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「釜石市震災誌」10月下旬発刊へ 完成に向け作業大詰め 編さん委が最後の会合

第5回釜石市震災誌編さん委員会=4日、市役所

第5回釜石市震災誌編さん委員会=4日、市役所

 
 釜石市が2021年から作成に取り組んできた東日本大震災を後世に伝える震災誌「撓(たわ)まず屈(くっ)せず」が、10月下旬に発刊されることになった。4日、同誌編さん委員会(委員長=齋藤徳美岩手大名誉教授、委員15人)の最後の会合が市役所で開かれ、内容、構成などを大筋で承認。今後、文言の修正、レイアウトの変更など細かな調整を行い、完成を目指す。
 
 同震災誌は庁内検証委員会が年度ごとにまとめてきた記録誌を基に作成。発災当日、発災から1週間、1カ月の動きに加え、暮らしやなりわいの再建、復興まちづくり、未来の命を守るための取り組みなど9つの部で構成。61のテーマで事実や教訓を記述する。各部に有識者のメッセージ、トピックス、市民の声を入れ、より理解が深まるようにした。
 
 最終会合ではA4版(カラー)、300ページ超に編集された冊子体の原稿案を見ながら意見を交わした。事務局は、前回の会合で指摘された震災前の小中学校の防災教育の記述を充実させ、市内の津波記念碑(東日本大震災以前の津波含む)などの紹介ページを追加したことを説明。委員からは、当初掲げた震災誌の大きな目的「未来の災害から命を守る」ことに絡み、「他市町村が知りたい内容をすぐに入手できるよう、参考にしやすい(使いやすい)形に」という意見があった。外への発信を考慮し、地名の振り仮名記載、使用写真のクレジット、キャプションに関しても言及があった。
 
原稿案について意見を述べる委員

原稿案について意見を述べる委員

 
冊子の形になった釜石市震災誌原稿案を確認

冊子の形になった釜石市震災誌原稿案を確認

 
 野田武則市長は被災時、阪神・淡路大震災(1995年)の記録誌が役に立った経験を明かし、「釜石の教訓もきっと役に立つ部分があるだろう。さらに精査し、より良い形での発刊を目指したい」とした。
 
 21年11月に設置された同編さん委は、同市の震災検証、復興に関わってきた大学教授や被災地域の住民、発災時から対応にあたってきた元市職員らで構成。委員会内の作業部会が庁内検証委作成の素案の調整、修正などを担い、この日まで計5回の編さん委会合で内容や構成などを協議。発災から復旧、復興への10年の歩みを体系的に記録しながら、得られた教訓を今後に生かしてもらえるような震災誌を目指してきた。
 
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 「委員がこだわったのは、『未来の命を守るために』ということ」。齋藤委員長は発災から12年を経ての震災誌発刊について、「なぜ千人を超す犠牲が出たか、きちんと検証し反省した上で、次の災害への対策を講じてきたのが釜石市。そうした取り組みまでを記載する震災誌は他には例がない」と価値を示し、「願う形のものがようやく姿を現した」と完成までの最終調整に意欲を見せた。
 
 同震災誌は当初、22年度内の完成を目指していたが、各種作業に時間を要したため、発刊時期を遅らせていた。震災誌は300部作成し、市内の公共施設や学校、国、県の関係機関、復興支援で世話になった自治体などに配布する。入手を希望する個人には有料で対応する予定。

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釜石から届け…平和の願い 図書館長・読書サポーター 言葉でつなぐ戦争の記憶「やってはいけない」

戦災を題材にした作品の朗読会「わたしたちのことばで語る戦争の記憶」

戦災を題材にした作品の朗読会「わたしたちのことばで語る戦争の記憶」

  
 釜石市小佐野町の市立図書館(川畑広恵館長)で8月26日、戦災を題材にした作品を伝える朗読会「わたしたちのことばで語る戦争の記憶」が開かれた。ロシアのウクライナ侵攻など世界では戦火が収まらずに苦しむ人もいる中、「つらくても記憶、記録を語り継ぐことが大切。一緒に戦争と平和を考える機会に」と同館が企画。市民ら約20人が太平洋戦争中の戦禍を記した手記や紙芝居などに耳を傾けた。
   
 読み手は、市内の小学校などで活動する読書サポーター「颯(かぜ)・2000」のメンバー4人と川畑館長。広島、長崎の原爆手記や詩、東京大空襲を題材にした絵本など、戦争の悲惨さと人々の心情、平和への思いが伝わるものを選んで朗読した。
   
知ってほしい、伝えたい…読み手それぞれが思いを込め朗読した

知ってほしい、伝えたい…読み手それぞれが思いを込め朗読した

   
 釜石の戦災を伝える紙芝居「釜石の艦砲射撃」も披露された。米英軍による2度の艦砲射撃(1945年)を経験した故鈴木洋一さん(元教員、画家)が残した記録。暗くて狭い、そして暑い防空壕(ごう)の中で汗だくになりながら爆発音や衝撃に耐える様子、焼けた家々や砲弾によってあちこちに大きな穴ができた市街地の被害状況が生々しく描かれている。
   
 この紙芝居では、2011年の東日本大震災も「忘れられない日」として記す。そのうえで、「戦争は悲劇、愚かな罪悪だ。人の力ではどうにもならない自然災害とは違い、人間が引き起こすもの。絶対にやってはいけない」と訴える。そして、続く願い。「みなさんは平和を願う気持ちを忘れないで、持ち続けて」
   
紙芝居を通じて釜石艦砲射撃の様子を伝えた

紙芝居を通じて釜石艦砲射撃の様子を伝えた

  
朗読にじっと耳を傾ける市民ら。平和の尊さをかみしめた

朗読にじっと耳を傾ける市民ら。平和の尊さをかみしめた

   
 参加者の感想は「内容は悲しものだが、心に残る時間だった」「声で聴くと印象が違う」など。祖母とともに聞き入った佐久間桜音(おと)さん(唐丹小5年)は、長崎で「焼き場に立つ少年」を撮影した米国人カメラマンの手記が印象に残ったといい、「赤ちゃんが死に、お兄ちゃんが一人ではだしで歩いたりしたのかなと思うと…すごい」とつぶやいた。
   
