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食事や歓談、歌やダンスを楽しみ、最後の思い出を作る住民ら

強い絆を心にお別れ会〜甲子第6仮設団地、苦楽を共に6年

食事や歓談、歌やダンスを楽しみ、最後の思い出を作る住民ら

食事や歓談、歌やダンスを楽しみ、最後の思い出を作る住民ら

 

 釜石市甲子町松倉の新日鉄住金釜石サッカー場にある「甲子町第6仮設団地」(138戸)が仮設住宅の集約に伴い来月末で閉鎖されるのを前に、25日、住民や元住民らによるお別れ会が中妻公民館で開かれた。震災後の避難生活で苦楽を共にしてきた住民らは、団地で育んだ強い絆を心に刻み別れを惜しんだ。

 

 お別れ会は同団地自治会(佐々木忠会長)が企画し、約60人が出席。佐々木会長は「自宅再建や復興住宅への入居で空き室が目立つようになり、心寂しい思いがする。思い出を語り合い、楽しく過ごしてほしい」とあいさつした。

 

 同団地自治会は盆踊りやクリスマス会、温泉バスツアーなど各種交流活動で住民同士が顔を合わせる機会を増やし、日常の支え合いや孤立防止につなげてきた。会に出席した支援団体の代表からは積極的な住民活動をたたえる声が多く聞かれ、「団地で培った経験を新たな環境でも生かしてほしい」と激励の言葉が送られた。

 

 2011年7月に完成した同団地は全戸入居した時期もあるが、現在は30世帯ほどに減少。集約後は、近く完成する復興住宅に入居する人、土地造成を待って他の仮設住宅に移る人などそれぞれの一歩を踏み出す。

 

 地元浜町での自宅再建を目指す女性(80)は天神町仮設に移ることになり、「みんなと仲良く暮らしてきたので離れがたい。慣れない所に行くのもあって…」と寂しさをにじませた。昨年5月に集約で松倉の別の仮設から第6仮設に移った片倉賢佐さん(69)は「気さくに受け入れてもらい、ありがたかった。知り合った方々とは今後も交流を続けたい」とし、大町の復興住宅への入居に「新たな気持ちで第2の人生を歩む」と力を込めた。

 

 この日は自宅再建ですでに同団地を”卒業”した人たちも顔をそろえ、同窓会的な雰囲気も。野田町で暮らす佐々木健二さん(69)は「津波で妻を亡くし煮炊きするのも大変だったが、ご近所さんに助けられた。行事にも声がけをいただき、1人でいる時間が少なくて済んだ」と深く感謝。鵜住居町に暮らす前自治会長の幸﨑幸太郎さん(80)も「本当に住みやすい環境だった。皆さんが永住できる場所に早く移れるよう願う。ここでの出会いを忘れず長生きしよう」と仲間の幸せを祈った。

 

(復興釜石新聞 2017年3月29日発行 第575号より)

 

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最後の放送まで楽しみながら情報を伝えようと意気込むスタッフ

命の大切さ 伝え続けて6年、さいがいエフエム放送終了〜4月から「はまっこラジオ」へ

最後の放送まで楽しみながら情報を伝えようと意気込むスタッフ

最後の放送まで楽しみながら情報を伝えようと意気込むスタッフ

 

 釜石市が開設するFMの臨時災害放送局「かまいしさいがいエフエム」が今月31日で放送を終了する。東日本大震災の1カ月後、2011年4月11日から放送を開始し6年。市からの復旧・復興に関するお知らせや生活情報などを伝えながら地域の復興を支えてきたが、市内では住まいの再建が進み始め、個別に情報を届けることができるようになったことなどから、市は年度末での終了を決めた。「伝えたい。身の安全、命を守るよう、避難の大切さを」。最後の3日間、4人のスタッフは震災や復興をめぐる思いを、役目を終えるその時まで発信する。

 

 同局は、11年1月に釜石支局を開設していたエフエム岩手(盛岡市)の協力を得て誕生した。市が運営し、復旧復興関連情報などを届けてきたが、14年4月から同社に運営を委託。「釜石やっぺしFM」「はまっこラジオ」の2番組を放送し、復興情報に加え、取材力を生かして地域情報も充実させた。16年4月からは「はまっこ~」のみを放送。生活再建に関する情報、イベント情報などを紹介している。

