川さんは記者として30年勤務した北海道新聞社を2年前に退職。自身が取材活動で関わった河川環境の再生、父淳さんが震災後、地元紙の復興釜石新聞に寄せたコラム「足音」を基に、人間は自然とどう向き合うべきかを記した著書「水辺の小さな自然再生」(一般社団法人農山漁村文化協会刊)を昨年12月に出版した。
 
河川環境再生の取材や父淳さん(右下写真)が寄稿したコラムを基に執筆した本を紹介する中川大介さん。「環の中に生きる」は自費出版

河川環境再生の取材や父淳さん(右下写真)が寄稿したコラムを基に執筆した本を紹介する中川大介さん。「環の中に生きる」は自費出版

 
 記者時代、農漁業や環境保全などの取材を数多く手がけた中川さんは、現場で目にした3面をコンクリートで固められた川(水路)に疑問を感じた。後に北海道東部の3河川で、魚が遡上できる「魚道」作りを取材。流域の住民が自ら立ち上がり、自己調達できる資金規模、多様な主体の参画・協働で取り組む再生活動に感銘を受けた。中でも驚いたのは河川コンサルタントが提唱した「壊れながら機能する魚道」という概念。補修を繰り返すことが住民の継続的な関心へとつながっていくという。
 
 「技術の進歩は人間が自然に関わる機会を減らし、地域の絆の希薄化、自然を見る目を失うことにもなった」と中川さん。自然災害が多発する昨今。「人間の力には限界がある。自然に逆らわない、自然のしくみに折り合うような技術を考えていかねばならない時代にきている。そのヒントが小さな自然再生の中にあるのでは」と話す。
 
北海道の河川での魚道作りは映像を見せながら説明した

北海道の河川での魚道作りは映像を見せながら説明した

 
 中川さんの父淳さんは元中学校技術科教員。「鉄のまち釜石」の教育の一環で、伝統的な「たたら製鉄」の技法を実践。艦砲射撃体験記録の掘り起しや平和運動にも取り組んだ。2011年の震災津波で平田の自宅は全壊。苦難を経験しながら平田地区復興プロジェクト委員長、釜石に桜を植える会会長として古里再生に力を尽くした。17年に病のため、長男大介さんが暮らす函館に転居。闘病中だった昨年10月、急逝した。
 
 中川さんは「父が生きてきた足跡は自分にとっても大きなもの。人と技術、人と自然などを考える上でも重要なヒント」と話す。この日は、震災から1年後に淳さんが新聞に寄稿した桜のコラムを紹介。これを機に桜を植える会が立ち上がり、市内に1000本以上の桜が植えられたことなどを伝えた。「古里の風景をつくる上で、その土地に住む者が関わっていくことはとても大事。風景とはそこに立つ人間が五感で感じるもの。人が重ねてきた記憶がその空間の中に蓄積されている」とも。自身の原風景である平田の山の景色を思い浮かべ、人と自然のつながりの深さを示した。
 
復興釜石新聞連載「足音」から抜粋した中川淳さんのコラム集。13日のお別れ会で配られた

復興釜石新聞連載「足音」から抜粋した中川淳さんのコラム集。13日のお別れ会で配られた

 
 前日の淳さんのお別れ会には生前、関わりのあった市民や教え子ら約90人が出席。淳さんの功績を示す新聞記事や写真、出演番組などを見ながら思い出を語り合ったという。
 
 トークイベントに足を運んだ同市の佐々木久美子さん(61)は「震災の津波で何もかも失ってしまった感があったが、それだけではなく再生への新たな芽も生まれていたことに改めて気づかされた。中川先生(淳さん)の桜を再生させようという取り組みもその一つ」と復興のシンボルにもなった活動に感謝を込めた。
 
約1時間のトークの後はサイン会も行われた

約1時間のトークの後はサイン会も行われた

 
自著を手に笑顔を見せる中川さん。書店の桑畑眞一社長(左)、出版元・農文協の篠田将汰さん(右)と

自著を手に笑顔を見せる中川さん。書店の桑畑眞一社長(左)、出版元・農文協の篠田将汰さん(右)と

shogi01

世代超え盤上で深める交流 将棋・釜石市長杯争奪大会 小山怜央四段の直筆色紙 初登場で白熱

世代を超え勝負!盤上での交流を楽しむ将棋大会の参加者

世代を超え勝負!盤上での交流を楽しむ将棋大会の参加者

 
 日本将棋連盟釜石支部(土橋吉孝支部長)主催の世代間交流将棋大会は14日、釜石市上中島町の中妻公民館で開かれた。市長杯をかけ熱い戦いを繰り広げて6回目となる今回、地元出身のプロ棋士・小山怜央四段(30)の名を冠した大会に進化。2つの栄冠を狙って小学4年生~86歳まで、県内外の愛好者48人が盤上で真剣勝負を展開した。
 
