タグ別アーカイブ: 防災・安全

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林野火災の空中消火を想定 釜石市で消防・県防災ヘリ隊員が合同訓練 空と陸の連携強化へ

釜石大槌消防本部と県防災ヘリコプターによる林野火災対応訓練=22日

釜石大槌消防本部と県防災ヘリコプターによる林野火災対応訓練=22日

 
 釜石大槌地区行政事務組合消防本部(大丸広美消防長)は22日、県防災航空隊と合同で林野火災対応訓練を行った。防災ヘリコプターによる空中消火を想定し、給水を行う地上部隊の資機材の取り扱い、ヘリとの無線交信、実際の散水などを行い、早期鎮圧・鎮火のための連携を確認した。空気の乾燥、入山機会の増加などで山林火災が発生しやすい春を迎えるのを前に実施した。
 
 訓練は釜石市片岸町の片岸公園を拠点に行われ、両機関から約40人が参加。地上部隊は釜石消防署の若手署員らが訓練に臨んだ。同航空隊が運用する防災ヘリ「ひめかみ」が到着すると、隊員らが空中消火に使用する消火バケットの組み立て方を署員に説明。重さ80キロのバケット(容量1200リットル)を署員らが2つ組み立て、待機していた水槽車からホースで給水した。
 
県防災航空隊の隊員が空中消火で使う資機材の扱い方を説明

県防災航空隊の隊員が空中消火で使う資機材の扱い方を説明

 
消火バケットの組み立てを体験する釜石消防署の署員ら

消火バケットの組み立てを体験する釜石消防署の署員ら

 
水槽車からホースを引いてバケットに給水する訓練

水槽車からホースを引いてバケットに給水する訓練

 
 今回はバケットに500~700リットルの水を積み、鵜住居川で6回散水。地上部隊は人員を入れ替えながら一連の作業を体験した。地上の指揮隊はヘリとの無線交信訓練を行った。県内では昨年、空中消火の水が地上で活動する消防団員にあたり大けがをする事故があり、空中と地上の連携強化を念頭に訓練した。消防長ら現場指揮者が搭乗しての上空偵察訓練も行った。
 
ヘリコプターから降ろしたワイヤーにバケットを装着し、つり上げる

ヘリコプターから降ろしたワイヤーにバケットを装着し、つり上げる

 
地上の指揮隊はヘリとの無線交信訓練も行った

地上の指揮隊はヘリとの無線交信訓練も行った

 
この日の訓練では鵜住居川に散水。釜石の隊員らは広範囲に対応可能な空中消火への理解を深めた

この日の訓練では鵜住居川に散水。釜石の隊員らは広範囲に対応可能な空中消火への理解を深めた

 
 ヘリを誘導するマーシャルを担当した釜石署の消防士・大津果穂さん(22)は防災ヘリとの訓練は初めての経験。「安全管理の重要性を再認識した。一つ一つの訓練を大切にして、学んだことを自分の業務に生かしたい」と気を引き締めた。
 
 県内各地の消防機関から派遣された隊員10人で編成する県防災航空隊には、2021年度から釜石大槌消防本部の佐藤友伍さん(39)が所属。本年度から副隊長を務めている(同本部初)。今回の訓練で地元の消防隊員には「空中消火の有効性を理解し、ヘリ特有の緊迫感、強風と騒音下での活動を体感してもらいたかった」といい、両者の連携強化に手応えを実感。航空、地上の両部隊が活動を共にする現場では「相互の活動を理解し、情報共有や活動調整を行う必要がある」とした。
 
 同市では2017年5月に尾崎半島で発生した大規模林野火災以降、山林火災は起きていない。大丸消防長は「誰でも現場作業にあたれるよう、訓練で経験を積むことが大事。新しい職員も今日はしっかり訓練できていた」とコメント。これから山林火災が発生しやすい季節を迎えることから、一般市民に向けても「山に入って火を使うことは極力避け、入山前後にも十分気を付けてほしい」と火災防止への協力を願った。
 
 市内では今年に入り4件の建物火災が発生している。家庭や職場でも今一度、火の元の確認を十分に行うことが必要だ。

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大震災かまいしの伝承者 9歳小学生・佐々木智桜さんが初仕事 教えられたことをみんなにも「命さえあれば良いんだよ」

「大震災かまいしの伝承者」として初仕事に臨んだ佐々木智桜さん

「大震災かまいしの伝承者」として初仕事に臨んだ佐々木智桜さん

  
 釜石市鵜住居町の津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で19日、東日本大震災の体験や教訓を語り継ぐ「大震災かまいしの伝承者」として、鵜住居小3年の佐々木智桜(ちさ)さん(9)が“初仕事”をした。「命が一番大事。何も持たなくていいから、とにかく逃げて」。市内で最年少の伝承者・智桜さんは大きな声でそう訴えた。
  
 この伝承者の制度は市が2019年度に始め、研修を受けた人を認定している。智桜さんは、未来館に勤める母の智恵さん(40)と昨年12月に受講。地震や津波のメカニズム、釜石で震災時に起きたことを学び、2人で伝承者となった。現在74人が認定されているが、震災後生まれは智桜さんだけだという。
  
 智桜さんは偶然にも、2014年3月11日生まれ。3年前の同じ日、祖母と伯母が津波の犠牲になった。5歳まで仮設住宅で暮らし、家族や近所の人たちから体験を聞いたり、震災は身近だった。そして昨年の冬頃、智恵さんが未来館で働き始めたことも「伝承者になりたい」との気持ちを大きくした。「自分でも伝えてみたい」
  
本番を前に先輩語り部の川崎さん(右)に進め方を確認する智桜さん(中)

本番を前に先輩語り部の川崎さん(右)に進め方を確認する智桜さん(中)

  
「命が一番大事」。原稿につづった伝えたいことを読み上げる智桜さん(左)

「命が一番大事」。原稿につづった伝えたいことを読み上げる智桜さん(左)

  
 この日は、未来館職員で語り部の川崎杏樹(あき)さん(26)の質問に答える形で、用意してきた原稿を読み上げながら伝承者になった理由や災害の時に気を付けてほしいことを伝えた。
  
 「たくさんの人に分かりやすく伝えたい。命が一番大事だということ。逃げるのが遅くなると命を無くしてしまうかもしれないから、早く行動してほしい」
「地震が起きた時は何も持たなくていいから、とにかく逃げて。命さえあれば良いんだよ、とお父さんに教えてもらっています。みんなにも伝えたい」
  
 来場者に、はきはきとした元気な口調で伝えた智桜さん。川崎さんに目標を聞かれると、「震災は自分が生まれる前のことなので、もっとくわしく勉強したい。英語でも伝えられるようになりたい。別の国の人にも津波のことを教えたいです」と前を向いた。
   
 智桜さんの話を聞いた鵜住居小6年の千葉心菜(ここな)さん(12)は「自分より年下なのに…すごい。防災学習を真剣にやっていると思った。見習いたい。いざという時に周囲に声をかけて命を救えるよう努力したい」と刺激を受けていた。
  
