2019年春、釜石に二つの施設が続けてオープンしました。
東日本大震災の教訓を後世に伝える、震災伝承と防災学習のための施設「いのちをつなぐ未来館」を含む「うのすまい・トモス」、“魚のまち釜石”として待望の施設「魚河岸テラス」。
それぞれの施設に、この春に大学を卒業して新社会人となった、釜石出身の2人の女性が働いています。
インタビューでお二人が口にしたのは「地元、地域の方々と一緒に・・・」という言葉でした。
取材先:
①かまいしDMC(株)地域創生事業部 鵜住居トモス運営課 菊池のどかさん(いのちをつなぐ未来館)
インタビュー:2019年5月21日
②かまいしDMC(株)地域創生事業部 魚河岸テラス運営課 小松野麻実さん(魚河岸テラス)
インタビュー:2019年5月22日
企画・編集:釜石まちづくり株式会社
取材・文:市川香織(釜石まちづくり株式会社)
写真:西条佳泰(株式会社Grafica)
いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん
ーー担当されている業務を教えてください。
私は、『うのすまい・トモス』の施設の「祈りのパーク」と「いのちをつなぐ未来館」を担当しています。それぞれの施設をお客様にご案内する館内ガイドがメインの仕事です。
ーー大きな関心が寄せられる新施設。GWも越えましたが、ここまでどうでしたか?
この2か月間で、本当にたくさんの方々とお会いする事が出来ました。
その中で、地元の方が何度も訪れて下さって、だんだん話をして下さるようになってきているんですね。なので、ほんとにまだ2か月しか経っていないんですけど、このままの関係が続いて行けばいいなって思っています。
ーー地元の方も多いですか?
割合でいうと、他地域の方が多いかもしれないんですけど、日によって、今日は地元の方が多くいらしているなぁという時もあります。震災前は同じ地域の同じ地区に住んでいたけれど、震災後に別の場所に移った方たちがここでばったり会って、「おお!久しぶり!」と声を掛け合っている光景を良く目にします。
ーーこれまでの来館者の方とのやり取りで印象的だったことは?
そうですね、例えば、「ここ(施設の場所)は元々鵜住居の町では無かったんでしょう?」と、震災前のこの場所を知らない方からそう聞かれた事がありました。元々は広場だったと思っていらっしゃる方もいて。
そうした事があった後からは、ガイドの時に「ここは震災前は住宅街で・・・」というお話からきちんと説明するようにし、釜石市外の方をご案内する時には、そういう所からしっかり丁寧にお話しなければならないんだなと気付かせていただきました。
それから、地元の方から掛けられた言葉としては、「一緒に頑張っていくべし!」という言葉ですね。「“一緒に”って言ってくれた!」と思って、それが嬉しかったですね。
ーー入って来て、すぐに展示スペースがありますが、この施設の利用方法についても教えてください。
企画展の内容は毎月変わりますので、月に1回来ていただいて何度も見ていただきたいなと思いますし、真ん中のスペースは図書スペースで、置いてある本を自由に座って読んで頂ける場所ですので、ぜひご利用していただければと思います。
この施設は、震災に関する展示が入ってすぐの所からではなくて、奥側からスタートし、館内に入ってもすぐには目に入らない造りになっています。
なので、震災の展示を見に来る目的以外でも大丈夫なので、駅やバス停も近いですし、待ち合わせ場所などに利用して頂いても全然かまわないので・・・いつでもふらっと来ていただければ嬉しいですね。
それとは対照的に、釜石市外から来てくださる方々には、ここに来てくれたからには、絶対にお伝えしなければいけない事があります。
それは、この場所でたくさんの方が亡くなったという事と、それを繰り返してはいけないという事です。それをしっかりお伝えしたいと思います。
もし参考になるなら、釜石市で震災前から防災教育が行われていたという事もお伝えしたいです。
ーーその防災教育という点では、震災の時、のどかさんは中学3年生?
そうですね、卒業式目前の時でした。
ーー防災教育を受けていらっしゃって、あの時その教育を活かして無事に避難出来たわけですが、そのお話をする時、伝える時に、“辛いな”と思う時はないですか?
