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感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

活動終了の釜援隊に感謝状〜官民協働、復興まちづくりへの貢献たたえる

感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

感謝状を手に笑顔を見せる釜援隊メンバーと活動を支えた市関係者ら

 

 釜石市は18日、本年度末で活動を終える釜石リージョナルコーディネーター(復興支援員、通称・釜援隊)の感謝状贈呈式を市役所で開き、官民協働による地域の課題解決、復興まちづくりへの貢献をたたえた。

 

 釜援隊は総務省の復興支援員制度を活用し2013年に導入。8年間に商社や国際機関、マスコミなどで勤務経験のある29人を受け入れた。本年度まで活動を継続したのは11人。市と住民や企業、NPOなどとの調整役としてまちづくりを支えてきた。

 

 贈呈式には隊員9人が出席。野田武則市長が感謝状、復興支援などへの感謝を伝える市の「サンキューカード」をそれぞれに手渡した。

 

 由木加奈子さん(活動期間約3年)、遠藤眞世さん(同6年)は復興住宅自治会設立など地域連携支援に取り組み、多様な人との出会いや協力で「自分にできる復興支援を実現できた」と振り返った。

 

 Uターン者の若林正義さん(同5年)、常陸奈緒子さん(同8年)は食ブランド開発、高校生の地域活動参画などを支援。古里の未来づくりに役立つ活動に充実感をにじませた。

 

 まちが復興する歩みに関わることで人生観を変化させた人も多い。今回活動を終える11人はみな、釜石に残り地域を見守る決断をした。

 

 震災伝承をテーマに活動した藤沢康雄さん(同3年)、漁業振興に携わった佐藤啓太さん(同4年)、漁業の担い手育成支援などを進めた斎藤孝信さん(同5年)、林業の人材育成支援などを手掛けた手塚さや香さん(同7年)は関連する活動を継続。「交流人口をつくる取り組みを推進したい」「地域を活性化させたい」と思いを新たにする。

 

 隊長としてマネジメントに力を注いだ二宮雄岳さん(同7年)は「持続的なまちづくりを進める人づくりを地域の皆さんと頑張っていきたい」と意欲を高めた。

 

 野田市長は「復興に果たした役割は大きい。それぞれの思いをつないでほしい」と今後の展開に期待した。
 久保竜太さん(同6年)、花坂康志さん(同5年)には後日、感謝状が贈られた。

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

 

広報かまいし2021年4月1日号(No.1757)

広報かまいし2021年3月1日号(No.1757)

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【P1】
土地区画整理事業による公園の利用開始
【P2-3】
新型コロナワクチン接種のお知らせ
キャッシュレス決済ポイント還元事業 他
【P4-5】
第六次釜石市総合計画を策定しました
【P6-7】
市の組織機構見直し
市職員の給与状況などのお知らせ
【P8-9】
固定資産税のあらまし
【P10-11】
まちのお知らせ
【P12】
福祉タクシー助成券交付のお知らせ
ふくしトピック 他

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釜石市×PayPay「がんばろう釜石!対象店舗で最大20%戻ってくるキャンペーン」を実施します!

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釜石市とPayPay株式会社は、釜石市内の対象店舗にてPayPayで決済すると、決済金額の最大20%のPayPayボーナスが還元されるキャンペーンを令和3年4月1日(木)午前0時から令和3年5月15日(土)午後11時59分まで実施します。当事業は市民の方はもちろん、市外の方・観光客の方でもご利用いただけます。

キャンペーン内容

本キャンペーン開催期間中に、市内対象店舗にてPayPayで決済すると、決済金額の最大20%のPayPayボーナスを還元します。
詳細内容やPayPayの使い方については、PayPayのキャンペーンページをご覧ください。
例)通常・・・1,000円ご利用で10円相当PayPayボーナス還元 (1%還元の場合)
  今回・・・1,000円ご利用で200円相当PayPayボーナス還元(20%還元の場合)