来場者は智桜さんの語り部にじっくりと耳を傾けた

来場者は智桜さんの語り部にじっくりと耳を傾けた

  
智桜さんも、智恵さんの読み聞かせをじっと見つめた

智桜さんも、智恵さんの読み聞かせをじっと見つめた

  
 今回の語り部は、未来館を含めた三陸鉄道鵜住居駅前の公共施設「うのすまい・トモス」の開館4周年イベントに合わせて実施。震災当時釜石小に勤めていた及川美香子さん(現釜石・双葉小校長)が釜小の防災教育について、智恵さんは釜石の子どもたちの避難行動を題材にした絵本「はしれ、上へ!」の読み聞かせを行い、智桜さんは先輩伝承者たちの姿をじっと見つめ、伝え方を学び取っていた。
   
「緊張したけど、ちゃんと伝えられた」と笑顔を見せる智桜さん

「緊張したけど、ちゃんと伝えられた」と笑顔を見せる智桜さん

   
 初仕事を終えた智桜さんに出来を聞いてみると、「100点満点」と明るい笑顔が返ってきた。「人の心に残るような文を入れられる語り部になりたい。(聞いた人に)防災意識をもっと高めてもらいたいなあ」とも。智恵さんは「心配したけど、大きい声を響かせて、しっかりと伝えられていた。それでもまだ勉強不足。智桜が伝えたい、続けたいという思いを持ち続ける限り尊重したい。2人で頑張っていこうね」と見守った。
  
出番を終え、友達と遊ぶ智桜さん(左)。明るい笑顔が印象的

出番を終え、友達と遊ぶ智桜さん(左)。明るい笑顔が印象的

 

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命を守る教育 本と追体験で発信 全児童津波逃れた釜石小・卒業生ら 防災教育大賞受賞

野田武則市長(左)に受賞を報告した加藤孔子さん(中)と寺田恵美子さん

野田武則市長(左)に受賞を報告した加藤孔子さん(中)と寺田恵美子さん

 
 東日本大震災時、釜石小児童は学校管理下になかったものの、各自の判断で津波から逃げ、184人全員が助かった。なぜ命を守れたのか―。児童らの避難行動や判断する力となった同校の防災教育をまとめた伝承本をつくってみた。あの時の避難経路を、震災を知らない子どもたちとたどる活動もやってみた…。同校の卒業生と当時の教職員有志でつくる「2011team(チーム)釜石小ぼうさい」(加藤孔子代表)が、体験を風化させまいと取り組みを進めている。こうした次世代につなぐ活動が評価され、「防災教育チャレンジプラン」(内閣府など主催)で2022年度の防災教育大賞を受賞した。
 
 全国12団体が取り組む中、2月11日にウェブ報告会が開催され、最高賞に選ばれた。震災発生時に同校の校長だった加藤さん(65)と、統括地域コーディネーターとして同校で活動する寺田恵美子さん(60)が3月17日に釜石市役所の野田武則市長を訪ね、受賞を報告した。
 
伝承本「このたねとばそ」を紹介する加藤さん(左)と寺田さん

伝承本「このたねとばそ」を紹介する加藤さん(左)と寺田さん

 
 チーム釜小は昨夏、同校の防災教育を全国に発信し未来に残すため、伝承本「このたねとばそ」(A4判、83ページ)を製作した。▽08年に始めた下校時避難訓練などの防災教育▽あの日、自己判断で避難した児童の証言▽震災直後に学校再開に奔走した教職員の対応-などの詳細を記録。市内の小中学校に届けたほか、加藤さんが名誉館長を務める鵜住居町の「いのちをつなぐ未来館」でも限定配布した。
 
 そして、大津波を生き抜いた同校卒業生が当時の避難行動を語り、小学生に実際に体験してもらうフィールドワークも実施。話を聞いた小学生に、避難の判断ができた理由や自分たちにできることを話し合ってもらったりした。震災を経験していない世代が増える中、子どもたちに学びや気付きという“たね”を植え付ける機会にした。
 
昨年8月に行った震災伝承フィールドワーク

昨年8月に行った震災伝承フィールドワーク

 
釜小卒業生の話を聞いて児童が話し合う活動も

釜小卒業生の話を聞いて児童が話し合う活動も

 
 加藤さんは「大変な津波を生き抜いた子どもたちの判断、行動を何とかして発信したかった。思いがけない受賞で、すごく驚いた。種が全国に飛んだのかな…。受賞もまた発信になる。震災を知らない人たちに語り継ぎ、バトンをつないでいきたい」と意欲を強めた。
 
 野田市長は「年数がたつと風化するが、きちんと次の世代につなげなければいけない。学校現場や社会の中で頑張り、取り組みの裾野を広げてほしい」と期待した。

 

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歌で伝える震災「釜石あの日あの時甚句」 10作目「未来の孫へ」制作 後世につなぐ活動継続へ

 「釜石あの日あの時甚句」で震災を伝える藤原マチ子さん(左)と北村弘子さん

「釜石あの日あの時甚句」で震災を伝える藤原マチ子さん(左)と北村弘子さん

 
 東日本大震災の出来事や教訓を相撲甚句の節に乗せて伝える「釜石あの日あの時甚句」。自ら作詞し、市内外で披露してきた釜石市の藤原マチ子さん(70)、北村弘子さん(70)が、震災犠牲者の十三回忌の節目に新作を発表した。10作目で、題名は「未来の孫へ」。命を守る大切さ、感謝する心、平和への願い…。千年後の子どもたちに今、“残したい思い”を歌詞にちりばめた。
 
 藤原さんが作詞。震災の経験や生きる意味を遠い未来の子どもたちに伝えようと、自身が書いていた「孫への手紙」を基にした。あの日、まちを襲った大地震と大津波。寒さと恐怖に震えながら家族の無事を祈ったこと、世界中の人たちが生きる力をくれたこと…。情景の浮かぶ詞が心に刺さる。
 
 「どんな時にも諦めず、必ず命を守ること。あなたが生きていることが、きっと誰かの役に立つ」。未来の災害から生き延びてほしい、生きて誰かを助けられる大人になってほしい―。藤原さんの強い願いが込められた。
 
 藤原さんは「未来の孫へ」に込めた思いを話した=10日、宝来館

藤原さんは「未来の孫へ」に込めた思いを話した=10日、宝来館

 
 震災命日の前夜、鵜住居町根浜の旅館・宝来館で、宿泊客らに新作を含む4編を聞かせた。藤原さんが歌い、北村さんが合いの手を入れるいつものスタイル。一部は北村さんの手話も交えた。震災後のボランティア活動が縁で同市に移住した元大学教員の平修久さん(67)は「節に乗せると分かりやすく、ジーンと胸に響く。新作は未来に向けた前向きな印象」と、2人が紡ぐ言葉を受け止めた。
 
