タグ別アーカイブ: 文化・教育

参加者は環境やエネルギー問題を楽しみながら学んだ

海の環境問題、廃プラアートで考えよう~釜石湾で始まる波力発電も紹介

プラスチックを使ったアート作品づくりに取り組む親子ら

廃プラスチックを使ったアート作品づくりに取り組む親子ら

 

 廃プラスチックを使ったアート制作で環境問題や再生可能エネルギーについて学ぶワークショップが3日、釜石市新浜町の釜石波力発電観測所で開かれ、市内の小学生と家族ら約30人が参加した。釜石青年会議所(菊地裕理事長)が企画し、波の力を利用する発電システムの技術開発を進める平田のマリンエナジー(泉修一社長)が実施。身近にある海を活用した新たな取り組みをPRしながら、海に関わるさまざまな問題を知る機会を提供した。

 

 参加者は持続可能な開発目標(SDGs)や海洋プラスチックごみに関する動画を見た後、工作に挑戦。回収し破砕されたプラスチック片をカラースプレーで色付けし、瓶に詰め、造花で彩りを添えたインテリア作品を完成させた。

 

参加者は環境やエネルギー問題を楽しみながら学んだ

参加者は環境やエネルギー問題を楽しみながら学んだ

 

 えい船での釜石湾口防波堤の見学、釜石商工高生が作った波力発電システム(模型)の実演もあり、子どもたちは興味津々。青木結惟さん(甲子小4年)と稜征君(同1年)姉弟は「いろんな体験ができて楽しかった。海の環境が危険な感じがした。プラスチックごみを出さないよう、買い物するときはマイバックを使う」と学びを深めた。

 

エネルギーの地産地消を目指し、湾口防波堤で波力発電開発中

 

波力発電の実証実験に向け設置された新浜町の観測所

波力発電の実証実験に向け設置された新浜町の観測所

 

 マリンエナジーは、市内にある及川工務店、小鯖造船工業、アイ・デン、エイワの4社が出資する株式会社。釜石湾の湾口防波堤を舞台に、波の力で発電してエネルギーを地産地消する仕組みづくりに向けた実証実験を始める準備を進めている。

 

釜石湾口防波堤で実施する波力発電のイメージ図

釜石湾口防波堤で実施する波力発電のイメージ図

 

 構想では、防波堤の上に発電装置を設置し、波の上下や斜めの揺れなどでダクトを通った空気の動きを利用してタービン発電機を回す。AI(人工知能)を使って波の強さを予測、制御しながら効率よく発電機を回転させる。年間発電量の見込みは33万2000キロワット時で、一般家庭約80世帯分の使用量にあたる。小規模だが、蓄電して漁港施設など水産業に役立つ機器で活用する。

 

観測所に展示されている波力発電システムの模型

観測所に展示されている波力発電システムの模型

 

 環境省の「二酸化炭素(CO2)排出削減対策強化誘導型技術開発・実証事業」に採択され、東京大学先端科学技術研究センターなどと事業を開始。来年6月に発電装置1台を設置し、9カ月間運転させる。技術開発と実証実験を進めながら、装置を5台に増やす予定。低コスト化や改良を進めて量産化を図り、漁港などへの普及を目指す。

 

 泉社長は「震災で失ったものは大きいが、再生した地域を再生可能エネルギーで盛り上げたい。小規模だが、実用化できれば全国、世界の漁港でも活用できる」と可能性を強調。催しを通じ市民が事業を知り、エネルギーや環境問題を一緒に考え、取り組んでもらえるよう期待している。

出来上がった2品を手に笑顔を輝かせる参加者ら

釜石・大槌の食文化を次世代に! 食の匠を講師に郷土料理伝承会

釜石・大槌郷土料理伝承会=根浜シーサイド

釜石・大槌郷土料理伝承会=根浜シーサイド

 

 釜石・大槌郷土料理伝承会(同地域農業振興協議会など主催)は1日、釜石市鵜住居町の観光施設「根浜シーサイド」レストハウスで開かれた。地域に伝わる郷土料理を若い世代に継承し、次代の伝承者育成につなげようと企画。釜石・大槌郷土料理研究会(前川良子会長、11人)会員で、本県の「食の匠」に認定されている2人を講師に迎え、公募で集まった7人が「がんづき」と「しそ巻きずし」の作り方を学んだ。

 

 講師を務めたのは、釜石市の藤原政子さん(67)=2012年度、食の匠認定=と大槌町の飛田奈都子さん(58)=19年度、同認定=。藤原さんは幅広い世代に愛される郷土菓子「がんづき」を、飛田さんは同町の山間部で祝い事の際によく出されてきた「しそ巻きずし」の作り方を教えた。

 

 「がんづき」は蒸し上がった丸い形を“月”に、上に散らすくるみやごまを夜空を飛ぶ鳥“ガン”に見立て、そう呼ばれるようになったとされる(諸説あり)。ふわふわの食感とやさしい甘さが特長。農作業の休憩時のおやつ、お茶請けなどとして長年、親しまれてきた。この日は、藤原さんが研究を重ねたレシピを伝授。生地をきれいに膨らませる重曹の分量や材料の混ぜ方のポイントなどを教えた。

 

藤原政子さん(左から2人目)から、がんづきの作り方を教わる参加者

藤原政子さん(左から2人目)から、がんづきの作り方を教わる参加者

 

がんづきの蒸し上がり具合を串を刺してチェック

がんづきの蒸し上がり具合を串を刺してチェック

 

