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言葉は通じなくても…ジェスチャーで!異文化体感 台湾訪問、釜石の小学生 感動を報告

台湾を訪問して復興支援の感謝を伝えた釜石の子どもたち

台湾を訪問して復興支援の感謝を伝えた釜石の子どもたち

 
 5月のゴールデンウイーク(GW)期間を利用し、釜石市内の小学生が台湾を訪れる「釜石キッズラグビー国際交流プログラム」が行われ、13日、帰国した児童8人と市職員らが市役所の小野共市長を訪ね、現地でのスポーツ交流の様子や学んだことを報告した。
 
台湾から戻った児童が小野共市長を訪ねて活動を報告した

台湾から戻った児童が小野共市長を訪ねて活動を報告した

 
 このプロブラムは一般社団法人子どもスポーツ国際交流協会(東京)が主催。2018年と19年、22年に釜石市内で実施し、国内外の小学生を対象にタグラグビー大会や自然文化体験、東日本大震災の学習も織り交ぜて親睦を深めた。コロナ禍での中止やオンライン開催などを経て、今回初めて訪台。震災から10年以上が経過したこともあり、今回で一区切りとする考えで、復興支援への感謝を直接伝えることも目的だった。
 
 GW期間の3~6日の日程で交流活動が行われた。参加メンバーは、小山琉世君(白山小5年)、古藤野望結さん(小佐野小6年)、佐伯晃君(甲子小6年)、佐々木夢空さん(小佐野小6年)、佐々木怜恩君(平田小5年)、田中璃緒斗君(鵜住居小6年)、野田大耀君(小佐野小5年)、藤田創君(釜石小5年)の8人。熊本、福岡、広島県の児童と合わせ計25人で向かい、台北市の小学生30人と交流した。
 
 引率した釜石市文化スポーツ部の佐々木豊部長、市地域おこし協力隊でラグビー普及コーディネーターの竹中伸明さんが行程を紹介。中正紀念堂や故宮博物院など台北市内の史跡を見学したほか、現地の小学校では交流学習としてビーズを使った工作に取り組んだ。歓迎会やタグラグビー大会では、覚えた中国語を駆使して「ありがとう」の気持ちを発信。「できるだけ多くの子と仲良くなろうと、スマートフォンなどの翻訳機能を使ってコミュニケーションをとっていたのが印象的だった」などと振り返った。
 
台湾で感じた文化の違いなどを楽しそうに伝える児童たち

台湾で感じた文化の違いなどを楽しそうに伝える児童たち

 
 子どもたちは、日本とは違った文化や歴史、人の優しさに触れたことなど楽しい思い出を小野市長に伝えた。藤田君は「言葉が通じなくてもスポーツをやったり、一緒に活動することでコミュニケーションがとれることを学んだ。これからも積極的に外国の人と交流して釜石のよさを伝えたい」と目を輝かせた。
 
 各地の子どもたちを“ごちゃ混ぜ”にし12チームに分かれて体験活動を展開。タグラグビーでは優劣をつけなかったというが、試合はすべて勝ったと胸を張る小山君は、一番多くの友達を作ったとして「MVP」に選ばれた。ラグビー歴6年で、「知っていることを教えた。作戦を練ったり、たくさん話し合ったから」と自己評価。「ジェスチャーでコミュニケーションをとって、よく分からないけどいっぱい笑った」と、交流を思い浮かべてうなずいた。
 
たくさんの友達を作って「MVP」に選ばれた小山琉世君(左)

たくさんの友達を作って「MVP」に選ばれた小山琉世君(左)

 
 小野市長は「言葉は通じなくても友情を深めることができると肌で感じてくれたことがうれしい。こういう機会があったら、積極的にチャレンジしてほしい」と期待。同席した高橋勝教育長も「これで終わりでなく、次のステージの始まりだと思ってほしい。興味を持ったことをもっと深く知るために調べてみるといい」と勧めた。
 
 「写真展、見にきて!感動伝えます」と意気込む子どもたち

「写真展、見にきて!感動伝えます」と意気込む子どもたち

 
 今後の予定として、写真展「かまいしキッズフォト~台湾ラグビー交流」を6月8日と9日に市民ホールTETTOギャラリーで開くことも報告。子どもたちには使い捨てカメラ(27枚撮り)が2個ずつ渡されていて、活動の様子を撮影してきた。展示を通じ、それぞれが見つめた光景を感じてもらい、「ラグビーのまち」の記録にしてもらうのが目的。8日は午前11時から会場でトークイベントも行う。「お気に入りの一枚」を紹介しながら「感動したこと」を伝える。

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選び抜く言葉 紡ぐ短歌と物語 クリエイターたておきちはる(大槌) 釜石でギャラリー展

釜石市民ホールギャラリーで開催中の「たておきちはる展」

釜石市民ホールギャラリーで開催中の「たておきちはる展」

 
 「大丈夫 今日の私は幸せよ 昨日と明日を抱きしめ囁く」。“今”感じた思いを伝える言葉を選び抜いてつないだ短歌や文章、紡ぎ出したその世界をイメージさせるような写真などを並べたギャラリー展「昨日、今日、明日」が釜石市大町の市民ホールTETTOで、12日まで開かれている。
 
 釜石・大槌地域で活動する作家を紹介する同ホール自主事業の「art at TETTO(アート・アット・テット)」。12番目として今回ピックアップしているのは、大槌町を拠点に活動するクリエイターたておきちはるさん(34)。短編小説、エッセイ、絵本などを執筆する傍ら、町内の情報を伝えるフリーランスのライターとしても活動する。
 
たておきちはるさんと、銀河鉄道をモチーフにしたデザイン「車窓」

たておきちはるさんと、銀河鉄道をモチーフにしたデザイン「車窓」

 
 自身の活動はインターネット上の「Instagram(インスタグラム)」や「note(ノート)」で紹介するが、地域でじかに見てもらうのは初めて。会場には、ギャラリー展のために書き下ろした「軽い読み物 5月の空を泳ぐヤツ。」のほか、短編小説やエッセーなど4点を並べる。
 
書き下ろの短編小説などが並び、自由に読むことができる

書き下ろしの短編小説などが並び、自由に読むことができる

 
 子どもの頃から文章を書くのが得意だと感じていたが、進学先に選んだのは演技や脚本を学ぶことができる京都造形芸術大(現京都芸術大)。在学中から映画や舞台の現場に立ち、自主制作・公演を行い、卒業後は東京で活動した。東日本大震災後に仮設住宅で暮らす母親を心配しUターン。町役場や観光協会で働く傍ら、「演劇を通じた心の復興」を目指す町民活動にも関わり、脚本担当や演者としての活動は続いた。
 
 休職中だった昨年、町外の職業訓練校でグラフィックデザインを学んでいる時に、講師や同期生から刺激や助言を受け、さらっと読めて不思議な世界が味わえる「ショートショート作品」を執筆。4000字以内との規定がある「第20回坊っちゃん文学賞」(愛媛県松山市主催)に初めて応募し、最終審査に残った「純愛の繭」が佳作を受賞した。
 
 執筆に取り組む中で、より短い文学「短歌」の世界に興味を持つようになった。理由は「思いを表現するのに効果的な言葉を勉強したかったから」。何か言葉が思いつくたびメモに残していたら、日常を切り取る短歌が自然と紡がれた。
 
作品を瓶やケースに入れたり貼ったり、見せ方を工夫する

作品を瓶やケースに入れたり貼ったり、見せ方を工夫する

 
 会場の至る所に散りばめているのは、そんな日々を切り取った言葉たち。「君のこと深く知らない 君が持つ光度と照度と輝度は知ってる」は、職訓校での学びと仲間への思いをつづった作品。湧き出た言葉を表現するような写真を添えて見せる。古里の風景が多いが、旅先で印象に残った光景も写す。ギャラリー展のチラシで使ったデザイン画「車窓-iwate-」(ポスター3連作)も展示。「銀河鉄道の夜」をモチーフにした作品で、「車両を書かずに伝えられる最少の表現」を模索した。
 
