タグ別アーカイブ: 防災・安全

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雪道へ早めの備えを! 釜石自動車道管理者ら冬タイヤ装着、安全運転などを呼び掛け

車両の冬への備えを呼び掛ける広報活動=16日

車両の冬への備えを呼び掛ける広報活動=16日

 
 高速道路の釜石自動車道(釜石―花巻間)を管理する国土交通省東北地方整備局南三陸沿岸国道事務所は、本格的な降雪シーズンを迎えるのを前に、冬タイヤ装着など早めの対策をドライバーに呼び掛ける。16日には、釜石市甲子町の「道の駅釜石仙人峠」駐車場で広報活動を行い、冬道への備えと事故防止への意識啓発を図った。
 
 県警高速道路交通警察隊釜石分駐隊が協力し、両機関の職員6人で活動。早めの冬タイヤ装着、積雪時のタイヤチェーン装着などを呼び掛けるチラシと、県内高速道路の冬の事故発生状況や走行時の注意点を記したチラシ(県警作成)をドライバーに配り、凍結や積雪対策、安全運転意識のさらなる高揚を促した。
 
広報活動は道の駅釜石仙人峠駐車場で行われた(一部画像処理)

広報活動は道の駅釜石仙人峠駐車場で行われた(一部画像処理)

 
 「タイヤ交換はお済みですか?」装着タイヤを確認する職員

「タイヤ交換はお済みですか?」装着タイヤを確認する職員

 
ドライバーにチラシを手渡し、早めの冬タイヤ装着、安全運転などを呼び掛けた

ドライバーにチラシを手渡し、早めの冬タイヤ装着、安全運転などを呼び掛けた

 
 チラシには県内の主な峠道で過去5年に最も早く初雪が観測された日を記載。釜石―花巻間では、釜石道花巻付近で11月19日、国道283号仙人峠では11月24日に観測されている。他にも、雪道での立ち往生対策としてスコップや携帯トイレ、毛布などの装備、大雪予想時は出控えや予定変更で危険を回避することも呼び掛けている。
 
 釜石道の冬季の事故は釜石仙人峠インターチェンジ(IC)―滝観洞IC間で多発。凍結路面でのスリップ(滑走)事故が多いという。同区間にはトンネルや橋が複数あり、日陰が多いため、路面が凍結すると解けにくい状況がある。特にも注意を促すのが洞泉橋。高い橋の下を風が通り抜け、路面が冷えるため、凍った状態が長く続くという。釜石分駐隊の菅原聖人隊長は「気温が低いと融雪剤も効きにくい。冬タイヤだからと過信せず、“ふんわりアクセル、ブレーキ”で安全運転を心がけてほしい」と話す。
 
雪道運転の注意点なども説明。お茶とティッシュも配った

雪道運転の注意点なども説明。お茶とティッシュも配った

 
 昨季(2022年11月~23年3月)の釜石道での交通事故は49件発生(釜石分駐隊調べ)。いずれも物損事故で負傷者はいなかったが、直近では22年2月に、樺トンネル(花巻市)内で滑走による死亡事故があり、1人が亡くなっている。
 
 同事務所によると、釜石道では昨季、仙人峠で最大29センチの積雪を観測。定められた基準に基づき除雪は行われるが、山間部では短時間で多量の降雪に見舞われる場合もあり、事前の道路情報の入手や十分に注意した走行が必要。また、同隊によると、釜石道では季節を問わず宮守IC―東和IC間での事故が多く、ドライバーにこまめな休憩も呼び掛けている。
 
「万全な冬道対策で交通事故回避を!」安全走行を呼び掛ける国、警察職員ら

「万全な冬道対策で交通事故回避を!」安全走行を呼び掛ける国、警察職員ら

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釜石市の震災記録誌「撓まず屈せず」完成 復興の過程、教訓「未来の指針に」

復興の道のりをまとめた釜石市震災誌「撓まず屈せず」

復興の道のりをまとめた釜石市震災誌「撓まず屈せず」

 
 釜石市は、東日本大震災を後世に伝える震災誌「撓(たわ)まず屈せず」を発刊した。野田武則市長、編さん委員会委員長の齋藤徳美岩手大名誉教授(地域防災学)が10日、市役所で完成を報告。被害状況、復旧・復興の施策や事業、課題をまとめた震災誌を手に、「未来の子どもたちへのメッセージであり、これから災禍に遭うかもしれない地域への教訓。災害の備え、応急・復旧対応の指針として大いに生かしてほしい」と望む。
 
 震災誌はA4判カラーで332ページ。▽いのちをつなぐ▽まちづくり▽くらし▽なりわい▽安心と安全―などの9部構成で、発災当日からの市民らの行動や復旧・復興の過程を記す。さらに、「災害対策本部の初動対応」「復興まちづくり基本計画の策定」「心のケア」といった61の項目ごとに事実、市に求められた役割、具体的な活動と結果、教訓を記述。有識者のメッセージやトピックス、市民の声も盛り込み、より理解が深まるよう工夫した。
 
市民の証言も教訓として添えられている

市民の証言も教訓として添えられている

 
 編さん委員会は2021年11月に発足し、市の震災検証に関わった大学教授や被災地域の住民、発災時から対応にあたってきた元市職員らで構成。市の庁内検証委員会が年度ごとにまとめてきた記録誌を基にまとめ、22年度内の完成を目指していた。発災から復旧、復興の歩みを体系的に記録し、得られた教訓を今後に生かしてもらうべく内容を精査。会合での協議、各種作業に時間を要し発刊時期が遅れていたが、今年10月にようやく完成した。
 
 第9部「未来のいのちを守るために」には、市内で1000人を超える犠牲者を出した検証、震災前から続く小中学校の防災教育の結果・検証などを記載。「災禍を繰り返さないために検証が不可欠。減災と復興の在り方に議論を続けて進化を」と教訓を示す。野田市長は「事実関係に加え、教訓もしっかり精査されている。ただ、教訓に関してはまだまだ議論の余地がある。読んだ人が考え、得られるものをつけ足していってもらいたい」と委ねる。
 
