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輝かしい伝統「釜石高陸上競技部」 OB・OG会が現役部員と交流 後輩支援で沿岸の雄再び

交流会に参加した釜石高陸上競技部のOBと現役部員ら=市球技場クラブハウス

交流会に参加した釜石高陸上競技部のOBと現役部員ら=市球技場クラブハウス

 
 釜石高校陸上競技部OB・OG会(藤元隆一会長、382人)は2月28日、釜石市甲子町の市球技場クラブハウスで、現役部員との交流会を開いた。2011年の会発足以来、母校の部を物心両面から支援している同会。交流会は16年から年度末に開き、卒業する3年生の送別、1、2年生の激励の場としている。会からは部に支援金も贈られた。
 
 交流会はコロナ禍による3年間の中止を経て昨年から再開された。今回は藤元会長(75、1968年卒)ら県内在住のOB3人、本年度部員の1、3年生14人と顧問の三上昌幸教諭が出席した。藤元会長が三上教諭に支援金10万円を贈呈。部員らは競技種目とともに自己紹介し、3年生は卒業後の進路、1年生は来年度の目標などをOBに伝えた。その後、昼食を取りながら懇談した。
 
OB・OG会の会員3人(写真上)が本年度在籍部員と懇談した

OB・OG会の会員3人(写真上)が本年度在籍部員と懇談した

 
藤元隆一会長(手前右)がOB・OG会からの支援金を顧問の三上昌幸教諭に贈呈

藤元隆一会長(手前右)がOB・OG会からの支援金を顧問の三上昌幸教諭に贈呈

 
 同部には本年度、1年生9人、3年生8人が在籍した。高総体県大会では3年生が男子400メートルハードルで2位と5位、同110メートル同で3位、男子やり投げで2位、4×400メートルリレーで7位、新人戦県大会では1年生が女子やり投げで優勝した。6位以上が進む東北大会では男子やり投げで7位など健闘した。
 
 400メートルハードル2位の奥村晄矢さん(3年)は「3年間の集大成として良い結果を残せた」と充実の表情。リレー2種目でも活躍した。大会では「OBの方々が陣地に差し入れもしてくださり、すごく力になった」と感謝。卒業後は山梨県の大学に進む。「陸上は続ける。激戦区の関東地区で入賞できるよう頑張りたい」と志を立てた。部長を務めた東方飛龍さん(3年)は「後半はけがをした部員もいて大変だったが、(リレーなど)みんなで協力してできる限りの力を出せたと思う。部員が少ない時期もあり、OBの先輩方の応援がとても励みになった」と話す。県内の大学に進学後も競技を続ける予定で、「走り高跳びで2メートルの跳躍に成功できれば」と目標を掲げた。
 
3年生部員は取り組んだ種目や卒業後の進路などをOBに伝えた

3年生部員は取り組んだ種目や卒業後の進路などをOBに伝えた

 
1年生部員は来年度の目標などを話し、競技力アップを誓った

1年生部員は来年度の目標などを話し、競技力アップを誓った

 
 「素晴らしい先輩方に刺激を受け頑張れた」と話すのは大瀬和依さん(1年)。小中は野球、バドミントンで鍛え、高校からやり投げを始めた。大会で好成績を収めた中庭庚さん(3年)から競技を教えてもらい、1年生ながら新人戦で初優勝。「野球の経験を生かせればと始めた。3年の高総体でインターハイ出場を果たしたい」と夢を描く。
 
 釜石高陸上競技部は1946(昭和21)年創部。人口増に伴い釜石南、釜石北の2校に分離(1963年~2008年)後、80年代にかけ、県高総体や同新人戦で男子総合優勝を競い合った。両校合わせ、県高総体では4回、新人戦では5回の優勝を成し遂げ、高校陸上“沿岸の雄”として名をはせた。71年には釜石北が東北大会で初の総合優勝を飾った。
 
 OB・OG会は同部躍進の礎を築いた故金野誠さん(1952年卒、本県陸上競技界への貢献で「秩父宮章」受章)の呼び掛けで、2011年2月に発足した。会設立の1カ月後に東日本大震災が発生。被災した現役部員のために会員らが寄せた義援金約75万円を同部に寄付した。その後も会費などを原資に支援金の贈呈を続けていて、支援総額は約160万円(24年3月時点)に及ぶ。この他、Tシャツ、タオル、テント、横断幕も支援。2年に1回、総会を開き、毎年春に会報も発行している。
 
写真上:藤元会長と菊地憲一さん(右)はともに1968(昭和43)年卒業。最初の男子総合優勝を経験

写真上:藤元会長と菊地憲一さん(右)はともに1968(昭和43)年卒業。最初の男子総合優勝を経験

 
OB・OG会の会報(写真左下)には交流会の様子や会員の寄稿、現役部員の大会成績などが記載されている

OB・OG会の会報(写真左下)には交流会の様子や会員の寄稿、現役部員の大会成績などが記載されている

 
 同部は長年、学校隣の釜石製鉄所グラウンド(ラグビー場兼陸上競技場、現市球技場)を拠点に活動してきた。震災後の改修で陸上用トラックがなくなり、同部は複数の部が利用する校庭の一角で練習。週末に設備の整った宮古市や遠野市の競技場に出向き、実践練習を重ねる。同会からの支援金はそうした遠征費にも活用されている。
 
 三上教諭は「練習環境が十分でない中でも部員たちは工夫して練習し、各種大会で上位に食い込む力をつけてきた。これもOB・OG会の多大な支援のおかげ。非常にありがたい」と感謝。卒業する3年生には「釜石を離れるが、ここでの経験を糧にそれぞれの目標に向け頑張ってほしい」とはなむけの言葉を送った。
 
 同部OB、OGは全国各地に散らばり、マスターズ陸上で活躍する選手も。第2代会長の阿部征次さん(1963年卒)は大学卒業後、複数の大学で後進の育成に尽力。東京女子体育大の学長を務め、現在は釜石応援ふるさと大使としても活動する。4代目の藤元会長は「釜石市の人口はピーク時の3分の1。高校生徒数も減少しているが、部活で得た仲間は一生の宝。OB・OG会員は全国に300人以上いるので、何かの時には相談に応じられる」と先輩、後輩の絆をアピールした。
 
昼食を取りながら和やかに交流。世代を超えて陸上競技で結ばれた絆を深める

昼食を取りながら和やかに交流。世代を超えて陸上競技で結ばれた絆を深める

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消えゆく街の個性 釜石の「呑ん兵衛横丁」 地元出身の写真家、歴史刻む写真集出版

