タグ別アーカイブ: 文化・教育

悲惨な思い出をしぼり出すように語る佐野さん

佐野さん、悲惨な艦砲被災語り継ぐ〜「翳った太陽を歌う会」体験を聞く

悲惨な思い出をしぼり出すように語る佐野さん

悲惨な思い出をしぼり出すように語る佐野さん(左)

 

 釜石市の合唱グループ「翳(かげ)った太陽を歌う会」(種市誓子会長、会員12人)は20日、「戦争体験者のお話を聞く会」を小川町の働く婦人の家で開き、米英軍による2度の釜石艦砲射撃(1945年)を経験した大町の佐野健司さん(86)が語る戦争の悲惨さに耳を傾けた。

 

 旧制釜石中学2年だった14歳の時に艦砲射撃を体験した佐野さん。2011年の東日本大震災でも、大町で経営していた酒店が津波で流失。仮設商店街での営業を経て15年に店舗を再建している。

 

 佐野さんは戦時中、父が営んでいた酒店で運送用に飼っていた馬を軍に供出したり、防空壕(ごう)を子どもたちが造らされたり、食料や物品が乏しく苦しい生活の様子を紹介した。空襲警報が頻繁に鳴るようになると、体が弱かった父親は一足早く甲子町松倉に疎開。7月14日の1回目の艦砲射撃や機銃掃射では、母親と酒店で働いていた少女と血まみれになりながら山側の薬師公園に避難した。「助かった。生きていた」。再会した時の父親の姿が忘れられないと言葉をかみしめた。

 

 「苦しい。助けて」。8月9日の2回目の艦砲射撃で、避難した防空壕ごと射撃されて犠牲になった人たちのうめき声。「もうやめて」。火葬の際でも灯火管制で水をかけて中断せざるを得なかった状況で聞かれた犠牲者遺族らの悲痛。「2回目は地獄だった」と声を詰まらせながら語り、平和を引き継ぐことの大切さを訴えた。

 

 同グループは2005年に活動を始め、今年で14年目。市戦没者追悼式での献歌、小学校でのコンサートなどを行ってきた。その中で歌い継いできた合唱組曲「翳った太陽」は、市内の戦争体験者2人の短歌や絵手紙を元に創作されたもの。会員のほとんどが戦争を体験していない世代で、曲への理解を深めようと同様の会をこれまで5回行い、体験者の心に触れながら戦争について学んできた。

 

 震災で一時活動が中断。戦争の愚かさ、平和の尊さを訴えるこの組曲も、戦災の生々しい惨状が震災直後の情景と重なり、歌えなくなった時期もあったという。

 

 計6曲の組曲は全17分。今年の市戦没者追悼式で釜石中生徒有志と組曲を合同合唱する予定で、練習を重ねている。

 

 佐野さんの話は、遺体を火葬した場面などが組曲と重なったという。定内町の佐野順子さん(65)は「言葉にならないつらさ、詞に込められた思いへの理解を深められた」、種市会長(70)は「今は何が起こるか分からない時代。若い人に伝えていかなければ」。同グループ講師で作曲者の最知節子さん(75)は「人間の尊厳を無視するように、青春に土足で踏み込んでくる戦争の悲惨さを多くの釜石の子どもたちに語り継いでいきたい」と思いを強めていた。

 

(復興釜石新聞 2018年4月25日発行 第684号より)

 

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インフォメーションセンターが開館し、見学者が訪れている世界遺産「橋野鉄鉱山」高炉場跡

世界遺産「橋野鉄鉱山」公開再開〜見学環境の充実図る 台風被災の県道開通を追い風に、旧釜石鉱山事務所も再開

インフォメーションセンターが開館し、見学者が訪れている世界遺産「橋野鉄鉱山」高炉場跡

インフォメーションセンターが開館し、見学者が訪れている世界遺産「橋野鉄鉱山」高炉場跡

 

 釜石市橋野町青ノ木の「橋野鉄鉱山インフォメーションセンター」は冬期休館を終え、4月1日から見学者の受け入れを再開した。世界遺産登録から4年目を迎える「橋野鉄鉱山」。市世界遺産課は、一昨年8月の台風10号による豪雨被害からの復旧を継続するとともに、デジタルコンテンツの制作など見学環境充実を図り、さらなる誘客につなげたいとしている。

 

 橋野鉄鉱山の一般公開エリア「高炉場跡」は、台風被害を受けた見学路の仮復旧などを終え、歩行環境が改善。隣接する二又沢川の護岸復旧工事のため、三番高炉北側の種焼場周辺は立ち入り禁止区域が設定されているが、通常見学にはほぼ支障がない状態となっている。

 

 センターの開館に合わせ、1日からさっそく見学者が訪問。寒さもあり、来訪者はまだ少なめだが、台風被害で全面通行止めが続いていた県道釜石遠野線笛吹峠が昨年12月に開通したことで、同道路を利用して訪れる人も見られる。

 

