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釜石出身 中川大介さん 自然再生、父・故淳さんの思い…自著で伝える 古里で出版記念トーク

中川大介さんトークライブ=14日、桑畑書店

中川大介さんトークライブ=14日、桑畑書店

 
 釜石市平田出身で北海道函館市在住のライター中川大介さん(61)が14日、古里釜石でトークイベントを行った。中川さんの父淳さんは、たたら製鉄研究、東日本大震災後の復興プロジェクトや桜植樹など多彩な活動で地域に貢献した方で、昨年10月に函館市で逝去(享年90)。中川さんは「父が愛した桜の季節に地元で…」と13日、淳さんのお別れ会を釜石市民ホールTETTOで開いた。トークイベントは大町の桑畑書店(桑畑眞一社長)が同会に合わせて企画した。
 
 中川さんは記者として30年勤務した北海道新聞社を2年前に退職。自身が取材活動で関わった河川環境の再生、父淳さんが震災後、地元紙の復興釜石新聞に寄せたコラム「足音」を基に、人間は自然とどう向き合うべきかを記した著書「水辺の小さな自然再生」(一般社団法人農山漁村文化協会刊)を昨年12月に出版した。
 
河川環境再生の取材や父淳さん(右下写真)が寄稿したコラムを基に執筆した本を紹介する中川大介さん。「環の中に生きる」は自費出版

河川環境再生の取材や父淳さん(右下写真)が寄稿したコラムを基に執筆した本を紹介する中川大介さん。「環の中に生きる」は自費出版

 
 記者時代、農漁業や環境保全などの取材を数多く手がけた中川さんは、現場で目にした3面をコンクリートで固められた川(水路)に疑問を感じた。後に北海道東部の3河川で、魚が遡上できる「魚道」作りを取材。流域の住民が自ら立ち上がり、自己調達できる資金規模、多様な主体の参画・協働で取り組む再生活動に感銘を受けた。中でも驚いたのは河川コンサルタントが提唱した「壊れながら機能する魚道」という概念。補修を繰り返すことが住民の継続的な関心へとつながっていくという。
 
 「技術の進歩は人間が自然に関わる機会を減らし、地域の絆の希薄化、自然を見る目を失うことにもなった」と中川さん。自然災害が多発する昨今。「人間の力には限界がある。自然に逆らわない、自然のしくみに折り合うような技術を考えていかねばならない時代にきている。そのヒントが小さな自然再生の中にあるのでは」と話す。
 
北海道の河川での魚道作りは映像を見せながら説明した

北海道の河川での魚道作りは映像を見せながら説明した

 
 中川さんの父淳さんは元中学校技術科教員。「鉄のまち釜石」の教育の一環で、伝統的な「たたら製鉄」の技法を実践。艦砲射撃体験記録の掘り起しや平和運動にも取り組んだ。2011年の震災津波で平田の自宅は全壊。苦難を経験しながら平田地区復興プロジェクト委員長、釜石に桜を植える会会長として古里再生に力を尽くした。17年に病のため、長男大介さんが暮らす函館に転居。闘病中だった昨年10月、急逝した。
 
 中川さんは「父が生きてきた足跡は自分にとっても大きなもの。人と技術、人と自然などを考える上でも重要なヒント」と話す。この日は、震災から1年後に淳さんが新聞に寄稿した桜のコラムを紹介。これを機に桜を植える会が立ち上がり、市内に1000本以上の桜が植えられたことなどを伝えた。「古里の風景をつくる上で、その土地に住む者が関わっていくことはとても大事。風景とはそこに立つ人間が五感で感じるもの。人が重ねてきた記憶がその空間の中に蓄積されている」とも。自身の原風景である平田の山の景色を思い浮かべ、人と自然のつながりの深さを示した。
 
復興釜石新聞連載「足音」から抜粋した中川淳さんのコラム集。13日のお別れ会で配られた

復興釜石新聞連載「足音」から抜粋した中川淳さんのコラム集。13日のお別れ会で配られた

 
 前日の淳さんのお別れ会には生前、関わりのあった市民や教え子ら約90人が出席。淳さんの功績を示す新聞記事や写真、出演番組などを見ながら思い出を語り合ったという。
 
 トークイベントに足を運んだ同市の佐々木久美子さん(61)は「震災の津波で何もかも失ってしまった感があったが、それだけではなく再生への新たな芽も生まれていたことに改めて気づかされた。中川先生(淳さん)の桜を再生させようという取り組みもその一つ」と復興のシンボルにもなった活動に感謝を込めた。
 
約1時間のトークの後はサイン会も行われた

約1時間のトークの後はサイン会も行われた

 
自著を手に笑顔を見せる中川さん。書店の桑畑眞一社長(左)、出版元・農文協の篠田将汰さん(右)と

自著を手に笑顔を見せる中川さん。書店の桑畑眞一社長(左)、出版元・農文協の篠田将汰さん(右)と

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世代超え盤上で深める交流 将棋・釜石市長杯争奪大会 小山怜央四段の直筆色紙 初登場で白熱

世代を超え勝負!盤上での交流を楽しむ将棋大会の参加者

世代を超え勝負!盤上での交流を楽しむ将棋大会の参加者

 
 日本将棋連盟釜石支部(土橋吉孝支部長)主催の世代間交流将棋大会は14日、釜石市上中島町の中妻公民館で開かれた。市長杯をかけ熱い戦いを繰り広げて6回目となる今回、地元出身のプロ棋士・小山怜央四段(30)の名を冠した大会に進化。2つの栄冠を狙って小学4年生~86歳まで、県内外の愛好者48人が盤上で真剣勝負を展開した。
 
 団体戦に16チーム(各3人)が出場。世代を超えて臨む対局はスイス式トーナメント戦4局を行って、勝ち点を競う。棋力に応じて駒落ちハンディ(最高6枚落ち)をつけたり、対局時計の使用に不慣れな人に配慮(数回、大目に見るなど)したり、大会独自のルールを用意する。
 
市長杯のトロフィー、小山怜央四段の色紙を狙って将棋愛好者が集う

市長杯のトロフィー、小山怜央四段の色紙を狙って将棋愛好者が集う

 
 準備を整え、「お願いします」とあいさつして対局開始。真剣な表情で盤面に向かい、パチ、パチ…と駒を打つ音を重ねた。それぞれ持ち時間は15分で、切れたら一手30秒で指す決まり。「う~ん」と頭を悩ませながら、「そうか!」「…失敗したぞ」と思わず声を出してしまったり、戦いは白熱した。勝敗に関わらず「ありがとう」で締めくくり。対局を振り返り、「こんな手、考え方もあるのか」などと棋力を磨き合った。
 
集中力がキラリ!真剣な表情で盤面を見つめる小学生

集中力がキラリ!真剣な表情で盤面を見つめる小学生

 
静かなる熱戦を展開!ベテランたちも負けずに指す

静かなる熱戦を展開!ベテランたちも負けずに指す

 
 柔道に打ち込む仲間とチームを組んで初めて参加した釜石の中学生、山﨑一心さん(14)は「将棋は遊びでやっていた。いい勉強になって楽しかった」と笑った。第1局は2枚落ちのハンディをもらい、地元のベテラン澤田秀人さん(82)に挑んだが敗戦。「ちょっと悔しい。対戦する機会があれば、今度は勝ちたい」と再戦を心待ちにした。
 
 対する澤田さんは「駒落ちはゆるくない(容易ではない、大変だといった意味の方言)。押され気味で、何とか勝たせてもらった感じだな。あと一年もすれば、もっと強くなる」と激励を込めた。この大会には小山四段も過去に出場し、その時に指した経験は思い出として残る。「諦めがつく気持ちになるほど、すごかった」と肌で感じた強さを思い浮かべ、ニヤリと笑う。若手の成長を見るのは喜びで、大会での交流を楽しみにする。対局は体力勝負でもあり、終わった後はどっと疲れもくるが、「一つでも多くいろんな人と対戦したい」とやる気は若者にも負けない。
 
