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広報かまいし2022年4月1日号(No.1781)

広報かまいし2022年4月1日号(No.1781)

広報かまいし2022年4月1日号(No.1781)

 

広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

広報かまいし2022年4月1日号(No.1781)

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【P1】
鈴子広場の整備完了
【P2-3】
機構改革
市職員の給与状況
【P4-5】
SDGsの取り組み
【P6-9】
【特集】高校卒業後の進路
【P10-11】
市道箱崎半島線の復旧
市民農園の使用者募集 他
【P12-13】
固定資産税のあらまし
【P14-15】
まちのお知らせ
【P16】
釜石シーウェイブスの試合情報 他

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釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
地域づくりに力を注ぎ感謝状を贈られた澤田さん(右から2人目)

退任の地域会議議長に感謝状 釜石市、地域貢献ねぎらう

地域づくりに力を注ぎ感謝状を贈られた澤田さん(右から2人目)

地域づくりに力を注ぎ感謝状を贈られた澤田さん(右から2人目)

 

 釜石市は22日、地域会議議長退任者3人に感謝状を贈った。市役所で行われた贈呈式には、みなとかまいし地区会議長を2017年6月~21年6月まで、2期4年務めた鈴子町の澤田政男さん(73)が出席。野田武則市長は労をねぎらいつつ、「これまでの経験と知識を生かし、後継者の指導をお願いしたい」と期待した。欠席した鵜住居町の花輪孝吉さん、橋野町の和田松男さんには後日、市職員が訪問し感謝状を贈った。

 

 地域会議は、市民参加型のまちづくりを進めるために市内を8地域に分けて組織。それぞれの会議では構成員の地域住民らが地域の問題を考え、解決策を見いだし実践、意見や要望を行政施策に反映させている。

 

 みなとかまいし地区会議は市東部地区(鈴子町~嬉石町)の住民らで構成。東日本大震災の津波で被災した地域だが、市中心市街地でにぎわいの拠点でもあり、多くの復興公営住宅が建設された。既存町内会の住民と復興住宅入居者の関係づくりが課題となっていて、澤田さんは餅つきイベントやごみ拾いウオーキングなどを企画開催し住民の融合・交流促進を図った。

 

「住民の交流維持には地道な活動が必要」と振り返った澤田さん

「住民の交流維持には地道な活動が必要」と振り返った澤田さん

 

 澤田さんは「被災した地域と免れた地域が混在し、とまどいもあった。イベントの企画や運営は得意で、何とか交流するきっかけを作ろうと考えた。次の世代が続けられるよう見守っていきたい」と目を細めた。

 

 花輪さんは13年6月~21年5月まで、4期8年務めた。震災で被災した鵜住居地区の復興に向けて尽力し、郷土芸能による地域活性化の支援、中学3年生を対象にした学習サポート事業を展開。19年のラグビーワールドカップ(W杯)釜石開催に向け、のぼり旗や看板の設置、おもてなしを学ぶタウンミーティングの実施など機運醸成にも力を尽くした。

 

 和田さんの在任期間は17年6月~21年7月までの2期4年。台風で被害を受けた栗橋地区の河川整備などの復旧活動、大雨・洪水対応の避難施設の設置に向けた提案、県道整備の要望活動などに力を注いだ。世界遺産「橋野鉄鉱山」関連施設の保存に向けた修繕なども実施。食の文化祭、四季まつりなど地域を活性化させる行事にも積極的に協力した。

表彰を受け笑顔を見せる菅原梨花さん(右から2人目)

今春開設、釜石の市民農園「甲子わくわく農園」命名者を表彰

表彰を受け笑顔を見せる菅原梨花さん(右から2人目)

表彰を受け笑顔を見せる菅原梨花さん(右から2人目)

 

 釜石市が今春の開園を予定し甲子町の道の駅釜石仙人峠近くで整備中の市民農園の名称は「甲子わくわく農園」に決まった。考案した甲子小4年の菅原梨花さんに15日、野田武則市長から表彰状と記念品が贈られた。「元気があふれた、楽しいことがたくさんできる場所になってほしい」という意味が込められているという。

 

 市民農園は、▽自然や農業に触れる機会の創出▽定年就農などの担い手対策▽心身の健康維持・増進▽景観維持▽遊休農地の解消-などを目的に設置。名称について、甲子小4年生46人にアイデアを募集した。

 

 市農政推進協議会(佐々木かよ会長)の委員ら十数名で審査。佐々木会長は「栽培、収穫、調理して味わう楽しさ、たくさんのワクワクを想像した。親しみやすく、すてきな名前だ」と評価した。

 

名前に込めた思いや農園への期待を話す菅原さん

名前に込めた思いや農園への期待を話す菅原さん

 

 表彰式は市役所で行われ、野田市長が賞状、佐々木会長は花をかたどった写真立てなどを菅原さんに手渡した。菅原さんは「考えた名前を表彰してくれてありがとうございます。みんなに親しまれて、農園が有名になればうれしい。好きな花や野菜をたくさん育ててほしい」とはにかんだ。

 

