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復興スタジアムの座席清掃に励む釜石東中生

ラグビーW杯から2年 釜石東中生「絆の日」の活動で感謝の思い新たに

復興スタジアムの座席清掃に励む釜石東中生

復興スタジアムの座席清掃に励む釜石東中生

 

 釜石市の釜石東中(米慎司校長、生徒97人)は4日、地元の釜石鵜住居復興スタジアムで清掃活動を行い、震災復興支援への感謝の気持ちを表した。同スタジアムは、東日本大震災の津波で被災した同校の跡地に建つ。2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の会場となった。生徒らは活動を通して世界と結ばれた絆を再確認し、震災と復興の記憶の継承、地域への貢献に意を強くした。

 

 同活動は、ラグビーW杯のレガシーを継承する「絆の日」の取り組みの一環。市内14小中学校の児童・生徒でつくる「かまいし絆会議」が、釜石で試合が行われた9月25日を記念日に定め、各校で思いをつなぐ活動を展開している。

 

 釜石東中は生徒会が中心となって活動を計画。絆会議が作詞し、W杯会場で歌った「ありがとうの手紙」の校内放送やスタジアム清掃などに取り組んだ。スタジアムでは学年ごとに手分けし、客席のシートを雑巾で水拭き。座席のすきまから生えた雑草も取り除いた。3年生有志が扮(ふん)する同校伝統の津波防災キャラクター「てんでんこレンジャー」は、スタジアムの看板をきれいにした。

 

ラグビーW杯に思いをはせながら丁寧に水拭き

ラグビーW杯に思いをはせながら丁寧に水拭き

 

「てんでんこレンジャー」は入り口看板を清掃

「てんでんこレンジャー」は入り口看板を清掃

 

 レンジャーは、スタジアムを汚す“ホタテ怪人”と戦う寸劇を披露。「当たり前に思う平和な日常は、誰かの努力や協力で成り立っていることを忘れてはいけない」とメッセージを発信し、全生徒で感謝の気持ちを込めたダンスを披露した。曲は人気グループ「EXILE」の復興支援チャリティーソング「Rising Sun」。同校の先輩たちがメンバーから直接指導を受け、18年のスタジアムオープニングイベントで踊った、東中自慢のダンスパフォーマンスだ。

 

大切なスタジアムを守ろうとホタテ怪人と戦うてんでんこレンジャー

大切なスタジアムを守ろうとホタテ怪人と戦うてんでんこレンジャー

 

「Rising Sun」のダンスパフォーマンスで感謝の気持ちを発信

「Rising Sun」のダンスパフォーマンスで感謝の気持ちを発信

 

先輩方の思いを引き継ぎ、心を一つに踊る生徒

先輩方の思いを引き継ぎ、心を一つに踊る生徒

 

 レンジャーとして同活動を率いた前川威吹君(3年)は「W杯当時、台風で試合ができなかった選手たちが市内の土砂撤去を手伝ってくれた。今日は震災から続く多くの支援に少しでも恩返しできたかな。この場所を釜石市の象徴として、大切にしていってほしい」と願った。

 

震災前、学校があったこの地は現生徒にとっても特別な場所。「絆の日」で愛着を深める

 

 生徒会長の佐々木健心君(3年)は「震災から10年。東中があったこの場所で感謝の気持ちを伝えたいと思った。先輩たちから『つないでほしい』と言われたダンスも、みんな全力で踊ってくれて一体感が生まれた。世界が注目した9月25日を忘れることなく、震災やW杯を継承していくことが必要」と後輩たちの活動に期待した。

自ら抹茶をたて、来場者を迎えるきむらさん

2年ぶりの再会に笑顔満開! 陶芸家きむらさん釜石・大槌住民と交流

イベントを開いたきむらとしろうじんじんさん

イベントを開いたきむらとしろうじんじんさん

 

 京都を拠点に活動する陶芸家のきむらとしろうじんじんさんが3日、釜石市大町の市民ホールTETTOで、楽焼茶わんを焼いて抹茶を楽しむ野だてイベントを開いた。東日本大震災後、被災した釜石市、大槌町を継続して訪れ、住民らと交流を深めるきむらさん。TETTOでのイベントは昨年10月に予定されていたが、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となっていた。今回、待望の訪問が実現し、両市町の住民らが芸術の秋を満喫した。

 

 参加者が体験したのは素焼きした器への絵付け。好みの形を選び、さまざまな色の釉薬(ゆうやく)で思い思いの模様を施した。約800度に熱した窯で焼き上げた後、新聞紙を燃やした缶の中でいぶした(焼き+いぶし約1時間)。いぶすことで、色の劇的変化も楽しめるという。取り出した後、水に入れて冷まし、やすりで磨いて仕上げた。

 

イメージを膨らませ、茶わんの絵付けに挑戦

イメージを膨らませ、茶わんの絵付けに挑戦

 

窯から出した茶わんをいぶし用の缶に移す

窯から出した茶わんをいぶし用の缶に移す

 

 同市大平町の菊池詩子さん(61)は「焼き上がると、イメージした模様と全く違った。できてみないと分からない面白さがある。仕上がりは上々」と大満足。独特の風貌のきむらさんを「一度見たら忘れない姿」と思い出に刻み、「何年かに1回でも来ていただけると、にぎわいの場にもなりそう。自分の作品が1つずつ増えていく楽しみも味わえる」と継続来訪を期待した。

 

 会場では、焼き上げた茶わんで抹茶をいただくことも可能。きむらさんが自ら茶をたて、来場者に振る舞った。

 

絵付けをし、焼き上がった器の出来栄えは?

