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釜石ファンゾーンでも感謝のコール〜奮闘日本 W杯破れる、準々決勝 南アフリカに力及ばず

釜石ファンゾーンでも感謝のコール〜奮闘日本 W杯破れる、準々決勝 南アフリカに力及ばず

日本代表の健闘に感謝のコールを送るファンら

日本代表の健闘に感謝のコールを送るファンら

 

 ラグビーワールドカップ(W杯)準々決勝が始まった19日、台風19号の影響で一時閉鎖されていた釜石市大町のファンゾーンが再開された。日本―南アフリカ戦が行われた20日、市民ホールTETTOに設けられたファンゾーンは日本代表のユニホームや鉢巻きを着けた大勢のファンで埋まり、パブリックビューで中継される日本代表の奮闘に熱狂。強豪南アに力及ばず3―26で敗れはしたものの、「よくやった」「勇気をありがとー」などと感謝の声が広がった。

 

パブリックビューで中継された熱戦に興奮

パブリックビューで中継された熱戦に興奮

 

ファンゾーンには、台風の影響で釜石での試合が中止となったナミビア、カナダ両チームへのメッセージを書き込める寄せ書きボードも設置。子どもたちも感謝の思いをつづった

ファンゾーンには、台風の影響で釜石での試合が中止となったナミビア、カナダ両チームへのメッセージを書き込める寄せ書きボードも設置。子どもたちも感謝の思いをつづった

 

■日本奮闘も及ばず
 前半は1トライに抑え、3―5と食い下がった。しかし、後半は完全に力負け。南アの圧力に耐え切れず、3PG、2トライを許し差を広げられたままノーサイドとなった。「行けー!」「アーッ」などと絶叫しながら声援を送り続けたファンゾーンのファンも、最後は大きな拍手で日本代表の奮闘をねぎらった。
 
■今後も釜石の力に 
 「ニッポン、さいこー!」。一際大きな声で応援し続けた東京都北区職員の志村匡仁さん(35)は涙目で感謝した。震災後に釜石に派遣され、2年間、ラグビーの振興などを担当。2年前に北区へ戻り、現在は区役所の新庁舎建設計画に携わる。
 9月25日のフィジー―ウルグアイ戦は釜石で観戦。日本―南ア戦のチケットも手に入れたが、「台風被害の中でがんばっている仲間と一緒に応援したい」と釜石に駆け付けた。釜石まつりのみこしかつぎにも参加。「今後も釜石復興の力になりたい」と思いを新たにした。
 
■涙で、ふるえた
 「W杯を通し、いろんな人がこうして釜石を応援してくれる。こんなにありがたいことはありません」。東京の小平市から駆け付けた藤井眞喜子さん(55)は仲間とともに感激をかみしめた。
 東前町の実家が震災で被災し、両親はいま上中島町の復興住宅で暮らす。夫はかつて新日鉄釜石ラグビー部のバックスとして活躍した邦之さん(55)。「仕事で来られない夫の分も」と声を張り上げた。
 9月のフィジー―ウルグアイ戦も観戦し、満員となったスタジアムに興奮。「大会を実現させた釜石の人たちのめげない心、やさしい気持ちに涙が出、ふるえた」という。
 
■ファン大入り
 ファンゾーンにはこの日、5006人が来場。9月25日(5323人)に次ぐ記録となった。

 

(復興釜石新聞 2019年10月23日発行 第835号より)

 

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ウィリアムスさん(右)の指導を受ける釜石中生

元ウェールズ代表 シェーン・ウィリアムスさん、釜石中で交流〜台風被災の釜石サポート、ラグビーのまちに思い寄せる

野田市長を訪ねたウィリアムスさん(中央)

野田市長を訪ねたウィリアムスさん(中央)

 

 開催中のラグビーワールドカップ(W杯)で躍進する英国ウェールズ。かつて代表として活躍し、その後、日本でもプレーした経験のあるシェーン・ウィリアムスさん(42)がW杯PRなどのために来日し、釜石市にも足を延ばした。15日に釜石市役所を訪ね、野田武則市長を表敬。釜石中(川崎一弘校長、生徒304人)では特設ラグビー部の生徒約35人と交流し、スポーツを通した子どもたちの成長や釜石ラグビーの盛り上がりに期待を寄せた。

 

 ウィリアムスさんは2000年に代表デビュー。W杯には03年、07年、11年の3大会出場し通算10トライ。08年には世界最優秀選手に選ばれた。トライ数60は世界歴代3位。12~14年は日本の三菱重工相模原でプレーした。

 

 今回、W杯に合わせて来日したウィリアムスさんは、東日本大震災後の釜石で、ウェールズから届けられたコンテナ収用型救命艇を活用し、水難救助の人材育成事業などが展開されていることを知り、事業を支える同国の団体「アトランティック・パシフィック」を通じて釜石を訪問。市役所を訪れる前に、事業を進める鵜住居町の一般社団法人「根浜MIND(マインド)」(岩崎昭子理事長)などの案内で、根浜海岸での救助体験の様子を見学した。

 

 市役所では野田市長らと懇談。ウィリアムスさんは日本でプレーした際、釜石シーウェイブス(SW)RFCと対戦しており、知人も多い。震災、訪問直前の台風での被害に心を痛め、「サポートしたいとの思いを実現できる機会。スポーツ交流をしたい」と熱望。初めて訪れた釜石の印象について、「プリティー、ラブリー。海、山があり、自然がきれい」と話した。

 

 野田市長はW杯釜石開催の2試合目を中止した苦しい胸の内を明かし、「ラグビーのまちであることへの思いは変わらない。W杯もみんなで応援しながら盛り上げていきたい。ラグビーの楽しさを感じ、釜石から日本を代表する選手が出てほしい。世界との交流の拠点として前に進めるよう、協力を」と期待した。

 

 この後、釜石中を訪れたウィリアムスさんは、特設ラグビー部の練習に参加。パス、タックルなど基本の動き、技術について助言した。

 

ウィリアムスさん(右)の指導を受ける釜石中生

ウィリアムスさん(右)の指導を受ける釜石中生

 

 佐々木翔大君(3年)は「声掛けなどコミュニケーションの大切さを実感。基本をしっかりやることも大事だと分かった。教わったことを忘れない」と感謝した。

 

 同部は、来月開催される県中総体ラグビーフットボール競技大会に出場する。主将の篠原颯汰君(同)は「まず1勝」と控えめ。自身は高校から本格的にラグビーに取り組む考えで、「W杯で活躍している選手のようになりたい」と夢を膨らませた。

 

