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今年も中止が決まった「釜石まつり」。感染症が原因での中止は関係者も記憶にないと話す=写真:2019年

「釜石まつり」2年連続の中止に 新型コロナ感染拡大防止図る

今年も中止が決まった「釜石まつり」。感染症が原因での中止は関係者も記憶にないと話す=写真:2019年

今年も中止が決まった「釜石まつり」。感染症が原因での中止は関係者も記憶にないと話す=写真:2019年

 

 10月15~17日に予定されていた釜石市の「釜石まつり」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止される。6日に開かれた釜石まつり委員会(委員長=野田武則釜石市長)で決まった。2年連続の中止となる。

 

 釜石の秋を彩る同まつりは、尾崎神社(浜町)と釜石製鉄所山神社(桜木町)の合同祭。1967(昭和42)年の市制施行30周年を機に始まり、釜石湾内での曳き船まつり(尾崎神社海上渡御)、両神社合同みこし渡御が呼び物の市内最大規模の祭りとして親しまれる。

 

 東日本大震災があった2011年にも合同祭の神事は行い、翌12年からは合同渡御も復活。まちの復興を後押ししてきたが、昨年春から続く新型コロナ感染症の影響で、今年の合同祭も見送られることになった。曳き船まつりは2019年も悪天候のため開催できず、3年連続という異例の中止となった。

 

大漁、海上安全などを祈願する「曳き船まつり」。来年こそはと願わずにはいられない=写真:2017年

大漁、海上安全などを祈願する「曳き船まつり」。来年こそはと願わずにはいられない=写真:2017年

 

 両神社はそれぞれ宵宮祭、例祭の神事を、規模を縮小して関係者のみで行う予定。

8年目の運行を開始した「SL銀河」。雄姿再び!

待ってた!お帰り!SL銀河 8年目の運行開始に沿線住民も笑顔

8年目の運行を開始した「SL銀河」。雄姿再び!

8年目の運行を開始した「SL銀河」。雄姿再び!

 

 JR釜石線(花巻―釜石間、90・2キロ)を走る蒸気機関車「SL銀河」は、21日から今季の運行を開始した。初日は「SL銀河東北DC結び号」として、特別に盛岡駅始発で釜石駅まで運行。沿線では、1年ぶりの運行を喜ぶ住民らが手旗を振って歓迎した。12月5日まで、毎週土・日曜日に上下32本の運行を予定する。

 

 東日本大震災で被災した東北の復興支援、地域活性化を目的に、2014年に運行を開始した「SL銀河」。例年は春の観光シーズン入りに合わせ、4月に運行を開始するが、今年は昨年の運行終了後、数年に一度の機関車の大規模な点検整備を実施したことで夏の開始となった。

 

 21、22の両日は、「東北デスティネーションキャンペーン(DC)」(4月1日~9月30日)のヘッドマークを付けて運行した。東北DCは、震災10年に合わせ、東北6県の自治体、観光関係者、JRなどが一体となって行う大型観光キャンペーンだが、新型コロナウイルス感染拡大により、各地で予定されていたイベントや周遊列車は相次いで中止に。同結び号には「駅や鉄道と地域を結ぶ架け橋に」との願いが込められた。

 

釜石駅に到着。周辺では市民らがお出迎え=21日

釜石駅に到着。周辺では市民らがお出迎え=21日

 

 21日は午前8時に盛岡駅を出発。午後3時10分に釜石駅に到着した。当初、各駅では郷土芸能やご当地キャラクターによるおもてなしを予定していたが、県独自の緊急事態宣言発出を受け、一部が取りやめになった。それでも、沿線住民らは列車の通過時に手を振るなど、精いっぱいの歓迎の気持ちを表した。

 

 八雲町の踏切で待ち構えた前田雄基君(釜石小6年)は、「釜石線からありがとう」「結(むすび)」などの文字が入った手旗を振って歓迎した。自宅は線路のすぐ近くで、「乗り鉄」「撮り鉄」「音鉄」を自称する大の鉄道好き。黒煙を上げる姿をタブレット端末に収め、「手を振ったら汽笛を鳴らしてくれた。乗客も手を振ってくれた」と大喜び。「やっぱりSLっていい。ずっと走ってほしい」と、隣に立つ母親と笑顔を重ねた。

 

 釜石駅では、例年行っている虎舞による歓迎は中止されたが、JR社員や観光関係者がホームで横断幕や大漁旗を掲げ、乗客を迎えた。長野県のホテル勤務の男性(30)は、観光業の視察を兼ねてSL銀河に初乗車。「(宮沢賢治の)『銀河鉄道の夜』の世界観が最高。子どもも大人も楽しめる」と感動。今年に入り4路線のSLに乗っており、「それぞれに違う魅力があるのが、SLの楽しみの1つ」と目を輝かせた。

 

対面ホームも使い、距離を取りながら乗客を歓迎

対面ホームも使い、距離を取りながら乗客を歓迎

 

旅の思い出に歓迎の様子をカメラに収める乗客

旅の思い出に歓迎の様子をカメラに収める乗客

 

 吉田正樹釜石駅長は「私たちも心待ちにしていた。乗客からも『やっと乗ることができた』という喜びが伝わってくる。コロナ禍で不安もあったが、お客様の笑顔が見られて何より」と一安心。8年目の運行に「SLの蒸気の音を聞くと元気がもらえるという声をよく耳にする。沿線住民にも乗ってもらい、素晴らしさを体験してほしい」と願う。

 