絵付けをし、焼き上がった器の出来栄えは?

 

自ら抹茶をたて、来場者を迎えるきむらさん

自ら抹茶をたて、来場者を迎えるきむらさん

 

 きむらさんは1967年、新潟県生まれ。京都市立芸術大で陶芸を学んだ。95年から同スタイルの野だてで全国各地を回り、焼き物や茶の魅力を伝えている。2011年の大震災後は東北の被災地に心を寄せ、12年秋の大槌町での復興支援イベントを機に毎年、釜石・大槌地域への来訪を続けてきた。

 

 

きむらさんの作業を見つめるスタッフ、来場者ら。ボランティアには約20人が協力した

きむらさんの作業を見つめるスタッフ、来場者ら。ボランティアには約20人が協力した

 

 「手伝ってくれる地元のボランティアスタッフ、住民の皆さんとも顔なじみになっていただけに、昨年来られなかったのがすごく寂しくて」ときむらさん。この日は2年ぶりの再会を抱き合って喜ぶ姿も見られた。「通りすがりの人が記念撮影したり、純粋に茶わん目的で来たり、自由に楽しんでくれるこの風景が何より大好き。今後も来られる限りは来ます。ぜひ遊びに来てください」とメッセージを残した。

生徒はメモを取りながら講師の話に耳を傾けた

仕事を知って将来を考える~大平中でキャリア教育 地域の社会人が講師

地元企業で働く社員の姿に接し、将来を考える機会にした大平中生

地元企業で働く社員の姿に接し、将来を考える機会にした大平中生

 

 釜石市大平町の大平中(蛸島茂雄校長、生徒106人)で9月28日、「キャリア教育」をテーマに地元企業から講師を招く出前授業が行われた。1、2年生約70人が参加。地域で働く人たちの多様な生き方や価値観に触れ、自分の将来を考える参考にした。

 

 同校では例年、1年生が職場見学、2年生は職場体験学習を行っている。昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で職場体験が中止となり、コロナ下の今年は見学の受け入れも困難な状況だったため、地元で働く人を講師として招いて話を聞く形式で実施された。講師は小売業、製造業、医療・福祉など市内4事業所の社員ら5人。生徒は希望する3事業所を選んで、会社概要や仕事内容、やりがいなど体験談に耳を傾けた。

 

地元で働く人が増えてほしいと期待を込め出前授業に臨む講師ら

地元で働く人が増えてほしいと期待を込め出前授業に臨む講師ら

 

 水産加工会社釜石ヒカリフーズの佐藤正一社長は、東日本大震災被災地の水産業の再起を図る奮闘の物語を「マイナスからの挑戦」と題して講話。銀行員から水産加工会社の社長に転身した経歴を紹介し、「子どものころの想像とは全く違うことをしているが、とても幸せ。将来のことは分からないかもしれないが、今の時間、仲間を大切にしてほしい。人とのつながりが思いもよらない展開を見せる」と経験を伝えた。

 

生徒はメモを取りながら講師の話に耳を傾けた

生徒はメモを取りながら講師の話に耳を傾けた

 

 イオンスーパーセンター釜石店の千葉麗沙総務課長は学生と社会人の違いを話し、「社会での課題解決、答えは1つだけではない。その時に何がベストかを考えることが大事」と強調。社会福祉法人楽水会が運営する特別養護老人ホーム「アミーガはまゆり」の久喜真施設長は施設内無線LANの設置やタブレット端末の導入などによる業務改善、働きやすい職場づくりを説明し、「ぜひ見学に。肌で感じることがある」と期待した。

 

 鋼製家具製造事業を手掛けるエヌエスオカムラから総務課の藤原由香里課長、八幡拓見係長が参加。求める人材は「向上心を持って自ら行動できる人」とし、目標を持つことの大切さを伝えた。「小さなことでいいので、達成感を得られることを見つけて。それが生きがい、やりがいにつながる」と学校生活でも役立つ心構えを助言。地元企業で働く自分たちの姿を紹介することで、将来、地元で働く人が増えてほしいという願いもあり、「若者、来たれ!」と呼び掛けた。

 

「いらっしゃいませ」などあいさつ訓練を体験する生徒ら

「いらっしゃいませ」などあいさつ訓練を体験する生徒ら

 