充実した学びの時間を表現した作品は「まぶしさ」をうたう

充実した学びの時間を表現した作品は「まぶしさ」をうたう

 
たておきさんが吐き出した思いを来場者がのぞき込む

たておきさんが吐き出した思いを来場者がのぞき込む

 
正方形の原稿用紙(9マス×6行)に収められた超短編小説「54字」

正方形の原稿用紙(9マス×6行)に収められた超短編小説「54字」

 
 「つらい時でも短歌にすれば作品になる。そうすると、つらさも無意味じゃなくなる」とたておきさん。自身の心の平穏にもつながる作品を見た人たちが、「しっくりくる何かを持ち帰ってもらえたら。受け取ったような気がするものが何かは分からずとも、ちょっとうれしい拾い物ができるような時間を思い思いに過ごしてほしい」と期待する。
 
会期中には「物語のたね」を探すワークショップもあった

会期中には「物語のたね」を探すワークショップもあった

 
訪れた人との交流も楽しんだたておきさん(中)

訪れた人との交流も楽しんだたておきさん(中)

 
 受賞作は「癖になる文章で、何度も読み返したくなる。危うさの中に官能的、幻想的な表現があり、純文学のような品もある」といった評価を得た。そうした言葉は、自身の作風を振り返る機会になった。「より等身大で、気負わず書いていこう」。こぎれいな文章にしがちだったが、思い返すと「あやしい話が好き」だった。そんな“好き”を表に出すべく、短歌と文章、写真、デザイン、イラストを組み合わせた作品づくりをこれからも続ける。

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唐丹の誇り「大名行列」6年ぶりに 天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)で活気付く地域

天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)=4月28日、唐丹町

天照御祖神社式年大祭(釜石さくら祭り)=4月28日、唐丹町

 
 釜石市唐丹町の春を彩る、天照御祖神社(河東直江宮司)の式年大祭「釜石さくら祭り」は4月28日に行われた。3年に一度の祭りは新型コロナウイルス感染症の影響で、前回2021年の渡御は見送られており、今回は18年以来6年ぶりの開催。町内3神社のみこしが江戸時代から受け継がれる“大名行列”とともに地域を練り歩き、震災や戦災を乗り越え、まちを守る住民らにさらなる力を与えた。郷土芸能団体も随行する祭り行列には、町内7地区から約600人が参加。沿道では地域住民のほか、市内外から訪れた見物客が行列を出迎えた。
 
 同町片岸の高台にある天照御祖神社で神事を行った後、行列が繰り出した。神社下の一帯は13年前の震災津波で被害を受けた場所。住宅はないが、近隣の住民や観光客などが沿道に集まり行列を見守った。
 
神社からみこし渡御の行列が出発。子どもから大人までさまざまな役割を担う

神社からみこし渡御の行列が出発。子どもから大人までさまざまな役割を担う

 
東日本大震災の津波で被災した片岸地区を行列が進む

東日本大震災の津波で被災した片岸地区を行列が進む

 
 みこしを先導する大名行列は江戸時代の参勤交代の行列に由来するもので、同神社の氏子がみこしに無礼な行いをさせないように刀、鉄砲、やり、弓などを持ち、警護しながらお供したことが始まり。当時の伊達藩唐丹村本郷の番所に駐屯していた伊達藩士に行列の仕方を教わり、みこし渡御に取り入れたとされる。地区ごとに8つの役割を担い、今に受け継ぐ。今回は本郷の「御徒組」「杖供組」「杖引組」に続き、小白浜の「御道具組」、荒川の「御並槍組」がお供。伝統の所作でゆっくりと歩みを進める各組に、沿道で迎える人たちが盛んな拍手を送った。
 
 柏直樹さん(45)、壮太さん(12)親子は「御徒組」「杖供組」にそれぞれ初参加。唯一の中学生、壮太さんは「振り付けを覚えるのに苦労したが、伝統の祭りに参加できて楽しい。また出たい」。直樹さんは「無事に務められて何より。いい思い出になった。若い子に参画してもらい、伝統がつながっていけば」と期待を込めた。
 
写真上:伝統の所作で進むやっこ姿の「御徒組」。同左下:「杖供組」に初めて参加した柏壮太さん。同右下:「御徒組」に参加した父直樹さん(右)と

写真上:伝統の所作で進むやっこ姿の「御徒組」。同左下:「杖供組」に初めて参加した柏壮太さん。同右下:「御徒組」に参加した父直樹さん(右)と

 
 「いよぉー。いよぉー」「あれはよいとこなー」。独特の掛け声と口上で進む「御道具組」には17人が参加。前回から先導の声を担当する長助澤正也さん(42)は「決まり文句は2種類だが、その他にも祭りを盛り上げるようなセリフが伝統。殿様の道具持ちながら、祭りでは花形」と胸を張る。子どものころ、地元唐丹小の120周年記念行事でこれをやった。「大人になったらやってみたいと思っていた。念願かなった」と心弾ませ、見物客に精いっぱいサービスした。
 
さまざまな文句で見物客の期待に応える「御道具組」の長助澤正也さん(右上)。見守る人たちは笑顔と拍手で応援(右下)

さまざまな文句で見物客の期待に応える「御道具組」の長助澤正也さん(右上)。見守る人たちは笑顔と拍手で応援(右下)

 
公民館などが建つ小白浜地区の通りを進む「杖引組」

公民館などが建つ小白浜地区の通りを進む「杖引組」

 
荒川地区の住民が担当する「御並槍組」。江戸時代の大名行列の風情を醸す

荒川地区の住民が担当する「御並槍組」。江戸時代の大名行列の風情を醸す

 
 行列は片岸から小白浜へ。住宅や商店、公民館などが建ち並ぶ町中心エリアをにぎやかに進んだ。大杉神社(本郷)、西宮神社(小白浜)のみこしが天照御祖神社のみこしを各地区に案内する形で渡御。大杉、西宮両社のみこしは住民の前を勢いよく回り、威勢を放った。大杉神社のみこしを担ぐ倉又一平さん(35)は6年ぶりの祭りに「地元の血が騒ぐ。ここで育ち、今は離れて暮らす人たちも祭りには帰ってくる。若い世代が頑張って受け継いでいかなければ」と思いを強くする。
 
 行列を見守る人たちは青空の下で繰り広げられる華やかな行列に大興奮。小白浜の千田律子さん(76)は「自分も若いころ祭りに出た。やっぱり思い出しますね。踊りたくなる」と高揚し、「地元以外にも大勢の人たちが見にきてくれて感謝です」と顔をほころばせた。
 
地元小白浜地区で威勢を放つ西宮神社のみこし

地元小白浜地区で威勢を放つ西宮神社のみこし

 
大杉、西宮両神社みこしに続いて唐丹公民館前に到着した天照御祖神社のみこし

大杉、西宮両神社みこしに続いて唐丹公民館前に到着した天照御祖神社のみこし

 
 行列は唐丹の名所“本郷の桜並木”へ。かつては祭りと桜の咲く時期が重なっていたが、近年は地球温暖化の影響で開花は4月上旬に早まっている。この日は葉桜に変わった並木の下で行列が繰り広げられた。御道具組の長助澤さんは「葉桜がきれいだなー」などと言葉を発し行列を鼓舞。唐丹の大名行列“発祥の地”を盛り上げた。
 
地元本郷の桜並木の下を勢いよく駆ける大杉神社のみこし。迫力満点!

地元本郷の桜並木の下を勢いよく駆ける大杉神社のみこし。迫力満点!

