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広報かまいし2017年4月15日号(No.1662)

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【目次】
表紙:灯籠に あなたを想い 手を合わせ
P02:平成29年度施政方針
P03:平成29年度当初予算、主要事業など
P07:災害時の避難場所・避難所を変更
P08:市税等口座振替領収済通知書の一部廃止など
P09:Meetup Kamaishi 2017を開催しました
P10:まちの話題
P12:保健案内板
P14:まちのお知らせ
P16:かまいし健康チャレンジポイント

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昨年7月に宅地が完成し、住宅の建築が進む高台の「根浜復興団地」

高台移転で集落再建、鵜住居「根浜復興団地」完成〜教訓つなぎ 新しいまちづくりへ、住民ら6年ぶりの帰還を喜び合う

昨年7月に宅地が完成し、住宅の建築が進む高台の「根浜復興団地」

昨年7月に宅地が完成し、住宅の建築が進む高台の「根浜復興団地」

 

 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受け、高台移転による集落再建を目指してきた釜石市鵜住居町根浜地区に海抜約20メートルの「根浜復興団地」が完成。9日、市による完成報告会と、地元町内会「根浜親交会」(前川昭七会長)が建立した津波記念碑の除幕式が団地内の公園で行われた。親交会は記念祝賀会も開催。住宅再建や復興住宅入居で根浜に戻り始めた住民らは、6年ぶりの帰還を喜び合い、震災の教訓をつなぐ新たなまちづくりと暮らしを支えるコミュニティー強化に意を強くした。

 

 同団地は防災集団移転促進事業と漁業集落防災機能強化事業により、市から委託された県土地開発公社が整備。戸田建設・青紀土木特定共同企業体が施工し、2014年4月に着工した。34万立方メートルの盛り土で海抜約20メートル(現地盤から約15メートル)の高さに2万7218平方メートルの土地を造成。宅地は自力再建31、戸建て復興住宅13(最終建設10戸)の計44区画を整備し、集会所や公園用地も確保した。震災前、根浜地区には67世帯が暮らしており、このうち56・7%に当たる38世帯が新しい団地への居住(自力再建28、復興住宅10)を決めている。

 

 同地区では最大18メートルの津波が襲ったが、「海の見えない生活は不安」だとして防潮堤は震災前と同じ高さ(5・6メートル)にし、高台造成地に集団移転することを希望した。住民主体の復興を成し遂げるべく、毎月1回のお茶会で各地の仮設住宅などで散り散りに暮らす住民らの結束力を維持。行政とも積極的に意見交換し、当初示された時期より1年半遅れとなったが、地元の要望が反映された団地が出来上がった。

 

 報告会で野田武則市長は「以前よりは安全性が確保されたが、安全安心の気持ちを忘れず、根浜のこれからの発展に力を入れていただきたい」とあいさつ。同除幕式の後、復興推進本部職員の案内で、出席者が団地内を見学した。

 

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鏡開きをして根浜の新たな出発に弾みをつける前川会長(中央)ら

 

 同団地に自宅を再建し夫婦で暮らす佐々木ひろ子さん(64)は昨年11月、甲子町の仮設住宅から新居に移った。「やっと根浜に戻ってこられた。景色は変わったが海の匂いがすると古里に帰って来た感じがする。当初は落ち着かなかったけど何とか自分の家になってきた」と実感を込め、「高齢者が多いので互いに声を掛け合い助け合って暮らしていきたい」と願う。

 

 先月、桜木町の仮設住宅から復興住宅に移ったばかりの佐々木朝子さん(75)は「この6年は長かった。地元での暮らしが待ち遠しかった」と振り返り、「一人暮らしなので交通の便など心配はあるが、元の根浜の人たちと暮らせるのはありがたい。前を向き、末永くみんなと元気に楽しい生活を送ることが一番の望み」と明日への一歩を踏み出した。

 

根浜復興団地の公園内で市の担当者の説明を聞く出席者

根浜復興団地の公園内で市の担当者の説明を聞く出席者

 

