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仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

鵜住居町仲町内会、住民離散もつながりは絶えず〜結んだ絆 継続誓う、震災7年 犠牲者悼む

仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

仲町内会の津波犠牲者を思い、鎮魂の祈りをささげる町内会員ら

 

 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた釜石市鵜住居町の仲町内会(岩鼻新一郎会長)は18日、震災から7年となるのを機に、町内の犠牲者を悼む法要を常楽寺(藤原育夫住職)で開いた。町中心部に位置し、防災センターへの避難などで多くの住民が犠牲になった同町内会。家族や親族、住居を失い、離れ離れに暮らす会員らは、地元の同朋を共に供養。法要後の親睦会で、長年育んだ絆を今後も結び続けることを誓い合った。

 

 法要には市内外から約50人が参列した。海に向かって黙とうをささげた後、藤原住職らが読経。途中、犠牲者一人ひとりの名前が読み上げられると、故人への思いを募らせ、すすり泣く声が漏れた。参列者は焼香して手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。

 

 滝沢市に住む女性(59)は24年間一緒に暮らした夫の両親が犠牲に。「転勤で震災の4年前に鵜住居を離れた。心残りだったが『まだ若いから大丈夫』と言われて…。今となっては複雑な気持ち」と癒えぬ悲しみを吐露。自身も幼いころから同町に暮らした。「祭りに出たり、協力し合っていた町内会が懐かしい」と高台からまちを見渡した。栗林町の仮設住宅に住み、長女と妹夫婦が犠牲になった女性(78)は「娘と妹がいまだ行方不明。ゆうべは妹夫婦が夢に出てきてね…。法要では名前も呼んでもらい、ありがたかった」と感謝した。

 

仲町内会の今後についても話し合った親睦会

仲町内会の今後についても話し合った親睦会

 

 同町内会はJR鵜住居駅周辺の古くからの商業エリアにあり、震災前は約120世帯が暮らした。確認できているだけで津波の犠牲者は102人。2、3世代家族や親族が同じ地域に住む人も多かったことから、複数の近親者を亡くした遺族が目立つ。

 

 ほとんどの家屋が流失し、町内会員は各地に散らばった。当時の会長や役員は津波で亡くなり、町内会は休止状態にあったが、会計監査だった福士義一さん(85)の提案で、賛同会員の協力を得て法要の準備を進めてきた。所在が分からない会員の連絡先を突き止める作業は大変な苦労を伴った。

 

 自らも妻と孫娘を亡くした岩鼻会長(82)は遺族の7年の重みを共有し、「町内会としてようやく供養ができた。胸につかえていたものが少し和らいだ」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 

 土地区画整理で宅地造成された同町は今後、新たな区割りが導入される。駅周辺には追悼施設や体育館が整備されるため、震災前の仲町エリアは大きく姿を変える。岩鼻会長らは「町内会機能を失っても、住民のつながりは絶えない。親睦会など何らかの形で交流を続け、互いの生活を支え合っていきたい。孤独死など決してないように」と願った。

 

(復興釜石新聞 2018年3月21日発行 第674号より)

 

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6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

ファーディーさん“里帰り” 6年半ぶりに釜石へ〜ラグビーW杯を復興の弾みに、「いつも応援している」とメッセージ

6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

6年半ぶりに釜石を訪れ、小佐野小児童らと交流したスコット・ファーディーさん(中央)

 

 釜石シーウェイブス(SW)RFCに2011年秋まで所属し、東日本大震災時には被災者支援に奮闘、2015年ラグビーワールドカップ(W杯)で豪州代表として準優勝に貢献したスコット・ファーディーさん(33)が12日、6年半ぶりに釜石へ“里帰り”。小佐野小の児童らとタグラグビーを楽しみ、励ました。情報交流センター釜石PITで開かれた市民との交流会にも出席。「釜石はきっと良くなる。いつも応援している」とエールを送った。会場からは「釜石に戻ってきて」と復帰を願う声も上がった。 

 

 ファーディーさんは09年から釜石SWのFWとして活躍。震災直後には母国の大使館から避難を促されたが、釜石に半年間残り、支援物資を被災者まで運ぶなどボランティア活動に汗を流した。今回の釜石訪問は、復興が進む様子を見てもらい、感謝を伝えようと市が企画し実現した。

 

 小佐野小では釜石SWの選手らとともに、6年生約60人とタグラグビーを楽しんだ。トレードマークのあごひげから優しいまなざしをのぞかせ、子どもたちにやわらかくパスを送ると、「ファーディー!ファーディー!」と大きな歓声が上がった。

 

 SWジュニアで活動する6年の及川勝太君は「ファーディーさんはとても大きくて、びっくり。パスワークも速く、遊ばれてしまいました」と、憧れの選手とのプレーを喜んだ。

 