 子どもたちとの触れ合いを楽しんだウィリアムスさんは「いくつかの助言を少しでも覚え、理解し、成長してもらえたらうれしい」と、温かな視線を残した。

 

 ウィリアムスさんは同日夜、同法人らの歓迎会に出席。16日に釜石を発った。

 

(復興釜石新聞 2019年10月19日発行 第834号より)

 

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サモアを撃破。日本の3連勝が決まると、ファンゾーンを埋めた市民が拍手、バンザイで盛り上がる=5日

ワールドカップ日本、3連勝に沸く〜ファンゾーン釜石「最高!」の興奮

サモアを撃破。日本の3連勝が決まると、ファンゾーンを埋めた市民が拍手、バンザイで盛り上がる=5日

サモアを撃破。日本の3連勝が決まると、ファンゾーンを埋めた市民が拍手、バンザイで盛り上がる=5日

 

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会で初の8強入りを目指す日本は5日、愛知県豊田市で行われた第3戦でサモアに38―19で勝利。1次リーグで3連勝を飾り、決勝トーナメント進出に大きく前進した。この日、釜石市大町の市民ホールTETTOに設けられたファンゾーンには2500人余りが詰めかけ、パブリックビューの大型スクリーンに映し出される日本代表の快進撃に酔いしれた。

 

 試合は日本が優勢に進めたものの、後半半ば過ぎまでサモアが1トライ差で追いすがる、じりじりとした展開。終了間際にWTB松島幸太朗がボーナス点獲得を決めるトライを奪うと、ファンゾーンに詰めかけた観客は抱き合って喜び合い、盛り上がりは最高潮に達した。

 

 「もう、最高です!」。W杯開幕後、毎日のように大只越町の自宅からファンゾーンに足を運んでいる及川かおるさん(56)は、周りの人とハイタッチを交わしながら叫んだ。新日鉄釜石ラグビー部が日本一7連覇を達成した当時は「ラグビーって、何?」という程度の高校生だったが、「W杯釜石開催が決まって、目覚めました」。

 

 及川さんは、復興スタジアムが建設された釜石東中の卒業生。実家は箱崎町桑ノ浜にあり、震災の津波で両親を失った。「震災後どうしても行く気になれなかった」という母校の跡地に、先月25日のフィジー対ウルグアイを観戦するため初めて足を踏み入れた。「ここに学校があったんだ…」。満員に膨らんだスタジアムの盛り上がりに感激し、気持ちも吹っ切れたという。

 

 「今はもう、気持ちが前向きになっている。一日一日に感謝です」と及川さん。W杯閉幕までファンゾーンに足を運び続け、最高の雰囲気を存分に味わうつもりだ。

 

 及川さんに誘われ、花巻市から駆け付けたという従兄弟の多田圭治さん(53)も「ラグビーでこんなに盛り上がる、釜石の雰囲気が素晴らしい」と興奮を隠せない。高校時代(黒沢尻工)はラグビー部のFWとして、釜石シーウェイブス(SW)RFCの桜庭吉彦ゼネラルマネジャー(当時は秋田工)と対戦したこともある。「釜石はW杯を開催する運命にあったんだと思う。市民には賛否両論があったと聞くが、結果的には良かったと思えるのではないか」と成功にエールを送る。

 

 ファンゾーンを運営する市ラグビーワールドカップ推進本部によると、これまでの入場者は2万5千人余りに上る。大会前に見込んでいた最終的な入場者(1万4千人)を、すでに9月28日の時点で突破。日本の快進撃に合わせるように、見込みを大幅に上回る驚異的なペースで入場者数が伸びている。

(写真説明)

 

(復興釜石新聞 2019年10月9日発行 第831号より)

 

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ラグビーワールドカップが釜石にやってきた〜「今日の1日が未来につながる」招致活動関係者 感動の本番

ラグビーワールドカップが釜石にやってきた〜「今日の1日が未来につながる」招致活動関係者 感動の本番

「釜石の夢」が実現したW杯フィジー対ウルグアイ戦

「釜石の夢」が実現したW杯フィジー対ウルグアイ戦

 

 ラグビーワールドカップ(W杯)が釜石にやってきた。東日本大震災の津波で大きく姿を変えた鵜住居の地に建設された復興スタジアムは、国内外から訪れた約1万4千人の観客で埋まった。絶好の青空が広がる晴れ舞台。対戦するフィジー、ウルグアイを応援する大歓声が沸き上がり、満員のスタンドに応援のウエーブが何度も広がった。感動的なこのシーンを夢見て招致活動に取り組んできた関係者は感激に浸る間もなく、「さあ次の試合だ」と準備に取りかかった。

 

桜庭吉彦さん

 

スタジアムから帰る観戦客と感謝のハイタッチを交わす桜庭吉彦さん(中央)

スタジアムから帰る観戦客と感謝のハイタッチを交わす桜庭吉彦さん(中央)

 

 「イエーイ!」「ありがとー」「サンキュー」――。W杯アンバサダーとして活動する釜石シーウェイブス(SW)RFCゼネラルマネジャーの桜庭吉彦さん(53)は、釜石開催を縁の下で支える会場ボランティアらとともに、スタジアムから出てきた観戦客と感謝のハイタッチを重ねた。

 

 国内外から訪れた1万4025人がスタジアムを埋めた。「こうやって、みんなが笑顔で帰ってくれる。そのことが本当にうれしい」。桜庭さんは涙をこらえながら、この日を迎えた感慨をかみしめた。

 

 新日鉄釜石ラグビー部が日本一7連覇を達成した翌年に入社し、クラブチームへの移行など苦難の時代の主力として活躍した。釜石SWのヘッドコーチも務めるなど、「釜石ラグビー」のDNAを引き継いできた。1986年からラグビー日本代表に選ばれ、キャップ43を獲得。W杯にも3大会に出場した。

 

 この日はあえてスタジアムの外で、会場案内や、おもてなしなどのボランティアに徹した。「きょうの一日が未来につながる。いや、つなげていかねばならない」「手を携え、こんな思いを経験することがW杯のレガシー(遺産)につながっていく」と確信。13日のナミビア対カナダ戦も会場ボランティアとして汗をかくつもりだ。

 

豪快なトライシーンに沸く観戦客

豪快なトライシーンに沸く観戦客

 

大友信彦さん

 

「本当に夢のよう」とスポーツライターの大友信彦さん

「本当に夢のよう」とスポーツライターの大友信彦さん

 

 「本当に夢のよう」。スポーツライターの大友信彦さん(57)はスタジアムの前で、多くの知人とW杯開催実現の握手を交わした。

 

