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第31回 釜石よいさ

第31回 釜石よいさ

 

100年燃え続けた製鉄所の高炉の火が消え、これから先への不安が釜石全体を覆っていた1987年8月9日、釜石よいさは産声を上げました。街に活気を取り戻したい、自分たちにできることはないか、市内に住む若者が中心となって始まった釜石よいさは、釜石の夏を彩るイベントとして定着し、長く市民に親しまれてきました。
 
東日本大震災による2年の休止を経て、次世代に受け継がれた“釜石の夏の風物詩”は、早いもので復活から7年目を迎えます。今年も“夏の風物詩”を思い切り楽しみましょう!

 

日時

2019年8月3日(土)16:00~19:15
雨天決行・荒天中止

場所

岩手県釜石市大町〜只越町 特設会場

タイムテーブル

16:00 オープニングセレモニー
16:15 ラグビー体操(上中島こども園)
16:25 虎舞(鵜住居青年会)
16:40 子供よいさ
17:00 お囃子隊&よいさ小町お披露目〜前囃子
17:05 よいさ 第一部
17:45 ラグビーワールドカップ2019プロモーション
17:50 桜舞太鼓
18:05 釜石小唄(佐野より子×よいさ小町)~スタコラ音頭
18:20 よいさ 第二部
19:00 フィナーレ

主催

釜石よいさ実行委員会
後援:釜石市、釜石商工会議所

 

釜石よいさ公式サイト
https://www.yoisa.jp/

釜石よいさ実行委員会

釜石よいさ実行委員会

釜石よいさは釜石の夏の風物詩として市民から親しまれているお祭りです。

問い合わせ:080-1194-0413 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト

根浜海岸に歓声戻る、震災後初 海開き〜海を楽しむ多彩なプログラム

根浜海岸に歓声戻る、震災後初 海開き〜海を楽しむ多彩なプログラム

海開きした根浜海岸での遊びを楽しむ海水浴客

海開きした根浜海岸での遊びを楽しむ海水浴客

 

今日から、思いっきり海あそびを楽しむ―。釜石市鵜住居町の根浜海岸の海水浴場が20日、東日本大震災後初めて海開きをした。津波で砂浜が失われ、再生工事が完了した約150メートルを使った海水浴場の復活の第一歩。地元団体が主催する海遊びイベントも開かれ、浜辺には9年ぶりに家族連れや海水浴客の笑顔が戻った。

 

午前9時からの安全祈願祭(釜石観光物産協会主催)が終わるころに青空が見え始めて気温も上昇。続いて行われた海開き開設式(根浜MIND主催)には海水浴客らが続々と集まってきた。

 

「たくさんの人たちの協力に感謝します。きれいな海、よみがえった砂浜で、今日から思いっきり海あそびを楽しみます」。志土富翼君(釜石小6年)、櫻庭瑠衣さん(小佐野小同)が宣言し、午前10時過ぎ、家族連れや地元の子どもたちがいっせいに海に入った。

 

子どもたちは「冷たい」「しょっぱーい」と歓声を響かせた。小佐野町の見世彬君(4)は波打ち際を走ったり、小魚や海藻を見つけて大はしゃぎ。波の感触も「気持ちいい」と満開の笑顔を弾けさせた。母親の高莉莉(こう・りり)さん(37)は「釣りで海に行くが、砂遊びも楽しむ海は初めて。新鮮。近くに海がある地域だとあらためて実感。海の良さ、楽しさを感じ、地域を好きになってほしい」と見守った。

 

イベントは21日までの2日間開催。地元住民や競技団体など20余りの団体が協力し、シュノーケリング、レスキューボート体験、漁船クルーズなど多彩なプログラムを用意した。

 

市の中心的な観光地だった同海岸は、震災で約1・3キロにわたる砂浜が消失した。県が復興交付金で人工再生に着手。採石や砂を投入し定着を図る工事を進め、150メートルを再生させた。残る300メートルの工事も継続。関係者らは来年、同海岸全体で海開きすることに期待を高めている。

 

観光地としての本格復興に向け、市はキャンプ場やレストハウスの整備を進めており、間もなく完成する見込み。野田武則市長は「たくさんの人に親しまれ愛される観光地になってほしい。山の観光と連携した取り組みを進めていく」と意欲を見せた。

 

海水浴場の開設は8月12日まで(午前10時~午後4時)。

 

(復興釜石新聞 2019年7月24日発行 第810号より)

 

復興釜石新聞

復興釜石新聞(合同会社 釜石新聞社)

復興釜石新聞と連携し、各号紙面より数日の期間を設け記者のピックアップ記事を2〜3点掲載しています。

問い合わせ:0193-55-4713 〒026-0044 岩手県釜石市住吉町3-3

多くのファンに囲まれ、W杯の成功を願うリッチー・マコウさん(前列中央)

英雄リッチー・マコウさん、釜石再訪〜トークイベントで市民と交流、ワールドカップ開催の成功願う

多くのファンに囲まれ、W杯の成功を願うリッチー・マコウさん(前列中央)

多くのファンに囲まれ、W杯の成功を願うリッチー・マコウさん(前列中央)

 

 「ラグビー史上最高の選手」と言われるニュージーランド(NZ)代表の元主将リッチー・マコウさん(38)が20日、2年ぶりに釜石市を再訪。情報交流センター釜石PITで開かれたトークイベントに臨み、間近に迫ったラグビーワールドカップ(W杯)に向けて最後の準備に取り組む市民らに「大会の成功を願う」とエールを送った。

 

 マコウさんは2011、15年のW杯でNZ代表を大会史上初の連覇に導いた。ワールドラグビーの年間最優秀選手賞に3度輝いた名選手で、15年に現役引退した。17年5月に釜石を訪れ、今回は自ら希望して再訪した。

 

 この日は、完成した釜石鵜住居復興スタジアムを視察したあと、同スタジアムで釜石シーウェイブス(SW)ジュニアの子どもたちを指導。釜石PITでのトークイベントにはファンら約80人が詰めかけた。 

 

 司会を務めた釜石出身のフリーアナウンサー、民謡歌手としても活動する佐野よりこさんが「釜石浜唄」を披露。本番が迫った釜石よいさの踊りを「よいさ小町」の面々が披露するなど、英雄の再訪をにぎやかに迎えた。

 

 マコウさんは「素晴らしいスタジアムが完成した。本番は大勢のファンでスタンドが埋まり、とてもにぎやかなイベントになるのでは」とあいさつ。被災地で戦うラグビープレーヤーの気持ちを「集中しようとしても、震災で亡くなった多くの人に思いをはせながらプレーすることになるのではないか」と代弁した。

 

 会場の質問に答える形で、ラグビーをやって一番うれしかったことは「チームが一丸となってトライできた時だ」とし、「チームの仲間が体の大きさや力を補い合ってプレーできるのが、他のスポーツにはないラグビーの魅力」と強調した。

 

 釜石応援ふるさと大使で、マコウさんに同行した在日オーストラリア・ニュージーランド商工会議所名誉会頭のメラニー・ブロックさん(55)は「リッチーはとても謙虚な人柄。彼の素晴らしさが伝わったと思う」とし、W杯釜石開催の成功を願った。

 

(復興釜石新聞 2019年7月24日発行 第810号より)

 

