タグ別アーカイブ: トピックス

sosaku1

わずかでも手掛かりを 釜石・両石町水海で不明者捜索 震災12年を前に警察・海保・消防合同で

海岸で行方不明者の手掛かりなどを捜索する警察官ら

海岸で行方不明者の手掛かりなどを捜索する警察官ら

 
 東日本大震災から12年を目前にした10日、釜石市両石町の水海海岸などで震災による行方不明者の捜索活動が行われた。釜石警察署(前川剛署長)、釜石海上保安部(虻川浩介部長)、釜石大槌地区行政事務組合消防本部(大丸広美消防長)から計70人が参加。嘱託警察犬2頭も加え、手掛かりを探した。
  
 開始式で、前川署長は「明日で震災から12年、遺族にとっては十三回忌となる。岩手県内の不明者は1110人。釜石市は152人、大槌町では416人の行方が分かっていない」と説明。虻川部長、大丸消防長は「12年間、不明者の帰りを待っている家族、地域の思いを胸に刻み、わずかでも手掛かりになるものを見つけ出してほしい」などと激励した。全員で黙とうし、海上と陸上班に分かれて出発した。
  
警察犬と指導手も捜索活動に協力した

警察犬と指導手も捜索活動に協力した

  
 水海海岸の捜索では釜石警察署員と消防隊員らが熊手を使って小石を掘り起こしたり、打ち上げられた漂流物を確認したりした。同署地域課の坂本愛里巡査(19)は宮古市出身。小学1年の時に経験した震災の津波でおじ、おばを亡くした。被災者の救助や交通誘導、避難所でケアする警官の姿に憧れ、道を決めた。「年数は関係なく、家族が戻ってくるのを待っている遺族の方に、小さくても手掛かりを返すことができれば」と熱心に取り組んだ。
 
潜水捜索する場所の打ち合わせをする海保職員と潜水士

潜水捜索する場所の打ち合わせをする海保職員と潜水士

 
海中捜索に臨む潜水士。後方は八戸海保の巡視船「しもきた」

海中捜索に臨む潜水士。後方は八戸海保の巡視船「しもきた」

 
 近くの鏡海岸では海中捜索も実施。八戸海保所属の巡視船「しもきた」に配属される潜水士7人が水深7~10メートルの海域で手掛かりを求めた。潜水捜索に初めて携わった佐藤健太さん(23)は宮城県仙台市出身。「津波の経験はないが、地震の怖さは覚えている。被災した方と思いは同じ。これからも役立てる仕事をしていく」と胸を張った。
 
行方不明者の手掛かりを求めて捜索する消防隊員ら

行方不明者の手掛かりを求めて捜索する消防隊員ら

  
 大槌消防署警防係の大久保太陽さん(21)は震災当時、小学3年生。津波で大槌町の自宅を失い、避難生活の場となった遠野市に居を移した。捜索活動への参加は2回目。「子どもの頃にお世話になった方が見つかっていない。家族のもとへ帰る手助けができれば」と目を凝らした。今回は手掛かりを見つけ出すことはできなかったが、誰かの役に立つことのできる職業にやりがいを感じる日々。「救急、救助…一つずつできることを積み上げたい」と前を向いた。
 
 釜石署などは毎年3月11日ごろ釜石大槌地域の沿岸部を捜索している。
 

kuromori3491

黒森神楽(宮古市)3年ぶり巡行で釜石の神楽宿・宝来館へ 震災高台移転の根浜集落にも門打ち

「黒森神楽」の釜石巡行。役舞「松迎」を披露する神楽衆=5日、宝来館

「黒森神楽」の釜石巡行。役舞「松迎」を披露する神楽衆=5日、宝来館

 
 国指定重要無形民俗文化財、宮古市の「黒森神楽」が5日、釜石市鵜住居町根浜の神楽宿・宝来館で舞を披露した。新型コロナウイルス感染症の影響で休止していた新春恒例の巡行を再開。来訪を心待ちにしていた約100人が、役舞や劇仕立ての演目を楽しみ、心豊かな時間を過ごした。神楽衆は東日本大震災の津波被災で高台移転した根浜集落も訪問。犠牲者を供養する神楽念仏、家々を回って家内安全などを祈願する門打ちを行った。
 
 黒森神楽保存会(松本文雄代表、15人)の10人が来演。宿での演舞を前に、高台住宅地の入り口にある津波記念碑と地蔵の前で「神楽念仏」を行った。黒森神社(宮古市山口)の神霊を移した「権現様(獅子頭)」の舞で震災犠牲者を供養。集まった住民らは権現様に頭や肩をかんでもらう“身固め”の儀式で、無病息災などの御加護を受けた。一行は3軒の門打ちもした。
 
海に向かい、津波犠牲者を供養する「神楽念仏」=根浜復興団地

海に向かい、津波犠牲者を供養する「神楽念仏」=根浜復興団地

 
「権現様」を携えて家々を回り1年の無事を祈願

「権現様」を携えて家々を回り1年の無事を祈願

 
 同地区には35世帯約90人が暮らす。根浜親交会の佐々木三男会長(61)は「神楽は縁起物。来てくれるのは大変うれしい」と笑顔。震災から12年となる地域について、「子どもから高齢者まで誰もが住みやすいまちを掲げる。大事に育てていきたい」と思いを込めた。
 
 宝来館では宿に入る前に、権現舞による「舞い込み」で悪魔払いや火伏せの祈祷(きとう)を行った。昼休憩をはさみ、大広間で幕神楽が開演。太鼓やかねの「打ち鳴らし」後、祈祷を司る役舞、天照大御神をテーマにした岩戸系演目など全8演目を披露した。役舞は天下泰平を祈願する二人舞「松迎」、農林漁業者の信仰対象である「山の神」舞など。大漁と海上安全を願う「恵比寿舞」では、鯛(たい)を釣り上げる場面に観客も参加し会場を沸かせた。狂言の一種「鍛冶屋」は、演者のやりとりが笑いを誘った。
 
役舞「山の神」の演舞では米をまいて五穀豊穣を祈願。山の神は安産の神としてもあがめられる

役舞「山の神」の演舞では米をまいて五穀豊穣を祈願。山の神は安産の神としてもあがめられる

 
観客を巻き込み、活きのいい鯛を釣り上げる様子を演じる「恵比寿舞」

観客を巻き込み、活きのいい鯛を釣り上げる様子を演じる「恵比寿舞」

 
ユーモアたっぷりの演技で楽しませた狂言「鍛冶屋」

ユーモアたっぷりの演技で楽しませた狂言「鍛冶屋」

 
 日本の伝統舞を子どもたちの教材とする「民俗舞踊教育研究会」(東京都)の山本良江さん(60)、古矢比佐子さん(69)は長年、同神楽巡行に足を運ぶ。「歴史の重みと大衆的な面の双方が相まってすごく魅力的」と山本さん。若いメンバーの成長を目の当たりにした古矢さんは「高校生だった子たちも磨かれてきて、次世代へ継承されているのを感じる」。震災を乗り越え、地域で神楽を楽しめる空間ができてきたことにも深い感慨を覚えた。
 
