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吉川拓翔ピアノ・リサイタル~渾身のオールソナタプログラム~

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TETTO地域アーティストコンサート vol.3
~渾身のオールソナタプログラム~

プラハで研鑽を積み、現在岩手と東京の二つの拠点で演奏活動を続ける吉川拓翔によるピアノ・リサイタル。
前半はベートーヴェンの代表的なソナタから2つ、後半はヤナーチェクとリストの劇的なソナタを演奏します。どうぞお楽しみください。
 
吉川拓翔ピアノ・リサイタル~渾身のオールソナタプログラム~ – 釜石市民ホールTETTO 公式サイト
 
ご来場される皆様へ【ご協力お願い】
・発熱や体調不良時には来館や来場をお控えください。
・施設内でのマスク着用は個人の判断となります。混雑時や継続的な発声を伴う公演等、必要に応じて着用してください。
・施設内での咳エチケットや手洗いの励行を推奨します。

日時

2024年3月31日(日)14:00〜15:40予定(開場13:30)

会場

釜石市民ホールTETTO ホールA

プログラム

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調 作品27‐2「月光」
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調 作品57「熱情」
ヤナーチェク:ピアノ・ソナタ 変ホ短調「1905年10月1日の街頭にて」
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調S.178
曲目は都合により変更となる場合があります。予めご了承ください。

出演

吉川拓翔 Takuto Yoshikawa ピアノ
桐朋学園大学音楽学部ピアノ専攻卒業後、プラハ音楽院で研鑽を積む。ニューヨーク国際音楽祭に参加しJerome Rose氏他、著名ピアニストのレッスンを受講、現地でのコンサートに出演。かさま国際音楽アカデミー、ミュージックセミナー in ゆうばりに参加。Mikhail Voskresensky、Toms Ostrovskisの各氏による特別レッスンを受講。プラハ城をはじめチェコ国内にて演奏会を開催。これまでに大久保恵理子、松井利佳子、岡本美智子、Milan Langerの各氏に師事。

料金

全席自由 一般:1,500円 高校生以下:500円 当日各200円増
 
◎割引 各20%引/各割引チケットはTETTOのみ取扱い
友の会:会員証提示で2枚まで割引
シルバー:65歳以上証明書提示で一般チケット1枚まで割引
親子セット券:一般と高校生以下の1セットにつき割引
 
※未就学児入場不可。多目的鑑賞室有 (要申込)

プレイガイド

前売券販売中
プレイガイド窓口
【釜石】釜石市民ホール、東山堂釜石事業センター、イオンスーパーセンター釜石店
【大槌】シーサイドタウンマスト
【大船渡】サン・リア、リアスホール
 
電話予約<受付開始 2/17(土) 13:00~>
〇釜石市民ホールTETTO 0193-22-2266へお電話ください。
 
専用申込フォーム<申込可能期間 2/17(土) 13:00〜3/30(土) 17:00>
下記QRコードまたはリンクからもお申込みいただけます。
https://forms.gle/jrcqq4i7pEgHxrHi9

〇この申込フォームからの申込可能期間は、2024年2月17日(土) 13:00〜3月30日(土) 17:00となります。
〇お申込いただいた後チケットが確保でき次第、登録のメールアドレスへお知らせいたします。迷惑メール設定や受信設定等のご確認をお願いいたします。お知らせは下記お問合せメールアドレスより送付いたします。
〇チケット代金のお支払いは、釜石市民ホールTETTO総合案内にて現金でお願いいたします。当日精算もできます。
★友の会、シルバー、親子セット券等割引をご希望の場合は、チケット引換の際にお申し出ください。

お問い合わせ

釜石市民ホールTETTO 0193-22-2266
mail:daihyo*tetto-kamaishi.jp *を@に変えて送付お願いします

備考

【親子鑑賞室について】(要申込)
客席での鑑賞が難しいお子様連れの方に、多目的鑑賞室のご利用ができます。
[定員]約4~5名
ご利用を希望される方はホールまでお申込みください。
※客席後方3階から見下ろす形になります。予めご了承ください。
 
【駐車場について】
当ホールには、専用駐車場がございません。車でご来場の際は、市営大町駐車場など近隣の有料駐車場をご利用くださいますようお願いいたします。
 
【大町駐車場割引券サービス】
公演当日、ホール総合案内にチケットと大町駐車場券を提示いただくと、駐車1時間サービス券を2枚進呈いたします。ぜひご利用ください。

主催等

【主催】釜石市民ホール
【共催】釜石市
【後援】岩手日報社、釜石市教育委員会
 

釜石市民ホール TETTO

釜石市民ホール TETTO

問い合わせ: TEL 0193-22-2266 / FAX 0193-22-3809 / 公式サイト
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-9

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CINEPIT =能登半島地震チャリティ映画上映会=「レディ加賀」

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映画『レディ加賀』公式サイト
 

CINEPITでは、令和6年能登半島地震の発生を受け、石川県の加賀温泉を舞台とした作品「レディ加賀」のチャリティ上映会を実施いたします。
◆チケット売上げの50%を能登半島地震の復興支援に寄付します。
◆会場に募金箱を設置します。
◆プチ北陸物産展を同時開催します。
◆これまで3回、コーヒーのお振る舞いにキッチンカーで能登を訪問をしている「Happiece Coffee」さんが、CINEPIT会場内にブース出店いたします。各回の上映の際は、オープニングトークの形で訪問の様子などをお話し頂く予定です。

 

 

日時

2024年4月13日(土)
① 10:00〜
② 13:30〜
※上映時間108分

会場

釜石PIT(座席90席設定)
 
●発熱・体調の悪い方のご入場はご遠慮下さい。
●可能な限りマスク着用の上(任意です)、上映中の発声はご遠慮下さい。
●入場の際は手指消毒をお願いします。

料金

一般1,000円
高校生以下500円
◆チケット売上げの50%を能登半島地震の復興支援に寄付します。
 
【特典】
市営大町駐車場ご利用の方に「駐車サービス券(2時間分)」をプレゼント

主催

CINEPIT運営委員会(釜石まちづくり株式会社)
上映担当:みやこ映画生活共同組合

お問い合わせ

釜石まちづくり株式会社 TEL 0193-22-3607

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト

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本格着手!釜石市庁舎建て替え 工事の安全を祈願 機能集約、2026年春の利用開始へ

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神事でくわ入れし新庁舎建設工事の安全を祈願する小野共市長

 
 釜石市の新庁舎建設工事の安全祈願祭が25日、天神町の建設予定地で行われた。分散する機能を集約した一体型庁舎で、震災の教訓を生かした防災拠点、市民に開かれた利便性などの機能を持たせた庁舎に建て替える。2025年12月に完成する予定で、26年春の利用開始を目指す。
 
 只越町にある現庁舎は1950年代から建設・増築を繰り返しており、最も古い本庁舎は築70年。耐震性に欠け老朽化が進んでいたほか、教育や保健福祉などの部署が市内に分散(現在は8カ所)し不便が生じていた。
 