復興釜石新聞

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釜石市公共交通マップ『かまいしのりものMAP2019』

釜石市公共交通マップ『かまいしのりものMAP2019』

市では、ラグビーワールドカップ2019TM釜石開催において訪れる観光客及び訪日外国人旅行者の移動の円滑化を図るため、市内公共交通や各種案内を掲載した公共交通マップを作成しました。

かまいしのりものMAP2019

 

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MAP配布場所

 

釜石市役所(釜石市只越町3-9-13)
釜石観光総合案内所(釜石市鈴子町22-4 ホテルフォルクローロ三陸釜石1階)

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 市民生活部 生活安全課
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8451 / Fax 0193-22-2702 / メール
元記事:http://www.city.kamaishi.iwate.jp/kurasu/kotsu/detail/1230142_2211.html
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
ふるさと納税の返礼品としてこれまで2台が贈られた石村工業の「クラフトマンC3」。石村社長(右)は「これで販売に火が付けば」と期待する

高額ストーブ ふるさと納税返礼品に〜「まさか」の希望者相次ぐ、石村工業「これで火が付けば」

ふるさと納税の返礼品としてこれまで2台が贈られた石村工業の「クラフトマンC3」。石村社長(右)は「これで販売に火が付けば」と期待する

ふるさと納税の返礼品としてこれまで2台が贈られた石村工業の「クラフトマンC3」。石村社長(右)は「これで販売に火が付けば」と期待する

 

 釜石市「ふるさと納税」の返礼品の一つとして登録されている石村工業(釜石市大平町、石村眞一社長)製の薪(まき)ストーブが、これまで2件、希望した納税者に返礼品として贈られた。市が発行する返礼品カタログでは15万円もする“高額品”。「まさか、希望する人が出てくるとは」と石村社長(66)は驚きを隠せない。3年前にアウトドア用として発売したこのタイプは販売が伸び悩んでいることから、「これをきっかけに火が付けば」と期待をかける。

 

 同社は国内でただ一つ、薪・ペレット兼用で電気を使わないストーブを20年前から生産。これまでに沖縄県を除く全国に約2600台を販売している。この実績を生かし、持ち運び可能で、屋外で使用するキューブ型薪ストーブ「クラフトマンC3」を開発。2016年から販売を始めた。

 

 縦57・7センチ、横43センチ、奥行き56・3センチとコンパクトで、重さは28キロと従来型のほぼ3分の1。アウトドア需要の高まりや、震災時に電気を使わない暖房設備の重要性を認識した経験を生かして開発した。

 

 返礼品の登録拡大、納税者への発送業務を市から受託するかまいしDMCの若林正義さん(釜石リージョナルコディネーター=釜援隊)が、これに着目。昨年、返礼品カタログに登録した。

 

 商品一式(専用煙突セットを含む)で15万1200円。50万4千円以上の納税者が対象となる。市が返礼品として登録する約130点の中では“ダントツ”の高額品。登録拡大に力を入れてきた若林さんも「正直、希望する人はいないだろうと思っていた」と明かす。

 

 しかし、昨年11月に初めて奈良県在住の個人が返礼品として希望し、今年6月には岐阜県内の薬局が返礼品に選んだ。「1件目は、来たか―という感じで受け止めたが、2件目にはビックリ」と若林さん。「これを弾みに、ふるさと納税がさらに増えれば」と期待する。

 

 石村工業で薪ストーブの販売を担当する三浦純一営業部長によると、これまで3年間で「C3」が売れたのは約80台。「自信の製品だが、伸び悩んでいる。価格が安いだけに、いっぱい売らないと」と苦戦を明かすが、最近ではネットのウェブショップで購入し、ユーチューブで発信する人も現れ始めているという。

 

 石村社長は「高額なウチの製品を返礼品に選んでもらい、本当にうれしい。このストーブで少しでも釜石のことを思い出していただければ」と願う。

 

(復興釜石新聞 2019年7月20日発行 第809号より)

復興釜石新聞

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満島真之介さん(中央)らが演じたオペラ「四次元の賢治」

心に響く 賢治の世界〜四次元のオペラ 釜石で初演

満島真之介さん(中央)らが演じたオペラ「四次元の賢治」

満島真之介さん(中央)らが演じたオペラ「四次元の賢治」

 

 宮沢賢治の作品を基にしたオリジナルオペラ「四次元の賢治―完結編」が13日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された。三陸防災復興プロジェクト2019文化芸術祭の一環。思想家、人類学者の中沢新一さんが書き下ろした脚本を音楽プロデューサーの小林武史さんがオペラ作品に仕上げた舞台で、約800人が賢治の童話や詩の世界に引き込まれた。

 

 2017年に宮城県石巻市を中心に開催された震災復興支援の総合芸術祭「リボーンアートフェスティバル」で、第1幕を上演。新たに2、3幕を加えた完結編が制作され、本年8月に開幕する2回目のフェスティバルとの連携企画として釜石での初演が実現した。

 

 歌唱力でも注目を集める俳優の満島真之介さんが賢治役、小林さんのプロデュースで活躍の場を広げる歌手Salyuさんが賢治の妹トシを演じたほか、「水曜日のカンパネラ」ボーカルのコムアイさん、Salyuさんらと音楽活動を共にするヤマグチヒロコさんが出演。劇中歌で太田光さん(爆笑問題)、櫻井和寿さん(Mr・Children)らが参加した。

 

 賢治を代表する童話「やまなし」「銀河鉄道の夜」などをベースにストーリーを展開。病で死にゆく最愛の妹への思いを詠んだ「永訣の朝」、童話「双子の星」でも歌詞が用いられる「星めぐりの歌」も盛り込まれ、賢治が生んだ印象的な言葉の数々が、小林さんが奏でるメロディーに乗せてよみがえった。出演者らの熱演と映像、照明、効果音で幻想的な世界を作り上げた舞台に観客はくぎ付けとなり、今なお愛される賢治作品の素晴らしさを体感した。

 

 小川町の小笠原千寿子さん(60)は満島さんらの声量や表現力に魅了され、「難しい言葉もこういう形で聞くと理解が深まる。賢治の死に対する向き合い方などが感じられ心に響いた」と大きな感動を胸に会場を後にした。

 

 舞台あいさつで中沢さんは「岩手県が生んだ宮沢賢治は日本で最高の精神の持ち主の一人。この地で初演を迎えられたのは奇跡のようなこと」と感謝。終演後、小林さんは「東日本大震災では東北の人たちの利他的行動に世界が注目した。これは賢治が持っていた精神そのもの。この作品が利己的になりがちな今の時代を考えるヒントになれば」と期待した。

 

(復興釜石新聞 2019年7月17日発行 第808号より)

復興釜石新聞

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第2回 かまいし手しごとマルシェ

第2回 かまいし手しごとマルシェ

第2回 かまいし手しごとマルシェ

 

釜石をはじめとする沿岸各地の手しごとが魚河岸テラスに集合。アクセサリーや洋服、各種雑貨、そしてお食事も。見て歩くだけでも楽しくなるクラフト市です。

 

28日限定の特別企画
中村家 ミニ雲丹井・ミニ海宝漬井をマルシェ特別価格にてご提供!
(※出漁できない場合は焼ウニ丼になります)

 

※同時開催予定だった「魚河岸で薪ストーブ料理体験」は、都合により中止となりました。

 