後継者として今後の活躍が期待される若手メンバー。技量を高めるべく精進を重ねる

後継者として今後の活躍が期待される若手メンバー。技量を高めるべく精進を重ねる

 
見応え十分の各演目に拍手を送る観客。最後は権現様に「身固め」をしてもらった(左下写真)

見応え十分の各演目に拍手を送る観客。最後は権現様に「身固め」をしてもらった(左下写真)

 
 黒森神楽は500年以上の歴史を誇る。毎年正月3日に同神社で「舞立ち」。久慈市までの「北回り」、釜石市までの「南回り」の巡行を交互に行っている。コロナ禍で北、南の巡行をそれぞれ1年休止し、今年3年ぶりに再開させた。松本代表(74)は「お客さんも楽しんでくれた。自分たちも相手の反響によって腕以上のものを出したりできるので、こういう場はやっぱり必要」と巡行のありがたみを実感。今は20~80代のメンバーが伝承活動に励む。「先人から引き継いだものを次の人たちに渡すのが自分たちの役目。年が離れていても、目標が同じだから一緒に頑張れる」と話した。

311

東日本大震災12年、大切な人をいつまでも胸に 釜石で命を思い、祈り、誓う

祈りや誓いを込めて東日本大震災12年を迎える釜石市民

祈りや誓いを込めて東日本大震災12年を迎える釜石市民

 
 東日本大震災から12年、命を思う――。まちの復興は進んでも、大切な人を失った悲しみが消えることはない。でも、あの人を思い、震災の教訓を伝えながら諦めず一歩ずつ前に向かうことが、報いになると信じる。11日を前に、犠牲者を悼み地域の安寧を願う法要、追悼施設の清掃活動などが行われた釜石市。「手を合わせれば、思いが届く」「一歩ずつ前へ」「守る側になりたい」。かけがえのない人々をまぶたの裏に浮かべ、そして地域の未来や希望を胸に抱き、今日も祈り続けている。
 

眼下に広がる海に向かい手を合わす 根浜地区

  
根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=4日

根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=4日

  
 震災の津波で壊滅的な被害を受けた鵜住居町根浜地区では4日に慰霊祭が行われた。高台造成地に整備された復興団地の住民ら約30人は地震発生時刻、午後2時46分に黙とう。津波記念碑が建つ団地内の公園で「お地蔵さん」に白菊を手向けた。
 
 同地区には現在35世帯約90人が暮らす。津波で住民15人が犠牲になった。「海は起こると怖いが、海とともに育ってきたから(海が)なければ生活できない」と80代男性。隣に住んでいた親戚らが亡くなり、「何年たっても悲しみ、寂しさは変わらない」と、眼下に広がる穏やかな海を静かに見つめていた。
 
海を望む高台の公園で「お地蔵さん」に手を合わせる住民=4日

海を望む高台の公園で「お地蔵さん」に手を合わせる住民=4日

 
 追悼行事を続ける根浜親交会の佐々木三男会長(61)は慰霊祭で防災市民憲章を読み上げた。1カ月前に発生したトルコ・シリア地震に触れ、「災害はいつ起こるか分からない。命を守るため、憲章を受け止めてもらえたら。若い世代とも思いを共有し、みんなで地区を活性化させていきたい」と力を込めた。
  

十三回忌「復光」祈願法要 鵜住居観音堂

  
震災の十三回忌に合わせ鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要=5日

震災の十三回忌に合わせ鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要=5日

   
 津波で流失後、再建された鵜住居観音堂で5日、毛越寺(平泉町)の藤里明久貫主(72)らが震災の十三回忌に合わせ「復光祈願法要」を営んだ。地域住民ら約50人が参列し、読経に合わせて焼香。犠牲者の冥福と地域の安寧を願って静かに手を合わせた。親戚が行方不明のままという川崎シゲさん(82)は「悲しみは続くけれど、思いが届くかなと思った。見守ってもらっているよう」と目を細めた。
   
 昨年3月に再建された観音堂には、破損したものの流失を免れた本尊「十一面観音立像」(県指定文化財)が安置される。修復に尽力した故大矢邦宣さん(震災当時、盛岡大教授)の遺志を継ぎ、被災地に通い続けている藤里貫主は「まちの様子は変わったが、人の心はそう簡単に変わらない。諦めず、一歩一歩前に向かうことが大切。着実に進む姿を観音様が見守ってくださっている」と参列者に呼びかけた。
   
毛越寺の藤里明久貫主らを囲んで写真撮影する鵜住居地区の住民ら=5日

毛越寺の藤里明久貫主らを囲んで写真撮影する鵜住居地区の住民ら=5日

   
 観音堂を管理する別当の小山士(つかさ)さん(79)は、思いを寄せ続ける人たちに感謝を伝え、「高台にある観音堂を復興のシンボル、前向きに生きていく心のよりどころとして守り続ける」と誓った。
   
 

釜石東中生らが芳名板を清掃 釜石祈りのパーク

   
311inori1

芳名板を磨く釜石東中の生徒たち=8日

   
 市内全域の震災犠牲者1064人(関連死を含む)のうち、1002人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」。慰霊に訪れる多くの人たちに落ち着いた気持ちで手を合わせてもらおうと、8日、施設管理者や地域住民ら約20人が芳名板や石畳の洗浄など清掃作業に取り組んだ。
   
 2020年から行っていて、今回は釜石東中(佃拓生校長)の3年生35人(在籍41人)が協力。芳名板を布で丁寧に磨いた内藤龍也さんは「悲しいことがたくさんあった場所。きれいになるように」と思いを込めた。憲章の「命を守る」との文字に触れた髙清水麻凛さんは「震災当時は3歳で、守られる側だった。震災や防災のことを学んできたから、今度はもっと小さい子を連れて逃げられたらいい」とうなずいた。
   
鵜住居地区防災センター跡地に整備された祈りのパーク。解体したコンクリート片を使った階段付近でも作業=8日

鵜住居地区防災センター跡地に整備された祈りのパーク。解体したコンクリート片を使った階段付近でも作業=8日

   
 作業後、生徒たちは施設前に並んで合唱。被災を経験した当時の東中生の思いを歌にした「いつかこの海をこえて」に、「苦しみを乗り越え、希望の道を進もう」との決意を乗せた。
   
釜石東中3年生が製作したポスター。生徒の手と未来への思いを散りばめる=8日

釜石東中3年生が製作したポスター。生徒の手と未来への思いを散りばめる=8日

   
 「いつか~」は歌詞の歌い出しをつなげると、「鵜住居で生きる 夢いだいて生きる」とのメッセージが浮かび上がる。3年生はこの歌とともに「3.11今伝えたいこと」をつづったポスターを製作した。モチーフとなっているのは生徒それぞれの「手」。地域を支えたり、未来を切り開いていくという思いや言葉が添えられている。各家庭に配布。「家族の避難場所」という欄があり、話し合って記入することで完成となる。
 