 そうした問題を解決するため、86年に新庁舎建設の検討を開始。財政面の問題や東日本大震災により停滞したが、復興まちづくり計画に新庁舎建設事業を盛り込み、建設場所を天神町の旧釜石小跡地として準備を進めてきた。基本設計完了後に国と県による巨大地震(日本海溝・千島海溝)による津波想定の公表が相次ぎ、建設計画の見直しが必要になった上、資材費の高騰により建築主体工事の優先交渉権を得たJV(共同企業体)が辞退したことで再入札となり、スケジュールの先送りが続いていた。
 
新しい庁舎の建設予定地とイメージ図(右下)

新しい庁舎の建設予定地とイメージ図(右下)

 
 新たな庁舎は現庁舎から北に約150メートル離れた市有地(面積約1万1800平方メートル)に建てる。鉄骨鉄筋コンクリート造り4階建て、延べ床面積は約8000平方メートル。津波に対応するため地盤を1~2メートルかさ上げするほか、1階は窓口業務を中心とするが、書類や機材の配置は最小限とする。津波や大雨などの災害時は一時避難場所として活用。周辺住民や来庁者ら3000人を1週間受け入れることを想定し、非常用電源や飲料水、生活用水を準備する。「みんなのホール」を設け、市民の交流拡大につながる場所としての機能も見込む。総事業費は約82億円。
 
新庁舎の外観イメージ図。2025年12月の完成予定

新庁舎の外観イメージ図。2025年12月の完成予定

 
安全祈願祭で工事の無事を願う市職員ら

安全祈願祭で工事の無事を願う市職員ら

 
 安全祈願祭には関係者ら約100人が出席。神事でくわ入れなどを行い、工事の安全を祈った。検討開始から約40年の時間を要し、ようやく本格的な建設工事に着手。小野共市長は「目に見える形で進むことは釜石にとって明るい希望につながる。滞りなく完成するよう願う」と述べた。

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「防災ポリパン」って? 幼い子を持つ母親ら災害時に役立つ知識学ぶ 震災経験の先輩ママが伝授

かまいしこども園子育て支援センターバンビルーム「防災に役立つポリパン作り」

かまいしこども園子育て支援センターバンビルーム「防災に役立つポリパン作り」

 
 災害時、被災者の命をつなぎ、心身に力を与えるのはやはり食事。限られた食材、調理器具で簡単に作れるメニューは知っておいて損はない。その一つが「ポリパン」。高密度ポリエチレンの袋に材料を入れてゆでるだけでできるパンだ。蒸しパンのようなやわらかい食感、具材を入れれば味のアレンジも可能で、幼い子どもでも食べやすい。釜石市天神町のかまいしこども園子育て支援センターバンビルームが開催したポリパン作り教室を取材した。
 
 同センターの3月のイベント。市保健福祉センター内の調理室で開かれた教室にはセンターを利用する母親4人が参加した。講師を務めたのは同市在住で、一般社団法人ポリパンスマイル協会(梶晶子代表理事)認定のポリパンジュニアマイスター櫻井京子さん(40)。天然酵母を使ったフライパンでのパン作りなども教えている。
 
 ポリパンの材料は強力粉、薄力粉、ベーキングパウダー、砂糖、塩、卵、牛乳、オリーブオイル。湯せん調理が可能な高密度ポリエチレン袋に2種の粉を同量ずつ入れ、砂糖、塩、ベーキングパウダーを加えて、袋を振ってよく混ぜる。次に、溶いた卵に牛乳とオリーブオイルを加えたものを袋に入れ、さらに混ぜる。卵や牛乳のアレルギーがある場合は水でも代用可能。この日は具材として甘納豆、レーズンが用意され、好みで入れた。材料が混ざったら空気を抜いて袋を閉じる。袋は菜箸につるし、湯を沸かした鍋に入れて、弱火で20分ほどゆでる。時々、袋を動かし、熱が均一に伝わるようにする。
 
粉類を入れた高密度ポリ袋は空気を入れて振り、よく混ぜる

粉類を入れた高密度ポリ袋は空気を入れて振り、よく混ぜる

 
卵を溶き牛乳、オリーブオイルを加えたものを袋に入れ粉と混ぜる。空気を抜いた袋は菜箸につるしてゆでる

卵を溶き牛乳、オリーブオイルを加えたものを袋に入れ粉と混ぜる。空気を抜いた袋は菜箸につるしてゆでる

 
 櫻井さんは「災害時は断水で洗い物ができない場合がある。袋調理なら食器も不要。計量スプーンの代わりにペットボトルキャップ(約大さじ2分の1)も利用可能。最近は計量目盛りのある紙コップも販売されている」などと教えた。この日は、同じ要領で作る簡単“肉じゃが”も作った。肉の代わりにコンビーフを入れ、調味料は麺つゆを使った。
 
 ゆで時間を利用し、講師の櫻井さんは自身の東日本大震災の経験を語った。当時は海岸部の会社に勤務。後輩と避難し津波から逃れた。妊娠初期だった櫻井さんは避難所に身を寄せたが、体調が悪くても自分からは言い出しにくかったという。「困った時に『助けて』と言えるのは大事。声を上げないと、助けたいと思っている人も助けることができない。子育ても同じで1人では限界がある。『受援力』を身に付けて」とアドバイス。
 
 産前産後の母親のサポート活動も行い、2児の母でもある櫻井さん。小学生の子どもが準備したという防災(避難)バッグも見せ、非常持ち出し品や飲料水、非常食など備えの例を説明した。「車に膝掛け、子どもの着替え、お菓子などを常備しておくと、普段はもちろん、災害時にも役立つ。幼い子どもがいる場合はそれ用の準備も必要」と話した。
 
講師の櫻井さんは自身の子の避難バッグを紹介。必要と思うものを子どもが自分で詰めたという

講師の櫻井さんは自身の子の避難バッグを紹介。必要と思うものを子どもが自分で詰めたという

 
震災時の経験や乳幼児と避難するための準備について話す櫻井京子さん

震災時の経験や乳幼児と避難するための準備について話す櫻井京子さん

 
 ゆで上がったパンは少し試食し、子どもと一緒に食べるのを楽しみに持ち帰った。1歳2カ月の子を持つ沼倉絵梨さん(34)は「ゆでるだけでパンができるのは新たな発見。とても簡単。子どもも食べられそう」と感激。災害時の心配は、やはり子どもの食事。「何を食べさせたら…と不安はある。今日はいろいろ勉強できてありがたかった」と話し、「この機会に防災バッグの中身も再度確認したい」と意識を高めた。
 
時間がたつにつれ、袋の中の生地が膨らむ。出来上がりを待つ参加者

時間がたつにつれ、袋の中の生地が膨らむ。出来上がりを待つ参加者

 
袋の中のパンを切ってみると、ふっくらとした仕上がりに…

袋の中のパンを切ってみると、ふっくらとした仕上がりに…

 
 ポリ袋調理は災害時だけでなく、キャンプなどアウトドア活動でも活躍。講師の櫻井さんは、みそを使った常備食のレシピなども教えた。防災食といっても災害時に特化したものばかりではない。日常の食のアレンジが非常時にも有効であることが分かる教室となった。
 
