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「人を描く」鵜住居町の古川祐市さん 震災で途切れた描く喜び取り戻し、地元で初個展

「人の姿」をテーマに絵を描き続けている古川祐市さん

「人の姿」をテーマに絵を描き続けている古川祐市さん

  
 工事現場で働く作業員、車いす生活を送る人、入院・自宅療養中の家族-。目に入らない、見えにくい場所で苦労したり努力している人々の姿を描いた作品を紹介する絵画展が大型連休中、いのちをつなぐ未来館(釜石市鵜住居町)で開かれた。描いたのは、地元のアマチュア画家古川祐市さん(32)。東日本大震災後、心身の不調から創作活動を離れた時期があり、自身も苦労を抱えた経験を持つ。描く喜びを取り戻して約5年。初めての個展を実現させた。
 
 絵画展では2018年以降に創作した油彩、アクリル画など17点を紹介。工事現場で一息つく作業員を描いた「復興へ」とタイトルが付けられた作品がある一方、震災で被災した母校跡地に建設中のスタジアムをモチーフにした絵には「復興はまだ終わっていない」と重機を前面に配置し、風刺を込めた。骨が浮き出るほど痩せ細った晩年の父、病院のベッドに横たわる穏やかな表情の祖母、ギプス姿でも笑顔を見せる母。身近な人、実在する人を写実的なタッチで「生かす」作品を並べた。
 
苦労している人、頑張る人の表情を描いた作品などが並んだ

苦労している人、頑張る人の表情を描いた作品などが並んだ

 
 古川さんは、よく絵を描いてくれたという父の影響で、幼い頃から、お絵かきが大好きだった。釜石北高で美術部、県立大宮古短期大学部では美術サークルに所属して油彩の腕を磨いた。釜石市内の水産加工会社に就職して1年後、震災の津波で鵜住居町の自宅が全壊。保管していた作品約100点も流失した。仮設住宅に移った後、多くのものを失ったショックや環境の変化で心身とも疲弊し、好きだった絵を描くこともできなくなった。
 
 入院療養を経て、17年に復興住宅に入居すると、新しい生活拠点を得たことで心が落ち着いた。日差しの明るさを感じられる環境に「そうだ!絵を描こう」と気持ちも前向きになり、再び筆を手にした。そんな、絵を描く喜びを取り戻した自身の心象風景を表現した「青い壁」も展示。青空というキャンバスに雲やシャボン玉の‶落書き″を楽しむ子どもの姿を描いた空想画だ。
 
絵を描く喜びを表現した「青い壁」。込めた思いを来場者に伝えた

絵を描く喜びを表現した「青い壁」。込めた思いを来場者に伝えた

 
 ほとんどの作品に登場するのが、「人」。これまでは気にとめていなかった場所、あまり目をとどめることのなかった所で苦労していながらも頑張っている人を見つけると、描きたい衝動に駆られるようになった。そして、震災前は「見たものをそのまま描かなければ」と気を張っていたが、今は「自分のイメージをのせて自由に描くのも面白い」と思考も変化。「震災がなければ、今の作風にはなっていなかった」と振り返る。
 
 「描くしか取りえがない。人の姿と、好きという気持ちを大事にして制作していきたい」と古川さん。現在、取り組んでいるテーマは「ロシアによるウクライナ侵攻」。作品を見てもらいたい―と、2回目の展示会に向け意欲を見せた。
 
 絵画展では、自身の作品を印刷したはがきを販売。売り上げの半分をウクライナの人道支援のために寄付することにしている。

「鵜住居青年会館」の落成を喜ぶ会員ら=16日

震災11年「鵜住居青年会館」待望の再建 会員ら地域の宝「虎舞」継承へ決意新た

「鵜住居青年会館」の落成を喜ぶ会員ら=16日

「鵜住居青年会館」の落成を喜ぶ会員ら=16日

 
 釜石市鵜住居町の虎舞保存団体「鵜住居青年会」(小原正人会長、会員50人)はこの春、東日本大震災の津波で流失した活動拠点「鵜住居青年会館」の再建を果たした。被災から11年を経て、やっと得られた本設拠点。会員らは寅(とら)年の本年に踏み出す新たな一歩にさらなる活動意欲を高め、江戸時代から受け継がれる地域の宝を守り伝えていくことへ思いを強くする。
 
 震災前の同会館は、被災して移転新設された現在の鵜住居小、釜石東中の駐車場付近にあった。建物の老朽化で2003年に新築したばかりだった会館は、11年の震災津波で跡形もなく流失。館内に保管していた虎舞の道具類も全て流された。希望の光となったのは、大量のがれきの中から見つかった道具類(小太鼓4、大太鼓3、虎頭1)。中には会所有で最古の1878(明治11)年作の大太鼓も。これらは全て修復され、大切に受け継がれる。
 
 震災後、小中学校の仮設校舎体育館、復興支援で設置されたプレハブ施設、生活応援センターなどを借りて稽古を継続し、市内外で舞を披露してきた同青年会。完全復活へ最後の懸案となっていたのが、同会館の再建だった。
 
再建された鵜住居青年会館の外観。左側にシャッター開閉の山車収納庫を備える

再建された鵜住居青年会館の外観。左側にシャッター開閉の山車収納庫を備える

  
 新たな会館は、同町2丁目、鵜住神社参道近くの市有地約80平方メートルを借用して建設。木造平屋建ての建物は、延べ床面積53・82平方メートル。神棚を祭ったフローリングの居室、山車収納庫、流し、トイレを備える。費用は同会の自己資金で賄い、大槌町の建設業者が施工。昨年12月に着工、本年3月に落成した。
 
「鵜住居虎舞」の踊りで使う虎頭が並ぶ居室

「鵜住居虎舞」の踊りで使う虎頭が並ぶ居室

 
天井が高い山車収納庫。左側に道具類を収納できる棚も設置されている

天井が高い山車収納庫。左側に道具類を収納できる棚も設置されている

 
 小原会長(35)は「ようやく念願の拠点ができた。まちの復興整備が遅れたこともあり、再建は今の時期にずれ込んだが、これでやっと落ち着ける」と一安心。震災後、転々としてきた道具類や山車の保管場、会議部屋などを確保でき、「今まで以上にもっといい踊りを見せられるよう精進したい」と意気込む。
 