 紙芝居の読み聞かせをした佐野順子さん(70)は「(鈴木さんは)悲惨な歴史を子どもたちに伝えようと読まれていた。その思いを届けられたかな」と思いをはせた。千田雅恵さん(61)は、広島の原爆で子を奪われた父母らの手記集「星は見ている」から、本のタイトルの由来にもなった手記を朗読。深い悲しみがにじむ文章に「気持ちを重ねた」と目頭を熱くした。
   
平和への願いを込め朗読した川畑館長(左)と颯・2000のメンバー

平和への願いを込め朗読した川畑館長(左)と颯・2000のメンバー

  
戦争と平和をテーマにした所蔵本がずらり。伝える取り組みを続ける

戦争と平和をテーマにした所蔵本がずらり。伝える取り組みを続ける

   
 同館では8月に戦争に関する図書展を開くなど語り継ぐ取り組みにも力を入れてきた。川畑館長は、並んだ本や資料を目にした幼児が「戦争って何?」「戦ったり焼けたり死んだり…だめだね」と何か感じた様子に驚いたと明かし、「続けることで、小さな まちの図書館から平和への願いを広められる」と確かな感覚を抱いていた。
 
 

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「憎む、代わりに愛を」 捕虜だった祖父 足跡たどり釜石に オランダから孫一家 つなぐ平和への思い

祖父の面影をたどり釜石を訪れたエローイ・リンダイヤさん(左)と家族ら

祖父の面影をたどり釜石を訪れたエローイ・リンダイヤさん(左)と家族ら

  
 第2次世界大戦中、釜石市の捕虜収容所に収容されたオランダ人のエヴェルト・ウィレム・リンダイヤさん(1908-81年)の孫で、投資家のエローイ・リンダイヤさん(58)が21日、家族と共に来釜。市郷土資料館や収容所跡地などを訪ね、祖父の足跡をたどった。
   
 ウィレムさんは1942年にオランダ領のインドネシアから捕虜として釜石市に送られた。甲子町にあった大橋捕虜収容所(正式名称・仙台俘虜[ふりょ]収容所第四分所)を主として生活し、機械整備などに従事。医学の知識があったため、大橋のほか港町にあった釜石捕虜収容所(同仙台俘虜収容所第五分所)の診療所で病人の治療などにも当たった。45年9月に解放され、釜石港から帰国の途に就いたとされる。
   
 当時の過酷な捕虜生活を妻子にあてて日記形式でつづっていたというウィレムさん。この手記を保管していたのが息子ウィムさん(1936-2013年)で、2000年に「ネルと子供たちにキスを―日本の捕虜収容所から」として発刊している。父の足跡を訪ねるため、ウィムさんは1995年からたびたび来釜。学校などで講演も行い、平和の大切さを訴えていたという。
  
捕虜生活中のウィレムさんがつづった日記の翻訳本「ネルと子供たちにキスを」

捕虜生活中のウィレムさんがつづった日記の翻訳本「ネルと子供たちにキスを」

   
 今回訪れたエローイさんはウィムさんの息子で、釜石を訪れるのは2度目。家族の歴史を知ってもらおうと、妻シャウケ・オーシティンディさん(59)や長男エリオットさん(20)、長女ロザリンデさん(15)を伴い休暇を利用し来日、釜石へ足を延ばした。
   
 鈴子町の市郷土資料館では、「ネルと~」の発刊のため、日本語翻訳に協力した市国際交流協会の加藤直子さんらが案内。当時の収容所の写真やウィムさんが釜石を訪れた際の写真などに見入った。
 
郷土資料館で祖父の足跡を確認するエローイさん一家

郷土資料館で祖父の足跡を確認するエローイさん一家

 
資料館が用意した資料。右上の写真がウィレムさん。来釜時のウィムさんの写真もある

資料館が用意した資料。右上の写真がウィレムさん。来釜時のウィムさんの写真もある

  
 エローイさんは父ウィムさんを思い出した様子。「かつては日本人を心の底から憎んでいた」と聞いたこともあったが、釜石の学校でスピーチをする時に「あなたたちを憎んでごめんなさい。憎む代わりに尊敬し、愛することを学んだ。和解したい。心の底から言えることだ。それが母の願いだから」と語っていたという。記憶をたぐり、自分にも言い聞かせるようにこう続けた。「祖母ネルは『日本人を恨んではいけない。憎しみから戦争が起こるから。憎むのはやめ、許しましょう。和解するように。日本人を愛しなさい』と生前父に伝えていた」。そうした願いを若い世代につなぐ。
   
 市役所で平松福壽副市長らと懇談した。エローイさんは来訪の目的などを伝え、市側は艦砲射撃という戦災の歴史をつなぐ活動を説明。つらく悲しい歴史を経て、笑顔で交流できる平和への思いに共感した。
 
市役所で市職員らと懇談。平和への思いを共有した

市役所で市職員らと懇談。平和への思いを共有した

 
「サン、ニー、イチ、カマイC(シー)」と記念撮影

「サン、ニー、イチ、カマイC(シー)」と記念撮影

  
 その後、港町に移動。市文化振興課の手塚新太さんや同協会の和田竹美さんの案内で収容所跡地や釜石港を見て回った。「祖父は何も分からない状態でここにいた…」と思いをはせるエローイさん。戦後、まちを再興した釜石の人々の生きる力も感じながら、「あのような過ちを繰り返してほしくない。子どもたちがファミリーヒストリーを知ることで、平和や自由のありがたさを感じてほしい」と望んだ。
  