 震災をはさんで2年半余りにわたり釜石で選手生活を送ったファーディーさんは「釜石の人々は優しい、すてきなまち。来年のW杯はきっと素晴らしいものになる」と期待。交流した児童らには「幼いころからラグビーに触れるのは良いこと。男の子も女の子も楽しめるようになれば」とエールを送った。

 

 久しぶりに目にした釜石の街並み。「大変な状況の中でも他人を気遣い、協力する姿が忘れられない」と震災直後を振り返り、「ずいぶん復興したようだが、生活再建は長い道のり。いつも応援している」と思いを寄せた。

 

「釜石で忍耐力を学んだ」市民と交流、思いを語る

 

「おかえりなさい」と大勢の市民の歓待を受けたファーディーさん

「おかえりなさい」と大勢の市民の歓待を受けたファーディーさん

 

 ファーディーさんは12日午後、建設が進む「釜石鵜住居復興スタジアム」(仮称)などを見学。釜石市球技場で釜石高、釜石商工高ラグビー部を指導したあと、「おかえりファーディー!」と題した釜石PITでの市民交流会に臨んだ。

 

 震災から、ちょうど7年。ファーディーさんは市民ら100人を前に、母国から避難を促された当時の心境を「食べ物も物資も足りない状況の中で、残って周りの人たちのためにできることをしようと決断した。チームメートとの絆もあった」と振り返った。

 

 6年半ぶりに訪れた“第二の故郷”。「まだ仮設住宅で暮らしている人も多いが、これから街はどんどん良くなっていくと信じている。来年のW杯はそのきっかけになる」と期待を寄せた。

 

 後ろ髪を引かれる思いで釜石を離れたのは、子どものころから夢だったというW杯出場への熱い思いがあったから。15年のW杯では念願の母国代表に選ばれ、準優勝に貢献する働きを見せた。

 

 「釜石では他人を思いやり、協力すること、何よりも忍耐力を学んだ。釜石での経験が母国代表のテストマッチでも生かされた」と感謝の思いも口にした。

 

 会場の市民からは「釜石に戻ってプレーできないか」と“ラブコール”も上がったが、「それはチームにお願いしてほしい」とユーモアを交えて応える場面も。「来年のW杯では釜石まで家族を連れて観戦したい」と話した。

 

(復興釜石新聞 2018年3月17日発行 第673号より)

 

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「釜石市制80年のあゆみ」映像を公開します

「釜石市制80年のあゆみ」映像を公開します

当市が歩んできた歴史や震災復興の状況などを広く周知するため、釜石市制施行80周年記念式典で上映した「釜石市制80年のあゆみ」映像を公開します。

 

釜石市制施行80周年 – YouTube

 

公開方法

インターネットの動画共有サービス「YouTube」を利用し、映像を配信します。

映像についての注意(免責)事項

ご覧になる際は下記の注意(免責)事項をご確認ください。
 
・この映像には、東日本大震災の地震・津波の画像等が含まれていますので、ご視聴にあたって気分が悪くなる等、強いストレスを感じることがありますので、ご留意ください。
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映像配信はこちら
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【インタビュー】復興カメラ 岩手 釜石・大槌~東日本大震災 復興の記録 写真展

《インタビュー》復興カメラ 岩手 釜石・大槌~東日本大震災 復興の記録 写真展

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災津波から7年の月日が経ちました。深く大きな傷を負った地域の風景は、再び笑顔が集う街の姿を目指し、日々変わり続けています。

 

未曾有の災害により甚大な被害を受けた故郷の姿を、写真や映像に撮り続けている活動があります。その名は「復興カメラ」。釜石市のNPO団体 @リアスNPOサポートセンターのスタッフが撮影を行っています。

 

その中の一人、事務局長の川原康信さんに、これまでの活動と3月13日から釜石市民ホールのギャラリーで開催されている写真展についてお聞きして来ました

 

被災地の今を記録に残すこと

 

ーー地元での写真展の開催はこれまでありましたでしょうか?

 

川原さん:

お隣の大槌町では数回開催していましたが、実は、「写真展」という形態での開催は、釜石ではほぼ初めてになります。

 

ーー活動のきっかけは…?

 

川原さん:

2011年の7月、神戸へ行くご縁を頂いた際、【人と防災未来センター】を見学させて頂きました。その時、案内してくれた神戸の皆さんが“記録を残すこと”の重要性について話してくれました。「今、この時の写真は今しか撮れない」。当たり前のことですが、過去にさかのぼって撮る事は出来ないわけです。

 

釜石へ戻り、「自分たちに出来る事は何か?」と話し、「記録の為に写真を撮影しよう」という事になりました。

 

始めたばかりの頃は、「どこをどんな風に撮影すれば良いのか?」という基本的な事を悩みながらのスタートで、意見を出し合いながら試行錯誤して来ました。そして何より、自分たちの故郷の瓦礫だらけの風景を撮影する事に心が痛み、苦しい思いをしました。色々な意味で難しい作業でした。

 

活動の広がり~全国各地での「写真展」開催~

 

復興カメラ写真展

Photo by @リアスNPOサポートセンター

 

ーー撮影した写真の活用についてはどのように考えていらっしゃったのでしょうか?