北村さん(右)の手話とともに伝える「釜石東中・鵜住居小編」

北村さん(右)の手話とともに伝える「釜石東中・鵜住居小編」

 
2人の甚句に拍手を送る観客。12年前の震災を思い起こした

2人の甚句に拍手を送る観客。12年前の震災を思い起こした

 
 藤原さんと北村さんは、地元で民話の伝承活動を行う「漁火の会」の仲間。2人と親交のある同館おかみ岩崎昭子さん(66)の提案で、震災を甚句で伝える活動を始めた。兄3人が相撲に親しみ、母は相撲甚句の名手だった藤原さん。観光ガイド会員で震災ガイドもしていた北村さん。2012年12月、津波から逃れた児童生徒の避難行動を伝える「釜石東中学校、鵜住居小学校編」を2人で作詞。その後、次々に作品が生まれていった。
 
 津波にのまれながら九死に一生を得た岩崎さんを描く「宝来館女将(おかみ)編」、津波で亡くなった藤原さんの兄をしのぶ「兄き編」、行方不明の夫への思いを語る「いのり編 あなた」、多くの命が奪われた悲しみ、悔しさを表した「防災センター編」―など。13年5月までに9編が作られた。2人は月命日に同館で甚句による伝承活動を続け、市内外の出演依頼にも応えてきた。
 
目を潤ませながら聞き入る観客も(右側)。同館での甚句披露はコロナ禍のため2020年2月以来

目を潤ませながら聞き入る観客も(右側)。同館での甚句披露はコロナ禍のため2020年2月以来

 
 最初は気負いやプレッシャーで、歌い出せないこともあったという藤原さん。「兄さんが歌の中に生きている」との客の言葉に励まされ、「供養のためにも歌おう」と思うようになった。徐々に気持ちも落ち着いてきた。「あの世の人たちと共に生きる―ということが自然と体に身に付いてきたのかな。この活動を亡き兄が一番喜んでいると思う」と想像を巡らす。
 
北村さんがこれまでの活動などについて紹介

北村さんがこれまでの活動などについて紹介

 
 「この甚句は遺族や被災者が抱える思いを代弁するもの」。共作を含め7編の作詞を手掛けた北村さん。当初「10作目は復興甚句を」と考えていたが、この10年でハード面の復興はできても、心の傷は変わらないことを思い知らされる。「今回は13回忌の1つのけじめ。心の復興は計り知れない。震災を経験した私たちが伝えられるのはどこまでいっても“復興途上甚句”なのかもしれない―」。
 
 被災地で生きる身として、震災と向き合い続ける藤原さんと北村さん。これからも被災者に寄り添いながら、伝えることに真摯に取り組むことを誓った。
 
2人のバックの書は「あの日あの時甚句」を聞いた人から贈られた

2人のバックの書は「あの日あの時甚句」を聞いた人から贈られた

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震災12年・釜石 変わらぬ思い、続く祈り そして向き合い、決意「未来の命守る」

釜石祈りのパークで、犠牲になった人の名を見つめる遺族ら

釜石祈りのパークで、犠牲になった人の名を見つめる遺族ら

 
 東日本大震災は11日、2011年3月の発生から12年となった。岩手県内で関連死を含めた死者・行方不明者は6255人。県との合同追悼式が行われた釜石市では912人の命が奪われ、152人の行方が分かっていない。あの日を思い、被災各地で続いた祈り。遺族らは変わらぬ思いで大切な人をしのび、地域を担う若者たちは体験を継承し「未来の命を守る」と決意した。そんな1日を写真で伝える。
 
県と釜石市合同で行われた追悼式。市合唱協会が献唱した

県と釜石市合同で行われた追悼式。市合唱協会が献唱した

 
 合同追悼式は釜石市民ホールTETTO(大町)を会場に、渡辺博道復興相や遺族ら約250人が参列した。午後2時46分の地震発生時刻に黙とうし、達増拓也知事は「教訓を忘れることなく次の世代に語り継ぎ、大切な人に思いを寄せ、ふるさと岩手を築いていく」と式辞。野田武則市長は「市民が夢と希望を持って、生き生きと暮らせる街づくりに全身全霊で取り組む」と誓った。
  
 「父さん、母さん、どうしているの?」。遺族を代表し追悼の言葉を述べたのは、婦人消防協力隊のはんてんをまとった平田・尾崎白浜の佐々木淳子さん(67)。津波で鵜住居町の実家、父の前川朝吉さん(当時87)と母マサさん(同84)を失った。悲しみをにじませながらも、さまざまな人とのつながりで変化したこの12年を振り返り、未来の命を守るための決意を示した。「災害弱者である高齢者や障害者の対応など課題は多く、教訓を伝える重みは増している。防災市民憲章『備える』『逃げる』『戻らない』『語り継ぐ』を継承していく」
 
追悼式を終え、取材に応じる佐々木淳子さん

追悼式を終え、取材に応じる佐々木淳子さん
  

市内各地で あの人思い、手を合わす

 
祈りのパークで「あの人」の名を探し、手を合わせる遺族ら

祈りのパークで「あの人」の名を探し、手を合わせる遺族ら

 
 市内全域の震災犠牲者1064人のうち、1002人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」には遺族や縁故者らが次々に訪れ、献花して手を合わせた。片岸町の山﨑恵一さん(87)は津波で亡くした長男宏さん(当時44)に会いに来た。「無念、残念…言葉に表せない。元気でいてもらいたかった…愚痴が出る。海が好きな子で、まだやりたかったこともあったろう」。複雑な気持ちのまま迎えた十三回忌。「いつかは区切りがつくだろうか」とつぶやいた。
 
 箱崎町出身の植田詩季さん(19)は、母方の祖母が行方不明のまま。刻まれた名を見つめ感情がこみ上げた母親が足早に離れる中、「頑張ってるから、見守っていてね」と語りかけた。当時小学1年で、津波の恐ろしさは分からなかった。大槌高校で防災に関する学びを深め、大学生になった今は被害の深刻さ、防災の重要性を認識する。そして、優しかったおばあちゃんに誓う。「地元に帰ってくるから。地域、人をつなぐために」
 
「わすれない」。納骨堂の前で手を合わせる参列者

「わすれない」。納骨堂の前で手を合わせる参列者

 
 身元不明遺骨を安置する平田の大平墓地公園内の大震災物故者納骨堂では、釜石仏教会(大萱生修明会長、14カ寺)による法要があった。現在、全身遺骨5柱、部分骨4柱を安置。僧侶9人が読経する中、参列者が焼香した。導師を務めた仙寿院(大只越町)の芝﨑恵応住職は「家族の元に戻れず、つらい思いをしている人がいることを忘れてはいけない。その方の分も幸せになるよう、必死に生きなければ」と呼びかけた。
  
