タグ別アーカイブ: 文化・教育

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根浜の海岸風景を残そう 釜石東中生、浜の植物再生をお手伝い 息長く、着実に

浜由来の植物を増やそうと根浜海岸で活動する釜石東中生

浜由来の植物を増やそうと根浜海岸で活動する釜石東中生

 
 海岸の原風景を取り戻したい―。釜石市鵜住居町の根浜海岸で19日、地元の釜石東中(佃拓生校長、生徒83人)の2年生31人が、種から育てたハマエンドウやハマヒルガオ、ケカモノハシなどの苗約380株を植えた。東日本大震災の津波で多くの海浜植物が失われた海岸林の再生活動は今年で6年目。先輩たちからつながる取り組みは着実に根付いていて、「たくさんの植物が花咲くきれいな浜に」と願った。
 
 震災後にこの活動を始めたのは、根浜海岸林再生実行委員会。地域に親しまれたかつての風景を取り戻そうと地元住民や行政が連携し、同海岸由来の植物を種から育て現地に植え戻してきた。
 
根浜海岸で進む植物再生活動を知らせる看板

根浜海岸で進む植物再生活動を知らせる看板

 
 同校は2018年から協力し、総合的な学習の一環として続ける。2年生が中心となって毎年春に同海岸について学ぶ座学と種まきを行い、夏には移植地の清掃など全校挙げて環境を整備。秋に育てた苗を植栽して締めくくりとなる。
 
今年は5月に種をまき、水やりや日光管理を行いながら成長を観察。6、7月に移植地の草取りをして準備してきた。
 
移植場所の草取りをする釜石東中の2年生

移植場所の草取りをする釜石東中の2年生

 
先輩たちが植えた苗を残して周辺を除草

先輩たちが植えた苗を残して周辺を除草

  
 旅館「宝来館」前にあるマツ林の海側に作られた再生スペースが活動場所。生徒たちは除草した後、しっかりと根を張るよう願いを込めながら1本ずつ植えていった。現3年生が昨年種まきし育てていたハマボウフウの苗も植栽。定植場所を囲むロープの張り替えも行った。
 
育苗ポットから取り出して植える準備

育苗ポットから取り出して植える準備

 
苗を手に願う「しっかり根付いて」

苗を手に願う「しっかり根付いて」

 
自分たちが育てた苗を丁寧に植え付け

自分たちが育てた苗を丁寧に植え付け

 
 生徒や地元住民らの力によって再生スペースは延長200メートルほどに。先輩たちの取り組みが着実に根を張る。「ここは海辺の植物がたくさんあった貴重な場所。震災前の風景が戻るよう、できることをしたい」と汗をぬぐったのは小笠原早紀さん。“猫じゃらし”のようなケカモノハシが気になっていて、「どんな花が咲くのか、楽しみ。大きくなって、どこを見ても植物でいっぱいなきれいな所になってほしい」と思い描いた。
 
植え方を説明する島田直明教授(左)

植え方を説明する島田直明教授(左)

 
 講師を務める県立大総合政策学部の島田直明教授(植生学、景観生態学)は「作業した場所がどうなっているか、時々見にきてもらえるとうれしい。みんなが手伝って生まれる海岸の風景は地域の人の癒やしになる」と東中生に呼びかけた。育成中の苗は残り、植え替えが継続的、効率的にできるような取り組みも進行。「完成はまだ先だが、一緒に経験値をつくっていきたい」と、学校ぐるみの息の長い活動に期待を込める。

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踊りで地域に元気を 釜石の柳家細川流舞踊 10月の公演に向け、稽古に熱

発表会の会場となる舞台で練習に励む出演者

発表会の会場となる舞台で練習に励む出演者

  
 釜石市内を拠点に活動する「柳家細川流舞踊」の発表会・福祉基金チャリティーショーは10月8日に大町の市民ホールTETTO(ホールA)で開かれる。踊り手約20人のうち、26歳から81歳までの17人が出演予定で、本番に向けて向定内集会所(定内町)で稽古に励んでいる。残り1カ月となった9月9日には同ホールを貸し切って舞台練習。会場の雰囲気や舞台上での立ち位置などを確かめながら、「喜んでもらえる踊りを」と気持ちを高める。
  
 チャリティーショーと銘打つ発表会は5回目。これまでは東日本大震災の復興支援を目的にしてきたが、今回はまちづくりが進んだこれから先の地域により必要となる「福祉に役立つために」と思いを込める。
  
 会員は、演歌や歌謡曲などに振り付けをした新舞踊を中心に28プログラムに出演する。家元の細川艶柳華(本名・伊東恵子)さん(74)が選曲、振り付け、舞台構成、衣装選び、着付け、化粧など、ほぼすべてを担当し大忙し。会員らは家元の指導を受けながら曲に合わせた動き、足と指先の角度、ポーズなど細かい技術を磨いている。
  
「芸事が好き」と熱中する細川恵ノ丞さん

「芸事が好き」と熱中する細川恵ノ丞さん

  
 最年少で名取、そして今回の出演者中唯一の男性でもある細川恵ノ丞(同・千葉陽斗)さん(26)は3つの演目に登場する。「踊りの文化を引き継ぐ」若手として家元や仲間からの期待も多いが、そこにあるのは「多彩な顔」。この公演でもあでやかな女形を披露した後、一変してりりしい男踊りを見せるべく、稽古に取り組む。
  
 大槌町出身の恵ノ丞さんが、本格的に踊りを始めたのは社会人になってから。細川流に入門する母や祖母の影響もあり幼少期から踊りは身近なもので、「いつかは」と思っていた。仕事の傍ら稽古に励む生活は8年目。舞踊の魅力は「稽古の積み重ねで、その人にしか出せないものを見いだしたり、役になりきって感動を与えられる」と熱を込める。目指すは「また見たい!」と思ってもらえる踊り手。「まだまだ未熟。それでも自分にしか出せない色気や雰囲気を楽しんでもらえたら」と本番に向け集中する。
  
恵ノ丞さんの「多彩な顔」は本番のお楽しみ

恵ノ丞さんの「多彩な顔」は本番のお楽しみ

  
芸歴の長い踊り手たちも「負けじ」と役に入り込む

芸歴の長い踊り手たちも「負けじ」と役に入り込む

  
 年長者も負けてはいない。登場する2演目で男役を務める三田節子さん(81)は最高齢の踊り手。「歳をとると踊りながらふらつくこともあるけど…我慢」と言いながらも背筋はシャンと伸びていて、「2曲とも人生を歌っている。歌には物語があり、主人公になったつもりで感情を込め、かっこいい踊りを見せたい」と力を込める。昨年3月に仲間入りした初心者の工藤和子さん(68)は、初めての1人舞台に挑戦。「1曲入魂。頑張っていれば、いいことがあると信じる。喜んでもらえる踊りを」と意気込む。
  
「にぎやかに威勢よく」と地域を盛り上げる演目も

「にぎやかに威勢よく」と地域を盛り上げる演目も

  
細かな点を確認し助言する家元の細川艶柳華さん(中)

細かな点を確認し助言する家元の細川艶柳華さん(中)

  
 同団体は、細川流舞踊を立ち上げて30年以上率いた細川艶奨柳家元(故人)の一番弟子だった艶柳華さんが先代の遺志を引き継ぎ、改名・再出発してから10年を迎えた。「柳家」に込めたのは、「柳のようにしなやかに折れることなく続けていく」という意志。艶柳華さんは「目的があれば、踊り手たちの張り合いになる。老いに負けず、頑張りましょう」とはっぱをかける。
  
