① 各種のフルートで奏でるオーケストラは圧巻

震災から10年となる被災地に癒やしの音色と歌声を~「フルートフェスティバル」

①	各種のフルートで奏でるオーケストラは圧巻

各種のフルートで奏でるオーケストラは圧巻

 

 フルートと合唱による心の復興コンサート「フルートフェスティバル」が3月28日、釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。
 小佐野町のNPO法人ガバチョ・プロジェクト(山﨑眞行理事長)が主催。東日本大震災から10年となる被災地に癒やしの音色と歌声を届け、約250人の観客を魅了した。

 

 3部構成のステージ。1部は花巻、宮古、釜石のフルート奏者がアンサンブルを披露。ピッコロ、アルト、バスフルートも交え、クラシック、映画音楽などを聞かせた。
 釜石のメンバー18人はディズニー作品から3曲を四重奏で奏でた。

 

 2部は同フェス初参加の気仙沼のメンバーを加えた総勢約50人によるフルートオーケストラ。チャイコフスキー作曲のバレエ音楽「くるみ割り人形」より6曲を演奏し、フルートの心地良い響きで耳なじみの旋律をより強く印象付けた。
 この日は洗足学園音楽大客員教授の酒井秀明さん、講師の山田州子さんがゲスト出演。酒井さんはフルートソロ、山田さんはコントラバスフルートでオーケストラに参加した。

 

 3部は市内の合唱3団体から約50人が共演し、「花は咲く」「見上げてごらん夜の星を」など4曲を披露。震災後、各地で歌われ、被災者に希望をもたらしてきた楽曲を、フルートとコーラスの融合で聞かせた。

 

フィナーレの「ふるさと」の演奏では観客も歌を口ずさんだ

フィナーレの「ふるさと」の演奏では観客も歌を口ずさんだ

 

 高校2年の孫が出演した宮古市の根市知代子さん(70)は「コロナ禍でも対策を施し開催してくれてうれしい。感動の舞台を見せてもらった」、釜石市天神町の鈴木實さん(73)は「フルートだけの演奏がこんなにいいものとは。音色の良さにびっくりした」と余韻とともに会場を後にした。

 

 1978年に初演、震災後は沿岸被災地の心の復興に寄与している同フェスは、14回目を数える今回、「ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞」を受けており、会場で贈呈セレモニーも行われた。
 山﨑理事長はこの10年の音楽活動を通じ、「技術的なうまさや頭で考える音のきれいさではなく、胸の中に直接響く音楽こそが一番大事だと感じた」と話し、演奏者と観客が喜びや幸せを分かち合える音楽舞台にさらなる意欲を示した。

体験会でパス練習に挑む中学生=4日、市球技場

シーウェイブスアカデミー体験会開催~競技人口の底辺拡大やトップ選手輩出を目指し、4月17日開校へ

体験会でパス練習に挑む中学生=4日、市球技場

体験会でパス練習に挑む中学生=4日、市球技場

 

 ラグビーの地域型クラブチーム、釜石シーウェイブスRFC(SW)は、ジュニア部門強化に向けた指導体制として、本年度から中学生対象のSWアカデミーを開校する。
 小学生から活動する団員や中学から新たにラグビーを始めたいという生徒の練習・試合環境を整え、競技人口の底辺拡大や将来のトップ選手輩出につなげる取り組み。17日に開校し、週3回の練習や交流戦などを重ねながら、1年後の大会出場を目指す。

 

 釜石SWではこれまで、幼児から中学生が所属するSWジュニアが活動。小学生は単独チームで各種大会に出場してきたが、中学生は人数が少なく、チームを結成しての大会出場は難しい状況にあった。このため、中学生団員は試合や実践練習の場を求めて、内陸部で行われる県内合同の練習会に出向くことが多く、保護者の負担も大きかった。
 2019年のラグビーワールドカップ(W杯)釜石開催を機に、小学生団員はこの3年で1・5倍増の70人余りに拡大。アカデミー創設は、意欲ある子どもたちの成長を中学で途切れさせることなく、効果的なトレーニングで基本技術や体力の向上を図る狙いがある。