 7日に訪れた遠野市青笹町の菊池信也さん(49)、久美子さん(50)夫妻は「笛吹峠も開通したので、一度は来てみたいと思って」と初めて見学。高炉の石組みを眺め、「すごいよね。人の手で造られたんだもんね」と感心。「世界遺産になったことで遠野も釜石も(観光客増加など)互いに良い効果が生まれれば」と願った。

 

 同センターの昨年(4月1日~12月8日)の入館者数は9865人。前年に比べ約7300人減少しており、内陸からのアクセス路となる笛吹峠の通行止めが大きく影響したものと見られる。今年は峠開通による見学者数の回復に期待が寄せられる。

 

 同課によると本年度は、護岸工事のほか見学路の本格復旧を進める。遺跡関連では二番高炉周辺の試掘調査、同高炉の絵巻を基にした上部構造を含むAR(拡張現実)映像の制作などを計画する。映像は来年公開予定で、スマートフォンやタブレットで見ることができる。釜石で開かれるラグビーワールドカップ(W杯)を見据え、外国人観光客に対応する英語版パンフレットも作成する。

 

 同センターの今年の開館は12月9日まで(午前9時半~午後4時半)。期間中は無休で、入館料は無料。

 

 また、同じく冬期休館していた甲子町大橋の「旧釜石鉱山事務所」も1日から開館した。鉱山関連の資料に、今年は東北最古の地質図とされる「ナウマンの地質図」が常設展示に加わった。開館期間は12月9日まで(午前9時半~午後4時半、最終入館は午後4時)。火・水曜日は休館。入館料は大人300円、小・中学生100円。

 

(復興釜石新聞 2018年4月11日発行 第680号より)

 

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新生活に期待を膨らませる上中島こども園の新入園児ら

上中島こども園で開園・入園式〜多様な子育てバックアップ、72人が新しい環境で第一歩

新生活に期待を膨らませる上中島こども園の新入園児ら

新生活に期待を膨らませる上中島こども園の新入園児ら

 

 本年度から釜石市がスタートさせる上中島町の市立上中島こども園(藤原安園長)で7日、開園・入園式が行われた。老朽化により保育環境の改善が課題となっていた市立上中島保育所を移転整備したもので、この春、幼稚園と保育所機能を併せ持つ認定こども園に移行。新入園の14人を含む園児72人が新たな環境での第一歩を踏み出した。併設する障害児通所支援事業所「すくすく親子教室」や、同じ敷地に整備された上中島児童館と合わせ、利便性に富んだ包括的な保育環境の創出、多様な子育てニーズに応える施設として役割を発揮する。

 

幼保連携型認定こども園としてスタートした上中島こども園

幼保連携型認定こども園としてスタートした上中島こども園

 

 式には園児と保護者、市関係者ら約100人が出席。あいさつに立った野田武則市長は「市が運営し、地域の拠点として活用しようと設置。就学前教育、子育て支援の場として保護者ニーズに沿った運営をし、地域の重要で大切な拠点として活躍してほしい」と期待を述べた。

 

 藤原園長は「子どもたちの健やかな成長を見守る施設運営を目指す」と意欲を示し、子どもたちには「早寝、早起き、朝ごはんという約束事を守って通ってほしい」と呼び掛けた。

 

 新入園児は名前を呼ばれると、0~3歳児は父母の膝の上で、4歳児は手を挙げて「はーい」と返事した。在園児を代表して式に参加した年長児11人は新入園児に手作りの首飾りをプレゼント。園歌などを披露し、新しいお友達を歓迎した。

 

 進級した寄松廉君(5)は「友達がいっぱいになってうれしい。いっぱい遊ぶ」と笑顔を見せた。妹の未来ちゃん(1)、結ちゃん(生後2カ月)は新入園。父親の隆広さん(38)は「共働きなので3人一緒に預けることができ、安心感がある。明るく元気に育ってほしい」と見守った。

 

 同園の前身、上中島保育所は1975年に開所。施設の老朽化など保育環境の改善が課題となっており、市は就学前教育の拡充、子育て環境の充実を目的に、こども園や児童館などを備えた保育・幼児教育エリアの整備を決めた。上中島地区の仮設住宅や復興住宅などが隣接する場所で施設整備が進められ、今年1月に完成し、保育所として運営を開始。本年度から幼保連携型認定こども園に移行した。

 

(復興釜石新聞 2018年4月11日発行 第680号より)

 

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「ずっと釜石を応援する」と宣言した佐渡裕さん

指揮者の佐渡裕さん「ずっと釜石を応援する」〜スーパーキッズオーケストラ、被災地へエールの“熱奏”

釜石市民吹奏楽団と合同で演奏するスーパーキッズ・オーケストラ

釜石市民吹奏楽団と合同で演奏するスーパーキッズ・オーケストラ

 

 指揮者として世界で活躍する佐渡裕さんが率いるスーパーキッズ・オーケストラの演奏会が1日、釜石市民ホールのグランドオープンを記念し、同ホールで開かれた。東日本大震災の年から同オーケストラの活動を通して被災地に心を寄せ続けている佐渡さん。子どもたちのエネルギッシュな演奏に重ねて「これからもずっと釜石の姿を見続けたい」と言葉を贈り、ほぼ満席となった市民を感激させた。