完成を報告する野田市長(右)と齋藤委員長

完成を報告する野田市長(右)と齋藤委員長

 
 「12年という一つの区切りにまとめができたのは非常に価値があった」と齋藤委員長。「自然災害は必ず発生する。災禍を繰り返さないためには、とにかく逃げる」と訴え続ける。震災では避難という基本に対する認識に個人差があったのか、大きな被害につながったとも指摘。「普段から、非常時の体制づくりを」と求める。そして、この震災誌に願いを込める。「未来への指針としてほしい」。巻末資料に索引がついており、市民の振り返りだけでなく、他市町村も参考にしやすい形を取り入れた。
 
 300部を発行し、市内の学校や図書館、国や岩手県の関係機関、復興応援を受けた自治体などに配布する。市役所(震災検証室)や市の出先機関(釜石地区を除いた生活応援センター)で販売(1部2000円、税込み)も。市ホームページでも無料で公開する。

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「悼む・忘れない・伝える」釜石・片岸町に震災大津波記念碑 待望の完成 教訓を確実に後世へ

片岸町に建立され、4日に除幕された「東日本大震災大津波記念碑」

片岸町に建立され、4日に除幕された「東日本大震災大津波記念碑」

 
 東日本大震災の津波で町内の8割が被災、33人が犠牲になった釜石市片岸町に、住民の思いが詰まった大津波記念碑が建立された。犠牲者を悼み、教訓を伝え、未来の命を守ろうと、片岸町内会(鈴木匠会長、121世帯)が建立実行委(委員長=鈴木町内会長)を組織し、実現に向け取り組んできた。津波で破壊された神社の鳥居、石橋を石材として活用。「人」の形に組んで地域の支え合いを表現するなど、デザインにもこだわった。住民だけでなく多くの人に立ち寄ってもらい、津波の教訓を感じ取ってもらうことを期待する。
 
 4日、記念碑の除幕式が現地で行われ、住民や関係者約80人が出席した。海に向かって黙とうをささげたあと、実行委の鈴木委員長(71)があいさつ。かさ上げを含む土地区画整理事業の長期化、新型コロナウイルス禍の影響で、これまで建立がかなわなかった経緯を説明した上で、「亡くなった人にみんなで手を合わせ、思い出す場が欲しかった。復興の象徴にもしたかった。未来につながる防災の決意をここで示していきたい」と碑に込めた思いを明かし、協力者に深く感謝した。町内の子どもらが除幕。完成した記念碑が姿を現した。
 
式の冒頭、海の方角に向かって震災犠牲者に黙とうをささげる出席者

式の冒頭、海の方角に向かって震災犠牲者に黙とうをささげる出席者

 
片岸町内の子どもたちの手によって記念碑の除幕

片岸町内の子どもたちの手によって記念碑の除幕

 
 同記念碑は片岸稲荷神社への上り口付近の私有地(永年貸与)に建立。横幅6.5メートル、奥行き2.5メートルの台座に据えられた。正面向かって左側に、津波で倒壊した同神社鳥居の笠木部分を組んだ「人」という字のモニュメント(高さ2.5メートル、花こう岩)を設置。中央の2本の石柱は鳥居の柱部分を使ったもので、1本は「東日本大震災大津波記念碑」と刻字、もう1本には町内の中高生6人が考えた未来に伝えたい教訓を名前と共に四方に刻んだ。右側の町民から寄付された石には、被害の概要と記念碑に込めた思いが文章で刻まれた。台座には神社の石橋だったものが使われた。
 
中央の石柱のうち1本には、中高生が考えた未来に伝えたい言葉が刻まれた(写真両端)

中央の石柱のうち1本には、中高生が考えた未来に伝えたい言葉が刻まれた(写真両端)

 
台座の右側に設置された碑文。石材は町民が寄付

台座の右側に設置された碑文。石材は町民が寄付

 
 建立された記念碑の近くには山裾に並ぶ形で、被災後に再設置された明治、昭和の三陸大津波の記念碑、江戸時代の神社関連の石碑群などもある。目の前には市が整備した片岸稲荷公園が広がり、同所は国道45号からも見通せる。
 
 式の中で町内に暮らす藤原菜穂華さん(大槌高1年)は震災の記憶がない、経験していない中高生が考えた言葉について「感慨深い。ぜひ見ていただきたい」と話し、「なぜここに記念碑ができたのか、一人一人が考えてくれたら」と思いを込めた。
 
上段:今回設置した記念碑の近くには昭和と明治の三陸大津波記念碑が並ぶ(右側)下段:記念碑は国道45号からも見える場所にある

上段:今回設置した記念碑の近くには昭和と明治の三陸大津波記念碑が並ぶ(右側)下段:記念碑は国道45号からも見える場所にある

 
左:遺族代表であいさつする山﨑長也さん(前片岸町内会長)右:中高生の言葉について思いを述べる藤原菜穂華さん

左:遺族代表であいさつする山﨑長也さん(前片岸町内会長)右:中高生の言葉について思いを述べる藤原菜穂華さん

 
 片岸町は市の北部に位置し、大槌町に隣接する。同震災で当時の住民662人のうち33人が犠牲になり、家屋252軒中199軒が被災した。前町内会長の山﨑長也さん(87)は妻トシさん(当時73)が行方不明のまま。式で遺族を代表してあいさつし、「(犠牲になった家族を)思い起こすたび心が定まらないが、碑ができたことで亡くなられた方、遺族の方々も幾分、心安らかになるのではないか。通りがかった方々も手を合わせていただければ」と願った。
 
 「間もなく(震災から)13年。これまでみんなでやってきたことがこれに凝縮されたような気持ち。一つのけじめができたと思う」と鈴木委員長。今回、町内5カ所の津波到達地点には「これより高台に逃げろ」と刻んだ石柱も設置した。総事業費は約200万円で、資金は住民や町内の団体からの寄付金で賄われた。
 
記念碑について出席者に説明する鈴木匠実行委員長(右)

記念碑について出席者に説明する鈴木匠実行委員長(右)

