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身近な風物 独自の感性で グループ名新たに再出発 「釜石絵画クラブ」作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

釜石絵画クラブの会員たちが力作を並べた作品展

  
 昨年6月に改名し新たなスタートを切った釜石市の絵画愛好者グループ「釜石絵画クラブ」の作品展が5~7日に大町の市民ホールTETTOで開かれた。全会員13人と講師1人が、この1年間に仕上げた作品を中心に84点を展示。転機を力に会員たちは創作意欲を高めており、「継続」という共通目標に向かって共に歴史をつなぐ。
 
お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

お気に入りの作品の前で写真撮影を楽しむ姿もあった

 
 市の社会教育講座「市民絵画教室」として1978年度にスタートした同クラブ。講座は3年間で終了したが、継続を希望する市民らによって自主活動グループに移行し、教室の名を継いで学習を続けた。作品発表やスケッチ旅行なども行い、活発に活動。当初は夜間に開かれ、多い時には子どもや社会人、高齢者まで80人近くが参加した。近年は会員が十数人で、平均年齢も少しずつ高くなり、昼間の活動に変更。現在は60~90代のメンバーが月に2回、隔週水曜日に集う。
 
 昨年の展示会後、会員の高齢化もあって“解散状態”になりかけた。そんな時、市の講座時代から講師を続ける菊池政時さんが「会の名前を変えてスタートしてみたら」と提案。2011年の展示会は会期中に東日本大震災が発生して作品が津波にのまれたが、負けじと翌年には活動を再開させた。そんな「伝統ある会を維持したい」という会員の思いは強く、「釜石絵画クラブ」として再出発を決めた。
 
1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

1年間の成果を見せる「わたくしたちの絵画展」

 
 年一度の作品展「わたくしたちの絵画展」は名前を変えず継続し、今回で43回目を数える。市内の海景や街並み、庭先を彩る植物、自画像など身近な生活の一部をテーマに独自の感性で描いた作品が目立った。画材は油彩、水彩、アクリル、パステル、色鉛筆などさまざま。他グループで活動している人など絵画に親しむ仲間が3人増え、新たな彩りも加わった。
 
釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

釜石港など身近な海を題材にした作品も並んだ

 
大型の作品をじっくりと見入る来場者

大型の作品をじっくりと見入る来場者

 
 改名に合わせ、会長に就任した小田島ヨシ子さん(82)は、植物を題材にした油彩画など7点を並べた。「朝顔」は、きれいに花開いてくれた喜びを込めた一枚。自宅で育てる朝顔はここ数年、シカの食害に遭っていたといい、「本当にきれいに咲いた。新たなスタートを後押ししてくれているよう」と頬を緩めた。創作活動は苦労もあるというが、何もかも忘れて没頭できる時間や作品として仕上がった時の達成感、見てもらえるうれしさが「たまらない」。出歩くと、いつの間にか目線は画題探しになり、「描きたい気持ちが膨らむ。今、描けることが一番の幸せ」と意欲は衰えない。
 
絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

絵を描く仲間との触れ合いを楽しむ小田島ヨシ子さんと作品「朝顔」

 
 新生グループは、再来年の45回展に向け気持ちを高める。これまで会に名を連ねた人や転居して遠方で暮らす人たちの作品も集めて展示しようと計画中。小田島さんは「同じ目標に向かって盛り上がっている。楽しみにしてほしい」と腕をまくった。

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走り続け40年…これからも!三陸鉄道 記念列車、釜石へ 「ありがとう」思い乗せ

釜石駅に到着した三陸鉄道の開業40周年記念列車

釜石駅に到着した三陸鉄道の開業40周年記念列車

 
 岩手県沿岸を走る三陸鉄道(本社・宮古市、石川義晃社長)は1日、開業40周年を迎えた。「ありがとう」との文字を配したヘッドマークを付けた記念列車を運行。釜石市鈴子町の釜石駅では関係者が大漁旗を振って歓迎した。東日本大震災など幾多の苦難を乗り越え、地域の足として親しまれている“三鉄”。記念イヤーに合わせ多彩な企画を用意していて、「これからも走り続ける」との思いを発信する。
 
開業40年を記念した上り列車。トリコロールカラーの車両が甲子川にかかる橋りょうを進む風景は開業時から変わらない

開業40年を記念した上り列車。トリコロールカラーの車両が甲子川にかかる橋りょうを進む風景は開業時から変わらない

 
 記念列車は三鉄カラーの赤青白のトリコロール車両(2両編成)で、上下線で運行した。正午頃、大船渡・盛駅発の下り列車が釜石駅に到着。ホームでは市職員ら約10人が出迎え、乗客に地元の特産品「仙人秘水」や観光パンフレットなどを手渡した。
 
 電車や新幹線といった鉄道車両が好きな及川朝陽君(10)は「三鉄40周年、どうしても乗らなきゃ」と盛岡市から、宮古市に住む祖母のもとへやって来て、一緒に乗車。「車体のカラーリングがかっこいい。海の景色もいいし、いろんな人と話もできて楽しい」と旅を満喫した。祖母の小林みきえさん(70)は普段から三鉄を利用。「交通の足で、なくなると困る。ずっと走ってほしい」と望んだ。
 
釜石駅ホームで下り列車を歓迎する関係者。大漁旗を振ったり利用客に土産品をプレゼントしたり

釜石駅ホームで下り列車を歓迎する関係者。大漁旗を振ったり利用客に土産品をプレゼントしたり

 
唐丹駅に到着した下り列車。乗客は記念の三鉄旅を楽しむ

唐丹駅に到着した下り列車。乗客は記念の三鉄旅を楽しむ

 
 三陸鉄道は1984(昭和59)年4月1日、県や沿線自治体が出資する国内初の第三セクター路線として開業。当時は南リアス線(盛―釜石、36.6キロ)、北リアス線(宮古―久慈、71.0キロ)に分かれて運行していた。2011(平成23)年3月の震災では路線や駅舎が流失するなど全線で運行が不能となったが、わずか5日後に北リアス線の一部区間で無料の「復興支援列車」を運行。南リアス線も含め復旧を進め、14(同26)年4月に全線復旧した。
 
 同じように震災で不通となったJR山田線釜石―宮古間(55.4キロ)は路線存続が危ぶまれたが、県や沿線自治体の強い要望を受け、JR東日本が鉄道を復旧。19(同31)年3月に三鉄に移管され、現在の形、大船渡・盛駅と久慈駅をつなぐ総延長163キロの三陸鉄道リアス線となった。
 
JRから移管された路線を走行する下り列車。震災で被災した鵜住居町を活気づける

JRから移管された路線を走行する下り列車。震災で被災した鵜住居町を活気づける

 
 その約半年後、三鉄は再び逆境に見舞われた。19(令和元)年10月の台風19号で鉄路の約7割が不通に。翌20(同2)年3月に復旧したが、ほぼ同時に新型コロナウイルス禍が影を落とし、苦しい状況が続いた。それでも、被災地域を活気づける「復興のシンボル」として工夫を凝らした企画を打ち出し、観光振興へ力を注いでいる。
 