開催日時

2019年
7月27日(土) 10:30〜17:00
7月28日(日) 9:00〜16:00

会場

魚河岸テラス
釜石市魚河岸3-3 TEL 0193-27-5566
https://uogashi-terrace.jp/

出展作家

ごいしふぉん(シフォンケーキ/大船渡)、JASMINE(洋服・バッグ/釜石)、atelier tony(アクセサリー/釜石)、らてん(天然石アクセサリー/大槌)、ピアチェ(アクセサリー/仙台)、ハンドメイド オープンテラス(パッチワーク・雑貨/大船渡)、千寿の会(布製品/大船渡)、もうね屋(木工細工/気仙沼)Pendragon(雑貨/石巻)、(U)Handmade Yuki(粘土雑貨/釜石)、ピンクボビン(着物リメイク小物類/釜石)、bead dazzle(ビーズ・レジン・天然アクセサリー/釜石)、Reinbow Warrear’s(ネイティブ系アクセサリー/塩釜)、糸紡ぎ工房 Habetrot(裂繊雑貨他/大船渡)、goodiesグッディーズ(モザイクタイル雑貨/仙台)、cloth Smileわんこ(犬服/盛岡)、STRAWBERRY JAM(革製品/仙台)、中村家(海鮮惣菜/釜石)

主催

株式会社かまいしDMC
後援:釜石市

株式会社かまいしDMC

株式会社かまいしDMC

釜石の地域DMOとして、地域外からの観光客や繋がり人口の増加と、地域商社として釜石の特産品を域外で販売していくのがミッションです。

問い合わせ:TEL 0193-27-5260 / 〒026-0012 岩手県釜石市魚河岸3-3 / Mail contact@dmo-kamaishi.com / Web

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

いよいよ、今週末27日(土)、「リポビタンDチャレンジカップ パシフィックネーションズ2019日本ラウンド 日本代表 v フィジー代表」が釜石復興鵜住居スタジアムで開催されます。また、9月25日(水)には、「ラグビーワールドカップ2019™日本大会 フィジー v ウルグアイ」が、同スタジアムで開催されます。

 

「釜石にやってくるフィジーとはどんなチームなのか。釜石のみなさんにその横顔を知っていただきたい。」今回、スポーツライター大友信彦さんのご好意により、2007年にスポーツ雑誌ナンバーPLUSに掲載され、今月よりラグビー専門WEBマガジン「RUGBYJapan365」で有料会員向けに公開されている記事を、縁とらんすでも掲載させて頂けることになりました。

 

提供:大友信彦&RUGBYJapan365

 

 

日本代表のワールドカップイヤーの戦いがいよいよ迫ってきた。

 

ワールドカップシーズンの初戦は、開幕まで2ヵ月を切った7月27日、釜石鵜住居復興スタジアムで行われるフィジー戦だ。
フィジーと言えば、セブンズ王国であり、展開ラグビーの王国であり「世界で最も見る者を楽しませるラグビー」という称号も得てきた。

 

ワールドカップイヤーのジャパンの腕試しの相手として、釜石で行われる初めてのテストマッチにやってくるチーム、フィジーだが、15人制のフィジー代表が来日するのは2012年以来7年ぶりだ。

 

フィジーとはどんな国で、どんな歴史のあるチームなのか。

 

ワールドカップ本番でも注目チームになるに違いない魔術師軍団。日本代表と死闘を繰り広げることになる2007年ワールドカップの前に書かれた紹介記事をアーカイブスとしてお届けする。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 22歳のジョン・カーワンが衝撃の90m独走トライで世界に衝撃を与えた1987年の第1回ラグビーW杯。個人としてのMIP(モスト・インプレッシブ・プレイヤー)がオールブラックスの身長192㎝の巨漢WTBジョン・カーワンなら、チームとして世界を最も驚かせたMIT(モスト・インプレッシブ・チーム)は、南太平洋の島国からやってきた一団だった。

 

 IRB(現ワールドラグビー)のオリジナルメンバー以外から唯一ベスト8に進出したフィジーは、この年の5カ国対抗に全勝優勝(グランドスラム)を飾ったフランスと準々決勝で対戦。日本でも深夜の録画ながらNHK総合でオンエアされたこの戦いで、ほとんどのラグビーファンは初めて「フィジアン・マジック」を目撃する。

 

 ボールが出れば迷わず展開。強靱なバネと長い腕を持つ15人は、黒い肌を純白のジャージーに包み、セルジュ・ブランコ、フィリップ・セラ……世界ラグビーに名を轟かせたフランスの英雄たちが霞んでしまうような大活劇を演じた。とても取れそうにないパスも、掌に吸盤がついていそうな腕がグイーンと伸びて難なく捕球。魔法のパスが縦横無尽に飛び交い、次から次へとサポートプレイヤーが湧き出て芝の上を走り回る。ラグビーとはこんなにワクワクするものなのか。それまで見て楽しいラグビーの代名詞といえばフランスの「シャンパン・ラグビー」だったファンの辞書は、この日の華麗で愉快で冒険心に溢れた80分間の目撃により「フィジアン・マジック」と書き換えられ、SHパウロ・ナワル、SOセベロ・コロンデュアデュア、LOイライティア・サバイなどの名が、ワールドラグビーのスター名鑑に新たに加えられた。

 

 世界のどこにもない、フィジーだけのスリリングな展開ラグビー。それはいかにして生まれたのか。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

「フィジーでは午後4時頃になると、毎日、どこでも、タッチラグビーが始まる。公園でも、家の前の道路でも、砂浜でも。ボールがなければ空のボトルでも、ココナツの実でも何でもいいんです」

 

 そう話してくれたのはアルフレッド・ウルイナヤウだ。1996年からサントリーでCTBとして活躍し、フィジー代表としては1999、2003年のW杯に出場。2006年までNZのオークランドでデベロップメント・マネージャーを務め、2007年からサントリーのBKコーチとして再来日したアルフは、フィジーの首都スヴァで生まれ、8歳のときにNZへ移住した。本格的に競技を始めたのはNZ移住後だが、幼少期には「いつでも・どこでも」タッチ大会を始めてしまうフィジアン・マジックの土壌で育った。

 

 南太平洋のラグビー強国といえば、フィジーのほかにサモア、トンガがある。サモアは激しいコンタクトプレーを看板に91、95年のW杯でベスト8に進出。87年W杯で世界の頂点に立ち後にサモア代表監督を務めたマイケル・ジョーンズ、05年までオールブラックスの主将を務めたタナ・ウマンガなどサモア系のNZ代表選手も多い。

 

 『ガリバー旅行記』に登場する巨人国のモデルとなったともいわれるトンガはW杯の決勝ラウンド進出こそないが、NZのジョナ・ロムー、豪州のトータイ・ケフら移住先で世界のトップに立った選手を数多く生んでいる。

 
 3つの国は、日付変更線を挟んで三つ子のように寄り添う。だが国民性は微妙に違う。アルフによれば「フィジアンはいつもリラックスしてハッピー。トンガはやっぱり王国だからなのかマジメな人が多くて、サモアはその中間という感じです」となる。3カ国はいずれも経済的には恵まれず、インフラの整備されたNZや豪州への移住者が後を絶たないが、「NZでも、友達のトンガ人には医者や弁護士になっている人が多い。フィジアンでは、まずないね」とアルフは笑う。

 

