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平和を願う鐘の音 釜石・唐丹から世界へ 盛岩寺で地域住民ら思いを発信

盛岩寺の鐘楼で鐘をつく唐丹小児童=5日

盛岩寺の鐘楼で鐘をつく唐丹小児童=5日

 
 釜石市唐丹町の盛岩寺(三宅俊禅住職)で5日、「鎮魂と平和の鐘を鳴らそう・座禅会」が開かれた。唐丹公民館(千菅英理子館長)と釜石ユネスコ協会(岩切久仁会長、会員53人)の共催事業。地元住民と同協会員34人が参加し、戦災、震災犠牲者の慰霊、世界平和への願いを共有、発信した。
 
 太平洋戦争末期の2度の艦砲射撃、幾たびの大地震津波で多くの尊い命が失われてきた同市。唐丹町で続く同行事は、慰霊と平和への祈りをささげ、日常や自らを見つめ直す機会にと、毎年お盆の前後に行われている。
 
 参加者を前に上野賢庸副住職が講話。「故人を弔うことは世界共通。亡くなった人が安心してあの世に旅立っていけるようにするとともに、残された人たちも心の安らぎを得られるようにというのが根本」と供養の大切さを説いた。沖縄本土復帰50年を記念し、上方舞師範・吉村高鴻さん(住田町)が平和への祈りを込めた舞を披露した。
 
 「さとうきび畑」の曲で舞う吉村高鴻さん

「さとうきび畑」の曲で舞う吉村高鴻さん

 
吉村さんに拍手を送る釜石ユネスコ協会の会員ら

吉村さんに拍手を送る釜石ユネスコ協会の会員ら

 
 参加者は境内の鐘楼に移動し、順番に打鐘。戦災、震災犠牲者や先祖の御霊の冥福を祈るとともに、ロシアのウクライナへの軍事侵攻、中国、台湾関係の緊張など不穏な世界情勢も懸念しながら、平和への強い願いを鐘の音に込めた。
 
鐘をつき、鎮魂と平和な世界の実現を願う子ども

鐘をつき、鎮魂と平和な世界の実現を願う子ども

 
 最後は座禅会。上野副住職から脚の組み方、姿勢の整え方、礼儀などを教わった後、10分、15分間の2回に分けて精神統一に挑戦した。参加者は普段なかなか体験することのない静寂な時間に身を委ね、自身の心を静かに見つめ直した。虫の声だけが響く夏ならではの空間―。「当たり前に聞いている小さな音の発見もあったのでは。普段の生活の中でも座禅を通して気付くことがある」と上野副住職。
 
上野賢庸副住職から座禅の仕方を学ぶ

上野賢庸副住職から座禅の仕方を学ぶ

 
雑念を払い、座禅に取り組む。日常を忘れ、自分と向き合う時間

雑念を払い、座禅に取り組む。日常を忘れ、自分と向き合う時間

 
最後は一人一人、“警策”もいただいた

最後は一人一人、“警策”もいただいた

 
 会には未来を担う子どもたちが多数参加した。唐丹小6年の千葉柊瑛君は「貴重な経験。戦争や震災で(無念にも)命を落としてしまった人たちのことを決して忘れず、自分の生活も考えていきたい」。同5年の川村向葵(ひまり)さんは「座禅はつらかったけど、終わってみるとすっきりした気分。お家に帰ったら、おじいちゃんおばあちゃんに学んだことを報告したい」と話した。
 
 ユネスコ協会の岩切会長は「今後、戦争体験者はさらに減り、話を聞ける機会も少なくなっていく。こういう催しが戦災の大変さ、平和の尊さを知るきっかけになれば」と願う。
 
 「子どもたちの笑顔を守るために…」。平和な社会の実現は大人たちの責務

「子どもたちの笑顔を守るために…」。平和な社会の実現は大人たちの責務

 
 同行事は児童を対象に開かれていた郷土を学ぶ「とうに寺子屋教室」が前身。2008年からは、国連決議の「平和の文化」創造に取り組むユネスコ協会と共催する。東日本大震災があった11年は同寺の鐘楼が倒壊したため休止。再建した12年から再開している。

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釜石東ロータリークラブ お盆を前に外国人物故者を慰霊 碑に花ささげ供養

外国人船員の慰霊碑を訪れた釜石東ロータリークラブの会員

外国人船員の慰霊碑を訪れた釜石東ロータリークラブの会員

 
 釜石東ロータリークラブ(松田宇善会長、会員25人)は4日、釜石市大平町の大平墓地公園にある外国人慰霊碑を訪問。戦後、仕事で同市を訪れていた際に病気などで亡くなった外国人船員ら7人の供養を行った。同碑はクラブが1989年に建立。以来、毎年お盆前のこの時期に、会員らが周辺を清掃し、鎮魂の祈りをささげている。
 