 

 開校に先立ち、3月14日と4月4日に、興味のある生徒向けに体験会を実施。4日は市内外から25人が参加し、パスやキックなど4つの練習メニューを体験した。

 

 小丸嘉斗君(釜石中3年)は小学5、6年時にSWジュニアで活動。中学ではテニス部に所属し、2年時からは校内に季節限定で設置される特設ラグビー部でも活動する。アカデミーで通年練習が可能になったことを喜び、「高校でもラグビーを続けたい。コロナ(の心配)もあるが、周りへの感謝を忘れず1年頑張りたい」と気を引き締めた。

 

アカデミーについて会見した坂下功正総監督、桜庭吉彦GM、鈴木亮大郎HC、細川進コーチ(右から)

アカデミーについて会見した坂下功正総監督、桜庭吉彦GM、鈴木亮大郎HC、細川進コーチ(右から)

 

 4日は体験会終了後、アカデミー開設に係る記者会見も開かれ、スタッフや今後の活動について説明があった。
 アカデミーのヘッドコーチには高校、U20日本代表を経験し、仙台育英高、関西学院大ラグビー部コーチを務めてきた鈴木亮大郎(りょうたろう)さん(31)=滝沢市出身=が就任。元釜石SW選手の細川進さん(42)ら10人のコーチ陣が指導にあたる予定。チームスローガン「Challenge(チャレンジ)」のもと、自ら考え行動できるプレーヤーを育成する。
 鈴木ヘッドコーチは「岩手から日本代表選手に育っていけるよう日々の練習をサポートしていく」、桜庭吉彦ゼネラルマネジャーは「ラグビーを通じた地域活性化にも貢献できれば」と意気込む。

 

 アカデミーの練習は月・水曜日が午後6時から、土曜日は午前10時から甲子町の市球技場で行う。入会は随時受け付ける。問い合わせは釜石SW事務局(電話0193・22・1173)へ。

新生活を楽しみにする上中島こども園の新入園児ら

新生活に期待膨らむ 市内教育・保育施設、小中学校 入園・入学式

 4月、新生活に胸躍る季節がやって来た。釜石市内のこども園など教育・保育施設では入園式が催され、保護者らが子どもの元気な成長を願いながら見守った。小中学校は8日までに入学式を実施。小学校は9校に212人、中学校は5校に196人が進み、新しい学校生活へ期待を膨らませた。

 

 いずれの式も新型コロナウイルスの感染予防に配慮し、出席者の人数を絞ったり、例年より時間を短縮するなどして行った。

 

元気に入園 上中島こども園

 

 市立上中島こども園(楢山知美園長、61人)の入園式は、3日に上中島町の同園で行われた。0~3歳児7人が保護者とともに参加。年長児(16人)が新しい仲間を歓迎した。

 

 感染予防の観点から来賓の姿はなく、職員の参加人数も限定し、式を簡素化。楢山園長は「園には楽しいことがたくさんある。元気に通ってほしい」とあいさつした。
新入園児は名前を呼ばれると、手を挙げて「はーい」と返事。年長児は手作りした歓迎のペンダントを全員にプレゼントした。

 

 小川町の小笠原達矢さん(31)、広子(こうこ)さん(31)は、長男悠天(はるま)ちゃん(3)を託した。ブロック遊びを楽しむ姿を見つめ、「初めての集団生活。友達を作って、いろんなことを吸収してほしい」と声を合わせた。

 

新生活を楽しみにする上中島こども園の新入園児ら

新生活を楽しみにする上中島こども園の新入園児ら

 

桜も祝福 笑顔の1年生 白山小

 

 白山小(熊谷直樹校長、児童34人)では、8日に嬉石町の同校体育館で入学式を挙行。満開の桜に祝福されながら、新1年生5人が保護者と手をつないで登校した。

 