 鵜住居町は市内で最も甚大な津波被害を受けた。青年会会員も多くが自宅を失い、家族や親族を亡くした。深い悲しみや数々の困難に直面しながらも、全国からの支援や励ましでいち早く立ち上がり、11年秋には活動を再開した同会。これまで、地域復興の原動力、住民の心の支えとして貢献してきた功績は非常に大きい。
 
震災から半年後、被災した住民を元気づけようと舞った鵜住居青年会=2011年9月25日

震災から半年後、被災した住民を元気づけようと舞った鵜住居青年会=2011年9月25日

 
がれきの中から見つかった太鼓を補修、代替道具などを用い手踊りを披露する会員

がれきの中から見つかった太鼓を補修、代替道具などを用い手踊りを披露する会員

 
 震災を機につながった全国の支援者との交流は今も続く。寅年の本年は、11年に招待された茨城県日立市の秋祭りへの出演が予定されている。「震災後、道具がそろって初めて、踊りを披露させてもらった思い出の地。10年以上たった今でも私たちのことを気にかけてくれる人たちがいるのは本当にありがたい」と小原会長。結ばれた絆を胸に最高の舞を届ける日を心待ちにする。

釜石市の中心市街地で自然観察の体験活動を行ったボーイスカウトの団員ら

自然の中で遊びまくれ!新団員獲得へ、ボーイスカウト体験活動 次回は4月23日「春を探そう」

釜石市の中心市街地で自然観察の体験活動を行ったボーイスカウトの団員ら

釜石市の中心市街地で自然観察の体験活動を行ったボーイスカウトの団員ら

 
 ボーイスカウト釜石第2団(菊地次雄育成会長、末永正志団委員長、約50人)の体験活動が9日、釜石市内で行われた。団員や入団に関心を持つ子どもや保護者ら約40人が参加し、自然観察をしながら街中を散策。ロープ結びなどの知識や観察力を確かめるクイズなどにも挑戦し、活動への理解を深めた。
 
 体験活動の発着点は、港町のホームセンター駐車場。子どもたちは2班に分かれ、大型ショッピングセンター内を通って大町広場へ。6人で協力し、ひもとゴムを使って空き缶を運び積み上げるゲームに挑んだ。「力いっぱい(ひもを)引っ張って」「そっと置いて」などと声を掛け合い、成功すると「よし!」とガッツポーズし喜びを表した。
 
大町広場では空き缶を運び積み上げるゲームに挑戦した

大町広場では空き缶を運び積み上げるゲームに挑戦した

 
 青葉公園(大只越町)に移動すると、「足元に注意。矢印を見つけて仙寿院へ」と指令を受けた子どもたち。矢印が示す方向に進んで高台にある仙寿院に着いたら、「階段は何段だった?」との質問が待ち受けていて、「途中まで数えていたけど…」などと思い悩む子どもたちの姿が見られた。
 
 一休みをした後は、石碑や津波避難場所を伝える看板などの写真でつくられた地図を手に、ゴールを目指して再び歩き出した。チェックポイントの釜石市役所本庁舎(只越町)前ではロープ結びに挑戦。高学年の児童や中学生メンバーが、「本」「はな」「8の字」「もやい」の4種の結び方を体験参加者、低学年の団員に教えた。
 
「疲れたー」と言いつつ、元気に階段を駆け上がる子どもたち

「疲れたー」と言いつつ、元気に階段を駆け上がる子どもたち

 
団員らは地図を手に、ゴールを目指して街中散策を楽しんだ

団員らは地図を手に、ゴールを目指して街中散策を楽しんだ

 
 入団を考えている菊地美有さん(白山小1年)は「いろんなところを歩いて楽しい」と感想。母礼美(ひろみ)さんは(49)は「自然を通した学びは考える力を養うことにつながり、いつか役に立つ。歩くことで新しい発見もある」と見守る。大槌町の藤原朋さん(37)はボーイスカウト出身で、長女ほのかさん(大槌学園小学部1年)に参加を提案。協調性を養い、世代交流、失敗と成功を繰り返す体験ができるといった利点に加え、「いろんな地区の子どもたちが集まり、コミュニティーが増えるのがいい」と勧める。
 
 班長を務めた阿部雅俊君(大槌学園中学部9年)は「日常生活とは違う、普段やらないことをたくさんできる。一緒にいろんな体験をしてほしい」と仲間が増えることを期待した。
 
ロープ結びに取り組む団員。野外活動を通じて安全、環境、防災などの知識とスキルを身に付ける

ロープ結びに取り組む団員。野外活動を通じて安全、環境、防災などの知識とスキルを身に付ける

 
 ボーイスカウトの活動は自然の中で集団活動しながら仲間たちとの友情と礼儀を身に付け、健全育成を図ることが目的。昨年創立60年を迎えた釜石2団では、ビーバー隊(小1、2)、カブ隊(小3~小5)、ボーイ隊(小6~中3)、ベンチャー隊(高校生)、ローバー隊(19~25歳)が活動する。近年は少子化や習い事の多様化などで会員が減少。こうした活動を知ってもらおうと、4~5月に希望者を交えた体験会を行っている。
  
 次回は23日に実施予定で、「春をさがそう」をテーマに自然観察ビンゴなど野外ゲームを楽しむ。現在、小学校1~3年生を対象に参加者を募集中。午前9時に甲子町大畑の「福祉の森」東屋(あずまや)に集合し、正午に現地解散となる。希望者は末永団委員長(電話090・7338・3043)に申し込みを。当日参加も可。未就学児も保護者同伴で参加できる。
 
 末永団委員長(72)は「自然の中での遊びを通じ、好きなことを見つけてもらえたら。仲間とともに楽しい思い出をつくり、釜石の良さを知ってほしい。自然の中で遊びまくれ」と呼び掛ける。