注)PayPay残高、Yahoo!JAPANカード、PayPayあと払いによる決済が対象です。

開催期間

令和3年4月1日(木)午前0時~令和3年5月15日(土)午後11時59分

対象店舗

上記ポスターが掲載されている店舗が対象です。
PayPayを導入している市内飲食店や小売店を初め、コンビニエンスストアやドラッグストア等でもご利用可能です。
※公的医療・介護保険が適用となる医療機関・薬局などは対象外です。

還元上限

4,000円相当/回(20,000円のお支払いで最大となります。)
20,000円相当/期間(合計100,000円のお支払いで最大となります。)
※ポイントは支払日の翌日から起算して30日後にPayPayボーナスで還元予定です。

お問い合わせ

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ご利用に関するお問い合わせは、PayPayカスタマーサポート窓口までお願いします。
PayPayカスタマーサポート窓口 ☎0120-990-634 24時間受付/土日祝含む365日対応
 
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PayPayは、スマートフォンやパソコンがあれば無料で導入することができます。
本キャンペーンは途中参加も可能です。
申し込みや導入に関するお問い合わせは、PayPayのサポートセンターまでお願いします。
PayPayサポートセンター ☎0120-957-640 10:00~19:00(年中無休)

「まつばら会」100回で終了、住民の孤立防止に貢献〜語らいを復興の原動力に、つながり継続を誓い合う

「まつばら会」100回で終了、住民の孤立防止に貢献〜語らいを復興の原動力に、つながり継続を誓い合う

最後の「まつばら会」で10年の歩みを振り返る参加

最後の「まつばら会」で10年の歩みを振り返る参加者

 

 釜石市の松原町内会(八幡徹也会長)が東日本大震災後、開いてきた昼食会を兼ねた懇談の場「まつばら会」が、100回の節目を機に終了することになり、10日、最後の会が松原地区消防コミュニティセンターで開かれた。この10年、月1回ペースで集まり、住民らの心のよりどころ、復興の原動力としてきた同会。参加者からは感謝の声が聞かれ、つながりの継続を誓い合った。

 

 まつばら会は震災直後から同センターに開設された避難所が8月で閉鎖後、市内各所の仮設住宅に散らばった被災住民から「松原に帰りたい」「みんなと顔を合わせて話をしたい」などの声が上がり、町内会が企画。2カ月後の10月から毎月10日(お盆の8月を除く)を開催日とし、住民女性手作りの昼食を囲みながら懇談する場を設けた。

 

 同地区の復興工事に携わる業者、市の関係部署から担当者に来てもらい意見交換をしたり、レクリエーションなどを楽しむことも。参加者は多い時で約40人を数えた。

  

 年数を重ねる中で、他地区に自宅を再建する人、中心市街地の災害公営住宅に入居する人も多く、近年の参加は町内在住者を中心に毎回15人ほど。新型コロナウイルス感染症の影響で、集団での会食が難しくなったこともあり、震災10年、100回を区切りに終了を決めた。

 

 10日は来賓を含め19人が参加。住民からは「会があったおかげで今まで元気に過ごせた」「被災から立ち上がる力をもらった」などの声があり、昼食作りに尽力したメンバーらに感謝の気持ちを伝えた。齋藤幸子さん(67)は「震災を機に住民の顔を知った。体調を崩し、会には半分ほどしか出られなかったが、開催には意味があったと思う」と振り返った。

 

 運営の中心的役割を担ってきた柴田渥さん(74)=同町内会事務局長=は「毎月10日を楽しみにしてくれた人もいて、それが一番の宝。いろいろ考えたメニューを『おいしい』と食べてくれる姿にも感動。こんなに続くとは思わなかった」。会の終了に寂しさを覚えながら、「住民の高齢化が進む。お互いに見守り合えるような町内になっていければ」と願った。

  

 松原町内会では震災で24人(関連死含む)が犠牲になった。震災前は230世帯、約500人が暮らし、事業所も30ほどあったが、津波で全体の3分の2が被災。住民の帰還は進まず、現在は約90世帯の居住にとどまっている。

