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釜石初のファッションショー、市民モデル 美を競演〜「コバリオン」指輪で発信、コステロさんW杯での再訪に意欲

釜石初のファッションショー、市民モデル 美を競演〜「コバリオン」指輪で発信、コステロさんW杯での再訪に意欲

コステロさんの華やかな新作衣装を着て舞台に立った高校生ら市民モデル

コステロさんの華やかな新作衣装を着て舞台に立った高校生ら市民モデル

 

 釜石市と県が共同開発し実用化された高付加価値コバルト合金「コバリオン」を用いて指輪を製作したアイルランドの世界的デザイナー、ポール・コステロさん(72)のファッションショーが26日、釜石市民ホールTETTOで開かれた。高校生ら市民7人を含む11人のモデルが華やかな衣装に身を包み、ランウエーを歩いた。市民ら約420人が客席を埋め、釜石ではこれまで味わうことができなかった「異次元の美しさ」に酔った。

 

 市内の企業や団体で組織する釜石プライド実行委員会(佐々木雄大委員長)が、コバリオンを広く発信しようと釜石初のファッションショーを企画。故ダイアナ元英国皇太子妃のデザイナーを務めたコステロさんの2019春夏新作など約30着が披露された。

 

 タレントのハリー杉山さんが司会を担当。ステージから客席に突き出た形のランウエーをモデルたちが進み、客席まで降りて新作コレクションを間近で見せた。

 

 市民モデルとして169㌢の長身に華やかな衣装をまとって歩を進めた遠藤櫻さん(釜石高1年)は「緊張しましたが、本番は自信を持ってできました。客席のみなさんの顔もしっかりと見え、気持ちよかった」と、さわやかな笑顔で話した。

 

 市民ホールの近くで美容院を営む片桐浩一さん(48)は、この日は早く店を閉め、2人の従業員と共にショーに足を運んだ。「女性のシルエットをきれいに見せるデザイナーさんだと感じた。いい刺激になった」と収穫を喜んだ。

 

 市内で指輪の製作を手掛ける山﨑弾さん(39)は「コバリオンは釜石の新しい宝物になる。銀の3分の1ぐらいの値段で、加工もしやすい。ぜひ使ってみたい」と興味を示した。

 

 客席の好反応にコステロさんも上機嫌。「とても温かな空気で迎えてもらった。秋冬のコレクションもやりたい。来年のラグビーワールドカップ(W杯)にも訪れたい」と釜石に寄せる思いを語った。

 

「来年のW杯でまた釜石に来たい」とコステロさん

「来年のW杯でまた釜石に来たい」とコステロさん

 

 コバリオン製の指輪は金属アレルギーを起こしにくく、さびないなどの利点がある。今回発表された新作は女性用指輪2万2千円、ペンダント2万4200円、ピアス1万3200円(いずれも税込み)の3点。来年1月から京セラジュエリー通販ショップで販売する。

 

(復興釜石新聞 2018年10月31日発行 第736号より)

復興釜石新聞

復興釜石新聞(合同会社 釜石新聞社)

復興釜石新聞と連携し、各号紙面より数日の期間を設け記者のピックアップ記事を2〜3点掲載しています。

問い合わせ:0193-55-4713 〒026-0044 岩手県釜石市住吉町3-3

好きな本を紹介する発表参加者

本好き5人 おすすめの一冊紹介、楽しく書評合戦〜桑畑書店、初のビブリオバトル

好きな本を紹介する発表参加者

好きな本を紹介する発表参加者

 

 東日本大震災の津波で被災し、昨夏、本設店舗での営業を始めた釜石市の桑畑書店(桑畑眞一社長)は13日、店内イベントとしては初となる「ビブリオバトル(知的書評合戦)」を大町復興住宅4号棟1階の同店で開いた。市内外の本好き5人が、おすすめの一冊を紹介。プレゼンテーションの後、参加者全員が読みたくなった本に一票を投じた。本を知り、人を知る読書の新たな楽しみに参加者は心躍らせ、継続開催を望んだ。

 

 ビブリオバトルは2007年、京都大の大学院生が考案。ゲーム感覚で誰でも楽しめる書評スタイルが受け全国に広まり、大学や書店、サークルなどさまざまな場でコミュニケーションツールとして活用されている。“ビブリオ”はラテン語で書物(本)を指す言葉。

 

 同店にはこの日、20人余りが集まり、桑畑社長が声掛けした発表者が、お気に入りの本を紹介。岩手大経済学部の杭田俊之准教授は「魚と日本人」(濱田武士)、釜石市郷土資料館の村上修館長は「点と線」(松本清張)、釜石地方森林組合で活動する釜援隊の手塚さや香さんは「ワーカーズ・ダイジェスト」(津村記久子)、市内で読み聞かせボランティアをする佐藤裕子さんは「最初の質問」(詩・長田弘、絵・いせひでこ)、釜石支援センター「望」の海老原祐治代表は「天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった」(乃至政彦、高橋陽介)を持ち寄った。

 

 5人は1人5分の持ち時間で、その本に出会ったきっかけ、引かれるポイント、好きな描写、紹介理由などを熱く語り、興味をそそられた観客が盛んに質問を投げかけた。

 

 佐藤さん(65)は卒業間近の小学6年生に読んであげたという、29の問い掛けだけで構成された絵本を紹介した。日常生活や人生、世界について考えさせられる問いに「大人向けに発信してもいい本。自分自身に問い掛けながら読んでほしい。すぐに答えられなくても、これから答えが見つかるものもきっとあるはず」と勧めた。

 

