道路整備を訴えてきた鵜栗地区同盟会 市に新看板を寄贈 会は解散へ
恋の峠に掲げた新看板について説明する山崎会長ら
地域の渋滞解消や防災対策のため、迂回(うかい)機能を持つ道路整備の必要性を訴え続けてきた釜石市の住民団体「鵜栗地区道路整備促進期成同盟会」(山崎長也会長)は、三陸沿岸道路の開通で目的をほぼ達成したとして解散を決めた。これに伴い、同道路の意義を後世に伝え、愛着を醸成する看板を制作。7月21日、市に寄贈した。
鵜住居町と周辺5町の住民らで1996年に結成した同会は、国や県への陳情、住民大会、署名活動などを行い、地域を取り巻く道路環境改善を目指してきた。会の解散にあたり、鵜住居町の国道45号恋の峠に設置していた三陸縦貫自動車道釜石大槌間の早期実現を願う看板(2000年制作)を衣替え。「三陸道は地域住民悲願の道路 末永く大切に使いましょう」と文言を替え、会の思いを未来につないでいくこととした。
赤地から青地に替え、三陸道への愛着を表す文言を連ねた新看板=国道45号恋の峠
21日は山崎会長ら役員4人が市役所を訪問。これまでの活動経緯や新看板寄贈について野田武則市長に説明し、看板の維持管理を市に託した。野田市長は25年間にわたる会の労をねぎらい、「看板は悲願達成の証しでもある。会の思いは歴史に刻まれ、必ずや次世代に伝えられると思う。市としても大切に受け継ぎ、活用していく」と述べた。
同会は発足時からの活動をまとめた資料集(全91ページ)も作成した。「命の道の生いたち」と題し、陳情や運動資金調達、住民決議の詳細を示す資料、過去に発行されていた会報などを掲載。先行区間として整備された釜石山田道路両石―片岸間(4・6キロ)が、開通から6日後に発生した東日本大震災で避難者の命をつなぎ、その後の復旧・復興活動で大きな役割を果たしたことも、関係機関の多くの資料で紹介している。
鵜栗地区道路整備促進期成同盟会の歩みや三陸道が震災で果たした役割などをまとめた資料集
編集委員の1人、浦山文男副会長(81)は「災害が多発する時代だからこそ、地域の歴史、文化も含め土着の生きざまを知り、事前の備えをしておくことが大事。同じ悲劇を繰り返さないために役立ててもらえれば」と願う。資料集は270部作り、関係者や希望者に配布した。
山崎会長(85)は活動初期を振り返り、「毎晩のように集まって話し合いを重ねた。(国の機関のある)宮古、仙台、東京へ何度も足を運び、早期整備を要望した」と説明。当初、インターチェンジ設置は不可能と言われたが、住民の熱意が伝わり、同区間の優先着工が実現した。「鵜栗地区住民1万人の悲願を達成すべく活動したことが実を結び、今につながっている事実を子や孫世代に伝えたい」と山崎会長。
同会は国道45号の渋滞解消のためのバイパス的道路の整備、県道釜石遠野線笛吹峠のトンネル化による難所解消などを目的に「鵜栗地区国・県道整備促進期成同盟会」(初代会長=倉田昭二氏)として発足。2002年に現名称に変更した。活動資金は住民からの寄付で賄われた。
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