 式で、熊谷校長は「みんなの入学を楽しみに待っていた。ランドセルに元気、夢、頑張りを詰め込んで、にこにこ笑顔で学校に来よう」と呼び掛けた。
1年生は少し緊張気味だったが、呼名では「はい!」と元気に返事し一礼。PTAの阿部克巳会長は、これから始まる学校生活が楽しく豊かなものになるよう期待を込め、祝辞を述べた。

 

 式の後、2、3年生11人が「白山小へようこそ」と歓迎のダンスを披露。児童会長(6年)は「分からないことは何でも教えます。安心して学校に来てください」と伝えた。

 

保護者と手をつないで初めて白山小に登校する新1年生

保護者と手をつないで初めて白山小に登校する新1年生

 

真新しい制服で第一歩 唐丹中

 

 唐丹中(八木稔和校長、生徒16人)の入学式は6日、唐丹町の同校体育館で行われた。新入生3人が真新しい制服で、在校生、保護者、教職員の出迎えを受けた。

 

 八木校長は「自分で判断し行動する力、失敗を恐れず挑戦する気持ちを大事にしてほしい」と式辞を述べた。
 新しい1年生は、同じ校舎に併設する唐丹小からの入学。PTAの日野英之副会長が祝辞、生徒会長の鈴木春花さん(3年)が「不撓(ふとう)不屈の精神でともに頑張っていこう」と歓迎した。

 新入生の香川彩夏さん、千葉香朋さん、中居林杏奈さんは決意を書き込んだ色紙を手にステージへ。「自分のやることに責任を持ち、やり切る」「部活や勉強に集中する」「目標を持ち続けたい」と意欲を示し、新生活への第一歩を踏み出した。

 

在校生全員のあたたかい歓迎を受けた唐丹中の新入生

在校生全員のあたたかい歓迎を受けた唐丹中の新入生

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

 

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

広報かまいし2021年4月15日号(No.1758)

ファイル形式: PDFファイル
データ容量: 4.71MB
ダウンロード


 

※本号では、新型コロナワクチンに関するお知らせを折り込んでおります。
高齢者のいる世帯では、内容を十分に確認し、ワクチン接種の検討をお願いします。
新型コロナワクチン接種について(折込)

 

【P1】
表紙

【P2-3】
令和3年度施政方針

【P4-5】
令和3年度予算

【P6-7】
屋形遺跡国史跡指定

【P8-11】
こどもはぐくみ通信
まちのおしらせ 他

【P12-13】
まちの話題

【P14-16】
保健案内板
保健だより 他

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2021040800021/
釜石市

釜石市

釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
足音(川向修一 2021年3月31日 記)

足音(川向修一 2021年3月31日 記)

足音(川向修一 2021年3月31日 記)

 

 「復興釜石新聞」は、東日本大震災で紙ベースの広報手段を失った釜石市の広報行政の一端を担う形で、緊急避難的にスタートした。震災から3カ月後の2011年6月11日に創刊。当初は市内の全世帯に約1万8千部を無料配布した。14年11月から有料化。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、去年の4月後半からは通常週2回の発行を1回に減らしながら何とかこの1年をつないできたが、本日付で最終号を迎えることになった。

 

 10年前、新聞の顔となる1面のコラムのタイトルを何にしようかと考えた時、スッと頭に浮かんだのが「足音」であった。「復興への足音」という意味を込め、瓦礫(がれき)に包まれた暗いまちに少しでも明るさが見える「窓」のような存在になればと願った。できるだけ被災者の方々に、震災直後の混乱の中での生の思いをつづっていただこうと思い描いた。編集者が毎回下手な文章をひねり出すより、被災地で暮らす人々に心の内を丹念に刻んでもらった方が、復興へと足を踏み出す地域の力になるだろうと考えた。

 

 1回目のコラムは岩切潤さん(釜石市芸術文化協会会長)にお願いした。「教訓は早めの行動」と題し、津波から間一髪で逃れ命拾いした経験を貴重な教訓として振り返ってもらった。その後、柏﨑龍太郎さん(釜石市社会教育委員)、中川淳さん(平田町内会元会長)が加わり、地域のご意見番として目指すべき復興のあり方を示唆。時には被災地の現状を憂う、厳しいエールと受け止めた。