 同団地の隣接地に13年、夫婦で民宿を再建し、住民の帰還を待ち望んできた前川会長は「辺りに明かりがともり、気持ち的に楽になった。お客さんが帰って母ちゃんと2人きりになると、やっぱり寂しい感じだったんでね。子どもたちの声も聞こえるようになった」と喜び、「これから地域活動も始まる。昔以上にコミュニケーションがとれれば。顔なじみの人たちなので戻ってくれば、すぐ打ち解けられるだろう」と地域再生に思いを新たにした。

 

(復興釜石新聞 2017年4月12日発行 第579号より)

 

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鵜住居町根浜地区で「淡墨桜」の苗木を植える3市長

復興見守る「淡墨桜」、友好都市が釜石に〜愛知県東海市・岐阜県本巣市、首長ら根浜に植樹

鵜住居町根浜地区で「淡墨桜」の苗木を植える3市長

鵜住居町根浜地区で「淡墨桜」の苗木を植える3市長

 

 東日本大震災復興応援として、釜石市と姉妹都市を結ぶ愛知県東海市、岐阜県本巣市から桜の苗木計25本が贈られ、3月29日、鵜住居町根浜地区に植えられた。贈られたのは本巣市の根尾谷にある国の天然記念物「淡墨(うすずみ)桜」の苗木。樹齢1500年を超えるとされ、「釜石の復興、発展するまちを末永く見守ってほしい」との願いが込められている。今回は仮植えで将来的には、釜石市が2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会開催に備えて建設する「釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)」周辺に植える予定だ。

 

 東海市と釜石市は、1960年代に釜石製鉄所から約700人が家族を伴って東海製鉄所に移ったことをきっかけに交流を開始。2007年に姉妹都市となり、スポーツを通じた交流事業などで絆を深めてきた。震災後は物資支援、職員の派遣、ラグビーW杯に向けた多額の寄付など支援を重ねている。

 

 本巣市は釜石市に対し、岐阜県市長会として震災発生直後から職員の派遣や被災地復興支援金を寄付するなどの支援活動を行っている。

 

 日本三大桜にも数えられる淡墨桜は高さ約16メートル、幹周り約10メートルのエドヒガンザクラの巨木。つぼみはピンク、満開時に白となり、散り際はその名の通り淡い墨色になるという。

 

 東海市と本巣市は淡墨桜の寄贈、植樹でつながりがある。今回の仮植えは、東海市がその桜を「復旧復興の励ましになれば」と贈ることを考え、呼び掛けに応えた本巣市の協力で実現。東海市は20本、本巣市からは5本が贈られた。

 

 この日は、鈴木淳雄東海市長、藤原勉本巣市長が釜石を訪れ、野田武則釜石市長とともに桜を仮植え。東海、本巣市それぞれで種から育てられた高さ1~2メートルの苗木の根元に土をかぶせ、成長を祈った。

 

桜の成長と釜石市の復興を重ね合わせ、植樹を終えた3市長ら

桜の成長と釜石市の復興を重ね合わせ、植樹を終えた3市長ら

 

 藤原市長は「1500年の命を持った歴史ある桜が釜石の復興、発展、子どもたちの成長を見守り、地域の人が頑張る力になれば。つながった縁と桜を大事にしながら、共に頑張っていきたい」と願い、鈴木市長は「W杯は地域や子どもに夢と希望を与える事業。釜石を訪れた世界中の人に復興と合わせて桜を見てもらいたい」と期待を込めた。

 

 野田市長は「温かい絆、応援に感謝。長い命をつないだ桜に、命の大切さと生きる力強さを感じる。復興、子どもたちへの強いメッセージになる。『見守り桜』を大切にしていく」と力をもらった。

 

 このあと3市長は、根浜地区の高台移転先として整備が進んでいる団地、鵜住居地区小中学校新校舎などを視察し、復興状況を確認。スタジアムは4月から建設工事に着手する予定で、完成後、仮植えされた苗木を周辺に植え替える。

 

(復興釜石新聞 2017年4月1日発行 第576号より)

 

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広報かまいし2017年4月1日号(No.1661)

広報かまいし2017年4月1日号(No.1661)

 

広報かまいし2017年4月1日号(No.1661)

広報かまいし2017年3月15日号(No.1660)