 市民農園のほか、国際姉妹都市フランスのディーニュ・レ・バン市で栽培が盛んなラベンダーの鑑賞を楽しめる観光農園の設置も予定する。野田市長は東日本大震災からの「心」の復興、新型コロナウイルスの流行で外出機会が減った市民の癒やしにつながることを期待。菅原さんに「甲子の一員として農園を盛り上げてほしい」と話し掛けた。

 

 2つの農園は道の駅そばを流れる甲子川を挟んだ向かい側、釜石自動車道沿いの面積1746平方メートルの土地を活用し整備。市民農園は全55区画(1区画9平方メートル)で、4月1日号の市広報誌や市ホームページで周知、利用希望者の公募を始める。開園は10日を予定する。観光農園は今夏に一部を開園し、3年後のフルオープンを目指す。

新しい集会所の完成を喜ぶ向定内町内会の住民ら

新集会所完成で開所式 釜石の向定内町内会、住民交流の促進期待

新しい集会所の完成を喜ぶ向定内町内会の住民ら

新しい集会所の完成を喜ぶ向定内町内会の住民ら

 

 釜石市が定内町に整備した向定内集会所が完成し12日、開所式が現地で開かれた。管理を担う向定内町内会(三浦一志会長)の役員や野田武則市長ら市関係者約20人が出席。新集会所が町内活動の核となり、地域の活性化につながることを願った。

 

 定内町2丁目で暮らす約220世帯、420人で構成する同町内会では、小佐野公民館向定内分館を町内活動の拠点として活用してきたが、築50年以上が経過し、雨漏りや床板の傷みなど老朽化が目立っていた。10年以上前から新しい集会施設の整備を市に要望。土地の確保や予算など、一つずつ問題を解決し、念願の新集会所が完成した。

 

 定内橋そばに建てられた新集会所は木造平屋で延べ床面積168・93平方メートル。ホール(約70平方メートル)や和室1室(12畳)、調理室、倉庫・納戸などを備えた。車いすでホールに入ることができるようスロープデッキを設置。建設地は山際で土砂災害などの危険性があり、擁壁を整備。建設費用は8536万円で、過疎債を活用した。

 

完成した集会所を見学する住民ら

完成した集会所を見学する住民ら

 

 開所式で、野田市長は「大いに活用し、互いに見守り合い、安心して暮らせる地域づくりに役立ててほしい」と期待。住民らは、日高寺(礼ケ口町)により営まれた神事で「あたたかな笑顔を発信できる、和合の象徴」となることを願った。

 

 同町内会では集会所を町内会の会合や、住民によるグループ活動、子ども会の集まり、高齢者の体操などに活用する方針。三浦会長(79)は「立派な集会所を大切に使い、地域の交流を図っていきたい」と意欲を見せた。

新しい消防ポンプ車の配備を喜ぶ第3分団3部団員

地域防災機能アップ 新消防ポンプ車配備、釜石・平田地区の第3分団3部

新しい消防ポンプ車の配備を喜ぶ第3分団3部団員

新しい消防ポンプ車の配備を喜ぶ第3分団3部団員

 

 釜石市消防団(川﨑喜久治団長、団員563人)の第3分団第3部(平田地区、川向真吾部長、11人)に、新しい消防ポンプ車1台が配備された。新車両の操作説明会が9日に鈴子町の釜石大槌地区行政事務組合消防本部庁舎で行われ、川向部長(52)ら4人が参加。納入業者から車両の付帯装置について説明を聞き、積載ポンプの放水能力を確認した。

 

 新車両は四輪駆動のオートマチック車で、毎分2000リットルの放水能力を持つポンプを搭載している。乗車定員5人。自動ブレーキシステム、電子サイレン、カーナビとバックモニター連動装置、ドライブレコーダーなど防火・広報活動に必要な最新機器を装備した。購入金額は2629万円。

 

 庁舎前で車両の運転特性や装備の操作など説明を受けた後、甲子川の対岸、千鳥町の河川敷に移動し、実際に放水能力を確認した。川向部長は「新しい車両に気持ちも引き締まる。操作に早く慣れるため、しっかりと訓練する必要がある。初心に帰り、みんなと協力しながら活動を頑張りたい」と力を込めた。

 

新車両の装備について説明を受ける団員ら

新車両の装備について説明を受ける団員ら

 

甲子川河川敷で新車両の放水能力を確認した

甲子川河川敷で新車両の放水能力を確認した

 

 旧車両は1998年に配備され、20年以上が経過した。この後廃車となる予定で、団員歴約30年の川向部長は「愛着があるから…寂しい」とぽつり。東日本大震災(2011年)時には車両で寝泊まりしながら地区の見守りをし、尾崎半島の大規模山林火災(17年)ではともに懸命に取り組んだ消火活動を振り返り、感慨深げな様子だった。

 

 2021年度の車両更新は今月中に資機材搬送車1台も見込む。

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

3・11津波犠牲者にささげる祈り 鵜住居地区に鎮魂、平和を願う人々集う

 東日本大震災から11年となった沿岸被災地―。多くの尊い命が失われたあの日を思い、今年の「3・11」も各地で犠牲者への祈りが続いた。釜石市内で最も多くの犠牲者が出た鵜住居地区。市内外の支援者らが設けた追悼の場に多くの人が足を運び、天に眠る御霊にそれぞれの思いを込めて手を合わせた。