 会員16人が足を運び、同碑に花と線香を手向け、物故者の霊に手を合わせた。会員らは遠い異国の地で眠る釜石ゆかりの外国人らを思い、継続供養へ気持ちを新たにした。
 
会員が順に線香を手向け、物故者の冥福を祈った

会員が順に線香を手向け、物故者の冥福を祈った

 
 終戦から6年後の1951(昭和26)年、釜石港は国の重要港湾に指定され、外国貿易船の入港が増え始めた。乗組員の中には、入港中に傷病で命を落とす人も。大只越町の石応禅寺には、53(同28)年8月~57(同32)年3月に亡くなった外国人7人を弔う墓地が山腹の3カ所にあった。当時、引き取り手がなく、市などが同地に埋葬したものとみられる。
 
 64(同39)年に創立した同クラブは、訪れる人もなく荒廃していた墓地を気にかけ、長年お盆の時期に清掃、物故者の供養を続けていたが、市と相談の上、大平墓地公園内への合葬と慰霊碑建立を決定。89(平成元)年、クラブの25周年に合わせ事業化した。幅約2・5メートルの楕円(だえん)型の自然石に、当時の野田武義市長が揮毫(きごう)した「望」の文字板を埋め込んだ。隣に物故者の氏名、国籍、没年月日と追悼文を刻んだ石碑も建てた。
 
巨大な自然石で造られた慰霊碑。左隣には銘文碑もある

巨大な自然石で造られた慰霊碑。左隣には銘文碑もある

 
 外国人物故者の国籍はギリシャ、シンガポール、インド、ノルウェー、米、英、中国と全て異なる。同クラブは30周年時に物故者のルーツをたどり、判明したノルウェー人遺族を釜石に招き、記念式典であいさつをしてもらった。
 
 松田会長は「こうした歴史はあまり知られていない。先輩会員からしっかりと引き継ぎ、長く後世につないでいかねば。クラブ会員だけでなく、多くの市民にも機会あるごとに慰霊碑に足を運び、手を合わせてもらえたら」と願った。

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太古の地球が生んだ鉱石に興味津々 釜石鉱山で親子らが“宝”探し!

鉱山(やま)の宝探し=釜石鉱山、7月30日

鉱山(やま)の宝探し=釜石鉱山、7月30日

 
 近代製鉄発祥の地「釜石鉱山」を楽しく学ぶイベントが7月30日、釜石市甲子町大橋の同鉱山周辺で開かれた。同市が主催する夏休み恒例の特別企画で、その名も「鉱山(やま)の宝探し」。市内の親子ら16人が参加し、日本最大の鉄鉱山として栄えた同鉱山の歴史や産出される鉱物について理解を深めた。
 
 関連資料を展示公開している旧釜石鉱山事務所で、市世界遺産課の森一欽課長補佐が鉱山の歴史を解説。釜石周辺は太古の大陸移動で別々の島が合体し隆起したことで険しい山ができ、マグマの上昇による熱変成で多様な岩石が生まれたという。同鉱山は1727(享保12)年に発見。後に南部藩士大島高任は同地に洋式高炉を築き、1858(安政4)年、日本初となる鉄鉱石を原料とした連続出銑に成功した。
 
 1880(明治13)年、現鈴子町に官営製鉄所が操業すると鉄道が開通。機関車で鉄鉱石を運んだ。製鉄所が民間経営となった後も供給は続き、“鉄のまち釜石”の繁栄を支えた。同鉱山からは銅鉱石、石灰石の採掘も行われたが、2000(平成12)年を最後に採掘を休止している。
 
旧釜石鉱山事務所鉱物室で同鉱山から採れる石を学ぶ参加者

旧釜石鉱山事務所鉱物室で同鉱山から採れる石を学ぶ参加者

 
 イベントでは座学に続き鉱物室を見学。同鉱山で見られる石を教えてもらった後、屋外のずり捨て場で鉱石探しに挑戦した。参加者は目を凝らし、色や形状、輝きなどを観察。手元の表と見比べ、名称を確認した。鉄鉱石は磁石を近づけて、引き寄せられるかどうかを見た。表面だけでは判断しにくい石は、職員にハンマーで割ってもらい内部を確認した。
 
積まれた石の山に目を凝らし“お宝”を探す

積まれた石の山に目を凝らし“お宝”を探す

 
「鉱石はどれかな?」じっくり見極めて…

「鉱石はどれかな?」じっくり見極めて…

 
お目当ての石を見つけようと子どもも大人も夢中

お目当ての石を見つけようと子どもも大人も夢中

 
 佐野海翔君(甲子小4年)は「鉱石の名前を覚えたい」と初めて参加。「鉄鉱石の他にもいろいろな石が見つかった。こんなに種類があるのはすごい」と驚いた様子。集めた石をどうするか聞くと、「磨いてピカピカにしたい」と目を輝かせた。
 
 菊池咲里さん(小佐野小1年)は、家族と訪れた鉄の歴史館で釜石の鉄づくりに興味を持ち、「(現地に)行ってみたい」と同イベントに参加。石で重くなった袋を両手に抱え、「いっぱい拾えて楽しかった。お家に持って帰って飾る」とにっこり。母孝子さんは「大人も楽しめるイベント。こういう体験はすごく貴重。市がいろいろ企画してくれるのはありがたい」と喜んだ。
 