 

川原さん:

そうですね、目的は「記録」でしたから、“撮影した写真を活用して何かをする”という事を初めから考えていたわけではありませんでした。ただ、ホームページやFacebookに写真を掲載し始めたのは、外部へ向けて発信する為で、「ここから支援の輪が広がる事に繋がってくれたら」という想いからでした。そこから次第に“風化”の声が聞こえ始めると、少しでも現状をお伝えすることが出来ればと、時間の経過と共に想いや写真の活用も変化していきました。

 

ーー写真展の開催についてはどうだったのでしょう。

 

川原さん:

一番最初は外部の方にお声掛け頂いて開催したのですが、その時に「写真展」という形を取り“復興カメラ”の活動を観て頂く、知って頂くことが選択肢としてあるのだなと認識しました。

 

これまで全国各地で開催させて頂きましたが、特に、東京、神戸、大阪の皆さんにはたくさんお呼び頂きました。これまでのトータルでも、自分達の主催で実施した写真展の方が回数は少ないですね。

 

ーー各地で写真展を開催していて感じた事、記憶に残っているエピソードなどあれば…。

 

川原さん:

地域によって本当に様々です。例えば、写真の見方一つをとってもそうです。神戸の皆さんは、一枚一枚の写真を特に丁寧に見て下さいました。

 

また、東京では歩いている人の目に入るように外へ向けて写真を展示した所、一度通り過ぎた方が戻って来て、「私、岩手の出身です」と話しかけてくれたこともありました。

 

釜石市民ホールでの写真展の様子

釜石市民ホールでの写真展の様子

 

それから、先ほどお話しした大槌町での開催は、お盆時期にショッピングセンターの一角での展示でした。その時の反応も本当に様々でした。写真展の内容に気づき、目をそらしながら足早に通り過ぎる方、写真を見ながら帰省した孫や子供に説明するおじいさん、おばあさん。写真の前で泣きながら話をしている方を見た時には、「ここで開催して良かったのだろうか…」と自問し、色々と悩んだ事もありました。

 

ーー地域によって様々というお話しでしたが、展示する写真の内容もそれぞれの場所によって違うのでしょうか?

 

川原さん:

そうですね、毎回同じ内容で展示しているわけではありません。「どこで、誰に向けて、どう見てもらうのか」という事を大切にしています。この想いは主催して下さる方々にも丁寧に説明し、同じ想いを共有して頂きながら行っています。時には、残念ながらその想いを理解してもらえずにすれ違ってしまう場合もありますが…。

 

今回は釜石市民ホールから声を掛けて頂き開催が決まりましたが、地元での開催は少し慎重になっていましたので、すぐにはお返事出来ませんでした。ただ、市民ホールの中なら、写真展が目的ではない不特定多数の方々の目に不意に入ってしまうという事もある程度は避けられるだろうと考えました。さらに、目の前が歩道のロケーションですので、外へ向けて展示する写真は、未来へ繋がるような“希望”を感じて頂けるような写真にしました。

 

釜石市民ホールでの写真展の様子

釜石市民ホールでの写真展の様子

 

そして、写真はパネルにして展示しているのですが、実はその土台のパネルにもストーリーがあります。写真に合わせてパネルについての説明も加えていますので、ぜひ会場でご覧ください。“この場所で展示する事の意味”を考え、スタッフが厳選した約50点を展示しましたので、ゆっくりとご覧頂きたいです。

 

“復興カメラ”という表現の形

 

復興カメラ写真展

 

ーーとても細やかな配慮をしながら開催されているのですね。活動の“これから”についてはいかがでしょうか?

 

川原さん:

私たち自身もこの活動をどのようにしていくのかについては、悩んでいる所です。一旦、今年度で区切りを付けようか…という話をしています。撮影自体はこれからも続けていくとは思いますが、これが最後の写真展になるかもしれません。

 

それから、この「復興カメラ」の活動が被災地の記録を残す方法として、“定型”になってくれたら、という想いがあります。この先、50年、100年後に「どこからスタートしたかは定かではない。どうやら東北らしいけど…」と、記録してきた写真と共に受け継がれていれば…、そんな風に思っています。

 

東日本大震災 復興の記録 写真展 復興カメラ~岩手 釜石・大槌 (TETTOプレオープンイベント Vol.12)

開催期間 2018年3月13日(火)~4月1日(日)
時間 9:00~21:00
場所 釜石市民ホールTETTO ギャラリー
入場無料

 

東日本大震災 復興の記録 写真展 復興カメラ~岩手 釜石・大槌 (TETTOプレオープンイベント Vol.12)

 