 最後は、プレゼンを聞いて読みたくなった本に全参加者が投票。最も多くの票を集めた「天下分け目の―」には、“チャンプ本”の称号が与えられた。紹介した海老原さん(38)は「歴史小説の有名シーンには後に創作されたものも。われわれが信じている歴史は意外に怪しいということを見事に証明している本」とインパクトを示した。今イベントについては「共通の趣味で人が集まるのはコミュニティーの一つの策になる。本屋は知の発信地。活字離れが続く中、紙媒体の良さも含め共有する場になっていけば」と話した。

 

 観客として参加した女性(31)は「普段、自分が読まないジャンルの本に興味が湧いた。面白そうな本がいっぱい。こういうイベントをどんどんやってほしい」と期待を込めた。

 

 企画を温め、4年越しの夢をかなえた桑畑社長は「発表者には、いい本を紹介してもらい、観客も熱心に聞いてくれた。感謝、感謝です。いろいろなジャンルの人を集め、お客さんをつなぐ機会にもしていければ」と今後に意欲を示した。チャンプ本は、店内でも紹介する予定。

 

(復興釜石新聞 2018年10月20日発行 第733号より)

 

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スタジアムを懸命に走る鵜住居小の児童たち

「てんでんこ」忘れない、復興スタジアムを駆け抜ける〜鵜住居小でマラソン大会、児童らの走る姿が地域の力に

スタジアムを懸命に走る鵜住居小の児童たち

スタジアムを懸命に走る鵜住居小の児童たち

 

 鵜住居小(中軽米利夫校長、児童139人)で長年続けられてきた校内マラソン大会が名称を「復興きねん てんでんこマラソン大会」に変え、9月28日に開かれた。コースも新たにし、会場となったのは震災前に同校があった場所に整備された釜石鵜住居復興スタジアム。全校児童は、自然と調和した開放感がいっぱいのスタジアム敷地内を周回し、青々とした芝が広がるメイングラウンドにゴールするコースを懸命に駆け抜けた。

 

 新校舎での生活をスタートさせた昨年の大会は、学校敷地内のコースで行った。今年、震災復興への希望が満ちあふれる同スタジアムがオープンしたことで進むまちの再生を実感、さらなる地域の発展を願って、大会を新装。新たな名称には、震災時、先輩たちがこの場で実践した「逃げる」という行動を「忘れない」との思いが込められている。

 

 開会式は同校体育館で行い、中軽米校長が「練習の成果を披露する日。走り終わった後、『精いっぱいやり切った』と思えるよう頑張ってほしい」と激励。スタジアムに会場を移し、低学年、中学年、高学年に分かれ、それぞれ約1キロ、約1・5キロ、約2キロのコースに挑戦した。

 

 雲は多いが、時折暖かい日差しが感じられる空模様の下、まず中学年が先頭を切ってスタート。他の学年の児童や応援に駆け付けた保護者らの「頑張れ」「前へ」「もう少しだよ」などの声援を受けながらゴールを目指した。

 

 この後、約30分おきに低学年、高学年の順でスタート。全員が完走し、各学年の男女3位までを表彰した。今回初めて木製のメダルを用意。昨年5月に発生した尾崎半島の林野火災で焼けた木が使われた。

 

 3年生の1、2位を競ったのは双子の小澤奏志君、煌志君兄弟。一周200メートルの校庭を1万周走る練習を全校で取り組み、「力がついて本番で生かせた。スタジアムは広くてすごい。芝生に入ってから、すごく気持ちよく走れた」と声をそろえた。

 

 6年生女子の1位は山陰瑠理さん。「鵜小があった場所、『てんでんこ』を忘れないようにと思いながら走った」と振り返った。

 

 「子どもたちが懸命に走る姿は地域の力になる」と見守る中軽米校長。新たなスタートを切った大会が「中学生、保護者、地域住民が参加するような行事になれば」と期待する。

 

(復興釜石新聞 2018年10月3日発行 第728号より)

 

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幅広い年代が心をひとつに演奏。地元のブラス仲間が文化の拠点施設誕生を祝った

新ホールに響くブラスサウンド、吹奏楽祭 待望のTETTOで〜県吹奏楽連盟釜石気仙支部

幅広い年代が心をひとつに演奏。地元のブラス仲間が文化の拠点施設誕生を祝った

幅広い年代が心をひとつに演奏。地元のブラス仲間が文化の拠点施設誕生を祝った

 

 県吹奏楽連盟釜石気仙支部(支部長=瀬戸和彦大槌高校長)主催の釜石地区吹奏楽祭が23日、釜石市大町の市民ホールTETTOで開かれた。管内の中学校、高校、一般の吹奏楽部員・団員総勢138人が集い、初の新ホール公演を観客とともに楽しんだ。

 

 中学校は釜石、大平、釜石東の3校と大槌、吉里吉里の両学園(小・中一貫校)、高校は釜石、釜石商工、大槌の3校、一般は釜石市民吹奏楽団、ぷなと音楽団(大船渡市)が出演。中学・高校・一般の各部ごとに2、3曲の合同演奏を繰り広げた。少子化などで各校とも部員数が減る中で、大編成での演奏は貴重な経験。演奏の喜びを分かち合いながら、迫力のサウンドを会場に響かせた。

 

 4部の出演者全員の演奏は、ホールAのステージ上を10~60代の演奏者が埋め尽くした。数々の吹奏楽曲で知られるアルフレッド・リードの「エル・カミーノ・レアル」など2曲を披露。アンコールにも応え、華やかに記念のホール公演を締めくくった。

 

