33年ぶり、鵜住居「十一面観音立像」御開帳〜震災後は地域の希望の光に
御開帳法要で「十一面観音立像」に手を合わせる参列者ら
東日本大震災の津波で損壊し修復された釜石市鵜住居町の観音堂「小峰山慈眼院」の本尊「十一面観音立像」が25、26の両日、33年に一度の御開帳で一般公開された。約500年にわたり地域住民に崇拝され、震災後は復興の希望の光となっている秘仏に参拝者は深謝し、未来の安寧へ祈りをささげた。
同像は2012年、県の有形文化財に指定され、流失した観音堂が再建されるまでの間、県立博物館(盛岡市)で保管される。御開帳は、同町に再建されたばかりの別当・小山士さん(75)の自宅に同像を迎え、行われた。
25日に営まれた御開帳法要で小山さんは、被災した同像の救出から模刻像「身代わり観音」の制作に至るまで多大な支援を受けた故大矢邦宣さん(震災時、盛岡大教授)ら県内外の協力者に感謝の気持ちを述べ、「先祖が守ってきた文化財と精神を子々孫々引き継いでいく」と決意を示した。
平泉町、医王山毛越寺の藤里明久貫主が読経。小山さんの手で本尊の開扉が行われ、参列者約40人が焼香し、普段はお目にかかれない観音様に手を合わせた。
藤里貫主は「御開帳は人と仏様の優れた縁(勝縁=しょうえん)を結ぶ。全ての人々を救うという願いを持つ観音様をみんなで大事にし、拝んでいきたい」と話した。
同像は室町時代後期、「永正7(1510)年」の年号が背面に記されており、別当小山家の言い伝えによると慈覚大師の作とされ、33年ごとの御開帳が厳守されてきた。年号のある仏像としては本県沿岸部、釜石以南では最古。下半身に胎内仏を納めているのも特徴で、「海上安全」「子授安産」などの信仰を集めてきた。
11年の津波で鵜住神社の石段右手にあった観音堂は全壊したが、ブロック造りの宝物庫に保管されていた同像は、破損しながらも原形をとどめ、流失を免れた。救出後、県立博物館に持ち込まれ、京都科学社員らボランティアによって修復された。
元同館学芸員で、高校教諭の佐々木勝宏さん(57、盛岡市)は「508年もの歴史を刻み、しかも制作年が分かるのは貴重。被災文化財としても大きな価値がある。先祖を敬い、次世代につなげようという小山さんらの熱意を強く感じる」と称賛。同観音の保存、継承へ引き続きの支援を誓った。
小山さんによると、新しい観音堂は鵜住神社と釜石東中の間の高台に来年建立予定。ラグビーワールドカップが始まる9月までの完成を目指すという。
(復興釜石新聞 2018年10月27日発行 第735号より)
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