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釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第7弾『ホラニ 龍シオアペラトゥー選手』

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第7弾『ホラニ 龍シオアペラトゥー選手』

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第7弾『ホラニ 龍シオアペラトゥー選手』

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手(ほらに りゅうしおあぺらとぅー)選手 / 所属先:日本製鉄(株)釜石製鐵所 プロ契約 プロフィール
2018年加入/1982.12.29生(36歳)/187㎝/120㎏/トンガ出身/埼玉工業大学卒
 
●ラグビーを始めたきっかけ:15歳の時、伯父(ノフォムリ・タウモエフォラウさん)に誘われて。
●ポジションの遍歴:FL、LO、No8→PR
●ニックネーム:ソア
●趣味:BBQ、釣り、海で遊ぶ
●好きな食べ物:ラーメンとラム肉丼
●釜石のオススメ:釜石ラーメン、大自然
●出身地のオススメ:豚の丸焼き
●試合前のルーティン:音楽を聴く
●ストロングポイント:セットプレー
●サポーター、ファンへメッセージ:いつも応援していただきありがとうございます。皆さんの声援が大きな力になりますので、これからも応援よろしくお願いします。

 

インタビュー日:2019年7月29日(釜石シーウェイブスRFCクラブハウス)
企画・編集:釜石まちづくり株式会社
取材・文:市川 香織(釜石まちづくり株式会社)
写真:西条 佳泰(株式会社Grafica)

 

奥さんと二人で「釜石行きますか!」って、すぐに決めました

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーー加入の経緯を教えてください。

 

ホラニ選手:

NECが終わった後に、一番早くに声を掛けて下さったのが釜石だったんです。ある日エージェントから「釜石のGMさんが会いたいと言って下さっている」と連絡が来まして。それで、桜庭さんと直接会って話をさせて頂いて、奥さんと二人で「釜石行きますか!」って、すぐに決めました。

 

ーー過去にSWと対戦した事はありましたか?

 

ホラニ選手:

僕は無くて、当然、釜石に来た事も無かったです。でも、前にチームに居たトンガ出身の選手が、SNSに釜石の風景や写真をUPしていたので、それを見て「釜石っていい所だなぁ」って思っていました。
 

でも、僕が入ったらトンガ出身選手が皆いなくなってしまっていて・・・一緒に出来ると思っていたので、それがちょっと寂しかったですね。

 

ーーそうすると、入った当初はチームに知っている人はいましたか?

 

ホラニ選手:

マヘさん(トゥビさん:釜石SW 普及担当)が、高校(トンガの)は先輩です。他には知っている人はいませんでした。だから、トンガの選手たちがみんなSWが終わりって聞いた時、みんなにメールして「頼むから誰か残ってくれー」って(笑)。そしたら、マヘさんがスタッフとして残ってくれて、本当良かったです。

 

ーーチームに合流してどうでしたか?

 

ホラニ選手:

良いチームだなぁって感じました。ただ、練習時間が今までやって来たチームとは違って、夜暗い中でもやるので初めは戸惑いましたけど、今は慣れました。

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーー第4弾でインタビューをお届けした山田選手が、チームに合流してすぐはわからない事も多い中で、「NECで一緒だったソアさんが居てくれてとても助かりました」と言っていました。

 

ホラニ選手:

そうなんですか・・・ありがたいですね。確かに僕も最初の頃は同じで、練習の流れとか他にも色々と分からない事はマヘさんに聞いて、全部教えてもらいました。やっぱり、知っている人がいてくれるだけで全然違います。

 

ーーほとんど知り合いが居ない初めての土地ですもんね。

 

ホラニ選手:

そうですね。だから、こっち来る前に兄さん(ホラニ龍コリニアシさん:パナソニックワイルドナイツFWコーチ)に、「釜石って遠いけど大丈夫?東京のチームの方がいいんじゃない?」って心配されました(笑)。
でも僕は、「東京はもういいです。釜石の大自然の方が自分に合っていると思うんで」って言って、釜石に来ました。

 

ーーこのインタビューシリーズで、海外選手のオススメの場所によく登場する「荒神海岸」はマヘさんがチームのみんなに教えたそうですね。

 

ホラニ選手:

そうですね。去年も結構みんなで泳ぎに行きましたね。海も砂浜もとてもきれいで、BBQも出来るし、すごく良い所です。あとは、すぐそこの松倉の川にも、昨日も一昨日も連続で入りました(笑)。

 

ーー実際に釜石で暮らしてどうですか?

 

ホラニ選手:

イメージ通りでした!自然が好きなので、さっき言ったみたいに、海、川で遊んで、海で釣りをして、最高です。

 

日本に来た時点で、「もう僕にはこの道しかない」って思っていました

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーー日本へ来たのは、何歳の時にどんなきっかけだったんですか?

 

ホラニ選手:

16歳になったばかりの時、伯父さんに「日本でラグビーやってみないか?」と誘われて日本の高校(埼工大深谷高校)に来ました。それまでラグビーの経験は全くなかったんですけど。

 

ーーえ!そうだったんですか?

 

ホラニ選手:

僕の家は母と兄と僕の3人だけなんですけど、母はいつも「勉強、勉強、勉強しなさい!」という感じだったので、勉強ばかりしていました(笑)。
 
でも、僕たちが大きくなって来た頃に母が、「だんだん1人で育てて行くのが大変になってきた」という話を伯父さんにしていて。伯父さんは元々日本でラグビーをしていたんですけど(ノフォムリ・タウモエフォラウさん:三洋電機でプレー。日本代表キャップ15)、トンガに来てくれて「日本の高校でラグビーをさせたいから、僕に任せてくれないか?」と母に言ったんです。母は、相手が伯父さんじゃなかったら、僕たちを日本に行かせなかったと思います。

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーー高校はトンガからラグビー留学生をずっと受け入れていたんですか?

 

ホラニ選手:

僕の兄さんともう一人が1期生で、2期生が僕と、クボタでもチームメイトだったオツコロ カトニでした。当時は毎年2人ずつでした。

 

ーーそうすると、お兄さんが居たから、ちょっと安心でしたね。

 

ホラニ選手:

そうですね、すごく助かりました。言葉もわからない所に行って、いきなり学校に入って、普通のクラスで授業を受けて。当たり前ですけど、目の前で何が行われているのか全然理解出来なくて、“ぼーっ”としているしか無くって(笑)。
 
学校が終わって、兄さんの所に行って「なんで学校に通っているのはわからない・・・」って、よくこぼしていました。兄さんは日本に来て1年経って、少しだけ日本語が話せるようになっていたので、色々と教えてもらってなんとか過ごしていましたね。
だから、たぶん1期生の二人は本当に大変だったと思うんです。僕みたいに聞ける人がいなかったから。

 

ーーそして、ラグビーもそこで始めて・・・。やってみた時はどうでしたか?

 

ホラニ選手:

楽しかったです。厳しいラグビー部だったので、練習はきついし、休みもなかなか無かったですけど(笑)。
授業に出ていても、「早く部活にならないかな・・・」という日々でした。

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーー体はもう今くらい大きかったんですか?

 

ホラニ選手:

いや、高校の時はもっと細くて、80kgくらいでした。FWのポジションはHO以外全部やりましたね。

 

ーーじゃぁ、体を大きくする為に、食事も練習の一環だ!という感じで?

 

ホラニ選手:

そうですね。自分たちで「これはきちんとご飯を食べないとダメだな」って、すぐ思いましたから。
だけど、最初は日本の食事が合わなくて・・・。特に白いご飯が食べられなくて、パンばかり食べていたんですけど、だんだん時間が経つうちに、すごく美味しく感じるようになりました。
今は、白ご飯無しの食事は無理ですね(笑)。

 

ーー大学でもラグビー部に入って、そして、社会人になっても続けるというのは、いつ頃決めたんですか?

 

ホラニ選手:

日本に来た時点で、「もう僕にはこの道しかない」って思っていました。ダメだったら・・・とか、そういう事は考えないようにしていましたね。辛くて帰りたくても、「やるしかない!」と思って。

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーーさっき、休みもほとんどないという話でしたけど、1年に1回くらいはトンガに帰れたんですか?

 

ホラニ選手:

いえ、帰れなかったですね。高校3年間で帰ったのは、卒業した後に一回だけで、大学の時も卒業して社会人になる前に一度だけでした。

 

ーーお母さんが日本に来てくれたりとか?

 

ホラニ選手:

それもほとんどなくて、高校と大学の卒業式に来たくらいでしたね。

 

ーー社会人になって、ラグビー選手になった時は喜ばれたでしょうね。

 

ホラニ選手:

はい、喜んでいましたね。それで、社会人になったし、お母さんを「日本に遊びにおいで」って呼びたいねと兄さんと話したんですけど、クボタでの3年間はプロ選手ではなくて、工場で働きながらラグビーをする社員選手で、独身寮に住んでいたんです。だから、母さんが来ても独身寮に泊める事が出来ないので、プロ選手になって、寮を出て家を借りて、母さんを泊められる様にしたいと思っていました。それに、仕送りをしたくても、社員選手の給料だとあまりそれも出来ないので。
 
そうした事もあって、プロ選手への道を考えて、クボタで働いている時に日本のパスポートを申請して、日本に帰化しました。

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーー日本でラグビー選手として生きて行くと決心されたんですね。

 

ホラニ選手:

そうですね。帰化する前に母さんにも相談したんですけど、「どこの国籍になっても、あなたが私の息子である事に変わりはないから、自分で決めたのならお母さんはそれを尊重するわ」と言ってくれました。

 

あとは自分たちの気持ち、意識だけだと思います

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーー釜石に来て2シーズン目。昨シーズンを振り返っていかがですか?