小山四段の対局を横目に自身の戦いに挑む出場者

小山四段の対局を横目に自身の戦いに挑む出場者

 
 この日は、第74回NHK杯テレビ将棋トーナメントに挑んでいる小山四段の1回戦(第2局)の放送日。交流大会の参加者は第1局を終えると、会場に用意されたテレビやスクリーンに映し出された対局の様子を見守った。「私は岩手出身で初の棋士。予選を通過して本戦に臨む際、作戦を練ってきました」とコメントを残していた後手番の小山四段は、大石直嗣七段(34)に110手で勝利。「よし!」と、会場から拍手が沸き起こった。その流れを受け、参加者たちは気合を入れて午後の対局に臨んだ。
 
対局の合間には大人も子どももテレビ画面にくぎ付け

対局の合間には大人も子どももテレビ画面にくぎ付け

 
 年配者と子どもが向かい合って将棋を指す。そんな光景を「原風景」と表現していたのは仙台市から初参戦した菅原歩さん(52)=東北大学大学院経済学研究科准教授。年齢、段や級の棋力差に関わらず勝負の面白さを感じながら多くの人と交流できる環境をつくるこの交流大会は「幸福感をもたらしてくれる。この素晴らしい光景が小山四段という存在を生む背景になったのだろう」と感慨にふけった。
 
 陸前高田市出身の菅原さんは、中学時代に「全国選抜将棋選手権大会で優勝」との経歴を持つ。高校卒業後は学業や仕事に専念し、5年ほど前から「観る将」(将棋を観て楽しむファン)として楽しんできた。大会参加は35年ぶり。以前から親交がある土橋支部長(68)から声がかかり、夢中で盤面に向かっていた頃の“師匠”栗林長悦さん、小林秀雄さん(いずれも奥州市)とともに戦いに臨んだ。「勝ち負けより楽しむ。ミスせず、悔いのないよう戦いたい」と話していたが、チームは見事に優勝。個人では全勝賞も手にした。「心地よい緊張感、集中できる時間」を楽しんだ様子。この原風景が続くことを望み、「また参加したい」と笑顔を残した。
 
優勝した「歩君とその師匠たち」チーム。中央が菅原歩さん(写真・土橋支部長提供)

優勝した「歩君とその師匠たち」チーム。中央が菅原歩さん(写真・土橋支部長提供)

 
 今回、敢闘賞を用意。勝ち越したり、懸命に取り組んだ若手を中心に選出し、小山四段が揮ごうした力強い筆致の色紙を贈った。参加者の戦いぶりに見入っていた小野共市長は「苦難を乗り越え、当初の目的を達した小山さんの努力、生き方に心を動かされる」と話し、活躍が岩手の将棋界にもたらす影響を改めて感じたようだった。
 
 将棋人口の底辺拡大や普及を目的に交流大会を続ける土橋支部長は「昔なじみの顔ぶれ、若手、初心者が集まる場」をうれしそうに見つめる。この日、小山四段は天童市で指導対局の仕事があり大会には顔を出せなかったが、テレビ放送で雄姿を披露。「怜央効果だな。頑張っている姿を見れば、みんな応援したいし、自分もやるぞと意欲も高まる。励まし、励まされる、そんな交流の輪を広げていきたい」とさらに目尻を下げた。
 
「来年もまた」。釜石市長と小山四段の名を冠した大会は続く

「来年もまた」。釜石市長と小山四段の名を冠した大会は続く

 
◇団体戦順位①歩君とその師匠たち(小林秀雄さん、菅原歩さん、栗林長悦さん)②遠野支部(新沼光幸さん、松田吉輝さん、萩野良三さん)③久慈支部B(笹原賢二さん、中川原将洋さん、中川原達哉さん)
 
◇個人全勝賞/菅原さん(歩君とその師匠たち)、新沼さん(遠野支部)、畠山和人さん(稜平と小田代兄弟)、刈谷瑞明さん(正棋会C)、小笠原拓宏さん(将棋教室)

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身近な風物 独自の感性で グループ名新たに再出発 「釜石絵画クラブ」作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

  
 昨年6月に改名し新たなスタートを切った釜石市の絵画愛好者グループ「釜石絵画クラブ」の作品展が5~7日に大町の市民ホールTETTOで開かれた。全会員13人と講師1人が、この1年間に仕上げた作品を中心に84点を展示。転機を力に会員たちは創作意欲を高めており、「継続」という共通目標に向かって共に歴史をつなぐ。
 
お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

 
 市の社会教育講座「市民絵画教室」として1978年度にスタートした同クラブ。講座は3年間で終了したが、継続を希望する市民らによって自主活動グループに移行し、教室の名を継いで学習を続けた。作品発表やスケッチ旅行なども行い、活発に活動。当初は夜間に開かれ、多い時には子どもや社会人、高齢者まで80人近くが参加した。近年は会員が十数人で、平均年齢も少しずつ高くなり、昼間の活動に変更。現在は60~90代のメンバーが月に2回、隔週水曜日に集う。
 
 昨年の展示会後、会員の高齢化もあって“解散状態”になりかけた。そんな時、市の講座時代から講師を続ける菊池政時さんが「会の名前を変えてスタートしてみたら」と提案。2011年の展示会は会期中に東日本大震災が発生して作品が津波にのまれたが、負けじと翌年には活動を再開させた。そんな「伝統ある会を維持したい」という会員の思いは強く、「釜石絵画クラブ」として再出発を決めた。
 
1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

 
 年一度の作品展「わたくしたちの絵画展」は名前を変えず継続し、今回で43回目を数える。市内の海景や街並み、庭先を彩る植物、自画像など身近な生活の一部をテーマに独自の感性で描いた作品が目立った。画材は油彩、水彩、アクリル、パステル、色鉛筆などさまざま。他グループで活動している人など絵画に親しむ仲間が3人増え、新たな彩りも加わった。
 
釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

 
大型の作品をじっくりと見入る来場者

大型の作品をじっくりと見入る来場者

 
 改名に合わせ、会長に就任した小田島ヨシ子さん(82)は、植物を題材にした油彩画など7点を並べた。「朝顔」は、きれいに花開いてくれた喜びを込めた一枚。自宅で育てる朝顔はここ数年、シカの食害に遭っていたといい、「本当にきれいに咲いた。新たなスタートを後押ししてくれているよう」と頬を緩めた。創作活動は苦労もあるというが、何もかも忘れて没頭できる時間や作品として仕上がった時の達成感、見てもらえるうれしさが「たまらない」。出歩くと、いつの間にか目線は画題探しになり、「描きたい気持ちが膨らむ。今、描けることが一番の幸せ」と意欲は衰えない。
 
絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

 
 新生グループは、再来年の45回展に向け気持ちを高める。これまで会に名を連ねた人や転居して遠方で暮らす人たちの作品も集めて展示しようと計画中。小田島さんは「同じ目標に向かって盛り上がっている。楽しみにしてほしい」と腕をまくった。

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釜石で専門学校、開校! 国際外語大学校が入学式 1期生「地元で学べる意義を実感」

釜石市国際外語大学校の開校・入学式

釜石市国際外語大学校の開校・入学式

 
 外国語や観光マネジメントなどを学べる専門学校「釜石市国際外語大学校」が5日、鈴子町に開校した。学校法人龍澤学館(盛岡市)が運営し、新規高卒者向けの外語観光学科(2年制)と、留学生を受け入れる日本語学科(1年半と2年制)の2学科(いずれも定員は1学年40人)を設置。外語観光学科が先駆けて始動し、同日、入学式が行われた。岩手県沿岸地域の高校生らの進学先として選択肢を増やし、若者の居住や定着で地域活性化が期待されたが、入学者は1人。厳しいスタートとなった。一方の日本語学科は法的手続きが遅れていたが、3月末に正式に開設が決定。1年半コースの10月開始に向け、準備を進める。
 
開校した釜石市国際外語大学校の校舎

開校した釜石市国際外語大学校の校舎

 
 開校・入学式には関係者ら約30人が出席。同法人の龍澤尚孝理事長が開校を宣言し、「10月には留学生も入学してくる。10代、20代の学生が集うことで、まちが明るくにぎやかになるだろう。多文化共生社会をつくっていければ。さまざまあるプログラムを存分に利用して学び、釜石を引っぱる人材になってほしい」とあいさつした。
 