 
完成した記念碑に献花する出席者

完成した記念碑に献花する出席者

 
震災犠牲者の冥福を願い、祈りがささげられた

震災犠牲者の冥福を願い、祈りがささげられた

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お願い!火の用心 ちびっこ消防隊パレード 釜石・甲東こども園 予防運動に合わせ

「火の用心」を呼びかける甲東こども園の防火パレード

「火の用心」を呼びかける甲東こども園の防火パレード

 
 秋の火災予防運動が9日、全国一斉に始まった。暖房器具を使い始めたり、空気が乾燥したりするなど火災が発生しやすい時期を迎えたことから、15日までの期間中、釜石市内では消防署員や消防団など関係者が被害防止に向けた啓発活動に取り組む。開始を前にした2日には、野田町の甲東こども園(野田摩理子園長、園児120人)が「ちびっこ消防隊防火街頭パレード」を展開。園周辺の約1・5キロを回って「火の用心」を呼びかけた。
 
ちびっこ消防隊の行進を地域住民が見守った

ちびっこ消防隊の行進を地域住民が見守った

 
 防火パレードは今年で39回目。同園を運営する学校法人野田学園の佐藤猛夫理事長が「命を大切にするには、安全安心な生活が一番。心を込め、みんなで歩こう」と激励し、3~5歳児89人に職員や保護者を加えた約120人で元気に園を出発した。
 
 指揮者を先頭に、ポンポン隊、拍子木隊、防火の要点をプリントした手作りの「ちょうちんのお守り」を地域住民にプレゼントするちびっこ隊員が続いた。園児は、火の用心の歌に合わせて「戸締まりよーじん!火のよーじん!」と大きな声でアピール。消防署の広報車、消防団のポンプ車も隊列に加わって火災予防の意識啓発を図った。
 
役割分担しながら火災予防を呼びかける子どもたち

役割分担しながら火災予防を呼びかける子どもたち

 
住民らにお守りを手渡して「火の用心をお願いします」

住民らにお守りを手渡して「火の用心をお願いします」

 
 園に戻って「防火の集い」。園児代表が「火遊びはしません。みんなで気をつけます」と誓い、「マッチ一本、火遊び危ない 火事のもと」と消防標語に声を合わせた。釜石消防署の小林太副署長は「立派なパレード。火の用心という大切な心が地域の人たちに伝わったと思う。誓いを守って命を守れる大人になってほしい」と協力に感謝した。
 
地域を回って呼びかけした後は園庭で防火の集い

地域を回って呼びかけした後は園庭で防火の集い

 
火災予防の約束事を確認したり鼓隊演奏を披露したりした

火災予防の約束事を確認したり鼓隊演奏を披露したりした

 
 今回の火災予防運動では「火を消して 不安を消して つなぐ未来」を統一標語に掲げる。重点目標は▽住宅防火対策の推進▽乾燥時や強風時の火災防止▽放火対策の推進▽大勢が集まる催しの火災予防指導-など6項目。釜石署管内では新型コロナウイルス感染症の影響で戸別の防火訪問指導は中止するが、市消防団による防火広報活動や、年間を通して行う保育施設での防災教室、事業所の立ち入り火防点検・消防訓練は継続する。
  
 釜石署によると、市内で今年発生した火災はこれまで8件。前年同時期と比較すると多くなっているという。暖房器具の出番が増えるこの時期は全国的にも火災の発生が多い傾向にあり、「住宅用火災警報器の点検や更新(10年)の確認を。防火に努めてほしい」と注意を促す。

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届け!震災の教訓 釜石の小学生伝承者 活動着々 「もっと多くの人に」向上心ふつふつ

「津波てんでんこ」の大切さを伝える歌を披露する佐々木智桜さん

「津波てんでんこ」の大切さを伝える歌を披露する佐々木智桜さん

  
 東日本大震災の体験や教訓を語り継ぐ「大震災かまいしの伝承者」の佐々木智桜(ちさ)さん(鵜住居小4年)は19日、釜石市鵜住居町の津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で伝承活動を行った。3月にデビューし、今回が4回目の活動。企業向け研修での活動は初めてで、少し緊張しながらも津波避難で気をつけることや備えの大切さを訴えた。
  
 「東日本大震災は自分が生まれる前に起きたことですが、震災で何があったか、どうして命が助かることができたのか、たくさんの人にわかりやすく伝えたいです」。智桜さんがはっきりとした口調で思いを語った。
   
 耳を傾けたのは、防災設備メーカー能美防災(東京都)の社員ら約20人。企業研修の一環で、釜石市や陸前高田市などを巡って行政・民間による防災、復興まちづくりの取り組みに理解を深めている。今回、語り部には智桜さんを指名。学校の防災教育、小学生伝承者としての活動の思いに触れる機会にした。
  
企業研修で伝承活動を行う智桜さん

企業研修で伝承活動を行う智桜さん

  
 智桜さんは同館スタッフの母智恵さん(41)らの質問に答える形で、用意した原稿を読み上げながら伝承者になった理由や活動内容などを紹介した。「震災の3年後、2014年3月11日に生まれました」。その日は祖母と伯母の命日でもあり、2人のことを考えながら語り部活動を行っていると明かした。
  
 学校の防災教育について聞かれ、「毎月11日には命を大切にする日というのがあって…」と答えた智桜さん。そこでの活動として、「津波てんでんこ」の大切さを伝える歌を披露した。そして、締めくくりに強調したのは、父からの教え。「命が一番大事だということ。逃げるのが遅くなると命をなくしてしまうかもしれないから、災害が起きた時や起きそうな時は早く行動してほしい。地震が起きた時は何も持たなくていいから、とにかく逃げて。命さえあればいいんだよ」
  
歌で「てんでんこ」の大切さを伝えた

歌で「てんでんこ」の大切さを伝えた

  
 研修の参加者は、智桜さんのはきはきとした語りに引き込まれた様子で、「伝承者として勉強はどうしているか」「語り部は大変ではないか」などと熱心に質問。今後の活動や目標を聞くと、智桜さんは「英語でも伝えられるようになり、別の国の人に津波のことを教えたい」「防災士の資格も取って、もっといろいろ伝えられるようになりたい」と意欲を見せた。
  