 「しそ巻きずし」は酢漬けした赤シソの葉を巻きすに並べ、広げたすし飯の上にさまざまな具を配置して巻く。赤シソは、のりが貴重だった時代に代用品として重宝され、塩や酢に付け込んだものを常備し、さまざまな料理に活用されたという。飛田さんはシソの並べ方や、すし飯が崩れないように巻く方法などを実演。今回の具材は厚焼き卵、シイタケの煮物、キュウリの塩漬け、くるみ、梅干しの5種で、巻いた後に切ってみると断面の色合いも食欲をそそった。

 

しそ巻きずしの巻き方を実演する飛田奈都子さん

しそ巻きずしの巻き方を実演する飛田奈都子さん

 

酢漬けした赤シソの葉を巻きすに並べていく作業。隙間ができないように並べるのがポイント

酢漬けした赤シソの葉を巻きすに並べていく作業。隙間ができないように並べるのがポイント

 

 参加者は講師に教わりながら調理に挑戦。初めて体験するメニューに興味津々だった。同市中妻町の櫻井京子さん(37)は「しそ巻きずしは初めて知った。大槌出身でも私は海側で、山側にはまた違った地域性があるんだなと。こうして教わる機会がもっとあれば」と期待。10歳と7歳の子ども(女子)は料理に興味を持ち始めていて、「家で一緒に作ってみたい。食べる専門から卒業して、自分も伝承活動などに携われたらいい」と笑った。

 

出来上がった2品を手に笑顔を輝かせる参加者ら

出来上がった2品を手に笑顔を輝かせる参加者ら

 
 同研究会は震災前、年4回ペースで一般客を対象にした郷土料理を楽しむ会を開催。震災後は、市外から訪れるボランティアらに「郷土料理を教えてほしい」と頼まれることも多く、「伝承会」という形で調理体験の場を設けてきた。藤原さんは「地元の身近な食材を使っていたからこそ、郷土料理として残ってきたと思う。手作りは食材選びからでき、家族の栄養や健康にも配慮できる。昔の人の知恵と工夫を今のお母さんたちにも教えたい」と望んだ。

会場全体が大きな感動に包まれたフィナーレ

~釜石ゆかりの故井上マスさん~ミュージカルでよみがえる半生に市民ら感動

ミュージカル「人生はガタゴト列車に乗って」

ミュージカル「人生はガタゴト列車に乗って」

 

 人気作家故井上ひさしさんの母マスさん(1907-91、神奈川県出身)の激動の半生が、親子ゆかりの地釜石でミュージカルとしてよみがえった―。マスさんの自叙伝「人生はガタゴト列車に乗って」を釜石市民が舞台化。10月31日、同市大町の市民ホールTETTOで上演され、困難に立ち向かい、たくましく生きたマスさんの姿が多くの感動を呼んだ。

 

 ミュージカル「人生はガタゴト列車に乗って」(同実行委主催)は、若くして夫を亡くした井上マスさんが3人の息子を育てるため、あらゆる仕事をしながら力強く生きる姿を描いた作品。戦後、たどり着いた釜石で飲食業で成功し、定住したマスさんが76歳の時に執筆した自叙伝(83年刊行)を基に3幕の舞台を作り上げた。

 

 夫と死別後、薬店や美容室、土建業の経営などで家族の生活を支えてきたマスさん。夫の故郷山形県小松町から本県一関市、釜石市と移り住む中、戦禍や事業の失敗、愛する息子たちとの別れなど数々の辛苦を経験する。釜石市では、製鉄や漁業で栄えるまちの勢いを背景に焼き鳥屋台を繁盛させ、安住への足掛かりを得た。

 

三男修佑を預け、後ろ髪を引かれながら一関から釜石へ出発するマス(左)

三男修佑を預け、後ろ髪を引かれながら一関から釜石へ出発するマス(左)

 

マスは一関の知人から釜石の飲食店を任された

マスは一関の知人から釜石の飲食店を任された

 

念願の焼き鳥屋台を開店。金を払わず帰ろうとする柄の悪い客にも正面から渡り合う

念願の焼き鳥屋台を開店。金を払わず帰ろうとする柄の悪い客にも正面から渡り合う

 

 舞台の脚本は、井上ファミリーの記念館建設を目指す同市のNPO法人ガバチョ・プロジェクトの山﨑眞行理事長(70)=実行委会長=が書いた。音楽家の本領を発揮し、劇中歌も自ら作詞作曲。主題歌は釜石出身のシンガー・ソングライターあんべ光俊さんが手掛け、同出身の瓦田尚さんが指揮するオーケストラ(ムジカ・プロムナード、釜石市民吹奏楽団)が生演奏した。

 

 キャストは子どもから大人まで22人。主人公マス役は、東日本大震災後の復興支援コンサートで釜石・大槌を訪れていた東京都のオペラ歌手菊地美奈さん(50)が務めた。釜石のまちのにぎわいを描いた場面には市内の歌やダンスのグループが出演し、舞台を盛り上げた。

 

港町釜石のにぎわいをマドロスの歌とダンスで

港町釜石のにぎわいをマドロスの歌とダンスで

 

市内の愛好者が当時のダンスホールの活気を再現

市内の愛好者が当時のダンスホールの活気を再現

 