 

sw3151

釜石SW 愛知に38-44で惜敗 1部昇格なくなる 残り2戦でホーム白星狙う

釜石SWホーム3連戦始まる。5日は豊田自動織機シャトルズ愛知と対戦

釜石SWホーム3連戦始まる。5日は豊田自動織機シャトルズ愛知と対戦

 
 NTTジャパンラグビーリーグワン2部の釜石シーウェイブス(SW)RFCは5日、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで豊田自動織機シャトルズ愛知と対戦。38-44(前半18-31)で敗れ、1部昇格条件の3位以内への可能性がなくなった。後半に一時逆転し、今季初のホーム戦勝利に期待が高まったが、あと一歩及ばず6点差で涙をのんだ。1勝6敗、勝ち点5でリーグ最下位の6位。次節は12日、同スタジアムで首位の浦安D-Rocksと対戦する。
 
 前半早々、釜石は愛知に2トライを許すも12分、敵陣ラインアウトからボールをキープ。中央付近から左に展開し、タッチライン際でキャッチしたWTB小野航大主将がインゴールに持ち込んだ。いい流れをつかんだ釜石は25分にPGを決めた直後、自陣での攻防からフランカー河野良太が抜け出し、ナンバー8サム・ヘンウッドにパス。一気に敵陣5メートルまで運び、最後はロック、ベンジャミン・ニーニーがトライ(ゴール成功)、15-19とした。その後、愛知2トライ、釜石1PGで18-31。13点差で前半を折り返した。
 
タッチラインぎりぎりでボールを受け、インゴールに走り込む小野主将(右)=前半12分

タッチラインぎりぎりでボールを受け、インゴールに走り込む小野主将(右)=前半12分

 
河野のパスを受け独走。敵陣5メートルまで切り込んだヘンウッド(手前右から2人目)

河野のパスを受け独走。敵陣5メートルまで切り込んだヘンウッド(手前右から2人目)

 
前半26分、ニーニーのトライ(左側)。後半4分にも2本目を決め、点差を縮める(右白枠内)

前半26分、ニーニーのトライ(左側)。後半4分にも2本目を決め、点差を縮める(右白枠内)

 
 後半開始直後は釜石が猛攻。4分、左サイドから長短のパスでつなぎ、右ゴール目前でWTB阿部竜二が後方に走り込んだニーニーに託し、後半初得点(ゴール成功)。ニーニーの2本目に会場が沸いた。PGでさらに詰め寄ると13分、敵陣22メートルスクラムからヘンウッドが自ら持ち出しサイドアタック。33-31と逆転した。18分に愛知がトライで再逆転。22分には、後半出場のSO中村良真の左インゴールへのキックを小野主将が押さえ、この日2本目のトライ。38-38の同点に戻した。釜石は残り10分でPGを2本決められ、ホーム初勝利を逃した。
 
スクラムから右サイドアタックで逆転トライを決めたヘンウッド(中央)=後半13分

スクラムから右サイドアタックで逆転トライを決めたヘンウッド(中央)=後半13分

 
 昨年12月以来、約2カ月ぶりのホーム戦はマスク着用の声出し応援が可能に。コロナの制限緩和で、会場には久しぶりの選手を鼓舞する掛け声が響いた。入場観客数は約830人。釜石、大槌両市町の小中学生が無料観戦できるパスポートで入場した佐伯晃君(甲子小4年)は「惜しくも負けて残念。でも試合は面白かったし、SWの選手はかっこ良かった」と憧れのまなざしを向けた。
 
 SWの稲田壮一郎選手と同じ職場の菊池唯さん(41)は「今回はいけるんじゃないかと思っていたが、惜しかったですね。でも僅差の試合は魅力的。稲田選手の出場も見られて良かった」と笑顔。地元で試合観戦できる環境も喜び、「また来ます。SW選手には残り2試合、体に気を付けて頑張ってほしい」とエールを送った。
 
青空の下、観客は久しぶりのホームでの試合を楽しんだ

青空の下、観客は久しぶりのホームでの試合を楽しんだ

 
大漁旗をなびかせ、選手の奮闘をたたえるバックスタンド席の観客

大漁旗をなびかせ、選手の奮闘をたたえるバックスタンド席の観客

 
 1月の愛知との1戦目は14-64の大差で敗れた釜石。上位を争う2チームとの対戦を経て臨んだ今回は、ディフェンスの粘りや外への素早い展開など確実な成長を感じさせた。一方で、試合立ち上がりの失点は引き続きの課題。
 
 須田康夫ヘッドコーチ(HC)は「優勢にゲームを進めることはできていたが、悔やまれるプレーがいくつか。一人一人の規律、プレーの精度が必要」。小野主将も「細かいエラーが勝ち切れなかった要因。短い期間で修正できれば次の2戦、勝つチャンスはある」とみる。トップ3の目標には届かないが、レギュラーシーズン残り2試合もホームで全力を尽くす。「目標の方向性を修正し、自分たちのベストを見せたい」と須田HC。次節の試合は、発生から12年となる東日本大震災命日の翌日。小野主将は「ここで、このチームでプレーする意味を今一度チーム内で共有し、皆さんを勇気づけられるゲームをしたい」と意気込む。

inori1

【3.11追悼】大切な人を迎える「祈りの灯」 釜石・根浜 命を思う明かりで地域を包む

根浜地区の避難路を彩るハマナスを模したイルミネーション

根浜地区の避難路を彩るハマナスを模したイルミネーション

 
 東日本大震災から12年を迎えるのを前に、釜石市鵜住居町根浜地区に5日、犠牲者を追悼する「海への祈り灯(び)」がともされた。旅館宝来館前や松林には大切な人の名前や「明日も心に太陽を」などメッセージが書き込まれたキャンドルが点在。旅館の裏山にある木製の避難路「絆の道」は、同地区を象徴する花「ハマナス」を模したイルミネーションで彩られ、あの日津波に襲われた地域を優しく包み込んでいる。11日まで。
  
根浜の海を望む松林に置かれたキャンドル

根浜の海を望む松林に置かれたキャンドル

 
 同地区に明かりをともす取り組みは市民団体が始めた。松林に道をつくるようにキャンドルを配置していたが、ここ数年は同館おかみの岩崎昭子さん(66)の発案でメッセージを書き込んだり、「命を感じる場所」に置いてもらう形にする。“あの人”を思う言葉や祈りが込められた光がここに、そこにも、あそこにも。震災ボランティア、応援職員など被災地の復興に関わり、今も思いを寄せ続けている人たちから寄せられた願いが込もった明かりもある。
 