 SL銀河では、消毒液を用いた車内の拭き清掃、乗員、乗客のマスク着用、手指消毒、検温、停車駅での換気強化など感染防止策を徹底。人気の車内プラネタリウムは当面、休止するが、代わりにスマートフォンでQRコードを読み込むと、映像が見られるようにしている。

 

運行2日目 上り列車も市内各所で歓迎ムード 家族連れらが熱視線

 

上り運行で陸中大橋駅に入るSL銀河=22日

上り運行で陸中大橋駅に入るSL銀河=22日

 

 運行2日目22日は前日からの雨も上がり、市内の各駅や線路沿いのポイントで鉄道ファンや家族連れが花巻行きのSL銀河の到着、通過を待ちわびた。

 

 上りの始発・釜石駅の発車時刻は、昨年までと比べ約1時間早い午前9時57分になった。遠野駅での停車時間を約2時間と長くし、駅周辺観光を楽しんでもらう狙い。花巻駅には午後3時19分に到着する。

 

 仙人峠手前の陸中大橋駅には、午前10時29分の到着時刻を前に、市内や近隣市町から続々と見物客が訪れた。山の緑を背景に黒煙をたなびかせながら走る雄姿を写真に収めようと、周辺では思い思いのポイントでカメラを構える人の姿が。列車がホームに滑り込むと、集まった人たちが手を振って歓迎した。

 

到着した列車に手を振る家族連れら

到着した列車に手を振る家族連れら

 

 約10分の停車時間には、列車を降りた乗客が、周囲の景色とともに車体をカメラに収める光景も。山あいの無人駅がひととき華やいだ。

 

黒煙を上げる機関車の姿は、かつて大橋から鈴子に鉄鉱石を運んだ「釜石鉱山鉄道」時代をほうふつとさせる

黒煙を上げる機関車の姿は、かつて大橋から鈴子に鉄鉱石を運んだ「釜石鉱山鉄道」時代をほうふつとさせる

 

「よい旅を!」花巻に向け出発する列車を見送る

「よい旅を!」花巻に向け出発する列車を見送る

 

 遠野市の佐藤義孝(よしゆき)さん(45)、梨紗さん(35)夫妻は、愛娘の希空(のあ)ちゃん(1)を連れて来駅。「いつも遠くからは見ていたが、こんなに近くで見るのは初めて。すごい迫力。娘も汽笛の音にびっくりしていた」と堪能。職場が釜石という義孝さんは「沿線のまちを元気にする意味でも釜石線を走ってくれるのはいいこと」と歓迎。梨紗さんは「今度はぜひ乗ってみたい」と望んだ。

震災10年 600発の打ち上げ花火で犠牲者追悼~唐丹ゆめあかり~

震災10年 600発の打ち上げ花火で犠牲者追悼~唐丹ゆめあかり~

震災10年 600発の打ち上げ花火で犠牲者追悼~唐丹ゆめあかり~

 

 東日本大震災で大きな被害を受けた釜石市唐丹町で7日、犠牲者を追悼し、地域の安寧を祈る花火が打ち上げられた。震災以降、毎年夏に継続するイベント「唐丹ゆめあかり」(同実行委主催)の一環。約600発の花火が上がり、住民らは震災から10年となる特別な年にさまざまな思いを重ねながら、夜空を焦がす大輪の花を見つめた。

 

 花火は仙台市の芳賀火工(芳賀克司社長)によって、同町小白浜漁港で午後7時半から約15分間打ち上げられた。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、岸壁に集まる人は少なめだったが、漁港に面する高台の民家などから多くの住民が夏の風物詩に見入った。

 

小白浜漁港で打ち上げられた唐丹ゆめあかりの花火

小白浜漁港で打ち上げられた唐丹ゆめあかりの花火

 

唐丹の夜空を彩る花火に地元住民らが見入った

唐丹の夜空を彩る花火に地元住民らが見入った

 

 唐丹ゆめあかりは震災があった2011年にスタート。ペットボトルキャンドルを防潮堤など海岸エリアにともし、犠牲者の鎮魂と復興への祈りを込める場としてきた。13年には、東北の被災各地で花火を打ち上げるプロジェクト「LIGHT UP NIPPON」とのコラボも実現。市内外の支援者らの協力で、郷土芸能披露や縁日なども加えた復興イベントに発展してきたが、昨年、今年は新型コロナ感染防止のため、打ち上げ花火のみの実施となった。

 

 夏休み中の一関航帆君(唐丹中3年)は友人4人で岸壁から花火見物。「今までのように盛大にはできないけど、ほとんどのイベントが中止される中、こうやってきれいな花火が見られるのはうれしい」と笑顔。「震災10年という節目の年なので、これまで受けた支援を、今、災害とかで大変な地域に返していくことが大事」と思いを込めた。

 

震災犠牲者の鎮魂とともに、コロナの早期終息への願いが込められた花火

震災犠牲者の鎮魂とともに、コロナの早期終息への願いが込められた花火

 

 同花火の打ち上げは、16年から地域住民や地元企業、団体からの協賛金で支えられる。昨年はコロナ禍で実行委はイベント中止を決めていたが、例年打ち上げに協力している芳賀火工が支援を申し入れ、地域限定の〝サプライズ花火〟として実施された。

 

 唐丹地域会議の佐々木啓二議長(77)は「継続してこられたのは住民の力によるところが大きい。震災を風化させず、次の世代に伝えていこうとする気持ちの表れ」と実感。コロナ禍2年目の夏に、地元を離れる唐丹出身者にも思いを寄せ、「帰ってきたいだろうが、盆にも帰れない状況。震災10年だから地元の様子を見に行こうという人もいたと思う。非常に残念」と心を痛めた。