 気仙沼市出身で、スポーツ紙や雑誌などにラグビー記事を多数寄稿する国内有数のラグビーウオッチャー。「釜石ラグビー」の歩みを丹念に刻み続け、震災後は釜石のV7メンバーらと立ち上げた「スクラム釜石」(石山次郎代表)の一員として活動。W杯招致活動を広報面で支えてきた。

 

 2015年には、実現不可能といわれたW杯釜石開催を可能にしたラガーマンや市民の取り組みをまとめた「釜石の夢」(講談社文庫)を出版。福島県から釜石まで自転車で走破する「スクラムライド」にも加わり、被災地が復興へと進む姿を国内外に発信し続けてきた。

 

 「多くの観戦客が訪れたこの光景とスタジアムのとけ込み具合はイメージできていなかった。盛り上がりは想像以上」と大友さん。「W杯に向けた取り組みを通して、子どもたちが大きく成長したことがうれしい。世界中から多くの人がやってくるワクワク感には特別な思いがある」と喜びを膨らませた。

 

片桐浩一さん

 

 「両国の選手がピッチに出てきた瞬間が一番感動した。涙が出そうになりましたよ」。大町で美容店を営む片桐浩一さん(49)はスタジアムに広がる光景をしみじみと見回した。

 

 震災の津波で妻理香子さん(享年31)を失って8年半。スタジアムは、理香子さんが勤務先の幼稚園で命を落とした鵜住居に建設された。W杯招致にも初めは反対だったという。

 

 両国の国歌斉唱のときは複雑な思いも重なり、立ち上がることができなかった。「でも、もう後ろ向きになることはないかもしれない」。天国にいる妻に向かって、そうつぶやいた。

 

(復興釜石新聞 2019年10月2日発行 第829号より)

 

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スタンドは約1万4千人の観客で埋まる

青空に「釜石の夢」かなう、ラグビーワールドカップ第1戦〜世界レベルの白熱戦 ウルグアイ、フィジー破る

激闘を繰り広げるフィジーとウルグアイ=25日、釜石鵜住居復興スタジアム

激闘を繰り広げるフィジーとウルグアイ=25日、釜石鵜住居復興スタジアム

 

 「釜石の夢」が実現した――。ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の釜石第1戦は25日、釜石鵜住居復興スタジアムで行われ、フィジーとウルグアイが世界レベルの熱戦を展開した。逆転、また逆転の白熱した激闘を繰り広げ、最後はウルグアイが格上のフィジーを破る番狂わせを演じた。新設のスタジアムを埋めた1万4025人の観客は、歴史に残る一戦のドラマチックなストーリーに興奮。さわやかな青空に、大きな歓声が響き渡った。

 

 世界ランキング19位のウルグアイが30―27(前半24―12)の僅差で同10位のフィジーを撃破する波乱の展開。優位とみられていたフィジーは「フィジアンマジック」と称される奔放なパスプレーが思うようにつながらず苦杯をのんだ。

 

 8トライを取り合う白熱の接戦が繰り広げられた。前半7分にフィジーが先制したが、ウルグアイがすかさず逆転。さらに2トライを加え、12点差で折り返す。後半はフィジーが3トライを挙げて猛追したが、ウルグアイが2PGを決め、辛うじて逃げ切った。

 

後半はフィジーが3トライを挙げ、猛烈に追撃

後半はフィジーが3トライを挙げ、猛烈に追撃

 

 スタジアムが建設されたのは、東日本大震災の津波で全壊した釜石東中、鵜住居小があった場所。震災で世界中から寄せられた物心両面の支援へ感謝の思いを発信する舞台として校舎の跡地が選ばれた。

 

 スタジアムが新設されたのは、試合が行われる国内12会場でただ一つ。「ラグビーW杯を釜石で」。かつて日本一7連覇の偉業を達成した新日鉄釜石ラグビー部のOBら多くの関係者が思い描く夢が重なり、震災から復興へと向かうシンボリックな場所で花を開かせた。

 

子どもたちの声援を背に繰り広げられた世界レベルの熱戦

子どもたちの声援を背に繰り広げられた世界レベルの熱戦

 

 試合開始前のセレモニーでは、市内の小中学生の代表が白地に「Thank you for your support ……」と記した感謝の旗を携えて入場。招待された小中学生約2200人がスタンドで立ち上がり、この日のために練習した「ありがとうの手紙」の合唱をスタジアムに響かせた。

 

 上空に航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」の6機が飛来し、W杯釜石初戦に花を添えた。

 

復興スタジアムの上空を飛行する航空自衛隊の「ブルーインパルス」

復興スタジアムの上空を飛行する航空自衛隊の「ブルーインパルス」

 

激闘に「勇気もらった」、スタジアムに弾む「ありがとう」の歌声

 

スタンドは約1万4千人の観客で埋まる

スタンドは約1万4千人の観客で埋まる

 

 福島県相馬市の荒耕陽さん(72)は「同じ被災地でW杯をやると聞き、釜石を応援したくて来た。試合は接戦で最高に面白かった」と大満足。妻美知子さん(70)は「世界中からこれだけの人が集まってくれて感謝。みんなで両チームを応援するラグビーならではの精神が素晴らしい」と興奮冷めやらぬ様子で会場を後にした。

 

 花巻市の中村憲さん(52)は10年ほど前、仕事の関係で家族と共に5年間フィジーに暮らした。一家5人で観戦。「フィジーが負けて残念だけど、見応えのある試合で楽しめた」と子どもらと感動を共有。長男耕太朗君(12)は両チームの激しい攻防に「ドキドキした。倒されてもすぐ起き上がり、次のプレーに入るのがすごい」と勇気をもらった様子。長女綾乃さん(14)は「選手は迫力があったし、応援の人に(フィジーにいたころの)知人に似た人がいて、当時のことが思い出された」と懐かしんだ。

 

「ありがとう」の歌声を響かせた小中学生

「ありがとう」の歌声を響かせた小中学生

 

 全校児童で大声援を送った地元鵜住居小の柏﨑優さん(6年)は「復興スタジアムで世界大会が見られてうれしい。タグラグビーにも生かしたい」と貴重な経験を心に刻んだ。現在、自宅再建を待ちながら仮設住宅で暮らす。W杯を機に「鵜住居がもっと復興して、いい町になってほしい」と願いを込めた。

 

 鵜住居地区復興まちづくり協議会の佐々木憲一郎会長は、インフラ整備など地域の早期復興への効果を見通し、W杯開催を後押ししてきた一人。試合前、市内の小・中学生が高らかに歌声を響かせる姿に「胸がいっぱいになった」。

 