見つけた「ざくろ石」を手に笑顔を輝かせる子ども。左下は「黄銅鉱」

見つけた「ざくろ石」を手に笑顔を輝かせる子ども。左下は「黄銅鉱」

 
 30分ほどの探索で、鉄鉱石、銅鉱石、石灰石のほか、ガーネットの結晶が見られる柘榴(ざくろ)石、黄緑がかった緑簾(りょくれん)石なども見つかった。集めた石は仕切りを施した箱に収め、名称を添えてオリジナルの鉱物標本を完成させた。
 
 参加者は同事務所裏の高台にあった小・中学校「釜石鉱山学園」跡地や山神社なども巡り、多くの労働者やその家族が暮らした往年の時代に思いをはせた。
 
ズリ堆積場(左上)と沢水を流す人工滝(右後)を背景に記念撮影

ズリ堆積場(左上)と沢水を流す人工滝(右後)を背景に記念撮影

 
釜石鉱山学園跡地から臨む堆積場。跡地案内看板の校舎写真(左下)と比べると山の谷間を埋め立てたのが分かる

釜石鉱山学園跡地から臨む堆積場。跡地案内看板の校舎写真(左下)と比べると山の谷間を埋め立てたのが分かる

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ロシアの軍事侵攻を非難 連合岩手が2022平和行動 釜石地区でも集会

連合岩手2022平和行動 釜石地区平和集会

連合岩手2022平和行動 釜石地区平和集会

 
 連合岩手釜石・遠野地域協議会(小島安友議長)など3団体は7月26日、釜石市大渡町の釜石教育会館駐車場で平和集会を開いた。約50人が参加。ロシアのウクライナへの軍事侵攻、北朝鮮の度重なるミサイル発射を厳しく非難するとともに、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現への取り組み強化を確認した。
 
 参加者を前に小島議長があいさつ。ロシアの軍事侵攻、日本の防衛費増額への動きに触れ、「平和を築くには一国ではなしえないことを痛感する。こういう今だからこそ、平和行動を絶やさず、声を上げて広く進めていかねばならない」と述べた。
 
集会は釜石教育会館駐車場で夕方開かれた"

集会は釜石教育会館駐車場で夕方開かれた

 
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 北上市を拠点に映画製作などを手掛ける都鳥伸也さん(39)が連帯のあいさつ。都鳥さんは双子の兄拓也さんと、釜石が受けた艦砲射撃の記憶を後世に残すための記録映画を製作中。体験者10人から話を聞いてきた。戦後77年―。戦争を語れる人が少なくなっていく現状に都鳥さんは「体験者がいなくなった時、憲法を変え、軍事力強化を図ろうとする動きが加速していくだろう」と危惧。戦争の実態を確実に伝える意義を強調し、力を合わせ平和行動を進める必要性を訴えた。映画は来年8月の公開を目指す。
 
釜石艦砲射撃の記録映画を製作している監督の都鳥伸也さん(右)

釜石艦砲射撃の記録映画を製作している監督の都鳥伸也さん(右)

 
 集会には、核兵器廃絶への「高校生一万人署名活動」に取り組む釜石高生も参加。3年の戸澤琉羽さん、三浦滉平君、板澤亮太君が参加者に署名を呼び掛けた。戸澤さんは「日常の大切さを考えられるようになった今こそ、戦争や核兵器のない平和な世界の実現を強く訴えることができる。後輩にも署名活動を継承していきたい」と意気込んだ。
 
平和活動への思いを述べる戸澤琉羽さん(中)

平和活動への思いを述べる戸澤琉羽さん(中)

 
 最後は平和アピール案を採択。「世界平和の実現に向け、職場、地域から取り組みを継続・強化していく」「唯一の被爆国に暮らす者として、平和を願う世界中の人々の声と力を結集し、政府や国際社会へ示していく」ことなどを宣言した。
 
 同集会は連合岩手が毎年継続する平和キャラバンの一環。25日に盛岡市で出陣式を行った後、3コースに分かれて県内各地を回り、街頭宣伝活動や集会を実施。新型コロナウイルス感染拡大を考慮し、例年行う行進は取りやめ、集会への参加人数も制限した。各地の思いは28日の県中央集会に届けられた。

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海の生き物とふれあい体験 県水産技術センター(釜石・平田) 公開デーで理解促す

ワカメの芯抜き作業を体験する親子ら

ワカメの芯抜き作業を体験する親子ら

 
 海や水産について理解を深めてもらおうと、釜石市平田の県水産技術センター(神康俊所長)は23日、「公開デー」として庁舎を一般開放した。三陸沿岸に生息する魚介類、養殖水産物などを展示して同センターの研究内容を紹介。子ども連れの家族が多く訪れ、海の生物とのふれあい体験を楽しんだ。
 
 カラフルな魚拓やペットボトルを使った顕微鏡づくり、塩蔵ワカメの芯抜き作業体験などのコーナーが並んだ。地域未利用資源を活用した食品技術の開発やフィードオイル(魚油)などを添加した餌によるサケ稚魚の成長促進についての研究などをパネルで紹介。県が誘致を目指している超大型加速器、国際リニアコライダー(ILC)に関する展示コーナーも設けられた。
 