 同社人事課の大野聖華さん(26)は、てんでんこの歌の「100回逃げても空振りばかり それでも今度も逃げるんだ」との歌詞が印象に残った。生活の中で「これくらいなら避難しなくてもいいかな」と思う時もあったと反省し、考えを改める機会に。「目で見て、話を聞き、体験しなければ分からないことが多いと感じた。約2000人の社員がいるが、個々の力の底上げにつながると思うので、学びの輪を広げられるようにしたい」と考えを巡らせた。
  
能美防災の社員らは熱心に耳を傾ける

能美防災の社員らは熱心に耳を傾ける

  
 釜石での研修は3年目。火災防災を主軸とした事業を展開しているが、近年は災害の要因が多様化、激甚化し、さまざまな災害への備えを事業に生かそうと続ける。防災士の資格を取った社員が臨んでいて、これまでの参加者は50人弱。新規事業のアイデアにもつながっているという。事務局を担った同社総合企画室の佐々木聰文(あきふみ)さん(47)は釜石出身。古里の教訓が次の防災に生かされると歓迎する。研修期間は5日間。「密な時間を共に過ごすことで、共通の物事を話せる仲間が増えている。この機運を高めていきたい」と継続を見据えた。
  
はにかみながら名刺を受け渡す智桜さん(右)

はにかみながら名刺を受け渡す智桜さん(右)

  
 智桜さんは3月以降、同館の展示案内などを行いながら伝承者として学びを伝えている。これまでは少人数のグループに対応していて、今回のようにずらりと座り込む大人十数人を前に語るのは、「緊張した」と目を大きくした。それでも「覚えてほしいことは伝えられた」と満足げ。名刺も作製し、伝承活動をさらにパワーアップさせる構えだ。

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いざという時のために!避難場所の確認 釜石・鵜住居地区住民「健康づくりも大事」

津波の緊急避難場所を確認しながら歩く参加者

津波の緊急避難場所を確認しながら歩く参加者

  
 釜石市・鵜住居公民館主催の防災ウオーキングは7日、鵜住居町内で行われ、市民ら約15人が津波災害緊急避難場所を歩いて巡った。「防災の日」(9月1日)にちなんだ企画で、同館の健康づくりを目的とした「すまいるウォーキング」事業とコラボ。いざという時に動けるよう足腰を鍛えつつ、より安全に命を守ることができる避難先を確かめた。
   
 この企画は昨年度も実施していて、今回は第2弾。岩手県が昨年公表した最大級の津波浸水想定を受けて、市が新たに指定した避難場所を知ってもらうのが狙いだ。公民館を発着点にし、県道35号(釜石遠野線)沿いにある4カ所の避難場所を巡る往復約5キロのコース。市防災危機管理課の川﨑浩二課長も同行し、参加者は場所設定の経緯や注意点などの説明を聞きながら歩いた。
   
防災ウオーキングで巡る鵜住居地区の津波災害緊急避難場所

防災ウオーキングで巡る鵜住居地区の津波災害緊急避難場所

  
鵜住居公民館そばの避難場所も確認しながら歩みを進めた

鵜住居公民館そばの避難場所も確認しながら歩みを進めた

   
 このうち、新田上ノ沢集会所近くにある麓山(はやま)神社境内への避難は約50段の階段を上る必要があり、参加者も体験。「はぁー、大変だ。どっこいしょ」とこぼしつつも、標高16メートルの高台ということに少し安心感を抱いた様子だった。設置されている防災備蓄倉庫も確認。スペースの都合などから備えられているのは最小限の非常食や防寒具などで、川﨑課長は「自分だったら緊急時に何を持って逃げるかをイメージしてもらえたら」と投げかけた。
   
町内で暮らすが「初めて来た」という人も多い麓山神社

町内で暮らすが「初めて来た」という人も多い麓山神社

  
避難の感覚を確かめながら階段を上がる参加者

避難の感覚を確かめながら階段を上がる参加者

   
 新たに避難場所に指定されたのは、日ノ神バス停の北側にある林道。なだらかな坂道が続いていて標高は16メートルあり、さらに上に向かうこともできる。公民館周辺の地区に住む川崎トシ子さん(80)は「車で通ることはあっても知らない場所ばかりだった。歩いたことで地域を知ることができた。震災の時は走れたけど、次はどうか…ウオーキングに参加して、みんなの力を借りながら何かの時に歩いて逃げられるようにしたい」とうなずいた。
   
鵜住居町で新たに指定された避難場所の目印はバス停

鵜住居町で新たに指定された避難場所の目印はバス停

  
東日本大震災時は参加者の背後にある建物付近まで浸水した

東日本大震災時は参加者の背後にある建物付近まで浸水した

  
 このバス停の南側は土地が低くなっており、一部が東日本大震災の津波で浸水した。新想定では、さらに約500メートル先まで浸水域が拡大。周辺住民の避難場所は2キロほど先にある養護老人ホーム五葉寮の駐車場となっている。より近い避難場所はあるが、1.5キロほど海側に戻る形になってしまう。そのため住民らから「距離がありすぎる。避難できる場所は1カ所でない方がいい」などと要望があり、市では中間に新たに設けることにした。
  
参加者は山道を歩いて避難ルートを確認した

参加者は山道を歩いて避難ルートを確認した

  
 川﨑課長は「避難場所の看板は目印であって、その場所一帯が逃げる場所だと考えてほしい。そこでも危険と感じたら、もっと上へ逃げて」と強調。同館の松下隆一館長も「避難の途中で緊急避難場所に間に合わないと感じた時は、無理にそこを目指すのではなく、近くにある山の方へ逃げて」と呼びかけた。
   
防災の学びと健康を手にして晴れやかな表情を見せる参加者

防災の学びと健康を手にして晴れやかな表情を見せる参加者

   
 防災の日にちなんだ取り組みは市内各地で展開。今月中には市職員の拠点避難所運営の確認訓練や町内会ごとの避難や炊き出し訓練、小中学校の合同訓練なども予定されている。
 
 

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「釜石市震災誌」10月下旬発刊へ 完成に向け作業大詰め 編さん委が最後の会合