 家族の歴史に触れたエリオットさんは「この場には何もないが、曽祖父は確かにここにいた。若い世代が立ち止まって、曽祖父たちが経験したことを考えてみることが大切だ」と受け止めた。ロザリンデさんは「当時の写真を見たり、跡地に来てみて、曽祖父がどんな経験をしたのか理解できたように思う。日記をしっかり読みたい。もっと歴史を知りたい」と思いを深めた。
  
収容所があったとされる港町の現地を確認した

収容所があったとされる港町の現地を確認した

 
収容所跡地周辺で市職員らから説明を受けた

収容所跡地周辺で市職員らから説明を受けた

 
解放された捕虜らが帰国の途に就いたとされる釜石港

解放された捕虜らが帰国の途に就いたとされる釜石港

   
 一行は甲子町の戦跡も巡った。市によると、捕虜収容所2カ所に収容された外国人は計746人。収容中に病気などで33人、艦砲射撃で32人が亡くなっている。

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戦地からふるさとへ 出征兵士がつづったはがき 釜石・郷土資料館で公開 9/3まで戦災企画展

戦地から届いたはがきの拡大パネルなどを展示する企画展=釜石市郷土資料館

戦地から届いたはがきの拡大パネルなどを展示する企画展=釜石市郷土資料館

 
 今日8月9日は太平洋戦争で釜石市が2度目の艦砲射撃を受けた日。市内では戦没者を追悼し、平和を祈念する式典が開かれた。市民らが寄贈した戦争関連の資料を収蔵する市郷土資料館(佐々木豊館長)では今、戦災企画展を開催中。今年は軍事郵便にスポットをあて、出征兵士が家族や近親者に送ったとみられるはがきを中心に公開。戦地と内地をつなぐ郵便が果たした役割を伝える。
 
 同館企画展示室で、新たに寄贈された資料を含め119点を公開。戦地から送られた軍事郵便30点は一部を拡大パネルにして展示する。はがき表面の宛先には当時の上閉伊郡鵜住居村、同栗橋村、東浜町(現東前町)などとあり、各地から出征したとみられる兵士が所属部隊名とともに名前を記している。意外にも裏面はカラーの絵はがきになっているものが複数。文面から家族や近親者に宛てたものと分かる。
 
 表面に検閲印が見られるように、兵士が書いたはがきや手紙は所属する中隊ごとに検閲を受けなければならず、戦争を否定する文言や弱音はご法度。文面は「元気でご奉公している。安心してください」といった、家族らを心配させまいとする内容が多く、逆にふるさとで働く家族らの体を気遣う言葉がつづられる。
 
「検閲」の印が押された軍事郵便。文面は厳しくチェックされた

「検閲」の印が押された軍事郵便。文面は厳しくチェックされた

 
出征した兵士がふるさとに残る家族らを気遣う様子が文面から読み取れる

出征した兵士がふるさとに残る家族らを気遣う様子が文面から読み取れる

 
漫画のような絵が描かれたカラーのはがきも…

漫画のような絵が描かれたカラーのはがきも…

 
 軍事郵便は1894(明治27)年に軍事郵便取扱細則で定められたもので、戦地ではその取りまとめを行う野戦郵便局が各地に開設された。戦地から送る場合は無料。その費用を賄うため、有料だった内地からの手紙の送付が奨励された。戦時下で同郵便は戦地と内地をつなぐ唯一の手段で、生存確認の意味も持っていた。2度の艦砲射撃を受けた釜石は多くの軍事郵便も失われており、展示品は同市にとっても非常に貴重な資料となっている。
 
 戦地の兵士を励ますために内地からは「慰問袋」が送られた。家族のほか国防婦人会が衛生用品や薬品、たばこ、食料品などを袋詰めし、兵士を鼓舞、慰労する「慰問文」を添えて発送。企画展では送られた物品の一例などが紹介される。「私は慰問袋がなかったら生まれていませんでした」。同館を訪れた人が発した言葉―。その方の両親は慰問袋が縁で知り合い、結ばれたという。
 
戦地に送られた慰問袋と慰問文について解説する展示

戦地に送られた慰問袋と慰問文について解説する展示

 
 釜石が受けた2度の艦砲射撃では782人が犠牲になった(2023年度市調べ)。砲撃があったことは新聞やラジオで全国に報じられ、当時の小野寺有一市長の元には1回目の被災後、見舞いや激励のはがきが相次いだ。後に内閣総理大臣に就任する鳩山一郎氏(東京都)、本県出身の外交官・政治家の出淵勝次氏からのはがきもある。展示ではこれらのはがきに加え、戦後の復興にまい進した小野寺市長の日誌も公開される。
 
1回目の艦砲射撃の後、当時の釜石市長に届いたはがき。鳩山一郎氏からのはがきも(左上)

1回目の艦砲射撃の後、当時の釜石市長に届いたはがき。鳩山一郎氏からのはがきも(左上)

 
戦後の市民生活の安泰に力を尽くした小野寺有一市長についても紹介

戦後の市民生活の安泰に力を尽くした小野寺有一市長についても紹介

 
 同館職員の川畑郁美さんは「毎回テーマを替えて開催するが、いつも思うのは、どれだけ戦争が残酷で悲惨なものだったかということ。戦争を体験していなくても、私たちは後世に伝えていかねばならない。残された資料は未来につなぐ一助になるはず」と企画展開催の意義を示した。
 
出征兵士の無事を願う日章旗と千人針が施された衣類

出征兵士の無事を願う日章旗と千人針が施された衣類

 
 郷土資料館企画展「戦時下の便り-釜石(ふるさと)想う軍事郵便-」は9月3日まで開催。開館時間は午前9時半から午後4時半まで(最終入館:午後4時)。火曜休館(8月15日は臨時開館)。

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じかに見て、音で体感 事故の怖さ スタントマンが再現 釜石中で交通安全教室

交通ルールを無視した自転車と自動車の衝突事故を再現するスタントマン

交通ルールを無視した自転車と自動車の衝突事故を再現するスタントマン

  
 プロスタントマンによる自転車の交通安全教室が4日、釜石市中妻町の釜石中(齊藤雅彦校長、生徒289人)の校庭で開かれた。事故の恐怖を直視することで交通安全意識を高める「スケアード・ストレート」という教育技法を用いて実施し、全校生徒が参加。事故の恐ろしさを目の当たりにし、交通ルールを守る大切さを再認識した。
  
