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釜石の防災、インドネシアへ 在メダン総領事市長表敬 津波からの復興共有、交流発展願う

 インドネシアと釜石の交流発展へ期待を寄せる田子内進総領事(後列中)と野田武則市長(同左)ら

インドネシアと釜石の交流発展へ期待を寄せる田子内進総領事(後列中)と野田武則市長(同左)ら

  
 インドネシア・在メダン日本国総領事館の田子内進総領事(59)=久慈市出身=は10日、釜石市役所を訪れ、野田武則市長と懇談した。同国では、学校や地域住民が防災教育について学ぶプロジェクトが進行中。この取り組みに釜石市などが協力しており、防災を通じた交流発展への期待感を共有した。
   
 同国は、2004年のスマトラ沖大地震・インド洋津波で甚大な被害を受けた。最大の被災地・スマトラ島最北端にあるアチェ州のバンダ・アチェ市には津波博物館があり、この災害と教訓を伝えている。一方、田子内氏によると、同地震から20年近くたち「震災はなかった」というフェイクニュースを信じる若者もいるといい、住民らの防災意識の低下が課題になっている。映像などの資料に住民が自由に触れられるようアーカイブ館の充実に力を入れていることも紹介。「記憶をつなぐ取り組みが大切。日本にできることがある」と思いを明かした。
   
 休暇に合わせ妻亜矢子さん(50)と里帰り中の田子内氏。同国で進むJICA(国際協力機構)の草の根技術協力事業を活用した「バンダ・アチェ市における地域住民参加型津波防災活動の導入プロジェクト」に、釜石の一般社団法人根浜MIND(マインド)が協力していることから、視察を兼ねて足を延ばした。
  
懇談ではプロジェクトの進み具合や今後の展開について説明された 

懇談ではプロジェクトの進み具合や今後の展開について説明された

   
 懇談には、同法人の岩﨑昭子代表理事や細江絵梨さん(JICA事業プロジェクトマネジャー)、常陸奈緒子さん(同サブマネ)らが同席し、取り組み状況を報告した。プロジェクトの目標は、アチェ市で住民主体の防災プログラムをつくり実践すること。昨年9月から事業は始まっており、博物館スタッフや教育者、防災関係者らにオンライン講義を実施し、釜石の復興まちづくりの経験や教育現場の取り組み、伝承活動のノウハウを届けている。
   
 アチェ市の中学生を対象にしたプログラムの実施も計画。準備のため、5月下旬に現地に出向く細江さんは「釜石の経験を生かした持続可能なプログラムをアチェに伝えられたら。プロジェクトは2025年までの3年間と長いが、相互に訪問したり交流も深めていきたい」と見据える。岩﨑代表理事は「防災を通して学び合えたら。私たちも学び直し成長したい」と熱を込めた。
   
野田市長から記念品などを受け取る田子内総領事(右)

野田市長から記念品などを受け取る田子内総領事(右)

   
 野田市長も「風化は避けられないが、次の世代に伝えなければいけない」と強調し、避難を啓発する韋駄天競争や伝承者の養成といった取り組みを紹介。津波被災地として「互いの記憶を共有、交流できる機会があれば」と期待した。
   
 説明を受け、田子内氏は「防災に携わる人は危機感を持っている。記憶が失われないよう活動を続ける釜石の事例はぴたりとはまる。アチェからインドネシア全体に広がる取り組みになれば。プロジェクトがスムーズに進むよう、後押しする」と約束した。
   
根浜地区の高台にある震災津波記念碑などを見て回った

根浜地区の高台にある震災津波記念碑などを見て回った

   
 田子内氏はこの後、鵜住居町の津波伝承施設いのちをつなぐ未来館を見学。高台造成地に整備された根浜地区の復興団地では同法人の佐々木雄治事務局長から高台移転を決めた経緯やまちづくりの視点を聞き取った。
 

shinsai9798

釜石市震災誌 9月末の発刊目指し作業続行 名称は「撓(たわ)まず屈せず」に決定

 第3回釜石市震災誌編さん委員会=17日

第3回釜石市震災誌編さん委員会=17日

 
 釜石市震災誌編さん委員会(委員長=齋藤徳美岩手大名誉教授、委員15人)は17日、3回目の会合を市役所で開き、本年9月末の発刊を目指し作業を継続していくことを確認した。当初目標の2022年度内完成を延ばし、さらに内容を詰める。名称は、釜石市震災誌「撓(たわ)まず屈(くっ)せず」に決まった。
 
 同震災誌は東日本大震災の事実と教訓を後世に伝えるため、発災から復旧、復興に至る同市の10年の取り組みを体系的に記す。庁内検証委員会が年度ごとにまとめてきた記録誌を基に、9つの部、61のテーマごとに事実・背景、指示事項、具体的活動・結果、教訓を記述。各部の冒頭に有識者のメッセージ、市民の声、トピックスも盛り込む。未来の減災につながる内容、他自治体も参考となるような震災誌を目指す。
 
 発刊時期が23年度にずれこむため、委員を再委嘱(14人再任)。新たに元釜石小校長の加藤孔子さん(いのちをつなぐ未来館館長)が委嘱された。
 
 この日は、編さん委内の作業部会が中心となり作成した原稿案について協議。具体的事例などに関し意見が出された。委員からは「多くの犠牲者が出た鵜住居地区防災センターの記述はもっと詳しく」「生々しさが出ていない。他市町村で教訓が生かされるか疑問」「多数の尊い命が奪われた反省をきちんと伝えるための震災誌に」「詳しく掘り下げたい人向けに参考文献を紹介しては」―といった声が上がった。
 
市震災誌の原稿案について意見を交わす委員

市震災誌の原稿案について意見を交わす委員

 
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 震災誌の名称「撓まず屈せず」は、震災発生から1カ月後、野田武則市長が市民に伝えたメッセージを基にした。明治、昭和の大津波や艦砲射撃の被災から立ち上がってきた歴史、困難を乗り越え成功させた鉄づくりなど、市民に受け継がれてきた「不撓不屈(ふとうふくつ)」の精神を表した言葉。震災復興において市民と共有した思いをタイトルに込めた。市事務局が提案し、委員が承認した。
 
 編さん委は今後、9月末の発刊を目指し、意見交換会などを重ねながら編集作業を進める。震災誌は300部作成し、市内の公共施設や学校、国・県の関係機関、支援した自治体などに配布する計画。個人の入手希望には有料で対応する。
 
