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コロナ下でも「やりたい」を実現 釜石高で学校祭 生徒ら、青春の思い出刻む

文化祭を楽しむ釜石高の生徒ら=2日

文化祭を楽しむ釜石高の生徒ら=2日

 
 県立釜石高(青木裕信校長、全日制422人、定時制12人)の「釜高祭」は2、3日、釜石市甲子町の同校で開かれた。釜石南と釜石北の両校の統合から15回目の学校祭。新型コロナウイルス感染症の影響が続き、3年連続で一般公開は見送った。制約が多い中でも「我等(われら)青春謳歌(おうか)隊」をテーマに、できる対策をとって生徒たちの「やりたいこと」を実現。催しやステージ発表で団結を示して特別な思い出を刻んだ。
 
 同校では、感染症の流行で行事が規模縮小になったり部活動の大会が中止になったりと多くのことが制限されてきた。特に3年生は入学時からコロナ禍で過ごし、一番楽しい思い出づくりとなるはずの修学旅行が延期の末、中止された。同祭実行委員長の菊池瑞穂さん(3年)は「高校生は青春をもっとも楽しめる時期。青春を謳歌したい。制約はあるが、思い出をつくる場面、やりたいことは自分たちの手で実現させる」と準備。市内の感染状況を踏まえ非公開としたが、ステージ発表などはユーチューブでライブ配信し、保護者らに校内の雰囲気をアピールした。
  
化学の実験道具でスライム作りに挑む女子生徒=2日

化学の実験道具でスライム作りに挑む女子生徒=2日

 
男子生徒は対戦ゲームに熱中した=2日

男子生徒は対戦ゲームに熱中した=2日

 
模擬店担当の3年生は調理に大忙し=2日

模擬店担当の3年生は調理に大忙し=2日

  
 初日は午後から各クラスの出し物を見て回った。1年生は段ボールで作った迷路やシューティングゲームなどの遊びを企画し、2年生はお化け屋敷を運営。3年生はフライドポテトやチョコバナナなどを売る模擬店で楽しい1日を演出した。文科系クラブは作品展示で活動成果を発表。文部科学省の指定を受けるスーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業の探究活動について、グループ単位で研究成果をまとめたポスターも紹介された。
  
装飾フォトスポットで撮影を楽しむ生徒=2日

装飾フォトスポットで撮影を楽しむ生徒=2日

 
知的好奇心が光る探究活動の成果を紹介=2日

知的好奇心が光る探究活動の成果を紹介=2日

 
 藤井魁都君(1年)は「親とかに見てもらえないのは残念だけど、中止せずに開催してもらい、うれしい。先輩の活動を見て、いいところを取り入れて、もっといい企画を作り上げられるようにしたい」と刺激を受けた。
  
バンド演奏などで文化祭を盛り上げた=3日

バンド演奏などで文化祭を盛り上げた=3日

  
 ステージ発表は3日に実施。体育館で有志によるダンスやバンド演奏があり、多彩な才能を見せた。音楽、吹奏楽部による演奏披露もあった。密になるのを防ぐため、前日に3年生だけで楽しむ機会が設けられた。
 
「銀河鉄道」をモチーフにした定時制の展示コーナー=3日

「銀河鉄道」をモチーフにした定時制の展示コーナー=3日

 
 定時制の文化祭テーマは「歩協和音」。将棋の「歩(ふ)」からとり、「一人の力は小さいかもしれないが、みんなで一つのものを作り上げよう」との思いを込めた。展示は、体験学習で訪れた花巻市の宮沢賢治記念館などから着想を得て「銀河鉄道」をメインモチーフに。日ごろの学習や部活動の様子も掲示した。
 
「こすもっチ」を販売した定時制の生徒=3日

「こすもっチ」を販売した定時制の生徒=3日

 
 農業体験学習で育てたジャガイモを使った焼き菓子「こすもっチ」は3日、1日限定で販売した。「自分たちで育てたことで食材を大事にする気持ちを育むことができた」と生徒会長の佐々木遼(はる)君(3年)。生徒数は少ないが、一人ひとりが頑張りながら学習、生活を楽しんでいるといい、「学年間の壁をなくし、いろんな活動に協力して取り組んでいきたい」と気持ちを新たにした。
 

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震災乗り越え群落形成へ 絶滅危惧植物「ミズアオイ」釜石・片岸町で2年目の開花

片岸公園内の沼地で花を咲かせる「ミズアオイ」

片岸公園内の沼地で花を咲かせる「ミズアオイ」

 
 東日本大震災前、釜石市片岸町の水田地帯に自生していた絶滅危惧植物「ミズアオイ」。津波による被災でその姿を消していたが、震災から11年が経過した今年、群落復活の兆しを見せ始めている。市が整備した遊水池と公園内の沼地で発芽が見られ、8月下旬からは青紫色の花が開花。訪れる人の目を楽しませる。市民らは自然の再生力に驚きながら、かつての原風景復活に期待を寄せる。
 
 ミズアオイは水田地帯や沼地に生える1年草の植物。古くから全国で見られたが、除草剤の使用や水路整備などの成育環境の変化で数が減り、国の準絶滅危惧種、本県レッドデータブックAランク(絶滅の危機にひんしている)に指定される。
 