 新型コロナウイルスの影響で2年前の公演は入場を制限したが、今回は設けない方針。発表会開催時に企業などから集めていた協賛金はコロナや景気の動向を考慮し控えることにした。収益の一部を福祉事業に寄付する予定で、艶柳華さんは「みんなで力を合わせ、地域に元気をお届けします。多くの方に来場し、楽しんでもらいたい」と呼びかける。
   
多くの来場を呼びかける柳家細川流舞踊の踊り手たち

多くの来場を呼びかける柳家細川流舞踊の踊り手たち

   
 料金は前売りが1500円、当日券2000円で、同ホールと市社会福祉協議会で発売中。公演は午前11時半開場、12時半開演。釜石出身の民謡歌手佐野よりこさんが司会を務め、合間には歌声も披露する予定。詳しくは同ホールイベント情報で確認を。

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岩手が誇る3世界遺産を学ぶ 釜石・大平中1年生 県職員の出前授業で興味倍増

大平中1年生を対象に行われた県職員による世界遺産出前授業

大平中1年生を対象に行われた県職員による世界遺産出前授業

 
 釜石市の大平中(髙橋信昌校長、生徒80人)で13日、本県の世界遺産について学ぶ授業が行われた。県文化振興課が県内の小中高生を対象に開く出前授業で、同校では初開催。1年生19人が同市の「橋野鉄鉱山」を含む3遺産の概要や登録理由などを学び、その価値に理解を深めた。
 
 同課主任主査の濱守豊司さん(49)が講師を務め、クイズ的要素を交えながら楽しい授業を行った。本県の世界遺産は「平泉(の文化遺産)」(2011年登録)、「橋野鉄鉱山」(15年同)、「御所野遺跡」(21年同、一戸町)の3つ。橋野鉄鉱山は明治日本の産業革命遺産(8県11市23資産)、御所野遺跡は北海道・北東北の縄文遺跡群(4道県13市町17資産)の構成資産の一つとして登録された。いずれも世界文化遺産。
 
 濱守さんは「現在、登録されている世界遺産は1157件。日本では25件。世界遺産が3つあるのは岩手、鹿児島、奈良の3県だけで国内最多」と説明。本県の注目点として、時代が分かれている(御所野:約5000年前、平泉:約800年前、橋野:約160年前)ことを挙げた。3遺産の概要、登録理由についても解説した。
 
県文化振興課の濱守豊司さんが岩手の世界遺産について教えた

県文化振興課の濱守豊司さんが岩手の世界遺産について教えた

 
三択のクイズで正解と思うものに手をあげる生徒

三択のクイズで正解と思うものに手をあげる生徒

 
 「御所野遺跡」は縄文時代中期後半の集落跡とされ、竪穴住居跡などが残る遺跡。調査で土屋根だったことが証明されており、全国的にも珍しい形態だという。住居のそばにクリの木があり、実は食料に、木は家の柱に使うなど「自然の恵みを上手に活用して暮らしていたのが縄文人」と濱守さん。出土した土器も見せ、自然と共生した定住集落の構造がよく分かることを登録理由に挙げた。御所野を含む同遺跡群は国内最古の世界文化遺産。
 
 「平泉」は有名な中尊寺、毛越寺のほか無量光院跡など3資産を含む5つの構成資産から成る世界遺産。平安時代、奥州藤原氏4代にわたって造られた平泉は、初代清衡の「争いのない理想郷を」との願いから、仏教の「浄土」を参考に国づくりが進められていった。唯一現存する「中尊寺金色堂」、柱跡だけが残る「無量光院」は、当時の首都・京都から優秀な技術者を呼んで造らせたとされる。濱守さんは「当時の平泉はそのぐらい力があり、栄えていた土地だったことが分かる」と説明した。
 
 「橋野鉄鉱山」は国内で現存する最古の洋式高炉跡を有する場所。3基の高炉の石組みが残り、(鉄鉱石の)採掘場跡、運搬路跡とともに世界遺産になっている。「洋式高炉の稼働で、丈夫な鉄を一度にたくさん作れるようになった。今の豊かな生活があるのは、洋式高炉での製鉄に成功した釜石のおかげ」と、歴史的価値を示した。 
 
縄文土器、かわらけ(平安)など3遺産の時代の出土品にも触れた

縄文土器、かわらけ(平安)など3遺産の時代の出土品にも触れた

 
土器のかけらの手触りや重さを確かめる生徒

土器のかけらの手触りや重さを確かめる生徒

 
 生徒らは濱守さんの問いに積極的に受け答えしながら授業に臨み、本県が誇る世界遺産について理解を深めた。生徒らは8月末には、同市の製鉄の歴史を学ぶ一環で、手作りのミニ高炉での鉄づくりも体験している(市主催)。
 
 授業中、熱心にメモを取っていた照井心陽さんは、まだ行ったことがない御所野遺跡に興味を持った様子。「クリの木の近くに竪穴住居を作っていたのは初耳。よく考えて暮らしていたんだなと思った」。復元した土屋根の住居があると聞き、「中に入ってみたい。面白そう」と縄文文化の体験に期待を膨らませた。
 
 積極的に発言していた菊地優也さんは「平泉の金色堂が日本で最初に国宝(建物)に指定されたことや世界遺産が日本に25件しかないことなど、知らなかったことが知れた。岩手に3つも世界遺産があるのはすごい。他の遺跡のことも調べてみたい」と、知的好奇心をくすぐられていた。
  
生き生きとした表情で世界遺産授業に臨む生徒

生き生きとした表情で世界遺産授業に臨む生徒

 
生徒らは興味深げに濱守さんの話に聞き入った

生徒らは興味深げに濱守さんの話に聞き入った

 
 県による世界遺産出前授業は毎年、希望校が多い人気の講座。今年度は約120校から応募があり、うち30校で実施されている。

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防災の学び 伝え合う 釜石市・東海市の児童 まちの歴史から共通点を発見 友情深める

まちの特色や防災の取り組みを伝え合う釜石市と東海市の児童

まちの特色や防災の取り組みを伝え合う釜石市と東海市の児童

  
 姉妹都市提携を結ぶ釜石市と東海市の児童交流会が24日、釜石市の平田小(佐守直人校長、児童157人)であった。東海市の小学校12校から6年生24人が訪れ、平田小6年生(32人)と交流。互いの市の特色や防災学習の取り組みを紹介し、学び合いながら友情を深めた。
   
 平田小児童は「東日本大震災が起こった時、お母さんのおなかにいた人がほとんど」とした上で、津波襲来時の映像を紹介。家族らから話を聞いたり、避難訓練を年6回行っていることを説明した。全児童が水やタオル、カイロなどを入れた避難袋を用意していて、「いつ起こるか分からない災害。とにかく自分の命は自分で守る。津波が来たらとにかく高いところへ。『津波てんでんこ』の考えを大切にしている」と強調した。
  
東日本大震災時の津波の映像に見入る子どもたち

東日本大震災時の津波の映像に見入る子どもたち

 
ラグビーのまちについて紹介する平田小児童(右)

ラグビーのまちについて紹介する平田小児童(右)