竹灯籠に込める鎮魂の祈り 釜石仏教会 祈りのパークで慰霊行事

 

「釜石仏教会」竹灯籠による震災犠牲者慰霊行事

「釜石仏教会」竹灯籠による震災犠牲者慰霊行事

 

 鵜住居町の釜石祈りのパークには11日夕刻、約1260個の竹灯籠がともされた。市内の震災犠牲者の芳名板を設置する広場に「忘れない」の文字が浮かび上がり、遺族らが大切な人を思い、焼香して手を合わせた。

 

 釜石・大槌地区17寺院が宗派を超え組織する釜石仏教会(会長=大萱生修明・大念寺住職)による慰霊行事。竹灯籠は、協力を申し出た同市大只越町「仙寿院」の檀(だん)家川崎喜八さん(83、鵜住居町)から一昨年寄進された。以来、市内外から灯籠の持ち込みや送付があるという。灯籠には、訪れた人が故人を送る言葉などを記している。

 

 夕闇に灯籠の明かりが浮かび上がると、同会の僧侶らが読経。訪れた人たちが焼香し、犠牲者の冥福を祈った。同市の震災犠牲者は1064人(行方不明、関連死含む)。うち、同パークには1001人の芳名が掲げられる。

 

僧侶らが読経し、来訪者が焼香。犠牲者の御霊に手を合わせた

僧侶らが読経し、来訪者が焼香。犠牲者の御霊に手を合わせた

 

辺りが暗くなると、竹灯籠を並べて作った「忘れない」の文字が浮かび上がった

辺りが暗くなると、竹灯籠を並べて作った「忘れない」の文字が浮かび上がった

 

 鵜住居町で、妻ヨシエさん(当時46)、長男昭一さん(当時28)を亡くした小笠原克己さん(62)。温かな灯籠の明かりに包まれた同パークを長女咲さん(18)、次男大誠君(16)と訪れ、2人の芳名板の前で11年目の祈りをささげた。震災時、小学1年生だった咲さんは今春高校を卒業し、4月から進学で仙台市へ行く。「今日はその報告に…」と成長した愛娘を見つめた。

 

 同町に暮らしていた小笠原さん一家。地震発生時、大誠君を連れ車で仕事中だった克己さんは一度家に戻り、夜勤明けで寝ていた昭一さんに避難を呼びかけた後、咲さんが心配で鵜住居小へ。児童らは全校避難を開始しており、そのまま一緒に高台へ逃れた。「2人で何とか逃げていてくれ―」。まちが津波にのまれるのを見ながら、祈るしかなかった。ヨシエさんと昭一さんは避難が間に合わなかったものと見られる。

 

 あれから11年―。「何も考えず、残してくれた宝物(咲さん、大誠君)を一生懸命育てることしかなかった」。当時4歳だった大誠君は高校1年生に。今は甲子町に親子3人で暮らす。

 

 「震災の記憶は断片的」と話す咲さん。「急に3人になってすごく寂しかった。最初はずっとお通夜みたいな感じで…」。3人を再び笑顔にしたのは、震災前の家族の姿。「ママとお兄ちゃんいるころは常に笑っていたからな。暗いのは嫌いだったから」と克己さん。

 

 月命日、家族の誕生日には2人の墓参りを欠かさない。「とにかく3人で、いつもケラケラ笑いながら生きている」。天国で見守る2人に「心配しないで。大丈夫」と思いを伝えた。

 

鎮魂の花火「白菊」根浜の夜空で開花 犠牲者、遺族の安らぎに

 

震災犠牲者にささげる鎮魂の花火「白菊」=根浜

震災犠牲者にささげる鎮魂の花火「白菊」=根浜

 

 震災犠牲者を追悼する花火「白菊」が11日夜、鵜住居町根浜海岸で打ち上げられた。地元有志らでつくる、3・11祈りと絆「白菊」実行委員会(柏﨑未来委員長)が行う3年目の取り組み。花火玉には、地元の小中学生が寄せたメッセージが貼り付けられ、子どもたちの願いを天空に託した。

 

 メッセージを寄せたのは鵜住居小と釜石東中の児童生徒。震災犠牲者への思いのほか、ウクライナの戦禍、長引く新型コロナウイルス禍を受けて「戦争反対」「世界平和」、「コロナ消えろ」などの願いが54枚したためられた。打ち上げ前の日中、実行委メンバーや地元住民らが「白菊」の一尺玉に貼り付けた。

 

「白菊」の花火玉に小中学生のメッセージを貼る

「白菊」の花火玉に小中学生のメッセージを貼る

 

さまざまな願いが込められたメッセージ

さまざまな願いが込められたメッセージ

 

 協力する新潟県長岡市の花火業者「嘉瀬煙火工業」(嘉瀬晃社長)によると、「白菊」は、第2次大戦でソ連(当時)軍の捕虜となり、抑留生活で多くの戦友を亡くした嘉瀬社長の父が「仲間に手向けたい」と、1990年にロシア・ハバロフスクで打ち上げたのが始まり。鎮魂の花火は、震災で被災した本県陸前高田市で2013年から5年間打ち上げられた。釜石市では20年から毎年3月11日に根浜海岸で上げられている。

