葛藤乗り越え内陸移住、諸事情抱え 苦渋の決断〜釜石市から13世帯入居、盛岡・南青山アパートへ

葛藤乗り越え内陸移住、諸事情抱え 苦渋の決断〜釜石市から13世帯入居、盛岡・南青山アパートへ

震災から10年ー。釜石市で被災し、盛岡市の「南青山アパート」に入居した住民ら。支援員とともに

震災から10年ー。釜石市で被災し、盛岡市の「南青山アパート」に入居した住民ら。支援員とともに

 

 東日本大震災の被災者向けに建設された県内の災害公営住宅のうち、最後に完成した盛岡市の「県営南青山アパート」(4棟99戸)を19日、野田武則釜石市長が訪問。釜石市で被災した入居者と懇談した。盛岡、滝沢市など内陸部で避難生活を続け、震災から10年となる今年、新たな住まいを得た住民ら。懇談では、古里を離れる決断をしたそれぞれの事情を明かし、新天地での生活に希望を託した。

 

 同アパートは昨年12月に完成。2月11日から入居を開始した。釜石市によると、同市で被災し入居するのは13世帯25人。11世帯が既に入居し、2世帯は3月末の入居を予定する(19日現在)。19日の懇談は、同市が住民交流会として企画。敷地内にある集会所「森のテラス」に入居済みの5世帯7人が集まった。

 

 盛岡への居住を決めた理由として挙がったのは、医療や交通、後継者の問題。「家族が病気を抱え、近くに設備の整った医療機関が必要」「いざという時、すぐに子どもたちと行き来できる交通の利便性」「子どもたちが独立し、釜石に自宅を再建しても継ぐ者がいない」。当初、釜石に戻ることを考えていた人たちも、年月を重ねる中でさまざまな事情が生じ、将来を見据えての選択となったという。震災時、迫る津波を目の当たりにした女性は「川の流音や電車の音にも恐怖を感じてきた。やっぱり海の近くには住めない…」。

 

交流会では野田市長が釜石出身の住民らの思いを聞いた

交流会では野田市長が釜石出身の住民らの思いを聞いた

 

 それでも古里釜石への思いは強い。「向こうに行くと深呼吸した時に潮の匂いを感じる。やっぱり、いいなぁって思う」「釜石に足を運ぶと必ず何か買って帰る。『釜石頑張れ』という気持ちだけはずっと変わらない」

 

 内陸に来てから世話になった人たちへの感謝も口にし、「いつまでも甘えてはいけない。これから自分たちで前向きに頑張っていく」と話す人も。心の復興はまだまだ続くが、安住の地で各自の人生を生き抜くことを誓った。

 

 住民らの話に耳を傾けた野田市長は「この地を選んだのは一つ意味のある選択。健康に末永く暮らしてほしい。今後も皆さんの要望に応えられるよう努力していく」と寄り添った。

 

 片岸町室浜の自宅を津波で失った佐々順子さん(74)は、持病があった母リワさん(当時93)のため、震災直後、夫正弘さん(73)の出身地盛岡市に避難した。残念ながらリワさんは震災の翌年5月に他界。同年、順子さんも大きな手術を経験したことから、独立して盛岡にいる息子家族とも相談し、盛岡に残ることを決めた。

 

 あれから10年―。「箱ものはちゃんとできて生活はしていくが、誰しもが心の中に傷を持つ。帰りたくても帰れない。みんな同じ気持ちだろう…」。生まれ育った釜石のことは人生が終わるまで決して忘れることはない。「みんなで声を掛け合ってやっていこう。ゆっくりと一歩一歩かな」

 

 正弘さんは「ここに住むにもいろいろ葛藤があった。本当の生活はこれから」。夫婦二人三脚で今後の人生を歩む。

感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

活動終了の釜援隊に感謝状〜官民協働、復興まちづくりへの貢献たたえる

感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

 

 釜石市は18日、本年度末で活動を終える釜石リージョナルコーディネーター(復興支援員、通称・釜援隊)の感謝状贈呈式を市役所で開き、官民協働による地域の課題解決、復興まちづくりへの貢献をたたえた。