 地理学ではトンガ、サモアは、西はニュージーランドから北はハワイ、東はイースター島に至るまで太平洋の大半を占めるポリネシアに属する。人種的には日本人と同じモンゴロイドであり、NZの先住民でオールブラックスにも多くを送り込むマオリ人も遺伝的にはこのグループだ。対してフィジーは、パプアニューギニアやバヌアツなどと同じメラネシアに分類される。メラネシアとはギリシャ語で「黒い島」の意味。この島々の住民たちの黒褐色の肌からこう呼ばれるようになったという。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 ポリネシア系の有名人といえば、ハワイ人の曙、サモア系のKONISHIKI、プロ野球では米領サモア出身のトニー・ソレイタ(元日本ハム)などが思い浮かぶ。ラグビーではシナリ・ラトゥ、ルアタンギ・侍バツベイなど日本代表入りしたトンガ出身選手たちも、縦にも横にも雄大な体格の持ち主が多い(アルフ曰く「トンガ人はいつも際限なくモノを食べるんだよ」)。

 

それに比べると、フィジアンは意外と細身の人も多い。7人制ラグビーW杯でフィジーを2度の頂点に導いた英雄・ワイサレ・セレビ(身長169センチ)のような小柄な名選手もいる。

 

 だがフィジーの町を歩けば、道行く人の胸板、掌や足の甲の分厚さに驚かされる。それは若い男性に限らず、買い物袋を提げたおばちゃんもそうなのである。面白いのは、そういうおばちゃんたちの多くが普段着としてラグビージャージーを着ていることだ。記者がこれまで訪ねた国の中でも、ラグビーウエアの町中での着用率ではフィジーが世界一だった。

 

 そして、記者の個人的な経験で言うと、フィジーほどフレンドリーな国はない。人が優しい国、暖かい国はたくさんあるが、人々自身が底抜けに明るく、ハッピーな気分を分け与えてくれる点で、フィジーは際だっている。笑顔しか見せないと言っても過言じゃない。

 

 記者はこれをメラネシア人の特質なのかと思っていたのだが、あるとき訪れたニューカレドニア(フランス領)では、見た目はフィジアンそっくりながら「おはよう」とかけた声を無視する人に遭遇した(もしかしたら、フランス語の挨拶は無視する主義の人だったのかも知れない。フィジーへの訪問者はすぐに現地語の挨拶『ブラ!』を覚えるから、単純な比較はフェアでない気もする)。そのかわりと言ってはナンだが、ニューカレドニアは今まで行ったどの国よりもフランス人が陽気に暮らしているところだった……。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 ともあれ、かくも陽気なフィジアンの国民性は、フィジー代表が見せる魅力的なラグビーと、間違いなく繋がっている。

 

「フィジアンは、リラックスして毎日を送っています。お互いがどうハッピーなのかを感じ合いながら過ごしている。ラグビーでも、まずボールを持った人が、何か自分で思いついたことを始める。そこに周りが反応していく。そこにボールがあれば、何かが起こると皆が分かっている。皆が期待している。だから反応できるんです」(アルフ)

 

 背番号とポジショニングに制約はなく、体格や体型によるポジションの決めつけもない。試合が始まれば、大柄なFWがバックスラインに走り込み、片手で頭越しのロングパスを繰り出す。まったくノーサイン、アイコンタクトもない場面で苦し紛れに蹴ったキックにもどこからか味方が反応して走り込み、スリリングなトライが生まれる。フィールドでは選手たちの自由なイマジネーションが化学反応を起こし、相手の予想もラグビー理論も関係なく、誰もが初めて目にする極上のパフォーマンスが生まれるのだ。

 

 ……と、良い面ばかりを書き並べると、世界の頂点を掴んでもおかしくないように思えるフィジーだが、実は重大な問題がある。スクラムやモールなど集団によるFW戦にはからきし弱いのだ。先の87年準々決勝でも、フランスFWが塊となって攻めると無抵抗状態でゴールラインを明け渡した。その後は世界ラグビーのプロ化、パワー重視の潮流が強まり、91年W杯ではプール戦全敗、95年W杯には出場さえ逃してしまった。

 

 フィジーのラグビーは、ここから方針を転換する。NZからコーチを招き、タイトなFWプレー、あらかじめ計画されたゲームプランの遂行などNZ流のラグビー理論注入を試みた。並行して、NZなど海外でプレーするフィジアンの代表召集を積極的に始めた。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 その転換期のさなか、94年にフィジーは来日。日本代表と2テストを戦い、2敗という結果で帰国した。そのツアーの際、記者は象徴的な場面を目撃した。NZ人コーチの課すモールやハイパントの練習を嫌そうに、ダルそうにこなしていたフィジアンたちは、練習が終わり、クールダウンを命じられるや突如、ボールを持ち全員で走り始めたのだ。日本の呼び方なら『ランパス』。シゴキの代名詞となっている練習メニューだが、フィジアンたちは2時間の練習後というのに全力疾走を繰り返し、誇張ではなく本当に「ヒャッホウ!」という声まで飛び交っていた。それは、エリス少年がボールを抱えて走り出したラグビー誕生の伝説を連想させるほど楽しげな光景だった……。

 

 しかし、伝統的なフィジアン・マジックは年を追うごとに影をひそめている。それは世界ラグビーのプロ化とも密接に関係している。

 

 後に長く日本で活躍し、セブンズ日本代表監督も務めたパウロ・ナワルが教員だったように、87年W杯で世界に衝撃を与えたフィジー代表は全員がフィジー国内でプレーするアマチュア選手だった。しかしW杯によってフィジー選手のポテンシャルが世界的に認知されると同時に世界ラグビーにプロ化の波が押し寄せ、フィジーの有能な選手はNZや豪州、英国やフランス、そして日本のクラブへと流出を続けた。99年W杯では代表30人のうち国内クラブ所属の選手は13人と減り、03年は僅か7人に。多くの国に散らばる代表選手が一緒に練習できる機会は減り、かつて華麗なマジックを育んだ濃密なコミュニケーションは影を潜めていった(世界サーキットで長く活動をともにする7人制では英雄セレヴィの後継者にウィリアム・ライダーが育つなど人材のリサイクルが上手くいき、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは五輪初採用の7人制ラグビーでみごと金メダルを獲得した。それを祝って7フィジードルの記念紙幣も刷られた)。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 一方で、マジックを担うはずの人材が他国で代表になる現象も後を絶たない。2003年、2007年W杯でNZ代表のエースWTBとして活躍したジョー・ロコゾコは5歳のとき両親と共にNZへ移住した生粋のフィジアンだ。ロコゾコの従弟でもあるシティヴェニ・シヴィバトゥは、高校時代に奨学金を得てNZへ留学し、後にオールブラックスに選ばれた。このようにフィジーの有望な若手を『青田買い』し、自国の代表候補として育成する動きは近年盛んになった。2003年W杯で活躍し「世界最高のWTBの一人」と評されるルペニ・ザウザウニンブサを生んだブザレヴ島(人口百数十人という小島)のような地方の村々をスカウト陣が訪ね回っているという。

 

「小さな島や村では遊ぶ道具もないから、ココナツを投げたり砂浜を走ったり、海で泳いだりして身体がナチュラルに強くなるんだな」(アルフ)。
 人材流出の面だけを見れば深刻な事態に思えるが、結果的にNZ代表入りを逃した選手が、FWの密集プレーなどフィジーでは学べない理論と経験を持ち帰り、フィジー代表の強化に技術を環流している一面もある。

 

楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 

 今のフィジー代表のイリ・タンブア監督は95年W杯に豪州代表で、99年W杯にフィジー代表で出場した経歴の持ち主だ。

 

「彼は昔のフィジアン・スタイルを復活させたいようです。ゲームを構築(ストラクチュア)することと、個人の閃き(フレア)のバランスを取ることはフィジーにとって永遠の課題ですが、今回の代表には経験豊富なSOのニッキー・リトル(31歳、英国サラセンズ)を2年ぶりで呼び戻した。彼はゲームを作りながら他の選手のフレアを引き出す能力があるので心強いです」(アルフ)

 

 フィジーにとって日本戦はこのW杯の初戦になる。どうか、魔術を炸裂させるのは、チームが熟成する2戦目以降にしてくれないか……。切にお願いする次第である。

 

(初出『ナンバーPLUS』2007年9月)

 

縁とらんす

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縁とらんす編集部による記事です。

問い合わせ:0193-22-3607 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内

【インタビュー】話題の新施設で働く釜石出身の新社会人2人に聞く~釜石のこれから

【インタビュー】話題の新施設で働く釜石出身の新社会人2人に聞く~釜石のこれから

【インタビュー】話題の新施設で働く釜石出身の新社会人2人に聞く~釜石のこれから

 

2019年春、釜石に二つの施設が続けてオープンしました。
東日本大震災の教訓を後世に伝える、震災伝承と防災学習のための施設「いのちをつなぐ未来館」を含む「うのすまい・トモス」、“魚のまち釜石”として待望の施設「魚河岸テラス」。
それぞれの施設に、この春に大学を卒業して新社会人となった、釜石出身の2人の女性が働いています。
インタビューでお二人が口にしたのは「地元、地域の方々と一緒に・・・」という言葉でした。

 

取材先:
①かまいしDMC(株)地域創生事業部 鵜住居トモス運営課 菊池のどかさん(いのちをつなぐ未来館)
インタビュー:2019年5月21日
②かまいしDMC(株)地域創生事業部 魚河岸テラス運営課 小松野麻実さん(魚河岸テラス)
インタビュー:2019年5月22日
企画・編集:釜石まちづくり株式会社
取材・文:市川香織(釜石まちづくり株式会社)
写真:西条佳泰(株式会社Grafica)

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーー担当されている業務を教えてください。

 

私は、『うのすまい・トモス』の施設の「祈りのパーク」と「いのちをつなぐ未来館」を担当しています。それぞれの施設をお客様にご案内する館内ガイドがメインの仕事です。

 

ーー大きな関心が寄せられる新施設。GWも越えましたが、ここまでどうでしたか?

 

この2か月間で、本当にたくさんの方々とお会いする事が出来ました。
その中で、地元の方が何度も訪れて下さって、だんだん話をして下さるようになってきているんですね。なので、ほんとにまだ2か月しか経っていないんですけど、このままの関係が続いて行けばいいなって思っています。

 

うのすまい・トモス いのちをつなぐ未来館

 

ーー地元の方も多いですか?

 

割合でいうと、他地域の方が多いかもしれないんですけど、日によって、今日は地元の方が多くいらしているなぁという時もあります。震災前は同じ地域の同じ地区に住んでいたけれど、震災後に別の場所に移った方たちがここでばったり会って、「おお!久しぶり!」と声を掛け合っている光景を良く目にします。

 

ーーこれまでの来館者の方とのやり取りで印象的だったことは?

 

そうですね、例えば、「ここ(施設の場所)は元々鵜住居の町では無かったんでしょう?」と、震災前のこの場所を知らない方からそう聞かれた事がありました。元々は広場だったと思っていらっしゃる方もいて。
そうした事があった後からは、ガイドの時に「ここは震災前は住宅街で・・・」というお話からきちんと説明するようにし、釜石市外の方をご案内する時には、そういう所からしっかり丁寧にお話しなければならないんだなと気付かせていただきました。
 
それから、地元の方から掛けられた言葉としては、「一緒に頑張っていくべし!」という言葉ですね。「“一緒に”って言ってくれた!」と思って、それが嬉しかったですね。

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーー入って来て、すぐに展示スペースがありますが、この施設の利用方法についても教えてください。

 

企画展の内容は毎月変わりますので、月に1回来ていただいて何度も見ていただきたいなと思いますし、真ん中のスペースは図書スペースで、置いてある本を自由に座って読んで頂ける場所ですので、ぜひご利用していただければと思います。
この施設は、震災に関する展示が入ってすぐの所からではなくて、奥側からスタートし、館内に入ってもすぐには目に入らない造りになっています。
なので、震災の展示を見に来る目的以外でも大丈夫なので、駅やバス停も近いですし、待ち合わせ場所などに利用して頂いても全然かまわないので・・・いつでもふらっと来ていただければ嬉しいですね。
 
それとは対照的に、釜石市外から来てくださる方々には、ここに来てくれたからには、絶対にお伝えしなければいけない事があります。
それは、この場所でたくさんの方が亡くなったという事と、それを繰り返してはいけないという事です。それをしっかりお伝えしたいと思います。

もし参考になるなら、釜石市で震災前から防災教育が行われていたという事もお伝えしたいです。

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーーその防災教育という点では、震災の時、のどかさんは中学3年生?

 

そうですね、卒業式目前の時でした。

 

ーー防災教育を受けていらっしゃって、あの時その教育を活かして無事に避難出来たわけですが、そのお話をする時、伝える時に、“辛いな”と思う時はないですか?

 

辛いという気持ちは無いですね・・・、今の所かもしれないですけれども。
やっぱり、伝えなければならない事だと思うので、辛いという気持ちは今まで持った事はないです、向き合い方を覚えて来たのかもしれないですけれど・・・。
 
それよりもやっぱり、なんて言うか・・・人が災害で亡くなるという事が辛いというか・・・。
だから今伝えなくてはならないという想いがあります。

 

ーーそれは、しっかり備え、それを実行すれば、命を守る事が出来るから・・・という事を伝えたいという事ですか?

 

そうですね。震災前は自分もやれば出来ると思っていたんですけど、自分達が考えるだけではなくて、どんどん周りを巻き込んで行かないと本当に全員助かる事は出来ない・・・という事をあの震災で知って。
だから今は、災害が起こる前に、自分の周りに協力者をどんどんと増やして行って欲しいという事を伝えています。

 

ーー働く上で大切にしている事、大事にしている事はありますか?

 

ガイドをする時は、来て下さった方によって、全くではないですけれどけっこう違う種類の話をしているんです。
逆に言うと、その人の事を知るというか、その人に合わせてって言ったら変かもしれないですけれど、その人は何を知りたいのか?それと、何を聞きたくないか、知りたくないか?そういう部分にも配慮するようにしています。
まだまだ、ちゃんと出来ていないとは思うんですけど。
 
なので、ここで働くようになってから、色々な立場の方にお話出来るように震災当時の事を調べ直したり、実際にお話を聞きにいったりしています。
 
来てくれた方が、色々とお話して教えてくれる事もありますので、ここで働いていると、地元の方とお話する事が仕事に直結しているので、聞く事も仕事です。
そして、私がお聞きした事を更に違う人にお伝えする事が、誰かを助ける事にも繋がると思うので、そこはすごく大事にしています。人を大事にするという事が今、私の中では一番です。

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーー大学卒業後は釜石に戻って来ようと決めていたんですか?