 

 スタッフは大坂美和支局長(45)、パーソナリティー兼音響担当の及川隆太郎さん(31)ら4人。13年4月からパーソナリティーを務める市川香織さん(45)は「情報を得る方法はさまざまあるが、ラジオを頼りにしてくれる人もいる。取り残される人がいないよう、身近に感じてもらえるように情報を伝えようと頑張ってきた。全くの素人だったがリスナー、仲間のおかげでここまで来られた」と振り返る。

 

 音響調整機材(ミキサー)を担当する野﨑広美さん(38)は鵜住居町出身。震災で実母、義父母、友人…大切な人を亡くした。気持ちが沈む中、夢中になれるものを探して見つけたのが、同局での仕事。11年11月にパーソナリティーとして採用されたが、伝える情報の多さにのどを痛めてしまい、音響担当に転向した。全くの素人だったが、「母の代わりに父を見守りたい」「そばにいる大事な人を守りたい」「命の大切さを伝えたい」との思いが力となり、声を電波に乗せるスタッフの1人として放送を続けた。

 

 最後の放送となる31日の午後4時からは、4人全員が参加する予定。「いつも通りにやっていこう」の合言葉のもと、これまでを振り返るほか、防災についての思い、緊急時の連絡先や情報入手に関するアドバイスなどを発信する。

 

 放送は、鈴子町のシープラザ釜石内のスタジオから午前11時~午後1時、午後4~5時の2回。周波数は86・0メガヘルツ(甲子、鵜住居、唐丹地区の一部は80・1メガヘルツ)。

 

 4月からは同社の周波数(79・2メガヘルツ)で、市が提供する新番組「釜石はまっこラジオ」がスタートする。放送時間は火曜日の正午から25分間。19年ラグビーワールドカップに向けた機運醸成を図るもので、市の臨時職員として番組作りに関わることを決めた野﨑さんは「釜石のおいしいところ、イベントをどんどん紹介し、人を呼びたい」と意気込んでいる。

 

(復興釜石新聞 2017年3月29日発行 第575号より)

 

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“釜石の音”映像に重ねる 「エア・カマイシ」最優秀賞〜いわて動画コンテスト2016

受賞作「エア・カマイシ」の1シーン=平田漁港でピアノのエア演奏

受賞作「エア・カマイシ」の1シーン=平田漁港でピアノのエア演奏

 

「光陽写真」の菊池賢一さん初出品

 

 県主催の「いわて動画コンテスト2016」で、釜石市天神町で写真店「光陽写真」を経営する菊池賢一さん(46)が出品した「エア・カマイシ」が最優秀賞を受賞した。スチール写真が本業の菊池さんが動画撮影に挑戦したのは初めて。「楽しかった。受賞は思いがけなかったが、出演者の協力のおかげ」と菊池さんは喜ぶ。受賞作品はユーチューブの県公式サイト「いわて希望チャンネル」で公開されている。

 

 同コンテストは昨年に続いて2回目。岩手の魅力を発信する機運の醸成、情報発信力の向上を目的に、オリジナル動画作品を県民から募集した。今回は37編の応募があり、審査で「菊池監督」の作品が年度代表作と認められた。表彰式は2月25日に滝沢市で行われた。

 

 作品の制限時間は5分以内。「エア・カマイシ」は、4人の男女が太鼓で「釜石虎舞」、チェロで「釜石浜唄」、ピアノで「釜石小唄」、エレキベースで「釜石市民歌」を、文字通り楽器を持たずに演奏しているシーンを演じ、バックにそれぞれの音をかぶせた。

 

 背景には、建物がない只越町の造成地、根浜、平田漁港、駐車場の屋上などを用い、タイトルバックは港町の岸壁から望む晴れた日の釜石港とした。

 

 菊池さんは「誰でもふるさとの特別な場所はあるだろう。釜石の魅力を表現する手段に悩んだ。動画なら、音、音楽を入れることができることに思い至った。イメージができた。ただ、実際に楽器を運ぶことは難しい。とくにピアノ。それなら、と”エア演奏”に決めた」と制作過程の苦心をたどった。