第5回釜石市震災誌編さん委員会=4日、市役所

第5回釜石市震災誌編さん委員会=4日、市役所

 
 釜石市が2021年から作成に取り組んできた東日本大震災を後世に伝える震災誌「撓(たわ)まず屈(くっ)せず」が、10月下旬に発刊されることになった。4日、同誌編さん委員会(委員長=齋藤徳美岩手大名誉教授、委員15人)の最後の会合が市役所で開かれ、内容、構成などを大筋で承認。今後、文言の修正、レイアウトの変更など細かな調整を行い、完成を目指す。
 
 同震災誌は庁内検証委員会が年度ごとにまとめてきた記録誌を基に作成。発災当日、発災から1週間、1カ月の動きに加え、暮らしやなりわいの再建、復興まちづくり、未来の命を守るための取り組みなど9つの部で構成。61のテーマで事実や教訓を記述する。各部に有識者のメッセージ、トピックス、市民の声を入れ、より理解が深まるようにした。
 
 最終会合ではA4版(カラー)、300ページ超に編集された冊子体の原稿案を見ながら意見を交わした。事務局は、前回の会合で指摘された震災前の小中学校の防災教育の記述を充実させ、市内の津波記念碑(東日本大震災以前の津波含む)などの紹介ページを追加したことを説明。委員からは、当初掲げた震災誌の大きな目的「未来の災害から命を守る」ことに絡み、「他市町村が知りたい内容をすぐに入手できるよう、参考にしやすい(使いやすい)形に」という意見があった。外への発信を考慮し、地名の振り仮名記載、使用写真のクレジット、キャプションに関しても言及があった。
 
原稿案について意見を述べる委員

原稿案について意見を述べる委員

 
冊子の形になった釜石市震災誌原稿案を確認

冊子の形になった釜石市震災誌原稿案を確認

 
 野田武則市長は被災時、阪神・淡路大震災(1995年)の記録誌が役に立った経験を明かし、「釜石の教訓もきっと役に立つ部分があるだろう。さらに精査し、より良い形での発刊を目指したい」とした。
 
 21年11月に設置された同編さん委は、同市の震災検証、復興に関わってきた大学教授や被災地域の住民、発災時から対応にあたってきた元市職員らで構成。委員会内の作業部会が庁内検証委作成の素案の調整、修正などを担い、この日まで計5回の編さん委会合で内容や構成などを協議。発災から復旧、復興への10年の歩みを体系的に記録しながら、得られた教訓を今後に生かしてもらえるような震災誌を目指してきた。
 
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 「委員がこだわったのは、『未来の命を守るために』ということ」。齋藤委員長は発災から12年を経ての震災誌発刊について、「なぜ千人を超す犠牲が出たか、きちんと検証し反省した上で、次の災害への対策を講じてきたのが釜石市。そうした取り組みまでを記載する震災誌は他には例がない」と価値を示し、「願う形のものがようやく姿を現した」と完成までの最終調整に意欲を見せた。
 
 同震災誌は当初、22年度内の完成を目指していたが、各種作業に時間を要したため、発刊時期を遅らせていた。震災誌は300部作成し、市内の公共施設や学校、国、県の関係機関、復興支援で世話になった自治体などに配布する。入手を希望する個人には有料で対応する予定。

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釜石から届け…平和の願い 図書館長・読書サポーター 言葉でつなぐ戦争の記憶「やってはいけない」

戦災を題材にした作品の朗読会「わたしたちのことばで語る戦争の記憶」

戦災を題材にした作品の朗読会「わたしたちのことばで語る戦争の記憶」

  
 釜石市小佐野町の市立図書館(川畑広恵館長)で8月26日、戦災を題材にした作品を伝える朗読会「わたしたちのことばで語る戦争の記憶」が開かれた。ロシアのウクライナ侵攻など世界では戦火が収まらずに苦しむ人もいる中、「つらくても記憶、記録を語り継ぐことが大切。一緒に戦争と平和を考える機会に」と同館が企画。市民ら約20人が太平洋戦争中の戦禍を記した手記や紙芝居などに耳を傾けた。
   
 読み手は、市内の小学校などで活動する読書サポーター「颯(かぜ)・2000」のメンバー4人と川畑館長。広島、長崎の原爆手記や詩、東京大空襲を題材にした絵本など、戦争の悲惨さと人々の心情、平和への思いが伝わるものを選んで朗読した。
   
知ってほしい、伝えたい…読み手それぞれが思いを込め朗読した

知ってほしい、伝えたい…読み手それぞれが思いを込め朗読した

   
 釜石の戦災を伝える紙芝居「釜石の艦砲射撃」も披露された。米英軍による2度の艦砲射撃(1945年)を経験した故鈴木洋一さん(元教員、画家)が残した記録。暗くて狭い、そして暑い防空壕(ごう)の中で汗だくになりながら爆発音や衝撃に耐える様子、焼けた家々や砲弾によってあちこちに大きな穴ができた市街地の被害状況が生々しく描かれている。
   
 この紙芝居では、2011年の東日本大震災も「忘れられない日」として記す。そのうえで、「戦争は悲劇、愚かな罪悪だ。人の力ではどうにもならない自然災害とは違い、人間が引き起こすもの。絶対にやってはいけない」と訴える。そして、続く願い。「みなさんは平和を願う気持ちを忘れないで、持ち続けて」
   
紙芝居を通じて釜石艦砲射撃の様子を伝えた

紙芝居を通じて釜石艦砲射撃の様子を伝えた

  
朗読にじっと耳を傾ける市民ら。平和の尊さをかみしめた

朗読にじっと耳を傾ける市民ら。平和の尊さをかみしめた

   
 参加者の感想は「内容は悲しものだが、心に残る時間だった」「声で聴くと印象が違う」など。祖母とともに聞き入った佐久間桜音(おと)さん(唐丹小5年)は、長崎で「焼き場に立つ少年」を撮影した米国人カメラマンの手記が印象に残ったといい、「赤ちゃんが死に、お兄ちゃんが一人ではだしで歩いたりしたのかなと思うと…すごい」とつぶやいた。
   
