「芸は津波に流されない」 釜石最後の芸者“艶子姐さん” 波乱万丈の生涯を語り、踊り舞台で再現


2023/11/10
釜石新聞NewS #文化・教育

伊藤艶子さんが伝えた「釜石浜唄」なども披露した舞台「艶子姐さん~釜石最後の芸者物語」

伊藤艶子さんが伝えた「釜石浜唄」なども披露した舞台「艶子姐さん~釜石最後の芸者物語」

 
 古里釜石で踊りや三味線の芸の道一筋に生き、2016年に89歳で亡くなった伊藤艶子さんの生涯が、語りと踊りの舞台でよみがえった―。10月29日、釜石市大町の市民ホールTETTOで上演された「艶子姐さん~釜石最後の芸者物語~」。俳優名取裕子さんの語り、伊藤さんの芸を引き継ぐ東京・八王子の芸者衆の踊りなどで構成された舞台を約450人が鑑賞した。製鉄、水産業による釜石繁栄の時代、社交の席を踊りや唄で華やかに盛り上げ、多くの市民に親しまれた伊藤さん。来場者は在りし日の“艶子姐さん”の姿を思い浮かべながら、舞台に見入った。
 
 同公演は釜石市民ホールと、名取さんと親交のある小田島弘枝さんが代表を務める遠巣谷の森文化交流センター(西和賀町)が企画。名取さんの語りで15年から始まった「みちのく巡礼話芸劇場」シリーズの第3弾として行われた。名取さんは伊藤さんの言葉を釜石弁で熱演。4度の津波、2度の艦砲射撃など数々の困難に負けず、たくましく生き抜いた姿を巧みな話術で伝えた。東日本大震災後の避難所訪問を機に、伊藤さんからお座敷唄「釜石浜唄」などを教わった東京・八王子の芸者衆5人が踊りで華を添えた。劇中の唄は釜石出身の民謡歌手、佐野よりこさんが担当した。
 
オープニングで客席を通ってステージに向かう俳優名取裕子さん

オープニングで客席を通ってステージに向かう俳優名取裕子さん

 
釜石出身の佐野よりこさんが歌い、八王子芸者が踊る「釜石小唄」で幕を開けた

釜石出身の佐野よりこさんが歌い、八王子芸者が踊る「釜石小唄」で幕を開けた

 
芸の道を貫いた伊藤艶子さんの生涯を朗読劇で伝える名取裕子さん

芸の道を貫いた伊藤艶子さんの生涯を朗読劇で伝える名取裕子さん

 
伊藤さんやまちの歴史などの写真を映し出しながら舞台が進められた

伊藤さんやまちの歴史などの写真を映し出しながら舞台が進められた

 
 伊藤さんは1926(大正15)年、釜石に生まれた。裕福な家庭だったが、父親が病に倒れ、13歳で入学した高等女学校を4カ月で中退。幼いころから大好きだった踊りで身を立てたいと、浜町の格式高い料亭「幸楼」で住み込みの芸者修業を始めた。
 
 戦禍などを経て、27歳で単身上京。日本舞踊・藤間流の門をたたき、名取として「藤間千雅乃」の名を授かった。三味線も身に付け、29歳で帰郷。釜石は製鉄のまちとして繁栄を極め、人口9万人を超える時代に入っていった。伊藤さんは稽古場を開き、昼は弟子に舞踊を教える師匠、夜は幸楼のお座敷に上がる芸者“艶子姐さん”として2足のわらじを履いた。
 
 製鉄所の合理化で高炉の火が消えると、同市の人口は減少の一途をたどっていく。2011年、東日本大震災発生―。伊藤さん84歳の時だった。津波で自宅が被災。避難所生活を余儀なくされていた伊藤さんの元に、三味線が届けられた。持ってきたのは今回の舞台に出演した芸者衆を率いる八王子の置屋「ゆき乃恵」の女将、めぐみさん。「釜石の芸を八王子で受け継がせて下さい」。めぐみさんの申し出を受け、伊藤さんによる「釜石浜唄」と「釜石小唄」の踊りの稽古が避難所で始まった。その後、伊藤さんは東京にも招かれ、釜石の芸を披露した。12年には津波の教訓を歌にした「スタコラ音頭」の制作を手掛け、踊りは同市の夏祭り「釜石よいさ」の会場で踊られるようになった。
 
「スタコラ音頭」の完成発表会。伊藤さんの三味線で関係者らが歌った=2012年6月、幸楼

「スタコラ音頭」の完成発表会。伊藤さんの三味線で関係者らが歌った=2012年6月、幸楼

 
発表会の席で熟練の舞を披露する伊藤艶子さん

発表会の席で熟練の舞を披露する伊藤艶子さん

 
 89歳で亡くなるまで「釜石最後の芸者」として現役を貫いた伊藤さん。「津波で全部持ち物は流されたが、私の芸だけは流されなかった。芸は人と人をつないでくれる。本当にありがたい」。舞台の最後には伊藤さんの生前の歌声も聞かせ、出演者全員で「釜石浜唄」を披露して幕を閉じた。
 
「釜石浜唄」の披露では名取さんも三味線で共演

「釜石浜唄」の披露では名取さんも三味線で共演

 
 演じながら涙する場面もあった名取さんは「感情を抑えきれなかった。目に見えないものが人を支えてくれることを艶子姐さんから教えられた気がする」。伊藤さんから浜唄の指導を受けた佐野さんは「歌の間(ま)、三味線の弾き方も教えてもらった。釜石出身者として大事に歌っていきたい」と思いを新たにした。
 
 橋野町の小笠原栄吉さん(83)は1989(平成元)年の第4回釜石市民劇場「剣にこだまする 牧庵鞭牛」で主役を演じた際、劇中に出てくる踊りを伊藤さんから習った。「何事にもめげずに頑張り、市民に勇気を与えてくれた方。今日見に来た人たちの中には(お座敷などで)顔なじみの人も多いだろう。舞台上に掲げられた(伊藤さんの)写真を拝見し、懐かしさでいっぱいになった」と話した。
 
 市内の舞踊関係者からは「藤間の先生」と呼ばれていた伊藤さん。伊藤さんの三味線で踊る機会の多かった小川町の瓦田季子さん(86)は「まさに最後の芸者。釜石で跡を継ぐ人がいないのは非常に残念」と惜しむ。それでも生前、伊藤さんが願った“正調”の釜石浜唄、釜石小唄の末永い継承のため、有志6人で稽古を続けている。
 
 「ゆき乃恵」の女将、めぐみさんは「このような舞台で教えられた踊りを披露でき、艶子姐さんにもいい報告をさせていただける」と感謝。伊藤さんとの出会いは、地元の唄などその地に根付くものを見直す機会にもなったという。「お名前の通り艶のある声、愛らしいしぐさの一方で、自分の芸に対してはとても厳しい方だった。私の目標とする人物」とめぐみさん。伊藤さんがつないだ釜石との縁。「今後も芸能を通じたさまざまな交流ができれば」と思いを込めた。
 
舞台に出演した芸者衆を紹介するめぐみさん(左から2人目)

舞台に出演した芸者衆を紹介するめぐみさん(左から2人目)

 
会場には多くの人たちが訪れ、出演者の熱演に大きな拍手を送った

会場には多くの人たちが訪れ、出演者の熱演に大きな拍手を送った

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