 

いわて動画コンテストで最優秀賞を獲得した菊池賢一さん

いわて動画コンテストで最優秀賞を獲得した菊池賢一さん

 

 出演した4人のうち太鼓は菊池さんの長男賢介君(15)=釜石中3年=が担当した。

 

 「みんなの協力で作品ができた。何か創作するなら、ユーモアがあって楽しいほうがいい。編集の難しさとともに、映画監督気分を味わいました」と菊池さん。

 

 菊池さんは震災で只越町の店舗を流失。仮設住宅を経て復興公営住宅に住み、大只越町仮設商店街で写真店を続けている。

 

(復興釜石新聞 2017年3月25日発行 第574号より)

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大勢の力で取り組んできた地域活性化の活動が評価され、笑顔を見せる藤井サヱ子さん

農家レストラン・こすもす公園、藤井さん 農水大臣賞を受賞〜農山漁村女性・シニア活動表彰

大勢の力で取り組んできた地域活性化の活動が評価され、笑顔を見せる藤井サヱ子さん

大勢の力で取り組んできた地域活性化の活動が評価され、笑顔を見せる藤井サヱ子さん

 

 釜石市甲子町の農家、藤井サヱ子さん(72)が、2016年度農山漁村女性・シニア活動表彰のシニア起業・地域活性化部門で最優秀賞の農林水産大臣賞を受け、17日、野田武則市長に受賞を報告した。

 

 同表彰は農山漁村男女共同参画推進協議会(事務局・東京都)が主催。農山漁村の活性化に優れた活動実績を持ち、積極的に活動する経験豊富な女性や高齢者の個人・団体をたたえるもの。藤井さんは甲子地区を元気にしようと産直や農家レストランの開設、休耕農地を利用した公園づくりなど地域活性化の取り組みが高く評価された。表彰式は7日に東京で行われた。

 

 藤井さんは2000年に両親の介護のため、盛岡市から実家のある釜石にUターン。実家の農地は遊休化していたが、田畑を荒らしたままにはできないと考え、地域の人を楽しませようとコスモス畑にして開放した。01年に近所の農業者と産直を創設。07年には「農家レストラン」を開設した。

 

 震災後には、遊び場を失った子どもたちが自由に遊べる空間にしてもらおうと、地域やボランティアの協力でレストラン前に「こすもす公園」を整備。遊具を設置するほか、周りには野菜や果樹なども植え、食育や知育、農業体験などもできるようにした。音楽コンサートなど各種イベントも開かれ、今では県内外から年間4万人が訪れているという。

 

 さらに、甲子地区を盛り上げようと15年に発足した同地区活性化協議会の会長として、地域の魅力満載のマップづくりや地域めぐりツアーを企画するなど積極的に活動。釜石の特産品「甲子柿」を使ったドレッシングやスイーツなどの商品開発も進めている。

 

 受賞報告で、藤井さんは「思いがけない賞。主人、地域の人、全国から来て交流してくれた人たちの協力で得たもので、無駄にしないよう活動していきたい。やりたいことはいろいろあるが、個人ではなく市全体で取り組めることを見つけたい。普段通りの生活を見て、釜石の良さを知ってもらう活動も続けたい」と意欲を伝えた。

 

 野田市長は「今後も地域の人に親しまれる場、全国から人が集う交流の拠点として大きく成長してほしい」と期待を述べた。

 

(復興釜石新聞 2017年3月22日発行 第573号より)

関連情報 by 縁とらんす
創作農家こすもす
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今後、釜石のまちづくりに必要なことは何かを考えたパネル討論

「オープンシティ釜石」実現へ、フォーラム〜絆をまちづくりのステップに

今後、釜石のまちづくりに必要なことは何かを考えたパネル討論

今後、釜石のまちづくりに必要なことは何かを考えたパネル討論

 

 釜石シティプロモーション推進委(柏﨑龍太郎委員長)主催の「Meetup Kamaishi(ミートアップ釜石)2017~釜石のお宝&鉄人発掘博覧会」は18日から3日間、市内各所で開催された。震災復興で育まれた市内外の人々の絆と地域資源をまちづくりの次のステップに生かそうと、フォーラムや観光体験プログラムを展開。市が掲げる「オープンシティ釜石」の実現へ官民が協働で取り組み、まちの未来像を探った。