殉職した消防団員を追悼。ハンカチで涙をぬぐう遺族ら

殉職した消防団員を追悼。ハンカチで涙をぬぐう遺族ら

  
鈴子広場(鈴子町)にある「殉職消防団員顕彰碑」前で行われた献花式。震災で職務遂行中に命を落とした仲間8人に「団員の安全を確保しながら市民生活を守る活動に力を尽くす」と誓った。佐々木金一郎さん(当時64)の長男、幹郎さん(38)は家族3人で参列。「使命感で動いて、大変な思いで亡くなっていったのだろう。残された自分たちも、それに恥じないような生き方ができればいい」と言葉をかみしめた。
 
魚河岸テラスで鐘の音に思いを託す人たち

魚河岸テラスで鐘の音に思いを託す人たち

 
釜石湾を一望できる魚河岸テラス。2階デッキにある鐘を高らかに響かせ、海を見つめていた遺族ら。「十三回忌…区切りではない」。北上市から足を運んだ家族連れは「震災のことを考えたい」。復興道路の三陸沿岸道路(三陸道)を使って被災地の様子を確認するつもりだ。
 

あの日を「忘れない―」 追悼、記憶の継承へ 夜まで続いた12年目の“祈り”

 
海に向かって黙とうをささげ(左下写真)、風船を放った追悼行事=宝来館

海に向かって黙とうをささげ(左下写真)、風船を放った追悼行事=宝来館

 
 地震発生時刻の午後2時46分―。鵜住居町の根浜海岸周辺では津波犠牲者を悼み、冥福を祈る黙とうがささげられた。海岸前の宿・宝来館で行われた追悼行事。集まった人たちはメッセージを書き込んだ色とりどりの風船を大空に放った。約1カ月前に発生したトルコ・シリア大地震、1年以上続くロシアによるウクライナ侵攻の犠牲者、被災者にも思いを寄せ、鎮魂と平和への願いを発信した。
 
オーケストラ用に編曲された「南部木挽唄」を献歌する佐野よりこさん(左)と歌に聞き入る人ら

オーケストラ用に編曲された「南部木挽唄」を献歌する佐野よりこさん(左)と歌に聞き入る人ら

 
 震災の津波で、鵜住居町に暮らす両親を亡くした民謡歌手の佐野よりこさん(盛岡市)。「海に、天に届け」と、最愛の両親から授かった歌声を地元で響かせ、犠牲者の魂を慰めた。悲しみと向き合いながらの12年―。「あっという間」とする一方で、地域の人たちが年を重ねた姿に確実な年月の経過も実感する。一日たりとも忘れることはない両親-。「やっぱり恋しい…よね」と思いを募らせる。
 
 復興で大きく形を変えた古里。うれしくもあり、寂しくもあり、複雑な思いが入り交じる。記憶の風化は避けられないが、残された者として「震災を伝え続ける」責務を心に刻む。「よりこ、頑張れ」。姿は見えずとも近くで見守ってくれている両親の声を想像し、「一日一日を大切に、しっかり生きていかなければ」と誓った。
 
「釜石復興の鐘」の打鐘(右)。賛美歌や自作の歌に祈りを込める新生釜石教会の柳谷雄介牧師

「釜石復興の鐘」の打鐘(右)。賛美歌や自作の歌に祈りを込める新生釜石教会の柳谷雄介牧師

 
 鈴子町、釜石駅前広場の夕刻。鎮魂、復興、記憶、希望―の4つの言葉が刻まれた「釜石復興の鐘」が、市民らによって打ち鳴らされた。震災発生年の12月、市民有志のプロジェクトにより建立された鐘。被災から立ち上がるまちに清らかな音を響かせてきた。プロジェクトの八幡徹也代表は「あの日の情景はすぐに目に浮かぶ。これからも記憶をとどめ、次の世代に伝えていかねば」と意を強くした。
 
釜石仏教会による竹灯籠供養=釜石祈りのパーク

釜石仏教会による竹灯籠供養=釜石祈りのパーク

 
 朝から献花に訪れる人が続いた釜石祈りのパーク。夕方には釜石仏教会による竹灯籠供養が行われた。約1200個の灯籠で形作った「忘れない」の文字が、揺らめくろうそくの明かりで浮かび上がった。僧侶の読経に続き、遺族らが焼香。釜石、大槌、遠野の子どもたちによるバイオリン献奏が慰霊の空間をやさしく包んだ。同会の芝﨑恵応・仙寿院住職は「亡くなった人と共に生きていたこと、震災の教訓をいつまでも忘れないでほしい」と願った。
 
鎮魂の花火「白菊」と、海面を照らす「とうほくのこよみのよぶね」(写真:画面上で合成)

鎮魂の花火「白菊」と、海面を照らす「とうほくのこよみのよぶね」(写真:画面上で合成)

 
 日が落ちた根浜海岸。防潮堤や松林にキャンドルの明かりがともる中、今年も「海の祈りの風景」が広がった。海上には「3・11」の舟形あんどんが浮かび、午後7時、鎮魂の花火「白菊」が打ち上げられた。花火玉には市内3小中学校の児童生徒が寄せたメッセージを貼り付けた。「あの時3歳だった子は今年、中学を卒業する。みんなに守られ、懸命に生きてきた。津波で亡くなった親御さんも成長に安堵していると思う」。宝来館のおかみ岩崎昭子さんはそう言って、12年の時の重みをかみしめた。

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わずかでも手掛かりを 釜石・両石町水海で不明者捜索 震災12年を前に警察・海保・消防合同で

海岸で行方不明者の手掛かりなどを捜索する警察官ら

海岸で行方不明者の手掛かりなどを捜索する警察官ら

 
 東日本大震災から12年を目前にした10日、釜石市両石町の水海海岸などで震災による行方不明者の捜索活動が行われた。釜石警察署(前川剛署長)、釜石海上保安部(虻川浩介部長)、釜石大槌地区行政事務組合消防本部(大丸広美消防長)から計70人が参加。嘱託警察犬2頭も加え、手掛かりを探した。
  
 開始式で、前川署長は「明日で震災から12年、遺族にとっては十三回忌となる。岩手県内の不明者は1110人。釜石市は152人、大槌町では416人の行方が分かっていない」と説明。虻川部長、大丸消防長は「12年間、不明者の帰りを待っている家族、地域の思いを胸に刻み、わずかでも手掛かりになるものを見つけ出してほしい」などと激励した。全員で黙とうし、海上と陸上班に分かれて出発した。
  
警察犬と指導手も捜索活動に協力した

警察犬と指導手も捜索活動に協力した

  
 水海海岸の捜索では釜石警察署員と消防隊員らが熊手を使って小石を掘り起こしたり、打ち上げられた漂流物を確認したりした。同署地域課の坂本愛里巡査(19)は宮古市出身。小学1年の時に経験した震災の津波でおじ、おばを亡くした。被災者の救助や交通誘導、避難所でケアする警官の姿に憧れ、道を決めた。「年数は関係なく、家族が戻ってくるのを待っている遺族の方に、小さくても手掛かりを返すことができれば」と熱心に取り組んだ。
 