釜石市内の書店に並ぶ写真集「釜石呑ん兵衛横丁」

釜石市内の書店に並ぶ写真集「釜石呑ん兵衛横丁」

 
 かつて、釜石市には夜の街を照らす名物飲み屋街があった。「釜石呑ん兵衛(のんべえ)横丁」。この呼び名で親しまれた飲み屋街は、戦後の焦土から立ち上がった屋台を起源にする。地元の労働者、旅人らが肩を寄せ合う憩いの場だったが、東日本大震災の津波で全壊。その後、仮設店舗で復活も2018年、約60年の歴史に幕を下ろした。
 
 そんな「街の個性」と言える横丁の記録を伝える写真集がこのほど、出版された。撮影したのは、釜石出身のフリーカメラマンで釜石応援ふるさと大使も務める佐々木貴範さん(58)=埼玉県所沢市。「横丁は釜石の歴史と文化の象徴だった。単純に懐かしんでもらえたら。それと、もしかしたら新しい発見があるかも」とメッセージを送る。
 

懐かしさと発見を求め 佐々木貴範さん撮影

 
震災前後の釜石の「呑ん兵衛横丁」を撮り続けた佐々木貴範さん

震災前後の釜石の「呑ん兵衛横丁」を撮り続けた佐々木貴範さん

 
 写真集「釜石呑ん兵衛横丁 東日本大震災で消滅した飲み屋街の記録と歴史」はB5判116ページ。09年8月に取材を始め、約15年かけて撮影、取材した集大成だ。震災の津波で流されながらも、さまざまな支援を受けて仮設商店街で営業を再開した横丁の笑顔に満ちた様子を、震災前の写真と合わせて紹介。仮設店舗の退去後、個々に再建した店も追い続け、撮った約1500枚の中から115枚を掲載した。
 
 1957年ごろ、路地で営業していた店が集まり、大町の長屋に軒を連ねた同横丁。最大で36店が営業し、製鉄業で活気づくまちに憩いの場を提供してきた。2011年の震災時には27店が営業していたが、津波で建物は全壊。同年12月、鈴子町に整備された仮設店舗で16店が営業を再開した。市が大町に整備した本設の飲食店街への移転(3店)、自立再建、店主の死去などで最後に残ったのは6店。5店は本設再建へ意欲はあるものの、期限までに道筋をつけることができなかった。そうして消えた地域の文化の象徴。撮影しながら、調べた歴史の変遷も詳しく記す。
 
震災前の呑ん兵衛横丁があった大町付近。川にフタをするように飲み屋が並んでいた

震災前の呑ん兵衛横丁があった大町付近。川にフタをするように飲み屋が並んでいた

 
鈴子町にあった仮設商店街。退去期限が迫る2018年3月に撮影

鈴子町にあった仮設商店街。退去期限が迫る2018年3月に撮影

 
 佐々木さんは横丁と同時代ににぎわい、03年に廃止となった「橋上市場」の写真集も過去に手がけた。「呑ん兵衛横丁と橋上市場は戦後の復興に貢献し、ともに釜石の名物であり、観光の目玉だった。それが街の個性で、文化だった」。その象徴が消えてしまった寂しさの一方で、今ある文化のさらなる消失を危惧。記録としての写真の役割、力を信じて写真集をまとめた。
 
 「お恵」に「とんぼ」「助六」…。店名を記したそろいの看板が店頭にずらりと並び、夜の街を照らす横丁は“釜石の顔”だった。間口約3メートル、奥行き約5.5メートルの店内はカウンターだけで8人も入れば満席。常連の住民、仕事帰りの人、旅行者たちが集い、お気に入りの店で店主との会話を楽しむ。「一人で入ってもすぐに仲間になれる」。そんな誰もがすぐに打ち解ける雰囲気が写真から伝わってくる。
 

残したかった看板、あの頃 「お恵」店主・菊池悠子さん

 
 「懐かしいね」。そうつぶやきながら写真集のページをめくるのは、同横丁で55年にわたり居酒屋「お恵」を営んできた菊池悠子さん(86)。「もう、やめよう」。望んでいた集団での本設再建がかなわず、横丁を閉じることになった時にそう思った。自宅で過ごす日々が続くと、「ボケちゃう、やだな」。仮設店舗退去後、1年の準備期間を経て、かつて横丁があった、同じ大町で営業を再開した。
 
写真集を手に取る「お恵」の菊池悠子さん

写真集を手に取る「お恵」の菊池悠子さん

 
 「あの頃はおもしろかった」。24歳の時、友人から引き継ぐ形で始めた店の営業は「大変だったけど、楽しかった…やっぱり呑ん兵衛横丁が一番だね」と菊池さん。景気が良かったこともあるが、「人が絶えなかった。(店は)狭くて7人も入れば、いっぱい。人がすれ違うのにぶつかったりするくらいなのがいいんだよね」。仮設店舗時代の時もしかり。「大変でも、みんな前向きで懸命だった。おもしろかった」
 
 ページを進める手を止め、「あの人、どうしているかな」とぽつり。なじみ客、仲間だった横丁の店主らの顔を浮かべた様子だった。その中で、印象に残っているのは仮設時代に店ののれんをくぐった初見の客の言葉。店がいくつもある中で「どうしてうちの店に?」と聞くと、「前を通ったら、大きな笑い声が聞こえてきたから」と答えが返ってきたとか。アハハハ…。菊池さんの笑顔は今も変わっていない。「ありのままなのさ」
 
復活した「お恵」。菊池さんは笑顔と笑い声が味

復活した「お恵」。菊池さんは笑顔と笑い声が味

 
 写真集に収められている店主、客の姿に共通なのは笑顔。横丁を歩く酔客のカットからも、楽しそうな様子が伝わってくる。そんな光景は震災前はもちろん、仮設店舗でも同様。たまに顔を出す佐々木さんがたくさん写真を撮っている姿を記憶する菊池さんは「ありがたいね」と目を細める。“残したかったあの看板”“おもしろかったあの頃”を記録として閉じ込めてくれたことが「うれしい」。今は先のことをあまり考えていないというが、「店は人生そのもの。体が続く限り…ね」と表情は明るかった。
 
写真集には笑顔あふれる横丁の記録が刻まれる

写真集には笑顔あふれる横丁の記録が刻まれる

 
 菊池さんはこの写真集を店に置いていて、客らにとっても「昔の思い出話のきっかけになっている」という。「懐かしんでほしい」との佐々木さんの思いは伝わっている。世代が変わって地元では横丁を知らない人が増え、他地域の人は存在すら知らないだろう。「呑ん兵衛横丁の名を残せなかった」とやりきれなさを感じてきた佐々木さんは「釜石の文化の記録として写真集を手に取ってもらえたら」と願う。
 