 釜石駅の山蔭康明駅長(59)は「震災や台風、コロナ禍と、この十数年は苦労が多かった。地域や乗客の支えがあって、この日を迎えられた」と感慨もひとしおだ。「40年、よくやったな」。入社1期生で、三鉄が歩んだ歴史は自身の歩みとも重なる。先行きが見えない時期も、利用客の「ありがとう」という言葉が働く意欲につながった。記念イヤーは、感謝を込めた企画がめじろ押し。「必要としてくれる人がいる。マイレール意識を持ってもらえるよう、そして地域外のたくさんの人が乗って楽しめる鉄道を目指し、これからも走り続ける。沿岸全体がにぎやかになるように」と未来を思う、その表情は明るかった。
 
「ありがとう!」などの言葉が入る横断幕と釜石駅の山蔭康明駅長

「ありがとう!」などの言葉が入る横断幕と釜石駅の山蔭康明駅長

 
「これからも…」。釜石の街なかを三鉄車両は走り続ける

「これからも…」。釜石の街なかを三鉄車両は走り続ける

 
 記念事業として記念切符や硬券セット、御朱印の鉄道版「鉄印」の販売を始めた。13日には宮古市内で記念式典を予定。企画の詳細は公式ホームページで確認できる。

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新年度スタート!釜石市長「行政改革元年」 辞令受け取り、新採用職員「前向きに」

辞令の交付を受け宣誓する釜石市の新採用職員ら

辞令の交付を受け宣誓する釜石市の新採用職員ら

  
 新年度を迎えた1日、釜石市役所では新規採用者らへの辞令交付や小野共市長の訓示があった。東日本大震災から13年が経過したまちは人口減少や少子高齢化に歯止めがかからず、人口が3万人を割り込むなど転換期を迎える中での船出。財政健全化を図る一方、市民サービスの利便性は維持、向上させるといった行政運営の実現が求められる。「現状を受け入れ、前を向いていけることを」。担い手に加わった若者たちは「新しい時代」へ意欲を示した。
  
 本年度は新たに9人が仲間入り。それぞれ緊張の面持ちで小野市長から辞令交付を受けた。新職員を代表して鈴木生真さん(22)が宣誓。全員で声をそろえ、「市民全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を遂行します」と決意を込めた。
  
釜石市役所議場で行われた新規採用者の辞令交付式

釜石市役所議場で行われた新規採用者の辞令交付式

  
 鈴木さんは甲子町出身で、「生まれ育った地域だからこそ問題が分かり、解決のために働く姿が想像できた」と公務員を選択。少子高齢化を止めるのは難しいとした上で、「受け入れつつ前を向き、市を存続させていく政策を考えていきたい」と未来を見つめる。生活環境課から市職員としての歩みをスタート。「市民に信頼される仕事をしたい」と背筋を伸ばした。
  
 「市政に共感した」。何のゆかりもない釜石で社会人生活をスタートさせたのは、群馬県出身の飯塚侑詩朗さん(22)。もともと公務員志望で、下調べをして釜石のまちづくり、海外との交流に興味を持った。面接のため来釜し、滞在した2日間で住みやすさ、自然の豊かさに触れ、移住を決意。携わる業務はまだ分からないが、水産農林課配属で、「なるべく早く仕事に慣れ、市民に寄り添えるようになりたい」とやる気スイッチを入れる。仕事以外で楽しみたいのは、ラグビー観戦。それと、「海なし県」では体験できなかった自然との触れ合いだ。
  
市職員としての一歩を踏み出した若者たち

市職員としての一歩を踏み出した若者たち

  
 辞令交付を終え、小野市長は幹部職員約40人を前に訓示。昨年11月の市長選で初当選し、市政運営のかじ取りを本格化させる2024年度は「行政改革元年。財政はかなり厳しい状況で、行財政の再建に取り組む。我慢の年になると覚悟してほしい」と理解を求めた。26年春の使用開始を目指し建設工事が始まった新市庁舎への移転を見据え、機構改革による組織のスリム化を進める考え。一方で市民サービスの低下は避けなければならず、業務効率化や効果的な施策実行を目指した人員体制づくりにも取り組むとした。
  
行財政の改革に向けた考えを表明する小野共市長

行財政の改革に向けた考えを表明する小野共市長

  
小野市長の訓示に聞き入り、気を引き締める幹部職員ら

小野市長の訓示に聞き入り、気を引き締める幹部職員ら

  
 職務に臨む姿勢について、小野市長は「市の発展にじかに関わる仕事を担う行政マンとして誇りを持ってほしい」と要望。2年前に発覚した市職員の情報漏洩(ろうえい)事件に触れ、行政運営の大前提となるコンプライアンス(法令や社会規範の順守)の徹底を呼びかけた。また、課題解決には職員一人一人の力が欠かせないとした上で、心身の健康への心がけを強調。「元気よく明るく仕事をしよう」と促した。

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進む食、弾む会話 釜石・甲子地区で「子ども食堂」初開設 市内3カ所目 波及に期待

 「みんなで食べるとおいしいね!」甲子地区で初めて開かれた子ども食堂=正福寺幼稚園

「みんなで食べるとおいしいね!」甲子地区で初めて開かれた子ども食堂=正福寺幼稚園

 
 子どもの居場所、孤食防止、地域交流の場として各地で開設が進む「子ども食堂」。釜石市内では昨夏から学校の長期休暇に合わせた行事として、地域団体による試行がスタート。同市の女性奉仕団体、国際ソロプチミスト釜石はまぎく(佐々木未知会長、会員14人)は3月31日、初の試みとなる同食堂を甲子町の正福寺幼稚園で開いた。地域の幼児から小学生39人が参加し、遊びと食事で楽しい時間を過ごした。
 
 この日のメニューは子どもたちが好きなカレーライス。会員9人が前日から準備にあたり、約80人分を調理した。食材は地元住民からの寄付金などを利用して購入。米は正福寺が寄付した。ジュースやヨーグルト、帰りのおみやげも市内の事業所などが協賛した。
 
カレーライスの調理にあたる国際ソロプチミスト釜石はまぎくの会員ら

カレーライスの調理にあたる国際ソロプチミスト釜石はまぎくの会員ら

 
 食事の準備が整うまでの間、子どもたちはいろいろな遊びに夢中になった。折り紙、輪投げのほか、パラリンピック種目にもなったヨーロッパ発祥のスポーツ「ボッチャ」も体験した。大型絵本の読み聞かせもあった。
 
正福寺幼稚園内のホールが会場。大勢の子どもたちが集まった

正福寺幼稚園内のホールが会場。大勢の子どもたちが集まった

 
折り紙を楽しむ子ども。作品に顔を描き入れたり自由な発想で

折り紙を楽しむ子ども。作品に顔を描き入れたり自由な発想で

 
市内でも普及が進む「ボッチャ」に挑戦(写真上、左下)。大型絵本の読み聞かせも(右下)

市内でも普及が進む「ボッチャ」に挑戦(写真上、左下)。大型絵本の読み聞かせも(右下)

 
 午前11時半すぎ、ホール内にテーブルを並べて着席すると佐々木会長(54)があいさつ。子ども食堂開設の経緯などを説明し、みんなで「いただきます」をして昼食となった。子どもたちは「おいしい」と笑顔を輝かせながらカレーを頬張り、おかわりする子も多数。ご飯が足りなくなるほど好評だった。
 
