タグ別アーカイブ: 文化・教育

sekaiisan0517

いわて世界遺産まつり 今年は釜石・橋野鉄鉱山で 本県が誇る3つの宝 現地から発信

いわて世界遺産まつりin橋野鉄鉱山=7日

いわて世界遺産まつりin橋野鉄鉱山=7日

 
 国内最多タイ3つの世界遺産(平泉、橋野鉄鉱山、御所野遺跡)を有する岩手県。その価値や魅力を広く知ってもらう「いわて世界遺産まつり」が7、8の両日、釜石市橋野町の橋野鉄鉱山インフォメーションセンター駐車場で開かれた。県文化振興課が主催。3遺産にちなんだワークショップ(製作体験)、オープンスクール(講話)に加え、餅の振る舞い、高校生の民俗芸能公演などが行われ、県内外から訪れた人たちが楽しんだ。
 
 同イベントは昨年の平泉での開催に続き2回目。現地への誘客、遺産がある地元の人たちが他遺産についても学ぶ機会にと企画され、今年は釜石が会場となった。7日は「一関祝い餅つき振舞い隊」5人による歌に合わせた餅つきで幕開け。来場者も参加してつきあげた餅は3種の味付けで振る舞われた。
 
「岩手まるごとおもてなし隊」が司会を務め、にぎやかに幕開け!

「岩手まるごとおもてなし隊」が司会を務め、にぎやかに幕開け!

 
 「一関祝い餅つき振舞い隊」の餅つき実演に来場者も飛び入り参加

「一関祝い餅つき振舞い隊」の餅つき実演に来場者も飛び入り参加

 
 初日の民俗芸能公演には県内2高校が出演した。大迫高(花巻市)学芸部神楽班の10人は国重要無形民俗文化財・早池峰神楽の一つ「大償(おおつぐない)神楽」、岩泉高(岩泉町)郷土芸能同好会の19人は「中野七頭舞」を披露した。釜石では初の演舞となった岩泉高生は、異なる道具を手に躍動感あふれる踊りを見せた。会長の坂下雄斗さん(2年)は「中野七頭舞をより多くの人に知ってもらうのが僕らの役目。貴重な場をいただきうれしい」と感謝。県内の世界遺産について、「身近にあるのは誇らしい。岩手の良さをあらためて感じる。行ったことがない遺産にも足を運んでみたい」と期待を膨らませた。
 
岩泉高郷土芸能同好会の「中野七頭舞」がまつりを盛り上げる

岩泉高郷土芸能同好会の「中野七頭舞」がまつりを盛り上げる

 
釜石初披露の岩泉高生らの演舞に観客は拍手喝采

釜石初披露の岩泉高生らの演舞に観客は拍手喝采

 
 会場内ではパネル展示で3遺産を紹介。ワークショップは3種のメニューが用意された。平泉は藤原泰衡の首桶から見つかった種が約800年の時を経て開花したことで知られる「中尊寺ハス」にちなみ、ハスの花のペーパークラフト、橋野鉄鉱山は鉄の歴史館(同市大平町)でも体験できる鋳造によるキーホルダー作り、御所野遺跡は自然の恵みで暮らした縄文人にちなみ、クルミの樹皮のストラップ作り。幅広い年代が挑戦し、完成品に笑顔を広げた。
 
 3遺産を学ぶオープンスクールは初日に橋野鉄鉱山の講話が行われ、市世界遺産課の森一欽課長補佐が鉄産業の近代化の歴史について話した。同鉄鉱山高炉場跡を回って質問に答えると、景品がもらえるクイズラリーも実施。芸能公演に出演した高校生も参加し、楽しみながら遺跡への理解を深めた。
 
クルミの樹皮でストラップ作り。縄文人は木の皮を編んで籠を作っていたそう

クルミの樹皮でストラップ作り。縄文人は木の皮を編んで籠を作っていたそう

 
釜石のワークショップは鋳造体験(左上)。橋野鉄鉱山スクール(右)の参加者には岩手の世界遺産グッズが当たるガチャのチャンスが…(左下)

釜石のワークショップは鋳造体験(左上)。橋野鉄鉱山スクール(右)の参加者には岩手の世界遺産グッズが当たるガチャのチャンスが…(左下)

 
大償神楽(早池峰神楽の一つ)を披露した大迫高生は橋野鉄鉱山クイズラリーにも挑戦(左上)

大償神楽(早池峰神楽の一つ)を披露した大迫高生は橋野鉄鉱山クイズラリーにも挑戦(左上)

 
 宮城県大崎市の佐藤栄喜さん(51)は今回で、岩手の3世界遺産訪問を全て遂げた。「見どころがいっぱいあっていいですね。現地ではそれぞれの歴史が感じられる。橋野や御所野は手付かずの自然もあり、良さがそのまま残っている」と実感。イベントを楽しみつつ、「一泊して明日またじっくり見ていこうかな」とほほ笑んだ。
 
 釜石市中妻町の浅沼英樹さん(53)は、初めて見る岩泉高生の「中野七頭舞」に感激。「おいしいお餅をいただいたり、キーホルダーを作ったりして楽しめた」と秋の休日を満喫した。同鉄鉱山にはイベントや散歩で年に1~2回は足を運ぶというが、「完全な形で残る平泉の金色堂などと違い、ここは一目で価値を理解するのが難しい。他地域から観光客を呼び込むには分かりやすい解説、何か工夫したPRが必要。ここまで足を延ばしてもらうためには、他のイベントとのタイアップや周りとの連携も一案かも」と話した。
 
3遺産のPRキャラクターとの触れ合いも人気

3遺産のPRキャラクターとの触れ合いも人気

 
記念撮影で笑顔を広げる大迫高生。楽しい思い出を心に刻む

記念撮影で笑顔を広げる大迫高生。楽しい思い出を心に刻む

nankyoku8512

南極観測隊を同行取材 岩手日報社記者が釜石・栗林小で講演 児童ら興味津々「行ってみたい」

栗林小で開かれた第63次南極地域観測隊同行・菊池健生さん(岩手日報社記者)講演会

栗林小で開かれた第63次南極地域観測隊同行・菊池健生さん(岩手日報社記者)講演会

 
 釜石市の栗林小(八木澤江利子校長、児童32人)で9月28日、第63次南極地域観測隊(越冬隊)に同行した岩手日報社報道部記者・菊池健生さん(32)の講演会が開かれた。同校と栗橋地区まちづくり会議(洞口政伸議長)が共催。49次隊(夏隊)に同行した同社報道部第二部長の鹿糠敏和さん(44)も来校し、2人で南極の自然環境や観測隊の任務、昭和基地での暮らしぶりなどを伝えた。全校児童、教職員、地域住民ら約50人が聞き入った。
 
 菊池さんは2021年11月から同隊に同行。1年5カ月にわたる取材活動で現地から記事を発信し、本年3月に帰国した。この日は07~08年に同行取材した鹿糠さんとともに講演。映像や写真を見せながら南極がどういう場所かを話した。
 
 昭和基地で越冬した菊池さんは、氷点下45度の世界を体験。自分が吐く息でまつげや髪の毛が瞬時に凍ること、最も強いレベルのブリザード(猛吹雪)は風速60メートルにも達し、ロープにつかまりながらでないと移動できないことなどを伝えた。鹿糠さんは紫外線の強さや夏季の極度な乾燥に言及。夏には白夜、冬には極夜の時期があることも説明した。厳しい環境が生み出す美しい光景も紹介。「オーロラ」の映像を見せると、児童らは「きれーい」「生き物みたい」と目を輝かせた。
 