ポリ袋調理でできた簡単肉じゃが(写真左)。みそに切干し大根や椎茸を混ぜた常備食は湯で溶けばみそ汁に(同右)

ポリ袋調理でできた簡単肉じゃが(写真左)。みそに切干し大根や椎茸を混ぜた常備食は湯で溶けばみそ汁に(同右)

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ウル虎ジュニア釜石 昭和新山国際雪合戦大会で優勝 初出場、強豪チームを破っての快挙 

第35回昭和新山国際雪合戦大会での優勝を小野市長に報告した「ウル虎ジュニア釜石」=22日

第35回昭和新山国際雪合戦大会での優勝を小野市長に報告した「ウル虎ジュニア釜石」=22日

 
 釜石市で活動するスポーツ雪合戦の小学生チーム「ウル虎ジュニア釜石」が、2月に北海道壮瞥(そうべつ)町で行われた第35回昭和新山国際雪合戦大会(国際雪合戦連合など主催)ジュニア交流の部に初めて出場し、優勝した。同チームは前回大会優勝の本県強豪、湯田レイダース(西和賀町)を破っての快挙に喜びもひとしお。メンバーらは22日、市役所を訪れ、小野共市長に優勝を報告した。
 
 同チームの黍原ゆらい主将(栗林小6年)らメンバー7人と佐久間定樹監督(41)が優勝旗・杯、表彰状を携えて訪問。小野市長ら3人が出迎えた。佐久間監督が大会概要や戦績について説明。メンバーが感想を話した。
 
大会について報告する佐久間定樹監督(左)、黍原ゆらい主将

大会について報告する佐久間定樹監督(左)、黍原ゆらい主将

 
 同大会は2月24、25の両日、昭和新山山麓特設会場で行われた。全国各地と中国から110チームが出場。年代などで分けた5部門で競技に挑んだ。ジュニア交流の部に出場したウル虎ジュニア釜石は予選、決勝合わせ4戦全勝。決勝では前回優勝の湯田レイダースを2勝1分けで下し、初の栄冠を手にした。佐久間監督は「1年間毎週練習を重ね、しっかり戦術を練って試合に挑んだ。大会2週間前に西和賀町で合宿し、雪で練習できたことも大きい」と勝因を明かす。岩手県沿岸のチームが同大会で優勝するのも初めてだという。
 
昭和新山国際雪合戦大会に挑むウル虎ジュニア釜石(写真提供:佐久間監督)

昭和新山国際雪合戦大会に挑むウル虎ジュニア釜石(写真提供:佐久間監督)

 
表彰式で初優勝に笑顔を見せるメンバーら(同)

表彰式で初優勝に笑顔を見せるメンバーら(同)

 
 同チームは釜石市のほか大槌町、宮古市、久慈市の小学生で結成する。昨年12月、初めての大会出場となったインドアスノーバトル宮古大会(本県宮古市で開催)で準優勝し、「これはいける」と手応えを実感。競技発祥の地で行われる同国際大会に満を持して挑んだ。普段は室内練習球を使って体育館で練習。実際の雪球を使い、雪上で練習する機会は積雪の多い地域のチームに比べれば圧倒的に少ないが、選手個々の身体能力、チームワークを十二分に発揮し、見事優勝を成し遂げた。
 
 黍原主将は「本物の雪は感覚も全然違うし、これで(普段通り)できるのかなと最初は不安もあった。優勝できるとは思っていなかったのですごくうれしい」。他のメンバーも「強い湯田に勝てて良かった」「このメンバーで悔いなく戦えたのがいい思い出」などと話し、喜びを爆発させた。
 
 小野市長は「優勝、本当におめでとう。みんなが一生懸命やったからこその勝利。自信を持ってこれからも頑張って」と祝福した。
 
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「一生懸命やって勝つと、それが自信につながる」と小野市長

「一生懸命やって勝つと、それが自信につながる」と小野市長

 
 スポーツ雪合戦は1チーム7人で戦う。シェルターに隠れながら攻撃のチャンスをうかがい、雪球を当てて敵の人数を減らしながら相手コートのフラッグを狙う。先にフラッグを抜くか、雪球を相手チーム全員に当てると勝ち。3セットマッチで2セット先取した方が勝者となる。
 
競技発祥地・壮瞥町昭和新山で行われる大会は選手の憧れ(写真提供:佐久間監督)

競技発祥地・壮瞥町昭和新山で行われる大会は選手の憧れ(写真提供:佐久間監督)

 
 佐久間監督は同競技について「年齢関係なく楽しめる。釜石でもさらに普及させ、岩手沿岸からどんどん大会に送り出せるようになれば」と願う。釜石では大人のチーム(中学生以上)として「タイガーセブン」「ウル虎セブン(女子チーム)」も活動中。練習は毎週月曜日午後7時から中妻体育館で行っている。小学生メンバー募集中。

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養鶏オヤマ 釜石に生産拠点「リアスファーム」完成 4月中に本格稼働 地の利生かす

完成した養鶏施設を見学する釜石市の関係者ら

完成した養鶏施設を見学する釜石市の関係者ら

 
 一関市の鶏肉生産加工販売業オヤマ(小山征男代表取締役)が釜石市栗林町に建設を進めていた養鶏農場「リアスファーム」が完成し、22日に現地でしゅん工式が行われた。8つの鶏舎で16万羽を飼育する釜石市内初の大型養鶏場。餌の仕入れ先が近く、配送コストの削減が見込まれるといった地の利を生かす。地元を中心に雇用した従業員6人体制で、4月中に本格稼働。1次産業の振興、雇用拡大が期待される。
 
釜石市栗林町に整備された養鶏農場「リアスファーム」の空撮写真

釜石市栗林町に整備された養鶏農場「リアスファーム」の空撮写真

 
 リアスファームは、オヤマグループのオヤマファーム(小山雅也代表取締役)が運営する。旧養豚場の跡地約4万2000平方メートルの敷地に鶏舎8棟(面積計9740平方メートル)を整備。鶏ふん倉庫、灰倉庫、管理棟、排水処理施設など付属施設(床面積計923平方メートル)も建てた。事業費は約13億円。
 
 鶏舎1棟当たり2万羽を飼育し、成長した鶏を一関市の工場に輸送して処理する。飼育期間は45~48日ほどで、年間最大88万羽を出荷する計画。鶏の出荷時期には臨時の雇用も想定する。
 