感謝の旗を携え入場する小中学生の代表

感謝の旗を携え入場する小中学生の代表

 

 会場入りの前には、震災犠牲者の芳名が刻まれる「祈りのパーク」で手を合わせた。「亡くなった人たちも『これで良かった』と一緒に楽しんでくれていた気がする。最高の天気は天国からのプレゼント」と青空を仰ぐ佐々木会長。「鵜住居の真の復興はこれからが勝負。広域連携によるスタジアム活用など、次の10年、20年後を見据えた取り組みが不可欠」と声に力がこもった。

 

(復興釜石新聞 2019年9月28日発行 第828号より)

 

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日本代表のユニホームを着たファンも大喜び(

ラグビーワールドカップ2019 待望の開幕〜日本の初戦快勝に興奮

ファンゾーンオープン、世界に届け「ありがとう」の歌声

 

「ありがとうの手紙」の合唱を披露する市内の小中学生

「ありがとうの手紙」の合唱を披露する市内の小中学生

 

 釜石市民が待ちに待ったラグビーワールドカップ(W杯)が20日、開幕した。大町の市民ホールTETTOには、試合の中継映像を大型スクリーンで楽しめるなど、多彩なイベントでW杯を盛り上げる「ファンゾーン」がオープン。市内の小中学生が東日本大震災の復興支援へ感謝の思いを込めた合唱を披露し、開幕を飾った。ファンゾーンは11月2日まで30日間にわたって開設する。入場は無料。

 

W杯開幕を乾杯で祝う釜石SWの桜庭吉彦ゼネラルマネジャー

W杯開幕を乾杯で祝う釜石SWの桜庭吉彦ゼネラルマネジャー

 

 ファンゾーンのオープニングセレモニーには市民ら約200人が集まった。市内14小中学校の代表78人が「ありがとうの手紙」を合唱。9カ国語で「ありがとう」と感謝のメッセージを散りばめた歌声をさわやかに披露し、「サンキュー フロム カマイシ」と英語で締めくくった。

 

 市内全小中学校でつくる「かまいし絆会議」の取り組みの一つ。児童生徒が書いた復興支援への感謝の手紙から詞を構成し、合唱曲に仕上げた。4月から各校で練習を進め、この日初めて、各校の代表がそろって本番に臨んだ。

 

 この取り組みのリーダーを務める釜石中3年の小沢大地君は「元気に楽しそうに歌っている姿から復興が進んでいることを感じてもらえれば」と願った。

 

 この合唱は、きょう25日に釜石鵜住居復興スタジアムで行われるフィジー対ウルグアイ戦のキックオフ前にも披露される。

 

 セレモニーでは、東京の開幕式に出席した野田武則市長に代わって山崎秀樹副市長があいさつ。「多くの市民に足を運んでいただき、W杯を存分に楽しみ、国内外から釜石を訪れる多くの人々と交流を深めてほしい」と呼び掛けた。

 

 ファンゾーンでは全48試合を中継映像などで無料観戦できるほか、さまざまなゲストによるトークショーも行われる。情報発信、飲食ブースのほか、ラグビー体験コーナーなども設けられる。

 

大型スクリーンに映し出された松島幸太朗選手のトライシーンに大興奮

大型スクリーンに映し出された松島幸太朗選手のトライシーンに大興奮

 

パブリックビューイング 大盛り上がり

 

ファンゾーンで観戦する市民も日本の開幕戦快勝にバンザイ

ファンゾーンで観戦する市民も日本の開幕戦快勝にバンザイ

 

 釜石など全国12会場で44日間にわたって繰り広げられるラグビーW杯の熱戦がスタートした。東京都の味の素スタジアムで行われた開幕戦で、初の8強入りを狙う日本(世界ランキング10位)はロシア(同20位)を30―10で撃破し、白星発進。大型スクリーンで観戦できる釜石のファンゾーンには市民や熱烈なラグビーファンら921人が詰めかけ、ビールを片手に大声援。日本の快勝に酔いしれ、「釜石でも、この興奮を」と期待を膨らませた。

 

市民ホールのオープンスペースでビールを飲みながら観戦

市民ホールのオープンスペースでビールを飲みながら観戦

 

 日本の勝利が決まると、浜町に住む三浦正文さん(69)はスクリーンに向かって思わずバンザイ。「待ちに待ったW杯も、ようやく本番だよ」と感慨をかみしめた。

 

 東京で長く広告デザイナーとして働き、51歳の時に釜石に帰郷。以来、釜石シーウェイブス(SW)RFCの熱烈なサポーターとして広告ポスターなどの制作を手伝い、スタンドで応援の大漁旗を振り続けている。「一人でテレビ観戦しても、つまらない。こうして、みんなが集まってこそW杯を楽しめる。これから1カ月間、1試合でも多くパブリックビューに足を運びたい」。5度目の挑戦でようやくフィージー対ウルグアイ戦のチケットを手に入れ、きょうはスタンドから声援を送る。

 

 甲子町の会社員新田稔さん(48)は妻佳世子さん(45)、次男壮真君(甲子小4年)、三男壮偉君(中妻こどもの家保育園)と家族そろって日本代表のユニホームを着用し、声援を送った。高校時代にラグビー部で活動した稔さんは「日本も勝ったし、パブリックビュー最高!」と興奮を爆発させた。

 

日本代表のユニホームを着たファンも大喜び(

日本代表のユニホームを着たファンも大喜び

 

 釜石SWからは中野裕太選手(29)ら20人がスクリーンで観戦した。「こうして釜石でW杯を迎えたことに不思議な巡り合わせを感じる」と中野選手。神戸製鋼から移籍して4年目。今季は主将に起用された。「この盛り上がり。遠征で外に出ると、釜石は特別なまちだということを実感させられる」。W杯の興奮を目の当たりにしながら、「プレーヤーとして、釜石で行けるところまでいきたい」と決意を新たにした。

 

(復興釜石新聞 2019年9月25日発行 第827号より)

 

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市球技場のスタンドで揺れる釜石SW応援団の大漁旗

ヤマハ発動機ジュビロ、釜石支援の友情マッチ〜釜石シーウェイブスと親善試合

市球技場のスタンドで揺れる釜石SW応援団の大漁旗

市球技場のスタンドで揺れる釜石SW応援団の大漁旗

 