 

 釜援隊は総務省の復興支援員制度を活用し2013年に導入。8年間に商社や国際機関、マスコミなどで勤務経験のある29人を受け入れた。本年度まで活動を継続したのは11人。市と住民や企業、NPOなどとの調整役としてまちづくりを支えてきた。

 

 贈呈式には隊員9人が出席。野田武則市長が感謝状、復興支援などへの感謝を伝える市の「サンキューカード」をそれぞれに手渡した。

 

 由木加奈子さん(活動期間約3年)、遠藤眞世さん(同6年)は復興住宅自治会設立など地域連携支援に取り組み、多様な人との出会いや協力で「自分にできる復興支援を実現できた」と振り返った。

 

 Uターン者の若林正義さん(同5年)、常陸奈緒子さん(同8年)は食ブランド開発、高校生の地域活動参画などを支援。古里の未来づくりに役立つ活動に充実感をにじませた。

 

 まちが復興する歩みに関わることで人生観を変化させた人も多い。今回活動を終える11人はみな、釜石に残り地域を見守る決断をした。

 

 震災伝承をテーマに活動した藤沢康雄さん(同3年)、漁業振興に携わった佐藤啓太さん(同4年)、漁業の担い手育成支援などを進めた斎藤孝信さん(同5年)、林業の人材育成支援などを手掛けた手塚さや香さん(同7年)は関連する活動を継続。「交流人口をつくる取り組みを推進したい」「地域を活性化させたい」と思いを新たにする。

 

 隊長としてマネジメントに力を注いだ二宮雄岳さん(同7年)は「持続的なまちづくりを進める人づくりを地域の皆さんと頑張っていきたい」と意欲を高めた。

 

 野田市長は「復興に果たした役割は大きい。それぞれの思いをつないでほしい」と今後の展開に期待した。
 久保竜太さん(同6年)、花坂康志さん(同5年)には後日、感謝状が贈られた。

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

芳野寛選手
1990.11.16生/177cm/100kg/兵庫県出身/天理⼤学卒/日本製鉄(株)東日本製鉄所所属
釜石シーウェイブスRFC公式サイトプロフィールページ

 

インタビュー日:2021年3月5日(オンライン取材)
企画・編集:釜石まちづくり株式会社
取材・文:市川 香織(釜石まちづくり株式会社)
写真:西条 佳泰(株式会社Grafica)

 

人生における全ての事がラグビーのおかげだと思います

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

2020.9.26 秋田ノーザンブレッツ戦@釜石鵜住居復興スタジアム

 

ーー今シーズン新加入されました。SWとはどのようなご縁で?

 

芳野選手:

エージェントにチームを探していただいたのと、今シーズンからスキルコーチになった星野さんとは、前のチーム(リコーブラックラムズ)でチームメイトだったんですが、星野さんからもプッシュいただきました。釜石に来られたのは、チームに星野さんがいるのが大きかったです。

 

ーー釜石にいらっしゃるのは初めてですか?それと、過去にSWと対戦したことはありましたか?

 

芳野選手:

そうですね、釜石に来るのは初めてで、SWとはこれまで試合したことはなかったですね。

 

ーー釜石の印象は?

 

芳野選手:

僕、高校時代、実家から離れて島根県で寮生活を経験していて、釜石に来る前に「田舎だよ」というのは聞いて来たんですけど、でも高校時代に住んでいた所よりは田舎じゃないなって感じでしたね。

 

ーー釜石にいらしたのは昨年の7月でチームの活動も再開されている時でしたが、緊急事態宣言が出ている時は、東京にいらしたんですね。どのような生活をされていましたか?

 

芳野選手:

リコーのチーム練習も3月末まででしたから、そのあとは自主練だけでした。出来る事も筋トレとかランニングとかに限られていたので、ラグビーからは離れているなというのはありましたね。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

2020.11.1 ヤクルトレビンズ戦@釜石鵜住居復興スタジアム

 

ーーこの期間を経て、ラグビーに対しての考え方など、変化した事はありますか?