 

ホラニ選手:

釜石に来てすぐの頃にケガをして、春夏はなかなか試合に出られなかったんですけど、リーグ戦(TCL)が始まった頃に復帰し、たくさん試合に出る事が出来て良かったです。でも、もっと勝ちたかったです。

 

ーー今、チームで最年長でいらっしゃるんですよね。そして、一番下の選手は19歳。

 

ホラニ選手:

そうです、19歳ですね(笑)。もう・・・思ってもいなかったですね、こんなに若い選手と一緒にラグビー出来るなんて!なんか恥ずかしいです、僕がダントツ年上で(笑)。去年までは同い年のメンバーもいたんですけどいなくなりましたし、そういう点でもほんと寂しいですね。
 
若い選手たちには、もっとチームを引っ張って行って欲しいなと思っています。
すごい、シャイなんですよ。シャイというか、自分のやりたい事、自分の意見を言わないんですよね。だけど、もっと積極的にコミュニケーションを取って欲しい、グラウンドの中に入ったら、先輩後輩は関係ないですから。そこがまだ遠慮気味になってしまっているんですよね。

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーーそういう若い選手を見ていて、「まだ理解してないな」と感じた時には、言ってあげる方ですか?

 

ホラニ選手:

はい、僕はみんなに今まで自分が経験して来た事を共有したいと思っているので、出来るだけ言うようにしています。
でも、SWは練習以外で一緒に過ごせる時間が少ないんですよね。働いている選手が多くて時間が合わないですし。でも、そういう中でも出来るだけ時間を見つけて、アドバイスしたり話をするようにしていますね

 

ーー今シーズンはコーチ陣が変わり、チーム作りをしている最中だと思うのですが、カップ戦で久しぶりに三菱重工相模原に勝利するなど、チームの力は上がって来ていると感じます。実際にここまでどうですか?

 

ホラニ選手:

はい、上がっています。あとは自分たちの気持ち、意識だけだと思います。集中して取り組む所、リラックスする所、そういう判断を一人一人が出来たら、もっと良いチームになるんじゃないかって思います。

 

ーーSWがTLに昇格する為に必要だと思うことは何ですか?

 

ホラニ選手:

それこそ、一人一人の意識だと思います。今のチームは若い選手が多いですし、年齢も経歴もバラバラなんですが、練習の時に「みんなでやろう!」と確認した事も、次の日になったら忘れていたりする選手がいるんですよね。そうすると、全体でまた一からやり直しになります。
 
今日の練習をどれだけ良いものに出来るか、そして、次の日は前の日に終わった所からスタートして、そこにさらに積み上げていく練習が出来るかどうかが重要です。そこを全員で意識して出来たら、良いチームになると思います。
 
みんながそうなるまで、一人一人が言い続けなきゃいけないですね!少しの事でも、「忘れているな!」と思ったら、すぐ声を掛けていかないと。“ワンチーム”なんで、キャプテンとかリーダーとか関係なく、気が付いた人が言ってあげる、そこも一人一人の意識ですね。

 

ホラニ 龍シオアペラトゥー選手

 

ーー良いチーム“ワンチーム”になる為に、“もっとこうして行きたい”という事はありますか?

 

ホラニ選手:

プロとか社員とか関係なく、もっと選手同士の交流に時間をかけた方が良いと思います。練習だけではなくて、それ以外の時間も一緒に過ごして、コミュニケーションを取って。そうしたら、もっとそれぞれが遠慮しないで出来るかなと。ラグビー以外の事を一緒に楽しんだりする事が良いかなと思いますね。

 

ーー最後に、今シーズンの抱負をお願いします。

 

ホラニ選手:

今年、TLから落ちて来た強い2チームと、TLに昇格出来なかったSWより上位のチームもいるので、そこをターゲットにして勝ちたいですね!特に、カップ戦で負けたコカ・コーラにはリベンジしたいです!
 
個人的には、コンディションも悪くないですし、昨年ケガした膝も大丈夫です。今年は良い感じなので、カップ戦よりもっと良いプレーが出来れば良いと思いますし、チームとしては、カップ戦で活かしきれなかった点、そういう所を全部修正して臨みたいですね。

 
 
 

今年は秋のラグビーワールドカップ開催後の11月からトップチャレンジリーグが開幕!第1節、第2節は鵜住居復興スタジアムで行われます。日程は以下の通りです。

 

2019 ジャパンラグビートップチャレンジリーグ

第1節 11月16日(土) 11:30 釜石鵜住居復興スタジアム
対 コカ・コーラレッドスパークス
第2節 11月23日(土) 11:30 釜石鵜住居復興スタジアム
対 九州電力キューデンヴォルテクス
第3節 12月07日(土) 11:30 秩父宮ラグビー場
対 栗田工業ウォーターガッシュ
第4節 12月14日(土) 14:00 秩父宮ラグビー場
対 豊田自動織機シャトルズ
第5節 12月21日(土) 13:00 コカ BJI ラグビー場
対 マツダブルーズーマーズ
第6節 01月11日(土) 14:00 ヤンマースタジアム長居
対 近鉄ライナーズ
第7節 01月19日(日) 11:30 秩父宮ラグビー場
対 清水建設ブルーシャークス

 

最新情報、詳細は釜石シーウィブスの公式サイトでご確認ください。
http://www.kamaishi-seawaves.com/

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広報かまいし2019年8月15日号(No.1718)

広報かまいし2019年8月15日号(No.1718)
 

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【P1】表紙/もくじ
【P2〜3】ラグビー日本代表 対 フィジー代表
【P4〜5】ラグビーワールドカップ2019推進本部通信・やっぺしVol42/ラグビーワールドカップ交通情報/ボランティア募集/記念ナンバープレート
【P6〜7】岩手県知事・岩手県議会議員・釜石市議会議員選挙
【P8〜9】地震・津波避難訓練/運転免許証の自主返納/水産・海洋研究セミナー/甲子川・鵜住居川水門の現場見学会
【P10〜13】市民のひろば/まちのお知らせ
【P14〜15】まちの話題
【P16〜17】保健案内板/保健だより
【P18〜19】復興情報
【P20】 みちのく潮風トレイル 全線開通

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:http://www.city.kamaishi.iwate.jp/shisei_joho/koho/backnumber/detail/1230541_2596.html
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釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

伊藤 大輝(いとう たいき)選手 / 所属先:日鉄テックスエンジ株式会社社員 プロフィール
2017年加入/1994.5.17生(25歳)/177㎝/99㎏/福井県小浜市出身/若狭東高校卒
 
●ラグビーを始めたきっかけ:中学生の時に、花園(全国高校ラグビー大会)をテレビで観たのがきっかけで高校1年から。(それまでは、野球部で、父の故郷が花巻だったので、花巻東高校野球部に入部するはずだった)
●ポジションの遍歴:FL→HO
●ニックネーム:タイキ
●趣味:釣り(海)、トレーニング
●好きな食べ物:ポトフ
●釜石のオススメ:魚河岸テラス
●出身地のオススメ:越前ガニ、フグ
●試合前のルーティン:音楽を聴く、アップを誰よりも先に一番早くする
●ストロングポイント:ボールキャリー、ジャッカル
●サポーター、ファンへメッセージ:いつも応援ありがとうございます。チームはトップリーグ昇格の目標に向かって頑張っています。また、個人としても多く試合に出てチームの勝利に貢献して行きたいと思っていますので、皆さま温かい気持ちで応援して頂けたらなと思っております。今後とも応援をよろしくお願いします。

 

インタビュー日:2019年7月5日(釜石シーウェイブスRFCクラブハウス)
企画・編集:釜石まちづくり株式会社
取材・文:市川 香織(釜石まちづくり株式会社)
写真:西条 佳泰(株式会社Grafica)

 

もっと上のレベルのチームでやってみたい

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

ーー2017年の11月に加入。SWとはどのようなご縁で?

 

伊藤選手:

キャプテンの中野さんの高校の先輩とご縁があり、その方と一緒にクラブチームでラグビーをしていたんですけど、「もっと上のレベルのチームでやってみたい」という気持ちが出てきて、それで中野さんを通して桜庭さんを紹介して頂きました。トライアウトを2回受けて、「うちに来てみないか?」と声を掛けて頂き、「はい」と返事をしました。

 

ーーシーズン途中からの加入でしたね。

 

伊藤選手:

最初は2018年の4月からという話だったんですけど、早めに来られないか?となりまして。
その年の国体でラグビー成年男子の福井県代表メンバーになっていたので、国体が終了した11月くらいからお願いしますという事で、その時期になりました。

 

ーー今、国体のお話が出たんですが、昨年の福井国体、成年男子7人制ラグビー福井県代表として出場し、優勝されていますね!いわて国体(2016年)にも出場されていましたか?

 

伊藤選手:

はい、岩手の時も出場していました。でも、岩手県代表(ほぼ釜石SW選手で構成)に負けたんですよね(笑)。今いるメンバーも結構いたんですけど、だいたいみんな僕と対戦した事を覚えていないっていう・・・。こっち来て「出ていました」って言ったら、「お前出てたん?」感じでしたね(笑)。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

ーーラグビーとお仕事を両立されています。どんなお仕事を?