 マスさんの自伝は、プロによるテレビドラマや舞台化はあるが、地方で市民手作りのミュージカルとして上演されるのは初めて。2回の公演に計約750人が来場。マスさんの生き方や釜石人の力を結集した舞台を通じ、勇気や希望、明日への活力をもらった。

 

 

 甲子町の田中勝江さん(77)は「マスさんは身近な存在。本も読んだ。釜石でこういう舞台が見られるなんて」と大感激。大渡町で生まれ育ち、マスさんが出していた屋台も記憶にあるといい、「飲みに行っていた父親を迎えに行った覚えもある」と懐かしんだ。

 

 仙台市の白田正行さん(71)は高校まで釜石で暮らし、この日は同級生らと観劇。「釜石の良さを再認識し、古里に誇りを持てるような舞台だった。出演者の表情もすごく明るくて、みんなで力を合わせて作り上げているのを感じた」と絶賛。「いろいろな可能性がある舞台。今後どうなっていくか楽しみ」と期待を込めた。

 

 主役の菊地さんは「マスさんはまさに肝っ玉母さんという感じで、何があっても前向きに頑張る女性。地元の皆さんに受け入れてもらい、このような大役を演じられた」と感謝。今回の舞台、市民との触れ合いを通して「人情の厚さを身に染みて感じた。東京の人たちにも釜石のことを自慢したい」と話した。

 

大学を休学して釜石に帰ってきた次男ひさしとマスの再会。「ひさしの歌」を振り付きで披露

大学を休学して釜石に帰ってきた次男ひさしとマスの再会。「ひさしの歌」を振り付きで披露

 

 次男ひさし(成年)役で演劇初挑戦となった柳谷雄介さん(52)は、合唱活動で培った美声を生かし独唱も披露。「家族の支えもあってここまでこられた。感無量」と胸を熱くし、「マスさんの物語を子どもを含め若い人たちに紹介できたことも良かった。釜石に根付く手作り舞台の文化を次世代に伝えていければ」と願った。

 

 ミュージカル公演を発案し、市内外の賛同者の協力で成功させた山﨑実行委会長は「生き生きとした出演者。一緒に楽しんでくれる観客。人間のエネルギーの素晴らしさを見させてもらった。最高の日。私たちの思いに共感し、集まってくれた全ての人たちに感謝したい」と大きな喜びに浸った。

 

会場全体が大きな感動に包まれたフィナーレ

会場全体が大きな感動に包まれたフィナーレ

 

脚本を執筆、実行委会長を務めた山﨑眞行さん(中央)。左隣が主題歌を作ったあんべ光俊さん

脚本を執筆、実行委会長を務めた山﨑眞行さん(中央)。左隣が主題歌を作ったあんべ光俊さん

衣装を替え、フランスの作曲家の曲を奏でた後半

ふるさと釜石での演奏に大きな喜び 高橋碧伊さんピアノリサイタル

高橋碧伊さんによるピアノリサイタル=TETTO

高橋碧伊さんによるピアノリサイタル=TETTO

 

 釜石市出身のピアニスト高橋碧伊さんのリサイタルが10月24日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。フランス留学を経て、東京を拠点に演奏活動を続ける高橋さん。今回は、同ホールの自主事業、釜石・大槌ゆかりの演奏家による「地域アーティストコンサート」シリーズの第1弾に招かれた。市内外から約150人が鑑賞。高橋さんの思いがこもった曲の数々を素晴らしい演奏技術と共に堪能した。

 

 プログラムは、ライフワークにしているフランス音楽を中心に組んだ。クープラン(フランス)のチェンバロ(鍵盤楽器)曲「シテール島の鐘」で幕開け。シューマン(ドイツ)の「子供の情景」は、高橋さんが生まれた時に父親が枕元で聞かせてくれていた曲。現在、自身も2人の愛娘(1歳、5歳)の育児真っ最中で、親としての思いを重ねながら演奏した。

 

留学などで培った技、表現力で観客を魅了。音の響きの良いホールで最高の演奏を届けた

留学などで培った技、表現力で観客を魅了。音の響きの良いホールで最高の演奏を届けた

 

 後半はフランスの作曲家ドビュッシー、プーランク、ラベルの作品を集めた。プーランクは15の即興曲集から、有名な「エディット・ピアフを讃えて」など6曲を披露。ラベルの「ラ・バルス」は19世紀の華やかな舞踏会に思いを巡らせた曲で、ワルツの高揚感や優雅さをピアノの調べで届けた。

 

衣装を替え、フランスの作曲家の曲を奏でた後半

衣装を替え、フランスの作曲家の曲を奏でた後半

 

 ピアノを習って3年という高橋杏奈さん(小佐野小5年)は「強弱の付け方や滑らかな演奏がすごかった。迫力があって憧れる」と刺激を受けた様子。奥州市から駆け付けた千田陽子さん(53)は「感動しました。碧伊さんとは親戚関係。活躍はうれしいし、さらに有名になってほしい」とエールを送った。

 

 高橋さんは1986年生まれ。小佐野小・中、釜石南高から桐朋学園大音楽学部に進んだ。卒業後渡仏し、オルネー・スー・ボア音楽院、パリ地方音楽院最高課程で学び、優秀な成績を修めた。2013年に帰国後は東京を拠点に活動。歌曲伴奏や室内楽奏者として活躍するほか、ピアノ教室を開き、後進の指導にも力を入れる。

 

演奏後、観客の拍手に笑顔で応える高橋碧伊さん

演奏後、観客の拍手に笑顔で応える高橋碧伊さん

 