 同教室は中高生の交通ルール順守と自転車の安全利用のための教育の一環。本年度は岩手県内の4校で実施。釜石での開催はJA共済連、JAいわて花巻、釜石警察署(田中洋二署長)が連携した。
  
自転車のさまざまなルール違反の実演では笑いを誘う場面も

自転車のさまざまなルール違反の実演では笑いを誘う場面も

  
「ドン」。事故が再現されると目や耳を覆う生徒もいた

「ドン」。事故が再現されると目や耳を覆う生徒もいた

  
 映画やテレビドラマなどで活躍する「シャドウ・スタントプロダクション」(東京)のスタントマンが、自転車と車、歩行者と車、自転車同士など、車の陰や見通しの悪い交差点での衝突事故を再現。「ドン」と大きな衝撃音が響いて人が弾き飛ばされたり、車のボンネットにはね上げられたりすると、生徒たちから驚きの声が上がった。
  
 悪い事例を再現した後に、生徒に協力してもらって正しい模範例を示して対比する場面も。自転車について、携帯電話の使用や傘を差しながらの運転、並走運転の危険性などを説明し、「小さなルール違反が大きな事故につながることもある」「ルールを守れば、ルールがみんなを守ってくれる」「自転車は車両の仲間。被害者にも加害者にもなる」などと、安全に利用するための心構えを伝えた。
  
事故の再現(写真左)の後に模範例を示して自転車の安全な乗り方を伝えた

事故の再現(写真左)の後に模範例を示して自転車の安全な乗り方を伝えた

  
 学区の広い同校では約100人が自転車通学をしている。本年度、自転車安全利用と鍵かけ推進のモデル校に指定されており、ヘルメットの着用など安全対策に取り組んでいる。定内町から片道20分ほどかけて自転車で登下校する加藤大翔(やまと)さん(2年)は「事故の再現を見て、怖いと思った。事故にあったことはないが、恐ろしさを実感。ルールを守ることは自分だけでなく、相手の命も守ることができると分かった。安全運転を心がける」と気を引き締めた。
  
自転車同士の衝突事故を再現。大きな衝撃があることを認識した

自転車同士の衝突事故を再現。大きな衝撃があることを認識した

  
交通ルールの順守や自転車の安全利用への意識を高めた生徒ら

交通ルールの順守や自転車の安全利用への意識を高めた生徒ら

  
 田中署長は総評で、「今年、釜石管内では大小300件の交通事故が発生し、事故には相手がいることから600人が事故に関係していると思われる。毎日1、2件発生しているという状況。夏休みを控えてワクワクしていると思うが、気を抜かず交通安全に気をつけてほしい」と注意喚起。特に守ってほしいこととして、▽歩きスマホはしない▽自転車に乗りながらのスマホもやらない▽ヘルメットはしっかり着用する―の3つを強調した。
 
 
 

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危険がいっぱい!道路横断・車の運転 双葉小児童と祖父母ら、ゲーム感覚で体験 一緒に守る交通安全/釜石

シミュレーターを使い、道路の横断を疑似体験する参加者

シミュレーターを使い、道路の横断を疑似体験する参加者

  
 孫となら積極的に参加するはず―。児童とその祖父母らが一緒に学ぶ交通安全教室が6月26日、釜石市新町の双葉小(及川美香子校長、児童130人)で開かれた。高齢者の交通事故防止に向け、同校と釜石警察署(田中洋二署長)が初企画。道路横断シミュレーターの体験や県警音楽隊によるコンサートを楽しみながら、安全意識を高め合った。
  
 2年生(20人)、3年生(19人)の祖父母や地域のお年寄りに呼びかけしたところ、合わせて約40人が参加。児童と一緒に道路横断の危険予測や運転者の模擬体験に挑戦した。歩行を疑似体験する祖父母らは車や自転車との距離感がつかめなかったり、天候や時間帯によって視界が異なったりして事故が多発。寄り添った児童が「止まった方がいいよ。(信号が)赤だよ」などと声をかけ、注意を促す場面もあった。
  
画面に映し出される情報を基に道路横断を疑似体験

画面に映し出される情報を基に道路横断を疑似体験

  
 体験したお年寄りたちの多くは進行方向だけ見ていたり、左右の安全確認をする際に首を動かす角度が小さかったり。署員は「まっすぐな道は見通しが良くても危険は潜んでいるので、気を付けてほしい。(歩行者側が)青信号でも車が来ていることもあるので、左右を確認しながら渡ってください」と呼びかけた。左右を見た“つもり”ではなく、「首をしっかり振って安全確認を」と強調。トラックの内輪差の危険性、余裕を持った車の運転など心構えについても繰り返し説明した。
  
 交通安全ふれあいコンサートではアニメや映画のテーマ曲、歌謡曲など多世代に耳なじみのある曲が披露された。隊員による寸劇もあり、本年度から努力義務化された自転車利用時のヘルメット着用を呼びかけ。生演奏に乗せて「守ろう交通ルール」という意識づけを図った。
  
楽しい音色に乗せて交通安全を呼びかける県警音楽隊

楽しい音色に乗せて交通安全を呼びかける県警音楽隊

  
 千鳥町の佐々木敬二さん(72)は「前ばかり見て歩いているのが分かった。普段歩いていて、ヒヤッとする場面になることもあるので気をつけたい」と再認識。「おじいちゃんと一緒で楽しかった。『危ないよ』といって守った」と笑う孫の斉藤碧星(あおと)君(3年)を見つめて、「こういう機会があれば参加するな」と実感を込めた。
  