   
 東海市の児童は熱心にメモを取ったり、デジタルカメラで写真を撮ったりしながら同年代の話に耳を傾けた。南海トラフ巨大地震を想定した備えについて発表し、ライフジャケットの着用訓練を行っていることを伝えた。
   
 4グループに分かれて、まちの特色や歴史などを発表し合ってより理解を深める時間も。東海市の児童が「震災のことを大人に初めて聞いた時、どんな印象だった?」と質問すると、平田小の児童は「小さい頃であまり分からなかった。学校で学習しながら知識を深めている」と答えた。ほかにも好きな給食のメニューやゲームの話題で会話を弾ませていた。
  
気になることを聞いたり答えたり、会話を弾ませたグループワーク

気になることを聞いたり答えたり、会話を弾ませたグループワーク

 
釜石にまつわるクイズに挑戦する東海市の児童(奥)

釜石にまつわるクイズに挑戦する東海市の児童(奥)

   
 平田小の熊谷凜音(りの)さんは「10年くらい前につらいことがあったけど、頑張ているよとしっかり伝えられた」と胸を張り、久保心輝(こうき)君は「鉄のまちが共通点ということが印象に残った。仲良くなって交流を続けられたら」と期待した。
   
 東海市立横須賀小の女子児童は「避難袋の取り組みが印象的。細かい準備をしていれば、いざという時に安心すると思う。すごい被害のあった震災のことをきちんと理解して、備えられるようにしていると感じた」と刺激を受けた。加木屋南小の男子児童は鉄の歴史に理解を深めた様子。「鉄の発展は大島高任のおかげ。学びや経験を伝えたい」と背筋を伸ばした。
  
東海市にちなんだ献立も入った給食を一緒に味わう

東海市にちなんだ献立も入った給食を一緒に味わう

   
 両市は、1960年代に釜石製鉄所から700人超が家族を伴って東海製鉄所に移ったことをきっかけに交流を開始。2007年に姉妹都市となり、スポーツを通じた交流事業などで絆を深めてきた。東海市は震災後、物資支援、職員の派遣、ラグビーW杯に向けた多額の寄付など支援を続け、中学生の海外体験学習事業(新型コロナウイルスの影響で現在は実施せず)などでも連携。児童の交流は21年度から続けている。

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「憎む、代わりに愛を」 捕虜だった祖父 足跡たどり釜石に オランダから孫一家 つなぐ平和への思い

祖父の面影をたどり釜石を訪れたエローイ・リンダイヤさん(左)と家族ら

祖父の面影をたどり釜石を訪れたエローイ・リンダイヤさん(左)と家族ら

  
 第2次世界大戦中、釜石市の捕虜収容所に収容されたオランダ人のエヴェルト・ウィレム・リンダイヤさん(1908-81年)の孫で、投資家のエローイ・リンダイヤさん(58)が21日、家族と共に来釜。市郷土資料館や収容所跡地などを訪ね、祖父の足跡をたどった。
   
 ウィレムさんは1942年にオランダ領のインドネシアから捕虜として釜石市に送られた。甲子町にあった大橋捕虜収容所(正式名称・仙台俘虜[ふりょ]収容所第四分所)を主として生活し、機械整備などに従事。医学の知識があったため、大橋のほか港町にあった釜石捕虜収容所(同仙台俘虜収容所第五分所)の診療所で病人の治療などにも当たった。45年9月に解放され、釜石港から帰国の途に就いたとされる。
   
 当時の過酷な捕虜生活を妻子にあてて日記形式でつづっていたというウィレムさん。この手記を保管していたのが息子ウィムさん(1936-2013年)で、2000年に「ネルと子供たちにキスを―日本の捕虜収容所から」として発刊している。父の足跡を訪ねるため、ウィムさんは1995年からたびたび来釜。学校などで講演も行い、平和の大切さを訴えていたという。
  
捕虜生活中のウィレムさんがつづった日記の翻訳本「ネルと子供たちにキスを」

捕虜生活中のウィレムさんがつづった日記の翻訳本「ネルと子供たちにキスを」

   
 今回訪れたエローイさんはウィムさんの息子で、釜石を訪れるのは2度目。家族の歴史を知ってもらおうと、妻シャウケ・オーシティンディさん(59)や長男エリオットさん(20)、長女ロザリンデさん(15)を伴い休暇を利用し来日、釜石へ足を延ばした。
   
 鈴子町の市郷土資料館では、「ネルと~」の発刊のため、日本語翻訳に協力した市国際交流協会の加藤直子さんらが案内。当時の収容所の写真やウィムさんが釜石を訪れた際の写真などに見入った。
 
郷土資料館で祖父の足跡を確認するエローイさん一家

郷土資料館で祖父の足跡を確認するエローイさん一家

 
資料館が用意した資料。右上の写真がウィレムさん。来釜時のウィムさんの写真もある

資料館が用意した資料。右上の写真がウィレムさん。来釜時のウィムさんの写真もある

  
 エローイさんは父ウィムさんを思い出した様子。「かつては日本人を心の底から憎んでいた」と聞いたこともあったが、釜石の学校でスピーチをする時に「あなたたちを憎んでごめんなさい。憎む代わりに尊敬し、愛することを学んだ。和解したい。心の底から言えることだ。それが母の願いだから」と語っていたという。記憶をたぐり、自分にも言い聞かせるようにこう続けた。「祖母ネルは『日本人を恨んではいけない。憎しみから戦争が起こるから。憎むのはやめ、許しましょう。和解するように。日本人を愛しなさい』と生前父に伝えていた」。そうした願いを若い世代につなぐ。
   
 市役所で平松福壽副市長らと懇談した。エローイさんは来訪の目的などを伝え、市側は艦砲射撃という戦災の歴史をつなぐ活動を説明。つらく悲しい歴史を経て、笑顔で交流できる平和への思いに共感した。
 
市役所で市職員らと懇談。平和への思いを共有した

市役所で市職員らと懇談。平和への思いを共有した

 
「サン、ニー、イチ、カマイC(シー)」と記念撮影

「サン、ニー、イチ、カマイC(シー)」と記念撮影

  
 その後、港町に移動。市文化振興課の手塚新太さんや同協会の和田竹美さんの案内で収容所跡地や釜石港を見て回った。「祖父は何も分からない状態でここにいた…」と思いをはせるエローイさん。戦後、まちを再興した釜石の人々の生きる力も感じながら、「あのような過ちを繰り返してほしくない。子どもたちがファミリーヒストリーを知ることで、平和や自由のありがたさを感じてほしい」と望んだ。
  
 家族の歴史に触れたエリオットさんは「この場には何もないが、曽祖父は確かにここにいた。若い世代が立ち止まって、曽祖父たちが経験したことを考えてみることが大切だ」と受け止めた。ロザリンデさんは「当時の写真を見たり、跡地に来てみて、曽祖父がどんな経験をしたのか理解できたように思う。日記をしっかり読みたい。もっと歴史を知りたい」と思いを深めた。
  
収容所があったとされる港町の現地を確認した

収容所があったとされる港町の現地を確認した

 
収容所跡地周辺で市職員らから説明を受けた

収容所跡地周辺で市職員らから説明を受けた

 
解放された捕虜らが帰国の途に就いたとされる釜石港

解放された捕虜らが帰国の途に就いたとされる釜石港

   
 一行は甲子町の戦跡も巡った。市によると、捕虜収容所2カ所に収容された外国人は計746人。収容中に病気などで33人、艦砲射撃で32人が亡くなっている。

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「明治日本の産業革命遺産」写真で感じる魅力満載 フォトコン作品展 釜石で8/31まで開催

