佐伯悠さんインタビュー
佐伯悠さん プロフィール
1985年生まれ。関東学院大学卒業後、釜石シーウェイブスRFCに入部。ポジションはフランカー。2011年から2013年シーズンまでキャプテンを務める。現在はコーチ兼任。
釜石ラグビーとの出会い
小学校5年生の時に父親の勧めでラグビースクールに入ると、すぐにラグビーの魅力に取りつかれました。始めた頃に感じた、「ラグビーって楽しい!ラグビーが大好き!」という気持ちのまま、今日まで選手を続けています。
1985年生まれの私にとって、青春時代のラグビーヒーローと言えば、ちょうど高校生の頃に7年連続日本選手権優勝を達成した“神戸製鋼ラグビー部”でした。なので、当時の私にとって“V7と言えば、“釜石”よりも“神戸”でした。
関東学院大学の時、“釜石ラグビー”に関する忘れられない思い出があります。
大学日本一2連覇中の大学4年生の時、釜石チームが横浜に来て交流試合をすることになりました。チームマネージャーをしていた私は、釜石チームの宿泊施設の手配を任され、駅の近くの少し良いビジネスホテルを押さえて監督に報告したところ、とてつもなく怒られたのです。
「釜石さんがはるばるここまで来てくれるのに、何を考えているんだ!!」と。
慌てて一流ホテルの予約を取り直しました。当時の私は、何となく“毎年交流がある”くらいの認識しかなくて詳しく知らなかったのですが、関東学院大学ラグビー部がまだ弱かった頃、釜石が胸を貸し、チームの強化に惜しみない協力をしてくれたのだそうです。「その時の大変な恩がある。だから、今度はこちらが恩返しをする時なんだ」と。この時に、私の中で釜石がとても印象的なチームになりました。
そして翌年、再び縁が繋がります。7人制の大会が釜石で開催され、私も参加させて頂いたのです。
その際に「釜石に来ないか?」とお誘いを頂きました。でもまだその時は「縁もゆかりもない場所だし・・・」と決めきれずに帰りました。
すると翌日、当時のヘッドコーチの池村さんが大学まで直接私を訪ねて下さいました。そこで、「クラブチームがリーグ優勝、そして日本一になったらラグビー界がひっくり返る。一緒にチャレンジしないか?」という言葉を頂きました。
そのお話しを聞いた時、とてもワクワクしました。面白い体験が出来そうだと。なので、心を決めた後は、知らない場所に行って仕事をしながらラグビーをする事にも不安はありませんでした。
今もそうですが、仕事もきちんとやりながら大好きなラグビーが出来る恵まれた環境に、とても感謝しています。
東日本大震災津波発災 その時…
入部4年目となる2011年に、東日本大震災が起きました。釜石市の中心市街地にある職場は津波で被災しましたが、私は高台に避難して助かりました。避難した高台から釜石の街を飲み込む津波を見た時、「もう釜石の街はだめかもしれない…」と感じました。
チームの拠点がある地域には津波は来ませんでしたが、ライフラインは途絶えていたので、クラブハウスに選手や家族がみんなで身を寄せ、しばらく共同生活することになりました。震災の翌日は、選手、スタッフの安否確認だけで1日が過ぎて行きました。
2日目に入り、「情報も無い。とにかく一度、街の方へ行ってみよう。」と言い出したのは、外国人選手たちでした。「途中、困っている人たちがいたら何か手伝えるかもしれないから…」そう言って、徒歩で街まで向かいました。そして、悲痛な表情で帰って来たのです。「街は本当に大変な状況になっている…」と。
報告を聞いた後、「何かボランティア活動が出来ないだろうか?」ということになり、「チームには力のある若い男たちがたくさんいます。何かお手伝い出来ませんか?」と色々な所へ声をかけました。
病院では、ベッドや酸素ボンベを上階から下階まで降ろしたり、支援物資が集まり始めると、物資の搬入・搬出などの現場にも行きました。
時間の経過と共に、ボランティアのニーズもだんだんと変わっていきました。
ある時には、運動不足になっている子供たちをチームの本拠地に招待して、グラウンドで遊び、クラブハウスのお風呂に入り、ご飯を食べて…と、子供たちのケアのような事もさせて頂きましたが、子供たちが楽しんでくれている様子を見て、私たちも元気をもらいました。
そんな中、街へ出てボランティア活動をしている時、市民の皆さんから「ラグビーはどうするんだ?やらないのか?」と声を掛けられました。
「わからないです・・・今はまだ、ラグビーどころじゃないと思うので・・・」と答えると、「いや、こんな時だからシーウェイブスがラグビーやってくれ!それが今の私たちの励みになるから!」と言われました。
その言葉を頂いて、「そうか、私たちに出来る事、私たちだから出来る事、それはやっぱりラグビーなんだ!それが今の釜石にとって、何かしらの貢献になるのなら…」と、考えが変わりました。
それでも、まだそのシーズンにラグビーが出来るかどうかは分かりませんでした。
ようやく4月に入ってから、当時ゼネラルマネージャーだった高橋善幸さんから、「5月からチームの活動を再開出来るようになる」と伝えられた時は、心からほっとしました。やはり不安だらけでしたから。