 将来の仕事について考え始めている髙橋優さん(2年)は「いろんな会社があり、頑張っていることや大事にしていることが違うことを知った。あいさつや人とのつながりは学校生活でも生かせるので大切にしていきたい」と学習。スポーツに関わる仕事がしたいと思い描く山﨑龍磨君(1年)は「前向きに取り組む姿勢が印象に残った。夢に向かって頑張りたい」と思いを強めた。

劇団四季ファミリーミュージカル「はじまりの樹の神話~ こそあどの森の物語~」撮影:樋口隆宏

市民ら感動!「劇団四季」釜石で震災後初のホール公演 釜石出身俳優も熱演

劇団四季ファミリーミュージカル「はじまりの樹の神話~ こそあどの森の物語~」撮影:樋口隆宏

劇団四季ファミリーミュージカル「はじまりの樹の神話~こそあどの森の物語~」撮影:樋口隆宏

 

 劇団四季の新作オリジナルファミリーミュージカル「はじまりの樹の神話~こそあどの森の物語~」が9月19日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された。同団の釜石来演は、東日本大震災後の2011年7月に釜石中体育館で、被災地支援の特別招待公演を行って以来10年ぶり。同ホールの前身、津波で被災した釜石市民文化会館では1995年に公演が行われており、今回は市民待望のホールでの観劇が実現した。

 

 同団は震災から10年の今年、東北被災3県の沿岸ツアー公演を企画。18日の本県宮古市を皮切りに始まり、県内では5市で上演された。作品の原作は、日本児童文学界を代表する作家・岡田淳氏の「こそあどの森の物語」シリーズ第6巻。同シリーズ(全12巻)は累計約70万部を売り上げた児童文学の傑作で、国際的評価も受ける。

 

 物語は、こそあどの森で暮らす少年スキッパーが、大昔からやって来た少女ハシバミを助けたことを発端に、巨樹をめぐって神話と現実が交差するファンタジー。内気な少年が少女との出会いを通じて、「誰かの力になること」「人と人とのつながり」の大切さに気付き、仲間を得て成長していく姿が描かれる。

 

劇中の一場面 撮影:下坂敦俊

劇中の一場面 撮影:下坂敦俊

 

 観客はプロ集団が創る圧巻の舞台に目がくぎ付けとなり、カーテンコールでは感動の拍手が鳴りやまなかった。只越町の菊地千津子さん(45)は「劇団四季の舞台は子どものころに見て以来。日常を忘れる楽しいひとときで、没頭できた。最後の感謝の拍手とか、会場の一体感も良かった。すごく元気がでた」と大喜び。娘の凜さん(9)は「歌声もきれいだったし、迫力があった。演劇に少し興味が湧いた」と親子で感動の余韻に浸った。

 

出演者が手をつなぎ、観客の拍手に応えたカーテンコール

出演者が手をつなぎ、観客の拍手に応えたカーテンコール

 

最後は観客と出演者が手を振り合い、感動を分かち合った

最後は観客と出演者が手を振り合い、感動を分かち合った

 

釜石出身の俳優・菊池正さん 10年ぶりのふるさと公演

 

ギーコ役を演じた菊池正さん(左から2人目)

ギーコ役を演じた菊池正さん(左から2人目)

 

 今回の劇団四季釜石公演には、同市橋野町出身の俳優・菊池正さんが、森の住人ギーコ役で出演した。菊池さんは10年前に釜石中で行われた公演「ユタと不思議な仲間たち」の際にも来釜。市内の小・中学生、校内の避難所や仮設住宅で生活する被災者らを前に、命の尊さ、困難の先にある希望を感じさせる劇で市民を勇気づけた。津波で被災した釜石市民文化会館では、同年9月に四季の公演が行われる予定だったという。

 

10年前の釜石中での特別公演を伝える新聞記事(復興釜石新聞第16号)

10年前の釜石中での特別公演を伝える新聞記事(復興釜石新聞第16号)

 

 菊池さんは公演後、「10年前の経験も重なり、さまざまな思いが駆け巡るが、『舞台上ではいつも通り冷静に』という信念で臨んだ。熱のこもった拍手、子どもたちの笑顔。皆さんの反応の高さに驚いている。10年という時がたっても、被災された方が抱えた傷は癒えることはないと思う。しかし〝命のつながり〟というテーマが込められた本作品に触れ、わずかな時間でも元気になってもらえたなら、私たちも励まされる」(要約)とのコメントを寄せた。

 

地元の人たちの心に寄り添いながら舞台を務めた菊池正さん

地元の人たちの心に寄り添いながら舞台を務めた菊池正さん

 

 会場には、菊池さんの親族や出身地橋野町の住民らも駆け付けた。同町在住の70代女性2人は素晴らしい歌やダンスに魅了され、「感動で涙があふれた。生きる力をもらった。人は1人じゃない。互いに助け合うことが大事。あらためて実感した」と口をそろえた。菊池さんの活躍に「地元の誇り。頑張っている姿に力をもらう」と顔をほころばせ、会場を後にした。