 

 八幡会長は「コロナ禍で外出自粛傾向にあり、ストレスもたまりがち。独居高齢者の孤独死も懸念される。今後はお茶っこの会のようなものを不定期でも開催し、住民の孤立を防ぎたい」と話した。

公園完成 記念の植樹〜平田地区に4ヵ所 嬉石松原、鵜住居にも

公園完成 記念の植樹〜平田地区に4ヵ所 嬉石松原、鵜住居にも

平田地区に完成した「なみたき公園」で桜を植える鈴木東海市長(左)、野田釜石市長(右)

平田地区に完成した「なみたき公園」で桜を植える鈴木東海市長(左)、野田釜石市長(右)

 

 釜石市が東日本大震災の被災地区で進める土地区画整理事業で整備した平田地区の4公園が完成した。それぞれ地名にちなんで「あさひ小広場」「むつわ」「たてやま」「なみたき」と命名。震災から10年となった11日、旧釜石商業高校跡地そばに整備された、なみたき公園で記念の植樹が行われ、地域住民らが交流促進に期待を込めた。各公園は4月1日から一般開放される。

 

 なみたき公園の面積は2214平方メートル。芝を張り、グラウンドゴルフを楽しめるようになっている。ベンチや手洗い場を配置した。

  

 記念に植えられたのは姉妹都市、愛知県東海市から贈られた桜の苗木1本。追悼式に出席するため釜石市を訪れた鈴木淳雄東海市長もスコップを手に作業に協力した。

 

 東海市は震災後に物資支援、職員の派遣、ラグビーを生かしたまちづくりへの寄付など釜石応援を重ねている。鈴木東海市長は「あの痛ましい震災から節目の植樹。桜の木が成長するように、まちが発展し、両市の友好の絆もより深まってほしい」と願った。

 

 野田武則釜石市長は「地域のみなさんに震災の教訓、両市のつながりを感じながら桜の成長を見守ってもらえれば」と感謝した。

 

友好の深化へ思いを共有する東海、釜石両市の関係者

友好の深化へ思いを共有する東海、釜石両市の関係者

 

 平田町内会の佐藤雅彦会長は「震災前、町内に公園はなかった。少し高台にある(なみたき)公園は日当たりよく、周囲と調和している。予想以上にいい公園」と好感触。被災地域では家がまばらで、手つかずの土地も少なくない。震災以前より住む人の心の距離を感じることもあると言い、「公園がコミュニティーづくりの場になれば」と期待する。

  

 同事業による公園整備は嬉石松原、鵜住居地区でも進む。記念植樹は3つの公園が完成する嬉石松原地区で12日に実施、鵜住居地区では1公園が整備を終え日時を調整中。全て4月1日に供用が始まる。

 

10年響く「復興の鐘」、希望を託しバルーン放つ〜釜石駅前追悼行事

10年響く「復興の鐘」、希望を託しバルーン放つ〜釜石駅前追悼行事

震災後の支援に感謝し、今後のまちづくりへ意欲を高める出席者

震災後の支援に感謝し、今後のまちづくりへ意欲を高める出席者

 

 釜石市鈴子町の釜石駅前広場では11日夕、全国の支援者の協力で設置された〝復興の鐘〟を鳴らす追悼行事「かまいし復興の祈り」(同実行委主催)が行われた。震災の翌年2012年から続く3・11の恒例行事。同駅周辺の企業、団体の代表者や一般市民が集まり、鐘の音に鎮魂と未来への希望を託した。

 

 全員でバルーンをリリース後、鐘を建立した「釜石復興の風プロジェクト」の八幡徹也代表があいさつ。「あの日から10年。長かった、あっという間などさまざまな声が聞かれる。鎮魂から希望へ。次の10年に向け鐘をついてもらえれば」と呼び掛けた。

 