教室では子どもと地域のお年寄りが一緒に交通安全を確認した

教室では子どもと地域のお年寄りが一緒に交通安全を確認した

  
 高齢化率(65歳以上)が40%超となっている釜石市。釜石署管内では2022年に37件の人身事故が発生している。うち65歳以上が起因となったのは8件で、全体の約22%。交通死亡事故は3件あり、うち2件が65歳以上の高齢者だった。高齢者の安全対策、意識づけが重要となり、その取り組みの一つが交通安全教室。積極的な参加が大事になるが、同署によると「教室を開いても集まりがよくない」「消極的で効果が薄い」など課題が多いという。
  
 そんな中、及川校長が「孫と一緒ならば、きっと積極的に参加する」と提案し、同署が意見をくみ取って形にした。大倉德誌副署長は「高齢者の集まりもよく、印象に残る教室になったようだ。他校にも協力をお願いし、市内全域に広がる取り組みにしていければ」と手応えを得た。

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震災の記憶追体験、英語でも 小中学生の避難行動「釜石の出来事」ひもとく そして考える…自分なら

震災当時に子どもたちが避難した経路を歩く参加者 

震災当時に子どもたちが避難した経路を歩く参加者

  
 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた釜石市で、当時の小中学生が命を守り抜いた避難行動は「釜石の出来事」として知られる。そこで生かされたのは、市内の学校で取り組んでいた防災教育だった―。観光地域づくり法人「かまいしDMC」(河東英宜代表取締役)は、鵜住居町の子どもたちの避難行動にスポットを当てた体験プログラムを提供しており、体験者らの評価に好感触を得る。このほど、内容を英語対応させた研修プログラムを用意し、外国人団体の受け入れを始めた。
   
 初回は21日。アジアのリーダー人材育成を手掛けるIATSSフォーラム(三重県)の研修の一環として実施した。参加したのは、カンボジアやインド、ラオス、マレーシアなど10カ国の約20人。大学講師や医師、大使館職員、行政関係者など地域の将来を担う若者たちで、災害を乗り越えて新たな地域づくりに挑戦する人たちの姿や教訓を学び、災害への対応力やリーダーシップを磨いてもらうのを狙いにしている。
   
根浜シーサイドで行われた釜石の出来事などを学ぶ体感ワーク

根浜シーサイドで行われた釜石の出来事などを学ぶ体感ワーク

   
 鵜住居町の根浜海岸にある観光施設「根浜シーサイド」では、釜石の出来事や釜石東中の防災教育をひもとく体感ワークを実施。震災発生時の東中の状況を記した資料は全て英訳され、通訳も配置した。当時、東中2年生だったDMC社員川崎杏樹さん(27)=いのちをつなぐ未来館勤務=らが解説。参加者たちは「限られた時間で正しい判断を下さなければ全員の命に関わるという緊迫した状況の中、職員室に寄せられる多くの情報を基に、どのような避難指示を出すべきか」などを学校責任者の立場になって考えた。
   
 川崎さんの案内で、実際の避難ルートもたどった。学校があった現在の釜石鵜住居復興スタジアムから恋の峠まで、当時の避難行動を追体験。「目の前で津波を見るというぎりぎりの場面もあり、リアルに死ぬかもしれないと感じた。助かることだけを考えて高台を目指した」などと経験者、川崎さんの話を聞きながら、子どもたちが命をつないだ道を歩いた。
   
鵜住居町の子どもたちが避難したルートをたどる参加者

鵜住居町の子どもたちが避難したルートをたどる参加者

  
津波避難の実践も。根浜地区の高台を目指して走った

津波避難の実践も。根浜地区の高台を目指して走った

   
 プログラムの終わりは、津波避難の実践。根浜シーサイドから近くの高台を目指して、坂道を駆け上がった。参加者から聞こえてきた声は「Hurry Up(急いで)!」「Mountain(山)」「てんでんこ、OK」。研修の中で記憶したキーワードを掘り起こし、判断して行動していた。インドネシアから参加したファラ・ヴァウジアさん(34)=バンダン技術専門学校講師=は「時間が限られる中でいかに選択することが大事かを学んだ。自国に持ち帰り、学生や家族、地域に伝える」とうなずいた。
   
津波避難の事例から課題対応力などを磨いた参加者

津波避難の事例から課題対応力などを磨いた参加者

   
 かまいしDMCによると、今後も数件の受け入れが予定されているとのこと。自然災害が相次ぐ中、国際的な防災意識の高まりもあり、多言語化への対応を視野に入れながら釜石の防災教育を発信していく考えだ。
 

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手に入れよう!災害時に役立つスキル 釜石の小学生ら、「サバイバルマスター」目指す はじまりは…水

片山さん(奥)の指導で泥水をろ過する実験を行う子どもたち

片山さん(奥)の指導で泥水をろ過する実験を行う子どもたち

  
 災害時に役立つ技術を学ぶ子ども向けの講習会「サバイバルマスター1DAYチャレンジ!」が17日、釜石市鵜住居町の根浜海岸にある観光施設「根浜シーサイド」のキャンプ場で行われた。8つのプログラムを修了・合格すると認定される“マスター”を目指し、釜石・大槌地域の小学生5人が「ウオーター」編に挑戦。水がないと困ることや水を確保するための方法などを考え、実践することで生き抜く力を磨いた。
   
 講習会は、災害発生から3日間を生き抜く術(すべ)を伝える一般社団法人「72時間サバイバル教育協会」(大阪市)による「サバイバルマスター」養成の一環。サバイバルマスターは、▽ファイヤー(火おこし)▽ウオーター▽シェルター(雨風をしのぐ場所)▽フード(食事の確保)▽SOS(助けを呼ぶ)▽ナイフ(道具づくり)▽ファーストエイド(応急処置)▽チームビルド(避難所運営、情報収集など)―の8プログラムがあり、各講座を受けて筆記・実技試験に合格すると同協会から認定される。
   