 

 同オーケストラは、兵庫県立芸術文化センターの芸術監督を務める佐渡さんが2003年に立ち上げ、小学生から高校生までオーディションで選ばれた精鋭で編成する。2011年からは震災被災地を毎年訪問。釜石では鵜住居町の根浜海岸で犠牲者を慰霊する演奏を続けている。

 

「ずっと釜石を応援する」と宣言した佐渡裕さん

「ずっと釜石を応援する」と宣言した佐渡裕さん

 

 今回の演奏会は、サントリーホールディングスなどが支援する「こころのビタミンプロジェクト」の一環。2年前に大きな地震災害のあった熊本県内を巡ったあと、仙台市、大槌町に続いて釜石に足を運んだ。

 

 歌劇「メリーウイドウ」、映画「ニューシネマパラダイス」のテーマ曲などを力強く演奏。釜石市民吹奏楽団の約40人を加えて復興支援ソング「花は咲く」や「ふるさと」も奏で、客席の市民も声を重ねた。最後は復興への祈りを込め、バッハの「シャコンヌ」で締めた。

 

 「阪神淡路大震災から立ち上がった兵庫県立芸術文化センターには年間50万人が訪れる。スーパーキッズを次の世代につなげていくことが大きな意味を持つ」と佐渡さん。演奏の合間を縫う形で被災地に寄せる思いも語った。「長く支援し続けることが大事。ずっと釜石を応援していく」と宣言すると、客席から大きな拍手が沸き起こった。

 

 浜町で被災し、今なお天神町の仮設住宅で暮らす赤崎成子さん(60)は「佐渡さんの力強い言葉が胸に響いた。温かな人間性が感じられた」と感激していた。

 

(復興釜石新聞 2018年4月7日発行 第679号より)

 

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唐丹中3年生に囲まれ、閉講を迎えた佐々木さん(前列中央)

唐丹中学校「学びの部屋」〜講師に感謝の色紙

唐丹中3年生に囲まれ、閉講を迎えた佐々木さん(前列中央)

唐丹中3年生に囲まれ、閉講を迎えた佐々木さん(前列中央)

 

 唐丹中(千葉伸一校長、生徒35人)の3年生10人を対象とする学習支援教室「学びの部屋」が6日、本年度の講座を終えた。生徒らは、学習支援相談員佐々木初太郎さん(70)に寄せ書きの色紙を贈って感謝した。生徒は全員が市内、県内の高校への進学を目指す。

 

 学びの部屋は、東日本大震災で被災した地域の学習支援活動を続ける一般社団法人子どものエンパワメントいわて(盛岡市、山本克彦代表理事)が主催する。元教員の佐々木さんは、昨年7月から唐丹中を担当した。

 

 同教室は毎週4日間、放課後に開設。3年生は任意で多目的ホールに集まった。受験を目前にした6日、最終講座の後、閉講式が行われた。

 

 千葉校長が感謝を述べ、生徒らは「教えてもらったことを今後に生かす」「温かく、すばらしい言葉を忘れず、高校生活もがんばる」と笑顔で話した。

 

 佐々木さんは戦後生まれて間もなく、旧満州(中国東北部)から父親の故郷大槌町金沢に引き揚げた。東京都で教べんをとり退職。震災に衝撃を受け、翌年帰郷。若者の生業支援を目指す活動を続ける。

 

 佐々木さんは「この生徒たちは小学校低学年で震災を体験し、苦労もしてきたはずだが、学校の先生や地域の人に見守られてすくすく育った。温かく接し、受け入れてくれた生徒に、私の方が感謝したい」と語った。

 

(復興釜石新聞 2018年3月10日発行 第671号より)

 

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出展業者からさまざまなアドバイスを受ける来場者。一般の人が祭礼で使う道具を知る機会にもなった

伝統芸能の復興後押し〜国立民俗学博物館、道具や衣装の補修を助言

出展業者からさまざまなアドバイスを受ける来場者。一般の人が祭礼で使う道具を知る機会にもなった

出展業者からさまざまなアドバイスを受ける来場者。一般の人が祭礼で使う道具を知る機会にもなった

 

 東日本大震災で経験した郷土芸能団体の活動存続危機を教訓に、災害対策や助成情報などを共有する「郷土芸能復興支援メッセin釜石」が24、25の両日、釜石市大町の市民ホール「TETTO」で開かれた。震災後、被災団体の実態調査や活動再開へのサポートを行ってきた国立民族学博物館(吉田憲司館長)が実行委を組織し、同ホールで行われた市郷土芸能祭に合わせて開催した。

 

 同ホールのロビーとギャラリーを会場に、10団体が出展。震災で被災した無形文化遺産(民俗芸能、祭礼など)の復興・支援情報の記録公開、各種助成制度とその申請手続きの案内・相談が行われたほか、芸能団体の道具や衣装製作を手がける業者が修理、日ごろの手入れ方法などについて相談に応じた。出展業者は浅野太鼓楽器店(石川県)、宮本卯之助商店(東京都)、伊藤染工場(花巻市)、京屋染物店(一関市)の老舗4社。太鼓や笛、衣装、関連する小道具などを展示しながら、来場者に情報提供した。