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【目次】
表紙:JR山田線(宮古・釜石間)の復興状況をお知らせします
P02:東北未来創造イニシアティブの活動が終了します
P03:第2期釜石○○(まるまる)会議 発表会を開催しました
P04:住宅用新エネルギー導入支援事業費補助金について、老齢年金の受給資格期間短縮のお知らせ、子育て世代包括支援センター設置のお知らせなど
P06:今月のインフォメーション、Let’s do it!やっぺし!
P08:身近な防災知識、釜石地区被災者相談支援センターをご利用ください、市長のつぶや記

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4月から入居が始まる予定の「県営松原アパート」

県営松原アパート、入居を前に内覧会、新生活にイメージ膨らませる

4月から入居が始まる予定の「県営松原アパート」

4月から入居が始まる予定の「県営松原アパート」

 

 釜石市松原町3丁目に建設が進められてきた災害公営住宅「県営松原アパート」(2棟、60戸)が完成し、26日、入居予定者らを対象に内覧会が開かれた。県が市内に整備する災害公営住宅としては5カ所目、管理も行う県営住宅としては3カ所目の完成。松原町の被災者を中心に釜石・大槌地区の52世帯が入居を申し込んでおり、来月中旬に鍵が引き渡される。

 

 松原町では初めてとなる災害公営住宅は国道283号沿い、市の土地区画整理事業で2~3メートル盛り土した土地に建設された。三陸鉄道の高架橋をはさむ形で鉄筋コンクリート造り6階建ての2棟を配置した。敷地面積は約3872平方メートル。

 

 部屋は1DK(約45平方メートル)、2DK(約54平方メートル)、3DK(約65平方メートル)の3タイプで、2階以上が居住エリア。1号棟(42戸)は1DK10戸、2DK27戸、3DK5戸。ペット飼育が可能な2号棟(18戸)は2DK12戸、3DK6戸。団地用の集会所と備蓄倉庫を1号棟2階に設け、駐車場は64台分を整備した。

 

 渡辺設計事務所(盛岡市)が設計、八幡建設(釜石市)・小松組(紫波町)復旧・復興建設工事共同企業体が施工し、昨年1月から工事が進められてきた。

 

 内覧会には入居予定の41世帯、77人のほか、今後完成する県営住宅への入居を検討する被災者や一般住民らが訪れ、合わせて111人が見学。入居予定者は部屋の寸法や設備などを確認しながら、新生活へのイメージを膨らませた。

 

1DKの室内を見学する内覧会の参加者

1DKの室内を見学する内覧会の参加者

 

 松原で被災し大畑の仮設住宅で暮らしてきた大久保静雄さん(67)は妻と2DKに入居予定。窓の外の景色に目をやり、「まちの様子は変わってしまったが、やっぱり生まれた所はいいよね。(仮設の)6年は長かった」としみじみ。妻朋子さん(54)は「今まで物音など周りに非常に気を使う生活だった。これからは静かな環境で暮らせる」とほっとした様子を見せた。

 

 一人暮らしの佐藤キクさん(78)は松倉の仮設住宅から同アパートに移る予定。体が小柄で、仮設では浴槽や換気扇の高さに難儀していたといい、「心配していた風呂もまずまず。何かの時に子どもたち家族が集まれる広さもある」と一安心。一方で買い物や通院が遠くなることや生活環境が大きく変わることへの不安も感じ、「慣れるまでは大変かな。ヘルパーさんにも助けてもらい、何とか暮らしていければ」と願った。

 

 現段階で空き室になっている8戸(2DK)は再募集する予定。県が市内に整備する災害公営住宅はこの後、現在工事中の嬉石第1、同第2アパートが今年7月に完成する見込みとなっている。

 

(復興釜石新聞 2017年3月29日発行 第575号より)

 

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食事や歓談、歌やダンスを楽しみ、最後の思い出を作る住民ら

強い絆を心にお別れ会〜甲子第6仮設団地、苦楽を共に6年

食事や歓談、歌やダンスを楽しみ、最後の思い出を作る住民ら

食事や歓談、歌やダンスを楽しみ、最後の思い出を作る住民ら

 