キャンドルにメッセージを書き込む親子。右端は出迎えた岩崎さん

キャンドルにメッセージを書き込む親子。右端は出迎えた岩崎さん

 
 キャンドルは約1万個を用意。同館や観光施設「根浜シーサイド」でメッセージを書き込めるコーナーを設けている。大槌湾を望む箱崎白浜から室浜地区、両石町にも配っていて、各地の津波記念碑などに置いて祈りを届ける。岩崎さんは「明かりを見ると『私はここにいます』と言っているように感じる。犠牲になった人たちは海や空、見えない所から見守ってくれている。思いをつなぐような自分たちの祈りの形をつくっていきたい」と穏やかな表情で話した。
  
避難路にイルミネーションを飾り付けた花巻のメンバーらが集って「スイッチオン!」

避難路にイルミネーションを飾り付けた花巻のメンバーらが集って「スイッチオン!」

  
 避難路のイルミネーションは「花巻絆の道植栽ボランティア有志」が設置。ペットボトルを使った花形の飾り約350個で彩る。発光ダイオード(LED)の電力は、地域から出る廃食油を精製したバイオディーゼル燃料を使用。避難路入り口付近には島倉千代子さんの歌碑があり、「おかえりなさい」と明かりに温かさを添えている。
 
 飾り付けの発案者は岩崎さん。思いを形にした花巻有志グループの事務局、関喬(たかし)さん(75)は「この地を訪れる人たちに花で楽しんでほしいと続けてきた活動の延長。古里に帰ってくる魂にささげる明かりになれば」と願う。
  
避難路を明るく照らすイルミネーション

避難路を明るく照らすイルミネーション

 
命を思う明かりが点在する根浜海岸の松林

命を思う明かりが点在する根浜海岸の松林

  
 根浜地区では11日に「祈りの空間」を催す。追悼の風船、祈りの甚句、「とうほくこよみのよぶね」、花火「白菊」の打ち上げなどが予定されている。
 

shimingekijo2046

艦砲射撃受けた釜石から非戦の願い発信 戦時下の女学生の姿を市民劇場で 心揺さぶる演技に涙

戦時下の女学生らの姿を描いた第36回釜石市民劇場=TETTO

戦時下の女学生らの姿を描いた第36回釜石市民劇場=TETTO

 
 第36回釜石市民劇場(同実行委主催)は2月26日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された。77年前、厳しい戦時下をたくましく生き抜いた女学生や子どもにスポットを当てた物語で、元釜石高等女学校生の手記も朗読。太平洋戦争末期、米英軍による2度の艦砲射撃を受けた同市から、非戦の願いを強く発信した。会場では、ロシアによる軍事侵攻で苦しい環境下にあるウクライナへの支援募金も呼び掛けた。
 
 1945(昭和20)年春から夏の釜石が舞台。戦況の悪化で、遠野への集団疎開を余儀なくされた国民学校児童、勤労動員や軍事教練で学業もままならない高等女学生、敵に狙われた製鉄所で働く父を案じる家族-。それぞれの境遇の中、希望を見い出しながら懸命に生きる姿を描いた。構成詩、元釜女生4人の手記の朗読で、機銃掃射や艦砲射撃の恐ろしさも伝えた。手記は、2000年に釜石南高(現釜石高)教諭だった箱石邦夫さん(81)が生徒らと釜女卒業生に手紙を送り寄せてもらったもので、当時の文化祭で展示。16年、箱石さんにより証言書簡集「八月のあの日・乙女たちの仙人越え」としてまとめられた。貴重な証言は今回の劇の内容にも生かされている。
 
疎開先の遠野で農夫と交流する国民学校の子ども

疎開先の遠野で農夫と交流する国民学校の子ども

 
警備兵から竹やり訓練を命じられる高等女学校生

警備兵から竹やり訓練を命じられる高等女学校生

 
高射砲台に向かおうとする隊員(右)に複雑な思いがあふれる

高射砲台に向かおうとする隊員(右)に複雑な思いがあふれる

 
 キャスト18人、スタッフ約30人で作り上げた市民手作りの舞台劇。午前と午後の2回公演に計336人が足を運び、釜石が経験した戦争の歴史や後世に託す思いを劇を通して感じ取った。平田の水島寿人さん(55)は「艦砲射撃の激しさを改めて知る機会になった。こうした事実を次世代につないでいかなければ」と実感。キャストの素晴らしい演技も称賛した。
 
 会場には、朗読された手記をつづった元釜女生の佐野睦子さん(92)、書簡集を編さんした箱石さんの姿も。勤労動員で自宅のある大橋から嬉石の缶詰工場に通った佐野さんは、20数キロの暗い帰り道を幾度となく歩いた経験、決して忘れることのない戦争の苦しみを記している。「集団疎開を含む当時の釜女の話は埋もれてしまうところだったが、箱石先生が掘り起こし世に出してくれた。今回の劇でさらに日の目を見たことはとても感慨深い」と感謝の気持ちを口にした。
 
元釜石高等女学校生の手記の朗読。戦争の記憶は半世紀以上経過しても鮮明に残る…

元釜石高等女学校生の手記の朗読。戦争の記憶は半世紀以上経過しても鮮明に残る…

 
子どもキャストの熱演は観客の笑顔を誘う

子どもキャストの熱演は観客の笑顔を誘う

 
 昨年11月から稽古を続けてきたキャスト。役作りに励み、掛け合いや表現力に磨きをかけ本番を迎えた。姉はスタッフ、妹、弟、自身はキャストと4人で参加した青山凜々華さん(12)は昨年に続いての出演。「今年は大きい声でできたし、あまり緊張しなかった」と自己分析。劇で戦争体験者の悲しみを深く知り、「当時の子どもたちは厳しい中でも頑張っていてすごい」と実感を込めた。
 
 製鉄所工員役の伊藤詩恩さん(26)は演劇初挑戦。「最初は声も小さく棒読みだったが、周りが上手なので引き上げられた。本番では観客の反応も感じられてうれしかった」と演技の楽しさを味わった。地域おこし協力隊員として2020年に釜石に移住。回を重ねてきた市民劇について「まちが元気になる要素。今後も何らかの形で関われれば」と話した。
 
厳しい戦況について語る製鉄所の工員。いざこざもありながら、国のためにと任務遂行を誓う

厳しい戦況について語る製鉄所の工員。いざこざもありながら、国のためにと任務遂行を誓う

 
「戦争なんて大っ嫌い!」主人公・みよ(右から2人目)が思いの丈を叫ぶラストシーン

「戦争なんて大っ嫌い!」主人公・みよ(右から2人目)が思いの丈を叫ぶラストシーン

 
 戦争のない平和な世界を願う主人公「みよ」の独白で幕を閉じた同劇-。「ラストシーンにかけた」という矢浦望羽さん(17)は「うまくいった」と達成感をにじませた。8年目の出演で初の主人公役。「今までにない緊張感。舞台に立った時、圧倒される感じもあった」というが、緊張はすぐに解け、堂々の演技を見せた。涙する観客もいたことを後で聞き、「伝わったかな」と喜びの笑顔を輝かせた。
 