入学式であいさつする龍澤尚孝理事長(左写真)、式辞を述べる竹内新也校長

入学式であいさつする龍澤尚孝理事長(左写真)、式辞を述べる竹内新也校長

 
 式辞に立った竹内新也校長は「入学者の確保という点で課題を抱えたまま、この日を迎えた。我々の力不足で残念」と厳しい状況を認識する。だからこそ、「第1期生を迎えられたことに大変感動している。ようこそ!」と喜びもひとしお。常勤する7人の講師や学校スタッフに、非常勤講師らも加わりサポート体制を整えていることを伝え、「学び成長する、ときに失敗もするだろうが、その一歩一歩が本校の歴史の1ページとなる。得がたい経験をエンジョイして。未来志向でポジティブに前に進んでいこう」とエールを送った。
 
 1期生となる新入生は「地元に残るのにためらいがなかったわけではない。外の世界を見たいという気持ちもあったが、学びたいこと、やりたいことを地元でできることに大きな意義を感じている。外国人留学生の仲間が間もなく入ってくる。釜石を好きになってもらえるよう積極的にコミュニケーションをとっていきたい。将来、自分の力で地域に恩返ししていけるよう、まい進する」と、ハキハキとした声で思いを伝えた。
 
新入生が宣誓。龍澤学館の関係者らが拍手を送って歓迎した

新入生が宣誓。龍澤学館の関係者らが拍手を送って歓迎した

 
 釜石市の小野共市長が祝辞を述べ、「若い世代の定着、地域や世界で活躍する人材の育成につながる新たな学びの場の開設は市が目指す持続可能なまちづくりに呼応する」と強調した。市は、同法人と東日本大震災後の2012年に復興支援協定、21年には専門学校の開校を柱とする連携協定を締結。市教育センター(5階建て)を約3億6000万円かけて改修し学校として無償貸与しており、今後も協力関係を維持する考えを示した。
 
校舎は改修された市教育センターを使用する

校舎は改修された市教育センターを使用する

 
式後、新入生に常駐する教職員らが紹介された

式後、新入生に常駐する教職員らが紹介された

 
 外語観光学科は昨年9月に設置認可を受け、同10月に学生の募集を始めた。大半の高校生は進路を決めた後だったこともあり、入学者の確保に苦戦。同校は今月いっぱい入学者を募る。高卒程度の資格があれば年齢に制限はなく受験が可能。20日にはオープンキャンパスを予定する。
 
 日本語学科には現時点でネパールから20人超が入学を希望しているという。留学生を受け入れるには、日本語教育機関として国に告示(認可)されなければならないが、受け入れの手続きや体制が整っていないなどを理由に再審査が必要となり、開校が遅れていた。
 
 問い合わせは同校(0193・27・7202)へ。

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卒業、新たな門出 歌声で後押し ノイホフ・クワィアー(釜石) 歴史つなぐ演奏会

心を一つに歌声を響かせる団員、ワークショップ参加者ら

心を一つに歌声を響かせる団員、ワークショップ参加者ら

 
 釜石市の「親と子の合唱団ノイホフ・クワィアー」(小澤一郎代表)のファミリーコンサートは17日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。145回目となる演奏会のテーマは「卒業に寄せて」。この春、旅立ちを迎える18歳の団員は思い出や未来への期待を歌声にのせた。歌う楽しさを体感してもらおうと実施したワークショップの参加者4人も加わり、成果を披露。多彩な声の重なりで観客ら約100人に感動を届けた。
 
 同団は今年で創立47年となる。演奏会は3部構成で、「東洋のひびき・西洋のひびき」と題した1部には高校3年生~70代までの団員、他地域から駆け付けたメンバーら11人が出演。創立者の故渡辺顕麿さん(宝樹寺元住職)をしのんでグレゴリオ聖歌や典礼聖歌、仏教賛歌など8曲を厳かに響かせた。
 
そろいの衣装で美しいハーモニーを聞かせた1部のステージ

そろいの衣装で美しいハーモニーを聞かせた1部のステージ

 
 2部は出会いと別れの季節にちなみ、卒業ソングや新たな門出の背中を押すような言葉が続く8曲を披露。「涙そうそう」「栄光の架橋」では約1カ月のワークショップを経た4人もステージに立った。小学校卒業の思い出にと参加した石田啓将君(12)と鈴木一惺君(11)は、同団の歌声に爽やかさを上乗せ。「緊張したけど楽しかった。心を一つにして歌えた」と満足感たっぷりの笑顔を見せた。
 
2部では卒業や門出を迎えた人へエールを送る歌声を聴かせた

2部では卒業や門出を迎えた人へエールを送る歌声を聴かせた

 
ワークショップ参加者も堂々とステージに立って声を合わせた

ワークショップ参加者も堂々とステージに立って声を合わせた

 
 3部のテーマは映画音楽。「エデンの東」「駅馬車」「チキチキバンバン」など同団で歌い継いできた8曲を、元気な振り付けを加えながら聞かせた。踊りながら歌うパフォーマンスを「これぞ、ノイホフ」と楽しんだのは中妻町の70代夫婦。子どもが同団出身だったこともあり、長く見守ってきた。「歌声がきれいだった」「あんなにたくさんの曲の歌詞を覚えているのがすごい」と感心。この歴史がつながるのを期待していた。
 
3部は振り付けも交えて歌ってノイホフらしいステージに

3部は振り付けも交えて歌ってノイホフらしいステージに

 
楽しいステージに観客は手拍子して盛り上げた

楽しいステージに観客は手拍子して盛り上げた

 
 アンコールで2曲披露した後には、この春に釜石を離れる団員の“卒業式”を催した。同団の子どもたちは「釜石ノイホフ少年少女合唱隊」としても活動するが、高校卒業と同時に卒隊となる。今年は、ただ一人の高校生メンバーだった千代川陽琉さん(18)がその時を迎えた。小学3年の時から約10年、大好きな音楽に触れる中でたくさんの人と出会い、さまざまなことを学んだ。「あたたかい雰囲気で見守ってもらい、伸び伸びできた」と感謝。ノイホフでの経験や抱いた感情を生かす未来を思い描きながら新たな歩を踏み出す決意を、3部で歌った「My way」に込めた。
 
 「卒隊しても演奏会には歌いに来たい」と望む千代川陽琉さん(手前)

「卒隊しても演奏会には歌いに来たい」と望む千代川陽琉さん(手前)

 
ともに歌って楽しむことを体現する指揮者の小澤一郎代表

ともに歌って楽しむことを体現する指揮者の小澤一郎代表

 
 ここ数年、新型コロナウイルスの影響で少数の出演が続いた。今回はワークショップ参加者を加えた総勢15人で声を合わせる楽しさを共有。指揮する小澤代表(47)も心で歌いながら気持ちを分かち合った。自身も同団で子どもの頃から歌い、年代を超えた声の重なりの奥深さを体感。その経験を子どもたちに伝え、表現する機会をつくり出すのが役目と感じていて、「歌いたい人たちの受け皿として、これからも一歩ずつ活動を積み重ねていきたい」と歴史の継承へ思いを深めた。
 
 12月にはクリスマスコンサートを予定する。

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つなぐ「あの日」の記憶 釜石出身・2人の演劇人「忘れない」 震災題材の舞台2本立て上演

演劇で震災の記憶を伝える小笠原景子さん(左)、内沢雅彦さん

演劇で震災の記憶を伝える小笠原景子さん(左)、内沢雅彦さん

 
 東日本大震災の記憶をつなぐ舞台「あの3月11日を忘れない 一人の芝居」は8~10日、釜石市で上演された。地元の劇団もしょこむの小笠原景子さん(39)、東京の劇団黒テントの内沢雅彦さん(63)による一人芝居2演目。演劇という表現でつながる同郷の2人は、それぞれ地元ゆかりの作家が紡いだ物語やつづった言葉に思いをのせ発信した。毎年巡ってくる“あの日”をどのような日にするか。自らに問いかけ、感情をそっと抱きしめるように。観客と語り合う時間もあり、気持ちを重ねながら地域を見つめた。
 
 この公演は内沢さんが企画した。震災当時に「古里の力になれなかった」という思いを持っていたが、ある物語との出合いで「今こそ、演劇で」と背中を押され、あの日から12年となる昨年、古里公演を実現。「演じることで同郷の人、気持ちと向き合えた」と、今年も続けることにした。今回は、女性目線の震災も伝えようと、小笠原さんにオファー。会場は大只越町出身の内沢さんにとって「抱きしめたくなるような思い出が詰まった地」、青葉通り(大町)に古くからある2つの店を選んだ。
 