 発売を記念し、3月29日に釜石市でトークイベントを開く。佐々木さん、菊池さん、「とんぼ」店主の高橋津江子さんが参加し、写真集制作の裏話、横丁や仮設店舗での出来事など語る。司会は、常連客の一人でもある元市職員の大久保孝信さん。会場は大町の市民ホールTETTOギャラリーで午後2時~、入場無料。
 
 写真集は、トークイベントを主催する桑畑書店(釜石・大町)の店頭に並ぶ。価格は税抜き2800円。インターネット書店でも購入できる。問い合わせは無明舎出版(018-832-5680)へ。

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釜石祈りのパーク 心を込めて清掃 鵜住居地区の住民、中学生ら≪東日本大震災14年≫

芳名板を磨く釜石東中の生徒=3月7日、釜石祈りのパーク

芳名板を磨く釜石東中の生徒=3月7日、釜石祈りのパーク

 
 東日本大震災から14年、より強く大切な人を思う―。祈りが続く3月11日を前に、釜石市民の慰霊追悼施設「釜石祈りのパーク」(釜石市鵜住居町)で7日、清掃作業が行われた。訪れる人たちに落ち着いた気持ちで手を合わせてもらおうと地域住民らが継続する活動に、釜石東中(佃拓生校長、生徒84人)の3年生31人が協力。「地域の一員として受け継いでいく役目がある」と、布を持つ手に力を込めた。
 
 生徒のほか、地域住民15人ほどが参加。市内全域の震災犠牲者1064人(関連死を含む)のうち1003人の芳名板や防災市民憲章碑などが設置されており、参加者が丁寧に布で拭いた。高圧洗浄機などを使って石畳もしっかりと洗浄し、景観を整えた。
 
「地域の一員」として清掃活動に取り組む釜石東中3年生

「地域の一員」として清掃活動に取り組む釜石東中3年生

 
住民と協力して防災市民憲章碑もしっかりと磨く

住民と協力して防災市民憲章碑もしっかりと磨く

 
鵜住居地区防災センター跡地に整備されたことを示す碑もきれいに

鵜住居地区防災センター跡地に整備されたことを示す碑もきれいに

 
 野沢晄真さんは「3.11を特別な思いで迎える人たちが過ごす場所だから」と真剣な表情で取り組んだ。震災当時は幼かったため「覚えていない」という生徒が多く、小笠原早紀さんは「普通の日常が送れることに感謝して過ごしたい」と向き合う。野沢さんは岩手県外へ、小笠原さんは釜石市内の高校へ進学予定。それぞれの道を歩むも、地域に根づく防災を学びながら住まう人たちの思いを感じてきた2人は「いつまでも忘れない。地域の一員として受け継ぐのが役目で、いろんなことをより深く学び、次の世代に伝えられるようにしたい」と、思いは同じだ。
 
 作業後、生徒たちは施設前に並び、「いつかこの海をこえて」を合唱。被災を経験した同校生の思いを歌にした曲に、「希望ある未来に向かう」との決意を乗せた。
 
祈りのパーク前で思いを一つに合唱。「希望の道を進もう」

祈りのパーク前で思いを一つに合唱。「希望の道を進もう」

 
 毎年参加している両川吉男さん(79)は津波で姉2人を亡くした。活動の前に墓参りし、「こっちは元気でいるよ」と伝えてきた。面倒見がよく、「世話されっぱなし」だった。もっと何かやってあげれば、会いにくればよかった…「申し訳ない」。3.11が近づくと、より強く思う。「14年経とうとも気持ちは変わらない」。少し離れた場所から芳名板を見つめつぶやいた。

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第7回 かまいし百円市

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売ってる商品はぜ~~んぶ100円の『かまいし百円市』を開催します。
リユース可能な子供用品、まだまだ使えるおもちゃ、ちょっとしたコレクションアイテム、かつての趣味の名残、ハンドメイド商品・・・など、全て100円のフリーマーケットです!
合言葉は「100円握ってお宝探し!」

出店者一覧(順不同

端材廃材工房65 工芸品、雑貨
安いよ☆ミラクル ぬいぐるみ、古着、古本
M.YAMAZAKI 古本、小物バッグ、ぬいぐるみ、タオル
むくのしっぽ ハンドメイド作品、ぬいぐるみ
夢団 衣類、小物、古本
M.YAMAZAKI 古本、小物バッグ、ぬいぐるみ、タオル
結華 小松生花店 生花
古本屋 雑誌
イワザキ 古着、古本、雑貨など
kumo24 ハンドメイド作品、ぬいぐるみ、古着など
すこの店 子ども雑貨
TETTO 古着、古本、雑貨

日時

2025年3月23日(日)10:00~13:00

場所

釜石市民ホールTETTO・ホール前広場

主催・お問合せ

釜石まちづくり(株)
担当:菅原
TEL 0193-22-3607

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト

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「まちを守る皆さんへ」 釜石中、消防援助隊へ寄せ書き横断幕 感謝の思い込め

感謝の寄せ書き横断幕を持つ緊急消防援助隊員と釜石中の生徒=釜石市民体育館

感謝の寄せ書き横断幕を持つ緊急消防援助隊員と釜石中の生徒=釜石市民体育館

 
 釜石中(佐々木一成校長、生徒294人)は7日、大船渡市の大規模山林火災に伴い、釜石市鵜住居町の市民体育館を拠点に消火活動に尽力する新潟、茨城、栃木各県の緊急消防援助隊に感謝や激励を込めた寄せ書きを記した横断幕を贈った。「まちを守ってくれてありがとう」「助かります」。慣れない地域での活動を日夜続ける隊員らを思って、文字をしたためた。
 
釜石中の全校生徒がメッセージを書き込んだ横断幕

釜石中の全校生徒がメッセージを書き込んだ横断幕

 
 「消火活動に来てくれた人たちに、中学生としてできることで感謝を伝えよう」と、同校の生徒会が横断幕の贈呈を提案。執行部の岡本あいるさん、久保伶奈さん、岩間心来さん(いずれも2年)、三浦碧人さん(1年)の4人が市民体育館を訪れ、隊員に手渡した。
 