公開された漁業指導調査船「岩手丸」

公開された漁業指導調査船「岩手丸」

 
家族連れらが船内見学を楽しんだ

家族連れらが船内見学を楽しんだ

 
 漁業指導調査船「岩手丸」(154トン)も公開。船内には海洋の水温調査、底引き網漁での魚種調査などで活躍する最新鋭の観測・漁労装置が並び、乗船した人たちは興味深そうに眺めた。備えられた機器や用具に触れたり使い方を聞く子どもたちの質問に答えたりした村上孝弘船長(53)は「将来一緒に働いてくれたら」と期待を込めた。
 
カラフルな魚拓づくりに挑戦する子どもたち

カラフルな魚拓づくりに挑戦する子どもたち

  
 ウマヅラハギの魚拓づくりに挑戦した佐々木祷吾君(平田こども園年長)とお手伝いした弟祷羽君(同年少)は「うまくできた。楽しかった」と喜んだ。2人の兄祷気君(平田小2年)は、ウニやホタテなどをかたどったシールで海の生き物マップを作り上げて満足げ。漁師の父親を「かっこいい」と自慢し、なじみのある海や魚について「もっと勉強してみたい」と意欲を見せた。
 
 公開デーは「海の日」に合わせて行ってきたが、ここ数年は新型コロナウイルスの感染防止対策のためウェブ公開など代替え企画で施設を紹介。直接体験イベントを楽しむ形での開催は3年ぶりとなった。神所長は「センターの取り組みをより分かりやすく伝えることができる。魚、海、水産、環境など何かに興味を持ってもらうきっかけになれば」と望んだ。

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中学生パワーで地域を元気に! 釜石東3年有志 朝市で販売活動&ソーラン

販売活動をした朝市でソーランを披露する釜石東中の3年生=鵜住居町

販売活動をした朝市でソーランを披露する釜石東中の3年生=鵜住居町

 
 釜石東中(佃拓生校長、生徒98人)の3年生35人は24日、学校近くの三陸鉄道鵜住居駅前で行われた「うのすまい・トモス朝市」に参加。海産物の販売や“東中ソーラン”の披露で、地域に活気をもたらした。総合的な学習の一環で本年度初の試み。積極的に取り組む生徒らの姿に来場者も笑顔を広げ、心温まる交流を繰り広げた。
 
 販売活動を行ったのは、NPOおはこざき市民会議(佐藤啓太理事長、箱崎町)のブース。生徒自らが芯抜き、袋詰めした塩蔵ワカメやホタテ焼き、ホヤの串焼きなどを販売した。この日に向け生徒らは、オリジナルの商品ラベル、販促ポップ、購入者へのメッセージカードとワカメ料理レシピを作成。販売開始前はテント設営から携わり、開店準備を整えた。
 
生徒らは手書きのワカメ料理レシピ、メッセージカードなどを作成した

生徒らは手書きのワカメ料理レシピ、メッセージカードなどを作成した

 
ホタテやホヤの炭火焼き担当は暑さと戦いながら懸命に準備

ホタテやホヤの炭火焼き担当は暑さと戦いながら懸命に準備

 
テントには自分たちで作った販促ポップを掲示

テントには自分たちで作った販促ポップを掲示

 
 午前9時、いよいよ販売開始。客の呼び込み、会計、炭火焼きなど作業を分担して取り組んだ。生徒の一部は、同時開催された「かまいし軽トラ市」のピーマン詰め放題コーナーをお手伝い。それぞれの役割をしっかり果たした。
 
「お買い上げありがとうございます!」

「お買い上げありがとうございます!」

 
会場内に出向いて、お客様にワカメ販売をPR!

会場内に出向いて、お客様にワカメ販売をPR!

 
生徒たちの呼びかけに多くの人たちが立ち寄った

生徒たちの呼びかけに多くの人たちが立ち寄った

 
 会場内では東中ソーランも披露。背中に「東魂」と書かれたそろいのはんてんを身にまとい、息の合ったパフォーマンスで来場者を楽しませた。会場を訪れた鵜住居町の70代女性は地域を盛り上げようと奮闘する生徒らの姿に「頼もしいねぇ~。ソーランも初めて見たがとても上手。子どもたちが頑張っているのを見るとこちらも元気になります」と顔をほころばせた。
 

 

 

 
 今回の取り組みは、地域貢献活動を考える中で生徒からアイデアを募って実現。昨年度、漁業体験学習で世話になった同NPOへの恩返しも兼ねて、販売活動を行うことになった。仕事に大切な心構えを学ぶとともに、地場産品への愛着、地域の一員としての自覚を高める狙いがある。
 
 佐々木里夏さんは「祖母からワカメ料理を教えてもらい、みんなでレシピにまとめた。お客さんを呼び込むのは難しかったが、買ってもらった時のうれしさは格別。(自分たちで生産した物を販売するのは)やりがいのある仕事だと思った」と実感を込めた。黒澤強優君は「コロナ禍でイベントが少なくなっていた。こういう場は地域のにぎわいにつながる。地元の産業を学ぶ機会にもなり、普段はできない販売体験も楽しかった」と声を弾ませた。
 