【復興カメラ】
特定非営利活動法人@リアスNPOサポートセンターのスタッフ数名で活動がスタート。その後、国や県の制度を活用し、多い時は十数人のスタッフで撮影を行う。
これまで撮影した写真の枚数は2017年9月時点で、155,182枚に上る。(撮影場所は主に釜石・大槌。その他三陸沿岸の被災地も)。また写真展は主催・共催合わせてこれまで22回開催(パネルのみの貸し出しは除く)されている。

 

復興カメラFacebookページ
https://www.facebook.com/fukkocamera

復興カメラ公式サイト
https://kickoff-rias.com/fukkocamera/

 

縁とらんす

かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

縁とらんす編集部による記事です。

問い合わせ:0193-22-3607 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内

古里「根浜」の再興を願い、色とりどりの風船を空に放つ住民ら=11日、午後2時50分

「あの日を忘れない」と思い込め、青空に希望の風船放つ〜高台移転の根浜地区住民

古里「根浜」の再興を願い、色とりどりの風船を空に放つ住民ら=11日、午後2時50分

古里「根浜」の再興を願い、色とりどりの風船を空に放つ住民ら=11日、午後2時50分

 

 津波で壊滅的な被害を受けた鵜住居町根浜地区では11日、高台造成地に整備された復興団地の住民ら約40人が震災発生時刻に合わせ、眼下に広がる海に黙とうをささげた。

 

 根浜親交会(前川昭七会長)が昨年4月、団地内の公園に建立した「津波記念碑」の前で追悼行事。同地区で犠牲になった15人と共に、津波で尊い命を奪われた全ての犠牲者を思い、午後2時46分に黙とう。白菊と線香を手向け、穏やかな海に鎮魂や安寧の祈りをささげた。「がんばれ」「海がにぎわう根浜へ」など復興を鼓舞するメッセージを記した風船もリリース。青空に未来への希望を託した。

 

 同団地に父と暮らす佐々木理紗子さん(24)は、津波で母、祖父母、伯母を亡くした。7度目の命日に「こっちも頑張っているので、見守って下さい」と伝え、4人の冥福を祈った。母純子さん(当時53)は「ユーモアがあり、気遣いの細やかな人」だったという。「あの日のことは決して忘れることはない」が、歳月の経過で記憶が薄れていく不安も口にし、複雑な胸の内をのぞかせた。

 

 震災前、67世帯約180人が暮らした根浜地区。最大18メートルの津波が襲ったが、「海の見えない生活は不安」という住民の要望で、防潮堤は震災前と同じ5・6メートルの高さを維持。海抜20メートルの高台造成地に自力再建用地と戸建て復興住宅、集会所などが整備され、現在、33世帯約50人が暮らす。

 

 住民らは震災後、各地の仮設住宅で生活していたが、毎月1回のお茶会でつながりを持ち続けた。3月11日の追悼も形を変えながら毎年継続。今年は、記念碑に刻んだ同地区に伝わる津波の教訓をかみしめながら、後世への伝承を誓い合った。

 

 前川会長は「みんなで力を合わせ、住み良いまちにしていきたい。今までの苦しみ、悲しみ以上に、残された人生を有意義に過ごしていければ。楽しく生きることが(犠牲者の)供養にもなると思う」と前を向いた。

 

(復興釜石新聞 2018年3月14日発行 第672号より)

 

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初めて釜石市民ホールで行われた追悼式。震災発生時刻に合わせて黙とうする参列者=11日午後2時46分

震災7年 癒えぬ悲しみ、追悼式に600人参列〜ふるさと再興、犠牲者に誓う

初めて釜石市民ホールで行われた追悼式。震災発生時刻に合わせて黙とうする参列者=11日午後2時46分

初めて釜石市民ホールで行われた追悼式。震災発生時刻に合わせて黙とうする参列者=11日午後2時46分

 

 東日本大震災から7年を迎えた11日、県内は犠牲者の死を悼む鎮魂の祈りに包まれた。震災関連死を含め1063人が犠牲になり、今なお152人が行方不明となっている釜石市では、市主催の犠牲者追悼式が大町の市民ホール「TETTO」で行われた。「さみしくてたまらない」「母との最後が心残り。なぜ逃げろと言わなかったのか」「必ず故郷を再興する」――。黙とうがささげられた午後2時46分、参列した遺族ら約600人は戻らぬ人たちに思いを寄せ、一日も早い復興を願って手を合わせた。

 

 まちづくりの土台となる土地の整備が進む釜石市では、住宅や店舗の再建が加速化し、「まちの姿」が見え始めた。防潮堤や道路、鉄道などの整備と合わせ、復興のゴールも近づく。一方で、今なお約1千世帯が仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。

 

 政府主催の追悼式の中継に合わせて国歌を斉唱した後、午後2時46分を告げるサイレンに合わせて黙とう。野田武則市長は「復興の形が見えてきたが、将来の生活に不安を抱える人も多く、一人一人に寄り添い住まいの再建を進める。市民一丸となり、今年こそ復興を完遂すると霊前に誓う」と式辞を述べた。