 横断幕は3枚製作。それぞれ中央部分に「全国の消防隊の皆様に心から感謝します」「みなさんはわたしたちのヒーローです」「全国からのご支援ありがとうございます」と文字が記され、その周囲に「力を貸してくれてありがとう」「大船渡のために来てくれてありがとう。頑張ってください」などと全校生徒がメッセージを寄せた。
 
「大船渡がんばろう!」「まちを守る姿がかっこいい」などとメッセージ

「大船渡がんばろう!」「まちを守る姿がかっこいい」などとメッセージ

 
「力を貸してくれてありがとう」「遠くからありがとう」などと感謝をつづる

「力を貸してくれてありがとう」「遠くからありがとう」などと感謝をつづる

 
横断幕の贈呈を見守る3県の緊急消防援助隊員たち

横断幕の贈呈を見守る3県の緊急消防援助隊員たち

 
 4人は「全国から大変な思いをしながらも必死で消火活動に取り組んでいる方々に感謝の思いでいっぱいです。本当にありがとうございます。今回の山林火災を目の当たりにして釜石中としてもより一層防災への意識を高めていこうと改めて思いました。これから未来へつないでいきます」と思いを伝えた。
 
 新潟県の後方支援隊長を務める新潟市中央消防署の田中勝消防司令(55)は「地震や山林火災など自然災害が相次ぎ大変だが、お互いに助け合っていきたい」と気を引き締める。中学生から届けられた気持ちを受け止め、表情を緩める場面も。「樹木などに火種が残っていたり厳しい環境だが、頑張れる」と力にした。
 
生徒たちの思いが込められた横断幕が体育館に掲げられた

生徒たちの思いが込められた横断幕が体育館に掲げられた

 
 同校では、被災者を支えようと募金活動も展開。岡本さんは「山林火災が早く鎮火するよう、頑張ってもらいたい。親戚が大船渡に住んでいるので、早く元の生活に戻ってほしい」と願った。
 
 この日、釜石市も激励として飲料水(仙人秘水)を各隊に贈った。
 
 大船渡の山林火災は隊員らによる地道な活動などによって、延焼の恐れがなくなったことから、9日夕、大船渡市が鎮圧を宣言。それにより、釜石に拠点を置く3県の消防援助隊も活動を終える。

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障害児のプール着替えの助けに NPOプラスワンハピネス釜石市に寄付 ふるさと納税活用 

釜石市に寄付金を贈呈した認定NPO法人プラスワンハピネスの高橋大輝副理事長(右)

釜石市に寄付金を贈呈した認定NPO法人プラスワンハピネスの高橋大輝副理事長(右)

 
 障害児支援活動を行う釜石市の認定NPO法人Plus One Happiness(プラスワンハピネス、横沢友樹理事長)は2月27日、市営プール多目的トイレへのフィッティングボード(収納式着替え台)設置などに使ってもらおうと、市に20万円を寄付した。ふるさと納税の団体支援制度を活用したもので、同NPOの同市への寄付は初めて。高橋大輝副理事長が市役所を訪ね、小野共市長に寄付金を手渡した。
 
 同NPOは2022年2月に設立。24年12月、税制上のさまざまな優遇措置がある“認定NPO”になった。誕生のきっかけは「生まれた場所、住んでいる場所によって、受けられる支援が違うのはおかしい」という障害児の親からの声。支援の地域差を埋められるようにと、同市出身の医療、福祉従事者らが立ちあげた。ダウン症児の家族交流会、同赤ちゃん体操教室の開催のほか、定内町に開設した釜石広域基幹相談支援センター(高橋大輝センター長)での障害児放課後預かり、月1回(休日)のおもちゃ図書館(遊び場)開放などを行っている。
 
釜石市と大槌町から委託を受け、昨年4月に開設した釜石広域基幹相談支援センターのセンター長も務める高橋さん。障害児(者)支援の取り組みについて話した 

釜石市と大槌町から委託を受け、昨年4月に開設した釜石広域基幹相談支援センターのセンター長も務める高橋さん。障害児(者)支援の取り組みについて話した

 
 「君の『やりたい』を『できる』に変えるプロジェクト」として昨夏には、海に入ることが困難な障害児に海水浴を楽しんでもらうイベント「ユニバーサルビーチ」を企画(台風のため中止、25年度開催予定)。今回はプロジェクト第2弾として、着替えに介助が必要な障害児のために、市営プール内に男女共用着替えスペースを確保する資金を寄付した。
 
 高橋副理事長は「ふるさと納税でたくさんの寄付をいただいている。今後も障害児(者) が市内で暮らしやすい環境に寄与していければ」と決意。小野市長は「障害を持つ人たちにやさしいまちは誰にとってもやさしい。(同NPOへの)市民、県民の期待の大きさを感じる。今後とも市政推進にご協力を」と願った。
 
小野市長らと子どもの遊び場についても意見交換した

小野市長らと子どもの遊び場についても意見交換した

 
 同NPOは障害の有無に関わらず、地域の子どもたちが通年利用できる屋内型遊び場の整備も検討中。懇談では市との連携も話題に上った。「理想はインクルーシブ。地域にはいろいろな子どもがいる。『みんな違って、みんないい』というところを感じてもらえる場所にできれば」と高橋副理事長。今後も「当事者の声、ニーズを一つ一つ丁寧に拾っていける法人でありたい」と話した。
 
 同市のふるさと納税の団体支援制度は2020年度から開始。現在8団体が支援対象となっている。

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「あの日を忘れない」釜石の記憶をつなぐ 震災題材の舞台3本立て 8、9日上演

震災の記憶をつなぐ公演に向けて稽古を重ねる演者たち

震災の記憶をつなぐ公演に向けて稽古を重ねる演者たち

 
 「あの3月11日を忘れない 一人の芝居とドラマリーディング」は3月8、9の両日、釜石市の2会場で上演される。同市の劇団もしょこむの小笠原景子さん(40)、東京の劇団黒テントの内沢雅彦さん(64)=同市大只越町出身=による一人芝居2演目と、地元の中高生ら3人を交えたドラマリーディング1演目という3本立て。どの演目も地元ゆかりの作家の著書を原作にし、東日本大震災の“記憶をつなぐ”と思いを込めて舞台を創る。
 
 内沢さん出演「もう一人の私へ」は、鵜住居町出身の小説家沢村鐵(てつ)さんの短編が原作だ。「あの記憶に触れるときに平静でなどいられない。…脚色が不要どころか、悲惨すぎてぼかすことが必要な現実なのだから」。偶然が重なって被災を免れた一人の作家が“砂漠のような”更地のまちで生活する中で、あったかもしれない過去に思いをはせ、複雑な胸の内を息子への手紙につづる。文字として記された気持ちを自らに問いかけながら舞台に上がる。
 