防疫対策の車両消毒ゲートを備え、施設内に入る車両を制限する

防疫対策の車両消毒ゲートを備え、施設内に入る車両を制限する

 
 オヤマは「いわいどり」「奥の都どり」などの鶏肉とその加工品を「安全、安心、健康」をキーワードに、生産・飼育、処理、加工、流通、販売の一貫システムで供給する。国産の鶏肉市場が拡大する中、鶏肉の処理能力が現状の2倍以上となる新工場を一関市内に建設中。生産量の増加、事業規模の拡大を視野に、餌の仕入れ先が立地する釜石に供給拠点となる農場新設を決めた。2021年夏に釜石市と立地協定を締結。22年秋に建設工事に着手し、整備を進めていた。
 
 しゅん工式には関係者ら約70人が参加し、神前に玉串をささげ、完成を祝った。式後に施設見学があり、鶏舎などを案内。鶏ふんを鶏舎の暖房燃料として活用したり、鶏ふんを燃やして肥料をつくるバイオマスボイラー室も備えるなど、環境に配慮した循環型の生産体制を取り入れていることを説明した。
 
鶏舎、鶏ふん倉庫などを見学。農場で使う機械の説明もあった

鶏舎、鶏ふん倉庫などを見学。農場で使う機械の説明もあった

 
施設内を確認できるモニターを備えた管理棟なども見て回った

施設内を確認できるモニターを備えた管理棟なども見て回った

 
 「地の利がある」とオヤマファームの小山代表取締役。餌の供給拠点が近いため人件費を含む配送コスト削減が見込まれ、三陸道や釜石道の整備で一関の工場への輸送時間が短縮されるのもメリットだとする。間もなく稼働する釜石初の大型養鶏場は、オヤマの直営農場として一関を飛び出しての事業展開となり、「大きな意味がある」と強調。国内向けの生産、販売量を増やす一方、将来的には国外市場への輸出増も視野に入れる。こうした展開には地元釜石の協力も欠かせないとし、「安心できる事業を行っていくので、見守ってほしい」と求めた。
 
しゅん工式であいさつするオヤマファームの小山雅也代表取締役

しゅん工式であいさつするオヤマファームの小山雅也代表取締役

 
 同日、港町の陸中海岸グランドホテルで祝賀会を開催。会場では、市とオヤマによる環境保全協定の調印式もあり、同社は農場の操業にあたり水質汚濁などの公害防止に取り組み、地域住民の健康保護、生活や自然環境の保全に貢献する。

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「過去の津波に学び、今一度備えを」 釜石市郷土資料館が防災啓発の企画展

市郷土資料館企画展「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」

市郷土資料館企画展「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」

 
 明治、昭和の三陸地震津波、十勝沖地震津波、チリ地震津波、東日本大震災―など、幾度となく津波災害を経験してきた釜石市。被害の実態や教訓はさまざまな形で伝えられるものの、発災から時がたつことによる防災意識の低下は避けられないものがある。過去の津波災害の資料を所蔵する鈴子町の市郷土資料館(佐々木豊館長)では今、同市の津波の歴史を学び、日ごろの備えを見直してもらおうという企画展が開かれている。
 
 1933(昭和8)年3月3日に発生した昭和三陸地震津波、2011(平成23)年3月11日発生の東日本大震災。多くの死者、行方不明者が出た両災害の発生月に合わせ、同館では毎年この時期に津波に関する企画展を開催している。今年のテーマは「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」。新たに作成した説明パネルを含む131点の資料が公開される。
 
 三陸地方を襲った主な地震津波の年表は869(貞観11)年の津波にまでさかのぼって記載。マグニチュード6~9レベルの地震で津波が発生し、各地で人身、浸水被害があったことが記されている。1896(明治29)年の地震津波は三陸沖を震源とするものだが、最大震度は2~3。揺れは小さかったものの、死者・行方不明者は2万1000人以上に上った。2011年の東日本大震災は最大震度7。日本周辺における観測史上最大の地震で、死者・行方不明者は1万8000人を超えた。
 
 被害の大きかった5つの津波は、釜石市の被災状況を数字データや写真を交えたパネルで紹介。惨状は風俗画報(明治)や写真で残されており、それらも額入りで展示された。
 
館内の展示室では131点の津波関連資料が公開される

館内の展示室では131点の津波関連資料が公開される

 
明治、昭和の三陸地震津波、チリ地震津波、十勝沖地震津波は風俗画報や写真で惨状を紹介

明治、昭和の三陸地震津波、チリ地震津波、十勝沖地震津波は風俗画報や写真で惨状を紹介

 
 津波への備えを啓発するパネルは緊急避難場所を示す緑と白のマークを添え、「いち早く、より高い安全な場所へ避難する必要がある。日ごろから街を歩いてルートや所要時間などを確認しておこう」と呼び掛け。非常持ち出し品(避難する時に最初に持ち出すもの)や備蓄品(発災後、数日間を自活するために最低限必要なもの)の例も紹介している。備蓄用の食品や飲料水は消費、賞味期限切れを防ぐため、「ローリングストック」方式を勧める。
 
津波への備えを教える展示コーナー。非常持ち出し品や備蓄品のチェックにも役立ててもらう

津波への備えを教える展示コーナー。非常持ち出し品や備蓄品のチェックにも役立ててもらう

 
 この他、東日本大震災で被災した市の施設などから流出した遺物や関連書籍、新聞なども展示公開される。
 
世界各地で大規模自然災害が多発する時代―。いつ、どこで直面するかわからない天災から身を守るには日ごろの備えが最も重要となる。佐々木館長は「災害は“忘れたころ”ではなく“忘れぬうちに”やってくるようになった。三陸は津波の常襲地でもあり、特にも津波に対する心構えはしっかり持ってほしい。この企画展が見直しのきっかけになれば」と願う。企画展は5月6日まで開催する。
 
東日本大震災の写真やがれきの中から見つかった遺物なども展示。写真集や記録誌も閲覧できる

東日本大震災の写真やがれきの中から見つかった遺物なども展示。写真集や記録誌も閲覧できる

 
 また、館内では2022~23年にかけて発掘調査が行われた橋野町「太田林遺跡」の出土品などを公開する速報展も開かれている。調査は新消防屯所建設に伴う記録保存のために実施。縄文時代の竪穴住居跡や耳飾り、土器、石器などが見つかっている。展示は3月31日まで。
 
橋野町「太田林遺跡」発掘調査の成果を公開する速報展

橋野町「太田林遺跡」発掘調査の成果を公開する速報展

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釜石SW2勝目ならず GR東葛に26-63 前半善戦も後半力負け/小野航大主将は100キャップ達成

リーグワン第7節 釜石SW(赤)対GR東葛(青)=17日、釜石鵜住居復興スタジアム

リーグワン第7節 釜石SW(赤)対GR東葛(青)=17日、釜石鵜住居復興スタジアム

 
 NTTジャパンラグビーリーグワン2部の日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)は17日、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムでNECグリーンロケッツ東葛と対戦。26-63(前半19-28)で敗れた。3日に予定されていた第7節を雪の影響で延期した試合。前節に続くホーム戦勝利に期待がかかったが、2勝目はならなかった。1勝7敗勝ち点6で最下位。次の試合は24日。ホストゲームとしては初の会場となる盛岡市のいわぎんスタジアムで、レッドハリケーンズ大阪と対戦する。
 