 釜石でのリサイタルは、15年に平田の古民家で行って以来6年ぶり。震災後に新設された市民ホールでは初めての演奏会となった。「子どものころからお世話になってきた方々も多くみえられ、家族的な雰囲気の中で演奏できた。感謝と幸福感でいっぱい」と高橋さん。

 

 自身にとっても久しぶりのリサイタル。2人の幼子の世話をしながらの準備は大変だったというが、「母親になって曲への思いや音楽に関して深まる部分があったり、新たな発見が多い。抱っこで筋力が鍛えられ、演奏時の体の使い方にも変化が」と思わぬ深化を口にする。今後、挑戦したいこととして「子ども向けのコンサート」を挙げ、「ぜひ、このTETTOでもやってみたい」とふるさと愛をにじませた。

釜石市民ホールギャラリーで開かれているhanaさんの作品展

釜石の写真家hanaさん 作品展「思い出」 アート・アット・テット第2弾

釜石市民ホールギャラリーで開かれているhanaさんの作品展

釜石市民ホールギャラリーで開かれているhanaさんの作品展

 

 釜石市上中島町の写真家小澤はなさん(68)=活動名・hana=の作品展「Remember」が、大町の市民ホールTETTOギャラリーで開かれている。地域の四季折々の風景や表情豊かな人物、自然の中で生きる動植物などを独自の視点で切り取った作品約30点を展示している。31日まで、入場無料。

 

 hanaさんが個展を開くのは3回目。今回の「Remember」には「思い出」という意味を当てはめている。笑顔弾ける新1年生、伝統を受け継ぐ職人たちの誇り、命をつなぐ営み。「一枚一枚に思い入れがあり、撮影時を思い出す。今まで撮りためた歴史、思い出を楽しみ、優しい気持ち、癒やしになれば」と厳選した。

 

 会期中の2日間はワークショップも行った。23日に参加した釜石商工高写真部の安藤大翔君、吉岡颯世君(いずれも機械科1年)はカメラマンに撮影してもらう体験をしながら、写真を今より上手に撮るこつを教えてもらった。2人は風景写真を撮ることが多いというが、「光の加減、背景のぼかしとか、なるほどと思うことがたくさんあった。人物や背景にこだわったものとかも撮ってみたい」と刺激を受けていた。

 

hanaさんの思い出に触れる作品が並んでいる

hanaさんの思い出に触れる作品が並んでいる

 

 hanaさんが本格的に写真を撮るようになったのは50歳を過ぎてから。親の介護を終え、自分の時間が持てるようになった頃に友人から勧められてブログを始めたのがきっかけだという。自己流ながらカメラを相棒に写真を学んで10数年、現在はカメラマンとして成人式や七五三、ブライダルなどの撮影を請け負っている。地域の魅力を発信するイベントで撮影技術を教える講師を務めることもある。

 

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23日に行われたワークショップで出会いを楽しんだhanaさん(右)と釜石商工高生ら

 

 写真の魅力は「カメラを通した出会い」とhanaさん。ジャンルにこだわらず、「いいな」と心動かされたモノの一瞬をとらえるのが「快感」だという。「見るものすべてが被写体」と言い切り、これからも「思い出」という宝物を増やし続けていく。

 

 釜石・大槌地域で活動する作家を紹介する同ホール自主事業「art at TETTO」シリーズ(年4回)の2回目。午前9時から午後9時まで鑑賞できる。

大平町の自宅で手作り品のおひろめ会を開いている阿部さん(中)、友人の岩間さん(左)と高坂さん

35年間一針一針 大平町の阿部さん、作品おひろめ会 友人が開催後押し

大平町の自宅で手作り品のおひろめ会を開いている阿部さん(中)、友人の岩間さん(左)と高坂さん

大平町の自宅で手作り品のおひろめ会を開いている阿部さん(中)、友人の岩間さん(左)と高坂さん

 

 手仕事が織りなす世界で和やかな気持ちに―。釜石市大平町の阿部ミエさん(95)は趣味の手芸を楽しみ、自宅を彩っている。パッチワークの壁掛けや色鮮やかなつるし飾りなど、35年間一針一針縫い、作り続けてきた作品がずらり。24日まで「芸術の秋!おひろめ会」を開いており、近所の人らが足を運んで心温まる展示を楽しんでいる。

 

作品に囲まれる阿部さん。心温まる世界をゆっくり見てほしいと望む

作品に囲まれる阿部さん。心温まる世界をゆっくり見てほしいと望む

 

 大船渡市三陸町吉浜出身の阿部さん。20代前半に結婚し、釜石に移り住んだ。漁業の繁忙期に磯場の手伝いなどをしながら、5人の子を育て、家庭を切り盛り。子どもたちが独立し、夫婦2人での生活が始まった矢先に夫を病気で亡くした。若いころに裁縫を習っていたという阿部さん。「一人でポカーンとするより、何かしよう」と布を使ったものづくりを始めた。

 

 材料として使っているのはすべて、子どもや孫の服などを解(ほど)いた古布。阿部さんは「誰が着たものか、思い出しながら一針一針に愛情を込めている」と目を細める。手間も時間もかかるが、「出来上がるとやっぱりうれしくて夢中になっちゃう。仕事があると思えば何事も楽しみ」。できる限り作品を作り続けるという。

 

茶飲み友達と作品を見ながら会話を楽しむ阿部さん(左)