 

 宮本卯之助商店は津波で流失した虎舞の頭や太鼓の製作など市内十数団体の復興に尽力。両石や片岸に代表される木彫りの虎頭の復元では、写真や団体メンバーの記憶を頼りに何度も調整を重ね、伝統の形を作り上げていったという。同社営業部の岡部達也課長は「道具に込められた神様への思いを強く感じ、私たちも勉強させてもらった」と貴重な経験を振り返り、今後の防災対策の一環として、使用中の道具類をデータ化し後世につないでいくことを薦めた。会場では無償で太鼓の締め直しも請け負った。

 

 芸能祭出演後、締め太鼓の調整を依頼した平田青虎会の佐々木一永会長(36)は「プロにお願いしないとできない部分なので非常にありがたい。業者さんからアドバイスももらえて良かった」と喜んだ。同会は津波で道具や衣装、屋台を流失。新調した屋台の金具関係で同社の世話になったという。

 

 市内沿岸部の郷土芸能団体は、震災の津波で多くの道具類を失い、活動再開に至るまで大変な苦労を伴った。県内外の支援団体の協力で現在は、被災団体の多くが最低限の道具をそろえ、地域の祭りや市内外の復興支援公演などで活躍。市民の心の支え、被災地の現状発信に大きな力を発揮している。

 

 同博物館大規模災害復興支援委員会外部調査員で、本イベントの実行委員長を務めた笹山政幸さん(釜石市)は「芸能団体が災害時にいち早く立ち上がるには、平常時からの助成金に関する知識や関係業者とのつながりが必要。この機会が継承課題解決や次世代の不安解消の一助となり、モデルとして他の被災地でも生かされれば」と願った。

 

(復興釜石新聞 2018年2月28日発行 第668号より)

 

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埋蔵文化財展では、大昔の人々の暮らしを垣間見ることができるさまざまな遺物が展示された

埋蔵文化財が一同に、釜石・大槌の出土遺物を中心に〜「文化・芸術が集うとき in 釜石」県立博物館も合同展示

 埋蔵文化財展では、大昔の人々の暮らしを垣間見ることができるさまざまな遺物が展示された

埋蔵文化財展では、大昔の人々の暮らしを垣間見ることができるさまざまな遺物が展示された

 

 公益財団法人岩手県文化振興事業団(県民会館、埋蔵文化財センター、博物館、美術館)主催のイベント「文化・芸術が集うときin釜石市」は、16日から18日まで大町の市民ホール「TETTO」で行われた。本県の自然や文化、歴史などを身近に感じ理解を深めてもらおうと、2012年度から各市町村で開かれ、釜石市は6カ所目の開催。復興事業に伴い発掘された埋蔵文化財や県立博物館収蔵資料の展示、同美術館長講座、釜石出身の音楽家らによる演奏会などがあった。会場には幅広い年代の人が足を運び、さまざまな文化・芸術に触れて楽しみ、理解を深めた。

 

 第38回埋蔵文化財展・17年度県立博物館移動展の合同展示は、ホールBで3日間開催され、最終日の18日は、展示解説会も開かれた。

 

 埋蔵文化財展では、震災後の復興事業(道路建設など)に伴って沿岸部で実施された緊急発掘調査のうち、釜石・大槌地区の成果を中心に公開。各遺跡の出土遺物や遺跡の現場写真など約300点が並んだ。

 

小白浜遺跡(唐丹町)では竪穴住居13棟が見つかり、土器や石皿などが出土した

小白浜遺跡(唐丹町)では竪穴住居13棟が見つかり、土器や石皿などが出土した

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 県立埋蔵文化財センターが同地区で行った復興発掘調査では、縄文時代早期(約8千年前)から室町時代(約500年前)までの遺跡を発見。縄文時代の竪穴住居や貯蔵穴、土器や石器、土偶、平安~室町時代の鉄作りを物語る炉や木炭窯、鉄滓(てっさい)、鉄製の鏃(やじり)など、各年代の暮らしや産業を裏付ける遺構や遺物が多数出土した。

 

 釜石市内では今年1月現在、318の遺跡が確認されており、12~17年度までに市教委や同センターなどが行った復興発掘調査は20件。片岸、箱崎、鵜住居、平田、唐丹地区で、竪穴住居などの集落跡が見つかっている。

 

 この中で最も古いのは唐丹湾に面した屋形遺跡で、縄文中期末から後期初頭(約4千~3500年前)の貝塚から、シカの角で作った釣り針やイノシシの牙で作った垂飾品(首飾りなど)が出土。同展では、この貝塚の地層貼り取り標本も展示された。今後は国指定史跡を目指し調査を実施するという。

 

 年代が新しいのは、平安終期から鎌倉時代の川原遺跡(鵜住居町)。12世紀後半から13世紀代の中国産磁器(青磁・白磁)、東海地方産の陶器(常滑・古瀬戸など)、かわらけが出土しており、平泉文化の影響が考えられるという。

 