氷点下25度の南極空間で熱湯をまいた時に見られた現象「お湯花火」を紹介する菊池健生さん

氷点下25度の南極空間で熱湯をまいた時に見られた現象「お湯花火」を紹介する菊池健生さん

 
南極の厳しい環境が生む各種光景に興味津々

南極の厳しい環境が生む各種光景に興味津々

 
49次隊に同行した鹿糠敏和さん(右)は今回、菊池さんの派遣をサポート。講演では自身の15年前の体験も語った。

49次隊に同行した鹿糠敏和さん(右)は今回、菊池さんの派遣をサポート。講演では自身の15年前の体験も語った。

 
 南極観測隊の任務は大きく分けて2つ。天文、気象、地質などの観測と、基地の設営・保守、物資の運搬。隊には研究者だけでなく電気、通信、車両、調理担当などさまざまな職種の人が参加。土木作業など自分の専門以外の仕事も協力して行っている。同基地には60数棟の建物があり、隊員たちは居住棟で寝泊まり。娯楽が少ないため、自分たちで楽しみを作り出すクラブ活動のようなことをしていたという。カフェ、釣り、野球大会…。菊池さんは基地内で野菜を栽培していたことを明かした。
 
 南極観測の主要目的の一つが地球の気候変動を知るためのデータ収集。日本の観測隊は昭和基地から約1千キロ離れた「ドームふじ」と呼ばれる場所(標高3800メートル)で氷の柱(アイスコア)を掘り、中に入っている空気の成分を比較することで、温暖化解明の手掛かりを得ている。20年前に約3000メートルの深さまで掘った際の一番古い空気は72万年前のもの。菊池さんが同行した63次隊は、世界最古となる100万年前の氷を採取するプロジェクトの第一弾で派遣された。
 
 隊は2~3週間かけて現場にたどり着き、後に掘削にあたる隊員が生活するための拠点(建物)づくりに従事。菊池さんも作業を手伝い、狭い雪上車での生活は2カ月半に及んだ。「観測によって地球の過去、現在、未来が分かってくる。謎を解き明かす鍵が厚い氷の下に眠っているかもしれない」と菊池さん。
nankyoku8611
 
南極観測の報道記録集の表紙を飾ったアザラシの写真についても説明

南極観測の報道記録集の表紙を飾ったアザラシの写真についても説明

 
 鹿糠さんは自身が撮影した写真や映像で南極の動植物も紹介。ペンギンやアザラシに出会った時の様子、湖に潜って目にした貴重なコケの集合体について話した。この他、閉鎖された他国の観測場所に残る金属やガラスが動物に危険を与える可能性も指摘。人間の不注意で持ち込まれた種から南極にはない植物が発芽してしまい、駆除した事例も示し、人間は自然に十分配慮して行動する必要があることを教えた。
 
 児童らは新聞やテレビ、書籍などでしか知ることのなかった南極について、さらに興味をそそられた様子で、2人の話を熱心に聞いていた。小笠原楓真君(6年)は「南極には何千、何万年も前のものが残っていて、氷からも調べられるのがすごいと思った。知らなかった情報がたくさんあって面白かった。いつか行ってみたいな」。小林彩恋さん(5年)は「寒いので生き物は少ないと思っていたけど、意外とたくさんいることが分かった。岩手から観測隊に入っていた人がいたこともびっくり。恐竜とか昔の生き物に興味がある。話にあった化石のことも調べてみたい」と声を弾ませた。
 
南極大陸、観測隊について楽しく学ぶ栗林小児童

南極大陸、観測隊について楽しく学ぶ栗林小児童

 
nankyoku8532
 
児童からはさまざまな感想や質問も出された

児童からはさまざまな感想や質問も出された

 
 1957年に昭和基地ができて以降、南極観測隊には国内の新聞社やテレビ局の記者が同行し代表取材。各社に記事を配信している。今回の菊池さんの派遣は、東日本大震災から10年にあたり、「本県が全国から受けた支援に対し地元新聞社としてできる恩返しを」と、岩手日報社が送り出したもの。地方紙記者としては初の越冬隊同行となった。
 
 菊池さんは帰国後、県内各地に招かれ自らの経験を話している。小学校での講演は栗林小が初めて。同校の学区・橋野町は菊池さんの祖父の出身地ということもあり、「すごく縁を感じる。伝えられたのは南極の一部ではあるが、少しでも興味を広げてもらえたらありがたい」。児童からの「行ってみたい」との声に「将来、この中から観測隊員が生まれたら、ぜひ取材させてほしい」と笑った。鹿糠さんも自分たちの経験を講演で届けられることを喜び、「地球環境の未来を守ることに多少でもつながれば」と期待していた。

unosumai9331

4年ぶり 震災復興の鵜住居を支援のみこしが渡御 祭り文化、郷土芸能継承へ再始動の一歩

unosumai9331

4年ぶりに開催された鵜住神社例大祭みこし渡御=1日、鵜住居町

 
 釜石市鵜住居町の鵜住神社(花輪宗嗣宮司)の例大祭は1日に行われた。新型コロナウイルス感染症の影響で実施が見送られてきたみこし渡御が4年ぶりに復活。約300人の行列が町内を練り歩き、まちは久しぶりの活気に包まれた。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた同町。人口減、住民の高齢化などで祭典運営は年々、厳しさを増すが、代々続く地域の祭礼、郷土芸能を絶やすことなく後世につないでいこうと、住民らが奮闘する。
 
 同神社は2011年の震災で、みこし、同保管庫、鳥居など本殿以外の建物、設備が津波で流された。全国からの支援で一歩一歩、復興への歩みを進め、新たなみこしが完成した15年に震災後初のみこし渡御を実施。コロナ禍による休止を経て再開された今年は2019年以来、新みこしになってからは5回目の渡御祭となった。
 
 神社でご神体をみこしに移す神事を行った後、行列が出発した。参道沿いの祭り場では地域の代表らがみこしに玉串をささげ、渡御の安全を祈願。鵜住居青年会の虎舞、外山鹿踊が奉納された。
 
高台の神社から下りてくるみこし(右)を迎える郷土芸能団体(左)

高台の神社から下りてくるみこし(右)を迎える郷土芸能団体(左)

 
祭り場で披露された「鵜住居青年会」の虎舞

祭り場で披露された「鵜住居青年会」の虎舞

 
子どもたちの「うさぎ舞」。青年会は手踊りも複数継承する

子どもたちの「うさぎ舞」。青年会は手踊りも複数継承する

 
刀振りとともに勇壮に舞う「外山鹿踊」

刀振りとともに勇壮に舞う「外山鹿踊」

 
 津波でみこしを失った同神社は12年に銀座西七丁目町会(東京都)から、13年には京都府南丹市園部町から、それぞれ子どもみこしの寄贈を受けた。その後、本みこし復活を目指し、有志らが「うのすみ神輿(みこし)つくろう会」を発足。複数のボランティア団体の協力で全国から寄付が集まったほか、日本財団の支援が決まり、異例の速さで新みこしの完成に至った。
 
銀座西七丁目町会から寄贈された子どもみこし。渡御で使う大太鼓(左上)、子どもたちが着用するはんてんも贈られた

銀座西七丁目町会から寄贈された子どもみこし。渡御で使う大太鼓(左上)、子どもたちが着用するはんてんも贈られた

 
京都府南丹市園部町から寄贈されたみこしは古峯神社の新たなみこしに

京都府南丹市園部町から寄贈されたみこしは古峯神社の新たなみこしに

 
 行列は祭り場を出て国道45号を北進。スーパーなどが入る商業施設・うのポートの角を左折し、消防屯所や住宅が立ち並ぶ市道を進んだ。同神社の本みこし、子どもみこし、同じ敷地内に祭られる古峯神社のみこし計3基が、町内の郷土芸能5団体(虎舞1、鹿踊り3、大黒舞1)に囲まれながら練り歩いた。沿道では迎えた住民らがさい銭をあげ、みこしに手を合わせた。
 
国道45号を進むみこし行列。沿道では住民らが見守った

国道45号を進むみこし行列。沿道では住民らが見守った

 
津波被災後、かさ上げ整備された国道での渡御は2019年に続いて2回目

津波被災後、かさ上げ整備された国道での渡御は2019年に続いて2回目

 
行列を出迎える住民ら。みこしが通ると手を合わせ、願いを込めた

行列を出迎える住民ら。みこしが通ると手を合わせ、願いを込めた

 
 みこし行列は、津波で被災し移設安置された金毘羅神の石碑が並ぶ公園(寺前交差点近く)に到着。地区住民が見守る中、神事と芸能奉納が行われた。神之沢鹿子踊、田郷鹿子踊、新神大黒舞などが踊りを披露。集まった人たちが久しぶりのにぎわいに笑顔を広げた。
 