ソバの収穫を喜ぶ栗林小の3・4年生と教員ら

いっぱいとれたよ!栗林小児童が学校の畑でソバの実を収穫

ソバの収穫を喜ぶ栗林小の3・4年生と教員ら

ソバの収穫を喜ぶ栗林小の3・4年生と教員ら

 

 釜石市の栗林小(舞良昌孝校長、児童39人)で9月17日、3、4年生14人が自分たちで育てたソバの実を収穫した。農作物の栽培から食までを体験する総合的な学習の一環。11月には粉にひいて、そば打ちに挑戦する。

 

 同校の体育館裏には各学年が栽培体験を行う畑があり、さまざまな種類の農作物を育てている。ソバの栽培は例年3、4年生が取り組む。今年は夏休み前に種をまき、雑草取りや水やりなどをしながら大切に育ててきた。実を狙うハトよけ対策として、児童のアイデアで手作りのかかしも設置。無事に収穫の時を迎えた。

 

学校体育館裏のソバ畑。種まきから約2カ月で収穫の時を迎えた

学校体育館裏のソバ畑。種まきから約2カ月で収穫の時を迎えた

 

講師の藤原貞夫さんが刈り取りの仕方を説明

講師の藤原貞夫さんが刈り取りの仕方を説明

 

 この日は、講師を務める橋野町の兼業農家・藤原貞夫さん(75)の指導で、鎌を使った刈り取り作業に挑戦。高さ1メートル以上に成長したソバを、先端の実が落ちないように丁寧に根元から刈った。束にした茎は根元をひもで結び、乾燥させるため、稲のようにはせ掛けした。

 

刈り取りスタート!2人1組で協力して作業

刈り取りスタート!2人1組で協力して作業

 

刈った茎は実が落ちないように丁寧にまとめる

刈った茎は実が落ちないように丁寧にまとめる

 

乾燥させるためのはせ掛けも大切な作業

乾燥させるためのはせ掛けも大切な作業

 

 藤原さんによると、実の出来は上々。昨年は生育がうまくいかず、種を2回まいたものの2回とも収穫できなかったという。「今年は一番いい状態で刈り取れた。実の収量は2キロぐらいにはなるのでは」と期待。児童らは約1時間半の作業で、全てのソバを刈り取った。

 

 小笠原実紅さん(4年)は「去年はほとんど実ができず、刈り取りもできなかったが、今年はたくさんできた。かかしの効果もけっこうあった。おいしいそばを作れるといいな」。藤原大叶(ひろと)君(3年)は「初めて鎌を使った。ソバがこんなにすぐ大きくなるとは驚き。そば打ちも楽しみ」と目を輝かせた。

 

 

 同校のソバ栽培は10年以上続く。成長過程の観察、勤労体験、地域資源への理解など、さまざまな分野の学びができる貴重な場で、児童らの成長を後押ししている。同校の畑づくり全般を指導する講師の藤原さんは「種や苗を植えたら、肥料もやらなきゃいけないし、草も取らないといけない。収穫までには手がかかることを知ってほしい」と話す。

 

 乾燥させたソバは脱穀後、橋野町の産直「どんぐり広場」隣の水車小屋で粉にし、そばを打って食べる予定。

会員の指導を受けながら三味線に取り組む生徒

和の響きに関心 釜石中で長唄三味線教室 「さくら」に挑む

バチの持ち方指導から始まった釜石中の三味線教室

バチの持ち方指導から始まった釜石中の三味線教室

 

 釜石中(佐々木猛校長、生徒308人)で9日、2年生を対象に長唄三味線教室が開かれた。初めて三味線に触れる生徒がほとんどだったが、わずか1時間の指導で、「さくら」をそろえて奏でるまで上達。指導した杵家会釜石支所(杵家弥多穂代表)の会員による演奏鑑賞会もあり、生徒たちは邦楽の響きに関心を寄せた。

 

会員の指導を受けながら三味線に取り組む生徒

会員の指導を受けながら三味線に取り組む生徒

 

 同校では2日も三味線の指導が行われている。9日は2年生116人(4学級)のうち2クラス約55人が受講。クラスごとに1限ずつ充て、弥多穂代表ら名取レベルの5人を講師に三味線の持ち方、バチの当て方を教わったあと早速、「さくら」の演奏に挑んだ。

 

 2年3組の授業では、独特の楽譜を見ながら練習を開始。最初はとまどい気味の生徒たちも会員の熱の込もった指導で繰り返すうちに指が滑らかに動くようになり、授業の最後には“合奏”ができるようになった。

 

独特の楽譜を示しながら指導に当たる杵家弥多穂代表

独特の楽譜を示しながら指導に当たる杵家弥多穂代表

 

 楽しそうに練習を重ねた小澤歩武(あゆむ)君と小山多聞君は「三味線に触れるのは初めて。難しかったけど、結構うまく弾けて楽しかった。機会があればまたやってみたい」と声をそろえた。

