タグ別アーカイブ: 地域

絵巻の寄贈式に出席した東日本製鉄所の大津芳久副所長(右)と野田武則市長

『橋野鉄鉱山』世界遺産登録5周年、「不撓不屈」継承へ思い新たに〜日本製鉄「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図」寄贈

絵巻の寄贈式に出席した東日本製鉄所の大津芳久副所長(右)と野田武則市長

絵巻の寄贈式に出席した東日本製鉄所の大津芳久副所長(右)と野田武則市長

 

 釜石市の橋野鉄鉱山を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(8県11市23資産)がユネスコの世界文化遺産に登録されて5周年―。市はこれを受け11月28日に、記念行事を大町の市民ホールTETTOで開催。登録までの歩みを振り返るとともに遺産の保全と価値の発信、先人が残した「不撓不屈(ふとうふくつ)の精神」継承に思いを新たにした。

 

 県と市が主催した記念式典で、達増拓也県知事は「橋野鉄鉱山で確立された製鉄技術がなければ日本の近代化はなかった。世界遺産登録は震災復興に取り組む釜石市、岩手県にとって大きな希望となった」とあいさつ。野田武則市長は「登録に至るまでの大変な苦労も遺産に等しい価値がある。思いを同じくする多くの方々と歩みを一緒にできたことは喜びにたえない」と感謝した。

 

 内閣官房産業遺産の世界遺産登録推進室・木村直樹参事官、明治日本の産業革命遺産世界遺産協議会会長の塩田康一鹿児島県知事(ビデオメッセージ)が祝辞。同鉄鉱山の登録、その後の情報発信などに尽力した11個人・団体に感謝状が贈られた。

 

 同鉄鉱山登録の大きな鍵となった県指定文化財の絵巻「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図(しほんりょうてっこうざんおやまうちならびにこうろのず)」(1974年2月指定)を、所有する日本製鉄東日本製鉄所釜石地区が釜石市へ寄贈。市は同社に感謝状を贈った。

 

 絵巻は文久年間(1860年代前半)に盛岡藩お抱え絵師(作者不明)により描かれたとされ、大橋、橋野両鉄鉱山の全体図や高炉などの「設備編(幅27センチ、長さ869センチ)」、鉄鉱石の採掘、運搬、高炉の操業、出荷までの工程を描いた「作業編(幅26センチ、長さ606センチ)」の2巻から成る。

 

 寄贈式で大津芳久副所長は「高炉の図面は今の高炉とほとんど変わらない。作業員の表情も豊か。150年たっても絵の色は非常に鮮やか」と説明。野田市長は「この絵巻があったからこそ世界遺産登録につながったと言っても過言ではない」とし、貴重な資料の贈呈に深く感謝した。絵巻の写しは大平町の鉄の歴史館で見ることができる。

 

 盛岡藩士大島高任が1857(安政4)年12月1日、甲子村大橋で日本初の洋式高炉による連続出銑に成功。翌年、橋野村青ノ木に建設した高炉で操業を開始し、94(明治27)年まで稼働した高炉(3基)は、国内に現存する最古の洋式高炉跡。2015年7月8日、採掘場跡、運搬路跡とともに「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録された。

 

 感謝状受贈者は次の通り。
 加藤康子(内閣府産業遺産情報センター長)、小野寺英輝(岩手大理工学部准教授)、小野崎敏(元釜石鉱山社長)、大瀧粂夫(鉄のふるさと釜石創造事業実行委員会会長)、浦山文男(元鉄の歴史館館長)、菊池成夫(前橋野町振興協議会会長)、藤原昌教(橋野町振興協議会副会長)、釜石観光ガイド会、橋野町振興協議会、日本製鉄東日本製鉄所釜石地区、釜石鉱山

 

シンポジウム、加藤康子さん「資産価値維持応援しよう」、小野寺英輝さん「釜石の意義を理解しよう」

 

岩手大の小野寺英輝准教授、登録に貢献した加藤康子さん

岩手大の小野寺英輝准教授、登録に貢献した加藤康子さん

 

 式典後の記念シンポジウムでは、橋野鉄鉱山の世界遺産登録に大きく貢献した2人が基調講演した。

 