 紙芝居の読み聞かせをした佐野順子さん(70)は「(鈴木さんは)悲惨な歴史を子どもたちに伝えようと読まれていた。その思いを届けられたかな」と思いをはせた。千田雅恵さん(61)は、広島の原爆で子を奪われた父母らの手記集「星は見ている」から、本のタイトルの由来にもなった手記を朗読。深い悲しみがにじむ文章に「気持ちを重ねた」と目頭を熱くした。
   
平和への願いを込め朗読した川畑館長(左)と颯・2000のメンバー

平和への願いを込め朗読した川畑館長(左)と颯・2000のメンバー

  
戦争と平和をテーマにした所蔵本がずらり。伝える取り組みを続ける

戦争と平和をテーマにした所蔵本がずらり。伝える取り組みを続ける

   
 同館では8月に戦争に関する図書展を開くなど語り継ぐ取り組みにも力を入れてきた。川畑館長は、並んだ本や資料を目にした幼児が「戦争って何?」「戦ったり焼けたり死んだり…だめだね」と何か感じた様子に驚いたと明かし、「続けることで、小さな まちの図書館から平和への願いを広められる」と確かな感覚を抱いていた。
 
 

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「憎む、代わりに愛を」 捕虜だった祖父 足跡たどり釜石に オランダから孫一家 つなぐ平和への思い

祖父の面影をたどり釜石を訪れたエローイ・リンダイヤさん(左)と家族ら

祖父の面影をたどり釜石を訪れたエローイ・リンダイヤさん(左)と家族ら

  
 第2次世界大戦中、釜石市の捕虜収容所に収容されたオランダ人のエヴェルト・ウィレム・リンダイヤさん(1908-81年)の孫で、投資家のエローイ・リンダイヤさん(58)が21日、家族と共に来釜。市郷土資料館や収容所跡地などを訪ね、祖父の足跡をたどった。
   
 ウィレムさんは1942年にオランダ領のインドネシアから捕虜として釜石市に送られた。甲子町にあった大橋捕虜収容所(正式名称・仙台俘虜[ふりょ]収容所第四分所)を主として生活し、機械整備などに従事。医学の知識があったため、大橋のほか港町にあった釜石捕虜収容所(同仙台俘虜収容所第五分所)の診療所で病人の治療などにも当たった。45年9月に解放され、釜石港から帰国の途に就いたとされる。
   
 当時の過酷な捕虜生活を妻子にあてて日記形式でつづっていたというウィレムさん。この手記を保管していたのが息子ウィムさん(1936-2013年)で、2000年に「ネルと子供たちにキスを―日本の捕虜収容所から」として発刊している。父の足跡を訪ねるため、ウィムさんは1995年からたびたび来釜。学校などで講演も行い、平和の大切さを訴えていたという。
  
捕虜生活中のウィレムさんがつづった日記の翻訳本「ネルと子供たちにキスを」

捕虜生活中のウィレムさんがつづった日記の翻訳本「ネルと子供たちにキスを」

   
 今回訪れたエローイさんはウィムさんの息子で、釜石を訪れるのは2度目。家族の歴史を知ってもらおうと、妻シャウケ・オーシティンディさん(59)や長男エリオットさん(20)、長女ロザリンデさん(15)を伴い休暇を利用し来日、釜石へ足を延ばした。
   
 鈴子町の市郷土資料館では、「ネルと~」の発刊のため、日本語翻訳に協力した市国際交流協会の加藤直子さんらが案内。当時の収容所の写真やウィムさんが釜石を訪れた際の写真などに見入った。
 
郷土資料館で祖父の足跡を確認するエローイさん一家

郷土資料館で祖父の足跡を確認するエローイさん一家

 
資料館が用意した資料。右上の写真がウィレムさん。来釜時のウィムさんの写真もある

資料館が用意した資料。右上の写真がウィレムさん。来釜時のウィムさんの写真もある

  
 エローイさんは父ウィムさんを思い出した様子。「かつては日本人を心の底から憎んでいた」と聞いたこともあったが、釜石の学校でスピーチをする時に「あなたたちを憎んでごめんなさい。憎む代わりに尊敬し、愛することを学んだ。和解したい。心の底から言えることだ。それが母の願いだから」と語っていたという。記憶をたぐり、自分にも言い聞かせるようにこう続けた。「祖母ネルは『日本人を恨んではいけない。憎しみから戦争が起こるから。憎むのはやめ、許しましょう。和解するように。日本人を愛しなさい』と生前父に伝えていた」。そうした願いを若い世代につなぐ。
   
 市役所で平松福壽副市長らと懇談した。エローイさんは来訪の目的などを伝え、市側は艦砲射撃という戦災の歴史をつなぐ活動を説明。つらく悲しい歴史を経て、笑顔で交流できる平和への思いに共感した。
 
市役所で市職員らと懇談。平和への思いを共有した

市役所で市職員らと懇談。平和への思いを共有した

 
「サン、ニー、イチ、カマイC(シー)」と記念撮影

「サン、ニー、イチ、カマイC(シー)」と記念撮影

  
 その後、港町に移動。市文化振興課の手塚新太さんや同協会の和田竹美さんの案内で収容所跡地や釜石港を見て回った。「祖父は何も分からない状態でここにいた…」と思いをはせるエローイさん。戦後、まちを再興した釜石の人々の生きる力も感じながら、「あのような過ちを繰り返してほしくない。子どもたちがファミリーヒストリーを知ることで、平和や自由のありがたさを感じてほしい」と望んだ。
  
 家族の歴史に触れたエリオットさんは「この場には何もないが、曽祖父は確かにここにいた。若い世代が立ち止まって、曽祖父たちが経験したことを考えてみることが大切だ」と受け止めた。ロザリンデさんは「当時の写真を見たり、跡地に来てみて、曽祖父がどんな経験をしたのか理解できたように思う。日記をしっかり読みたい。もっと歴史を知りたい」と思いを深めた。
  