 

初めて触れた三味線での合奏を楽しむ男子生徒

初めて触れた三味線での合奏を楽しむ男子生徒

 

 演奏鑑賞会では四季の違いを表現した長唄などを披露。歌舞伎十八番「勧進帳」の一部も紹介され、生徒数人が寸劇に登場した。

 

 杵家会釜石支所の学校訪問指導は2002年から継続。地元のほか盛岡市など県内陸部にも広がり、受講した児童、生徒は約6000人になる。文化庁の芸術家派遣事業として実施する本年度は釜石市内2中学校で予定し、釜石東中はすでに終えている。

専門学校の設置を柱とする包括連携協定を結んだ野田市長(右)と龍澤理事長(左)=釜石市提供

釜石に専門学校開校へ 龍澤学館と包括連携協定

専門学校の設置を柱とする包括連携協定を結んだ野田市長(右)と龍澤理事長(左)=釜石市提供

専門学校の設置を柱とする包括連携協定を結んだ野田市長(右)と龍澤理事長(左)=釜石市提供

 

 釜石市は6日、学校法人龍澤学館(盛岡市、龍澤正美理事長)と、釜石市内での専門学校の開校を柱とする包括連携協定を結んだ。同法人は医療福祉系学科と留学生を受け入れる日本語学科の2学科を設置する考えで、2023年度以降の開校を目指すという。

 

 新たな専門学校は、釜石市教育委員会などが入る市教育センター(鈴子町、5階建て)を候補地とする。2~3年制の医療福祉系、2年制の日本語の2学科体制とし、定員はともに40人程度で計200人を想定している。

 

専門学校校舎として活用が検討される釜石市教育センター

専門学校校舎として活用が検討される釜石市教育センター

 

 同法人は盛岡中央高校や付属中のほか、ビジネスやデザイン、医療福祉などの専門学校を経営。釜石市とは12年10月に東日本大震災の復興支援協定を結び、生涯学習や産業振興の支援を行ってきた。人口減少や少子高齢化、医療福祉分野の人材育成などの地域課題に対応するため、これまで重ねてきた取り組みを深化させようと新たに協定を結ぶことにした。

 

 協定には、▽地域活性化(コミュニティー支援や復興住宅への訪問支援)▽地域産業の振興(地域特産物の事業化支援)▽多文化共生社会の実現に向けた取り組み(域内外国人や日本語学科学生による交流活動)▽地域文化の継承やスポーツの推進(地域行事の企画・支援やスポーツ交流)-なども盛り込んだ。締結を踏まえ、同法人は学校開設に向けた準備、釜石市は候補施設の環境整備や学生の住まいの確保に向けた作業を進める方針だ。

 

協定書に署名する野田市長(右)と瀧澤理事長=釜石市提供

協定書に署名する野田市長(右)と瀧澤理事長=釜石市提供

 

 締結式は、同法人が運営する盛岡情報ビジネス&デザイン専門学校(盛岡市)で行われた。龍澤理事長は「釜石を起点に沿岸部の底上げ、活性化を図り、地域課題に対応しながら人材を育てていく役割を担いたい」と意欲を示し、高等教育機関立地の必要性を認識してきた釜石市の野田武則市長は「長年の課題解決につながる。復興完遂の集大成であり、活力あふれる未来への道筋になる」などと応じたという。

「甲子歌う会」発足30周年記念コンサート

「甲子歌う会」震災、コロナ禍乗り越え30周年 感無量の記念コンサート

「甲子歌う会」発足30周年記念コンサート

「甲子歌う会」発足30周年記念コンサート

 

 釜石市の甲子公民館で活動する「甲子歌う会」(坂本慶子会長、会員44人)は5日、会発足30周年を記念し、大町の市民ホールTETTOでコンサートを開いた。平均年齢79歳というメンバーが、童謡や唱歌など全23曲を美しいハーモニーで歌い上げ、30年の歩みをかみしめながら活動継続へ意欲を高めた。

 

 会員33人が出演。指導する山﨑眞行さんの指揮、菅和佳子さんのピアノ伴奏で、古くから歌い継がれる曲を中心に披露した。1部は日本の情緒あふれる四季の歌。「春の小川」「夏の思い出」「赤とんぼ」「冬景色」など全10曲を、ソプラノ、アルトの女声合唱で聞かせた。

 

日本の原風景を思い起こさせる四季の歌を届けた第1部。優しい歌声が会場を包んだ

日本の原風景を思い起こさせる四季の歌を届けた第1部。優しい歌声が会場を包んだ

 