「災害時に力を発揮できるよう一緒に学ぼう」と語りかける片山さん

「災害時に力を発揮できるよう一緒に学ぼう」と語りかける片山さん

   
 この日、講師を務めたのは同協会代表理事の片山誠さん(51)。水の確保がテーマで、子どもたちに「普段、水はどこで手に入れる?」と問いかけた。返ってきたのは「水道」「ウォーターサーバー」などの声。「災害が起こって水道が止まったら、どうする?」との問いには、「川の水をろ過する」と答えた。「それって飲めるの?」「ろ過ってどうやる?」と質問が続くと、頭をひねる子がほとんど。テレビなどで目にしたことはあっても、やってみたことはなく、実際に体験してみることにした。
  
 ペーパーフィルターで泥水をろ過してみると、うっすらと茶色く濁った水がカップに残り、子どもたちは「飲めない」と声をそろえた。ペットボトルや砂利、活性炭、ティッシュペーパーなどを使った、ろ過装置づくりにも挑み、水の状態を確認したりした。
  
楽しみながらサバイバル術を身につける子どもたち

楽しみながらサバイバル術を身につける子どもたち

  
 伊藤朱凛(あかり)さん(双葉小5年)、佐々木彩衣音(あいね)さん(平田小4年)は「東日本大震災の何倍もの地震が起きても生き残れるように、もっと知識をつけたい。8つ全部に挑戦してマスターになって、みんなを助けられるような人になりたい」と意気込んでいた。
  
 片山さんは震災後に釜石地域などでボランティア活動を行ったことをきっかけに、団体を立ち上げた。家族と2日間会えなかった子の話から、「サバイバルの力」の必要性を感じたという。講習を受けた人は全国で1000人ほどいるが、マスターに認定されているのは20数人。「合格するのが目的ではなく、スキルを習得する過程で、自分で考えたり行動しながら身につけてもらうことが大切。できることを増やし、どこでも命を守る行動ができるように、そして困っている人を助ける人になってほしい」と子どもたちを見守った。
  
「できることを増やして」と子どもたちを見守る片山さん

「できることを増やして」と子どもたちを見守る片山さん

  
 今回の講習会は東北地方で初めての開催。主催した釜石市の団体「さんつな(三陸ひとつなぎ自然学校)」の伊藤聡代表(43)は、同協会の講習を受けてインストラクターとなり継続的に行うため準備を進めてきた。18日にはファイヤー編を実施。「震災を直接体験していない子どもたちが意欲を持って学び、万一の時に生き残り、助け合うきっかけになれば」と話した。
 
 

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正確かつ素早く!救助技術訓練の成果を確認 釜石大槌消防本部 県大会へ、選考会でメンバー決定

救助技術の練度を確認する釜石大槌地区消防本部の選手

救助技術の練度を確認する釜石大槌地区消防本部の選手

  
 釜石大槌地区行政事務組合消防本部(佐々木昌貴消防長)は5月30日、消防救助技術岩手県大会に向け最終メンバーを決める効果測定(選手選考会)を釜石市鈴子町の釜石消防署訓練棟施設で行った。県大会でエントリーする陸上の部4種目(個人1、団体3)で実施。選手は訓練で磨いた技術と体力を発揮し、課題をチェックした。
  
県大会に向けたメンバー選考会に臨む消防署員ら 

県大会に向けたメンバー選考会に臨む消防署員ら

   
 釜石、大槌の2署から19人(うち女性2人)が参加した。成果が披露されたのは、消防の基本技能となる15メートルの「はしご登はん」、高所に張られた長さ20メートルのロープを渡って対面する塔上の要救助者を助け出す「ロープブリッジ救助」(4人一組)、8メートルの煙道をくぐって要救助者を外に助け出す「ほふく救助」(3人一組)、地下やマンホールなどでの災害を想定したもので空気呼吸器を着装して降下しロープを用いて要救助者を引き揚げる「引揚救助」(5人一組)の4種目。それぞれ動作の正確さや速さを競った。
 
同僚らが見守る中、垂直に設けられたはしごを登る選手  

同僚らが見守る中、垂直に設けられたはしごを登る選手

  
水平に張られたロープを渡って助け出すロープブリッジ救助

水平に張られたロープを渡って助け出すロープブリッジ救助

  
ほふく救助で鍛錬の成果を見せる隊員ら

ほふく救助で鍛錬の成果を見せる隊員ら

   
 選手は5月上旬からそれぞれ鍛錬を重ねてきた。「頑張れよ」「いけるぞ、よし」「いいね、ナイス」。同僚らの声援を受けながら力を尽くし、上位入賞の17人の県大会出場が決まった。
  
 釜石署の大津果穂さん(22)は、はしご登はんで入賞。「2年目で初めての県大会。緊張すると思うが、しっかり成果を出せるようにしたい」と上を向いた。ロープブリッジの前川柊哉さん(25)は「目指すは東北大会出場。努力が必要で、訓練を重ねたい」と強調。ほふく救助に参加した多田和佳菜さん(23)は「悔いのないよう練習の成果を出し切った。訓練を通じて技術は向上している。実際の活動に生かせるよう、これからも取り組む」と前を見据えた。
   
 大槌署の大久保太陽さん(21)が臨んだ引揚救助は、装備の不調などで審査が中止となった。消化不良の様子で、選考会後に先輩署員の助言も受けながら競技の流れを確認。「こういうこともあるが、実際の現場であってはいけない。一人一人の動き、チーム全体の流れを見直す」と気を引き締めた。
  
引揚救助に臨む署員は息の合った動きを見せた

引揚救助に臨む署員は息の合った動きを見せた

   
 県大会は、6月28日に矢巾町の県消防学校で開かれる。同本部の選手らが目指す東北地区指導会は7月26日に山形県鶴岡市、全国大会は8月25日に北海道札幌市で行われる。また、水上の部は7月19日に東北地区指導会(宮城県利府町)が予定され、同本部は「溺者救助」(3人一組)に選手を派遣する。

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「今こそつなぐ」釜石艦砲射撃の記憶 体験者の証言集めた映画 8月、釜石皮切りに上映開始