茶飲み友達と作品を見ながら会話を楽しむ阿部さん(左)

 

 作品を玄関や茶の間に飾り付けている阿部さんが、手芸と同じように楽しみにしているのが、「ご近所さん」との茶飲み会。話を弾ませる中で、「いろんな人に見てもらいたいね」と作品展開催も話題になっていたという。新型コロナウイルス感染症の影響でできずにいたが、最近は感染拡大が抑えられていることから、ほぼ毎日顔を合わせる高坂タミ子さん(87)がおひろめ会を提案。阿部さんは「最初で最後かもしれない。やってもいいよ」と話に乗った。

 

おひろめ会の実現に力を合わせた(左から)岩間さん、阿部さん、高坂さん

おひろめ会の実現に力を合わせた(左から)岩間さん、阿部さん、高坂さん

 

 おひろめ会では阿部さんが作り続けてきた作品の一部を紹介。40年来の友人でレース編みを得意とする岩間泰子さん(91)、阿部さんの娘3人が持ち寄った作品など、合わせて約1000点が並ぶ。

 

 3人は「コロナ時代のうっとうしい気持ちを、温かい手作り品を見て和やかな気持ちにしてもらえたら。ゆっくり見てほしい」と声をそろえる。おひろめ会は24日までだが、1週間ほどはそのまま飾り付けることにしている。阿部さん宅は県交通「大平一丁目」バス停近くの住宅地にある。

日本で初めて作られた近代海図「陸中国釜石港之図」を説明する第2管区海上保安本部の西村監理課長

海図の歴史から海を学ぶ 海保が150周年企画展 第1号「釜石港之図」展示 

日本で初めて作られた近代海図「陸中国釜石港之図」を説明する第2管区海上保安本部の西村監理課長

日本で初めて作られた近代海図「陸中国釜石港之図」を説明する第2管区海上保安本部の西村監理課長

 

 日本単独での海図製作などの水路業務が本格的に始まってから150年を迎えたことを記念し、釜石市鈴子町のシープラザ釜石2階イベントフロアでその歴史を紹介するパネル展が開かれている。東北地方を管轄する海上保安庁第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)が企画し、日本初の近代海図など計21点が並ぶ。10月26日まで。

 

 海図は、船が安全に航行できるよう、海岸の地形や水深、灯台などの目標物を分かりやすく示した地図。国内では1871(明治4)年、兵部省海軍部内に水路局を設け、勝海舟らとともに海軍伝習所でオランダ式の航海術・測量術を学んだ津の藩士、柳楢悦(やなぎ・ならよし)を起用して近代的水路業務を開始した。

 

 作成された海図の第1号は、72(同5)年に刊行された「陸中國釜石港之圖(りくちゅうのくにかまいしこうのず)」。当時の釜石は、東京―函館間航路の重要な補給地点だったことに加え、官営製鉄所が完成する直前だったこともあり、入港船舶の安全と利便性を確保するために作成された。

 

 海図の更新は現在も同庁海洋情報部によって行われており、パネル展では明治初期からの150年の歩み、軍事機密として厳重に管理され一般国民の目に触れることがなかった貴重な海図などの資料、音響や航空レーザーなど最新の調査技術を活用した海洋調査などを紹介。特殊メガネでのぞき込むと海底の起伏などが分かる「日本周辺3D海底地形図」、映像放映(15分)もある。

 

特殊メガネで「日本周辺3D海底地形図」をのぞき込む来場

特殊メガネで「日本周辺3D海底地形図」をのぞき込む来場

 

 同本部海洋情報部の西村一星監理課長は「日本人の手だけで作られた海図は釜石が発祥。海図を通し150年前に始まった歴史、進化を感じてほしい」と期待する。

復興スタジアムの座席清掃に励む釜石東中生

ラグビーW杯から2年 釜石東中生「絆の日」の活動で感謝の思い新たに

復興スタジアムの座席清掃に励む釜石東中生

復興スタジアムの座席清掃に励む釜石東中生

 

 釜石市の釜石東中(米慎司校長、生徒97人)は4日、地元の釜石鵜住居復興スタジアムで清掃活動を行い、震災復興支援への感謝の気持ちを表した。同スタジアムは、東日本大震災の津波で被災した同校の跡地に建つ。2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の会場となった。生徒らは活動を通して世界と結ばれた絆を再確認し、震災と復興の記憶の継承、地域への貢献に意を強くした。

 

 同活動は、ラグビーW杯のレガシーを継承する「絆の日」の取り組みの一環。市内14小中学校の児童・生徒でつくる「かまいし絆会議」が、釜石で試合が行われた9月25日を記念日に定め、各校で思いをつなぐ活動を展開している。

 

 釜石東中は生徒会が中心となって活動を計画。絆会議が作詞し、W杯会場で歌った「ありがとうの手紙」の校内放送やスタジアム清掃などに取り組んだ。スタジアムでは学年ごとに手分けし、客席のシートを雑巾で水拭き。座席のすきまから生えた雑草も取り除いた。3年生有志が扮(ふん)する同校伝統の津波防災キャラクター「てんでんこレンジャー」は、スタジアムの看板をきれいにした。

 

ラグビーW杯に思いをはせながら丁寧に水拭き

ラグビーW杯に思いをはせながら丁寧に水拭き

 

「てんでんこレンジャー」は入り口看板を清掃

「てんでんこレンジャー」は入り口看板を清掃

 