 家族で見に来た地元の藤原英佑君(10)は「楽しい。みんなが喜んでいるのを見るとうれしい気持ちになる」と4年ぶりの祭りに感激。近くのアスレチック公園に親子で遊びに来ていた山田町の福士綾佳さん(37)は、太鼓や笛の音に誘われて足を延ばした。初めて見る鵜住居祭りに「おみこしが複数あってびっくり。幼い子も大勢参加していてすごい」と感心した様子。各地で祭りが復活していることも歓迎し、「子どもたちが土地の文化に触れる機会になる。今日は本当にラッキーでした」と喜びの言葉を口にした。
 
震災後に整備された金毘羅公園で踊る「神之沢鹿子踊」

震災後に整備された金毘羅公園で踊る「神之沢鹿子踊」

 
鵜住居町の西部地区に伝わる「田郷鹿子踊」

鵜住居町の西部地区に伝わる「田郷鹿子踊」

 
金毘羅神が祭られる新神地区に伝わる「大黒舞」

金毘羅神が祭られる新神地区に伝わる「大黒舞」

 
 行列はこの後、震災伝承施設などが建つ駅前エリア「うのすまい・トモス」に到着。地域住民や観光客など大勢の人たちが広場を囲む中、3基のみこしが虎舞に囃(はや)し立てられながら旋回した。全芸能団体が次々に踊りを見せ、集まった人たちから大きな拍手を受けた。
 
 大黒舞、鹿踊り、みこし担ぎなどで家族7人全員が祭りに参加した岩崎すみ子さん(73)。「(震災で)人口が減ってしまったが、いる人たちで何とかまちを盛り上げていかないと」と、家族総出の参加に思いを込める。孫の絢音さん(7)は大黒舞で2回目の参加。「踊るの大好き。楽しい」と祖母、母の背中を追いかける。絢音さんの兄2人は神之沢鹿子踊で今回が祭りデビューとなった。震災の津波で自宅を失い、再建して5年目―。すみ子さんは「仮設住宅にいる間は本当に建てられるのか心配だった」と振り返り、3世代で祭りに参加できるまでになった今の幸せをかみしめた。
 
鵜住居青年会による実りの秋を祝う「豊年舞」

鵜住居青年会による実りの秋を祝う「豊年舞」

 
駅前のうのすまい・トモスには大勢の見物客が集まり、各団体の踊りを楽しんだ

駅前のうのすまい・トモスには大勢の見物客が集まり、各団体の踊りを楽しんだ

 
 まちの復興を後押ししてきた祭りだが、少子高齢化や人口減などでみこしの担ぎ手、郷土芸能の担い手不足が年々顕著に。各団体は近隣のまちからも人員の応援を受け、継承への取り組みを進める。両石町の久保逞さん(17)は友人の母に誘われ、田郷鹿子踊に初参加。「地元では虎舞をやっているが、比にならないきつさ。腰と首と頭にこたえる」と笑い、「祭りはまちの活性化につながる。子どもが少ない時代でもこれだけ集まれるのはうれしいこと」と貢献できる喜びを語った。
 
みこし担ぎには小鎚神社、尾崎神社の担ぎ手衆が協力した

みこし担ぎには小鎚神社、尾崎神社の担ぎ手衆が協力した

 
 震災後、同神社のみこし担ぎには復興工事関係者や大学生ボランティアが協力してきたが、復興の進展とともに人員確保が課題に。今回は約30人の担ぎ手のうち半数近くを小鎚(大槌町)、尾崎(釜石市浜町)両神社の担ぎ手団体から応援を受けた。鵜住神社のみこし担ぎ責任者、藤原輝行さん(61)は「人員不足は鵜住居に限ったことではない。今はどこの神社も同様の課題を抱えていて、互いに支援し合いながらやっている」。震災から12年―。町内はまだまだ空き地が目立ち、大幅な人口増は見込めないが、「それでも伝統は守っていかねばならない。支援をしてくれた人たちに報いるためにも知恵を絞って次世代につないでいきたい」と意を強くする。
 
行列は新川原地区で折り返し神社へ還御。予定通りの行程を終えた

行列は新川原地区で折り返し神社へ還御。予定通りの行程を終えた

 
 鵜住神社氏子総代長で、祭典実行委員長の前川義博さん(85)は「4年、5年と間が空いてしまうと郷土芸能継承にも支障が出てくる。今年は絶対にやろうと、一丸となって準備を進めてきた。皆さんの協力でこれだけの立派なお祭りになった」と感謝。休止からの復活には大きなエネルギーがいる。「大変だっただろうが、実際やってみるとみんな笑顔。これを機にまた、やる気になってもらえたのではないか。今年は渡御ルートを短縮したが、今後また見直しを図っていければ」と話す。

nebama1

根浜の海岸風景を残そう 釜石東中生、浜の植物再生をお手伝い 息長く、着実に

浜由来の植物を増やそうと根浜海岸で活動する釜石東中生

浜由来の植物を増やそうと根浜海岸で活動する釜石東中生

 
 海岸の原風景を取り戻したい―。釜石市鵜住居町の根浜海岸で19日、地元の釜石東中(佃拓生校長、生徒83人)の2年生31人が、種から育てたハマエンドウやハマヒルガオ、ケカモノハシなどの苗約380株を植えた。東日本大震災の津波で多くの海浜植物が失われた海岸林の再生活動は今年で6年目。先輩たちからつながる取り組みは着実に根付いていて、「たくさんの植物が花咲くきれいな浜に」と願った。
 
 震災後にこの活動を始めたのは、根浜海岸林再生実行委員会。地域に親しまれたかつての風景を取り戻そうと地元住民や行政が連携し、同海岸由来の植物を種から育て現地に植え戻してきた。
 
根浜海岸で進む植物再生活動を知らせる看板

根浜海岸で進む植物再生活動を知らせる看板

 
 同校は2018年から協力し、総合的な学習の一環として続ける。2年生が中心となって毎年春に同海岸について学ぶ座学と種まきを行い、夏には移植地の清掃など全校挙げて環境を整備。秋に育てた苗を植栽して締めくくりとなる。
 
今年は5月に種をまき、水やりや日光管理を行いながら成長を観察。6、7月に移植地の草取りをして準備してきた。
 
移植場所の草取りをする釜石東中の2年生

移植場所の草取りをする釜石東中の2年生

 
先輩たちが植えた苗を残して周辺を除草

先輩たちが植えた苗を残して周辺を除草

  
 旅館「宝来館」前にあるマツ林の海側に作られた再生スペースが活動場所。生徒たちは除草した後、しっかりと根を張るよう願いを込めながら1本ずつ植えていった。現3年生が昨年種まきし育てていたハマボウフウの苗も植栽。定植場所を囲むロープの張り替えも行った。
 
育苗ポットから取り出して植える準備

育苗ポットから取り出して植える準備

 
苗を手に願う「しっかり根付いて」

苗を手に願う「しっかり根付いて」

 
自分たちが育てた苗を丁寧に植え付け

自分たちが育てた苗を丁寧に植え付け

 
 生徒や地元住民らの力によって再生スペースは延長200メートルほどに。先輩たちの取り組みが着実に根を張る。「ここは海辺の植物がたくさんあった貴重な場所。震災前の風景が戻るよう、できることをしたい」と汗をぬぐったのは小笠原早紀さん。“猫じゃらし”のようなケカモノハシが気になっていて、「どんな花が咲くのか、楽しみ。大きくなって、どこを見ても植物でいっぱいなきれいな所になってほしい」と思い描いた。
 
植え方を説明する島田直明教授(左)

植え方を説明する島田直明教授(左)