 2時間の朝市で生徒らが売り上げたワカメは59袋。最初に用意した分が1時間ほどで完売し、急きょ商品を補充するほどの盛況ぶりだった。

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震災後初 釜石で待望の裏千家淡交会茶会/石川県の和菓子店 絆の岩手支援

茶道裏千家淡交会岩手支部が釜石市民ホールで開いたチャリティー茶会=10日

茶道裏千家淡交会岩手支部が釜石市民ホールで開いたチャリティー茶会=10日

 
 一般社団法人茶道裏千家淡交会岩手支部(鈴木俊一支部長、500人)は10日、釜石市でチャリティー茶会を開いた。各地持ち回りで続ける茶会は、新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの開催。同市で開くのは2006年以来で、東日本大震災後に新設された市民ホールTETTO(大町)が会場となった。市内外から茶道愛好者ら200人以上が集い、心づくしのもてなしを楽しんだ。
 
 釜石、大槌両市町の会員を中心に約40人が運営にあたり、「薄茶席」と「立礼席」で客人を迎えた。来場者は季節感あふれるもてなしを堪能。日常の疲れを癒やす空間で心安らぐひとときを過ごし、笑みを広げた。
 
 新型コロナの流行が続くことから、会場では感染防止対策を徹底。菓子や茶は運んだお盆から各自受け取ってもらい、使用した茶わんは洗浄後、熱湯消毒。菓子や茶をいただく時だけマスクをはずすよう協力を願った。
 
お盆から茶を受け取る来場者。感染症防止の作法

お盆から茶を受け取る来場者。感染症防止の作法

 
待ち望んだ茶会で心地よい時間を楽しむ=薄茶席

待ち望んだ茶会で心地よい時間を楽しむ=薄茶席

 
 来場者に好評だったのが、子どもたちが担当した立礼席。同市で04年度から続けられる裏千家茶道こども教室の受講生15人と茶道に親しむかまいしこども園の園児6人がお点前とお運びで、日ごろの稽古の成果を発揮した。小学1年時から同教室に通う横田楽君(甲子中1年)は一席目でお点前を披露。「いつもよりすごく緊張した」と言いつつも堂々とした所作を見せ、さまざまな人たちと接することができる貴重な場から学びも得ていた。
 
立礼席で薄茶点前を披露する横田楽君。「おいしいお茶を」と真剣そのもの

立礼席で薄茶点前を披露する横田楽君。「おいしいお茶を」と真剣そのもの

 
「お茶をどうぞ」。涼しげな浴衣姿でもてなすこども教室の生徒

「お茶をどうぞ」。涼しげな浴衣姿でもてなすこども教室の生徒

 
 盛岡市の山内敦子さん(61)は「素晴らしい時間を過ごさせてもらい、心が洗われるよう。子どもたちのお席もとても良かった。未来への希望が感じられ、うれしくなった」と喜びの表情。震災から11年が経過したまちの様子にも目を向け、「市民の皆さんが前を向き、復興に力を尽くされてきたのだと改めて実感した。これからも応援していきたい」と思いを込めた。
 
 同支部では来場者から寄せられた募金を後日、釜石市と大槌町に寄付する予定。
 

復興支援の絆 今も強く 「和菓子で笑顔を」石川・行松旭松堂 茶会協力で来釜

 
行松旭松堂(石川県小松市)が開いた和菓子作り体験会=9日、青葉ビル

行松旭松堂(石川県小松市)が開いた和菓子作り体験会=9日、青葉ビル

 
 今回、茶会に欠かせない菓子を提供したのは、石川県小松市の老舗和菓子店「行松旭松堂」(1837年創業)。行松宏展社長(51)は震災後、裏千家淡交会岩手支部が沿岸被災地で行ってきた呈茶のボランティア活動に同行し、菓子の提供や和菓子作り体験で被災者を励ましてきた。釜石訪問は今回が初。茶会前日の9日には、市民対象の和菓子作り体験会も開き、市民と交流を深めた。
 
 青葉ビルで3回に分けて開催した和菓子作り体験会には、地元の親子や茶道関係者ら約80人が参加。初夏を代表する花「夏椿」を模した生菓子作りを行った。4色のあん生地が用意され、参加者は花の形に仕上げる作業に挑戦。薄く延ばした白と緑のあんを重ねて花びらの色合いを再現、丸めた茶あんをくるんだ後、茶巾とビー玉で花の形を作った。最後に網でこした黄あんを雌しべに見立て飾り付けた。
 
出来上がりを想像しながら初めての和菓子作りに挑戦!どんな「夏椿」に?

出来上がりを想像しながら初めての和菓子作りに挑戦!どんな「夏椿」に?