辛いという気持ちは無いですね・・・、今の所かもしれないですけれども。
やっぱり、伝えなければならない事だと思うので、辛いという気持ちは今まで持った事はないです、向き合い方を覚えて来たのかもしれないですけれど・・・。
それよりもやっぱり、なんて言うか・・・人が災害で亡くなるという事が辛いというか・・・。
だから今伝えなくてはならないという想いがあります。
ーーそれは、しっかり備え、それを実行すれば、命を守る事が出来るから・・・という事を伝えたいという事ですか?
そうですね。震災前は自分もやれば出来ると思っていたんですけど、自分達が考えるだけではなくて、どんどん周りを巻き込んで行かないと本当に全員助かる事は出来ない・・・という事をあの震災で知って。
だから今は、災害が起こる前に、自分の周りに協力者をどんどんと増やして行って欲しいという事を伝えています。
ーー働く上で大切にしている事、大事にしている事はありますか?
ガイドをする時は、来て下さった方によって、全くではないですけれどけっこう違う種類の話をしているんです。
逆に言うと、その人の事を知るというか、その人に合わせてって言ったら変かもしれないですけれど、その人は何を知りたいのか?それと、何を聞きたくないか、知りたくないか?そういう部分にも配慮するようにしています。
まだまだ、ちゃんと出来ていないとは思うんですけど。
なので、ここで働くようになってから、色々な立場の方にお話出来るように震災当時の事を調べ直したり、実際にお話を聞きにいったりしています。
来てくれた方が、色々とお話して教えてくれる事もありますので、ここで働いていると、地元の方とお話する事が仕事に直結しているので、聞く事も仕事です。
そして、私がお聞きした事を更に違う人にお伝えする事が、誰かを助ける事にも繋がると思うので、そこはすごく大事にしています。人を大事にするという事が今、私の中では一番です。
ーー大学卒業後は釜石に戻って来ようと決めていたんですか?
高校の時には、釜石に戻って来ようと思って大学を選びました(岩手県立大学)。
でも、大学に通っている間にだんだんと釜石での就職先が減っていて・・・「帰れるのかな・・・」っていう感じだったんです。本当に就職難民状態だったんですけれど、こちらがオープンする事を聞いて、それで「釜石DMCに就職したい!」と思って決めました。
ーー東日本大震災から8年が経ち、まちの姿が変わっていくふるさと。今の釜石にどんな想いがありますか?
今の釜石・・・って考えた時に、昔の釜石が今は思い出せないなぁって・・・。何となく大まかに「ここには何があって」くらいの感じには思い出せるんですけど、完全には思い出せない状況で・・・、今のまちが自分の中の釜石になって来ているというか、昔のまちの姿は薄れてきていています。
逆にいうと、そういう部分に怖さがあります。例えば、昔の防災教育で言うと、昔の土地だから通用した事で、今のまちに通用するかというと、たぶん違う部分もあると思うので。そこから、考え直すというか、ちゃんと向き合わないといけないなと思います。
ーーまた、近い将来と遠い未来、どんな釜石になって欲しいですか?
近い将来は、釜石だけではなくて、どの場所でも災害が無ければ良いなぁと思います。
それから、どんな釜石に・・・という事で言うと、自分が小さい頃には、釜石はすでに衰退の一途を辿っていたという印象で、周りの人たちに「昔の釜石は良かった」「今は面白くねぇなぁー」とか聞きながら、あまり明るい話を聞かずに育ってきた世代なので、だからこそ逆に「明るくしたい」というか・・・。
なので、近い将来は、今度は自分達が大人になり、さっきの話で言うと「面白くねぇなぁー」って言っていた人たちの世代になった時、「釜石、めっちゃ面白いな!」って言える世代になっていたいと思います。
ーー個人として、将来の目標は?