 野田武則市長、JR釜石駅の吉田正樹駅長ら招待者約10人が献花し打鐘。2016年に広場内に埋めたタイムカプセルから取り出した「5年後の釜石へ」と題した市民らのメッセージも紹介した。

 

 「復興は進みましたか?ラグビーワールドカップが終わって、まちはにぎわっていますか?希望あるまちになっていますように―」。復興への思いなど400人分のメッセージは、抜粋して19日からイオンタウン釜石で展示される。

 

 困難を乗り越えるリーダーの姿勢をメッセージに記した東北土地開発の佐々木光幸社長(65)は、地元経済の再興に「地域性をよく理解し、経営者らが力を結集することが必要。できない理由は考えず、信念を持って進めば道は開ける」と次の10年を見据えた。

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

教訓伝える3基の石碑、釜石市箱崎町〜高台避難を次世代につなぐ

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

明治、昭和、平成(左から)の津波の石碑が並んだ箱崎地区

 

 津波の脅威と教訓を末永く後世に―。東日本大震災発生から10年を迎えるのを前に、釜石市箱崎町の津波到達地に住民らが「津波記念碑」を建立。6日、落成開眼式が行われた。地域に受け継がれてきた明治、昭和の三陸大津波の碑に並ぶ形で建てられ、地区の被災の歴史と変わらない高台避難の教訓を次世代につなぐ。

 

 落成式には地域住民ら関係者約50人が出席した。建立実行委の小川原泉委員長(69)=釜石東部漁協組合長=が経緯を説明し、「これからもあの災害を忘れることなく、子々孫々に至るまで語り継いでほしい」とあいさつ。野田武則市長と共に記念碑を除幕した。常楽寺(鵜住居町)の藤原育夫住職により開眼供養が行われ、出席者が焼香して手を合わせた。

 

 黒御影石の記念碑は高さ1メートル90センチ、幅1メートル40センチ。上部の曲線が津波を表現する。表面に刻まれた「平成の大津波記念碑」の文字は野田市長が揮毫(きごう)。裏面には「忘れない」に続き、震災の発生日時、当時の総世帯数・人口、被災戸数、死者・行方不明者数などが刻まれた。建立場所は震災後、整備された市道箱崎半島2号線沿い、集落入り口付近の市有地。

 

震災の被災状況を刻んだ津波記念碑

震災の被災状況を刻んだ津波記念碑

 

 箱崎町内会(同町5~12地割)で震災10年を契機とした記念碑建立の声が上がり、昨年8月、実行委を組織。事業費約250万円は、現住民と被災して他地区に移転した元住民からの寄付金を主財源とした。

 

 箱崎漁港に面する同地区には震災前、273世帯、734人が暮らしていたが、津波で86%にあたる235世帯が被災。地区内で72人(関連死含む)が犠牲になった。

 

 石碑近くの馬場前地区造成地に自宅を再建した小林りち子さん(62)は、津波で夫のおばが行方不明。家族は無事だったが、自宅や所有する船、養殖道具などを全て失った。「大地震が来たら身一つでいいから、とにかく高台に逃げる。命が一番大事。教訓を伝えるこれらの碑をみんなで守っていきたい」と思いを込める。

 

 同町内会の荒屋正明会長(75)は「記念碑建立は6年前に会長職を受けた時から頭にあった。地区を離れた皆さんにも協力をいただき、ありがたい」と感謝。「犠牲者を悼み、災禍を忘れない場所として心にとどめ、さらなる地域防災力強化を図っていければ」と決意を新たにした。

 

 復興が進んだ同地区は自宅再建がほぼ終了。戸建て復興住宅(31戸)を含め、現在は148世帯が居住する。防潮堤(高さ14・5メートル)工事は、集落と漁港を結ぶ乗り越し道路の整備が今月末に完了する予定。

癒やしの歌声を響かせた釜石高音楽部

あの人 思い 手を合わせる〜鵜住居 祈りのパーク「10年は通過点」

犠牲者の芳名板の前で祈りをささげる家族

犠牲者の芳名板の前で祈りをささげる家族

 