 
伝統の舞を披露する荒川熊野権現御神楽。子どもたちも練習の成果を発揮

伝統の舞を披露する荒川熊野権現御神楽。子どもたちも練習の成果を発揮

 
市指定文化財の常龍山御神楽。天照御祖神社と共に歴史を重ねる

市指定文化財の常龍山御神楽。天照御祖神社と共に歴史を重ねる

 
 約4キロの往路の最終地点、本郷海岸ふかさ広場の御旅所では、3基のみこしの前で神事が行われた後、参加した郷土芸能全団体が演舞を披露した。唐丹町の各地区には神楽、虎舞、太鼓が継承され、同祭りには手踊りも加わる。各団体は久しぶりの祭りに躍動し、地域の元気を発信した。
 
 大石虎舞の小踊で同祭りに初めて参加した川村向葵さん(12)は「みんなで踊るのは楽しい。今日はお客さんがいっぱいで少し緊張した。今後は太鼓もやってみたい」と意欲をかきたてられた様子。同虎舞は震災後、郷土芸能をやりたいという唐丹中生の要望を受け、継続的に教えている。成果は文化祭で披露。大石町内会の畠山一信会長(76)は「指導が縁で、祭りの時には習った生徒らが応援メンバーとして駆け付けてくれる」と、地域を越えたつながりを喜ぶ。
 
気仙地方の系統をくむ大石虎舞。大きな頭と長い尾が特徴

気仙地方の系統をくむ大石虎舞。大きな頭と長い尾が特徴

 
 花露辺手踊り連は地元の花露辺海頭荒神太鼓とともに35人で参加。太鼓ばやしに合わせ2曲を踊った。今回は小学1年、幼児の参加が増えた。佐々木宏実代表(32)は「今の小学生は前回の祭りを知らない。一から教えるのが大変だったが、みんな頑張ってくれた」と喜ぶ。自身は結婚で移住。「学校も全面協力し、地域みんなでつくり上げる祭りはなかなかない。今日は唐丹町民全員がいるんじゃないかと思うぐらいの人出」と驚いた。
 
花露辺の手踊りは「花露辺海頭荒神太鼓」と一緒に参加。音楽にお囃子を乗せて2曲を踊った

花露辺の手踊りは「花露辺海頭荒神太鼓」と一緒に参加。音楽にお囃子を乗せて2曲を踊った

 
小白浜地区に伝わる「伊勢太神楽」。おかめの面を付けた女舞も

小白浜地区に伝わる「伊勢太神楽」。おかめの面を付けた女舞も

 
本郷の手踊りは内外にその名を知られる「桜舞太鼓」と。桜模様の長ばんてんで春満開

本郷の手踊りは内外にその名を知られる「桜舞太鼓」と。桜模様の長ばんてんで春満開

 
 川原清文大祭執行委員長(80)は「いざやろうとなれば、みんな一生懸命協力してくれる。祭りや伝統芸能は住民の絆、明日への希望にもつながっている」と意義を実感。一方で、少子高齢化、人口減少などで人員確保が難しくなっている側面もある。今回は、大名行列の2組、郷土芸能3団体が参加を見送った。「時代が変化する中、同じようにやろうとしても無理がある。多少、変化しながらでも継続していければ」と末永い継承を願った。
 
老若男女、幅広い世代が6年ぶりの祭りを楽しんだ

老若男女、幅広い世代が6年ぶりの祭りを楽しんだ

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書道で脳活 いきいき、ひらめき…生み出す キーワードは「発想の転換」 釜石で体験講座

釜石で開かれた「脳活書道」体験講座の参加者ら

釜石で開かれた「脳活書道」体験講座の参加者ら

 
 文字を書くこと、創ることを楽しむ「脳活書道」の体験講座が4月28日、釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。講師は、宮城県仙台市在住の書家で「釜石応援ふるさと大使」の支部蘭蹊(はせべらんけい=本名・一郎)さん(73)。トメ、ハネ、ハライといったルールを取り払い、書き順にもこだわらず、伸び伸び自由に文字を書いていく、ひと味違った書の楽しみ方を紹介した。
 
 脳活書道?…聞きなれない言葉だが、支部さんが主宰する仙台の教室ではすでに実践する試みだという。楽しみながら脳の認知機能低下を予防するのが“脳活”。特に、何かを創造したり、ひらめきが生まれたりする時に働くが、普段あまり使われていないともいわれる「右脳」を活性化させ、生き生きとした生活につなげてもらおうと取り入れている。「ものの考え方が変わった」などと参加する生徒らの反応は上々。高齢化が進む社会で「より元気に、楽しく過ごしてもらうように」と激励を込め、同じ手法を古里に持ち込んだ。
 
脳活書道のポイントなどを説明する支部蘭蹊さん(右)

脳活書道のポイントなどを説明する支部蘭蹊さん(右)

 
 キーワードは「発想の転換」。支部さんいわく「右脳への切り替えスイッチを入れること」で、いくつかのポイントがある。1つ目は文字の書き順を意識的に変えてみることで、「第1画目から書かない」のが前提。例えば「山」という字は、本来は2画目として書く「L」のような縦横の線から始め、3画目となるはずの右側の縦線を書いた後に、1画目だったはずの縦線をまん中に引いて仕上げるといった感じ。書き方は他に2パターンある。さらに、逆転のルールとして▽下→上▽右→左▽縦画から先に書く―という設定も。実際に書いてみると、整っているとは言えないが、個性的で味のある文字になっていた。
 
絵を描くような筆運びを習得中。思いのままに手を動かす

絵を描くような筆運びを習得中。思いのままに手を動かす

 
 書き順を変えて書いて「バラバラ」に仕上がった文字を、普通の書き順に戻してなぞるのが2つ目のポイント。筆の穂先を使った“ひと筆書き”で数回なぞって、柔らかい筆遣いのコツをつかんでもらう。他にも、▽縦長、横長に書いてみたり形を変化させる▽書くリズム、呼吸をつかむ▽立てたり寝かせたり筆先を変え、360度使う-といったものもあった。
 
支部さん(左)の指導を受けながら書道を体験する参加者

支部さん(左)の指導を受けながら書道を体験する参加者

 
 体験講座に参加した大只越町の芳賀憲一さん(76)は「書道は難しいと先入観があり、できるか不安だった。逆から書くのが面白く、入り込めた」と充実した表情。写真が趣味で、プリントしたものに支部さんが書をしたためてくれたことがあったというが、「今度は自分で気持ちを書き込みたい」とやる気になった。「筆を持つのは久しぶり。楽しかった」という声も聞かれた。
 
 硬い、敷居が高いとのイメージがあるのか書道人口は減少傾向で、最近はパソコンなどで文章を仕上げることから文字を書く回数も減っていると、支部さんは残念がる。ただ、人には言葉の文化があり、「素直に書いたら面白い世界がある。脳を生き生きさせるイメージで書道に親しんでほしい」と考えてきた。
 
書き順にこだわらない「発想の転換」を実演

書き順にこだわらない「発想の転換」を実演

 
自由で味わい深い文字を躍らせる支部さん(右)

自由で味わい深い文字を躍らせる支部さん(右)

 
 支部さんは「戸惑いもあったと思うが、一つの世界に決めるのではなく、いろいろな切り口があることに気づいてもらえたら」と期待する。文字の形や意味を知る基本(知力)を確認しながら、逆転の発想(ひらめき)で応用(創造)し、つづられた言葉は「感性がにじむ普段着の文字」と力説。脳活書道で「自分にしか書けない線を楽しみましょう」と呼びかけた。
 
 体験講座(参加費あり)は、7月まで月1回実施する予定。次回は5月26日(日)。会場は同じくTETTOで、午前10時半~2時間程度。筆や墨、半紙など道具は準備しており、手ぶらでの参加にも対応する。

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三陸沿岸つなぐブラスの響き 27年で一区切り 釜石で締めくくる「ルート45港町コンサート」

第22回ルート45港町コンサート~音楽と心でつなぐ三陸道~

第22回ルート45港町コンサート~音楽と心でつなぐ三陸道~

 
 岩手、宮城両県の三陸沿岸5市で活動する市民吹奏楽団が続けてきた「ルート45港町コンサート」が4月21日、釜石市民ホールTETTOで最後の演奏会を迎えた。仙台-八戸間の高速道路早期完成を願い、1997年から各地持ち回りで開催されてきたが、2021年12月の「三陸沿岸道路」全線開通を受け、「一区切りに」と幕を下ろすことになった。最終公演は演奏会がスタートした釜石市が会場となり、約600人の聴衆が有終の美を飾る大演奏に感動と感謝の拍手を送った。
 
