ミュージカル「人生はガタゴト列車に乗って」
人気作家故井上ひさしさんの母マスさん(1907-91、神奈川県出身)の激動の半生が、親子ゆかりの地釜石でミュージカルとしてよみがえった―。マスさんの自叙伝「人生はガタゴト列車に乗って」を釜石市民が舞台化。10月31日、同市大町の市民ホールTETTOで上演され、困難に立ち向かい、たくましく生きたマスさんの姿が多くの感動を呼んだ。
ミュージカル「人生はガタゴト列車に乗って」(同実行委主催)は、若くして夫を亡くした井上マスさんが3人の息子を育てるため、あらゆる仕事をしながら力強く生きる姿を描いた作品。戦後、たどり着いた釜石で飲食業で成功し、定住したマスさんが76歳の時に執筆した自叙伝(83年刊行)を基に3幕の舞台を作り上げた。
夫と死別後、薬店や美容室、土建業の経営などで家族の生活を支えてきたマスさん。夫の故郷山形県小松町から本県一関市、釜石市と移り住む中、戦禍や事業の失敗、愛する息子たちとの別れなど数々の辛苦を経験する。釜石市では、製鉄や漁業で栄えるまちの勢いを背景に焼き鳥屋台を繁盛させ、安住への足掛かりを得た。
三男修佑を預け、後ろ髪を引かれながら一関から釜石へ出発するマス(左)
マスは一関の知人から釜石の飲食店を任された
念願の焼き鳥屋台を開店。金を払わず帰ろうとする柄の悪い客にも正面から渡り合う
舞台の脚本は、井上ファミリーの記念館建設を目指す同市のNPO法人ガバチョ・プロジェクトの山﨑眞行理事長(70)=実行委会長=が書いた。音楽家の本領を発揮し、劇中歌も自ら作詞作曲。主題歌は釜石出身のシンガー・ソングライターあんべ光俊さんが手掛け、同出身の瓦田尚さんが指揮するオーケストラ(ムジカ・プロムナード、釜石市民吹奏楽団)が生演奏した。
キャストは子どもから大人まで22人。主人公マス役は、東日本大震災後の復興支援コンサートで釜石・大槌を訪れていた東京都のオペラ歌手菊地美奈さん(50)が務めた。釜石のまちのにぎわいを描いた場面には市内の歌やダンスのグループが出演し、舞台を盛り上げた。
港町釜石のにぎわいをマドロスの歌とダンスで
市内の愛好者が当時のダンスホールの活気を再現
マスさんの自伝は、プロによるテレビドラマや舞台化はあるが、地方で市民手作りのミュージカルとして上演されるのは初めて。2回の公演に計約750人が来場。マスさんの生き方や釜石人の力を結集した舞台を通じ、勇気や希望、明日への活力をもらった。
甲子町の田中勝江さん(77)は「マスさんは身近な存在。本も読んだ。釜石でこういう舞台が見られるなんて」と大感激。大渡町で生まれ育ち、マスさんが出していた屋台も記憶にあるといい、「飲みに行っていた父親を迎えに行った覚えもある」と懐かしんだ。
仙台市の白田正行さん(71)は高校まで釜石で暮らし、この日は同級生らと観劇。「釜石の良さを再認識し、古里に誇りを持てるような舞台だった。出演者の表情もすごく明るくて、みんなで力を合わせて作り上げているのを感じた」と絶賛。「いろいろな可能性がある舞台。今後どうなっていくか楽しみ」と期待を込めた。
主役の菊地さんは「マスさんはまさに肝っ玉母さんという感じで、何があっても前向きに頑張る女性。地元の皆さんに受け入れてもらい、このような大役を演じられた」と感謝。今回の舞台、市民との触れ合いを通して「人情の厚さを身に染みて感じた。東京の人たちにも釜石のことを自慢したい」と話した。
大学を休学して釜石に帰ってきた次男ひさしとマスの再会。「ひさしの歌」を振り付きで披露
次男ひさし(成年)役で演劇初挑戦となった柳谷雄介さん(52)は、合唱活動で培った美声を生かし独唱も披露。「家族の支えもあってここまでこられた。感無量」と胸を熱くし、「マスさんの物語を子どもを含め若い人たちに紹介できたことも良かった。釜石に根付く手作り舞台の文化を次世代に伝えていければ」と願った。
ミュージカル公演を発案し、市内外の賛同者の協力で成功させた山﨑実行委会長は「生き生きとした出演者。一緒に楽しんでくれる観客。人間のエネルギーの素晴らしさを見させてもらった。最高の日。私たちの思いに共感し、集まってくれた全ての人たちに感謝したい」と大きな喜びに浸った。
会場全体が大きな感動に包まれたフィナーレ
脚本を執筆、実行委会長を務めた山﨑眞行さん(中央)。左隣が主題歌を作ったあんべ光俊さん