ジャズ喫茶タウンホールで朗読劇を披露する小笠原さん(右)

ジャズ喫茶タウンホールで朗読劇を披露する小笠原さん(右)

 
 昼、夜の部合わせて計5公演。小笠原さんは3公演を担当し、8日夜はジャズ喫茶タウンホールで約20人の観客に朗読劇「釜石の風」を届けた。原作(同名著書・コールサック社刊)は、釜石高の教諭だった照井翠さん(俳人)のエッセー。震災後に市内外の被災地を訪ね、見聞きしたこと、感じたことを記す。
 
「釜石の風」を上演する小笠原さん。言葉に感情をのせ伝える

「釜石の風」を上演する小笠原さん。言葉に感情をのせ伝える

 
 「被災地では、私達は三月を愛さないし、三月もまた私達を愛さない」。鵜住居地区防災センターの惨劇をつづったこの文章では深まる苦悩や絶望を色濃く映し出す。〽三・一一神はゐないかとても小さい――。「震災とは」という思索の中で「悲しみは薄まらないし、心の傷も癒えない」と気づかされる。
 
 だが、それだけではない。復興に向かうまちの様子、自然の営みといった希望も伝える。自然災害を「地球のリズム」と表し、太平洋戦争末期にまちを壊滅させた「釜石艦砲射撃」にも触れ、確信を込める。「幾多の悲劇を乗り越え、壊されても喪っても不死鳥のように蘇る釜石の人々。(中略)ここ釜石は、命の尊さを学び、平和を希求する者の聖地なのだ」
 
 小笠原さんは目の動きや表情、声の強弱で言葉に感情をのせた。ショパンの「雨だれ」を挿入歌として聴かせる演出も。短い文章の中に凝縮された思いに触れた観客は「震災を経験していないし、東京にいると、3・11に何か思うことはなかった。けど、いろんな感情を見せてもらった」「感情は人それぞれだが、次の悲劇が起こらないよう語り継いでいくべきだ」などと気持ちを吐き出した。
 
上演後には来場者と語り合って感情を共有、気づきを得た

上演後には来場者と語り合って感情を共有、気づきを得た

 
 「当事者がいる中で悲惨さだけを押し出したくない」と小笠原さん。この地に暮らす自身も当事者であって、今でも跡地を見たりするとフラッシュバックする。被災地で震災の記憶に触れて演じることに迷いはあるが、各地で自然災害が続く今、やはり伝えなければとも思う。「復興の過程という背中を見せていければ。移り変わる心も伝えられたら。それができるのが表現という方法の価値だと思う」と熱く語った。
 
観客でいっぱいの喫茶かりやで一人芝居を上演する内沢さん

観客でいっぱいの喫茶かりやで一人芝居を上演する内沢さん

 
 内沢さんが見せたのは、鵜住居町出身の小説家沢村鐵さんの短編「もう一人の私へ」を原作にした一人芝居。岩手県出身作家12人による震災をテーマにした短編小説集「あの日から」(岩手日報社刊)に収録されている。この作品が古里公演を決意させ、今年も演目は同じ。9日午後の喫茶かりやは、約40人の客でいっぱいになった。
 
 物語の主人公は、鵜住居町出身の作家。転機を求め郷里に戻った直後、まちは津波にのみ込まれた。偶然か、遠野市で暮らしていた母が亡くなり、葬儀のため鵜住居を離れていたことで命をつないだ。「砂漠のような」更地の光景が広がるまちで生活し続け4年。息子に手紙をしたため、そこにある思いを語りかける形で舞台は進む。
 
「もう一人の私へ」。同郷の表現者へ共感を込め演じる内沢さん

「もう一人の私へ」。同郷の表現者へ共感を込め演じる内沢さん

 
 「あの震災の記憶に触れるときに平静でなどいられない。脚色が不要どころか、悲惨すぎてぼかすことが必要な現実なのだから」「母が生きていれば自分は鵜住居にいて、津波にのまれたはず」「隣の宇宙では、海の底で死んでいる自分がいる」―。複雑な胸の内、あったかもしれない過去や並行世界(パラレルワールド)を思案しながら独白していく。
 
 小道具の手紙に書き込んだ文字を声にする。防災センターで多くの人が亡くなった。「到底『悲劇』では収まらない」。同じ町で小中学生が見せた避難行動に触れ、「この町の光と影は落差が大きすぎる。その光で影を吹き払うことはできない。あまりに濃い影だからだ」。目を赤らめ、言葉を詰まらせる内沢さん。観客の真剣なまなざしを受け、言葉を絞り出す。「奇跡も悲劇も要らなかった。できるだけたくさん生き残ってくれていたら…それでよかった」「便利で安易な言葉は本質を小さくしてしまう」。沢村さんがブログにつづった思いを紹介し、幕を閉じた。
 
上演後の触れ合いタイム。演者も来場者にも笑顔が広がる

上演後の触れ合いタイム。演者も来場者にも笑顔が広がる

 
 「災害を生き残った一人の小説家の曖昧ながらも生きていく姿勢が、震災後に『自分に何ができるか』と無力感に襲われた自分に重なった」と内沢さん。そして演じてみた。今も、これが何になるのだろうと思う時もある。「でもやるしか、語るしか、演じるしかない。毎年巡ってくる新たなその日、3月11日を古里の人たちと迎える場所ができたらいい。その日にだけ思い出すのでなく、その日に向けみんなで語り合う、そんな日になってゆくのでは」。来年もまた記憶を共有する空間をつくろうと動き出す。
 
小笠原さんと内沢さん「演劇を通じて感情を伝え合う時間を来年も」

小笠原さんと内沢さん「演劇を通じて感情を伝え合う時間を来年も」

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新たな魅力発信!釜石商工高 資格取得で快挙 「ジュニアマイスター」特別表彰3人

ジュニアマイスターに認定された釜石商工高電気電子科の3年生

ジュニアマイスターに認定された釜石商工高電気電子科の3年生

 
 釜石商工高(今野晋校長、生徒175人)の電気電子科3年生8人が、資格取得などを点数化して顕彰する「ジュニアマイスター」に認定され、そのうち3人が高度な資格取得で高得点を獲得し「特別表彰者」に輝いた。特別表彰者の誕生は同科では初めてで、生徒や教員らは喜びをかみ締めている。互いに励まし合って技術を磨いてきた3人は4月から、行政機関や電力会社などで社会インフラを支える技術者として働き始める。
 
 顕彰制度は全国工業高校長協会(東京)が実施。全国の工業系高校の生徒を対象に、在学中の活躍や身に付けた知識、技術、技能を評価する。取得資格や検定、競技会などの成績、難易度に応じた得点が加算され、上からゴールド(45点以上)、シルバー(44~30点)、ブロンズ(29~20点)の3種類があるほか、高難易度の資格を持ち、合計点数が60点以上の場合に特別表彰が贈られる。
 
 特別表彰を受けたのは、小野寺雄磨さん(72点、11資格)、久保琉唯さん(72点、10資格)、佐藤輝河さん(64点、8資格)。同科では資格取得に力を入れており、3人は難易度が高い電気工事士(1種)、電気工事施工監理技術検定(2級技師補)、電子機器組立て技能士(3級)などを取得した。
 
特別表彰を受けた(左から)佐藤輝河さん、小野寺雄磨さん、久保琉唯さん

特別表彰を受けた(左から)佐藤輝河さん、小野寺雄磨さん、久保琉唯さん

 
 小野寺さんは「持っておいて損はない」と1年時から積極的に資格取得に挑戦。「勉強は大変だった」が、指導する教員らが高度な技術、知識を教え、「背中を押し続けてくれたから」と感謝する。「応援の恩返しを」と選んだ道は岩手県職員。技術職(電気)での採用で、「電気の安全安心を守れるよう、日々の仕事を頑張る」と背筋を伸ばす。
 
 久保さんは、原子力発電の危険性や仕組みが気になり独自に調べているうちに電気に興味を持ち、同科に入学。資格をとるための勉強は苦にならなかった。ただ、実技が得意ではなく、図面通りの回路づくりなどは「かなり頑張って練習した」という。ものづくりにも関心があり、日本製鉄北日本製鉄所釜石地区への就職を決めた。
 