 新型コロナウイルス感染症の影響で20年から休止を余儀なくされたため、本公演は5年ぶり。東日本大震災による2年間の休止もあり、通算22回目の開催となった。1部はアンサンブルステージで幕開け。トランペット、フルート、クラリネット、サクソフォンの4楽器を担当するメンバーが、それぞれ10~16人編成で1曲ずつ演奏。各楽器の特色が感じられる演奏に聴衆が聞き入った。
 
トランペット(上)、フルート(下)のアンサンブルステージ

トランペット(上)、フルート(下)のアンサンブルステージ

 
クラリネット(上)、サクソフォン(下)のアンサンブルステージ

クラリネット(上)、サクソフォン(下)のアンサンブルステージ

 
 続いては初の試み、参加5団体を南北のチームに分けて送る合同ステージ。北は宮古と釜石のメンバーで「ハリウッド万歳」、「魔女の宅急便」Highlights(ハイライツ)を、南は大船渡、陸前高田、気仙沼のメンバーで「すずめの戸締まり」コレクション、「ルパン三世メドレー」を演奏。話題となった映画や幅広い世代に愛されるアニメの曲で楽しませた。
 
北チーム(宮古吹奏楽団、釜石市民吹奏楽団)のステージ

北チーム(宮古吹奏楽団、釜石市民吹奏楽団)のステージ

 
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南チーム(ぷなと音楽団、陸前高田市民吹奏楽団、気仙沼市民吹奏楽団)のステージ

南チーム(ぷなと音楽団、陸前高田市民吹奏楽団、気仙沼市民吹奏楽団)のステージ

 
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 休憩をはさんだ2部は5団体の合同ステージ。総勢約120人で「ジュビリー序曲」、「風紋」、バレエ音楽「火の鳥」と、吹奏楽演奏の醍醐味(だいごみ)を存分に感じられる大曲で聴衆を魅了した。27年の歴史を重ねてきた“三陸ブラス魂”のこもった演奏に惜しみない拍手が送られ、鳴りやまない拍手にさらに2曲で応えた。
 
5団体合同のステージは圧巻の迫力!聴衆は素晴らしい演奏に聞きほれた

5団体合同のステージは圧巻の迫力!聴衆は素晴らしい演奏に聞きほれた

 
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アンコールは団員らの心の歌「港町ブルース」と、「オーメンズ・オブ・ラブ」を演奏

アンコールは団員らの心の歌「港町ブルース」と、「オーメンズ・オブ・ラブ」を演奏

 
 陸前高田市の臺和敬さん、美穂さん(ともに38)夫妻は高校2年の娘が出演する同演奏会に初めて足を運んだ。「最後と聞いて寂しい思い。沿岸の吹奏楽がこんなに盛んだったとは。子どもたちのためにも何らかの形で復活してくれるといい」と期待。自身も市民吹奏楽団で活動するという花巻市の女性2人(30、40代)は「内陸でもあれだけの規模(120人)の演奏はなかなか聞けない。2回の全体練習で仕上げたとは驚き。勢いも感じたし、何より皆さんが楽しそうに演奏していて、終わってしまうのはもったいない」と惜しんだ。紫波町の村上正勝さん(65)は親戚の釜石団員の応援も兼ねて鑑賞。「大震災もあったが、沿岸の団員の方々が心を一つに頑張ってきたからこそ、あのような素晴らしい演奏ができたのだと思う。皆さんの強い思いも伝わってきた。感動の一言です」と演奏の余韻に浸った。
 
スタート時を知る団員がコンサートの経緯を話す場面も

スタート時を知る団員がコンサートの経緯を話す場面も

 
 同演奏会は1997年、釜石市民吹奏楽団(市吹)、気仙沼市吹、宮古吹奏楽団の3団体でスタート。森進一の名曲「港町ブルース」や沿線の国道45号にちなんだ名称を掲げ、持ち回り開催してきた。2008年には大船渡市のぷなと音楽団が仲間入り。11年の震災津波で団員や演奏会場としてきた2市のホールが被災し存続が危ぶまれたが、13年から再び回を重ね、19年には陸前高田市吹の加入で5団体にまで輪が広がった。その後、前例のない世界的な感染症の流行で、吹奏楽活動そのものが難しい事態に。地域をまたいでの活動もしばらく控えざるを得ない状況が続いた。
 
 「道路と共に音楽で三陸沿岸をつなげよう―」。開始当初からの思いはおおむね達成されたと、一区切りを決めた演奏会。1回目から参加してきた気仙沼市吹の畠山広成団長(52)は「この演奏会の歴史とともに自分自身も育ててもらった。最初はライバル心もあったが、互いの団を行き来し気心が知れてくると調和が生まれ、演奏も回を重ねるごとにいいものになってきた。信頼関係を築けたことが一番の財産」と振り返る。
 
5団体を代表し、釜石市吹の山内真紀人団長(中央)があいさつ。支えてくれた人たちへ感謝の気持ちを伝えた

5団体を代表し、釜石市吹の山内真紀人団長(中央)があいさつ。支えてくれた人たちへ感謝の気持ちを伝えた

 
 釜石市吹の山内真紀人団長(50)は「この取り組みを機に団同士の交流が深まり、互いの演奏会に賛助出演し合う関係ができたことも大きい。他の団体と一緒にやることで成長につながった若手も」と成果を実感。「これで終わりではない。つながった縁を糧に、各団体がさらに地元に寄り添いながら地域を盛り上げる活動を続けていく。いつかまた、みんなで集まって演奏会ができるように…」と、団員らの思いを代弁した。
 
「27年間ありがとう!」万感の思いで最後のステージを締めくくる団員ら。客席からも感謝とねぎらいの拍手が続いた

「27年間ありがとう!」万感の思いで最後のステージを締めくくる団員ら。客席からも感謝とねぎらいの拍手が続いた

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釜石出身 中川大介さん 自然再生、父・故淳さんの思い…自著で伝える 古里で出版記念トーク

中川大介さんトークライブ=14日、桑畑書店

中川大介さんトークライブ=14日、桑畑書店

 
 釜石市平田出身で北海道函館市在住のライター中川大介さん(61)が14日、古里釜石でトークイベントを行った。中川さんの父淳さんは、たたら製鉄研究、東日本大震災後の復興プロジェクトや桜植樹など多彩な活動で地域に貢献した方で、昨年10月に函館市で逝去(享年90)。中川さんは「父が愛した桜の季節に地元で…」と13日、淳さんのお別れ会を釜石市民ホールTETTOで開いた。トークイベントは大町の桑畑書店(桑畑眞一社長)が同会に合わせて企画した。
 
 中川さんは記者として30年勤務した北海道新聞社を2年前に退職。自身が取材活動で関わった河川環境の再生、父淳さんが震災後、地元紙の復興釜石新聞に寄せたコラム「足音」を基に、人間は自然とどう向き合うべきかを記した著書「水辺の小さな自然再生」(一般社団法人農山漁村文化協会刊)を昨年12月に出版した。
 
河川環境再生の取材や父淳さん(右下写真)が寄稿したコラムを基に執筆した本を紹介する中川大介さん。「環の中に生きる」は自費出版

河川環境再生の取材や父淳さん(右下写真)が寄稿したコラムを基に執筆した本を紹介する中川大介さん。「環の中に生きる」は自費出版

 
 記者時代、農漁業や環境保全などの取材を数多く手がけた中川さんは、現場で目にした3面をコンクリートで固められた川(水路)に疑問を感じた。後に北海道東部の3河川で、魚が遡上できる「魚道」作りを取材。流域の住民が自ら立ち上がり、自己調達できる資金規模、多様な主体の参画・協働で取り組む再生活動に感銘を受けた。中でも驚いたのは河川コンサルタントが提唱した「壊れながら機能する魚道」という概念。補修を繰り返すことが住民の継続的な関心へとつながっていくという。
 
 「技術の進歩は人間が自然に関わる機会を減らし、地域の絆の希薄化、自然を見る目を失うことにもなった」と中川さん。自然災害が多発する昨今。「人間の力には限界がある。自然に逆らわない、自然のしくみに折り合うような技術を考えていかねばならない時代にきている。そのヒントが小さな自然再生の中にあるのでは」と話す。
 