 試合途中から急な強風、しかも風向きが変わる難しいコンディションの中での試合。前半、釜石は向かい風の中、開幕戦以来のSO中村良真が20分までに3PGを決め、9-0とリード。敵陣でのプレーで優位な試合展開を見せた。その後、ディフェンスのギャップ(溝)を突かれるなどして東葛に2トライを奪われ9-14。東葛2本目のトライ直後の29分、釜石は敵陣22メートルライン付近で奪ったボールを丁寧につなぎ、最後はCTB畠中豪士がリーグワン初トライ。中村もきっちりゴールを決め16-14と逆転した。38分にも中村がPGを決めるも、東葛の追加2トライで19-28。9点差で前半を終えた。
 
前半、5つのゴール(うちPG4)を決めたSO中村良真

前半、5つのゴール(うちPG4)を決めたSO中村良真

 
前半29分、CTB畠中豪士(中央)がリーグワン初トライで同点に追い付く

前半29分、CTB畠中豪士(中央)がリーグワン初トライで同点に追い付く

 
 後半は一層、風が強まり、風下の釜石は厳しい戦いに。前半、6反則をとられた東葛は修正して臨み、風上も味方に攻撃力をアップ。開始早々に日本代表で活躍した東葛主将のFBレメキロマノラヴァに独走トライを決められると、スピードと強度で終始、東葛ペースに押された。釜石はなかなか敵陣深くにボールを持ち込めず、苦しい時間が続いた。ロスタイムのラストプレーでゴール前の攻防からフランカー、ベンジャミン・ニーニーが飛び込んで1トライを返したが、後半5トライを決めた東葛に26-63で敗れた。
 
日本代表の力を見せつけたGR東葛主将レメキロマノラヴァ。スピード感あふれるプレーに観客から驚きの声が上がった

日本代表の力を見せつけたGR東葛主将レメキロマノラヴァ。スピード感あふれるプレーに観客から驚きの声が上がった

 
後半42分、釜石は意地の1トライをあげた

後半42分、釜石は意地の1トライをあげた

 
最後は中村がゴールを決め、試合終了。釜石は37点差で敗れた

最後は中村がゴールを決め、試合終了。釜石は37点差で敗れた

 
 須田康夫ヘッドコーチ(HC)は相手のプレッシャーを止めきれなかった中での失点を悔やみつつも、「こだわってきた『ウィン・ザ・コリジョン(当たり勝つ)』は相手に対し自信を持てるようになってきた。結果を早く求めたいとは思うが、チームとしては少しずつ成長している」とシーズン終盤の成果を挙げた。レギュラーシーズン残り2試合と順位決定戦で「昨シーズンを超えるような成績を残せれば」と今後の試合を見据える。
 
後半、向かい風の中、小刻みにボールをつなぎ、敵陣を目指す釜石

後半、向かい風の中、小刻みにボールをつなぎ、敵陣を目指す釜石

 
相手ディフェンスを振り切り前進するフランカー河野良太(左から3人目)

相手ディフェンスを振り切り前進するフランカー河野良太(左から3人目)

 
 WTB小野航大主将は「戦術にも影響を及ぼすレベルの風に対応できなかったところもあるが、接点一つ一つで相手にプレッシャーをかけられてしまい、ボールを継続できなかった。風下でもチームで意思統一し、アタックの仕方やボールの運び方をうまくできれば別な展開もあったかと思う」。次は初の盛岡での公式戦。「熱いゲームをして、岩手のラグビーチームとして応援していただけるよう、何とか勝つ姿をお見せしたい」と前を向いた。
 
公式戦100試合出場達成で記念品などを贈られたWTB小野航大主将(中央)

公式戦100試合出場達成で記念品などを贈られたWTB小野航大主将(中央)

 
 小野主将はこの日、釜石SWでの公式戦出場100試合を達成。試合後、チームメイトらから祝福を受けた。「いろいろな人に支えられ今日までこられた。一つ一つの積み重ねが今日の100キャップにつながっている」と感謝。「節目ではあるが、引退するとかではない。これからもチームのパフォーマンスに影響できるような選手として、ゲームを積み重ねていければ」と意欲を示した。
 
仲間から祝福を受けた小野主将は今後のさらなる活躍を誓った

仲間から祝福を受けた小野主将は今後のさらなる活躍を誓った

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卒業、新たな門出 歌声で後押し ノイホフ・クワィアー(釜石) 歴史つなぐ演奏会

心を一つに歌声を響かせる団員、ワークショップ参加者ら

心を一つに歌声を響かせる団員、ワークショップ参加者ら

 
 釜石市の「親と子の合唱団ノイホフ・クワィアー」(小澤一郎代表)のファミリーコンサートは17日、大町の市民ホールTETTOで開かれた。145回目となる演奏会のテーマは「卒業に寄せて」。この春、旅立ちを迎える18歳の団員は思い出や未来への期待を歌声にのせた。歌う楽しさを体感してもらおうと実施したワークショップの参加者4人も加わり、成果を披露。多彩な声の重なりで観客ら約100人に感動を届けた。
 
 同団は今年で創立47年となる。演奏会は3部構成で、「東洋のひびき・西洋のひびき」と題した1部には高校3年生~70代までの団員、他地域から駆け付けたメンバーら11人が出演。創立者の故渡辺顕麿さん(宝樹寺元住職)をしのんでグレゴリオ聖歌や典礼聖歌、仏教賛歌など8曲を厳かに響かせた。
 
そろいの衣装で美しいハーモニーを聞かせた1部のステージ

そろいの衣装で美しいハーモニーを聞かせた1部のステージ

 
 2部は出会いと別れの季節にちなみ、卒業ソングや新たな門出の背中を押すような言葉が続く8曲を披露。「涙そうそう」「栄光の架橋」では約1カ月のワークショップを経た4人もステージに立った。小学校卒業の思い出にと参加した石田啓将君(12)と鈴木一惺君(11)は、同団の歌声に爽やかさを上乗せ。「緊張したけど楽しかった。心を一つにして歌えた」と満足感たっぷりの笑顔を見せた。
 
2部では卒業や門出を迎えた人へエールを送る歌声を聴かせた

2部では卒業や門出を迎えた人へエールを送る歌声を聴かせた

 
ワークショップ参加者も堂々とステージに立って声を合わせた

ワークショップ参加者も堂々とステージに立って声を合わせた

 
 3部のテーマは映画音楽。「エデンの東」「駅馬車」「チキチキバンバン」など同団で歌い継いできた8曲を、元気な振り付けを加えながら聞かせた。踊りながら歌うパフォーマンスを「これぞ、ノイホフ」と楽しんだのは中妻町の70代夫婦。子どもが同団出身だったこともあり、長く見守ってきた。「歌声がきれいだった」「あんなにたくさんの曲の歌詞を覚えているのがすごい」と感心。この歴史がつながるのを期待していた。
 