 

 増田久士さん(釜石シーウェイブス事務局長)にはラグビーの現場から、その後釜石での開催が実現するラグビーワールドカップ(W杯)の機運醸成へ〝地ならし〞をしていただいた。柴田渥さん(松原町内会事務局長)は被災者の日常を女性の目線で的確に切り取り、佐々木道典さん(気象予報士)のコラムからは移ろう季節の匂いが感じられ、癒やされた。

 

 この10年、その時々の釜石の空気を日記のような形で残すことが弊紙の役割と考え、号を重ねてきた。紙面に刻まれた「何でもない日常」は、今後10年、20年を経た時に大きな意味をもつことになると願っている。

 

(かわむかい・しゅういち/釡石新聞編集長/釡石市住吉町)

「復興釜石新聞」からWeb 版「釜石新聞NewS」へ

「復興釜石新聞」からWeb 版「釜石新聞NewS」へ

「復興釜石新聞」からWeb 版「釜石新聞NewS」へ

 

「復興釜石新聞」は、最終号となる930号をもって廃刊とさせていただきます。東日本大震災から3カ月後の2011年6月11日に創刊して以来、9年10カ月の長きにわたり愛読していただき、本当にありがとうございました。4月からはWeb版釜石新聞「釜石新聞NewS」として、釜石まちづくり会社が運営する「かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす」内のコンテンツに移行されます。

 

釜石まちづくり会社よりお知らせ

 

NewSには一般的なnewsという意味のほかに、New Stage/New Step/New Style などの意味を込めています。復興釜石新聞の10年間をできる限りの形で引き継ぎ、新たな局面にあたっての新たな一歩を、新しい形で担って行きます。

 

まずはWeb限定の媒体として、さまざまな形を模索していくことになりますので、Web版釜石新聞「釜石新聞NewS」を温かく見守って頂けますようお願いいたします。

 

【今後について】

2021年4月15日までは、これまで通り釜石新聞社/電話 0193-55-4713 にお問い合せ下さい。
 
4月16日以降の問い合せやご連絡は、以下の方法にてお願いいたします。なお、取材・記事執筆につきましては、釜石新聞の記者2名がWeb版「釜石新聞NewS」で引き続き担当いたします。
 
<取材に関する情報提供など>
①電話番号(担当直通) 090-5233-1373
②FAX 番号 0193-27-8331
③ネットからのお問い合せ
かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす
釜石新聞へのお問い合わせフォーム
https://en-trance.jp/contact/       
④釜石市役所広聴広報課内のリリースBOX(「釜石新聞NewS」)への投函

 

<広告掲載について>
サイトおよび記事内への広告掲載につきましては現在新たに体制を整理中ですので、整い次第「かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす」内にて周知いたします。

唐丹町本郷 津波記念碑が震災遺構に〜国立民俗学博物館主導で補修

唐丹町本郷 津波記念碑が震災遺構に〜国立民俗学博物館主導で補修

津波記念碑を大震災遺構とする修復作業

津波記念碑を大震災遺構とする修復作業

 

 東日本大震災で損傷した釜石市唐丹町本郷地区の明治三陸大津波記念碑「海嘯遭難記念之碑」の保存事業は、16日に完了した。大津波の波力や漂流物の衝突で欠損、失われた碑文の一部をそのままに、残った板面を補強、接着し直す作業により、市内では珍しい石碑の「東日本大震災遺構」となり、後世に大災害を伝承する。

 

 この津波記念碑は1896(明治29)年6月15日に発生した三陸大津波の被災から三十三回忌に当たる1928(昭和3)年、地元住民の発案で建立された。一部はコンクリート基礎に埋め込まれた石碑の地上高は270センチ、幅160センチ、厚さ155センチのくさび形の自然石。上部に標板(横70センチ、縦35センチ)、碑文は縦1メートル、横75センチ。