 

 「生きたくても生きられなかった―。戦争、震災犠牲者の思いは相通じるものがある。亡くなられた方、ご遺族の方双方が少しでも安らげるお手伝いができたなら」と嘉瀬社長(63)。父が残した「白菊」に魂を込める。

 

 地震発生時刻の午後2時46分。根浜の旅館「宝来館」と高台に整備された復興団地で、集まった人たちが海に向かって黙とう。震災犠牲者の冥福を祈るとともに、海底火山噴火で津波被害を受けたトンガの復興、ロシア軍の侵攻で戦禍にさらされるウクライナの終戦を願い、両国の国旗の色の風船を大空に放った。

 

全員で黙とう後、「思いは一つ」と4色の風船を空に放った

全員で黙とう後、「思いは一つ」と4色の風船を空に放った

 

 鎮魂の花火は午後7時、同海岸沖の台船から打ち上げ。「白菊」3発に続き、繁栄の象徴・金色を織り交ぜたスターマインが夜空を照らした。海岸から花火を眺める人たちは大切な人を思いながら、明日からの新たな一歩に力をもらった。

 

「震災前よりも良いまちに」と願うスターマイン

「震災前よりも良いまちに」と願うスターマイン

 

過去と未来つなぐ「とうほくのこよみのよぶね」 釜石市長が日比野克彦さんに感謝状

 

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

11年目の開催「とうほくのこよみのよぶね」

 

 根浜の海に「3・11」の舟形あんどんを浮かべ、鎮魂と未来への希望を明かりに託す「とうほくのこよみのよぶね」。例年は現地釜石市で、市民らが参加しあんどんを制作するが、今年は新型コロナウイルス禍で参集活動が困難なため、発案した岐阜県岐阜市の実行委が制作した小型あんどんを運び、宝来館の屋外ウッドデッキに設置した。

 

 同活動は国内外で活躍するアーティスト日比野克彦さん(岐阜県美術館館長)が、出身地岐阜市の仲間と企画。同市長良川で2006年から行う冬至行事を東北被災地の復興の力にと、震災の翌年12年から始めた。

 

 11日夕方の点灯に合わせ、野田武則釜石市長が宝来館を訪問。震災後、同活動のほか仮設の住宅や店舗の壁をカラフルなマグネットシートで彩る活動などを行い、市民の心の復興に貢献してきた日比野さんに感謝状を贈った。

 

野田市長が日比野克彦さんに感謝状を贈呈

野田市長が日比野克彦さんに感謝状を贈呈

 

 野田市長は、日比野さんや実行委メンバーらに「被災者、市民を代表し、心から感謝申し上げたい」と話し、差し入れを手渡した。日比野さんは「過去の記憶をとどめ、未来を見つめていくという『こよみのよぶね』のコンセプトを東北にも持っていければと始めた。地元の方々には大変お世話になっている」と深謝し、継続に意を強くした。

 

日比野さんら岐阜の実行委メンバー。野田市長と

日比野さんら岐阜の実行委メンバー。野田市長と

 

 震災直後の大型連休に、仕事先の秋田県から三陸沿岸に入った日比野さん。以来、被災地に寄り添い続け、釜石市民と心の絆を結ぶ。11年という時の流れは、被災地に暮らす人たちの気持ちの変化ももたらしていると感じる。「前はしのぶ気持ちのほうが強かったと思うが、10年を越すと未来を意識した言葉が出てくる」。3・11は「海と出会い、思いを共有できる日。次の世代につないでいく日であってほしい」と望んだ。

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広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

 

広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

広報かまいし2022年3月15日号(No.1780)

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【P1】
表紙
【P2-3】
新型コロナワクチン接種3回目
【P4-5】
後期高齢者医療制度の窓口負担割合の変更
医療・福祉関係の学生向けの奨学金 他
【P6-7】
子どもはぐくみ通信
市民のひろば 他
【P8-9】
まちのお知らせ
【P10-11】
保健だより
【P12】
釜石の歴史よもやま話

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市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

震災11年、亡き人へ祈り 釜石市内各地で追悼-癒えぬ悲しみ、それでも前へ

市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

市追悼式では合唱協会メンバーが鎮魂と復興の願いを込め献唱=午後3時27分

 

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。釜石市を襲った巨大津波は、関連死を含めて912人の命を奪い、152人の行方が分かっていない。暮らし、営み、日常が一瞬で奪われたあの日から11年となった11日、市内各地で追悼行事が行われた。「(あの人が)いないなんて、実感がない」「今年も帰ってこなかった」「平穏に暮らせるよう見守っていて」。それぞれの祈りをささげた人々は、悲しみや苦しみを残しながらも前向きに歩み続けていく。

 

釜石市追悼式 遺族「前向きに生きていく」

 

 市主催の追悼式は大町の市民ホールTETTOで開かれた。遺族ら約170人が参列し、震災が発生した午後2時46分に黙とう。野田武則市長は最終段階を迎えた復興状況、社会変化によって新たに見えた課題への対応が必要となった現状を踏まえ、「市民の協力、地域のつながりがより重要になる。真に復興を実感するまで寄り添い、夢と希望を持って生き生きと暮らせる持続可能なまちづくりに取り組んでいく」と誓った。