3部は振り付けも交えて歌ってノイホフらしいステージに

3部は振り付けも交えて歌ってノイホフらしいステージに

 
楽しいステージに観客は手拍子して盛り上げた

楽しいステージに観客は手拍子して盛り上げた

 
 アンコールで2曲披露した後には、この春に釜石を離れる団員の“卒業式”を催した。同団の子どもたちは「釜石ノイホフ少年少女合唱隊」としても活動するが、高校卒業と同時に卒隊となる。今年は、ただ一人の高校生メンバーだった千代川陽琉さん(18)がその時を迎えた。小学3年の時から約10年、大好きな音楽に触れる中でたくさんの人と出会い、さまざまなことを学んだ。「あたたかい雰囲気で見守ってもらい、伸び伸びできた」と感謝。ノイホフでの経験や抱いた感情を生かす未来を思い描きながら新たな歩を踏み出す決意を、3部で歌った「My way」に込めた。
 
 「卒隊しても演奏会には歌いに来たい」と望む千代川陽琉さん(手前)

「卒隊しても演奏会には歌いに来たい」と望む千代川陽琉さん(手前)

 
ともに歌って楽しむことを体現する指揮者の小澤一郎代表

ともに歌って楽しむことを体現する指揮者の小澤一郎代表

 
 ここ数年、新型コロナウイルスの影響で少数の出演が続いた。今回はワークショップ参加者を加えた総勢15人で声を合わせる楽しさを共有。指揮する小澤代表(47)も心で歌いながら気持ちを分かち合った。自身も同団で子どもの頃から歌い、年代を超えた声の重なりの奥深さを体感。その経験を子どもたちに伝え、表現する機会をつくり出すのが役目と感じていて、「歌いたい人たちの受け皿として、これからも一歩ずつ活動を積み重ねていきたい」と歴史の継承へ思いを深めた。
 
 12月にはクリスマスコンサートを予定する。

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楽器つくって遊んで、能登応援へ 水の音に元気込め 釜石から送る「水カンリンバ」

水の大切さを伝える創作楽器「水カンリンバ」を作る参加者

水の大切さを伝える創作楽器「水カンリンバ」を作る参加者

 
 水を育む森や自然を大切にしたいとの思いが込もった創作楽器「水カンリンバ」を作って音と遊ぶ催しが16日、釜石市鵜住居町・根浜海岸のレストハウスであった。親子連れら約20人が参加。“旅する音楽家”丸山祐一郎さん(通称マリオ)とこやまはるこさん(通称はるちゃん)=長野県飯山市=に作り方を教わった。完成した楽器のいくつかは、旅する2人が能登半島地震の被災地へ届ける計画。東日本大震災の被災地から元気、笑顔、思いをつなげる取り組みになる。
 
 水カンリンバは、マリオさんが30年前に考案した。空き缶4本を縦につないで真ん中の2本に水を入れた楽器。傾けると「コポコポ…」と、水が流れる音がする。外側の缶に切り込みを入れ鍵盤のようにし、指ではじいて演奏する。ブラジルの弦打楽器ビリンバウ奏者としても活動中で、そうした世界中の民族楽器とギターを抱えて旅しながらヒントをもらい、「一つの音に耳を澄ます」ことで生まれたという。
 
「水カンリンバ」の演奏を聴かせるマリオさん

「水カンリンバ」の演奏を聴かせるマリオさん

 
 楽器づくりは、水の採取から始めた。施設そばの山際にある水辺は震災発災時にも途切れることなく流れ、地域住民の命をつないだ場所。参加者はそこで空き缶に3分の1程度、水をくみ入れた。その釜石の水に、マリオさんたちが世界各地で集めてきた水をプラス。地元のわき水と持ち運んできた水を合わせ“共有”すると、「地球が浄化される」というハワイの言い伝えを習ったスタイルを取り入れる。
 
根浜海岸の山際にある水辺で空き缶に水をくみ入れる

根浜海岸の山際にある水辺で空き缶に水をくみ入れる

 
「合わせ水」はハワイ、フランス、南極…ワールドワイド

「合わせ水」はハワイ、フランス、南極…ワールドワイド

 
 缶をつないで好きな色の和紙で装飾すると完成となるが、鍵盤づくりなど参加した子どもたちには難しい作業もあり、2時間のものづくりタイムでは飾り付けはできなかった。それでも、演奏には挑戦。マリオさんとはるちゃんが奏でるギターやウクレレのリズムに合わせ、参加者は水平に持った水カリンバを揺らす。その時、「ポン、ポン」と鍵盤をはじきながら左右に揺すると、中の水が流れ、音が「ポワーン」と変化。不思議な音の世界に引き込まれていた。
 
はるちゃん(右)の説明をじっくり聞く参加者

はるちゃん(右)の説明をじっくり聞く参加者

 
子どもたちのものづくりをそばで見守るマリオさん

子どもたちのものづくりをそばで見守るマリオさん

 
 子どもたちは「チャプチャプしてた」「山登りした時に聞こえてきた水の音みたい」との感想。ものづくりに夢中になったのは大人たちで、北上市の鈴木雄二さん(69)は「楽しかった」とにこやかだった。震災ボランティアが縁で釜石に通い続けているといい、「被災地のみんなが頑張っているのを見て、逆に元気をもらっていた。今日もみんなと触れ合って、気分がほっこりした」。水カリンバは「心地よい音がした」と自信作に。能登に届けられると聞き、この日の気持ちが伝わることを期待した。
 
どんな音が聞こえる?水カンリンバを振って演奏してみた

どんな音が聞こえる?水カンリンバを振って演奏してみた

 
「釜石の元気、能登に届けー!」。エールを送る参加者たち

「釜石の元気、能登に届けー!」。エールを送る参加者たち

 
 マリオさんらは今月下旬に能登地域に入り、現地で活動する支援団体のメンバーとして音楽で癒やしの時間を届ける。手製の水カンリンバは全国から80本程度集まっていて、能登の子どもらに贈る考え。「水は人が生きるために必要で、それは傷ついた大地にとっても同じ。震災の時に命をつないだ釜石の水を能登に届け、人も大地も元気になってという思いをつなぎたい」と気持ちを込める。

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大漁旗デザイン“フラッグ”で釜石を全力応援!「ちあ釜」発足 レッツ!カラーガード

釜石応援チアチーム「ちあ釜」の発足を報告した披露会=10日、うのすまい・トモス

釜石応援チアチーム「ちあ釜」の発足を報告した披露会=10日、うのすまい・トモス

 
 釜石で頑張る人、食文化、スポーツなどをフラッグパフォーマンスで応援するチーム「ちあ釜」が発足した。立ち上げたのは、ラグビーの日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)オフィシャルサポーターを務めるモデル、フリーアナウンサーの葛巻舞香さん(花巻市)。釜石ラグビーの応援の象徴、大漁旗(富来旗=フライキ)をデザインしたフラッグを新たに8本製作。今後、釜石市民を中心にメンバーを募り、SWの試合や各種イベントでの応援活動を目指す。
 