 釜石市内全域の震災犠牲者の芳名板が並ぶ鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」には11日午前から、遺族や縁故者らが次々と訪れた。献花台に花を手向け、静かに手を合わせる人々。亡くなった人を決して忘れず、二度と悲劇を繰り返さないという強い思いが10年目の被災地を包んだ。 

 

 震災の津波で多くの犠牲者が出た鵜住居地区防災センター跡地に一昨年整備された同施設。市内の犠牲者1064人のうち1001人の芳名が掲げられる。11日は、犠牲者を弔おうと多くの人たちが訪れた。芳名板に手を当て思いを込める遺族。世話になった故人に感謝の気持ちを伝える縁故者。10年を機に足を運び、尊い命が奪われた震災に心を痛める外国人の姿も。日蓮宗仙寿院(芝﨑恵応住職)の僧侶と檀(だん)信徒12人は慰霊の唱題行脚で訪れた。地震発生時刻の午後2時46分―。防災無線のサイレンが鳴り響くと来訪者が一斉に黙とう。鎮魂の祈りをささげ、震災の記憶、教訓の継承を誓った。

 

地震発生時刻に黙とう

地震発生時刻に黙とう

 

 宮城県大和町の柏﨑桃香さん(26)は、伯母美幸さん(当時48)=片岸町=が津波の犠牲になった。姉のように接してくれた美幸さん。「当時はその優しさに気付けていなかった」と涙目で後悔を口にする。祖父龍太郎さんも、長年暮らした仮設住宅から再建した自宅に移った直後に他界。「釜石に1人残る祖母を幸せにすることが、2人のために自分ができること」と残された者の使命を胸に刻む。

 

 大渡町の片桐浩一さん(51)は、出産間近だった妻理香子さん(当時31)を防災センターで亡くした。「悔しい気持ちは消えることはないだろう。10年は節目ではなく通過点」。生まれていれば愛娘は今年10歳。「小学4年生か…」。かなわなかった親子の日常に想像をめぐらせた。今も脳裏に浮かぶのは妻の笑顔。「娘と2人で笑いながら見守ってくれている気がする」。この10年を「いろいろなことがありすぎた。一生が凝縮された感じ」と振り返る。震災の風化は避けられないが、「せめて3・11だけは自分や大切な人の命をどう守るか、考える日にしてほしい」と願う。

 

癒やしの歌声を響かせた釜石高音楽部

癒やしの歌声を響かせた釜石高音楽部

 

 釜石高音楽部(平松和佳奈部長)の6人は「願い~震災をのり越えて」など3曲を献唱した。菅野光里さん(2年)は、津波で祖父母が行方不明のまま。込み上げる悲しみをこらえ、精いっぱいの歌声を響かせた。「自分たちが活動する意味を感じた。微力かもしれないが、日常を大事にしてほしいという願いを歌で届けていきたい」と望んだ。

震災10年 希望を明日に、復興は新たなステージへ

震災10年 希望を明日に、復興は新たなステージへ

震災犠牲者に思いをはせ、追悼式で手を合わせる遺族ら

震災犠牲者に思いをはせ、追悼式で手を合わせる遺族ら

 

 東日本大震災から10年となる11日、釜石市の震災犠牲者追悼式が大町の市民ホールTETTOで開かれた。新型コロナウイルスの感染拡大防止を踏まえ一般参加者の入場は控えてもらうなど規模を縮小し、市内在住者に限定した遺族など103人が出席。津波で命を落とした大切な人をしのび、「震災10年」を区切りに新たなステージへと向かう釜石の復興、ふるさとの再生を願って手を合わせた。

 

 県内の人的被害は2月末現在、死者4674人、不明者1111人、関連死は470人に上る。釜石市では806人が命を落とし、不明者は152人。関連死の106人を含め犠牲者は1064人に上る。

 