ソロプチミストの会員らは配膳に大忙し。運営の大人の分も含め約80人分を用意した

ソロプチミストの会員らは配膳に大忙し。運営の大人の分も含め約80人分を用意した

 
みんなで「いただきます」のあいさつ。作ってくれた人に感謝して…

みんなで「いただきます」のあいさつ。作ってくれた人に感謝して…

 
 菊池芽生さん(甲子小3年)は「カレーライス大好き。うまい」とにっこり。おかわりもして存分に味わった。初めてのボッチャも「楽しかった」と話し、「またやってほしい。次も来る」と気に入った様子。母未来さん(37)は「近所には同年代の子が少ない。休日に多くの子どもたちと同じ時間を過ごせるのは貴重。食欲も増しているよう」と喜んだ。
 
 1年男児の母親(35)は「子どもだけだと不安もあったので、親も参加できるのはありがたい。少し緊張もあるようだが楽しそう」とわが子の様子に目を細めた。子ども食堂については「いろいろな人に会っておしゃべりできる場があるのはすごくいいこと。親以外にもつながりを持ち、一人ぼっちにならないことが大事」と話した。
 
春休み中の子どもたちは久しぶりの友だちとの食事。楽しい雰囲気に食欲も倍増!?

春休み中の子どもたちは久しぶりの友だちとの食事。楽しい雰囲気に食欲も倍増!?

 
 ソロプチミスト釜石は同市の子ども食堂の実情を聞き、必要性を実感。「まずは一歩を踏み出そう」と、未開催だった甲子地区を対象に選んだ。甲子小を通じてチラシを配り、春休み中の子どもたちに参加を呼び掛けた。申し込みは予想以上。市子ども課や地元の民生委員・児童委員、事業所などに協力してもらい、初運営に挑んだ。「子どもたちも喜んでくれて感激。反響は思った以上」と佐々木会長。長く続けていくには地域母体への運営移行も必要と考え、「私たちがきっかけづくりをして、地域の人たちが自分たちでできるようになっていけば」と今後を思い描く。
 
 市子ども課によると、同市での子ども食堂の実施は昨年7月、本年1月の小佐野地区(同地区民生委員・児童委員協議会)、3月の平田地区(平田いきいきサークル)に続き、甲子地区(国際ソロプチミスト釜石はまぎく)が3カ所目(かっこは実施主体)。小佐野地区が一つのモデルとなり、徐々に広がり始めている。村山明子子ども課長は「釜石の場合は地域の顔が見える関係づくりに主眼を置く。顔見知りになれば見守りも可能。常設は難しいが、単発でも無理なく続けることが大事」と話す。

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“釜石を住みたいまちに”地域おこし協力隊 初の合同活動発表 住民と協働で課題解決の一歩に

「地域おこし協力隊」活動発表会=3月27日、釜石PIT

「地域おこし協力隊」活動発表会=3月27日、釜石PIT

 
 釜石市で活動する地域おこし協力隊(8人)の活動発表会が3月27日、同市大町の釜石PITで開かれた。各分野で活動する隊員が一堂に集まり、市民向けに発表会を開くのは今回が初めて。同協力隊という名前は知りつつも、隊員の思いや具体的活動に触れる機会はこれまで少なかっただけに、来場者も興味津々。隊員らは移住のきっかけや現在の取り組み、今後の展望などを熱く語り、住民とのさらなる協働で、地域課題解決や魅力発信につなげていくことを誓った。
 
 同市では現在、20~50代の隊員8人(担い手型5、行政型3)が活動。農水産、スポーツ、コミュニティー、教育、観光など各分野で、同市に新たな風を吹き込む取り組みを展開する。会では隊員それぞれにブースを設け、1回7分の発表を3ローテーション行い、来場者約40人が興味のあるブースで話を聞いた。
 
 教育魅力化コーディネーターとして活動する岡田稜平さん(26)=2023年2月着任、栃木県出身=は、市内2高校でキャリア支援、課題研究のサポートなどを行う。岩手県立大在学時、地元学生の「岩手は何もない」という言葉に違和感を覚えた岡田さん。「不完全だからこそ、いろいろ考えてアプローチできるフィールドがある。高校生に問題解決の成功体験をさせたい」と願う。今後は自身の強みであるプログラミングの技術を生かし、「生徒たちとまちの課題を解決するシステムを作りたい」と目標を掲げる。25年の大学入学共通テストから「情報Ⅰ」の出題が加わることもあり、生徒の学びも後押ししたい考え。
 
高校と地域をつなぐ活動に取り組む岡田稜平さん。情報系の知識、技術を発揮

高校と地域をつなぐ活動に取り組む岡田稜平さん。情報系の知識、技術を発揮

 
 橋野町青ノ木に居住し、「トマト系ユーチューバ―」として同地の暮らしを発信しているのは三科宏輔さん(28)=22年4月着任、神奈川県出身=。同市の地域振興作物「すずこま」という品種のトマトを無農薬で栽培し、ジュースにして販売。農閑期には自宅の古民家の改修を進めていて、民泊や企業研修の受け入れを目指す。志高くいきいきと暮らす釜石人に魅せられ、「自分もここで人生を全うしたい」と会社員から転身。大切にする「暇(いとま)」という概念を「自己の充実に充てることができる最もぜいたくな時間」と捉え、心豊かな暮らしを提案する。自身の活動や日常を定期配信。今後は栽培トマトの新商品開発や体験プログラムの構築にも力を入れたいとしている。
 
大好きなトマトの栽培から商品化までを手掛ける三科宏輔さん。活動はユーチューブで配信

大好きなトマトの栽培から商品化までを手掛ける三科宏輔さん。活動はユーチューブで配信

 
 農園芸クリエーターとして活動する小松園さん(54)=22年8月着任、宮城県出身=は甲子町を拠点に、地域資源を活用した草木染めの研究、商品開発を進める。編み物が趣味で、繊維の知識もあったことを生かし、地元素材を使った糸の染色を行う。色を出す染料は柿の皮、色を定着させる媒染液には鉄鉱石を用いる。“すずこま”や植物のアカネによる染色も。現在、商品販売に向け準備を進めているところで、市民向けの体験会も開催している。
 
釜石の風土が生んだ素材で草木染めの商品開発を行う小松園さん

釜石の風土が生んだ素材で草木染めの商品開発を行う小松園さん

 
 観光地域づくりコーディネーターの横木寛裕さん(23)=23年4月着任、新潟県出身=は首都圏の大学卒業と同時に釜石へ。移住フェアで同市職員と出会ったのがきっかけだった。市商工観光課職員として活動する行政型隊員。市の観光パンフレット作成などを手掛ける。発表会について「予想以上の来場者。新たなつながりを生み、認知にも効果的だった」と喜ぶ。観光客にみこしの担ぎ手になってもらう、漁業体験者=作業の貴重な人材など(人手不足解消)、観光による各種課題解決を目指す。
 
観光で地域課題の解決を目指す横木寛裕さん

観光で地域課題の解決を目指す横木寛裕さん

 
 発表会に来場した甲子町の内舘靖さん(55)は「隊員が志や問題意識を持って取り組んでいるのが分かった。一堂に集まってコミュニケーションを図れる場もいい」と歓迎。自身も昨年、千葉県からUターンし、地元特産の「甲子柿」や夏野菜の生産を始めたばかり。「思いを同じくする隊員とつながることで、互いのやりたいことの実現、一緒に釜石を盛り上げる手立ても生まれそう」と活動の広がりに期待した。
 