背丈20~40センチの柔らかい茎の先端に複数の花をつける

背丈20~40センチの柔らかい茎の先端に複数の花をつける

 
青紫色の花被片は6枚。黄色の雄しべとのコントラストが美しい

青紫色の花被片は6枚。黄色の雄しべとのコントラストが美しい

 
 片岸町では約50年前、防潮堤内側の水田地帯にミズアオイの大群落があったが、年々その数は減少。2000年代には所々で見られる程度になっていた。07年、水路改修で生息域を追われる水生生物のために、市内の環境保護団体「かまいし環境ネットワーク」が休耕田を利用してビオトープ(生物生息空間)を整備。土を掘り起こしたことで眠っていたミズアオイの種が芽生え始めた。“水田雑草”とも言われるミズアオイは、田おこしのような土壌のかき回しが発芽条件の一つとされる。
 
 10年には同所で群落が確認できるまでになっていたが、翌11年の震災津波で一帯は壊滅的な被害を受けた。同ネットワークは12年、ミズアオイの復活プロジェクトを始動。専門家らの助言で、かつて群落が確認された場所を重機で掘り、津波で堆積した砂や泥の下にある田んぼの土を採取。栗林町に移し発芽実験を行ったところ、土中に残っていた種からの発芽に成功した。後に鵜住居町田郷の休耕田への移植、漁業用水槽での育成によって命をつないだ片岸のミズアオイは、昨年完成した「片岸公園」の沼地に土ごと返された。
 
震災復興で新設された防潮堤の内側にある「片岸公園」。水辺には多様な植物が生える

震災復興で新設された防潮堤の内側にある「片岸公園」。水辺には多様な植物が生える

 
10年ぶりに古里・片岸に戻り、群落を見せ始めたミズアオイ

10年ぶりに古里・片岸に戻り、群落を見せ始めたミズアオイ

 
 一方で、同じく昨年完成した遊水池では、整備で土が掘り起こされたことで土中に眠っていたとみられる種が自然発芽。片岸公園、遊水池ともに昨年、今年と2年連続で開花が確認された。
 
 3日、現地を訪れた盛岡市の松森猛さん(72)は「自然の回復力は素晴らしい。加えて(保護のため)手を入れてくれた人たちがいたのはありがたいこと」と感心。50年ほど前、仕事の関係で片岸町に暮らしたことがあるが、「その時は全然分からなかった。ミズアオイという植物自体も今回初めて知った。花もきれい」と新たな発見を喜んだ。
 
室浜に向かう高台道路下付近に整備された遊水池

室浜に向かう高台道路下付近に整備された遊水池

 
10年の眠りから覚め、発芽・開花した遊水池のミズアオイ

10年の眠りから覚め、発芽・開花した遊水池のミズアオイ

 
遊水池で自然発芽したミズアオイを愛でる「かまいし環境ネットワーク」の加藤直子代表

遊水池で自然発芽したミズアオイを愛でる「かまいし環境ネットワーク」の加藤直子代表

 
 保護活動に取り組んできた同ネットワークの加藤直子代表(75)は「すごい生命力」とミズアオイが持つ強さに驚嘆。長年、一帯の自然環境を注視してきた経験から「水があり、植物、昆虫、野鳥と豊富な生物が共存する環境があるからこそ、ミズアオイも育つことができるのではないか。その環境を整えてあげることが大事。また眠りに入る可能性もあるが、しばらくは自然のまま見守りたい」と話した。花はあと1週間ぐらいは楽しめそうだ。
 
3日は、前日のニュース番組での紹介もあり、見学者が続々と訪れた=3日、片岸町・遊水池

3日は、前日のニュース番組での紹介もあり、見学者が続々と訪れた=3日、片岸町・遊水池

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自分でさばいてみよう!釜石の魚 サン・フィッシュ鮮魚店指導 魚食普及へ初の教室

サン・フィッシュ釜石で開かれた「魚のさばき方教室」

サン・フィッシュ釜石で開かれた「魚のさばき方教室」

 
 釜石市鈴子町の駅前橋上市場「サン・フィッシュ釜石」で8月22日、一般市民を対象とした魚のさばき方教室が開かれた。水産業の活性化に取り組む同市の担い手型地域おこし協力隊員、清原拓磨さん(24)が主催。地元の海で取れるものの、数量が少なく流通しにくい魚種の利用促進につなげようと初めて企画した。同市場の鮮魚店店主らが講師となり、未経験者らに魚のさばき方の基本を教えた。
 
 高校生から一般まで10人が参加した。用意されたのはこの日朝に地元で水揚げされた約10種で、アジやタナゴ、チダイのほか、タチウオ、シイラなど食卓にはあまりなじみのない魚も。参加者は好みの魚を選び、鮮魚店店主らから手ほどきを受けながら三枚おろしに挑戦した。さばいた魚は刺し身などにし、昼食で味わった。
 
サン・フィッシュの魚屋さん(左)が「三枚おろし」を教えた

サン・フィッシュの魚屋さん(左)が「三枚おろし」を教えた

 
 釜石商工高総合情報科の3年生6人は、授業の一環で地域課題解決に取り組む研究グループのメンバー。7月から同市場と連携した活動を進めていて、この日の教室が初の実地体験となった。リーダーの下形彩夏さんは普段から魚はよく食べるというが、自分でさばくのは初めて。「骨と身を分ける、包丁の入れ方の角度が難しかった。今日学んだことで家でもできそう」と手応えを実感。調理系学校への進学を希望しており、「いい経験になった」と喜んだ。
 
市場を運営する釜石駅前商業協同組合の八幡雪夫理事長から包丁の扱い方を学ぶ釜石商工高生"