 釜石の追悼式は東京都内で行われる政府主催の追悼式に合わせる形で開会し、震災が発生した午後2時46分に黙とう。中継された追悼式で、天皇陛下は「誰一人取り残されることなく、一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻せるように、皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います」と述べられた。

 

 野田武則市長は「震災で犠牲になった方々への鎮魂の思いをまちづくりの出発点とし、住まいの再建、なりわいの再生へ、たわまず屈せず、復興に向けて取り組んできた」と10年を振り返り、「復興は固定概念にとらわれず、多様に変化する環境に対応し、柔軟な姿勢で学び続けることが大切」と式辞。「学んだ教訓を生かしながら、被災者一人一人が幸せと復興の歩みを実感できるよう努力を重ねていく」と決意を述べた。

 

震災犠牲者の霊に向かい追悼の言葉を述べる野田市長

震災犠牲者の霊に向かい追悼の言葉を述べる野田市長

 

 津波で妻、長男夫婦、孫の家族4人を失った鵜住居町の鈴木堅一さん(77)が遺族を代表して追悼の言葉。「精いっぱい生きてきた、あっという間の10年だった」と振り返り、「これから何十年も生きたであろう5年生で亡くなった孫が、かわいそうでならない」と声を振り絞った。

 

追悼の言葉を述べたあと花を手向ける鈴木堅一さん

追悼の言葉を述べたあと花を手向ける鈴木堅一さん

 

 震災当時、鈴木さんは消防団本部長を務めていた。防潮堤の水門を閉めるため車で向かったが、山に逃げて辛くも助かった。

 

 亡くなった家族に再建を約束した自宅は5月に完成する。「しかし、いくら家を建てても、家族を亡くした私の気持ちの中で復興を感じることはない」と苦しいままの胸の内を明かした。

広報かまいし2021年3月15日号(No.1756)

広報かまいし 2021年3月15日号(No.1756)

広報かまいし2021年3月15日号(No.1756)

 

広報かまいし2021年3月15日号(No.1756)

広報かまいし2021年3月15日号(No.1756)

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【P1】
表紙
【P2-3】
新型コロナウイルス予防接種
医療費の一部負担金などの免除期間延長 他
【P4-5】
こどもはぐくみ通信
市民のひろば
【P6-7】
まちの話題
岩手大学釜石キャンパスだより
【P8-9】
まちのお知らせ
【P10-11】
保健案内板
保健だより
【P12】
まなびぃ釜石

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10年目の3月11日に寄せて

10年目の3月11日に寄せて

10年目の3月11日に寄せて

 

いつも「かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす」をご覧頂きましてありがとうございます。

 

本日は、東日本大震災から10年目となる3月11日を迎えます。
忘れてしまいたい気持ちと忘れて欲しくない思いが交錯し、多くの人が様々な葛藤を抱える中、10年という時間が経ちました。

 

あらためまして、お亡くなりになられた方々の御霊に、哀悼の意を表します。
そして、この10年間に全国また全世界から頂いたたくさんのご支援に、あらためて感謝いたします。

 

また更に、個々にペースの違いはあれど、復興の名のもとに歩みを進め、本日に至るまで町の日常生活を担ってきた市民の皆様にも、感謝と労いの気持ちをお伝えいたします。
釜石、そして被災地の復興は、住民一人一人の日常の積み重ねに依る部分が、とても大きかったと思います。

 

縁とらんすでは、「〜繋ぐ〜(釜石の過去・現在・未来の繋がり/釜石に暮らす人の繋がり/釜石を訪れる方々との繋がり/釜石を想う方々との繋がり)」(抜粋編集)というコンセプトの元、2015年のサイト開設以降、復興釜石新聞などと連携して様々な情報を発信して参りました。
情報を媒介とした繋がりを構築することで、復興の一助になって来られたかなと思っていますが、これもひとえに、町で生活する皆さんの活気や、いつも釜石を気にかけて下さる方々の熱量による所が大きいです。

 