 
網目を通した黄色のあんを慎重にすくい上げる

網目を通した黄色のあんを慎重にすくい上げる

 
 伊藤碧泉さん(双葉小5年)は「あんを包むのが難しかったけど楽しくできた。出来栄えは80点ぐらい。おいしくいただきたい」と満足げ。こども教室で茶道を習う姉の珠奈さん(釜石中3年)は和菓子には親しみがあるが、自分で作るのは初めて。「茶席ではいつもきれいなお菓子を出してもらう。今日の体験で、手間をかけて作られていることも知れた。職人さんに感謝したい」と話した。
 
自分で作った和菓子を手にするボーイスカウト釜石第2団の団員

自分で作った和菓子を手にするボーイスカウト釜石第2団の団員

 
 行松社長は2011年6月下旬に初めて本県被災地を訪問。避難所生活を送っていた被災者らと和菓子作りを行った。以来、年に数回の訪問を継続。仮設住宅、復興住宅などへと生活の場を替えていく被災者らに心潤う時間を届け、寄り添い続けてきた。「被災後間もない大変な時期でも、周りの人のことを思い行動する姿に感銘を受けた。岩手の皆さんのやさしさに触れ、自分自身の人生観も大きく変わった。ご縁をいただいたことに感謝しかない」と行松社長。
 
一生懸命作業する子どもを見守る行松宏展社長

一生懸命作業する子どもを見守る行松宏展社長

 
 今回の茶会では、初めて支援に訪れた時に被災者らと一緒に作った生菓子「星に願いを」を提供。「当時の気持ちを思い出し、皆さんがまた願いをかなえられるよう心を込めて作らせていただきたい」と腕を振るった。
 
茶会で提供した「星に願いを」(左)と体験会で作った「夏椿」(右)

茶会で提供した「星に願いを」(左)と体験会で作った「夏椿」(右)

 
 震災から11年―。今なお続く岩手との絆に行松社長は「喜んでくれる人がいる限りは足を運びたい。『忘れてないよ』という思いを伝えていければ」と末永い交流を願った。

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広報かまいし2022年7月15日号(No.1788)

広報かまいし2022年7月15日号(No.1788)
 

広報かまいし2022年7月1日号(No.1788)

広報かまいし2022年7月15日号(No.1788)

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【P1】
表紙
【P2-3】
花火大会の開催 他
【P4-5】
タクシー・運転代行利用助成
新型コロナワクチン接種
国保料などの減免 他
【P6-7】
市職員・消防士採用
市有地の分譲
復興まちづくり協議会開催 他
【P8-9】
国保税・後期高齢者医療保険料の改正
保険証を送付します
【P10-11】
春の叙勲
まちの話題 他
【P12-15】
市民のひろば、クマ出没注意
まちのお知らせ
7月19日 更新 P13掲載の「ウクライナ支援チャリティー芸能祭」の連絡先を訂正しました
【P16-17】
保健案内板
【P18-19】
夢へのトライ かまいし起業人
【P20】
ラグビー女子日本代表 テストマッチ 他

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2022071100036/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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「大きく育って、きれいに咲いて」 釜石の子どもたち、ラベンダー植栽 観光農園整備をお手伝い

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整備中の観光農園にラベンダーの苗を植える甲子小児童ら

 
 釜石市が甲子町に整備を進めている観光農園で4日、ラベンダー苗の定植会が行われた。近くにある甲子小(菊池一章校長)の3年生42人が植栽の作業をお手伝い。きれいに花咲く畑が広がる姿を想像しながら丁寧に植えた。
 
 児童のほか、保護者や市水産農林課の職員や市農政推進協議会のメンバーら約30人も参加。児童と大人が班をつくり、協力しながら約1000平方メートルにラベンダーの苗約200株を植え付けた。「土が気持ちいい」と歓声を上げる子どもたち。「大きく育ってね」と定植した苗にたっぷりと水をかけた。
 
市職員らに植え方を教えてもらいながら丁寧に苗を植え付けた

市職員らに植え方を教えてもらいながら丁寧に苗を植え付けた

 
 千葉優那さん(9)は「苗を植えるのは大変だったけど楽しかった。みんなで協力して植えたから、きれいに咲いてくれると思う。心が明るくなり、また来たくなるような観光農園になってほしい」と願った。
 
「大きく育ってほしい」。植えた苗を笑顔で見つめる子どもたち

「大きく育ってほしい」。植えた苗を笑顔で見つめる子どもたち

 
 ラベンダー畑を主とした観光農園の整備は、釜石の姉妹都市ディーニュ・レ・バン市でラベンダー栽培が盛んなことがきっかけ。友好の証しとして栽培を提案され、市民が自然に触れる場をつくろうと2021年度に取り組みをスタートさせた。甲子町の道の駅釜石仙人峠そばの遊休農地を活用し、昨年9月にも約200株を植えており、順調に生育中。市水産農林課の小山田俊一課長はラベンダーで埋め尽くされた畑の姿を思い描き、「多くの人が集える場に。自然のものを育てる楽しみ、癒やしを感じる農園になれば」と期待する。今後も畑を広げながらさらに定植し、3年後のフルオープンを目指す。

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太公望 胸躍るシーズン到来! 釜石・甲子川で3日、待望のアユ釣り解禁