 同センターの職員は「沿岸部は元々、開発が多くなかったので、遺跡が丸ごと残っている状態の所が多い。復興関連の発掘で今まで知られていなかったことがたくさん分かってきた」と話した。

 

 博物館移動展では、地質、歴史、民俗、生物の4部門から約90点の収蔵資料を展示した。釜石市関係で目を引いたのは、栗林町砂子畑地区に広がる古生代デボン紀(約3億7200万~3億5900万年前)の地層「千丈ヶ滝層」から見つかった植物(リンボク)の化石。国内最古の植物化石の一つだという。また、近代製鉄発祥の地ならではの豊富な鉱石も。中生代白亜紀(約1億4500万~6600万年前)に上昇したマグマが石灰岩と化学反応してできた「スカルン鉱床」から鉄鉱石や銅鉱石が産出され、後の製鉄業発展につながっていった歴史的価値が紹介された。

 

釜石の鳥瞰図の説明を聞く来場者。1枚は市制施行記念で発行

釜石の鳥瞰図の説明を聞く来場者。1枚は市制施行記念で発行

 

 このほか、京都出身の吉田初三郎が描いた昭和初期の釜石の鳥瞰(ちょうかん)図2種(1934、37年)、盛岡藩士・田鎖鶴立斎の絵を版画にした江戸時代の「釜石・尾崎白浜之図」、三貫島の植物(タブノキ、ベニシダなど)標本、震災の津波で失われた片岸町ミノスケ沼で採集された野鳥(アオジ、オオジュリン)の剥製も公開された。

 

 来場者は学芸員らの説明を聞きながら、岩手が誇る貴重な資料を興味深そうに見入っていた。

 

(復興釜石新聞 2018年2月21日発行 第666号より)

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第21回女性文化賞を受賞した千田ハルさん(中)。贈呈した米田佐代子さん(右)と

千田ハルさんに女性文化賞、艦砲記録に力を尽くす〜米田さん(女性史研究家)釜石を訪れ受賞祝う

 第21回女性文化賞を受賞した千田ハルさん(中)。贈呈した米田佐代子さん(右)と

第21回女性文化賞を受賞した千田ハルさん(中)。贈呈した米田佐代子さん(右)と

 

 終戦間際に釜石を襲った2度の艦砲射撃を体験し、詩人集団「花貌(かぼう)」の活動などで平和の尊さを訴え続けてきた釜石市中妻町の千田ハルさん(93)が、第21回女性文化賞(詩人・高良留美子さん創設)を受賞した。27日、地元有志が開いた受賞を祝う会で、今回から同賞を引き継いだ女性史研究家の米田佐代子さん(83)=NPO法人平塚らいてうの会(東京都)会長=が、賞金と記念品を贈呈。千田さんは「これまで一緒にやってきた仲間といただいた賞。大変ありがたい」と感謝の気持ちを表した。

 

 同賞は、女性の文化の担い手を支援し、その活動に感謝しようと、1997年に高良さん(東京)が個人で創設。20回継続後、健康上の理由などで後継者を望んでいた高良さんの思いを、第13回受賞者でもある米田さんが継いだ。

 

 受賞者選定にあたり米田さんは、2015年に本県で開かれた「第12回全国女性史研究交流のつどい」にゲスト出演し、自身の人生を語った千田さんに着目。昨年9月、釜石入りし、その功績や作品の素晴らしさに触れ、贈呈の意思を強くした。

 

 米田さんは「花貌の活動で多くの戦争体験記録を集め世に伝えてきたことに加え、千田さんの生活実感、平和への願いが込められた文章や短歌に、自分の精神を強く持ち現実に立ち向かおうとする気持ちが見える」と選定理由を説明。千田さんが戦後、戦争の本質を知ろうと一生懸命勉強し、自ら考え行動に移してきた姿勢も高く評価した。

 

 祝う会には、千田さんと共に平和運動に取り組んできた地元関係者ら24人が出席。米田さんから賞金と副賞のリトグラフ(版画)、写真立てが千田さんに贈られ、全員で喜びを分かちあった。

 

 千田さんは1924(大正13)年、釜石市鈴子町生まれ。戦時中、釜石製鉄所にタイピストとして勤務し、45年7月14日、8月9日の米英連合軍による艦砲射撃を体験した。21歳の時だった。戦後、職場に労働組合が結成され、学習会や文化活動に参加。47年、文学や憲法を学んできたサークル仲間で詩人集団「花貌」を立ち上げ、同人誌を創刊。詩や短歌、随想などを発表し続けた。

 

千田さんらが刊行した「花貌」の冊子

千田さんらが刊行した「花貌」の冊子

 

 71年からは分冊として釜石艦砲記録集を刊行。95年までの20分冊に延べ300人以上の戦争体験証言を掲載し、合本は全国から反響があった。千田さんは92年から花貌の編集責任者となり、2004年、73号で終刊するまで、文芸によるメッセージ発信に情熱を傾けた。

 