 釜石市甲子町松倉の新日鉄住金釜石サッカー場にある「甲子町第6仮設団地」(138戸)が仮設住宅の集約に伴い来月末で閉鎖されるのを前に、25日、住民や元住民らによるお別れ会が中妻公民館で開かれた。震災後の避難生活で苦楽を共にしてきた住民らは、団地で育んだ強い絆を心に刻み別れを惜しんだ。

 

 お別れ会は同団地自治会(佐々木忠会長)が企画し、約60人が出席。佐々木会長は「自宅再建や復興住宅への入居で空き室が目立つようになり、心寂しい思いがする。思い出を語り合い、楽しく過ごしてほしい」とあいさつした。

 

 同団地自治会は盆踊りやクリスマス会、温泉バスツアーなど各種交流活動で住民同士が顔を合わせる機会を増やし、日常の支え合いや孤立防止につなげてきた。会に出席した支援団体の代表からは積極的な住民活動をたたえる声が多く聞かれ、「団地で培った経験を新たな環境でも生かしてほしい」と激励の言葉が送られた。

 

 2011年7月に完成した同団地は全戸入居した時期もあるが、現在は30世帯ほどに減少。集約後は、近く完成する復興住宅に入居する人、土地造成を待って他の仮設住宅に移る人などそれぞれの一歩を踏み出す。

 

 地元浜町での自宅再建を目指す女性(80)は天神町仮設に移ることになり、「みんなと仲良く暮らしてきたので離れがたい。慣れない所に行くのもあって…」と寂しさをにじませた。昨年5月に集約で松倉の別の仮設から第6仮設に移った片倉賢佐さん(69)は「気さくに受け入れてもらい、ありがたかった。知り合った方々とは今後も交流を続けたい」とし、大町の復興住宅への入居に「新たな気持ちで第2の人生を歩む」と力を込めた。

 

 この日は自宅再建ですでに同団地を”卒業”した人たちも顔をそろえ、同窓会的な雰囲気も。野田町で暮らす佐々木健二さん(69)は「津波で妻を亡くし煮炊きするのも大変だったが、ご近所さんに助けられた。行事にも声がけをいただき、1人でいる時間が少なくて済んだ」と深く感謝。鵜住居町に暮らす前自治会長の幸﨑幸太郎さん(80)も「本当に住みやすい環境だった。皆さんが永住できる場所に早く移れるよう願う。ここでの出会いを忘れず長生きしよう」と仲間の幸せを祈った。

 

(復興釜石新聞 2017年3月29日発行 第575号より)

 

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最後の放送まで楽しみながら情報を伝えようと意気込むスタッフ

命の大切さ 伝え続けて6年、さいがいエフエム放送終了〜4月から「はまっこラジオ」へ

最後の放送まで楽しみながら情報を伝えようと意気込むスタッフ

最後の放送まで楽しみながら情報を伝えようと意気込むスタッフ

 

 釜石市が開設するFMの臨時災害放送局「かまいしさいがいエフエム」が今月31日で放送を終了する。東日本大震災の1カ月後、2011年4月11日から放送を開始し6年。市からの復旧・復興に関するお知らせや生活情報などを伝えながら地域の復興を支えてきたが、市内では住まいの再建が進み始め、個別に情報を届けることができるようになったことなどから、市は年度末での終了を決めた。「伝えたい。身の安全、命を守るよう、避難の大切さを」。最後の3日間、4人のスタッフは震災や復興をめぐる思いを、役目を終えるその時まで発信する。

 

 同局は、11年1月に釜石支局を開設していたエフエム岩手(盛岡市)の協力を得て誕生した。市が運営し、復旧復興関連情報などを届けてきたが、14年4月から同社に運営を委託。「釜石やっぺしFM」「はまっこラジオ」の2番組を放送し、復興情報に加え、取材力を生かして地域情報も充実させた。16年4月からは「はまっこ~」のみを放送。生活再建に関する情報、イベント情報などを紹介している。

 

