亡き母の思いかなえる「ちぎり絵展」、第二の古里 釜石で実現〜伊藤百代さん、新聞紙素材に独自の世界

復興釜石新聞2019/05/15

会場には伊藤さんの創作意欲がみなぎる作品が並んだ

会場には伊藤さんの創作意欲がみなぎる作品が並んだ

 

 第二の古里釜石で生きた証しを―。1992年まで31年間、釜石市で暮らし、今年1月20日に病で亡くなった伊藤百代さん(享年87)=東京都町田市=の新聞ちぎり絵展が、4月27~29日の3日間、釜石市民ホールTETTOで開かれた。80歳を過ぎてから独自の手法で芸術性の高い作品を生みだしてきた伊藤さん。昨年9月に釜石での個展開催を決め、準備を進めていたが、11月に病が見つかり帰らぬ人となった。「母の思いをかなえたい―」。長女の田中千賀子さん(60)ら家族が遺志を継ぎ、念願の“釜石展”を実現させた。

 

 会場には、伊藤さんが遺した新聞ちぎり絵や絵手紙、スケッチ画など100点以上が並んだ。絵手紙教室の教材で出会った新聞ちぎり絵に夢中になり、自分なりの創作法を確立した伊藤さんは、大小さまざまな作品を制作してきた。素材とするのは新聞紙の色刷り部分。描きたいものの写真などを見ながら、指でちぎった新聞紙を直接貼り付けて仕上げる。こだわりは、はさみやナイフを一切使わない、下書きはしない、着色はしないこと。一目では新聞紙をちぎったとは思えない油絵のような質感が見る人を驚かせる。

 

 伊藤さんが好んだモチーフは植物や風景。中には欧州各国などを旅した際の思い出の作品も。その国の新聞を使うのも“こだわり”だという。新聞ちぎり絵の絵手紙作品には、味わいのある言葉も添えられる。

 

生前の伊藤百代さん(右)と夫の孝さん

生前の伊藤百代さん(右)と夫の孝さん

 

 伊藤さんは静岡県湖西市出身。編み物師範として東京で働いていた時に釜石出身の伊藤孝さんと結婚し、61年、釜石に移り住む。2人の子どもを育てながら、大町商店街で事務員として働き、夜は編み物も教えた。81年、夫孝さん(当時46)が脳出血で倒れてからは、介護を続けながら生計を支えた。92年、伊藤さんが60歳の時に長女家族と同居するため、東京都町田市に移住。半身不随の夫の介護、孫の世話と忙しい日々を送った。

 

 孝さんが晩年大病を繰り返し、介護も大変になる中、精神的に落ち込む母を見かねた千賀子さんが「気晴らしに」と勧めたのがカルチャー教室。絵手紙が80歳の伊藤さんの支えになった。孝さんはその数カ月後、2013年3月に旅立った(享年78)。

 

 新聞ちぎり絵に生きがいを見いだしていた伊藤さん。釜石で個展を開こうとしたきっかけは、昨年9月に見た釜石特集のテレビ番組だった。震災を乗り越え前に進む市民の姿に涙し、「ぜひ釜石の皆さんに見てもらいたい」と、すぐに会場探しに着手。同月、元気に会場の下見にも訪れていたが、11月、腎臓がんが見つかり緊急入院した。

 

 「10月には食欲も落ちていたが、『心配しないで大丈夫』と言い続けていた。痛みもあっただろうが母は我慢強い人なので…」と千賀子さん。診断後、家族には命の危険も告げられていたが、病床では締め切りが迫った絵手紙展への応募を気にかけ、具合が悪いのを押して作品に筆を入れることも…。亡くなる3日前まで創作への情熱を燃やし、うわ言を口にしていた。

 

 <p class="cap">昨年10月に制作された新聞ちぎり絵の作品。釜石愛がにじむ</p>

昨年10月に制作された新聞ちぎり絵の作品。釜石愛がにじむ

 

 80歳からの挑戦。決してあきらめない姿勢。伊藤さんの生きざまが詰まった遺作展に、千賀子さんは「母の人生は苦労の連続。最後の最後に自分が打ち込めるものに出会い、こうして皆さんに褒めていただける花を開いた。母は愛情あふれる人だった。その愛を少しでも感じてもらえたなら」と思いを込めた。

 

 伊藤さんの個展は、17年に東京で初めて開催して以来2回目。

 

(復興釜石新聞 2019年5月8日発行 第788号より)

 

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