 「明治日本の―」登録に向けユネスコに提出する推薦書を作成、2015年7月の第39回世界遺産委員会(ドイツ・ボン)では、日本政府代表団の一員として登録決定の瞬間に立ち会った加藤康子さん(産業遺産国民会議専務理事)は、16年に及ぶ登録までの道のりを紹介した。

 

 「東洋の奇跡」と称される日本の急速な近代化の価値を複数の産業遺産群で示すシリアル・ノミネーションで、登録を目指した同遺産。加藤さんは07年から、同鉄鉱山の視察に訪れる海外の専門家を次々に案内。「橋野、釜石なくして日本の産業革命遺産の登録はありえない」と言われてきたことを明かした。

 

 今年6月にオープンした産業遺産情報センター(東京都新宿区)のセンター長も務める加藤さん。23資産の保全の重要性を訴え、「全体の価値を維持できるよう、みんなで応援していかなければ」と協力を願った。

 

 この日は市内の中学生による鉄の学習発表会にも参加。「ものづくり、産業革命のDNAが引き継がれるのは釜石の誇り。遺産の保存だけでなく、教育プログラムで継承することは、まさにユネスコが求めるところ」と称賛した。

 

 当初「九州・山口の近代化産業遺産群」という枠組みで世界遺産登録を目指していた取り組みに、釜石を加えるよう強く提言した岩手大理工学部の小野寺英輝准教授(鉄の歴史館名誉館長)は、「遺産全体の中での釜石の意義を理解し、伝えていかなければならない」と、3つのポイントを紹介。釜石で確立された製鉄技術は後の官営八幡製鉄所(現北九州市)の成功を生み、日本経済の礎を築いたこと、日本で3番目の鉄道「工部省鉱山寮釜石鉄道」の開通で、工場立地が山から海側へ可能となり、船便出荷の効率が上がったことなどを示した。

 

 加藤さんがコーディネーターを務め、「みんなの橋野鉄鉱山『未来予想図』」をテーマとしたパネルトークも行われた。パネリストは市内で働く女性3人。世界遺産登録の意義、地域への効果、今後の展開などについて意見を交わした。

 

遺産について意見を交わすパネリスト

遺産について意見を交わすパネリスト

 

 三陸ひとつなぎ自然学校のスタッフで、子ども支援に携わる柏﨑未来さんは「子どもたちには遺産の価値が分かりづらい部分がある。鉄づくりなど体験型の学びで先人の苦労を感じれば、イメージしやすいかも」。釜石商工高電気電子科の川端美智教諭は「地元工業高として、世界遺産と結びつけた何らかの取り組みができれば」と話した。

 

 いのちをつなぐ未来館で震災伝承を行う菊池のどかさん(かまいしDMC)は、同鉄鉱山がある橋野町で生まれ育った。「世界遺産を目的に訪れた人が地元の他の魅力にも気付いてくれる。少子高齢化が進む中、今後は地域だけで盛り上げていくのは無理。日本の宝として、みんなが誇りを持つような身近な遺産になってくれたら」と思いを広げた。

ユーラスエナジー、釜石市消防団に発電機贈る〜栗林、鵜住居地区の12部へ

ユーラスエナジー、釜石市消防団に発電機贈る〜栗林、鵜住居地区の12部へ

市消防団へ発電機12基を贈り、市長感謝状を受けたユーラスエナジー釜石の奥山さん(右から2人目)

市消防団へ発電機12基を贈り、市長感謝状を受けたユーラスエナジー釜石の奥山さん(右から2人目)

 

 釜石市、遠野市、大槌町の2市1町にまたがる高地で風力発電事業を行うユーラスエナジーホールディングス(林勝職務執行者)は24日、釜石市消防団の栗橋、鵜住居地区の12部にそれぞれ非常用発電機1基を寄贈した。この厚意に野田武則市長は感謝状を贈った。

 

 贈呈式と感謝状伝達式は釜石市鈴子町の釜石消防署で行われ、同社の現地子会社ユーラスエナジー釜石の奥山寛さん(ユーラステクニカルサービス岩手・宮城事業所長)が発電機の目録(12基総額144万円)を山崎長栄団長に贈った。市長感謝状を釜石消防署の駒林博之署長が伝達した。