 同祭初参加の釜石中1年八重樫愛衣さんは「初めて話す人もいて知り合いになれた」と吹奏楽仲間の交流の場を喜び、「高校生や大人の演奏は、自分たちとは比べ物にならないくらい、かっこ良かった。息の使い方で音量があんなにも違うんだと驚いた」と先輩たちに刺激を受けた様子。

 

 大平町の阿部克巳さん(42)は「中学生の娘が出ている。いろいろな年代の人と演奏し、多彩な楽器に触れられる機会は良い経験になっているのでは。新しいホールで聞く吹奏楽は音の響きが良くて最高」と笑顔を見せた。

 

 同支部は釜石、大船渡、陸前高田をエリアとする。元々は釜石、気仙の各単独支部で活動していたが、生徒数の減少などを受け2年前に合併。釜石支部が続けてきた釜石・大槌地区吹奏楽祭を引き継ぐ形で、同祭を継続する。震災後は釜石高体育館、城山公園体育館で開催してきたが、本年度の市民ホールオープンで、待ち望んだホール公演が実現した。

 

(復興釜石新聞 2018年9月26日発行 第726号より)

 

復興釜石新聞

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第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

【インタビュー】第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

釜石市民劇場は、1986年(昭和61年)2月の旗揚げから、平成23年2月20日の第26回公演まで毎年開催され、娯楽の少ない厳冬期の風物詩として市民に愛されてきました。
しかし、第26回の開催後の3月11日、東日本大震災津波により、活動拠点の釜石市民会館が使用不能になり、保管していた衣装や道具も全て流出しました。

 

その釜石市民劇場が、今春オープンした釜石市民ホールTETTOにて、11月に初公演を開催します。
新たな船出に向けて動き出した実行委員会から、脚本から演出までを手掛ける、会長の久保 秀俊さんにお話を伺ってきました。

 

震災後は何も無い所からスタートする事がとてもプレッシャーでした

 

ーーまずは、久保さんと“市民劇場との関わりから”お聞きしたいと思います。

 

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

久保さん:

私は携わって20年程になります。1994年の第9回に小学生の息子が出演し、付き添いで通っていたのがきっかけでした。そして、翌年の第10回記念公演で主役の大島高任役を演じました。
舞台は4時間の超大作、セリフも膨大で・・・。何とか務めあげましたが、その後「演者は二度とやらない、これっきりにしたい」と思い、演じる側はそれを最後に、翌年から演出側にまわりました

 

ーー2013年からは、被災した市民文化会館に替わる会場として、シープラザ遊で5年間開催。当時を振り返って…。

 

久保さん:

震災後、集まった実行委員会のメンバーから出たのは、「とにかく継続しよう」という言葉でした。
その気持ちは皆同じでしたが、具体的にどうしたらいいのか?という点では、“手のつけようがない”というのが正直なところでした。
そんな中、会場の候補として挙がったのが、鈴子にあったシープラザ遊でした。大勢の人に集まってもらえる場所として、当時の釜石で使える場所はそこしか考えられなかったのです。

 

でも、実際にシープラザ遊に足を踏み入れた時に、「一体ここで、どういう風にしてやったらいいんだ・・・」「舞台は?照明は?音響は?どうすれば公演が出来るんだろう…」といった事ばかりが頭をよぎり、何も考えられませんでした。これまでは設備が全て揃った環境でやったことしかなかった訳ですから、何もない所からスタートする事がとてもプレッシャーでしたね。

 

それで、舞台製作に詳しい知り合いに相談をして、一度シープラザ遊を見てもらったところ、「何とかなりますよ、出来ますよ」と言って頂き、そこからは一歩ずつ進む事を考えられるようになりました。

 

ーー演劇用に作られた建物ではないので、色々と苦労されたようですね。

 

久保さん:

備え付けの舞台はそのままでは狭かったのですが、スタッフに大工がいまして、その人が既存の舞台に付け足して作ってくれて、何とか広さを確保出来ました。

 

それから、舞台の奥に吊るすカーテンですね。どうしようかと悩んでいたら、市内の廃校になった小学校から赤い緞帳を譲りうける事が出来ました。やはり、カーテンがあると無いのとでは舞台の雰囲気がまるで違いますから、大変助かりました。ワイヤーを張って取り付けて、一気に舞台らしくなりました。

 

そうやって工夫を重ねながら、2013年10月に復活公演に何とかこぎつけました。

 

ーー実際に公演してみてどうだったのでしょうか?

 

久保さん:

まず、舞台転換は出来ないですし、昼公演でテントの中は明るいので暗転も出来ない。そして、本来の照明の効果なども得る事はできませんでした。
それでも、照明はいつもの夜公演の舞台と同様に作りあげました。なぜなら、技術的部分も継続し繋いでいく必要がありましたから。

 

音響に関しては、あそこは反響が結構いいんです。ただ、時々JRの列車が通るのが…(笑)。
開演前に、「何時何分ごろにテント横を列車が通ります。ご了承ください。」とアナウンスをしましたね。
キャストも普段の舞台と勝手が違う事がたくさんありましたが、大きな舞台と変わりない演技で奮闘してくれました。

 

市民劇場は多くの事を学べる場所です

 

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

ーーこれまでを振り返った時に、思い出深い公演は?

 

久保さん:

釜石市民劇場は「先人に学ぶ」というテーマを掲げ、不死鳥のごとく立ち上がって来た、釜石の人たちの気骨を伝えるモノを題材にしてやってきたという経緯があります。

 

戦争を題材にしたもの、それから、旗揚げ公演は津波を題材にしたものでした。津波に関したものはその後も3回程取り上げています。
やはり、戦争と津波、この2つの悲惨な出来事は釜石の歴史と切っても切り離せないものですから。

 

ーー釜石市民劇場の魅力は?