 

伊藤選手:

日鉄テックスエンジ(株)の建築課にいるんですけど、主に、日本製鉄構内の修理、現場監督をしています。

 

ーー元々、釜石に来る前からそういう関係のお仕事をされていたんですか?

 

伊藤選手:

建築とは全く違う仕事なんですけど、土木2級の施工管理の資格を持っていて、家の土台を作る作業をしていました。
 
釜石に来て仕事内容で困ったという事はなかったんですけど、現場監督になって、書類を作らなきゃいけないのが大変でした(笑)。これまでそういう業務は経験が無くて、期限までに一応提出はするんですけど、けっこう直されたりしています(笑)。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

(写真:釜石シーウェイブスRFC)

 

ーー仕事とラグビーを両立しながらの生活はどうですか?

 

伊藤選手:

最初は慣れるのが大変でした。僕が前にいたクラブチームは、あまり練習もハードではなくて、練習メニューも自分がやりたい事をする感じだったんですけど、SWはレベルの高いチームなので、そのレベルの高い練習を遅くまでやって、また次の日に朝練してから会社に行ってというのがしんどい時期があって・・・。
 
今の仕事が朝のスタート時間が早くて7時半には出社するので、朝5時に起きて、練習してから会社に行って、仕事終わって練習して・・・という毎日の繰り返しが、やっぱり最初はなかなかハードで。でも、今はもう慣れました。

 

ーー1人暮らしですか?

 

伊藤選手:

はい、そうですね。釜石に来る前は実家暮らしでした。

 

ーーそれは、色々と大変ですね!お母さん心配していませんか?

 

伊藤選手:

良く連絡が来ます(笑)。洗濯と掃除はまぁなんとかなるんですけど、料理を作るのが大変で・・・。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

ーー得意料理は?

 

伊藤選手:

豚キムチですかね・・・。あとビーフンが好きなので、母に作り方を聞いて作りました。その二つくらいですかね(笑)。めっちゃ少ないです、レパートリー(笑)。
なので、後はネットで調べながら作っています、というか“これ食べたいな”という時は、同期の高橋聡太郎に作ってもらっています。聡太郎は料理するのが好きなんですが、寮の部屋にはキッチンがないので、僕の家に来て作ってくれます。

 

まだまだ勉強する事がたくさんあります

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

ーーチームに合流して実際の所、どうでしたか?

 

伊藤選手:

最初は練習について行くのが精一杯でした。以前は自分なりの感覚でやっている事が多かったんですけど、釜石に来て、自分がラグビーに対する知識とかが低いんだなという事を改めて感じて、最近は色々な意見を聞いてそれを取り入れて考えながらやっています。まだまだ勉強する事がたくさんあります。
 
ポジションも最初はフランカー(FL)で入ったんですけど、ちょっと身長が低いという事もあって、前HCの小村さんにフランカーは厳しいと言われて、それで、前FWコーチの松原さんから「じゃあ、前の方に(FW前列1~3番)行かんか?」という話をされて、フッカー(HO)になったんです。

 

ーー前FWコーチの松原裕司さんは、日本代表でHOだった方ですもんね。

 

伊藤選手:

僕にとって松原さんは、ずっとテレビで観ていた方で、そういう方に教えてもらう事が出来たのは本当に光栄な事でした。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

(写真:釜石シーウェイブスRFC)

 

ーーHOはFWの要のポジションですが、プレーしてみてどうですか?

 

伊藤選手:

セットプレーがやっぱり難しいです。ラインアウトのボールの投げ入れとかは少しずつ慣れて来たんですけど、特にスクラムがまだまだですね。“8人でまとまって押す”っていう所が難しくて。昨年に比べるとだいぶ組めるようになったとは思うんですけど、組んでいく中で自分の強い姿勢とかを探していくしかないので、そこがちょっとまだかなという感じです。
 
これは(スクラムを)組んでみての感覚なので、その感覚を探している状態ですね。“教えてもらって身に付くか?”っていうと、そういうもんじゃないと言われているので。

 

ーー少し話が戻りますけど、釜石に来る前のポジションはFLだったんですよね?

 

伊藤選手:

そうですね。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

(写真:釜石シーウェイブスRFC)

 

ーーそれでなんですね。伊藤選手のプレーを観ていて、HOっぽくないというか、積極的に前に行くプレーやボールキャリーが目立つなぁって思っていたんです。

 

伊藤選手:

僕は、コンタクトの部分が自分の強みかなと思っていて、アタックでもディフェンスでも人より多くチャンスを作るとか、なるべく人の役に立つ事をしたくて。例えば、ボールを奪うジャッカルやタックルとか、そういうプレーを強みにFLの時はやっていたので、フィールドプレーの方は自分なりにですけど自信があります。あとは、セットプレーだけですね。

 

ーーそういう現状の中でも、今シーズンはここまでスタメンでコンスタントに試合に出場されていますね。

 

伊藤選手:

シーズンに入る前に、佐伯コーチから「今年はたくさん試合に出て、経験を積んでもらうから」という話を頂きました。メンバー入りさせてもらっている中で、自分なりに考えてやってはいるんですけど、上手く行かない事も多くて・・・。
 
カップ戦ではトップリーグ(TL)チームと対戦しているんですけど、TLの選手を観ているとセットプレーはやっぱり安定していて、僕とあまり体の大きさが変わらない選手でも一つ一つのプレーが上手くて。
もちろんポジション経験の差があるとは思うんですけど、クボタ、キャノン、カップ戦の前に対戦した神戸製鋼とやって、もう少し自分のラグビーに対する考え方を変えるべきかなと改めて感じています。

 

ーーさっき、星野選手にお話聞いていたんですけど、ラグビーに対する“考え方、知識”と“経験”その両方ですよね、きっと。

 

伊藤選手:

将利さんはTLの経験とラグビーの知識も合わせて持っている選手なので、特に「考え方」について指導を受けています。厳しい時ももちろんあるんですけど、優しい人なので色々と教えてくれます。
 
例えば、練習に対する姿勢や取り組み方では、ダラダラ長くやるんじゃなくて、集中してコンパクトにやる。そして、ミス無くプレーする為にどうしたら良いのかを、ちゃんと考えながらやらなきゃダメだとよく言われています。練習で出来ない事は試合で出来ないですから。
今は、簡単な事でもまだミスが多くて、そうするとそこでみんなで話し合う時間が必要となり、練習が長くなってしまっています。
 
やっぱりキャリアが上の人の考えというのは正しいというか、経験から来ているものなので違うなと思います。
僕は高卒ですし、大学の名門チームでの経験がある選手は羨ましいな・・・って思う所もありますね。

 

期待に応えるためにも成長しレベルUPを

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

ーー今シーズン、ここまでの仕上がりについて。

 

伊藤選手:

コンディションは悪くはないです。80分近く試合に出ると、自分では疲労は溜まっていないと思っていても、次の試合中に足が重かったりする時がありますが、基本的には特に問題ないですね。
僕は普段からハードワークする方なので、試合の次の日もトレーニングしますし、皆には「今日は帰れ」って良く言われるんですけど(笑)。釜石に来る前からなんですが、家にずっと居るというのが苦手というか、毎日体を動かさないと嫌なんですよね。

 

ーー伊藤選手は、練習や試合の映像を見直すタイプですか?

 

伊藤選手:

そうですね。映像を見て、自分なりに考えをまとめてから竜二さん(吉田選手)に聞いて、「ここは違う」って教えてもらっている感じです。
最初から聞いてしまうと、自分で考えていないように思われてしまうのが嫌・・・というか好きじゃなくて、「自分はこう考えたんですけど・・・」って言ってから、間違えている所は教えてもらうという方が、自分が伸びる事が出来るのかな?という考えがあって。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

ーー現在、初めてのカップ戦に参戦中。どのようなモチベーションで臨んでいますか?

 

伊藤選手:

格上のTLの選手と試合をするという事はめったに出来る経験ではないので、そういう点から見てもすごく良い大会だと思っています。高いレベルの試合をする事で、実際に肌で感じて得る事があると思うので、自分の経験値を上げるため、成長のために重要な場だと思います。
 
終わって映像を見直すと、やっぱりTLの選手は考え方が違う、上だなと。それがプレーに表れているんだなと感じることが多くて。ピンチやチャンスの時のリアクションが全然違うなって思います。
僕らは挑戦者なのでもちろん全力で行っているんですけど、相手は余裕な感じでそんなに焦ってないですし、どうやったらあんなに余裕が持てるのかって思います。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

ーー対戦して、全然歯が立たないという感じですか?それとも、結構通用するなという感じですか?