 

 母ふみ子さん(当時62)、妹の佐野梢さん(同29)、その娘で幼かった2人のめいを亡くした鵜住居町の会社員、沼﨑優(まさる)さん(44)が遺族代表で追悼のことば。亡くなった4人は鵜住居地区防災センターに逃げ込み、大勢の避難者と共に津波にのまれた。

 

 「あの日は金曜日でしたね」。実家が兼業農家で、あの日、沼﨑さんは畑仕事をするため会社を半休しようと考えていたが、ふみ子さんに「一日仕事してこい」といわれたことに腹を立てて口論したまま、家を出た。「最後が口論で終わったこと、今でも悔やまれる」と振り返りつつ、「こんな形(会社を半休にして帰宅するなといさめたこと)だが、私の命を助けてくれた」と感謝する。

 

 そして、毎週金曜日は市内に住む梢さんや弟を鵜住居町の自宅に呼び、同居するふみ子さんと夕食を共にするのが習慣になっていた。「7年前のあの日が金曜日でさえなければ」。梢さんらが津波に巻き込まれることはなかったかもしれない。地震発生直後、防災センターに避難した梢さんと連絡が取れた。「なぜ高台へ逃げろと言わなかったのか」。後悔が残る。

 

 被災地に再建の動きが見られるようになり、沼﨑さんも昨年7月末に家を建て、鵜住居に戻ってきた。気を緩めると涙がこぼれ落ちそうになることも。「助けられた命。前に進み続けなければ」と奮い立たせる。「若者が戻ってきて活躍できるまちづくりを望み、この出来事も伝えていきたい。震災の教訓を忘れず、明るい未来のあるまちづくりが進んでほしい」と願った。

 

犠牲者を悼み、手を合わせる追悼式参列者

犠牲者を悼み、手を合わせる追悼式参列者

 

 釜石市合唱協会の約20人が2曲を献唱。生田流正派箏成会が奏でる琴の音が響く中、参列者が次々と献花台に白菊を手向けた。

 

 天神町の仮設住宅で暮らす三浦アイさん(67)は震災で長女の栄子さん(当時35)と長男の光(こう)さん(同33)を亡くした。「あっという間の7年。忘れたことはないが、この日を迎えるとより深く悲しみ、悔しさが募る。心配で様子を見にきた子どもの方が被災し、申し訳ない気持ちでいっぱい。2人がいたらどんなにいいか」と静かにつぶやく。一時、家にこもりがちになったが、周囲の人の声掛けで外に出るようになると、気持ちも楽になった。「友達っていいよね」と表情を緩めた。

 

(復興釜石新聞 2018年3月14日発行 第672号より)

 

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感謝状を受けた釜石郵便局の佐藤局長(右)、菊地さん(中)と石川署長

詐欺被害を未然に防ぐ〜釜石警察署、釜石郵便局に感謝状

感謝状を受けた釜石郵便局の佐藤局長(右)、菊地さん(中)と石川署長

感謝状を受けた釜石郵便局の佐藤局長(右)、菊地さん(中)と石川署長

 

 釜石警察署は5日、詐欺被害を未然に防いだ釜石郵便局(佐藤哲也局長)に署長感謝状を贈った。伝達式は釜石市八雲町の同署で行われ、佐藤局長と、臨機応変の窓口対応で被害を未然に防いだ同郵便局郵便部社員の菊地真弓さんに感謝。石川康署長は「特殊詐欺の被害防止に署員も高齢者世帯の訪問などに努めているが、金融機関窓口での水際防止は重要。今後も市民の詐欺被害防止に協力を」と期待した。

 

 詐欺未遂事案は2月24日午後、只越町の同郵便局で発生。市内の20代女性がATM(現金自動預払機)の操作がうまくできないとして時間外窓口の「ゆうゆう窓口」に問い合わせ、当直の菊地さんが対応した。菊地さんは「お話をうかがううち、内容に詐欺の疑いを持ちました」という。

 

 客の女性は「有料サイトの会員登録料金5千円を振り込むと、自分の口座に30万円が振り込まれ、もうかる」との誘導に乗ったものの、振り込み操作を何度も失敗し、窓口に相談した。話の内容に不審を抱いた菊地さんは釜石署に通報した。女性は署員の話で詐欺と気付き、振り込みをやめた。

 

 佐藤局長は「特殊詐欺などの未然防止には窓口を中心に社員の注意を喚起しているが、ゆうゆう窓口でATMに関する相談は少ない」とし、女性が振り込み操作を誤った偶然の流れと、菊地さんの適切な対応が重なった幸運を喜んだ。

 

 釜石署管内では昨年、6件の特殊詐欺事案が確認され、1千万円以上の被害があった。今年はこの未遂事案が初めてだが、不審メールの集中受信は確認され、防災行政無線による警戒広報を行った。