 スタッフは大坂美和支局長(45)、パーソナリティー兼音響担当の及川隆太郎さん(31)ら4人。13年4月からパーソナリティーを務める市川香織さん(45)は「情報を得る方法はさまざまあるが、ラジオを頼りにしてくれる人もいる。取り残される人がいないよう、身近に感じてもらえるように情報を伝えようと頑張ってきた。全くの素人だったがリスナー、仲間のおかげでここまで来られた」と振り返る。

 

 音響調整機材(ミキサー)を担当する野﨑広美さん(38)は鵜住居町出身。震災で実母、義父母、友人…大切な人を亡くした。気持ちが沈む中、夢中になれるものを探して見つけたのが、同局での仕事。11年11月にパーソナリティーとして採用されたが、伝える情報の多さにのどを痛めてしまい、音響担当に転向した。全くの素人だったが、「母の代わりに父を見守りたい」「そばにいる大事な人を守りたい」「命の大切さを伝えたい」との思いが力となり、声を電波に乗せるスタッフの1人として放送を続けた。

 

 最後の放送となる31日の午後4時からは、4人全員が参加する予定。「いつも通りにやっていこう」の合言葉のもと、これまでを振り返るほか、防災についての思い、緊急時の連絡先や情報入手に関するアドバイスなどを発信する。

 

 放送は、鈴子町のシープラザ釜石内のスタジオから午前11時~午後1時、午後4~5時の2回。周波数は86・0メガヘルツ(甲子、鵜住居、唐丹地区の一部は80・1メガヘルツ)。

 

 4月からは同社の周波数(79・2メガヘルツ)で、市が提供する新番組「釜石はまっこラジオ」がスタートする。放送時間は火曜日の正午から25分間。19年ラグビーワールドカップに向けた機運醸成を図るもので、市の臨時職員として番組作りに関わることを決めた野﨑さんは「釜石のおいしいところ、イベントをどんどん紹介し、人を呼びたい」と意気込んでいる。

 

(復興釜石新聞 2017年3月29日発行 第575号より)

 

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“釜石の音”映像に重ねる 「エア・カマイシ」最優秀賞〜いわて動画コンテスト2016

受賞作「エア・カマイシ」の1シーン=平田漁港でピアノのエア演奏

受賞作「エア・カマイシ」の1シーン=平田漁港でピアノのエア演奏

 

「光陽写真」の菊池賢一さん初出品

 

 県主催の「いわて動画コンテスト2016」で、釜石市天神町で写真店「光陽写真」を経営する菊池賢一さん(46)が出品した「エア・カマイシ」が最優秀賞を受賞した。スチール写真が本業の菊池さんが動画撮影に挑戦したのは初めて。「楽しかった。受賞は思いがけなかったが、出演者の協力のおかげ」と菊池さんは喜ぶ。受賞作品はユーチューブの県公式サイト「いわて希望チャンネル」で公開されている。

 

 同コンテストは昨年に続いて2回目。岩手の魅力を発信する機運の醸成、情報発信力の向上を目的に、オリジナル動画作品を県民から募集した。今回は37編の応募があり、審査で「菊池監督」の作品が年度代表作と認められた。表彰式は2月25日に滝沢市で行われた。

 

 作品の制限時間は5分以内。「エア・カマイシ」は、4人の男女が太鼓で「釜石虎舞」、チェロで「釜石浜唄」、ピアノで「釜石小唄」、エレキベースで「釜石市民歌」を、文字通り楽器を持たずに演奏しているシーンを演じ、バックにそれぞれの音をかぶせた。

 

 背景には、建物がない只越町の造成地、根浜、平田漁港、駐車場の屋上などを用い、タイトルバックは港町の岸壁から望む晴れた日の釜石港とした。

 

 菊池さんは「誰でもふるさとの特別な場所はあるだろう。釜石の魅力を表現する手段に悩んだ。動画なら、音、音楽を入れることができることに思い至った。イメージができた。ただ、実際に楽器を運ぶことは難しい。とくにピアノ。それなら、と”エア演奏”に決めた」と制作過程の苦心をたどった。

 

いわて動画コンテストで最優秀賞を獲得した菊池賢一さん

いわて動画コンテストで最優秀賞を獲得した菊池賢一さん

 

 出演した4人のうち太鼓は菊池さんの長男賢介君(15)=釜石中3年=が担当した。

 