潜水捜索する場所の打ち合わせをする海保職員と潜水士

潜水捜索する場所の打ち合わせをする海保職員と潜水士

 
海中捜索に臨む潜水士。後方は八戸海保の巡視船「しもきた」

海中捜索に臨む潜水士。後方は八戸海保の巡視船「しもきた」

 
 近くの鏡海岸では海中捜索も実施。八戸海保所属の巡視船「しもきた」に配属される潜水士7人が水深7~10メートルの海域で手掛かりを求めた。潜水捜索に初めて携わった佐藤健太さん(23)は宮城県仙台市出身。「津波の経験はないが、地震の怖さは覚えている。被災した方と思いは同じ。これからも役立てる仕事をしていく」と胸を張った。
 
行方不明者の手掛かりを求めて捜索する消防隊員ら

行方不明者の手掛かりを求めて捜索する消防隊員ら

  
 大槌消防署警防係の大久保太陽さん(21)は震災当時、小学3年生。津波で大槌町の自宅を失い、避難生活の場となった遠野市に居を移した。捜索活動への参加は2回目。「子どもの頃にお世話になった方が見つかっていない。家族のもとへ帰る手助けができれば」と目を凝らした。今回は手掛かりを見つけ出すことはできなかったが、誰かの役に立つことのできる職業にやりがいを感じる日々。「救急、救助…一つずつできることを積み上げたい」と前を向いた。
 
 釜石署などは毎年3月11日ごろ釜石大槌地域の沿岸部を捜索している。
 

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東日本大震災12年、大切な人をいつまでも胸に 釜石で命を思い、祈り、誓う

祈りや誓いを込めて東日本大震災12年を迎える釜石市民

祈りや誓いを込めて東日本大震災12年を迎える釜石市民

 
 東日本大震災から12年、命を思う――。まちの復興は進んでも、大切な人を失った悲しみが消えることはない。でも、あの人を思い、震災の教訓を伝えながら諦めず一歩ずつ前に向かうことが、報いになると信じる。11日を前に、犠牲者を悼み地域の安寧を願う法要、追悼施設の清掃活動などが行われた釜石市。「手を合わせれば、思いが届く」「一歩ずつ前へ」「守る側になりたい」。かけがえのない人々をまぶたの裏に浮かべ、そして地域の未来や希望を胸に抱き、今日も祈り続けている。
 

眼下に広がる海に向かい手を合わす 根浜地区

  
根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=4日

根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=4日

  
 震災の津波で壊滅的な被害を受けた鵜住居町根浜地区では4日に慰霊祭が行われた。高台造成地に整備された復興団地の住民ら約30人は地震発生時刻、午後2時46分に黙とう。津波記念碑が建つ団地内の公園で「お地蔵さん」に白菊を手向けた。
 
 同地区には現在35世帯約90人が暮らす。津波で住民15人が犠牲になった。「海は起こると怖いが、海とともに育ってきたから(海が)なければ生活できない」と80代男性。隣に住んでいた親戚らが亡くなり、「何年たっても悲しみ、寂しさは変わらない」と、眼下に広がる穏やかな海を静かに見つめていた。
 
海を望む高台の公園で「お地蔵さん」に手を合わせる住民=4日

海を望む高台の公園で「お地蔵さん」に手を合わせる住民=4日

 
 追悼行事を続ける根浜親交会の佐々木三男会長(61)は慰霊祭で防災市民憲章を読み上げた。1カ月前に発生したトルコ・シリア地震に触れ、「災害はいつ起こるか分からない。命を守るため、憲章を受け止めてもらえたら。若い世代とも思いを共有し、みんなで地区を活性化させていきたい」と力を込めた。
  

十三回忌「復光」祈願法要 鵜住居観音堂

  
震災の十三回忌に合わせ鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要=5日

震災の十三回忌に合わせ鵜住居観音堂で営まれた「復光」祈願法要=5日

   
 津波で流失後、再建された鵜住居観音堂で5日、毛越寺(平泉町)の藤里明久貫主(72)らが震災の十三回忌に合わせ「復光祈願法要」を営んだ。地域住民ら約50人が参列し、読経に合わせて焼香。犠牲者の冥福と地域の安寧を願って静かに手を合わせた。親戚が行方不明のままという川崎シゲさん(82)は「悲しみは続くけれど、思いが届くかなと思った。見守ってもらっているよう」と目を細めた。
   
 昨年3月に再建された観音堂には、破損したものの流失を免れた本尊「十一面観音立像」(県指定文化財)が安置される。修復に尽力した故大矢邦宣さん(震災当時、盛岡大教授)の遺志を継ぎ、被災地に通い続けている藤里貫主は「まちの様子は変わったが、人の心はそう簡単に変わらない。諦めず、一歩一歩前に向かうことが大切。着実に進む姿を観音様が見守ってくださっている」と参列者に呼びかけた。
   
毛越寺の藤里明久貫主らを囲んで写真撮影する鵜住居地区の住民ら=5日

毛越寺の藤里明久貫主らを囲んで写真撮影する鵜住居地区の住民ら=5日

   
 観音堂を管理する別当の小山士(つかさ)さん(79)は、思いを寄せ続ける人たちに感謝を伝え、「高台にある観音堂を復興のシンボル、前向きに生きていく心のよりどころとして守り続ける」と誓った。
   
 

釜石東中生らが芳名板を清掃 釜石祈りのパーク

   
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芳名板を磨く釜石東中の生徒たち=8日

   
 市内全域の震災犠牲者1064人(関連死を含む)のうち、1002人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」。慰霊に訪れる多くの人たちに落ち着いた気持ちで手を合わせてもらおうと、8日、施設管理者や地域住民ら約20人が芳名板や石畳の洗浄など清掃作業に取り組んだ。
   
 2020年から行っていて、今回は釜石東中(佃拓生校長)の3年生35人(在籍41人)が協力。芳名板を布で丁寧に磨いた内藤龍也さんは「悲しいことがたくさんあった場所。きれいになるように」と思いを込めた。憲章の「命を守る」との文字に触れた髙清水麻凛さんは「震災当時は3歳で、守られる側だった。震災や防災のことを学んできたから、今度はもっと小さい子を連れて逃げられたらいい」とうなずいた。
   
鵜住居地区防災センター跡地に整備された祈りのパーク。解体したコンクリート片を使った階段付近でも作業=8日

鵜住居地区防災センター跡地に整備された祈りのパーク。解体したコンクリート片を使った階段付近でも作業=8日

   
 作業後、生徒たちは施設前に並んで合唱。被災を経験した当時の東中生の思いを歌にした「いつかこの海をこえて」に、「苦しみを乗り越え、希望の道を進もう」との決意を乗せた。
   