 釜石市民劇場は1986年に初演。郷土の先人や歴史をテーマに公演し、市民に愛されてきた。東日本大震災や新型コロナウイルス禍による休演もあったが、脈々と受け継がれている。
 
コロナ禍で中止していた観客のお見送りも復活。ウクライナ支援募金も呼び掛けた

コロナ禍で中止していた観客のお見送りも復活。ウクライナ支援募金も呼び掛けた

No1803_thum

広報かまいし2023年3月1日号(No.1803)

広報かまいし2023年3月1日号(No.1803)
 

広報かまいし2023年3月1日号(No.1803)

広報かまいし2023年3月1日号(No.1803)

ファイル形式: PDFファイル
データ容量: 3.29MB
ダウンロード


 

【P1】
ダンスイベント Mo′ Paradise Party SANRIKU 2023 案内

【P2-3】
東日本大震災 追悼行事案内 他

【P4-5】
釜石シーウェイブス 3月のホストゲーム

【P6-7】
まちのお知らせ

【P8】
イベント案内

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2023022100013/
釜石市

釜石市

釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
uni1

身入りよし「畜養ウニ」 釜石・唐丹漁協、試験出荷開始 評価も上々!通年出荷へ期待高まる

釜石・唐丹町の小白浜漁港で畜養されているウニの水揚げ作業

釜石・唐丹町の小白浜漁港で畜養されているウニの水揚げ作業

 
 岩手県沿岸部では海藻がなくなり、藻場が砂漠のようになってしまう「磯焼け」が深刻化し、漁業に悪影響を与えている。要因の一つが、海藻を餌とするウニの過剰繁殖。その一方、コンブなどの海藻を食べ尽くしてしまい餌不足の状態となり、身入りの悪い「やせウニ」が増え、漁業者を悩ませる。そうした中、商品価値のない「やせウニ」を別の場所に移し餌を与えて太らせる畜養が県内各地で進行。釜石市唐丹町小白浜地区では昨年10月から取り組んでおり、2月24日に水揚げ、試験出荷を始めた。関係者が身入りや色付きなどを確かめ、「上々」と“ほっ”とひと息。ウニは出荷時季が限定されてきたが、通年出荷に向けて期待を高めた。
  
 県内各地で進むウニの畜養は、やせウニの有効利用を目的とした県の「黄金のウニ収益力向上推進事業」の一環。畜養で大きくしたウニを通常の夏場以外に出荷することで付加価値を高めるのも狙いだ。2020年度から久慈市の2地区(南侍浜・角浜)、大船渡市三陸町綾里地区で展開。22年度は釜石のほか、久慈2地区、三陸町の越喜来地区で行われている。
 
いけすから取り出したウニを手に頬を緩める漁業者ら

いけすから取り出したウニを手に頬を緩める漁業者ら

 
 釜石・小白浜地区で畜養に取り組むのは唐丹町漁協(木村嘉人組合長)の漁師たち。昨年10月下旬に唐丹湾沖合で取ったウニ約6000個(約400キロ)を、小白浜漁港内に設置した2基のいけすに移し給餌を開始。漁協の加工場で出る塩蔵ワカメの端材などを与え、約4カ月間育ててきた。
 
ウニを割って確認。身入りも色付きも「いいんでない」

ウニを割って確認。身入りも色付きも「いいんでない」

 
身たっぷりの唐丹発・畜養ウニ。漁業者の期待も高まる

身たっぷりの唐丹発・畜養ウニ。漁業者の期待も高まる

 
 24日、漁師らが船でいけすに向かい、水揚げ。出荷に適したウニを見極めて取り出し、殻を割って身入りを確かめた。試験出荷先の旅館宝来館(鵜住居町)の松田一角部長(42)も乗船し、試食。「おいしい。餌はワカメで、自然環境と同じ状態で育っていて、磯の香りもある。思ったより、しっかり育成されている」と評価した。
 
小白浜漁港内に設置された2基のいけす。背後には漁協の加工場もある

小白浜漁港内に設置された2基のいけす。背後には漁協の加工場もある

 
 小白浜地区の畜養は、小割式の網いけすが特徴。90センチ四方の小型いけすを4つ連結させた構造で、畜養する数量に合わせ、いけすの連結数を増やしたり、大きさを調節することができる。連結することで強度も増す。ウニの様子を見やすいようにオレンジ色の網を使用。ウニの取り出しが容易で、少量の注文にも柔軟に対応できるという。深さは1.5メートルと2.5メートルのものがあり、収量や育成の違いなどを試験中。手法が確立すれば、天候などに左右されずに安定的な出荷が可能となり、不漁に苦しむ漁業者の収入増が期待される。
  
給餌の様子。加工場で出た塩蔵ワカメの端材を有効活用する

給餌の様子。加工場で出た塩蔵ワカメの端材を有効活用する

 
uni7

オレンジ色の網を使い、ウニの様子を分かりやすくする工夫も

  
 県沿岸広域振興局水産振興課の山野目健課長(57)は、いけすについて「単純な構造にみえるが、ウニ養殖としては画期的なもの。ウニが接着する面を増やせ、餌やりも簡単。船上でカガミを使ってとるのではなく、たも網で手軽に取り出せる」と自負する。地球温暖化の影響で海の環境が変化し増えてしまったウニを間引きし、適正化しようとする“黄金のウニ”事業。「やせウニを活用し付加価値をつけて安定的な出荷ができるようになれば、地域の水産振興にも貢献できる」と力を込めた。
  
宝来館の調理場で出来を確かめる千葉さん(左)、松田さんら

宝来館の調理場で出来を確かめる千葉さん(左)、松田さんら

  
 水揚げ後、唐丹町漁協参事の千葉博幸さん(60)が宝来館に直送。調理場で料理長らの「これなら」と声を聞いて顔をほころばせた。当面の取引先はこの旅館が主になり、松田部長は「釜石にいつ来てもウニが食べられる、しかもその日取ったものを―というのが魅力。リーズナブルに提供できるようプラン化したい」と腕をまくった。
 
「浜に活気を」。畜養ウニを手に期待を込める千葉さん

「浜に活気を」。畜養ウニを手に期待を込める千葉さん

 
 「コンクリートの上にウニが転がっている感じ」と海の状況を話す千葉さん。「磯焼けが解消されるには5年、10年…年月がかかるだろう。だが、何もせず指をくわえて待っていることはできない」
 