 「みんなの協力で作品ができた。何か創作するなら、ユーモアがあって楽しいほうがいい。編集の難しさとともに、映画監督気分を味わいました」と菊池さん。

 

 菊池さんは震災で只越町の店舗を流失。仮設住宅を経て復興公営住宅に住み、大只越町仮設商店街で写真店を続けている。

 

(復興釜石新聞 2017年3月25日発行 第574号より)

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大勢の力で取り組んできた地域活性化の活動が評価され、笑顔を見せる藤井サヱ子さん

農家レストラン・こすもす公園、藤井さん 農水大臣賞を受賞〜農山漁村女性・シニア活動表彰

大勢の力で取り組んできた地域活性化の活動が評価され、笑顔を見せる藤井サヱ子さん

大勢の力で取り組んできた地域活性化の活動が評価され、笑顔を見せる藤井サヱ子さん

 

 釜石市甲子町の農家、藤井サヱ子さん(72)が、2016年度農山漁村女性・シニア活動表彰のシニア起業・地域活性化部門で最優秀賞の農林水産大臣賞を受け、17日、野田武則市長に受賞を報告した。

 

 同表彰は農山漁村男女共同参画推進協議会(事務局・東京都)が主催。農山漁村の活性化に優れた活動実績を持ち、積極的に活動する経験豊富な女性や高齢者の個人・団体をたたえるもの。藤井さんは甲子地区を元気にしようと産直や農家レストランの開設、休耕農地を利用した公園づくりなど地域活性化の取り組みが高く評価された。表彰式は7日に東京で行われた。

 

 藤井さんは2000年に両親の介護のため、盛岡市から実家のある釜石にUターン。実家の農地は遊休化していたが、田畑を荒らしたままにはできないと考え、地域の人を楽しませようとコスモス畑にして開放した。01年に近所の農業者と産直を創設。07年には「農家レストラン」を開設した。

 

 震災後には、遊び場を失った子どもたちが自由に遊べる空間にしてもらおうと、地域やボランティアの協力でレストラン前に「こすもす公園」を整備。遊具を設置するほか、周りには野菜や果樹なども植え、食育や知育、農業体験などもできるようにした。音楽コンサートなど各種イベントも開かれ、今では県内外から年間4万人が訪れているという。

 

 さらに、甲子地区を盛り上げようと15年に発足した同地区活性化協議会の会長として、地域の魅力満載のマップづくりや地域めぐりツアーを企画するなど積極的に活動。釜石の特産品「甲子柿」を使ったドレッシングやスイーツなどの商品開発も進めている。

 

 受賞報告で、藤井さんは「思いがけない賞。主人、地域の人、全国から来て交流してくれた人たちの協力で得たもので、無駄にしないよう活動していきたい。やりたいことはいろいろあるが、個人ではなく市全体で取り組めることを見つけたい。普段通りの生活を見て、釜石の良さを知ってもらう活動も続けたい」と意欲を伝えた。

 

 野田市長は「今後も地域の人に親しまれる場、全国から人が集う交流の拠点として大きく成長してほしい」と期待を述べた。

 

(復興釜石新聞 2017年3月22日発行 第573号より)

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今後、釜石のまちづくりに必要なことは何かを考えたパネル討論

「オープンシティ釜石」実現へ、フォーラム〜絆をまちづくりのステップに

今後、釜石のまちづくりに必要なことは何かを考えたパネル討論

今後、釜石のまちづくりに必要なことは何かを考えたパネル討論

 

 釜石シティプロモーション推進委(柏﨑龍太郎委員長)主催の「Meetup Kamaishi(ミートアップ釜石)2017~釜石のお宝&鉄人発掘博覧会」は18日から3日間、市内各所で開催された。震災復興で育まれた市内外の人々の絆と地域資源をまちづくりの次のステップに生かそうと、フォーラムや観光体験プログラムを展開。市が掲げる「オープンシティ釜石」の実現へ官民が協働で取り組み、まちの未来像を探った。

 