 

久保さん:

私は演出家ですから、やはり、キャストの成長を感じながら出来る事が本当にうれしいですね。
本読みから始まって、公演が近づく頃には人が変わったような成長を見せる人もいます。

 

特に、子どもの成長は目を見張るものがあります。最初は小さな声しか出ないような子が、堂々と大きな声で演じるようになる。さらには、舞台を経験後に弁論大会に出たり、不登校の子が学校に通えるようになって、運動部に所属して全国大会に出場した、という報告をもらったりした事もありました。演出家冥利に尽きます。
人付き合いの面でも、学校とは違って色々な世代とのコミュニケーションが必要なので、知らない人との付き合い方や、関係性の取り方など学ぶ事は多く、皆そこから何かを得て行くんですね。

 

あとは、“手作り”でやるという点でしょうか。小道具にもこだわりがあって、例えば、湯飲み茶わん一つでも一から作っています!

 

釜石市民なら誰でも参加できますし、仕事帰りにちょっと立ち寄って手伝ってもらうだけでもありがたいです。参加の形は役者だけではないですからね。モノづくりは楽しいですよ!

 

海をテーマにした公演を~復興へ向けた足掛かりの一つになれば

 

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

ーー今年の題材、「伝説 浜の孝子 両石村庄助と鐘」について。

 

久保さん:

この演目は第12回に公演したもので、今回は私が脚本に手を加えたリニューアル公演になります。
実は、新しい市民ホールが出来たら「海をテーマ」にした公演をやりたいと思っていたんです。

 

私の知人で震災前は唐丹に住んでいた方がいて、家は流失したものの命は助かり、震災後は大畑に移り住みました。
その方から、一緒に暮らしている母親が「海は怖い。もう2度と海の見える所には住みたくない」と話されていると聞いたんです。

 

この話の舞台の両石も東日本大震災津波で壊滅的な被害を受けた地域ですが、これから地域で再び立ち上がって暮らしていく人たちがいるわけですよね。何か少しでも、復興へ向けての足掛かりと言いますか、役に立つ事が出来たら・・・という想いもありました。

 

海に対する恐怖心がまだ消えない方がいらっしゃる一方で、やはり昔から海は豊な恵みを与えてくれる生活の場所であったわけで、それはこれからも続いていく切り離せないものだと思うのです。
海の仕事に励み、懸命に生きる若者の姿、それを観て何かを感じて頂けたらと思います。

 

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

ーーいよいよ釜石市民ホールTETTOでの初公演を迎えますね。

 

久保さん:

今年は本当の意味での復活公演のような意味合いもあるので、しっかりやって行かなければという想いがあります。

 

それからせっかくの設備なので、照明にこだわった演出や大がかりなセットの構想を、新しい舞台では実現したいと思っています。照明担当には、今まで培ってきた技術を存分に発揮して欲しいです!
短い準備期間で、私の頭の中に今あるモノをどれだけ実現できるかが勝負ですね。

 

設備・環境整った場所での公演ではありますが、あまり期待値を上げ過ぎずに観に来ていただきたいです(笑)。
何はともあれ、無事に終わるように努めて行きたい、今はそんな想いでいます。

 

第32回 釜石市民劇場 『伝説 浜の孝子 両石村庄助と鐘』

公演日時 (2日間公演)

11月10日(土) 18時開演
11月11日(日) 13時開演

 

詳細情報については、こちらからご確認ください。
釜石市民劇場Facebookページ
https://www.facebook.com/釜石市民劇場-1476648322612249/

 

縁とらんす

かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

縁とらんす編集部による記事です。

問い合わせ:0193-22-3607 〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内

先輩たちの助言を受け、防災学習への意識を高める釜石東中生

防災意識 先輩から学ぶ、釜石東中で講座〜欠かせない訓練の積み重ね、元同校教諭 森本准教授(岩手大大学院)アドバイス

先輩たちの助言を受け、防災学習への意識を高める釜石東中生

先輩たちの助言を受け、防災学習への意識を高める釜石東中生

 

 主体的、実践的な防災学習に力を入れる釜石東中(佐々木賢治校長、生徒117人)で12日、全校生徒を対象にした防災講話があった。東日本大震災の前年まで同校の教諭だった岩手大大学院の森本晋也准教授(防災教育)と、同校卒業生で震災時に津波から避難した経験を持つ大学生2人が、防災に関する学びや活動を深めるために必要な視点を助言した。

 

 講話のテーマは「当時の中学生に話を聞き、自分たちの防災の学習や活動に生かそう」。2006年4月から10年3月まで同校に勤務した森本准教授は、実際にグラウンドを走って海岸部到達時の津波の速さ(時速36キロ)を感じたり、過去の津波高を校舎に示したりした実践例を紹介しながら当時の防災学習の内容を説明した。

 

 当時を知る卒業生として、現在母校で教育実習をしている古舘のどかさん(岩手県立大総合政策学部4年)、渡辺薫子さん(早稲田大文学部4年)が参加した。古舘さんは「防災学習と関わりがないように感じられる普段の授業にも、実はいざという時に生かせる学びがある」とし、日々の学習の大切さを強調。災害発生時に避難したことを知らせるカード「安否札」の考案・配布、地域の危険箇所の調査など、地域を巻き込んで行った防災活動の重要性も指摘した。

 

後輩に助言する(右から)渡辺さんと古舘さん、森本准教授

後輩に助言する(右から)渡辺さんと古舘さん、森本准教授

 