 団体戦に16チーム(各3人)が出場。世代を超えて臨む対局はスイス式トーナメント戦4局を行って、勝ち点を競う。棋力に応じて駒落ちハンディ(最高6枚落ち)をつけたり、対局時計の使用に不慣れな人に配慮(数回、大目に見るなど)したり、大会独自のルールを用意する。
 
市長杯のトロフィー、小山怜央四段の色紙を狙って将棋愛好者が集う

市長杯のトロフィー、小山怜央四段の色紙を狙って将棋愛好者が集う

 
 準備を整え、「お願いします」とあいさつして対局開始。真剣な表情で盤面に向かい、パチ、パチ…と駒を打つ音を重ねた。それぞれ持ち時間は15分で、切れたら一手30秒で指す決まり。「う~ん」と頭を悩ませながら、「そうか!」「…失敗したぞ」と思わず声を出してしまったり、戦いは白熱した。勝敗に関わらず「ありがとう」で締めくくり。対局を振り返り、「こんな手、考え方もあるのか」などと棋力を磨き合った。
 
集中力がキラリ!真剣な表情で盤面を見つめる小学生

集中力がキラリ!真剣な表情で盤面を見つめる小学生

 
静かなる熱戦を展開!ベテランたちも負けずに指す

静かなる熱戦を展開!ベテランたちも負けずに指す

 
 柔道に打ち込む仲間とチームを組んで初めて参加した釜石の中学生、山﨑一心さん(14)は「将棋は遊びでやっていた。いい勉強になって楽しかった」と笑った。第1局は2枚落ちのハンディをもらい、地元のベテラン澤田秀人さん(82)に挑んだが敗戦。「ちょっと悔しい。対戦する機会があれば、今度は勝ちたい」と再戦を心待ちにした。
 
 対する澤田さんは「駒落ちはゆるくない(容易ではない、大変だといった意味の方言)。押され気味で、何とか勝たせてもらった感じだな。あと一年もすれば、もっと強くなる」と激励を込めた。この大会には小山四段も過去に出場し、その時に指した経験は思い出として残る。「諦めがつく気持ちになるほど、すごかった」と肌で感じた強さを思い浮かべ、ニヤリと笑う。若手の成長を見るのは喜びで、大会での交流を楽しみにする。対局は体力勝負でもあり、終わった後はどっと疲れもくるが、「一つでも多くいろんな人と対戦したい」とやる気は若者にも負けない。
 
小山四段の対局を横目に自身の戦いに挑む出場者

小山四段の対局を横目に自身の戦いに挑む出場者

 
 この日は、第74回NHK杯テレビ将棋トーナメントに挑んでいる小山四段の1回戦(第2局)の放送日。交流大会の参加者は第1局を終えると、会場に用意されたテレビやスクリーンに映し出された対局の様子を見守った。「私は岩手出身で初の棋士。予選を通過して本戦に臨む際、作戦を練ってきました」とコメントを残していた後手番の小山四段は、大石直嗣七段(34)に110手で勝利。「よし!」と、会場から拍手が沸き起こった。その流れを受け、参加者たちは気合を入れて午後の対局に臨んだ。
 
対局の合間には大人も子どももテレビ画面にくぎ付け

対局の合間には大人も子どももテレビ画面にくぎ付け

 
 年配者と子どもが向かい合って将棋を指す。そんな光景を「原風景」と表現していたのは仙台市から初参戦した菅原歩さん(52)=東北大学大学院経済学研究科准教授。年齢、段や級の棋力差に関わらず勝負の面白さを感じながら多くの人と交流できる環境をつくるこの交流大会は「幸福感をもたらしてくれる。この素晴らしい光景が小山四段という存在を生む背景になったのだろう」と感慨にふけった。
 
 陸前高田市出身の菅原さんは、中学時代に「全国選抜将棋選手権大会で優勝」との経歴を持つ。高校卒業後は学業や仕事に専念し、5年ほど前から「観る将」(将棋を観て楽しむファン)として楽しんできた。大会参加は35年ぶり。以前から親交がある土橋支部長(68)から声がかかり、夢中で盤面に向かっていた頃の“師匠”栗林長悦さん、小林秀雄さん(いずれも奥州市)とともに戦いに臨んだ。「勝ち負けより楽しむ。ミスせず、悔いのないよう戦いたい」と話していたが、チームは見事に優勝。個人では全勝賞も手にした。「心地よい緊張感、集中できる時間」を楽しんだ様子。この原風景が続くことを望み、「また参加したい」と笑顔を残した。
 
優勝した「歩君とその師匠たち」チーム。中央が菅原歩さん(写真・土橋支部長提供)