 発災から復興に至るまでを丁寧に検証し、次に災禍を繰り返さないための視点を盛り込んだ震災誌は例がなく、齋藤委員長は「他地域でも必ず役に立つ。時間がかかってもいいものにしたい。委員から出た具体化の指摘と公的記録の兼ね合いの部分も作業部会で検討していく」と述べた。

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自転車の安全利用、鍵かけ「地域の模範に」 警察などが釜石中をモデル校に指定

釜石中で行われた自転車安全利用、自転車鍵かけ推進のモデル校指定書交付式

釜石中で行われた自転車安全利用、自転車鍵かけ推進のモデル校指定書交付式

 
 釜石中(齊藤雅彦校長、生徒289人)は本年度、釜石地区における「自転車安全利用」と「自転車鍵かけ推進」のモデル校に指定された。10日、同校で釜石警察署(田中洋二署長)による指定書交付式が行われ、全校生徒が交通安全や防犯への意識を高めた。自転車通学を開始した新1年生向けの安全走行の講習も行われた。
 
 釜石署の田中署長が生徒会長の前川航紳さん(3年)、生活委員長の村田怜奈さん(同)に両指定書を伝達した。田中署長は「基本的な交通ルールやマナーを身に付け、地域の方々や他校生徒の模範になってほしい。自転車だけでなく自宅の鍵かけも家族に呼びかけ、防犯意識を高めてもらえれば」と期待。前川さんは「生徒会の活動にも生かし、地域の皆さんの迷惑にならない登下校を実現していきたい」と決意を述べた。
 
指定書を受け取った前川航紳生徒会長(右)と村田怜奈生活委員長(左)

指定書を受け取った前川航紳生徒会長(右)と村田怜奈生活委員長(左)

 
 式後、同署交通課の後藤和貴交通企画係長が安全な自転車利用について講話。「急いでいる時が一番危ない。周りが見えづらくなり、注意力がおろそかになってしまう」と実際にあった事故事例を紹介。道路交通法の改正で4月から全年齢で努力義務となったヘルメット着用についても、映像教材を用いてその必要性を教えた。実験では、非着用で大けがをする確率は99%。頭を打つと後遺症が残りやすく、命に直結するケースも多い。後藤係長は「自分の身は自分で守り、ぶつかって相手にけがをさせることのないよう交通ルールを順守することが大事」と伝えた。
 
安全な自転車利用について釜石署の後藤和貴交通企画係長が講話

安全な自転車利用について釜石署の後藤和貴交通企画係長が講話

 
通学路の自転車走行の注意点を解説。全校での交通安全教室は3年ぶり

通学路の自転車走行の注意点を解説。全校での交通安全教室は3年ぶり

 
 学校の担当教諭からは登下校時の注意点が説明された。▽決められた通学路を一列で左側走行▽横断歩道や歩行者とすれ違う際は自転車を降りて通行▽スピードを出しすぎない―など。自転車の歩道走行が可能な場所でも、あくまで歩行者優先であることが示された。昨年度、同校で一番多かった違反は並進走行だという。
 
 学区の広い同校では本年度、自転車通学の申請者が100人を超える見込み。この日は、自転車通学の新1年生約30人を対象とした講習も行われた。市交通指導隊(佐藤鉄太郎隊長)の隊員6人が講師を務め、ヘルメットの正しいかぶり方、乗車前の安全点検6項目(ブレーキ、タイヤ、ハンドル、車体、反射材、ベル)を指導。生徒らは学校周辺の道路を実際に走行し、横断歩道での左右確認、交差点での2段階右折などを体験した。
 
市交通指導隊員からヘルメットの正しい着用の仕方を学ぶ

市交通指導隊員からヘルメットの正しい着用の仕方を学ぶ

 
自転車通学の新1年生を対象に行われた実地走行の講習=中妻町

自転車通学の新1年生を対象に行われた実地走行の講習=中妻町

 
 向定内から通う女子生徒は「ヘルメット着用の大切さを知り、乗車前点検も勉強になった。学校までは片道約20分。通学では安全に気を付けて事故に遭わないようにしたい」と気を引き締めた。
 
 釜石署によると、昨年管内で発生した自転車利用者の交通事故は4件(前年同)。中学生ではないが、子どもの被害もあった。3件が自動車との出合い頭の衝突事故だという。自転車盗難の被害は7件発生(前年4件)。5件が無施錠での被害だった。
 
 釜石地区の「自転車安全利用モデル校」には本年度、釜石商工高も指定され、20日に同校で指定書交付式が行われる予定。両校の指定は2年連続。

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防犯・交通安全の視点を持とう!釜石市内で呼びかけ 地域安全と交通事故防止合同出動式  

新たなスタートを迎える春。街頭で安全運転を呼び掛けた

新たなスタートを迎える春。街頭で安全運転を呼び掛けた

  
 釜石市防犯協会(岩渕善吉会長)と市交通安全対策協議会(会長・野田武則市長)は6日、大町の市民ホールTETTOで春の地域安全運動、新入学期の交通事故防止推進期間(6~15日)の合同出動式を行った。防犯・交通関係団体から100人余りが参加。式後に街頭活動を行い、子どもたちへの交通ルール周知や運転者の意識向上、犯罪被害防止を呼びかけた。
 
 合同出動式で、岩渕会長は「市内でも被害が認知されている特殊詐欺は次々と新しい手口が登場したり巧妙化しており、細心の注意が必要だ。新入学期になると子どもの行動範囲が広がる。日常生活の中で防犯、交通安全の視点を持って見守り活動を行ってほしい」とあいさつした。
   
 釜石警察署の田中洋二署長は管内の治安や交通情勢を説明。「2022年の刑法犯認知件数は2件増加の75件、特殊詐欺は予兆電話が依然として後を絶たず、子どもや女性に対する声かけなど安全安心を脅かす事案も断続的に発生している」とし、関係団体と連携した犯罪抑止活動の推進を強調した。また、管内では昨年中に3件(3人)の交通死亡事故が発生。今年1月には横断歩道上の歩行者を高齢者が運転する車がはねるという重傷事故も発生し、「予断を許さない情勢。街頭活動を実施することで、より多くの方の安全意識の高揚が図れることを期待する」と激励した。
  
地域や子どもたちを守る活動に意欲を高めるボランティアら

地域や子どもたちを守る活動に意欲を高めるボランティアら

  
安全指導に出動する防犯パトロール車を関係者が見送った

安全指導に出動する防犯パトロール車を関係者が見送った

 
 参加者は安全指導に出動する警察のパトカー、ボランティアが乗った青色防犯パトロール車を見送り、目抜き通りとイオンタウン釜石の出入り口に分かれて両運動のスタートを市民に伝えた。TETTO前の県道(主要地方道)沿いでは「事故多発注意」「自転車安全運転」「携帯電話運転禁止」などと呼びかける手持ちの看板を掲げてアピールした。
  
