篠原優斗さん(手前右)と避難先ルートを歩く児童たち
東日本大震災時、学校管理下になかったものの、184人の児童全員が無事だった釜石小の事例から、生きることや命を守るために必要な力について考える小学生対象の学習会が3日、釜石市内で行われた。大津波を生き抜いた同校の卒業生と当時の教職員有志でつくる「2011team(チーム)釜石小ぼうさい」が主催。同校の防災教育や元児童の証言などをまとめた伝承本「このたねとばそ」も製作・配布し、震災後に生まれた子どもたちの心に新たな種をまいた。
学習会には市内の小学5、6年生10人や教育関係者らが参加。同校卒業生で只越町の地方公務員篠原優斗さん(24)の案内で、震災当時の避難経路をたどる体験からスタートした。「もしも今、大地震が起きたらどう行動しますか」。篠原さんはそんな問い掛けをし、復興住宅や雨水ポンプ場が近くにある同町地内を歩き始めた。
あの日の避難行動を説明。緩やかな坂道の先に旧釜石小跡地がある
6年生だった篠原さんはあの日、同級生やその弟ら十数人と友達の家で遊んでいた。地震後に大津波警報が発令されると、すぐに避難することにしたが、避難先に迷った。距離は近いが海側に向かう「避難道路」か、より海から離れるが緩やかな坂道が続く「旧釜石小跡地」(天神町)か。みんなで話し合い、坂道に向かって走り出した―。
信号機が止まり混乱するまちの様子や選択時の気持ちなどを伝えた篠原さん。上り坂に差し掛かったところで、「走ってみよう」と提案。あの日の避難行動を再現した。旧釜石小跡地に着くと、「走るだけでも大変だよね。でもね…」と一呼吸。低学年の児童を先に走らせ、遅れそうな子はおんぶしたりして高学年の子が手助けしたことを紹介し、「いざという時にも役立つ人とのつながりを大切にしてほしい」と呼び掛けた。
青葉ビルで行われたパネルディスカッション。中央が内金崎愛海さん
大町の青葉ビルに移動し、パネルディスカッション。パネラーに、岩手医大医学部2年の内金崎愛海(あみ)さん(20)=盛岡市=が加わった。震災当時は釜石小3年生。自宅に一緒にいた祖父母は過去の経験から逃げようとせず、泣きながら必死に避難を促した。結果、自分の命を守り、家族の命も救った。「弱虫で泣き虫だったけれど、説得できたのはきっと学校での防災教育があったから。経験はなくても『50センチの波でも人は流される』ことを知っていたし、映像で見た津波の恐ろしさも頭にあった」と振り返った。
災害への備えや生きることについて話し合う子どもたち
先輩2人の経験を聞いた後、児童たちはグループワークに取り組んだ。避難の判断ができた理由や必要な力、自分たちにできることを話し合った。「普段の生活や行動の積み重ねが、いざという時に力になる」「避難訓練は本気でやる」など備えの大切さを再認識した。
釜石小6年の井上柊真(とうま)君は1年ほど前に八幡平市から転校してきたばかりで、釜石の歴史や防災の取り組みを知りたいと参加。「家にいる時でも即時に対応し、避難ができてすごい。相手を信頼する大切さを知ることができた。避難の方法は災害の種類や地域によって違いがあるみたい。もっと勉強したい」と刺激を受けた。双葉小5年の川上仁愛(にちか)さんは「大人を説得する勇気に感動した。命は自分で守らなきゃいけない。学んだことを整理して、友達や家族に伝えたい」と背筋を伸ばした。
防災教育伝承本「このたねとばそ」 証言や職員対応まとめる
伝承本「このたねとばそ」を紹介する加藤孔子さん
チーム釜石小の代表を務めるのは、震災発生時に釜石小校長だった加藤孔子(こうこ)さん(64)=盛岡市、岩手大学教職大学院特命教授。11年余りの時を経て人々の記憶から薄れ始め、学校では経験をしていない世代が増える中、風化を防ぎ、教訓を伝えようと学習会を企画した。
本は同校の防災教育を未来へ、全国へ発信しようと製作した。7月28日に発刊。A4判、83ページで、▽津波防災安全マップ作りや下校時避難訓練など防災教育の実践▽あの日、自己判断で避難した児童の証言▽震災後の学校再開に奔走した教職員の対応-などの詳細を記録する。学習会で経験を伝えた篠原さん、内金崎さんも執筆。加藤さんが名誉館長を務める鵜住居町の「いのちをつなぐ未来館」で50冊を無料配布している。
学習会の様子を見守った加藤さんは「震災を体験した先輩たちの声という種を飛ばすことができた」と目を細める。学校の管理下になかった子どもたちが自分たちで判断、行動し、全員が各自で命を守った同校の防災教育は、他県の教育関係者からも注目を集めるが、「まねるだけでは形骸化してしまう」との懸念も。「地域、子どもたちに合わせたものをつくらなければいけない。釜小の実践や提言、あの時の思いを種として改めて届けたい。各地で新たな防災教育の芽が出て花を咲かせてほしい」と願う。
いつどこでどんな災害が起こっても、自分なりの避難行動をとって―と願いを込め、体験を発信する