 

 発電機はHONDA製で、発電能力は100ボルト、900ワット。市販のカセットガスコンロ用ボンベを使い、2本で約2時間発電する。大規模災害で停電が発生した際、迅速に発電できる。ガソリンを使う発電機に比べ燃料の脱着操作が容易で、燃料の長期保管が可能だ。

 

 配備先は第6分団(鵜住居地区)の8部と第7分団(栗林町・橋野町)の4部。発電機とガスボンベはこの日、各部に分配され、団員が操作手順を確認した。

 

 釜石市橋野町和山などの高地にある風力発電事業は2004年12月から43基が稼働。発電容量4万2900キロワットを誇る。

 

 市消防団員でもある奥山さんは「日本本社は北海道から九州まで事業を展開し、シェア一位。風力発電事業は、地域のみなさんの理解と協力で成り立っている。感謝の気持ちを込めて、地域社会への貢献事業を続けている」と語った。釜石市では鵜住居川流域を中心に貢献事業を展開。遠野市、大槌町でも地域の要望に対応した環境美化、緑化事業などの支援活動を継続している。

 

 山﨑団長は「イザという時に活用したい。それが来ないよう願うが、千島と日本海溝を震源とする地震・津波が取り沙汰されている。貴重な資機材の寄贈に感謝する」と語った。

屋形遺跡の全景。大石漁港と唐丹湾(釜石市の空撮資料)

屋形遺跡(唐丹町大石)国史跡に、文化審議会答申〜縄文集落 貝塚と一体、三陸沿岸のなりわい示す

屋形遺跡の全景。大石漁港と唐丹湾(釜石市の空撮資料)

屋形遺跡の全景。大石漁港と唐丹湾(釜石市の空撮資料)

 

 文化庁所管の文化審議会(佐藤信会長)は20日、釜石市唐丹町大石地区にある「屋形遺跡」を国史跡に指定するよう萩生田光一文部科学大臣に答申した。貝塚と集落が一体となった同遺跡は、縄文時代の三陸沿岸のなりわいを示す貴重な史料とされる。本年度内にも国指定遺跡となる見込みが確実となった。釜石市内では国指定史跡名勝天然記念物の史跡分野で2件目となる。地元の大石地区住民は「にぎわいにつながる明るいニュース」と歓迎し、今後の整備事業に期待を寄せる。

 

 屋形遺跡は唐丹湾南側半島部の大石地区、標高26~30メートルの海岸段丘にある縄文時代から近世までの痕跡が残る集落。東日本大震災で高さ16・8メートルの津波に襲われ、住宅の全壊8棟を含む建物20棟が被災したが、人的被害はなかった。同遺跡も被害を免れた。

 

 2015年5月、津波避難道路を建設する市の復興事業に伴い発掘調査を開始。7月、縄文時代中期末から後期初頭(4000~3800年前)を主体とする竪穴住居や貯蔵蔵の遺構とともに、三陸沿岸では数少ない希少な事例の貝塚が発見された。

 

 遺跡の範囲は約2万平方メートル。貝塚は遺跡頂上部の平場から南の傾斜面に広がり、広さ約140平方メートル、深さ1・2~1・4メートルの厚さがあった。出土したのは魚介類を中心とする動物依存体、土器、石器類(石鏃・石のさじ、石皿など)、土偶、石棒などの祭祀遺物、骨角器(釣り針や骨のへらなど)が多い。

 

 動物依存体には岩礁に生息する二枚貝ムラサキインコが最も多い。魚類は内湾にいる根魚が大半で、クジラ、トド、イルカなど哺乳類の骨もあった。これらの事実から、同時代の人々のなりわいは湾内での採集・漁労が中心だったとみられる。また、南海産貝類のオオツタノハ、天然アスファルトが付着した二枚貝、黒曜石製石器など遠隔地との交流を示す出土品もある。

 

現在も食用とされる貝類も貝塚から出土

現在も食用とされる貝類も貝塚から出土

 貝塚発見の翌16年5月、市は専門家による屋形遺跡調査指導委員会=委員長・熊谷常正盛岡大教授(先史考古学)=を設置し、遺跡の保存と管理の方向性を定めてきた。

 