北海道の河川での魚道作りは映像を見せながら説明した

北海道の河川での魚道作りは映像を見せながら説明した

 
 中川さんの父淳さんは元中学校技術科教員。「鉄のまち釜石」の教育の一環で、伝統的な「たたら製鉄」の技法を実践。艦砲射撃体験記録の掘り起しや平和運動にも取り組んだ。2011年の震災津波で平田の自宅は全壊。苦難を経験しながら平田地区復興プロジェクト委員長、釜石に桜を植える会会長として古里再生に力を尽くした。17年に病のため、長男大介さんが暮らす函館に転居。闘病中だった昨年10月、急逝した。
 
 中川さんは「父が生きてきた足跡は自分にとっても大きなもの。人と技術、人と自然などを考える上でも重要なヒント」と話す。この日は、震災から1年後に淳さんが新聞に寄稿した桜のコラムを紹介。これを機に桜を植える会が立ち上がり、市内に1000本以上の桜が植えられたことなどを伝えた。「古里の風景をつくる上で、その土地に住む者が関わっていくことはとても大事。風景とはそこに立つ人間が五感で感じるもの。人が重ねてきた記憶がその空間の中に蓄積されている」とも。自身の原風景である平田の山の景色を思い浮かべ、人と自然のつながりの深さを示した。
 
復興釜石新聞連載「足音」から抜粋した中川淳さんのコラム集。13日のお別れ会で配られた

復興釜石新聞連載「足音」から抜粋した中川淳さんのコラム集。13日のお別れ会で配られた

 
 前日の淳さんのお別れ会には生前、関わりのあった市民や教え子ら約90人が出席。淳さんの功績を示す新聞記事や写真、出演番組などを見ながら思い出を語り合ったという。
 
 トークイベントに足を運んだ同市の佐々木久美子さん(61)は「震災の津波で何もかも失ってしまった感があったが、それだけではなく再生への新たな芽も生まれていたことに改めて気づかされた。中川先生(淳さん)の桜を再生させようという取り組みもその一つ」と復興のシンボルにもなった活動に感謝を込めた。
 
約1時間のトークの後はサイン会も行われた

約1時間のトークの後はサイン会も行われた

 
自著を手に笑顔を見せる中川さん。書店の桑畑眞一社長(左)、出版元・農文協の篠田将汰さん(右)と

自著を手に笑顔を見せる中川さん。書店の桑畑眞一社長(左)、出版元・農文協の篠田将汰さん(右)と

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世代超え盤上で深める交流 将棋・釜石市長杯争奪大会 小山怜央四段の直筆色紙 初登場で白熱

世代を超え勝負!盤上での交流を楽しむ将棋大会の参加者

世代を超え勝負!盤上での交流を楽しむ将棋大会の参加者

 
 日本将棋連盟釜石支部(土橋吉孝支部長)主催の世代間交流将棋大会は14日、釜石市上中島町の中妻公民館で開かれた。市長杯をかけ熱い戦いを繰り広げて6回目となる今回、地元出身のプロ棋士・小山怜央四段(30)の名を冠した大会に進化。2つの栄冠を狙って小学4年生~86歳まで、県内外の愛好者48人が盤上で真剣勝負を展開した。
 
 団体戦に16チーム(各3人)が出場。世代を超えて臨む対局はスイス式トーナメント戦4局を行って、勝ち点を競う。棋力に応じて駒落ちハンディ(最高6枚落ち)をつけたり、対局時計の使用に不慣れな人に配慮(数回、大目に見るなど)したり、大会独自のルールを用意する。
 
市長杯のトロフィー、小山怜央四段の色紙を狙って将棋愛好者が集う

市長杯のトロフィー、小山怜央四段の色紙を狙って将棋愛好者が集う

 
 準備を整え、「お願いします」とあいさつして対局開始。真剣な表情で盤面に向かい、パチ、パチ…と駒を打つ音を重ねた。それぞれ持ち時間は15分で、切れたら一手30秒で指す決まり。「う~ん」と頭を悩ませながら、「そうか!」「…失敗したぞ」と思わず声を出してしまったり、戦いは白熱した。勝敗に関わらず「ありがとう」で締めくくり。対局を振り返り、「こんな手、考え方もあるのか」などと棋力を磨き合った。
 
集中力がキラリ!真剣な表情で盤面を見つめる小学生

集中力がキラリ!真剣な表情で盤面を見つめる小学生

 
静かなる熱戦を展開!ベテランたちも負けずに指す

静かなる熱戦を展開!ベテランたちも負けずに指す

 
 柔道に打ち込む仲間とチームを組んで初めて参加した釜石の中学生、山﨑一心さん(14)は「将棋は遊びでやっていた。いい勉強になって楽しかった」と笑った。第1局は2枚落ちのハンディをもらい、地元のベテラン澤田秀人さん(82)に挑んだが敗戦。「ちょっと悔しい。対戦する機会があれば、今度は勝ちたい」と再戦を心待ちにした。
 
 対する澤田さんは「駒落ちはゆるくない(容易ではない、大変だといった意味の方言)。押され気味で、何とか勝たせてもらった感じだな。あと一年もすれば、もっと強くなる」と激励を込めた。この大会には小山四段も過去に出場し、その時に指した経験は思い出として残る。「諦めがつく気持ちになるほど、すごかった」と肌で感じた強さを思い浮かべ、ニヤリと笑う。若手の成長を見るのは喜びで、大会での交流を楽しみにする。対局は体力勝負でもあり、終わった後はどっと疲れもくるが、「一つでも多くいろんな人と対戦したい」とやる気は若者にも負けない。
 
小山四段の対局を横目に自身の戦いに挑む出場者

小山四段の対局を横目に自身の戦いに挑む出場者

 
 この日は、第74回NHK杯テレビ将棋トーナメントに挑んでいる小山四段の1回戦(第2局)の放送日。交流大会の参加者は第1局を終えると、会場に用意されたテレビやスクリーンに映し出された対局の様子を見守った。「私は岩手出身で初の棋士。予選を通過して本戦に臨む際、作戦を練ってきました」とコメントを残していた後手番の小山四段は、大石直嗣七段(34)に110手で勝利。「よし!」と、会場から拍手が沸き起こった。その流れを受け、参加者たちは気合を入れて午後の対局に臨んだ。
 
対局の合間には大人も子どももテレビ画面にくぎ付け

対局の合間には大人も子どももテレビ画面にくぎ付け

 
 年配者と子どもが向かい合って将棋を指す。そんな光景を「原風景」と表現していたのは仙台市から初参戦した菅原歩さん(52)=東北大学大学院経済学研究科准教授。年齢、段や級の棋力差に関わらず勝負の面白さを感じながら多くの人と交流できる環境をつくるこの交流大会は「幸福感をもたらしてくれる。この素晴らしい光景が小山四段という存在を生む背景になったのだろう」と感慨にふけった。
 
 陸前高田市出身の菅原さんは、中学時代に「全国選抜将棋選手権大会で優勝」との経歴を持つ。高校卒業後は学業や仕事に専念し、5年ほど前から「観る将」(将棋を観て楽しむファン)として楽しんできた。大会参加は35年ぶり。以前から親交がある土橋支部長(68)から声がかかり、夢中で盤面に向かっていた頃の“師匠”栗林長悦さん、小林秀雄さん(いずれも奥州市)とともに戦いに臨んだ。「勝ち負けより楽しむ。ミスせず、悔いのないよう戦いたい」と話していたが、チームは見事に優勝。個人では全勝賞も手にした。「心地よい緊張感、集中できる時間」を楽しんだ様子。この原風景が続くことを望み、「また参加したい」と笑顔を残した。
 
優勝した「歩君とその師匠たち」チーム。中央が菅原歩さん(写真・土橋支部長提供)

優勝した「歩君とその師匠たち」チーム。中央が菅原歩さん(写真・土橋支部長提供)

 
 今回、敢闘賞を用意。勝ち越したり、懸命に取り組んだ若手を中心に選出し、小山四段が揮ごうした力強い筆致の色紙を贈った。参加者の戦いぶりに見入っていた小野共市長は「苦難を乗り越え、当初の目的を達した小山さんの努力、生き方に心を動かされる」と話し、活躍が岩手の将棋界にもたらす影響を改めて感じたようだった。
 