 並行してさまざまな反戦、平和運動にも参加。戦争を知らない子どもたちに戦争体験を語り伝える活動も行ってきた。15年には“卒寿記念”として、絵本「あぁ、わが街に砲弾の雨が降る―釜石を二度も襲った艦砲射撃で千人の命が!」を自費出版。今も「艦砲から助かった命だから」と、平和を守る活動を続ける。

 

 「何も分からず戦争に協力した悔しさが自分の活動の原点。そういう過ちを繰り返さぬよう、今の子どもたちには、よく勉強してもらいたい」と千田さん。自衛隊や憲法に関する国会審議にも触れ、「戦争は絶対ダメ。憲法を守るために今が大事な時。これからの人たちに頑張ってほしい」と願った。

 

(復興釜石新聞 2018年1月31日発行 第660号より)

 

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卒業制作も兼ねたCM撮影で使う大漁旗を完成させ、笑顔を見せる鵜住居小の6年生

釜石の魅力発信CMを制作、鵜住居小プロジェクト〜ラグビーW杯盛り上げ映像化

卒業制作も兼ねたCM撮影で使う大漁旗を完成させ、笑顔を見せる鵜住居小の6年生

卒業制作も兼ねたCM撮影で使う大漁旗を完成させ、笑顔を見せる鵜住居小の6年生

 

 釜石市は2019年のラグビーワールドカップ(W杯)釜石開催に向け、鵜住居小(中軽米利夫校長、142人)で「釜石の魅力発信CM制作プロジェクト」を進めている。6年生30人の卒業制作も兼ねた活動で、W杯や地域の魅力を映像化するのに加え、東日本大震災からの復興の取り組みも表現した3分程度の作品を制作する予定。3月初旬の完成、お披露目を目指す。25日にはCMの中で使う大漁旗づくりを実施。大会成功や震災支援への感謝、地域再生への願いなどさまざまな思いを込めながら、白布を色鮮やかに染めた。

 

 CM制作は大会の機運醸成、復興のPR、市のイメージアップによる釜石ファンの拡大、試合観戦や来訪の促進を図るとともに、児童の郷土に対する愛着と誇りの醸成、次代を担うものづくり人材育成の一助にと企画。建設中の釜石鵜住居復興スタジアム(仮称)を眼下に望む児童の思い、震災を含め幾多の災害を乗り越えてきた地域や復興に尽力する人の姿を盛り込んで国内外に発信する。

 

 6年生は地域を考える総合学習の時間を利用し、CMづくりを進める。昨年11月から再建した企業やスタジアム建設現場を訪ね、復興にかかわる大人たちの思いを聞き取ったり、CMの内容やキャッチコピーを考えるなど準備。この活動にはプロジェクト運営事務局で、教育関連事業を展開するヒーローズエデュテイメント(東京都、長谷川英利社長)が協力した。

 

 4回目の活動となったこの日、プロジェクトが本格的に始動。「想いを描く、染める」をテーマに、児童が大漁旗づくりに取り組んだ。講師は、東京都国立市の画家で復興支援で絵はがきなどを製作している長友心平さん(40)と、釜石市内の郷土芸能団体の団旗や法被なども作る伊藤染工場(花巻市、伊藤純子代表取締役)の職人らが務めた。

 

 震災時、幼稚園や保育園児だった6年生。「震災について理解を深める」「支援への感謝を伝えたい」「釜石のためにできることは」「にぎやかな町になってほしい」。そんな思いを詰め込んだ大漁旗の下絵は、長友さんが担当した。

 

 縦170センチ、横240センチの旗に描かれたのは、太陽がさんさんと輝く海に船出する子どもたちの姿。「未来に向かっていろんな夢を描いて突き進んでほしい」と願いを込めた。

 

 長友さんは「みんなの気持ちがいろいろあるように、色もさまざまある。色に思いを込めて描くことが大事」とアドバイス。児童は、はけの使い方や色の塗り方を教わりながら作業を進めた。「はけの使い分けや色分けが大変だけど楽しい」と黒澤優愛さん(11)。「W杯にはいっぱいの人が集まってほしい。家が建って人がいっぱい集まる町になってほしい」と願いながら手を動かした。

 

 この旗は2月中旬に予定されている撮影で使用。このほか、学校内での撮影やBGMとなる歌の収録なども進める。

 

(復興釜石新聞 2018年1月27日発行 第659号より)

 

復興釜石新聞

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市民吹奏楽団員や一般客を招き入れ演奏会を締めくくる佐渡さん

佐渡裕さん指揮、市民ホール開館祝うブラスサウンド〜被災地支援の思い込め、釜石市民吹奏楽団が共演

市民吹奏楽団員や一般客を招き入れ演奏会を締めくくる佐渡さん

市民吹奏楽団員や一般客を招き入れ演奏会を締めくくる佐渡さん

 

 釜石市民ホールの開館を記念し、世界的指揮者の佐渡裕さんが指揮する「シエナ・ウインド・オーケストラ」の演奏会(市など主催)が16日、大町の同ホールで開かれた。約800人が真新しいホールに響くプロの吹奏楽サウンドを楽しみ、芸術文化の殿堂の誕生に心を躍らせた。

 