 

高校の時には、釜石に戻って来ようと思って大学を選びました(岩手県立大学)。
でも、大学に通っている間にだんだんと釜石での就職先が減っていて・・・「帰れるのかな・・・」っていう感じだったんです。本当に就職難民状態だったんですけれど、こちらがオープンする事を聞いて、それで「釜石DMCに就職したい!」と思って決めました。

 

ーー東日本大震災から8年が経ち、まちの姿が変わっていくふるさと。今の釜石にどんな想いがありますか?

 

今の釜石・・・って考えた時に、昔の釜石が今は思い出せないなぁって・・・。何となく大まかに「ここには何があって」くらいの感じには思い出せるんですけど、完全には思い出せない状況で・・・、今のまちが自分の中の釜石になって来ているというか、昔のまちの姿は薄れてきていています。
 
逆にいうと、そういう部分に怖さがあります。例えば、昔の防災教育で言うと、昔の土地だから通用した事で、今のまちに通用するかというと、たぶん違う部分もあると思うので。そこから、考え直すというか、ちゃんと向き合わないといけないなと思います。

 

いのちをつなぐ未来館 菊池のどかさん

 

ーーまた、近い将来と遠い未来、どんな釜石になって欲しいですか?

 

近い将来は、釜石だけではなくて、どの場所でも災害が無ければ良いなぁと思います。
 
それから、どんな釜石に・・・という事で言うと、自分が小さい頃には、釜石はすでに衰退の一途を辿っていたという印象で、周りの人たちに「昔の釜石は良かった」「今は面白くねぇなぁー」とか聞きながら、あまり明るい話を聞かずに育ってきた世代なので、だからこそ逆に「明るくしたい」というか・・・。
 
なので、近い将来は、今度は自分達が大人になり、さっきの話で言うと「面白くねぇなぁー」って言っていた人たちの世代になった時、「釜石、めっちゃ面白いな!」って言える世代になっていたいと思います。

 

ーー個人として、将来の目標は?

 

近い目標としては、地域の人たちと仲良くなって、お互いに意見を言い合えるようになりたいというのがまず一つで、信頼関係を築きたいです。信頼関係を築いて、防災についてはもちろんなんですけれど、地域に人たちが顔を見せてくれるような施設にしたいなと思います。

 

『いのちをつなぐ未来館』では、毎月展示スペースで企画展を行っています。詳細は以下からご覧ください。

うのすまい・トモス』公式サイト https://unosumai-tomosu.jp/
Facebookページ https://www.facebook.com/unosumaitomosu/

 

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーー担当されている業務を教えてください。

 

私は、この施設の1階にある産直コーナーと、釜石で様々な体験が出来るプログラムを提供する『ミートアップ釜石』に関わらせてもらっています。
大学3年生の時に行った、三陸ひとつなぎ自然学校(略称:さんつな)さんでのインターンシップでも、ミートアップ釜石に関わらせていただいたので、そういう経験も活かしながら担当させていただいています。

 

魚河岸テラス

 

ーー釜石に戻ってくる事は決めていたんですか?

 

そうですね、ずっと言ってましたね。高校の時に大学を決める際も、本当は釜石を出たくなくて、でも釜石には大学は無いし(笑)。将来の夢も、震災の後は「釜石の為に働きたい」という想いはあったんですけど、釜石で復興に関わる仕事って?と考えた時に、そこに繋がる仕事があまり浮かんでこなかったというか、「今の私に何が出来るんだろう?」って。それで、大学で何を学ぶか?というのも中々決められなくって。
その時に桜美林大学を勧めてもらって、『リベラルアーツ学群』という、教養学部でも幅広い分野から好きな教科を選んで進んで行くという学部を教えてもらって、それで一旦釜石を出ました。
 
でも、やっぱり、釜石とか岩手と関わる事をしたくて、そういうイベントやNPOの取り組みに積極的に参加していました。関東にいても、岩手づくしでした(笑)。
 
でも4年生の時に、悩んだ時期があって。「今帰って、私に何が出来るんだろう?」って考え込んでしまって。すぐに帰らずに、こっちでもっと色々と勉強し、経験を積んでから釜石に戻った方が役に立てるかも・・・と思ったりもしていました。
 
でも、今の会社のお話を伺っていたこともあり、「やっぱり帰ります!」と釜石に戻って来ました。

 

ーー小松野さんは、東日本大震災の時は、中学2年生?

 

そうです、中3になる春でしたね。

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーー小松野さんの年代だと、防災教育はどういう事を?

 

片田敏孝先生が、釜石の小中学校で行って下さっていた『津波てんでんこ』の取り組みは、片田先生から直接ではないですが、釜石小学校の時に授業で学びました。
 
釜石小学校の避難訓練は、学校に居る時に「校庭に集まりましょう」というような避難訓練ではなくて、下校の時に行われるんです。帰りの途中に避難のサイレンが鳴り、その時に自分がいる場所から、一番近い高台に避難する。自分でその時に状況の中で考えて避難する、実戦型の訓練でした。
 
また、学習発表会では、毎年6年生が津波に関する劇を演じて、それを生徒だけではなく父兄や地域に方にも観てもらっていました。それがすごく良い教材だと思っていて、自分達が劇を演じる事で「津波てんでんこ」について学べる事はもちろんあるんですけど、観てくれている親やおじいちゃんおばあちゃんにとっても、防災を改めて考える時間になるなぁと思って。
 
それから、地域の人が語り部になって、昔の津波のお話をしてくれる日もありました。
学校だけではなくて、周りの地域の皆さんと一緒に防災について考えるという機会が、小学生の時はとても多かったです。
 
釜石中学校になると、やっぱり内陸(注・海からは離れた浸水区域外の場所)になるので、どうしても防災の中心が火災になってしまってはいたんです。でも、中学校の先生に、震災以降に防災教育は変わりましたか?と聞いてみたら、やっぱり変わったと言っていて、火災だけではなくて津波の時も想定して、トイレを作るワークショップなどをやるようになったとおっしゃっていました。
 
私としては、内陸側の学校は避難所になる場合もあると思うので、避難所運営のワークショップを開いたりするのもいいんじゃないかなって思います。

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーー大学在学中に防災士の資格を取られたとお聞きしました。

 

そうですね。釜石で防災教育は受けたけど、“自分自身の基礎をきちんと付けないといけない”と思って、大学3年生の時に取りました。
でも、資格を取ったらそれで終わりというのが防災士には多くて・・・。私はそれがイヤだったので、神奈川にある「かながわ311ネットワーク」という団体にお世話になって、防災ファシリテーター養成講座を受講しました。まだ自分がメインになっての活動は出来ていないんですけど、学校での防災教育の時のお手伝いとして参加させていただきました。

 

ーー魚河岸テラスは海が目の前ですから、避難については、訓練・計画等が重要になってくると思うので、そういう面にも役立ちますね。

 

そうですね、絶対役立てます!それから、地元の皆さんも巻き込みながら出来たら良いなぁって。簡単ではないとは思うんですけど、それもして行きたいです。

 

ーー住んでいる地域に新しく出来た観光施設。住民としての目線でみるとどうですか?