 将棋人口の底辺拡大や普及を目的に交流大会を続ける土橋支部長は「昔なじみの顔ぶれ、若手、初心者が集まる場」をうれしそうに見つめる。この日、小山四段は天童市で指導対局の仕事があり大会には顔を出せなかったが、テレビ放送で雄姿を披露。「怜央効果だな。頑張っている姿を見れば、みんな応援したいし、自分もやるぞと意欲も高まる。励まし、励まされる、そんな交流の輪を広げていきたい」とさらに目尻を下げた。
 
「来年もまた」。釜石市長と小山四段の名を冠した大会は続く

「来年もまた」。釜石市長と小山四段の名を冠した大会は続く

 
◇団体戦順位①歩君とその師匠たち(小林秀雄さん、菅原歩さん、栗林長悦さん)②遠野支部(新沼光幸さん、松田吉輝さん、萩野良三さん)③久慈支部B(笹原賢二さん、中川原将洋さん、中川原達哉さん)
 
◇個人全勝賞/菅原さん(歩君とその師匠たち)、新沼さん(遠野支部)、畠山和人さん(稜平と小田代兄弟)、刈谷瑞明さん(正棋会C)、小笠原拓宏さん(将棋教室)

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身近な風物 独自の感性で グループ名新たに再出発 「釜石絵画クラブ」作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

  
 昨年6月に改名し新たなスタートを切った釜石市の絵画愛好者グループ「釜石絵画クラブ」の作品展が5~7日に大町の市民ホールTETTOで開かれた。全会員13人と講師1人が、この1年間に仕上げた作品を中心に84点を展示。転機を力に会員たちは創作意欲を高めており、「継続」という共通目標に向かって共に歴史をつなぐ。
 
お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

 
 市の社会教育講座「市民絵画教室」として1978年度にスタートした同クラブ。講座は3年間で終了したが、継続を希望する市民らによって自主活動グループに移行し、教室の名を継いで学習を続けた。作品発表やスケッチ旅行なども行い、活発に活動。当初は夜間に開かれ、多い時には子どもや社会人、高齢者まで80人近くが参加した。近年は会員が十数人で、平均年齢も少しずつ高くなり、昼間の活動に変更。現在は60~90代のメンバーが月に2回、隔週水曜日に集う。
 
 昨年の展示会後、会員の高齢化もあって“解散状態”になりかけた。そんな時、市の講座時代から講師を続ける菊池政時さんが「会の名前を変えてスタートしてみたら」と提案。2011年の展示会は会期中に東日本大震災が発生して作品が津波にのまれたが、負けじと翌年には活動を再開させた。そんな「伝統ある会を維持したい」という会員の思いは強く、「釜石絵画クラブ」として再出発を決めた。
 
1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

 
 年一度の作品展「わたくしたちの絵画展」は名前を変えず継続し、今回で43回目を数える。市内の海景や街並み、庭先を彩る植物、自画像など身近な生活の一部をテーマに独自の感性で描いた作品が目立った。画材は油彩、水彩、アクリル、パステル、色鉛筆などさまざま。他グループで活動している人など絵画に親しむ仲間が3人増え、新たな彩りも加わった。
 
釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

 
大型の作品をじっくりと見入る来場者

大型の作品をじっくりと見入る来場者

 
 改名に合わせ、会長に就任した小田島ヨシ子さん(82)は、植物を題材にした油彩画など7点を並べた。「朝顔」は、きれいに花開いてくれた喜びを込めた一枚。自宅で育てる朝顔はここ数年、シカの食害に遭っていたといい、「本当にきれいに咲いた。新たなスタートを後押ししてくれているよう」と頬を緩めた。創作活動は苦労もあるというが、何もかも忘れて没頭できる時間や作品として仕上がった時の達成感、見てもらえるうれしさが「たまらない」。出歩くと、いつの間にか目線は画題探しになり、「描きたい気持ちが膨らむ。今、描けることが一番の幸せ」と意欲は衰えない。
 
絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

 
 新生グループは、再来年の45回展に向け気持ちを高める。これまで会に名を連ねた人や転居して遠方で暮らす人たちの作品も集めて展示しようと計画中。小田島さんは「同じ目標に向かって盛り上がっている。楽しみにしてほしい」と腕をまくった。

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釜石で専門学校、開校! 国際外語大学校が入学式 1期生「地元で学べる意義を実感」

釜石市国際外語大学校の開校・入学式

釜石市国際外語大学校の開校・入学式

 
 外国語や観光マネジメントなどを学べる専門学校「釜石市国際外語大学校」が5日、鈴子町に開校した。学校法人龍澤学館(盛岡市)が運営し、新規高卒者向けの外語観光学科(2年制)と、留学生を受け入れる日本語学科(1年半と2年制)の2学科(いずれも定員は1学年40人)を設置。外語観光学科が先駆けて始動し、同日、入学式が行われた。岩手県沿岸地域の高校生らの進学先として選択肢を増やし、若者の居住や定着で地域活性化が期待されたが、入学者は1人。厳しいスタートとなった。一方の日本語学科は法的手続きが遅れていたが、3月末に正式に開設が決定。1年半コースの10月開始に向け、準備を進める。
 
開校した釜石市国際外語大学校の校舎

開校した釜石市国際外語大学校の校舎

 
 開校・入学式には関係者ら約30人が出席。同法人の龍澤尚孝理事長が開校を宣言し、「10月には留学生も入学してくる。10代、20代の学生が集うことで、まちが明るくにぎやかになるだろう。多文化共生社会をつくっていければ。さまざまあるプログラムを存分に利用して学び、釜石を引っぱる人材になってほしい」とあいさつした。
 
入学式であいさつする龍澤尚孝理事長(左写真)、式辞を述べる竹内新也校長

入学式であいさつする龍澤尚孝理事長(左写真)、式辞を述べる竹内新也校長

 
 式辞に立った竹内新也校長は「入学者の確保という点で課題を抱えたまま、この日を迎えた。我々の力不足で残念」と厳しい状況を認識する。だからこそ、「第1期生を迎えられたことに大変感動している。ようこそ!」と喜びもひとしお。常勤する7人の講師や学校スタッフに、非常勤講師らも加わりサポート体制を整えていることを伝え、「学び成長する、ときに失敗もするだろうが、その一歩一歩が本校の歴史の1ページとなる。得がたい経験をエンジョイして。未来志向でポジティブに前に進んでいこう」とエールを送った。
 
 1期生となる新入生は「地元に残るのにためらいがなかったわけではない。外の世界を見たいという気持ちもあったが、学びたいこと、やりたいことを地元でできることに大きな意義を感じている。外国人留学生の仲間が間もなく入ってくる。釜石を好きになってもらえるよう積極的にコミュニケーションをとっていきたい。将来、自分の力で地域に恩返ししていけるよう、まい進する」と、ハキハキとした声で思いを伝えた。
 
新入生が宣誓。龍澤学館の関係者らが拍手を送って歓迎した

新入生が宣誓。龍澤学館の関係者らが拍手を送って歓迎した

 
 釜石市の小野共市長が祝辞を述べ、「若い世代の定着、地域や世界で活躍する人材の育成につながる新たな学びの場の開設は市が目指す持続可能なまちづくりに呼応する」と強調した。市は、同法人と東日本大震災後の2012年に復興支援協定、21年には専門学校の開校を柱とする連携協定を締結。市教育センター(5階建て)を約3億6000万円かけて改修し学校として無償貸与しており、今後も協力関係を維持する考えを示した。
 
校舎は改修された市教育センターを使用する

校舎は改修された市教育センターを使用する

 
式後、新入生に常駐する教職員らが紹介された

式後、新入生に常駐する教職員らが紹介された

 
 外語観光学科は昨年9月に設置認可を受け、同10月に学生の募集を始めた。大半の高校生は進路を決めた後だったこともあり、入学者の確保に苦戦。同校は今月いっぱい入学者を募る。高卒程度の資格があれば年齢に制限はなく受験が可能。20日にはオープンキャンパスを予定する。
 