 

伊藤選手:

この2試合をやってみて、レベル的にはそんなに差がないと思います。ただ、自分たちのミスだったり、我慢する所で我慢しきれなかったり、そういう所で点差が開いていると感じます。
なので、別に戦えない相手ではない、勝てる相手だと思うので、まず練習からノーミスで出来たら試合でも出来るという自信になると思うので、改めてそこを皆で意識して取り組んで行きたいです。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2019 第6弾『伊藤 大輝選手』

 

ーー今シーズンの個人目標、抱負を。

 

伊藤選手:

秋からのリーグ戦は上から落ちて来たチームが強敵ですが、TOP4に入るのがチームの目標なので、自分もそこにフォーカスしてやって行きたいですし、個人としてはやはり今シーズン試合に出て色々と経験を積ませてもらっているので、期待に応えるためにも成長し、レベルUPして行きたいと思います。

 
 
 

先日、トップリーグカップ2019のプール戦全試合日程が終了し、釜石SWはプールC、2勝3敗で4位(6チーム中)となりました。その他詳細は、ジャパンラグビートップリーグ公式サイトをご覧ください。
https://www.top-league.jp/
 
そして、今年は秋のラグビーワールドカップ開催後の11月からトップチャレンジリーグが行われます!日程は以下の通りです。

2019 ジャパンラグビートップチャレンジリーグ

第1節 11月16日(土) 11:30 釜石鵜住居復興スタジアム
対 コカ・コーラレッドスパークス
第2節 11月23日(土) 11:30 釜石鵜住居復興スタジアム
対 九州電力キューデンヴォルテクス
第3節 12月07日(土) 11:30 秩父宮ラグビー場
対 栗田工業ウォーターガッシュ
第4節 12月14日(土) 14:00 秩父宮ラグビー場
対 豊田自動織機シャトルズ
第5節 12月21日(土) 13:00 コカ BJI ラグビー場
対 マツダブルーズーマーズ
第6節 01月11日(土) 14:00 ヤンマースタジアム長居
対 近鉄ライナーズ
第7節 01月19日(日) 11:30 秩父宮ラグビー場
対 清水建設ブルーシャークス

 

最新情報、詳細は釜石シーウィブスの公式サイトでご確認ください。
http://www.kamaishi-seawaves.com/

根浜海岸に歓声戻る、震災後初 海開き〜海を楽しむ多彩なプログラム

根浜海岸に歓声戻る、震災後初 海開き〜海を楽しむ多彩なプログラム

海開きした根浜海岸での遊びを楽しむ海水浴客

海開きした根浜海岸での遊びを楽しむ海水浴客

 

今日から、思いっきり海あそびを楽しむ―。釜石市鵜住居町の根浜海岸の海水浴場が20日、東日本大震災後初めて海開きをした。津波で砂浜が失われ、再生工事が完了した約150メートルを使った海水浴場の復活の第一歩。地元団体が主催する海遊びイベントも開かれ、浜辺には9年ぶりに家族連れや海水浴客の笑顔が戻った。

 

午前9時からの安全祈願祭(釜石観光物産協会主催)が終わるころに青空が見え始めて気温も上昇。続いて行われた海開き開設式(根浜MIND主催)には海水浴客らが続々と集まってきた。

 

「たくさんの人たちの協力に感謝します。きれいな海、よみがえった砂浜で、今日から思いっきり海あそびを楽しみます」。志土富翼君(釜石小6年)、櫻庭瑠衣さん(小佐野小同)が宣言し、午前10時過ぎ、家族連れや地元の子どもたちがいっせいに海に入った。

 

子どもたちは「冷たい」「しょっぱーい」と歓声を響かせた。小佐野町の見世彬君(4)は波打ち際を走ったり、小魚や海藻を見つけて大はしゃぎ。波の感触も「気持ちいい」と満開の笑顔を弾けさせた。母親の高莉莉(こう・りり)さん(37)は「釣りで海に行くが、砂遊びも楽しむ海は初めて。新鮮。近くに海がある地域だとあらためて実感。海の良さ、楽しさを感じ、地域を好きになってほしい」と見守った。

 

イベントは21日までの2日間開催。地元住民や競技団体など20余りの団体が協力し、シュノーケリング、レスキューボート体験、漁船クルーズなど多彩なプログラムを用意した。

 

市の中心的な観光地だった同海岸は、震災で約1・3キロにわたる砂浜が消失した。県が復興交付金で人工再生に着手。採石や砂を投入し定着を図る工事を進め、150メートルを再生させた。残る300メートルの工事も継続。関係者らは来年、同海岸全体で海開きすることに期待を高めている。

 

観光地としての本格復興に向け、市はキャンプ場やレストハウスの整備を進めており、間もなく完成する見込み。野田武則市長は「たくさんの人に親しまれ愛される観光地になってほしい。山の観光と連携した取り組みを進めていく」と意欲を見せた。

 

海水浴場の開設は8月12日まで(午前10時~午後4時)。

 

(復興釜石新聞 2019年7月24日発行 第810号より)

 

復興釜石新聞

復興釜石新聞(合同会社 釜石新聞社)

復興釜石新聞と連携し、各号紙面より数日の期間を設け記者のピックアップ記事を2〜3点掲載しています。

問い合わせ:0193-55-4713 〒026-0044 岩手県釜石市住吉町3-3

多くのファンに囲まれ、W杯の成功を願うリッチー・マコウさん(前列中央)

英雄リッチー・マコウさん、釜石再訪〜トークイベントで市民と交流、ワールドカップ開催の成功願う

多くのファンに囲まれ、W杯の成功を願うリッチー・マコウさん(前列中央)

多くのファンに囲まれ、W杯の成功を願うリッチー・マコウさん(前列中央)

 

 「ラグビー史上最高の選手」と言われるニュージーランド(NZ)代表の元主将リッチー・マコウさん(38)が20日、2年ぶりに釜石市を再訪。情報交流センター釜石PITで開かれたトークイベントに臨み、間近に迫ったラグビーワールドカップ(W杯)に向けて最後の準備に取り組む市民らに「大会の成功を願う」とエールを送った。

 

 マコウさんは2011、15年のW杯でNZ代表を大会史上初の連覇に導いた。ワールドラグビーの年間最優秀選手賞に3度輝いた名選手で、15年に現役引退した。17年5月に釜石を訪れ、今回は自ら希望して再訪した。

 

 この日は、完成した釜石鵜住居復興スタジアムを視察したあと、同スタジアムで釜石シーウェイブス(SW)ジュニアの子どもたちを指導。釜石PITでのトークイベントにはファンら約80人が詰めかけた。 

 

 司会を務めた釜石出身のフリーアナウンサー、民謡歌手としても活動する佐野よりこさんが「釜石浜唄」を披露。本番が迫った釜石よいさの踊りを「よいさ小町」の面々が披露するなど、英雄の再訪をにぎやかに迎えた。

 

 マコウさんは「素晴らしいスタジアムが完成した。本番は大勢のファンでスタンドが埋まり、とてもにぎやかなイベントになるのでは」とあいさつ。被災地で戦うラグビープレーヤーの気持ちを「集中しようとしても、震災で亡くなった多くの人に思いをはせながらプレーすることになるのではないか」と代弁した。

 

 会場の質問に答える形で、ラグビーをやって一番うれしかったことは「チームが一丸となってトライできた時だ」とし、「チームの仲間が体の大きさや力を補い合ってプレーできるのが、他のスポーツにはないラグビーの魅力」と強調した。

 

 釜石応援ふるさと大使で、マコウさんに同行した在日オーストラリア・ニュージーランド商工会議所名誉会頭のメラニー・ブロックさん(55)は「リッチーはとても謙虚な人柄。彼の素晴らしさが伝わったと思う」とし、W杯釜石開催の成功を願った。

 

(復興釜石新聞 2019年7月24日発行 第810号より)

 

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楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

いよいよ、今週末27日(土)、「リポビタンDチャレンジカップ パシフィックネーションズ2019日本ラウンド 日本代表 v フィジー代表」が釜石復興鵜住居スタジアムで開催されます。また、9月25日(水)には、「ラグビーワールドカップ2019™日本大会 フィジー v ウルグアイ」が、同スタジアムで開催されます。

 

「釜石にやってくるフィジーとはどんなチームなのか。釜石のみなさんにその横顔を知っていただきたい。」今回、スポーツライター大友信彦さんのご好意により、2007年にスポーツ雑誌ナンバーPLUSに掲載され、今月よりラグビー専門WEBマガジン「RUGBYJapan365」で有料会員向けに公開されている記事を、縁とらんすでも掲載させて頂けることになりました。

 

提供:大友信彦&RUGBYJapan365

 

 

日本代表のワールドカップイヤーの戦いがいよいよ迫ってきた。

 

ワールドカップシーズンの初戦は、開幕まで2ヵ月を切った7月27日、釜石鵜住居復興スタジアムで行われるフィジー戦だ。
フィジーと言えば、セブンズ王国であり、展開ラグビーの王国であり「世界で最も見る者を楽しませるラグビー」という称号も得てきた。

 

ワールドカップイヤーのジャパンの腕試しの相手として、釜石で行われる初めてのテストマッチにやってくるチーム、フィジーだが、15人制のフィジー代表が来日するのは2012年以来7年ぶりだ。

 

フィジーとはどんな国で、どんな歴史のあるチームなのか。

 

ワールドカップ本番でも注目チームになるに違いない魔術師軍団。日本代表と死闘を繰り広げることになる2007年ワールドカップの前に書かれた紹介記事をアーカイブスとしてお届けする。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 22歳のジョン・カーワンが衝撃の90m独走トライで世界に衝撃を与えた1987年の第1回ラグビーW杯。個人としてのMIP(モスト・インプレッシブ・プレイヤー)がオールブラックスの身長192㎝の巨漢WTBジョン・カーワンなら、チームとして世界を最も驚かせたMIT(モスト・インプレッシブ・チーム)は、南太平洋の島国からやってきた一団だった。

 

 IRB(現ワールドラグビー)のオリジナルメンバー以外から唯一ベスト8に進出したフィジーは、この年の5カ国対抗に全勝優勝(グランドスラム)を飾ったフランスと準々決勝で対戦。日本でも深夜の録画ながらNHK総合でオンエアされたこの戦いで、ほとんどのラグビーファンは初めて「フィジアン・マジック」を目撃する。

 