鉱物室で多様な岩石について説明を受ける参加者

〝鉄のまち〟を支えた釜石鉱山に興味津々 三陸ジオの観点から学ぶ

釜石公民館歴史講座 釜石鉱山の成り立ちに驚きと発見

 

公民館の歴史講座で釜石鉱山周辺を散策する参加者

公民館の歴史講座で釜石鉱山周辺を散策する参加者

 

 釜石市大町の釜石公民館(小原圭子館長)は7月30日、同館の事業「みなとかまいし歴史講座」の一環として、三陸ジオパークへの理解を深めるミニツアーを行った。同市のジオサイトの1つ、甲子町大橋の「釜石鉱山」を17人が訪問。釜石繁栄の源となった宝の山に理解を深め、〝近代製鉄発祥の地〟釜石の誇りを再認識した。

 

 市内で3人目、本年4月に資格を取得した「三陸ジオパーク認定ガイド」の藤井静子さん(71)=釜石観光ガイド会事務局次長=が講師を務めた。現地に向かうバスの中で、大島高任によって大橋に洋式高炉が造られた背景を自作の紙芝居などで説明。到着後、旧釜石鉱山事務所周辺を歩き、三陸の大地の成り立ち、金属鉱床がもたらされた理由を解説した。

 

ガイドの藤井静子さんから三陸の成り立ちを学ぶ

ガイドの藤井静子さんから三陸の成り立ちを学ぶ

 

 三陸の大地は、現在の早池峰山から釜石市小川町、栗林町の山中を通る斜めのラインを境に、北部と南部で異なる起源を持つ。南部は赤道付近にあったゴンドワナ大陸から分離した島が、北部は海底にたまった堆積物がそれぞれプレートの移動で北上し衝突。さらにアジア大陸とぶつかった後、地殻変動によって日本列島が大陸から分離し、現在の配置になったとされる。

 

 藤井さんは約5億年前から始まる三陸の歴史を説明。南部は衝突による隆起で険しい山ができ、釜石鉱山は約1億2千万年前に地表付近に上昇してきたマグマと石灰岩などが反応して、豊かな鉱物が形成されたことを紹介した。同事務所内の展示室では「ナウマンの地質図」などを示し、三陸ジオにおける同鉱山の価値をアピール。鉄鉱石は1993(平成5)年まで136年間採掘され、釜石の製鉄業を支え続けたことを明かした。

 

旧釜石鉱山事務所の展示を見学。興味津々で見入る

旧釜石鉱山事務所の展示を見学。興味津々で見入る

 

 鈴子町の松本真弓さん(71)、夕向有子さん(75)は「製鉄業繁栄の背景に、この地に鉱物資源を生む自然界の壮大な変遷があったことに驚く。こんな小さい地域のことから世界が広がるのは不思議な感覚。子どもたちに話せば、夢が膨らむのでは」と話し、太古の地球活動に思いを巡らせた。

 

 ガイドの藤井さんは「釜石が鉄のまちとして栄えたのは、大地の恵みがあったからこそ。釜石の製鉄の歴史と合わせ、三陸ジオにももっと目を向けてもらえれば」と期待を込めた。

 

「鉱山(やま)の宝探し」に子どもも大人も夢中!鉱物標本で夏休みの思い出

 

「何の石かな?」目を凝らし、鉱石を探す子ども

「何の石かな?」目を凝らし、鉱石を探す子ども

 

 釜石鉱山の歴史や鉱物について学ぶ夏休み特別企画「鉱山(やま)の宝探し」(釜石市主催)が7月31日、甲子町大橋の旧釜石鉱山事務所周辺で行われた。市内の親子など30人が参加。日本で初めて洋式高炉による連続出銑に成功した地で、当時の光景を想像しながら釜石の鉄づくりに理解を深めた。

 

 講師は市世界遺産課課長補佐の森一欽さん。始めに同事務所で座学を行い、鉱山の成り立ちや製鉄の歴史を紹介した。同鉱山が発見されたのは1727(享保12)年。南部藩士大島高任は1858(安政4)年、この地に洋式高炉を築き、鉄鉱石を原料とした連続出銑に日本で初めて成功する。1880(明治13)年、鈴子で官営釜石製鉄所が操業を開始すると、同鉱山で採掘された鉄鉱石は専用輸送機関・工部省鉱山寮釜石鉄道(日本で3番目の鉄道)で同製鉄所まで運ばれた。

 

 同鉱山では削岩機で穴を開け、火薬を詰め込んで発破する「坑道掘り」が行われた。1回の発破で掘り進められるのは約1メートル。坑道を全てつなげた総距離は約1千キロに及ぶという。参加者は鉱物室で、鉱山から採れるさまざまな種類の岩石を見学。この後の〝宝探し〟に備えた。

 

鉱物室で多様な岩石について説明を受ける参加者

鉱物室で多様な岩石について説明を受ける参加者

 

 一番のお楽しみ、鉱石の採取は敷地内の一角で行われた。ターゲットは「鉄鉱石」「柘榴(ざくろ)石」「黄銅鉱」「灰鉄輝石」「緑簾(りょくれん)石」「石灰石」など。色や模様を頼りに探し、表面から分からない石は職員に割ってもらって確認した。拾った石は段ボール製の箱に収め、名称を添えて鉱物標本にした。

 

世界遺産課の職員に割ってもらった石を観察

世界遺産課の職員に割ってもらった石を観察

 