市場を運営する釜石駅前商業協同組合の八幡雪夫理事長から包丁の扱い方を学ぶ釜石商工高生

 
教わった方法で魚をさばく岩手大の学生。手先に神経を集中

教わった方法で魚をさばく岩手大の学生。手先に神経を集中

 
 岩手大人文社会科学部3年の照内雄貴さん(20)は、震災復興に関わる活動を行うサークル、三陸委員会「ここより」の代表。メンバー3人で参加した。「生の魚に触るのも初めて。1匹目は苦戦したが、2匹目はある程度自分でもできた。大変だけど自分でさばいた分、愛着が湧く」と照内さん。大学の講義で魚食の衰退についても学び、「(魚食文化を)継承していくことが、地元水産業を守ることにもつながると思う」と話した。
 
 主催した清原さんは岩手大在学中に水産システム学コースを専攻。今年7月から着任した地域おこし協力隊では魚食普及コーディネーターとして水産振興分野を担う。特に注目するのが、水揚げ量は少ないが実はおいしいという地元の未利用魚の活用。「これまではイワシやサンマ、サケなど単一魚種を大量漁獲する漁業が主流だったが、近年の海洋環境の変化で水揚げ量は減少傾向。そうした変化に対応した魚の消費の仕方があるのでは」と、多様な魚種の持続的活用を提案する。
 
釜石の海で漁獲された多様な魚(左上)も紹介

釜石の海で漁獲された多様な魚(左上)も紹介

 
魚への包丁の入れ方を教える清原拓磨さん(右)

魚への包丁の入れ方を教える清原拓磨さん(右)

 
 構想実現への第一段階として企画した今回の教室。年内は月1回ペースでの定期開催を目指す。清原さんは「地元飲食店でもどんどん使ってほしい。地元の魚を出している飲食店の認証などで、外から来た人も“魚のまち”を実感できるようになれば」と夢を描く。
 
自分たちでさばいた魚の刺し身を前に笑顔を見せる釜石商工高生

自分たちでさばいた魚の刺し身を前に笑顔を見せる釜石商工高生

 
今年4月、市場内に設置された「みんなのキッチン」は誰でも利用可能。問い合わせは同管理事務所(TEL0193・31・3668)へ

今年4月、市場内に設置された「みんなのキッチン」は誰でも利用可能。問い合わせは同管理事務所(TEL0193・31・3668)へ

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広報かまいし2022年9月1日号(No.1791)

広報かまいし2022年9月1日号(No.1791)
 

広報かまいし2022年9月1日号(No.1791)

広報かまいし2022年9月1日号(No.1791)

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【P1】
シェイクアウト訓練週間 他

【P2-3】
釜石絆の日 他

【P4-5】
新型コロナウイルス感染症関連
かまいし健康チャレンジポイント

【P6-7】
中小企業者など向け支援金
ジョブカフェかまいしをご利用ください

【P8-9】
結婚新生活補助金
子育て世帯支援金 他

【P10-11】
まちのお知らせ

【P12】
イベント案内
市民体育館利用再開

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2022090100024/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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SUP、カヤック、生き物探し…海遊び満喫「この夏一番の思い出」 釜石・箱崎白浜でワンデイキャンプ

思い思いに海遊びを楽しむ家族連れら

思い思いに海遊びを楽しむ家族連れら

  
 ふるさと釜石の海の素晴らしさを体感し、自然とともに生きる力を育む「海あそびワンデイキャンプ」が21日、釜石市箱崎白浜地区で開かれた。市内で海に関わる活動を展開する団体や地元漁師らでつくる「海と子どもの未来プロジェクト実行委員会(通称・さんりくBLUE ADVENTURE)」が主催し、今年で9回目。新型コロナウイルス禍でさまざまな体験活動が制限される中にあっても、子どもたちに夏の思い出を提供しようと感染症対策を講じて実施。海辺にはたくさんの歓声と笑顔が広がった。
   
 コロナの影響で、2年ぶりの開催。参加者を釜石市と近隣市町村在住者に限定。過去2週間に感染の可能性がある滞在や接触がないことを確認し、シュノーケリング用具などに名前を付け1日同じものを使うことなど感染対策に気を配った。
  
通称「小白浜」と呼ばれる海岸に地元漁師の船で上陸

通称「小白浜」と呼ばれる海岸に地元漁師の船で上陸

  
 海遊びの場は、白浜漁港から船で約3分の隠れ家的ビーチ、通称「小白浜」と呼ばれる海岸。古くから地元住民らがレジャーを楽しんでいた場所で、実行委によると、美しい景観と安全確保の条件の良さが魅力。有事の際にはハイキング路を利用し、高台避難も可能だという。市内を中心に小学生や保護者同伴の幼児ら約40人が参加し、地元漁師の船で上陸した。
   
水しぶきを上げるだけで弾ける笑顔

水しぶきを上げるだけで弾ける笑顔
  
カヤックから落ちたとしてもみんな笑い顔

カヤックから落ちたとしてもみんな笑い顔

  
SUPを乗りこなし満面の笑みを見せる子も

SUPを乗りこなし満面の笑みを見せる子も

  
 ウエットスーツとライフジャケットを身に着けた参加者は、インストラクターらに教わりながらシーカヤックやスタンドアップパドルボード(SUP)で水上散歩を楽しんだ。シュノーケリングでは海中の生き物探しに挑み、ヒトデやカニ、小魚などを観察。釜石ライフセービングクラブによる「浮いて待て」を合言葉にした海辺の安全講習もあり、もしもの時を想定した浮き身の方法を学んだ。
  