 ボールが出れば迷わず展開。強靱なバネと長い腕を持つ15人は、黒い肌を純白のジャージーに包み、セルジュ・ブランコ、フィリップ・セラ……世界ラグビーに名を轟かせたフランスの英雄たちが霞んでしまうような大活劇を演じた。とても取れそうにないパスも、掌に吸盤がついていそうな腕がグイーンと伸びて難なく捕球。魔法のパスが縦横無尽に飛び交い、次から次へとサポートプレイヤーが湧き出て芝の上を走り回る。ラグビーとはこんなにワクワクするものなのか。それまで見て楽しいラグビーの代名詞といえばフランスの「シャンパン・ラグビー」だったファンの辞書は、この日の華麗で愉快で冒険心に溢れた80分間の目撃により「フィジアン・マジック」と書き換えられ、SHパウロ・ナワル、SOセベロ・コロンデュアデュア、LOイライティア・サバイなどの名が、ワールドラグビーのスター名鑑に新たに加えられた。

 

 世界のどこにもない、フィジーだけのスリリングな展開ラグビー。それはいかにして生まれたのか。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

「フィジーでは午後4時頃になると、毎日、どこでも、タッチラグビーが始まる。公園でも、家の前の道路でも、砂浜でも。ボールがなければ空のボトルでも、ココナツの実でも何でもいいんです」

 

 そう話してくれたのはアルフレッド・ウルイナヤウだ。1996年からサントリーでCTBとして活躍し、フィジー代表としては1999、2003年のW杯に出場。2006年までNZのオークランドでデベロップメント・マネージャーを務め、2007年からサントリーのBKコーチとして再来日したアルフは、フィジーの首都スヴァで生まれ、8歳のときにNZへ移住した。本格的に競技を始めたのはNZ移住後だが、幼少期には「いつでも・どこでも」タッチ大会を始めてしまうフィジアン・マジックの土壌で育った。

 

 南太平洋のラグビー強国といえば、フィジーのほかにサモア、トンガがある。サモアは激しいコンタクトプレーを看板に91、95年のW杯でベスト8に進出。87年W杯で世界の頂点に立ち後にサモア代表監督を務めたマイケル・ジョーンズ、05年までオールブラックスの主将を務めたタナ・ウマンガなどサモア系のNZ代表選手も多い。

 

 『ガリバー旅行記』に登場する巨人国のモデルとなったともいわれるトンガはW杯の決勝ラウンド進出こそないが、NZのジョナ・ロムー、豪州のトータイ・ケフら移住先で世界のトップに立った選手を数多く生んでいる。

 
 3つの国は、日付変更線を挟んで三つ子のように寄り添う。だが国民性は微妙に違う。アルフによれば「フィジアンはいつもリラックスしてハッピー。トンガはやっぱり王国だからなのかマジメな人が多くて、サモアはその中間という感じです」となる。3カ国はいずれも経済的には恵まれず、インフラの整備されたNZや豪州への移住者が後を絶たないが、「NZでも、友達のトンガ人には医者や弁護士になっている人が多い。フィジアンでは、まずないね」とアルフは笑う。

 

 地理学ではトンガ、サモアは、西はニュージーランドから北はハワイ、東はイースター島に至るまで太平洋の大半を占めるポリネシアに属する。人種的には日本人と同じモンゴロイドであり、NZの先住民でオールブラックスにも多くを送り込むマオリ人も遺伝的にはこのグループだ。対してフィジーは、パプアニューギニアやバヌアツなどと同じメラネシアに分類される。メラネシアとはギリシャ語で「黒い島」の意味。この島々の住民たちの黒褐色の肌からこう呼ばれるようになったという。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 ポリネシア系の有名人といえば、ハワイ人の曙、サモア系のKONISHIKI、プロ野球では米領サモア出身のトニー・ソレイタ(元日本ハム)などが思い浮かぶ。ラグビーではシナリ・ラトゥ、ルアタンギ・侍バツベイなど日本代表入りしたトンガ出身選手たちも、縦にも横にも雄大な体格の持ち主が多い(アルフ曰く「トンガ人はいつも際限なくモノを食べるんだよ」)。

 

それに比べると、フィジアンは意外と細身の人も多い。7人制ラグビーW杯でフィジーを2度の頂点に導いた英雄・ワイサレ・セレビ(身長169センチ)のような小柄な名選手もいる。

 

 だがフィジーの町を歩けば、道行く人の胸板、掌や足の甲の分厚さに驚かされる。それは若い男性に限らず、買い物袋を提げたおばちゃんもそうなのである。面白いのは、そういうおばちゃんたちの多くが普段着としてラグビージャージーを着ていることだ。記者がこれまで訪ねた国の中でも、ラグビーウエアの町中での着用率ではフィジーが世界一だった。

 

 そして、記者の個人的な経験で言うと、フィジーほどフレンドリーな国はない。人が優しい国、暖かい国はたくさんあるが、人々自身が底抜けに明るく、ハッピーな気分を分け与えてくれる点で、フィジーは際だっている。笑顔しか見せないと言っても過言じゃない。

 

 記者はこれをメラネシア人の特質なのかと思っていたのだが、あるとき訪れたニューカレドニア(フランス領)では、見た目はフィジアンそっくりながら「おはよう」とかけた声を無視する人に遭遇した(もしかしたら、フランス語の挨拶は無視する主義の人だったのかも知れない。フィジーへの訪問者はすぐに現地語の挨拶『ブラ!』を覚えるから、単純な比較はフェアでない気もする)。そのかわりと言ってはナンだが、ニューカレドニアは今まで行ったどの国よりもフランス人が陽気に暮らしているところだった……。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 ともあれ、かくも陽気なフィジアンの国民性は、フィジー代表が見せる魅力的なラグビーと、間違いなく繋がっている。

 

「フィジアンは、リラックスして毎日を送っています。お互いがどうハッピーなのかを感じ合いながら過ごしている。ラグビーでも、まずボールを持った人が、何か自分で思いついたことを始める。そこに周りが反応していく。そこにボールがあれば、何かが起こると皆が分かっている。皆が期待している。だから反応できるんです」(アルフ)

 

 背番号とポジショニングに制約はなく、体格や体型によるポジションの決めつけもない。試合が始まれば、大柄なFWがバックスラインに走り込み、片手で頭越しのロングパスを繰り出す。まったくノーサイン、アイコンタクトもない場面で苦し紛れに蹴ったキックにもどこからか味方が反応して走り込み、スリリングなトライが生まれる。フィールドでは選手たちの自由なイマジネーションが化学反応を起こし、相手の予想もラグビー理論も関係なく、誰もが初めて目にする極上のパフォーマンスが生まれるのだ。

 

 ……と、良い面ばかりを書き並べると、世界の頂点を掴んでもおかしくないように思えるフィジーだが、実は重大な問題がある。スクラムやモールなど集団によるFW戦にはからきし弱いのだ。先の87年準々決勝でも、フランスFWが塊となって攻めると無抵抗状態でゴールラインを明け渡した。その後は世界ラグビーのプロ化、パワー重視の潮流が強まり、91年W杯ではプール戦全敗、95年W杯には出場さえ逃してしまった。

 

 フィジーのラグビーは、ここから方針を転換する。NZからコーチを招き、タイトなFWプレー、あらかじめ計画されたゲームプランの遂行などNZ流のラグビー理論注入を試みた。並行して、NZなど海外でプレーするフィジアンの代表召集を積極的に始めた。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 その転換期のさなか、94年にフィジーは来日。日本代表と2テストを戦い、2敗という結果で帰国した。そのツアーの際、記者は象徴的な場面を目撃した。NZ人コーチの課すモールやハイパントの練習を嫌そうに、ダルそうにこなしていたフィジアンたちは、練習が終わり、クールダウンを命じられるや突如、ボールを持ち全員で走り始めたのだ。日本の呼び方なら『ランパス』。シゴキの代名詞となっている練習メニューだが、フィジアンたちは2時間の練習後というのに全力疾走を繰り返し、誇張ではなく本当に「ヒャッホウ!」という声まで飛び交っていた。それは、エリス少年がボールを抱えて走り出したラグビー誕生の伝説を連想させるほど楽しげな光景だった……。

 

 しかし、伝統的なフィジアン・マジックは年を追うごとに影をひそめている。それは世界ラグビーのプロ化とも密接に関係している。

 

 後に長く日本で活躍し、セブンズ日本代表監督も務めたパウロ・ナワルが教員だったように、87年W杯で世界に衝撃を与えたフィジー代表は全員がフィジー国内でプレーするアマチュア選手だった。しかしW杯によってフィジー選手のポテンシャルが世界的に認知されると同時に世界ラグビーにプロ化の波が押し寄せ、フィジーの有能な選手はNZや豪州、英国やフランス、そして日本のクラブへと流出を続けた。99年W杯では代表30人のうち国内クラブ所属の選手は13人と減り、03年は僅か7人に。多くの国に散らばる代表選手が一緒に練習できる機会は減り、かつて華麗なマジックを育んだ濃密なコミュニケーションは影を潜めていった(世界サーキットで長く活動をともにする7人制では英雄セレヴィの後継者にウィリアム・ライダーが育つなど人材のリサイクルが上手くいき、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは五輪初採用の7人制ラグビーでみごと金メダルを獲得した。それを祝って7フィジードルの記念紙幣も刷られた)。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 一方で、マジックを担うはずの人材が他国で代表になる現象も後を絶たない。2003年、2007年W杯でNZ代表のエースWTBとして活躍したジョー・ロコゾコは5歳のとき両親と共にNZへ移住した生粋のフィジアンだ。ロコゾコの従弟でもあるシティヴェニ・シヴィバトゥは、高校時代に奨学金を得てNZへ留学し、後にオールブラックスに選ばれた。このようにフィジーの有望な若手を『青田買い』し、自国の代表候補として育成する動きは近年盛んになった。2003年W杯で活躍し「世界最高のWTBの一人」と評されるルペニ・ザウザウニンブサを生んだブザレヴ島(人口百数十人という小島)のような地方の村々をスカウト陣が訪ね回っているという。