 家族4人で参加した新田壮偉君(甲子小2年)は鉄鉱石を見つけ、「磁石が石にくっつくのを初めて見た。鉱石を探すのは面白い」と興味をそそられた様子。「きらきらした石が好き」と話す兄壮真君(同6年)は「5種類ぐらい見つけた。釜石の地質にも興味がある。将来は海外に行って、珍しい石とかを掘って研究してみたい」と夢を描いた。

 

選鉱で出た廃石が積み上げられた堆積場(高さ120メートル)と人工の滝に囲まれ記念撮影

選鉱で出た廃石が積み上げられた堆積場(高さ120メートル)と人工の滝に囲まれ記念撮影

 

 甲子町の佐野茂樹さん(62)は「子どものころ石拾いをした記憶があって、懐かしく思って」と夫婦で参加。「知らなかったことも分かりやすい説明で教えてもらい、とても参考になった。ここはまさに宝の山。時間を見つけてまた来てみたい」。作った標本は「しばらくは眺めて楽しむ。親戚の子とかにも見せてあげたい」と笑った。

鉄鉱石の採掘(露天掘り)が行われていた現場

橋野鉄鉱山〝非公開エリア〟で見学会 鉱山労働者の労苦 肌で実感

鉄鉱石の採掘(露天掘り)が行われていた現場

鉄鉱石の採掘(露天掘り)が行われていた現場

 

 釜石市橋野町の世界遺産「橋野鉄鉱山」のうち、普段は一般公開されていない「採掘場跡」と「運搬路跡」の見学会が、7月24日行われた。市内を中心に18人が参加。険しい山道を往復し、人力で鉄鉱石を採掘して運んでいた約160年前に思いをはせた。

 

 見学会は、同鉄鉱山が「明治日本の産業革命遺産」(23資産)の1つとして世界文化遺産に登録された2015年から開始。16年の台風10号による豪雨被害で中止されていたが、昨年から再開された。

 

 参加者が目指すのは高炉場跡から南に約2・6キロの山中にある鉄鉱石の採掘場跡。市世界遺産課課長補佐の森一欽さんが案内した。二又沢川に沿って林道を進み、川が東西に分かれる付近で、採掘場跡がある西又沢上流に向かった。

 

採掘場跡を目指して険しい道を進む参加者

採掘場跡を目指して険しい道を進む参加者

 

人や牛が行き来していた運搬路跡をたどる。写真右側には急斜面が広がる

人や牛が行き来していた運搬路跡をたどる。写真右側には急斜面が広がる

 

 途中、高炉稼働時代に人や牛が鉄鉱石を背負って運んでいた運搬路跡にも足を踏み入れた。幅2メートルに満たない当時の道は、一歩間違えば谷に転落する危険な場所もあり、鉱山労働者の労苦を強く感じさせた。

 

2016年の台風10号豪雨被害を受け、通行不能になった道。ゲートの基礎部分がむき出しになっている

2016年の台風10号豪雨被害を受け、通行不能になった道。ゲートの基礎部分がむき出しになっている

 

 5年前の台風10号では西又沢上流部が決壊し、採掘場跡に通じる道の一部が大規模流失した。参加者はその被害も目にしながら進み、採掘場エリアにたどり着いた。この日見学した最も奥の採掘場は標高約900メートル。人力で岩を砕き、地表に出てきた鉄鉱石を採る「露天掘り」が行われていた。

 

 「日本で一番、鉄鉱石が採れる鉱山だったのが釜石。まだまだ良質な鉄鉱石はあるが、採算が合わないため、採掘はやめてしまった」と森さん。マグマの上昇で元々あった石が溶かされ、変成してできるのが鉄鉱石や銅鉱石。釜石では銅鉱石も採れ、釜石鉱山に大きな利益をもたらしたという。

 

採掘場跡で説明を受ける参加者。写真奥のさらに登った場所には切り立った岩の下に半地下式の採掘場跡が残る

採掘場跡で説明を受ける参加者。写真奥のさらに登った場所には切り立った岩の下に半地下式の採掘場跡が残る

 

付近の岩には磁石がくっつく部分があり、鉄分を含んでいることが分かる

付近の岩には磁石がくっつく部分があり、鉄分を含んでいることが分かる

 

 見学会では、後に使われたトロッコの軌道跡、甲子町大橋につながる坑道の入り口、坑道の発破用火薬を収納する火薬庫跡なども見ることができた。

 

 野田町の栗原蒼育君(小佐野小3年)は「鉄鉱石がある場所へ行くのは、あんなにつらいんだなと思った。昔の人はきっと筋肉ムキムキ!当時の鉄づくりはすごい」と驚きの表情。母希実子さんも「今とは比べものにならないぐらい根気や体力があったのだろう」と想像を巡らせた。熱心に話を聞く蒼育君に「釜石人として鉄の歴史への学びを深めてほしい」と期待した。

 

 雫石町の久保賢治さん(41)は「当時の採掘場が失われずに残っているのは世界に誇れること。現地に行って初めて分かる空気や雰囲気を感じると、より一層想像が膨らむ」と実感を込めた。

 

火薬庫があった場所には石垣が残り、足元には建物の壁に使われたれんがが散らばる

火薬庫があった場所には石垣が残り、足元には建物の壁に使われたれんがが散らばる

 

 橋野鉄鉱山の高炉場跡では7月9日から御日払所跡の発掘調査が始まった。9月ごろに一般向けの現地説明会を予定する。15日に開かれた市橋野高炉跡史跡整備検討委員会では、昭和20年代に建てられた山神社の鳥居の老朽化についても協議。修復する方向で検討していくことになった。