 同市では2017年から「地域おこし協力隊」制度を運用。当初は「起業型(ローカルベンチャー)」でスタートし、20年までに計13人が活動。慶應義塾大との連携で、大学院生による「地域おこし研究員」1人の受け入れも行った。その後、「担い手型(個人事業主)」、「行政型(任期付き職員)」の2種で隊員が活動を続ける。
 
地域おこし協力隊員(前列)と発表会の来場者ら。意見交換しながら交流を深めた

地域おこし協力隊員(前列)と発表会の来場者ら。意見交換しながら交流を深めた

 
 東日本大震災後、釜援隊(復興支援員29人)、地域おこし協力隊(21人)と外部人材のサポートを続ける釜石リージョナルコーディネーター協議会によると、協力隊の任期(最大3年)を終えた後、同市に定住しているのは86%(全国平均80%)。全国平均を上回るものの、経済的自立はやはり課題。発表会の意見交換でも、地域との協働の継続、定住支援の必要性が話題に上った。
 
 現隊員の多くは来年度が任期の最終年度。ラグビーによるまちづくりに取り組む竹中伸明さん(35)=22年11月着任、大阪府出身=は任期後を見据え、「将来的には釜石での活動を望む外部の人の受け皿や、進学などで一旦地元を離れた人もまた帰ってこられる仕組みづくりをしていきたい」と、同市に残ってまちづくりの一翼を担うことを希望する。
 
 今回の発表会は、自分たちのこれまでの活動を総括し世話になった人たちに報告するとともに、釜石のこれからを来場者と共に考え、アクションを起こすきっかけにと隊員らが自ら企画した。

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広報かまいし2024年4月1日号(No.1829)

広報かまいし2024年4月1日号(No.1829)
 

広報かまいし2024年4月1日号(No.1829)

広報かまいし2024年4月1日号(No.1829)

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【P1】
市の組織機構が変わります

【P2-3】
スーパーアプリ「かまいしライフ」の配信を開始します
補助金等のお知らせ

【P4-5】
市職員の給与などを公表します
固定資産税のお知らせ他

【P6-7】
まちのお知らせ

【P8】
イベント案内

この記事に関するお問い合わせ
釜石市 総務企画部 広聴広報課 広聴広報係
〒026-8686 岩手県釜石市只越町3丁目9番13号
電話:0193-27-8419 / Fax 0193-22-2686 / メール
元記事:https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2024032700064/
釜石市

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釜石市公式サイトと連携し、縁とらんすがピックアップした記事を掲載しています。記事の内容に関するお問い合わせは、各記事の担当窓口までお問い合わせください。
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街なかに戻る歓声 釜石・大只越公園リニューアル 震災後の仮設商店街から復旧、利用再開

大只越公園がリニューアル。新しい遊具で楽しむ子どもたち

大只越公園がリニューアル。新しい遊具で楽しむ子どもたち

 
 東日本大震災後に仮設商店街用地となっていた釜石市大只越町の大只越公園(愛称:青葉公園)の復旧整備工事が完了し、3月下旬から利用が再開された。幅広い年代が体を動かせるよう遊具を新調。トイレはバリアフリー化した。樹木を伐採、せん定して見通しの良い開放的な空間を確保。街なかに戻ってきた憩いの場に子どもたちの歓声や住民の笑顔が広がっている。
 
 市中心部の東部地区にある公園は面積約3300平方メートル。3つのエリアに分類し、遊具エリアに設置した滑り台やブランコなど子ども向け遊具3基はリニューアル。大人も楽しめるよう健康遊具2基を新たに加えた。休憩場所にもなるあずまや1カ所を新設。運動エリアは細かく砕いた石を敷いたダスト舗装に改修し、転倒時のけが軽減など安全性の向上を図った。
 
子どもたちが夢中になる「遊具エリア」

子どもたちが夢中になる「遊具エリア」

 
大人も体を動かせる健康遊具を設置した

大人も体を動かせる健康遊具を設置した

 
走ったりボールで遊んだりできる「運動エリア」

走ったりボールで遊んだりできる「運動エリア」

 
 石応禅寺境内に隣接し、静かなたたずまいも特徴の一つ。自然観賞エリアはもともとある人工池などを生かしつつ、周囲の立木を手入れした。公園内には、明治の津波などに関する記念碑、供養碑が点在し、まちの歴史を知る散策も楽しめる。トイレも改修し、車いすやベビーカーでも気軽に利用できるようスロープを設けた。
 
「自然観賞エリア」で池をのぞき込む子どもたち

「自然観賞エリア」で池をのぞき込む子どもたち

 
記念碑などがあり津波の歴史を知ることもできる

記念碑などがあり津波の歴史を知ることもできる

 
 3月25日に現地で開園式があり、近隣住民や市関係者ら約50人が参加。あいさつに立った小野共市長は「公園が地域の活性化につながり、子どもたちの健やかでたくましい成長の一助になれば」と期待を述べた。
 
 子どもたちはさっそく広場でボール遊びをしたり、思いっきり走り回った。真新しい遊具に触れて、うれしそうな笑顔も次々と伝ぱ。根元璃玖君(10)は「全力で走れる。友達と何回も来るー」と言って駆け出し、母眞生さん(32)は「フェンスがあり、安心して送り出せる。なじみのある場所だったが、震災後は声が減ったイメージがあった。明るさが戻ってきた」と喜んだ。
 
開園式に参加した地域住民や関係者ら

開園式に参加した地域住民や関係者ら

 
 同公園は1978年の供用開始から市民活動の場として親しまれてきた。2011年の震災後は被災事業者支援のため仮設の青葉公園商店街として営業し、なりわい再建を後押し。各事業者が本設の店舗を構えたことから役割を終え、2020年に解体撤去した。公園の復旧整備に向け、市は地域住民らを交えたワークショップを3回開催。寄せられた意見を設計に取り入れ、昨年9月に工事に着手。今年3月に整備を終えた。
 
 大只越町内会の山崎義勝会長(70)は「限られた予算の中で創意工夫し、私たちの意見を十分に反映してもらった。憩いの場、交流の場として大いに活用したい」と歓迎。開園式の参加者にきれいな環境を保つような利用の仕方、協力も求めていた。

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本格着手!釜石市庁舎建て替え 工事の安全を祈願 機能集約、2026年春の利用開始へ

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神事でくわ入れし新庁舎建設工事の安全を祈願する小野共市長

 
 釜石市の新庁舎建設工事の安全祈願祭が25日、天神町の建設予定地で行われた。分散する機能を集約した一体型庁舎で、震災の教訓を生かした防災拠点、市民に開かれた利便性などの機能を持たせた庁舎に建て替える。2025年12月に完成する予定で、26年春の利用開始を目指す。
 
 只越町にある現庁舎は1950年代から建設・増築を繰り返しており、最も古い本庁舎は築70年。耐震性に欠け老朽化が進んでいたほか、教育や保健福祉などの部署が市内に分散(現在は8カ所)し不便が生じていた。
 