収容所があったとされる港町の現地を確認した

収容所があったとされる港町の現地を確認した

 
収容所跡地周辺で市職員らから説明を受けた

収容所跡地周辺で市職員らから説明を受けた

 
解放された捕虜らが帰国の途に就いたとされる釜石港

解放された捕虜らが帰国の途に就いたとされる釜石港

   
 一行は甲子町の戦跡も巡った。市によると、捕虜収容所2カ所に収容された外国人は計746人。収容中に病気などで33人、艦砲射撃で32人が亡くなっている。

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戦地からふるさとへ 出征兵士がつづったはがき 釜石・郷土資料館で公開 9/3まで戦災企画展

戦地から届いたはがきの拡大パネルなどを展示する企画展=釜石市郷土資料館

戦地から届いたはがきの拡大パネルなどを展示する企画展=釜石市郷土資料館

 
 今日8月9日は太平洋戦争で釜石市が2度目の艦砲射撃を受けた日。市内では戦没者を追悼し、平和を祈念する式典が開かれた。市民らが寄贈した戦争関連の資料を収蔵する市郷土資料館(佐々木豊館長)では今、戦災企画展を開催中。今年は軍事郵便にスポットをあて、出征兵士が家族や近親者に送ったとみられるはがきを中心に公開。戦地と内地をつなぐ郵便が果たした役割を伝える。
 
 同館企画展示室で、新たに寄贈された資料を含め119点を公開。戦地から送られた軍事郵便30点は一部を拡大パネルにして展示する。はがき表面の宛先には当時の上閉伊郡鵜住居村、同栗橋村、東浜町(現東前町)などとあり、各地から出征したとみられる兵士が所属部隊名とともに名前を記している。意外にも裏面はカラーの絵はがきになっているものが複数。文面から家族や近親者に宛てたものと分かる。
 
 表面に検閲印が見られるように、兵士が書いたはがきや手紙は所属する中隊ごとに検閲を受けなければならず、戦争を否定する文言や弱音はご法度。文面は「元気でご奉公している。安心してください」といった、家族らを心配させまいとする内容が多く、逆にふるさとで働く家族らの体を気遣う言葉がつづられる。
 
「検閲」の印が押された軍事郵便。文面は厳しくチェックされた

「検閲」の印が押された軍事郵便。文面は厳しくチェックされた

 
出征した兵士がふるさとに残る家族らを気遣う様子が文面から読み取れる

出征した兵士がふるさとに残る家族らを気遣う様子が文面から読み取れる

 
漫画のような絵が描かれたカラーのはがきも…

漫画のような絵が描かれたカラーのはがきも…

 
 軍事郵便は1894(明治27)年に軍事郵便取扱細則で定められたもので、戦地ではその取りまとめを行う野戦郵便局が各地に開設された。戦地から送る場合は無料。その費用を賄うため、有料だった内地からの手紙の送付が奨励された。戦時下で同郵便は戦地と内地をつなぐ唯一の手段で、生存確認の意味も持っていた。2度の艦砲射撃を受けた釜石は多くの軍事郵便も失われており、展示品は同市にとっても非常に貴重な資料となっている。
 
 戦地の兵士を励ますために内地からは「慰問袋」が送られた。家族のほか国防婦人会が衛生用品や薬品、たばこ、食料品などを袋詰めし、兵士を鼓舞、慰労する「慰問文」を添えて発送。企画展では送られた物品の一例などが紹介される。「私は慰問袋がなかったら生まれていませんでした」。同館を訪れた人が発した言葉―。その方の両親は慰問袋が縁で知り合い、結ばれたという。
 
戦地に送られた慰問袋と慰問文について解説する展示

戦地に送られた慰問袋と慰問文について解説する展示

 
 釜石が受けた2度の艦砲射撃では782人が犠牲になった(2023年度市調べ)。砲撃があったことは新聞やラジオで全国に報じられ、当時の小野寺有一市長の元には1回目の被災後、見舞いや激励のはがきが相次いだ。後に内閣総理大臣に就任する鳩山一郎氏(東京都)、本県出身の外交官・政治家の出淵勝次氏からのはがきもある。展示ではこれらのはがきに加え、戦後の復興にまい進した小野寺市長の日誌も公開される。
 
1回目の艦砲射撃の後、当時の釜石市長に届いたはがき。鳩山一郎氏からのはがきも(左上)

1回目の艦砲射撃の後、当時の釜石市長に届いたはがき。鳩山一郎氏からのはがきも(左上)

 
戦後の市民生活の安泰に力を尽くした小野寺有一市長についても紹介

戦後の市民生活の安泰に力を尽くした小野寺有一市長についても紹介

 
 同館職員の川畑郁美さんは「毎回テーマを替えて開催するが、いつも思うのは、どれだけ戦争が残酷で悲惨なものだったかということ。戦争を体験していなくても、私たちは後世に伝えていかねばならない。残された資料は未来につなぐ一助になるはず」と企画展開催の意義を示した。
 
出征兵士の無事を願う日章旗と千人針が施された衣類

出征兵士の無事を願う日章旗と千人針が施された衣類

 
 郷土資料館企画展「戦時下の便り-釜石(ふるさと)想う軍事郵便-」は9月3日まで開催。開館時間は午前9時半から午後4時半まで(最終入館:午後4時)。火曜休館(8月15日は臨時開館)。

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じかに見て、音で体感 事故の怖さ スタントマンが再現 釜石中で交通安全教室

交通ルールを無視した自転車と自動車の衝突事故を再現するスタントマン

交通ルールを無視した自転車と自動車の衝突事故を再現するスタントマン

  
 プロスタントマンによる自転車の交通安全教室が4日、釜石市中妻町の釜石中(齊藤雅彦校長、生徒289人)の校庭で開かれた。事故の恐怖を直視することで交通安全意識を高める「スケアード・ストレート」という教育技法を用いて実施し、全校生徒が参加。事故の恐ろしさを目の当たりにし、交通ルールを守る大切さを再認識した。
  
 同教室は中高生の交通ルール順守と自転車の安全利用のための教育の一環。本年度は岩手県内の4校で実施。釜石での開催はJA共済連、JAいわて花巻、釜石警察署(田中洋二署長)が連携した。
  