鉄の歴史館で開催中の「明治日本の産業革命遺産フォトコンテスト」作品展

鉄の歴史館で開催中の「明治日本の産業革命遺産フォトコンテスト」作品展

 
 釜石市の「橋野鉄鉱山」など全国8県11市23資産が世界遺産登録されている「明治日本の産業革命遺産」。日本の近代化を急速に推し進めた製鉄・製鋼、造船、石炭産業に関わる各遺産は、今も目に見える形で私たちに歴史的意義を伝え続ける。2015年の世界遺産登録から間もなく10年を迎えるのを前に、その価値を再認識し広く発信する機運醸成にと昨年度、フォトコンテストが行われた。橋野鉄鉱山を撮影した作品が最優秀賞に輝いた同コンテストの作品展が31日まで、同市大平町の市立鉄の歴史館で開かれている。
 
 同館2階会議室で開かれる作品展は市が独自に企画。最優秀賞を受賞した橋野鉄鉱山の作品「悠久のたたら場跡と星空」=佐々木弘文さん(釜石市)撮影=をはじめ、優秀賞2点(端島炭鉱、遠賀川水源地ポンプ室)、エリア賞8点を拡大プリントしパネル展示する。釜石のエリア賞は「原燃料の山と橋野一番高炉」=藤原信孝さん(同)撮影=が受賞している。
 
最優秀賞を受賞した佐々木弘文さん(釜石市)の橋野鉄鉱山の写真(右)は多くの人が感嘆の声を上げながら見入った

最優秀賞を受賞した佐々木弘文さん(釜石市)の橋野鉄鉱山の写真(右)は多くの人が感嘆の声を上げながら見入った

 
釜石のエリア賞を受賞した一番高炉を捉えた藤原信孝さん(釜石市)の作品

釜石のエリア賞を受賞した一番高炉を捉えた藤原信孝さん(釜石市)の作品

 
 同コンテストは、構成資産のある県、市で組織する「明治日本の産業革命遺産」世界遺産協議会(事務局:鹿児島県)が登録10周年に向けたプロモーションの一環として企画。「つなぐ」をテーマに、昨年12月から本年2月まで作品を募集したところ、1084点の応募があった。審査はプロの写真家の選考と資産エリアの自治体投票で行われた。8エリア(佐賀、長崎、三池、鹿児島、八幡、萩、韮山、釜石)の各賞は、関係自治体に選考が任された。
 
優秀賞を受賞した長崎市の端島炭坑の写真(右)は普段なかなか見られない角度が印象的

優秀賞を受賞した長崎市の端島炭坑の写真(右)は普段なかなか見られない角度が印象的

 
静岡県伊豆の国市の韮山反射炉の写真「秋空に映える」=韮山・エリア賞

静岡県伊豆の国市の韮山反射炉の写真「秋空に映える」=韮山・エリア賞

 
福岡県北九州市の官営八幡製鉄所旧本事務所の写真「夢と浪漫を求めて」=八幡・エリア賞

福岡県北九州市の官営八幡製鉄所旧本事務所の写真「夢と浪漫を求めて」=八幡・エリア賞

 
 受賞作11点は同コンテストのWebサイトで公開されているが、展示会場で見る大型パネル作品は、来場者の視覚に訴える色彩の美しさや構図の迫力が際立つ。古い建物や構造物、遺跡など一見地味な遺産が撮影者の視点と技で魅力的に切り取られており、大型パネル化でより一層、見る人に強い印象を与えている。
 
 会場では、釜石の「橋野鉄鉱山」に関する応募作62点から抜粋した10点(撮影者5人)も展示。季節の移り変わりでさまざまな表情を見せる高炉場跡が、同所になじみのある市民にも新たな感動をもたらしている。
 
橋野鉄鉱山の応募作品の一部を公開。季節や時間帯で多彩な光景が見られる

橋野鉄鉱山の応募作品の一部を公開。季節や時間帯で多彩な光景が見られる

 
橋野鉄鉱山の山神社跡に目を向けた作品。鳥居の両側の大木が圧巻

橋野鉄鉱山の山神社跡に目を向けた作品。鳥居の両側の大木が圧巻

 
 同協議会は遺産を分かりやすく解説した新たなパンフレットも作成した。掲載のために撮影したプロ写真の中から16点を本作品展で公開している。コンテスト応募者が題材にしなかった資産を中心に紹介する。
 
 会場では、来場者が作品の感想を付箋に書いて貼る参加型企画も実施。市世界遺産課の森一欽課長補佐は「われわれでは発信できない視点で切り取られた作品が並ぶ。釜石市民が見慣れた橋野鉄鉱山も普段とは違った見方で魅力を感じてもらえるのではないか。寄せられたコメントも楽しんで見てみては」と来場を呼び掛ける。
 
 同コンテストは本年度も開催中で、10月15日まで作品を募集している。テーマは「記憶」。作品は応募者本人が過去1年以内に撮影した未発表のものに限る。応募方法などは同コンテストの特設サイトで閲覧できる。

 

釜石鉱山フォトコンテストも開催中 旧鉱山事務所の国有形文化財登録10周年で市が作品募集

 
鉱石の採掘が行われたことを示す跡が残る釜石鉱山周辺

鉱石の採掘が行われたことを示す跡が残る釜石鉱山周辺

 
 釜石市は「近代製鉄発祥の地」の原点となった甲子町大橋の釜石鉱山をテーマとしたフォトコンテストを開催している。市が管理する「旧釜石鉱山事務所」が国登録有形文化財(建造物)になってから本年で10周年を迎えるのを記念し企画。事務所や周辺に残る痕跡など釜石鉱山の残したい風景を写真で募集する。応募は10月30日まで。
 
 釜石鉱山は1727(享保12)年に発見された。後に盛岡藩士大島高任が同地に洋式高炉を築造。1858(安政4)年、鉄鉱石を原料とした連続出銑に日本で初めて成功した。1880(明治13)年、鈴子に官営製鉄所が操業すると鉄道が開通し、機関車で鉄鉱石を運搬。製鉄所が民間経営となった後も供給が続いた。同鉱山からは銅鉱石や石灰石も産出され、2000(平成12)年まで採掘が行われた。
 
 大橋に残る旧釜石鉱山事務所は1951(昭和26)年に建設された。2008(平成20)年に日鉄鉱業が建物を市に寄贈。市は寄託された鉱山関連の資料を一般公開する施設として運営している。建物は2013(平成25)年に国登録有形文化財となっている。
 
旧釜石鉱山事務所の建物や鉄、銅鉱石の選鉱場跡が残る一帯

旧釜石鉱山事務所の建物や鉄、銅鉱石の選鉱場跡が残る一帯

 
急峻な場所に礎石だけが残る鉄鉱石の選鉱場跡

急峻な場所に礎石だけが残る鉄鉱石の選鉱場跡

 
釜石鉱山学園跡地から臨む中ノ沢堆積場(写真正面奥)。積まれているのは選鉱後の不要な砕石

釜石鉱山学園跡地から臨む中ノ沢堆積場(写真正面奥)。積まれているのは選鉱後の不要な砕石

 
 募集する写真は応募者本人が過去1年以内に撮影した未発表のもの。立ち入り禁止場所や個人、企業の敷地などで了承を得ず撮影した作品は応募不可。応募方法や規約はポスターやチラシ、市広報7月15日号掲載のQRコードから確認できるほか、市のホームページからも検索できる。
 