 遠野市の伊勢崎歩君(綾織小5年)は「水の透明度がすごい。きれい。SUP、カヤックとか普段できない遊びができて、めっちゃ面白い。海の生き物もいっぱい見つけた。この夏一番の思い出」と笑顔を弾けさせた。
   
シュノーケリングで生き物探しを楽しんだ

シュノーケリングで生き物探しを楽しんだ

  
子どもたちは海の生き物に興味津々

子どもたちは海の生き物に興味津々

  
 東日本大震災後に進んだ“海離れ”を食い止めたい、地元の自然に誇りと愛着を持ってほしい―と始められたキャンプ。震災後に生まれた子どもが多くなる中、津波の記憶を残す親世代が海に行くことにためらいを持つことなどから、海になじみのない子どもが増えているという面もある。中妻町の櫻井京子さん(38)も一時期、海から足が遠のいていたが、「安全に遊ぶことを分かりやすく教えてくれるキャンプ」への参加を重ね、海が身近な存在に戻ったという。
  
 同実行委共同代表の佐藤奏子さん(43)は「海や自然は脅威にもなるが、豊かな恵みをもたらし、命を支える、美しくて楽しい存在。海で遊ぶ子どもたちの笑顔を間近に見ることで、『夏は海に行く』という古里の原風景をいい思い出として心に残してほしい」と願う。同キャンプは、釜石にゆかりのある元プロトライアスリートのマイケル・トリーズさん(英国出身)が設立した社会貢献団体「Tri 4 Japan(トライ・フォー・ジャパン)」の寄付で継続実施、運営する。
  
古里の海で夏の思い出をつくったワンデイキャンプ

古里の海で夏の思い出をつくったワンデイキャンプ

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釜石にもあった!「金」の山 橋野町青ノ木で砂金探しイベント 市民ら夢中

川底の砂をすくって砂金を探した「ゴールデンハシノ」=橋野町青ノ木、金山沢

川底の砂をすくって砂金を探した「ゴールデンハシノ」=橋野町青ノ木、金山沢

 
 世界遺産「橋野鉄鉱山」を有する釜石市橋野町青ノ木地区。鉄鉱石を採掘し、洋式高炉で鉄生産が行われていたことは多くの人が知るところだが、金鉱石の採掘事業で栄えた時代があったことは市民にもあまり知られていない。同町の金山の歴史を知り、砂金採り体験を楽しむイベントが20日、現地で開かれ、子どもから大人まで15人が地元の山に眠る地下資源に思いを巡らせた。
 
 「ゴールデンハシノ(砂金を探せ!!)」と銘打った同イベントは、市世界遺産課と商工観光課が企画。「三陸ジオパーク」に認定される同市の魅力を“鉄”以外でも味わってもらおうと初めて開催した。講師を務めたのは、市内の金山調査を長年続ける小田島圭司さん(75)=産金遺跡研究会釜石支部=と、青ノ木出身で橋野の歴史や自然に精通する三浦勉さん(70)=釜石観光ガイド会=。講話と体験の2本立てで、その価値を伝えた。
 
 歴史資料などによると、橋野地域には5つの金山があったとされる。今回、砂金採りを行った青ノ木川支流・金山沢沿いの「六黒見(むくろみ)金山」は、1800年代初頭の試掘に始まり、江戸、明治期の採掘の記録が残る。昭和初期(1935~43年)には日立系列の日本鉱業が本格的採掘に乗り出し、約200人が働いた。9年間の採掘量は約8万5千トン。鉱石は鵜住居から貨物列車に積み込み、山田線回り盛岡経由で茨城県日立市の精錬所まで運んだ。
 
橋野町の六黒見金山について説明する三浦勉さん

橋野町の六黒見金山について説明する三浦勉さん

 
 現地では複数の坑道や選鉱場、事務所などの場所が確認されており、今でも坑道や社宅跡、関連すると見られる石碑を見ることができる。講話の中で三浦さんは、同金山で働いた測量士、事務員から聞き取った話、自身が見つけた金鉱石の写真なども紹介した。
 
 橋野鉄鉱山インフォメーションセンターでの講話後、金山沢下流域に移動。小田島さんらの指導の下、砂金探しに挑戦した。縁部分に溝がある丸皿に川岸や岩陰にたまった砂を取り、水と一緒に回しながら“光るもの”に目を凝らした。約1時間の探索で数ミリほどの砂金を幾つか発見。参加者は金山の存在をあらためて実感した。
 
六黒見金山を流れる「金山沢」下流域が採集場所

六黒見金山を流れる「金山沢」下流域が採集場所

 
砂金の採り方を教えた小田島圭司さん(右)

砂金の採り方を教えた小田島圭司さん(右)

 
「砂金はあるかな?」 丸皿の中を見回して探す

「砂金はあるかな?」 丸皿の中を見回して探す

 
 甲子町の洞口陽希君(11)は小田島さんからお墨付きを得た砂金を手に、「さっきから全然採れなかったので、すごくうれしい。コレクションにする」とにっこり。父雄紀さん(41)は「釜石でも金が採れるのを初めて知った。市内に住んでいても知らないことは多い」と貴重な学びの場を歓迎。陽希君が喜ぶ姿に「都会ではできないこと。釜石ならではの体験を今後もさせてあげたい」と話した。
 