 

 18日、大町の情報交流センター釜石PITでは、2015年9月に国連が採択した「持続可能な開発目標(SDGs)」をキーワードにオープンシティフォーラムが開かれた。SDGsは、全ての国連加盟国がより良き未来のために、30年をゴールとして取り組むべき17の目標と169のターゲットを定めたもの。繁栄、平和、暮らしの保障を目指し、経済、社会、環境を統合的に考え行動することが求められている。

 

 解説した法政大デザイン工学部建築学科専任講師の川久保俊さんは「この目標を自分事として捉えるため、国はまちづくりの枠組みでの実践を奨励。目標達成には世界に目を向けつつ、各地域が課題を認識し取り組む必要がある」とし、一人一人が主役であることを強調した。

 

 「持続可能な地域とは何か」をテーマとしたパネル討論には、市内外の法人の代表など5人が出演。これまでの活動を紹介し、今後の取り組みへ意見を交わした。

 

 地元事業者らが案内役を務める体験型プログラムを提供してきた三陸ひとつなぎ自然学校の伊藤聡代表理事は「地域が疲弊しない少人数の受け入れが持続性を生む。多様な人の協力、連携で実施できているのが今の釜石らしさ。次の世代に背中を見せていくことを意識していきたい」と決意を示した。

 

 就労意欲を持つ子育て中の女性と人材不足の事業者を超短時間勤務(プチ勤務)という形でマッチングさせてきたWillLabの小安美和代表取締役(市地方創生アドバイザー)は「まちを成長させていく人たちがどう在りたいか。外部の人をただ受け入れるだけでなく、議論ができていくと本当のオープンシティになっていくのでは」と助言した。

 

 @リアスNPOサポートセンターの鹿野順一代表理事は「釜石はいろいろなことが形になっていると言われるが、それをコーディネートする仕組みが無いと地域のものになっていかない」と指摘した。

 

 最後は、釜石の地域資源を活用し起業する「ローカルベンチャー」を志す6人が事業アイデアを発表。▽根浜海岸でのアクティビティー開発など観光事業で交流人口拡大を目指す▽観光客らに個人の車を有料で貸し出す「カーシェア」で移動格差をなくす▽恵まれた自然環境を使って子どもたちが自ら考え行動する姿勢を育てる―など、地域の課題解決につながる新ビジネスを提案した。起業支援を目的としたアイデア募集には27件の応募があり、今後、支援対象者を絞り込み、6月の事業開始を目指す。

 

(復興釜石新聞 2017年3月22日発行 第573号より)

関連情報 by 縁とらんす
Meetup Kamaishi 2017 | オープンシティ釜石
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新しい鵜住居駐在所と藤原所長

被災の鵜住居駐在所、移転新築〜心強い地域の明かり、4月に開所式

新しい鵜住居駐在所と藤原所長

新しい鵜住居駐在所と藤原所長

 

 県警本部は東日本大震災で損壊した釜石警察署・鵜住居駐在所を移転新築し、2月20日から運用を開始した。震災から6年を経て、「駐在さん」2人が地元に常駐している。唐丹駐在所も3月中に完成し、両駐在所の開所式は4月に行う予定だ。

 

 鵜住居駐在所は鵜住居町、両石町、箱崎町、片岸町を管轄する。旧駐在所は2011年3月の震災当時、同町寺前の国道45号に近い県道釜石遠野線沿いにあり、津波で全壊した。その後、担当警察官は仮庁舎の本署、15年度から大槌交番をベースに、復興に向かう管轄区域の治安を守ってきた。

 

 新しい駐在所の所在地は鵜住居町27の7の2。国道「恋の峠」から北へ約200メートルの市道沿いで、復旧工事が見込まれるJR山田線の間近。木造2階建て延べ床面積360平方メートルで、1階が職務室。トイレは車いすも利用できるバリアフリー、数台分の駐車スペースも確保した。電話番号は28・2505。

 