 市は登録10周年記念事業として、旧釜石鉱山事務所の愛称募集も行う予定。フォトコンテストの受賞作品や選ばれた愛称は、「鉄の週間」期間中に行われる行事で発表することにしている。

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カメラ持ちて宝探し 釜石の写真家・菊池賢一さん つれづれなる作品展 何気ない風景、撮りつくせば

釜石市民ホールTETTOギャラリーで作品を展示する菊池賢一さん

釜石市民ホールTETTOギャラリーで作品を展示する菊池賢一さん

  
 釜石市大町の市民ホールTETTOで開催中のギャラリー展「art at TETTO(アート・アット・テット) Vol.9 随撮(ずいさつ)」。釜石・大槌地域で活動する作家を紹介する同ホール自主事業のこの企画で、9番目に登場したのは釜石・只越町で写真店「光陽写真」を経営するフォトグラファー菊池賢一さん(53)だ。本業もさることながら、趣味としてカメラを携え被写体という宝探しを楽しむ日々。普段の何気ない暮らしの中で目に留まった風景、人々の表情などを写した約60点を展示する。20日まで、入場無料。
   
並んだ作品の多くは釜石市内の風景。でも、どこにでもある暮らしの一コマ

並んだ作品の多くは釜石市内の風景。でも、どこにでもある暮らしの一コマ

   
 賢一さんは家業が写真店だったが、「やりたいことを自由に」という環境があり、大学卒業後は臨時教諭として岩手県内で働いた。2001年、父の故・宗親さんから相談を受けて古里へ。当時はカメラ撮影がフィルムからデジタルへの移行期で、店内の機材をデジタル化に対応させ、賢一さんの担当とした。同じ時期、店が拠点となっていた愛好者グループ「釜石写光クラブ」にも入会。本格的にカメラを手にした。
   
 初めに渡されたのはコンパクトデジタルカメラだったが、クラブ会員の多くはフィルム撮影で、賢一さんも「憧れが出てきた」。まねをしながら撮影していると、「飽き足りなくなった」。工作が好きだったこともあり、レンズの代わりに針で開けた小さな穴から光を取り込んで印画紙に焼き付けるピンホールカメラの自作・撮影を開始。フィルムもだが、「どんな画が写っているか、現像してみなければ分からない不便さ、面白さ」に夢中になった。
   
 そんなアナログ・白黒の世界、ピンホールカメラの楽しさを体感できるワークショップが12日にあった。元教員・賢一さんの自由性を尊重する教えのもと、参加者は手作りカメラで遊び、特設された暗室での現像体験では画が浮かび上がってくる魔法の時間を堪能した。千葉市の本行多恵子さん(47)も「構図を決めるのが難しいけど、楽しかった。現像液につける時間のさじ加減にドキドキ、ワクワクした」と満足げだった。
   
ピンホールカメラを作って、撮って、楽しむワークショップの風景

ピンホールカメラを作って、撮って、楽しむワークショップの風景

  
ワークショップ中もカメラを手に参加者の活動を記録する賢一さん

ワークショップ中もカメラを手に参加者の活動を記録する賢一さん

  
ホール内の特設暗室。参加者が写した世界も展示に加えられた

ホール内の特設暗室。参加者が写した世界も展示に加えられた

   
 最先端技術を持つデジタルカメラは撮るとすぐに画を確認できる「速さ」がメリット。アナログは「思うように撮れないところが魅力。失敗して、気づかなかったことに気づく。偶然性が楽しい」と賢一さん。それぞれの特徴、良さを使い分けており、ギャラリー展ではそうした手段を使った作品を並べる。
   
 ところどころに付け加えられた説明文。そこには賢一さんの撮影スタイルが記されている。これがキャラリー展のタイトル「随撮」につながる。写真にはキャプションという短い説明文を添えることがあり、これを「随筆」として捉え、もじった。「筆をカメラに持ち替えてみた…みたいな」といたずらっぽく笑う。ただ、写真は「それだけで対話ができる」とも。言葉が分からずとも、画を見ただけで共感できたり、「一つの言語なのかも」とうなずく。
   
フィルム、デジタルを使い分け商用、趣味的な作品を紹介する

フィルム、デジタルを使い分け商用、趣味的な作品を紹介する

  
作品に添えられた説明文。賢一さんの写真の楽しみ方が見えてくる

作品に添えられた説明文。賢一さんの写真の楽しみ方が見えてくる

   
 グループ展などで作品を紹介することが多く、個展は“ほぼ”初めて。「せっかくの機会、少し違った雰囲気に」と作品の見せ方にひと工夫。写真は平面だが、厚さ2センチほどのパネルを貼りつけて立体感を演出したり、サイズをA3、B2、全紙、全倍、2Lとバラバラにして動きを出した。
   
 ワークショップに参加した、賢一さんをよく知る同級生、工藤理宏さん(53)は「小さい頃から人と違う見方をする。堅そうだけど柔らかくもあり、ユーモアがあるけどふざけ過ぎていない、絶妙なバランスを持っている人。その視点、人柄が写真にも出ている」と明かした。
   
「撮っている時の楽しさが伝われば」と破顔する賢一さん

「撮っている時の楽しさが伝われば」と破顔する賢一さん

   
 家業を引き継いだのは08年。そして今年、写光クラブの会長になった。宗親さんは写真や仕事に関して厳しかったというが、そんな父の姿に賢一さんは「憧れ」を抱く。何でも言い合える仲間の存在とその信頼関係もしかり。「当時は人も時代も活気にあふれていた。好きなことを楽しむ、熱量を共感する感じだった」と記憶をたどり、現在の仲間と「そんな力強さを感じる関係にたどりつく」のが目標だ。
   
 ただ、撮影スタイルは「のんびりと」。外に出る時はいつもカメラを持ち、面白いものとの出合いを楽しむ。「何気ないもの、ふと目に留まったものにレンズを向け、シャッターを切る。その感覚に酔いしれたい」。共感する趣味仲間を求めている。

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新しい風 釜石の美術集団・サムディ45 「見てもらう喜び」実感 57回展

釜石市民ホールで開かれた「サムディ45」の57回展

釜石市民ホールで開かれた「サムディ45」の57回展

  
 釜石市の美術集団「サムディ45」(小野寺浩代表、会員21人)の第57回展は14~16日まで、大町の市民ホールTETTOで開かれた。発表の機会を求めて新たに3人が加入したほか、招待作品として若者4人が描く世界を紹介。「見てもらう喜び」を実感する「新しい風」の存在が刺激となり、会員らは創作意欲を高めている。
  
 同グループは、岩手県沿岸部を走る国道45号線沿いの美術愛好家の仲間たちが土曜日(フランス語で「サムディ」)に集まったのが始まり。講師を置かず、絵画、日本画、デザイン、工芸、刺しゅう、写真など多彩な分野の人が個々に創作活動に取り組んでいるのが特徴で、会員は地元釜石のほか、北上、花巻、鹿児島など県内外に広がる。
  