 佐藤さんも「不器用」だといい、細かな作業が多い実技では失敗することも。そんな時、励まし合える仲間の存在が力になり、「達成感がすごい」学校生活につながった。就職先は学びや資格を生かせると東北電力ネットワークを選択。「安定した送電で住民生活を支える」のを目標に、さらに資格取得にも励みたいと先を見据えた。
  
 学校統合により2009年に発足した同校は少子化で定員割れが続き、同科もその影響を受ける。普段の学びの成果を把握したり、就職活動に役立ててもらおうと、資格取得に力を入れ始めたのは2017年度から。2年後にジュニアマイスターの称号を得る生徒が生まれ、その後も在籍数は伸び悩んでいるが、資格取得率は上がっている。今年度、3年生は13人。初の快挙となった特別表彰獲得(3人も)のほか、ゴールドとシルバーが各2人、ブロンズに1人が認定された。1年ごとに認定の機会があり、13人全員が一度は何らかの称号を獲得している。
 
3年間学業に励んだ生徒と見守った小野寺一也教諭(後列右)

3年間学業に励んだ生徒と見守った小野寺一也教諭(後列右)

 
 生徒たちの努力が実ったことを喜ぶのは、同科長の小野寺一也教諭(55)。分野の異なる試験が同時期に重なり、並行して勉強する生徒もいた中で、「信じられないくらい頑張った。期待以上」と目を細める。「国家資格は一生もの。持つことで、できる仕事の幅も広がる」とした上で、卒業する13人に「これからも資格を取り続けるだろう。高い目標を持ち、勉強する癖を身に付けてほしい」とエール。残る下級生には「快挙」ではなく「継続」を望んでハッパをかける。指導教員や学校関係者は「釜石商工の新たな魅力になる。一人でも多くの中学生に興味を持ってもらえたら」と期待する。

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天明の大飢饉(ききん)苦悩、葛藤、命の大切さ描く 釜石市民劇場 栗林村舞台に創作劇

第37回釜石市民劇場 天明飢餓事変「栗林村 タエの物語」=TETTO

第37回釜石市民劇場 天明飢餓事変「栗林村 タエの物語」=TETTO

 
 第37回釜石市民劇場(同実行委主催)は2月23日、同市大町の市民ホールTETTOで上演された。1986年の初演以来、郷土の先人の活躍や困難に立ち向かう人々の姿を描き続ける市民劇。今作は1780年代(江戸時代中期)に全国を襲った「天明の大飢饉(ききん)」にスポットをあて、地元民も直面したであろう窮状を物語化。栗林村(現同市栗林町)を舞台に据えて創作した。同地は1853年の「三閉伊一揆」で農漁民を率いた三浦命助(1820-64)の出身地。冷害、不作、飢饉で苦しい生活を強いられた時代が劇で浮き彫りになった。
 
 天明飢餓事変「栗林村 タエの物語」―と題して公演。脚本は、同劇場6年ぶりの作品提供となる川端美津雄さん(釜石市)が手がけた。天明の大飢饉は冷害や火山噴火で農作物が育たず、深刻な食糧難、疫病の流行により、全国で90万人もの死者が出たとされる未曽有の大惨事。東北は特にも被害が大きかったという。釜石地方の被害が明確に分かる資料は残っていないが、その惨状は想像に難くない。
 
物語は江戸時代中期の栗林村を舞台にしたフィクション

物語は江戸時代中期の栗林村を舞台にしたフィクション

 
いたずらで困らせるも、村人からかわいがられる少女タエ(右)が主人公

いたずらで困らせるも、村人からかわいがられる少女タエ(右)が主人公

 
 フィクションで描いた劇は、栗林村に住む少女タエを主人公に展開する。幼くして両親を亡くしたタエは祖母と生活。猟師の叔父にも助けられ明るく元気に育つが、冷夏や降霜による大凶作で村の生活は一変。村人は種もみや家畜を食べ尽くし、草や木の皮まで食して飢えをしのぐが、状況はさらに悪化。餓死者があふれ、地獄のような惨状が広がった。自然の猛威を鎮めるため、村人たちは長老おババ(婆)が発した言い伝え「人身御供」を信じ、村の子ども(タエ)を差し出そうとする。一度は逃げたタエだが、「自分が犠牲にならなければ他の子どもたちが…」。再び村人の前に現れたタエは、自ら人柱になろうとする。
 
冷害による凶作で飢餓状態の村を救うため、長老おババ(右から3人目)にすがる村人たち

冷害による凶作で飢餓状態の村を救うため、長老おババ(右から3人目)にすがる村人たち

 
タエを犠牲にしようとする村人に必死に抵抗する祖母サツ(右から3人目)と猟師の叔父善蔵(同2人目)

タエを犠牲にしようとする村人に必死に抵抗する祖母サツ(右から3人目)と猟師の叔父善蔵(同2人目)

 
天の神を鎮める「人身御供」の言い伝えを村人に教えてしまったおババにも、体を気遣う優しさを見せるタエ

天の神を鎮める「人身御供」の言い伝えを村人に教えてしまったおババにも、体を気遣う優しさを見せるタエ

 
 キャストは小学生から70代まで13人。スタッフ約30人が舞台を支えた。昨年11月から稽古や舞台製作などを進め、迎えた本番。メンバーが総力を結集した演劇に幅広い世代が感動とともに見入った。午前と午後の2回公演に計約500人が来場した。
 
 主人公タエを演じたのは、同市の小学6年生川端俐湖さん(12)。同劇への出演は2回目で、「主役はまだ回ってこないだろうと油断していた」と笑うが、堂々たる演技で観客を物語の世界に引き込んだ。村人を思い、自ら犠牲になることを決断するシーンには涙する客も多数。タエが崖から身を投げるクライマックスでは「自分も感情移入しすぎて泣いてしまった」と役者魂を見せた。異常気象、大規模自然災害、戦禍…と不安要素を抱える現代。川端さんは「食糧難は条件がそろえば、いつどこでも起こりうることを覚えて帰ってほしい」とメッセージを残した。
 
飢えで子どもを亡くした母親がやり場のない悲しみをタエにぶつけようとする

飢えで子どもを亡くした母親がやり場のない悲しみをタエにぶつけようとする

 
タエは「他の子が犠牲になるのは嫌」と自分の命を差し出す覚悟を決める(写真上、左下)。身を投げたタエへの思いを叫ぶ(右下)

タエは「他の子が犠牲になるのは嫌」と自分の命を差し出す覚悟を決める(写真上、左下)。身を投げたタエへの思いを叫ぶ(右下)

 
 今回は5人が初出演。肝いりの娘のいいなずけ(婚約者)俣作役の佐々木進輔さん(31)は演劇自体も初挑戦で、「やってみれば面白いものですね。普段、関わることがないような若い人たちとも交流できた」と貴重な機会に感謝。転勤で釜石に来て3年。「地域の歴史とかを知れたのも意義深い。お客さんにも喜んでいただけたよう」と充実感をにじませた。この日は職場の仲間も観劇。佐々木さんの上司樋口健さん(46)は「勤務時とはまた違う姿が見られた。練習もかなり頑張っていたようだ」と称賛。飢饉をテーマとした劇に「今の生活と比べると想像を絶するが、過去に起きた惨事を忘れないことも大事」と心に刻んだ。
 
肝いりの娘ハナ(右)と婚約した俣作役を演じた佐々木進輔さん(左)

肝いりの娘ハナ(右)と婚約した俣作役を演じた佐々木進輔さん(左)

 
 劇の舞台となった栗林町に住む川崎通さん(67)は肝いり加平役で初出演。町内会に「ぜひ地元からも」と出演依頼があり、引き受けることになった。「一番苦労したのはセリフを覚えること。動作を付けて演じるのは難しい」と実感する。定年後は、釜石観光ガイド会に所属し、市内の史跡などを案内することも。地元には三閉伊一揆の指導者の一人、三浦命助の顕彰碑(1963年建立)や墓もある。「栗林といえば三浦命助だが、その活躍の70年前にも苦難に立ち向かった先人たちがいた。そういう歴史にスポットが当たったのは地元にとっても良かった」と話した。
 
地元栗林を舞台にした演劇に初挑戦!肝いり加平役の川崎通さん(右)

地元栗林を舞台にした演劇に初挑戦!肝いり加平役の川崎通さん(右)