 震災について、古舘さんは「切羽詰まった状態でどう生き残ればいいのか。自分一人が助かるだけでも大変だった」と振り返り、「どんな災害が起きても命を守れるよう真剣に考え、取り組んでほしい。地域の人たちに自信を持って伝えられるよう、学び続けてほしい」と呼び掛けた。

 

 「あの時、どうして走りだせたのか」。渡辺さんが防災学習を進める上で大事にしていたのは、「災害は自分たちのまちに来る」との意識だという。森本准教授の指導のもと、防災学習に取り組んでいて、「実際の時に動けるかは訓練の積み重ねが欠かせない。『助けられる人から助ける人へ』との精神が擦り込まれていた。どこにいても災害はある。自分のまちのことと思って学びを進めてほしい」と語り掛けた。

 

 後輩たちは、中学生でもできる支援活動などについて質問。先輩の2人は「中学生だから伝わりやすいこともある。地域に出て、今必要なことを聞きながら活動に生かせばいい。地域との関わりを深めてほしい」とアドバイスした。

 

 同校生徒会役員で防災担当の佐々木李(もも)さん(3年)は「普段の授業、生活、訓練がいざという時に役立ったのは、防災意識が習慣づいていたからだと思った。先輩たちのように自分たちが地域につなげられるような取り組みをみんなで考えていきたい」と意識を高めた。

 

 森本准教授は「みんなで命を守るためにできることはたくさんある。当時の中学生の思いに触れ、今できることを考えるきっかけになれば」と期待した。

 

(復興釜石新聞 2018年9月19日発行 第724号より)

 

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ラグビーを通じて友情を育んだホストタウン事業の参加者

釜石小6年生、オーストラリアの小学生と交流〜「ありがとう」ホストタウン、ラグビーで触れ合う

釜石SW選手との触れ合いを楽しむオーストラリアの小学生

釜石SW選手との触れ合いを楽しむオーストラリアの小学生

 

 釜石小(高橋勝校長、児童130人)に14日、オーストラリアの小学生5人が訪れ、同校の6年生20人と交流した。釜石市は2020年東京五輪・パラリンピックでオーストラリアのホストタウンで、「復興『ありがとう』ホストタウン」関連事業の一環。互いの文化を紹介し、ラグビーで触れ合いを楽しんだ。

 

 訪問したのは、オーストラリア東部のニューサウスウェールズ州にあるタムワース市の小学校の6年生。釜石小の児童は英語を交えて地域の歴史、特産品などを紹介した。郷土芸能の虎舞を披露すると、オーストラリアの児童は興味津々。おはやしの太鼓のたたき方や虎舞の踊り方を教わり、日本の文化に触れた。

 

虎舞のおはやしでリズムを合わせる子どもたち

虎舞のおはやしでリズムを合わせる子どもたち

 

 ラグビー交流には釜石シーウェイブス(SW)RFCの選手が合流。パス練習の後、SW選手をかわしてトライを決める遊びを共に楽しんだ。最後に「ガンバロウカマイシ」「頑張ろうオーストラリア」とエール交換。友情を育んだ。

 

 ファーガス・ハリソン・フレーダー君は「素晴らしい経験をありがとう。思い出を大事にし、地元に戻って友達にたくさん伝えたい」と笑った。

 

 白野陽士(はると)君は「オーストラリアの子と一緒にラグビーをしたら楽しくて関心を持てた。釜石の良いところをいっぱい伝えられた」と満足げ。藤原和海(なごみ)さんは「国や言葉が違っても仲良くできると思った。世界の人ともっとたくさん交流したい」と刺激を受けていた。

 

ラグビーを通じて友情を育んだホストタウン事業の参加者

ラグビーを通じて友情を育んだホストタウン事業の参加者

 

 5人はこの日、鵜住居小も訪問。15、16日は釜石鵜住居スタジアムを会場にしたラグビーイベントなどに参加し、17日に帰国した。

 

 「復興『ありがとう』ホストタウン」事業は、震災で被災した3県の自治体が、支援してもらった国・地域の住民らと、東京五輪・パラリンピックに向けて交流する取り組み。市では、震災当時にSWに所属していたオーストラリア出身のスコット・ファーディー選手が救援活動に協力したり、震災後の海外派遣事業で中学生を受け入れるなど心を寄せていることに感謝し、相手国に選んだ。関連事業は、今年3月にファーディー選手を迎えて行われたイベントに続いて2回目の実施となった。

 

(復興釜石新聞 2018年9月19日発行 第724号より)

 

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釜石から始まるコンサートに意欲を見せる由紀さん(右から2人目)、中川さん(右)ら

「こころの歌人たち」釜石からスタート、9月30日 NHK BSで放送予定〜日本の音楽史に焦点、初回は作曲家の都倉さんに

「こころの歌人たち」で歌声を響かせた出演者ら=JASRAC提供

「こころの歌人たち」で歌声を響かせた出演者ら=JASRAC提供

 

 一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)は3日、釜石市大町の釜石市民ホールTETTOで、コンサートシリーズ「こころの歌人たち」をスタートさせた。JASRACが東日本大震災支援を目的に展開する「こころ音(ね)プロジェクト」から同ホール建設費として寄付金が贈られたのが縁となり、1回目の開催地に選ばれた。記念すべき初演となった今回、歌人として取り上げられたのは、同プロジェクトの発案者でもある作曲家の都倉俊一さん。ゆかりのある歌手たちが演奏とトークを繰り広げながら、曲作りの面白さや音楽の魅力を伝えた。

 

