戦後76年 出征兵士、釜石艦砲犠牲者らの御霊慰める~市戦没者追悼式~


2021/08/12
釜石新聞NewS #地域

コロナ対策で規模を縮小して行われた戦没者追悼式

コロナ対策で規模を縮小して行われた戦没者追悼式

 

 太平洋戦争末期、釜石市が米英海軍による2回目の艦砲射撃を受けた日から76年となる9日、市主催の戦没者追悼式が大町の市民ホールTETTOで行われた。参列者を市内の遺族に限定するなど新型コロナウイルス感染防止策を講じ、2年ぶりの開催。56人が参列し、戦争で犠牲になった全ての人々を悼み、非戦の誓いを新たにした。

 

 式辞に立った野田武則市長は「2度にわたる艦砲射撃で多くの尊い命が奪われた。その中に外国人もいたことを決して忘れてはならない。恒久平和の確立へ努力することが国内で唯一の歴史(2度の砲撃被害)を持つ当市に課せられた使命」と述べた。

 

 満州に出征した父(当時27)を亡くした浜町の西村征勝さん(77)=市遺族連合会会長=が、遺族を代表し追悼のことば。「数万人とも言われる日本兵士の亡きがらが異国の地で眠っている現状に胸が締め付けられる思い。一日も早く帰国を果たし、古里で安らかに眠る日が来ることを願う。遺族の高齢化が進み、戦争の悲惨さやつらい教訓が風化しつつある。二度と悲劇を繰り返さないという決意を確実に次の世代に伝えねば」と誓った。参列者は祭壇に花を手向け、犠牲者の冥福を祈った。

 

遺族を代表し、追悼のことばを述べる西村征勝さん

遺族を代表し、追悼のことばを述べる西村征勝さん

 

白菊を手向け、戦災犠牲者の御霊を慰める参列者

白菊を手向け、戦災犠牲者の御霊を慰める参列者

 

 満州に赴いた父(当時33)を亡くした尾崎白浜の佐々木郁子さん(78)は、当時1歳。生前の父の姿は、母や代用教員をしていたころの教え子らから伝え聞くことでしか知るすべはなく、「父親という存在自体がよく分からなかった。若いころは、父が生きていれば自分の生き方もまた違ったのかなと思ったりした」という。「世界では内乱や紛争が絶えない。罪もない一般市民が犠牲になるのは心が痛む。〝平和〟というものほど難しいことはない。人類の永遠の課題」と話した。

 

 同追悼式は新型コロナ感染拡大の影響で昨年度は中止。本年度は、例年行ってきた平和への思い作文コンクール入賞者の朗読、「翳った太陽」を歌う会の献唱、遺族ら一般参列者の送迎バス運行を中止するなど、感染防止策を徹底して開催した。式典時間に参列できない市民らに配慮し、式終了後、午後3時まで献花できるようにした。

 

釜石が受けた艦砲射撃に関する資料展示

釜石が受けた艦砲射撃に関する資料展示

 

 ロビーでは、市郷土資料館所蔵の釜石艦砲に関する資料を展示した。1945年7月14日、8月9日に受けた砲撃状況を示すパネル、焼け野原となった市街地の写真などに加え、戦災犠牲者に関する情報提供を求めるコーナーも。市が確定した艦砲射撃の犠牲者780人以外で、可能性のある191人について特定のための情報提供を呼び掛けたほか、遺族を探して市に寄せられた出征兵士の写真も公開された。

 

写真の男性の情報をお寄せ下さい。お心当たりの方は 釜石市郷土資料館までご連絡を

写真の男性の情報をお寄せ下さい。お心当たりの方は釜石市郷土資料館までご連絡を

 

 写真の裏には、「岩手県釜石市尾崎町 髙橋政男」と記されており、写真を所持していた人が遺族に返したいとの意向で市に提供したという。写真提供者の家は、かつて出征兵士の宿泊所だったため、戦地に赴く途中で宿泊した人だと思われる。心当たりのある人は市郷土資料館(電話0193・22・2046)まで連絡してほしいとのこと。

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