震災10年を機に開かれた「唐丹ひきふね祭り」

漁船など70隻で海上安全、大漁を祈願~唐丹ひきふね祭り~

震災10年を機に開かれた「唐丹ひきふね祭り」

震災10年を機に開かれた「唐丹ひきふね祭り」

 

 東日本大震災で被災した釜石市唐丹町で、震災犠牲者の鎮魂と海上安全などを祈願する「唐丹ひきふね祭り」(同実行委主催)が17日、行われた。町内4地区から漁船や釣り船約70隻が参加。唐丹湾内を巡航し、震災から10年となる地域の安寧と基幹産業である漁業の繁栄を祈った。

 

 同町では長年、地区単位で地元神社の例祭に合わせ、海上渡御(ひき船祭り)を行ってきたが、今年初めて一堂に会しての祭りを企画。町最大行事である春の「釜石さくら祭り」(3年に1度開催)が新型コロナウイルス感染防止のため中止されたことから、「地域のつながりや子どもたちの地元愛を醸成する場に」と、唐丹地域会議(佐々木啓二議長)が関係団体と実行委を組織して開催した。

 

 小白浜地区の西宮神社例祭に合わせて実施。小白浜漁港の岸壁で神事を行った後、同神社のみこしをお召し船に乗せ、各地区の船団とともに湾内に繰り出した。出航前には本郷地区を拠点に活動する「桜舞太鼓」が演奏し、祭りに花を添えた。

 

小白浜漁港で行われた西宮神社の例祭神事

小白浜漁港で行われた西宮神社の例祭神事

 

出航を盛り上げる「桜舞太鼓」(鼓舞櫻会)の面々

出航を盛り上げる「桜舞太鼓」(鼓舞櫻会)の面々

 

各地区の船団が唐丹湾内を巡航し、華やかな海上絵巻を繰り広げた

各地区の船団が唐丹湾内を巡航し、華やかな海上絵巻を繰り広げた

 

 お召し船は、6月に進水式を行ったばかりの唐丹町漁協の新定置網船「第18かねしま丸」(19トン)。震災時、漁協所有の定置網船3隻は津波に襲われながらも原型をとどめ、修理後、漁場の復旧作業に活躍。このたび老朽化が進んだ2隻(1989年製)を売却し、1隻を新造した。木村嘉人組合長(67)はお召し船の大役に「喜ばしいこと。サケの不漁など厳しい環境が続くが、何とか大漁してもらえるよう願いながら運航していきたい」と思いを込めた。

 

お召し船を務めた唐丹町漁協の「第18かねしま丸」。漁業振興への願いを込め進む

お召し船を務めた唐丹町漁協の「第18かねしま丸」。漁業振興への願いを込め進む

 

 大漁旗をはためかせた船団は湾内を2周。途中、西宮神社奥の院など島に祭られている3神の前で参詣。海上安全や防災を祈り、手を合わせた。釣り船「健勝丸」(3・1トン)の千葉健太郎船長(23)は「子どものころからなじみのある祭り。こういう場があると、地域も活気づく。漁業をはじめ海の仕事に携わる若い人を増やし、これからの唐丹を盛り上げていければ」と意を強くした。

 

湾内に祭られる神様の前で海上安全などを祈る「健勝丸」の千葉健太郎船長

湾内に祭られる神様の前で海上安全などを祈る「健勝丸」の千葉健太郎船長

 

漁船に乗せてもらい、笑顔を輝かせる子どもたち

漁船に乗せてもらい、笑顔を輝かせる子どもたち

 

 各船には唐丹小、中の児童・生徒、教職員ら約30人も乗船。地元の海の豊かさ、家族を支える父親らの海上での雄姿を目の当たりにし、古里の素晴らしさを体感した。同実行委事務局の下村惠寿さん(71)は「なりわいの漁業を次世代に伝承していくためにも大きな意味を持つ。コロナ禍で昨年から各種行事が中止されてきたが、やっと唐丹が一つになれる場を作れた。住民の団結力の表れ」と喜んだ。

砂浜が復活した根浜海岸の海水浴場。人のにぎわいも戻る=22日

待ってた海開き!根浜海岸 震災後初の全面開放~海浜事故防止、海水浴客へ呼び掛けも

砂浜が復活した根浜海岸の海水浴場。人のにぎわいも戻る=22日

砂浜が復活した根浜海岸の海水浴場。人のにぎわいも戻る=22日

 

 釜石市鵜住居町の根浜海岸の海水浴場が22日、海開きした。東日本大震災の津波で失われた砂浜の再生工事が完了し、初めての全面開放。地元団体が主催する海遊びイベントも開かれ、多くの家族連れらでにぎわった。

 

 砂浜には海水浴客らが続々と集まり、色とりどりのビーチテントが並んだ。海に入った子どもたちは「気持ちいいー」「しょっぱーい」などと歓声。浮き輪で泳いだり遊んだりして波と戯れる、たくさんの笑顔が浜辺に戻ってきた。

 

海開きした根浜海岸で水遊びを楽しむ親子連れ=22日

海開きした根浜海岸で水遊びを楽しむ親子連れ=22日

 

 人であふれる根浜の風景を懐かしんでいた甲子町(中小川)の吉田晶子さん(63)は「やっぱり釜石は海。海を生かしたレジャーが活発でなきゃ。どんどん盛り上がってほしい」と期待。盛岡市の泉山舞衣さん(37)は「海がきれい。プライベートビーチのよう。思いっきり泳いで岩手の海を楽しみたい」と、3人の子どもにも負けず劣らず笑顔を弾けさせた。

 