 改正道路交通法の施行で、今月から自転車に乗る時は全年齢でヘルメット着用が努力義務となったこと踏まえ、周知活動を強化。20年に全国で起きた自転車に乗った人の事故で、死者の約6割が頭部に致命傷を負っていた―といった実態や「自転車安全利用五則」を示したチラシを、歩行者やヘルメット未着用の自転車利用者に配った。
  
自転車利用時のヘルメット着用を呼びかけるチラシを配布

自転車利用時のヘルメット着用を呼びかけるチラシを配布

  
「気を付けて」。まちの安全へ市民個々の意識高揚を訴えた

「気を付けて」。まちの安全へ市民個々の意識高揚を訴えた

 
 地域安全運動は「なくそう犯罪 ふやそう笑顔 みんな大好き岩手県」をスローガンに掲げる。▽子ども・女性・高齢者の犯罪被害防止▽鍵かけの励行-を重点とし、青色回転灯装備車両による防犯パトロールなど啓発活動を展開。関連で、釜石署は11日に市内3町内会へ「鍵かけモデル地区」指定書を交付、防犯意識を高めてもらい施錠の習慣化を図る。
  
 交通事故防止推進期間における活動は、今年行われる統一地方選挙の影響で、例年4月に実施する春の全国交通安全運動が5月11~20日にずれるため岩手県が独自に講じた対策。事故が起きやすい新入学期に、関係団体が連携して子どもの安全を守る活動を強化する。スローガンは「あげた手は いのちをしらせる 警報機」。▽運転者の歩行者保護と道路横断者の交通マナー向上▽自転車の安全利用の推進▽すべての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底-を重点に据える。
 

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期待!化学反応 釜石と神奈川の高校生ら交流 合言葉は「震災の記憶伝承と防災」

防災に取り組む仲間として親睦を深めた釜石と神奈川の高校生

防災に取り組む仲間として親睦を深めた釜石と神奈川の高校生

 
 釜石高の生徒有志グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」を応援しようと、神奈川県で募金活動を展開した2つの学生団体が1日、釜石市を訪れ、夢団メンバーと交流した。両地域の学生に共通するのは「東日本大震災の記憶と防災の取り組みをつなぐ」との熱い思い。それぞれの活動を紹介し合い、刺激し合うことで起こる「化学反応」に期待を寄せた。
  
 来釜したのは、鎌倉市で防災に取り組む中高生ボランティアグループ「玄海」代表の橋本玄(はるか)さん(金沢総合高3年)と、逗子市で同様の活動を行う「3.11つなぐっぺし」代表の田島太地(だいち)さん(同)。それぞれの市で3月11日を中心に街頭に立って募金活動を行った。「私たちは震災の記憶を持つ最後の世代。岩手県釜石市で伝承活動をしている高校生を応援しています」と呼びかけ、玄海は5日間の活動で40万円を集め、つなぐっぺしには4日間で20万5801円が寄せられた。
 
釜石市を訪れた橋本玄さん(左)と田島太地さん

釜石市を訪れた橋本玄さん(左)と田島太地さん

 
鎌倉市や逗子市での募金活動を動画で紹介した

鎌倉市や逗子市での募金活動を動画で紹介した

 
 交流会は大町の情報交流センターであり、夢団代表の小笠原桜さん(釜石高3年)らメンバー11人が迎えた。神奈川の2団体が募金活動を行うきっかけは、3月上旬(3-5日)に夢団が招かれた横浜市での交流行事。橋本さんは「同じ年で、震災の経験や防災の話を伝える姿に感動した。うれしくて応援したくなった」、田島さんは震災を知らない世代が増えていることを踏まえ、「若い世代がつないでいくことが大事。防災を学ぶことで、いざという時に役立っていくはず」と思いを明かした。
  
神奈川からの応援を受け取った小笠原桜さん(中央)ら

神奈川からの応援を受け取った小笠原桜さん(中央)ら

  
 応援金を受け取った後、夢団メンバーは使い道を話し合った。釜石鵜住居復興スタジアムでの語り部や防災食の研究、動画による発信、災害時の判断力を養う防災ゲーム「釜石版クロスロード」の作成などの活動を行っていて、それぞれの取り組みを深化させることを共有。「ユニホームをつくる」「震災の被災地以外でも活動したい」といった声も上がった。
  
 そんな釜高生に、橋本さんは「面白いことをして」と期待。防災士でもあり、「鎌倉は津波想定で、最大14メートル超の波が8分で到達するとされている。災害に弱いまちなので、震災の記憶を受け継ぎたいし、ワンチームで互いに学び合いながら防災を広める活動に取り組みたい。どんな化学反応が起こるか、楽しみ」と目を細めた。
  
共通の話題で意気投合。笑顔で交流を楽しんだ

共通の話題で意気投合。笑顔で交流を楽しんだ

 
やってみたい取り組みを共有する高校生たち

やってみたい取り組みを共有する高校生たち

  
 神奈川の2つの団体は「防災を楽しく」をテーマに、音楽や食、キャンプ、運動会などと組み合わせたイベントで学びを発信している。横浜訪問で2人と顔を合わせていた釜高2年の佐々木有寿(ありす)さんは再会を喜びつつ、「震災被災地と遠く離れた場所でも災害に備え、真剣に取り組んでいることを知って刺激を受けた。人口が多い土地ならではの防災にも興味を持った。もっと広い地域の取り組みを知りたいし、釜石のことに触れてもらう機会も作りたい」と思いを深めた。
 
 小笠原さんも同じ気持ちだ。震災当時4歳で、地震の怖さや自宅のあった鵜住居地区をのみ込む黒い波を覚えている。だからこそ、「記憶を残す最後の世代だ」ということを強く意識する。同年代の応援は心強く、「今の活動をレベルアップさせ、新しいチャレンジもしてみたい。個人的には、小学生に防災を教えるプロジェクトを立ち上げたい」と力をもらった。
 
 

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釜石大槌消防職員OB「消防支援隊」結成 豊富な経験生かし大規模災害時に業務支援

釜石大槌地区の「消防支援隊」として活動する消防職員OBと行政事務組合関係者ら

釜石大槌地区の「消防支援隊」として活動する消防職員OBと行政事務組合関係者ら

 
 釜石大槌地区行政事務組合消防本部は大規模災害発生時の体制強化を目的に、2023年度から同本部職員OBによる「消防支援隊」を発足させた。地震・津波、水害、山火事などで大きな被害が予想される際、消防長の要請で庁舎などに参集。情報収集や消防団との連絡調整、資機材準備といった後方支援を主に担う。同様の組織の創設は、盛岡地区に次いで県内2例目となる。
 