 

芳野選手:

そうですね、前のチームから退団することは決まっていたので、今後ラグビー出来るんかな?という不安の方が大きかったです。次のチームが決まっていない状態で、ずっと一人で自主練していたので。
目標は見失ってはいなかったですけど、ほんまに「大丈夫なんかなぁ」と、ちょいちょい不安ではありましたね。

 

ーーラグビーは何歳の頃からどんなきっかけで始めたんですか?

 

芳野選手:

僕は小学校1年生の時から始めました。家の前でやっているラグビースクールがあって、日曜日だけだったんですけど入れられて・・・という感じでした。

 

ーーそこから、中学校、高校、大学、社会人と続けて来られて、「やっぱりラグビーだな」という“芯”の部分にあるのはどういうものでしょうか?

 

芳野選手:

自分自身、ラグビーが無かったらここまで来ていなかったというか、高校と大学の進学もそうですし、社会人も大手に入る事が出来ましたし、ラグビーが無かったら人間として育たなかったんかなと、人生における全ての事がラグビーのおかげだと思います。

 

ーーラグビーから教わった事が大きかったという事でしょうか。

 

芳野選手:

そうですね、ラグビーを通してというか、寮生活もそうですし、何においてもラグビーしかなかったという感じですね。その他の事は、中途半端に辞めたりとかが多かったので、唯一続けられたのがラグビーでした。

 

ーーそういうご縁だったんですね。

 

芳野選手:

ですかね。まぁ、家の前でスクールをやってたのがラグビーを始めたきっかけなので、そうかもしれないですね。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

2020.10.10 クボタスピアーズ戦@釜石鵜住居復興スタジアム

 

ーー天理大学でのキャプテン経験はいかがでしたでしょうか?チームメイトの皆さんとは繋がっていらっしゃるんですか?

 

芳野選手:

特別それで何かというより、色々といい経験をさせてもらったなという感じですね。
高校も大学も、仲のいいメンバーとは今も繋がっています。

 

ーーラグビーのコミュニティってどんどん繋がって行くというイメージがあります。

 

芳野選手:

そうですね、友達のまた友達っていう感じに広がって行きますね。

 

ーーそれと、ラグビーをやっていた皆さんってあっという間に意気投合しますよね。

 

芳野選手:

まだマイナーと言えばマイナーなスポーツで、野球とかサッカーと違って“ちょっとかじってた”くらいの感じでもラグビーをやっていた人に会える確率ってそんなに高いわけじゃないので、経験者に会うとそこからすんなり入って行けるのかなという感じですかね。

 

それぞれが釜石の色に染まろうと頑張っています

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

2020.9.26 秋田ノーザンブレッツ戦@釜石鵜住居復興スタジアム

 

ーージャパンラグビートップチャレンジリーグの開幕は、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて延期になりましたが、代替フォーマットで2月13日から開幕。初戦の栗田工業戦で勝利。先日の清水建設戦は惜敗でした。ここまでの2試合を振り返って。

 

芳野選手:

特に清水戦は、やっぱり一つのミスの重要さというか、ミス一つでコロっと曲面が変わって点を取られる時があったので、一つ一つのプレーの重要性が身に沁みました。

 

ーー前半終了後、ロッカールームに帰って、後半へ向けてはどのような会話がありましたか?

 

芳野選手:

前半は自分たちで自分の首を絞めている感じだったので、後半は、無理せずに一つ一つ正確に確実にプレーして行こうと話しました。行けるところではしっかり点を取りに行って、あとはとにかくペナルティ、ミスを減らして行こうという感じでした。

 

ーーミスした事によっての精神的な面への影響が大きかったでしょうか?

 

芳野選手:

良い感じで攻め込んでいた所でミスをして、自分たちがトライを取れそうという所から、逆に相手にポンっとトライを取られてしまったので、ちょっとメンタルに響いたというか・・・取れる気でおったのが、相手に取られて。そこはでも、「一回切り替えよう!」という話をすぐにしていました。

 

ーーFWのプレーの連携はどうですか?