 

追悼の言葉を述べた沖健太郎さん=午後3時18分

追悼の言葉を述べた沖健太郎さん=午後3時18分

 

 津波で鵜住居町の自宅、次男英憲さん(当時22)を失った元市職員の沖健太郎さん(69)=中妻町=が遺族を代表して追悼の言葉。「町全体が一瞬にして何もかもなくなってしまいました。すべてが今もなお夢のようです」と心情を明かし、「1人で家にいて相談する相手もなく、どんなに心細かったか。津波が襲ってきた時はあまりにも突然で、おそらくビックリする暇もなかっただろう」と天に向かって語り掛けた。

 

 犠牲者に対する哀悼の念とともに込めたのは、震災当時の英憲さんの様子を知らせてくれた地域の人や見つけ出してくれた人たちへの感謝の気持ち。式を終えた沖さんは「一人の青年が生きていたこと、たくさんの命が奪われたことを忘れないでほしい。悔しさはいつまでも残る。それでも前向きに生きていく」と上を向いた。

 

亡き人に思いをはせ、手を合わせる遺族ら=午後3時50分

亡き人に思いをはせ、手を合わせる遺族ら=午後3時50分

 

 市合唱協会のメンバー15人が2曲を献唱。生田流正派箏成会が奏でる琴の音が響く中、参列者が次々と献花台に白菊を手向けた。

 

刻まれた名に手を伸ばし 祈りのパーク「あの人を思う」

 

芳名板にそっと手を伸ばす澤田實さん、陽子さん夫妻=午前10時28分

芳名板にそっと手を伸ばす澤田實さん、陽子さん夫妻=午前10時28分

 

 市内全域の震災犠牲者1064人のうち、1001人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」には朝から、さまざまな思いを込めた祈りが続いた。

 

 訪れた遺族や縁故者らは献花台に花を手向け、静かに手を合わせた。定内町の澤田陽子さん(70)は、津波で実妹木下典子さん(当時56)=鵜住居町根浜=ら親族4人を亡くした。「(妹は)いない。でも実感が湧かない」というが、「11年は長いようで、あっという間」と思いを巡らすと涙が頬をつたった。1年半前に夫實さん(72)と古里にUターン。「平穏に暮らせれば。見守ってほしい」と願った。

 

遺族らは犠牲になった人の名前に触れ、手を合わせた=午前10時35分

遺族らは犠牲になった人の名前に触れ、手を合わせた=午前10時35分

 

 刻まれた名にそっと手を伸ばし、「何でそんなところにいるんだよ」とつぶやいたのは栗林町の栗澤茂子さん(79)。長男健(たけし)さん(当時44)が勤務先の大渡町で津波の犠牲になった。双子で次男康(やすし)さん(55)=北上市=と訪れ、「健康で病気もなかったのに…。天国で安らかに暮らしているか。家族思いだから、向こうで案じているだろう。あと何年、来れるかな。康がずっと会いに来るから」と言葉を掛けた。

 

身元不明者を供養 物故者納骨堂「忘れない」

 

納骨堂の前で手を合わせる参列者=午前9時38分

納骨堂の前で手を合わせる参列者=午前9時38分

 

 身元不明遺骨を安置する平田の大平墓地公園内の大震災物故者納骨堂では、釜石仏教会(大萱生修明会長、14カ寺)による法要が営まれた。現在、全身遺骨5柱、部分骨4柱を安置。僧侶4人が読経し、参列者が焼香、手を合わせた。

 

 導師を務めた大只越町の仙寿院、芝崎惠應住職は「被災者らの本当の心、苦しい思いを理解し、未来の教訓となるよう伝え続けなければならない」と呼び掛けた。

 

 大平町の菅原美代子さん(68)、大船渡市立根町の藤原ツキ子さん(61)姉妹は行方不明の母浦島ミエ子さん(当時80)=箱崎町白浜=を思い、納骨堂が完成した18年以降、毎年訪れている。「わすれない」と記された銘板を見上げた2人は「面白い母ちゃんだった。11年になるけど、今年も帰ってこなかった」と寂しさをにじませた。

 

殉職消防団員を慰霊 鈴子広場「活動継承を誓う」

 

献花し仲間をしのぶ消防団員=午前11時43分

献花し仲間をしのぶ消防団員=午前11時43分

 

 震災で職務遂行中に命を落とした消防団員8人を慰霊する献花式は、鈴子町の鈴子広場にある「殉職消防団員顕彰碑」で営まれた。遺族、消防団員ら約30人が出席。市民の命と財産を守るために尽力した魂に「二度と犠牲者を出さない安全安心なまちづくり」を誓った。

 

 野田市長は「傷跡を残すような消防団活動を繰り返してはならない。風化させることなく伝えることが責務だ」と式辞。川﨑喜久治団長は「近年、災害は複雑化、多様化、大規模化し、避難行動の見直しが急務。団員の安全を確保しながら市民の生活を守る活動に力を尽くす。その思いは変わらない」と8人の霊前に誓った。

 

涙をこらえきれず手で顔を覆う遺族ら=午前11時41分

涙をこらえきれず手で顔を覆う遺族ら=午前11時41分

 