 支援隊は同本部管轄区域内に居住する75歳未満の元職員(在職10年以上、健康な方)で組織。無償で活動する。初年度は該当者20人中、64~74歳の16人が登録。3月30日、釜石市鈴子町の消防本部庁舎で発足式が行われ、隊員11人と関係者が出席した。
 
釜石大槌地区消防本部「消防支援隊」発足式=3月30日、消防庁舎

釜石大槌地区消防本部「消防支援隊」発足式=3月30日、消防庁舎

 
 組合管理者の野田武則釜石市長は「東日本大震災を経験した皆さまの豊富な知識、技術を再び釜石市民、大槌町民のために発揮していただきたい」と式辞。登録隊員が紹介され、同本部の大丸広美消防長が代表の千葉榮(さかえ)さん(70)に登録証を交付した。2011年度から13年度まで同本部消防長を務めた千葉さんは「任務の重要性を深く心に刻み、全力で支援にまい進する」と決意表明した。
 
登録証と活動時に着用するヘルメット、ベストなどを受け取る千葉榮さん(左)

登録証と活動時に着用するヘルメット、ベストなどを受け取る千葉榮さん(左)

 
支援隊員を代表し、千葉さん(左)が決意表明

支援隊員を代表し、千葉さん(左)が決意表明

 
本部から貸与されたベストを着用する支援隊員ら

本部から貸与されたベストを着用する支援隊員ら

 
 登録した16人のうち13人は東日本大震災発生時に現職。支援隊の必要性は消防退職者会の集まりで3年ほど前から話題に上り、同本部に相談。先進地盛岡でも話を聞くなどし、発足への準備を進めてきた。千葉さんは「(人口減少、少子高齢化などで)消防団員も減ってきている中、消防職員OBが何もしないわけにはいかないと考えた。現職時代に得た数々の経験、教訓を生かし、災害対応の力になれれば」と話す。
 
 大規模災害発生時は現場出動の人員が増え、消防庁舎での対応人員が不足しがち。要請された支援隊がいち早く駆け付け、初期対応に加わることは大きな助けになる。OB側からの自主的な提案に大丸消防長は「非常に心強い。隊員は震災時の緊迫した状況下での指揮経験もある。支援活動を通じて現職への経験の伝承にもつながっていけば」と期待した。

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国内外の中高生、釜石・根浜海岸に集う 海の安全、環境学ぶスプリングキャンプ

ドライスーツを着用して救命艇の乗組員になりきる中高生

ドライスーツを着用して救命艇の乗組員になりきる中高生

 
 国内外の中高生が集い、海の安全や海洋環境を考えるスプリングキャンプが3月下旬に釜石市鵜住居町の根浜海岸で行われた。地元岩手県や釜石地域をはじめ、宮城県や佐賀県など日本各地、ニュージーランドなどから32人が参加。変化する海や自然環境を踏まえ、それらへの向き合い方や命を守る技術を体験的に学んだ。
  
 日本財団「海と日本プロジェクト」の一環で、一般社団法人根浜MIND(マインド)と一般社団法人Atrantic Pacific Japan=APJ(アトランティック・パシフィック・ジャパン)の共催。3月25~29日まで5日間の日程で、海での安心・安全を確保する基礎知識や技術を学んだり、廃プラスチックを使ったものづくり、東日本大震災後のまちづくりを住民に聞くワークショップ、漁業体験などが行われた。
  
水難救助の心構えを説明するロビン・ジェンキンスCEO(右)

水難救助の心構えを説明するロビン・ジェンキンスCEO(右)

  
 27日は4グループに分かれて活動した。同海岸では水難救助のワークショップがあり、講師を務めたのはAPJの本部・英国の非政府組織(NGO)APのロビン・ジェンキンスCEO(49)。日本と同じ島国の英国に根付く「ボート・レスキュー(BR)」のシステムを進化、普及するため救命艇の提供や乗組員の育成を行っていることを紹介した。
  
 APは2016年に震災の被災地支援で同海岸に英国式の救命艇を提供している。その救命艇の装備や機能の説明を受けた後、参加者は乗組員が使うロープの結び方を実践したり、ドライスーツを着用したりした。ジェンキンスCEOは「近年の気候変動により海の環境が変化、溺水事故も増えている。事故を減らすためには教育、命を守るスキルが大事。APではこれまでに600人以上を訓練したが、将来的にもっと多くの人をトレーニングしたい。ぜひ参加を」と呼びかけた。
  
水難救助のワークショップ。ロープ結びの習得は海の安全の基本

水難救助のワークショップ。ロープ結びの習得は海の安全の基本

  
 同海岸にある観光施設根浜シーサイド・レストハウスでは、プラスチックリサイクルに関するワークショップを開催。釜石市内を拠点に再生可能エネルギーの普及や自然と調和した電気の自立供給ができるオフグリットな暮らしの実証実験に取り組む一般社団法人ユナイテッドグリーンの山田周生さんが講師を務めた。プラスチックごみによる海洋汚染について課題提起後、プラごみを再生するオランダ発祥のプロジェクト「プレシャスプラスチック」を紹介。参加者は、山田さん自作の加工用機械を使い、ペットボトルキャップをコースターに再生する体験も行いながら、プラごみの減量や再利用の大切さに理解を深めた。
  
海洋汚染を学んで廃プラスチックでものづくりをするワークショップ

海洋汚染を学んで廃プラスチックでものづくりをするワークショップ

 
ペットボトルキャップをコースターに再生する活動を体験した

ペットボトルキャップをコースターに再生する活動を体験した

  
 ニュージーランド・クライストチャーチ市から参加したミリー・ジェルステッドさん(16)は「人を助ける活動に興味を持っている。未来について似たような考え、視点を持つ人と触れ合えて楽しい。さまざまな活動が積み重なって、人や未来のためにできることを見つけることができる」と意義を見いだす。初来日で、文化の違いに興味津々。根浜の風景も気に入った様子だった。
  
 APJなどは19年夏に同海岸で同様のキャンプを実施。20、21年はコロナ禍でオンライン交流にした。昨年夏に現地開催を再開し、釜石高2年の八幡伊吹さんはサマーキャンプに続いて2回目の参加。「日本とは違った考え方の外国人や多様な人と関わることで固定概念をなくし、いろんな考えを取り入れられる。泊まり込みというのも非現実的を味わえる。とても充実している」と明るい笑顔を見せた。
  