 吹奏楽の名曲「アルメニアン・ダンス」(全4楽章)、テレビ番組「題名のない音楽会」で佐渡さんが司会をしていた当時のテーマ音楽「キャンディード序曲」などを演奏。ゲスト出演した韓国出身の人気バリトン歌手キュウ・ウォン・ハンさんは、豊かな歌声でオペラやクリスマス曲を届けた。

 

 釜石市民吹奏楽団が共演し「アフリカン・シンフォニー」を演奏するステージも。フィナーレでは佐渡さんの呼び掛けで、同団員や楽器を持って集まった観客がステージに上がり、「星条旗よ永遠なれ」を高らかに響かせた。鳴りやまない拍手に、ホールは大きな感動に包まれた。

 

 佐渡さんは、震災の津波で大きな被害を受けた鵜住居町根浜の宝来館おかみ岩崎昭子さんからの手紙をきっかけに2011年8月、同海岸での鎮魂演奏を開始。指導するスーパーキッズ・オーケストラ(兵庫県)の団員と釜石・大槌を毎年訪れ、演奏会や中・高吹奏楽部、市民吹奏楽団との交流を重ねてきた。佐渡さんらの支援で、子どもたちのバイオリン教室「くらぶ海音(うみのおと)」も立ち上げられた。

 

 新ホールの完成に佐渡さんは「素晴らしい音響のホール。さまざまな人が集い、皆さんの心の広場になることを願う」と地域の音楽活動の活発化に期待。本演奏会の益金から、同教室へ寄付を行う意向も示した。

 

 約2時間の演奏を堪能した中妻町の千葉智子さん(57)は「何を聴いても涙があふれてね…。震災から今日までのことが走馬灯のように思い出された」と感激しきり。市民ホールの今後にも夢を膨らませ、「文化の育成は市の発展につながる。子どもたちも足を運ぶ機会が増えれば」と願った。

 

 市民吹奏楽団でトランペットを吹く山陰勝さん(50)は「佐渡さんと共演できて非常に光栄。ホールは響きが良く、吹いていても気持ちがいい」と喜びの笑顔。村井大司団長は「やっぱりホールでの演奏は最高。来年の定演が楽しみ。この場所が、日常的に音楽が聞こえるようなまちの拠点になれば」と思いを込めた。

 

(復興釜石新聞 2017年12月20日発行 第649号より)

 

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釜石小学校6年生が新巻鮭づくりに挑戦! 〜次世代に引き継ぐさかなのまち文化〜

先生から教わりながら新巻鮭づくりに挑戦する児童

先生から教わりながら新巻鮭づくりに挑戦する児童

 

 みなさん、はじめまして。今日から不定期で活動内容を紹介する「魚援隊(ぎょえんたい)」です。

 

 魚援隊は、釜石市のさかなのまち事業として、市内水産会社等の有志でつくられた団体で、昨年から活動をスタートしています。

 

 主な活動としては、定置船の水揚げや魚市場見学を通して海に関わる職業を知り、魚に触れてその魅力を知るイベントの開催や、釜石で取れた海の食材を使った学校給食を通しての食育を実施しています。
特に子どもたちには魚を身近に感じてもらい、釜石の海や魚に親しみをもってもらうことを目標としています。キーワードは「食・職・触」です。

 

 第1回目となる今回は11月28日(火)に釜石小学校の児童を対象に実施した「新巻鮭づくり体験」の様子をレポートします!

 

 今回新巻鮭づくりに挑戦したのは、釜石小学校の6年生の児童19名です。

 

水産技術センターに集合した釜石小学校6年生

水産技術センターに集合した釜石小学校6年生

 

 もちろん、どの児童も新巻鮭を作ったことはなく、サケに触れるのも初めてでした。今回も昨年に引き続き、新巻鮭つくりの先生として魚援隊の平野会長にお願いしました。

 

 まず始めに、平野会長から児童の皆さんに釜石のサケについてお話をしました。

 

 岩手県は、北海道に次いでサケの水揚げ量が多く、釜石は県内でもサケ漁が特に盛んな地域です。

 

 平成25年には年間で290万本のサケが釜石で揚がりましたが、昨年は145万本、今年は130万本程度に落ち着くとされています。近年不漁が続いている大きな要因として、震災によってサケのふ化場が被災し、サケの稚魚の放流数が減ったことが挙げられます。岩手で放流されたサケの稚魚は北に向かい、アラスカやベーリング海を回遊して帰ってきます。

 

 岩手県では2015年からサケの漁獲量が大きく減少していますが、これはサケが回帰するまでに大体3〜5年の年数を必要とするからであり、ふ化場被災の影響がこの2〜3年で顕著に現れ始めています。平野会長は児童に現状を分かりやすく説明しながら「ぜひ家に帰ってお父さんお母さんとサケの話をしてみてください。」と伝え、親子で地元の魚を考えるきっかけにしてほしいとお話していました。

 

平野会長の話を聞く児童の皆さん

平野会長の話を聞く児童の皆さん

 

次に平野さんが新巻鮭の作り方を実演した後、児童のみなさんで新巻鮭づくりを行いました。

 