 
カーテンコールであいさつするおババ役の岩鼻美奈子さん(前列左)とタエ役の川端俐湖さん(同右)。写真左上は脚本の川端美津雄さん

カーテンコールであいさつするおババ役の岩鼻美奈子さん(前列左)とタエ役の川端俐湖さん(同右)。写真左上は脚本の川端美津雄さん

 
キャストの熱演、スタッフの労をねぎらい大きな拍手を送る観客

キャストの熱演、スタッフの労をねぎらい大きな拍手を送る観客

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震災、コロナ乗り越え13回目「全国虎舞フェスティバル」 後継者育成へ初の体験会も

来場者の虎舞体験(写真右側)もあった第13回全国虎舞フェスティバル

来場者の虎舞体験(写真右側)もあった第13回全国虎舞フェスティバル

 
 第13回全国虎舞フェスティバル(釜石観光物産協会、釜石市主催)は25日、同市大町の市民ホールTETTOで開かれた。市内外の11団体が出演。伝統の演舞で観客を楽しませた。2020年以降、新型コロナウイルス感染症の影響で中止や延期、無観客での映像配信と足踏み状態が続いたが、今年ようやく通常開催に戻った。少子高齢化が進み、各団体の後継者不足が顕著になってくる中、担い手育成への第一歩にと初めて虎舞体験会も開かれた。
 
 同フェスは1992年の「三陸・海の博覧会」釜石会場(平田埋立地)で初開催後、2010年から年次事業として定着。東日本大震災があった11年も開催し、復興の歩みとともに回を重ねてきた。今回は市内の9団体のほか、大槌町、宮城県気仙沼市から各1団体が出演。地域で受け継がれる伝統の舞を一堂に披露し、楽しみに足を運んだ約1100人の観客を魅了した。
 
 釜石市内には沿岸、内陸部合わせ14の虎舞伝承団体があり、5団体(片岸、両石、錦町、尾崎町、鵜住居)が市の無形民俗文化財に指定されている。幼児施設や小学校、高校の活動にも虎舞が取り入れられていて市民に身近な芸能。今回のステージには幼児から高齢者まで幅広い年代のメンバーが集った。
 
釜石市の無形民俗文化財に指定されている「尾崎町虎舞」(尾崎青友会)

釜石市の無形民俗文化財に指定されている「尾崎町虎舞」(尾崎青友会)

 
釜石市内で唯一、白虎を使っている「只越虎舞」

釜石市内で唯一、白虎を使っている「只越虎舞」

 
 箱崎町白浜地区の「白浜虎舞」は総勢約20人で参加した。兄弟演舞を見せたのは阿部結耀君(9)と榮耀君(7)。2人とも物心つく前から虎舞に親しむ。虎頭を振った榮耀君は「ちょっとだけ立ちっぱなしになったところがあるので50点ぐらいかな」と自己評価。お囃子の太鼓もこなす結耀君は「これからもっと練習し、かっこ良く踊れるようになりたい」と意気込んだ。
 
 兄弟の父阿部駿さん(30)は昨年、白浜虎舞好友会の会長に就任。「地元の祭り以外に踊りを披露できる場があるのはありがたい。“全国”の冠がつくと発信力も高まる」と同フェス開催を歓迎する。継承の課題は他団体と同様、担い手不足。今は地元出身でも他地区に暮らすメンバーが多い。「人数はいても踊れる人が少ないのが現状。伝統を引き継いでいくには子どもたちの参加が欠かせない。小さいころから経験を積ませ、将来につなげていきたい」と望む。
 
白浜虎舞は1980年ごろ、鵜住居虎舞の指導を受けて発足。踊りでは子どもたちも躍動(右下)

白浜虎舞は1980年ごろ、鵜住居虎舞の指導を受けて発足。踊りでは子どもたちも躍動(右下)

 
 気仙沼市から参加した平磯芸能保存会(熊谷茂会長)は打囃と虎舞を伝承し、地域の祭りやイベント、商店の開店祝いなどで踊りを披露している。釜石の同フェス出演は震災後の2016年(会場:シープラザ遊)以来。今回は幼児から60代の30人が来釜した。大人数のお囃子は子どもたちが担当。虎は客席も回り、観客を喜ばせた。
 
 同会の芳賀孝司さん(54)は「虎舞の本場・釜石で一緒に出演できることをみんな楽しみにしてきた。子どもたちもいい刺激を受けている」と感謝。コロナ禍のここ数年は他地域に出向いての演舞の機会も減っていただけに貴重な機会を喜ぶ。過去に岩手方面から踊りを習い覚えた経緯もあり、「これからも虎舞を通じたつながりを大事にしていきたい」と交流の継続を願った。
 
宮城県気仙沼市から招かれた「平磯虎舞」(平磯芸能保存会)。2016年以来の釜石での演舞

宮城県気仙沼市から招かれた「平磯虎舞」(平磯芸能保存会)。2016年以来の釜石での演舞

 
太鼓のお囃子は子どもたちが中心。元気な掛け声とともに…

太鼓のお囃子は子どもたちが中心。元気な掛け声とともに…

 
観客は各団体の素晴らしい演舞に惜しみない拍手を送った

観客は各団体の素晴らしい演舞に惜しみない拍手を送った

 
 この日は終演後、初めての試みとなる虎舞体験会も開かれた。人口減や少子化で、伝承団体の地域内だけでは担い手確保が難しくなってきている現状を踏まえ、広く体験してもらうことで興味、関心喚起につながればと企画。釜石虎舞保存連合会(岩間久一会長)のメンバーらが希望者に虎頭や幕の操り方、太鼓のたたき方などを教えた。
 
釜石虎舞保存連合会の岩間久一会長が踊り方などを教えた

釜石虎舞保存連合会の岩間久一会長が踊り方などを教えた

 
 同市の鈴木仁丸君(5)は「踊るの、楽しかった。虎舞大好き。もっとやりたい」と目を輝かせた。母紗都子さん(45)によると、昨年の釜石まつりで初めて虎舞を見て大はまり。ユーチューブ動画で繰り返し見るほどお気に入りだという。同フェスにも初めて足を運んだ。複数の団体の競演に「それぞれにお囃子や踊り方が違うのを初めて知った。お囃子を聞くと心が躍る。すごくすてき」と紗都子さん。仁丸君が喜ぶ姿に笑顔を広げ、「本人が望んだら、ぜひやらせてあげたい」と親心をのぞかせた。
 
メンバーの手ほどきを受け太鼓をたたいてみる子ども

メンバーの手ほどきを受け太鼓をたたいてみる子ども

 
伝承団体の子どもメンバーも体験会をお手伝い。仲間が増えることを願って…

伝承団体の子どもメンバーも体験会をお手伝い。仲間が増えることを願って…

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劇団もしょこむ 2年ぶり釜石公演 橋野高炉跡を舞台に妖怪が!? 親子など約200人が楽しむ

劇団もしょこむ第7弾公演「橋野高炉跡あやかし野営場」=11日、TETTO

劇団もしょこむ第7弾公演「橋野高炉跡あやかし野営場」=11日、TETTO

 
 釜石市の劇団もしょこむ(小笠原景子代表、10人)は11、12の両日、大町の市民ホールTETTOで7作目の公演を行った。タイトルは「橋野高炉跡あやかし野営場」。世界遺産にもなった市民に身近な山あいの地を舞台に繰り広げられる妖怪たちの物語。釜石在住の高校生や社会人が演じる笑いあり、涙ありの劇を約200人(3公演計)が楽しみ、演者と観客が一体となる芝居空間にたくさんの笑顔を広げた。
 
 「もしょこむ」は東日本大震災後の2015年に旗上げ。被災地でも「やりたいことを形に」と地元在住の若者らが演劇活動を始め、今に至る。市内外で公演し、今回の釜石公演は約2年ぶり。旗揚げ公演で震災被災者の心情を描いた作品が注目を集めた劇作家のこむろこうじさん(葛巻町)が、9年ぶりに脚本を手掛けた。
 