創作への精進ぶりを公開した釜石市民絵画教室の会員たち

衰えぬ意欲、挑戦を作品に込め 釜石市民絵画教室、3年ぶりの作品展

創作への精進ぶりを公開した釜石市民絵画教室の会員たち

創作への精進ぶりを公開した釜石市民絵画教室の会員たち

 
 釜石市民絵画教室(小野寺豊喜会長、会員13人)の第41回「わたくしたちの絵画展」は1日から3日まで大町の市民ホールで開かれた。新型コロナウイルスの影響で、展示会開催は3年ぶり。会員と講師の菊池政時さんが83点を出品し、多くの絵画ファンや仲間が多様な表現を楽しんだ。
 
 作品は同教室で取り上げた花や魚の静物、スケッチ旅行で訪れた風景など共通したテーマのほか、個々の好み、挑戦するモチーフが並び変化に富んだ。画材も水彩、油彩、パステル、色鉛筆、ボールペンと、さまざま。小野寺会長(73)は「会員それぞれが継続してきた活動が実を結びつつあり、力のある作品を展示することができた。会員の高齢化は進むが、何を描きたいか目標や焦点を定めたり、大きい作品に挑戦しようと、創作する意欲、表現技術は高まっている」と充実感をにじませた。
 
植物や自然風景などを描いた作品が並んだ絵画展

動植物や自然風景などを描いた作品が並んだ絵画展

 
 甲子町の鈴木光幸さん(72)は、第74回岩手芸術祭で洋画部門賞を受けた「絵画展後のひと時」(F50号、水彩)、甲子川で仲むつまじく羽休めするマガモのつがいを描いた「春を待つ」など8点を並べた。退職後、「第2の人生は絵を生きがいに」と創作を始めて4年目。「まだ、いろいろ描いてみたい時期。人前で展示させてもらうことを考えていなかったが、少しでも良い絵にしたい。『いいね』と言ってくれる人もいて、描く楽しみが大きくなっている」と意欲を膨らませる。
 
会員は作品に込めた思いを伝えながら来場者と交流した

会員は作品に込めた思いを伝えながら来場者と交流した

 
 同教室は1978年度、市の社会教育講座としてスタート。その後自主活動グループに移行し、学習、作品発表を続ける。絵画展は、学習会場となる旧市民文化会館展示室で年度末に開いていた。2011年の東日本大震災は32回目の展示会期間中で、作品は津波にのみ込まれた。作品を回収し、泥を取り除いて修復した作品を加えた絵画展を12年に再開、教室継続の〝のろし〟をあげた。
 
 教室は毎月2回、隔週水曜日に青葉ビルで開く。合評会、スケッチ旅行(コロナ禍でここ数年は実施を見送る)を経て、絵画展で1年間の成果を示す。市芸文祭にも参加する。

「根浜ハマナスプロジェクト」始動=3月29日

根浜海岸「ハマナス」群生地復活へ 震災から11年 育成プロジェクト本格化

「根浜ハマナスプロジェクト」始動=3月29日

「根浜ハマナスプロジェクト」始動=3月29日

 
 東日本大震災の津波で多くの海浜植物が失われた釜石市鵜住居町の根浜海岸―。同所の原風景である「ハマナス」が咲き誇る海辺を取り戻そうと、市民有志によるプロジェクトが今年も始動した。16日の植樹祭を前に、3月29日、ハマナスの勉強会と種を植えるためのプランター作りが根浜レストハウスで行われ、市内の親子ら16人が参加した。

 

 再生活動には、根浜ハマナスプロジェクト実行委(岩崎昭子代表)が昨春から取り組む。勉強会では、プロジェクトに協力する岩手県立大総合政策学部の島田直明准教授(植生学、景観生態学)から、ハマナスの特性、震災の津波がもたらした根浜海岸の砂浜や植生などの環境変化を学んだ。

 
ハマナスや根浜の海浜植生について震災前と比較しながら説明する島田准教授

ハマナスや根浜の海浜植生について震災前と比較しながら説明する島田准教授

 
今後植える予定のハマナスの種を観察する子ども

今後植える予定のハマナスの種を観察する子ども

 
 ハマナスはバラ科の落葉低木で、初夏に濃いピンク色の花を咲かせる。実はジャムや茶など食品に加工されるほか、花は香水の原料や漢方薬になる。震災前、約1・3キロの砂浜があった根浜海岸にはハマナスの群生が見られたが、津波で砂浜が流失。ハマナスやハマボウフウなど多くの海浜植物が失われた。

 

 プロジェクトでは、津波に耐えたハマナスから採取した種を植えて育て、苗木を海辺に戻すことを目指して活動する。この日は勉強会のあと、種を植えるためのプランター作りも行われた。使われなくなったフォークリストの木製パレットを材料とし、電動ドリルで使う電気はバイオディーゼル燃料で発電。リサイクル、脱炭素と地球環境を意識した取り組みとなった。

 
不用になった木製パレットを再利用し、プランター作り

不用になった木製パレットを再利用し、プランター作り

 
プランターはガスバーナーで焼き付け、仕上げた

プランターはガスバーナーで焼き付け、仕上げた

 
 弟、友人と参加した青木結惟さん(甲子小4年)は「釘とかドリルを使うのが難しかったけど、みんなで協力してうまくできた。ハマナスをたくさん植えて根浜をきれいな海辺に戻したい。花がいっぱい咲くのも見てみたい」と望んだ。

 

 実行委の岩崎代表は根浜の旅館・宝来館のおかみで、同海岸の原風景を知る一人。震災後、白砂にハマナスが咲き誇る以前の海岸の姿を写真で目にし、「この風景に返りたい」との思いを強くした。「幅広い世代が集い、ハマナスを育てながら自分たちも成長していく。海岸を花でいっぱいにするだけでなく、みんなで育ち合う場になれば」と根浜の未来を描く。

 

 16日午前11時からの植樹祭では、プランターへの種まきや育てた苗木の植樹に加え、飲食(テイクアウトのみ)やクラフトの出店などのイベントも予定される。根浜シーサイドのフェイスブックで、当日の内容、日程を見ることができる。

生活を楽しみにするかまいしこども園の新入園児ら

元気に楽しい思い出を! かまいしこども園で入園式、ワクワク新生活スタート

新生活を楽しみにするかまいしこども園の新入園児ら

新生活を楽しみにするかまいしこども園の新入園児ら

 