 こころの歌人たちは、日本の音楽史を支えてきた作詞家、作曲家らに焦点を当て、その作品の魅力と、彼らに影響を与えた作家たちの作品をトークとコンサートで紹介するシリーズ。年2回程度の開催を予定する。

 

 都倉さんは、1948年、東京都生まれ。4歳でバイオリンを始め、小学校、高校時代を過ごしたドイツで基本的な音楽教育を受ける。学習院大学在学中に作曲家としてデビュー。70年代には、「どうにもとまらない」「あずさ2号」「UFO」など数々のヒット曲を生み出した。2010年からJASRAC会長を3期務め、現在は特別顧問に就任。映画や舞台音楽も手掛け、現在もアイドルグループなどに楽曲を提供するなど幅広いジャンルで活躍している。

 

 この日のコンサートには、兄弟デュオの狩人、歌手の山本リンダさん、太川陽介さん、つるの剛士さん、ダンス・ボーカルグループのMAXらが出演し、都倉さんの代表曲の数々を歌い上げた。合間には都倉さんと出演者らが、それぞれの曲にまつわるエピソードを紹介。抽選によって選ばれた約700人の無料招待客で満席となった会場は大いに盛り上がりを見せた。

 

 特別演奏として釜石高吹奏楽部が登場。山本さんの「狙いうち」で爽やかな演奏を披露した。

 

 中妻町の菊池とし子さん(66)、町子さん姉妹は「青春時代を思い出す懐かしい曲ばかり。何回聴いても飽きない。やっぱり生で聴くのが最高。できれば踊りたかった。新しいホールができて、こうした催しを楽しめるようになって良かった」と笑顔を重ねた。

 

 コンサートの模様は30日午後7時半からNHKBSプレミアムで放送予定。

 

由紀さおりさん「息の長いコンサートに」 釜石初演の縁を無駄にせず

 

釜石から始まるコンサートに意欲を見せる由紀さん(右から2人目)、中川さん(右)ら

釜石から始まるコンサートに意欲を見せる由紀さん(右から2人目)、中川さん(右)ら

 

 コンサートの開始を前に、主催するJASRACが同ホールで記者会見を行い、こころ音プロジェクトや公演概要を発表した。司会を務める歌手の由紀さおりさん、中川晃教さんも出席し、意気込みを表明。スタート地となった釜石市の野田武則市長は「歌の素晴らしさ、楽しさを伝える手伝いができれば」と歓迎した。

 

 同プロジェクトは、JASRAC会員や作詞者、作曲者、音楽出版社など信託者からの申し出を受け、JASRACが分配する著作物使用料を「こころ音基金」として、復興と被災地の音楽文化の振興に役立てる取り組み。2015年に同ホールの建設費の一部として1千万円が釜石市に贈られた。

 

 JASRACの浅石道夫理事長が釜石開催の経緯を説明し、「この巡り合わせが今回の開催につながった。震災以降、日本各地で深刻な自然災害が発生している。音楽を通じた取り組みをここから続けていきたい。被災した人を癒やす一助になれば」と意義を強調。いではく会長は「コンサートで歌われる曲は、きっと皆さんの心の中にある思い出とリンクすると思う。楽しみながら鑑賞してほしい」と願った。

 

 由紀さんは、13年に開いた童謡コンサート以来の来釜。多様な文化に触れることができる新ホールの完成を喜び、「釜石で初演される縁を無駄にせず、息の長いコンサートに成長させたい。若い世代とコラボするのも楽しみ。次の世代に音楽をつなげられるような司会をしたい」と力を込めた。

 

 今回、司会に初挑戦する中川さんは「歌を通して感動、元気、音楽の魅力を届けたい」と気合十分。宮城県出身だが、釜石は初めての訪問で、「この地で始まる縁が全国につながっていくことを楽しみにしている」と期待を寄せた。

 

(復興釜石新聞 2018年9月8日発行 第721号より)

 

復興釜石新聞

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「何かいたよ」。海には生き物がいっぱい

マリンスポーツに輝く笑顔、海の素晴らしさ満喫〜5年目のワンデイキャンプ、箱崎町白浜

ボードやシーカヤックで海の上を進む爽快感は格別

ボードやシーカヤックで海の上を進む爽快感は格別

 

 震災の影響で海に親しむ機会が減った子どもたちに、自然の脅威だけではない海の素晴らしさを感じてほしい──。5年目を迎えた「海あそびワンデイキャンプ」が8月26日、釜石市箱崎町白浜地区で開かれ、市内外の親子らがシュノーケリングやシーカヤック、ボード体験などに笑顔を輝かせた。

 

 海で活動する団体や漁師らが2013年に立ち上げた、海と子どもの未来プロジェクト実行委員会「さんりくBLUE ADVENTURE(ブルー・アドベンチャー)」が主催。地元釜石を中心に中学生以下の子どもと保護者42人が参加した。

 

 会場は、白浜漁港から船で約3分の隠れ家的ビーチ。地元で“小白浜”と呼ばれる場所で、岩場と砂浜、背後の森林が融合した美しい光景が目を引く。

 

 漁港でウエットスーツに着替え、ライフジャケットを身に着けた参加者は、地元漁師の船で浜に上陸。ライフセーバーやマリンスポーツの指導者らが見守る中、海の魅力を体感できる各種遊びに興じた。シュノーケリングで海中観察をする子、シーカヤックやスタンドアップパドルボード(SUP)で海上散歩を楽しむ子、波の動きに身をゆだね海に浮く心地良さを味わう子―。それぞれの楽しみ方で遊びに夢中になった。救助用水上バイクの試乗体験や、いざという時に救助を待つ場合の浮き身姿勢を学ぶ講習も。