 日本語学科には現時点でネパールから20人超が入学を希望しているという。留学生を受け入れるには、日本語教育機関として国に告示(認可)されなければならないが、受け入れの手続きや体制が整っていないなどを理由に再審査が必要となり、開校が遅れていた。
 
 問い合わせは同校(0193・27・7202)へ。

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卒業、新たな門出 歌声で後押し ノイホフ・クワィアー(釜石) 歴史つなぐ演奏会

心を一つに歌声を響かせる団員、ワークショップ参加者ら

心を一つに歌声を響かせる団員、ワークショップ参加者ら

 
 釜石市の「親と子の合唱団ノイホフ・クワィアー」(小澤一郎代表)のファミリーコンサートは17日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。145回目となる演奏会のテーマは「卒業に寄せて」。この春、旅立ちを迎える18歳の団員は思い出や未来への期待を歌声にのせた。歌う楽しさを体感してもらおうと実施したワークショップの参加者4人も加わり、成果を披露。多彩な声の重なりで観客ら約100人に感動を届けた。
 
 同団は今年で創立47年となる。演奏会は3部構成で、「東洋のひびき・西洋のひびき」と題した1部には高校3年生~70代までの団員、他地域から駆け付けたメンバーら11人が出演。創立者の故渡辺顕麿さん(宝樹寺元住職)をしのんでグレゴリオ聖歌や典礼聖歌、仏教賛歌など8曲を厳かに響かせた。
 
そろいの衣装で美しいハーモニーを聞かせた1部のステージ

そろいの衣装で美しいハーモニーを聞かせた1部のステージ

 
 2部は出会いと別れの季節にちなみ、卒業ソングや新たな門出の背中を押すような言葉が続く8曲を披露。「涙そうそう」「栄光の架橋」では約1カ月のワークショップを経た4人もステージに立った。小学校卒業の思い出にと参加した石田啓将君(12)と鈴木一惺君(11)は、同団の歌声に爽やかさを上乗せ。「緊張したけど楽しかった。心を一つにして歌えた」と満足感たっぷりの笑顔を見せた。
 
2部では卒業や門出を迎えた人へエールを送る歌声を聴かせた

2部では卒業や門出を迎えた人へエールを送る歌声を聴かせた

 
ワークショップ参加者も堂々とステージに立って声を合わせた

ワークショップ参加者も堂々とステージに立って声を合わせた

 
 3部のテーマは映画音楽。「エデンの東」「駅馬車」「チキチキバンバン」など同団で歌い継いできた8曲を、元気な振り付けを加えながら聞かせた。踊りながら歌うパフォーマンスを「これぞ、ノイホフ」と楽しんだのは中妻町の70代夫婦。子どもが同団出身だったこともあり、長く見守ってきた。「歌声がきれいだった」「あんなにたくさんの曲の歌詞を覚えているのがすごい」と感心。この歴史がつながるのを期待していた。
 
3部は振り付けも交えて歌ってノイホフらしいステージに

3部は振り付けも交えて歌ってノイホフらしいステージに

 
楽しいステージに観客は手拍子して盛り上げた

楽しいステージに観客は手拍子して盛り上げた

 
 アンコールで2曲披露した後には、この春に釜石を離れる団員の“卒業式”を催した。同団の子どもたちは「釜石ノイホフ少年少女合唱隊」としても活動するが、高校卒業と同時に卒隊となる。今年は、ただ一人の高校生メンバーだった千代川陽琉さん(18)がその時を迎えた。小学3年の時から約10年、大好きな音楽に触れる中でたくさんの人と出会い、さまざまなことを学んだ。「あたたかい雰囲気で見守ってもらい、伸び伸びできた」と感謝。ノイホフでの経験や抱いた感情を生かす未来を思い描きながら新たな歩を踏み出す決意を、3部で歌った「My way」に込めた。
 
 「卒隊しても演奏会には歌いに来たい」と望む千代川陽琉さん(手前)

「卒隊しても演奏会には歌いに来たい」と望む千代川陽琉さん(手前)

 
ともに歌って楽しむことを体現する指揮者の小澤一郎代表

ともに歌って楽しむことを体現する指揮者の小澤一郎代表

 
 ここ数年、新型コロナウイルスの影響で少数の出演が続いた。今回はワークショップ参加者を加えた総勢15人で声を合わせる楽しさを共有。指揮する小澤代表(47)も心で歌いながら気持ちを分かち合った。自身も同団で子どもの頃から歌い、年代を超えた声の重なりの奥深さを体感。その経験を子どもたちに伝え、表現する機会をつくり出すのが役目と感じていて、「歌いたい人たちの受け皿として、これからも一歩ずつ活動を積み重ねていきたい」と歴史の継承へ思いを深めた。
 
 12月にはクリスマスコンサートを予定する。

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つなぐ「あの日」の記憶 釜石出身・2人の演劇人「忘れない」 震災題材の舞台2本立て上演

演劇で震災の記憶を伝える小笠原景子さん(左)、内沢雅彦さん

演劇で震災の記憶を伝える小笠原景子さん(左)、内沢雅彦さん

 
 東日本大震災の記憶をつなぐ舞台「あの3月11日を忘れない 一人の芝居」は8~10日、釜石市で上演された。地元の劇団もしょこむの小笠原景子さん(39)、東京の劇団黒テントの内沢雅彦さん(63)による一人芝居2演目。演劇という表現でつながる同郷の2人は、それぞれ地元ゆかりの作家が紡いだ物語やつづった言葉に思いをのせ発信した。毎年巡ってくる“あの日”をどのような日にするか。自らに問いかけ、感情をそっと抱きしめるように。観客と語り合う時間もあり、気持ちを重ねながら地域を見つめた。
 
 この公演は内沢さんが企画した。震災当時に「古里の力になれなかった」という思いを持っていたが、ある物語との出合いで「今こそ、演劇で」と背中を押され、あの日から12年となる昨年、古里公演を実現。「演じることで同郷の人、気持ちと向き合えた」と、今年も続けることにした。今回は、女性目線の震災も伝えようと、小笠原さんにオファー。会場は大只越町出身の内沢さんにとって「抱きしめたくなるような思い出が詰まった地」、青葉通り(大町)に古くからある2つの店を選んだ。
 
ジャズ喫茶タウンホールで朗読劇を披露する小笠原さん(右)

ジャズ喫茶タウンホールで朗読劇を披露する小笠原さん(右)

 
 昼、夜の部合わせて計5公演。小笠原さんは3公演を担当し、8日夜はジャズ喫茶タウンホールで約20人の観客に朗読劇「釜石の風」を届けた。原作(同名著書・コールサック社刊)は、釜石高の教諭だった照井翠さん(俳人)のエッセー。震災後に市内外の被災地を訪ね、見聞きしたこと、感じたことを記す。
 
「釜石の風」を上演する小笠原さん。言葉に感情をのせ伝える

「釜石の風」を上演する小笠原さん。言葉に感情をのせ伝える

 
 「被災地では、私達は三月を愛さないし、三月もまた私達を愛さない」。鵜住居地区防災センターの惨劇をつづったこの文章では深まる苦悩や絶望を色濃く映し出す。〽三・一一神はゐないかとても小さい――。「震災とは」という思索の中で「悲しみは薄まらないし、心の傷も癒えない」と気づかされる。
 
 だが、それだけではない。復興に向かうまちの様子、自然の営みといった希望も伝える。自然災害を「地球のリズム」と表し、太平洋戦争末期にまちを壊滅させた「釜石艦砲射撃」にも触れ、確信を込める。「幾多の悲劇を乗り越え、壊されても喪っても不死鳥のように蘇る釜石の人々。(中略)ここ釜石は、命の尊さを学び、平和を希求する者の聖地なのだ」
 
 小笠原さんは目の動きや表情、声の強弱で言葉に感情をのせた。ショパンの「雨だれ」を挿入歌として聴かせる演出も。短い文章の中に凝縮された思いに触れた観客は「震災を経験していないし、東京にいると、3・11に何か思うことはなかった。けど、いろんな感情を見せてもらった」「感情は人それぞれだが、次の悲劇が起こらないよう語り継いでいくべきだ」などと気持ちを吐き出した。
 