 釜石市天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児75人)の入園式は2日に開かれた。0~4歳児20人が新たに仲間入り。昨年度、途中入園となった0~5歳児9人も出席し、新しい生活の始まりに期待を膨らませた。

 

 新型コロナウイルス禍の中、保護者の同伴は2人までに制限。来賓の姿はなく、在園児の参加も控えた。藤原園長は「優しいお兄さん、お姉さんがいっぱい。楽しいこともたくさん待っている。元気に通ってほしい」とあいさつした。

 
「にゅうえん、おめでとう」。手製のメダルで新入園児を歓迎した

「にゅうえん、おめでとう」。手製のメダルで新入園児を歓迎した

 

 新入園児は名前を呼ばれると、ステージへ。職員は、手作りしたメダルを一人一人にプレゼントして仲間入りを歓迎した。年長児は動画でお祝いの言葉。「一緒に楽しく遊ぼう」と呼び掛けた。

 

 浜町の井上幸子さん(39)は長女陽葵(ひなた)ちゃん(3)、次男陽斗(はると)ちゃん(1)を託した。園での遊びにワクワク感をにじませている子どもたちを見つめ、「2人そろって預けることができて、安心。たくさんの友達と元気に楽しい思い出をつくってほしい」と願った。

 

設置された看板の前で記念撮影する家族らの姿が見られた

設置された看板の前で記念撮影する家族らの姿が見られた

 

 同園では、さまざまな遊びを通じ学び合う保育教育を実践する。郷土芸能「虎舞」や英語、茶道など心の成長につながる活動も導入。キリスト教保育を取り入れ、困っている人や悲しんでいる人に寄り添い助ける心、感謝、命を大切することなどを身に付ける取り組みも進める。

釜石スタディツアーで訪れた北海道厚真町の小中学生=3月27日、釜石PITでの交流会

地震被害を受けた北海道厚真町の小中学生 子ども目線の防災 釜石から学ぶ

釜石スタディツアーで訪れた北海道厚真町の小中学生=3月27日、釜石PITでの交流会

釜石スタディツアーで訪れた北海道厚真町の小中学生=3月27日、釜石PITでの交流会

 

 2018年9月の北海道胆振東部地震で道内最大の被害を受けた厚真町の小中学生6人が、3月26日から3日間、東日本大震災の被災地・釜石市を訪問。同市の子どもたちと大規模災害の経験を共有しながら、教訓を学び合った。厚真の小中学生は、震災後、率先して防災活動に取り組む釜石の中高校生の姿にも刺激を受け、未来の命を守るために自分たちができることを考えた。

 

 釜石訪問は、同町の放課後子ども教室事業を担う「オフィスあっぷ・ろーど」(上道和恵代表)が主催した防災学習プログラムの一環。1月から3回の講座で、地震発生のメカニズムや同町の災害ボランティア活動などについて学んできた小学4年~中学1年の児童生徒が参加した。

 

 初日は震災で甚大な被害を受けた鵜住居町を訪問。震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」、同市の犠牲者の芳名を刻んだ慰霊碑がある「釜石祈りのパーク」、被災した小中学校跡地に建設され、ラグビーワールドカップの会場となった「釜石鵜住居復興スタジアム」などを見学。当時の被災状況、住民の避難行動、復興への歩みについてガイドから話を聞いた。2日目は三陸鉄道で釜石―盛(大船渡市)間を往復。沿線の津波被害や復興状況を車窓からの景色を見て学んだ。

 

いのちをつなぐ未来館で東日本大震災について学ぶ=3月26日(関係者撮影)

いのちをつなぐ未来館で東日本大震災について学ぶ=3月26日(関係者撮影)

 

 釜石PITでの交流会には、地元の小中高生22人が参加。釜石高の震災伝承、防災活動グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」は、自作の“防災すごろく”を初お披露目し、厚真、釜石の小中学生に体験してもらった。すごろくのマスには、地震発生時の避難行動で重要なポイントがちりばめられ、子どもたちは楽しみながら防災の知識を身に付けた。制作したゲーム班の山崎楓さん(2年)は「メンバーの実体験を組み込んだ。震災を知らない子どもたちに教訓や防災を教える手段として活用できれば」と望んだ。防災食班は、日常的に非常食を消費し、常に新しいものを備蓄しておく「ローリングストック法」を紹介。賞味期限切れでの廃棄を防ぎ、おいしく食べるレシピの一例として、パンの缶詰を使ったラスク作りを実演した。

 

「防災すごろく」を体験する厚真と釜石の子ども

「防災すごろく」を体験する厚真と釜石の子ども

 

釜石高生によるパンの缶詰を使ったラスク作りの実演。子どもたちも興味津々

釜石高生によるパンの缶詰を使ったラスク作りの実演。子どもたちも興味津々

 

 18年9月6日午前3時7分に発生した大地震で、厚真町は北海道観測史上初の震度7を記録。大規模な土砂災害などで建物や農地が被害を受け、37人(関連死含む)が犠牲になった。家業が神社という中村心陽(こはる)さん(厚真中央小4年)は「大きな揺れで飛び起きた。外に出たら神社の建物の土台がずれ、鳥居も倒れていた。すごく怖かった」と当時を振り返る。

 

 「地震のことをもっと知りたくて参加した」釜石ツアー。「多くの人が亡くなった場所にも行き、悲しい気持ちになった。先に地震を経験した釜石の子は、私たちの気持ちを分かって励ましてくれたり、自分の身を守る方法を教えてくれたりした」と中村さん。被災経験を生かし、防災活動に積極的に取り組む釜石の中高校生の姿を目にし、「私も誰かを助けられる人になりたい。厚真の地震で怖い思いをした高齢者とかにアドバイスしてあげて、みんなが安全に逃げられるようにしたい」と思いを語った。

 

防災すごろくで地震発生時の避難行動を疑似体験する中村心陽さん(左)

防災すごろくで地震発生時の避難行動を疑似体験する中村心陽さん(左)

 