 文化審議会の答申では「三陸沿岸のなりわいの実体を示す遺跡として重要」と高く評価した。発掘調査の実務を担った市文化振興課文化財調査員の加藤幹樹さん(35)は「同時代の建物遺構と貝塚が一体で発見されるのは珍しい」と補足する。

 

貝塚が発見されて間もない公開に、100人以上が訪れた=2015年10月3日

貝塚が発見されて間もない公開に、100人以上が訪れた=2015年10月3日

 

 大石町内会の畠山一信会長(73)は5年前の発掘調査に携わり、貝塚が発見された様子を目撃した。「昔から土器や石器は見慣れていたが、貝塚は初めて見た。震災から間もなく10年。少子高齢化が進む中で明るい話題をくれた。にぎわいにつながるよう期待する」と語った。

 

 野田武則市長は「震災から10年の節目、新型コロナウイルスの影響がある中、喜ばしい。国の史跡指定に向けた取り組みで理解と協力をいただいた大石町内会、唐丹町、市民のみなさんに感謝する」とコメントした。

広報かまいし2020年12月1日号(No.1749)

広報かまいし2020年12月1日号(No.1749)

koho1749広報かまいし2020年12月1日号(No.1749)

 

広報かまいし2020年12月1日号(No.1749)

広報かまいし2020年12月1日号(No.1749)

ファイル形式: PDFファイル
データ容量: 1.5MB
ダウンロード


 

【P1】
第11回全国虎舞フェスティバル 観覧者募集
市長のつぶや記
【P2-3】
石塚トンネル交通規制のお知らせ
ひとり親世帯臨時特別給付金申請の案内

【P4-5】
水道管の凍結にご注意ください
マイナンバーカード交付申請出張サポートのご案内

【P6-7】
まちのお知らせ
【P8】
水辺の鳥観察会 参加募集
ジム・バトラー・グループ クリスマスジャズナイト 開催のお知らせ

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2020112500029/
釜石市

釜石市

釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
手練の技で柿の皮むき作業が順調に進められた

深まる秋に「柿すだれ」、唐丹で干し柿づくり

手練の技で柿の皮むき作業が順調に進められた

手練の技で柿の皮むき作業が順調に進められた

 

 釜石市の唐丹公民館(猪又博史館長)で12日、干し柿作りの皮むき作業が行われた。60代以上の住民25人が参加し、約1300個を仕上げた。年内の乾燥、成形を経て、独特の形と風味の「気仙柿」を完成させる。

 

 この地方では、柿の木は古くから田や畑のあぜなどに植栽され、渋柿の実は、さらし柿(アルコール加工)、干し柿などに加工して珍重され、高値の商品となった。

 

 唐丹公民館は、地元の資源を活用し、その技術を伝え残す活動を住民のコミュニティーづくりと一体化しようと、2年前から干し柿づくりを始めた。今年も住民が提供した柿を2回に分けて加工。合わせて2千個を作った。

 

 参加者は小白浜と片岸・川目地区の女性が大半。〝マイ包丁〟を持参し、手作業で加工を進めた。皮むきすると、木綿糸で20個を結び、つり下げた。作業は1時間ほどで終了した。

 

 川目の所有地にある柿を提供した小白浜復興住宅の尾形英治さん(80)は「昔は家族総出で気仙柿を作った。最近は作る人も、量も減った。今年はクマの被害もあったが、量は十分。柿作りの交流は楽しい。昔の技を思い出しながら、語らうのはいい」と共同作業を楽しんだ。

 

 小白浜地区の民家が協力し、日当たりがいい軒先に“柿すだれ”を並べる。好天が続けば1週間ほどで渋みが抜け、甘さが増す。乾燥状態と色合いを確認し保存する。参加者らが味見し、公民館や地区の集会行事で活用する。

種砕水車場から続く排水路跡で説明を聞く見学者

橋野鉄鉱山高炉場跡、長屋の建物遺構を確認〜発掘調査の成果報告、12月まで遺物展示

種砕水車場から続く排水路跡で説明を聞く見学者

種砕水車場から続く排水路跡で説明を聞く見学者

 