展示会場には幅広いジャンルの個性豊かな作品が並んだ

展示会場には幅広いジャンルの個性豊かな作品が並んだ

  
 作品展には幅広いジャンルの約60点が並んだ。モチーフは地元の山や海、アジサイなど自然の風景、静物、動物、反戦を訴える作品など多様。油彩や水彩、色鉛筆、「押す絵の具」と呼ばれるプッシュカラー、水面に垂らした絵の具で模様を描いて紙に写し取るマーブリング、ビーズを使ったモザイクアートなど用いた技法もさまざまだ。
  
samedi45

来場した人たちが多様な表現手法の作品をじっくりと鑑賞

  
 同集団での活動10年目の髙橋稔さん(43)は、フェルトを使った小物づくりを得意とする。勤務先の郵便局で、手作りの展示物で市民に季節感を届けており、「喜ぶ姿が励みになる」と継続。今回もチクチクと針仕事を進め、ゲームキャラクターをかたどった約100個のストラップを出品。「若い人たちにも、ものづくりに興味を持ってもらい、将来的にサムディに入ってもらえたら」と仲間入りを期待した。
  
 新加入の3人は市内の別グループでも活動する。会員の減少で展示会の開催が難しくなっていたところ、サムディの関係者から参加の誘いを受けた。釜石港や岩手山などを題材にした風景画3点を並べた中野カツ子さんは「展示場所を設けてもらい、本当にありがたい。見てもらうといろんな意見が聞こえるが、受け入れることで気づきを得て成長できる。『作品を出さなくっちゃ』と意欲もわく」と明るい笑みを広げた。
  
新加入した中野カツ子さんの作品「釜石港」「ひょうたん」

新加入した中野カツ子さんの作品「釜石港」「ひょうたん」

  
 招待作品は県内沿岸部の14~26歳の若者たちが描いた5点。カラー筆ペンや水性ボールペンなどを使い、細やかな筆致で描き込んだ作品が目を引いた。「母のふるさと」「おじいさん元気でいだすか(「いますか」の意)」と題名がついた作品は、家族の温かさが伝わってくるよう。「まだ表に出ていない、すてきな作品を見てほしい」と小野寺代表(63)が出展を声がけした。
   
会場では切り絵の体験会も。細やかな手作業に驚きの声が聞かれた

会場では切り絵の体験会も。細やかな手作業に驚きの声が聞かれた

   
 小野寺代表は「新しい風が吹いた。いろんな人の声を聞いたり、ほかの人の作品を見ることでいい影響がきっと出る」と手応えを得た。次は秋ごろに開かれる市民芸術文化祭への参加。見てもらう喜びを力に、会員それぞれがつくり上げる新たな世界を待ち望んでいた。

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声の便り 届けて30年 視覚障害者へ 釜石・ハマナスの会 記念誌発行 受け継ぐ朗読奉仕

完成した記念誌を手に笑顔を見せるハマナスの会の会員たち=7月2日、釜石市立図書館

完成した記念誌を手に笑顔を見せるハマナスの会の会員たち=7月2日、釜石市立図書館

  
 釜石市小佐野町の市立図書館を拠点に活動する朗読奉仕「ハマナスの会」(藤原由香里会長)。目の不自由な人のために地元新聞などから季節の話題や身近な情報を選んでCDに録音し、提供するボランティア団体だ。昨年、30周年を迎えたことから記念誌の作成を進め、このほど完成した。「アットホームな雰囲気で楽しい」「月1回の活動が張り合いに」「いつの間にか年齢が上に。もう少し続けて頑張ろうかな」。会員たちの思いがつづられている。
  
 1992年に発足した同会は、月に1回活動する。2011年の東日本大震災後2カ月間は同館が休館したため活動ができなかったが、それ以外は毎月欠かさず30年間継続。年に1回、朗読技術向上のための研修も行っている。録音だけでなく、利用者から希望があった際は本や雑誌を対面で朗読することもある。
 
 A4判全38ページの記念誌では年表で30年の歩みを振り返る。現在の会員のほか、利用者や活動を支えてきた図書館長や講師、元会員ら7人が寄稿。朗読奉仕活動の価値や効果、感謝の気持ち、懐かしい思い出などが、それぞれの視点で記されている。
 
会の歩みや声を通した交流の思い出などがつづられた記念誌

会の歩みや声を通した交流の思い出などがつづられた記念誌

 
野田市長に記念誌を手渡す(右から)松村さん、川畑さん、鈴子副会長=6月16日、釜石市役所

野田市長に記念誌を手渡す(右から)松村さん、川畑さん、鈴子副会長=6月16日、釜石市役所

 
 50部作成し、利用者や会員らに配布。一部は市に寄贈し、同館にも置かれている。6月16日には市役所の野田武則市長を訪ねて記念誌の発刊を報告。94年に入会した川畑光子さん(85)は「声を通して人とのつながりを感じている。ボランティアだが、いい加減な読みは許されない」と活動への強い思いを伝えた。「生の声でふわっとしたあたたかみを楽しんでもらっていると思う」と利用者の様子を想像するのは松村弘子さん(85)。鈴子和子副会長(67)は「先輩たちの力のおかげ。知恵を絞り合って、ますます頑張りたい」と意欲を見せた。
  
視覚障害者に届ける記事を読み、録音する松村さん(左)と藤原会長=7月2日、釜石市立図書館

視覚障害者に届ける記事を読み、録音する松村さん(左)と藤原会長=7月2日、釜石市立図書館

 
 「みなさん、お変わりございませんか。今日も新しい話題、心あたたまるお話、お届けします」
 
 ゆったりと穏やかな語りが、図書館の一室から聞こえてきた。活動日となった7月2日、全会員7人が集合。声の出し方や読み上げる速度、間の取り方、アクセントなど細部まで気を配りながら記事の朗読、録音活動にいそしんだ。この日、会員が持ち寄ったのはSL銀河のラストランや釜石よいさの復活を伝える記事など約30本。行政、教育、論説、エッセーなど多様なジャンルに触れてもらえるよう選別し、70分ほどのCDを作成した。
 
 完成品は後日郵送。受け取る視覚障害者の負担金などはなく、現在11人がサービスを利用する。「地域の話題をタイミングよく取り上げている」「いろんな読み手がいて退屈しない」「なまりにホッとする」などと評価は上々。そんな声に、届ける側の会員たちも力をもらっている。「まだまだ未熟で、今も勉強中」と口をそろえ、やる気、向上心は衰え知らず。仲間や利用者との声を通した交流を楽しんでいる。
  
 「また来月お会いしましょう ごきげんよう」
  
滑舌よく伝えるため早口言葉で発声練習=7月2日、釜石市立図書館

滑舌よく伝えるため早口言葉で発声練習=7月2日、釜石市立図書館

 
黒板に項目と録音時間を記して選別。下読みも入念に=7月2日、釜石市立図書館

黒板に項目と録音時間を記して選別。下読みも入念に=7月2日、釜石市立図書館

  
 和気あいあいとした雰囲気の同会では、50~80代の女性たちが活躍している。ここ数年は、会員の高齢化や若年層の担い手不足が課題。利用者の拡大も目標となっている。「利用する方がつつがなく暮らし、生活の彩りやゆとりを感じてもらえるといい。これからも無理せずに長く活動を続けたい」と藤原会長(56)。
 
 同会では会員を募集中。性別、年齢、経験の有無は問わない。通常は毎月第1日曜日が活動日。「来たれ若者よ!興味のある方は気軽に見学を」と呼びかける。詳しくは市立図書館(電話0193・25・2233)へ。