 そんな中で始めた、沖のやせたウニ、ワカメ加工の端材といった商品価値のないものを使った取り組みに手応えを感じている。「通年で生の新鮮なウニを食べてもらえたら」。県の委託で取り組んだ畜養試験は本年度で終了だが、千葉さんは次年度以降も継続させたい考え。ただ、餌の確保や種類、取引先の確保など課題はあり、手探り状態は続く。

slginga1863

SL銀河 釜石の「ものづくりの灯」でラストシーズン運行へ 初日は3月25日

SL銀河点火用の種火を手にする釜石駅の髙橋駅長(右)とJR盛岡車両センターの本倉所長

SL銀河点火用の種火を手にする釜石駅の髙橋駅長(右)とJR盛岡車両センターの本倉所長

 
3月からラストシーズンの運行を始めるSL銀河

3月からラストシーズンの運行を始めるSL銀河

 
 2014年4月からJR釜石線(花巻―釜石間、90.2キロ)で運行されてきた蒸気機関車「SL銀河」が、客車の老朽化のため、本年6月で運行を終了する。3月から始まるラストシーズンに向け21日、機関車に火が入れられた。点火用の種火となったのは、近代製鉄発祥の地・釜石市の象徴「ものづくりの灯(ひ)」。釜石人の魂が込められた高炉の火が、見納めとなるSL運行を力強く支える。
 
 火入れ前日の20日、同市鈴子町釜石駅前広場の「鉄のモニュメント」から採火が行われた。上部で燃え続ける「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員がトーチに分灯。釜石駅の髙橋恒平駅長が受け取り、ランタンに火を移した。火はSLの整備を担当するJR東日本盛岡車両センターの本倉幹弘所長に託された。翌21日には盛岡のSL検修庫で火入れ式が行われ、石炭を燃焼させるボイラーに点火された。
 
「鉄のモニュメント」にともされる「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員が採火

「鉄のモニュメント」にともされる「ものづくりの灯」を釜石ガスの社員が採火

 
髙橋釜石駅長(右)が採火した火をトーチからランタンに移した

髙橋釜石駅長(右)が採火した火をトーチからランタンに移した

 
slginga1878
 
 鉄のモニュメントは近代製鉄発祥150周年を記念し2007年に設置。新日鉄釜石製鉄所(現日本製鉄)構内で保存されてきた高炉の火を分けてもらい、「ものづくりの灯を永遠に」と記した磁鉄鉱石碑と共に“鉄のまち釜石”を発信している。東日本大震災の津波被害で火は一時消えたが、再びともされ、14年のSL銀河運行開始時には今回同様、この火を採火し火入れを行った。
 
 採火に立ち会った髙橋駅長は「ラストシーズンも釜石の大切な火を頂戴し、力強く運行していく。これまで全国から大勢のご乗車をいただいた。感謝の気持ちを込め、最後まで安全、安定輸送に努める」と思いを強くした。今シーズンも沿線の駅などで、さまざまなイベントが企画される。
 
 被災した沿岸地域への誘客など観光面からの復興支援、地域活性化を目的に運行を続けてきたSL銀河。14年4月12日の運行開始以来、春から初冬の土日祝日などに約480本を運行し、約7万人が乗車している。
 
2014年4月の運行開始から人気を集めてきたSL銀河。沿線住民に夢と希望を与えた(写真:復興釜石新聞)

2014年4月の運行開始から人気を集めてきたSL銀河。沿線住民に夢と希望を与えた(写真:復興釜石新聞)

 
各駅では多くの鉄道ファンがカメラを構える=2021年、陸中大橋駅

各駅では多くの鉄道ファンがカメラを構える=2021年、陸中大橋駅

 
 SL銀河ラストシーズンの運行は3月25日から。土日を中心に上下計24本の運行を予定する。最終定期運行は6月3日(釜石行き)と4日(花巻行き)。10、11日の旅行商品専用の団体臨時列車が最後の運行となる。

summit1563

「持続可能な観光地域づくり」へ全国8市町が共同宣言 釜石市で初のサミット開催

全国8市町が「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を行ったサミット=14日、釜石市

全国8市町が「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を行ったサミット=14日、釜石市

 
 釜石市など全国8市町でつくる日本「持続可能な観光」地域協議会は14日、釜石市民ホールTETTOで初のサミットを開いた。各市町の首長らが集い、「持続可能な観光の推進に向けた共同宣言」を採択。将来を見据え、国際基準を取り入れた観光地域づくりを広域連携で進めていくことをあらためて確認した。専門家の基調講演や各地域の取り組み報告もあり、民間の観光関係者を含め約150人が参加した。
 
 同協議会は2021年7月、釜石市の呼び掛けで発足。北海道ニセコ町、同弟子屈町、長野県小布施町、京都府宮津市、徳島県三好市、熊本県小国町、鹿児島県与論町が参画する。持続可能な観光を目指すための専門的支援、知見や情報の共有、連携する自治体のプロモーションに資する取り組みを推進し、地方創生のモデル地域を形成していくのが狙い。
 
日本「持続可能な観光」地域協議会代表理事の野田武則釜石市長があいさつ

日本「持続可能な観光」地域協議会代表理事の野田武則釜石市長があいさつ

 
 協議会の代表理事を務める野田武則釜石市長はサミット開催にあたり、「他市町の取り組みを参考にしながら共に切磋琢磨(せっさたくま)し、全国に持続可能な観光を発信してもらえれば」とあいさつ。共同宣言文には地域独自の文化と自然環境を保全し、持続可能な観光の国際基準(GSTC)に基づき、地域に貢献する観光を推進していくことが記され、8市町の首長が署名した。各市町からは、これまで経験した観光に関わる問題、課題解決への取り組み、協議会による連携への期待などが述べられた。
 
共同宣言署名に先立ち、協議会に参画する8市町の首長らが思いを述べた

共同宣言署名に先立ち、協議会に参画する8市町の首長らが思いを述べた

 
summit1448
 
 日本三景の一つ「天橋立(あまのはしだて)」を有する京都府宮津市の城崎雅文市長は、観光客による交通渋滞やごみ問題を経験した過去を踏まえ、「開発と保全のバランス、まさに持続可能な開発目標(SDGs)に関わる部分が重要になる。本協議会を中心に世界から選ばれる観光地を共に作っていきたい」と意気込んだ。
 
 町面積の約65%が「阿寒摩周国立公園」内という北海道弟子屈町の吉備津民夫副町長は、隣接4市町での「ゼロカーボンパーク」登録を紹介。「サミットを機に気候変動や資源の枯渇、生物多様性の保全など、問題解決への取り組みが全国に広がっていけば」と期待した。
 
 西日本第2の高峰「剣山」を有し、山と川が9割を占める徳島県三好市の高井美穂市長は、日本ジオパークの認定を目指していることを明かし、「自然と共存し、無理なく続けていける観光が地域課題の解決につながる。住民が喜んでもてなし、来た人にも喜んでもらえる好循環が持続可能な観光」との考えを示した。
 
 鹿児島県最南端の離島、与論町は沖縄復帰の前後で観光客数が大きく増減。最盛期に建設された観光施設の廃墟化など負の遺産問題を経験した。久留満博副町長は「一過性、消費型観光ではなく、島に残る美しい環境や貴重な文化、暮らしに配慮した取り組みが必要と考え、協議会に参加した。観光地のマネジメント、危機管理体制の構築などを早急に進めたい」と話した。
 