 釜石市の世界遺産「橋野鉄鉱山」の高炉場跡で市が実施している発掘調査の成果が7日、一般に公開された。調査エリアは二番高炉の北側。高炉稼働時の記録として残されている絵巻を基に発掘調査を行い、種砕水車場、3つの長屋の建物遺構を確認したことが報告された。出土した遺物は、同鉄鉱山インフォメーションセンターで12月6日まで展示されている。

 

 調査は8月24日から開始。盛岡藩お抱え絵師が1861(文久元)年ごろ描いたとされる絵巻「紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図(しほんりょうてっこうざんおやまうちならびにこうろのず)」(県指定文化財、釜石製鉄所所有)を基に発掘を進めてきた。

 

 「種砕水車場跡」では絵巻に描かれている水車場と排水路の痕跡を確認。水車を回している箇所の木枠部分のような跡が見つかり、水車の大きさや建物の範囲が推定される。建物廃棄時に、水車場や排水路の石垣を崩しながら廃棄している状況もうかがえた。

 

 「鍛冶長屋跡」では、明確な建物礎石は確認できなかったが、粘土塊が入った土坑跡が南北に並ぶ状況が見られた。用途は不明だが、掘立柱の穴の可能性も。鍛冶長屋の南隣「大工長屋跡」では建物礎石5個を確認。約180センチ(1間)間隔で並ぶ。現在の一番高炉に続く見学通路に重なる形で、長方形の建物敷地が想定される。

 

 二又沢川により近い「長屋跡」では建物礎石14個を確認。礎石間隔約180センチと約270センチ(1間半)の軸があり、面積約39平方㍍(約12坪)の建物が想定される。絵巻にはないが、長屋跡より一段高い平場も調査した結果、炭が密集し底面が焼けている穴が確認された。規模が小さいことから、伏焼窯あるいは種焼窯の可能性が考えられるという。

 

 橋野高炉は1858(安政5)年から94(明治27)年まで稼働。最大で3基の高炉が操業し、67(明治元)年から4年間は銭座も併設された。絵巻によると、作業員の長屋は三番高炉の西側にもあり、主に盛岡など遠方から働きに来ていた人が使っていたと見られる。

 

 鍛冶長屋跡からはフイゴの羽口、大工長屋跡からは角くぎ、かすがいと場所の特定につながる遺物が出土。馬のてい鉄、明治時代の銭など同所の鉄産業を物語る遺物も。水車場跡からは、水車が使われなくなって埋める際に捨てたと見られる高炉の耐火れんが、食器(陶磁器)や飲料、薬瓶の破片などが見つかっている。

 

 発掘を担当する市世界遺産課の高橋岳主任(37)は「建物の位置は、ほぼ絵巻通り確認できた。見学者も当時の雰囲気を少しでもイメージできたのでは」と話す。

 

 二番高炉周辺の発掘調査は本年度でほぼ終了。結果は報告書にまとめるほか、パンフレットの改編にも反映させる。現地の保護、表示法などについては今後、検討委員会で話し合う。

 

 この日の現地説明会では、三番高炉ブロックとして来年度、本格調査が予定される「御日払所跡」の試掘調査の結果も報告された。

やわらかく不思議な甘さ、甲子中1年生「甲子柿」収穫体験

やわらかく不思議な甘さ、甲子中1年生「甲子柿」収穫体験

収穫作業を見学し、甲子柿の生産現場に理解を深めた甲子中1年生

収穫作業を見学し、甲子柿の生産現場に理解を深めた甲子中1年生

 

 煙でいぶして渋を抜く釜石市特産「甲子柿」の生産体験学習が10日にあり、甲子中(柏舘秀一校長、生徒140人)の1年生42人が柿のもぎとりや実の仕上げ作業に挑戦した。「柿室(かきむろ)」と呼ばれる農作業小屋を見学し、試食もした。 

 

 体験学習は甲子町の生産農家柏木充夫さん(80)の柿畑で行われた。長男幹彦さん(51)が柿の木の手入れや収穫作業について説明。「約200本を栽培しているが、今年は天候不順のため育てるのが大変だった。時期を見極め収穫したので、残った実が少ない」とし、生徒2人が代表して柿もぎを体験した。