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 山﨑さんのフルート、釜石市民吹奏楽団・谷澤栄一さんのオーボエによるデュオ演奏をはさみ、3部がスタート。「花の街」「から松」「母」など著名な作詞、作曲家の作品のほか、本県出身者ゆかりの曲も歌唱。歌人石川啄木の短歌に曲を付けた「ふるさとの山に向かいて」(新井満作曲)、歌手新沼謙治さんが作詞作曲を手がけた「ふるさとは今も変わらず」を聞かせた。最後は「見上げてごらん夜の星を」など2曲を歌い、観客と心を通わせた。

 

衣装を替えて登場した第3部。人の思いが込められた曲を心をひとつに歌い上げた

衣装を替えて登場した第3部。人の思いが込められた曲を心をひとつに歌い上げた

 

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 新型コロナウイルス感染防止策を徹底した会場には約200人が来場。コロナ禍の疲弊を癒やす温かい歌声にマスク越しの笑顔を輝かせた。甲子町の野田笑美子さん(69)は「懐かしい曲に、先輩方の頑張っている姿。感動で涙があふれた。来て良かった。機会があればまた聞いてみたい」と喜びを表した。

 

感動のステージに大きな拍手を送る観客

感動のステージに大きな拍手を送る観客

 

 同会は1991年に「甲子童謡を歌う会」として10人余りで発足。2002年には童謡以外の曲も歌っていきたいと「甲子歌う会」に改称した。甲子公民館まつりや市民合唱祭、県内各地持ち回りで開催される「いわて童謡唱歌のつどい」への出演を続けるほか、市内の高齢者、保育施設の行事にも協力する。20周年を迎えた11年は東日本大震災が発生。以降の10年はまちの復興に思いを寄せながら活動してきた。

 

 現在、会員は60代以上の女性で、最高齢は93歳。会発足当初からのメンバーは7人いる。現指揮者の山﨑さんは99年から指導を続ける。30年間歌い続ける畠山カツ子さん(75)は「最初は楽譜も読めなかったが、山﨑先生の指導でいろいろな表現も身に付いてきた。会のモットーは『みんな仲良く元気に』。互いに顔を合わせ、歌声を重ねることが元気の源」と話す。

 

観客に感謝の気持ちを伝える坂本慶子会長(中央)

観客に感謝の気持ちを伝える坂本慶子会長(中央)

 

 1年前から準備してきた記念コンサート。坂本会長(75)は「今日は30年の頂点。足を運んでくれた皆さんにも感謝したい。会員の意欲、まとまりが会を継続してこられた要因。会員は歌うことで日常生活も潤っている。これからも楽しんで活動し、次の40周年につなげたい」と誓った。

「かまいし絆宣言」パネルの寄贈を喜ぶ絆会議メンバーら

震災の教訓つなぐ「かまいし絆宣言」パネルに 地元水産会社が贈る

「かまいし絆宣言」パネルの寄贈を喜ぶ絆会議メンバーら

「かまいし絆宣言」パネルの寄贈を喜ぶ絆会議メンバーら

 

 「私たちは伝え続けます 大震災から学んだことを 未来のみんなの笑顔のために 光輝く 未来へと」。釜石市の14小中学校でつくる「かまいし絆会議」が、東日本大震災の教訓継承のため今年3月に策定した「かまいし絆宣言」がパネルになり、市教育委員会と各校に届けられた。子どもたちは、さまざまな思いを紡いだ宣言を大切にし、内外に発信する気持ちを高めている。

 

 パネルの製作、寄贈は両石町の泉澤水産(泉澤宏代表取締役)と岩手銀行(田口幸雄頭取)による取り組み。同社が発行した、いわぎん「みらい応援私募債」の手数料の一部を活用した。

 

パネルを贈った泉澤さんの思いに子どもたちは耳を傾けた

パネルを贈った泉澤さんの思いに子どもたちは耳を傾けた

 

 8月5日、大町の市民ホールで絆会議が開かれるのに合わせ、贈呈式が行われた。泉澤代表取締役は「多様性を受け入れて多くの絆を結び、より良いまちをつくるリーダーに育ってほしい」と激励。岩銀釜石支店の野々村渉支店長は「宣言にある事柄を着実に実行してほしい」と期待した。

 

 贈られたパネルは全部で16枚。各校に配置されるのは縦45センチ、横60センチのパネルで、受け取った佐々木健心君(釜石東中3年)は「宣言に込めた思いを未来につなぎ、たくさんの人に発信していきたい」と感謝した。縦1メートル、横2メートルのものは市教委で保管。子どもたちの思いを多くの人に見てもらおうと、同ホールにもパネル(縦520センチ、横730センチ)を掲げることにしている。

 

高校生や大人を交えた絆会議で、小中学生が地域についての思いや考えを伝えた

高校生や大人を交えた絆会議で、小中学生が地域についての思いや考えを伝えた

 

 贈呈式の後に行われた会議では、9月25日の「絆の日」にちなんだ取り組みを話し合った。協働まちづくり推進に向け市民で構成する「かまいし未来づくりプロジェクト」、スーパーサイエンスハイスクール(SSH、文科省指定)として地域課題研究を行う釜石高の生徒らを交え、▽規則正しい生活▽地域防災▽釜石の良さ―などをテーマにした意見交換会も行った。

