橋野鉄鉱山高炉場「御日払所跡」を発掘調査 建物の痕跡を確認
国史跡「橋野高炉跡」発掘調査現地説明会=2日
釜石市が7月から発掘調査を行う、世界遺産「橋野鉄鉱山」高炉場跡内の「御日払所跡」で2日、調査結果を報告する一般向けの現地説明会が開かれた。同調査は、市が2018年から進める「橋野高炉跡範囲内容確認調査」の一環。御日払所では労働者への賃金の支払い、採掘場から運ばれた鉄鉱石や生産された銑鉄の管理などが行われていた。今回の発掘調査では、建物の礎石や水路の痕跡を確認。出土した遺物は、同鉄鉱山インフォメーションセンターで公開されている。
発掘調査は、江戸末期(1860年代前半)の高炉絵巻に描かれている「御日払所、板蔵(倉庫)、土蔵」の位置と各建物の規模を確認するために実施。説明会では、調査を担当する市世界遺産課の髙橋岳主査が成果などを示した。
「橋野鉄鉱山惣御山内略図」(絵巻)に描かれている御日払所など(図右上)
1892(明治25)、94(同27)年の建物記録に「平屋(御日払所)68坪、板蔵15坪、土蔵6坪」の記載があることから、推定される範囲を発掘。御日払所は礎石配列の痕跡が一部確認された。同所には昭和初期に地元住民が居宅を構えており、建物登記に27坪と記載がある。調査では、その礎石配列が多く遺存していることが分かった。明治期の御日払所の礎石の大半は、昭和期の居宅用に転用された可能性があるとみられる。建物の山際には水路跡が見られ、ため井のような円形石組みも確認された。
「御日払所跡」に残る礎石配列。内側に居宅跡の礎石も確認された
御日払所跡の山際に見られる水路跡。水をためるような円形の石組みも確認できる
板蔵は、御日払所の北側に位置。同様に礎石配列の痕跡が確認された。礎石と礎石の間の補強材、礎石の根石代替材として、れんがが利用されているのが特徴。れんがは高炉構築材の再利用と考えられる。
御日払所、板蔵があった平場は石垣で囲まれ、その構築材には1871(明治4)年に操業をやめた二番高炉の石組みが再利用されている。明治の記録では板蔵が2階建てになっており、71年以降に平場石垣と建物が新築または改築された可能性が考えられるという。
御日払所跡の北側に位置する板蔵跡(約15坪)。所々にれんがが見られる
御日払所、板蔵があった平場を囲む石垣。廃棄された二番高炉の石組みが再利用される
橋野高炉には1868(明治元)年に銭座が併設され、71年まで鋳銭が行われていた。御日払所では地元民が持ち込んでくる餅鉄を買い取っていたことも記録に残されている。今回の発掘調査でも、銭や銭ざお、餅鉄が出土。他に鉄製の平くぎ、舟くぎなどが見つかった。居宅跡周辺からは昭和初期の暮らしを物語る生活用品や薬瓶、一銭銅貨、五銭アルミ貨などの遺物が出ている。
出土した遺物は橋野鉄鉱山インフォメーションセンターで公開中
銭と銭ざお(鋳型に流す湯道が冷えて固まった部分)。当時の鋳銭法を物語る
本年度は三番高炉跡周辺の試掘調査も実施。1956(昭和31)年に岩手大が主体となって行った発掘調査記録箇所の再確認と未調査箇所の地下遺構の有無を確認する試掘を行った。本格的な調査は来年度以降に行う予定。
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