 

 柿室でいぶす様子を見学。床におがくずが敷かれ、もうもうと煙を出していて、幹彦さんは「甲子柿になるまで約1週間。温度は20度前後に保つ。糖度は14~15度になる」などと解説した。

 

 実のへた取りと磨きの仕上げ作業は柏木さんが実演。生徒たちは見よう見まねで、ハサミを使ってへたを切り取り、軍手で丁寧に磨いた。

 

 中村司恩君は脚立に上り収穫を体験し、いぶした柿を次々に頬張った。「あんなに硬かったのに、こんなに柔らかくて甘くなるなんて不思議。煙もすごかったのに焦げたにおいもしない。何個でも食べられる。地元にある食のおいしさを知った感じ」と笑顔だった。

広報かまいし2020年11月15日号(No.1748)

広報かまいし2020年11月15日号(No.1748)

広報かまいし2020年11月15日号(No.1748)

 

広報かまいし2020年11月15日号(No.1748)

広報かまいし2020年11月15日号(No.1748)

ファイル形式: PDFファイル
データ容量: 4.81MB
ダウンロード


 

【表紙】
【P2-5】
令和元年度決算のあらまし
【P6-7】
津波災害避難場所の見直し
市営住宅入居募集 他
【P8-9】
鉄の記念日イベント
釜石エール券再販 他
【P10-11】
こどもはぐくみ通信
石上真由子バイオリンコンサート 他
【P12-13】
まなびぃ釜石
【P14-15】
まちの話題
【P16-19】
コラム 釜石市教育魅力化コーディネーター
岩手大学かまいしキャンパスだより
まちのお知らせ
【P20-21】
保健案内板
【P22-23】
復興情報
【P24】
釜石の歴史 よもやま話

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2020111000087/
釜石市

釜石市

釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
ワールドカップレガシーを未来へ、釜石開催1周年イベント〜次世代が輝くまちづくりを

ワールドカップレガシーを未来へ、釜石開催1周年イベント〜次世代が輝くまちづくりを

ニュージーランドに伝わる「ハカ」を披露する甲子中の生徒有志

ニュージーランドに伝わる「ハカ」を披露する甲子中の生徒有志

 

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の開幕から1年となった2日、釜石市大町の市民ホールTETTOで記念イベントが開かれた。市内の小中学生が感想文を発表、高校生はボランティア活動の成果を報告するなど、W杯との関わりを通じた成長を披露。釜石開催の成功で手にしたレガシー(遺産)を地域の活性化や発展につなげようと、思いを新たにした。

 

W杯釜石開催の成果を報告した小中学生や高校生

W杯釜石開催の成果を報告した小中学生や高校生

 

 記念イベントは官民でつくる釜石ラグビー応援団(中田義仁団長)が企画し、約200人が席を埋めた。昨年9月25日に釜石鵜住居復興スタジアムで行われたフィジー対ウルグアイ戦の模様を上映し、それぞれの大使館関係者からのビデオメッセージも流された。

 

 2015年W杯英国大会で活躍した元日本代表の山田章仁選手(NTTコミュニケーションズ)がオンライントークショーで市民と交流。釜石シーウェイブス(SW)RFCの桜庭吉彦ゼネラルマネジャーと対談し、「釜石のみなさんの情熱は世界に届いた。いろんな個性の人が集まってできるのがラグビーの魅力。それぞれが得意なことを見つけてやってほしい」とエールを送った。

 

 甲子中の生徒有志はニュージーランドに伝わる伝統の踊り「ハカ」を披露してイベントを盛り上げた。W杯で釜石の小中学生が復興支援への感謝を込めて歌った「ありがとうの手紙」を釜石鵜住居復興スタジアムのアンセム(聖歌)にすることも提案された。

 

 釜石ラグビー応援団の中田団長は「W杯は想定以上の盛り上がりで、ラグビーを生かしたまちづくりのヒントを得た。W杯を通じて子どもたちが輝いていることも知った。それぞれの長所を生かしながら、次代を担う世代が活躍できる場をつくりたい」と今後を見据えた。