 

(復興釜石新聞 2018年3月10日発行 第671号より)

 

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広報かまいし2018年3月15日号(No.1684)

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広報かまいし2018年3月15日号(No.1684)

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【目次】
表紙:近代製鉄発祥160周年記念フォーラム~鉄とともに!!~
P02:東日本大震災から7年を迎えて
P04:釜石市制施行80周年記念式典
P08:市の組織機構の一部が変わります
P10:国民健康保険制度など
P11:災害危険区域の指定について意見募集など
P12:ラグビーワールドカップ2019™ミニ通信など
P13:市民の広場
P14:まちの話題
P16:保健案内板
P18:まちのお知らせ
P20:かまいし徒然日記

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釜石市 総務企画部 広聴広報課 広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
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「鉄のまち釜石」の礎を築いた先人の墓前で手を合わせる

「鉄都釜石の立役者」しのぶ、石応禅寺で高橋亦助百回忌法要〜郷土復興への決意新たに、顕彰会も近く正式に発足

「鉄のまち釜石」の礎を築いた先人の墓前で手を合わせる

「鉄のまち釜石」の礎を築いた先人の墓前で手を合わせる

 

 「鉄都釜石の立役者」とされる明治時代の製鉄技師、高橋亦助(1853~1918年)の百回忌と釜石製鉄所従業員の物故者法要が3日、釜石市大只越町の石応禅寺(都築利昭住職)で行われた。同寺と、近く正式に発足する高橋亦助顕彰会が共催。関係者50人が参列して郷土の先人の遺徳をしのび、「鉄のまち」としてさらなる発展を目指す決意を新たにした。

 

 法要は、釜石製鉄所の前身に当たる釜石鉱山田中製鉄所の初代所長横山久太郎(1856~1921年)の命日に合わせ、初めて行われた。

 

 冒頭で、発起人の野田武則釜石市長が経緯を報告。「昭和33(1958)年、薬師公園内に高橋亦助顕彰碑が建立されたが、その後はおろそかにされていた。反省している」とした上で、「高橋亦助の努力があって今日の釜石がある。不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を与えてくれた偉業を共有し、さらなる発展を目指したい」と決意を述べた。

 

 参列者はこのあと横山久太郎、高橋亦助の墓前に足を運び、先人の功績をしのびながら手を合わせた。

 

百回忌法要で高橋亦助の偉業に思いをはせる参列者

百回忌法要で高橋亦助の偉業に思いをはせる参列者

 

 高橋亦助は1883(明治16)年に発生した釜石大火で焼失した石応禅寺が現在の場所に移転する際にも力を尽くした。都築住職(48)は「その恩にも報いたい」とした上で、「釜石で生まれた亦助の偉業を市民に広く知ってもらいたいと法要を行った。震災からの復興に向け、不撓不屈の精神を受け継いでいきたい」と思いを込める。

 

 近く正式発足する顕彰会のメンバーは10人程度を見込み、会長には米田寛新日鉄住金釜石製鉄所長を予定。今後は毎年この時期に法要を行うほか、高橋亦助の偉業を改めて市民に周知する活動にも取り組む。

 

 ■高橋亦助(たかはし・またすけ)
釜石村に生まれ、22歳の時に政府の工部省鉱山局釜石出張所の求人に応募し採用される。高炉操業主任として高炉での出銑に挑み、1886年、49回目で成功にこぎ着けた。製鉄所は1917(大正6)年、田中鉱山に改組。亦助は監査役、栗橋分工場長となるが、翌18年にまん延したインフルエンザにり患し、死去した。

 

(復興釜石新聞 2018年3月7日発行 第670号より)

 

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アイルランドの小旗を振って大使を歓迎する鵜住居小児童ら

アイルランド大使迎えCM発表〜鵜住居小児童、ワールドカップ成功への願い込め

アイルランドの小旗を振って大使を歓迎する鵜住居小児童ら

アイルランドの小旗を振って大使を歓迎する鵜住居小児童ら

 

 来年に迫ったラグビーワールドカップ(W杯)に向け、釜石市が地元の魅力を発信しようと、鵜住居小(中軽米利夫校長、児童142人)の6年生30人らの協力で取り組んできたCM作品が完成し、2日、大町の釜石情報交流センターPITでお披露目された。震災被災地の復旧状況やW杯開催に向けた取り組みを視察するため来釜したアイルランドのアン・バリントン駐日大使も来場。児童らと交流を楽しみ、「復興の進み具合を見てあらためて感動。あれほど大変な出来事があっても釜石、東北の人は強いと感じた。未来を担う子どもたちの頑張り、見守る地域の優しさ、いたわりも実感」と穏やかに話した。

 