 殉職した当時の副団長福永勝雄さん(享年66)、第6分団本部長の佐々木金一郎さん(享年64)の遺族が参列。碑に刻まれた亡き夫の名を目にすると、押し隠していた思いがあふれ出し、手で顔を覆った。心の痛みは、今なお癒えず―。

砂浜で震災行方不明者の手掛かりを探す釜石海上保安部職員

震災行方不明者の手掛かりを求めて 警察・海保・消防合同で大槌の海岸捜索

砂浜で震災行方不明者の手掛かりを探す釜石海上保安部職員

砂浜で震災行方不明者の手掛かりを探す釜石海上保安部職員

 

 東日本大震災から11年となるのを前に10日、釜石警察署(前川剛署長)管内の行方不明者捜索が大槌町吉里吉里の小久保海岸で行われた。同署、釜石海上保安部(松吉慎一郎部長)、釜石大槌地区行政事務組合消防本部(大丸広美消防長)から72人が参加。砂浜と海中で、行方不明者につながる手掛かりを探した。

 

 開始式に先立ち、全員で震災犠牲者に黙とう。前川署長は「明日で津波発生から11年を迎える。行方不明者の家族の気持ちに添えるよう、何らかの手掛かり、思い出の品を見つけ出してほしい」とあいさつ。松吉部長、大丸消防長が激励した。

 

 砂浜では3機関の職員が手分けし、打ち上げられた漂流物を確認したり、砂を掘り起こして埋まっているものを調べた。警察嘱託犬2頭も指導手と捜索に協力した。海中捜索は同海岸前と周辺の3エリアで実施。最大水深7・5メートルの海域を、応援に駆け付けた第2管区海上保安本部仙台航空基地所属の機動救難士(潜水士)4人が捜索した。

 

陸と海で捜索活動が行われた大槌町、小久保海岸

陸と海で捜索活動が行われた大槌町、小久保海岸

 

 震災から11年が経過し、海中は透明度が戻るが、発見につながる目標物(がれきなど)がないため、捜索は年々困難を極める。この日は深い所にとどまっている可能性などを視野にエリア内を丹念に捜索。屋根の瓦、指輪や腕時計が入ったポーチが見つかったが、震災との関連は不明。ポーチは持ち主の情報がなく、釜石署で当面保管する。

 

 上席機動救難士の榎木大輔さん(41)は、震災時、第3管区横浜海上保安部に所属し、発災直後の海中捜索を経験した。年月の経過とともに当時の現場を知らない隊員が増える中、「口で伝えるだけではイメージしにくい。文字化した資料も活用し、若い隊員に経験をつないでいきたい」と話す。

 

捜索方法を打ち合わせする榎木大輔さん(中央)ら機動救難士(潜水士)

捜索方法を打ち合わせする榎木大輔さん(中央)ら機動救難士(潜水士)

 

 釜石警察署地域課被災地支援係の橋本明日香さん(25)は、幼いころ大槌町に暮らし、同町には親戚が多い。同係を希望し奥州署から異動後、初めての捜索活動。「家族の帰りを待つ人たちの気持ちは11年たっても変わらないと思う。警察官としてできること、何か手掛かりになるものを探したい」と熱心に取り組んだ。

 

 大槌消防署の消防士、関真人さん(24)は同町出身。中学1年時に震災を経験した。同消防本部に入って2年目。「知り合いにも行方不明者がいる。消防としてもだが、町民の一人として見つけたいという思いが強い。できる限り捜索活動を続けていければ」と願う。

 

流木を移動させながら捜索する釜石警察署署員

流木を移動させながら捜索する釜石警察署署員

 

目を凝らし、震災に関係するものを探す消防職員

目を凝らし、震災に関係するものを探す消防職員

 

 この日の陸上捜索では、手掛かりになるものは発見できなかった。県内では同震災で1110人が行方不明。大槌町は416人、釜石市は152人の行方が分かっていない(2月末現在)。

再建された「鵜住居観音堂」で行われた震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要

待望の再建「鵜住居観音堂」 津波被災から救出された本尊11年ぶりに古里へ

再建された「鵜住居観音堂」で行われた震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要

再建された「鵜住居観音堂」で行われた震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要

 

 東日本大震災の津波で流失した釜石市鵜住居町の「鵜住居観音堂」が、震災から11年を前に、鵜住神社近くの高台に再建を果たした。土砂にまみれながら奇跡的に救出され、専門技師の手で修復された本尊「十一面観音立像」(2012年県有形文化財指定)も、保管先の県立博物館(盛岡市)から帰郷。500年にわたり地域住民の信仰を集める秘仏が、再びまちの未来を見守る。

 

 6日、観音堂を再建した別当の小山士さん(78)らが、堂内で震災物故者鎮魂被災地復興祈願法要を行った。本尊と本尊を模刻した「身代わり観音像」を前に、医王山毛越寺(平泉町)の藤里明久貫主が読経。参列者が焼香し犠牲者の冥福を祈った。

 

毛越寺の藤里明久貫主(僧侶中央)を招いて法要

毛越寺の藤里明久貫主(僧侶中央)を招いて法要

 