 勤務するのは所長の藤原健一巡査長と金野巧巡査長。2人は大槌交番に詰めていたが、駐在所の引き渡しに伴い常駐となった。

 

 管轄区域には現在、約1500世帯が暮らす。災害復興公営住宅や住宅再建が急ピッチで進み、さらに被災住民が戻って来ると見込まれる。

 

 藤原所長(38)は「公営住宅などで高齢者の一人暮らしもある。暮らしの安全と特殊詐欺犯罪などの被害防止のため巡回連絡に力を入れていく。復旧工事が続き、道路環境も変わる。交通安全にも注意を呼び掛ける」と決意を示した。また、「住民のみなさんが『駐在所の明かりが心強い』『ありがとう』と温かく迎えてくれた」と喜んだ。

 

 釜石警察署(阿部裕一署長)管内では大震災で2交番と、鵜住居など4駐在所が全壊などの被害を受けた。県警本部は19カ所の警察施設の移転・再建を目指し、14年12月、平田駐在所が最初に再開。大槌交番は16年12月に開所した。

 

(復興釜石新聞 2017年3月18日発行 第572号より)

 

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宮澤賢治にまつわる話と演奏で復興を後押しした追悼公演

「賢治バイオリン」被災地癒す〜音で伝える「雨ニモマケズ」

宮澤賢治にまつわる話と演奏で復興を後押しした追悼公演

宮澤賢治にまつわる話と演奏で復興を後押しした追悼公演

 

 東日本大震災殉難者第七回忌追悼公演「宮澤賢治と奇跡の一本松~雨ニモマケズ」は12日、釜石市小川町の本門佛立宗慈念寺(尾形信欣住職)で開かれた。同宗東北北部布教区が主催。宮澤賢治の実弟・清六さんの孫にあたる宮澤和樹さん(花巻市)一家がトークライブを行い、約100人の観客の心を癒やした。

 

 和樹さん(51)、妻のやよいさん(49)、娘の香帆さん(22)が出演。和樹さんは、賢治の作品を世に出すことに尽力した祖父・清六さんから聞いた賢治の人物像、作品に込めた思いなどを明かした。

 

 ベートーベンやバッハの音楽を好んだ賢治はセロ(チェロ)を弾き、作詞作曲も手がけた。香帆さんは、陸前高田市の津波の流木などで作られたバイオリンと、賢治が所有していたバイオリンで賢治にちなんだ7曲を演奏。花巻農学校の教師だった時に作った応援歌や、有名な「星めぐりの歌」などを聞かせた。

 

 津波バイオリンは1千人の演奏を目指し、国内外の奏者が弾き継いでおり、香帆さんで502人目となった。やよいさんはピアノ伴奏で親子共演したほか、賢治の詩の朗読を披露した。

 

 和樹さんが賢治作品の特徴として示したのは、童話と詩の創作姿勢の違い。法華経に興味を持っていた賢治は、その教えを童話という形で伝えようとしたのに対し、詩は自分を表現する方法としていた。その考え方が最も表れているのが「銀河鉄道の夜」で、清六さんは「終着点のない旅が仏教でいう『求道(ぐどう)』そのものだ」と話していたという。

 

 誰もが知る「雨ニモマケズ」は賢治が結核で亡くなる2年前に、体が弱る中、自分の手帳にしたためたもの。「こう生きたいが生きられない」という気持ちから、最後の祈りを込め自分に向けて書いた言葉とされる。本文の後には「南無妙法蓮華経」と〝行〟の字が入った4菩薩の名前が記されており、これが「東二病気ノコドモアレバ〝行ッテ〟看病シテヤリ…」など東西南北で始まる一節に影響しているという。

 

 和樹さんは「震災後、雨ニモ―はいろいろな形で読まれているが、誰かに聞かせて一緒に頑張ろうというようなことではなく、あくまでも自分に向けた言葉として捉えてもらえば賢治さんも喜ぶのでは」と話した。

 

 この公演は、同宗本山のある京都府の京都佛立ミュージアムが縁をつなぎ実現。七回忌を機に法要だけではない心の安寧を願い、被災地では初の音楽公演を企画した。同ミュージアムのマネジャーを務める香川県高松市、妙泉寺僧侶の小野山淳鷲さんは「自分の価値観(大事なもの)にあらためて目を向けるには、こういう企画が必要。学ぶことも多いと思う。祈ることで力をもらい、できることを一歩ずつという法華経の精神は、賢治さんの生き方と通じる」と共感した。