 そうした問題を解決するため、86年に新庁舎建設の検討を開始。財政面の問題や東日本大震災により停滞したが、復興まちづくり計画に新庁舎建設事業を盛り込み、建設場所を天神町の旧釜石小跡地として準備を進めてきた。基本設計完了後に国と県による巨大地震(日本海溝・千島海溝)による津波想定の公表が相次ぎ、建設計画の見直しが必要になった上、資材費の高騰により建築主体工事の優先交渉権を得たJV(共同企業体)が辞退したことで再入札となり、スケジュールの先送りが続いていた。
 
新しい庁舎の建設予定地とイメージ図(右下)

新しい庁舎の建設予定地とイメージ図(右下)

 
 新たな庁舎は現庁舎から北に約150メートル離れた市有地(面積約1万1800平方メートル)に建てる。鉄骨鉄筋コンクリート造り4階建て、延べ床面積は約8000平方メートル。津波に対応するため地盤を1~2メートルかさ上げするほか、1階は窓口業務を中心とするが、書類や機材の配置は最小限とする。津波や大雨などの災害時は一時避難場所として活用。周辺住民や来庁者ら3000人を1週間受け入れることを想定し、非常用電源や飲料水、生活用水を準備する。「みんなのホール」を設け、市民の交流拡大につながる場所としての機能も見込む。総事業費は約82億円。
 
新庁舎の外観イメージ図。2025年12月の完成予定

新庁舎の外観イメージ図。2025年12月の完成予定

 
安全祈願祭で工事の無事を願う市職員ら

安全祈願祭で工事の無事を願う市職員ら

 
 安全祈願祭には関係者ら約100人が出席。神事でくわ入れなどを行い、工事の安全を祈った。検討開始から約40年の時間を要し、ようやく本格的な建設工事に着手。小野共市長は「目に見える形で進むことは釜石にとって明るい希望につながる。滞りなく完成するよう願う」と述べた。

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「過去の津波に学び、今一度備えを」 釜石市郷土資料館が防災啓発の企画展

市郷土資料館企画展「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」

市郷土資料館企画展「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」

 
 明治、昭和の三陸地震津波、十勝沖地震津波、チリ地震津波、東日本大震災―など、幾度となく津波災害を経験してきた釜石市。被害の実態や教訓はさまざまな形で伝えられるものの、発災から時がたつことによる防災意識の低下は避けられないものがある。過去の津波災害の資料を所蔵する鈴子町の市郷土資料館(佐々木豊館長)では今、同市の津波の歴史を学び、日ごろの備えを見直してもらおうという企画展が開かれている。
 
 1933(昭和8)年3月3日に発生した昭和三陸地震津波、2011(平成23)年3月11日発生の東日本大震災。多くの死者、行方不明者が出た両災害の発生月に合わせ、同館では毎年この時期に津波に関する企画展を開催している。今年のテーマは「津波・震災 過去に学ぶ、次への備え」。新たに作成した説明パネルを含む131点の資料が公開される。
 
 三陸地方を襲った主な地震津波の年表は869(貞観11)年の津波にまでさかのぼって記載。マグニチュード6~9レベルの地震で津波が発生し、各地で人身、浸水被害があったことが記されている。1896(明治29)年の地震津波は三陸沖を震源とするものだが、最大震度は2~3。揺れは小さかったものの、死者・行方不明者は2万1000人以上に上った。2011年の東日本大震災は最大震度7。日本周辺における観測史上最大の地震で、死者・行方不明者は1万8000人を超えた。
 
 被害の大きかった5つの津波は、釜石市の被災状況を数字データや写真を交えたパネルで紹介。惨状は風俗画報(明治)や写真で残されており、それらも額入りで展示された。
 
館内の展示室では131点の津波関連資料が公開される

館内の展示室では131点の津波関連資料が公開される

 
明治、昭和の三陸地震津波、チリ地震津波、十勝沖地震津波は風俗画報や写真で惨状を紹介

明治、昭和の三陸地震津波、チリ地震津波、十勝沖地震津波は風俗画報や写真で惨状を紹介

 
 津波への備えを啓発するパネルは緊急避難場所を示す緑と白のマークを添え、「いち早く、より高い安全な場所へ避難する必要がある。日ごろから街を歩いてルートや所要時間などを確認しておこう」と呼び掛け。非常持ち出し品(避難する時に最初に持ち出すもの)や備蓄品(発災後、数日間を自活するために最低限必要なもの)の例も紹介している。備蓄用の食品や飲料水は消費、賞味期限切れを防ぐため、「ローリングストック」方式を勧める。
 
津波への備えを教える展示コーナー。非常持ち出し品や備蓄品のチェックにも役立ててもらう

津波への備えを教える展示コーナー。非常持ち出し品や備蓄品のチェックにも役立ててもらう

 
 この他、東日本大震災で被災した市の施設などから流出した遺物や関連書籍、新聞なども展示公開される。
 
世界各地で大規模自然災害が多発する時代―。いつ、どこで直面するかわからない天災から身を守るには日ごろの備えが最も重要となる。佐々木館長は「災害は“忘れたころ”ではなく“忘れぬうちに”やってくるようになった。三陸は津波の常襲地でもあり、特にも津波に対する心構えはしっかり持ってほしい。この企画展が見直しのきっかけになれば」と願う。企画展は5月6日まで開催する。
 
東日本大震災の写真やがれきの中から見つかった遺物なども展示。写真集や記録誌も閲覧できる

東日本大震災の写真やがれきの中から見つかった遺物なども展示。写真集や記録誌も閲覧できる

 
 また、館内では2022~23年にかけて発掘調査が行われた橋野町「太田林遺跡」の出土品などを公開する速報展も開かれている。調査は新消防屯所建設に伴う記録保存のために実施。縄文時代の竪穴住居跡や耳飾り、土器、石器などが見つかっている。展示は3月31日まで。
 
橋野町「太田林遺跡」発掘調査の成果を公開する速報展

橋野町「太田林遺跡」発掘調査の成果を公開する速報展

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楽器つくって遊んで、能登応援へ 水の音に元気込め 釜石から送る「水カンリンバ」

水の大切さを伝える創作楽器「水カンリンバ」を作る参加者

水の大切さを伝える創作楽器「水カンリンバ」を作る参加者

 
 水を育む森や自然を大切にしたいとの思いが込もった創作楽器「水カンリンバ」を作って音と遊ぶ催しが16日、釜石市鵜住居町・根浜海岸のレストハウスであった。親子連れら約20人が参加。“旅する音楽家”丸山祐一郎さん(通称マリオ)とこやまはるこさん(通称はるちゃん)=長野県飯山市=に作り方を教わった。完成した楽器のいくつかは、旅する2人が能登半島地震の被災地へ届ける計画。東日本大震災の被災地から元気、笑顔、思いをつなげる取り組みになる。
 
 水カンリンバは、マリオさんが30年前に考案した。空き缶4本を縦につないで真ん中の2本に水を入れた楽器。傾けると「コポコポ…」と、水が流れる音がする。外側の缶に切り込みを入れ鍵盤のようにし、指ではじいて演奏する。ブラジルの弦打楽器ビリンバウ奏者としても活動中で、そうした世界中の民族楽器とギターを抱えて旅しながらヒントをもらい、「一つの音に耳を澄ます」ことで生まれたという。
 