 

「小さな島や村では遊ぶ道具もないから、ココナツを投げたり砂浜を走ったり、海で泳いだりして身体がナチュラルに強くなるんだな」(アルフ)。
 人材流出の面だけを見れば深刻な事態に思えるが、結果的にNZ代表入りを逃した選手が、FWの密集プレーなどフィジーでは学べない理論と経験を持ち帰り、フィジー代表の強化に技術を環流している一面もある。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 今のフィジー代表のイリ・タンブア監督は95年W杯に豪州代表で、99年W杯にフィジー代表で出場した経歴の持ち主だ。

 

「彼は昔のフィジアン・スタイルを復活させたいようです。ゲームを構築(ストラクチュア)することと、個人の閃き(フレア)のバランスを取ることはフィジーにとって永遠の課題ですが、今回の代表には経験豊富なSOのニッキー・リトル(31歳、英国サラセンズ)を2年ぶりで呼び戻した。彼はゲームを作りながら他の選手のフレアを引き出す能力があるので心強いです」(アルフ)

 

 フィジーにとって日本戦はこのW杯の初戦になる。どうか、魔術を炸裂させるのは、チームが熟成する2戦目以降にしてくれないか……。切にお願いする次第である。

 

(初出『ナンバーPLUS』2007年9月)

 

縁とらんす

かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

縁とらんす事務局による記事です。

問い合わせ:0193-22-3607 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内

【インタビュー】話題の新施設で働く釜石出身の新社会人2人に聞く~釜石のこれから

【インタビュー】話題の新施設で働く釜石出身の新社会人2人に聞く~釜石のこれから

【インタビュー】話題の新施設で働く釜石出身の新社会人2人に聞く~釜石のこれから

 

2019年春、釜石に二つの施設が続けてオープンしました。
東日本大震災の教訓を後世に伝える、震災伝承と防災学習のための施設「いのちをつなぐ未来館」を含む「うのすまい・トモス」、“魚のまち釜石”として待望の施設「魚河岸テラス」。
それぞれの施設に、この春に大学を卒業して新社会人となった、釜石出身の2人の女性が働いています。
インタビューでお二人が口にしたのは「地元、地域の方々と一緒に・・・」という言葉でした。

 

取材先:
①かまいしDMC(株)地域創生事業部 鵜住居トモス運営課 菊池のどかさん(いのちをつなぐ未来館)
インタビュー:2019年5月21日
②かまいしDMC(株)地域創生事業部 魚河岸テラス運営課 小松野麻実さん(魚河岸テラス)
インタビュー:2019年5月22日
企画・編集:釜石まちづくり株式会社
取材・文:市川香織(釜石まちづくり株式会社)
写真:西条佳泰(株式会社Grafica)

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーー担当されている業務を教えてください。

 

私は、『うのすまい・トモス』の施設の「祈りのパーク」と「いのちをつなぐ未来館」を担当しています。それぞれの施設をお客様にご案内する館内ガイドがメインの仕事です。

 

ーー大きな関心が寄せられる新施設。GWも越えましたが、ここまでどうでしたか?

 

この2か月間で、本当にたくさんの方々とお会いする事が出来ました。
その中で、地元の方が何度も訪れて下さって、だんだん話をして下さるようになってきているんですね。なので、ほんとにまだ2か月しか経っていないんですけど、このままの関係が続いて行けばいいなって思っています。

 

うのすまい・トモス いのちをつなぐ未来館

 

ーー地元の方も多いですか?

 

割合でいうと、他地域の方が多いかもしれないんですけど、日によって、今日は地元の方が多くいらしているなぁという時もあります。震災前は同じ地域の同じ地区に住んでいたけれど、震災後に別の場所に移った方たちがここでばったり会って、「おお!久しぶり!」と声を掛け合っている光景を良く目にします。

 

ーーこれまでの来館者の方とのやり取りで印象的だったことは?

 

そうですね、例えば、「ここ(施設の場所)は元々鵜住居の町では無かったんでしょう?」と、震災前のこの場所を知らない方からそう聞かれた事がありました。元々は広場だったと思っていらっしゃる方もいて。
そうした事があった後からは、ガイドの時に「ここは震災前は住宅街で・・・」というお話からきちんと説明するようにし、釜石市外の方をご案内する時には、そういう所からしっかり丁寧にお話しなければならないんだなと気付かせていただきました。
 
それから、地元の方から掛けられた言葉としては、「一緒に頑張っていくべし!」という言葉ですね。「“一緒に”って言ってくれた!」と思って、それが嬉しかったですね。

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーー入って来て、すぐに展示スペースがありますが、この施設の利用方法についても教えてください。

 

企画展の内容は毎月変わりますので、月に1回来ていただいて何度も見ていただきたいなと思いますし、真ん中のスペースは図書スペースで、置いてある本を自由に座って読んで頂ける場所ですので、ぜひご利用していただければと思います。
この施設は、震災に関する展示が入ってすぐの所からではなくて、奥側からスタートし、館内に入ってもすぐには目に入らない造りになっています。
なので、震災の展示を見に来る目的以外でも大丈夫なので、駅やバス停も近いですし、待ち合わせ場所などに利用して頂いても全然かまわないので・・・いつでもふらっと来ていただければ嬉しいですね。
 
それとは対照的に、釜石市外から来てくださる方々には、ここに来てくれたからには、絶対にお伝えしなければいけない事があります。
それは、この場所でたくさんの方が亡くなったという事と、それを繰り返してはいけないという事です。それをしっかりお伝えしたいと思います。

もし参考になるなら、釜石市で震災前から防災教育が行われていたという事もお伝えしたいです。

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーーその防災教育という点では、震災の時、のどかさんは中学3年生?

 

そうですね、卒業式目前の時でした。

 

ーー防災教育を受けていらっしゃって、あの時その教育を活かして無事に避難出来たわけですが、そのお話をする時、伝える時に、“辛いな”と思う時はないですか?

 

辛いという気持ちは無いですね・・・、今の所かもしれないですけれども。
やっぱり、伝えなければならない事だと思うので、辛いという気持ちは今まで持った事はないです、向き合い方を覚えて来たのかもしれないですけれど・・・。
 
それよりもやっぱり、なんて言うか・・・人が災害で亡くなるという事が辛いというか・・・。
だから今伝えなくてはならないという想いがあります。

 

ーーそれは、しっかり備え、それを実行すれば、命を守る事が出来るから・・・という事を伝えたいという事ですか?

 

そうですね。震災前は自分もやれば出来ると思っていたんですけど、自分達が考えるだけではなくて、どんどん周りを巻き込んで行かないと本当に全員助かる事は出来ない・・・という事をあの震災で知って。
だから今は、災害が起こる前に、自分の周りに協力者をどんどんと増やして行って欲しいという事を伝えています。

 

ーー働く上で大切にしている事、大事にしている事はありますか?

 

ガイドをする時は、来て下さった方によって、全くではないですけれどけっこう違う種類の話をしているんです。
逆に言うと、その人の事を知るというか、その人に合わせてって言ったら変かもしれないですけれど、その人は何を知りたいのか?それと、何を聞きたくないか、知りたくないか?そういう部分にも配慮するようにしています。
まだまだ、ちゃんと出来ていないとは思うんですけど。
 
なので、ここで働くようになってから、色々な立場の方にお話出来るように震災当時の事を調べ直したり、実際にお話を聞きにいったりしています。
 
来てくれた方が、色々とお話して教えてくれる事もありますので、ここで働いていると、地元の方とお話する事が仕事に直結しているので、聞く事も仕事です。
そして、私がお聞きした事を更に違う人にお伝えする事が、誰かを助ける事にも繋がると思うので、そこはすごく大事にしています。人を大事にするという事が今、私の中では一番です。

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーー大学卒業後は釜石に戻って来ようと決めていたんですか?

 

高校の時には、釜石に戻って来ようと思って大学を選びました(岩手県立大学)。
でも、大学に通っている間にだんだんと釜石での就職先が減っていて・・・「帰れるのかな・・・」っていう感じだったんです。本当に就職難民状態だったんですけれど、こちらがオープンする事を聞いて、それで「釜石DMCに就職したい!」と思って決めました。

 

ーー東日本大震災から8年が経ち、まちの姿が変わっていくふるさと。今の釜石にどんな想いがありますか?

 

今の釜石・・・って考えた時に、昔の釜石が今は思い出せないなぁって・・・。何となく大まかに「ここには何があって」くらいの感じには思い出せるんですけど、完全には思い出せない状況で・・・、今のまちが自分の中の釜石になって来ているというか、昔のまちの姿は薄れてきていています。
 
逆にいうと、そういう部分に怖さがあります。例えば、昔の防災教育で言うと、昔の土地だから通用した事で、今のまちに通用するかというと、たぶん違う部分もあると思うので。そこから、考え直すというか、ちゃんと向き合わないといけないなと思います。

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーーまた、近い将来と遠い未来、どんな釜石になって欲しいですか?