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流通経済大 アート、ラグビー、トークなどで釜石市民と交流 若いエネルギーを被災地に出前

流通経済大が7月2日まで釜石市で開く「であうアート展」=TETTO

流通経済大が7月2日まで釜石市で開く「であうアート展」=TETTO

 
 流通経済大(本部・茨城県龍ケ崎市)の「であうアート展」が、7月2日まで釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれている。24、25の両日開かれた開催記念イベントでは学生が市民と交流。トークセッションにはニュースキャスターの膳場貴子さん(同大客員教授)も出演し、震災復興の力となったラグビーワールドカップ(W杯)、同市が発信する防災教育などについて市民と意見を交わした。
 
 であうアート展は「つながる地域、学生、障がい者」をコンセプトに、同大が新松戸(千葉県)、龍ケ崎の両キャンパスで2021年から開催。千葉県成田市のNPO法人グループ彩「生活工房」所属のアーティストらの作品を展示し、さまざまな出会い、つながりを生み出している。22年からはキャンパス外にも広げ、釜石は4カ所目の開催地となった。
 
 今回は東北障がい者芸術支援機構などの協力で岩手、宮城のアーティストの作品を加え、約50点を展示。絵画や造形、ニードルワークなど独創性豊かな作品が並ぶ。本県花巻市のるんびにい美術館所属、釜石市出身の小林覚さんの絵画3点も公開されている。TETTOギャラリーで、午前10時から午後6時まで鑑賞できる。
 
上段:生活工房(千葉県成田市)のアーティストの作品、下段:宮城、岩手のアーティストの作品

上段:生活工房(千葉県成田市)のアーティストの作品、下段:宮城、岩手のアーティストの作品

 
釜石市出身・小林覚さん(花巻市・るんびにい美術館所属)の作品

釜石市出身・小林覚さん(花巻市・るんびにい美術館所属)の作品

 
 約2週間の開催期間中日のスペシャルイベントには学生と教職員約100人が来釜。24日は釜石鵜住居復興スタジアムで、同大男女ラグビー部と市民がタッチラグビーの試合で交流。25日はTETTOで、チアリーディング、ダンス、吹奏楽の各部がステージパフォーマンスを繰り広げた。
 
 トークセッションには地元釜石から、釜石ラグビー応援団副団長の浜登寿雄さん、震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」スタッフの川崎杏樹さんが出演。大学側からは客員教授の膳場さん、副学長の龍崎孝さんが参加した。会場の様子は学園祭が行われている新松戸キャンパスにも配信され、相互交流も行われた。
 
25日に行われた、流通経済大×釜石市民トークセッション

25日に行われた、流通経済大×釜石市民トークセッション

 
 話題の一つは、釜石復興の推進力となった2019年のラグビーW杯日本大会。浜登さんは“ラグビーのまち釜石”が大会招致に手をあげた理由を説明し、「あの空間が作られ時間を共有できたことは、まちと子どもたちの未来への財産になった」と振り返った。当時、試合に招待された小中学生にその後行ったアンケートの結果も紹介。世界の同世代とのつながりを求める声や、地域に貢献するボランティア活動への意欲が見られたという。
 
釜石から出演した川崎杏樹さんと浜登寿雄さん

釜石から出演した川崎杏樹さんと浜登寿雄さん

 
 川崎さんは、スタジアム建設地に震災前あった釜石東中の出身(震災当時2年生)。「W杯で国内外から訪れた大勢の人たちが、ラグビーを入り口に震災や防災に目を向けてくれた。その光景にこの場所に建てられた意味の大きさを実感した」と話した。同所では釜石高生が震災の語り部や防災普及活動を続けており、次世代への活動継承にも期待。自身は釜石の経験を海外に伝える活動にも携わり、防災による世界とのつながりも見据える。
 
 膳場さんは浜登さん、川崎さんがまちの魅力の一つとして示す「地域コミュニティーの強さ」に共感。震災直後に取材した水産加工会社が宮城の被災同業者に工場の一部を貸し出し、事業を助けたことを印象深く語り、「自社も被災し大変な状況なのに困っている仲間を助ける精神。これはまさに釜石に共有されているものではないか」と話した。
 
 高校、大学でラグビーをした経験を持つ龍崎副学長も、ラグビー精神「One for all、All for one(一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために)」が釜石の復興、共生社会の実現につながっていると実感。その地域性や市民性を称賛した。
 
流通経済大の龍崎孝副学長と膳場貴子客員教授。釜石とのつながり継続を願った

流通経済大の龍崎孝副学長と膳場貴子客員教授。釜石とのつながり継続を願った

 
トークセッションに集まった市民らはまちの未来に期待を高めた

トークセッションに集まった市民らはまちの未来に期待を高めた

 
 アート展の釜石開催は、同大スポーツ健康科学部の教員が震災後、釜石の子どもたちをサマーキャンプに招き、タグラグビー交流などを行っていた縁で実現。学生らは震災被災地の訪問を通して「命を守る」ことへの学びを深め、人と人とのつながりの大切さを感じた。
 
釜石に元気と活力を届けた流通経済大の学生ら

釜石に元気と活力を届けた流通経済大の学生ら

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久しぶりの“声援”を力に8競技で熱戦 釜石大槌地区中総体 コロナ制限なく開催

コロナ制限がない通常開催は4年ぶり。釜石大槌地区中総体=17日

コロナ制限がない通常開催は4年ぶり。釜石大槌地区中総体=17日

 
 2023年度釜石大槌地区中学校総合体育大会(中総体)は17、18の両日、釜石、大槌、遠野3市町の公共体育施設や学校体育館で行われた。新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類に移行後、初の大会。基本的に観戦者の制限は行わず、各会場の感染拡大予防策に準じる形をとった。声出し応援も解禁となり、選手たちは家族や仲間の声援を受けながら、これまでの練習の成果を思う存分発揮した。
 
 本来は9種目の大会だが、サッカーは参加1校のため今回も試合ができず、8種目での開催。ソフトテニスは地区内での会場確保が難しく、遠野運動公園テニスコートを借用して行われた。
 
 卓球は大槌町の城山公園体育館が会場。団体戦男子は4校によるトーナメント戦、女子は2校での決戦となり、シングルス4、ダブルス1で県大会出場の1枠をかけて戦った。個人戦(シングルス)には男女ともに6校から参加があり、トーナメント戦で優勝を競った。2階観客席の座席数の関係で、保護者観戦は選手1人につき2人までとなったが、選手たちは応援に力をもらい全力プレーを見せた。
 
卓球女子団体戦は甲子と大槌の対戦。チームの総力で挑む

卓球女子団体戦は甲子と大槌の対戦。チームの総力で挑む

 
 卓球男子団体戦で準優勝となった甲子中の白岩優一朗キャプテン(3年)は「点を取った時とかに拍手をもらうと、やる気がみなぎる。中学最後の大会なので家族も楽しみにしていたと思う」と、過去2年は味わえなかった会場の雰囲気を満喫。「来年は今の2年生に優勝を成し遂げてほしい」と望みを託した。自身は水泳個人(自由形50M、100M)で県大会出場が決まっていて、記録更新へさらなる努力の日々が続く。
 