「水カンリンバ」の演奏を聴かせるマリオさん

「水カンリンバ」の演奏を聴かせるマリオさん

 
 楽器づくりは、水の採取から始めた。施設そばの山際にある水辺は震災発災時にも途切れることなく流れ、地域住民の命をつないだ場所。参加者はそこで空き缶に3分の1程度、水をくみ入れた。その釜石の水に、マリオさんたちが世界各地で集めてきた水をプラス。地元のわき水と持ち運んできた水を合わせ“共有”すると、「地球が浄化される」というハワイの言い伝えを習ったスタイルを取り入れる。
 
根浜海岸の山際にある水辺で空き缶に水をくみ入れる

根浜海岸の山際にある水辺で空き缶に水をくみ入れる

 
「合わせ水」はハワイ、フランス、南極…ワールドワイド

「合わせ水」はハワイ、フランス、南極…ワールドワイド

 
 缶をつないで好きな色の和紙で装飾すると完成となるが、鍵盤づくりなど参加した子どもたちには難しい作業もあり、2時間のものづくりタイムでは飾り付けはできなかった。それでも、演奏には挑戦。マリオさんとはるちゃんが奏でるギターやウクレレのリズムに合わせ、参加者は水平に持った水カリンバを揺らす。その時、「ポン、ポン」と鍵盤をはじきながら左右に揺すると、中の水が流れ、音が「ポワーン」と変化。不思議な音の世界に引き込まれていた。
 
はるちゃん(右)の説明をじっくり聞く参加者

はるちゃん(右)の説明をじっくり聞く参加者

 
子どもたちのものづくりをそばで見守るマリオさん

子どもたちのものづくりをそばで見守るマリオさん

 
 子どもたちは「チャプチャプしてた」「山登りした時に聞こえてきた水の音みたい」との感想。ものづくりに夢中になったのは大人たちで、北上市の鈴木雄二さん(69)は「楽しかった」とにこやかだった。震災ボランティアが縁で釜石に通い続けているといい、「被災地のみんなが頑張っているのを見て、逆に元気をもらっていた。今日もみんなと触れ合って、気分がほっこりした」。水カリンバは「心地よい音がした」と自信作に。能登に届けられると聞き、この日の気持ちが伝わることを期待した。
 
どんな音が聞こえる?水カンリンバを振って演奏してみた

どんな音が聞こえる?水カンリンバを振って演奏してみた

 
「釜石の元気、能登に届けー!」。エールを送る参加者たち

「釜石の元気、能登に届けー!」。エールを送る参加者たち

 
 マリオさんらは今月下旬に能登地域に入り、現地で活動する支援団体のメンバーとして音楽で癒やしの時間を届ける。手製の水カンリンバは全国から80本程度集まっていて、能登の子どもらに贈る考え。「水は人が生きるために必要で、それは傷ついた大地にとっても同じ。震災の時に命をつないだ釜石の水を能登に届け、人も大地も元気になってという思いをつなぎたい」と気持ちを込める。

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「3・11」は感情、記憶めぐる日…そして未来つなぐ、決意の日 震災13年・釜石

午後2時46分。釜石祈りのパークで大切な人を思い、黙とうする市民ら

午後2時46分。釜石祈りのパークで大切な人を思い、黙とうする市民ら

 
 釜石市内で912人の命を奪い、152人の行方不明者を出した東日本大震災は11日、発生から13年を迎えた。歳月が流れても大切な人への思いは変わらない―。多くの人がさまざまな場所で祈りをささげた。震災を知らない世代が増えていく一方、元日の能登半島地震など自然災害は頻発。釜石の記憶や教訓を世代、地域を超えて伝える重要性を胸に刻む日にもなった。
 
 市内全域の犠牲者1064人のうち、1003人の芳名が掲げられる鵜住居町の追悼施設「釜石祈りのパーク」では朝から、祈りが続いた。両親を亡くした町内の柏﨑公雄さん(67)は妻幸子さん(66)と訪れ、「いつまでも忘れないよ」と手を合わせた。「未来」と名付けた愛娘は新たな命を生み育てていて、「素晴らしい未来をつなげてほしい」と願う。進学のため町を離れる山﨑成美さん(18)は、世話になった人たちに報告。「震災を風化させたくない。これから先の災害で犠牲になってほしくない。そのための対策を学んで地域の防災・減災に関わっていく」と決めた。
 
祈りのパークで、犠牲になった人たちに花を手向ける親子

祈りのパークで、犠牲になった人たちに花を手向ける親子

 
 市の追悼式は、今回初めて祈りのパークを会場に行われ、約150人が訪れた。午後2時46分の地震発生時刻に黙とう。式辞で、小野共市長は「この場に立ち、正面の津波高を示すモニュメントを目の当たりにすると断腸の思い」とした上で、「大きな犠牲による教訓を、決して風化させないという決意を新たにする日でもある。二度とあの悲劇を繰り返さないため事実と教訓を語り継ぎ、安心して暮らせるまちづくりに取り組む」と誓った。
 
釜石市の追悼式は祈りのパークで行われ、多くの人が犠牲者をしのんだ

釜石市の追悼式は祈りのパークで行われ、多くの人が犠牲者をしのんだ

 
 災害を語り継ぐ、伝承に震災の経験は関係なく、未来を願う思いが防災、減災につながる―。遺族代表で追悼の言葉を述べた佐々木智之さん(41)は、津波で亡くした母妙子さん(当時60歳)、今も見つかっていない姉仁美さん(当時33歳)を思いながら、未来へメッセージを送った。この13年の間に各地で災害が発生し、伝承の重要性を感じる中、長女智桜さん(10)が備えの大切さを伝える語り部活動を始めた。同じように震災の経験がない若い伝承者が徐々に増える今、SNSなどで批判されるのを懸念。だからこそ、当事者として訴える。「みんなの思いは災害で犠牲者を出さないことだ。大震災の教訓を生かし、悲しい思いを背負う人がなくなり、明るい未来があるよう、防災意識が高まるよう、語り継ぐ人たちの活躍を願う」
 
追悼の言葉を送った佐々木智之さんにとって、3月11日は「いろんな感情が巡る日」。この日は智桜さんが生まれた日でもあるから。大役を終え、父親の顔に戻って笑顔。「ケーキが家に届いていて、このあとは全力で祝います」

追悼の言葉を送った佐々木智之さんにとって、3月11日は「いろんな感情が巡る日」。この日は智桜さんが生まれた日でもあるから。大役を終え、父親の顔に戻って笑顔。「ケーキが家に届いていて、このあとは全力で祝います」

 
続く祈り。刻まれた名にじっと手をあて、思いを伝える姿もあった

続く祈り。刻まれた名にじっと手をあて、思いを伝える姿もあった

 
 式の後も遺族や縁故者らが次々に訪れ、献花して手を合わせた。両親、義姉を亡くした片岸町の小笠原亜弥子さん(44)は、下校中の長女明香里さん(11)、長男輝琉君(9)と立ち寄り、「健やかに育っているから安心して」と伝えた。「母さんが会いに来たよ…元気で、また来年な」。家族思いだった息子の名に触れ、高齢の母親はぎゅっと目をつぶった。
 