岸壁の潮だまりで海の生き物探し=平田漁港

海辺の生き物に歓声!「こどもエコクラブ」平田の磯場で観察会

岸壁の潮だまりで海の生き物探し=平田漁港

岸壁の潮だまりで海の生き物探し=平田漁港

 

 子どもたちが身近な自然に親しむことで、環境意識高揚を図る釜石市の「こどもエコクラブ」は7日、本年度初の体験学習で、海辺の生物観察を楽しんだ。県の「特別採捕許可」を受け、ペットボトルのしかけで生き物を捕獲。個体観察を行った後、海に放した。子どもたちは小さな命の営みに感激し、自然環境を守る大切さを学んだ。

 

 市内の小学生ら25人が参加。平田漁港に近い磯場が観察場所となった。市内で漁業体験や海洋教育のコーディネートを行う任意団体「すなどり舎」の齋藤孝信代表(60)が講師を務め、2カ所で生物観察を行った。岸壁の突端にできた潮だまりでは、海草などに隠れたイソガニ、ヤドカリ、ハゼの幼魚を確認。小さなカニは手にとって観察した。

 

「何か動いた!」潮だまりに目を凝らす子どもら

「何か動いた!」潮だまりに目を凝らす子どもら

 

小さなカニがたくさん見つかったよ!!

小さなカニがたくさん見つかったよ!!

 

 続いて、大きな岩や石が転がる海岸線を移動し、杉ノ浜手前の観察ポイントに向かった。ここでは、子どもたちが手作りしたペットボトルのしかけにえさとなるサンマの切れ端を入れ、岩の陰などに沈めて、生き物が入るのを待った。この捕獲法は県の特別許可、釜石湾漁協の同意を得て実施した。

 

手作りのペットボトルのしかけを海に投入。 この日だけの体験

手作りのペットボトルのしかけを海に投入。この日だけの体験

 

 約20分後、しかけを引き上げると、中にはイワガ二、ヤドカリのほか〝思わぬ珍客〟クサフグの姿が。子どもたちは掛かった生物をじっくり観察。中には卵を抱えたカニもいて、目を輝かせながら見入った。イカの短冊を付けたひもを岩の陰などに垂らし、カニ釣りにも挑戦した。

 

「何か入っているかな?」ペットボトルの中をのぞき込む子ども

「何か入っているかな?」ペットボトルの中をのぞき込む子ども

 

捕れたカニやフグを手に笑顔満開!観察後は「元気でね」と海に放した

捕れたカニやフグを手に笑顔満開!観察後は「元気でね」と海に放した

 

 ペットボトルのしかけにフグが掛かった久保伶奈さん(双葉小5年)は「最初は生き物が入るとは思わなかったので、実際に入ってびっくり。釜石は自然がいっぱい。これからも触れ合っていきたい」と話した。

 

 宝田明香里さん(小佐野小4年)、弟の空大(たかひろ)君(同1年)は昨年、仙台市から移住し、初めての釜石の夏を満喫。空大君は「カニを8匹捕まえた。いろんな生き物がいる海が好き」とご満悦。明香里さんは「カニは小さかったが、爪が鋭かった。生き物を守るには、人間が海にごみなどを投げ込まないことが大切。自分も気を付けている」と海洋環境にも目を向けた。

 

 講師の齋藤さんは「震災の影響などで心理的に遠くなっている海を近づける、いい機会。親子で自然の生き物に触れ合う姿はもともとある風景。足元には、まだまだ楽しい遊びがあることを感じてもらえれば」と願った。

屋形遺跡で発掘体験を行った小学生ら。地道な作業を熱心に続けた

唐丹町大石・屋形遺跡で発掘調査体験 唐丹小児童 地域の歴史に興味津々

縄文土器のかけらなどを掘り当てた子どもたち

縄文土器のかけらなどを掘り当てた子どもたち

 

 釜石市唐丹町大石の国史跡「屋形遺跡」で5日、小学生を対象にした発掘調査体験が行われた。唐丹小(柏﨑裕之校長)の4、5年生13人が挑戦。土の中から土器のかけらを見つけると「あった!」と歓声を上げた。

 

 同遺跡は東日本大震災の復興事業に伴う発掘調査で出土。縄文時代中期末から後期初頭(4000~3800年前)を主体とする竪穴住居や貯蔵蔵の遺構とともに、三陸沿岸では数少ない希少な事例の貝塚が発見された。三陸沿岸のなりわいの実体を示す遺跡として重要であることなどが評価され、今年3月に国史跡の指定を受けた。

 

 市文化振興課が遺跡の大きさなどを確認する試掘調査を進めていて、子どもたちに郷土の歴史に親しんでもらおうと企画。体験用に設けられた発掘現場に入った子どもたちはスコップなどで少しずつ土を掘り、埋まっている“何か”が見えたら、丁寧に周りの土を取り除いていくという作業を繰り返した。最初に何かを見つけて「ドキドキする」と胸を高鳴らせていたが、結果は石で「残念」と肩を落とす子も。めげずに掘り進めると、表面に紋様のある土器や石器のかけらが次々と見つかった。