釜石東中3年生が製作したポスター。生徒の手と未来への思いを散りばめる=8日

釜石東中3年生が製作したポスター。生徒の手と未来への思いを散りばめる=8日

   
 「いつか~」は歌詞の歌い出しをつなげると、「鵜住居で生きる 夢いだいて生きる」とのメッセージが浮かび上がる。3年生はこの歌とともに「3.11今伝えたいこと」をつづったポスターを製作した。モチーフとなっているのは生徒それぞれの「手」。地域を支えたり、未来を切り開いていくという思いや言葉が添えられている。各家庭に配布。「家族の避難場所」という欄があり、話し合って記入することで完成となる。
 
 

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【3.11追悼】大切な人を迎える「祈りの灯」 釜石・根浜 命を思う明かりで地域を包む

根浜地区の避難路を彩るハマナスを模したイルミネーション

根浜地区の避難路を彩るハマナスを模したイルミネーション

 
 東日本大震災から12年を迎えるのを前に、釜石市鵜住居町根浜地区に5日、犠牲者を追悼する「海への祈り灯(び)」がともされた。旅館宝来館前や松林には大切な人の名前や「明日も心に太陽を」などメッセージが書き込まれたキャンドルが点在。旅館の裏山にある木製の避難路「絆の道」は、同地区を象徴する花「ハマナス」を模したイルミネーションで彩られ、あの日津波に襲われた地域を優しく包み込んでいる。11日まで。
  
根浜の海を望む松林に置かれたキャンドル

根浜の海を望む松林に置かれたキャンドル

 
 同地区に明かりをともす取り組みは市民団体が始めた。松林に道をつくるようにキャンドルを配置していたが、ここ数年は同館おかみの岩崎昭子さん(66)の発案でメッセージを書き込んだり、「命を感じる場所」に置いてもらう形にする。“あの人”を思う言葉や祈りが込められた光がここに、そこにも、あそこにも。震災ボランティア、応援職員など被災地の復興に関わり、今も思いを寄せ続けている人たちから寄せられた願いが込もった明かりもある。
 
キャンドルにメッセージを書き込む親子。右端は出迎えた岩崎さん

キャンドルにメッセージを書き込む親子。右端は出迎えた岩崎さん

 
 キャンドルは約1万個を用意。同館や観光施設「根浜シーサイド」でメッセージを書き込めるコーナーを設けている。大槌湾を望む箱崎白浜から室浜地区、両石町にも配っていて、各地の津波記念碑などに置いて祈りを届ける。岩崎さんは「明かりを見ると『私はここにいます』と言っているように感じる。犠牲になった人たちは海や空、見えない所から見守ってくれている。思いをつなぐような自分たちの祈りの形をつくっていきたい」と穏やかな表情で話した。
  
避難路にイルミネーションを飾り付けた花巻のメンバーらが集って「スイッチオン!」

避難路にイルミネーションを飾り付けた花巻のメンバーらが集って「スイッチオン!」

  
 避難路のイルミネーションは「花巻絆の道植栽ボランティア有志」が設置。ペットボトルを使った花形の飾り約350個で彩る。発光ダイオード(LED)の電力は、地域から出る廃食油を精製したバイオディーゼル燃料を使用。避難路入り口付近には島倉千代子さんの歌碑があり、「おかえりなさい」と明かりに温かさを添えている。
 
 飾り付けの発案者は岩崎さん。思いを形にした花巻有志グループの事務局、関喬(たかし)さん(75)は「この地を訪れる人たちに花で楽しんでほしいと続けてきた活動の延長。古里に帰ってくる魂にささげる明かりになれば」と願う。
  
避難路を明るく照らすイルミネーション

避難路を明るく照らすイルミネーション

 
命を思う明かりが点在する根浜海岸の松林

命を思う明かりが点在する根浜海岸の松林

  
 根浜地区では11日に「祈りの空間」を催す。追悼の風船、祈りの甚句、「とうほくこよみのよぶね」、花火「白菊」の打ち上げなどが予定されている。
 

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新想定の地震・津波避難訓練 釜石市民、急ぎ足で高台へ…命守る行動重ね「信じて逃げる」

釜石市内一斉に行われた地震・津波避難訓練。鵜住居地区では住民らが高台の避難場所に向かった

釜石市内一斉に行われた地震・津波避難訓練。鵜住居地区では住民らが高台の避難場所に向かった

 
 釜石市は5日、全市民を対象にした地震・津波避難訓練を実施した。岩手県が昨年公表した最大級の津波浸水想定を踏まえた訓練で、浸水域の市民は大津波警報、避難指示発令のサイレンが鳴り響くと、高台など市が指定する緊急避難場所に向かった。市内全域での訓練は新型コロナウイルスの影響で2019年以来4年ぶり。浸水域外の市民も自宅や職場などで身を守る行動を実践する「シェイクアウト訓練」、自主防災組織や町内会を中心とした地域ごとの訓練を行った。市の災害対策本部運営訓練、自衛隊による通信訓練などもあり、災害時の公的機関の連携、それぞれの役割や対応を確認した。市によると、避難者数を把握できた59カ所に計1560人が移動した。
 
高台に避難した鵜住居地区の住民ら。浸水域の市民はそれぞれ近くにある避難場所を確かめた

高台に避難した鵜住居地区の住民ら。浸水域の市民はそれぞれ近くにある避難場所を確かめた

  
 県が示した新想定を受け、市は津波災害の緊急避難場所全83カ所を地元町内会などと点検し、昨年9月にハザードマップを改訂した。浸水区域に入った緊急避難場所のうち5カ所を敷地内の高台などに変更し、1カ所を新設。中長期の避難生活を想定した拠点避難所は2カ所を廃止し、1カ所を新たに指定している。今回の訓練は避難場所の周知、避難経路や移動にかかる時間の把握などを目的に開催した。
  
 訓練は、午前8時半に東北地方太平洋沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の地震が発生して釜石で震度6弱の揺れを観測、3分後に気象庁が大津波警報を発令したとの想定。防災行政無線が知らせた津波到達予想時刻は約30分後の同9時頃。市民らは呼びかけに応じて地震から身を守る行動をとった後、急ぎ足で避難場所や近くの高台に向かった。
  
子どもも大人も鵜住居小・釜石東中校庭を目指し階段を駆け上がった

子どもも大人も鵜住居小・釜石東中校庭を目指し階段を駆け上がった

  
 海抜約20メートルの高台にあり、鵜住居地区の緊急避難場所になっている鵜住居小・釜石東中学校校庭には住民ら約60人が避難した。東日本大震災の津波で被災し自宅を再建した住民の60代女性は「津波はいつ来るか分からない。防災リュックを玄関に置いたり備えはしている」と防災意識を持ち続ける。校庭に向かうには長い階段を上らなければならないが、「荷物を持って避難する大変さ、どれくらいの時間が必要か分かった」と体に覚えさせた。
  