 10日、釜石市鵜住居町のうのすまい・トモスで、完成したフラッグとパフォーマンスの初披露会が開かれた。フラッグのデザインは、「KAMAISHI大漁旗Tシャツ」をアレンジしたもの。Tシャツ制作を主導した同市東前町出身、釜石応援ふるさと大使の藤原綾子さん(ユミカツラインターナショナルアクセサリーデザイナー)の計らいで、デザインの使用許可が得られた。「釜石のいろいろなものを応援していく」という趣旨から胸元の「RUGBY(ラグビー)」の文字をはずし、制作者らの好意でデザインも若干修正された。
 
 この日は新フラッグを使って、葛巻さんとチームをサポートする本県カラーガードチーム、arbre(アルブル、出戸亨子代表)のメンバー5人が演技した。出戸代表がKing Gnuの曲「飛行艇」に合わせ、振り付けしたパフォーマンスを披露。釜石高の防災・震災伝承グループ「夢団~未来へつなげるONE TEAM~」のメンバーら約20人が、バックで同団オリジナルのミニ大漁旗を振ってコラボした。小旗は防災啓発を目的に作られ、表面には大漁旗をモチーフにした高校生によるデザインが施されている
 
大漁旗デザインのフラッグを使ったパフォーマンスを初披露

大漁旗デザインのフラッグを使ったパフォーマンスを初披露

 
 「ちあ釜」を立ち上げた葛巻舞香さん(左)。フラッグは空中で回転させたりでき、女性でも負担のない重さ

「ちあ釜」を立ち上げた葛巻舞香さん(左)。フラッグは空中で回転させたりでき、女性でも負担のない重さ

 
写真左:釜石高「夢団」が作成した小旗。裏面(下)には団の活動やメンバーの願いが記されている。写真右:この日は語り部メンバーが震災や防災について話した

写真左:釜石高「夢団」が作成した小旗。裏面(下)には団の活動やメンバーの願いが記されている。写真右:この日は語り部メンバーが震災や防災について話した

 
 披露会には、同じ日に釜石鵜住居復興スタジアムで行われた釜石SW対九州電力キューデンヴォルテクス戦の観戦客を含む約50人が集まった。試合ボランティアで足を運んだ千葉県の櫻井智子さん(53)は「すてきですね。ぜひ、スタジアムでやってほしい。SWの力にもなりそう」と感激。若い世代が応援に加わることを熱望し、「これからが楽しみ」と期待した。エアロビックダンスにも親しむ夢団の森美惠さん(1年)は「初めて見たが、旗を放り投げるところとか躍動感がすごい。やってみたい」と興味をそそられた様子。
 
カラフルなフラッグが演技を引き立てる。見栄え抜群のパフォーマンス!

カラフルなフラッグが演技を引き立てる。見栄え抜群のパフォーマンス!

 
観客からは「かっこいいー」「すてき!」などの声が上がった

観客からは「かっこいいー」「すてき!」などの声が上がった

 
 2022年からSWのオフィシャルサポーターを務める葛巻さんは釜石と関わる機会が増える中で、ラグビーだけでないさまざまな魅力を実感。スタジアムではためく大漁旗を誰でも扱えるものにアレンジし、各種応援の場で生かせないかと考えた。たどり着いたのが「カラーガード」。マーチングバンドの中で旗などの手具を用いて演技し、視覚的効果を狙うもので、バスケットボールの岩手ビッグブルズのハーフタイムショーなどで実績のある本県唯一の活動チーム・アルブルに協力を依頼した。
 
 昨年10月に同市大町の市民ホールTETTOで初の体験会を開催。手応えを感じ、チーム発足に向けて準備を進めてきた。「振り付けによっては年代問わず誰でも楽しめる。体を動かしたいという人も歓迎。地域密着型でいきたい」と葛巻さん。今後は、アルブルの出戸代表によるカラーガードレッスンを釜石市内で月1~2回実施予定。技術を身に付け、うのすまい・トモスでのイベントやスタジアムでの披露を目指す。活動メンバーのほか、応援スポンサーも募り、継続的な活動につなげたい考え。
 
来場者の感想に笑顔を広げる葛巻舞香さん(左)。「みんなで釜石を盛り上げよう!」と参加を呼び掛ける

来場者の感想に笑顔を広げる葛巻舞香さん(左)。「みんなで釜石を盛り上げよう!」と参加を呼び掛ける

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「3・11」は感情、記憶めぐる日…そして未来つなぐ、決意の日 震災13年・釜石

午後2時46分。釜石祈りのパークで大切な人を思い、黙とうする市民ら

午後2時46分。釜石祈りのパークで大切な人を思い、黙とうする市民ら

 
 釜石市内で912人の命を奪い、152人の行方不明者を出した東日本大震災は11日、発生から13年を迎えた。歳月が流れても大切な人への思いは変わらない―。多くの人がさまざまな場所で祈りをささげた。震災を知らない世代が増えていく一方、元日の能登半島地震など自然災害は頻発。釜石の記憶や教訓を世代、地域を超えて伝える重要性を胸に刻む日にもなった。
 
 市内全域の犠牲者1064人のうち、1003人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」では朝から、祈りが続いた。両親を亡くした町内の柏﨑公雄さん(67)は妻幸子さん(66)と訪れ、「いつまでも忘れないよ」と手を合わせた。「未来」と名付けた愛娘は新たな命を生み育てていて、「素晴らしい未来をつなげてほしい」と願う。進学のため町を離れる山﨑成美さん(18)は、世話になった人たちに報告。「震災を風化させたくない。これから先の災害で犠牲になってほしくない。そのための対策を学んで地域の防災・減災に関わっていく」と決めた。
 
祈りのパークで、犠牲になった人たちに花を手向ける親子

祈りのパークで、犠牲になった人たちに花を手向ける親子

 
 市の追悼式は、今回初めて祈りのパークを会場に行われ、約150人が訪れた。午後2時46分の地震発生時刻に黙とう。式辞で、小野共市長は「この場に立ち、正面の津波高を示すモニュメントを目の当たりにすると断腸の思い」とした上で、「大きな犠牲による教訓を、決して風化させないという決意を新たにする日でもある。二度とあの悲劇を繰り返さないため事実と教訓を語り継ぎ、安心して暮らせるまちづくりに取り組む」と誓った。
 