 小笠原さん出演「釜石の風」は、釜石高の教諭だった俳人照井翠さんのエッセーが原作。「私達は三月を愛さないし、三月もまた私達を愛さない」。惨状、混乱、残された人たちと苦悩…、そして復興に向かうまちの様子、希望。震災後に市内外の被災地を訪ね、見聞きしたこと、感じたことが記された一文一文を、演劇に写し出す。
 
震災を題材にした公演「あの3月11日を忘れない」のチラシ

震災を題材にした公演「あの3月11日を忘れない」のチラシ

 
 内沢さんが地元の子どもらとタッグを組み上演する「自然とのかかわりを問い直す」の原作は、平田出身のフリーライター中川大介さんの著書「水辺の小さな自然再生」。巨大な防潮堤の建造、海との遮断、そしてでき上がった「安全なまち」への戸惑い…。古里・平田の変貌を記した部分を抜き出し、自然との関わりや向き合い方を問いかける。「恵みと厄災の双方を受け止め、自然と折り合っていく道を見つけることはできるだろうか」
 
 「自然との~」は演者が体を動かしたりもするが、基本的には台本などのテキストを読んでいるのを見せるスタイル、ドラマリーディングという形で披露。高校生の森美惠さん(17)、中学生の川端俐湖さん(13)が出演。森さんの父・一欽さん(51)も参加し、「風化と伝承」をテーマに思いを話す。
 
 公演を前に2月14日、リーディングチームが稽古。挿入する音源や間合いなどを確認した。昨年5月頃から月1回ほど、オンラインで読み合わせなどを行ってきた美惠さんは「哲学的で難しい部分もあるが、自分の知らない視点に触れられて興味深い」と楽しそうに話す。震災時は幼く、「記憶があまりない」。ただ、何かは感じていた。高校では震災伝承の活動にも取り組んでいるが、若い世代の語りに「葛藤している」。そんな中で得た、「あの日」を伝える機会。「私たちだから響くものがあるはず。そんな語りに新しさを感じてほしい」と思いを込める。
 
自然とのかかわりを問い直す」の公演に向けて喫茶かりやで稽古

「自然とのかかわりを問い直す」の公演に向けて喫茶かりやで稽古

 
内沢雅彦さん(左)のアドバイスを聞く川端俐湖さん(右)と森美惠さん

内沢雅彦さん(左)のアドバイスを聞く川端俐湖さん(右)と森美惠さん

 
 震災があった2011年に生まれた川端さんは「経験はしていないけど、震災や防災に関心を持っている子どもはいる。これまでの学びや経験で感じた気持ちを思い出しながら、この話の主題、理解してほしいことを見つけて伝えたい」と向き合う。
 
 この公演は23年に内沢さんが始めた。1人の活動が、翌年には小笠原さんが加わり、今回はさらに3人増えた。「演じることが何になるのだろうと思う時もあるが、語り、演じるしかない」と内沢さん。3つの作品によって、「共感できる見解でそれぞれの記憶を思い出し、語り合うだけでも意義があると思う」と話す。若い世代が手を挙げてくれたことをうれしく感じ、声の強弱や表情など熱心に助言していた。
 
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楽しそうに取り組む若者2人を内沢さん(中)が見守る

 
 小笠原さんは独自に稽古中。なぜ3月に被災地で演じるのか―。「つらいことを思い出させることに葛藤がある」というが、昨年演じたことで、「思い出す日は必要だ」と改めて感じている。「感情の記憶は人それぞれで、共感できる部分も違う。でも、深く、じっくり、誰か、何かを自分なりに思い出さないと忘れてしまう。つらいだけではない、あたたかさや感謝、乗り越えてきたことを…。そんな何かをゆっくり思う時間、感情を重ねるきっかけにしてもらえるよう演じたい」と思いを深める。
 
3月の公演に向けて独自に稽古を重ねている小笠原景子さん

3月の公演に向けて独自に稽古を重ねている小笠原景子さん

 
 自然災害が各地で頻発する中、「失ったものへの祈りや未来へのまなざしを確かめる」古里公演を企画し続ける内沢さん。「3・11に刻みつけた記憶、思いに向き合うきっかけになれば」と来場を呼びかける。
 
◇公演スケジュール
【昼の部】会場は喫茶かりや(釜石市大町)。料金は1000円(ドリンク別)。
8日午後2時から「もう一人の私へ」、午後5時から「自然とのかかわりを問い直す」
9日午後1時30分から「自然とのかかわりを問い直す」、午後4時から「釜石の風」
【夜の部】会場はジャズ喫茶タウンホール(同)。料金は1000円(ドリンク別)。
8日「釜石の風」、9日「もう一人の私へ」。いずれも午後7時半から。

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甲子大畑「不動の滝」で描く幻想ストーリー 第38回釜石市民劇場450人が楽しむ 

第38回釜石市民劇場 大畑・不動の滝「女神と木伐(きこ)る男」伝奇=2月23日、TETTO

第38回釜石市民劇場 大畑・不動の滝「女神と木伐(きこ)る男」伝奇=2月23日、TETTO

 
 第38回釜石市民劇場(実行委主催)は2月23日、同市大町の市民ホールTETTOで上演された。豊かな自然に囲まれた甲子・大畑の名勝「不動の滝」で繰り広げる創作劇。そこに生きる村人たちに起こる不思議な出来事を通して、人の心のありよう、家族の絆などを描いた。午前と午後の2回公演に約450人が来場し、市民手作りの舞台劇を楽しんだ。
 
 物語の舞台は明治初期の甲子村。釜石村鈴子に製鉄所が稼働し、山あいの村では燃料の木炭を供給するため、村人が炭焼きに精を出していた。ある日、炭焼き人の良吉は地元民の憩いの場「不動の滝」周辺の清掃に出かける。枝払いをしていた時、誤って鉈(なた)を滝つぼに落としてしまう。困惑していると、滝から黄金色の斧を持った水神様が現れる。女神の問いかけに、自分の物ではないと正直に答える良吉。その様子を物陰から見ていた村人の武三は欲に駆られて…。
 
主人公の良吉(右)は妻と娘、村人たちと平穏に暮らしていた

主人公の良吉(右)は妻と娘、村人たちと平穏に暮らしていた

 
滝つぼにわざと斧(おの)を投げ入れ、女神から黄金の斧をもらおうと嘘を重ねる武三(左)