世界遺産の森を守ろう、「橋野鉄鉱山」周辺で育樹〜高炉に木炭供給の時代に思いはせ、一般市民も作業に汗流す

世界遺産の森を守ろう、「橋野鉄鉱山」周辺で育樹〜高炉に木炭供給の時代に思いはせ、一般市民も作業に汗流す

広葉樹の森復活へ作業に尽力した参加者

広葉樹の森復活へ作業に尽力した参加者

 

 釜石市の世界遺産「橋野鉄鉱山」周辺の国有林を高炉稼働時代の広葉樹の森に再生させる取り組みとして、24日、スギの人工林の枝打ちが行われた。市と林野庁東北森林管理局三陸中部森林管理署(大船渡市)が共催。関係機関・団体のほか一般市民が協力し、総勢65人で作業。世界遺産登録から5年―。参加者は高炉への木炭供給を支えた森林の価値を再認識しながら、作業に精を出した。

 

 「橋野鉄鉱山稼働時代の森づくり育樹祭」と題した同事業は、2017年にスタート。4年目の今年は一番高炉の南側の山林、約2ヘクタールで作業した。植樹から15年前後経過したスギが枝打ちの対象。幹から伸びる余分な枝をのこぎりやなたで切り落とした。人の背丈よりも上の部分は高枝のこぎりを使用。初心者向けの体験も行われた。

 

 上中島町の柏﨑恵美さん(38)、寧音さん(双葉小5年)親子は、寧音さんの同級生黒澤菜々子さんを誘って参加。寧音さんは「最初はのこぎりがうまく使えなかったけど、慣れてくると楽しくて夢中になって作業した。昔の人は便利な道具とかもないから大変だっただろうな」。母恵美さんは「枝打ちしていくと、どんどん日差しが入ってくる感じで気持ち良かった。子どもたちが自然と触れ合える機会にもなった。高炉跡も後でじっくり見てみたい」と声を弾ませた。

 

 市と管理局は世界遺産登録前の2012年に、周辺の国有林を適正に管理するため、「橋野鉄鉱山郷土の森保護協定」を締結。後に制度変更による再締結を経て、資産範囲と緩衝地帯約500ヘクタールを保護対象とした。

 

 一帯は戦後の高度経済成長に伴う木材需要に対応するため、スギやマツの人工造林が進められてきた。世界遺産登録を機に、元の林相に戻す取り組みが本格化。針葉樹は間伐を繰り返しながら伐採時期まで育て、資源を有効活用。間伐で空いた場所に広葉樹の侵入を促すことで、鉄鉱山稼働時代の森に近付けていくことにしている。当時の植生を取り戻すには100年単位の時間を要すると見られる。

 

 同管理署の菊地孝和署長は「継続した取り組みが大事。一般市民にも作業に加わってもらい、鉄鉱山や周辺の山林に思いを寄せながら、保護意識を次代につないでいってほしい」と願った。

 

 同鉄鉱山の繁栄要因の一つが、高炉の燃料となる木炭供給源であったナラやブナなどの豊かな広葉樹林の存在。世界遺産の範囲(高炉場、運搬路、採掘場跡)40ヘクタールのほとんどは森林で、育樹祭は、その意義を知ってもらう狙いもある。

 

 市は11月7日には、高炉場跡で行ってきた発掘調査の現地説明会を開催(午前10時と午後2時から各1時間程度)。これに先立ち、3日から橋野鉄鉱山インフォメーションセンターで発掘調査速報展も始まる。問い合わせは市世界遺産課(電話0193・22・8846)へ。

多くの住民が参加、郷土芸能などで交流した

躍動演舞 復興実感、神楽や虎舞で地域交流〜平田町内会 災害公営住宅

多くの住民が参加、郷土芸能などで交流した

多くの住民が参加、郷土芸能などで交流した

 

 釜石市平田地区の地域交流会は25日、平田地区生活応援センターなどで行われた。県営平田災害公営住宅(97戸)の入居者や平田町内会(佐藤雅彦会長、280世帯)の住民ら延べ300人が郷土芸能の演舞、キッチンカー開店などのイベントを通じて縁日気分を満喫し交流を深めた。

 