 バスケットボールは大槌学園体育館で行われた。男子4校はトーナメント戦、女子3校は総当たりのリーグ戦。一昨年の新人戦で県大会初優勝を果たした男子の釜石は選手層が厚く、今大会でも大量得点を重ねて優勝。女子は一昨年の新人戦から連覇を続ける大平が今大会も他校を制し、県大会出場を決めた。
 
バスケットボール男子1回戦・釜石-大槌。釜石の強さは今年も顕在

バスケットボール男子1回戦・釜石-大槌。釜石の強さは今年も顕在

 
 大平中女子バスケ部の阿部愛華キャプテン(3年)は「チームは勢いがあり雰囲気もいい。コロナ禍の2年は道具や椅子の消毒に手間を取られるなどプレー以外の負担も大きかった。今年は多くの応援もあって頑張れる」と笑顔。「全員がシュートを入れ、自分たちのプレーをして勝ちたい」と挑んだ結果、望み通り、県大会への切符を手にした。昨年の新人戦県大会はベスト8。「今年はそれ以上を」と意気込んだ。
 
 大会前日の雨の影響で平田公園野球場のグラウンドコンディションが整わず、18日に順延となった軟式野球。少子化による生徒数の減少などで野球は年々、1校単位でチーム編成するのが難しくなっており、2校、3校で合同チームを結成し大会に出場するケースが増えている。今大会は3校ずつ2チームを結成しての対戦(大槌・釜石東・釜石―大平・唐丹・甲子)となった。
 
 試合は3回まで両チーム無得点。4回裏、走者を3塁に進めた「大槌・釜石東・釜石」は先制点のチャンス。「(大会)最後の3年生を絶対にかえす」と、釜石中2年川崎頼仁選手が放った打球はレフト前へ。待望の1点は決勝点となり、最終回で粘りを見せた「大平・唐丹・甲子」を抑え、1-0で県大会出場を決めた。重要な場面でのヒットに川崎選手は「レフト方向は得意なほう。今日はバッチリはまった」と喜びを表した。
 
4回裏、大槌・釜石東・釜石合同チームは釜石中2年の川崎頼仁選手(右下写真)のヒットで先制

4回裏、大槌・釜石東・釜石合同チームは釜石中2年の川崎頼仁選手(右下写真)のヒットで先制

 
優勝を喜ぶ3校の選手(上段)と保護者(下段)

優勝を喜ぶ3校の選手(上段)と保護者(下段)

 
 3校25人をキャプテンとして率いた釜石東中3年の小笠原颯真選手は「3校合同って本当に難しいと思うが、練習を重ねるうちにみんな仲良くなってチームとしてまとまることができた」。緊張もあったが、「チャンスでしっかり点を取れた。みんな最後まで諦めず、声を出し合い、メンバー全員で勝ち取った勝利」と胸を張った。チームの県大会目標はベスト8。これまで培ったチームワークでさらなる高みを目指す。
 
県大会出場を決めた大槌・釜石東・釜石の選手ら

県大会出場を決めた大槌・釜石東・釜石の選手ら

 
いつもの野球応援の風景が戻ったスタンド。3校の保護者も力を結集

いつもの野球応援の風景が戻ったスタンド。3校の保護者も力を結集

 
 チームを応援する家族も団結した。1塁側スタンドで太鼓を鳴らしながら熱い声援を送ったのは釜石中など3校の保護者。声を出して応援できる喜びを感じながら、選手たちを精いっぱい鼓舞した。釜石中野球部に兄弟で所属する栗澤琉彗(3年)、虹空(1年)両選手の母美香さん(45)は「どんな形であれ、野球をできることが子どもたちにとっては一番。支えてくれる人たちに感謝して頑張ってほしい」。選手たちの労をねぎらい、県大会での活躍にも期待を寄せた。
 
バレーボール女子・釜石東-大平。釜石東は攻守で力を見せつけた

バレーボール女子・釜石東-大平。釜石東は攻守で力を見せつけた

 
 各競技の地区代表が出場する県中総体は7月15~17日に県内各会場で開催される。
 
2023年度釜石大槌地区中学校総合体育大会成績一覧表

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6月3日は橋野高炉跡の国史跡指定日 市民ら環境美化活動と記念講演で郷土の宝に理解

「みんなの橋野鉄鉱山」環境美化活動=3日

「みんなの橋野鉄鉱山」環境美化活動=3日

 
 釜石市橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」で3日、高炉跡周辺の環境美化活動が行われた。市民らに史跡への関心、保護意識を高めてもらおうと市が主催する7年目の活動。市内外から25人が参加し、草刈りや落ち葉、枯れ枝の回収などを行った。講演会も開かれ、郷土の先人についても理解を深めた。
 
 「みんなの橋野鉄鉱山」と題した同行事は、世界遺産内の高炉場跡(橋野高炉跡)が国史跡に指定された1957(昭和32)年6月3日にちなんで、指定60周年となった2017年から行われている。
 
 今年は一番高炉と二番高炉周辺で活動。重点的に行われたのは高炉脇を流れていた水路の清掃。石垣の間や底部の草を刈ったほか、落ち葉などを回収した。高さのある石垣の上部の足場に土を入れ、踏み固める作業も行われた。同所では3基の高炉が稼働し、それぞれに風を送る装置「フイゴ」が併設されていた。フイゴは水車の力で動かすため、近くの二又沢川から水を引いた水路が南北に約400メートルにわたって延びていた。
 
水路跡の石垣の除草作業にあたる参加者

水路跡の石垣の除草作業にあたる参加者

 
高炉跡の周りも雑草を取り除いてきれいにした

高炉跡の周りも雑草を取り除いてきれいにした

 
 清掃後、同鉄鉱山インフォメーションセンターで記念講演会が開かれた。講師は市世界遺産課課長補佐の森一欽さん。釜石で洋式高炉による連続出銑に成功した盛岡藩士・大島高任(1826-1901)と、国内最大級とされる三閉伊一揆で農漁民を率いた釜石・栗林村出身の三浦命助(1820-64)にスポットを当て、2人の生涯の分岐点となった1853(嘉永6)年6月3日をキーワードに講演した。
 
 大島高任は釜石での高炉建設の前年1856(安政3)年に、水戸藩那珂湊で反射炉による大砲の鋳造に成功しているが、そのきっかけとなったのが53年6月3日のペリーの浦賀来航。一方、三浦命助は53年5月に勃発した2度目の三閉伊一揆で、南下してきた先発隊に6月3日、大槌で合流したとされている。
 
 同時代を生き、地元民とともに大きな困難に立ち向かった両者だが、森さんは「2人は敵対する関係だったと思う。実際に本人同士が会ったということもあり得ないのではないか」と自身の推論を述べた。
 
三浦命助、大島高任にスポットを当てた記念講演

三浦命助、大島高任にスポットを当てた記念講演

 
郷土に功績を残した先人2人の話に聞き入った

郷土に功績を残した先人2人の話に聞き入った

 
 住田町の小学校教諭㓛刀稔也(くぬぎとしや)さん(26)は、5年生が取り組む郷土学習で地元の「栗木鉄山」をテーマにした学習を進行中。製鉄について自身も学びを深めたいと、今回の橋野鉄鉱山行事に参加した。「大島高任や初めて知った三浦命助のことなど大変勉強になった。子どもたちの学習に役立てたい」。環境美化活動にも精力的に取り組み、「地域の人たちが力を合わせ、世界遺産を守っていこうと主体的に活動する姿勢が素晴らしい」と感銘を受けていた。