ラグビーのまち釜石

 

日本のラグビー史にその名を残す新日鐵釜石ラグビー部

 

ラグビーのまち釜石

 

釜石市が「ラグビーのまち」として広く認知されたのは、1980年代初めの頃。全国に名を轟かせた、新日本製鐵釜石製鉄所ラグビー部、通称『新日鐵釜石ラグビー部』の存在に由来しています。

 

ラグビー日本一を決定する「日本ラグビーフットボール選手権大会」において、1979年から1985年にかけ7連覇という偉業を成し遂げ、その圧倒的な強さから「北の鉄人」と呼ばれました。

 

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新日鐵釜石ラグビー部の歴史を振り返ると、ラグビー日本代表に名を連ねた選手が多数在籍しましたが、最初からスター選手揃いだった訳ではありません。チームは主に、地元である東北・北海道の高卒選手を迎え入れ、基礎から鍛え上げるという育成方針を掲げていました。また、当時の企業チームにプロ契約の選手制度はなく、選手は皆、仕事とラグビーを両立させていました。

 

ある選手は後にこう言いました。「仕事で重い物を運ぶの事も、体を鍛える為の練習の一環だと思って働きました」。東北出身者らしい生真面目さが伺えるエピソードです。

 

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当時、日本ラグビーフットボール選手権大会の決勝戦が行われるのは、毎年1月15日と決まっていました。前日の夜に釜石市から応援バスが何台も出発して夜通し走り、試合会場である東京・国立競技場を目指しました。6万人の観客で満員に埋め尽くされたスタンドでは、「大漁旗」(別名:フライキ・・・漁船が港に戻る時に大漁を知らせる為に掲げたカラフルな旗)が何十本も振られ、選手にエールを送りました。この応援スタイルは、釜石ラグビー名物となり、今でも受け継がれています。

 

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日本一となったチームは、子供からお年寄りまでたくさんの市民に囲まれながら、市内中心部から新日本製鐵釜石製鐵所前まで凱旋パレードをするのが恒例で、日本一を町全体で喜び合いました。偉業を成し遂げた選手達は「V7戦士」と呼ばれ、釜石市民にとって誇りであり、憧れの存在となりました。

 

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【インタビュー】
V7戦士〜石山次郎 氏

 

しかし、7連覇後の1985年からチームの成績は低迷していきます。1993年以降は、下部リーグとの入替戦で何とか踏みとどまる成績が続きましたが、2000年入替戦に敗れ、ついに下部リーグへ降格してしまいます。

 

それは奇しくも、新日本製鐵が社内運動部の強化を抑制する方針を決定した時期と重なり、企業チームであるが故の苦悩でもありました。

 

「ラグビーのまち」の歴史は途絶えるのか?
そんな不安の声も聞こえましたが、新たに地域型クラブチームとして再出発します。新しいチームの名称は一般公募され“釜石シーウェイブスRFC”となりました。そして現在まで、「釜石ラグビー」の伝統と誇りが脈々と受け継がれています。

 

【インタビュー】
伝統と誇りを受け継いで〜桜庭吉彦 氏

 

「北の鉄人」たちの誇りを受け継ぐ 釜石シーウェイブスRFC

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2000年、新日本製鐵釜石製鉄所ラグビー部は、クラブチーム「釜石シーウェイブスRFC」として再出発することになりました。釜石シーウェイブスRFC公式サイトでは、チームについて次のように紹介されています。

 

~「北の鉄人」たちの誇りを受け継ぎ、ラグビーに寄せる熱き思いを秘めたラガー達は、21世紀の幕開けと共に釜石シーウェイブスRFCというクラブチームとして2001年4月25日に設立し、スタートしました~
~釜石、岩手、そして東北のスポーツ振興と普及に貢献し、地域に根付いたクラブ作りを目標としております~

 

チームが受け継いだのは「北の鉄人」たちの誇りだけではありません。“釜石ラグビー”を愛する人達の存在です。

 

「釜石ラグビー」のサポーター・ファンは、今や全国各地にたくさんいます。どの試合会場にも大勢のファンが詰めかけ、アウェイの会場をホームの雰囲気に変えてしまうほどの声援を送り、“フライキ”を振る光景は昔と変わりません。

 

対戦相手は口々に言います。「釜石の応援はすごいです。正直戦いにくいです。でも、あんな風に応援してもらえるのは羨ましいですね」
また、釜石シーウェイブスRFCの選手たちは言います。「釜石のサポーター、ファンの皆さんの応援は日本一です!」と。

 

そんな熱い応援を受けながら、上位リーグへの昇格を目指していたチームが設立10周年を迎えようとしていた矢先の2011年3月11日、東日本大震災による津波が釜石市を襲いました。例年ならば、春シーズンへ向けて練習を重ねる時期でしたが、チームは一時活動休止に陥ります。

 

甚大な被害の中、選手たちは、全国から届く物資の搬入などのボランティア活動に率先して参加しました。「重い物なら任せて下さい!」と、軽々と荷物を運ぶ選手たちの姿を見て励まされる方々も多かったといいます。

 

こんなエピソードも残っています。当時チームに在籍していた、キャプテンPita Alatini(元ニュージランド代表)とScott Fardy(元オーストラリア代表、ラグビーワールドカップ2015出場)は、帰国を促す為に釜石までやって来た大使館員を返し、自ら釜石に残る決断をしたのです。

 

チームの仲間、たくさんのファン、そして釜石の街を愛してくれた彼らは、釜石を第2の故郷と呼び、折に触れて想いを寄せてくれています。

 

【インタビュー】
震災を乗り越えて〜 佐伯悠 氏

 

トップリーグ昇格を目指して

 

現在、釜石シーウェイブスRFCは「ジャパンラグビートップチャレンジリーグ」に参加しています。このリーグは、日本ラグビーの最高峰「ジャパンラグビートップリーグ」の下位リーグにあたり、ここから悲願である“トップリーグ”昇格を目指しています。

 

チームは2018年4月25日でクラブ結成17周年を迎えます。
 
「もう一度、優勝パレードを釜石で」。
チームもサポーターも想いは一つ、夢を諦めることはありません。チャレンジは今も続いています。