アユ釣りが解禁された釜石市の甲子川=3日午前

アユ釣りが解禁された釜石市の甲子川=3日午前

 
 釜石市の甲子川で3日、今年のアユ釣りが解禁された。市内外から訪れた釣り人が日の出とともに竿(さお)を繰り出し、1年ぶりの“引き”の感触を堪能。これから本格化するシーズンに期待感を高めた。
 
 例年、7月の第1日曜日が解禁日となる甲子川。今年は梅雨明けを待たずして、真夏を思わせる暑さが続く中で解禁日を迎えた。この日を待ちわびた愛好者らは思い思いのポイントに散らばり、早朝から釣り糸を垂れた。多くがアユの縄張り特性を利用した「友釣り」。川の形状を見極めながらおとりアユを泳がせ、野アユが掛かるとタイミングを見計らって一気に引き上げた。
 
各ポイントで竿を繰り出す釣り人ら

各ポイントで竿を繰り出す釣り人ら

 
竿を持つ手の感触と釣り糸の変化を見極めながらアタリを待つ

竿を持つ手の感触と釣り糸の変化を見極めながらアタリを待つ

 
友釣りで釣り上げたアユ。美しい魚体が光る

友釣りで釣り上げたアユ。美しい魚体が光る

 
 河川漁協のない甲子川では入漁料を徴収しないため、春先に行われる稚アユの放流は、資源保全の取り組みを行う甲子川鮎釣協力会(安久津吉延会長)に寄せられる協力金や市の助成金で実施。今年は5月12日に約300キロの稚魚を放流した。
 
 解禁日に訪れた釣り人らによると、天然遡上(そじょう)のアユはまだ少なく、掛かったのはほとんどが放流アユ。釣果は場所によってばらつきがあったが、大きいものでは20センチほどに成長したアユも見られた。
 
解禁日にしてはまずまずの大きさに釣り人も笑顔

解禁日にしてはまずまずの大きさに釣り人も笑顔

 
 甲子町の県立釜石病院裏付近で仲間と釣りを楽しんだ遠野市の佐藤忠さん(76)は、午前9時ごろまでに15匹ほどを釣り上げた。「解禁日は毎年の楽しみ。いろいろな釣りをやるが、アユの引きの手応えは他にはかなわない。おとりアユとの駆け引きの面白さも魅力」と心を躍らせた。東日本大震災の津波で被災し、経営する会社再建のため釜石から遠野に移り住んだ佐藤さん。釜石市、鵜住居川漁協の組合員にもなっていて、「鵜住居川の解禁(10日)にも足を運びたい」と心待ちにした。
 
「昨年よりいいかも?」釣果を見せる佐藤忠さん

「昨年よりいいかも?」釣果を見せる佐藤忠さん

 
 県内の主要河川のアユ釣りは1日から順次解禁。10日に解禁日を迎える鵜住居川で釣りをする際は、同河川漁協の組合員証か遊漁券が必要。遊漁券(日券、年券あり)は市内の釣具店や流域の小売店など赤いのぼり旗を掲げた販売所で購入できる。

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七夕の願い事は? 釜石駅や公共施設に笹飾り 夢いっぱいの短冊、吹き流し

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釜石市内ではさまざまな願い事が書かれた短冊や吹き流しが揺らめく

 
 釜石市内が七夕飾りで彩られている。鈴子町のJR釜石駅では夏のおもてなしとして笹飾りを設置。子どもたちが短冊に願い事を書き込んでつるしている。小佐野町の小佐野コミュニティ会館には吹き流しもお目見え。色鮮やかな飾りが地域に涼を届けている。大町の釜石情報交流センターは、オランダ生まれの絵本キャラクター「ミッフィー」をあしらった短冊を用意している。
 

JR釜石駅 笹飾り 14日まで設置

 
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「かなうといいな」。JR釜石駅構内の笹竹を飾り付けた園児たち

 
 JR釜石駅では6月30日、天神町のかまいしこども園(藤原けいと園長、園児77人)の年長児10人が笹竹の飾り付けを手伝った。つるされた短冊には「しんかんせんのうんてんしゅさん」「けーきをつくるひと」「しょうぼうし」など将来の夢、「なわとびがじょうずになりますように」「まえまわりができるように」といった目標がつづられている。
 
 笹竹の前で「たなばたさま」を元気いっぱいに歌った子どもたち。櫻庭えまちゃん(6)は「とらまいがじょうずにおどれますように―って書いた。(飾り付けたから)かなう」と大きくうなずいた。山﨑橙季(だいき)君(5)は「かっこいいサッカー選手になる」と胸を張った。
  
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短冊を結びつける園児を見守る駅職員。「願い事は?」

 
 新型コロナウイルスの影響は続くが、「今年はコロナに関する願いは少なく、未来に向かう前向きな願い事が多い」と吉田正樹駅長。最近、釜石駅を利用する観光客が増えていると感じていて、「沿岸に足を運んでもらい、まちが元気になれば。釜石線を明るく盛り上げてもらうのが夢」と目を細めた。
 