滝つぼにわざと斧(おの)を投げ入れ、女神から黄金の斧をもらおうと嘘を重ねる武三(左)

 
炭焼きの先輩作治(左上写真右)から助言をもらい、10日ほどの山ごもりに意気揚々の良吉

炭焼きの先輩作治(左上写真右)から助言をもらい、10日ほどの山ごもりに意気揚々の良吉

 
 イソップ寓話的な導入部から始まる物語は同実行委の久保秀俊会長(76)が創作。想像される当時の村人の暮らし、自然への敬意を非現実の出来事と絡め、人生訓や助け合いの精神、家族の絆などを描いた。子どもから老人まで各登場人物のキャラクターをキャスト15人が演じ分け、物語が進んだ。
 
 滝での出来事を機に災難に見舞われる武三。炭焼き作業に出かけたまま、行方不明になってしまう良吉。心配して探し回る村人に武三は滝で起こったことを正直に話す。心労で床に伏していた良吉の妻みゑは武三の話を聞き、いちるの望みをかけ、滝の祠にお百度参りを繰り返す。行方不明から1年後…。滝に来ていたみゑの目の前に夫良吉が突然現れる。滝の女神の褒美で1日だけ竜宮御殿に招かれていたという良吉。摩訶不思議な出来事に村人たちも騒然となるも、親子3人の再会を喜び合い、クライマックスを迎える。
 
滝の女神の怒りをかい、災いが降り懸かり倒れ込む武三。驚いた村人が駆け寄る

滝の女神の怒りをかい、災いが降り懸かり倒れ込む武三。驚いた村人が駆け寄る

 
山に入った良吉がいなくなったと告げる作治(左)に詰め寄る娘モモ(中央)と妻みゑ(右)

山に入った良吉がいなくなったと告げる作治(左)に詰め寄る娘モモ(中央)と妻みゑ(右)

 
写真左:滝での出来事を作治に告白する武三(左) 同右:夫の無事を願い、滝の祠にお百度参りを続けるみゑ

写真左:滝での出来事を作治に告白する武三(左) 同右:夫の無事を願い、滝の祠にお百度参りを続けるみゑ

 
写真上:行方不明から1年後、妻の前に姿を現す良吉。驚きと混乱のみゑ 同下:良吉を見て村の子どもたちも騒然

写真上:行方不明から1年後、妻の前に姿を現す良吉。驚きと混乱のみゑ 同下:良吉を見て村の子どもたちも騒然

 
 会場には幅広い年代の観客が足を運び、市民の手作り舞台を楽しんだ。同市中妻町の女性(73)は「子どもたちの演技がよくできていた」と称賛。同劇場には、ほぼ毎年足を運んでいて、「職業も年代もばらばらの人たちが劇を通して、横のつながりを広げていけるのはとてもいいこと」と話した。大槌町の久保晴陽さん(9)は「神様が出てくるところが面白かった。自分も劇をやってみたい」と興味をそそられた様子。妹と弟3人が出演した青山萌華さん(17)は「昨年よりも声が出ていて、演技もうまくなっていた」と頑張りをたたえた。自身も昨年までスタッフとして参加。今回は観客側の目線も体験し、新たな発見もあったよう。
 
3姉弟で参加した(左から)女神役の青山凜々華さん、荷馬車業一家の子ども役の涼華さん、一樹さん

3姉弟で参加した(左から)女神役の青山凜々華さん、荷馬車業一家の子ども役の涼華さん、一樹さん

 
 今回出演した15人中4人は釜石高の生徒。初挑戦の前見琉綺亜さん(16)は同校音楽部に所属し、「部活が終わってからの劇の稽古で両立が大変だった」と明かしつつ、荷馬車業一家の面倒見の良い姉役を役作りし演じ切った。観客の反応も舞台上で感じ、「笑ったり、悲しい場面に共感している様子を見て、ちゃんと伝わっているんだとうれしくなった」と演劇の醍醐味を感じていた。
 
釜石市民劇場初出演の前見琉綺亜さん(左)と及川蒼太さん(右)

釜石市民劇場初出演の前見琉綺亜さん(左)と及川蒼太さん(右)

 
 大人では唯一の初出演となった及川蒼太さん(25)は、13~14歳設定の子ども役に挑戦。1月後半からの立ち稽古で「セリフと動きを合わせるのに苦労した」というが、本番では「大勢の人の前で演技するのは新鮮で面白かった」と舞台特有の空間を楽しんだ様子。最初の緊張もすぐにほぐれたようで、「いい思い出になった」と貴重な経験に笑顔を見せた。
 
 出演者最年長の両川吉男さん(79)は約20年ぶりに舞台復帰。久保会長から懇願され決断したが、「年を取るとセリフが出てこなくてね。プレッシャーで眠れない日も…。若い人たちに支えてもらって何とかやり遂げられた」と感謝。苦労は多かったが、「孫のようなめんこい子どもたちが『じいちゃん、じいちゃん』って慕ってくれて。今日は地元の茶飲み仲間も見に来てくれてうれしかった」と目尻を下げた。宮古市から駆け付けた長男英寿さん(43)は「父はみんなについていくのが大変だったと思うが、最後まで演じ切れて良かった」と拍手を送った。
 
久しぶりのキャスト両川吉男さん(左から2人目)も熱演。市民劇場にはスタッフとしても関わっていた

久しぶりのキャスト両川吉男さん(左から2人目)も熱演。市民劇場にはスタッフとしても関わっていた

 
 釜石市民劇場は1986(昭和61)年度に、当時の釜石市民文化会館自主事業としてスタート。2003(平成15)年度から実行委員会が実施主体となり、年1回の公演を続ける。東日本大震災で会場の同会館が被災した後は、釜石駅前にあったテント施設、シープラザ遊で公演。現市民ホール完成後の2018(平成30)年度から同ホール公演が実現した。
 
終演後、舞台あいさつをするキャスト、スタッフら。主人公良吉役の菊池圭悟さん(写真左上)が観客と関係者にお礼の言葉を述べた

終演後、舞台あいさつをするキャスト、スタッフら。主人公良吉役の菊池圭悟さん(写真左上)が観客と関係者にお礼の言葉を述べた

 
笑顔で観客をお見送り。改めて来場への感謝の気持ちを伝えた

笑顔で観客をお見送り。改めて来場への感謝の気持ちを伝えた

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大船渡市山林火災 釜石市も後方支援続く 緊急消防援助隊の拠点に 市職員は避難所運営を応援

新潟、茨城、栃木3県の緊急消防援助隊が活動拠点とする釜石市民体育館(鵜住居町)