 

(復興釜石新聞 2017年3月15日発行 第571号より)

 

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1200個の灯籠が川を下った=午後5時半ごろ、大渡町の甲子川

1200個の光、川面照らす〜大渡で灯籠流し

1200個の灯籠が川を下った=午後5時半ごろ、大渡町の甲子川

1200個の灯籠が川を下った=午後5時半ごろ、大渡町の甲子川

 

 震災犠牲者を慰霊する「七回忌灯籠流し」は11日、大渡町の甲子川で行われ、約1200個の光が川面を照らし、静かに、ゆっくりと下った。遺族ら約200人が河川敷や大渡橋から見守り、手を合わせた。

 

 灯籠流しは、宗派を超えて組織する釜石仏教会(大萱生修明会長、14カ寺)が釜石市と大槌町の3カ所で行った。それぞれの寺院で灯籠に犠牲者の名前を記し、釜石では犠牲者、行方不明者と震災関連死者約1200人を供養した。

 

 6年前の「あの日」を思わせる寒さ、小雪が舞う中を灯籠は風に乗って上流に戻り、川岸に集まり、円を描いた。流れに入って灯籠を見守った世話人は「(あの世に)戻りたくないのかな」とつぶやいた。

 

 津波で亡くなった近親者7人の灯籠を見送った大渡町の小笠原カツさん(75)は「3人(の遺体)は見つかっていない。切ない。時々落ち込むけど、これだけ多くの人が亡くなった。一緒に行くのを見送る」と手を合わせ続けた。

 

 同仏教会の尾形信欣副会長は「七回忌は死んだ人と生きる人の距離感を考える時。生き残った人は前に歩んでほしい」と願った。

 

(復興釜石新聞 2017年3月15日発行 第571号より)

 

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大震災後に唐丹小・中学校で苦楽を共にした卒業生、教員、住民が新校舎を見学

唐丹小・中学校 苦難乗り越え新校舎へ〜卒業生、住民ら喜びの「同窓会」

大震災後に唐丹小・中学校で苦楽を共にした卒業生、教員、住民が新校舎を見学

大震災後に唐丹小・中学校で苦楽を共にした卒業生、教員、住民が新校舎を見学

 

 2月20日から新校舎での授業が始まった唐丹小、唐丹中に5日、卒業生や教職員、地域住民ら約50人が集い「新校舎完成を祝う同窓会」を開いた。ぬくもりが感じられる木造をコンセプトに建てられた体育館や校舎を見学。児童・生徒の「学び」の復興を後押しする新校舎の設備と、震災後大きく変化しつつある周囲の景観を目に焼き付けた。

 

 同窓会は、昨年11月に組織した唐丹小中学校完成記念行事実行委員会(河東真澄委員長)が主催。中学校の2010~15年度卒業生、震災以降に両校に在職し転勤した教員や地域住民らに参加を呼び掛けた。

 

 教員と卒業生は震災で全壊した旧唐丹小に在校、あるいは平田小での同居授業を経験。半壊した中学校の校舎にも立ち入りができず、体育館を仕切っての授業を経て、12年1月から4年余りにわたり仮設校舎で授業を継続した。

 

 中学校の校舎跡地に建つ真新しい体育館に集まった参加者は、緩い斜面に階段状に連なる2階建て5棟の校舎を巡った。「迷いそう」「どの場所が一番、いい景色を見られるか」などと話しながら見学を楽しんだ。

 

 体育館では、新校舎完成までの動きや地域住民に見守られて生き生きと活動する児童・生徒の様子を記録映像で再現。震災後、小・中の校長を務めた4人のメッセージも紹介された。また、郷土芸能の「本郷桜舞太鼓」が勇壮な音を響かせ、祝い気分を盛り上げた。

 