祈りの一日 各所でささげる犠牲者への思い 鎮魂、誓い… 心寄せる人々

 
日蓮宗の青年僧らが題目を唱えながら釜石市内を歩き、震災犠牲者を慰霊した=11日午前

日蓮宗の青年僧らが題目を唱えながら釜石市内を歩き、震災犠牲者を慰霊した=11日午前

 
 県内外の日蓮宗寺院の青年僧は釜石市内を行脚。うちわ太鼓を鳴らしながら、題目「南無妙法蓮華経」を唱えて歩き、震災犠牲者の魂を慰めた。同宗派が2015年から沿岸被災地で行っている慰霊法要の一環。関西や北東北の20~40代の僧侶18人が、魚河岸テラスから礼ヶ口町の日高寺まで約5キロを歩いた。岩手県日蓮宗青年会代表の三浦恵導さん(37)=龍王寺(山田町)住職=は「物質的な復興は進んだが、心のケアは十分ではない。私たち僧侶ができることは犠牲者の慰霊と被災地に暮らす方々の安心(あんじん)を達成すること。寄り添っていかねば」と意を強くした。
 
殉職した消防団員の名が刻まれた顕彰碑には白菊が手向けられた

殉職した消防団員の名が刻まれた顕彰碑には白菊が手向けられた

 
 鈴子広場(鈴子町)にある「殉職消防団員顕彰碑」には、震災で職務遂行中に命を落とした仲間8人の名前が刻まれている。献花式で、坂本晃団長(69)は「もう二度と誰の名も刻むことがないように。それが願いだ。団員の安全を確保した上で、住民の命や生活を守るため、日々の訓練を重ねていく」と力を込めた。
 
忘れない…竹灯籠でかたどった文字が浮かび上がる青葉通り

忘れない…竹灯籠でかたどった文字が浮かび上がる青葉通り

 
 大町の青葉通りの一角に浮かび上がる「忘れない」の文字。かたどった約1200個の竹灯籠に明かりがともり、追悼の光が揺らめいた。釜石仏教会(大萱生修明会長、17カ寺)による竹灯籠供養。市東部地区の住民らの思いをくみ、これまで行ってきた祈りのパークから会場を移した。同会の芝﨑恵応・仙寿院住職は「亡くなった人をしのび、教訓を伝えなければ、意味がないんです」と言葉を残した。
 
「天に届け―」思いを込めた風船を大空に放つ根浜地区の住民ら=11日午後2時46分

「天に届け―」思いを込めた風船を大空に放つ根浜地区の住民ら=11日午後2時46分

 
 13年前、震災の津波が低地の集落を襲い、住民15人が犠牲になった鵜住居町根浜地区。地震発生時刻の午後2時46分―。海抜20メートルの高さに宅地造成された復興団地の津波記念碑前では、集まった住民が海に向かって黙とう。故人や未来へのメッセージを記した風船を空に放った。
 
 「会いたい―」。津波で大槌町役場職員だった次女(当時32)を亡くした前川良子さん(71)。「日々、『生きていたら…』と思う時はある」と娘の笑顔を思い浮かべる。夫と営む民宿を2013年に自力再建。海の仕事もしながら、この地で生きることを選んだ。地区住民とは家族ぐるみの付き合い。「みんなの顔を見るとほっとする」と地域の支えに感謝する。能登半島地震の被災者にも心を寄せ、その痛み、悲しみを自分事として受け止める。「(希望の)明日はある。自分を見失わず生活していってほしい」と願った。
 
11日の根浜海岸は穏やかな風景が広がった。津波で亡くなった人たちを思い、多くの人が足を運び、祈りをささげた

11日の根浜海岸は穏やかな風景が広がった。津波で亡くなった人たちを思い、多くの人が足を運び、祈りをささげた

 
 今も多くの行方不明者が眠る三陸の海―。人々の祈りをたたえた海はこの日、穏やかな波が寄せては返していた。
 
 暗くなった根浜海岸の海上には、今年も「3・11」の舟形あんどんが浮かべられた。鎮魂と未来への希望を明かりに込める「とうほくのこよみのよぶね」。アーティストの日比野克彦さんが12年から出身地岐阜市の仲間と訪れ、釜石市民と製作している。午後7時には鎮魂の花火「白菊」が打ち上げられた。地元実行委が20年から継続。支援の減少で本年休止も検討されたが、能登半島地震発生を受け、クラウドファンディングでの打ち上げを目指した。趣旨に賛同し130人が支援を寄せた。
 
鎮魂の花火「白菊」と「とうほくのこよみのよぶね」(写真左)。白菊を手がける「嘉瀬煙火工業」の好意で他の花火も打ち上げられた(同右)

鎮魂の花火「白菊」と「とうほくのこよみのよぶね」(写真左)。白菊を手がける「嘉瀬煙火工業」の好意で他の花火も打ち上げられた(同右)

 
 ボランティア活動で6年前から同市を訪れている紫波町の女性(56)は震災時、テレビの生中継で津波の襲来を目にした。「何もできない無力感でいっぱいだった」。震災を機に命について考え続ける。大事な人を失った悲しみは計り知れないが、「生かされた命を大事に、少しでも楽しく生きられる人生であってほしい」と夜空を見上げた。

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3.11にささぐ― 釜石SW今季初勝利 九州に28-11 被災跡地ホームうのスタで3947人大声援

大観衆の中、行われた釜石SW(赤)対九州KV(青)の試合=10日、釜石鵜住居復興スタジアム

大観衆の中、行われた釜石SW(赤)対九州KV(青)の試合=10日、釜石鵜住居復興スタジアム

 
 NTTジャパンラグビーリーグワン2部の日本製鉄釜石シーウェイブス(SW)は10日、釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで九州電力キューデンヴォルテクスと対戦。28-11(前半13-8)で今季初の勝利をもぎとった。翌日は東日本大震災から13年となる日―。被災した小・中学校跡地に建てられたスタジアムで、チームは常に「自分たちがここで戦う意義」を意識し続けてきた。選手たちの思いが体現された特別な勝利に大勢の釜石ファンが沸いた。次の試合は17日。3日に雪の影響で中止された、第7節対NECグリーンロケッツ東葛戦が同スタジアムで行われる。
 
 日本製鉄がマッチスポンサーとなったこの日の試合は全席無料招待。同スタジアムでの釜石戦最多の3947人が来場し、両チームに声援を送った。前半は九州が先制。釜石は22分、SO落和史がPGを決め波に乗ると、ゲームキャプテンのナンバー8サム・ヘンウッドが26、32分と立て続けにトライ。素早いパス、クイックスローなどの的確な判断で、しっかりと得点に結びつけた。13-8、釜石5点リードで前半を折り返した。
 
3947人が来場。大漁旗や来場者にプレゼントされた赤いミニフラッグが揺れる。試合前には震災犠牲者に黙とうがささげられた(写真右下)

3947人が来場。大漁旗や来場者にプレゼントされた赤いミニフラッグが揺れる。試合前には震災犠牲者に黙とうがささげられた(写真右下)