 レンジャーは、スタジアムを汚す“ホタテ怪人”と戦う寸劇を披露。「当たり前に思う平和な日常は、誰かの努力や協力で成り立っていることを忘れてはいけない」とメッセージを発信し、全生徒で感謝の気持ちを込めたダンスを披露した。曲は人気グループ「EXILE」の復興支援チャリティーソング「Rising Sun」。同校の先輩たちがメンバーから直接指導を受け、18年のスタジアムオープニングイベントで踊った、東中自慢のダンスパフォーマンスだ。

 

大切なスタジアムを守ろうとホタテ怪人と戦うてんでんこレンジャー

大切なスタジアムを守ろうとホタテ怪人と戦うてんでんこレンジャー

 

「Rising Sun」のダンスパフォーマンスで感謝の気持ちを発信

「Rising Sun」のダンスパフォーマンスで感謝の気持ちを発信

 

先輩方の思いを引き継ぎ、心を一つに踊る生徒

先輩方の思いを引き継ぎ、心を一つに踊る生徒

 

 レンジャーとして同活動を率いた前川威吹君(3年)は「W杯当時、台風で試合ができなかった選手たちが市内の土砂撤去を手伝ってくれた。今日は震災から続く多くの支援に少しでも恩返しできたかな。この場所を釜石市の象徴として、大切にしていってほしい」と願った。

 

震災前、学校があったこの地は現生徒にとっても特別な場所。「絆の日」で愛着を深める

 

 生徒会長の佐々木健心君(3年)は「震災から10年。東中があったこの場所で感謝の気持ちを伝えたいと思った。先輩たちから『つないでほしい』と言われたダンスも、みんな全力で踊ってくれて一体感が生まれた。世界が注目した9月25日を忘れることなく、震災やW杯を継承していくことが必要」と後輩たちの活動に期待した。

自ら抹茶をたて、来場者を迎えるきむらさん

2年ぶりの再会に笑顔満開! 陶芸家きむらさん釜石・大槌住民と交流

イベントを開いたきむらとしろうじんじんさん

イベントを開いたきむらとしろうじんじんさん

 

 京都を拠点に活動する陶芸家のきむらとしろうじんじんさんが3日、釜石市大町の市民ホールTETTOで、楽焼茶わんを焼いて抹茶を楽しむ野だてイベントを開いた。東日本大震災後、被災した釜石市、大槌町を継続して訪れ、住民らと交流を深めるきむらさん。TETTOでのイベントは昨年10月に予定されていたが、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となっていた。今回、待望の訪問が実現し、両市町の住民らが芸術の秋を満喫した。

 

 参加者が体験したのは素焼きした器への絵付け。好みの形を選び、さまざまな色の釉薬(ゆうやく)で思い思いの模様を施した。約800度に熱した窯で焼き上げた後、新聞紙を燃やした缶の中でいぶした(焼き+いぶし約1時間)。いぶすことで、色の劇的変化も楽しめるという。取り出した後、水に入れて冷まし、やすりで磨いて仕上げた。

 

イメージを膨らませ、茶わんの絵付けに挑戦

イメージを膨らませ、茶わんの絵付けに挑戦

 

窯から出した茶わんをいぶし用の缶に移す

窯から出した茶わんをいぶし用の缶に移す

 

 同市大平町の菊池詩子さん(61)は「焼き上がると、イメージした模様と全く違った。できてみないと分からない面白さがある。仕上がりは上々」と大満足。独特の風貌のきむらさんを「一度見たら忘れない姿」と思い出に刻み、「何年かに1回でも来ていただけると、にぎわいの場にもなりそう。自分の作品が1つずつ増えていく楽しみも味わえる」と継続来訪を期待した。

 

 会場では、焼き上げた茶わんで抹茶をいただくことも可能。きむらさんが自ら茶をたて、来場者に振る舞った。

 

絵付けをし、焼き上がった器の出来栄えは?

絵付けをし、焼き上がった器の出来栄えは?

 

自ら抹茶をたて、来場者を迎えるきむらさん

自ら抹茶をたて、来場者を迎えるきむらさん

 

 きむらさんは1967年、新潟県生まれ。京都市立芸術大で陶芸を学んだ。95年から同スタイルの野だてで全国各地を回り、焼き物や茶の魅力を伝えている。2011年の大震災後は東北の被災地に心を寄せ、12年秋の大槌町での復興支援イベントを機に毎年、釜石・大槌地域への来訪を続けてきた。

 

 

きむらさんの作業を見つめるスタッフ、来場者ら。ボランティアには約20人が協力した

きむらさんの作業を見つめるスタッフ、来場者ら。ボランティアには約20人が協力した

 

 「手伝ってくれる地元のボランティアスタッフ、住民の皆さんとも顔なじみになっていただけに、昨年来られなかったのがすごく寂しくて」ときむらさん。この日は2年ぶりの再会を抱き合って喜ぶ姿も見られた。「通りすがりの人が記念撮影したり、純粋に茶わん目的で来たり、自由に楽しんでくれるこの風景が何より大好き。今後も来られる限りは来ます。ぜひ遊びに来てください」とメッセージを残した。

生徒はメモを取りながら講師の話に耳を傾けた

仕事を知って将来を考える~大平中でキャリア教育 地域の社会人が講師

地元企業で働く社員の姿に接し、将来を考える機会にした大平中生

地元企業で働く社員の姿に接し、将来を考える機会にした大平中生

 