互いに自己紹介し合う厚真と釜石の子どもたち

互いに自己紹介し合う厚真と釜石の子どもたち

 

 両市町を結ぶきっかけを作ったのは、震災の津波で自宅を失い、避難生活を経験した釜石東中2年の藤原菜穂華さん。北海道で同地震があった当時、小学6年生だった藤原さんは「震災でお世話になった北海道の人たちのために何かしたい」と支援活動に乗り出し、サポートする市内団体メンバーと一緒に19年3月、厚真町を訪問。被災した子どもたちに絵本の読み聞かせをしたり、森で一緒に遊んだりし、元気を取り戻すお手伝いをした。

 

 中学生になってからは、市が募集した「大震災かまいしの伝承者」に応募。研修を経て伝承者の認定を受け、語り部活動も始めた。今回、厚真の小中学生を迎えるにあたり、未来館でのガイドを担当。交流会では釜石の魅力を紹介し、双方のまちの子どもたちが交流を深める企画を自らプロデュースした。

 

独自の視点で釜石のまちの魅力を紹介する藤原菜穂華さん

独自の視点で釜石のまちの魅力を紹介する藤原菜穂華さん

 

災害の教訓を学び、互いのまちの良さも共有した交流会

災害の教訓を学び、互いのまちの良さも共有した交流会

 

 「3年前に訪れた時のことを厚真の子たちが覚えていてくれてうれしかった。同じ地震災害でも厚真は土砂災害、釜石は津波。今回の訪問でその違いを感じ、新たに気付かされたこともあったのでは」と藤原さん。今後は「災害を経験した子どもたち同士の交流が経験のない世代や地域にも広がり、防災について一緒に考えられるようになれば」と願う。

 

注)本文中の学年は取材日(3月27日)時点

黄色く染まったハンカチを掲げ、「春色だね」とほほ笑む参加者

きれいな春色!タマネギの皮で「草木染」 釜石・鵜住居公民館で体験講座

黄色く染まったハンカチを掲げ、「春色だね」とほほ笑む参加者

黄色く染まったハンカチを掲げ、「春色だね」とほほ笑む参加者

 

 草花や野菜など自然由来の素材を使って布を染める「草木染(くさきぞめ)」を楽しんでもらう体験講座が3月25日、釜石市鵜住居町の鵜住居公民館で開かれた。使ったのは、料理の際には捨ててしまう「野菜くず」のタマネギの皮。参加者はタマネギを煮出した染料に綿のハンカチ(28センチ四方)を浸し、オリジナル作品を完成させた。

 

 同館が不定期に開催する鵜住居交流講座の一環。新型コロナウイルスの影響で外出機会が減る中、ものづくり体験で地域住民の親交を深めようと企画し、住民5人が参加した。前日に、染まりを良くするための下準備「呉汁」(ごじる=大豆を水に浸し、すりつぶしたもの)処理を体験。今回は豆乳(無調整)と水を混ぜたもので代用し、液にハンカチを浸し、絞って陰干ししていた。

 

出来上がりを想像しながら輪ゴムや割りばしを使って模様付けした

出来上がりを想像しながら輪ゴムや割りばしを使って模様付けした

 

 25日の染色作業は染料となるタマネギの皮むきから開始。皮をゆでて染料を抽出す作業を3回繰り返した。最初は透明だった水が次第に黄色く色づいてくると、参加者は「スープみたいで、おいしそう。飲みたい感じ」と興味深そうにのぞき込んだ。煮出している合間に、ハンカチに模様を付けるための「絞り」に挑戦。ペットボトルのキャップや碁石などを輪ゴムで留めたり、布を折り畳んで割り箸で挟んだり、思い思いに手を動かした。

 

「きれいになーれ」。タマネギの皮でつくった染料に布を浸す女性たち

「きれいになーれ」。タマネギの皮でつくった染料に布を浸す女性たち

 

 タマネギの皮から抽出した染料に、模様付けたしたハンカチを約20分間浸した。待つ間に、染料の色落ちを防ぐために必要な「媒染(ばいせん)剤」づくり。今回はミョウバンを使い、ぬるま湯で溶かした媒染液に、さらに20分間浸した。明るい黄色に染まったハンカチに、参加者は「こんなにきれいな色が出るなんて」「春が来た感じ」と歓声。水洗いしながら輪ゴムなどを外すと、白い輪の模様などができていて、「いいね。かわいい」と笑顔を広げていた。

 

 町内の復興住宅で暮らす紺野眞知子さん(67)は、初めての染め物体験を楽しんだ様子。「タマネギの皮でこんなことができるなんて考えもしなかった。きれいな色に仕上がった。違った模様を作ってみたいと意欲が湧く。いろんな人と話ができるのもいいね」と目を細めた。

 

タマネギの皮をゆでている合間に、身を使った料理作りに取り組んだ

タマネギの皮をゆでている合間に、身を使った料理作りに取り組んだ

 

 同館では現在、染め物について研究を重ねている。ナスやアボカド、サクラやウメの枝などを使った方法を試行錯誤し、今回は家庭にあるもので手軽に使うことができるタマネギの皮を選んだ。講師役を務めた主任の村田奈々さん(38)は「食材を使い切る、あるものを上手に活用するのは大事なこと。SDGsや食品ロス、廃棄物の再利用、環境について考えるきっかけになれば。気軽に家庭でも染め物体験をして、世界に一つの自分だけのものを作ってみてほしい」と期待する。

佐渡裕さん率いるスーパーキッズ・オーケストラ

佐渡裕さん&SKO 震災被災地に思い寄せ11年 釜石市長が感謝状贈呈

佐渡裕さん率いるスーパーキッズ・オーケストラ

佐渡裕さん率いるスーパーキッズ・オーケストラ

 

 世界的指揮者・佐渡裕さんが率いるスーパーキッズ・オーケストラ(SKO、兵庫県西宮市)が、今年も東日本大震災の被災地に鎮魂と復興を願う音色を届けた。釜石市では20日、大町の市民ホールTETTOでコンサートを行った後、鵜住居町根浜で多くの犠牲者が眠る海に向かって献奏。2011年から同市に寄り添い続ける佐渡さんらに野田武則釜石市長は感謝状を贈り、市民の気持ちを代弁した。