 18日、大町の情報交流センター釜石PITでは、2015年9月に国連が採択した「持続可能な開発目標(SDGs)」をキーワードにオープンシティフォーラムが開かれた。SDGsは、全ての国連加盟国がより良き未来のために、30年をゴールとして取り組むべき17の目標と169のターゲットを定めたもの。繁栄、平和、暮らしの保障を目指し、経済、社会、環境を統合的に考え行動することが求められている。

 

 解説した法政大デザイン工学部建築学科専任講師の川久保俊さんは「この目標を自分事として捉えるため、国はまちづくりの枠組みでの実践を奨励。目標達成には世界に目を向けつつ、各地域が課題を認識し取り組む必要がある」とし、一人一人が主役であることを強調した。

 

 「持続可能な地域とは何か」をテーマとしたパネル討論には、市内外の法人の代表など5人が出演。これまでの活動を紹介し、今後の取り組みへ意見を交わした。

 

 地元事業者らが案内役を務める体験型プログラムを提供してきた三陸ひとつなぎ自然学校の伊藤聡代表理事は「地域が疲弊しない少人数の受け入れが持続性を生む。多様な人の協力、連携で実施できているのが今の釜石らしさ。次の世代に背中を見せていくことを意識していきたい」と決意を示した。

 

 就労意欲を持つ子育て中の女性と人材不足の事業者を超短時間勤務(プチ勤務)という形でマッチングさせてきたWillLabの小安美和代表取締役(市地方創生アドバイザー)は「まちを成長させていく人たちがどう在りたいか。外部の人をただ受け入れるだけでなく、議論ができていくと本当のオープンシティになっていくのでは」と助言した。

 

 @リアスNPOサポートセンターの鹿野順一代表理事は「釜石はいろいろなことが形になっていると言われるが、それをコーディネートする仕組みが無いと地域のものになっていかない」と指摘した。

 

 最後は、釜石の地域資源を活用し起業する「ローカルベンチャー」を志す6人が事業アイデアを発表。▽根浜海岸でのアクティビティー開発など観光事業で交流人口拡大を目指す▽観光客らに個人の車を有料で貸し出す「カーシェア」で移動格差をなくす▽恵まれた自然環境を使って子どもたちが自ら考え行動する姿勢を育てる―など、地域の課題解決につながる新ビジネスを提案した。起業支援を目的としたアイデア募集には27件の応募があり、今後、支援対象者を絞り込み、6月の事業開始を目指す。

 

(復興釜石新聞 2017年3月22日発行 第573号より)

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新しい鵜住居駐在所と藤原所長

被災の鵜住居駐在所、移転新築〜心強い地域の明かり、4月に開所式

新しい鵜住居駐在所と藤原所長

新しい鵜住居駐在所と藤原所長

 

 県警本部は東日本大震災で損壊した釜石警察署・鵜住居駐在所を移転新築し、2月20日から運用を開始した。震災から6年を経て、「駐在さん」2人が地元に常駐している。唐丹駐在所も3月中に完成し、両駐在所の開所式は4月に行う予定だ。

 

 鵜住居駐在所は鵜住居町、両石町、箱崎町、片岸町を管轄する。旧駐在所は2011年3月の震災当時、同町寺前の国道45号に近い県道釜石遠野線沿いにあり、津波で全壊した。その後、担当警察官は仮庁舎の本署、15年度から大槌交番をベースに、復興に向かう管轄区域の治安を守ってきた。

 

 新しい駐在所の所在地は鵜住居町27の7の2。国道「恋の峠」から北へ約200メートルの市道沿いで、復旧工事が見込まれるJR山田線の間近。木造2階建て延べ床面積360平方メートルで、1階が職務室。トイレは車いすも利用できるバリアフリー、数台分の駐車スペースも確保した。電話番号は28・2505。

 

 勤務するのは所長の藤原健一巡査長と金野巧巡査長。2人は大槌交番に詰めていたが、駐在所の引き渡しに伴い常駐となった。

 

 管轄区域には現在、約1500世帯が暮らす。災害復興公営住宅や住宅再建が急ピッチで進み、さらに被災住民が戻って来ると見込まれる。

 