そして、チームが再始動すると、新たにサポーターになって下さる方がとても増えました。義援金もたくさん届けて頂きました。皆さんのサポートが本当にありがたかったです。
あの年に心から感じたのが、私たちがやりたいと思っていてもそれだけではラグビーは出来ないんだという事です。やりたくても出来ない環境に一度身を置いたことで、その事を痛感しました。
そして、私たちを温かく応援してくれる皆さんの為にも、もっと強くなって勝たなくてはならない、と改めて思いました。それは私だけでなく、他のメンバーからも強く伝わってきました。
避難生活を共にすることで生まれた結束に、強い想いが重なって、チームは更に一つになっていきました。
このシーズン、私はキャプテンを務める事になるのですが、実は前年のシーズン終了時に一度打診を受けた際にお断りしていたのです。と言うのも、前年にキャプテンを務めていたのは、元オールブラックスのPita Alatini選手でした。ラグビー選手としても、人間としても本当に素晴らしい彼の後に、キャプテンをするなど到底出来ないと思ったのです。
でも、このような状況になり、4月の時点では気持ちは固まってました。再びお話を頂いた時には、「ぜひ、やらせて下さい」とお受けしました。
しかし、それまでのラグビー人生の中でキャプテンを務めた事など一度もなかったので、正直、何をどうすればいいのかが分かりませんでした。でもやっぱり、ラグビーは一生懸命やっていればそれが周りに伝わるスポーツだと思っていますから、とにかく一生懸命に、キャプテンだからと自分を取り繕ったりせず、自分をさらけ出して気持ちでぶつかっていきました。
選手一人一人もそれぞれが一生懸命にやってくれましたので、キャプテンの私が何か特別な事をしなくても、チームをまとめる事に苦労した覚えはありません。チームメイトに助けられました。
また、考えることも多かった年でした。しっかりとした自分の考えを持とう。「ここでラグビーをする事の意味。どんなチームでありたいのか。」と、自分に問いかけ続けました。それが結果的にとても自分の為になりましたし、チームとしても財産になったと思います。
あのシーズンは、今思い出しても何もかもが特別で、ラグビー出来る事への感謝、そしてラグビーの楽しさを改めて感じた1年でした。
届かなかった“あと1歩”
2017年、チームは新設された「ジャパンラグビートップチャレンジリーグ」のステージで戦うことになりました。結果は、8チーム中7位と厳しい船出となりました。
あと一歩の所で負けてしまった試合が多かったのですが、その“あと一歩”が結果的に大きな差になってしまいました。その差は何なのか。悲願であるトップリーグ昇格の為には、選手一人ひとりがその答えを見つけることが必要です。
個人的には、「釜石ラグビーの文化」について選手が同じ思いを持ち、そこに対するリスペクトが十分に出来ていなかったのではないかという思いがあります。長くチームに在籍している自分の役割として、その部分を後輩に伝えられなかった事を悔やんでいます。
重ねて、私たちが今いる環境は当たり前のものではなく、自分たちだけではラグビーは出来ない、裏方のスタッフやスポンサー企業、そしてサポーターやファンの皆さん、たくさんの方々に支えられてようやくラグビーが出来ているということを、震災当時を知らない若い世代の後輩たちにも伝えていくのが私の役目だと思っています。
ラグビーワールドカップ釜石開催 私たちが出来る事
岩手県のチームとして、地域の皆さんにラグビーの楽しさや魅力を伝える役目があると思います。それにはまず、“自分たちが強いチームになること”。それが皆さんに分かり易く伝える一番の手段だと思います。
他にも、ラグビーに興味を持ってもらえるように、私たちに出来る事はたくさんあるはずです。
県内の小中学校にを訪問し、タグラグビー教室などに参加させて頂いているのもその一つです。子供たちが楕円のボールに触れる良い機会ですし、プロ選手や外国人選手に会って一緒に遊ぶ事も素晴らしい体験になると思います。実際にラグビーへの入り口にもなります。
そして個人的には、もっと市民の皆さんと交流をしたいという気持ちも持っています。もっと近い存在になりたいです。
ラグビーワールドカップが釜石で開催される事には、シンプルに大興奮しています!楽しみで仕方ないです。何としても試合を観戦したい、ぜひその場に居たいです。地元開催は間違いなく一生に一度のことですから!
観て頂ければ存分に楽しさが伝わるスポーツだと思うので、どうすればたくさんの皆さんに足を運んでもらえるか、その為にどうしたらいいのか、僕も日々考えています。
なので、今年は正念場だと思います。私たちが強いチームになって、上位リーグに昇格したら話題になるでしょう。
ワールドカップにも興味を持ってくれる人も増えるかもしれない。そう思って戦うことは、チームを更に強くし、“あと一歩”の壁を乗り越える原動力になると思うのです。
ラグビー界全体としてもそうです。2019年の大会開催後も見据えて考えて行かなければいけない。開催後に何も残らないという事になったら、最前線で体を張る日本代表の選手達に顔向けが出来ません。
開催後に何を残せるかが大切だと思います。未来に繋げて行くためにも。