 

「何かいたよ」。海には生き物がいっぱい

「何かいたよ」。海には生き物がいっぱい

 

 3回目の参加という平田小4年の堀切結太君(9)、今野礼翔君(10)は生き物探しで、「細長い魚や白いカニ、ヤドカリもいた」と大はしゃぎ。震災後、海で遊ぶ機会はあまりなかったといい、「この場所は山もあって景色も最高。いろいろな大人の人とも仲良くなれて楽しい」と声を弾ませた。

 

 盛岡市の杜陵小1年菅井絢音さん(7)は「海で追いかけっこをして面白かった。お友達もできた」とにっこり。母・文さん(42)は「学校が始まった疲れも吹き飛び、充電されているよう」と一安心。初めて訪れるビーチに「海がこんなにきれいだとは。裸足でもけがなく遊べる砂浜もいい。娘には五感を使って海の良さを感じてほしい」と願った。

 

 実行委によると、同キャンプ参加者数は年々増加。スタッフ希望者も増えていて、今回は大学生ボランティアを含め44人が運営面で力を発揮した。充実のサポート、安全体制は保護者の安心にもつながり、リピーターも多数。キャンプで培った海の専門家の連携は、復活が待たれる根浜海岸の海開きに向け、観光客の多様なニーズへの対応を可能にするものと期待される。

 

 同実行委共同代表の柏㟢未来さん(33)は「海で遊んだことがないという子はまだまだ多い。こういう催しが足を運ぶきっかけになれば。釜石の海が地元の誇りとして心に刻まれ、古里への愛着につながっていけばうれしい」と語った。

 

(復興釜石新聞 2018年9月1日発行 第719号より)

 

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本格的な劇場公演の復活に意気込むスタッフら

第32回釜石市民劇場、新市民ホールで初公演へ〜伝説「浜の孝子〜両石村庄助と鐘」海に生きる人々の姿を描く

本格的な劇場公演の復活に意気込むスタッフら

本格的な劇場公演の復活に意気込むスタッフら

 

 11月10日と11日の2回、釜石市民ホールTETTOで上演される第32回釜石市民劇場「伝説 浜の孝子(こうし)~両石村庄助と鐘」(同実行委員会主催、市、市教委、市芸術文化協会後援)に向けたスタッフやキャストの初顔合わせが24日、大町の青葉ビルで開かれた。市民劇場は東日本大震災後、鈴子町の大型テント・シープラザ遊を会場に5回を重ねてきたが、市民ホールの完成を受けて「劇場公演」が復活する。初顔合わせでは実行委のメンバーら約30人が役割を確認し、本格的な舞台設備を駆使した上演へ期待を高めた。

 

 「浜の孝子―」は2幕9場で、上演は約2時間。第12回公演の「漁(すなどり)の孝子」を実行委の久保秀俊会長(70)が書き直したリメーク作品だ。原作は、岩手県小学校国語教育研究会編に収録されたうちの1作で、釜石市の元教員、故石関正男さんが採収した。

 

 江戸時代中期、両石村に住む漁師の息子庄助は、親孝行で知られた。出漁して嵐に遭遇、岩場に沈んでいる美しい鐘を発見し、持ち帰った。庄助の誠実さ、孝行ぶりは南部藩にも伝わり…。さまざまな人間模様を織り交ぜ、海を頼り、漁を糧に生きる人々の姿を描く。

 

 久保会長は「大震災を経験し、海を恐れる心情が広まった。それでも、海を糧に生きる人は多い。(釜石と)海との長く、深い絆を考える機会になれば」と願いを込める。

 

 顔合わせでは、事業の日程、役割、作業工程などの大枠を協議した。演出は久保会長が担当する。舞台に船を登場させるなど、大道具は大掛かりになる。小道具を含めた工房、組み立て、保管場所の手当て。また、時代劇とあって、かつら、衣装を準備する必要もある。

 

 公演は初回が11月10日午後6時、2回目は11日午後1時の開演。
 引き続きスタッフ、キャストを募集している。問い合わせ・申し込みは久保会長(電話090・7798・2307)へ。

 

(復興釜石新聞 2018年8月29日発行 第718号より)

 

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軽合金製高速水中観察船「ハーモニー」。航海速力は20ノット

水中観察船でクルーズ、釜石湾も一望〜震災から復興の海を満喫、2日間で588人乗船

釜石湾クルーズの参加者。県内外から家族連れなどが参加し、夏の思い出を作った=11日

釜石湾クルーズの参加者。県内外から家族連れなどが参加し、夏の思い出を作った=11日

 

 広島県尾道市の造船業、ツネイシクラフト&ファシリティーズ(神原潤社長)が所有する高速水中観察船「ハーモニー」(19トン、旅客定員70人)によるクルーズが11、12の両日、釜石湾で行われた。日本中小型造船工業会(東徹会長)と日本財団(笹川陽平会長)が実施する「海と日本PROJECT」の一環。2日間で計11便が運航され、588人が東日本大震災の津波から復興してきた海を満喫した。

 

軽合金製高速水中観察船「ハーモニー」。航海速力は20ノット

軽合金製高速水中観察船「ハーモニー」。航海速力は20ノット

 

 11日は運航前に、発着場所の釜石魚市場脇岸壁で安全祈願の神事が行われた。東会長は「震災以降、海に対し怖いイメージを持つ人もいると思うが、海に囲まれた日本にとって海や船は生活に欠かせない。大切さを再認識してもらえれば」とあいさつ。震災前に運航していた釜石市の観光船「はまゆり」の元ガイド千葉まき子さんが船内アナウンスを務め、約1時間の湾内巡りに向かった。