 「黄金の国、いわて。」が提供する、ラグビートップチャレンジ(TC)リーグの釜石シーウェイブス(SW)RFCとトップリーグ(TL)のヤマハ発動機との親善試合が15日、釜石市甲子町の市球技場で行われた。ヤマハは震災直後に釜石まで駆け付け、釜石SWの応援試合で被災地にエール。昨年8月には釜石鵜住居復興スタジアムのオープン記念試合で釜石SWと対戦するなど支援を継続している。ラグビーワールドカップ(W杯)開幕を目前に、今年も実現した友情マッチ。釜石SWの小野航大主将は「ヤマハさんの熱い思いを受け止めた。この絆をシーズン本番の結果につなげたい」と感謝した。

 

 釜石は17―61(前半7―33)とヤマハに大量点差で敗れた。試合開始早々、SH二宮昂生のトライで先制したものの、その後はスクラムで劣勢に立たされ、ずるずると失点を重ねた。

 

 勢いを取り戻したのは、若手選手を次々に投入した後半の半ば過ぎから。33分にCTB畠中豪士、36分にはロック山田龍之介がトライを返し意地を見せたが、追撃も及ばなかった。

 

 格上のヤマハに大敗はしたものの、釜石SWは出場した選手32人が全員ピッチに立つなど収穫も大きかった。小野主将は「シーズン本番に向けてゲーム機会が少ないだけに、全員がチャンスをもらってアピールすることができた」と喜ぶ。「やはりディフェンスのエラーが大きな課題。11月の開幕へ向け、じっくり時間をかけて修正したい」と前を向いた。

 

ヤマハに大敗したものの、大きな収穫もあった釜石SW

ヤマハに大敗したものの、大きな収穫もあった釜石SW

 

 桜庭吉彦ゼネラルマネジャー(GM)も「今回もヤマハさんの方から声を掛けていただいた。変わらぬ支援の気持ちが本当にありがたい」と感謝した。「普段はあまり試合に出られないメンバーが経験を積むことができた。敗れはしたが、いいプレーもたくさんあった。けがで欠場したバックスの外国人選手の復帰を促すなど、さらなる底上げを」と期待する。

 

 W杯開幕を目前に、市球技場のスタンドは多くのラグビーファンで埋まった。SWの小野主将は「震災後、準備を重ねてきた集大成となる」と大会の成功を願う。

 

 ブランド戦略コンサルタントなどとして精力的に活動し、8月に釜石SWのクリエイティブディレクターに就任したばかりの村尾隆介さんは「この市球技場も釜石のレガシー(遺産)に。そのお手伝いを」と意気込む。

 

(復興釜石新聞 2019年9月21日発行 第826号より)

 

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ボールを手に笑顔を見せる(左から)澤口選手、野田市長、水野社長、伊藤選手

釜石市民体育館こけら落とし、岩手ビッグブルズ12月に公式試合〜釜石出身 澤口選手、勝利プレゼント誓う

ボールを手に笑顔を見せる(左から)澤口選手、野田市長、水野社長、伊藤選手

ボールを手に笑顔を見せる(左から)澤口選手、野田市長、水野社長、伊藤選手

 

 釜石市が鵜住居町に建設を進めている市民体育館は今月末に完成し、12月1日から一般利用を開始する。「こけら落とし」として、同14、15日に日本プロバスケットボール男子Bリーグ3部(B3)、岩手ビッグブルズの公式試合が行われる。このほどチームと市が合同で開いた会見で発表した。

 

 会見は10日に市役所で行われ、岩手ビッグブルズの水野哲志社長(35)、釜石市野田町出身のG澤口誠選手(27)、PG伊藤良太選手(27)が出席した。

 

 野田武則市長は釜石で初めてとなるBリーグの試合に、「ビッグゲームの醍醐味(だいごみ)を感じてほしい。多くの市民に体育館を見てもらい、健康や体力づくり、スポーツ振興の拠点として活用してほしい」と期待。水野社長は「スポーツを通じ、復興やにぎわい創出に貢献できれば」と強調した。

 

 澤口選手は「生まれ育った場所でプロとして試合できるなんて」と意気揚々。身長186センチ、体重90キロの体形を生かし、外国人選手を相手に積極的に向かっていき、当たり負けしないプレーが持ち味といい、「子どもたちに元気を与える試合をしたい。勝利というプレゼントを新体育館に贈れるよう、頑張ります!」と力を込めた。

 

 こけら落としでは、石川県の金沢騎士団(カナザワサムライズ)と対戦。開催時間や料金など詳細は今後、市と調整して決める。

 

 市民体育館は鉄骨一部鉄筋コンクリート造り2階建てで、延べ床面積は約3510平方メートル。観客席は車いす用6席を含む776席を設ける。バスケの試合時はコートを囲むように席を設ける予定で、約1200人が観戦できるという。ラグビーワールドカップ(W杯)開催時はボランティアの休憩所などとして活用する。

 

 チームは今月から、男女小中学生を対象としたアカデミー沿岸校を開校。大槌町で実施しているが、市民体育館完成後は会場を移して続ける方針だ。また、被災地の保育園などで震災の教訓を伝える読み聞かせも行っている。

 

(復興釜石新聞 2019年9月14日発行 第824号より)

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!HOLLA LOS TEROS! ウルグアイってどんな国?どんなチーム?2005年、日本代表のアウェー戦を現地取材した大友記者が見たウルグアイラグビー

!HOLLA LOS TEROS! ウルグアイってどんな国?どんなチーム?2005年、日本代表のアウェー戦を現地取材した大友記者が見たウルグアイラグビー

!HOLLA LOS TEROS! ウルグアイってどんな国?どんなチーム?2005年、日本代表のアウェー戦を現地取材した大友記者が見たウルグアイラグビー

 

ラグビーワールドカップ2019日本大会の開幕がいよいよ目前に迫りました。
釜石で行われる記念すべき最初の試合は、フィジー対ウルグアイ。 このうち、フィジーは日本でもおなじみのチームです。過去ワールドカップで8強進出は2回。トップリーグでプレーする選手も日本代表入りしているフィジー出身選手も多く、先日は釜石鵜住居で日本代表と対戦もしました。

 

ではウルグアイとは? 南米にある、地球の反対側にある、サッカーが人気で、主な産業は牧畜業……そんな情報は見つかるかもしれないけれど、どんな雰囲気なのか、ウルグアイのラグビーとはどんな感じなのか、そんな情報はあまりないだろう。

 

 実は、日本代表がウルグアイへ遠征したことは一度だけある。そのとき、日本からウルグアイまで取材に行った記者がひとりだけいた。それが、スクラム釜石でも活動しているスポーツライターの大友信彦記者だ。今回は、大友記者が、4年前にウルグアイが初来日した際にWEBマガジンRUGBYJapan365に寄稿した記事を、縁とらんすに寄稿します。

 