根浜海岸の安全を守る救命艇

根浜海岸の安全を守る救命艇

  
 根浜MINDでは夏場を中心に、救命艇を使った子ども対象の海の安全教室を実施。同海岸海水浴場の開設期間中の監視活動なども行っており、今年も継続する。
 

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林野火災の空中消火を想定 釜石市で消防・県防災ヘリ隊員が合同訓練 空と陸の連携強化へ

釜石大槌消防本部と県防災ヘリコプターによる林野火災対応訓練=22日

釜石大槌消防本部と県防災ヘリコプターによる林野火災対応訓練=22日

 
 釜石大槌地区行政事務組合消防本部(大丸広美消防長)は22日、県防災航空隊と合同で林野火災対応訓練を行った。防災ヘリコプターによる空中消火を想定し、給水を行う地上部隊の資機材の取り扱い、ヘリとの無線交信、実際の散水などを行い、早期鎮圧・鎮火のための連携を確認した。空気の乾燥、入山機会の増加などで山林火災が発生しやすい春を迎えるのを前に実施した。
 
 訓練は釜石市片岸町の片岸公園を拠点に行われ、両機関から約40人が参加。地上部隊は釜石消防署の若手署員らが訓練に臨んだ。同航空隊が運用する防災ヘリ「ひめかみ」が到着すると、隊員らが空中消火に使用する消火バケットの組み立て方を署員に説明。重さ80キロのバケット(容量1200リットル)を署員らが2つ組み立て、待機していた水槽車からホースで給水した。
 
県防災航空隊の隊員が空中消火で使う資機材の扱い方を説明

県防災航空隊の隊員が空中消火で使う資機材の扱い方を説明

 
消火バケットの組み立てを体験する釜石消防署の署員ら

消火バケットの組み立てを体験する釜石消防署の署員ら

 
水槽車からホースを引いてバケットに給水する訓練

水槽車からホースを引いてバケットに給水する訓練

 
 今回はバケットに500~700リットルの水を積み、鵜住居川で6回散水。地上部隊は人員を入れ替えながら一連の作業を体験した。地上の指揮隊はヘリとの無線交信訓練を行った。県内では昨年、空中消火の水が地上で活動する消防団員にあたり大けがをする事故があり、空中と地上の連携強化を念頭に訓練した。消防長ら現場指揮者が搭乗しての上空偵察訓練も行った。
 
ヘリコプターから降ろしたワイヤーにバケットを装着し、つり上げる

ヘリコプターから降ろしたワイヤーにバケットを装着し、つり上げる

 
地上の指揮隊はヘリとの無線交信訓練も行った

地上の指揮隊はヘリとの無線交信訓練も行った

 
この日の訓練では鵜住居川に散水。釜石の隊員らは広範囲に対応可能な空中消火への理解を深めた

この日の訓練では鵜住居川に散水。釜石の隊員らは広範囲に対応可能な空中消火への理解を深めた

 
 ヘリを誘導するマーシャルを担当した釜石署の消防士・大津果穂さん(22)は防災ヘリとの訓練は初めての経験。「安全管理の重要性を再認識した。一つ一つの訓練を大切にして、学んだことを自分の業務に生かしたい」と気を引き締めた。
 
 県内各地の消防機関から派遣された隊員10人で編成する県防災航空隊には、2021年度から釜石大槌消防本部の佐藤友伍さん(39)が所属。本年度から副隊長を務めている(同本部初)。今回の訓練で地元の消防隊員には「空中消火の有効性を理解し、ヘリ特有の緊迫感、強風と騒音下での活動を体感してもらいたかった」といい、両者の連携強化に手応えを実感。航空、地上の両部隊が活動を共にする現場では「相互の活動を理解し、情報共有や活動調整を行う必要がある」とした。
 
 同市では2017年5月に尾崎半島で発生した大規模林野火災以降、山林火災は起きていない。大丸消防長は「誰でも現場作業にあたれるよう、訓練で経験を積むことが大事。新しい職員も今日はしっかり訓練できていた」とコメント。これから山林火災が発生しやすい季節を迎えることから、一般市民に向けても「山に入って火を使うことは極力避け、入山前後にも十分気を付けてほしい」と火災防止への協力を願った。
 
 市内では今年に入り4件の建物火災が発生している。家庭や職場でも今一度、火の元の確認を十分に行うことが必要だ。

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大震災かまいしの伝承者 9歳小学生・佐々木智桜さんが初仕事 教えられたことをみんなにも「命さえあれば良いんだよ」

「大震災かまいしの伝承者」として初仕事に臨んだ佐々木智桜さん

「大震災かまいしの伝承者」として初仕事に臨んだ佐々木智桜さん

  
 釜石市鵜住居町の津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で19日、東日本大震災の体験や教訓を語り継ぐ「大震災かまいしの伝承者」として、鵜住居小3年の佐々木智桜(ちさ)さん(9)が“初仕事”をした。「命が一番大事。何も持たなくていいから、とにかく逃げて」。市内で最年少の伝承者・智桜さんは大きな声でそう訴えた。
  
 この伝承者の制度は市が2019年度に始め、研修を受けた人を認定している。智桜さんは、未来館に勤める母の智恵さん(40)と昨年12月に受講。地震や津波のメカニズム、釜石で震災時に起きたことを学び、2人で伝承者となった。現在74人が認定されているが、震災後生まれは智桜さんだけだという。
  
 智桜さんは偶然にも、2014年3月11日生まれ。3年前の同じ日、祖母と伯母が津波の犠牲になった。5歳まで仮設住宅で暮らし、家族や近所の人たちから体験を聞いたり、震災は身近だった。そして昨年の冬頃、智恵さんが未来館で働き始めたことも「伝承者になりたい」との気持ちを大きくした。「自分でも伝えてみたい」
  
本番を前に先輩語り部の川崎さん(右)に進め方を確認する智桜さん(中)

本番を前に先輩語り部の川崎さん(右)に進め方を確認する智桜さん(中)

  
「命が一番大事」。原稿につづった伝えたいことを読み上げる智桜さん(左)

「命が一番大事」。原稿につづった伝えたいことを読み上げる智桜さん(左)

  
 この日は、未来館職員で語り部の川崎杏樹(あき)さん(26)の質問に答える形で、用意してきた原稿を読み上げながら伝承者になった理由や災害の時に気を付けてほしいことを伝えた。
  