 

 全文263文字の碑文は、大津波の発生(旧暦5月5日の端午の節句)、流失家屋300戸、犠牲者800人で、生存者20人の壊滅的な被害のほか、未来に伝え続けるよう強い思いを刻んだ。

 

 本来の建立地は南に約110メートルの地点だが、2008年に道路改良工事に伴い現在地に移転。1933(昭和8)年の三陸大津波、10年前の震災を伝える「伝えつなぐ大津波」と並ぶ。浮き彫りの銘板、刻字した碑文の基盤はアスファルト状の素材という珍しい形式だ。

 

 震災の津波で、碑文が欠損。残存部分は接着面の劣化で浮き上がり、多数の亀裂もあった。保存事業は、それらを修復し、半永久的に残す目的で行われた。全面的な「復元」ではなく、損傷したまま残す「震災遺構」とした。

 

 事業主体は「伝承碑修復事業実行委員会」で、本郷町内会の小池直太郎会長を会長に、市、唐丹地域会議(佐々木啓二議長)、釜石観光物産協会などで構成。公益財団法人東日本鉄道文化財団も参加し、事業費約100万円の半額を助成した。

 

 修復は国立民族学博物館(大阪府吹田市)の日高真吾教授(文化財保存科学専攻)が主導し、京都府の専門業者文化創造巧芸(和高智美代表)が参加。剥離、回収した断片を持ち帰り塩抜き。パーツを炭素繊維で固定し、本郷に持ち込んだ。16日まで3日間かけて元の位置に接着、前面の亀裂にパテを埋めて完了した。

 

 日高教授(49)は「記念碑には建立当時の人々の『伝え、残したい』という強い思いが込められており、感動した。三十三回忌まで建立の時間がかかったことに復興の苦難を感じる」と語った。小池会長(74)は「記念碑が震災の遺構となることは大事だ」と意義を強調した。

 

 同博物館では「復興を支える地域文化~3・11から10年」展を今月4日から5月18日まで開催中で、同記念碑の原寸大レプリカと、同博物館が復興を支援した釜石市の南部藩寿松院年行司支配太神楽、大槌町の大槌虎舞など6団体の衣装が展示されている。

片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンV」

ホテルに変身「室浜の宿」、片岸町室浜〜海と食を楽しむ、運営会社「癒しの場所に」

片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンV」

片岸町室浜地区で建築工事が進む宿泊施設「オーシャンV」

 

 釜石市片岸町室浜地区で新たな宿泊施設「オーシャンV」の建築工事が進んでいる。地域で親しまれた民宿「室浜の宿」が、景色と食を楽しむホテルに変身。医療センターや老人介護施設などを運営する医療法人中庸会(花巻市、似内裕理事長)の関連会社で、健康づくり事業を手掛ける創健舎(同、菊池寛一社長)が事業を展開し、「癒やしや英気を養う場に」と期待を込めている。

 

 高台にある室浜の宿は東日本大震災で津波の被害を免れ、近隣住民の炊き出し会場となった。鵜住居地区周辺の復興工事が始まると、作業員らが宿泊先として利用。復興を下支えする役割を果たしてきたが、2019年の台風19号で裏山の崖が崩れて建物が全壊、従業員にも負傷者が出た。

 

 震災時の経営者が営業譲渡を考えていることを耳にした同社が、12年に宿を取得し、運営を継続。台風による被災で営業を断念する考えもあったが、当時の管理者から「もう一度ここで」と再起を願う声があったことから、ホテルという新しい形での運営を決めた。

 

 ホテルは3階建て(延べ床面積419平方メートル)で、今年1月中旬に着工した。1階部分は鉄筋コンクリート造りになっていて、今後崖崩れが発生しても建物に被害が出ないように配慮。2、3階は木造で、木のぬくもりを感じてもらえるようにする。

 