まもなくワールドカップ開幕。釜石にやってくる(すでに岩手県入りしている)ウルグアイについて、どんな国からやってくる、どんなチームなのか、以下の記事を参考にしていただければ幸いです。

 

提供:大友信彦&RUGBYJapan365

 

この他の大友記者ご提供記事
楕円球タイムトラベル「PNC直前企画・フィジーマジックは再び起きるか」 BACK TO 2007」

 
 

 日本代表がウルグアイと対戦したのは過去1度だけある。2005年の日本代表南米遠征で、ウルグアイの首都モンテビデオで、日本代表はロス・テロスことウルグアイ代表と初対戦した(注:2015年8月にウルグアイ代表は来日し2試合を行い、日本が2勝0敗)。

 

2005年ウルグアイ戦の日本代表、試合前の集合写真。前列左端が19歳の五郎丸選手、この時点ではまだノンキャップ。

2005年ウルグアイ戦の日本代表、試合前の集合写真。前列左端が19歳の五郎丸選手、この時点ではまだノンキャップ。

 

 実は、記者(大友信彦)は、この試合を現地で取材した。 現地を訪れたメディアは一人だけだった。……なんて書くと自慢しているみたいだが、行く方が珍しい。それは、現地へ着くまでの行程を知れば分かると思う。

 

日本からは、アメリカン航空で米国のダラス、マイアミで乗り継ぎ、アルゼンチンのブエノスアイレスへ。そこからは大河ラプラタをフェリーで渡り、さらにバスに乗り継ぎ、ウルグアイの首都モンテビデオにたどり着いた。合計50時間ほどだった。

 

西回りでヨーロッパの、フランクフルトやパリを経由する手も、ドバイやイスタンブールを経由する手もあっただろうし、ブエノスアイレスからフェリーなんて乗らずにモンテビデオまで飛べばもっと早く着いたはずだが、どのみち「50時間」の前では誤差みたいなものだ。 まあ、日本からは最も遠い国のひとつである。

 

そもそもウルグアイとはどんな国なのか、どこにあるのか、知らない人も多いだろう。 ウルグアイは南米大陸、ブラジルとアルゼンチンという2大国に挟まれた位置にある。 日本から見れば、ほぼ地球の真裏にあたる。時差も季節もすべて正反対だ。

 

ウルグアイには日系人、在留日本人が少なくなかった。モンテビデオの試合にかけつけた応援団。

ウルグアイには日系人、在留日本人が少なくなかった。モンテビデオの試合にかけつけた応援団。

 

主要産業は農業、牧畜。人口は約350万人という小国だが、サッカーの世界では1930年の第1回FIFAワールドカップの開催国であり初代優勝チームだ。ラグビーワールドカップには1999年と2003年大会に出場し、1999年にはスペインを、2003年はジョージア(当時の日本国内での表記はグルジア)を破り、すでに日本を上回る2勝をあげている(2015年8月時点)。

 

 ラグビーにおける日本とウルグアイの初めてのテストマッチは2005年4月17日、モンテビデオで行われた。試合は、前半は日本が、18歳11ヶ月という史上最年少キャップ記録(のちに藤田慶和が更新)したWTBクリスチャン・ロアマヌのトライなどで15-5とリードしたが、後半はウルグアイがスクラムとブレイクダウンの圧力で徐々にペースを掴み、3トライを奪って24-18で逆転勝ちをおさめた。

 

先頭で入場するのは、日本代表の箕内主将(当時)

先頭で入場するのは、日本代表の箕内主将(当時)

 

この試合では18歳11ヶ月のロアマヌのほか、早大2年、19歳になったばかりの五郎丸歩も途中出場で初キャップ。早大を卒業したばかりのSH後藤翔太も途中出場で初キャップを獲得した。また、フランスでの事前合宿で膝を負傷した池田渉に替わって緊急招集されたSH村田亙が、史上最年長となる37歳でのキャップを獲得したのもこのウルグアイ戦だった。

 

ウルグアイのラグビーといえば、隣国アルゼンチンと似ているのかな、と想像する人が多いだろう。それは概ね正しいと言っていいだろう。大雑把に言えば、スクラムが強く、コンタクトに身体を張り、キックが上手い。

 

日本代表のランチのあと、日曜の午後、クラブのグラウンドでは子供たちの試合が行われている。

日本代表のランチのあと、日曜の午後、クラブのグラウンドでは子供たちの試合が行われている。

 

サッカーで最も有名なウルグアイの選手と言えば「かみつき男」と異名をとったスアレスで、最も有名なプレーは2010年ワールドカップ準々決勝ガーナ戦での意図的なハンドだろう。サッカーでいうマリーシア(ずるがしこさ)はウルグアイのラグビーにも見られ、2003年ワールドカップのグルジア戦ではシミュレーションの反則を取られている。これは記者が知る範囲では唯一、ラグビーの試合で反則を課されたシミュレーションである。

 

2005年にウルグアイvs日本戦が行われたのは、普段はサッカーに使われているエスタシオ・ルイス・フランシーニ。ピッチとスタンドを分けるフェンスが鉄条網というところが、彼の地のフットボール熱を想像させた。もちろん、そこまで熱狂するのは違う形のボールの方だろうが。

 

スタンドには日本を応援する横断幕が。

スタンドには日本を応援する横断幕が。

 

ウルグアイのラグビーは、これもアルゼンチン同様、富裕層に根付いている。
記者がウルグアイに取材に行った際、タクシーに乗って「オールドクリスチャンクラブへ」と英語で言って通じたドライバー氏は、なんとラグビー経験者だった。このときの南米遠征取材では、モンテビデオとブエノスアイレスで何度もタクシーに乗ったが、英語を話すドライバーは高い確率でラグビー経験者だった。ブエノスアイレスでいえば、「英語を話す=ラグビー経験者=車内にはリバープレートの赤白旗」「英語を話さない=ラグビーなんて知らないし興味もない=車内にはボカジュニオールズの青旗」という構図があった。

 

 日本代表が2005年に遠征したときに練習場としたのは、モンテビデオの名門クラブ「OLD CHRISTIANS CLUB」。このクラブは重い歴史を持つクラブだ。

 

1972年10月、このクラブがチリ遠征を企て、チャーターした飛行機がアンデス山中で遭難。70日後に生存者2人が自力で下山して救助を求め、29人が命を落としながら16人が奇跡的に生還するという出来事があった(この事件はのちに「生きてこそ」というタイトルで映画かされ、2009年には生存者のひとりナンド・パラードによる実録『アンデスの奇蹟』が山と渓谷社から敢行された)。

 