上演後には来場者と語り合って感情を共有、気づきを得た

上演後には来場者と語り合って感情を共有、気づきを得た

 
 「当事者がいる中で悲惨さだけを押し出したくない」と小笠原さん。この地に暮らす自身も当事者であって、今でも跡地を見たりするとフラッシュバックする。被災地で震災の記憶に触れて演じることに迷いはあるが、各地で自然災害が続く今、やはり伝えなければとも思う。「復興の過程という背中を見せていければ。移り変わる心も伝えられたら。それができるのが表現という方法の価値だと思う」と熱く語った。
 
観客でいっぱいの喫茶かりやで一人芝居を上演する内沢さん

観客でいっぱいの喫茶かりやで一人芝居を上演する内沢さん

 
 内沢さんが見せたのは、鵜住居町出身の小説家沢村鐵さんの短編「もう一人の私へ」を原作にした一人芝居。岩手県出身作家12人による震災をテーマにした短編小説集「あの日から」(岩手日報社刊)に収録されている。この作品が古里公演を決意させ、今年も演目は同じ。9日午後の喫茶かりやは、約40人の客でいっぱいになった。
 
 物語の主人公は、鵜住居町出身の作家。転機を求め郷里に戻った直後、まちは津波にのみ込まれた。偶然か、遠野市で暮らしていた母が亡くなり、葬儀のため鵜住居を離れていたことで命をつないだ。「砂漠のような」更地の光景が広がるまちで生活し続け4年。息子に手紙をしたため、そこにある思いを語りかける形で舞台は進む。
 
「もう一人の私へ」。同郷の表現者へ共感を込め演じる内沢さん

「もう一人の私へ」。同郷の表現者へ共感を込め演じる内沢さん

 
 「あの震災の記憶に触れるときに平静でなどいられない。脚色が不要どころか、悲惨すぎてぼかすことが必要な現実なのだから」「母が生きていれば自分は鵜住居にいて、津波にのまれたはず」「隣の宇宙では、海の底で死んでいる自分がいる」―。複雑な胸の内、あったかもしれない過去や並行世界(パラレルワールド)を思案しながら独白していく。
 
 小道具の手紙に書き込んだ文字を声にする。防災センターで多くの人が亡くなった。「到底『悲劇』では収まらない」。同じ町で小中学生が見せた避難行動に触れ、「この町の光と影は落差が大きすぎる。その光で影を吹き払うことはできない。あまりに濃い影だからだ」。目を赤らめ、言葉を詰まらせる内沢さん。観客の真剣なまなざしを受け、言葉を絞り出す。「奇跡も悲劇も要らなかった。できるだけたくさん生き残ってくれていたら…それでよかった」「便利で安易な言葉は本質を小さくしてしまう」。沢村さんがブログにつづった思いを紹介し、幕を閉じた。
 
上演後の触れ合いタイム。演者も来場者にも笑顔が広がる

上演後の触れ合いタイム。演者も来場者にも笑顔が広がる

 
 「災害を生き残った一人の小説家の曖昧ながらも生きていく姿勢が、震災後に『自分に何ができるか』と無力感に襲われた自分に重なった」と内沢さん。そして演じてみた。今も、これが何になるのだろうと思う時もある。「でもやるしか、語るしか、演じるしかない。毎年巡ってくる新たなその日、3月11日を古里の人たちと迎える場所ができたらいい。その日にだけ思い出すのでなく、その日に向けみんなで語り合う、そんな日になってゆくのでは」。来年もまた記憶を共有する空間をつくろうと動き出す。
 
小笠原さんと内沢さん「演劇を通じて感情を伝え合う時間を来年も」

小笠原さんと内沢さん「演劇を通じて感情を伝え合う時間を来年も」

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新たな魅力発信!釜石商工高 資格取得で快挙 「ジュニアマイスター」特別表彰3人

ジュニアマイスターに認定された釜石商工高電気電子科の3年生

ジュニアマイスターに認定された釜石商工高電気電子科の3年生

 
 釜石商工高(今野晋校長、生徒175人)の電気電子科3年生8人が、資格取得などを点数化して顕彰する「ジュニアマイスター」に認定され、そのうち3人が高度な資格取得で高得点を獲得し「特別表彰者」に輝いた。特別表彰者の誕生は同科では初めてで、生徒や教員らは喜びをかみ締めている。互いに励まし合って技術を磨いてきた3人は4月から、行政機関や電力会社などで社会インフラを支える技術者として働き始める。
 
 顕彰制度は全国工業高校長協会(東京)が実施。全国の工業系高校の生徒を対象に、在学中の活躍や身に付けた知識、技術、技能を評価する。取得資格や検定、競技会などの成績、難易度に応じた得点が加算され、上からゴールド(45点以上)、シルバー(44~30点)、ブロンズ(29~20点)の3種類があるほか、高難易度の資格を持ち、合計点数が60点以上の場合に特別表彰が贈られる。
 
 特別表彰を受けたのは、小野寺雄磨さん(72点、11資格)、久保琉唯さん(72点、10資格)、佐藤輝河さん(64点、8資格)。同科では資格取得に力を入れており、3人は難易度が高い電気工事士(1種)、電気工事施工監理技術検定(2級技師補)、電子機器組立て技能士(3級)などを取得した。
 
特別表彰を受けた(左から)佐藤輝河さん、小野寺雄磨さん、久保琉唯さん

特別表彰を受けた(左から)佐藤輝河さん、小野寺雄磨さん、久保琉唯さん

 
 小野寺さんは「持っておいて損はない」と1年時から積極的に資格取得に挑戦。「勉強は大変だった」が、指導する教員らが高度な技術、知識を教え、「背中を押し続けてくれたから」と感謝する。「応援の恩返しを」と選んだ道は岩手県職員。技術職(電気)での採用で、「電気の安全安心を守れるよう、日々の仕事を頑張る」と背筋を伸ばす。
 
 久保さんは、原子力発電の危険性や仕組みが気になり独自に調べているうちに電気に興味を持ち、同科に入学。資格をとるための勉強は苦にならなかった。ただ、実技が得意ではなく、図面通りの回路づくりなどは「かなり頑張って練習した」という。ものづくりにも関心があり、日本製鉄北日本製鉄所釜石地区への就職を決めた。
 
 佐藤さんも「不器用」だといい、細かな作業が多い実技では失敗することも。そんな時、励まし合える仲間の存在が力になり、「達成感がすごい」学校生活につながった。就職先は学びや資格を生かせると東北電力ネットワークを選択。「安定した送電で住民生活を支える」のを目標に、さらに資格取得にも励みたいと先を見据えた。
  
 学校統合により2009年に発足した同校は少子化で定員割れが続き、同科もその影響を受ける。普段の学びの成果を把握したり、就職活動に役立ててもらおうと、資格取得に力を入れ始めたのは2017年度から。2年後にジュニアマイスターの称号を得る生徒が生まれ、その後も在籍数は伸び悩んでいるが、資格取得率は上がっている。今年度、3年生は13人。初の快挙となった特別表彰獲得(3人も)のほか、ゴールドとシルバーが各2人、ブロンズに1人が認定された。1年ごとに認定の機会があり、13人全員が一度は何らかの称号を獲得している。
 
3年間学業に励んだ生徒と見守った小野寺一也教諭(後列右)

3年間学業に励んだ生徒と見守った小野寺一也教諭(後列右)

 
 生徒たちの努力が実ったことを喜ぶのは、同科長の小野寺一也教諭(55)。分野の異なる試験が同時期に重なり、並行して勉強する生徒もいた中で、「信じられないくらい頑張った。期待以上」と目を細める。「国家資格は一生もの。持つことで、できる仕事の幅も広がる」とした上で、卒業する13人に「これからも資格を取り続けるだろう。高い目標を持ち、勉強する癖を身に付けてほしい」とエール。残る下級生には「快挙」ではなく「継続」を望んでハッパをかける。指導教員や学校関係者は「釜石商工の新たな魅力になる。一人でも多くの中学生に興味を持ってもらえたら」と期待する。