 震災後、同観音堂に関わる法要を行ってきた藤里貫主は「新観音堂の完成は感慨深い。小山さんら関係者が努力を重ね、ここまでたどり着けた。多くの地元の方々も喜んでいると思う」と今までの苦労を思いやった。

 

 新観音堂は、小山さん所有の山の斜面を敷地造成し建立。お堂と続き間の6畳和室、収蔵庫などを合わせ、建物面積は約40平方メートル。地元の良質なスギ材などを使った木造で、屋根は鉄板葺(ぶ)き。昨年8月に着工し、今月完成した。入り口に掲げる扁額などに、老木で伐採された鵜住神社のご神木が使われている。

 

新「鵜住居観音堂」外観。左奥は鵜住神社

新「鵜住居観音堂」外観。左奥は鵜住神社

 

観音堂内部。お堂の他6畳間、流しなどを備える

観音堂内部。お堂の他6畳間、流しなどを備える

 

 慈覚大師の作とされる「十一面観音立像」を祭る同観音堂は、像背面に「永正七年」(1510年)の墨書銘があることから、同時期の開設と考えられる。現在の鵜住神社境内にあったが、明治期の神仏分離で、神社下に居を構える別当・小山家が同像を引き取り安置した。1985(昭和60)年に屋敷を改築、新たな観音堂を設けた。地域の祭りの際には、郷土芸能の奉納や参拝で多くの人が訪れる場所だった。

 

 2011年の震災津波で建物は全壊。諸尊像も流失したが、ブロック造りの宝物庫に保管されていた本尊は、破損しながらも原形をとどめ、流失を免れた。当時、盛岡大教授だった故大矢邦宣さんが学生と救出作業にあたり、県立博物館で、駆け付けた京都科学(本社・京都市)の技師らによって修復作業が行われた。本尊の帰還を待つ地域住民のため、14年には大矢さんの発案で、模刻の身代わり観音像が制作され、新たに建立した小観音堂に安置。本設の観音堂の再建を待つばかりとなっていた。

 

修復された本尊「十一面観音立像」(右)と模刻「身代わり観音像」

修復された本尊「十一面観音立像」(右)と模刻「身代わり観音像」

 

 震災時、別当だった小山正さんは11年7月に他界。引き継いだ長男勉さんは観音堂の再建に意欲を見せていたが、17年3月に急逝。以降、分家の小山士さんが別当として、観音堂に関わる職務を担う。士さんは観音堂再建について、「被災住民の住居再建が進んだ後でと考え、周辺の復興がほぼ完了した段階で着手した。これまでの多くの皆さんの支えに感謝したい。500年も地元で拝まれてきた秘仏をしっかり守っていく」と決意を新たにする。

 

観音堂を再建した小山士さん(前列中左)。毛越寺の藤里貫主(同中右)らと喜びを分かち合った

観音堂を再建した小山士さん(前列中左)。毛越寺の藤里貫主(同中右)らと喜びを分かち合った

 

 当初6日に、新観音堂の落慶法要を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大を考慮し延期。住民を集めての法要は、感染状況を見ながら開催時期を判断する。

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

東日本大震災11年、釜石・根浜地区で慰霊祭 「みんなが幸せに」住民ら冥福祈る

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

11日を前に根浜地区で行われた震災慰霊祭で、黙とうする住民ら=6日

 

 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた釜石市鵜住居町根浜地区で6日、発生から11年となる11日を前に慰霊祭が行われた。高台造成地に整備された復興団地の住民ら約30人が地震発生時刻に合わせ、黙とう。犠牲者を悼みながら、「みんなが幸せに安心して暮らし続けることができる地域にする」と思いを分かち合った。

 

 根浜親交会(前川昭七会長)が震災後から継続する追悼行事。住民らは同地区で犠牲になった15人と共に、津波で尊い命を奪われた全ての犠牲者を思い、午後2時46分に黙とう。集会所に設けられた祭壇に白菊を手向け鎮魂や安寧の祈りをささげた。

 

 前川会長、妻良子さん(いずれも69)は、津波で次女美知さん(当時32)を亡くした。漁業の傍ら民宿を営む2人は「多くの人から心を寄せてもらい、ありがたい10年。無我夢中で、あっという間だった」と振り返る。震災から11年、強く思うのは「明日の幸せを見つけ出せる、平和な暮らしの大切さ」。相次ぐ災害、人災と言える戦争が繰り返される現実に心を痛め、合わせる手に「命の尊さを考えてほしい」と願いを込めた。

 

大切な人を思い、手を合わせる前川会長

大切な人を思い、手を合わせる前川会長

 

 根浜地区は震災前、67世帯約180人が暮らした。最大18メートルの津波が襲ったが高い防潮堤は拒み、震災前と同じ5・6メートルの高さを維持。海抜20メートル超の高台造成地に集団で移転し、現在は35世帯約100人が暮らす。

 

 慰霊祭の後、津波記念碑が建つ団地内の公園では「お地蔵さん」に手を合わせる住民の姿も見られた。「こっちも頑張っているから、見守っていて」。同会事務局長の佐々木雄治さん(66)は、宮古市で暮らす長女岩渕理紗子さん(28)と足を運び、津波で犠牲になった妻純子さん(当時53)、実父、実姉、義母の冥福を祈った。

 