 

近い将来は、釜石だけではなくて、どの場所でも災害が無ければ良いなぁと思います。
 
それから、どんな釜石に・・・という事で言うと、自分が小さい頃には、釜石はすでに衰退の一途を辿っていたという印象で、周りの人たちに「昔の釜石は良かった」「今は面白くねぇなぁー」とか聞きながら、あまり明るい話を聞かずに育ってきた世代なので、だからこそ逆に「明るくしたい」というか・・・。
 
なので、近い将来は、今度は自分達が大人になり、さっきの話で言うと「面白くねぇなぁー」って言っていた人たちの世代になった時、「釜石、めっちゃ面白いな!」って言える世代になっていたいと思います。

 

ーー個人として、将来の目標は?

 

近い目標としては、地域の人たちと仲良くなって、お互いに意見を言い合えるようになりたいというのがまず一つで、信頼関係を築きたいです。信頼関係を築いて、防災についてはもちろんなんですけれど、地域に人たちが顔を見せてくれるような施設にしたいなと思います。

 

『いのちをつなぐ未来館』では、毎月展示スペースで企画展を行っています。詳細は以下からご覧ください。

うのすまい・トモス』公式サイト https://unosumai-tomosu.jp/
Facebookページ https://www.facebook.com/unosumaitomosu/

 

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーー担当されている業務を教えてください。

 

私は、この施設の1階にある産直コーナーと、釜石で様々な体験が出来るプログラムを提供する『ミートアップ釜石』に関わらせてもらっています。
大学3年生の時に行った、三陸ひとつなぎ自然学校(略称:さんつな)さんでのインターンシップでも、ミートアップ釜石に関わらせていただいたので、そういう経験も活かしながら担当させていただいています。

 

魚河岸テラス

 

ーー釜石に戻ってくる事は決めていたんですか?

 

そうですね、ずっと言ってましたね。高校の時に大学を決める際も、本当は釜石を出たくなくて、でも釜石には大学は無いし(笑)。将来の夢も、震災の後は「釜石の為に働きたい」という想いはあったんですけど、釜石で復興に関わる仕事って?と考えた時に、そこに繋がる仕事があまり浮かんでこなかったというか、「今の私に何が出来るんだろう?」って。それで、大学で何を学ぶか?というのも中々決められなくって。
その時に桜美林大学を勧めてもらって、『リベラルアーツ学群』という、教養学部でも幅広い分野から好きな教科を選んで進んで行くという学部を教えてもらって、それで一旦釜石を出ました。
 
でも、やっぱり、釜石とか岩手と関わる事をしたくて、そういうイベントやNPOの取り組みに積極的に参加していました。関東にいても、岩手づくしでした(笑)。
 
でも4年生の時に、悩んだ時期があって。「今帰って、私に何が出来るんだろう?」って考え込んでしまって。すぐに帰らずに、こっちでもっと色々と勉強し、経験を積んでから釜石に戻った方が役に立てるかも・・・と思ったりもしていました。
 
でも、今の会社のお話を伺っていたこともあり、「やっぱり帰ります!」と釜石に戻って来ました。

 

ーー小松野さんは、東日本大震災の時は、中学2年生?

 

そうです、中3になる春でしたね。

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーー小松野さんの年代だと、防災教育はどういう事を?

 

片田敏孝先生が、釜石の小中学校で行って下さっていた『津波てんでんこ』の取り組みは、片田先生から直接ではないですが、釜石小学校の時に授業で学びました。
 
釜石小学校の避難訓練は、学校に居る時に「校庭に集まりましょう」というような避難訓練ではなくて、下校の時に行われるんです。帰りの途中に避難のサイレンが鳴り、その時に自分がいる場所から、一番近い高台に避難する。自分でその時に状況の中で考えて避難する、実戦型の訓練でした。
 
また、学習発表会では、毎年6年生が津波に関する劇を演じて、それを生徒だけではなく父兄や地域に方にも観てもらっていました。それがすごく良い教材だと思っていて、自分達が劇を演じる事で「津波てんでんこ」について学べる事はもちろんあるんですけど、観てくれている親やおじいちゃんおばあちゃんにとっても、防災を改めて考える時間になるなぁと思って。
 
それから、地域の人が語り部になって、昔の津波のお話をしてくれる日もありました。
学校だけではなくて、周りの地域の皆さんと一緒に防災について考えるという機会が、小学生の時はとても多かったです。
 
釜石中学校になると、やっぱり内陸(注・海からは離れた浸水区域外の場所)になるので、どうしても防災の中心が火災になってしまってはいたんです。でも、中学校の先生に、震災以降に防災教育は変わりましたか?と聞いてみたら、やっぱり変わったと言っていて、火災だけではなくて津波の時も想定して、トイレを作るワークショップなどをやるようになったとおっしゃっていました。
 
私としては、内陸側の学校は避難所になる場合もあると思うので、避難所運営のワークショップを開いたりするのもいいんじゃないかなって思います。

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーー大学在学中に防災士の資格を取られたとお聞きしました。

 

そうですね。釜石で防災教育は受けたけど、“自分自身の基礎をきちんと付けないといけない”と思って、大学3年生の時に取りました。
でも、資格を取ったらそれで終わりというのが防災士には多くて・・・。私はそれがイヤだったので、神奈川にある「かながわ311ネットワーク」という団体にお世話になって、防災ファシリテーター養成講座を受講しました。まだ自分がメインになっての活動は出来ていないんですけど、学校での防災教育の時のお手伝いとして参加させていただきました。

 

ーー魚河岸テラスは海が目の前ですから、避難については、訓練・計画等が重要になってくると思うので、そういう面にも役立ちますね。

 

そうですね、絶対役立てます!それから、地元の皆さんも巻き込みながら出来たら良いなぁって。簡単ではないとは思うんですけど、それもして行きたいです。

 

ーー住んでいる地域に新しく出来た観光施設。住民としての目線でみるとどうですか?

 

個人的には、すごく嬉しくて。これまでこの辺りの地区には何もなかったので、地域活性や地元の人たちの元気につながるかなぁって。
観光客の方に来ていただくのはもちろんなんですけど、やっぱり、地元の人も来てくれるような施設にする事が理想なので。担当している産直も、そういう面も考えながら品ぞろえして行きたいと考えています。

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーー話題の新施設。GWも越えましたが、ここまでどうでしたか?

 

この場所は、釜石市の中でもほんとに地元で、小さい頃はテトラポットで遊んだりしていたので、今でも潮の香りを吸い込むと落ち着きますし、思い出の場所です。
なので、施設が出来て最初にテラスに立った時は、この場所の震災の時の景色も見ていたので、とても感慨深かったです。
 
オープニングの時も、ここに人がたくさん来て下さって「地元にこんなに人がいる!」って嬉しくて!
GW中もたくさんお越しいただいて、本当にありがたいです!

 

ーーまた、近い未来と遠い未来、釜石の今後についてはどうなっていって欲しいですか?

 

施設管理の目線で言うと、ここを造って終わりではなくて、地元のみなさんの元気に繋がるようにたくさん利用して頂ける仕組みを作って、どんどん来て頂ける施設になりたいと思います。
個人的には色々あって・・・、その中でも“さんつな”さんの理念と一緒なんですけど、「故郷に誇りを取り戻してほしい」というのがすごくあります。
 
それから、元の釜石に戻るのではなくて、ラグビーワールドカップの盛り上げなどを、その後の“まちづくり”につなげていけたらいいなと思います。その盛り上がりも、一部の人だけとかではなくて、出来れば市民みんなで一緒に盛り上げて行きたい、一緒に元気になって行くというのが理想です。
「そんなこと関係ない」「勝手にやればいい」みたいなことではなくて、せっかくだからみんな一緒に楽しみながら出来たらいいですよね。

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーーその“誇り”という点で、一度、外に出て感じた釜石の良さ、気が付いた事は?

 

釜石の外に出たら、外から盛り上げようと色々な挑戦をしている人たちがたくさんいる人たちの存在を知って、
そういう人たちの中から実際に釜石に来て中からまた盛り上げてくれる人たちもいて。
 
釜石は「オープンシティ」という事で、そういう人たちを受け入れる体制があって、魅力的な人がたくさんいる。そこが釜石の良い所だと思います。外から来た人たちの視点は地元の人たちにとって刺激になると思うので、「オープンシティ」すごく良いと思います。

 

ーー個人として、将来の目標は?