基調講演する高山傑さん(国連世界観光機関持続可能な観光プログラム諮問委員、観光庁「日本版持続可能な観光ガイドライン」アドバイザー)

基調講演する高山傑さん(国連世界観光機関持続可能な観光プログラム諮問委員、観光庁「日本版持続可能な観光ガイドライン」アドバイザー)

 
 基調講演の講師は、持続可能な観光の国際基準策定、評価における日本での第一人者、高山傑さん(一般社団法人JARTA代表理事)。GSTCの概要や持続可能な観光に必要なマネジメントなどについて説明した。
 
 高山さんは持続可能な観光の国際的定義を「経済、社会、環境への影響を十分に考慮した観光」とし、GSTCを活用した国際社会にも受け入れられる観光地づくりを促した。全ての関係者に支持されるマネジメント、数世代先を見据えた観光戦略の必要性も示し、▽土地の豊かさを失わない方針▽ブームではなく、ルーツにこだわる本物体験の加速▽地域住民の意見を反映した資源マネジメント▽地域で稼ぐための方策と後方支援―などをポイントに挙げた。
 
 GSTCは世界持続可能観光協議会が策定した達成すべき基準で、協議会から認定された第三者機関が実際の認証を行う。グリーン・デスティネーションズ(オランダ)は100項目の評価基準を設け、GSTC認証獲得への第一段階となる「世界の持続可能な観光地トップ100選」を2015年から発表。サミットを開いた地域協議会の8市町では釜石市(18年~5年連続)、ニセコ町(20、21年)、与論町(21年)、小国町(22年)が選出されている。釜石市は22年、全項目の70%で評価を得て、国内で唯一「シルバー賞」も受賞した。
 
釜石市の取り組みについて発表する市の担当者

釜石市の取り組みについて発表する市の担当者

 
 講演後は8市町と、同100選受賞に貢献してきた釜石市の観光地域づくり法人・かまいしDMC(河東英宜代表取締役)の取り組み報告も行われた。

kataribe1

震災の語り部活動、準備中!釜石高生「自分の言葉で伝えたい」 3月、うのスタで

自分の言葉で震災を伝えるため研修や練習に取り組む釜石高生

自分の言葉で震災を伝えるため研修や練習に取り組む釜石高生

 
 東日本大震災の経験や教訓、防災の取り組みを未来につなげようと活動する釜石高(釜石市甲子町)の生徒有志グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」。地元のラグビーチーム釜石シーウェイブス(SW)RFCのホーム戦に合わせ、会場の釜石鵜住居復興スタジアム(鵜住居町)で語り部活動を展開してきた。今年も、3月に伝承活動を行う予定。震災被災者の経験談を聞いたり、「伝えたい」思いをまとめたり準備を進めている。
 
 夢団は2019年に結成。うのスタが会場となったラグビーワールドカップ(W杯)開催時に震災の教訓と復興支援への感謝を伝えようと活動した生徒らが、継続的な取り組みにすべく立ち上げた。生徒の発案で「津波伝承うちわ」「安否札」を作成・配布しながら、W杯やSWホーム戦の来場者に震災の記憶や防災力向上を発信してきた。
 
震災体験者の話を聞き取る研修=1月26日、鵜住居町

震災体験者の話を聞き取る研修=1月26日、鵜住居町

 
 今年は5人の生徒が語り部に挑む。いずれも2年生。震災当時は4、5歳で記憶していることは多くない。そこで、1月26日に研修として震災経験者から話を聞いた。鵜の郷交流館(鵜住居町)で体験を伝えたのは、嬉石町の横山幸雄さん(85)。「津波を目の前にして足がすくんだ。とっさに家の中に飛び込んだが、津波にのまれ意識を失った」などと、死と隣り合わせの経験を語った。意識を取り戻し、目についた電線を伝って電柱にたどり着き、奇跡的に命をつないだ。「私の行動は一歩間違えれば命取りになっていた」とした上で、「一番大事なのは命。災害時にどう行動するか、日頃から考えておくべきだ」と力説した。
 
 生徒たちは、住み慣れたまちが津波で失われるのを目の当たりにした時の心境や行動の選択で困ったこと、避難所の様子などを聞き取った。海が近い唐丹や鵜住居、平田で暮らす生徒らは、自身の体験との違いを感じた様子。体験者の話をじかに聞くのが初めての生徒もいて、新たに触れた視点を盛り込んで「伝える」との思いを強めていた。
 
横山さん(左)の経験談に耳を傾ける釜石高の生徒=1月26日、鵜住居町

横山さん(左)の経験談に耳を傾ける釜石高の生徒=1月26日、鵜住居町

 
 横山さんは「震災から10年以上がたち、風化を感じる。だからこそ、伝えていくことが大切だ」と強調。釜石観光ガイド会の一員として語り部活動を実践する先輩の立場から、「災害に負けてたまるか。命さえあれば、どんなことでも頑張れるはず。そう思い語り続けている」と明かし、伝承者としての姿勢を探る生徒たちにヒントを残した。
 
 いのちをつなぐ未来館では、施設職員で語り部の川崎杏樹(あき)さんの案内で展示を見て回りながら、おさらい。うのスタでの活動に向け台本作りも始めた。
 
いのちをつなぐ未来館で震災への理解を深める生徒ら=1月26日、鵜住居町

いのちをつなぐ未来館で震災への理解を深める生徒ら=1月26日、鵜住居町

 
放課後の学校で台本作りの準備をする高堰さん(奥)=2月14日、甲子町

放課後の学校で台本作りの準備をする高堰さん(奥)=2月14日、甲子町

 
 2月中旬からは、個別に台本を仕上げる作業を続けている。語り部デビューを目指す高堰愛さんは14日の放課後、同校で作業。夢団の活動を支える「さんつな」代表の伊藤聡さん(43)にアドバイスを受けながら、考えをまとめている。
 
 学校周辺の地区に住む高堰さんは津波の被災はないが、地震の怖さから車中泊をした記憶を残す。大槌町に祖父母が暮らしており、人的被害はなかったものの何度も訪れた思い出の場所が流されたことにショックを受けた。それでも、「津波を直接的に体験していない自分が語れるのか」「伝えられることもある」と自問自答。震災は被災の有無にかかわらず、多くの人の気持ちにダメージを与えたと感じていて、「(私は)思い出を失ったが、支えられ気持ちが楽になった。今度は支える立場になりたい」との思いを力にする。
 