 

 SKOのコンサートは本県などが主催する「さんりく音楽祭」として19日から3日間、宮古、釜石、陸前高田の3市で開かれた。釜石会場には野田武則市長が駆け付け、演奏に先立ち感謝状を贈呈。市民の心の復興に多大な貢献をしてきた同団に深い感謝と敬意を表した。

 

野田武則釜石市長から感謝状と虎頭が贈られた

野田武則釜石市長から感謝状と虎頭が贈られた

 

 今回は小学5年生から高校3年生まで26人のメンバーが来釜。クラシックに映画、舞台音楽を織り交ぜた全8プログラムを届けた。「リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲」(レスピーギ)は、震災の1年後、仏パリのノートルダム大聖堂で東北を思う2千人規模のミサが開かれた際に、同団が招かれ演奏した思い入れの強い曲。厳しいオーディションで選抜されたメンバーが奏でるクオリティーの高い演奏に、観客約380人が聞き入った。アンコールの拍手が鳴りやまず、さらに2曲を演奏した。

 

さんりく音楽祭2022(こころのビタミンプロジェクトin釜石)=20日

さんりく音楽祭2022(こころのビタミンプロジェクトin釜石)=20日

 

さんりく音楽祭2022(こころのビタミンプロジェクトin釜石)=20日

 

 甲子町の50代女性は、子どもたちの演奏技術と迫力に「すごく上手でびっくり。感動しました。被災地を忘れないでいてくれてありがたい」と感謝。野田町の畠山政美さん(41)は「(SKOの演奏は)初めて聞いた。生の音はやっぱりいい。ピアノを習う娘にも刺激になったよう」と喜んだ。

 

 SKOは、阪神・淡路大震災から10年を機に復興のシンボルとして創設された兵庫県立芸術文化センターのソフト先行事業として、03年から活動を開始。全国の弦楽器に取り組む子どもたちをオーディションで選抜し、同センター芸術監督の佐渡裕さんの指揮、指導でさまざまな活動を展開している。

 

 釜石との縁は、震災津波で被災した根浜の旅館「宝来館」のおかみ岩崎昭子さんが佐渡さんに送った手紙がきっかけ。11年8月に初めて根浜海岸を訪れ、鎮魂の演奏をささげた。以来、年1回の献奏が市民の傷ついた心を癒やし、復興に向かう力を与えてきた。「神戸はたくさんの支援で復興を遂げた。亡くなられた方に手を合わせ、もっと豊かなまちを創っていくことは大きな使命。これからも釜石との縁をつなぎ、このまちの未来に寄り添いたい」と佐渡さん。

 

佐渡さんらが釜石と縁を結ぶきっかけを作った宝来館おかみの岩崎昭子さん(右手前)

佐渡さんらが釜石と縁を結ぶきっかけを作った宝来館おかみの岩崎昭子さん(右手前)

 

宝来館から根浜の海に向かって献奏するSKO

宝来館から根浜の海に向かって献奏するSKO

 

 団員らはTETTOでの演奏後、宝来館に移動し、海に向かって献奏。「ふるさと」を含む4曲を奏で、集まった地元住民らとこの11年間に思いをはせた。

 

 今回コンサートマスターを務め、バイオリンソロで観客を魅了した垣内響太さん(18)は、12年に最年少バイオリニスト(当時9歳)としてSKOに入団。翌年、単身で渡英し、名門音楽院で研さんを積んできた。現在、ベルリン芸術大1年生。根浜には12年から足を運ぶ。

 
 「タイスの瞑想曲」でバイオリンソロを聞かせる垣内響太さん(中央)

「タイスの瞑想曲」でバイオリンソロを聞かせる垣内響太さん(中央)

 

 震災の爪跡を目の当たりにした当時を振り返り、「小さかった僕でも衝撃を受けるほど記憶に残っている。今は本当に見違えて別世界のよう」と11年の時の重みを実感。被災地での演奏は「人に寄り添う音楽」の大切さを気付かせた。「音楽は言語のいらない世界共通の言葉。それを世界に広げていけるような音楽家になりたい」と夢を描く。

 

 本県初、唯一の団員、チェロの若林出帆さん(盛岡一高3年)は、小学1年時に震災を経験。SKOの東北ツアーに足を運ぶ中で入団を目指すようになり、高校1年の時に3回目の挑戦で合格を勝ち取った。「周りのレベルが高いので、すごくいい刺激をもらった。演奏後の観客の拍手や手を振ってくれる姿がうれしく、やって良かった」。SKOは本年度で“卒業”となるが、「これからも演奏は続け、音楽を通じていろいろな人と関わっていきたい」と未来を見据える。

 
根浜海岸の松林では地元住民らが演奏を見守った

根浜海岸の松林では地元住民らが演奏を見守った

 

 SKOはこの日、根浜と同様に11年から訪れる大槌町吉里吉里の吉祥寺でも献奏を行った。

「独特の技法で作り出す絵は、完成したときの達成感もひとしお」と黒須さん

繊細、複雑…かみわざ!切り絵作家・黒須由里江さん(釜石)作品展

「独特の技法で作り出す絵は、完成したときの達成感もひとしお」と黒須さん

「独特の技法で作り出す絵は、完成したときの達成感もひとしお」と黒須さん

 

 釜石市の美術集団サムディ45所属の切り絵作家、黒須由里江さん(43)の作品展「かみわざ」が、大町の市民ホールTETTOギャラリーで開かれている。釜石・大槌在住の作家を紹介する同ホールの自主事業「art at TETTO(アートアットテット)」の第4弾。神話や仏教、伝承などをモチーフに、複雑で細緻な線をつないだ「どこか色気のある」作品を生み出してきた黒須さん。自身初の個展で、最新作を含め約20点を展示している。27日まで。

 