砂で遊んだり波と戯れたり、思い思いに海を満喫=22日

砂で遊んだり波と戯れたり、思い思いに海を満喫=22日

 

 イベントは市内でまちづくりに取り組む複数の団体で組織する実行委が主催し、23日までの2日間開催。シュノーケリング、シーカヤック、漁船クルージング体験など多彩なプログラムを用意した。地引き網の体験には60人超が参加。力を合わせてロープを引き寄せ、マサバやウグイ、ウミタナゴなど多様な魚が掛かっていて、子どもたちは大喜びだった。

 

海開きに合わせて行われた関連イベントで、必死に網を引く子どもたち=22日

海開きに合わせて行われた関連イベントで、必死に網を引く子どもたち=22日

 

 魚や釣りが大好きな吉田建太君(小佐野小3年)は「いろんな魚が取れてすごいと思ったし、楽しかった。泳ぐのもいいけど、やっぱり釣りの方がいい。今度は釣りをしに来たい」と楽しみを残した。

 

 市の中心的な観光地だった同海岸は、震災で約1・3キロにわたる砂浜が失われた。県が2018年度から復興交付金で人工再生に着手。砂を投入し、流失を防ぐ突堤を造り、20年度に延長約450メートルの再生工事が完了した。

 

海水浴場の開設は8月15日まで(午前10時~午後4時)。

 

海の事故ゼロ! 海保・警察ら合同パトロール

 

釜石海上保安部職員らが海水浴客に声掛けを行った=25日

釜石海上保安部職員らが海水浴客に声掛けを行った=25日

 

 家族連れでにぎわう根浜海岸の海水浴場で25日、釜石海上保安部や釜石警察署、市、県関係者らによる海浜事故防止合同パトロールが行われた。約10人が参加し、海水浴を楽しんでもらうためビーチ利用者らに注意喚起。▽子どもから目を離さないで▽遊泳区域で泳ごう―など、守ってほしい9つの約束を記したチラシを配った。

 

 合同パトロールは7月16日~31日に海上保安庁が主催する「海の事故ゼロキャンペーン」に合わせて実施。チラシの配布に加え、「沖への強い流れに注意して」「暑いので気を付けて」などと呼び掛けをした。

 

 釜石海保によると、本年度管内では7月18日までに海浜事故が9件発生。マリンレジャーに伴う事故は4件で、行為別では遊泳中、釣りが各2件となっている。阿部富二次長は「コロナ禍での海水浴場の開設だが、地元の安全を守るのは、われわれ。情報共有しながら事故防止に万全を期したい」と強調する。

 

 同海岸海水浴場では開設期間中、監視員が常駐(3人程度)する。

観賞会で刈り取り体験を楽しむ親子=17日

紫色の花と香りで一服の清涼感~橋野町青ノ木のラベンダー畑で観賞会~

「橋野鉄鉱山フラワーガーデン」内のラベンダー畑

「橋野鉄鉱山フラワーガーデン」内のラベンダー畑

 

 釜石市橋野町青ノ木の「橋野鉄鉱山フラワーガーデン」内のラベンダー畑で17、18の両日、花の観賞と刈り取りを楽しむ会が開かれた。橋野町振興協議会(和田松男会長)と栗橋地区まちづくり会議(川崎孝晴議長)の共催による夏の恒例企画。梅雨が明け、連日、真夏日を記録する厳しい暑さの中、訪れた人たちはラベンダーのさわやかな香りに心身ともに癒やされた。

 

 2015年に同振興協によって整備されたラベンダー畑には、約700株のグロッソラベンダーが植えられている。今年は7月初旬に開花し始め、17日時点で7分咲きとなった。会の両日は、はさみで刈り取ったものを一束300円で持ち帰り可能。株分けした苗や地元住民が作った匂い袋も販売された。

 

観賞会で刈り取り体験を楽しむ親子=17日

観賞会で刈り取り体験を楽しむ親子=17日

 

白や黄のチョウも飛び交い、紫の花と競演

白や黄のチョウも飛び交い、紫の花と競演

 

 中妻町の佐々木未結奈さん(双葉小4年)は家族5人で来場し、「いっぱい採れてうれしい。ラベンダーはいい匂い。夏休みの工作で匂い袋を作ってみたい」とにっこり。22日から始まる夏休みに胸を躍らせた。

 

 震災で被災し、昨年3月、山田町から同市定内町に移住した佐藤和恵さん(65)は夫と初めて来場。「ドライフラワーにして香りを楽しむ」と声を弾ませた。橋野鉄鉱山の高炉跡には世界遺産登録される前に訪れたことがあるといい、「遺産見学と合わせ、豊かな四季を堪能できる周辺環境があれば、『来て良かった』とさらに満足度が上がる」と話した。

 

 ラベンダーの香りは、安眠、リラックス、鎮痛、防虫など多様な効能があるとされる。会場では、同振興協のスタッフが活用法や育て方などを教え、来場者を喜ばせた。2日間で市内を中心に約100人が訪れた。

 

来年は株分けした苗を植栽し、面積を拡大予定

来年は株分けした苗を植栽し、面積を拡大予定

 

 同フラワーガーデンは同振興協が取り組む「橋野地区地域資源利用魅力向上事業」の一環で昨年度新設。橋野鉄鉱山インフォメーションセンターに隣接する旧青ノ木グリーンパークスケート場跡地約2300平方メートルに、約30種の花苗や幼木を植え、ラベンダー畑と合わせ一体整備した。

思い思いのポイントで釣り竿を伸ばし、引きを待つ=4日午前11時ごろ

甲子川でアユ釣り解禁 市内外からの太公望で活気づく

今シーズンのアユ釣りが解禁された甲子川

今シーズンのアユ釣りが解禁された甲子川

 