ウルグアイ戦の翌日には、日本代表がクラブハウスにランチに招かれ、クラブのロベルト・カネッサ会長、ウルグアイ協会のアントニオ・ビシンティン会長から当時の話を、写真を交えて聞かせてもらった。この二人は1972年の事件の生存者であると同時に、雪山を歩いて下山し、救助を求めた本人だった。

 

オールドクリスチャンクラブでカネッサ会長の話を聞く日本代表のメンバー。前列にまだ代表デビュー2年目の大野均選手が。

オールドクリスチャンクラブでカネッサ会長の話を聞く日本代表のメンバー。前列にまだ代表デビュー2年目の大野均選手が。

 

「山の中で耐え抜いた72日間は、まさにラグビーそのものでした。我々は試合に備え身体を鍛えていた。そして自己犠牲の精神と、最後まで絶対に諦めないことをラグビーから学んでいた。それを山の中で思い出しました」(ビシンティンさん)

 

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ウルグアイ協会のビシンティン会長から、当時の話を熱心に聞く日本代表の外国人選手たち。

 

前日の試合、ウルグアイ代表のCTBで出場したイラリオ・カネッサは、生還したカネッサ会長の息子だった。また、16人の生還者は、2005年の日本代表遠征時、33年が経過しても全員存命だった。 ウルグアイラグビーを支える頑健さが窺える気がした。

 

■ウルグアイのワールドカップ全成績
1999年大会(ウェールズほか)
○27-15スペイン(ガラシールズ) ×12-43スコットランド(エジンバラ) ×3-39南アフリカ
2003年大会(オーストラリア)
×6-72南アフリカ ×13-60サモア ○24-12ジョージア ×13-111イングランド
2015年イングランド大会
×9-54 ウェールズ ×3-65 オーストラリア ×15-47 フィジー ×3-60 イングランド
 
■日本とウルグアイの対戦成績
2005/04/16 ×18-24(モンテビデオ)
2015/8/22 ○30-8 (福岡レベスタ)
2015/8/29 ○40-0 (秩父宮)

 

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【インタビュー】ラグビーワールドカップ2019™ DHL マッチボールデリバリーキッズ

【インタビュー】ラグビーワールドカップ2019™ DHL マッチボールデリバリーキッズ

【インタビュー】ラグビーワールドカップ2019™ DHL マッチボールデリバリーキッズ

 

取材先:
前川航紳(こうしん)君(小5)、佐々木璃音(りお)さん(小4)/釜石シーウェイブスRFCジュニア
インタビュー:2019年9月8日(釜石市球技場)
企画・編集:釜石まちづくり株式会社
取材・文:市川香織(釜石まちづくり株式会社)
写真:西条佳泰(株式会社Grafica)

 

ラグビーワールドカップ2019™開幕もいよいよ間近!釜石市でも2試合が行われるのは、皆さんもうご存じですね!
会場で観戦する方、パブリックビューイング会場で盛り上がる方、そして、ボランティアとして大会を支える方、このビッグイベントへの関わり方は様々あると思いますが、「ラグビーのまち釜石」のラグビーキッズ2人が、各試合で試合球を運ぶ「DHL マッチボールデリバリーキッズ」というスペシャルな体験をすると聞き、ジュニアスクールで練習する2人を訪ねて来ました。

 

【インタビュー】ラグビーワールドカップ2019™ DHL マッチボールデリバリーキッズ

 

ーー「マッチボールデリバリーキッズに決まったよ」と聞いた時はどうでしたか?

 

航紳くん:お父さんから聞いて、すごく嬉しかったです。
璃音さん:お母さんから「決まったよ」と教えてもらって、飛び上がって、「嬉しい~!」って言いました。

 

【インタビュー】ラグビーワールドカップ2019™ DHL マッチボールデリバリーキッズ

 

ーー応募する時は、何か自己アピールを書いて出したんですか?

 

航紳くん:僕は、ラグビーの大会で優勝したい自分の目標やワールドカップの試合ではゴールを狙うキックを楽しみにしていることを書きました。
璃音さん:私は、『今、熱中しているスポーツ』というテーマで、作文を書いて送りました。

 

【インタビュー】ラグビーワールドカップ2019™ DHL マッチボールデリバリーキッズ

 

ーーラグビーワールドカップ™で楽しみにしている事は?

 

航紳くん:ワールドカップを戦う選手と同じグラウンドに立てることが楽しみです。
璃音さん:楽しみな事は、今まで見た事が無い、外国選手のプレーを試合会場で生で見られる事です。

 

【インタビュー】ラグビーワールドカップ2019™ DHL マッチボールデリバリーキッズ

 

ーーマッチボールデリバリーキッズはとても注目が集まると思いますが、今はどんな気持ちですか?

 

航紳くん:僕は、9月25日のフィジー 対 ウルグアイの試合を担当します。緊張するけど、しっかりやりたいと思います。
璃音さん:私は、10月13日のナミビア 対 カナダの試合を担当します。緊張すると思うけど、一生に一度の体験だと思うので、楽しんでやりたいと思います。

 

ミニアンケート

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●ラグビーを始めたきっかけは?
航紳くん:お父さんがラグビーをしていて、やってみたいと思ったので、2年生の時にスクールに入りました。
璃音さん:お父さんがラグビーをしていたので、やりたいなぁと思って。1年生から始めました。
 
●ラグビーの楽しい所は?
航紳くん:みんなで一つのボールを回して運んで、トライを取る所が楽しいです。
璃音さん:試合の時に、相手のチームと交流出来て、友達になれたりする所です。
 
●これからラグビーで頑張りたいことは?
航紳くん:パスを上手く回して、いっぱいトライが取れる選手になりたいです。
璃音さん:秋の交流大会で、一回でも勝ってみせたいと思っています。

 

航紳くんと璃音さんが運ぶボールには、お二人のご家族、チームメイトやクラスメイト、そして釜石市民の夢や想いがきっとたくさん詰まっています!
皆様ぜひ、キックオフ前には「DHL マッチボールデリバリーキッズ」の2人にも、ご注目とご声援をお願いします。

 
 

『DHL マッチボールデリバリーキャンペーン』について
https://inmotion.dhl/ja/rugby/match-ball-delivery/
DHL Express Japan Facebookページ
https://www.facebook.com/DHLExpressJapan/
釜石シーウエイブスJr. Facebookページ
https://www.facebook.com/seawavesjunior/
 