鵜小・東中体育館で行われた避難所開設訓練。段ボールベットの組み立てなどを体験した

鵜小・東中体育館で行われた避難所開設訓練。段ボールベットの組み立てなどを体験した

  
 両校の体育館は拠点避難所でもあり、鵜住居町内会(古川愛明会長、約100世帯)主体の避難所開設訓練が行われた。住民らは段ボールベッドや間仕切りの組み立てなどに挑戦。陸上自衛隊滝沢駐屯地から駆け付けた給水車から飲料水をもらう体験もあった。同町内会副会長の沖寿雄さん(78)は「津波は二度と来てほしくないが、自然災害は人の手ではどうすることもできない。だからこそ備えは必要。練習を重ねていけば、万一の時にスムーズに動ける。信じて逃げることができる」と気を引き締めた。
 
完成したベッドに乗って感触を確かめる参加者

完成したベッドに乗って感触を確かめる参加者

 
自衛隊の給水車から飲料水をもらう体験も

自衛隊の給水車から飲料水をもらう体験も

 
 市は県公表を受け、昨年4月、大津波警報発表時の災害対策本部を内陸部の小佐野町、市立図書館に設置することを決めた。この日はその運営訓練も実施。市と消防、自衛隊、警察、海上保安部から約60人が参加した。
 
 同館2階に本部室、事務局を設置。警報時の職員参集、津波緊急避難場所からの状況報告、避難者数の集計などを行った。災害時、一般電話が使えなくなることを想定し、消防団や自衛隊による無線、衛星携帯電話の通信訓練も行われた。
 
市災害対策本部事務局では各避難場所からの避難者数の報告を受けた

市災害対策本部事務局では各避難場所からの避難者数の報告を受けた

 
本部室には市長以下幹部、関係機関の職員らが参集。訓練状況を見て課題の洗い出しに努めた

本部室には市長以下幹部、関係機関の職員らが参集。訓練状況を見て課題の洗い出しに努めた

  
 今回の訓練では要支援者の避難方法を検討するため、荒川町内会が試験的に車両を使った避難訓練を実施。津波浸水域外の中小川町内会は後方支援のための炊き出し訓練を行った。同本部長となる野田武則市長は「要支援者の車避難、職員の図書館への参集方法など訓練で課題を明らかにし、誰一人として犠牲にならないための対応を考えたい」と話した。
 

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震災の語り部活動、準備中!釜石高生「自分の言葉で伝えたい」 3月、うのスタで

自分の言葉で震災を伝えるため研修や練習に取り組む釜石高生

自分の言葉で震災を伝えるため研修や練習に取り組む釜石高生

 
 東日本大震災の経験や教訓、防災の取り組みを未来につなげようと活動する釜石高(釜石市甲子町)の生徒有志グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」。地元のラグビーチーム釜石シーウェイブス(SW)RFCのホーム戦に合わせ、会場の釜石鵜住居復興スタジアム(鵜住居町)で語り部活動を展開してきた。今年も、3月に伝承活動を行う予定。震災被災者の経験談を聞いたり、「伝えたい」思いをまとめたり準備を進めている。
 
 夢団は2019年に結成。うのスタが会場となったラグビーワールドカップ(W杯)開催時に震災の教訓と復興支援への感謝を伝えようと活動した生徒らが、継続的な取り組みにすべく立ち上げた。生徒の発案で「津波伝承うちわ」「安否札」を作成・配布しながら、W杯やSWホーム戦の来場者に震災の記憶や防災力向上を発信してきた。
 
震災体験者の話を聞き取る研修=1月26日、鵜住居町

震災体験者の話を聞き取る研修=1月26日、鵜住居町

 
 今年は5人の生徒が語り部に挑む。いずれも2年生。震災当時は4、5歳で記憶していることは多くない。そこで、1月26日に研修として震災経験者から話を聞いた。鵜の郷交流館(鵜住居町)で体験を伝えたのは、嬉石町の横山幸雄さん(85)。「津波を目の前にして足がすくんだ。とっさに家の中に飛び込んだが、津波にのまれ意識を失った」などと、死と隣り合わせの経験を語った。意識を取り戻し、目についた電線を伝って電柱にたどり着き、奇跡的に命をつないだ。「私の行動は一歩間違えれば命取りになっていた」とした上で、「一番大事なのは命。災害時にどう行動するか、日頃から考えておくべきだ」と力説した。
 
 生徒たちは、住み慣れたまちが津波で失われるのを目の当たりにした時の心境や行動の選択で困ったこと、避難所の様子などを聞き取った。海が近い唐丹や鵜住居、平田で暮らす生徒らは、自身の体験との違いを感じた様子。体験者の話をじかに聞くのが初めての生徒もいて、新たに触れた視点を盛り込んで「伝える」との思いを強めていた。
 
横山さん(左)の経験談に耳を傾ける釜石高の生徒=1月26日、鵜住居町

横山さん(左)の経験談に耳を傾ける釜石高の生徒=1月26日、鵜住居町

 
 横山さんは「震災から10年以上がたち、風化を感じる。だからこそ、伝えていくことが大切だ」と強調。釜石観光ガイド会の一員として語り部活動を実践する先輩の立場から、「災害に負けてたまるか。命さえあれば、どんなことでも頑張れるはず。そう思い語り続けている」と明かし、伝承者としての姿勢を探る生徒たちにヒントを残した。
 
 いのちをつなぐ未来館では、施設職員で語り部の川崎杏樹(あき)さんの案内で展示を見て回りながら、おさらい。うのスタでの活動に向け台本作りも始めた。
 
いのちをつなぐ未来館で震災への理解を深める生徒ら=1月26日、鵜住居町

いのちをつなぐ未来館で震災への理解を深める生徒ら=1月26日、鵜住居町

 
放課後の学校で台本作りの準備をする高堰さん(奥)=2月14日、甲子町

放課後の学校で台本作りの準備をする高堰さん(奥)=2月14日、甲子町

 
 2月中旬からは、個別に台本を仕上げる作業を続けている。語り部デビューを目指す高堰愛さんは14日の放課後、同校で作業。夢団の活動を支える「さんつな」代表の伊藤聡さん(43)にアドバイスを受けながら、考えをまとめている。
 
 学校周辺の地区に住む高堰さんは津波の被災はないが、地震の怖さから車中泊をした記憶を残す。大槌町に祖父母が暮らしており、人的被害はなかったものの何度も訪れた思い出の場所が流されたことにショックを受けた。それでも、「津波を直接的に体験していない自分が語れるのか」「伝えられることもある」と自問自答。震災は被災の有無にかかわらず、多くの人の気持ちにダメージを与えたと感じていて、「(私は)思い出を失ったが、支えられ気持ちが楽になった。今度は支える立場になりたい」との思いを力にする。
 
高堰さんの「伝えたいこと」がつづられたノート=2月14日、甲子町

高堰さんの「伝えたいこと」がつづられたノート=2月14日、甲子町

 
 横山さんの話で印象に残ったのは、避難所での生活。津波から逃れても寒く、苦しく、大変な生活があったことを知った。そうした背景も織り交ぜながら、命を守ることや備えの大切さを伝える考え。「人前で話すのは苦手。でも台本があると読んでしまう」と自己分析し、台本は文章ではなく、伝えたい言葉を書き連ねるだけにするつもりだ。「自分の言葉で語りかけたい」。思いを紡いでいる。
 