見つけた砂金(右下拡大・白丸部分)に興味津々で見入る参加者

見つけた砂金(右下拡大・白丸部分)に興味津々で見入る参加者

 
 「初めてで(砂金が)採れるのはあまりないこと。ここまで出るとは思わなかった」と驚く小田島さん。市の担当者は参加者らの予想以上の反響に「坑道跡の見学会なども企画できれば」とさらなる構想を膨らませた。
 

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釜石市新庁舎 津波対策講じ計画通り天神町に建設へ 市が住民説明会開始

新市庁舎建設に係る住民説明会=22日、唐丹町

新市庁舎建設に係る住民説明会=22日、唐丹町

 
 県が3月に公表した最大クラスの津波浸水想定を受け、新庁舎建設計画の再検討を進めてきた釜石市は、津波対策を講じた上で計画する天神町・旧釜石小跡地への建設方針を固め、22日から住民説明会を開始した。31日まで6カ所で開催。市民の理解を得て、新たに必要な経費などを9月議会に提案する。
 
 22日は唐丹地区生活応援センターで説明会が開かれ、町内会の代表など11人が出席した。野田武則市長は津波による浸水が想定される同所への建設について、「県の浸水想定はあくまでも避難のための発表で、土地利用には影響しない。中心市街地の人口減、経済的衰退を防ぎ、津波避難場所を確保するためにも東部地区への建設が必要」と理解を求めた。
 
 市は2019年に新庁舎建設基本計画を策定。20年に国が公表した「日本海溝沿いの最大クラスの津波浸水想定」を受け、敷地を1~2メートル程度かさ上げする設計変更を行ったが、本年3月、県が新たに最大津波の浸水想定を示したことで、再検討が行われてきた。県の想定では、建設地はかさ上げ後の地盤高で3メートル程度(建物1階の約3分の2)浸水する可能性があるとされる。
 
釜石市の新市庁舎建設予定地(天神町・旧釜石小跡地)

釜石市の新市庁舎建設予定地(天神町・旧釜石小跡地)

 
 説明会で市は、新市庁舎建設検討委員会、市議会、市総合振興審議会で了承された方針として、①建設場所を引き続き天神町とする②2階以上での避難を基本とし、1階フロアは機材や書類などの配置を最小限とする―ことを説明。計画の大幅な変更は行わず、一時避難場所の確保、浸水による業務への影響低減を図れるようにする。
 
 唐丹地区の出席者からは、交流スペースや電話回線への要望、現庁舎跡地の活用についての質問が出されたが、示された方針に対する反対意見は出なかった。
 
建物外観イメージや各階エリア図などが示された

建物外観イメージや各階エリア図などが示された

 
建設計画案について説明後、住民の意見を聞いた

建設計画案について説明後、住民の意見を聞いた

 
 新市庁舎は4階建てで、1階に窓口とみんなのホール(交流スペース)、2~3階に執務室と会議室、4階に議場を設ける計画。財源は庁舎建設基金、市債発行など。コロナ禍や社会情勢の変化で建設資材の高騰が続いていることから、あらためて建設費を算出する。浸水想定区域内への建設のため、津波に対する耐久調査費用も加える予定。
 
 市は本年度中に設計の再積算などを終え、23年度当初に発注手続き、工事着手したい考え。工事期間は22カ月を見込み、24年度末の完成、25年度の開庁を目指す。
 
天神復興住宅(右)駐車場と新たに整備した市道を隔てた場所が建設予定地

天神復興住宅(右)駐車場と新たに整備した市道を隔てた場所が建設予定地

 
 今後の住民説明会の日程は次の通り。
8月27日(土)午前10時・市民ホールTETTO、午後1時半・中妻地区生活応援センター/29日(月)午後6時半・松倉地区コミュニティ消防センター/30日(火)午後6時半・小佐野地区生活応援センター/31日(水)午後6時半・鵜住居地区生活応援センター

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清流が育む自慢の味 釜石・甲子川のアユ300匹お振る舞い!地域団体初の企画

道の駅釜石仙人峠で開かれた「甲子川のアユを味わう会」=21日

道の駅釜石仙人峠で開かれた「甲子川のアユを味わう会」=21日

 
 味の良さで全国の釣り人を魅了する釜石市、甲子川のアユ―。良好な水質が生む魚のおいしさを感じてもらい、河川環境の保全意識につなげようと21日、甲子町の道の駅釜石仙人峠でアユのお振る舞いイベントが開かれた。地元の甲子地域会議(菅原武議長)が甲子川鮎釣協力会(安久津吉延会長)、同道の駅(佐々木雅浩駅長)の協力を得て初めて企画。用意した300匹のアユは、開始から2時間余りでなくなる盛況ぶりを見せた。
 
 甲子川のアユは、2016年に岐阜県で開かれた「清流めぐり利き鮎会」の味比べでグランプリに輝いた実績がある。この日のお振る舞いでは、市内の釣り人らが今シーズン釣り上げたアユを塩焼きにして無料提供。店頭には並ばない味を求めて、午前10時の開始前から行列ができた。来場者は焼き立てを受け取ると、川沿いの特設席などで味わった。
 
アユの塩焼きをカプッと!! お味はいかが?

アユの塩焼きをカプッと!! お味はいかが?

