【インタビュー】第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

インタビュー2018/09/26

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

釜石市民劇場は、1986年(昭和61年)2月の旗揚げから、平成23年2月20日の第26回公演まで毎年開催され、娯楽の少ない厳冬期の風物詩として市民に愛されてきました。
しかし、第26回の開催後の3月11日、東日本大震災津波により、活動拠点の釜石市民会館が使用不能になり、保管していた衣装や道具も全て流出しました。

 

その釜石市民劇場が、今春オープンした釜石市民ホールTETTOにて、11月に初公演を開催します。
新たな船出に向けて動き出した実行委員会から、脚本から演出までを手掛ける、会長の久保 秀俊さんにお話を伺ってきました。

 

震災後は何も無い所からスタートする事がとてもプレッシャーでした

 

ーーまずは、久保さんと“市民劇場との関わりから”お聞きしたいと思います。

 

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

久保さん:

私は携わって20年程になります。1994年の第9回に小学生の息子が出演し、付き添いで通っていたのがきっかけでした。そして、翌年の第10回記念公演で主役の大島高任役を演じました。
舞台は4時間の超大作、セリフも膨大で・・・。何とか務めあげましたが、その後「演者は二度とやらない、これっきりにしたい」と思い、演じる側はそれを最後に、翌年から演出側にまわりました

 

ーー2013年からは、被災した市民文化会館に替わる会場として、シープラザ遊で5年間開催。当時を振り返って…。

 

久保さん:

震災後、集まった実行委員会のメンバーから出たのは、「とにかく継続しよう」という言葉でした。
その気持ちは皆同じでしたが、具体的にどうしたらいいのか?という点では、“手のつけようがない”というのが正直なところでした。
そんな中、会場の候補として挙がったのが、鈴子にあったシープラザ遊でした。大勢の人に集まってもらえる場所として、当時の釜石で使える場所はそこしか考えられなかったのです。

 

でも、実際にシープラザ遊に足を踏み入れた時に、「一体ここで、どういう風にしてやったらいいんだ・・・」「舞台は?照明は?音響は?どうすれば公演が出来るんだろう…」といった事ばかりが頭をよぎり、何も考えられませんでした。これまでは設備が全て揃った環境でやったことしかなかった訳ですから、何もない所からスタートする事がとてもプレッシャーでしたね。

 

それで、舞台製作に詳しい知り合いに相談をして、一度シープラザ遊を見てもらったところ、「何とかなりますよ、出来ますよ」と言って頂き、そこからは一歩ずつ進む事を考えられるようになりました。

 

ーー演劇用に作られた建物ではないので、色々と苦労されたようですね。

 

久保さん:

備え付けの舞台はそのままでは狭かったのですが、スタッフに大工がいまして、その人が既存の舞台に付け足して作ってくれて、何とか広さを確保出来ました。

 

それから、舞台の奥に吊るすカーテンですね。どうしようかと悩んでいたら、市内の廃校になった小学校から赤い緞帳を譲りうける事が出来ました。やはり、カーテンがあると無いのとでは舞台の雰囲気がまるで違いますから、大変助かりました。ワイヤーを張って取り付けて、一気に舞台らしくなりました。

 

そうやって工夫を重ねながら、2013年10月に復活公演に何とかこぎつけました。

 

ーー実際に公演してみてどうだったのでしょうか?

 

久保さん:

まず、舞台転換は出来ないですし、昼公演でテントの中は明るいので暗転も出来ない。そして、本来の照明の効果なども得る事はできませんでした。
それでも、照明はいつもの夜公演の舞台と同様に作りあげました。なぜなら、技術的部分も継続し繋いでいく必要がありましたから。

 

音響に関しては、あそこは反響が結構いいんです。ただ、時々JRの列車が通るのが…(笑)。
開演前に、「何時何分ごろにテント横を列車が通ります。ご了承ください。」とアナウンスをしましたね。
キャストも普段の舞台と勝手が違う事がたくさんありましたが、大きな舞台と変わりない演技で奮闘してくれました。

 

市民劇場は多くの事を学べる場所です

 

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

ーーこれまでを振り返った時に、思い出深い公演は?