 藤原所長(38)は「公営住宅などで高齢者の一人暮らしもある。暮らしの安全と特殊詐欺犯罪などの被害防止のため巡回連絡に力を入れていく。復旧工事が続き、道路環境も変わる。交通安全にも注意を呼び掛ける」と決意を示した。また、「住民のみなさんが『駐在所の明かりが心強い』『ありがとう』と温かく迎えてくれた」と喜んだ。

 

 釜石警察署(阿部裕一署長)管内では大震災で2交番と、鵜住居など4駐在所が全壊などの被害を受けた。県警本部は19カ所の警察施設の移転・再建を目指し、14年12月、平田駐在所が最初に再開。大槌交番は16年12月に開所した。

 

(復興釜石新聞 2017年3月18日発行 第572号より)

 

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宮澤賢治にまつわる話と演奏で復興を後押しした追悼公演

「賢治バイオリン」被災地癒す〜音で伝える「雨ニモマケズ」

宮澤賢治にまつわる話と演奏で復興を後押しした追悼公演

宮澤賢治にまつわる話と演奏で復興を後押しした追悼公演

 

 東日本大震災殉難者第七回忌追悼公演「宮澤賢治と奇跡の一本松~雨ニモマケズ」は12日、釜石市小川町の本門佛立宗慈念寺(尾形信欣住職)で開かれた。同宗東北北部布教区が主催。宮澤賢治の実弟・清六さんの孫にあたる宮澤和樹さん(花巻市)一家がトークライブを行い、約100人の観客の心を癒やした。

 

 和樹さん(51)、妻のやよいさん(49)、娘の香帆さん(22)が出演。和樹さんは、賢治の作品を世に出すことに尽力した祖父・清六さんから聞いた賢治の人物像、作品に込めた思いなどを明かした。

 

 ベートーベンやバッハの音楽を好んだ賢治はセロ(チェロ)を弾き、作詞作曲も手がけた。香帆さんは、陸前高田市の津波の流木などで作られたバイオリンと、賢治が所有していたバイオリンで賢治にちなんだ7曲を演奏。花巻農学校の教師だった時に作った応援歌や、有名な「星めぐりの歌」などを聞かせた。

 

 津波バイオリンは1千人の演奏を目指し、国内外の奏者が弾き継いでおり、香帆さんで502人目となった。やよいさんはピアノ伴奏で親子共演したほか、賢治の詩の朗読を披露した。

 

 和樹さんが賢治作品の特徴として示したのは、童話と詩の創作姿勢の違い。法華経に興味を持っていた賢治は、その教えを童話という形で伝えようとしたのに対し、詩は自分を表現する方法としていた。その考え方が最も表れているのが「銀河鉄道の夜」で、清六さんは「終着点のない旅が仏教でいう『求道(ぐどう)』そのものだ」と話していたという。

 

 誰もが知る「雨ニモマケズ」は賢治が結核で亡くなる2年前に、体が弱る中、自分の手帳にしたためたもの。「こう生きたいが生きられない」という気持ちから、最後の祈りを込め自分に向けて書いた言葉とされる。本文の後には「南無妙法蓮華経」と〝行〟の字が入った4菩薩の名前が記されており、これが「東二病気ノコドモアレバ〝行ッテ〟看病シテヤリ…」など東西南北で始まる一節に影響しているという。

 

 和樹さんは「震災後、雨ニモ―はいろいろな形で読まれているが、誰かに聞かせて一緒に頑張ろうというようなことではなく、あくまでも自分に向けた言葉として捉えてもらえば賢治さんも喜ぶのでは」と話した。

 

 この公演は、同宗本山のある京都府の京都佛立ミュージアムが縁をつなぎ実現。七回忌を機に法要だけではない心の安寧を願い、被災地では初の音楽公演を企画した。同ミュージアムのマネジャーを務める香川県高松市、妙泉寺僧侶の小野山淳鷲さんは「自分の価値観(大事なもの)にあらためて目を向けるには、こういう企画が必要。学ぶことも多いと思う。祈ることで力をもらい、できることを一歩ずつという法華経の精神は、賢治さんの生き方と通じる」と共感した。

 

(復興釜石新聞 2017年3月15日発行 第571号より)

 

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