海を望む高台の公園に並ぶ「お地蔵さん」に思いを託す佐々木さん親子

海を望む高台の公園に並ぶ「お地蔵さん」に思いを託す佐々木さん親子

 

 佐々木さんは津波の夢で目が覚める日々が続いたというが、ここ数年はほとんどなく、「月日の流れが解決してくれた」と穏やかな表情を見せる。そして、かみしめるように「あの日のことは忘れられない」と口にするが、記憶が薄れていくという感覚もある。ただ、海を望むこの公園に来ると、「自然災害は形、時、規模、何もかも予測できない。高台であっても絶対はない」と、あらためて思う。「海と共存する地域だからこそ、いざという時、自らが避難する意識を強く持たなければ」。津波の教訓を地区全体で共有し、安心して暮らせるまちづくりを続けていく―と前を向いた。

オンライン版「異言語脱出ゲーム」で、謎解きに挑戦する手話サークル「橋」のメンバー

オンラインでお化け退治!? 釜石・手話サークル「橋」 聴覚障害者と挑む謎解き

オンライン版「異言語脱出ゲーム」で、謎解きに挑戦する手話サークル「橋」のメンバー

オンライン版「異言語脱出ゲーム」で、謎解きに挑戦する手話サークル「橋」のメンバー

 

 岩手県内で初めて手話言語条例を制定した釜石市で、聴覚障害者への関心と手話を広げようと活動するグループがある。手話サークル「橋」(中里麻衣代表)だ。新型コロナウイルスの流行が続く中、感染拡大防止を考慮し、聴覚障害がある人との交流は控えている。手話をする機会を増やし、「伝える力」「理解する力」を養おうと模索。2月23日、聴覚障害者と協力してゴールを目指す体験型の謎解きゲーム「異言語脱出ゲーム」に挑戦した。

 

 異言語脱出ゲームは、ワークショップなどを行う一般社団法人「異言語Lab.」が生み出した、謎解きの要素に手話・筆談・音声などを組み合わせた新しいスタイルの脱出ゲーム。聴覚障害者と耳の聞こえる健聴者が協力しなければ謎を解くことができず、より深いコミュニケーションが不可欠となる。

 

 今回は、ビデオ会議システム「Zoom(ズーム)」を使ったオンラインゲーム「リモートDEお化け退治大作戦~遺された想い」に挑んだ。同サークルのメンバー6人(全員健聴者)がチームとなり、聴覚障害者からお化け退治の依頼を受けるという設定。依頼者からヒントをもらいながら、さまざまな謎を解いて除霊を目指す。制限時間は60分。

 

 参加者は手話だけでなく、身振り手振り、スマートフォンなどを使い、相談しながら数々の謎解きに挑戦した。「○○って手話はどうするの?」「ヒントではなんて言ってた?」。やりとりを重ねて謎を解き、制限時間ぎりぎりで任務完了。6人は「よし!」と達成感をにじませた。

 

気持ちを伝えるため動きを合わせるメンバー。画面越しの交流を楽しむ

気持ちを伝えるため動きを合わせるメンバー。画面越しの交流を楽しむ

 

 釜石高2年の川原凜乃さん、矢内舞さんは「ひらめき」で任務遂行に一役買った。中学生で手話を始めた川原さんは「まだ勉強中で、分からないこともたくさんある。画面越しでも楽しみながら交流できた」と充実した表情。昨年11月に手話の面白さを知ったばかりの矢内さんは「思いついた動きでもやってみると伝わるのが分かった。ただ、きちんとした手話を知らないと思いが伝わらず、相手を困らせてしまうことがあるかもしれない。サークルの大人たちみたいなやりとりができるよう、もっと頑張りたい」と刺激を受けていた。

 

 同サークルは1970年に発足し、県内で最も長い歴史のある団体。現在、10人ほどが週1回活動する。手話での声なしスピーチ、かるたなどゲームで聴覚障害者らとの交流を通し、楽しく手話の知識を深め合っている。メンバーには耳が聞こえず、目が見えない盲ろう者がいるが、コロナ禍で参加を見合わせている。サークル外活動も難しい状態が続くが、昨年は障害者らも集う祭りで手話歌を披露した。

 

中里代表(左)、若手を見守る岩鼻さん(左から2人目)

中里代表(左)、若手を見守る岩鼻さん(左から2人目)

 

 実戦経験になるとオンラインイベントへの参加を決めた中里代表(32)。「思った以上に会話が広がり、どうすれば相手に伝わるかを考え、自分とは違った見方があることを知る機会にもなった」と手応えを得た。画面越しでも他地域の人とつながる体験に新鮮味を実感。「手話の技術、知識を深めるため、いろんな考えを伝え合えるサークル活動を続けたい」と思いを強めた。

 

 手話通訳士の資格を持つ岩鼻千代美さんは今回、サポート役に徹した。メンバーたちが謎解きに集中し、聴覚障害者が「次、どうすればいいの?」などと問いかけても反応しない場面があり、「誰か返事して。コミュニケーションとって」と助言。もどかしさを感じながらも、「伝え合おう」とする若手たちを温かく見守った。「条例を作って終わりではなく、手話を学び、相手を理解しようという人の輪が広がってほしい」と願う。