自転車のさまざまなルール違反の実演では笑いを誘う場面も

自転車のさまざまなルール違反の実演では笑いを誘う場面も

  
「ドン」。事故が再現されると目や耳を覆う生徒もいた

「ドン」。事故が再現されると目や耳を覆う生徒もいた

  
 映画やテレビドラマなどで活躍する「シャドウ・スタントプロダクション」(東京)のスタントマンが、自転車と車、歩行者と車、自転車同士など、車の陰や見通しの悪い交差点での衝突事故を再現。「ドン」と大きな衝撃音が響いて人が弾き飛ばされたり、車のボンネットにはね上げられたりすると、生徒たちから驚きの声が上がった。
  
 悪い事例を再現した後に、生徒に協力してもらって正しい模範例を示して対比する場面も。自転車について、携帯電話の使用や傘を差しながらの運転、並走運転の危険性などを説明し、「小さなルール違反が大きな事故につながることもある」「ルールを守れば、ルールがみんなを守ってくれる」「自転車は車両の仲間。被害者にも加害者にもなる」などと、安全に利用するための心構えを伝えた。
  
事故の再現(写真左)の後に模範例を示して自転車の安全な乗り方を伝えた

事故の再現(写真左)の後に模範例を示して自転車の安全な乗り方を伝えた

  
 学区の広い同校では約100人が自転車通学をしている。本年度、自転車安全利用と鍵かけ推進のモデル校に指定されており、ヘルメットの着用など安全対策に取り組んでいる。定内町から片道20分ほどかけて自転車で登下校する加藤大翔(やまと)さん(2年)は「事故の再現を見て、怖いと思った。事故にあったことはないが、恐ろしさを実感。ルールを守ることは自分だけでなく、相手の命も守ることができると分かった。安全運転を心がける」と気を引き締めた。
  
自転車同士の衝突事故を再現。大きな衝撃があることを認識した

自転車同士の衝突事故を再現。大きな衝撃があることを認識した

  
交通ルールの順守や自転車の安全利用への意識を高めた生徒ら

交通ルールの順守や自転車の安全利用への意識を高めた生徒ら

  
 田中署長は総評で、「今年、釜石管内では大小300件の交通事故が発生し、事故には相手がいることから600人が事故に関係していると思われる。毎日1、2件発生しているという状況。夏休みを控えてワクワクしていると思うが、気を抜かず交通安全に気をつけてほしい」と注意喚起。特に守ってほしいこととして、▽歩きスマホはしない▽自転車に乗りながらのスマホもやらない▽ヘルメットはしっかり着用する―の3つを強調した。
 
 
 

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危険がいっぱい!道路横断・車の運転 双葉小児童と祖父母ら、ゲーム感覚で体験 一緒に守る交通安全/釜石

シミュレーターを使い、道路の横断を疑似体験する参加者

シミュレーターを使い、道路の横断を疑似体験する参加者

  
 孫となら積極的に参加するはず―。児童とその祖父母らが一緒に学ぶ交通安全教室が6月26日、釜石市新町の双葉小(及川美香子校長、児童130人)で開かれた。高齢者の交通事故防止に向け、同校と釜石警察署(田中洋二署長)が初企画。道路横断シミュレーターの体験や県警音楽隊によるコンサートを楽しみながら、安全意識を高め合った。
  
 2年生(20人)、3年生(19人)の祖父母や地域のお年寄りに呼びかけしたところ、合わせて約40人が参加。児童と一緒に道路横断の危険予測や運転者の模擬体験に挑戦した。歩行を疑似体験する祖父母らは車や自転車との距離感がつかめなかったり、天候や時間帯によって視界が異なったりして事故が多発。寄り添った児童が「止まった方がいいよ。(信号が)赤だよ」などと声をかけ、注意を促す場面もあった。
  
画面に映し出される情報を基に道路横断を疑似体験

画面に映し出される情報を基に道路横断を疑似体験

  
 体験したお年寄りたちの多くは進行方向だけ見ていたり、左右の安全確認をする際に首を動かす角度が小さかったり。署員は「まっすぐな道は見通しが良くても危険は潜んでいるので、気を付けてほしい。(歩行者側が)青信号でも車が来ていることもあるので、左右を確認しながら渡ってください」と呼びかけた。左右を見た“つもり”ではなく、「首をしっかり振って安全確認を」と強調。トラックの内輪差の危険性、余裕を持った車の運転など心構えについても繰り返し説明した。
  
 交通安全ふれあいコンサートではアニメや映画のテーマ曲、歌謡曲など多世代に耳なじみのある曲が披露された。隊員による寸劇もあり、本年度から努力義務化された自転車利用時のヘルメット着用を呼びかけ。生演奏に乗せて「守ろう交通ルール」という意識づけを図った。
  
楽しい音色に乗せて交通安全を呼びかける県警音楽隊

楽しい音色に乗せて交通安全を呼びかける県警音楽隊

  
 千鳥町の佐々木敬二さん(72)は「前ばかり見て歩いているのが分かった。普段歩いていて、ヒヤッとする場面になることもあるので気をつけたい」と再認識。「おじいちゃんと一緒で楽しかった。『危ないよ』といって守った」と笑う孫の斉藤碧星(あおと)君(3年)を見つめて、「こういう機会があれば参加するな」と実感を込めた。
  
教室では子どもと地域のお年寄りが一緒に交通安全を確認した

教室では子どもと地域のお年寄りが一緒に交通安全を確認した

  
 高齢化率(65歳以上)が40%超となっている釜石市。釜石署管内では2022年に37件の人身事故が発生している。うち65歳以上が起因となったのは8件で、全体の約22%。交通死亡事故は3件あり、うち2件が65歳以上の高齢者だった。高齢者の安全対策、意識づけが重要となり、その取り組みの一つが交通安全教室。積極的な参加が大事になるが、同署によると「教室を開いても集まりがよくない」「消極的で効果が薄い」など課題が多いという。
  
 そんな中、及川校長が「孫と一緒ならば、きっと積極的に参加する」と提案し、同署が意見をくみ取って形にした。大倉德誌副署長は「高齢者の集まりもよく、印象に残る教室になったようだ。他校にも協力をお願いし、市内全域に広がる取り組みにしていければ」と手応えを得た。