 和洋の客室10室、食堂、男女別の湯などを整備。5月上旬のプレオープンを目指し、工事を進めている。数人の地元雇用を予定。建設費の一部に釜石市地域企業再建支援事業補助金を活用している。

 

 22日は似内理事長、菊池社長、施工会社のタクミホーム(八戸市)の木村昌義社長らが釜石市役所を訪問。建設の経緯などを聞いた野田武則市長は、地域資源の再生に期待感を示した=写真。

 

murohamanoyado_02

 

 宿から見える大槌湾の景色にほれ込んだ似内理事長。医師でもあり、患者らの療養地としての活用を視野に入れる。最近の道路整備状況を踏まえて内陸と沿岸をつないだ「医療ツーリズム」の展開も見据え、「釜石のおいしいものと合わせ、息抜きをする場所に。復興、海の大事さや怖さを感じる場にもなれば」と願う。

 

 木村社長もコロナ禍を受け、県内観光に注目。「三陸をイメージでき、復興のシンボルになる施設。マイクロツーリズムの拠点に」と先を見通す。

幻想的な光景に感嘆の声~釜石市指定文化財「上栗林のサクラ」恒例のライトアップ

幻想的な光景に感嘆の声~釜石市指定文化財「上栗林のサクラ」恒例のライトアップ

幻想的な光景に感嘆の声~釜石市指定文化財「上栗林のサクラ」恒例のライトアップ

 

 釜石市指定文化財(天然記念物)の巨木「上栗林のサクラ」は、開花時期恒例のライトアップが1日夜から始まった。市内最大とされる一本桜は今年もボリュームたっぷりの花を咲かせ、夜空に映える幻想的な光景に見物客から感嘆の声が上がっている。

 

 桜はエドヒガン種で、栗林町上栗林集会所に隣接する私有地に自生。地元では「種蒔(たねまき)桜」と呼ばれ、開花は農事の目安にされてきた。樹齢400年以上と推定され、2006年の市の調査では胸高幹周りが約4・9メートル。07年に市の文化財に指定されている。

 

 例年より10日ほど早い3月31日に開花。この時期にしては高い気温の日が続き、3日には一気に8分咲きまで進んだ。同日は点灯時刻を前に見物客が続々と集まり、その瞬間を待ちわびた。周囲に配置される2色の照明20基に明かりがともると、堂々とした枝ぶりが夕闇に浮かび上がった。周囲の暗さが増すと、桜も違った表情に。四方からスマートフォンを向け、美しい姿を写真に収めた。

 

幻想的な光景に感嘆の声~釜石市指定文化財「上栗林のサクラ」恒例のライトアップ

 

 定内町の高橋芳江さん(65)は「ライトアップした瞬間に花がピンク色に浮かび、感動でした。全体も見事だし、下から見る花もきれい」と大喜び。復興支援で入った夫和義さん(65)と震災後、釜石に移住。「1本の木でここまでとは。生きる力をもらった気がする」と興奮冷めやらぬ様子で語った。

 

 ライトアップは地元町内会の上栗林振興会(三浦栄太郎会長、30世帯)が2013年から開始し、今年で9年目。三浦会長(70)は「おかげさまで地域外の人にも存在を知ってもらえるようになった」と効果を実感。「これからは里山の時代。子どもたちにも地元の良さを感じてもらえるよう、環境整備を進めながら守っていきたい」と地域の宝継承に意を強くした。

 

ライトアップは11日(日)まで行われる予定で、点灯時間は午後6時半から午後9時半まで。鵜住居町の国道45号から県道釜石遠野線を橋野町方面に進んでいくと、右手に標識が見える。                                                   

しだれ桜のように枝を垂れる小川川沿いの桜並木

例年よりもひと足早く~釜石に桜シーズン到来

甲子川沿いの桜並木の下は格好の散歩コース=甲子町松倉

甲子川沿いの桜並木の下は格好の散歩コース=甲子町松倉

 