 
 講師を務める県立大総合政策学部の島田直明教授(植生学、景観生態学)は「作業した場所がどうなっているか、時々見にきてもらえるとうれしい。みんなが手伝って生まれる海岸の風景は地域の人の癒やしになる」と東中生に呼びかけた。育成中の苗は残り、植え替えが継続的、効率的にできるような取り組みも進行。「完成はまだ先だが、一緒に経験値をつくっていきたい」と、学校ぐるみの息の長い活動に期待を込める。

hosokawa2

踊りで地域に元気を 釜石の柳家細川流舞踊 10月の公演に向け、稽古に熱

発表会の会場となる舞台で練習に励む出演者

発表会の会場となる舞台で練習に励む出演者

  
 釜石市内を拠点に活動する「柳家細川流舞踊」の発表会・福祉基金チャリティーショーは10月8日に大町の市民ホールTETTO(ホールA)で開かれる。踊り手約20人のうち、26歳から81歳までの17人が出演予定で、本番に向けて向定内集会所(定内町)で稽古に励んでいる。残り1カ月となった9月9日には同ホールを貸し切って舞台練習。会場の雰囲気や舞台上での立ち位置などを確かめながら、「喜んでもらえる踊りを」と気持ちを高める。
  
 チャリティーショーと銘打つ発表会は5回目。これまでは東日本大震災の復興支援を目的にしてきたが、今回はまちづくりが進んだこれから先の地域により必要となる「福祉に役立つために」と思いを込める。
  
 会員は、演歌や歌謡曲などに振り付けをした新舞踊を中心に28プログラムに出演する。家元の細川艶柳華(本名・伊東恵子)さん(74)が選曲、振り付け、舞台構成、衣装選び、着付け、化粧など、ほぼすべてを担当し大忙し。会員らは家元の指導を受けながら曲に合わせた動き、足と指先の角度、ポーズなど細かい技術を磨いている。
  
「芸事が好き」と熱中する細川恵ノ丞さん

「芸事が好き」と熱中する細川恵ノ丞さん

  
 最年少で名取、そして今回の出演者中唯一の男性でもある細川恵ノ丞(同・千葉陽斗)さん(26)は3つの演目に登場する。「踊りの文化を引き継ぐ」若手として家元や仲間からの期待も多いが、そこにあるのは「多彩な顔」。この公演でもあでやかな女形を披露した後、一変してりりしい男踊りを見せるべく、稽古に取り組む。
  
 大槌町出身の恵ノ丞さんが、本格的に踊りを始めたのは社会人になってから。細川流に入門する母や祖母の影響もあり幼少期から踊りは身近なもので、「いつかは」と思っていた。仕事の傍ら稽古に励む生活は8年目。舞踊の魅力は「稽古の積み重ねで、その人にしか出せないものを見いだしたり、役になりきって感動を与えられる」と熱を込める。目指すは「また見たい!」と思ってもらえる踊り手。「まだまだ未熟。それでも自分にしか出せない色気や雰囲気を楽しんでもらえたら」と本番に向け集中する。
  
恵ノ丞さんの「多彩な顔」は本番のお楽しみ

恵ノ丞さんの「多彩な顔」は本番のお楽しみ

  
芸歴の長い踊り手たちも「負けじ」と役に入り込む

芸歴の長い踊り手たちも「負けじ」と役に入り込む

  
 年長者も負けてはいない。登場する2演目で男役を務める三田節子さん(81)は最高齢の踊り手。「歳をとると踊りながらふらつくこともあるけど…我慢」と言いながらも背筋はシャンと伸びていて、「2曲とも人生を歌っている。歌には物語があり、主人公になったつもりで感情を込め、かっこいい踊りを見せたい」と力を込める。昨年3月に仲間入りした初心者の工藤和子さん(68)は、初めての1人舞台に挑戦。「1曲入魂。頑張っていれば、いいことがあると信じる。喜んでもらえる踊りを」と意気込む。
  
「にぎやかに威勢よく」と地域を盛り上げる演目も

「にぎやかに威勢よく」と地域を盛り上げる演目も

  
細かな点を確認し助言する家元の細川艶柳華さん(中)

細かな点を確認し助言する家元の細川艶柳華さん(中)

  
 同団体は、細川流舞踊を立ち上げて30年以上率いた細川艶奨柳家元(故人)の一番弟子だった艶柳華さんが先代の遺志を引き継ぎ、改名・再出発してから10年を迎えた。「柳家」に込めたのは、「柳のようにしなやかに折れることなく続けていく」という意志。艶柳華さんは「目的があれば、踊り手たちの張り合いになる。老いに負けず、頑張りましょう」とはっぱをかける。
  
 新型コロナウイルスの影響で2年前の公演は入場を制限したが、今回は設けない方針。発表会開催時に企業などから集めていた協賛金はコロナや景気の動向を考慮し控えることにした。収益の一部を福祉事業に寄付する予定で、艶柳華さんは「みんなで力を合わせ、地域に元気をお届けします。多くの方に来場し、楽しんでもらいたい」と呼びかける。
   
多くの来場を呼びかける柳家細川流舞踊の踊り手たち

多くの来場を呼びかける柳家細川流舞踊の踊り手たち

   
 料金は前売りが1500円、当日券2000円で、同ホールと市社会福祉協議会で発売中。公演は午前11時半開場、12時半開演。釜石出身の民謡歌手佐野よりこさんが司会を務め、合間には歌声も披露する予定。詳しくは同ホールイベント情報で確認を。

sekaiisan6411

岩手が誇る3世界遺産を学ぶ 釜石・大平中1年生 県職員の出前授業で興味倍増

大平中1年生を対象に行われた県職員による世界遺産出前授業

大平中1年生を対象に行われた県職員による世界遺産出前授業

 
 釜石市の大平中(髙橋信昌校長、生徒80人)で13日、本県の世界遺産について学ぶ授業が行われた。県文化振興課が県内の小中高生を対象に開く出前授業で、同校では初開催。1年生19人が同市の「橋野鉄鉱山」を含む3遺産の概要や登録理由などを学び、その価値に理解を深めた。
 
 同課主任主査の濱守豊司さん(49)が講師を務め、クイズ的要素を交えながら楽しい授業を行った。本県の世界遺産は「平泉(の文化遺産)」(2011年登録)、「橋野鉄鉱山」(15年同)、「御所野遺跡」(21年同、一戸町)の3つ。橋野鉄鉱山は明治日本の産業革命遺産(8県11市23資産)、御所野遺跡は北海道・北東北の縄文遺跡群(4道県13市町17資産)の構成資産の一つとして登録された。いずれも世界文化遺産。
 
 濱守さんは「現在、登録されている世界遺産は1157件。日本では25件。世界遺産が3つあるのは岩手、鹿児島、奈良の3県だけで国内最多」と説明。本県の注目点として、時代が分かれている(御所野:約5000年前、平泉:約800年前、橋野:約160年前)ことを挙げた。3遺産の概要、登録理由についても解説した。
 
県文化振興課の濱守豊司さんが岩手の世界遺産について教えた

県文化振興課の濱守豊司さんが岩手の世界遺産について教えた

 
三択のクイズで正解と思うものに手をあげる生徒

三択のクイズで正解と思うものに手をあげる生徒

 
 「御所野遺跡」は縄文時代中期後半の集落跡とされ、竪穴住居跡などが残る遺跡。調査で土屋根だったことが証明されており、全国的にも珍しい形態だという。住居のそばにクリの木があり、実は食料に、木は家の柱に使うなど「自然の恵みを上手に活用して暮らしていたのが縄文人」と濱守さん。出土した土器も見せ、自然と共生した定住集落の構造がよく分かることを登録理由に挙げた。御所野を含む同遺跡群は国内最古の世界文化遺産。
 
 「平泉」は有名な中尊寺、毛越寺のほか無量光院跡など3資産を含む5つの構成資産から成る世界遺産。平安時代、奥州藤原氏4代にわたって造られた平泉は、初代清衡の「争いのない理想郷を」との願いから、仏教の「浄土」を参考に国づくりが進められていった。唯一現存する「中尊寺金色堂」、柱跡だけが残る「無量光院」は、当時の首都・京都から優秀な技術者を呼んで造らせたとされる。濱守さんは「当時の平泉はそのぐらい力があり、栄えていた土地だったことが分かる」と説明した。
 
 「橋野鉄鉱山」は国内で現存する最古の洋式高炉跡を有する場所。3基の高炉の石組みが残り、(鉄鉱石の)採掘場跡、運搬路跡とともに世界遺産になっている。「洋式高炉の稼働で、丈夫な鉄を一度にたくさん作れるようになった。今の豊かな生活があるのは、洋式高炉での製鉄に成功した釜石のおかげ」と、歴史的価値を示した。 
 