 今月末に全体練習。SWホーム戦は3月5日、12日、19日に予定され、生徒たちは12日に思いを発信する。

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友好都市 横手市から釜石市へ 災害時にも役立つ木製ブロック塀寄贈 根浜キャンプ場で活用

秋田県横手市から釜石市への木製ブロック塀「木兵衛(もくべえ)」寄贈式

秋田県横手市から釜石市への木製ブロック塀「木兵衛(もくべえ)」寄贈式

 
 釜石市鵜住居町の根浜海岸観光施設「根浜シーサイド」キャンプ場に、友好都市・秋田県横手市(髙橋大市長)から木製ブロック塀「木兵衛(もくべえ)」が寄贈された。木目の美しさなどで知られる“秋田スギ”の間伐材で作られた塀は自然景観になじみ、災害時には解体して燃料のまきに利用することができる。8日、同施設で寄贈式が行われた。
 
 横手市から石山清和副市長、塀を製造する第三セクター・Woody(ウッディ)さんない(代表取締役=石山副市長)の高橋嘉男専務取締役、森岡吉己営業課長が出席。石山副市長が釜石市の野田武則市長に目録を手渡した。
 
横手市の石山清和副市長(右)が釜石市の野田武則市長に目録を贈呈

横手市の石山清和副市長(右)が釜石市の野田武則市長に目録を贈呈

 
横手市のWoodyさんないが製造する木兵衛

横手市のWoodyさんないが製造する木兵衛

 
 「木兵衛」は東日本大震災の経験をもとに同社が開発。コンクリート塀に比べて軽量なため、倒壊による重大事故のリスクを軽減できる。ボルトやくぎなど金物を使わないオールウッド工法で、ブロック状の目隠し板は取り外し可能。災害時は、暖を取ったり煮炊きしたりするための即席燃料として使える。SDGsに配慮した取り組みなどが評価され、昨年、ウッドデザイン賞(ライフスタイルデザイン部門)も受賞した。根浜には高さ90センチ、延長12.6メートルの塀2組を設置した。
 
「木兵衛」の開発経緯について話すWoodyさんないの高橋嘉男専務(左)

「木兵衛」の開発経緯について話すWoodyさんないの高橋嘉男専務(左)

 
災害時には上部の笠木を取り外し、ブロック状の目隠し板を燃料として利用可能。同板には燃焼しても人体に無害な自然塗料を施す

災害時には上部の笠木を取り外し、ブロック状の目隠し板を燃料として利用可能。同板には燃焼しても人体に無害な自然塗料を施す

 
根浜海岸キャンプ場入り口に設置された2組の塀

根浜海岸キャンプ場入り口に設置された2組の塀

 
 森林環境譲与税を活用し、秋田県産材の利用拡大、木製品の普及に取り組む横手市。今回の寄贈に際し石山副市長は「沿岸部の防災の一役を担う形で活用いただければ。これを機に、農林水産業を通じて両市の新たな経済交流へと発展させていければ」と願った。
 
 横手市と釜石市は北緯40度Bラインの北東北横軸連携で、1990年代半ばから行政や民間レベルで交流。釜石で長年行われてきた冬のイベントでは、横手名物「かまくら」の出前、「横手やきそば」の出店などで市民を楽しませた。震災後は横手市から釜石市に多くの応援職員が派遣され、復興推進に力を貸した。野田市長は今回の寄贈とともに、これまでの協力に深く感謝。さらなる交流、連携に期待を寄せた。

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明かりに込める12年目の思い 根浜避難階段に竹灯籠点灯 震災追悼、“命を守る道”周知

竹灯籠の点灯が始まった根浜の避難階段=11日

竹灯籠の点灯が始まった根浜の避難階段=11日

 
 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた釜石市鵜住居町根浜地区―。震災命日まで1カ月となった11日、地域の高台へと続く避難階段に手作りの竹灯籠が設置された。犠牲者を追悼し、防災意識を高める取り組みは今年で2年目。灯籠の明かりが“命を守る道”を温かく照らす。3月まで、土日祝日の午後4時から同7時まで点灯される(3月26日最終)。
 
 11日は午後5時から点灯式が行われ、灯籠作りに参加した家族や地域住民らが集まった。地元町内会「根浜親交会」の佐々木三男会長(61)が発電機の点灯スイッチを入れると、夕闇に光の階段が浮かび上がった。参加者らは階段を上り、高台避難を疑似体験。いざという時の行動を体で覚えた。
 
 111段の避難階段は、震災後に整備された根浜海岸観光施設「根浜シーサイド」の敷地と海抜20メートルの市道箱崎半島線をつなぐ。施設内のキャンプ場から最短で高台に上がれるルートで、2021年春に完成した。竹灯籠の設置は、同施設を管理するかまいしDMC(河東英宜社長)が発案。灯籠の製作体験会も開き、市民らと思いを共有する。今年は54個の灯籠を作り上げた。明かりのLED豆電球の電力は、地域から出る廃食油を精製したバイオディーゼル燃料で発電し、環境に配慮する。
 
午後5時からの点灯式には家族連れらが参加した

午後5時からの点灯式には家族連れらが参加した

 
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辺りが暗くなるにつれて幻想的な光景が広がる

 
 製作体験にも参加した東京都出身の永井淳子さん(40)は「すごくきれい。避難階段の周知も兼ねていると聞き、とてもいい取り組み」と感動。青年海外協力隊員の事前研修で1月から釜石市に滞在中。12年前の震災についても学び、「津波被害の大きさを知ることができた。今まで自宅周辺の避難場所も意識したことがなかったので、戻ったら確認しなければ」と防災への関心が高まった様子。
 
 根浜地区在住の男性(40)は妻、生後5か月の子どもと足を運んだ。「避難階段には日ごろから散歩で来ている」というが、竹灯籠の点灯を目にするのは初めて。美しい光景を記憶にとどめた。震災の津波で同地区にあった自宅を失い、集団移転で新たに造成された高台の団地に再建。「今は少しは安心かな…。子どもが成長したら、機会あるごとに震災のことも教えていきたい」と話した。
 
自分たちで作った竹灯籠を見つめる親子

自分たちで作った竹灯籠を見つめる親子

 
キャンプ場近くに設置されている避難階段。津波発生時の迅速な高台避難が可能

キャンプ場近くに設置されている避難階段。津波発生時の迅速な高台避難が可能

 
階段の上り口には根浜地区の津波避難場所を示す看板も立てられている

階段の上り口には根浜地区の津波避難場所を示す看板も立てられている

 
 同キャンプ場には昨年7月、区画を定めないフリーサイトもオープン。利用客が増える夏季には40~50組が滞在する可能性がある。根浜シーサイドでは利用客へ複数の避難経路を周知。竹灯籠の点灯は、地域住民や周辺の通行車両などにも避難階段の場所を知ってもらう狙いがある。