 黒須さんは大槌町出身。小さい頃から絵を描くことが好きだったが、油彩や水彩、美術学校を卒業するなど専門的に学んでおらず、色を塗るのは苦手。ただ、デッサンには自信があり、描くことはやめなかった。描いた線を作品として残す方法を試行錯誤し、たどり着いたのが切り絵。細かな線を切り抜いた紙(絵)と台紙(背景)が作る2色の世界観が線を際立たせる手段としてピタリとはまり、10年ほど前に始めた。同じ頃に同集団にも加入。釜石市内の郵便局に勤める傍ら創作活動に励んでいる。

 

神話や仏教などをモチーフにした作品が並ぶ

神話や仏教などをモチーフにした作品が並ぶ

 

 神話上の生物や仏像、風俗習慣などに関心があり、「想像上のものを絵にしたら面白い。自分だったら…」と心を動かされるものを作品にしてきた黒須さん。展示では、インド神話や仏教に関わりのある「鳥頭人身有翼」の神をモチーフにした「迦楼羅(かるら)」、千の手で衆生を救うという「千手観音」を主題にした「hands」、最新作でインドネシア・バリ島の伝統的な民族舞踊に登場する「聖獣バロン」と「魔女ランダ」の戦いを描いた「バロンダンス」など、繊細ながらも躍動感あふれる世界を見せる。

 

 19、20日にはワークショップを開催。参加者は、黒須さんがデザインした虎舞などの図案の切り抜きに挑戦した。線が太めの図案でも細かな作業が必要な部分もあり、体験者たちは図案に集中。黙々と手を動かしていた50代の女性は「力の入れ具合、細かいとことから切るというコツをつかむとサクサク作業が進む。出来上がった時の達成感が気持ちいい。リフレッシュしたい時にやってみるのもいいかも」と楽しんでいた。

 

切り絵体験ワークショップで達成感を得る参加者、見守る黒須さん(中)

切り絵体験ワークショップで達成感を得る参加者、見守る黒須さん(中)

 

 黒須さんは、中央美術協会主催の公募展「中美展」に2015年から出品し、入選・入賞を重ねていて、昨年は「バロンダンス」が準会員賞に選ばれた。審査員から「独特の切り絵。どこか色気がある」と評価され、独学ながらも続けてきた作風に手応えを実感。市販で手に入るラシャ紙で一番大きいサイズ(縦約110センチ、横約80センチ)を目いっぱい使った作品を作りたい―と意欲を高めている。

 

 大作は完成までに約半年かかるといい、並んだ作品には「達成感のほかに、(制作から)解放された喜びがあふれている」と黒須さん。「どうやってこれを作ったのか、想像しながら見てもらえたら、うれしい」とほほ笑む。

 

来場者はお気に入りの作品探しを楽しんでいる

来場者はお気に入りの作品探しを楽しんでいる

 

 かみわざは午前9時~午後9時(最終日は午後4時)まで鑑賞できる。26、27日は黒須さんの実演がある。

唐丹の天文学者・葛西昌丕の人柄を描いた第35回釜石市民劇場の公演

2年ぶりの公演「釜石市民劇場」 人間愛伝える舞台で観客の心潤す

唐丹の天文学者・葛西昌丕の人柄を描いた第35回釜石市民劇場の公演

唐丹の天文学者・葛西昌丕の人柄を描いた第35回釜石市民劇場の公演

 

 第35回釜石市民劇場~満天の星は知っている「天文学者葛西昌丕」若き日の私記~(同実行委主催)は6日、大町の市民ホールTETTOで上演された。江戸時代に天文学者として功績を残した釜石の偉人葛西昌丕の人物像をフィクションで描いた物語。2回の公演に計267人が足を運び、笑いあり涙ありの舞台を楽しんだ。

 

 葛西昌丕(1765―1836)は唐丹村(現唐丹町)本郷生まれ。水産加工業を営む地元の名家に育った昌丕は、若くして仙台に出て、国学や天文地理を学ぶ。江戸幕府の命で全国を測量して歩いた伊能忠敬が唐丹村を訪れた後、その業績を石碑に刻み、忠敬が天測した北緯の数値と星座名などを刻んだ「星座石」を残した。

 

 劇中では、地域愛にあふれた人情家としての側面にスポットをあて、地域住民との関わりを通して昌丕の人柄などを描いた。物語は、漁で両親を亡くしたおユキが一緒に暮らす祖母と妹の元を離れ、遠い親戚のウメが働く葛西家の加工場に連れてこられるところから始まる。2人は優しく接する昌丕に心を開き、それぞれが抱える苦悩を吐露。昌丕のおかげで互いの気持ちを知り、親子のような関係を築いていく。

 

昌丕(左から2人目)は父親が経営する水産加工場の従業員からも慕われる

昌丕(左から2人目)は父親が経営する水産加工場の従業員からも慕われる

 

夜になっても戻らないおユキを心配し探し回る

夜になっても戻らないおユキを心配し探し回る

 

おユキ(左)を見つけ、優しい言葉をかける昌丕

おユキ(左)を見つけ、優しい言葉をかける昌丕

 

 観劇した中妻町の佐藤弘樹さん(44)は「悲しい出来事を乗り越えていくのに、周りの人たちの助けは大きな力。出会いの縁で互いに救われることもある」と実感。自身も同劇場の出演経験者。コロナ禍で制約がある中での稽古の大変さを思いやりながら、「子役の声がすごく出ていて良かった」と頑張りをたたえた。

 

 市内の60代女性は「皆さん上手で物語の中に引き込まれた。コロナにウクライナの戦禍。暗いニュースばかりだが、ひととき忘れることができた」。県内の感染拡大で外出もままならないが、「TETTOは空調もしっかりしているし、安心感がある」と、地元での娯楽を満喫した。

 

 キャストは総勢14人。昨年11月末から稽古を始め、制作スタッフらと思いを一つに舞台を作り上げた。新型コロナウイルス禍で昨年度は休演、2年ぶりとなる本公演は、感染状況を注視しながらの準備となった。無観客開催も選択肢の1つに考えたが、総合的に判断し、本番5日前に観客を入れての開催を決断した。

 

 主人公・葛西昌丕を演じた久保修二さん(54)は終演後、「楽しかった」と開口一番。自営業を営む花巻市から、毎回稽古に通った。「やり遂げた達成感が大きい。みんなのおかげ。仲間とのつながりも深まった」と感謝した。