 
甲子川の眺めを前にアユを味わう家族連れ

甲子川の眺めを前にアユを味わう家族連れ

 
 鵜住居町の佐藤直輝さん(32)は「アユは苦手だったが、最近食べられるようになった。今日のは臭みもなくて、とてもおいしかった」と地元の味を堪能。魚好きの長男凰斗(おと)君(3)はこの日がアユ“デビュー”。串焼きのアユを頬張り、初めての味に満面の笑みを広げた。
 
 河川漁協のない甲子川では、同協力会に寄せられる釣り人らの寄付や市の助成金で毎春、稚アユの放流事業を実施。資源維持に努めている。会によると、今年は解禁日以降、大雨などの影響で水温の変動が激しく、釣果は近年になく低迷。安久津会長(81)は「地元の釣り人の協力で何とか目標の数を確保できた。サイズは平均20センチとやや小さいが、味は抜群」と天然の川で育ったアユをPR。
 
アユは甲子川鮎釣協力会のメンバーらが炭火などで焼いて提供

アユは甲子川鮎釣協力会のメンバーらが炭火などで焼いて提供

 
 甲子川は三陸沿岸特有の地形で斜度がきついため、砂や泥がたまりにくく、大雨後の水の濁りの回復も早い。上流の山々から湧き出る水は、「仙人秘水」に代表されるように水質が良く、アユの餌となる豊富なコケを育む。こうした好条件がアユのおいしさにつながっている。
 
 同道の駅の佐々木駅長(60)は施設入り口に掲げられる「アユ躍る清流と甲子柿の里」という道路案内標識に触れ、「オープンして7年。来店客からアユを食べたいという声も多く聞かれた。今回、その味をお披露目できたのは大きい。次につながる一歩」と歓迎。同地域会議の菅原会長(78)は「甲子川のアユはここでしか味わえない味。きれいな川を守りながら、また日本一になれるように地域としても盛り上げていければ」と話した。
 
続々と訪れる客に焼き立てアユをお振る舞い

続々と訪れる客に焼き立てアユをお振る舞い

 
アユの塩焼きを受け取り、笑顔を見せる来場者

アユの塩焼きを受け取り、笑顔を見せる来場者

 
 会場では資源維持のための募金活動も行った。来場者が寄せた募金は稚魚の放流事業に役立てられる。

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自由に弾いて♪釜石市民ホールにストリートピアノ 釜石商議所青年部が寄贈「音で街を明るく」

釜石市民ホールに設置されたストリートピアノ

釜石市民ホールに設置されたストリートピアノ

 
 誰でも自由に演奏できる「ストリートピアノ」が8日、釜石市大町の市民ホールTETTOにお目見えした。市が、釜石商工会議所青年部(宍戸文彦会長、会員28人)から寄贈を受けて設置。同日の寄贈式典では、かまいしこども園(藤原けいと園長)の園児10人がピアノ演奏に合わせて歌声を響かせ、「テットにすてきなピアノがきてうれしい」と喜びを表現した。
 
 贈られたのはヤマハのアップライトピアノ1台で、同ホール1階共通ロビーに設置。釜石商議所青年部が東日本大震災から復興したまちの新たなにぎわいづくりに役立ててもらおうと、会員らから寄付を募って購入し、市に寄贈を申し出た。管理を担当する同ホールでは「催しなどに影響がなければ、誰でも自由に弾いてもらえるようにしたい」としている。
 
ピアノの設置を祝って歌声を響かせた子どもたち

ピアノの設置を祝って歌声を響かせた子どもたち

 
「きれいな音だね」。鍵盤に手を伸ばして音を確認

「きれいな音だね」。鍵盤に手を伸ばして音を確認

 
 式典で、園児たちは保育教諭のピアノ伴奏に合わせて歌や踊りを披露。実際に鍵盤に触れて、音を確認したりした。小笠原大智(ひろとも)君(5)は「きれいな音だった。さっき歌った『ツバメ』を弾けるようになりたい」とうなずいた。
 
寄贈した釜石商工会議所青年部の会員ら。手前が宍戸会長

寄贈した釜石商工会議所青年部の会員ら。手前が宍戸会長

 
 宍戸会長(47)は「震災後、まちは再構築されたが、これからは心の復興が課題になる。音楽は心を和ませ、希望を持たせてくれる。音を使って中心市街地を明るく盛り上げたい。このピアノが釜石を訪れるきっかけ、観光資源になれば」と期待した。
 
ストリートピアノで音を奏でる楽しさを共有

ストリートピアノで音を奏でる楽しさを共有

 
 設置されると早速、演奏に来る人も。吹奏楽部の先輩(大学生)と連弾を楽しんでいた市内の高校生は「立派なピアノを自由に弾けて、すてきな思い出になる。温かい音がいい。音楽は詳しく知らなくても人とつながれるし、語らずとも伝わるものがある。また弾きに来たい」と笑顔を重ねた。
 
 

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お帰り!釜石の夏 港彩る大輪の花に歓声 3年ぶりの納涼花火に市民ら笑顔

釜石港を彩る「釜石納涼花火2022」=11日

釜石港を彩る「釜石納涼花火2022」=11日

 
 新型コロナウイルス感染症の影響で2年間中止が続いていた釜石市の納涼花火大会(市、釜石観光物産協会主催)が今年復活。11日夜、釜石港で開かれた。東日本大震災犠牲者の鎮魂、新型コロナの早期終息などを願い、午後7時から約1時間にわたり約3千発を打ち上げ。港周辺に設けた4つの観覧場所合わせて約1万人が夏の風物詩を楽しんだ。
 
 例年、盆入り前に行われる同市の納涼花火。3年ぶりの開催となる今年は、観客の期待も大きく、開始1時間前から各観覧場所に家族連れや若者グループなどが続々と集まった。魚河岸の市魚市場エリアと港町の陸中海岸グランドホテル付近には出店も並び、久しぶりの夏風景が広がった。
 
 午後7時。協賛企業や団体の紹介後、秋田県大仙市「大曲の花火協同組合」の4社17人による花火の打ち上げが始まった。港町の桟橋から3~5号玉、創作花火、スターマインなどの各種花火が打ち上げられたほか、小型船が移動しながら仕掛ける水中花火が次々と繰り出された。多彩な色や形、複数の花火を組み合わせた演出に観客は魅了され、目に焼き付けるとともにスマートフォンのカメラに美しい光景を収めた。
 
花火の光で桟橋のクレーンが浮かび上がる光景は釜石ならでは!

