震災当時に子どもたちが避難した経路を歩く参加者
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた釜石市で、当時の小中学生が命を守り抜いた避難行動は「釜石の出来事」として知られる。そこで生かされたのは、市内の学校で取り組んでいた防災教育だった―。観光地域づくり法人「かまいしDMC」(河東英宜代表取締役)は、鵜住居町の子どもたちの避難行動にスポットを当てた体験プログラムを提供しており、体験者らの評価に好感触を得る。このほど、内容を英語対応させた研修プログラムを用意し、外国人団体の受け入れを始めた。
初回は21日。アジアのリーダー人材育成を手掛けるIATSSフォーラム(三重県)の研修の一環として実施した。参加したのは、カンボジアやインド、ラオス、マレーシアなど10カ国の約20人。大学講師や医師、大使館職員、行政関係者など地域の将来を担う若者たちで、災害を乗り越えて新たな地域づくりに挑戦する人たちの姿や教訓を学び、災害への対応力やリーダーシップを磨いてもらうのを狙いにしている。
根浜シーサイドで行われた釜石の出来事などを学ぶ体感ワーク
鵜住居町の根浜海岸にある観光施設「根浜シーサイド」では、釜石の出来事や釜石東中の防災教育をひもとく体感ワークを実施。震災発生時の東中の状況を記した資料は全て英訳され、通訳も配置した。当時、東中2年生だったDMC社員川崎杏樹さん(27)=いのちをつなぐ未来館勤務=らが解説。参加者たちは「限られた時間で正しい判断を下さなければ全員の命に関わるという緊迫した状況の中、職員室に寄せられる多くの情報を基に、どのような避難指示を出すべきか」などを学校責任者の立場になって考えた。
川崎さんの案内で、実際の避難ルートもたどった。学校があった現在の釜石鵜住居復興スタジアムから恋の峠まで、当時の避難行動を追体験。「目の前で津波を見るというぎりぎりの場面もあり、リアルに死ぬかもしれないと感じた。助かることだけを考えて高台を目指した」などと経験者、川崎さんの話を聞きながら、子どもたちが命をつないだ道を歩いた。
鵜住居町の子どもたちが避難したルートをたどる参加者
津波避難の実践も。根浜地区の高台を目指して走った
プログラムの終わりは、津波避難の実践。根浜シーサイドから近くの高台を目指して、坂道を駆け上がった。参加者から聞こえてきた声は「Hurry Up(急いで)!」「Mountain(山)」「てんでんこ、OK」。研修の中で記憶したキーワードを掘り起こし、判断して行動していた。インドネシアから参加したファラ・ヴァウジアさん(34)=バンダン技術専門学校講師=は「時間が限られる中でいかに選択することが大事かを学んだ。自国に持ち帰り、学生や家族、地域に伝える」とうなずいた。
津波避難の事例から課題対応力などを磨いた参加者
かまいしDMCによると、今後も数件の受け入れが予定されているとのこと。自然災害が相次ぐ中、国際的な防災意識の高まりもあり、多言語化への対応を視野に入れながら釜石の防災教育を発信していく考えだ。