 

 船は、津波被害から復旧した港施設や新たに設置されたガントリークレーンなどを見ながら進み、今年3月に復旧工事を終えた釜石港湾口防波堤へ。外海にも出て、内外の波の違いを体感してもらった。帰路は昨年5月に林野火災が発生した尾崎半島沿いを航行。尾崎神社奥宮のある青出浜周辺で、津波や火災を乗り越えた自然の姿を目の当たりにした。 

 

 同船には水深約1メートルの視点から海中をのぞける水中観察室がある。この日は先日来の雨の影響で視界は良くなかったが、乗船者はめったにない体験を楽しんだ。

 

 家族4人で乗船した甲子町の松田翔希君(7)は「防波堤が津波を抑えると知り、すごいと思った。海の中はあまり見えなかったけど、何か動いているものが見えた」と目を輝かせた。母真帆さん(42)は「船で海上に出られるのは貴重な経験。こういう機会が増えれば。観光船の復活にも期待したい」と話し、次男駿希君(3)も「また乗りたい」とはしゃいだ。

 

水中観察室で海の中の雰囲気を楽しむ親子

水中観察室で海の中の雰囲気を楽しむ親子

 

 インターンで釜石に滞在中の立教大観光学部3年、小玉佳穂さん(21)は「防波堤を抜けたら一気に波が出てきて、その役割の大きさを実感。初めて見るリアス式海岸は景色もきれい。被災を感じないくらい港も復興している」と驚いた様子。同じインターン生の小林大さん(20)は「釜石のまち並みを海上から一望できるのが面白い。海からだと地形も分かるし、遠目から見ると、さまざまなものが陸上とは違って見える」と新鮮な感動を表した。

 

 同会会員の神原社長は2011年の震災を機に山田町に子会社ティエフシー(同社長)を設立。造船技能者を養成し、13年から工場を稼働している。船舶建造技術を生かし、これまでにアルミ浮揚型津波シェルターも開発した。

 

 「ハーモニー」は元々、渦潮観潮船として徳島県の鳴門観光汽船が運航していたもので、代替わりする際、代々受注してきたツネイシが「震災被災地で役立てたい」と下取りした。船は山田町に運ばれ、昨年7月、湾内で初クルーズを実施。カキの養殖棚見学などで地元水産業の一端を学んだ。

 

 同プロジェクトは2015年に始動。各地の船を活用したクルーズや造船所見学などで船や海に親しみを感じてもらい、業界の担い手育成につなげる狙いがある。このクルーズには予定定員の約2倍、1068人分の応募があり、抽選で乗船者を決定した。

 

(復興釜石新聞 2018年8月18日発行 第715号より)

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釜石市出身で東北の童話の語り手活動を続ける宮園智子さん

宮園智子さん 釜石で初のおはなし会、復興の願い「賢治童話」に〜震災でふるさとの大切さを知る

宮園さんの語りに耳を傾ける同級生ら

宮園さんの語りに耳を傾ける同級生ら

 

 「釜石弁で語る宮澤賢治の世界」と題し、釜石市出身で東北の童話の語り手活動を続ける宮園智子さん(65)=旧姓赤崎、福岡市在住=が7月21日、ふるさと釜石で初めて、大町のミッフィーカフェでおはなし会を開いた。語り手活動を続けて30年になるが、「東日本大震災で、自分が育ったふるさとの大切さを知った」と宮園さん。中学、高校時代の同級生らを前に、ふるさとへの思いを釜石弁に乗せ、賢治童話などを情感豊かに語った。

 

 宮園さんは結婚を機に九州に移り住み、震災では釜石にいる長姉を津波で亡くし、多くの親戚や知人も被災。長年続ける語り手活動を通じて被災地への支援を呼び掛け、集まった募金を釜石に届け続けている。

 

 今回は、高校、大学の1年後輩に当たる桑畑眞一さん(64)が経営する桑畑書店の開店1周年記念に招かれ、おはなし会を開いた。

 

 「ムガス ムガス アルドゴロニ ナヌモカヌモ セッコギヤミノ ズサマ、バサマガイダンダド……」(「力太郎」)。「釜石で、釜石弁で語るのが一番のプレッシャー。オショス(恥ずかしい)」と言いながらも、宮園さんの語りは確信に満ちて力強く、よどみなく流れた。

 

ふるさと釜石復興の願いを重ねて「賢治童話」を語る宮園智子さん

ふるさと釜石復興の願いを重ねて「賢治童話」を語る宮園智子さん

 

 続けて、宮澤賢治の「注文の多い料理店」。自ら演奏するリコーダー(たて笛)のメロディーに乗せながら、「フタルノ ワガイ スンスガ……」と、やさしく語りかける。釜石弁のイントネーションが、聴く人の耳にすうっと吸い込まれた。

 

 宮園さんは30年ほど前から、図書館などで絵本の読み聞かせボランティア活動を始めた。レパートリーは現在、昔話が30ほど、賢治作品は「よだかの星」など6つ。「賢治が生まれた明治29年、亡くなった昭和8年はいずれも三陸が大津波に襲われた年」と宮園さん。震災後は「被災した東北に目を向けてほしい」との思いで活動を続けているという。

 

 「震災を機に私は変わった」と宮園さん。この日の客席には、今も仮設住宅で暮らす母正(まさ)さん(93)の姿もあった。釜石弁による童話に耳を傾けた中学、高校時代の同級生からは「釜石弁を大事にしてくれて、ありがとう」と感謝の声が上がった。

 

(復興釜石新聞 2018年8月1日発行 第711号より)

 

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