震災の語り部活動、準備中!釜石高生「自分の言葉で伝えたい」 3月、うのスタで
自分の言葉で震災を伝えるため研修や練習に取り組む釜石高生
東日本大震災の経験や教訓、防災の取り組みを未来につなげようと活動する釜石高(釜石市甲子町)の生徒有志グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」。地元のラグビーチーム釜石シーウェイブス(SW)RFCのホーム戦に合わせ、会場の釜石鵜住居復興スタジアム(鵜住居町)で語り部活動を展開してきた。今年も、3月に伝承活動を行う予定。震災被災者の経験談を聞いたり、「伝えたい」思いをまとめたり準備を進めている。
夢団は2019年に結成。うのスタが会場となったラグビーワールドカップ(W杯)開催時に震災の教訓と復興支援への感謝を伝えようと活動した生徒らが、継続的な取り組みにすべく立ち上げた。生徒の発案で「津波伝承うちわ」「安否札」を作成・配布しながら、W杯やSWホーム戦の来場者に震災の記憶や防災力向上を発信してきた。
震災体験者の話を聞き取る研修=1月26日、鵜住居町
今年は5人の生徒が語り部に挑む。いずれも2年生。震災当時は4、5歳で記憶していることは多くない。そこで、1月26日に研修として震災経験者から話を聞いた。鵜の郷交流館(鵜住居町)で体験を伝えたのは、嬉石町の横山幸雄さん(85)。「津波を目の前にして足がすくんだ。とっさに家の中に飛び込んだが、津波にのまれ意識を失った」などと、死と隣り合わせの経験を語った。意識を取り戻し、目についた電線を伝って電柱にたどり着き、奇跡的に命をつないだ。「私の行動は一歩間違えれば命取りになっていた」とした上で、「一番大事なのは命。災害時にどう行動するか、日頃から考えておくべきだ」と力説した。
生徒たちは、住み慣れたまちが津波で失われるのを目の当たりにした時の心境や行動の選択で困ったこと、避難所の様子などを聞き取った。海が近い唐丹や鵜住居、平田で暮らす生徒らは、自身の体験との違いを感じた様子。体験者の話をじかに聞くのが初めての生徒もいて、新たに触れた視点を盛り込んで「伝える」との思いを強めていた。
横山さん(左)の経験談に耳を傾ける釜石高の生徒=1月26日、鵜住居町
横山さんは「震災から10年以上がたち、風化を感じる。だからこそ、伝えていくことが大切だ」と強調。釜石観光ガイド会の一員として語り部活動を実践する先輩の立場から、「災害に負けてたまるか。命さえあれば、どんなことでも頑張れるはず。そう思い語り続けている」と明かし、伝承者としての姿勢を探る生徒たちにヒントを残した。
いのちをつなぐ未来館では、施設職員で語り部の川崎杏樹(あき)さんの案内で展示を見て回りながら、おさらい。うのスタでの活動に向け台本作りも始めた。
いのちをつなぐ未来館で震災への理解を深める生徒ら=1月26日、鵜住居町
放課後の学校で台本作りの準備をする高堰さん(奥)=2月14日、甲子町
2月中旬からは、個別に台本を仕上げる作業を続けている。語り部デビューを目指す高堰愛さんは14日の放課後、同校で作業。夢団の活動を支える「さんつな」代表の伊藤聡さん(43)にアドバイスを受けながら、考えをまとめている。
学校周辺の地区に住む高堰さんは津波の被災はないが、地震の怖さから車中泊をした記憶を残す。大槌町に祖父母が暮らしており、人的被害はなかったものの何度も訪れた思い出の場所が流されたことにショックを受けた。それでも、「津波を直接的に体験していない自分が語れるのか」「伝えられることもある」と自問自答。震災は被災の有無にかかわらず、多くの人の気持ちにダメージを与えたと感じていて、「(私は)思い出を失ったが、支えられ気持ちが楽になった。今度は支える立場になりたい」との思いを力にする。
高堰さんの「伝えたいこと」がつづられたノート=2月14日、甲子町
横山さんの話で印象に残ったのは、避難所での生活。津波から逃れても寒く、苦しく、大変な生活があったことを知った。そうした背景も織り交ぜながら、命を守ることや備えの大切さを伝える考え。「人前で話すのは苦手。でも台本があると読んでしまう」と自己分析し、台本は文章ではなく、伝えたい言葉を書き連ねるだけにするつもりだ。「自分の言葉で語りかけたい」。思いを紡いでいる。
今月末に全体練習。SWホーム戦は3月5日、12日、19日に予定され、生徒たちは12日に思いを発信する。
釜石新聞NewS
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