 3月の気温が平年に比べかなり高く推移した今年、釜石市内の桜の開花は下旬から一気に加速。最高気温が平年より8度も高い20・2度を記録した4月3日は、市街地を中心に各地の桜が満開を迎えた。桜の名所には家族連れや若者らが次々に訪れ、美しい花姿を愛(め)でる光景が見られた。

 

 小川町と桜木町に隣接する小川川下流域沿いの桜並木は、枝先が川面に垂れるしだれ桜のような風情が目を引く。3日午前には地元住民のほか、他地域から足を運んだ人たちが散策を楽しんだ。

 

しだれ桜のように枝を垂れる小川川沿いの桜並木

しだれ桜のように枝を垂れる小川川沿いの桜並木

 

 市内の工場で水産加工技術を学ぶベトナム人研修生の女性13人は、おしゃれな春の装いで並木をバックに記念撮影。「桜、すごくきれい。初めて見た時はびっくりした。撮った写真は母国の家族に送る」と、花に負けない〝満開〟の笑顔を輝かせた。

 

 愛犬と散歩中の小川町の70代女性は「今年の開花はだいぶ早い。今日は風も暖かく絶好の日和。春が来た感じで、うきうきする」と声を弾ませた。

 

 大渡町、橋詰広場に立つ一本桜は、橋上市場時代の名残を伝える遺産。東日本大震災による津波をかぶったが、10年たった今も力強く花開く。甲子川をはさんだ対岸には三陸鉄道の線路沿いに連なる桜並木も見ることができる。

 

津波に耐えた桜の前で笑顔も満開!=大渡町橋詰広場

津波に耐えた桜の前で笑顔も満開!=大渡町橋詰広場

 

 家族に連れられ訪れた大渡町の茂泉サダ子さん(99)は「きれいだねー。天気もいいし。見られて良かった」と満足げ。今年9月に迎える満100歳へ力をもらった様子で、広場を後にした。

 

 3年に一度の「大名行列」(天照御祖神社式年大祭)で知られる唐丹町本郷の桜並木は、3日時点で八分咲き。同日昼すぎには車で訪れる見物客がひっきりなしに続いた。道路の両側に立ち並ぶ桜は、1933(昭和8)年の三陸大津波からの復興などを願って植樹されたもの。今年は祭り行列の開催年にあたるが、新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、中止が決定している。

 

次回の〝大名行列〟が待ち遠しい唐丹町本郷の桜並木

次回の〝大名行列〟が待ち遠しい唐丹町本郷の桜並木

 

 両石町の復興住宅に暮らす塩谷昭子さん(81)は、東日本大震災後に入居した平田の仮設住宅から毎年足を運んでいたといい、「今年も元気で見られた。津波で全てを失ったが、命があって(桜を)見られるだけでもいいよね」と、ささやかな幸せをかみしめた。

 

 中心市街地を見下ろす大町の薬師公園の桜も見事に咲き誇り、4日から提灯に明かりをともす桜まつりが始まった。点灯は18日まで。

「釜石桜満開牡蠣」水煮缶詰販売開始〜煮汁も格別 食べ方自在に、水産振興組合 挑戦を形に

「釜石桜満開牡蠣」水煮缶詰販売開始〜煮汁も格別 食べ方自在に、水産振興組合 挑戦を形に

販売開始を前に関係者が市長に報告

販売開始を前に関係者が市長に報告

 

 釜石市片岸町の室浜海域で養殖される国内最大級の大粒牡蠣(かき)「釜石桜満開牡蠣」が、今シーズン新たに水煮缶詰として登場。12日から販売を開始した。同牡蠣の販路開拓を担ってきたかまいし水産振興企業組合(三塚浩之代表理事)が、コロナ禍の先を見据えた販売戦略として事業化。新商品を武器に、釜石ブランドの味を一層アピールする。

 

 一箱3缶入りを5400円(税込み)で販売。1缶には平均約4粒が入る。ネット通販のほか、首都圏を中心とした同牡蠣のサポーター飲食店、鮮魚店で購入可能。釜石市内では魚河岸テラス2階のレストラン「HAMAYUI」で販売される。