縄文土器、かわらけ(平安)など3遺産の時代の出土品にも触れた

縄文土器、かわらけ(平安)など3遺産の時代の出土品にも触れた

 
土器のかけらの手触りや重さを確かめる生徒

土器のかけらの手触りや重さを確かめる生徒

 
 生徒らは濱守さんの問いに積極的に受け答えしながら授業に臨み、本県が誇る世界遺産について理解を深めた。生徒らは8月末には、同市の製鉄の歴史を学ぶ一環で、手作りのミニ高炉での鉄づくりも体験している(市主催)。
 
 授業中、熱心にメモを取っていた照井心陽さんは、まだ行ったことがない御所野遺跡に興味を持った様子。「クリの木の近くに竪穴住居を作っていたのは初耳。よく考えて暮らしていたんだなと思った」。復元した土屋根の住居があると聞き、「中に入ってみたい。面白そう」と縄文文化の体験に期待を膨らませた。
 
 積極的に発言していた菊地優也さんは「平泉の金色堂が日本で最初に国宝(建物)に指定されたことや世界遺産が日本に25件しかないことなど、知らなかったことが知れた。岩手に3つも世界遺産があるのはすごい。他の遺跡のことも調べてみたい」と、知的好奇心をくすぐられていた。
  
生き生きとした表情で世界遺産授業に臨む生徒

生き生きとした表情で世界遺産授業に臨む生徒

 
生徒らは興味深げに濱守さんの話に聞き入った

生徒らは興味深げに濱守さんの話に聞き入った

 
 県による世界遺産出前授業は毎年、希望校が多い人気の講座。今年度は約120校から応募があり、うち30校で実施されている。

shimai1

防災の学び 伝え合う 釜石市・東海市の児童 まちの歴史から共通点を発見 友情深める

まちの特色や防災の取り組みを伝え合う釜石市と東海市の児童

まちの特色や防災の取り組みを伝え合う釜石市と東海市の児童

  
 姉妹都市提携を結ぶ釜石市と東海市の児童交流会が24日、釜石市の平田小(佐守直人校長、児童157人)であった。東海市の小学校12校から6年生24人が訪れ、平田小6年生(32人)と交流。互いの市の特色や防災学習の取り組みを紹介し、学び合いながら友情を深めた。
   
 平田小児童は「東日本大震災が起こった時、お母さんのおなかにいた人がほとんど」とした上で、津波襲来時の映像を紹介。家族らから話を聞いたり、避難訓練を年6回行っていることを説明した。全児童が水やタオル、カイロなどを入れた避難袋を用意していて、「いつ起こるか分からない災害。とにかく自分の命は自分で守る。津波が来たらとにかく高いところへ。『津波てんでんこ』の考えを大切にしている」と強調した。
  
東日本大震災時の津波の映像に見入る子どもたち

東日本大震災時の津波の映像に見入る子どもたち

 
ラグビーのまちについて紹介する平田小児童(右)

ラグビーのまちについて紹介する平田小児童(右)

   
 東海市の児童は熱心にメモを取ったり、デジタルカメラで写真を撮ったりしながら同年代の話に耳を傾けた。南海トラフ巨大地震を想定した備えについて発表し、ライフジャケットの着用訓練を行っていることを伝えた。
   
 4グループに分かれて、まちの特色や歴史などを発表し合ってより理解を深める時間も。東海市の児童が「震災のことを大人に初めて聞いた時、どんな印象だった?」と質問すると、平田小の児童は「小さい頃であまり分からなかった。学校で学習しながら知識を深めている」と答えた。ほかにも好きな給食のメニューやゲームの話題で会話を弾ませていた。
  
気になることを聞いたり答えたり、会話を弾ませたグループワーク

気になることを聞いたり答えたり、会話を弾ませたグループワーク

 
釜石にまつわるクイズに挑戦する東海市の児童(奥)

釜石にまつわるクイズに挑戦する東海市の児童(奥)

   
 平田小の熊谷凜音(りの)さんは「10年くらい前につらいことがあったけど、頑張ているよとしっかり伝えられた」と胸を張り、久保心輝(こうき)君は「鉄のまちが共通点ということが印象に残った。仲良くなって交流を続けられたら」と期待した。
   
 東海市立横須賀小の女子児童は「避難袋の取り組みが印象的。細かい準備をしていれば、いざという時に安心すると思う。すごい被害のあった震災のことをきちんと理解して、備えられるようにしていると感じた」と刺激を受けた。加木屋南小の男子児童は鉄の歴史に理解を深めた様子。「鉄の発展は大島高任のおかげ。学びや経験を伝えたい」と背筋を伸ばした。
  
東海市にちなんだ献立も入った給食を一緒に味わう

東海市にちなんだ献立も入った給食を一緒に味わう

   
 両市は、1960年代に釜石製鉄所から700人超が家族を伴って東海製鉄所に移ったことをきっかけに交流を開始。2007年に姉妹都市となり、スポーツを通じた交流事業などで絆を深めてきた。東海市は震災後、物資支援、職員の派遣、ラグビーW杯に向けた多額の寄付など支援を続け、中学生の海外体験学習事業(新型コロナウイルスの影響で現在は実施せず)などでも連携。児童の交流は21年度から続けている。

Lindeijer1

「憎む、代わりに愛を」 捕虜だった祖父 足跡たどり釜石に オランダから孫一家 つなぐ平和への思い

祖父の面影をたどり釜石を訪れたエローイ・リンダイヤさん(左)と家族ら

祖父の面影をたどり釜石を訪れたエローイ・リンダイヤさん(左)と家族ら

  
 第2次世界大戦中、釜石市の捕虜収容所に収容されたオランダ人のエヴェルト・ウィレム・リンダイヤさん(1908-81年)の孫で、投資家のエローイ・リンダイヤさん(58)が21日、家族と共に来釜。市郷土資料館や収容所跡地などを訪ね、祖父の足跡をたどった。
   
 ウィレムさんは1942年にオランダ領のインドネシアから捕虜として釜石市に送られた。甲子町にあった大橋捕虜収容所(正式名称・仙台俘虜[ふりょ]収容所第四分所)を主として生活し、機械整備などに従事。医学の知識があったため、大橋のほか港町にあった釜石捕虜収容所(同仙台俘虜収容所第五分所)の診療所で病人の治療などにも当たった。45年9月に解放され、釜石港から帰国の途に就いたとされる。
   
 当時の過酷な捕虜生活を妻子にあてて日記形式でつづっていたというウィレムさん。この手記を保管していたのが息子ウィムさん(1936-2013年)で、2000年に「ネルと子供たちにキスを―日本の捕虜収容所から」として発刊している。父の足跡を訪ねるため、ウィムさんは1995年からたびたび来釜。学校などで講演も行い、平和の大切さを訴えていたという。
  
捕虜生活中のウィレムさんがつづった日記の翻訳本「ネルと子供たちにキスを」

捕虜生活中のウィレムさんがつづった日記の翻訳本「ネルと子供たちにキスを」

   
 今回訪れたエローイさんはウィムさんの息子で、釜石を訪れるのは2度目。家族の歴史を知ってもらおうと、妻シャウケ・オーシティンディさん(59)や長男エリオットさん(20)、長女ロザリンデさん(15)を伴い休暇を利用し来日、釜石へ足を延ばした。
   
 鈴子町の市郷土資料館では、「ネルと~」の発刊のため、日本語翻訳に協力した市国際交流協会の加藤直子さんらが案内。当時の収容所の写真やウィムさんが釜石を訪れた際の写真などに見入った。
 
郷土資料館で祖父の足跡を確認するエローイさん一家

郷土資料館で祖父の足跡を確認するエローイさん一家

 
資料館が用意した資料。右上の写真がウィレムさん。来釜時のウィムさんの写真もある

資料館が用意した資料。右上の写真がウィレムさん。来釜時のウィムさんの写真もある

  
 エローイさんは父ウィムさんを思い出した様子。「かつては日本人を心の底から憎んでいた」と聞いたこともあったが、釜石の学校でスピーチをする時に「あなたたちを憎んでごめんなさい。憎む代わりに尊敬し、愛することを学んだ。和解したい。心の底から言えることだ。それが母の願いだから」と語っていたという。記憶をたぐり、自分にも言い聞かせるようにこう続けた。「祖母ネルは『日本人を恨んではいけない。憎しみから戦争が起こるから。憎むのはやめ、許しましょう。和解するように。日本人を愛しなさい』と生前父に伝えていた」。そうした願いを若い世代につなぐ。
   