 作品は約10分。旅館ではラグビーボールが風呂に浮かび、スーパーではラグビーボールがワゴンに山積みで販売されている。飲食店で出される飲み物はラグビーボールに入れて出され、バスや電車ではラグビーボールが切符代わり。かつて新日鉄釜石ラグビー部が日本選手権7連覇を果たした「ラグビーのまち」の歴史を振り返りながら、ラグビーが暮らしの中に満ちあふれた雰囲気をパロディー風の映像でユーモラスに表現した。

 

進め!ラグビー精神で We advance!With the spirit of Rugby. IWATE-KAMAISHI JAPAN UNO-SMILE CM TEAM

[企画・出演]UNO-SMILE CM TEAM、2017年度 岩手県釜石市立鵜住居小学校卒業生 [制作事務局]ヒーローズエデュテイメント(株) [制作・著作]釜石市総務企画部ラグビーワールドカップ2019推進室

 

 震災を含め幾多の災害を乗り越えてきた地域や復興に尽力する人の姿も紹介し、地域再生への思いを発信。震災時に幼稚園や保育園児だった児童たちの成長ぶり、震災前の学校の敷地で建設が進むW杯スタジアムを望みながらの学校生活も織り交ぜ、大会成功への願いを込めた。

 

 CM作りは大会の機運醸成、復興のPR、市のイメージアップによる釜石ファンの拡大、試合観戦や来訪の促進を図るとともに、児童の郷土に対する愛着と誇りの醸成、次代を担うものづくり人材育成の一助にと企画。児童は昨年11月から授業の一環でCM作りを始めた。製作担当のヒーローズエデュテイメント(東京都、長谷川英利社長)らの助言を受け、児童は古里の良さを考えながら撮影に挑んだ。

 

 完成お披露目会には児童、保護者、市関係者ら約120人が参加。試写を見た同校の三浦花音さん(6年)は「まちの良さがすごく表現されていた。思った以上の仕上がりで感動した」と笑顔を見せた。

 

 井上右望(うみ)君(同)はCM作りを楽しみながら、まちや震災について理解を深めた様子。母親の厚子さん(48)は子どもの成長ぶりに感激しつつ、「中学生になっても友達、人との輪を大事にして協力し合ってほしい。いろんなことにチャレンジして頑張れ」と見守った。

 

 W杯にはアイルランド代表も出場。9月28日に静岡県の小笠山総合運動公園エコパスタジアムで日本代表と対戦する。バリントン大使は「釜石での試合はないが、ラグビーを通じ復興を応援したい。アイルランドと釜石のつながりを深めたい」と望んだ。

 

 出迎えた野田武則市長は、W杯開催の意義や、市内企業とアイルランドのつながりなどを説明。「子どもたちもW杯を盛り上げようと頑張っている。CMを通し、支援への感謝や釜石の頑張りを世界に示したい。つながった絆を深めていきたい」と応じた。

 

(復興釜石新聞 2018年3月7日発行 第670号より)

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鵜住居の懐かしい映像に見入る来場者

にぎわい復活 願い込め、鵜住居みらいシアター〜40年前の記憶よみがえる、祭りや運動会の映像上映

衣装も時代を感じさせる鵜住居保育園の運動会映像

衣装も時代を感じさせる鵜住居保育園の運動会映像

 

 震災前の映像や写真などで地域の良さを再認識し、復興への力とする「第3回鵜住居みらいシアター」(同実行委主催)が25日、釜石市の鵜住居公民館で開かれた。今回は「みらいに伝えたい、マイうのすまい」をテーマとし、過去の映像のほかに今を生きる住民の声を集めたショートムービーを上映。約50人が楽しみ、地域への愛着心を共有した。

 

 ショートムービーには、小学生から高齢者まで約20人が出演。鵜住居の好きなところ、思い出の場所、未来への希望などを聞き、リレー形式でつづった。好きなところとして世代を問わず挙がったのは豊かな自然、住民の人柄や絆の深さ。小学生は学校で取り組む虎舞やあいさつを自慢とし、大人は震災で途絶えたラーメン店の味や孫と遊んだ公園などを思い出に挙げた。「津波がきても頑張っていることを伝えたい」「たくさんの人が戻り笑顔で暮らせるまちに」と、それぞれが描く未来に思いを込めた。実行委は今後も撮影を続け“100人のマイうのすまい”を目指すという。

 

 懐かしい映像は1976(昭51)年の鵜住居保育園運動会と96(平8年)年の鵜住神社例大祭。同保育園は当時、長内橋近くの国道45号沿いにあった。映像には園児の徒競走や踊り、園庭を囲む大勢の家族らが写し出されており、約40年前の光景に来場者がさまざまな記憶をよみがえらせた。

 

鵜住居の懐かしい映像に見入る来場者

鵜住居の懐かしい映像に見入る来場者

 