 「たくさんの人に分かりやすく伝えたい。命が一番大事だということ。逃げるのが遅くなると命を無くしてしまうかもしれないから、早く行動してほしい」
「地震が起きた時は何も持たなくていいから、とにかく逃げて。命さえあれば良いんだよ、とお父さんに教えてもらっています。みんなにも伝えたい」
  
 来場者に、はきはきとした元気な口調で伝えた智桜さん。川崎さんに目標を聞かれると、「震災は自分が生まれる前のことなので、もっとくわしく勉強したい。英語でも伝えられるようになりたい。別の国の人にも津波のことを教えたいです」と前を向いた。
   
 智桜さんの話を聞いた鵜住居小6年の千葉心菜(ここな)さん(12)は「自分より年下なのに…すごい。防災学習を真剣にやっていると思った。見習いたい。いざという時に周囲に声をかけて命を救えるよう努力したい」と刺激を受けていた。
  
来場者は智桜さんの語り部にじっくりと耳を傾けた

来場者は智桜さんの語り部にじっくりと耳を傾けた

  
智桜さんも、智恵さんの読み聞かせをじっと見つめた

智桜さんも、智恵さんの読み聞かせをじっと見つめた

  
 今回の語り部は、未来館を含めた三陸鉄道鵜住居駅前の公共施設「うのすまい・トモス」の開館4周年イベントに合わせて実施。震災当時釜石小に勤めていた及川美香子さん(現釜石・双葉小校長)が釜小の防災教育について、智恵さんは釜石の子どもたちの避難行動を題材にした絵本「はしれ、上へ!」の読み聞かせを行い、智桜さんは先輩伝承者たちの姿をじっと見つめ、伝え方を学び取っていた。
   
「緊張したけど、ちゃんと伝えられた」と笑顔を見せる智桜さん

「緊張したけど、ちゃんと伝えられた」と笑顔を見せる智桜さん

   
 初仕事を終えた智桜さんに出来を聞いてみると、「100点満点」と明るい笑顔が返ってきた。「人の心に残るような文を入れられる語り部になりたい。(聞いた人に)防災意識をもっと高めてもらいたいなあ」とも。智恵さんは「心配したけど、大きい声を響かせて、しっかりと伝えられていた。それでもまだ勉強不足。智桜が伝えたい、続けたいという思いを持ち続ける限り尊重したい。2人で頑張っていこうね」と見守った。
  
出番を終え、友達と遊ぶ智桜さん(左)。明るい笑顔が印象的

出番を終え、友達と遊ぶ智桜さん(左)。明るい笑顔が印象的

 

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命を守る教育 本と追体験で発信 全児童津波逃れた釜石小・卒業生ら 防災教育大賞受賞

野田武則市長(左)に受賞を報告した加藤孔子さん(中)と寺田恵美子さん

野田武則市長(左)に受賞を報告した加藤孔子さん(中)と寺田恵美子さん

 
 東日本大震災時、釜石小児童は学校管理下になかったものの、各自の判断で津波から逃げ、184人全員が助かった。なぜ命を守れたのか―。児童らの避難行動や判断する力となった同校の防災教育をまとめた伝承本をつくってみた。あの時の避難経路を、震災を知らない子どもたちとたどる活動もやってみた…。同校の卒業生と当時の教職員有志でつくる「2011team(チーム)釜石小ぼうさい」(加藤孔子代表)が、体験を風化させまいと取り組みを進めている。こうした次世代につなぐ活動が評価され、「防災教育チャレンジプラン」(内閣府など主催)で2022年度の防災教育大賞を受賞した。
 
 全国12団体が取り組む中、2月11日にウェブ報告会が開催され、最高賞に選ばれた。震災発生時に同校の校長だった加藤さん(65)と、統括地域コーディネーターとして同校で活動する寺田恵美子さん(60)が3月17日に釜石市役所の野田武則市長を訪ね、受賞を報告した。
 
伝承本「このたねとばそ」を紹介する加藤さん(左)と寺田さん

伝承本「このたねとばそ」を紹介する加藤さん(左)と寺田さん

 
 チーム釜小は昨夏、同校の防災教育を全国に発信し未来に残すため、伝承本「このたねとばそ」(A4判、83ページ)を製作した。▽08年に始めた下校時避難訓練などの防災教育▽あの日、自己判断で避難した児童の証言▽震災直後に学校再開に奔走した教職員の対応-などの詳細を記録。市内の小中学校に届けたほか、加藤さんが名誉館長を務める鵜住居町の「いのちをつなぐ未来館」でも限定配布した。
 
 そして、大津波を生き抜いた同校卒業生が当時の避難行動を語り、小学生に実際に体験してもらうフィールドワークも実施。話を聞いた小学生に、避難の判断ができた理由や自分たちにできることを話し合ってもらったりした。震災を経験していない世代が増える中、子どもたちに学びや気付きという“たね”を植え付ける機会にした。
 
昨年8月に行った震災伝承フィールドワーク

昨年8月に行った震災伝承フィールドワーク

 
釜小卒業生の話を聞いて児童が話し合う活動も

釜小卒業生の話を聞いて児童が話し合う活動も

 
 加藤さんは「大変な津波を生き抜いた子どもたちの判断、行動を何とかして発信したかった。思いがけない受賞で、すごく驚いた。種が全国に飛んだのかな…。受賞もまた発信になる。震災を知らない人たちに語り継ぎ、バトンをつないでいきたい」と意欲を強めた。
 
 野田市長は「年数がたつと風化するが、きちんと次の世代につなげなければいけない。学校現場や社会の中で頑張り、取り組みの裾野を広げてほしい」と期待した。

 

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歌で伝える震災「釜石あの日あの時甚句」 10作目「未来の孫へ」制作 後世につなぐ活動継続へ

 「釜石あの日あの時甚句」で震災を伝える藤原マチ子さん(左)と北村弘子さん

「釜石あの日あの時甚句」で震災を伝える藤原マチ子さん(左)と北村弘子さん

 
 東日本大震災の出来事や教訓を相撲甚句の節に乗せて伝える「釜石あの日あの時甚句」。自ら作詞し、市内外で披露してきた釜石市の藤原マチ子さん(70)、北村弘子さん(70)が、震災犠牲者の十三回忌の節目に新作を発表した。10作目で、題名は「未来の孫へ」。命を守る大切さ、感謝する心、平和への願い…。千年後の子どもたちに今、“残したい思い”を歌詞にちりばめた。
 
 藤原さんが作詞。震災の経験や生きる意味を遠い未来の子どもたちに伝えようと、自身が書いていた「孫への手紙」を基にした。あの日、まちを襲った大地震と大津波。寒さと恐怖に震えながら家族の無事を祈ったこと、世界中の人たちが生きる力をくれたこと…。情景の浮かぶ詞が心に刺さる。
 