 
前半26分、ナンバー8サム・ヘンウッドが右サイドを抜け初トライ。仲間の祝福を受ける

前半26分、ナンバー8サム・ヘンウッドが右サイドを抜け初トライ。仲間の祝福を受ける

 
前半32分、ヘンウッドがこの日2本目のトライ。客席に大歓声が響く。クイックスローでパスを出したWTBヘンリージェイミーも喜びの笑顔(写真下段右)

前半32分、ヘンウッドがこの日2本目のトライ。客席に大歓声が響く。クイックスローでパスを出したWTBヘンリージェイミーも喜びの笑顔(写真下段右)

 
 後半も相手にプレッシャーを与えながら果敢に攻め込む釜石は開始3分、ゴール前でショートサイドへのパスを受けたFB中村良真が体を翻してトライ。18-8とリードを広げた。38分には敵陣10メートルライン付近から抜け出した中村が大外のWTBヘンリージェイミーにつなぎ、そのまま独走トライ。後半は相手にトライを許さず、28-11で勝ち切った。釜石のホームでの勝利は、前々季2022年5月の2部残留を決めた日野レッドドルフィンズ戦以来。
 
FW陣は押し負けないスクラムで相手にプレッシャーを与えた

FW陣は押し負けないスクラムで相手にプレッシャーを与えた

 
うのスタ特有の風に悩まされながらも3本のゴールを決めたSO落和史(写真左)。体を張って前へ前へ進む釜石の選手ら(同右)

うのスタ特有の風に悩まされながらも3本のゴールを決めたSO落和史(写真左)。体を張って前へ前へ進む釜石の選手ら(同右)

 
後半38分、FB中村良真(写真左下枠内)のロングパスを受けたヘンリージェイミー(右)が試合を決めるトライに持ち込んだ

後半38分、FB中村良真(写真左下枠内)のロングパスを受けたヘンリージェイミー(右)が試合を決めるトライに持ち込んだ

 
 試合後、釜石の須田康夫ヘッドコーチ(HC)は「やってきたことをパーフェクトに近い内容で遂行できた。自分たちの強みを一番出せる形、得意な分野を自信を持ってやるという仕組みが機能した」と勝因を説明。トレーニングでこだわってきたのはブレイクダウンでの圧力。「強いプレーを常に選択し、前に出続けて勝負サイドを攻略する」。仕切り直しとなる次のGR東葛戦も「自分たちの力が試されるゲームになる」と気を引き締めた。
 
 ゲームキャプテンのサム・ヘンウッド選手は「今まで見た中で最高のパフォーマンスだった。チームをすごく誇りに思う」と胸を張った。釜石でプレーして4年目。毎年、同震災について学ぶ中で「聞けば聞くほど釜石という地域に親近感を持ち、(3月11日が)どれだけ大事な日かが分かる。受け取った思いがパフォーマンスにもつながっている」と話した。
 
今季初勝利に顔をほころばせる釜石の選手ら

今季初勝利に顔をほころばせる釜石の選手ら

 
勝利した選手をたたえるバックスタンド席の観客

勝利した選手をたたえるバックスタンド席の観客

 
試合後、客席に手を振り、応援への感謝の気持ちを表す選手ら

試合後、客席に手を振り、応援への感謝の気持ちを表す選手ら

 
 釜石SWは10日の試合を終え、1勝6敗勝ち点6で最下位。レギュラーシーズンは残り3試合。10日の震災復興祈念試合で見せた勝利への執念を次につなぎ、「最後まであきらめない釜石ラグビー」を見せてくれることを多くのファンが待ち望む。
 

10日のうのスタ 各種企画で大にぎわい 新日鉄釜石V7戦士らのトークイベントも

 
新日鉄釜石ラグビー部V7戦士トークイベント=10日

新日鉄釜石ラグビー部V7戦士トークイベント=10日

 
 釜石SW対九州KV戦の会場となった釜石鵜住居復興スタジアムは、九州を含め全国各地から集まったラグビーファンでごった返した。キッチンカーなどで出店した市内外の業者によるフードコーナー、大型エア遊具やボール遊びを楽しめるキッズ広場がグラウンド周辺に開設された。1月1日に発生した能登半島地震の被災地応援コーナーも。越中の特産品などを釜石SWの選手らが販売した。
 
能登半島地震の被災地復興を応援するための物販ブース。釜石市の友好都市・富山県朝日町の協力で行われた

能登半島地震の被災地復興を応援するための物販ブース。釜石市の友好都市・富山県朝日町の協力で行われた

 
 来場者が楽しみにしていたのは、約40年前に日本選手権で7連覇を果たした新日鉄釜石ラグビー部OBによるトークイベント。森重隆さん(72)=1974~82年・CTB、和田透さん(74)=68~82年・HO、石山次郎さん(66)=76~89年・PR、金野年明さん(66)=75~87年・CTB、千田美智仁さん(65)=77~92年・LO,FL,No8が招かれた(=在籍期間・ポジション)。
 
新日鉄釜石ラグビー部OBの(左から)森重隆さん、金野年明さん、千田美智仁さん、和田透さん、石山次郎さん 

新日鉄釜石ラグビー部OBの(左から)森重隆さん、金野年明さん、千田美智仁さん、和田透さん、石山次郎さん

 
 
 当時のスクラムの強さについて石山さんは洞口孝治さん(PR)、瀬川清さん(LO)らの名前も挙げ、「力関係や方向性がかみ合って形に表れた」と説明。和田さんはFW陣が強い当たりを身に付けるため、相撲部に練習に行っていたことを明かし、「スクラムで勝てないとラグビーは勝てないという精神でやっていた。練習はかなりハードだった」と振り返った。体幹の強さに定評があった千田さんはその要因を問われると、「家業の農業で足腰が鍛えられたのかも」と推測。部ではベンチプレスなどのトレーニング器具を自分たちで作っていたという。
 
和田さん(中央)ら当時のFW陣は釜石のスクラムの強さについて話した

和田さん(中央)ら当時のFW陣は釜石のスクラムの強さについて話した

 
 正確無比のプレースキッカーとして注目された金野さんは「私の場合は間合いだけ。余計なことは一切考えず、無心で蹴るのが一番」と自身の経験を語った。森さんは当時の釜石の強さの秘密を「日本一になろうという気持ちが常にあった。『去年よりも練習しないと勝てない』と努力する姿勢。コミュニケーションがすごくとれていたのも大きい」と分析した。
 
ユーモアを交え、試合のキック秘話を語る金野さん(左から2人目) 

ユーモアを交え、試合のキック秘話を語る金野さん(左から2人目) 

 
 2019年から日本ラグビー協会会長を務め、現在は名誉会長の森さんは「野球の大谷翔平選手のような、みんなが憧れる選手が出てくれるといい」と期待。19年のラグビーワールドカップ(W杯)釜石開催誘致に尽力した石山さんは「このスタジアムがもっとラグビーでにぎわってほしい。ラグビーを通じて人の輪(和)がつながっていけば」と思いを寄せた。
 
 宮古市の山根正敬さん(66)は5人の紹介パネルに掲載された選手時代の顔写真に「当時の活躍が思い浮かぶ。今日は練習風景の裏話も聞けた。皆さんのメッセージも良かった」と大感激。釜石SWにも「1部進出を果たしてほしい」とエールを込めた。
 
往年の名選手に熱い視線を向けるトークイベントの観客

往年の名選手に熱い視線を向けるトークイベントの観客