 笹飾りは7月14日まで改札口付近に設置。一般の駅利用者も思いをつづって飾ることができるよう、短冊を用意している。
 

小佐野コミュニティ会館 七夕吹き流し お盆明けまで

 
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色鮮やかな七夕の吹き流しで彩られている小佐野コミュニティ会館

 
 小佐野コミュニティ会館には七夕飾りがずらり。吹き流し約50本と笹飾り2本が風に揺れる。吹き流しは市民の手作り。笹飾りの短冊には「孫が元気に生まれますように」「釜石野球団、今年こそ優勝!」など家族の幸せや抱負が記されている。「帰省する人たちにも涼を感じてもらえたら」と8月のお盆明けまで設置。短冊を用意し、来訪者も願い事を記せる。
 

釜石情報交流センター ミッフィー短冊に願い込め 10日まで

 
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釜石情報交流センター内の笹飾りに短冊をつるす女の子

 
 釜石情報交流センターでは施設内に「ミッフィーカフェかまいし」があることから、ミッフィーをあしらった短冊を用意。「みっふぃーに会えますように」「みんなでまた来れますように」「やさしくてかわいい女の子になりたい」「おしろにすんだ」など、ほほ笑ましい願いが飾られている。7月10日まで。

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歌い継ぐ釜石艦砲戦災 CD完成「翳った太陽」歌う会 収益はウクライナ支援へ

完成したCDを手にする(左から)種市会長、最知さん、菊地副会長

完成したCDを手にする(左から)種市会長、最知さん、菊地副会長

 
 太平洋戦争末期に釜石市が受けた艦砲射撃の惨禍を伝える合唱組曲「翳(かげ)った太陽」のCDが完成した。地元の女性コーラスグループ翳った太陽を歌う会(種市誓子会長)が、戦争の悲惨さや命の大切さ、平和の尊さを訴えながら語り継いできた歌。会員らは「形を残し、絶やさない」との思いを強めている。一部は販売し、収益を戦火に直面するウクライナの支援に充てる。
 
 組曲は、艦砲戦災体験者で2006年に他界した石橋巌さん(元市働く婦人の家館長)の絵手紙などを基に作られた。市内でピアノ教室を開く最知節子さん(79)が作曲を手がけ、計6曲(全17分)の作品に仕上げた。
 
 同会は最知さんを講師に05年から婦人の家で活動。市戦没者追悼式で献唱したり、小中学校で披露したりしてきた。東日本大震災後は「戦禍と重なる」としばらく活動を休止したが、戦後70年を迎えた15年に献唱を再開。会員の高齢化が進む中、17年には釜石中の生徒有志による特設合唱部が活動に加わった。後輩に受け継がれ、コールジュニア「蓮(れん)」が誕生。組曲の合唱に取り組んできた。
 
 新型コロナウイルス禍で大人も中学生も通常練習ができず、献唱も中止されるなど活動機会が減少。現在、会員は7人となり、会の存続について思いを巡らせてきた。「戦争体験者の語りを受け継ぎながら活動を継続してきた。何もしなければ、消えていくのでは」「今、残さなければ」。次の世代へ歌い継ぐため、CDという形で残すことを決めた。
 
 昨年7月に市民ホールで録音。小学生から80代までのメンバーが「歌詞の中にある戦禍の人々の不安、怒りが込められた言葉を大切」にしながら歌い上げた。中学生グループによる朗読「平和への願い」も収録。歌に登場する「やすひこくん」に宛てた手紙の朗読(小学生)も収めた。
 
野田市長(左)にCDを手渡す「翳った太陽」を歌う会メンバー

野田市長(左)にCDを手渡す「翳った太陽」を歌う会メンバー

 
 6月29日、最知さん、種市会長(74)と菊地直美副会長(59)が野田武則市長を訪ね、活動を報告。釜石の戦禍の歴史を知り、平和な未来をつないでもらうため、市内の小中学校にCDを贈ることを伝えた。最知さんは「形を残すことが大事。子どもたちに伝えるという意味で道が開けた」と少し肩の荷を下ろした様子。「ウクライナのすてきなまちが一瞬で失われていくのを毎日、目にする。戦争は絶対にいけない」と強調する種市会長は「できることで歌を継承していく」と思いを強めていた。
 
野田市長との懇談では組曲継承への思いを伝えた

野田市長との懇談では組曲継承への思いを伝えた

 
 CDは400枚制作。「聴いてくれたら、釜石艦砲を知ってもらえる」と半分を希望者に販売する。価格は1枚2000円で、送料(500円)を負担すれば郵送する。CD売り上げの全額を日本赤十字社に寄付し、ウクライナの救援活動に役立ててもらう。
 
 終戦間近の1945年、釜石は2度にわたり米英連合軍による艦砲射撃を受け、780人以上が犠牲になった。その7月14日と8月9日、大町の市民ホールTETTOに特設コーナーを設け、CDを販売する。時間は両日とも午前10時~午後4時まで。8月9日には市追悼式が予定されている。
 
 販売に関する問い合わせは事務局(電話0193・22・1364/メールYamayuri3131@gmail.com)へ。