 「どんな時にも諦めず、必ず命を守ること。あなたが生きていることが、きっと誰かの役に立つ」。未来の災害から生き延びてほしい、生きて誰かを助けられる大人になってほしい―。藤原さんの強い願いが込められた。
 
 藤原さんは「未来の孫へ」に込めた思いを話した=10日、宝来館

藤原さんは「未来の孫へ」に込めた思いを話した=10日、宝来館

 
 震災命日の前夜、鵜住居町根浜の旅館・宝来館で、宿泊客らに新作を含む4編を聞かせた。藤原さんが歌い、北村さんが合いの手を入れるいつものスタイル。一部は北村さんの手話も交えた。震災後のボランティア活動が縁で同市に移住した元大学教員の平修久さん(67)は「節に乗せると分かりやすく、ジーンと胸に響く。新作は未来に向けた前向きな印象」と、2人が紡ぐ言葉を受け止めた。
 
北村さん(右)の手話とともに伝える「釜石東中・鵜住居小編」

北村さん(右)の手話とともに伝える「釜石東中・鵜住居小編」

 
2人の甚句に拍手を送る観客。12年前の震災を思い起こした

2人の甚句に拍手を送る観客。12年前の震災を思い起こした

 
 藤原さんと北村さんは、地元で民話の伝承活動を行う「漁火の会」の仲間。2人と親交のある同館おかみ岩崎昭子さん(66)の提案で、震災を甚句で伝える活動を始めた。兄3人が相撲に親しみ、母は相撲甚句の名手だった藤原さん。観光ガイド会員で震災ガイドもしていた北村さん。2012年12月、津波から逃れた児童生徒の避難行動を伝える「釜石東中学校、鵜住居小学校編」を2人で作詞。その後、次々に作品が生まれていった。
 
 津波にのまれながら九死に一生を得た岩崎さんを描く「宝来館女将(おかみ)編」、津波で亡くなった藤原さんの兄をしのぶ「兄き編」、行方不明の夫への思いを語る「いのり編 あなた」、多くの命が奪われた悲しみ、悔しさを表した「防災センター編」―など。13年5月までに9編が作られた。2人は月命日に同館で甚句による伝承活動を続け、市内外の出演依頼にも応えてきた。
 
目を潤ませながら聞き入る観客も(右側)。同館での甚句披露はコロナ禍のため2020年2月以来

目を潤ませながら聞き入る観客も(右側)。同館での甚句披露はコロナ禍のため2020年2月以来

 
 最初は気負いやプレッシャーで、歌い出せないこともあったという藤原さん。「兄さんが歌の中に生きている」との客の言葉に励まされ、「供養のためにも歌おう」と思うようになった。徐々に気持ちも落ち着いてきた。「あの世の人たちと共に生きる―ということが自然と体に身に付いてきたのかな。この活動を亡き兄が一番喜んでいると思う」と想像を巡らす。
 
北村さんがこれまでの活動などについて紹介

北村さんがこれまでの活動などについて紹介

 
 「この甚句は遺族や被災者が抱える思いを代弁するもの」。共作を含め7編の作詞を手掛けた北村さん。当初「10作目は復興甚句を」と考えていたが、この10年でハード面の復興はできても、心の傷は変わらないことを思い知らされる。「今回は13回忌の1つのけじめ。心の復興は計り知れない。震災を経験した私たちが伝えられるのはどこまでいっても“復興途上甚句”なのかもしれない―」。
 
 被災地で生きる身として、震災と向き合い続ける藤原さんと北村さん。これからも被災者に寄り添いながら、伝えることに真摯に取り組むことを誓った。
 
2人のバックの書は「あの日あの時甚句」を聞いた人から贈られた

2人のバックの書は「あの日あの時甚句」を聞いた人から贈られた

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震災12年・釜石 変わらぬ思い、続く祈り そして向き合い、決意「未来の命守る」

釜石祈りのパークで、犠牲になった人の名を見つめる遺族ら

釜石祈りのパークで、犠牲になった人の名を見つめる遺族ら

 
 東日本大震災は11日、2011年3月の発生から12年となった。岩手県内で関連死を含めた死者・行方不明者は6255人。県との合同追悼式が行われた釜石市では912人の命が奪われ、152人の行方が分かっていない。あの日を思い、被災各地で続いた祈り。遺族らは変わらぬ思いで大切な人をしのび、地域を担う若者たちは体験を継承し「未来の命を守る」と決意した。そんな1日を写真で伝える。
 
県と釜石市合同で行われた追悼式。市合唱協会が献唱した

県と釜石市合同で行われた追悼式。市合唱協会が献唱した

 
 合同追悼式は釜石市民ホールTETTO(大町)を会場に、渡辺博道復興相や遺族ら約250人が参列した。午後2時46分の地震発生時刻に黙とうし、達増拓也知事は「教訓を忘れることなく次の世代に語り継ぎ、大切な人に思いを寄せ、ふるさと岩手を築いていく」と式辞。野田武則市長は「市民が夢と希望を持って、生き生きと暮らせる街づくりに全身全霊で取り組む」と誓った。
  
 「父さん、母さん、どうしているの?」。遺族を代表し追悼の言葉を述べたのは、婦人消防協力隊のはんてんをまとった平田・尾崎白浜の佐々木淳子さん(67)。津波で鵜住居町の実家、父の前川朝吉さん(当時87)と母マサさん(同84)を失った。悲しみをにじませながらも、さまざまな人とのつながりで変化したこの12年を振り返り、未来の命を守るための決意を示した。「災害弱者である高齢者や障害者の対応など課題は多く、教訓を伝える重みは増している。防災市民憲章『備える』『逃げる』『戻らない』『語り継ぐ』を継承していく」
 
追悼式を終え、取材に応じる佐々木淳子さん

追悼式を終え、取材に応じる佐々木淳子さん
  

市内各地で あの人思い、手を合わす

 
祈りのパークで「あの人」の名を探し、手を合わせる遺族ら

祈りのパークで「あの人」の名を探し、手を合わせる遺族ら

 
 市内全域の震災犠牲者1064人のうち、1002人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」には遺族や縁故者らが次々に訪れ、献花して手を合わせた。片岸町の山﨑恵一さん(87)は津波で亡くした長男宏さん(当時44)に会いに来た。「無念、残念…言葉に表せない。元気でいてもらいたかった…愚痴が出る。海が好きな子で、まだやりたかったこともあったろう」。複雑な気持ちのまま迎えた十三回忌。「いつかは区切りがつくだろうか」とつぶやいた。
 