 市役所で平松福壽副市長らと懇談した。エローイさんは来訪の目的などを伝え、市側は艦砲射撃という戦災の歴史をつなぐ活動を説明。つらく悲しい歴史を経て、笑顔で交流できる平和への思いに共感した。
 
市役所で市職員らと懇談。平和への思いを共有した

市役所で市職員らと懇談。平和への思いを共有した

 
「サン、ニー、イチ、カマイC(シー)」と記念撮影

「サン、ニー、イチ、カマイC(シー)」と記念撮影

  
 その後、港町に移動。市文化振興課の手塚新太さんや同協会の和田竹美さんの案内で収容所跡地や釜石港を見て回った。「祖父は何も分からない状態でここにいた…」と思いをはせるエローイさん。戦後、まちを再興した釜石の人々の生きる力も感じながら、「あのような過ちを繰り返してほしくない。子どもたちがファミリーヒストリーを知ることで、平和や自由のありがたさを感じてほしい」と望んだ。
  
 家族の歴史に触れたエリオットさんは「この場には何もないが、曽祖父は確かにここにいた。若い世代が立ち止まって、曽祖父たちが経験したことを考えてみることが大切だ」と受け止めた。ロザリンデさんは「当時の写真を見たり、跡地に来てみて、曽祖父がどんな経験をしたのか理解できたように思う。日記をしっかり読みたい。もっと歴史を知りたい」と思いを深めた。
  
収容所があったとされる港町の現地を確認した

収容所があったとされる港町の現地を確認した

 
収容所跡地周辺で市職員らから説明を受けた

収容所跡地周辺で市職員らから説明を受けた

 
解放された捕虜らが帰国の途に就いたとされる釜石港

解放された捕虜らが帰国の途に就いたとされる釜石港

   
 一行は甲子町の戦跡も巡った。市によると、捕虜収容所2カ所に収容された外国人は計746人。収容中に病気などで33人、艦砲射撃で32人が亡くなっている。

meijiphoto3189

「明治日本の産業革命遺産」写真で感じる魅力満載 フォトコン作品展 釜石で8/31まで開催

鉄の歴史館で開催中の「明治日本の産業革命遺産フォトコンテスト」作品展

鉄の歴史館で開催中の「明治日本の産業革命遺産フォトコンテスト」作品展

 
 釜石市の「橋野鉄鉱山」など全国8県11市23資産が世界遺産登録されている「明治日本の産業革命遺産」。日本の近代化を急速に推し進めた製鉄・製鋼、造船、石炭産業に関わる各遺産は、今も目に見える形で私たちに歴史的意義を伝え続ける。2015年の世界遺産登録から間もなく10年を迎えるのを前に、その価値を再認識し広く発信する機運醸成にと昨年度、フォトコンテストが行われた。橋野鉄鉱山を撮影した作品が最優秀賞に輝いた同コンテストの作品展が31日まで、同市大平町の市立鉄の歴史館で開かれている。
 
 同館2階会議室で開かれる作品展は市が独自に企画。最優秀賞を受賞した橋野鉄鉱山の作品「悠久のたたら場跡と星空」=佐々木弘文さん(釜石市)撮影=をはじめ、優秀賞2点(端島炭鉱、遠賀川水源地ポンプ室)、エリア賞8点を拡大プリントしパネル展示する。釜石のエリア賞は「原燃料の山と橋野一番高炉」=藤原信孝さん(同)撮影=が受賞している。
 
最優秀賞を受賞した佐々木弘文さん(釜石市)の橋野鉄鉱山の写真(右)は多くの人が感嘆の声を上げながら見入った

最優秀賞を受賞した佐々木弘文さん(釜石市)の橋野鉄鉱山の写真(右)は多くの人が感嘆の声を上げながら見入った

 
釜石のエリア賞を受賞した一番高炉を捉えた藤原信孝さん(釜石市)の作品

釜石のエリア賞を受賞した一番高炉を捉えた藤原信孝さん(釜石市)の作品

 
 同コンテストは、構成資産のある県、市で組織する「明治日本の産業革命遺産」世界遺産協議会(事務局:鹿児島県)が登録10周年に向けたプロモーションの一環として企画。「つなぐ」をテーマに、昨年12月から本年2月まで作品を募集したところ、1084点の応募があった。審査はプロの写真家の選考と資産エリアの自治体投票で行われた。8エリア(佐賀、長崎、三池、鹿児島、八幡、萩、韮山、釜石)の各賞は、関係自治体に選考が任された。
 
優秀賞を受賞した長崎市の端島炭坑の写真(右)は普段なかなか見られない角度が印象的

優秀賞を受賞した長崎市の端島炭坑の写真(右)は普段なかなか見られない角度が印象的

 
静岡県伊豆の国市の韮山反射炉の写真「秋空に映える」=韮山・エリア賞

静岡県伊豆の国市の韮山反射炉の写真「秋空に映える」=韮山・エリア賞

 
福岡県北九州市の官営八幡製鉄所旧本事務所の写真「夢と浪漫を求めて」=八幡・エリア賞

福岡県北九州市の官営八幡製鉄所旧本事務所の写真「夢と浪漫を求めて」=八幡・エリア賞

 
 受賞作11点は同コンテストのWebサイトで公開されているが、展示会場で見る大型パネル作品は、来場者の視覚に訴える色彩の美しさや構図の迫力が際立つ。古い建物や構造物、遺跡など一見地味な遺産が撮影者の視点と技で魅力的に切り取られており、大型パネル化でより一層、見る人に強い印象を与えている。
 
 会場では、釜石の「橋野鉄鉱山」に関する応募作62点から抜粋した10点(撮影者5人)も展示。季節の移り変わりでさまざまな表情を見せる高炉場跡が、同所になじみのある市民にも新たな感動をもたらしている。
 
橋野鉄鉱山の応募作品の一部を公開。季節や時間帯で多彩な光景が見られる

橋野鉄鉱山の応募作品の一部を公開。季節や時間帯で多彩な光景が見られる

 
橋野鉄鉱山の山神社跡に目を向けた作品。鳥居の両側の大木が圧巻

橋野鉄鉱山の山神社跡に目を向けた作品。鳥居の両側の大木が圧巻

 
 同協議会は遺産を分かりやすく解説した新たなパンフレットも作成した。掲載のために撮影したプロ写真の中から16点を本作品展で公開している。コンテスト応募者が題材にしなかった資産を中心に紹介する。
 
 会場では、来場者が作品の感想を付箋に書いて貼る参加型企画も実施。市世界遺産課の森一欽課長補佐は「われわれでは発信できない視点で切り取られた作品が並ぶ。釜石市民が見慣れた橋野鉄鉱山も普段とは違った見方で魅力を感じてもらえるのではないか。寄せられたコメントも楽しんで見てみては」と来場を呼び掛ける。
 
 同コンテストは本年度も開催中で、10月15日まで作品を募集している。テーマは「記憶」。作品は応募者本人が過去1年以内に撮影した未発表のものに限る。応募方法などは同コンテストの特設サイトで閲覧できる。

 

釜石鉱山フォトコンテストも開催中 旧鉱山事務所の国有形文化財登録10周年で市が作品募集

 
鉱石の採掘が行われたことを示す跡が残る釜石鉱山周辺

鉱石の採掘が行われたことを示す跡が残る釜石鉱山周辺

 
 釜石市は「近代製鉄発祥の地」の原点となった甲子町大橋の釜石鉱山をテーマとしたフォトコンテストを開催している。市が管理する「旧釜石鉱山事務所」が国登録有形文化財(建造物)になってから本年で10周年を迎えるのを記念し企画。事務所や周辺に残る痕跡など釜石鉱山の残したい風景を写真で募集する。応募は10月30日まで。
 