 釜石市の甲子川で4日、アユ釣りが解禁された。この日を待ちわびていた太公望たちは、早朝から各ポイントで長い竿(さお)を繰り出し、1年ぶりの引きの感触を味わった。9月中旬ごろまで楽しめる。

 

 例年、7月の第1日曜日が解禁日となる甲子川。今年は天候にも恵まれ、市内外から集まった釣り人らが日の出とともに釣り糸を垂れた。多くが友釣りで、水流を見極めながら狙ったポイントにおとりアユを泳がせ、野アユが掛かるのを待った。

 

思い思いのポイントで釣り竿を伸ばし、引きを待つ=4日午前11時ごろ

思い思いのポイントで釣り竿を伸ばし、引きを待つ=4日午前11時ごろ

 

 河川漁協のない甲子川では、甲子川鮎釣協力会(安久津吉延会長)に寄せられる協力金や市の助成金などによって稚アユの放流が行われており、今年は5月11日に支流の小川川を含め約300キロの稚魚を放流。解禁日には、大きいもので20センチほどに成長した姿が見られた。

 

体長約20センチの立派なアユに大満足の笑顔

体長約20センチの立派なアユに大満足の笑顔

 

 甲子川のアユは、2016年に岐阜県で開かれた「清流めぐり利き鮎会」の味比べでグランプリに輝いた実績がある。解禁日は県内陸部からの釣り客も多く、「ここは川の水がきれい。日本一の味にも期待」と話す人も。

 

 北上市の菅原謙一さん(66)は、仲間と午前3時40分ごろ現地入り。解禁から10時半ごろまでに約10匹を釣り上げた。「17、18センチぐらいが多い。まずまずのスタート。午前8時前後がよく釣れた」と成魚の手応えを満喫。早めの昼食を取り、後半戦に備えた。

 

盛岡市の釣り名人も甲子川のアユ釣りを満喫

盛岡市の釣り名人も甲子川のアユ釣りを満喫

 

 大槌町の岩間拓さん(42)はアユ釣り歴約20年。甲子川の解禁日には毎年足を運ぶといい、「日が照って水温が上がってきた。昨年よりも(釣果は)いいよう」。午前11時時点で「ちょうど20匹。今晩のおかず」と頬を緩めた。

 

 「ここ2年、天然遡上(そじょう)が少ない」と話すのは釜石市平田の油木由峰さん(50)。解禁日に釣り上げたのも放流アユ。「水量がもっと欲しい。一雨降れば、魚も遡上してくると思う」と期待。アユ釣りのピークは梅雨が明けて気温が上昇してくる8月。20センチ以下の魚も成長し、大きいものは26、27センチぐらいになるという。

 

 県内の主要河川のアユ釣りは1日から順次解禁。釜石市内ではこの後11日に、鵜住居川で解禁される(鵜住居川漁協の組合員証か遊漁券必要)。

高速バス「釜石仙台線」の出発式でテープカットし、運行再開を歓迎する関係者

釜石-仙台間より近く~県交通高速バス、新路線で運行再開

高速バス「釜石仙台線」の出発式でテープカットし、運行再開を歓迎する関係者

高速バス「釜石仙台線」の出発式でテープカットし、運行再開を歓迎する関係者

 

 県交通(盛岡市、本田一彦会長)は2日、新型コロナウイルス感染症の影響で運休していた高速バス「釜石仙台線」の運行を再開した。従来は内陸の東北自動車道を通っていたが、三陸沿岸道路(三陸道)を走るルートに変更。所要時間は片道3時間10分で、これまでより約30分短縮となる。同日、釜石市鈴子町のJR釜石駅前で出発式があり、関係者が第1便の乗客を見送った。

 

 「釜石仙台線」は1日1往復。往路は午前6時44分に野田町の同社釜石営業所を出発し、仙台駅前に同9時54分着。復路は午後4時10分仙台駅前発で、釜石営業所に同7時20分に着く。釜石市内で停車するのは小佐野駅前、釜石駅前、上中島のバス停留所。運賃は片道大人3300円(8月31日までのキャンペーン中は2900円)、小学生以下1650円。定員は当面36人とする。

 

新ルートでの運行が始まった「釜石仙台線」のバスに乗り込む市民ら

新ルートでの運行が始まった「釜石仙台線」のバスに乗り込む市民ら

 

 遠野市などを経て東北自動車道を通る従来ルートは年間約8000人が利用していたが、コロナ禍で利用者が大幅に減少し、昨年8月17日から運休していた。再開に当たっては、今年3月に宮城県気仙沼市内が開通し、仙台市までつながった三陸道の利用を検討。所要時間の短縮が見込まれ、無料区間が長く高速料金も割安になるなど、「三陸道を使わない手はない」と新たなルートでの運行、コロナ収束後を見据えた「布石」として再開を決めた。

 

 出発式で、本田会長は「地域の役に立ちたいと考えてきた。時間短縮のメリットを感じてもらい、観光、ビジネスにも利用してほしい」とあいさつ。野田武則市長は「バス利用者の利便性向上、地域活性化につながることを期待する」と歓迎した。

 

 第1便に乗り込んだ上中島町の会社員鈴木和弘さん(28)は「以前も時々利用していた。仙台までの時間が短くなり、近くなった感じがする。高齢者や学生など、長距離運転が難しい人たちも利用しやすくなると思う」と運行再開を喜んでいた。