8月に釜石で初公開される艦砲射撃を扱った映画のチラシ(右)。5月21日に釜石PITで行われた関係者向けの試写会(左)

8月に釜石で初公開される艦砲射撃を扱った映画のチラシ(右)。5月21日に釜石PITで行われた関係者向けの試写会(左)

 
 釜石市が太平洋戦争末期に受けた2度の艦砲射撃を題材にしたドキュメンタリー映画「廃墟と化した鉄の町 釜石艦砲射撃の記録」(都鳥伸也監督、85分)が、8月5日の釜石市を皮切りに県内上映を開始する。5月21日、同市大町の釜石PITで、映画制作に協力した市内関係者を招いての試写会が開かれた。今後、市民らでつくる釜石上映実行委員会が市内へのポスター掲示などを行い、本上映への多くの来場を呼び掛ける。
 
 同作品は、北上市を拠点に地域に根差した映画制作を行う双子の都鳥拓也さん、伸也さん(40)兄弟が企画。弟伸也さんが監督、兄拓也さんが撮影、編集を手がけた。終戦間際の1945(昭和20)年7月14日、8月9日の2度にわたり、米英軍による艦砲射撃を受け、壊滅的な被害を受けた釜石市。戦後70年以上が経過し、当時の戦禍を経験した人が年々少なくなっていく現状に危機感を覚え、体験者の生の証言とともに歴史資料、研究者の見解から戦災の真実を浮き彫りにした。
 
監督を務めた都鳥伸也さん(右)、撮影・編集・ナレーターを担当した兄拓也さん(左)

監督を務めた都鳥伸也さん(右)、撮影・編集・ナレーターを担当した兄拓也さん(左)

 
 2021年4月に撮影を開始。体験者10人に話を聞いた。インタビュー映像では戦争の恐怖、多くの尊い命が失われ、焼け野原となった市街地の惨状、反戦への強い願いが語られる。作中では釜石が標的となった理由、なぜ2度目の攻撃が行われたのかも研究者らの考察で明らかにする。作品後半では戦後、市民が取り組んできた釜石艦砲の記憶と記録の継承活動、高校生ら若い世代の平和運動も取り上げる。
 
映画の中で艦砲射撃の体験を語った釜石市民ら

映画の中で艦砲射撃の体験を語った釜石市民ら

 
 試写会にはインタビューを受けた艦砲体験者や市平和委員会のメンバーなど約30人が集まった。出演した体験者は90歳を超え、映画の完成を待たずして亡くなった方もいる。撮影時97歳と最高齢だった千田ハルさんは撮影の5カ月後、21年9月に亡くなった(享年98)。21歳の時に艦砲射撃にあった千田さんは戦後、仲間と立ち上げた詩人集団「花貌(かぼう)」の活動で、釜石艦砲記録集を刊行(1971-95年)。延べ300人以上の戦争体験証言を掲載した。自らの戦災体験を語り伝える活動も精力的に行った。
 
晩年に至るまで反戦、平和運動に力を注いだ故千田ハルさん

晩年に至るまで反戦、平和運動に力を注いだ故千田ハルさん

 
 試写会に足を運んだ千田さんの長女(69)は撮影時を振り返り、「(高齢で)取材も受けられなくなってきたころで、ちゃんと話せているか心配だったが、改めて映像を見て、こんなにもしっかりと考えを伝えていたんだと驚いた。まさに母の遺言のよう…」。これが最後のインタビュー映像となった。「平和を願い続けた母の思いがこの映画で少しでも多くの人に届けば」。
 
 都鳥さん兄弟は2021年に地元北上の戦災を取り上げたドキュメンタリー映画を公開。今作はそれに次ぐ県内の戦災記録作品となった。コロナ禍の影響で完成まで2年を要したが、その間、制作に関する報道を見て新たな証言者が現れたり、十分に考える時間ができたりとプラスに働いた面もあったという。監督の伸也さんは「釜石の艦砲射撃についてまとまった書籍はあまりなく、少ない資料からいろいろな積み上げが必要だった。時間をかけられたおかげで、これを見れば釜石艦砲の全容がほぼ分かるという内容にはなったと思う」。ロシアによるウクライナ侵攻で戦争の悲惨さを目の当たりにする今-。「真の平和を後世につないでいくためにも戦争体験者の言葉に耳を傾け、自分事として考えてほしい」。この映画でその思いを広く発信する。
 
映画に出演した藤原茂実さん(中央)は試写会にも出席した

映画に出演した藤原茂実さん(中央)は試写会にも出席した

 
多くの人たちに映画を見てもらいたいと思いを強くする関係者

多くの人たちに映画を見てもらいたいと思いを強くする関係者

 
 釜石上映会は8月5日、大町の市民ホールTETTOで開く。午前10時半と午後2時からの2回上映。料金は一般前売り1000円(当日1200円)、小中学生500円(前売り・当日共通)。8月20日には北上市文化交流センターさくらホール、9月23日には花巻市文化会館での上映を予定する。映画に関する問い合わせはロングラン映像メディア事業部(電話0197・67・0714)へ。

サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!

サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!

サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!
 

6月17日(土) ウォーター編
6月18日(日) ファイヤー編
 
/// 人の手助けができるサバイバルマスターに ///
 
全国の子どもたちにお願いです。
災害時は、大人たちだけでは対応できないことが次々に起こります。
そんな時のために一緒に学び続けよう。

8つのサバイバルプログラム

講習を受けると修了証、実技・筆記試験に合格するとワッペンがもらえます。
スキルが身についているか?学んだことを理解しているか?が合格の基準。
8つのプログラムすべてのワッペンがそろうと「サバイバルマスター」として認定されます。
 
サバイバルマスター 1DAYチャレンジ!チラシ(PDF/540KB)

スケジュール

10:00 受付開始
 
10:30 講習開始
このスキルを身に着けたら、どういった場面で役にたつか、学びながら練習しよう!
 
12:00 昼食
みんなで野外でお昼ご飯を食べよう!
 