 釜石鉱山は1727(享保12)年に発見された。後に盛岡藩士大島高任が同地に洋式高炉を築造。1858(安政4)年、鉄鉱石を原料とした連続出銑に日本で初めて成功した。1880(明治13)年、鈴子に官営製鉄所が操業すると鉄道が開通し、機関車で鉄鉱石を運搬。製鉄所が民間経営となった後も供給が続いた。同鉱山からは銅鉱石や石灰石も産出され、2000(平成12)年まで採掘が行われた。
 
 大橋に残る旧釜石鉱山事務所は1951(昭和26)年に建設された。2008(平成20)年に日鉄鉱業が建物を市に寄贈。市は寄託された鉱山関連の資料を一般公開する施設として運営している。建物は2013(平成25)年に国登録有形文化財となっている。
 
旧釜石鉱山事務所の建物や鉄、銅鉱石の選鉱場跡が残る一帯

旧釜石鉱山事務所の建物や鉄、銅鉱石の選鉱場跡が残る一帯

 
急峻な場所に礎石だけが残る鉄鉱石の選鉱場跡

急峻な場所に礎石だけが残る鉄鉱石の選鉱場跡

 
釜石鉱山学園跡地から臨む中ノ沢堆積場(写真正面奥)。積まれているのは選鉱後の不要な砕石

釜石鉱山学園跡地から臨む中ノ沢堆積場(写真正面奥)。積まれているのは選鉱後の不要な砕石

 
 募集する写真は応募者本人が過去1年以内に撮影した未発表のもの。立ち入り禁止場所や個人、企業の敷地などで了承を得ず撮影した作品は応募不可。応募方法や規約はポスターやチラシ、市広報7月15日号掲載のQRコードから確認できるほか、市のホームページからも検索できる。
 
 市は登録10周年記念事業として、旧釜石鉱山事務所の愛称募集も行う予定。フォトコンテストの受賞作品や選ばれた愛称は、「鉄の週間」期間中に行われる行事で発表することにしている。

zuisatsu1

カメラ持ちて宝探し 釜石の写真家・菊池賢一さん つれづれなる作品展 何気ない風景、撮りつくせば

釜石市民ホールTETTOギャラリーで作品を展示する菊池賢一さん

釜石市民ホールTETTOギャラリーで作品を展示する菊池賢一さん

  
 釜石市大町の市民ホールTETTOで開催中のギャラリー展「art at TETTO(アート・アット・テット) Vol.9 随撮(ずいさつ)」。釜石・大槌地域で活動する作家を紹介する同ホール自主事業のこの企画で、9番目に登場したのは釜石・只越町で写真店「光陽写真」を経営するフォトグラファー菊池賢一さん(53)だ。本業もさることながら、趣味としてカメラを携え被写体という宝探しを楽しむ日々。普段の何気ない暮らしの中で目に留まった風景、人々の表情などを写した約60点を展示する。20日まで、入場無料。
   
並んだ作品の多くは釜石市内の風景。でも、どこにでもある暮らしの一コマ

並んだ作品の多くは釜石市内の風景。でも、どこにでもある暮らしの一コマ

   
 賢一さんは家業が写真店だったが、「やりたいことを自由に」という環境があり、大学卒業後は臨時教諭として岩手県内で働いた。2001年、父の故・宗親さんから相談を受けて古里へ。当時はカメラ撮影がフィルムからデジタルへの移行期で、店内の機材をデジタル化に対応させ、賢一さんの担当とした。同じ時期、店が拠点となっていた愛好者グループ「釜石写光クラブ」にも入会。本格的にカメラを手にした。
   
 初めに渡されたのはコンパクトデジタルカメラだったが、クラブ会員の多くはフィルム撮影で、賢一さんも「憧れが出てきた」。まねをしながら撮影していると、「飽き足りなくなった」。工作が好きだったこともあり、レンズの代わりに針で開けた小さな穴から光を取り込んで印画紙に焼き付けるピンホールカメラの自作・撮影を開始。フィルムもだが、「どんな画が写っているか、現像してみなければ分からない不便さ、面白さ」に夢中になった。
   
 そんなアナログ・白黒の世界、ピンホールカメラの楽しさを体感できるワークショップが12日にあった。元教員・賢一さんの自由性を尊重する教えのもと、参加者は手作りカメラで遊び、特設された暗室での現像体験では画が浮かび上がってくる魔法の時間を堪能した。千葉市の本行多恵子さん(47)も「構図を決めるのが難しいけど、楽しかった。現像液につける時間のさじ加減にドキドキ、ワクワクした」と満足げだった。
   
ピンホールカメラを作って、撮って、楽しむワークショップの風景

ピンホールカメラを作って、撮って、楽しむワークショップの風景

  
ワークショップ中もカメラを手に参加者の活動を記録する賢一さん

ワークショップ中もカメラを手に参加者の活動を記録する賢一さん

  
ホール内の特設暗室。参加者が写した世界も展示に加えられた

ホール内の特設暗室。参加者が写した世界も展示に加えられた

   
 最先端技術を持つデジタルカメラは撮るとすぐに画を確認できる「速さ」がメリット。アナログは「思うように撮れないところが魅力。失敗して、気づかなかったことに気づく。偶然性が楽しい」と賢一さん。それぞれの特徴、良さを使い分けており、ギャラリー展ではそうした手段を使った作品を並べる。
   
 ところどころに付け加えられた説明文。そこには賢一さんの撮影スタイルが記されている。これがキャラリー展のタイトル「随撮」につながる。写真にはキャプションという短い説明文を添えることがあり、これを「随筆」として捉え、もじった。「筆をカメラに持ち替えてみた…みたいな」といたずらっぽく笑う。ただ、写真は「それだけで対話ができる」とも。言葉が分からずとも、画を見ただけで共感できたり、「一つの言語なのかも」とうなずく。
   
フィルム、デジタルを使い分け商用、趣味的な作品を紹介する

フィルム、デジタルを使い分け商用、趣味的な作品を紹介する

  
作品に添えられた説明文。賢一さんの写真の楽しみ方が見えてくる

作品に添えられた説明文。賢一さんの写真の楽しみ方が見えてくる

   
 グループ展などで作品を紹介することが多く、個展は“ほぼ”初めて。「せっかくの機会、少し違った雰囲気に」と作品の見せ方にひと工夫。写真は平面だが、厚さ2センチほどのパネルを貼りつけて立体感を演出したり、サイズをA3、B2、全紙、全倍、2Lとバラバラにして動きを出した。
   
 ワークショップに参加した、賢一さんをよく知る同級生、工藤理宏さん(53)は「小さい頃から人と違う見方をする。堅そうだけど柔らかくもあり、ユーモアがあるけどふざけ過ぎていない、絶妙なバランスを持っている人。その視点、人柄が写真にも出ている」と明かした。
   
「撮っている時の楽しさが伝われば」と破顔する賢一さん

「撮っている時の楽しさが伝われば」と破顔する賢一さん

   
 家業を引き継いだのは08年。そして今年、写光クラブの会長になった。宗親さんは写真や仕事に関して厳しかったというが、そんな父の姿に賢一さんは「憧れ」を抱く。何でも言い合える仲間の存在とその信頼関係もしかり。「当時は人も時代も活気にあふれていた。好きなことを楽しむ、熱量を共感する感じだった」と記憶をたどり、現在の仲間と「そんな力強さを感じる関係にたどりつく」のが目標だ。
   
 ただ、撮影スタイルは「のんびりと」。外に出る時はいつもカメラを持ち、面白いものとの出合いを楽しむ。「何気ないもの、ふと目に留まったものにレンズを向け、シャッターを切る。その感覚に酔いしれたい」。共感する趣味仲間を求めている。

samedi451

新しい風 釜石の美術集団・サムディ45 「見てもらう喜び」実感 57回展

釜石市民ホールで開かれた「サムディ45」の57回展

釜石市民ホールで開かれた「サムディ45」の57回展

  
 釜石市の美術集団「サムディ45」(小野寺浩代表、会員21人)の第57回展は14~16日まで、大町の市民ホールTETTOで開かれた。発表の機会を求めて新たに3人が加入したほか、招待作品として若者4人が描く世界を紹介。「見てもらう喜び」を実感する「新しい風」の存在が刺激となり、会員らは創作意欲を高めている。
  