 69年から同園に勤務した元保育士の佐藤千佳子さん(75)は「園児が多かった時代。運動会で使う道具は手作りし、振り付けも先生たち自ら考えた」と懐古。震災の津波で同町成ケ沢地区の自宅を流され、長年書きためた保育の記録を失った。この日は、がれきの中から奇跡的に見つかった同園の記念写真2枚を持参。偶然、映像と同じ年のもので「縁を感じる」と佐藤さん。元の場所に自宅を再建し、間もなく仮設住宅から移る予定で、7年ぶりの帰還を心待ちにした。

 

 今回の映像2本は町内の復興住宅に暮らす田中健悦さん(76)が提供した。新川原地区にあった自宅2階で津波の浸水を免れたものだという。撮影したのは、ビデオ撮影を趣味にしていた義父の姉帯保蔵さん(故人)。長年にわたり市内の行事などを記録したテープが多数遺(のこ)されていたが、1階にあったものは津波で流されてしまった。田中さんは「思いがけず皆さんに見てもらう機会に恵まれた。父もあの世で自慢しているのでは。復興に向け地元住民も一生懸命。早く映像のようなにぎやかなまちになってほしい」と願った。

 

 会場では鵜住居に残る「屋号」を紹介した展示もあった。商売や出身地、先祖の名前にちなんだものなど、その数64。「○○どん」「○○屋」のほか、ユニークな由来や響きを持つものがあり、鵜住居虎舞が伝承する手踊りの歌詞に出てくる屋号も。この日は新たな情報も寄せられ、住民からは「さらに聞き取りを進め、後世に確実に伝承されるよう記録として残してほしい」との声が上がった。

 

(復興釜石新聞 2018年2月28日発行 第668号より)

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野田市長に受賞の喜びを伝えた「釜石○○会議実行委員会」メンバーら

「新しい東北 復興・創生顕彰」受賞〜釜石◯◯会議 被災地の可能性育む、世代を超え 夢を形に

野田市長に受賞の喜びを伝えた「釜石○○会議実行委員会」メンバーら

野田市長に受賞の喜びを伝えた「釜石○○会議実行委員会」メンバーら

 

 震災被災地で支援活動などを展開し、復興後の「新しい東北」の実現に貢献している個人・団体をたたえる復興庁の「新しい東北 復興・創生顕彰」に、「釜石○○(まるまる)会議実行委員会」が選ばれた。よりよいまちづくりについて市民が語り合う場を提供するといった活動が被災地の可能性を育むと評価。20日、同実行委の柏﨑未来実行委員長(32)、幹事の常陸奈緒子さん(33)と古賀郁美さん(26)が野田武則市長を訪ね、受賞を報告した。

 

 同顕彰は、震災から5年が経過し復興・創生期間に入ったことを機に、現在被災地で進む「新しい東北」の実現に向けた取り組みを広く情報発信し、被災地内外への普及・展開を促進するのを目的に昨年度から実施。本年度は全国から228件の応募があり、直近1年間の活動を評価する同顕彰に同実行委など1個人9団体が選ばれた。県内ではほかに1個人1団体が受賞。顕彰式は18日に仙台市で行われた。

 

 同実行委は、2014年に開催された釜石百人会議の後継として、市民有志や市職員らが中心となって15年に設立された。地域、立場、世代を超えてさまざまな人が集まり、出会い、語り合い、釜石を楽しく魅力あるまちにするためのアクションを生み出す場としてワークショップ(WS)を開催。さまざまなテーマや課題を「○○」に当てはめて市民活動を進めている。

 

自由な発想で釜石の未来を語り合う「釜石○○会議」

自由な発想で釜石の未来を語り合う「釜石○○会議」

 

 これまで4期にわたって開かれ、市内外から延べ930人が参加。昨年度までの1、2期では15のチームが結成され、釜石大観音仲見世のリノベーション、さまざまな趣味をテーマにした飲み会を企画するチームなどが活動を続けている。

 

 本年度は3、4期を実施。前半は参加者同士の交流を主にし、後半に共通の「やってみたい」ことを持つ人らでチームを結成。目標の実現に向け、10チームが動き始めているという。今回の特徴は、小中学生、育児中の母親ら、これまで見られなかった層の参加。多様な市民がまちづくりに関わるきっかけ、幅広い層がつながる場となっている。

 

 受賞報告では、顕彰式に出席した常陸さんが「他地域でも展開できるモデルになり得ると評価された」と説明した。会議の参加者から運営する側になった古賀さんは「釜石をもっと好きになるきっかけ、交流を深める場になっている」と意義を強調。柏﨑実行委員長は「(受賞は)参加者のおかげ。市民のやりたいこと、趣味の延長でまちに関わりたいとの思いを形にするという、小さいことをたくさん積み上げた結果。つながったものを大事に、楽しいまちを一緒につくっていきたい」と喜びを語った。

 

 野田市長は「多様な人材が集い、自由な発想でまちづくりを語り合い、主体的な活動が展開されることで、まちが発展することを願う」と継続に期待を寄せた。

 

(復興釜石新聞 2018年2月24日発行 第667号より)

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