 箱崎町出身の植田詩季さん(19)は、母方の祖母が行方不明のまま。刻まれた名を見つめ感情がこみ上げた母親が足早に離れる中、「頑張ってるから、見守っていてね」と語りかけた。当時小学1年で、津波の恐ろしさは分からなかった。大槌高校で防災に関する学びを深め、大学生になった今は被害の深刻さ、防災の重要性を認識する。そして、優しかったおばあちゃんに誓う。「地元に帰ってくるから。地域、人をつなぐために」
 
「わすれない」。納骨堂の前で手を合わせる参列者

「わすれない」。納骨堂の前で手を合わせる参列者

 
 身元不明遺骨を安置する平田の大平墓地公園内の大震災物故者納骨堂では、釜石仏教会(大萱生修明会長、14カ寺)による法要があった。現在、全身遺骨5柱、部分骨4柱を安置。僧侶9人が読経する中、参列者が焼香した。導師を務めた仙寿院(大只越町)の芝﨑恵応住職は「家族の元に戻れず、つらい思いをしている人がいることを忘れてはいけない。その方の分も幸せになるよう、必死に生きなければ」と呼びかけた。
  
殉職した消防団員を追悼。ハンカチで涙をぬぐう遺族ら

殉職した消防団員を追悼。ハンカチで涙をぬぐう遺族ら

  
鈴子広場(鈴子町)にある「殉職消防団員顕彰碑」前で行われた献花式。震災で職務遂行中に命を落とした仲間8人に「団員の安全を確保しながら市民生活を守る活動に力を尽くす」と誓った。佐々木金一郎さん(当時64)の長男、幹郎さん(38)は家族3人で参列。「使命感で動いて、大変な思いで亡くなっていったのだろう。残された自分たちも、それに恥じないような生き方ができればいい」と言葉をかみしめた。
 
魚河岸テラスで鐘の音に思いを託す人たち

魚河岸テラスで鐘の音に思いを託す人たち

 
釜石湾を一望できる魚河岸テラス。2階デッキにある鐘を高らかに響かせ、海を見つめていた遺族ら。「十三回忌…区切りではない」。北上市から足を運んだ家族連れは「震災のことを考えたい」。復興道路の三陸沿岸道路(三陸道)を使って被災地の様子を確認するつもりだ。
 

あの日を「忘れない―」 追悼、記憶の継承へ 夜まで続いた12年目の“祈り”

 
海に向かって黙とうをささげ(左下写真)、風船を放った追悼行事=宝来館

海に向かって黙とうをささげ(左下写真)、風船を放った追悼行事=宝来館

 
 地震発生時刻の午後2時46分―。鵜住居町の根浜海岸周辺では津波犠牲者を悼み、冥福を祈る黙とうがささげられた。海岸前の宿・宝来館で行われた追悼行事。集まった人たちはメッセージを書き込んだ色とりどりの風船を大空に放った。約1カ月前に発生したトルコ・シリア大地震、1年以上続くロシアによるウクライナ侵攻の犠牲者、被災者にも思いを寄せ、鎮魂と平和への願いを発信した。
 
オーケストラ用に編曲された「南部木挽唄」を献歌する佐野よりこさん(左)と歌に聞き入る人ら

オーケストラ用に編曲された「南部木挽唄」を献歌する佐野よりこさん(左)と歌に聞き入る人ら

 
 震災の津波で、鵜住居町に暮らす両親を亡くした民謡歌手の佐野よりこさん(盛岡市)。「海に、天に届け」と、最愛の両親から授かった歌声を地元で響かせ、犠牲者の魂を慰めた。悲しみと向き合いながらの12年―。「あっという間」とする一方で、地域の人たちが年を重ねた姿に確実な年月の経過も実感する。一日たりとも忘れることはない両親-。「やっぱり恋しい…よね」と思いを募らせる。
 
 復興で大きく形を変えた古里。うれしくもあり、寂しくもあり、複雑な思いが入り交じる。記憶の風化は避けられないが、残された者として「震災を伝え続ける」責務を心に刻む。「よりこ、頑張れ」。姿は見えずとも近くで見守ってくれている両親の声を想像し、「一日一日を大切に、しっかり生きていかなければ」と誓った。
 
「釜石復興の鐘」の打鐘(右)。賛美歌や自作の歌に祈りを込める新生釜石教会の柳谷雄介牧師

「釜石復興の鐘」の打鐘(右)。賛美歌や自作の歌に祈りを込める新生釜石教会の柳谷雄介牧師

 
 鈴子町、釜石駅前広場の夕刻。鎮魂、復興、記憶、希望―の4つの言葉が刻まれた「釜石復興の鐘」が、市民らによって打ち鳴らされた。震災発生年の12月、市民有志のプロジェクトにより建立された鐘。被災から立ち上がるまちに清らかな音を響かせてきた。プロジェクトの八幡徹也代表は「あの日の情景はすぐに目に浮かぶ。これからも記憶をとどめ、次の世代に伝えていかねば」と意を強くした。
 
釜石仏教会による竹灯籠供養=釜石祈りのパーク

釜石仏教会による竹灯籠供養=釜石祈りのパーク

 
 朝から献花に訪れる人が続いた釜石祈りのパーク。夕方には釜石仏教会による竹灯籠供養が行われた。約1200個の灯籠で形作った「忘れない」の文字が、揺らめくろうそくの明かりで浮かび上がった。僧侶の読経に続き、遺族らが焼香。釜石、大槌、遠野の子どもたちによるバイオリン献奏が慰霊の空間をやさしく包んだ。同会の芝﨑恵応・仙寿院住職は「亡くなった人と共に生きていたこと、震災の教訓をいつまでも忘れないでほしい」と願った。
 
鎮魂の花火「白菊」と、海面を照らす「とうほくのこよみのよぶね」(写真:画面上で合成)

鎮魂の花火「白菊」と、海面を照らす「とうほくのこよみのよぶね」(写真:画面上で合成)

 
 日が落ちた根浜海岸。防潮堤や松林にキャンドルの明かりがともる中、今年も「海の祈りの風景」が広がった。海上には「3・11」の舟形あんどんが浮かび、午後7時、鎮魂の花火「白菊」が打ち上げられた。花火玉には市内3小中学校の児童生徒が寄せたメッセージを貼り付けた。「あの時3歳だった子は今年、中学を卒業する。みんなに守られ、懸命に生きてきた。津波で亡くなった親御さんも成長に安堵していると思う」。宝来館のおかみ岩崎昭子さんはそう言って、12年の時の重みをかみしめた。