 

屋形遺跡で発掘体験を行った小学生ら。地道な作業を熱心に続けた

屋形遺跡で発掘体験を行った小学生ら。地道な作業を熱心に続けた

 

 同課の加藤幹樹主任(36)は「見つかったものは約2300~4800年前のもの。唐丹では古くから魚を捕って暮らしていた」と解説した。試掘調査を行っている現場も案内。途中にある畑や草地に目をやると、縄による模様付けをされた土器のかけらが転がっていて、「普通にかけらが落ちている。この遺跡のすごさが分かる」と強調した。

 

子どもたちは試掘調査の現場も見学して地域の歴史に関心を寄せた

子どもたちは試掘調査の現場も見学して地域の歴史に関心を寄せた

 

 児童らは竪穴住居跡なども見学し、縄文時代から海の恩恵を受けて暮らしていた集落の様子を想像。鈴木琳雅君(5年)は「(土器のかけらが)簡単に出てきてびっくり。自分の住んでいるところにすごいものがあると思った。いろんなことを知った。また発掘してみたい。夏休みの思い出にもなった」と満足げだった。

 

 試掘調査は8日まで実施。市では今後は一般見学の受け入れを目指した整備・活用方法を探る考えだ。

「潤さんも喜んでいると思う」。店頭に並んだ戦災記録誌を見つめる岩切久仁さん=釜石市大町・桑畑書店

釜石艦砲射撃76年 記憶語り継ぐ戦災記録集「かまいしの昭和20年」再版

亡夫の遺志を継ぎ、長女とともに戦災記録誌を再版した岩切久仁さん=釜石市大町・桑畑書店

亡夫の遺志を継ぎ、長女とともに戦災記録誌を再版した岩切久仁さん=釜石市大町・桑畑書店

 

 太平洋戦争末期、釜石市が米英軍による2度の艦砲射撃で甚大な被害を受けてから今年で76年を迎えた。8月8日、艦砲射撃による戦禍から逃れた故岩切潤さん(享年82)の体験談をつづった記録誌が市内の書店に並んだ。「伝えねばなんねんだ」。戦争体験者が減る中で、戦災の記憶を語り継ぐ大切さを口にしていた岩切さんの遺志を継ぎ、遺族が再版した。

 

 記録誌は、2015年に岩切さんが自費出版した「戦後70年に想う かまいしの昭和20年-艦砲射撃を生き延びて」。艦砲射撃や避難した防空壕(ごう)での様子、疎開先での暮らしぶりなど当時釜石国民学校(現釜石小)5年生だった岩切さんの実体験を、艦砲射撃を受けた市内の風景などの写真や被弾図など資料を交え書き記している。

 

再版された「かまいしの昭和20年-艦砲射撃を生き延びて」

再版された「かまいしの昭和20年-艦砲射撃を生き延びて」

 

 初版は800部発行し、全て市や図書館、戦没者慰霊祭の参列者らに寄贈した。岩切さんは同時期に市内の小中学校や老人クラブなどでの講演活動も開始。戦争体験者として記憶の継承に精力的に取り組もうとした矢先、17年9月に急逝した。生前、関心のある人たちが購入という形で記録誌を手にし、「地域の歴史や平和について考えてほしい」と望んでいたという。

 

 そういった遺志を、長女晃子さん(54)=東京都杉並区=と妻久仁(くに)さん(78)=釜石市小佐野町=が引き継ぎ、再版した。新たに850部を発行。約670部を市内の中学3年生に贈る。残りは市内の桑畑書店、盛岡市のさわや書店などで販売する。A4判36ページで、1部990円(税込み)。

 

「潤さんも喜んでいると思う」。店頭に並んだ戦災記録誌を見つめる岩切久仁さん=釜石市大町・桑畑書店

「潤さんも喜んでいると思う」。店頭に並んだ戦災記録誌を見つめる岩切久仁さん=釜石市大町・桑畑書店

 

 8日、桑畑書店を訪れ、店頭に本が並ぶ様子を見守った久仁さん。「家で多くは語らなかった。心の中で思っていたんだなと思う。70年たって語ろうとしたようだけど・・・」と本を見つめる。11年に東日本大震災を経験した岩切さんは、戦後復興の歩みに震災復興への思いを重ね合わせ、「戦災と震災は語り継がなければなんねんだ」と繰り返し言っていたという。久仁さんは「潤さん、喜んでいると思う。手に取って読んで、感じ、考えてもらえたら」と願う。

 

 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、釜石市は7月14日と8月9日の2度にわたって米英連合軍から艦砲射撃を受けた。市街地は焼け野原になり、市民ら780人以上が犠牲になるなど大きな被害を出した。