 

芳野選手:

外国人選手や新加入も多いですけど、それぞれが釜石の色に染まろうと頑張っていますし、須田FWコーチの下、目指す形へ向けて一つになって行っているなと思います。

 

ーー今シーズン、セットプレーも「強いな!」と見ています。

 

芳野選手:

ラインアウトの成功率も高いと思いますし、スクラムもシーズン前にトップリーグ(TL)のチームと組み合って“自分たちもやれる”と手ごたえを掴んでシーズンに入れましたし、セットプレーは自信を持ってやっています。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

2020.9.26 秋田ノーザンブレッツ戦@釜石鵜住居復興スタジアム

 

ーーFWは若い選手が多いですが、芳野選手からみて、若い世代の選手はどう映っていますか?

 

芳野選手:

若いけど言った事をきちんと吸収してくれますね。それから、疑問に思っていることも僕に聞いて来てくれますし、そこはとても助かってますね。

 

ーーそれはすごいですね、自分からちゃんと聞いて来てくれるんですね。

 

芳野選手:

そうですね、そこが無いと、やっぱり成長出来ないというか。ちゃんと聞いて来てくれる、言った事に対してもまた応えてくれようとしてくれますし、そこはFWとして一つになって行く上で、本当に助かっています。

 

ーー教えを乞う時に、まずは自分の何が問題点なのかを把握しないと、聞くにしても何を聞けばいいのか分からない時もあるかなと思うんですが、若い選手たちはまずは自分を内省する事が出来ているんでしょうね。

 

芳野選手:

そういう部分ももちろんありますし、あと、言い方がちょっときつくなるかもしれないんですが、まだ経験が無い時は、ひとまず“経験を持っている人に聞こう”という姿勢で良いと思うんですよ。「一旦、聞いてみよう」という姿勢で来てもらえるので、僕も説明しやすいですし。
 
そこは、このチームの良いとこかなって思います。特にFWに関しては。色んなことをいっぱい聞いて来てくれるというのが一番でかいですね。話をしてコミュニケーションを取れるというのが。

 

釜石シーウェイブスRFC選手紹介2020-2021シーズンインタビュー 第7弾『芳野寛選手』

2020.11.8 秋田ノーザンブレッツRFC@あきぎんスタジアム

 

ーー経験豊富な芳野選手の存在が大きいなと見ていました。個人的にコンディションはいかがですか?

 

芳野選手:

今年は怪我も全然ないですし、調子は良いです。
 

ーーコロナ禍でスケジュールに余裕があったというか、身体を休められたという事はありますか?

 

芳野選手:

休められたかもしれないですけど、休みすぎな感じもありました。やっとシーズン始まる!とエンジンつけたら、ちょっと延びることになってまたエンジン切らなあかん・・・ってなり、何て言うかメンタル面がちょっと。
で、始まったら始まったで「また終わるんちゃうか・・・?」とか思ったり、そこら辺がちょっと複雑でした。

 

ーー最後に、読者の皆さんへ、今シーズンの抱負を含め、メッセージをお願いします。

 

芳野選手:

今はまず目の前の一戦一戦を大事にして、SWの強みであるFWのプレーで圧倒して行きたいと思います。
強い相手にも、モールでトライを取ってスクラムでも圧倒してFWから良い流れを作りたいなと思っています。

 
 

チーム活動情報、リーグ戦日程等の最新情報は、釜石シーウェイブスRFC公式サイトをご覧ください。
https://www.kamaishi-seawaves.com/

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

 

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年3月1日号(No.1757)

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【P1】
土地区画整理事業による公園の利用開始
【P2-3】
新型コロナワクチン接種のお知らせ
キャッシュレス決済ポイント還元事業 他
【P4-5】
第六次釜石市総合計画を策定しました
【P6-7】
市の組織機構見直し
市職員の給与状況などのお知らせ
【P8-9】
固定資産税のあらまし
【P10-11】
まちのお知らせ
【P12】
福祉タクシー助成券交付のお知らせ
ふくしトピック 他

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
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元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2021032500014/
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