 

久保さん:

釜石市民劇場は「先人に学ぶ」というテーマを掲げ、不死鳥のごとく立ち上がって来た、釜石の人たちの気骨を伝えるモノを題材にしてやってきたという経緯があります。

 

戦争を題材にしたもの、それから、旗揚げ公演は津波を題材にしたものでした。津波に関したものはその後も3回程取り上げています。
やはり、戦争と津波、この2つの悲惨な出来事は釜石の歴史と切っても切り離せないものですから。

 

ーー釜石市民劇場の魅力は?

 

久保さん:

私は演出家ですから、やはり、キャストの成長を感じながら出来る事が本当にうれしいですね。
本読みから始まって、公演が近づく頃には人が変わったような成長を見せる人もいます。

 

特に、子どもの成長は目を見張るものがあります。最初は小さな声しか出ないような子が、堂々と大きな声で演じるようになる。さらには、舞台を経験後に弁論大会に出たり、不登校の子が学校に通えるようになって、運動部に所属して全国大会に出場した、という報告をもらったりした事もありました。演出家冥利に尽きます。
人付き合いの面でも、学校とは違って色々な世代とのコミュニケーションが必要なので、知らない人との付き合い方や、関係性の取り方など学ぶ事は多く、皆そこから何かを得て行くんですね。

 

あとは、“手作り”でやるという点でしょうか。小道具にもこだわりがあって、例えば、湯飲み茶わん一つでも一から作っています!

 

釜石市民なら誰でも参加できますし、仕事帰りにちょっと立ち寄って手伝ってもらうだけでもありがたいです。参加の形は役者だけではないですからね。モノづくりは楽しいですよ!

 

海をテーマにした公演を~復興へ向けた足掛かりの一つになれば

 

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

ーー今年の題材、「伝説 浜の孝子 両石村庄助と鐘」について。

 

久保さん:

この演目は第12回に公演したもので、今回は私が脚本に手を加えたリニューアル公演になります。
実は、新しい市民ホールが出来たら「海をテーマ」にした公演をやりたいと思っていたんです。

 

私の知人で震災前は唐丹に住んでいた方がいて、家は流失したものの命は助かり、震災後は大畑に移り住みました。
その方から、一緒に暮らしている母親が「海は怖い。もう2度と海の見える所には住みたくない」と話されていると聞いたんです。

 

この話の舞台の両石も東日本大震災津波で壊滅的な被害を受けた地域ですが、これから地域で再び立ち上がって暮らしていく人たちがいるわけですよね。何か少しでも、復興へ向けての足掛かりと言いますか、役に立つ事が出来たら・・・という想いもありました。

 

海に対する恐怖心がまだ消えない方がいらっしゃる一方で、やはり昔から海は豊な恵みを与えてくれる生活の場所であったわけで、それはこれからも続いていく切り離せないものだと思うのです。
海の仕事に励み、懸命に生きる若者の姿、それを観て何かを感じて頂けたらと思います。

 

第32回釜石市民劇場 実行委員会 久保秀俊さん

 

ーーいよいよ釜石市民ホールTETTOでの初公演を迎えますね。

 

久保さん:

今年は本当の意味での復活公演のような意味合いもあるので、しっかりやって行かなければという想いがあります。

 

それからせっかくの設備なので、照明にこだわった演出や大がかりなセットの構想を、新しい舞台では実現したいと思っています。照明担当には、今まで培ってきた技術を存分に発揮して欲しいです!
短い準備期間で、私の頭の中に今あるモノをどれだけ実現できるかが勝負ですね。

 

設備・環境整った場所での公演ではありますが、あまり期待値を上げ過ぎずに観に来ていただきたいです(笑)。
何はともあれ、無事に終わるように努めて行きたい、今はそんな想いでいます。

 

第32回 釜石市民劇場 『伝説 浜の孝子 両石村庄助と鐘』

公演日時 (2日間公演)

11月10日(土) 18時開演
11月11日(日) 13時開演

 

詳細情報については、こちらからご確認ください。
釜石市民劇場Facebookページ
https://www.facebook.com/釜石市民劇場-1476648322612249/

 

縁とらんす

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縁とらんす事務局による記事です。

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