 

個人的には、すごく嬉しくて。これまでこの辺りの地区には何もなかったので、地域活性や地元の人たちの元気につながるかなぁって。
観光客の方に来ていただくのはもちろんなんですけど、やっぱり、地元の人も来てくれるような施設にする事が理想なので。担当している産直も、そういう面も考えながら品ぞろえして行きたいと考えています。

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーー話題の新施設。GWも越えましたが、ここまでどうでしたか?

 

この場所は、釜石市の中でもほんとに地元で、小さい頃はテトラポットで遊んだりしていたので、今でも潮の香りを吸い込むと落ち着きますし、思い出の場所です。
なので、施設が出来て最初にテラスに立った時は、この場所の震災の時の景色も見ていたので、とても感慨深かったです。
 
オープニングの時も、ここに人がたくさん来て下さって「地元にこんなに人がいる!」って嬉しくて!
GW中もたくさんお越しいただいて、本当にありがたいです!

 

ーーまた、近い未来と遠い未来、釜石の今後についてはどうなっていって欲しいですか?

 

施設管理の目線で言うと、ここを造って終わりではなくて、地元のみなさんの元気に繋がるようにたくさん利用して頂ける仕組みを作って、どんどん来て頂ける施設になりたいと思います。
個人的には色々あって・・・、その中でも“さんつな”さんの理念と一緒なんですけど、「故郷に誇りを取り戻してほしい」というのがすごくあります。
 
それから、元の釜石に戻るのではなくて、ラグビーワールドカップの盛り上げなどを、その後の“まちづくり”につなげていけたらいいなと思います。その盛り上がりも、一部の人だけとかではなくて、出来れば市民みんなで一緒に盛り上げて行きたい、一緒に元気になって行くというのが理想です。
「そんなこと関係ない」「勝手にやればいい」みたいなことではなくて、せっかくだからみんな一緒に楽しみながら出来たらいいですよね。

 

魚河岸テラス 小松野麻実さん

 

ーーその“誇り”という点で、一度、外に出て感じた釜石の良さ、気が付いた事は?

 

釜石の外に出たら、外から盛り上げようと色々な挑戦をしている人たちがたくさんいる人たちの存在を知って、
そういう人たちの中から実際に釜石に来て中からまた盛り上げてくれる人たちもいて。
 
釜石は「オープンシティ」という事で、そういう人たちを受け入れる体制があって、魅力的な人がたくさんいる。そこが釜石の良い所だと思います。外から来た人たちの視点は地元の人たちにとって刺激になると思うので、「オープンシティ」すごく良いと思います。

 

ーー個人として、将来の目標は?

 

地域の人に近い存在になりたい、地域の人ともっともっと関わりっていきたいです。
それは、仕事の面だけではなくて、地域の人と交流して一緒に何かをして一緒に楽しむとか。自分自身も楽しみながら、これからも働いて行きたいです。

 
 
 

最後に魚河岸テラスからイベントのお知らせです。
 
第2回 かまいし手しごとマルシェ
2019年7月27日(土)10:30~17:00、28日(日)9:00~16:00
会場:魚河岸テラス
魚河岸テラス公式サイト https://uogashi-terrace.jp/
Facebookページ https://www.facebook.com/uogashiterrace/

縁とらんす

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夏の高校野球 県大会〜釜石勢 無念の初戦敗退

夏の高校野球 岩手県大会〜釜石勢 無念の初戦敗退

第101回全国高校野球選手権岩手大会が開幕し、釜石勢の2校はともに2回戦から登場。釜石商工は13日に盛岡市の県営球場で盛岡商と対戦し、1―4で敗れた。2番手で三回から継投した石川優良が1失点で踏ん張ったが、援護の打線がつながらなかった。一方、釜石は15日に同球場で優勝候補の一角の盛岡大付属と対戦し、0―11(五回コールド)で完敗。チームの要、捕手の新沼康生主将が体調不良で先発から外れたことが響いた。2校はいずれも力を出し切れず、初戦で早々と姿を消した。
 

釜石商工 打線つながらず 盛岡商に1-4 石川の好継投も実らず

 

父母らに初戦敗退を報告する釜石商工の三浦大武主将(前列右)

父母らに初戦敗退を報告する釜石商工の三浦大武主将(前列右)

 

 序盤にリードを許した釜石商工は四回、二死満塁から暴投で1点を返す。六回は洞口滉太朗、堀内海希の連打で無死一、二塁としたが、後続が倒れて得点ならず。八回にも堀内が二塁打で好機を作ったが、後が続かなかった。

 

 先発の岡崎蓮は初回、2四死球を与えたあと、暴投で失点。二回も2つの死球を出すなど荒れ、2点を奪われた。2番手石川優良は三回以降を1失点で踏ん張った。

 

 初回に先制した盛岡商は二回、佐々木の左中間2点二塁打でリードを広げた。先発杉村は何度も腕をつるなどアクシデントはあったが、要所を締め、被安打4、1失点で完投した。

 

スタンドから声援を送る釜石商工の生徒ら

スタンドから声援を送る釜石商工の生徒ら

 

 「盛岡商は似たような戦力。打ち勝つつもりだったが」と山崎善輝監督。相手投手の低めにコントロールされた球に打線が次々と手を出し、4安打に押さえ込まれた。

 

 「チャンスをつくって長打で還すつもりだった。まだ負けた気がしない。力を出し切れず本当に悔しい」。三浦大武主将は、ぼう然と下を向いた。春季は5割近くの打率を残し、夏本番での活躍が期待されたが、キャッチャーフライに3三振と不発に終わった。チームの大黒柱の不振に、山崎監督は「真面目な性格。初戦の雰囲気に余計な力が入ってしまったか」と首をかしげた。

 

 先発の岡崎蓮も初回に四死球を連発するなど誤算。山崎監督は「彼もまた真面目で頑固な性格。雰囲気にのまれたか」と思いやった。

 

 「勝てなかったことは悔しいが、自分の投球には満足している」。背番号5を付けた石川優良は、三回からのロングリリーフを1失点に抑えた。

 

 ゲームプランでは五回終了後から継投の予定だった。先発の不調で出番は早まったが、「心の準備はできていた」。

 

 「自分は球があまり速くない」と自覚。コントロールを意識して投げた。八回は、最後の攻撃で逆転できるように流れをつくろうと思い切り投げ込んだ。

 

釜石高 シード校に完敗 森大付にコールドで 主将新沼、意地の二塁打

 

先発を外れ、無念の報告をする釜石の新沼康生主将(前列左)

先発を外れ、無念の報告をする釜石の新沼康生主将(前列左)

 

 釜石はシード校の盛大付に果敢に立ち向かったが、大量失点の完敗に終わった。打線はわずか2安打に押さえ込まれ、無得点。体調不良で先発から外れた主将の新沼康生が五回に代打で登場。右中間を破る二塁打を放ち気を吐いた。

 

 春の県大会3位の盛大付は、二回二死から本塁打を含む6本の長短打を集めて一挙6点を先制。三回にも集中打で4点を奪い、釜石を圧倒した。

 

 「打たれること、点を取られることも想定はしていた」と佐々木偉彦監督。先発でマウンドに送り出した菊池健太は、初回は3人で討ち取ったものの、二回2死から集中打を浴びて崩れた。

 

 佐々木監督は「我慢し切れなかった。(強力打線を相手に)気持ちで負けていたのかもしれない。チームの要、捕手の新沼が出られないこともあって、ちょっと厳しかったかな」と思いやった。

 