近い目標としては、地域の人たちと仲良くなって、お互いに意見を言い合えるようになりたいというのがまず一つで、信頼関係を築きたいです。信頼関係を築いて、防災についてはもちろんなんですけれど、地域に人たちが顔を見せてくれるような施設にしたいなと思います。
『いのちをつなぐ未来館』では、毎月展示スペースで企画展を行っています。詳細は以下からご覧ください。
うのすまい・トモス』公式サイト https://unosumai-tomosu.jp/
Facebookページ https://www.facebook.com/unosumaitomosu/
魚河岸テラス 小松野麻実さん
ーー担当されている業務を教えてください。
私は、この施設の1階にある産直コーナーと、釜石で様々な体験が出来るプログラムを提供する『ミートアップ釜石』に関わらせてもらっています。
大学3年生の時に行った、三陸ひとつなぎ自然学校(略称:さんつな)さんでのインターンシップでも、ミートアップ釜石に関わらせていただいたので、そういう経験も活かしながら担当させていただいています。
ーー釜石に戻ってくる事は決めていたんですか?
そうですね、ずっと言ってましたね。高校の時に大学を決める際も、本当は釜石を出たくなくて、でも釜石には大学は無いし(笑)。将来の夢も、震災の後は「釜石の為に働きたい」という想いはあったんですけど、釜石で復興に関わる仕事って?と考えた時に、そこに繋がる仕事があまり浮かんでこなかったというか、「今の私に何が出来るんだろう?」って。それで、大学で何を学ぶか?というのも中々決められなくって。
その時に桜美林大学を勧めてもらって、『リベラルアーツ学群』という、教養学部でも幅広い分野から好きな教科を選んで進んで行くという学部を教えてもらって、それで一旦釜石を出ました。
でも、やっぱり、釜石とか岩手と関わる事をしたくて、そういうイベントやNPOの取り組みに積極的に参加していました。関東にいても、岩手づくしでした(笑)。
でも4年生の時に、悩んだ時期があって。「今帰って、私に何が出来るんだろう?」って考え込んでしまって。すぐに帰らずに、こっちでもっと色々と勉強し、経験を積んでから釜石に戻った方が役に立てるかも・・・と思ったりもしていました。
でも、今の会社のお話を伺っていたこともあり、「やっぱり帰ります!」と釜石に戻って来ました。
ーー小松野さんは、東日本大震災の時は、中学2年生?
そうです、中3になる春でしたね。
ーー小松野さんの年代だと、防災教育はどういう事を?
片田敏孝先生が、釜石の小中学校で行って下さっていた『津波てんでんこ』の取り組みは、片田先生から直接ではないですが、釜石小学校の時に授業で学びました。
釜石小学校の避難訓練は、学校に居る時に「校庭に集まりましょう」というような避難訓練ではなくて、下校の時に行われるんです。帰りの途中に避難のサイレンが鳴り、その時に自分がいる場所から、一番近い高台に避難する。自分でその時に状況の中で考えて避難する、実戦型の訓練でした。
また、学習発表会では、毎年6年生が津波に関する劇を演じて、それを生徒だけではなく父兄や地域に方にも観てもらっていました。それがすごく良い教材だと思っていて、自分達が劇を演じる事で「津波てんでんこ」について学べる事はもちろんあるんですけど、観てくれている親やおじいちゃんおばあちゃんにとっても、防災を改めて考える時間になるなぁと思って。
それから、地域の人が語り部になって、昔の津波のお話をしてくれる日もありました。
学校だけではなくて、周りの地域の皆さんと一緒に防災について考えるという機会が、小学生の時はとても多かったです。
釜石中学校になると、やっぱり内陸(注・海からは離れた浸水区域外の場所)になるので、どうしても防災の中心が火災になってしまってはいたんです。でも、中学校の先生に、震災以降に防災教育は変わりましたか?と聞いてみたら、やっぱり変わったと言っていて、火災だけではなくて津波の時も想定して、トイレを作るワークショップなどをやるようになったとおっしゃっていました。
私としては、内陸側の学校は避難所になる場合もあると思うので、避難所運営のワークショップを開いたりするのもいいんじゃないかなって思います。
ーー大学在学中に防災士の資格を取られたとお聞きしました。
そうですね。釜石で防災教育は受けたけど、“自分自身の基礎をきちんと付けないといけない”と思って、大学3年生の時に取りました。
でも、資格を取ったらそれで終わりというのが防災士には多くて・・・。私はそれがイヤだったので、神奈川にある「かながわ311ネットワーク」という団体にお世話になって、防災ファシリテーター養成講座を受講しました。まだ自分がメインになっての活動は出来ていないんですけど、学校での防災教育の時のお手伝いとして参加させていただきました。
ーー魚河岸テラスは海が目の前ですから、避難については、訓練・計画等が重要になってくると思うので、そういう面にも役立ちますね。
そうですね、絶対役立てます!それから、地元の皆さんも巻き込みながら出来たら良いなぁって。簡単ではないとは思うんですけど、それもして行きたいです。
ーー住んでいる地域に新しく出来た観光施設。住民としての目線でみるとどうですか?
