大会を無事に終え充実した表情の選手、スタッフら
第25回釜石はまゆりトライアスロン国際大会(同実行委主催)は7月28日、釜石市鵜住居町の根浜海岸特設会場を発着点に開かれた。例年9月に開催されるが、今年はラグビーワールドカップ(W杯)や統一地方選挙との関係で日程を前倒し。震災を乗り越え歴史を重ねる大会が、復興でスポーツ拠点の集積が進む同地域に活気と未来への希望を与えた。
スイム1・5キロ、バイク23キロ、ラン10キロ(総距離34・5キロ)を個人で競うスタンダードに68人、3種目を2~3人で分担するリレーに8チーム、各種目半分の距離で競うスプリント(同17・75キロ)に12人が出場。北海道から鹿児島県まで全国のアスリート102人が真夏の根浜に集った。
午前10時、スイムからスタート。震災の津波で失われた砂浜の再生工事が進み、9年ぶりに海開きを迎えた同海岸で熱い戦いが幕を開けた。今大会の注目は、復興事業で整備された市道箱崎半島線、同鵜住居線を使ったバイクレース。複数の急坂を含むコースを4周(スプリントは2周)する、過去に例のない過酷さで、選手らは沿道の応援に力をもらいながら、必死にペダルをこいだ。
バイクコースの根浜の「宝来館」前では、従業員が大漁旗を振って応援。北海道からUターンし、同館で働き始めて4カ月という田代幸恵さん(32)は初めてレースを目にし、「ワクワクする。選手が頑張る姿は自分たちにとっても励みになる」と目を輝かせた。前日には釜石鵜住居復興スタジアムでラグビー日本代表の試合が行われ、市民体育館も完成間近。「いろいろなスポーツの選手に来てほしい。国際交流も図られ、三陸全体が盛り上がれば」と今後の地域振興に期待を寄せた。
ランは箱崎臨港道路を周回。強い日差しと30度超えの高温が体力消耗に拍車をかけたが、ゴールした選手らは達成感をにじませ、仲間と完走を喜び合った。
スタンダード女子トップでゴールしたのは、2008年の北京五輪で5位に入賞した神奈川県の井出樹里さん(36)。釜石大会には3年連続で駆け付け、最後の選手がゴールするまで懸命に声援を送り続ける姿が他選手に大きな力を与えている。今回は、来年の東京五輪に向けたテストレース(8月15日)を控える中での来釜。「来年の今日が五輪女子トライアスロンの開催日。その1年前に釜石でレースができたことに運命的なものを感じる。皆さんからいただいたエネルギーを必ず自分の力に変え、来年につなげたい」と出場権獲得へ強い思いをみなぎらせた。
オープン参加を望み今大会の優勝を辞退した井出さんには、東京五輪出場への期待とエールを込め、大会特別表彰として金メダルが贈られた。
釜石鵜住居復興スタジアム前を通過し、急坂を駆け上がる選手
20年ぶり釜石大会へ 元プロ選手都議会議員 白戸さん夫婦で出場
20年ぶりの釜石大会となったのは、東京都の白戸太朗さん(52)、彩子さん(51)夫妻。元プロ選手の太朗さんは第3、4、10回大会に招待選手として出場。外国人選手も招聘(しょうへい)し“国際大会”の冠を掲げた第3回以降、参加者300~400人規模に成長していく同大会をトップレベルのレースで盛り上げた。
現在はトライアスロン関連の会社を経営しながら、都議会議員としても活躍。後進の指導とともにレースへの出場も続ける。震災後、釜石のことを気にかけながらも足を延ばせずにいたが、今回スケジュール調整がつき、念願の大会参加がかなった。
当時、世話になった釜石トライアスロン協会の小林格也会長、宝来館おかみの岩崎昭子さんらとの再会に「スポーツを通してこの地に戻ってきてくれることがうれしいと言っていただいた。皆さんが震災を乗り越え、元気にやっている姿を見てほっとした」と安堵(あんど)の表情。被災地に足を運ぶ重要性を改めて実感した。
彩子さんは「震災を忘れまい」と2年前に子どもと2人で被災地を訪問。過去に盛岡市で暮らしたこともあり、岩手への愛着を見せる。「砂浜は短くなったが、今日の海は穏やかで泳ぎやすかった。本当にここが、がれきで埋まったのかと思うほど」と復興の道のりを思いやり、住民の変わらぬ応援にも感謝。スタンダード女子で3位に入り、喜びを倍増させた。
「トライアスロンを通した人とのつながりは僕の財産」と太朗さん。「機会があればまた2人で」と夫婦で再訪を誓った。
井出樹里さん(中央)のメダル贈呈に立ち会った白戸太朗さん(右)
遠く鹿児島県から 最年長の神園さん 親子でエントリー
今大会の最年長選手、神園和幸さん(76)は鹿児島県から訪れた。釜石大会は2001年に初めて参加して以来で、今回は長男恭一さん(52、大分県)とスタンダードに“親子”エントリー。互いの妻と家族4人で東北被災地を巡る旅を計画し、大会参加もその行程に組み込んだ。
和幸さんは48歳から競技を始め、途中10年近くのブランクを経て、3年前から再挑戦。久しぶりの釜石大会はバイクとランの周回回数を間違えて事実上失格となったが、「それも笑い話」とハプニングを楽しむ。一方、競技歴約20年の恭一さんは地元九州の大会とは違う景色や雰囲気を味わい、「いつもより気持ち良く走れた」と笑顔。
震災後初めて足を踏み入れた釜石に「防潮堤が新しくなり、中心市街地の街並みも変わっていて、どんなに大きな被災だったかと思う」と和幸さん。前回の思い出に、焼きサンマやホタテを振る舞うカーボパーティー(前夜祭)を挙げ、当時を懐かしんだ。
神戸市までフェリーを使い、車を走らせ1泊2日がかりで釜石へ。帰りは三陸沿岸道路を南下し、震災から8年が経過した被災地の復興状況を見ていくという。
恭一さんは「元々は練習の成果がレース結果として表れるのが魅力だったが、最近は家族一緒に旅行がてら各地の大会に出向くのが楽しみ。みんなで達成感を味わえるのは最高」と家族の時間を喜ぶ。
神園和幸さん、邦子さん夫妻(左側)と恭一さん、由紀さん夫妻
初挑戦 リレーで奮闘 沿岸振興局の2人
地元釜石からの参加者が減少する中、リレーで奮闘したのが、県沿岸広域振興局に勤務する継枝拓真さん(24)と安保寛隆さん(30)。職場の先輩後輩という2人はトライアスロン初挑戦。「釜石勤務になったのも何かの縁。赴任地での記念に」と完走を目指した。
初レースの達成感を味わう安保寛隆さん(左)と継枝拓真さん
スイム担当の継枝さんは海で泳ぐこと自体初めて。練習では地元のライフセーバーからアドバイスをもらい、「いい指導をしていただき助かった。足が付かない沖に出るのは少し怖かったが、楽しく泳げた」と満足げ。バイクとランを担当した安保さんは「バイクの坂がこたえた」と言いながらも、日ごろのトレーニング成果をゴールにつなげた。
継枝さんは花巻市出身、安保さんは秋田県鹿角市出身。「こういうイベントを通じて地域の皆さんと知り合い、温かく迎えてもらえるのはすごくうれしい」と感謝する。
震災復興9年目の釜石。根浜周辺では鵜住居川水門や片岸防潮堤の整備、根浜海岸の砂浜再生と、県の復興事業が大詰めを迎える。「完全復興まであと一押し」と安保さん。
(復興釜石新聞 2019年8月3日発行 第813号より)
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