演者が役名などを紹介したオープニング。上段左は脚本を手掛けたこむろこうじさん

演者が役名などを紹介したオープニング。上段左は脚本を手掛けたこむろこうじさん

 
 物語の舞台は橋野高炉跡。翌日に遠野で開催される「妖怪・おばけサミット」の参加者が隣町の同高炉跡野営場に宿泊中、訳ありの女子高生・妖子が訪ねてくる。身の上話を聞いた妖怪たちは「ここで働かせてほしい」と願う妖子を受け入れる。深夜、酒盛りを楽しむ妖怪たちのもとに駆け込んできたのは、遠野から命からがら逃げてきたというカッパ。サミット会場に鬼が現われ、集まっていた妖怪やおばけが全滅したと告げる。次第に「鬼がこの中にいる?」と疑心暗鬼になる妖怪たち。実は鬼の正体は…。
 
橋野高炉の石組みや宿泊用のカラフルなテントが配された舞台(上段)。野営場に現れた女子高生と妖怪たちが繰り広げる物語に観客も引き込まれる

橋野高炉の石組みや宿泊用のカラフルなテントが配された舞台(上段)。野営場に現れた女子高生と妖怪たちが繰り広げる物語に観客も引き込まれる

 
登場したのは(左から)天狗、枕返し、妖子、琵琶法師、トゥブアン(パプアニューギニアの部族に伝わる精霊)。他に河童(カッパ)、ダイダラボッチ(声の出演)も

登場したのは(左から)天狗、枕返し、妖子、琵琶法師、トゥブアン(パプアニューギニアの部族に伝わる精霊)。他に河童(カッパ)、ダイダラボッチ(声の出演)も

 
妖怪を取り込み鬼になった妖子(左)。出生の秘密、母の思いを知り、天に旅立つ

妖怪を取り込み鬼になった妖子(左)。出生の秘密、母の思いを知り、天に旅立つ

 
 出演者は10~50代の6人。昨年11月から稽古を重ね、本番を迎えた。それぞれの個性が光る役柄、演技で観客を楽しませ、地元ならではの会話、小道具の演出などで客席からは子どもたちを中心に笑い声も。ホールBを芝居小屋風に仕立てた会場は同団恒例のスタイルで、今回も観客との距離が近い臨場感あふれる空間を生み出した。
 
 同市の40代男性は「内容もよく考えて練られていて、面白く見させてもらった。団員の一生懸命な姿が印象的。市民に楽しみを提供してくれてありがたい」と満喫した様子。「学校の先生が出演している」と話す同市の皆川尚士君(10)は「先生、一番かっこいい。いつもと違った一面が見られて面白かった。またやってほしい」と願い、自身も演劇に興味を持ったよう。母智美さん(46)は「息子が来たいと言って初めて足を運んだが、とても魅力的。地元を題材に地元の人たちが演じているのがすてき」と親子で有意義な時間を過ごした。
 
初日の公演を終え、観客の拍手に応える団員ら(上)。夜の公演を約80人が楽しんだ

初日の公演を終え、観客の拍手に応える団員ら(上)。夜の公演を約80人が楽しんだ

 
 同団には、転勤や復興支援で移住した人たちも多く在籍してきた。今回、初出演となった三科宏輔さん(28)は神奈川県出身で、同市の地域おこし協力隊員として2022年に移住。「いろいろな方とつながり、初めてのことにも挑戦したい」という思いから、本作出演の誘いにも応じた。演劇自体も初挑戦だったが、「みんなで話し合いながら舞台を創り上げていく過程がすごく楽しくて。本番は緊張したが、お客さんの反応を見ながら演技する面白さも味わえた」と充実の表情。自身が暮らす橋野町が舞台ということもあり、「地域の方も出演を喜んでくれた。感想を聞くのが楽しみ」と声を弾ませた。
 
「天狗」役を演じた三科宏輔さん(左)。演劇初挑戦ながら堂々の演技で存在感を発揮 

「天狗」役を演じた三科宏輔さん(左)。演劇初挑戦ながら堂々の演技で存在感を発揮

 
 脚本を手がけたこむろさんは「メンバーがやりたいということをかなえた作品。今、この釜石で、このメンバーでやる意味、要素を入れ込んだ。コロナ禍も明け、生で見る良さも感じてもらえたかな」と手応えを実感。過去に釜石市民劇場でも3作を手掛け、釜石との縁が深い。同団の活動もずっと見守ってきたこむろさんは「人材育成や地域のネットワークづくりも念頭に、いい舞台を続けてくれている」と喜ぶ。
 
 小笠原代表(39)は久しぶりの“こむろ作品”に「自分たちで考える余地を残してくれて、私たちの声を柔軟に取り入れてくれた。メンバーの個性を生かした作品は演者の成功体験につながり、次回への向上心をかき立てる」と絶大な信頼を寄せる。今回は2日間で3公演を行った。地元での演劇の需要をあらためて実感し、「親子で見てくれた人たちが多くうれしい。演劇をやりたいと思ったら、すぐ手が届くようなまちが私たちの理想。将来、自分たちの劇団を作りたいという若い世代が出てくることを期待したい」と思いを述べた。
 
公演後、出口で観客に感謝の気持ちを伝える出演者ら。子どもたちはハイタッチでお別れ

公演後、出口で観客に感謝の気持ちを伝える出演者ら。子どもたちはハイタッチでお別れ

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小中学校規模、配置の適正化へ 釜石市教委 基本方針策定に向けた地域説明会開始 22日まで

小中学校の規模、配置の適正化基本方針へ住民の意見を聞いた地域説明会=中妻地区生活応援センター、15日

小中学校の規模、配置の適正化基本方針へ住民の意見を聞いた地域説明会=中妻地区生活応援センター、15日

 
 少子化の進行や人口減で、今後さらに児童生徒数の減少が見込まれる釜石市。市教育委員会(髙橋勝教育長)は子どもたちにとって望ましい教育環境を整備するため、小中学校の規模、配置の適正化を図る基本方針案をまとめた。15日から5中学校区の生活応援センターで、同案に対する住民の意見を聞く地域説明会が開かれている。市教委はパブリックコメントや保護者アンケートを含めた意見を参考に、本年度内の基本方針策定を目指す。
 
 市教委は児童生徒数の減少で学校の小規模校化が進む状況を踏まえ、2021年3月、釜石市学校規模適正化検討委員会(14人)を設置。学校、保護者、民間団体などから委嘱された委員が小中学生の教育環境をどう整えるべきか議論を重ね、22年11月、市教委に提言。これを受け、市立小・中の学校規模適正化、適正配置に向けた基本方針(案)が作成された。
 
 同市には9小学校、5中学校があるが、いずれも児童生徒数は年々減少。本年度、小学校全学年でクラス替えが可能なのは2校(小佐野、甲子)だけ。複式学級となっているのは3校(白山、栗林、唐丹)。出生数、居住区を基にした今後の推計で22年度と29年度の児童数を比較すると、釜石、双葉でほぼ半減、小佐野で約100人減が見込まれ、釜石、双葉では複式学級の必要性が出てくる。中学校では今後、双葉、釜石両小の児童数減に伴って釜石中の生徒数が大幅に減少する見込みで、34年度には現在の半数以下になることが予測される。釜石以外の4中学校は同年度には全学年1学級となる見込みで、小規模校化が顕著になっていく。
 
 小規模校化に伴う課題としては、小学校では▽同学年で切磋琢磨する環境を作りにくい▽音楽や体育での学習活動の制限▽複式学級担当教員の負担増、中学校では▽専門教科の免許を有する教員が配置されない▽部活動の選択肢が限られる-などが挙げられる。このため市教委は、子どもたちの望ましい教育環境の実現には「学校規模の適正化、適正配置が必要」とし、「全市的な観点からの学校統合」と「小中一貫教育導入の可能性」について検討したい考え。
 
児童生徒数の減少、学校規模確保への方策などが示された基本方針案について説明

児童生徒数の減少、学校規模確保への方策などが示された基本方針案について説明

 
 検討にあたり、学校は地域コミュニティーの中核的な役割も担っていることから、「当面は現在の5中学校区から学校がなくならないよう配慮し、各区内で1小学校は存続させることを基本」とする。いずれの場合も既存校舎を活用する予定。複式学級の措置は可能な限り行わず、小学校の規模は6学級以上(各学年1学級以上)を基準とする。中学校は9学級以上(各学年3学級以上)が望ましいが、学区が広範囲になるなどの課題があることから8学級以下もやむを得ないものとし、小中一貫教育の導入についても検討する。1学級は15~35人とする。配置は通学条件を考慮。通学時間は小学校45分以内、中学校1時間以内を目安とし、通学距離が小学校でおおむね2.6キロ、中学校で同4キロ以上の場合はスクールバスの運行など通学手段の確保に努める。小規模校を存続させる場合の教育の充実、保護者、地域、市民の理解を得ることも方針に盛り込む。
 