 同グループは、岩手県沿岸部を走る国道45号線沿いの美術愛好家の仲間たちが土曜日(フランス語で「サムディ」)に集まったのが始まり。講師を置かず、絵画、日本画、デザイン、工芸、刺しゅう、写真など多彩な分野の人が個々に創作活動に取り組んでいるのが特徴で、会員は地元釜石のほか、北上、花巻、鹿児島など県内外に広がる。
  
展示会場には幅広いジャンルの個性豊かな作品が並んだ

展示会場には幅広いジャンルの個性豊かな作品が並んだ

  
 作品展には幅広いジャンルの約60点が並んだ。モチーフは地元の山や海、アジサイなど自然の風景、静物、動物、反戦を訴える作品など多様。油彩や水彩、色鉛筆、「押す絵の具」と呼ばれるプッシュカラー、水面に垂らした絵の具で模様を描いて紙に写し取るマーブリング、ビーズを使ったモザイクアートなど用いた技法もさまざまだ。
  
samedi45

来場した人たちが多様な表現手法の作品をじっくりと鑑賞

  
 同集団での活動10年目の髙橋稔さん(43)は、フェルトを使った小物づくりを得意とする。勤務先の郵便局で、手作りの展示物で市民に季節感を届けており、「喜ぶ姿が励みになる」と継続。今回もチクチクと針仕事を進め、ゲームキャラクターをかたどった約100個のストラップを出品。「若い人たちにも、ものづくりに興味を持ってもらい、将来的にサムディに入ってもらえたら」と仲間入りを期待した。
  
 新加入の3人は市内の別グループでも活動する。会員の減少で展示会の開催が難しくなっていたところ、サムディの関係者から参加の誘いを受けた。釜石港や岩手山などを題材にした風景画3点を並べた中野カツ子さんは「展示場所を設けてもらい、本当にありがたい。見てもらうといろんな意見が聞こえるが、受け入れることで気づきを得て成長できる。『作品を出さなくっちゃ』と意欲もわく」と明るい笑みを広げた。
  
新加入した中野カツ子さんの作品「釜石港」「ひょうたん」

新加入した中野カツ子さんの作品「釜石港」「ひょうたん」

  
 招待作品は県内沿岸部の14~26歳の若者たちが描いた5点。カラー筆ペンや水性ボールペンなどを使い、細やかな筆致で描き込んだ作品が目を引いた。「母のふるさと」「おじいさん元気でいだすか(「いますか」の意)」と題名がついた作品は、家族の温かさが伝わってくるよう。「まだ表に出ていない、すてきな作品を見てほしい」と小野寺代表(63)が出展を声がけした。
   
会場では切り絵の体験会も。細やかな手作業に驚きの声が聞かれた

会場では切り絵の体験会も。細やかな手作業に驚きの声が聞かれた

   
 小野寺代表は「新しい風が吹いた。いろんな人の声を聞いたり、ほかの人の作品を見ることでいい影響がきっと出る」と手応えを得た。次は秋ごろに開かれる市民芸術文化祭への参加。見てもらう喜びを力に、会員それぞれがつくり上げる新たな世界を待ち望んでいた。

hamanasu1

声の便り 届けて30年 視覚障害者へ 釜石・ハマナスの会 記念誌発行 受け継ぐ朗読奉仕

完成した記念誌を手に笑顔を見せるハマナスの会の会員たち=7月2日、釜石市立図書館

完成した記念誌を手に笑顔を見せるハマナスの会の会員たち=7月2日、釜石市立図書館

  
 釜石市小佐野町の市立図書館を拠点に活動する朗読奉仕「ハマナスの会」(藤原由香里会長)。目の不自由な人のために地元新聞などから季節の話題や身近な情報を選んでCDに録音し、提供するボランティア団体だ。昨年、30周年を迎えたことから記念誌の作成を進め、このほど完成した。「アットホームな雰囲気で楽しい」「月1回の活動が張り合いに」「いつの間にか年齢が上に。もう少し続けて頑張ろうかな」。会員たちの思いがつづられている。
  
 1992年に発足した同会は、月に1回活動する。2011年の東日本大震災後2カ月間は同館が休館したため活動ができなかったが、それ以外は毎月欠かさず30年間継続。年に1回、朗読技術向上のための研修も行っている。録音だけでなく、利用者から希望があった際は本や雑誌を対面で朗読することもある。
 
 A4判全38ページの記念誌では年表で30年の歩みを振り返る。現在の会員のほか、利用者や活動を支えてきた図書館長や講師、元会員ら7人が寄稿。朗読奉仕活動の価値や効果、感謝の気持ち、懐かしい思い出などが、それぞれの視点で記されている。
 
会の歩みや声を通した交流の思い出などがつづられた記念誌

会の歩みや声を通した交流の思い出などがつづられた記念誌

 
野田市長に記念誌を手渡す(右から)松村さん、川畑さん、鈴子副会長=6月16日、釜石市役所

野田市長に記念誌を手渡す(右から)松村さん、川畑さん、鈴子副会長=6月16日、釜石市役所

 
 50部作成し、利用者や会員らに配布。一部は市に寄贈し、同館にも置かれている。6月16日には市役所の野田武則市長を訪ねて記念誌の発刊を報告。94年に入会した川畑光子さん(85)は「声を通して人とのつながりを感じている。ボランティアだが、いい加減な読みは許されない」と活動への強い思いを伝えた。「生の声でふわっとしたあたたかみを楽しんでもらっていると思う」と利用者の様子を想像するのは松村弘子さん(85)。鈴子和子副会長(67)は「先輩たちの力のおかげ。知恵を絞り合って、ますます頑張りたい」と意欲を見せた。
  
視覚障害者に届ける記事を読み、録音する松村さん(左)と藤原会長=7月2日、釜石市立図書館

視覚障害者に届ける記事を読み、録音する松村さん(左)と藤原会長=7月2日、釜石市立図書館

 
 「みなさん、お変わりございませんか。今日も新しい話題、心あたたまるお話、お届けします」
 
 ゆったりと穏やかな語りが、図書館の一室から聞こえてきた。活動日となった7月2日、全会員7人が集合。声の出し方や読み上げる速度、間の取り方、アクセントなど細部まで気を配りながら記事の朗読、録音活動にいそしんだ。この日、会員が持ち寄ったのはSL銀河のラストランや釜石よいさの復活を伝える記事など約30本。行政、教育、論説、エッセーなど多様なジャンルに触れてもらえるよう選別し、70分ほどのCDを作成した。
 
 完成品は後日郵送。受け取る視覚障害者の負担金などはなく、現在11人がサービスを利用する。「地域の話題をタイミングよく取り上げている」「いろんな読み手がいて退屈しない」「なまりにホッとする」などと評価は上々。そんな声に、届ける側の会員たちも力をもらっている。「まだまだ未熟で、今も勉強中」と口をそろえ、やる気、向上心は衰え知らず。仲間や利用者との声を通した交流を楽しんでいる。
  
 「また来月お会いしましょう ごきげんよう」
  
滑舌よく伝えるため早口言葉で発声練習=7月2日、釜石市立図書館

滑舌よく伝えるため早口言葉で発声練習=7月2日、釜石市立図書館

 
黒板に項目と録音時間を記して選別。下読みも入念に=7月2日、釜石市立図書館

黒板に項目と録音時間を記して選別。下読みも入念に=7月2日、釜石市立図書館

  
 和気あいあいとした雰囲気の同会では、50~80代の女性たちが活躍している。ここ数年は、会員の高齢化や若年層の担い手不足が課題。利用者の拡大も目標となっている。「利用する方がつつがなく暮らし、生活の彩りやゆとりを感じてもらえるといい。これからも無理せずに長く活動を続けたい」と藤原会長(56)。
 
 同会では会員を募集中。性別、年齢、経験の有無は問わない。通常は毎月第1日曜日が活動日。「来たれ若者よ!興味のある方は気軽に見学を」と呼びかける。詳しくは市立図書館(電話0193・25・2233)へ。