 釜石市大平町の大平中(蛸島茂雄校長、生徒106人)で9月28日、「キャリア教育」をテーマに地元企業から講師を招く出前授業が行われた。1、2年生約70人が参加。地域で働く人たちの多様な生き方や価値観に触れ、自分の将来を考える参考にした。

 

 同校では例年、1年生が職場見学、2年生は職場体験学習を行っている。昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で職場体験が中止となり、コロナ下の今年は見学の受け入れも困難な状況だったため、地元で働く人を講師として招いて話を聞く形式で実施された。講師は小売業、製造業、医療・福祉など市内4事業所の社員ら5人。生徒は希望する3事業所を選んで、会社概要や仕事内容、やりがいなど体験談に耳を傾けた。

 

地元で働く人が増えてほしいと期待を込め出前授業に臨む講師ら

地元で働く人が増えてほしいと期待を込め出前授業に臨む講師ら

 

 水産加工会社釜石ヒカリフーズの佐藤正一社長は、東日本大震災被災地の水産業の再起を図る奮闘の物語を「マイナスからの挑戦」と題して講話。銀行員から水産加工会社の社長に転身した経歴を紹介し、「子どものころの想像とは全く違うことをしているが、とても幸せ。将来のことは分からないかもしれないが、今の時間、仲間を大切にしてほしい。人とのつながりが思いもよらない展開を見せる」と経験を伝えた。

 

生徒はメモを取りながら講師の話に耳を傾けた

生徒はメモを取りながら講師の話に耳を傾けた

 

 イオンスーパーセンター釜石店の千葉麗沙総務課長は学生と社会人の違いを話し、「社会での課題解決、答えは1つだけではない。その時に何がベストかを考えることが大事」と強調。社会福祉法人楽水会が運営する特別養護老人ホーム「アミーガはまゆり」の久喜真施設長は施設内無線LANの設置やタブレット端末の導入などによる業務改善、働きやすい職場づくりを説明し、「ぜひ見学に。肌で感じることがある」と期待した。

 

 鋼製家具製造事業を手掛けるエヌエスオカムラから総務課の藤原由香里課長、八幡拓見係長が参加。求める人材は「向上心を持って自ら行動できる人」とし、目標を持つことの大切さを伝えた。「小さなことでいいので、達成感を得られることを見つけて。それが生きがい、やりがいにつながる」と学校生活でも役立つ心構えを助言。地元企業で働く自分たちの姿を紹介することで、将来、地元で働く人が増えてほしいという願いもあり、「若者、来たれ!」と呼び掛けた。

 

「いらっしゃいませ」などあいさつ訓練を体験する生徒ら

「いらっしゃいませ」などあいさつ訓練を体験する生徒ら

 

 将来の仕事について考え始めている髙橋優さん(2年)は「いろんな会社があり、頑張っていることや大事にしていることが違うことを知った。あいさつや人とのつながりは学校生活でも生かせるので大切にしていきたい」と学習。スポーツに関わる仕事がしたいと思い描く山﨑龍磨君(1年)は「前向きに取り組む姿勢が印象に残った。夢に向かって頑張りたい」と思いを強めた。

劇団四季ファミリーミュージカル「はじまりの樹の神話~ こそあどの森の物語~」撮影:樋口隆宏

市民ら感動!「劇団四季」釜石で震災後初のホール公演 釜石出身俳優も熱演

劇団四季ファミリーミュージカル「はじまりの樹の神話~ こそあどの森の物語~」撮影:樋口隆宏

劇団四季ファミリーミュージカル「はじまりの樹の神話~こそあどの森の物語~」撮影:樋口隆宏

 

 劇団四季の新作オリジナルファミリーミュージカル「はじまりの樹の神話~こそあどの森の物語~」が9月19日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された。同団の釜石来演は、東日本大震災後の2011年7月に釜石中体育館で、被災地支援の特別招待公演を行って以来10年ぶり。同ホールの前身、津波で被災した釜石市民文化会館では1995年に公演が行われており、今回は市民待望のホールでの観劇が実現した。

 

 同団は震災から10年の今年、東北被災3県の沿岸ツアー公演を企画。18日の本県宮古市を皮切りに始まり、県内では5市で上演された。作品の原作は、日本児童文学界を代表する作家・岡田淳氏の「こそあどの森の物語」シリーズ第6巻。同シリーズ(全12巻)は累計約70万部を売り上げた児童文学の傑作で、国際的評価も受ける。

 

 物語は、こそあどの森で暮らす少年スキッパーが、大昔からやって来た少女ハシバミを助けたことを発端に、巨樹をめぐって神話と現実が交差するファンタジー。内気な少年が少女との出会いを通じて、「誰かの力になること」「人と人とのつながり」の大切さに気付き、仲間を得て成長していく姿が描かれる。

 

劇中の一場面 撮影:下坂敦俊

劇中の一場面 撮影:下坂敦俊

 

 観客はプロ集団が創る圧巻の舞台に目がくぎ付けとなり、カーテンコールでは感動の拍手が鳴りやまなかった。只越町の菊地千津子さん(45)は「劇団四季の舞台は子どものころに見て以来。日常を忘れる楽しいひとときで、没頭できた。最後の感謝の拍手とか、会場の一体感も良かった。すごく元気がでた」と大喜び。娘の凜さん(9)は「歌声もきれいだったし、迫力があった。演劇に少し興味が湧いた」と親子で感動の余韻に浸った。

 