釜石中学校区の子どもを持つ親など地域住民(写真下)が市教委(同上)の説明に耳を傾けた

釜石中学校区の子どもを持つ親など地域住民(写真下)が市教委(同上)の説明に耳を傾けた

 
 基本方針案について意見を聞く地域説明会は15日の中妻地区生活応援センター(釜石中学区)を皮切りに始まった。市教委から髙橋教育長、藤井充彦教育部長(兼学校規模適正化推進室長)ら9人が出席。保護者を含む地域住民約20人が参加した。藤井教育部長が方針の概要を説明後、質疑応答が行われた。参加者からは今後のスケジュールの見通し、スクールバスの稼働状況などについて質問が出されたほか、魅力ある学校、育成の仕方、地域説明会の学校開催などに関し意見が出た。
 
 髙橋教育長は「教委としては、当面は複式学級の解消に力点を置きながら進めていきたい。小規模校も大規模校もそれぞれに良さがある。釜石の現状を踏まえ、子どもたちにとって何を大事にすべきか、皆さんと一緒に考えたい」と話した。
 
参加者からはさまざまな質問、意見が出された

参加者からはさまざまな質問、意見が出された

 
 市教委は策定した基本方針を具現化するため、24年度は推進計画の策定に取り組む。推進計画策定委を設け検討してもらうほか、保護者、地域住民との懇談を行いながら計画案を取りまとめていく予定。
 
 基本方針案の地域説明会は19日(月)に松倉地区コミュニティ消防センター、20日(火)に唐丹地区生活応援センター、22日(木)に平田地区生活応援センターで開催する。時間はいずれも午後6時30分から。事前申し込みは不要。

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4年ぶり「釜石市郷土芸能祭」 神楽、鹿踊り、虎舞、太鼓 多彩な演舞に観客大喜び

4年ぶりに開かれた釜石市郷土芸能祭。各団体が躍動した

4年ぶりに開かれた釜石市郷土芸能祭。各団体が躍動した

 
 釜石市郷土芸能祭(市、市教委主催)は4日、同市大町の市民ホールTETTOで開かれた。隔年度で開催される同祭だが、前回は新型コロナウイルス感染症の影響で直前に中止を余儀なくされ、今回は4年ぶりの開催。市内から8団体が出演したほか、特別出演として一戸町の1団体が招かれた。延べ約700人が鑑賞し、多彩な芸能が伝承される郷土の魅力を堪能した。
 
 同市では神楽、虎舞、鹿踊り、手踊りなど55の芸能が各地に伝承され、地域信仰とともに受け継がれてきた。無形民俗文化財として県指定が1団体、市指定が13団体ある。同祭は地域に根付く伝統文化である郷土芸能を守り育て、次世代への継承、郷土愛の醸成などにつなげようと1977(昭和52)年度から開始。平成に入ってからは市外の団体も招き、交流を図っている。
 
 26回目の開催となった本年度は市内から、八雲神楽、小川しし踊り(市指定文化財)、松倉太神楽、桜舞太鼓、神ノ沢鹿踊(同)、丹内神楽(同)、両石虎舞(同)、南部藩壽松院年行司支配太神楽(県指定文化財)が出演した。
 
 2017(平成29)年に市指定文化財となった「神ノ沢鹿踊」(同保存会=中村巧会長)は、約330年前に現鵜住居町神ノ沢地区に房州(現千葉県南部)出身者から伝えられたとされる。旧鵜住居村では最も古い芸能。同祭への出演は東日本大震災後の21回公演以来で、文化財指定後は初の演舞となった。
 
2頭の雄鹿が雌鹿を取り合う戦いの様子を表した踊り「突合い」=神ノ沢鹿踊

2頭の雄鹿が雌鹿を取り合う戦いの様子を表した踊り「突合い」=神ノ沢鹿踊

 
激しい踊りの「突合い」は地域の祭りでも最も盛り上がる演目

激しい踊りの「突合い」は地域の祭りでも最も盛り上がる演目

 
 栗林町の「丹内神楽」(砂子畑共正会=栗澤陽一会長、砂子畑芸能保存会=小笠原昭平会長)は同市の無形民俗文化財指定第一号で、1973(昭和48)年指定。山伏神楽の系統で、約180年の歴史を有する。紀州熊野(現和歌山、三重県南部)をルーツに、明治時代以降は本県の黒森、早池峰両神楽を研究し、現在の形になったとされる。同祭には23回以来の出演。
 
式舞の一つである「鶏(とり)子舞」。丹内神楽の代表的演目

式舞の一つである「鶏(とり)子舞」。丹内神楽の代表的演目

 
色鮮やかな装束で華麗に舞う市指定無形民俗文化財第1号の舞を観客が堪能

色鮮やかな装束で華麗に舞う市指定無形民俗文化財第1号の舞を観客が堪能

 
 両石町の「両石虎舞」(同保存会=久保宣利会長)は江戸時代中期から踊られていたと伝えられる。市内の虎舞の中では古い歴史を有し、1998(平成10)年に市指定文化財となった(同年、虎舞4団体指定)。虎頭は木彫りの伝統を守り、相撲の四股を踏むような足さばきで踊るのが特徴。23回以来の同祭出演となった今回は、地域の祭り以外では目にする機会の少ない「刺し鳥舞」も披露し、来場者の注目を集めた。
 
虎頭の振り方、足の運び方など伝統の形を崩さず、今に受け継がれる両石虎舞

虎頭の振り方、足の運び方など伝統の形を崩さず、今に受け継がれる両石虎舞

 
両石虎舞は手踊りも数多く伝承。今回は「刺し鳥舞」(写真)と「甚句」を披露

両石虎舞は手踊りも数多く伝承。今回は「刺し鳥舞」(写真)と「甚句」を披露

 
 同保存会の久保会長(50)は「コロナ禍でしばらく練習できない時期が続いた。地域の祭りでの披露は昨年から本格的に再開。今回の芸能祭出演も確実な継承へのいい後押しとなった」と喜ぶ。地域は震災の津波で甚大な被害を受け、人口が減った。加えて少子高齢化が進み、保存会のメンバー確保には苦慮しているという。「これからは、やりたい人がいれば他地域からも受け入れる体制を整えたい。古くから形を変えずにきた伝統の舞を守りつつ、廃れてきた演目の復活にも取り組みたい」と意欲を見せる。
 
 今回の特別出演には、一戸町の「高屋敷神楽」(同保存会=大木勇司会長)が招かれた。同神楽は県指定無形民俗文化財。三明院という寺院の山伏神楽が源流で、同神楽の流れを継ぐ団体は県外にもあるという。同町内の神楽団体の中でも群を抜いた多数の演目があるのが特徴。震災後の2015(平成27)年には、被災した同市鵜住居町にも慰問に訪れている。今回は「権現舞」のほか「鐘巻き御寺」という演目を披露した。
 
特別出演した一戸町の高屋敷神楽。演目「鐘巻き御寺」の一場面

特別出演した一戸町の高屋敷神楽。演目「鐘巻き御寺」の一場面

 
修業をせずに鐘巻寺に入った娘が鬼人になってしまい、修験者がそれを救うという踊り

修業をせずに鐘巻寺に入った娘が鬼人になってしまい、修験者がそれを救うという踊り

 
 観客は市内外の団体による見応え十分の舞台を存分に楽しみ、郷土芸能の宝庫・岩手の素晴らしさをあらためて実感した。一昨年、同市に転居したという高橋弘枝さん(45)は同祭を見るのは初めて。「いろいろな種類を見られて楽しい。子どもが減って継承が難しくなっている団体も多いと聞くが、釜石は幼稚園や小学校でも郷土芸能に取り組むなど伝承に力を入れているのが素晴らしい」と感心。虎舞が大好きな次男(3)に目を細め、「息子にもやらせてあげたい」と親心をのぞかせた。
 
地域の宝である芸能を受け継ぐ両石虎舞(左)と神ノ沢鹿踊(右)の子どもメンバー

地域の宝である芸能を受け継ぐ両石虎舞(左)と神ノ沢鹿踊(右)の子どもメンバー