13:00 筆記試験
知識がしっかり身についているかテスト!
 
14:00 実技試験
スキルが身についているかテスト!
 
15:30 ふりかえり
 
16:00 解散

定員

20名

講師紹介

片山誠さん
(一社)72時間サバイバル教育協会 代表理事
(一社)ジャパンキッズ 代表理事
 
東日本大震災でのボランティアをきっかけに、子どもたちが生き抜くためには、固定観念にとらわれずに、自ら考え判断出来る力が必要と感じ2013年に法人設立。助け合いの社会を創り、地球平和を実現するために全国で講習・講演活動を行う
 
◎著書
「もしときサバイバル術Jr」
「車バイバル!」
「目指せ!災害サバイバルマスター」(監修)
 
JOLA2019優秀賞受賞
 
★72時間サバイバル教育協会
https://72h.jp/program/

お申し込み

予約フォームよりお申し込みお願いします!
https://reserva.be/santsuna
 
日程:2023年6月16日(土)〜17日(日)
料金(税込):各回3,000円
対象:小学生以上
集合時間:10時受付開始
集合場所:根浜レストハウス キャンプ場(釜石市鵜住居町第21地割23番地1外)
料金に含まれるもの:
※プログラム費、検定費、保険代など含みます
※Tri4JAPANの協力により、通常の参加費(5,500円)より割安になっています
持ち物・注意事項:
●参加費は当日受付でお支払いお願いします(現金、PayPay)
●保護者や、対象年齢以外のご家族も付き添い可能ですが、プログラムには参加できません。

主催・お問い合わせ

さんつな(三陸ひとつなぎ自然学校)
LINE https://lin.ee/RvMUVBk
TEL 0193-55-4630 / 090-1065-9976
mail hitotsunagi.main@gmail.com

協力

72時間サバイバル教育協会
Tri4JAPAN

さんつな

さんつな

自然と災害という二つの要素を織り交ぜながら、若者の生きる力を高めるための体験機会を提供しています。

問い合わせ:0193-55-4630 〒026-0301 岩手県釜石市鵜住居町29-17-20
メール / LINE / 公式サイト / Facebook

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釜石の防災、インドネシアへ 在メダン総領事市長表敬 津波からの復興共有、交流発展願う

 インドネシアと釜石の交流発展へ期待を寄せる田子内進総領事(後列中)と野田武則市長(同左)ら

インドネシアと釜石の交流発展へ期待を寄せる田子内進総領事(後列中)と野田武則市長(同左)ら

  
 インドネシア・在メダン日本国総領事館の田子内進総領事(59)=久慈市出身=は10日、釜石市役所を訪れ、野田武則市長と懇談した。同国では、学校や地域住民が防災教育について学ぶプロジェクトが進行中。この取り組みに釜石市などが協力しており、防災を通じた交流発展への期待感を共有した。
   
 同国は、2004年のスマトラ沖大地震・インド洋津波で甚大な被害を受けた。最大の被災地・スマトラ島最北端にあるアチェ州のバンダ・アチェ市には津波博物館があり、この災害と教訓を伝えている。一方、田子内氏によると、同地震から20年近くたち「震災はなかった」というフェイクニュースを信じる若者もいるといい、住民らの防災意識の低下が課題になっている。映像などの資料に住民が自由に触れられるようアーカイブ館の充実に力を入れていることも紹介。「記憶をつなぐ取り組みが大切。日本にできることがある」と思いを明かした。
   
 休暇に合わせ妻亜矢子さん(50)と里帰り中の田子内氏。同国で進むJICA(国際協力機構)の草の根技術協力事業を活用した「バンダ・アチェ市における地域住民参加型津波防災活動の導入プロジェクト」に、釜石の一般社団法人根浜MIND(マインド)が協力していることから、視察を兼ねて足を延ばした。
  
懇談ではプロジェクトの進み具合や今後の展開について説明された 

懇談ではプロジェクトの進み具合や今後の展開について説明された

   
 懇談には、同法人の岩﨑昭子代表理事や細江絵梨さん(JICA事業プロジェクトマネジャー)、常陸奈緒子さん(同サブマネ)らが同席し、取り組み状況を報告した。プロジェクトの目標は、アチェ市で住民主体の防災プログラムをつくり実践すること。昨年9月から事業は始まっており、博物館スタッフや教育者、防災関係者らにオンライン講義を実施し、釜石の復興まちづくりの経験や教育現場の取り組み、伝承活動のノウハウを届けている。
   
 アチェ市の中学生を対象にしたプログラムの実施も計画。準備のため、5月下旬に現地に出向く細江さんは「釜石の経験を生かした持続可能なプログラムをアチェに伝えられたら。プロジェクトは2025年までの3年間と長いが、相互に訪問したり交流も深めていきたい」と見据える。岩﨑代表理事は「防災を通して学び合えたら。私たちも学び直し成長したい」と熱を込めた。
   
野田市長から記念品などを受け取る田子内総領事(右)

野田市長から記念品などを受け取る田子内総領事(右)

   
 野田市長も「風化は避けられないが、次の世代に伝えなければいけない」と強調し、避難を啓発する韋駄天競争や伝承者の養成といった取り組みを紹介。津波被災地として「互いの記憶を共有、交流できる機会があれば」と期待した。
   
 説明を受け、田子内氏は「防災に携わる人は危機感を持っている。記憶が失われないよう活動を続ける釜石の事例はぴたりとはまる。アチェからインドネシア全体に広がる取り組みになれば。プロジェクトがスムーズに進むよう、後押しする」と約束した。
   
根浜地区の高台にある震災津波記念碑などを見て回った

根浜地区の高台にある震災津波記念碑などを見て回った

   
 田子内氏はこの後、鵜住居町の津波伝承施設いのちをつなぐ未来館を見学。高台造成地に整備された根浜地区の復興団地では同法人の佐々木雄治事務局長から高台移転を決めた経緯やまちづくりの視点を聞き取った。