岩手県釜石市開催情報詳細「いわて・かまいしラグビー情報」
https://www.rugby-iwate.kamaishi.pref.iwate.jp/

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東北6県から8チーム、約150人が釜石に集う

ラグビー少年 絆深める、復興スタジアムで交流試合〜スクラム釜石主催、東北6県から8チーム

釜石鵜住居復興スタジアムの芝生の上で熱戦を繰り広げる東北のラグビー少年ら

釜石鵜住居復興スタジアムの芝生の上で熱戦を繰り広げる東北のラグビー少年ら

 

 東北地方のラグビースクールで活動する小学生が交流する「ともだちカップ2019」は24、25の両日、釜石市鵜住居町の釜石鵜住居復興スタジアムで開かれた。6県から8チームが参加。ラグビーワールドカップ(W杯)の試合を間近に控えた芝生の上を約150人のラグビー少年が駆け回った。参加者は山田町の県立陸中海岸青少年の家で合宿。チームの枠を超えて絆を深めた。

 

東北6県から8チーム、約150人が釜石に集う

東北6県から8チーム、約150人が釜石に集う

 

 この大会は、ラグビーW杯釜石開催招致活動の中心を担ったNPO法人スクラム釜石(石山次郎代表)が、ラグビーで東北の復興を後押ししようと東日本大震災後に企画。これまでは宮城県柴田町の陸上自衛隊船岡駐屯地で行われてきたが、8回目にして釜石での交流が実現した。

 

 開会セレモニーで石山代表は「しっかり走り、友達をいっぱいつくろう」とあいさつ。釜石市の山崎秀樹副市長は「ここは、小中学生が津波から必死で避難した学校があった場所。みなさんの手で次の世代に伝えてほしい」と呼び掛けた。釜石シーウェイブス(SW)RFCの桜庭吉彦ゼネラルマネジャー(GM)は「今後もラグビーを続け、将来はSWの選手に」とエールを送った。

 

あいさつする石山代表

あいさつする石山代表

 

 この大会は、新日鉄釜石ラグビー部日本一7連覇メンバーでスクラム釜石の事務局長を務める高橋博行さん(63)らが中心になって企画。高橋さんがコーチを務めていた縁で、船岡自衛隊のホームグラウンドを借りて2012年から開いてきた。1回目は約80人の参加でスタート。8回目の今回は、ほぼ2倍に膨らんだ。今回はスクラム釜石の10人のメンバーが東京などから駆け付け、熱戦を繰り広げる小学生らをスタッフとして支えた。

 

 V7メンバーの石山代表(62)は「当初は釜石での開催を想定していなかった。これ以上(船岡自衛隊に)迷惑をかけられないと思っていたところに復興スタジアムが完成した」と喜ぶ。その上で、「W杯釜石開催の招致活動と同様に、今後も目の前のやることを一つずつ積み重ねていく。スタジアムの利活用促進に少しでも貢献したい」と課題を見据える。

 

 参加選手を代表して宣誓した勿来少年ラグビースクール(福島県)の豊田朝陽主将(汐見丘小6年)は「W杯の試合会場でプレーできて、最高。芝生のグラウンドはすごく走りやすく、楽しかった」と胸を弾ませた。

 

(復興釜石新聞 2019年8月24日発行 第819号より)

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お盆野球 世代を超え熱戦〜震災乗り越え 鵜住居に元気、水野旗争奪 66回目

お盆野球 世代を超え熱戦、雨模様の中 6チーム奮闘〜震災乗り越え 鵜住居に元気、水野旗争奪 66回目

接戦となった鵜住居─両石の試合

接戦となった鵜住居─両石の試合

 

 釜石市鵜住居地域のお盆恒例行事「水野旗争奪お盆野球大会」が14日、釜石東中グラウンドで開かれた。震災による中断を経て一昨年復活した大会は今年で66回目。弱雨が降り続く中での試合となったが、なじみの顔触れとの野球の楽しさは悪天候の憂鬱(ゆううつ)を吹き飛ばし、幅広い世代が古里の良さを実感した。

 

 開会式で大里芳章実行委員長は「若い人たちにも“お盆野球”が印象に残りつつある。令和の時代も長く続けていきたい」とあいさつ。釜石東中野球部の佐々木大地(りく)前主将(3年)が「地域の方々と協力し、精いっぱいプレーする」と選手宣誓した。

 

 鵜住居、箱崎、両石の3町から6チーム約100人が参加。7回(コールドなし、80分制限)のトーナメント戦で優勝を競い合った。地区単位のチームは中学生以上の選手で構成。東中野球部も参加チームに名を連ねた。

 

 待望の追加点に大喜びの鵜住居チーム

待望の追加点に大喜びの鵜住居チーム

 

 年に1度の即席チームながら、現役中・高野球部員、元球児、社会人野球経験者ら“野球好き”が集う同大会は、なかなかのレベル。今年は特にも1、2点差の好ゲームが続き、応援に駆け付けた地域住民も見応え十分だった。

 

 両石チームの松本克治さん(43)は高校生のころから参加。「年代関係なく和気あいあい。チーム同士も顔が知れた仲なので冗談も飛び交う。震災後、復活が決まった時はうれしかった」と回顧。震災の津波で母を亡くし、仮設暮らしなどを経て、つい最近、リフォームした両石の自宅に戻った。「海がある地元がやっぱり好き。(8年も)待ったかいがあるぐらいのまちになってきた」と復興の進展を喜ぶ。

 

 戦後の青少年の健全育成を目的に、地元の開業医・水野勇さん(故人)の提案で始まった同大会。過去にはプロ野球選手も輩出している。両石の瀬戸和則さん(故人)は国鉄盛岡からプロの世界へ。ヤクルトや広島で投手として活躍した。瀬戸さんと家が隣で、お盆野球にも一緒に出ていたという久保典男さん(67)は「当時は参加チームも多く、優勝すればパレードをするような盛り上がり。瀬戸さんを筆頭に、この地域からは高校野球で活躍するような実力ある選手が多数出ている」と話す。現在は監督として両石チームを率いる久保さん。「少年野球で指導した子どもたちが今では30~40代に。その子どもたちも中高生になり参加している。大会は地元を離れた子どもたちの成長ぶりを目にする機会でもある」とし、自身も息子、孫との家族3世代での参加を楽しんだ。

 

 熱戦を制したのは鵜住居。3年連続の優勝に輝いた。
大会結果は次の通り。
▽1回戦
両石2―1東中
箱崎2―0日向
▽2回戦
鵜住居4―3両石
箱崎5―3白浜
▽決勝
鵜住居6―5箱崎
最優秀選手賞=菊池健太(鵜住居)
優秀選手賞=萬慎吾(箱崎)

 

(復興釜石新聞 2019年8月21日発行 第817号より)

 

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