10年という数字上の節目をもって生活が大きく変わったり、心の面での復興が加速したりすることはありませんが、これから先に歩みを進め続けるためにも、今日という日を大切に過ごし、哀悼の意、感謝の気持ち、労いの心で、全ての皆様が大切な人を想う一日になるよう願っています。

 

2021年3月11日
かまいし情報ポータルサイト~縁とらんす
管理者(釜石まちづくり(株))

縁とらんす

かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

縁とらんす編集部による記事です。

問い合わせ:0193-22-3607 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内

オンライン報告会を終え、充実した表情を見せる隊員ら

復興後押し 釜援隊“卒業式”〜8年の歩みを振り返る、オンラインで活動報告会

オンライン報告会を終え、充実した表情を見せる隊員ら

オンライン報告会を終え、充実した表情を見せる隊員ら

 

 東日本大震災からの復興に向け、釜石市のまちづくりや農林漁業の振興、住民福祉など幅広い分野で官民協働による課題解決を担う釜石リージョナルコーディネーター(復興支援員、通称・釜援隊)。今年度末で活動を終える。隊員らでつくる協議会は〝散開〟を前に、2月26日、大町の市民ホールで活動報告会を開催。発足から8年の歩みを振り返り、活動成果を総括した。

 

 多くの自治体が総務省の財政支援を受けて地域おこし協力隊員を迎える中、釜石市は13年、同省の復興支援員制度を活用して独自に釜援隊を導入した。商社や国際機関、マスコミなどで勤務経験のある29人を受け入れ、現在11人が活動。市と住民や企業、NPOなどとの調整役としてまちづくりを支えてきた。

  

 報告会はオンラインで開催。「釜援隊がまちや市民に提供した価値」をテーマにしたパネルトークで、遠藤眞世さん(33)=東京出身=は平田地区に整備された県営復興住宅の自治会運営の伴走支援など住民自治・共助のコミュニティーづくりを伝えた。被災の有無で交流を遠慮する住民たちをつなぐ祭りの実施など成果を上げた一方、年数とともに人の動きも変化し、コミュニティー活動を維持する難しさを実感。「コミュニティーづくりは自分たちでやる」というイメージを持った地域の担い手が必要だと指摘した。

 

 協働先として当時、活動を進めた市の千葉裕美子子ども課長は「住民と行政の懸け橋となり、新たなコミュニティーの輪を広げてもらった」と成果を強調した。

  

 東部地区事業者の連携支援に取り組んだ花坂康志さん(32)は、古里を盛り上げようとUターン。地区の方向性に関し行った事業者へのヒアリングで、異なる主張を整理し、話し合いの場に持ち込む難しさ、社会人としての未熟さを実感。人との関わりでさまざまな学びがあり、「成長を後押ししてもらった。今後、形が変わっても関わっていきたい」と力を込めた。

 

 同地区事業者協議会の新里耕司会長は「地元の視点に外の情報を入れ、新しいチャレンジを創造するチャンスをもたらした」と手応えを感じた。

 

 各隊員の活動報告は4グループに分かれ、一人15分の持ち時間で実施。現隊員の中で最も長く活動する常陸奈緒子さん(36)は「復興まちづくりにおける高校生の地域参画」をテーマに取り組みを紹介した。

 

 高校生による津波防災授業、中高生向けキャリア教育企画、放課後の居場所づくりなどをサポート。地元の後輩たちを応援する活動にやりがいを見いだし、「震災から10年。これからは平時のまちづくりがポイントになる。若い世代を育み、地域とつながり続ける体制、環境づくりを続けたい」と前を向いた。

 

 隊長の二宮雄岳さん(54)によると、現隊員のほとんどが釜石に残ることを決めている。自身も「できることがある」と決断。震災の復旧復興から地方創生期への変化に対応した活動の展開から得た価値を生かした協働の仕組みづくり、産業振興に注力する構えだ。

 

 協働先の市、企業、元隊員らが各場で視聴。2時間半の配信で、延べ約80人が成果を共有した。