出演者が手をつなぎ、観客の拍手に応えたカーテンコール

出演者が手をつなぎ、観客の拍手に応えたカーテンコール

 

最後は観客と出演者が手を振り合い、感動を分かち合った

最後は観客と出演者が手を振り合い、感動を分かち合った

 

釜石出身の俳優・菊池正さん 10年ぶりのふるさと公演

 

ギーコ役を演じた菊池正さん(左から2人目)

ギーコ役を演じた菊池正さん(左から2人目)

 

 今回の劇団四季釜石公演には、同市橋野町出身の俳優・菊池正さんが、森の住人ギーコ役で出演した。菊池さんは10年前に釜石中で行われた公演「ユタと不思議な仲間たち」の際にも来釜。市内の小・中学生、校内の避難所や仮設住宅で生活する被災者らを前に、命の尊さ、困難の先にある希望を感じさせる劇で市民を勇気づけた。津波で被災した釜石市民文化会館では、同年9月に四季の公演が行われる予定だったという。

 

10年前の釜石中での特別公演を伝える新聞記事(復興釜石新聞第16号)

10年前の釜石中での特別公演を伝える新聞記事(復興釜石新聞第16号)

 

 菊池さんは公演後、「10年前の経験も重なり、さまざまな思いが駆け巡るが、『舞台上ではいつも通り冷静に』という信念で臨んだ。熱のこもった拍手、子どもたちの笑顔。皆さんの反応の高さに驚いている。10年という時がたっても、被災された方が抱えた傷は癒えることはないと思う。しかし〝命のつながり〟というテーマが込められた本作品に触れ、わずかな時間でも元気になってもらえたなら、私たちも励まされる」(要約)とのコメントを寄せた。

 

地元の人たちの心に寄り添いながら舞台を務めた菊池正さん

地元の人たちの心に寄り添いながら舞台を務めた菊池正さん

 

 会場には、菊池さんの親族や出身地橋野町の住民らも駆け付けた。同町在住の70代女性2人は素晴らしい歌やダンスに魅了され、「感動で涙があふれた。生きる力をもらった。人は1人じゃない。互いに助け合うことが大事。あらためて実感した」と口をそろえた。菊池さんの活躍に「地元の誇り。頑張っている姿に力をもらう」と顔をほころばせ、会場を後にした。

ソバの収穫を喜ぶ栗林小の3・4年生と教員ら

いっぱいとれたよ!栗林小児童が学校の畑でソバの実を収穫

ソバの収穫を喜ぶ栗林小の3・4年生と教員ら

ソバの収穫を喜ぶ栗林小の3・4年生と教員ら

 

 釜石市の栗林小(舞良昌孝校長、児童39人)で9月17日、3、4年生14人が自分たちで育てたソバの実を収穫した。農作物の栽培から食までを体験する総合的な学習の一環。11月には粉にひいて、そば打ちに挑戦する。

 

 同校の体育館裏には各学年が栽培体験を行う畑があり、さまざまな種類の農作物を育てている。ソバの栽培は例年3、4年生が取り組む。今年は夏休み前に種をまき、雑草取りや水やりなどをしながら大切に育ててきた。実を狙うハトよけ対策として、児童のアイデアで手作りのかかしも設置。無事に収穫の時を迎えた。

 

学校体育館裏のソバ畑。種まきから約2カ月で収穫の時を迎えた

学校体育館裏のソバ畑。種まきから約2カ月で収穫の時を迎えた

 

講師の藤原貞夫さんが刈り取りの仕方を説明

講師の藤原貞夫さんが刈り取りの仕方を説明

 

 この日は、講師を務める橋野町の兼業農家・藤原貞夫さん(75)の指導で、鎌を使った刈り取り作業に挑戦。高さ1メートル以上に成長したソバを、先端の実が落ちないように丁寧に根元から刈った。束にした茎は根元をひもで結び、乾燥させるため、稲のようにはせ掛けした。

 

刈り取りスタート!2人1組で協力して作業

刈り取りスタート!2人1組で協力して作業

 

刈った茎は実が落ちないように丁寧にまとめる

刈った茎は実が落ちないように丁寧にまとめる

 

乾燥させるためのはせ掛けも大切な作業

乾燥させるためのはせ掛けも大切な作業

 

 藤原さんによると、実の出来は上々。昨年は生育がうまくいかず、種を2回まいたものの2回とも収穫できなかったという。「今年は一番いい状態で刈り取れた。実の収量は2キロぐらいにはなるのでは」と期待。児童らは約1時間半の作業で、全てのソバを刈り取った。

 

 小笠原実紅さん(4年)は「去年はほとんど実ができず、刈り取りもできなかったが、今年はたくさんできた。かかしの効果もけっこうあった。おいしいそばを作れるといいな」。藤原大叶(ひろと)君(3年)は「初めて鎌を使った。ソバがこんなにすぐ大きくなるとは驚き。そば打ちも楽しみ」と目を輝かせた。

 

 

 同校のソバ栽培は10年以上続く。成長過程の観察、勤労体験、地域資源への理解など、さまざまな分野の学びができる貴重な場で、児童らの成長を後押ししている。同校の畑づくり全般を指導する講師の藤原さんは「種や苗を植えたら、肥料もやらなきゃいけないし、草も取らないといけない。収穫までには手がかかることを知ってほしい」と話す。

 

 乾燥させたソバは脱穀後、橋野町の産直「どんぐり広場」隣の水車小屋で粉にし、そばを打って食べる予定。