高堰さんの「伝えたいこと」がつづられたノート=2月14日、甲子町

高堰さんの「伝えたいこと」がつづられたノート=2月14日、甲子町

 
 横山さんの話で印象に残ったのは、避難所での生活。津波から逃れても寒く、苦しく、大変な生活があったことを知った。そうした背景も織り交ぜながら、命を守ることや備えの大切さを伝える考え。「人前で話すのは苦手。でも台本があると読んでしまう」と自己分析し、台本は文章ではなく、伝えたい言葉を書き連ねるだけにするつもりだ。「自分の言葉で語りかけたい」。思いを紡いでいる。
 
 今月末に全体練習。SWホーム戦は3月5日、12日、19日に予定され、生徒たちは12日に思いを発信する。

shogi401

将棋・小山怜央さんプロに 棋士編入試験合格 地元歓喜「釜石の誇り」「勇気もらった」

小山怜央さんの勝利を祝って万歳!釜石に歓喜が広がった=13日

小山怜央さんの勝利を祝って万歳!釜石に歓喜が広がった=13日

 
 釜石市出身で将棋のアマチュア強豪、小山怜央さん(29)=横浜市=は13日、大阪市の関西将棋会館で行われたプロ棋士編入試験5番勝負の第4局に勝利し、通算成績を3勝1敗として合格を決めた。4月1日付でプロ棋士の四段になる。棋士養成機関「奨励会」の未経験者として初の試験合格者。岩手県出身者としても初の棋士となり、地元では歓喜の声が広がった。
  
 通常、プロ棋士となるには、26歳までに奨励会で四段に昇段する必要がある。編入試験は奨励会とは別にプロを目指す制度。アマ出場枠があるプロ公式戦で一定の成績を収めれば受験資格を得られる。試験は若手棋士5人と対戦し、3勝すれば合格。小山さんは昨年11月の第1局で徳田拳士四段(25)、12月の第2局で岡部怜央四段(23)を連続で破ったが、今年1月の第3局では狩山幹生四段(21)に敗れ、2勝1敗となっていた。
  
 この日は、振り飛車党の横山友紀四段(23)と対局。先手番の小山さんは、「四間飛車」と得意の戦型で構える横山四段に対抗すべく「居飛車穴熊」に駒を組み、戦機をつかんで序盤から優勢に進めた。中盤に形勢が接近した場面もあったが動揺せずに立て直し、粘る横山四段を133手で振り切った。
 
中妻地区生活応援センターで行われた大盤解説会=13日

中妻地区生活応援センターで行われた大盤解説会=13日

 
解説を聞きながら戦況を見つめる釜石市民ら=13日

解説を聞きながら戦況を見つめる釜石市民ら=13日

 
 「よし、やった」「強い」。午後3時半過ぎ、釜石市上中島町の中妻地区生活応援センターで大盤解説を聞きながら戦況を見守っていた小山さんの父・敏昭さん(60)、母・聖子さん(60)、将棋愛好者ら約25人から拍手と歓声が湧き起こった。幼少期の小山さんに将棋を教え、大盤解説を務めた日本将棋連盟釜石支部長の土橋吉孝さん(67)は「相手を研究した手順でうまく仕掛けた。横山さんが序盤で1時間半使ったところ、怜央は15分でとどめ、優位に立てた」と勝因を挙げた。
  
 小山さん優位で進んだ第4局だが、小山さんの〝意外な手〟で緊張感が走る展開に。土橋さんは「気分的には嫌なところ。震えかな。もっと良くしようと考えすぎ、うっかり見落としてしまった」と推測した。一時接戦になりながらも、冷静に指し回す小山さんの様子に「ミスをしても崩れない。気持ちを切り替え対局に臨んでいる。いける」と確信。「怜央は終盤に鮮やかな寄せを見せる。時間で差がついているので気持ちを切らずにつなげれば、楽しみはある」「攻めるは守りなり。息を吹き返した」「大丈夫ですよ」と解説を続けた。
  
タブレットを手に戦況を見守る小山さんの父敏昭さん(右)、母聖子さん=13日

タブレットを手に戦況を見守る小山さんの父敏昭さん(右)、母聖子さん=13日

 
勝利を信じ、祈るように解説に耳を傾ける人も=13日

勝利を信じ、祈るように解説に耳を傾ける人も=13日

  
 集まった人たちは硬い表情で祈るように盤面を見つめていたが、土橋さんの読み通りに〝勝ち〟が決まると、「おめでとう」「やったね」と祝福の言葉が飛んだ。聖子さんは「うれしい。ずっとハラハラ、心配で心配で仕方なかった。好きなことを仕事にして、今からまた頑張れるね。釜石に帰ってきたら、おいしいもの、好きなものを食べさせてあげたい」と目を赤くした。
 
快挙を喜ぶ(左から)聖子さん、土橋さん、敏昭さん=13日

快挙を喜ぶ(左から)聖子さん、土橋さん、敏昭さん=13日

 
「おめでとう」。勝利に拍手を送る将棋愛好者ら=13日

「おめでとう」。勝利に拍手を送る将棋愛好者ら=13日

 
 小学2年生の頃に将棋を始めた小山さん。高校2年生だった2011年3月、東日本大震災で鵜住居町の自宅を失い、避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされたが将棋を続け、岩手県立大在学中の14年に学生名人に。その後は将棋講師をしながら「プロ棋士」という夢を胸に抱き続けてきた。敏昭さんは「避難所で弟と将棋を指している光景を思い出した。好きなことを諦めず頑張ってきた本人の努力と周囲の方のおかげ。よく頑張った。息子ながら褒めたい」と喜びをかみしめた。
 
 会場には野田武則市長も駆け付け、「岩手初のプロ棋士誕生は釜石の誇り」とたたえた。地元の愛好団体「正棋会」で将棋を楽しむ定内町の吉光島司さん(74)は「岩手の将棋界に一つの光を照らした。釜石は人口が減り寂しさを感じることもあるが、『ここでもやれるんだ』と勇気をもらった。小山君は粘りがすごいし、強い。負けていられない」と目を細めた。
  
大盤解説した土橋さん。「さらに上を目指し精進を」と激励=13日

大盤解説した土橋さん。「さらに上を目指し精進を」と激励=13日

 
 土橋さんは「彼は昔から本当に将棋が大好き。へこたれず努力してきた。報われて良かった」と感慨に浸った。さらに、「怜央は麦踏みのように太く丈夫に育った。底力、地力をつけ、はるかに強くなっている。行けるだけ上を目指し精進を」とエール。そして、これに続く釜石、岩手の子どもたちの成長にも期待し、「伝統文化をつなげる手伝いも一緒にしてほしい」と望んだ。
  
小山さんのプロ棋士編入試験合格を祝って釜石市役所に設置された懸垂幕=14日

小山さんのプロ棋士編入試験合格を祝って釜石市役所に設置された懸垂幕=14日

  
 「祝 岩手出身初!! 将棋プロ棋士誕生へ」。試験合格から一夜明けた14日には、快挙をたたえる懸垂幕が市役所第1庁舎(只越町)に掲げられた。庁舎を訪れた人たちが立ち止まって見上げ、祝福ムードを広げている。