新潟、茨城、栃木3県の緊急消防援助隊が活動拠点とする釜石市民体育館(鵜住居町)

 
 大船渡市で続く山林火災は、きょう4日で発生から1週間となった。県によると焼失面積は約2600ヘクタールに拡大。1896世帯4596人に避難指示が出され、12の避難所に1213人が避難している(4日午前6時現在)。同市に隣接する釜石市では鵜住居町の市民体育館が緊急消防援助隊の宿営地になっていて、24時間体制で火災現場に向かっている。1、2の両日は避難所運営の応援として市職員を派遣。後方支援で現場活動を支えている。
 
 釜石市は県災害対策本部の要請を受け、2月27日に後方支援活動を開始した。緊急消防援助隊の活動拠点として市民体育館と周辺を提供。同日夜に新潟の部隊が到着し、茨城、栃木と続き、3県の計117隊約460人が集結した。各種機能を備えた消防車両が同館駐車場のほか、周辺の臨時駐車スペースに待機。館内に設置した簡易ベッドで睡眠を取りながら、県大隊ごとに交代で出動している。3日は午前6時20分ごろに第一陣が出発後、数回にわたって現場に向かった。
 
大船渡市の山林火災現場への出動を前に準備を整える隊員ら=3日、午前6時半ごろ

大船渡市の山林火災現場への出動を前に準備を整える隊員ら=3日、午前6時半ごろ

 
市民体育館を出発する新潟県隊の消防車両

市民体育館を出発する新潟県隊の消防車両

 
 茨城県笠間市消防本部消防司令の鈴木俊史さん(50)は、2月27日から4日間活動した第一派遣隊からバトンを受け、2日午後に釜石入り。夕方、大船渡市綾里に入り、午後7時すぎに現場活動を開始。簡易型水のうを背負い、ジェットシューターで消火活動にあたった。「これほどの規模の山火事は地元でも経験がない。第一隊から送られてきた写真で過酷な現場になるとは思っていたが…。急斜面も多く、機材を背負っての活動は慣れていない人には厳しい現場ではないか」と話す。
 
ご飯はお湯を注ぐだけで食べられる非常食

ご飯はお湯を注ぐだけで食べられる非常食

 
体育館前にテーブルを並べ、食事を取る茨城県隊の隊員ら=3日朝

体育館前にテーブルを並べ、食事を取る茨城県隊の隊員ら=3日朝

 
 市民体育館には日中は市指定管理者の協立管理工業スタッフ、夜間は市スポーツ推進課職員が常駐。市は近くの釜石鵜住居復興スタジアムのシャワー室も開放し、隊員の疲労軽減を図る。同課の佐々木利光課長は「東日本大震災の時にお世話になった方々が再び被災地で消防活動に従事してくれているのはありがたいこと。当時の感謝を今回の対応で返せればとの思いもあるので、隊員の皆さんが活動に従事しやすい環境をできる限り整えたい」と気を引き締める。
 
 同館の近隣住民も昼夜を問わない活動に「頭が下がる思い。これだけの消防車両が集まっているのを見ると、火災規模の大きさを実感する。現場は大変だろうが、1日も早く火が消えるよう願うばかり」と隣町に思いを寄せた。
 
次々に出発する消防車両。釜石北インターチェンジから三陸沿岸道路に入り大船渡市へ向かう

次々に出発する消防車両。釜石北インターチェンジから三陸沿岸道路に入り大船渡市へ向かう

 
 釜石大槌地区行政事務組合消防本部(駒林博之消防長)は県内相互応援隊として、連日、隊員を現場に派遣する。大船渡市では今回の火災の前にも2件の山林火災があり、同本部は1件目から消火活動の応援を続けている。今は常時10人ほどが現場にいる体制を組み、本県隊は防災ヘリの水のうに水を補給する作業を中心に行っている。緊急援助隊が来るまでは、夜間に山に入り、家屋への延焼を防ぐための放水作業も担った。駒林消防長は「今回の火災は火の勢いが強く、延焼が止まらない状況だと聞いている。山が急峻で人が入れない場所もあり、半島の道路も広くないので、大型ポンプ車が入っての消火もしにくい状況」と活動の困難さを示す。同本部隊員の活動はまもなく2週間となる。「徐々に疲れもたまってきていると思う。体調管理をして事故を起こさないように」と駒林消防長。
 
 釜石市では2017年に類似地形の尾崎半島で山林火災が発生。413ヘクタールを焼失し、鎮火までに2週間を要した。当時は住家の被害は免れたが、今回は多数の民家に被害が及んでいる。「延焼の一番の要因は乾燥と風。沿岸南部は乾燥注意報が継続中。この状況下で当管轄内の山火事が起きると大変なことになる。より一層の注意を」と呼び掛ける。
 
三陸公民館から見える山林火災の現場。広範囲で白煙が上がる=2日、大船渡市三陸町越喜来(写真提供:佐々木良衡さん)

三陸公民館から見える山林火災の現場。広範囲で白煙が上がる=2日、大船渡市三陸町越喜来(写真提供:佐々木良衡さん)

 
 避難所運営を支える応援職員は1、2の両日、各3人が派遣された。避難所となっている大船渡市三陸町越喜来の三陸公民館で、物資の受け入れや運搬、仕分け、供給などの業務にあたった。都市計画課の佐々木良衡(よしひら)さん(44)は2日に活動した。同公民館には綾里地区の住民らを中心に約260人が避難。震災時と異なり、避難所の環境は良く、食事は3食弁当が配られ、入浴施設への定期便が運行されるなど、健康面や衛生面に配慮されていたという。直接話す機会は多くなかったが、住民らの印象は「暗い表情ではなかった。現実を受け入れている感じ」。作業の合間には「釜石から来てくれてありがとう」と声を掛けられることもあった。
 
応援職員として派遣され、避難所運営にあたった佐々木良衡さん

応援職員として派遣され、避難所運営にあたった佐々木良衡さん

 
三陸公民館の避難所。パーテーションでプライバシーを確保(佐々木さん撮影)

三陸公民館の避難所。パーテーションでプライバシーを確保(佐々木さん撮影)

 
 「隣町での出来事で他人事ではない」と感じていた佐々木さん。現場の最前線で活躍する消防隊員、自衛隊員らのようには動けないが、「自分にできることで大船渡を応援したい」と力を込める。電気工事の設計・管理業務、建物の修繕など特技を生かしたサポートも考えている。今回は所属する釜石ライフセービングクラブから託された飲料水など物資を持参したほか、通信手段に活用してもらおうとトランシーバー10数個も貸与。今週末にはクラブの仲間数人で避難所運営の応援に再訪する予定だ。
 