花火の光で桟橋のクレーンが浮かび上がる光景は釜石ならでは!

 
月明かりとコラボする水中花火。海面に映る光とも華やかに競演

月明かりとコラボする水中花火。海面に映る光とも華やかに競演

 
多くの人がスマホカメラを片手に観覧。美しい光景を記憶と記録に残す

多くの人がスマホカメラを片手に観覧。美しい光景を記憶と記録に残す

 
 家族3人で訪れた花巻市の髙橋理央さん(24)は初めて釜石の花火を観賞。岸壁から間近で見る水中花火に感動し、「すごい迫力。他の地域にはない特別感」と声を弾ませた。ここ2年、コロナ禍で各地の花火大会が中止されてきたが、「感染防止対策もしっかりしつつ、地域の活性化につながるイベントを開催していけるようになれば」と願った。
 
 同級生4人で申し合わせ、浴衣姿で訪れた植田杏奈さん(釜石中3年)は「3年前に見た時より豊富な色合いで、迫力も全然違った。すごくきれい」と感激。中学最後の夏休みは、来春の高校受験に向けた勉強で大忙し。「久しぶりにみんなで集まれて良かった。いい思い出もできて、これからの受験勉強も頑張れそう」と力を蓄えた様子。地域のにぎわい復活も喜んだ。
 
市魚市場エリアの観覧会場で花火を楽しむ観客

市魚市場エリアの観覧会場で花火を楽しむ観客

 
岸壁から見る水中花火は音とともに迫力満点!右奥にはライトアップされた釜石大観音も

岸壁から見る水中花火は音とともに迫力満点!右奥にはライトアップされた釜石大観音も
 
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嬉石方面より撮影/撮影:西条佳泰(株式会社Grafica)

 
 釜石観光物産協会によると、今年の人出はコロナ前とほぼ同等。各会場では手指の消毒のほか、出店の配置を工夫するなど観客が密にならないような対策を講じた。「久しぶりの花火大会を皆さん楽しみにしていたようで、人出は予想以上。事故もなく無事に終えられたことが何より」と同協会。
 
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嬉石方面より撮影/撮影:西条佳泰(株式会社Grafica)

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釜石の「戦跡」に注目 郷土資料館で9月4日まで企画展 初のリーフレットも作成

市郷土資料館で開催中の「釜石の戦跡」企画展。9日は青森、釜石両市の中学生が見学に訪れた

市郷土資料館で開催中の「釜石の戦跡」企画展。9日は青森、釜石両市の中学生が見学に訪れた

 
 釜石市鈴子町の市郷土資料館(藤井充彦館長)では、本年度の戦災企画展として「釜石の戦跡~未来に遺(のこ)す戦禍の記憶~」を開催している。戦後77年が経過し、戦争の痕跡を示す場所などを知る人が少なくなっていることから、記憶を後世につなぐ一助にと企画した。地図で戦跡の場所が分かる初のリーフレットも作成。同館で配布している。展示は9月4日まで行われる。
 
 企画展示室で、釜石の戦跡を紹介する写真と解説パネル、戦時下を物語る各種資料など50点を公開。普段目にしていた場所が戦争関連施設の跡地だったり、戦後に建立された慰霊碑や平和を願う像の由縁を知ることができたりと、興味深い展示となっている。
 
 大渡町の高台にある薬師公園は、今は春の花見スポットとして知られるが、戦時中は独立高射砲の部隊が2回目の艦砲射撃に備え、港町から移動し陣地を構えた場所。部隊に所属していた人たちから寄贈されたとみられる双眼鏡や砲弾の薬きょうなどが企画展で公開される。園内に建つ平和像は1954年に完成。当時の市長の指揮で3年がかりで建立され、今に受け継がれる。
 
薬師山(現薬師公園)にあった高射砲台。山の中腹を切り開いて陣地を構築した

薬師山(現薬師公園)にあった高射砲台。山の中腹を切り開いて陣地を構築した

 
独立高射砲第34中隊に関係する展示コーナー

独立高射砲第34中隊に関係する展示コーナー

 
 嬉石町の隧道(ずいどう=トンネル)は、釜石製鉄所で出るノロかす(鉄滓)を平田湾埋め立て用に運ぶため掘られたものだが、1回目の艦砲射撃の際、近くのれんが工場建設に学徒動員されていた女学生や地域住民らが逃げ込み、助かった場所でもある。一方で、同町の山林内にあった防空壕(ごう)は同砲撃で砲弾が直撃し、約70人が犠牲になった。戦後、地元住民が供養のために建てた平和地蔵が残る。
 