 

 缶詰で目指したのは、人気の蒸しガキの再現。無添加で、余計な味付けをしない素材本来のうまさにこだわった。パスタや炊き込みごはんなど食べ方は自由自在。煮汁も格別だという。常温で3年間の保存が可能で、季節を問わず旬の味を楽しめる。

 

うまみたっぷり!「桜満開牡蠣」水煮缶

うまみたっぷり!「桜満開牡蠣」水煮缶

 

 同牡蠣は春の抱卵前の栄養豊富で身が肥えたマガキを2010年に商品化。11年の東日本大震災で漁場は壊滅的な被害を受けたが、各方面の支援で釜石東部漁協の漁師佐々木健一さん(48)、佐々新一さん(54)がカキ養殖を復活させた。生産者、消費者、飲食店を結ぶ新たなネットワーク「里海プロジェクト」で全国にファンを増やしてきたが、16年の台風10号で再び被災。再再起を果たし、軌道に乗り掛けた矢先、今回のコロナ禍に見舞われた。

 

 今シーズンは水揚げ予定の1万5千個のうち、1万個を缶詰加工する。陸前高田市のタイム缶詰に製造を依頼した。これまでに200箱を出荷。最終的に約830箱の販売を見込む。

 

 三塚代表理事は「地元水産物をもっと価値あるものに変えたい。いろいろな挑戦のきっかけになれば」と話す。

センターを訪れた見学者に説明する藤原信孝さん(左)

「橋野鉄鉱山」見学受け入れ再開〜世界遺産登録から7年目、不運続きも「今年こそ」

シーズン入りし、観光客増に期待がかかる「橋野鉄鉱山」

シーズン入りし、観光客増に期待がかかる「橋野鉄鉱山」

 

 釜石市橋野町の「橋野鉄鉱山インフォメーションセンター」は、昨年12月9日からの冬期休館を終え、20日から開館。祝日と重なった初日は天候にも恵まれ、県内外から観光客が訪れた。2015年7月の世界遺産登録から7年目を迎える今シーズン。新型コロナウイルス感染症の影響はまだ続くが、各種予防対策を徹底しながら、見学者を受け入れる。

 

 同センターは積雪が増える冬期は休館。例年4月1日から開館するが、今年は雪解けが進んだことで、10日ほど早く開館した。高炉場跡は一部に雪が残るものの、見学には支障がない状態。20日は県内陸部のほか、愛知県東海市などから見学者が訪れた。

 

 福岡県北九州市の大学生藤井智寛さん(22)は、同市職員の父智靖さん(58)が復興支援で14年から1年間釜石市に派遣された際、初めて同所を見学。今春の大学卒業を控え、「もう一度見たい」と足を運んだ。「高1の夏に連れてきてもらった。それまで日本の製鉄の発祥は地元の八幡製鉄所だと思い込んでいたので衝撃だった」と振り返る。八幡製鉄所は橋野鉄鉱山同様、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。「距離は遠いが、父が仕事をさせてもらった縁もあり、自分の中で釜石は割と近い存在。空気感は北九州と似たところがある。機会があれば釜石に住みたい」と親しみを示した。

 

センターを訪れた見学者に説明する藤原信孝さん(左)

センターを訪れた見学者に説明する藤原信孝さん(左)

 

 同センタースタッフで釜石観光ガイド会員でもある藤原信孝さん(72)は「世界遺産登録以降、台風被害やコロナ禍など不運続きだが、今年こそは本来の良い環境で見学者を迎えられたら」と期待。三陸ジオパーク認定ガイドの資格も新たに取得しており、「歴史だけでなく、鉱石産出地、鉄ができる還元の仕組みなど自然科学的視点からも理解を深めてもらえるような話ができれば」と意欲を見せる。

 

 同センターは12月8日まで開館予定(午前9時半〜午後4時半)。期間中は無休で、入館料は無料。4月1日からは釜石観光ガイド会員1人がセンターに毎日常駐し、希望者へのガイドを行う(有料)。