新巻鮭を作るには、
1. 腹を割く
2. 内臓やエラを取り除く
3. 水洗い(血合いをきれいに取り除く)
4. 塩をすり込む → 塩蔵(重しをして1週間程度)
5. 塩抜き
6. 乾燥
という作業をする必要があります。今回児童のみなさんには魚援隊スタッフのアドバイスで、1から4までを体験していただきました。

 

児童の中には魚の加工や、そもそも魚が苦手だという子もいるのではないかと懸念していましたが、実際の作業ではとても真剣に向き合いみんな興味を持ってやっているように見受けられました。

 

えらの切り方を教わる児童

えらの切り方を教わる児童

 

全員が1本目を作り終えたところで平野さんが「2本目を作りたい人はいますか?」と呼びかけると、なんと全員が手をあげ、2回目の新巻鮭つくりに挑戦しました。

 

 参加した児童たちからは
「簡単にできると思っていたが、意外に難しかった」
「大変だったので仕事として毎日やることはすごいと思った」
といった感想が寄せられました。普段目にする魚が、人の手によって丁寧に加工をされて私たちの食卓に並ぶ有りがたみを実感した様子でした。

 

さばいたサケに塩をすり込む生徒

さばいたサケに塩をすり込む生徒

 

 今回作られた新巻き鮭は塩蔵・塩抜きがされた後、乾燥させて生徒の皆さんにお配りされました。自分たちで作った新巻き鮭を食べながら、家族で魚について話す機会が生まれると嬉しいですね。

 

全員で記念撮影

全員で記念撮影

 

 1週間後、塩蔵した新巻鮭を取り出して一晩塩抜きをしました。

 

塩抜き中の新巻鮭

塩抜き中の新巻鮭

 

 その後に屋外で数日寒風にさらして完成です。完成した新巻鮭は釜石小学校に納入しました。

 

完成間近の新巻鮭

完成間近の新巻鮭

 

 想像してみてください。ランドセルを背負った小学生が新巻鮭をぶらさげて下校する風景が釜石にはあります。嬉しくなりますね。
 豊かな海がすぐそばにある証です。いつまでも続いてほしい光景です。

 

 魚援隊は、今後も様々なイベントを通じて「さかなのまち」の盛り上げに貢献していきます。どうぞよろしくお願いいたします!

 

○今回ご協力いただいた皆様
(有)リアス海藻店様 岩手県水産技術センター様 岩手大学釜石キャンパス様

 

[gyoentai]

「ことばの教室」開設50周年を歌声で祝う釜石小の児童ら

旧大渡小〜釜石小「ことばの教室」開設50周年〜先駆の歩み振り返る、関係者130人が記念式典

 「ことばの教室」開設50周年を歌声で祝う釜石小の児童ら

「ことばの教室」開設50周年を歌声で祝う釜石小の児童ら

 

 釜石小(高橋勝校長、児童127人)に設置されている「ことばの教室」の開設50周年を記念する式典が22日、釜石市大渡町の同校体育館で行われた。「ことば」や「きこえ」の発達に課題がある子どもの相談や指導をする教室が県内で初めて、旧大渡小に開設されたのは1967年。以来半世紀にわたり、「ことば教育」の先駆けとして歩んできた足取りを振り返り、教室のさらなる発展、充実を誓った。

 

 関係者約130人が参加した式典では、記念事業実行委員長の高橋校長が50年の歩みを紹介。教室開設に奔走した関係者の尽力に触れ、「声に出したことばが心をつなぐ。親の会の力がなければ今日の発展はなかった」と感謝した。

 

 野田武則市長は「子どもを思う親の願い、画期的な精神は今も脈々と流れている。その原点に立ち返り、教室のさらなる充実を期待する」と祝辞を述べた。

 

 教室の開設、運営に尽力した5人1団体に感謝状を贈呈。同校の児童が虎舞や校歌を披露して50周年に花を添えた。

 

 開設当初から現在までの歩みを映像や写真で振り返ったあと、大渡小ことばの教室初代担任の菊池義勝さん(81)、県ことばを育む親の会の佐々木信孝前会長(67)、同会初代会長・故落合新作さんの妻ハルさん(84)が対談。

 

 現在は千葉県木更津市で暮らすハルさんは「息子のためにと、夫とともに必死の思いで動いた50年前を思い出す。支援してくださったみなさんの思いが今日につながっている」と振り返り、「教室がここまで長く続いて本当にうれしい」と目を潤ませた。

 

 児童の歌声に拍手を送る落合ハルさん(前列左)

児童の歌声に拍手を送る落合ハルさん(前列左)

 

 盛岡市から駆け付けた菊池さんは「自分でペンキを塗った教室からスタートしたが、現在の教室はホテルみたいに立派」と感慨深げ。「今後はコミュニケーション能力も養う教室として発展してほしい」と期待を託した。

 

 大渡小ことばの教室は8人の児童からスタート。2003年に釜石小と統合した後も引き継がれ、50年間で900人余りの幼児・児童が学んできた。現在は県内全市町村にことばの教室が開設されている。

 

(復興釜石新聞 2017年11月25日発行 第642号より)

 

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