嬉石町などの戦跡を紹介するパネル

嬉石町などの戦跡を紹介するパネル

 
 市内各地にあった防空壕のうち、現在目に見える形で残るのは数か所のみ。企画展では小川町と浜町の防空壕跡が写真で紹介される。奥行き約50メートル、岩盤に設置された小川の防空壕には艦砲射撃の際、住民約50人が避難したとされ、中からは陶磁器製の防衛食容器の破片が見つかっている。
 
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 東前町の防潮堤近くには、海軍武官府の施設があった。弾薬庫としても使われていたため扉や窓は鉄板製で、壁の厚さは50センチもあった。戦後、漁協が倉庫として使用していたが、東日本大震災の津波で被災したため建物は解体された。解体時に回収された扉のコルク材の一部を今回、展示している。
 
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防弾と防音のため、武官府扉内側にはめ込まれていたコルク(左)と建物解体前の扉写真(右)

防弾と防音のため、武官府扉内側にはめ込まれていたコルク(左)と建物解体前の扉写真(右)

 
 この他、港町と甲子町大橋にあった捕虜収容所の写真や関連資料、書籍なども展示。資料によると、2カ所に計746人の外国人が収容され、厳しい労働に従事させられていたという。収容中、病気で33人、艦砲射撃で32人が亡くなっている。
 
 常設展示も企画展に合わせ一部展示替えを実施。110点の貴重な戦災資料を見ることができる。同館の佐々木寿館長補佐は「釜石が戦場であったことを再認識し、平和についても考えてみてほしい。新たに戦跡マップも作ったので、現地に足を運ぶきっかけにもなれば」と来場を呼び掛ける。
 
新たに作成された「釜石の戦跡」リーフレット

新たに作成された「釜石の戦跡」リーフレット

 
 同館は午前9時半~午後4時半まで開館(最終入館午後4時)。火曜日休館だが、8月16日は臨時開館する。

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戦後77年 釜石市で戦没者を追悼 艦砲射撃の記憶、平和への願い 確実に後世へ

2回目の艦砲射撃から77年となった9日に行われた釜石市戦没者追悼式

2回目の艦砲射撃から77年となった9日に行われた釜石市戦没者追悼式

 
 太平洋戦争末期、2度にわたり米英海軍から艦砲射撃を受けた釜石市―。同砲撃の犠牲者や異国の地で命を落とした出征兵士らを慰霊する市主催の戦没者追悼式が9日、大町の市民ホールTETTOで行われた。遺族や関係者110人が参列。戦争で犠牲になった御霊に哀悼の祈りをささげ、非戦、恒久平和への誓いを新たにした。
 
 同市が2回目の艦砲射撃を受けた日から77年となったこの日。黙とう後、式辞に立った野田武則市長は「戦争の悲惨さを決して忘れず、恒久平和の確立へ努力することが、国内で唯一2度の艦砲砲撃を受けた当市に課せられた使命」と述べた。
 
 満州に出征した父(当時27)を亡くした浜町の西村征勝さん(78)=市遺族連合会会長=が、遺族を代表し追悼のことば。「何十年の年月を経ようとも悲しみが癒えることはない。ロシアによるウクライナ侵攻の現状に日々、胸が締め付けられる思い」と戦争がもたらす苦しみに言及。戦争体験者の減少による記憶の風化、遺族会の存続も懸念し、「戦争を知らない世代が多い今、私たちが語り継ぐことの大切さを痛感している」と実感を込めた。
 
遺族を代表し追悼のことばを述べる西村征勝さん

遺族を代表し追悼のことばを述べる西村征勝さん

 
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祭壇に白菊を手向け、祈りをささげる遺族ら

 
 参列者は一人一人祭壇に白菊を手向け合掌。犠牲者の冥福、世界平和への願いを祈りに込めた。式典会場の受付近くでは、昨年に続き、釜石艦砲や太平洋戦争に関する戦災資料を展示した。1945年7月14日、8月9日の砲撃の記録、関係する写真や映像などを公開。2度の艦砲射撃による犠牲者はこれまでに782人が確認されている。市は引き続き、特定のための情報提供を呼び掛ける。
 
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平和防災学習の一環で釜石を訪れた青森市の中学生も献花

平和防災学習の一環で釜石を訪れた青森市の中学生も献花

 
 式典には、平和防災学習の相互交流事業で釜石市を訪問した青森市の中学生9人が釜石の中学生とともに参列した。青森市は45年7月28日、米軍のB29爆撃機による空襲を受け、1018人が犠牲になっている。市立南中1年の平沢唯花さんは曽祖母が同空襲を経験。「みんなで必死に穴を掘った防空壕で、空襲の音におびえながら命をつないだこと、親戚が亡くなったことを泣きながら教えてくれた」という。釜石訪問で戦争の悲惨さを再認識した平沢さんは「今後、戦争経験者がいなくなる時代がきてしまう。今、私たちが聞いたことを責務を持って周りに伝えていかなければ」と話し、伝承による抑止力を願った。
 
釜石艦砲を伝える合唱組曲「翳った太陽」について説明を受ける青森市の中学生

釜石艦砲を伝える合唱組曲「翳った太陽」について説明を受ける青森市の中学生

 
艦砲射撃など戦争に関する展示でも理解を深めた

艦砲射撃など戦争に関する展示でも理解を深めた

 
 同追悼式は新型コロナウイルス感染症の影響で20年は中止。21年は参列者を市内の遺族に限定した。今年は参列者の制限は設けなかったが、例年行う平和作文の朗読や献唱、会場への送迎バス運行は昨年同様、取りやめた。式典時間に来られなかった人たちのため、会場内の献花台を午後2時まで開放した。