 釜石中の三浦誠教諭(49)は10年度から4年間、唐丹中に在職し同僚教員、生徒、住民と苦楽を共にした。「大きな打撃を受けた家族や地域の生活に加え、体育館での授業も生徒には大変だったろう。先生は生徒の心を支え続けた。生徒は友達と一緒の時間を大事にした。当たり前の日常のかけがえのなさを感じたようだった」と振り返った。

 

 震災当時、唐丹小6年生で同級生15人と卒業式を目前にしていた尾形拓真君(18)は1日に釜石商工高(電子機械科)を卒業、間もなく市内に就職する。自宅は流失。無事だった家族と仮設住宅を経て、最近戸建ての新居に移った。「体育館での授業は、ほかの音楽の授業の音が聞こえたりしたが、苦にはならなかった。それも楽しかった気がする。鉄骨(プレハブ)の仮設校舎も嫌ではなかった」と振り返り、「木の校舎はいい感じ」と後輩たちへの何よりのプレゼントを喜んだ。

 

 尾形君の同級生のうち数人は、進学や就職でふるさとを離れる。新校舎での「同窓会」は、尾形君たちの年代の巣立ちを祝い、新生活へのエールでもあった。

 

 唐丹小・中の新校舎落成式・祝賀会は4月を見込む。同実行委員会は8月の月遅れ盆に合わせ、校舎見学会と写真展を予定する。学校施設は、旧体育館と仮設校舎の解体後、新年度内に校庭、プールが整備される。

 

(復興釜石新聞 2017年3月11日発行 第570号より)

 

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広報かまいし2017年3月15日号(No.1660)

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広報かまいし2017年3月15日号(No.1660)

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【目次】
表紙:プレートを壊して、高台へ逃げろ!
P02:市長メッセージ 東日本大震災から6年を迎えて
P04:復旧・復興の足どり
P06:4月1日から市の組織機構の一部が変わります
P08:市役所の一部の電話番号が変わります
P10:まちの話題
P12:保健案内板
P14:まちのお知らせ
P16:釜石消防署小佐野出張所の業務終了について、住宅の自力再建支援策を拡充しました、みんなでごみ減量へチャレンジ5

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-22-2111 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/shisei_joho/koho/backnumber/detail/1208340_2596.html
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首都圏などから50人余りが集った「釜石応援サミット」

釜石応援団 今年も東京でサミット、ふるさと復興にエール〜震災6年追悼式へ、献花代3万円を寄付

 首都圏などから50人余りが集った「釜石応援サミット」

首都圏などから50人余りが集った「釜石応援サミット」

 

 東日本大震災から6年目を迎える「ふるさと釜石」の復興にエールを送ろうと、「釜石応援サミット」が2月25日、東京都渋谷区の東放学園音響専門学校で開かれた。震災後、首都圏に在住していた30代の釜石出身者を中心に結成された有志団体「釜石応援団あらまぎハート」が主催し、今回で6回目。今回も、首都圏在住の釜石出身者などでつくる「釜石はまゆり会」が後援し、54人が集った。

 

 はじめに、「希望学」をテーマに、震災前から釜石をフィールドに調査研究に取り組む東大社会科学研究所の大堀研助教が「釜石の若者グループとこれからのまちづくり」と題して講演した。続いて、小学生の時に被災し、その後、復興への思いをさまざまな形にしてきた寺崎幸季さん(釜石高3年)を迎えてトークセッション。

 

 さらに、釜石シーウェイブスの試合でフェースペイントを行うなど釜石関連のイベントに積極的に参加している岡本淳子さん(45)、釜石応援団代表で鹿児島市在住の松田哲大さん(41)、東京からUターンし現在は釜石まちづくり会社の社員として復興に尽力する下村達志さん(41)が加わり、それぞれの立場から釜石との関わり方、気付いたことなど意見を交わした。

 

 最後は、ブランド定着を目指す釜石市片岸町室浜漁港の「かまいし桜満開牡蠣」について学ぶ模擬授業が行われ、PRを手伝う釜石出身で千葉県在住の八重垣恵さん(44)が講師を務めた。

 

 交流会では、釜石の地酒「浜千鳥」を飲みながら、手作りの「かまだんご」やサンマのみりん干し、釜石から取り寄せた懐かしいお菓子などを食べながら親睦を深めた。

 