優勝した「歩君とその師匠たち」チーム。中央が菅原歩さん(写真・土橋支部長提供)

 
 今回、敢闘賞を用意。勝ち越したり、懸命に取り組んだ若手を中心に選出し、小山四段が揮ごうした力強い筆致の色紙を贈った。参加者の戦いぶりに見入っていた小野共市長は「苦難を乗り越え、当初の目的を達した小山さんの努力、生き方に心を動かされる」と話し、活躍が岩手の将棋界にもたらす影響を改めて感じたようだった。
 
 将棋人口の底辺拡大や普及を目的に交流大会を続ける土橋支部長は「昔なじみの顔ぶれ、若手、初心者が集まる場」をうれしそうに見つめる。この日、小山四段は天童市で指導対局の仕事があり大会には顔を出せなかったが、テレビ放送で雄姿を披露。「怜央効果だな。頑張っている姿を見れば、みんな応援したいし、自分もやるぞと意欲も高まる。励まし、励まされる、そんな交流の輪を広げていきたい」とさらに目尻を下げた。
 
「来年もまた」。釜石市長と小山四段の名を冠した大会は続く

「来年もまた」。釜石市長と小山四段の名を冠した大会は続く

 
◇団体戦順位①歩君とその師匠たち(小林秀雄さん、菅原歩さん、栗林長悦さん)②遠野支部(新沼光幸さん、松田吉輝さん、萩野良三さん)③久慈支部B(笹原賢二さん、中川原将洋さん、中川原達哉さん)
 
◇個人全勝賞/菅原さん(歩君とその師匠たち)、新沼さん(遠野支部)、畠山和人さん(稜平と小田代兄弟)、刈谷瑞明さん(正棋会C)、小笠原拓宏さん(将棋教室)

kaigaten03

身近な風物 独自の感性で グループ名新たに再出発 「釜石絵画クラブ」作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

  
 昨年6月に改名し新たなスタートを切った釜石市の絵画愛好者グループ「釜石絵画クラブ」の作品展が5~7日に大町の市民ホールTETTOで開かれた。全会員13人と講師1人が、この1年間に仕上げた作品を中心に84点を展示。転機を力に会員たちは創作意欲を高めており、「継続」という共通目標に向かって共に歴史をつなぐ。
 
お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

 
 市の社会教育講座「市民絵画教室」として1978年度にスタートした同クラブ。講座は3年間で終了したが、継続を希望する市民らによって自主活動グループに移行し、教室の名を継いで学習を続けた。作品発表やスケッチ旅行なども行い、活発に活動。当初は夜間に開かれ、多い時には子どもや社会人、高齢者まで80人近くが参加した。近年は会員が十数人で、平均年齢も少しずつ高くなり、昼間の活動に変更。現在は60~90代のメンバーが月に2回、隔週水曜日に集う。
 
 昨年の展示会後、会員の高齢化もあって“解散状態”になりかけた。そんな時、市の講座時代から講師を続ける菊池政時さんが「会の名前を変えてスタートしてみたら」と提案。2011年の展示会は会期中に東日本大震災が発生して作品が津波にのまれたが、負けじと翌年には活動を再開させた。そんな「伝統ある会を維持したい」という会員の思いは強く、「釜石絵画クラブ」として再出発を決めた。
 
1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

 
 年一度の作品展「わたくしたちの絵画展」は名前を変えず継続し、今回で43回目を数える。市内の海景や街並み、庭先を彩る植物、自画像など身近な生活の一部をテーマに独自の感性で描いた作品が目立った。画材は油彩、水彩、アクリル、パステル、色鉛筆などさまざま。他グループで活動している人など絵画に親しむ仲間が3人増え、新たな彩りも加わった。
 
釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

 
大型の作品をじっくりと見入る来場者

大型の作品をじっくりと見入る来場者

 
 改名に合わせ、会長に就任した小田島ヨシ子さん(82)は、植物を題材にした油彩画など7点を並べた。「朝顔」は、きれいに花開いてくれた喜びを込めた一枚。自宅で育てる朝顔はここ数年、シカの食害に遭っていたといい、「本当にきれいに咲いた。新たなスタートを後押ししてくれているよう」と頬を緩めた。創作活動は苦労もあるというが、何もかも忘れて没頭できる時間や作品として仕上がった時の達成感、見てもらえるうれしさが「たまらない」。出歩くと、いつの間にか目線は画題探しになり、「描きたい気持ちが膨らむ。今、描けることが一番の幸せ」と意欲は衰えない。
 
絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

 
 新生グループは、再来年の45回展に向け気持ちを高める。これまで会に名を連ねた人や転居して遠方で暮らす人たちの作品も集めて展示しようと計画中。小田島さんは「同じ目標に向かって盛り上がっている。楽しみにしてほしい」と腕をまくった。