個人的には、すごく嬉しくて。これまでこの辺りの地区には何もなかったので、地域活性や地元の人たちの元気につながるかなぁって。
観光客の方に来ていただくのはもちろんなんですけど、やっぱり、地元の人も来てくれるような施設にする事が理想なので。担当している産直も、そういう面も考えながら品ぞろえして行きたいと考えています。
ーー話題の新施設。GWも越えましたが、ここまでどうでしたか?
この場所は、釜石市の中でもほんとに地元で、小さい頃はテトラポットで遊んだりしていたので、今でも潮の香りを吸い込むと落ち着きますし、思い出の場所です。
なので、施設が出来て最初にテラスに立った時は、この場所の震災の時の景色も見ていたので、とても感慨深かったです。
オープニングの時も、ここに人がたくさん来て下さって「地元にこんなに人がいる!」って嬉しくて!
GW中もたくさんお越しいただいて、本当にありがたいです!
ーーまた、近い未来と遠い未来、釜石の今後についてはどうなっていって欲しいですか?
施設管理の目線で言うと、ここを造って終わりではなくて、地元のみなさんの元気に繋がるようにたくさん利用して頂ける仕組みを作って、どんどん来て頂ける施設になりたいと思います。
個人的には色々あって・・・、その中でも“さんつな”さんの理念と一緒なんですけど、「故郷に誇りを取り戻してほしい」というのがすごくあります。
それから、元の釜石に戻るのではなくて、ラグビーワールドカップの盛り上げなどを、その後の“まちづくり”につなげていけたらいいなと思います。その盛り上がりも、一部の人だけとかではなくて、出来れば市民みんなで一緒に盛り上げて行きたい、一緒に元気になって行くというのが理想です。
「そんなこと関係ない」「勝手にやればいい」みたいなことではなくて、せっかくだからみんな一緒に楽しみながら出来たらいいですよね。
ーーその“誇り”という点で、一度、外に出て感じた釜石の良さ、気が付いた事は?
釜石の外に出たら、外から盛り上げようと色々な挑戦をしている人たちがたくさんいる人たちの存在を知って、
そういう人たちの中から実際に釜石に来て中からまた盛り上げてくれる人たちもいて。
釜石は「オープンシティ」という事で、そういう人たちを受け入れる体制があって、魅力的な人がたくさんいる。そこが釜石の良い所だと思います。外から来た人たちの視点は地元の人たちにとって刺激になると思うので、「オープンシティ」すごく良いと思います。
ーー個人として、将来の目標は?
地域の人に近い存在になりたい、地域の人ともっともっと関わりっていきたいです。
それは、仕事の面だけではなくて、地域の人と交流して一緒に何かをして一緒に楽しむとか。自分自身も楽しみながら、これからも働いて行きたいです。
最後に魚河岸テラスからイベントのお知らせです。
第2回 かまいし手しごとマルシェ
2019年7月27日(土)10:30~17:00、28日(日)9:00~16:00
会場:魚河岸テラス
魚河岸テラス公式サイト https://uogashi-terrace.jp/
Facebookページ https://www.facebook.com/uogashiterrace/
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縁とらんす編集部による記事です。
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