 29人の部員の中で3年生は9人。「この学年は1年から担任し、長い時間を共有してきた。それだけに悔しい」と佐々木監督。試合終了後、父母らの前であいさつに立つと、「満足な結果ではなかったが、できることはやったと思う」と声を詰まらせた。

 

 「負けてしまったけど、全力でプレーしました」。見守る父母らの前で、新沼康生主将は小さな声を絞り出した。攻守の要と期待されたが、体調を崩し、先発から外れた。

 

 熱と頭痛で青ざめた表情ながらも、最終五回に代打で登場。見事二塁打を放ち、力の片鱗(へんりん)を見せつけた。

 

新沼の意地の二塁打に盛り上がる釜石応援席

新沼の意地の二塁打に盛り上がる釜石応援席

 

 小学校の時からチームメートだった菊池健太が先発。集中打を浴びる姿を見て、「(捕手として)助けてやることができなかった」と悔やんだ。

 

 スタンドでは、2つ年上の兄で3年前に甲子園の土を踏んだ康大さんが声援を送ったが、実らなかった。その兄の背中を追い、大学への進学を目指す。

 

(復興釜石新聞 2019年7月17日発行 第808号より)

 

復興釜石新聞

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仲谷署長(中)、署員も気持ちを新たにした

釜石署 新庁舎完成〜沿岸免許センターも、16日から業務開始

大震災から8年4カ月ぶりに常設庁舎に復旧した釜石警察署

大震災から8年4カ月ぶりに常設庁舎に復旧した釜石警察署

 

 岩手県警本部は12日、釜石市中妻町の旧昭和園グラウンドに新築した釜石警察署(仲谷千春署長)の庁舎を報道関係者に公開した。東日本大震災の津波で庁舎が全壊した同署は16日、仮設庁舎を経て8年4カ月ぶりに常設庁舎での業務を開始した。県内で被災した警察署、駐在所21カ所は、統廃合した2施設を除く19施設すべてが復旧した。

 

 釜石署の新庁舎は敷地面積1万3642平方㍍、延べ床面積約5650平方メートルの鉄筋コンクリート造り4階建て(一部2階建て)。同署のほか交通機動隊沿岸分駐隊、高速道路交通警察隊釜石分駐隊、西側の2階建て区画には沿岸運転免許センターが配置された。JR釜石線に沿った、昭和園グラウンド時代に観客席だった土盛りは残された。

 

 同庁舎は災害対策拠点の一つに位置づけ、被災初期の3日間は電気、給水を自力でまかなう機能を備える。

 

仲谷署長(中)、署員も気持ちを新たにした

仲谷署長(中)、署員も気持ちを新たにした

 

 2011年3月の震災当時、嬉石町にあった釜石署庁舎(沿岸運転免許センター、交通機動隊沿岸分駐隊施設を含む)は2階天井付近まで浸水し、機能が失われた。本署機能は小佐野交番に置かれ、中妻地区の民間施設に移った。同年12月、八雲町の旧釜石第二中用地跡の仮設庁舎で、免許センターとともに業務を続けた。

 

 震災では釜石署管内で大槌町の大槌交番、吉里吉里駐在所、釜石市の鵜住居、平田、唐丹の3駐在所も建て替えが必要となり、すでに復旧した。

 

運転免許センターも広く、明るく、施設が充実

運転免許センターも広く、明るく、施設が充実

 

 新庁舎の用地には11年夏から仮設住宅が建ち並んだ。住民の転出、仮設の撤去を受け17年10月から、新庁舎建設工事に着手した。

 

 釜石署建設の事業費は約39億5千万円。県内警察施設の復旧事業費は総額92億円に上る。

 

 釜石署の仲谷署長は「新庁舎が釜石・大槌地域の復興のシンボルとなるよう、署員が一丸となって治安維持、交通事故防止などに全力を尽くす」と決意を示した。

 

(復興釜石新聞 2019年7月17日発行 第808号より)

 

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作文で優秀賞を受賞した石井桃加さん(右)と佐々海音さん

小川川を「ほたるの里」に〜より良い環境を次世代へ、まつりでアピール

尾崎都さんの歌に合わせた佐々木社中の踊りを楽しむ観客

尾崎都さんの歌に合わせた佐々木社中の踊りを楽しむ観客

 

 釜石市内有数のゲンジボタルの生息地・小川川をPRし、ホタルが住める自然環境を次世代につないでいこうと「第7回ほたるの里まつり」が6日、中小川集会所前の空き地で開かれた。小佐野地域会議(黒田至議長)のほたるの里推進事業として、流域の4町内会などで組織する実行委が主催。あいにくの雨模様となったが、約120人が足を運び、芸能披露や作文発表を楽しんだ。

 

 黒田議長は「釜石にはホタルの生息地が4カ所あるが、比較的近い所で観察できるのが中小川。ぜひ、ご観賞を」とあいさつ。地元の佐々木聡市議は「昨晩、自宅裏の川を見たら、例年よりも多いホタルが飛んでいた。小川川のホタルは地域住民の活動で復活した。環境保全の気持ちを大切に、みんなで守っていこう」と呼び掛けた。

 

 2009年から歌い継ぐ「蛍の里」(釜石オリジナル歌謡同好会制作)を地域住民らが合唱。市内で活動する歌手・尾崎都さんと舞踊の佐々木社中が、歌と踊りのステージで盛り上げた。

 

 ホタルに関する作文コンクールの入賞者を発表。表彰式に出席した優秀賞の佐々海音さん(小佐野小3年)、石井桃加さん(同)に表彰状と副賞が贈られ、受賞作を朗読した。

 

作文で優秀賞を受賞した石井桃加さん(右)と佐々海音さん

作文で優秀賞を受賞した石井桃加さん(右)と佐々海音さん

 

 佐々さんと石井さんは道徳の教材で「ホタルの引っこし」という話を読んだ。人間が流した水が原因で川の環境が悪化し、ホタルや他の生き物が別の場所に移動してしまったという話。

 

 佐々さんはホタルに詳しい父親からいろいろ教えてもらい、ホタルの気持ちを考えてみたことを作文につづった。祭り前日に小川川で開かれた観察会にも参加。初めてホタルを目にし、「きれいだった。説明してくれた人もホタルをみんなに広めたいんだと思った」と話した。

 

 石井さんはホタルの生態を調べる中で、小川地区にホタルがいると友達に聞き、「釜石にきれいな川があると分かり、うれしくなった。これからも自然を大切にしたい。ホタルたちの未来が明るく光るように」と作文を締めくくった。

 

 2人は自分たちにできることとして「生き物のことを考え、川に物を捨てない。ごみ拾いのボランティアとかで、もっと川をきれいにしたい」と意を強くした。

 

 作文は小佐野小に応募を呼び掛け、2年目の今年は校内審査で選ばれた8点が実行委に寄せられた。役員らの審査で、最優秀賞1点、優秀賞2点、佳作5点を選出。表彰式を欠席した最優秀賞の山崎彩佳さん(5年)の作品「ホタルのひみつとすごさ」は後日、小佐野公民館だよりで紹介される。

 

 祭りは小川鹿踊りの演舞と餅まきで、にぎやかにフィナーレ。中小川町内会の佐々木正雪会長(69)は「雨も強くならず、何とか終えられた。地域住民が楽しみにしている行事。川を守る啓発も含め長く続けたい」と話した。

 

(復興釜石新聞 2019年7月13日発行 第807号より)

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