 

地域の人に近い存在になりたい、地域の人ともっともっと関わりっていきたいです。
それは、仕事の面だけではなくて、地域の人と交流して一緒に何かをして一緒に楽しむとか。自分自身も楽しみながら、これからも働いて行きたいです。

 
 
 

最後に魚河岸テラスからイベントのお知らせです。
 
第2回 かまいし手しごとマルシェ
2019年7月27日(土)10:30~17:00、28日(日)9:00~16:00
会場:魚河岸テラス
魚河岸テラス公式サイト https://uogashi-terrace.jp/
Facebookページ https://www.facebook.com/uogashiterrace/

縁とらんす

かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

縁とらんす事務局による記事です。

問い合わせ:0193-22-3607 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内

仲谷署長(中)、署員も気持ちを新たにした

釜石署 新庁舎完成〜沿岸免許センターも、16日から業務開始

大震災から8年4カ月ぶりに常設庁舎に復旧した釜石警察署

大震災から8年4カ月ぶりに常設庁舎に復旧した釜石警察署

 

 岩手県警本部は12日、釜石市中妻町の旧昭和園グラウンドに新築した釜石警察署(仲谷千春署長)の庁舎を報道関係者に公開した。東日本大震災の津波で庁舎が全壊した同署は16日、仮設庁舎を経て8年4カ月ぶりに常設庁舎での業務を開始した。県内で被災した警察署、駐在所21カ所は、統廃合した2施設を除く19施設すべてが復旧した。

 

 釜石署の新庁舎は敷地面積1万3642平方㍍、延べ床面積約5650平方メートルの鉄筋コンクリート造り4階建て(一部2階建て)。同署のほか交通機動隊沿岸分駐隊、高速道路交通警察隊釜石分駐隊、西側の2階建て区画には沿岸運転免許センターが配置された。JR釜石線に沿った、昭和園グラウンド時代に観客席だった土盛りは残された。

 

 同庁舎は災害対策拠点の一つに位置づけ、被災初期の3日間は電気、給水を自力でまかなう機能を備える。

 

仲谷署長(中)、署員も気持ちを新たにした

仲谷署長(中)、署員も気持ちを新たにした

 

 2011年3月の震災当時、嬉石町にあった釜石署庁舎(沿岸運転免許センター、交通機動隊沿岸分駐隊施設を含む)は2階天井付近まで浸水し、機能が失われた。本署機能は小佐野交番に置かれ、中妻地区の民間施設に移った。同年12月、八雲町の旧釜石第二中用地跡の仮設庁舎で、免許センターとともに業務を続けた。

 

 震災では釜石署管内で大槌町の大槌交番、吉里吉里駐在所、釜石市の鵜住居、平田、唐丹の3駐在所も建て替えが必要となり、すでに復旧した。

 

運転免許センターも広く、明るく、施設が充実

運転免許センターも広く、明るく、施設が充実

 

 新庁舎の用地には11年夏から仮設住宅が建ち並んだ。住民の転出、仮設の撤去を受け17年10月から、新庁舎建設工事に着手した。

 

 釜石署建設の事業費は約39億5千万円。県内警察施設の復旧事業費は総額92億円に上る。

 

 釜石署の仲谷署長は「新庁舎が釜石・大槌地域の復興のシンボルとなるよう、署員が一丸となって治安維持、交通事故防止などに全力を尽くす」と決意を示した。

 

(復興釜石新聞 2019年7月17日発行 第808号より)

 

復興釜石新聞

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復興釜石新聞と連携し、各号紙面より数日の期間を設け記者のピックアップ記事を2〜3点掲載しています。

問い合わせ:0193-55-4713 〒026-0044 岩手県釜石市住吉町3-3

練習試合で相手を圧倒した釜石SW

増設完了のスタジアムで公式戦、釜石シーウェイブス は練習試合で圧勝〜多くのファン ワールドカップ成功を願う

練習試合で相手を圧倒した釜石SW

 

 ラグビーワールドカップ(W杯)本番へ向けて仮設スタンドの増設工事が完了した釜石鵜住居復興スタジアムで6日、トップリーグカップ(TLC)「NTTコミュニケーションズ―九州電力」の公式戦が行われ、スタンドを埋めた約700人の観客が熱い声援を送った。釜石シーウェイブス(SW)RFCの練習試合も行われ、W杯本番を想定してスタジアムの周辺に並んだ飲食などの出店もにぎわいを見せた。

 

 あいにくの梅雨模様となったが、スタンドを埋めたラグビーファンはトップチームの激突を堪能。試合終了後は選手のもとに駆け寄り、握手を求めていた。

 

選手と握手を交わすファン。W杯でもこうした光景が期待される

選手と握手を交わすファン。W杯でもこうした光景が期待される

 

 この日は「釜石SW―トヨタ自動車」の公式戦も組まれていたが、トヨタ側選手の不祥事で中止に。SWは練習試合に切り替え、岩手ブレイズラガーを招いて対戦した。

 

 試合は釜石SWが圧倒。FW滝沢祐樹の先制トライを皮切りに、前半8本、後半は12本のトライを奪い、スタンドを埋めたファンを喜ばせた。

 

 TLCで釜石SWは連敗し、この日は不戦勝扱いとなった。練習試合に急きょ出場した佐伯悠コーチ(33)は「残り2戦に向けて若い選手の力を試す、いい機会になった」とした上で、「TLCで今後対戦するライバルの三菱重工相模原、コカ・コーラにはどうしても負けられない」と気を引き締めた。

 

 試合の合間には、グラウンドの中で子どもや大人を対象にしたラグビー体験会も。入場者は青々と整備されたハイブリッド芝生の感触を確かめ、SWの選手らによるリフティング体験を楽しんだ。

 

 クラブチームの仲間5人と夜行バスに乗って駆けつけたという東京都江戸川区の会社員、米本達也さん(49)はSWの選手に持ち上げてもらい大喜び。「海や山に囲まれ、すてきなスタジアムですね。苦しい戦いが続くSWには、あきらめずにがんばってほしい」とエールを送った。

 

 試合終了後には、一般入場者を対象にスタジアム見学会も行われた。

 

仮設スタンド増設工事完了の説明を受ける見学者

仮設スタンド増設工事完了の説明を受ける見学者

 

 説明に当たった市ラグビーワールドカップ推進本部事務局の担当者は、地震で被災した熊本市や、解体された国立競技場などから支援で贈られた「絆シート」を最前列に配置したことを強調。熱心に耳を傾けた八幡平市の会社員高橋俊二さん(63)は「にわかラグビーファンですが、ふるさとは釜石。W杯の成功を願い、チケットも手に入れた」と開幕を心待ちにする。

 

(復興釜石新聞 2019年7月10日発行 第806号より)

 

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「伝承者」として身につけておきたい震災の知識を学ぶ研修参加者

震災伝承は私たちの手で〜第1期応募者が研修、風化防止の最前線に

「伝承者」として身につけておきたい震災の知識を学ぶ研修参加者

「伝承者」として身につけておきたい震災の知識を学ぶ研修参加者

 

 東日本大震災の出来事や教訓を次代に語り継ぐため釜石市が募集した「大震災かまいしの伝承者」の基礎研修が6月29日、市役所第4庁舎で行われた。伝承者の自己啓発、共通認識、伝承手法の習得を目的とし、応募者51人中27人が参加。講義とグループワークで基礎知識を得た参加者に野田武則市長から「伝承者証」が交付された。今後、家族ら身近な人や市外から訪れる人たちへの震災伝承を進め、記憶の風化を防ぐ。

 

 同伝承者は5月15日から1カ月間募集。市内外の高校生から80代まで、伝承活動に意欲を持つ人たちが申し込んだ。6月、8月と2回に分けた基礎研修は両回とも、岩手大の教授らによる講義と参加者のグループワークで構成。講義では「釜石市防災市民憲章」に込められた教訓、三陸沿岸における地震発生のメカニズムと津波被害の特質を学ぶ。

 

 同市の防災・危機管理アドバイザーを務める齋藤徳美名誉教授は「三陸を繰り返し襲ってきた津波は今後も確実に起こる。適切な場所に適切に避難する災害文化の醸成が不可欠」との認識から3月に制定に至った同憲章を説明。多くの犠牲者を出した鵜住居地区防災センターの反省も示し、憲章に掲げた理念「備える、逃げる、戻らない、語り継ぐ」の意味を伝えた。津波避難の鉄則「各自で迅速に、より高台へ―」を確認。伝承者の役割について齋藤教授は「次の時代(の命)を守るのは、われわれの責任。ぜひご尽力を」と参加者の活躍を期待した。

 

「伝承者証」を手に今後の活動に意欲

「伝承者証」を手に今後の活動に意欲

 

 6班に分かれたグループワークでは、参加者同士が震災体験などを語り合い、伝承者として将来に伝えるべき教訓は何か、どのような取り組みをすべきか考えた。

 

 釜石高3年の佐々木千芽(ゆきめ)さんは震災時、鵜住居小の3年生。釜石東中の生徒らと学校から高台に避難し、避難所生活を送った経験から、「自分で判断してより高台に逃げる。避難所では思いやりの気持ちでお互い接する」ことを教訓として挙げた。防災教育の観点から「震災後に生まれた子どもたちが実際に経験した人から話を聞く機会を設けたほうがいい」との意見も。

 

 各班からのまとめ発表では、▽居住状況や避難場所など普段から地域を知っておく▽地震が来たらすぐ逃げられるよう高台確認など危機管理意識を持つ▽伝承者が伝えるべきは教訓。「九死に一生」は失敗談として語り、早期避難を訴える―といった声が聞かれた。

 

 研修には釜石観光ガイド会所属の14人も参加。甲子町の駒込日呂子さん(73)は「こういう研修は正しい知識を得るのに必要。会には震災の話を聞きたくて申し込む人も多い。今後の活動にプラスになる」とし、特にも子どもたちへの伝承活動に意欲を見せた。嬉石町の横山幸雄さん(82)は震災の津波にのまれ、死と隣り合わせの経験をした。「助かったから良かったではなく、この経験をいかに次の世代につないでいけるかが重要。被害を最小限に抑えるため、教訓を確実に伝えていきたい」と意気込んだ。

 

 市は今後、基礎研修修了者を対象にステップアップ研修も予定。伝承者としての資質向上を支援するとともに、既存の伝承活動団体を紹介するなど活動の場を広げてもらうことにしている。

 

(復興釜石新聞 2019年7月3日発行 第804号より)

 

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