釜石市の追悼式は祈りのパークで行われ、多くの人が犠牲者をしのんだ

釜石市の追悼式は祈りのパークで行われ、多くの人が犠牲者をしのんだ

 
 災害を語り継ぐ、伝承に震災の経験は関係なく、未来を願う思いが防災、減災につながる―。遺族代表で追悼の言葉を述べた佐々木智之さん(41)は、津波で亡くした母妙子さん(当時60歳)、今も見つかっていない姉仁美さん(当時33歳)を思いながら、未来へメッセージを送った。この13年の間に各地で災害が発生し、伝承の重要性を感じる中、長女智桜さん(10)が備えの大切さを伝える語り部活動を始めた。同じように震災の経験がない若い伝承者が徐々に増える今、SNSなどで批判されるのを懸念。だからこそ、当事者として訴える。「みんなの思いは災害で犠牲者を出さないことだ。大震災の教訓を生かし、悲しい思いを背負う人がなくなり、明るい未来があるよう、防災意識が高まるよう、語り継ぐ人たちの活躍を願う」
 
追悼の言葉を送った佐々木智之さんにとって、3月11日は「いろんな感情が巡る日」。この日は智桜さんが生まれた日でもあるから。大役を終え、父親の顔に戻って笑顔。「ケーキが家に届いていて、このあとは全力で祝います」

追悼の言葉を送った佐々木智之さんにとって、3月11日は「いろんな感情が巡る日」。この日は智桜さんが生まれた日でもあるから。大役を終え、父親の顔に戻って笑顔。「ケーキが家に届いていて、このあとは全力で祝います」

 
続く祈り。刻まれた名にじっと手をあて、思いを伝える姿もあった

続く祈り。刻まれた名にじっと手をあて、思いを伝える姿もあった

 
 式の後も遺族や縁故者らが次々に訪れ、献花して手を合わせた。両親、義姉を亡くした片岸町の小笠原亜弥子さん(44)は、下校中の長女明香里さん(11)、長男輝琉君(9)と立ち寄り、「健やかに育っているから安心して」と伝えた。「母さんが会いに来たよ…元気で、また来年な」。家族思いだった息子の名に触れ、高齢の母親はぎゅっと目をつぶった。
 

祈りの一日 各所でささげる犠牲者への思い 鎮魂、誓い… 心寄せる人々

 
日蓮宗の青年僧らが題目を唱えながら釜石市内を歩き、震災犠牲者を慰霊した=11日午前

日蓮宗の青年僧らが題目を唱えながら釜石市内を歩き、震災犠牲者を慰霊した=11日午前

 
 県内外の日蓮宗寺院の青年僧は釜石市内を行脚。うちわ太鼓を鳴らしながら、題目「南無妙法蓮華経」を唱えて歩き、震災犠牲者の魂を慰めた。同宗派が2015年から沿岸被災地で行っている慰霊法要の一環。関西や北東北の20~40代の僧侶18人が、魚河岸テラスから礼ヶ口町の日高寺まで約5キロを歩いた。岩手県日蓮宗青年会代表の三浦恵導さん(37)=龍王寺(山田町)住職=は「物質的な復興は進んだが、心のケアは十分ではない。私たち僧侶ができることは犠牲者の慰霊と被災地に暮らす方々の安心(あんじん)を達成すること。寄り添っていかねば」と意を強くした。
 
殉職した消防団員の名が刻まれた顕彰碑には白菊が手向けられた

殉職した消防団員の名が刻まれた顕彰碑には白菊が手向けられた

 
 鈴子広場(鈴子町)にある「殉職消防団員顕彰碑」には、震災で職務遂行中に命を落とした仲間8人の名前が刻まれている。献花式で、坂本晃団長(69)は「もう二度と誰の名も刻むことがないように。それが願いだ。団員の安全を確保した上で、住民の命や生活を守るため、日々の訓練を重ねていく」と力を込めた。
 
忘れない…竹灯籠でかたどった文字が浮かび上がる青葉通り

忘れない…竹灯籠でかたどった文字が浮かび上がる青葉通り

 
 大町の青葉通りの一角に浮かび上がる「忘れない」の文字。かたどった約1200個の竹灯籠に明かりがともり、追悼の光が揺らめいた。釜石仏教会(大萱生修明会長、17カ寺)による竹灯籠供養。市東部地区の住民らの思いをくみ、これまで行ってきた祈りのパークから会場を移した。同会の芝﨑恵応・仙寿院住職は「亡くなった人をしのび、教訓を伝えなければ、意味がないんです」と言葉を残した。
 
「天に届け―」思いを込めた風船を大空に放つ根浜地区の住民ら=11日午後2時46分

「天に届け―」思いを込めた風船を大空に放つ根浜地区の住民ら=11日午後2時46分

 
 13年前、震災の津波が低地の集落を襲い、住民15人が犠牲になった鵜住居町根浜地区。地震発生時刻の午後2時46分―。海抜20メートルの高さに宅地造成された復興団地の津波記念碑前では、集まった住民が海に向かって黙とう。故人や未来へのメッセージを記した風船を空に放った。
 
 「会いたい―」。津波で大槌町役場職員だった次女(当時32)を亡くした前川良子さん(71)。「日々、『生きていたら…』と思う時はある」と娘の笑顔を思い浮かべる。夫と営む民宿を2013年に自力再建。海の仕事もしながら、この地で生きることを選んだ。地区住民とは家族ぐるみの付き合い。「みんなの顔を見るとほっとする」と地域の支えに感謝する。能登半島地震の被災者にも心を寄せ、その痛み、悲しみを自分事として受け止める。「(希望の)明日はある。自分を見失わず生活していってほしい」と願った。
 
11日の根浜海岸は穏やかな風景が広がった。津波で亡くなった人たちを思い、多くの人が足を運び、祈りをささげた

11日の根浜海岸は穏やかな風景が広がった。津波で亡くなった人たちを思い、多くの人が足を運び、祈りをささげた

 
 今も多くの行方不明者が眠る三陸の海―。人々の祈りをたたえた海はこの日、穏やかな波が寄せては返していた。
 
 暗くなった根浜海岸の海上には、今年も「3・11」の舟形あんどんが浮かべられた。鎮魂と未来への希望を明かりに込める「とうほくのこよみのよぶね」。アーティストの日比野克彦さんが12年から出身地岐阜市の仲間と訪れ、釜石市民と製作している。午後7時には鎮魂の花火「白菊」が打ち上げられた。地元実行委が20年から継続。支援の減少で本年休止も検討されたが、能登半島地震発生を受け、クラウドファンディングでの打ち上げを目指した。趣旨に賛同し130人が支援を寄せた。
 
鎮魂の花火「白菊」と「とうほくのこよみのよぶね」(写真左)。白菊を手がける「嘉瀬煙火工業」の好意で他の花火も打ち上げられた(同右)

鎮魂の花火「白菊」と「とうほくのこよみのよぶね」(写真左)。白菊を手がける「嘉瀬煙火工業」の好意で他の花火も打ち上げられた(同右)

 
 ボランティア活動で6年前から同市を訪れている紫波町の女性(56)は震災時、テレビの生中継で津波の襲来を目にした。「何もできない無力感でいっぱいだった」。震災を機に命について考え続ける。大事な人を失った悲しみは計り知れないが、「生かされた命を大事に、少しでも楽しく生きられる人生であってほしい」と夜空を見上げた。