峠コース(17・2キロ)のスタート。411人が坂道をひた走った
「復興への峠を駆け上がれ」を合言葉に第8回かまいし仙人峠マラソン大会(実行委主催)は10月29日、釜石市甲子町大橋の旧釜石鉱山事務所を発着点とする2つのコースで行われた。男女年齢別11部門にエントリーした820人のうち636人が参加。国道283号仙人トンネルまでを往復する峠コース(17・2キロ)に411人、甲子町大松で折り返す10キロコースには225人が挑戦。台風接近に伴う、あいにくの雨模様の中、色づいた紅葉を背景にひた走り、ゴールを目指した。
トンネルを過ぎ、ここから坂道が急になる
開会式で、野田武則市長は「みなさんの走りが釜石の復興につながり、被災者の後押しになる」と全国から集ったランナーにエールを送った。
10キロコースのスタート。225人が挑んだ
最も遠方から参加した友澤寛さん(28)が「雨にも負けず、最後まで全力で走る」と宣誓。午前10時10分に峠コース、10分遅れで10キロコースのランナーが次々と駆け出した。
最も遠方の松山市から参加した友澤さん
友澤さんは愛媛県松山市から派遣職員として10月から県沿岸広域振興局水産部に赴任したばかり。漁港施設復旧工事の設計などを担当する。
マラソン大会に参加するのは5回目というが、「今回は練習もできず、ぶっつけ本番。完走できるか心配」と言いながら峠コースに飛び出した。苦しそうな表情でゴールイン。「坂道の厳しさは想像以上。今までで一番きつかった」と完走を喜んだ。
震災後、釜石市の副市長を3年間務めた嶋田賢和さん(34)は、前回大会に続き東京から参加。峠コースに挑み、坂道の途中で沿道の声援に手を上げて応える余裕も。「上りは地獄、下りは快走。沿道の方々の声援が力になった」と気持ち良さそうに話した。
元釜石市副市長の嶋田さんも笑顔で完走
現在は財務省から内閣官房に出向し、医療・介護分野を担当。日ごろは新宿区高田馬場にある自宅周辺を走り、健康づくりに汗を流す。釜石を離れて3年。「在任中は多くの人に世話になった。釜石大好き。今後も釜石の復興が見届けられるよう、毎年参加したい」
東京でフィットネスクラブのインストラクターを務める藤井(旧姓菅野)眞喜子さん(53)は両手を広げ、さわやかにゴール。「つらかった。でも一歩ずつ、止まらずに走れた」と5回目の完走を喜んだ。
「釜石復興」へ思いを込め完走した藤井さん
震災の津波で東前町の実家が全壊。両親は仮設住宅から復興住宅へと移り、やっと落ち着いた。高校時代は陸上競技の短距離選手として活躍。現在は週末のほとんどをランニングの指導に駆け回る。「これからも毎回、友達を誘って釜石へ」と大会の継続を願う。
猫さん、五輪の走りを披露
沿道の声援に応え、「ニャーニャー」鳴きながら五輪の走りを披露した猫ひろしさん
今回のゲストランナーはカンボジア国籍の走るお笑いタレント猫ひろしさん(40)。「ニャーニャー」と沿道に愛きょうを振りまきながら峠コースを駆け抜け、リオデジャネイロ五輪に出場した力強い走りを披露した。
リオ五輪では”ブービー賞”だったが、「オリンピックの走りを見せたい」と駆け付けた。「坂道だけのマラソンコースは、国内ではここだけ。メチャクチャ厳しかった。足がちぎれるかと思った」と言いながらも、「猫魂」と記した赤いユニホーム姿で見事完走。「ネコですけど、最後はオニのような顔になってたかも」と、おどけて見せた。
「全力で走るのがネコの仕事」と、仙人マラソンには5年ぶりの参加。同大会ではマラソンの名選手、瀬古利彦さんもゲストランナーを務めたことがあるが、「セコよりネコ。今後もよろしく」とPRも忘れなかった。
(復興釜石新聞 2017年11月1日発行 第635号より)
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