 交流会は県の被災地コミュニティ形成支援事業を導入し、実行委員会(会長・佐藤雅彦平田町内会長)が実施した。平田災害公営住宅(126戸)は2014年から入居を開始。自治会は翌年春に組織され、独自に交流会や敬老会などで親睦を図ってきた。平田町内会は被災区域のかさ上げ、区画整理や道路整備など復興事業を経て住民の交流を維持しているが、空き地が残り、住環境の再整備は途上だ。

 

 交流会は災害公営住宅の集会所近くの野外と約300メートル離れた平田地区生活応援センターの2階ホールでそれぞれ開かれ、平田神楽や平田虎舞のほか、空手の形も披露された。センターの駐車場にはキッチンカーが出店し、軽食やスイーツを家族連れが買い求めた。

 
 地元の熊谷玲子さん(80)は「平田に40年暮らすが、神楽を見る機会は少ない。上手に舞っていて楽しかった。震災で自宅は大丈夫だったが、コロナで日常の交流も影響がある。にぎわいはうれしい」と声を弾ませた。

 

 平田神楽保存会(久保義明会長)の掛け声を担当する前川力雄さん(85)は「コロナの影響で4月の平田まつりは宵宮の奉納だけ。釜石まつりに合わせた(福祉施設の)慰問もやめた。今年初めての公演ができた。みんなに見てもらわないと、郷土芸能の伝承も難しい。けっこう人が集まって、やりがいがあった」と喜んだ。

 

 平田災害公営住宅自治会の平野スエ子副会長(72)は「空き室が増えた。ペット(動物)を飼う人は、許可された公営住宅に移り、働いている若い世帯も減っている。高齢の人にはバスの便数や買い物の利便性が課題になる」とした上で、「交流会には予想以上にたくさんの住民が参加した」と手応えを語った。

 

 平田町内会の佐藤会長(66)は「コロナで、地域のイベントも中止。きょうは祭りのような感じだった。公営住宅のみなさんとは互いに話し合い、できる交流は重ねている。来年、センターの近くに公園ができる。町が一つになる行事を考えたい」と期待を述べた。

桑畑さんは自作が収録された美術年鑑を市立図書館に寄贈。その8冊が一挙に公開された(

美術年鑑を市立図書館に寄贈〜洋画家 桑畑さん「絵画に関心を」

桑畑さんは自作が収録された美術年鑑を市立図書館に寄贈。その8冊が一挙に公開された(

桑畑さんは自作が収録された美術年鑑を市立図書館に寄贈。その8冊が一挙に公開された

 

 釜石市新町の洋画家桑畑和生さん(69)が釜石市立図書館(高橋悦子館長)に美術年鑑8冊を寄贈し、18日まで小佐野町の同図書館で開かれた「3つの秋 よくばり図書展」の特設コーナーで公開された。桑畑さんは「私の作品も収録されているが、国内の現代作品が凝縮されている。絵画に関心がある多くの人に楽しんでほしい」と願う。

 

 桑畑さんは釜石北高時代から本格的に油彩の制作に取り組む。東京のデザイン専門学校を経て埼玉県の広告デザイン会社に勤務。1975年に釜石にUターンして就職し、仕事を続けながら創作活動に取り組んだ。96年に日本美術家連盟会員となり、98年に東京・新宿の伊勢丹デパート本店で個展を開くなど、個展はこれまで28回を数える。昨年夏には盛岡市の老舗デパート、カワトクで初の個展を実現した。

 

 作風は優しく、おぼろげな線や色彩で風景を描き、時間を超える透明感が醸し出す「いやしの世界」が多くのファンに支持され、大手電力会社のカレンダーにも採用された。

 

 美術年鑑は98年以降に発行され、桑畑さんの作品も収録される。今年夏に7冊を図書館に寄贈し、以前の1冊と合わせて8冊が書架に並ぶ。「禁帯出」図書で貸し出しはできないが、館内なら自由に閲覧できる。

 

 桑畑さんは、年間300日ほどは絵筆をとるという。作風はこれまでと変わらないが、「手がけている作品が一段落したら、名山ではない山並みを描いてみたい」と新境地への思いを膨らませる。

 

 今回の図書展は秋にちなみ、「芸術、スポーツ、食欲」を題材にした蔵書203冊を紹介した。