 釜石市も飲料水や菓子などの物資を支援。市内の災害公営住宅の空き室を確保し、被災者を受け入れる準備も進めている。避難所運営の職員派遣は継続する見込みで、防災危機管理課の川崎浩二課長は「後方支援的な役割を担いつつ、被害の状況や県の動きを見ながら、できる支援を独自に考え対応していきたい」と話した。
 
 物資や義援金を届けたいとの声は市民からも上がっていて、炊き出しに出向く企業もある。大町の釜石情報交流センター、市民ホールTETTOでは早期鎮火を願い、雨を待ちわびる「ふれふれ坊主」作りを通じた募金活動を展開中。参加費として募金してもらい、用意された花紙で工作、完成したものを館内に飾り付けるという手順だ。集まった善意は、避難所で炊き出しなどを行っている一般社団法人大船渡地域戦略に贈る予定。両施設を運営管理する釜石まちづくり会社の下村達志事業部長は「被災した人たちが必要としている活動の後押しになる」と参加を呼びかける。
 
「てるてる坊主」ならぬ「ふれふれ坊主」に「雨、降って」とお願い=2日、釜石情報交流センター

「てるてる坊主」ならぬ「ふれふれ坊主」に「雨、降って」とお願い=2日、釜石情報交流センター

 
 赤、青、黄色などカラ“フル”な、ふれふれ坊主を見つめていた女の子。願いを込めて、そっと手を合わせた。「雨が降って、火が消えますように…」

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NTTリーグワン2024-25 D2 第7節 日本製鉄釜石シーウェイブス vs. レッドハリケーンズ大阪

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当日のイベント、グルメ、アクセス情報などの詳細は、シーウェイブス公式サイトをご確認ください。

概要

NTTジャパンラグビー リーグワン2024-25 ディビジョン2 第7節
日本製鉄釜石シーウェイブス vs. レッドハリケーンズ大阪

日時

2025年3月8日(土) 13:05キックオフ / 11:00開場(ファンクラブ会員10:45開場)

会場

釜石鵜住居復興スタジアム

チケット

入場無料(要チケット)

日本製鉄釜石シーウェイブス

日本製鉄釜石シーウェイブス

日本製鉄釜石シーウェイブスは、岩手県釜石市を拠点とし、「ジャパンラグビー リーグワン ディビジョン2」に所属する地域型クラブチームです。応援よろしくお願いします!
公式サイト

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釜石の郷土芸能・小川しし踊り 保存会、いわてユネスコ教育賞 小学校での伝承活動を評価

小野共市長(中)に受賞を報告した小川しし踊り保存会メンバー

小野共市長(中)に受賞を報告した小川しし踊り保存会メンバー

 
 釜石市の小川しし踊り保存会(佐々木義一会長)はこのほど、岩手県ユネスコ連絡協議会(三田地宣子会長)が主催する第29回いわてユネスコ賞の教育賞を受賞した。同保存会が長年続けている子どもたちへの伝承指導が評価されたもの。2月26日、佐々木会長と顧問の佐々木佳津子さんが小野共市長に喜びを報告し、活動継続への深まる気持ちを伝えた。
 
 いわてユネスコ賞は文化や教育分野などで模範的な活動を行っている児童生徒、教育関係者らをたたえるもの。県内各地の学校やユネスコ協会などから推薦があったものを同協議会で選考。本年度は科学、文化、活動奨励、教育の4分野で合わせて10団体の受賞を決めた。昨年10月に発表し、それぞれ賞状などが伝達された。
 
 同保存会が伝承する「小川しし踊り」(釜石市指定無形民俗文化財)は、遠野郷上郷村火尻(森の下)集落に伝えられている鹿踊が起源とされる。明治15~16年ごろ、小川地区から派遣された3人の若者が習得、持ち帰ったものを地域ぐるみで守ってきた。優雅な群舞であり、時に野に遊ぶシカたちの姿を表し軽快に舞うのが特徴。小川地区にある千晩神社の例大祭で奉納したり、釜石まつりでは釜石製鉄所山神社のみこしに付き従い、舞を披露している。
 
小川しし踊りや保存会の活動に関する資料

小川しし踊りや保存会の活動に関する資料

 
 会の発足は1955(昭和30)年。郷土芸能の後継者育成を目的に、70年代後半から旧小川小で伝承指導活動を始めた。2005年に小佐野小と統合。その時に小佐野小では、小川小の伝統を引き継ごうと伝承活動委員会、特設クラブを設け、学習発表会や地域の交流イベントで演舞を披露してきた。現在、委員会などはなくなったが、授業に取り入れ高学年が継承。17年から運動会のプログラムとしても組み込まれている。こうした50年近く続く取り組みが認められ、児童生徒が行う活動の指導者らが対象の教育賞に選ばれた。
 
 この日、市役所を訪れた佐々木会長は「(受賞は)驚いたが、うれしい。次の世代に引き継ぐのが役目で、今の形を続けていきたい。郷土芸能に触れることは社会勉強にもなり、いい機会だと思う。子どもたちは指導する大人を見ていて、懸命に教えれば応えてくれる。しっかりしようと気も引き締まる。しし(踊り)は本当にいい」と笑顔を見せた。
 
受賞の喜びを報告する佐々木義一会長(左)と佐々木佳津子さん

受賞の喜びを報告する佐々木義一会長(左)と佐々木佳津子さん

 
市長らにユネスコ教育賞の賞状や盾を披露した

市長らにユネスコ教育賞の賞状や盾を披露した

 
 小野市長は「伝承活動を通じて子どもたちが地域を知る貴重な機会になっていると感じる。郷土愛、地域への愛着を生む取り組みを続けてほしい」と期待した。
 
 報告を終えた佐々木会長は小佐野小へ。卒業する6年生に代わり、新たに受け継ぐ4、5年生に改めてしし踊りの歴史や保存会の活動を紹介、演舞の指導も行った。

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釜石PIT 2025年3月のスケジュール

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釜石PITの3月のスケジュールです。
太字で表示されているイベントは一般の方も参加できます。イベントに関するお問い合わせは、各主催者までお願いいたします。
 
施設に関する詳細はこちらのページをご覧ください。

フェリアス釜石

釜石まちづくり株式会社

釜石まちづくり株式会社(愛称 フェリアス釜石)による投稿記事です。

問い合わせ:0193-22-3607
〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-10 釜石情報交流センター内 公式サイト