市民ホール屋根のある広場で開かれた今年度初の「かまいし軽トラ市

今年もやります!「かまいし軽トラ市」 20日TETTOでスタート

市民ホール屋根のある広場で開かれた今年度初の「かまいし軽トラ市」

市民ホール屋根のある広場で開かれた今年度初の「かまいし軽トラ市」

 

 釜石市内の農産物や水産加工品などを生産者が直売する「かまいし軽トラ市」(市水産農林課主催)が20日、大町の市民ホールTETTO屋根のある広場で開かれた。昨年度初めて開催され、好評を得た企画。本年度1回目のこの日は釜石観光物産協会との共催で行われ、新たに水産加工業者が出店するなど、販売品目が拡大。この後11月まで毎月1回、会場を変えながら開催される。

 

 中心市街地に立地する市民ホールが会場となるのは初めて。午前9時の開店前から買い物客が列を作るなど期待の高さをうかがわせた。昨年度も出店した農業者、産直、障害者就労支援施設のほか、水産加工品や菓子の製造業者が集まり、計13店が販売ブースを構えた。

 

 野菜、切り花や花苗、海藻や鶏肉の加工品、弁当、菓子、ワイン、工芸品など多彩な商品が並び、買い物客は購買意欲をかき立てられた。人気の新鮮野菜は早々に完売する店も。交通の利便が良く、足を運びやすい環境も集客力を高めた。

 

地元の新鮮野菜を買い求めようと多くの客が集まった「産直ミッキーファーム」の販売ブース

地元の新鮮野菜を買い求めようと多くの客が集まった「産直ミッキーファーム」の販売ブース

 

 大只越町の女性(81)はイオンタウン釜石で行われている新型コロナワクチン接種の帰りに立ち寄り、野菜や花、弁当などを購入。「街なかでやってくれるのはうれしい。野菜も新鮮で安く買える。またここでやる時は絶対に来たい」と声を弾ませた。

 

 初出店のNPOおはこざき市民会議(箱崎町)は、ホタテの甘辛煮や塩蔵ワカメを販売。佐藤啓太理事長(39)は「常設店舗がなく、普段はイベントやインターネット販売が中心。こういう機会に商品を知ってもらえるのはありがたい。市内の海産物は意外と地元流通していないので、仕組み作りへの働きかけもしていければ」と望んだ。

 

NPOおはこざき市民会議の商品に興味を示す親子

NPOおはこざき市民会議の商品に興味を示す親子

 

 鵜住居町でリンゴ栽培などを手がける傍ら、県鳥獣保護管理員としても活動する二本松誠さん(57)は、狩猟で出たシカの角やイノシシの爪を加工したキーホルダー、工芸品を販売。橋野町の産直どんぐり広場で販売しているが、軽トラ市では初出品。「これまで廃棄されていた角などを有効活用できればと考えた」と、オリジナルデザインの作品を並べ、買い物客の注目を集めた。

 

二本松誠さん(中)が初出品したシカ角の工芸品は来場者の注目を集めた

二本松誠さん(中)が初出品したシカ角の工芸品は来場者の注目を集めた

 

 生産者の所得向上、地産地消の推進などを目的に始まった軽トラ市。昨年度は10、11月にうのすまい・トモス、市役所前駐車スペースを会場に計3回開かれ、延べ877人が来場した。本年度は6回の開催を計画。次回は7月25日、うのすまい・トモス朝市と同時開催で、午前9時から11時までトモス広場(三陸鉄道鵜住居駅前)で開かれる。

震災後、関係者の努力で復活させ、回を重ねてきた釜石はまゆりトライアスロン国際大会(2019年、第25回大会)

「はまゆりトライアスロン」2年連続で中止 新型コロナ感染拡大を考慮

震災後、関係者の努力で復活させ、回を重ねてきた釜石はまゆりトライアスロン国際大会(2019年、第25回大会)

震災後、関係者の努力で復活させ、回を重ねてきた釜石はまゆりトライアスロン国際大会(2019年、第25回大会)

 

 9月5日に予定されていた「第26回釜石はまゆりトライアスロン国際大会」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、昨年に続き、中止されることが決まった。同実行委(小泉嘉明実行委員長)が発表した。

 

 5月9日に、大会を主管する釜石トライアスロン協会(小林格也会長)の定例総会、同大会実行委の会合が開かれ、今年の大会開催の可否を協議。全国的に感染拡大が続き、本県でも感染者が増えていることから、「安全を優先させることが最善」と判断し、中止を決めた。

 

 同大会は釜石市鵜住居町根浜海岸を主会場に1990年にスタート。参加者は最大で約400人に上った年もあり、東日本大震災前の2010年までに21回の開催を数えた。震災の津波で同海岸やコースとなっている周辺地域が甚大な被害を受け、11年の大会を中止。16年の岩手国体でトライアスロンが正式競技となり、同市が開催地となることが決まっていたこともあり、復活を望む地元の声に後押しされ、12年から大会復活への取り組みを開始。14年にはスイム、バイク、ランの全3種目による大会を実現させ、16年の国体につないだ。

 

早くコロナが収束して、全国のトライアスリートの笑顔が戻ることを願う

早くコロナが収束して、全国のトライアスリートの笑顔が戻ることを願う

 

 昨年は大会開始から30周年の記念大会を予定していたが、新型コロナの収束が見込めず、やむなく中止。「今年こそは」と開催の道を探っていたが、全国の感染状況を考慮し断念した。同協会の小林会長(82)は「この厳しい状況では仕方がない。やはり健康な状態で開催できるのがベスト。コロナが収束したら、みんなで楽しめるような大会をしたい」と望んだ。