東日本大震災時に子どもたちが避難した経路を歩くインドネシア・アチェ市の教員ら
インドネシア・スマトラ島最北端にあるアチェ州のバンダ・アチェ市の中学校教員や津波博物館職員ら17人が7日、釜石市鵜住居町を訪れ、東日本大震災の教訓や津波防災の取り組みを学んだ。同じ地震津波の常襲地として釜石の防災教育への関心は高く、震災の記憶を追体験することで教育現場の対応や当時の避難行動に理解を深めた。
JICA(国際協力機構)の草の根技術協力事業を活用した「バンダ・アチェ市における地域住民参加型津波防災活動の導入プロジェクト」の一環で来釜。根浜海岸の観光施設「根浜シーサイド」で、観光地域づくり法人かまいしDMCが提供する研修プログラムに参加した。
震災当時の事例から教育現場の対応などを考える体感ワーク
鵜住居町のいのちをつなぐ未来館職員が進行。鵜住居小と釜石東中の児童・生徒らがいち早く高台に避難して助かった出来事を紹介し、「もし自分が東中の副校長だったら、どんな指示を出すか」という想定で、グループで話し合いながら教育現場の対応を考えた。
その後、実際の避難行動をたどるため、同小中の跡地に立つ釜石鵜住居復興スタジアムへ。当時、東中2年生だった同館職員の川崎杏樹さん(27)は「地震発生から逃げ始めるまでにかかった時間は5分弱。いろんな情報を仕入れて判断し、動いた」と、インドネシア語の通訳を交えながら当時の状況を説明した。
釜石鵜住居復興スタジアムの石碑の前で体験を伝える川崎杏樹さん(右)
教員らはメモをとったりしながら体験談に耳を傾けた
約1.1キロ先の福祉施設近くで足を止め、海の方向を振り返った川崎さんは「押し寄せる波の色は黒く、壁のようだった。海の香りに下水道の臭いが混じったようだった」と、あの時の記憶を伝えた。さらに押し寄せる波に「いつ死んでもおかしくない。そんな心境だった。助かるために高台を目指して全力で走った」と話し、そこからさらに約500メートル先の恋の峠まで歩いた。
同館や祈りのパークを見学し、根浜に戻った一行。津波の速度体感に挑んだ。遡上(そじょう)する津波の平均速度とされる時速36キロで走るワゴン車を、津波に見立てて並走。その速さや、迫る恐ろしさを追体験した参加者に、川崎さんは「防災学習や訓練は楽しくできることも知ってほしい」とヒントを残した。
津波の速度を疑似体験。ワゴン車は時速36キロで走った
2004年のスマトラ沖大地震・インド洋津波で甚大な被害を受けた同国。アチェ市第17中学校のカダルスミ校長(46)は「釜石の出来事、子どもたちの避難行動に感銘を受けた。学校の教育が大事だと感じた。私たちの学校は海に近く、津波の危険を帯びている。学んだことを今後の活動に生かしたい」と受け止めた。
津波博物館のチュット・インタン・ダマヤンティさん(35)も「実際に避難経路を歩くと、写真だけでは分からない発見がたくさんあった。震災前から行われてきた防災教育の成果も感じた」と強調。今後起こりうる災害から命を守るための手段として学びの可能性を再認識したようで、「地域の災害と教訓を発信していく」と力を込めた。
一行は、8日に東中や大槌高で教諭や生徒らと意見交換したりして交流。陸前高田市や宮城県石巻市なども回って震災遺構を見学し、11日に帰路に就いた。
釜石の津波防災や教育に理解を深めた参加者と支える関係者
同プロジェクトを進めるのは、釜石市の一般社団法人根浜MIND(マインド)。同国では、防災に関する教育や活動が不十分で意識の低下が課題となっており、同法人が復興まちづくりの経験や津波防災活動の知見・ノウハウを提供しながら、住民主体の防災プログラムの開発をサポートしている。22年8月にスタートし、博物館スタッフや教育者、防災関係者らにオンライン講座を実施。現地に出向き、中学生を対象にしたプログラムも進行させている。
同事業プロジェクトマネジャーの細江絵梨さん(37)は「各地の防災教育のいい部分を持ち帰ってもらえたら。手段は何でもいいので理解し、意味を考えて活動を継続していけるような自分たちのプログラムをつくってほしい」と期待。この後、現地に向かう同サブマネジャーの常陸奈緒子さん(39)はモデル校となる2つの中学校で子ども主体の活動を見守る予定で、「津波防災への意識、知識を高めるための仕組みをつくる、そのきっかけづくりをサポートしたい」と熱を込めた。