 松田さんは「釜石のために何かしたいという、皆さんの優しさを無駄にしないよう、思いを集めて形にしたり、釜石に届けるお手伝いができたらうれしい。今後も続けていきたい」と話した。

 

震災6年追悼式へ、献花代3万円を寄付

 

 釜石応援団の下村達志さん(41)らは8日、釜石応援サミットの参加費の一部3万円を、震災6周年犠牲者追悼式の献花代として市に寄付した=写真。

 

震災6年追悼式へ、献花代3万円を寄付

 

 下村さんのほか、菅原澄さん(41)、山﨑可奈子さ(40)、里帰り中の石川美奈子さん(38)が市役所を訪ね、野田武則市長に義援金を手渡した。サミット参加者57人分の記帳簿も合わせて届けた。

 

 下村さんは「(サミットは)年に一回ふるさとの人たちが顏を合わせる同窓会のような場所。参加人数は減っているが、思いがあって来てくれているので楽しみになっている。10回は続けたい」とサミットの意義を強調。菅原さんは「これからの釜石を引っ張っていく若い人たちが参加することで、メンバーの増強や応援団の活性化にもつながる」と期待した。

 

 野田市長は「応援し続けていただき心強い」と感謝。2019年のラグビーワールドカップに向け、情報を伝える機会や輪の広がりへのさらなる力添えにも期待を示した。

 

(復興釜石新聞 2017年3月11日発行 第570号より)

 

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平田復興住宅の玄関を彩るひな飾り。震災後、二川さん(右)が集めた約30点が、心温まる世界をつくり出す

一人暮らしを癒やす ひな飾り〜平田復興住宅二川さん、震災後に集めた30点

平田復興住宅の玄関を彩るひな飾り。震災後、二川さん(右)が集めた約30点が、心温まる世界をつくり出す

平田復興住宅の玄関を彩るひな飾り。震災後、二川さん(右)が集めた約30点が、心温まる世界をつくり出す

 

 釜石市平田の復興住宅で暮らす二川訂子さん(80)は、震災後に集めた30点以上のひな飾りで自宅の玄関を彩っている。同住宅の住民らが訪れ、小さなひな飾りが作り出す、ほのぼのと心温まる世界を味わっている。

 

 震災前から平田に暮らす二川さんは、季節に合わせた模様替えが好きで、正月、ひな祭り、クリスマスなどの小物を集めては自宅の玄関に飾って楽しんできた。震災で自宅が全壊し、仮設住宅での生活を経て2014年春に現在の住まいに移ったが、その間に少しずつ小物を収集。飾り付けも続けてきた。

 

 ひな飾りの大半は高さ5~20センチほどの「男びな」と「女びな」が対となっており、市内の雑貨店などで購入してきた。陶磁器製や布製のもので、愛らしい表情が印象的。タペストリー、つるしびな、同住宅の住民が折り紙で手作りしたつるし飾りもある。

 

 「来た人が戸を開けて飾りを見た時の表情を見るのが楽しみ。喜んでもらうとうれしい」と二川さん。ひな飾りを見にきた復興住宅の住民と会話も楽しんでいる。小野寺民子さん(75)は「いろいろ大変なことがあっても、ここに来ると癒やされる。目の保養」と柔らかな表情を見せた。

 

 震災から6年。二川さんは仮設住宅での生活が1年ほど過ぎた12年10月に夫幸一さん(享年78)を亡くし、現在は一人暮らしだ。普段は好きな音楽を聴いたり、テレビを見ながらゆったりとした時間を過ごしている。震災前から変わらず続ける季節の飾り付けが自身の生活の彩りにもなっている。ただ、「鉄の扉を閉じて家にいるばかりじゃ息がつまる」と週2回ほど、月日の流れの中で深まった仮設や復興住宅、地域の仲間とともに集会所でカラオケを楽しんで発散。「誰に何を言われようが、生きているうちは小物を集めて飾り続けるし、やりたいことをやって楽しむ」と笑う。

 

 ひな飾りは3日の桃の節句でお片付け。次回の模様替えは端午の節句(5月5日)にちなんだ五月人形を飾る予定だ。

 

(復興釜石新聞 2017年3月8日発行 第569号より)

 

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