 

葛西昌丕役を演じた久保修二さん(右)

葛西昌丕役を演じた久保修二さん(右)

 

 初参加の森美惠さん(14)は、自分とは正反対の静かな女の子を演じた。「言葉のない演技をどう見せるか、考えて工夫した。できは96点ぐらい?!」。最初は不安だったが、仲間と1つの作品を作り上げる楽しさを知った。「来年も参加したい」と望む。

 

 コミカルな演技で笑わせたのは、追いはぎの弟分を演じた木川田光成さん(39)。震災で被災し、今は遠野市に暮らす。遠野の市民劇にも参加し、出演歴は釜石7回、遠野4回。コロナ禍の影響を「職業によっては人が集まる活動を制限されたり、まちをまたぐ活動に厳しい目を向けられたり。精神的葛藤はみんなあるだろう」と語る。無事に公演を終え、ほっとした様子で、「お客さんに見てもらえたのが何より」と喜びをかみしめた。

 

抜群の演技力で観客の笑いを誘った追いはぎ・弥助役の木川田光成さん(中)

抜群の演技力で観客の笑いを誘った追いはぎ・弥助役の木川田光成さん(中)

 

終演のあいさつをするキャスト、スタッフらに大きな拍手が送られた

終演のあいさつをするキャスト、スタッフらに大きな拍手が送られた

釜石初公演の「朗読劇 あの日から~加奈子~」

朗読劇で描く震災 短編小説「加奈子」県内のアナウンサー・演劇人が語る

釜石初公演の「朗読劇 あの日から~加奈子~」

釜石初公演の「朗読劇 あの日から~加奈子~」

 

 東日本大震災から間もなく11年―。同震災を題材にした短編小説「加奈子」の朗読劇が2月26日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された。盛岡市のNPO法人いわてアートサポートセンターが主催。県内のアナウンサーや演劇人5人が出演し、物語に込められた思いを朗読という手法で伝えた。

 

 「加奈子」は金ケ崎町在住の作家・平谷美樹さんが書き下ろした作品。本県出身作家12人による震災をテーマにした短編小説集「あの日から」(岩手日報社刊)に収録されている。朗読劇としての上演は2016年の宮古市、21年の盛岡市、二戸市に続き釜石が4カ所目。釜石公演は震災10年に合わせ計画されたが、新型コロナウイルスの影響で1年延期され、この日の実現となった。

 

 物語は、震災から3、4年後を想定して描かれた。三陸沿岸のまちで生まれ育った主人公・加奈子は、東京で震災を経験。父親の反対を押し切り駆け落ち上京。9年間、故郷に戻らなかった加奈子は、すぐには被災したまちに帰れずにいた。震災から数年を経て、突き動かされるように戻った故郷は高校まで慣れ親しんだ景色はなく、復興のまっただ中。姉ら家族が前を向いて暮らす姿。復興に携わる人との出会い。加奈子は自分が求める生き方を模索していく。

 

 主人公・加奈子を演じたのは、盛岡市の「劇団赤い風」の若手役者で、今年から釜石市のケーブルテレビ局で働く久保綾愛さん。釜石からは2015年に「劇団もしょこむ」を旗揚げし、市内外で公演活動を行う小笠原景子さんも出演し、加奈子の姉役などでその実力を発揮した。

 

主人公・加奈子を演じる久保綾愛さん(前列左)。豊かな声色と表情で加奈子の心情を表現した

主人公・加奈子を演じる久保綾愛さん(前列左)。豊かな声色と表情で加奈子の心情を表現した

 

釜石の「劇団もしょこむ」代表・小笠原景子さん(前列)。釜石市民劇場などでも活躍する

釜石の「劇団もしょこむ」代表・小笠原景子さん(前列)。釜石市民劇場などでも活躍する

 

 公演後は原作者の平谷さん、出演した小笠原さんらによるアフタートークも行われた。同作は、本県のアマチュア映画創作集団「オトナ映画部」に所属する平谷さんが、映像作品の脚本として書いたものを小説化した。教師時代、6年間いた宮古市に、震災の年の秋に訪れ、「現実を直視して書かなければ」と思いを強めた平谷さん。発災時は内陸にいて、「何もできない自分に負い目を感じていた。加奈子という主人公は私自身」と物語の根幹を語った。

 

終演後、作品について語る原作者の平谷美樹さん

終演後、作品について語る原作者の平谷美樹さん

 

 小笠原さんは自身の劇団の旗揚げ公演で、仮設住宅に暮らす姉妹の心の葛藤を描いた作品を上演。以来、震災関連の出演オファーが増えたが、「その都度、ためらうことが多かった」。被災地にいるが、無事だった自分。「みんなの気持ちに寄り添えないのではないか…」。迷いながらの活動の中、朗読劇という新たな手法と出会った。「聞く人それぞれに違った情景や人物像を想像し、作品を受け止める。朗読だからこそ可能な表現であり、伝え方」と小笠原さん。

 

 生き残った者のうしろめたさ。惨状を目の当たりにしたつらさ。震災を経験した一人一人の心の傷は計り知れないが、平谷さんは「いつか自分の口で(経験を)語れるようになれば」と願う。小笠原さんも「人の言葉で聞くと感じ方が違う。震災時、幼かった自分の子どもにも当時の話をするようにしている」と、語り継ぐ大切さを訴える。

 

終演後あいさつする(左から)小笠原さん、長谷川拳杜さん(IBC岩手放送)、久保さん、江幡平三郎さん(同)、山井真帆さん(二戸演劇協会the雲人)

終演後あいさつする(左から)小笠原さん、長谷川拳杜さん(IBC岩手放送)、久保さん、江幡平三郎さん(同)、山井真帆さん(二戸演劇協会the雲人)

 

 公演に足を運んだ浜町の女性(56)は「泣かせる話かと恐る恐る見に来たが、前向きな話。平谷さんが言っていた家族や親子といった普遍的要素があり、聞きやすかった。今でも当時を思い出すと涙が出そうになるが、この10年、いろいろなことに気付かされながら生きてきた」と静かにうなずいた。